梅林庵

梅林庵

2018年05月09日
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カテゴリ: ショートショート
平成30年5月9日(水)
 午前5時起床。世の白む頃まで曇っていました。日中はほぼ快晴。気持ちのいい風が吹きました。写真は出勤前、荒ら家の犬走り端に咲いたユキノシタです。可憐です。



 終日デスクワーク。途中、午後、僅かの時間を利用し、某サイトを有効利用の研修がありました。弊社、営業部門は同業他社の商いに関する情報収集も仕事のうちです。ともすればおろそかになりがちです。目を光らせておくに如くはなし。日経を捲るのと同じです。
 まっすぐ帰宅。次の写真は帰りの道すがらです。コシヒカリの苗が北風にそよぐの図。日毎、水田の緑が増していくのが判ります。



 日が長くなりました。着替えて走ろうか。ジャージを着てランシューズを履きました。カメラを持ち、スマホでカープ戦を聞きなら。体が重く、結局30分のウォーク。走ったのは1kmでした。次の写真は歩き始める前に写した庭先のソメイヨシノです。花が散って一月半、青々の葉です。この時期、薪ストーブの煙突姿は興醒め。



 拙宅は写っていませんが、裏山と元越山に続く稜線の緑が空の青と相まっていい感じでした。



 おっ、先日、オタマジャクシが群れていたところに今日はイモリです。野郎、背中は黒いですが腹は赤い。腹黒でないのが救いです。



さて、書くことがありません。連休に書いたショートショートの続きを以下に。

「瀬田唐橋」
 思い出其の2 壬申の乱
 先に申した通り私は1300年あまり前に生まれました。しかし、実を申しますと生年を知りません。その頃の自分の姿も記憶に曖昧、往時の絵も残っていません。ということで生を受けて覚えている最初の記憶は「痛み」です。
 西暦672年、それは暑い夏の日のことでした。太陽がじりじり照りつけて、琵琶湖の水面は油を流したよう。風ひとつない昼下がり。ぼんやりしていると、遠くに土ぼこりの上がるのが見えました。みるみる大きくなって近づいてきました。息も絶え絶えの集団が、数倍の人数はあろうか、追手と切り結びながらこちらに逃げてきたのです。私を見つけて渡りに船、大慌てで西の方に渡りはじめました。逃避行の中には大けがをし、背負われて意識のない者もいるようでした。
 と、その時でした。逃げる兵の一人が立ち止り、突然、掛矢で私の板張りを打ち壊しにかかりました。もともと琵琶湖の水は安定しています。流れ出すところ、私の架かる瀬田川の流れは緩く、水位もほぼ一定です。水害で壊れることもないため、当時、架橋技術の幼稚さと相まって、杭に板を並べたような代物でした。従い、橋は簡単に落ちます。壊そうと思えばわけのないことです。しかし私にとっては背中を剥がされる行為。気分のよいはずがありません。しかも掛矢で打たれるのですから痛のなんの。兵は一心不乱、飛び越えることのできないだけの長さ分、忽ち板を外してしまいました。押し寄せた追手はそこで立ち往生。上手はそれに矢を射かけ始めました。今度は流れ矢が私の橋脚に刺さってこれまた閉口しました。周りは怒声が飛び交い、弓弦、射落とされて水面に落ちる大きな水音。騒然とはこのことです。生まれてよし来し方、背中に喧嘩や逃避、橋を向こうこっちに渡る数多くの人間模様を見てきましたが、命を落とすところを目の当たりにしたのはその時が初めてでした。
 さて、形勢は多勢に無勢、押し寄せる追手に逃げる側の矢が尽きました。くい止めることを諦め防御を放棄、あっというまに散りじりとなり、姿が見えなくなりました。追手はどこで工面したのか今度は私の背中に丸太をドスン、渡しました。足場をこさえ、その上を次から次と渡って行きました。彼らの姿が見えなくなると、後には川を流れ下る死体が浮き沈み、陽炎だけの静けさが戻りました。これが世に言う壬申の乱、瀬田唐橋の戦いです。
 この内乱は天皇の嫡子大友皇子と伯父にあたる大海人皇子の皇位継承争いと、風の噂に聞きました。追手が大海人皇子の軍勢、追われたのが大友皇子を担ぐ一党。大友皇子は橋を渡った翌日、自裁したとのことでした。双方のどちらに正義のあるか、私には全く判りません。どうのこうのという気持ちは毛頭ありません。ただ、橋は万人のもの。落とす行為はいただけません。戦において、道を絶ったり放棄する城の井戸に毒を投げ込むのは常套手段です。しかし、後のことを考えるといけません。橋の道、いや人の道に反します。因果応報、罰の当たるのは必定。大友皇子の死は私の板張りを剥がした報いと密かに思っています。
 さても壬申の乱、皇太子と天皇の異母兄による皇位継承争い、眷族と取巻豪族も二手に分かれ双方命運をかけての乾坤一擲でした。遷都も絡み、のちの政治情勢を大きく左右したこともあって後々、古代最大の内乱と位置付けられたそうです。人間が世情のことは判りませんが、橋の私がこの有様をして、人は身分の高い方々も市井の人たちも変わらずの人間五十年、朝露の如しなのに、どうして醜いことを好むのか、恐れ多いですがそう思う毎日でした。しかもこの乱は骨肉絡みです。哀れなことです。
 話が横道にそれてしまいました。戻りましょう。その後、橋の修繕がなされるまで、連中がここを渡らなければと悔やむ毎日でした。とばっちりも甚だしい。羽目板の打ちこわし、その痛みが最初の記憶として残ったのでした。
 この記憶には、もう一つの「痛み」もあります。或るやんごとなき方の思い出です。
 ここで後述の理解を易くするため確認をしておきます。天智天皇は若かりし頃中大兄皇子と呼ばれていました。645年、中臣鎌足と行った政治改革「大化改新」は人口に膾炙した歴史の大きな節目です。その弟が大海人皇子、すなわち天武天皇です。天智天皇の息子が大友皇子。覚えておいてください。
