うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
全303件 (303件中 101-150件目)
I am very busy recently. I attended the lecture of the therapy of hepatitisC at the night of Friday and last night was yearend party of our office. Andtonight was the consultation of the institutions doing medical examinationin Yamanashi prefecture. At the tomorrow night , after attending theworkshop of medical checkup of breast cancer, I must go to the lesson ofpiano. I am afraid of making teacher angry not practicing with piano.By the way, I ‘ll write about the yearend party at last night. Weparticipated in the party about 260 workers.Our hospital is one of the group of hospitals. The vice president of thegroup came from central hospital having 900 beds. He is the director of the bighospital.We tend to think the vice president or director of the hospital havingimportant air or arrogant. But he was different. He rounded and greeted toeach worker one and one never sitting the central seat his own. I respectedhim and realized the meaning of the yearend party. It was the party ofthanks for workers by manager. I thought we doctors also should thanks all othercoworkers. I also rounded and greeted to several coworkers following thevice president.最近私はすごく忙しい。金曜の夜はC型肝炎の治療についての講演を聞きに行き、昨夜は勤めの忘年会だった。そして今夜は山梨県検診実施機関の協議会だった。明日の夜は乳がん検診の勉強会に参加した後、ピアノのレッスンに行かなくてはならない。少しも練習していないので先生に怒られるのではないかと心配している。それはそうと昨夜の忘年会について書こうと思う。約260人が参加した。我々の病院は病院グループの内の一つの病院である。その病院グループの副会長が900床のベッドを有する中央の病院からやってきた。彼はその大病院の院長である。我々は副会長とか病院の院長ともなると威張っているとか高慢ちきと思いがちである。しかし彼は違った。彼はひな壇に座っていなくて労働者一人一人に挨拶して回った。私は彼を尊敬し、忘年会の意義を理解した。それは経営者が働き手に感謝するためのパーティだったのだ。我々医師も他の全ての働き手に感謝すべきだと思った。私も副会長を見習って何人かの働き手の所をまわって挨拶した。
2014.12.14
コメント(2)
I am not young, not so powerful, but I thought I was the height just nowwhen I was putting myself into my work, gastro-endoscopy today.I can treat the examinee with sincere enshrined mind now, but in younger ageI couldn’t treat them as like as now.I think I was insolence in younger age. I think human became wise andrespectable with getting older.私は若くないし、力もないが、本日私の仕事である内視鏡検査に打ち込んでいた時、今が最高ではないかと思った。今は受診者を心から大切にしていい検査ができているが、若い時には今と同じようにはできなかったと思う。若い時は思いあがって生意気だったと思う。人は年を取るにつれて賢くまともになるものだなと思う。
2014.12.10
コメント(6)
Today was Labor Thanksgiving Day. Tomorrow is substitute holiday for it, butI am on duty at hospital in day and night. I can scarcely sleep on duty innight as emergency patients might come perpetually. I’ll go to bed earlyfor tomorrow.今日は勤労感謝の日だった。明日はそれの振り替え休日だが私は昼も夜も病院の当直である。夜の当直では急患がひっきりなしに来るので殆ど眠れない。だから明日のために早く寝ようと思う。
2014.11.23
コメント(4)