 さても古代最大の内乱です。その原因、一つには骨肉、嫡出か否かという処に尽きると言われています。別に遠因として天智天皇が朝鮮半島へ出兵にあるとされることもまた事実でしょう。白村江の戦いで一敗地にまみれ、戦後処理の経済的負担を豪族に強いたこと、天智天皇はそれを自分の派閥とそれ以外で差をつけたようです。息子の大友皇子は身内ですから当然身贔屓。割りを喰ったのは兄の大海人皇子とその一派でした。彼らが都を落ちていく際、私を渡りながら「覚えていやがれ、お前の思うようにはさせない。このうえは大海を担いで示しをつけてやる」その声を聞いたのです。厭戦気分に加え、戦費の負担と兵の動員に手心を加えると、不満の滾るのは致し方のないことです。手心と取巻きの重用はどこぞの国の政府と一緒、今も昔も変わりません。
 大方の見方は上の二つでしょう。しかし、私にはもうひとつ、この乱のきっかけは骨肉とはまた別の人間の性、横恋慕に原因がると思うのです。その理由、おそらく私しか知り得ないことをお教えしましょう。
 それは天智天皇の性癖です。彼は古代の大革命・大化改新を起こした英雄です。血筋血統言うことなしの傑物。政争に明け暮れ革命に勝利、日の当たる舞台を過ごしました。世は帝の光ばかりに注目し、彼が漁色であったことは語られていません。陰の部分、人の世界に「英雄色を好む」という言葉がありますが、彼は実をいうと難しい性癖を抱えていたのでした。それが証拠、后を始め関係を持っ相手は9名、合計16名の子をもうけましたから。采女、宮人も手当たり次第だったと、暇を出され国に帰る内裏の小間使いだった男が話していました。手当たり次第、許されたそこまではよかったのです。しかし、人妻に関係を迫ったのがいけませんでした。魔がさしてなのか、インモラルは蜜の味、禁断を犯してしまったのです。その人妻というのが絶世の美女・額田王でした。しかも彼女はこともあろうに大海人皇子が妻だったのです。天皇の手練手管に弄され肉欲に溺れたとの噂が流れててきました。天智天皇は異母兄の夫人を籠絡したのです。大海人皇子の怒らないはずはありません。美しい妻を凋落されて私怨の嵩じたこと、さもありなんです。私はこの鼻下長族がそもそものことの起こりと思えてならないのです。傾城という言葉がありますが、その意味ではまさに王朝存亡の危機でした。これが壬申の乱の本質と思えてならないのです。その証拠があります。私は瀬田唐橋の戦い直後、橋のたもとに伏せる佳人を認め、自害の一部始終を目の当たりにしたのです。
 それは大友皇子が首をつってわずか数日後でした。夜の明け始めた時刻、夏というのに空気の済んで秋を思わせる空の高さでした。その女性は華やかな内掛けを纏っていましたが、よく見ると裸足に血が滲んで今にも蠅が舞いかかりそう、抹香と汗の混じった匂いをさせていました。陽がさし始めて暑さに生気が戻ったのか、よろり立ち上がり私の背中を渡り始めました。
「ああ、どうしてこのような誤りを犯してしまったのでしょう。あの時、百済再興に向かう夫について行きさえしなければ。悔やんでも悔やみきれない。出雲国でまばゆいばかりの帝が姿、キラキラ光る目に見つめられて許してしまった私が悪い。それがせいで夫は甥を殺めてしまった。もう愛する子どもの許へ戻ることは許されまい。今はただ亡き帝に受けた寵愛の日々を懐かしむことだけが生きがい。しかしそれも今日で終わります。ここ、瀬田唐橋で喉を突き、瀬田川に身を投げましょうぞ」
 震える声でそう呟くや、震える手で懐剣を握りしめました。苦しむ様子は見るに堪えませんでした。背中に女の血を浴びたのは後にも先にもこの一度だけです。しかもその女性こそ額田王だったのです。やんごとなき女性皇族、胸を締めつけられるつぶやきはまさに「悲痛」の極みでした。先に書いた痛み、掛矢に打ち壊されたり矢の刺さるそれのの比ではありません。この二つが私の記憶の最初なのです。体の痛みと心の痛みを一度に知りました。


田の水面夏空映し井守這う
今日のラン
1km
今日の酒
冷酒2合 芋焼酎5勺
今日の写真はイモリです。散歩途中アスファルトの上に見つけました。干からびていました。可哀想に。








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Last updated  2018年05月10日 07時27分15秒
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シミ君 @ Re:茶碗酒 飲まずにはやっちょられん(05/31) New! こんにちは。 自由時間、プレゼントでき…
禁玉減酒 @ Re:茶碗酒 飲まずにはやっちょられん(05/31) New! おはようございます。マックのノートパソ…
一人親方杣夫 @ Re[1]:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) New! 亮おじさんさんへ おはようございます。 …
一人親方杣夫 @ Re[1]:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) New! 禁玉減酒さんへ おはようございます。 …
一人親方杣夫@ Re[1]:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) New! シミ君さんへ おはようございます。 青…
亮おじさん @ Re:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) 豆ごはんがウマそうです お弁当にはもって…
nkucchan @ Re:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) 取れたての豆ごはん、美味しいでしょうね…
禁玉減酒 @ Re:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) おはようございます。 こちらは、今日は…
シミ君 @ Re:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) おはようございます。 梅雨入り前のひと…

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