Today’s topic by Yosio Tsukio , who was speaker on Am 8.00,Thursday by theradio, was generic products especially ,drugs.I intend to write about generic first, but I decided to change the theme asI met a coworker whose behavior seemed not so appropriate in our workplacein the morning.I think every workers should serve their client or customer with all theirforce. For instance, if he work in the factory, he should make the bestvaluable products for the people who need it. If she work in the shoppingcenter, she should serve the customer with her best kindness.As we work in the hospital, each worker must serve for the patients with allour force. First of all I must think about myself if I exert all mystrength, following that I can see the coworkers around me. Almost coworkersserve for patients with all their force, but some seemed me working withselfish mind.In this world, we must help each other. One time we are helped by someone,another time we should do best for the person who need help. I believe if hecan do best for the people, he is happy, but if he can’ t best for thepeople, he never be happy.今日は木曜日で月尾嘉男さんの話のテーマはジェネリックでなかんずくジェネリック医薬品の話だったので最初はそれをテーマにブログを書こうと思った。でも朝勤め先である同業者の態度がこの職場に相応しくないように思えたので書くテーマを変えることにした。私は働く人はすべてそのお客さんのために全力で尽くすべきだと思う。例えば、ある人が工場で働いているとすれば、それを必要としている人々に対して最も価値ある製品を作るべきである。もしある人がショッピングセンターで働いているとすれば、お客さんに最高の親切心で尽くすのは当然のことである。病院で働いていれば、全ての職員は全力で患者さんのために尽くすのは当然である。最初に自分が全力を出しているか反省しなければならないが、それに続いて私の周りの同業者を見ることができる。ほとんどの同業者は全力で患者さんのために尽くしているが、何人かは利己的な心を持ちながら働いているように思えた。この世の中はお互いに助け合わなければならない。或るときは誰かに助けられ、あるときは助けを必要としている人に最高の助力をするのである。私は他人のために最高に尽くすことができる人は幸福だが、人のためにベストが尽くせない人は決して幸福になれないと信じている。
2014.11.20
コメント(8)
腰痛に対して何人かの方から見舞いの書き込みを頂きありがとうございました。おかげさまであの激しい痛みが軽快し本日も平常道り勤務しています。実は本日は当直で日中勤務の後夜中も勤務なのであの腰痛で勤まるか不安でした。救急指定日ですからもし私ができないとなると代わってもらえる人はまずおらず、事務長が困りはてるのは目に見えており、心配しましたが予定通り、出勤できて当直もしておりほっとしています。今朝は朝病棟回診でその後胃カメラ、午後は外来診療、そして夜の救急、すでに救急車が2台来ました。朝の回診では昨日入院したがんの末期の方と以前から入院しているやはりがん末期の方の様態が悪く指示を出しながらも心苦しくなりました。そこで医師の仕事について考えてみました。これから医師を目指している方、お子さんを医師になさろうとしている方がおられたら参考にしていただけたらと思います。まず腰痛について私の場合は軽快したからよかったですが軽快しなくても代わりはいませんのでたとえかなりの痛みでも出勤しなくてはなりません。病棟では死をまじかにした患者さんを何人も受け持っており一進一退で心休まる時はありません。夜間は睡眠薬を40錠飲んで意識がない人や風呂場で入浴中湯船に顔をつけた状態の人などが運ばれてきます。自分の体調を考えていたら仕事になりません。医者の平均寿命は一般人の平均寿命に比べて10年短いと言われています。医師の仕事とは患者さんのために自分の全てを出して少しでもお役に立ってもらうことだと思います。私などはまだまだその職業に徹していなくて、面倒な患者さんの場合はいやだなと思うことがあるし、疲れていると中途半端に患者さんに接することもあり、お恥ずかしいですが、本当の医師はどんな患者さんからも頼りにされ、それにきちんと答えることができる人だと思います。
2014.10.23
コメント(8)
今日も忙しかった。午前中は病棟回診と健診受診者の診察で午後は40人以上の乳がん検診の触診を行った。乳がん診察中も飛び入りの内科の急患が2名おり、外来と検診センターを行ったり来たりした。その乳がん触診終了後は午後6時から診療部の会議があり、午後7時半からは介護認定審査会があり市役所まで出張した。夕飯を食べる時間がなかったので物が食べられなくなった病人がごはん代わりに飲む缶に入った流動食であるエンシュアを飲んで出かけた。今、家に帰ってきてどら焼きを食べた。中々一日は忙しいものだと思う。ところで乳がん触診だが高校の同級生の言葉を触診中に思い出して笑い出しそうになって困る。それは一緒にゴルフに行った時、私が乳房触診をしていると言ったら、ずいぶん驚いて、て!女性の乳房を次から次に触っているのか?いいなあ、俺もやらせてもらいたい、羨ましいなあと何度も言われたことだ。この仕事は羨ましがられる仕事では全くない。乳房に触ることは触るが、中にしこりがあるかどうか診察するのですごく神経を使う。わきの下のリンパ節が腫れているかいないかも見るためにわきの下にも指を入れるので手が汗などで汚れてしまう。見落とせば訴えられるかもしれないという不安もあり、この触診業務は、胃カメラその他色々な医師の仕事の中で最もやりたくない仕事である。おまけにこの触診を受けた人と受けない人で、乳がんによる死亡率を比較したら有意差がなかったというデーターもあり、モチベーションを保つのも難しい。それなのに友人がしきりに羨ましい、羨ましいというのだから、思い出してもおかしくて笑ってしまうのである。以前はスチュワーデスが女性にとってはあこがれの職業だったが、実際は、いつ事故に遭うかも知れない危険な仕事で、不安定な飛行機の中を行ったり来たりして歩かなくてはならず健康にもよくないと思われ、外から観るほどいい仕事ではなかったと思う。今は女子アナが最高人気だが、これだってその実情はかなり大変だと思う。人が思うほどそんなにいい仕事はないものである。ましてや乳房触診は人が思うのと実際では真反対である。私はもうかれこれ40年触診をしてきて、その間ずっと辛い思いをしながら仕事をしてきたが、最近では両手で各乳房を触診する方法に切り替えて早く正確に診察できるようになった。以前は先輩が教えてくれた乳房を一個ずつ両手で触診する方法で行っていたので、時間がずいぶんかかっていたが、最近では時間をかなり短縮してスムーズにできている。しかし、それでも楽しい仕事ではなく、羨ましがられるような仕事では決してないことを強調しておきたい。
2014.10.20
コメント(4)
今日は当直なので午前の外来が終わった後夜間救急当番までの間は少し暇があるかも知れないと思ってパソコンを持ってきたが昼間の内から救急車がすでに二台来てそれ以外で自分で受診する人もいて、パソコンを出して開く時間はなかった。でも時間と言うものは細切れでもなんでも使った方が勝ちだと思って、今すぐ、先ほど撮ったレントゲンを見に行かなくてはならず時間があるわけではないが、パソコンを開けた。今はとりあえずパソコンを開けた所までで、続きはまた医局に帰って来れてからにする。上に書いた時から10人以上の患者さんが来てずっと診療に当たっていて、医局に帰れる余裕はなく、今やっと、夜の10時になって一段落した。しかし実際はこれからである夜間救急当番なのでこれから眠気と闘いながらの夜間診が始まる。今まで来た患者さんは様々である。血圧が200以上になってずっと下がらない人、ソフトボールが当たって上唇を切った人、めまいがして吐き気が続いている人、下血している人、熱が38.8度以上ある人、様々だ。その方々に一人で対応しなければならないないのでいくら覚悟していても結構厳しい。これから当直の時はいつも食べるカップラーメンを食べようと思う。そうして厳しい夜を乗り越えようと思う。
2014.09.27
コメント(4)
私が勤めている病院の院長は水平目線が信条である。職員の集会でも話すし、医大の1年生が看護業務などの実習に来た時も必ず話している。目線には見下げ目線、見上げ目線、水平目線がある。自分を偉いと思っている人や金持ちの人などは、ろくでもない人や貧乏人を見下してみる。自分を貧乏と思い、教養がないと思っている人は金持ちや教養がある人を見上げてみる。水平目線とは金持ち、貧乏人どこに違いがあるのだ。教養があるなしと言ったって人間に違いがある訳はない。見上げたり見下げたりしないで、どんな立場の人も全く同格であり、お互いが最高の誠意を尽くして付き合っていくことが大切と思って人を見る視線である。これは常識ある人なら殆どの人が頭ではわかっている目線だと思うがともすれば上にずれたり、下にずれたりする。病院などでは患者さんは弱い立場である。医療関係者などは弱い立場の患者さんに対して見下げ視線になりやすいことを危惧して院長は繰り返し水平目線と言っているのだと思う。大学病院の病院長も歴任してきた方で経歴からみると偉い人だが、水平目線で生活しているので外からみたらちっとも偉くない。白衣を脱いで歩いていたら小使いさんと間違われるかもしれない。患者さんに対しても職員に対しても全く同じ姿勢である。医局医師の中にはプライドの高い人もいるかもしれないが、院長がそのような姿勢なので多くの職員は水平目線を心がけている。今日は秋分の日で休日なので岡島に買い物に行きその近くの食事処"司"で昼食を食べて帰ってきた。デパートでも食事処でも、店の人の対応がよくて気持ちよかった。この人たちも水平目線を教え込まれているのだなと思った。金持ちらしいとか教養がありそうだとか、貧乏たらしい、よぼよぼで汚らしい老人だ等には一切関わりなく笑顔で全ての人に対応していたのは素晴らしいと思った。私も頭ではそのことはわかっているつもりだが、現実生活でいつもそれが実行されているかと言えば自信がない。しかし常に水平目線を保つように努力していこうと思っている。
2014.09.23
コメント(6)
今夜は病院の当直で、手が空いたと思ったらもう12時を過ぎていた。明日は外来担当で午後3時位からは予定がなく自由になる時間だが他の日はスケジュール一杯で調整が大変である。今週と先週の水曜日は昼の仕事終了後夜7時半から講演を頼まれて講演をした。明日の土曜日だけは予定が入っていないが、日曜から次の日曜さらに月曜日以後は行事が目白押しである。以前にも書いたが安倍総理は国会答弁して翌日は外国、その次は誰誰に会うなどスケジュールがいっぱいでよくこなしていると思う。それに比べれば私のスケジュールなど比べ物にならない。でも優先順位をきちんと決めて合理的にスケジュールを実施していきたいと思う。
2014.08.29
コメント(8)
きょう木曜日のラジオでの月尾嘉男さんの話は職業に関する話だった。代々木ゼミナールが校舎の七割を閉鎖するという衝撃的なニュースがあった。代々木ゼミと言えば超有名なマンモス予備校だった。その予備校が閉鎖寸前に追い込まれてしまったとは、とっさには信じられないことだった。新聞では少子化の影響と小見出しを付けていたが、それもあるが他の要素も色々重なったらしい。今朝は車が混んでいてよけてやるために車をバックして横道に入ったりしたので、バックギアに入れるとラジオが消えてしまうのでせっかくの月尾嘉男さんの話がとぎれとぎれになってしまって正確に伝わらないかもしれないがその点はご容赦願いたい。代々木ゼミ縮小の原因は少子化によって大学が入りやすくなり、浪人する生徒、学生が激減してしまったことが主因らしいが、他に、今やインターネットの時代で予備校に行かなくてもネットでも勉強できることになり、予備校経営は時代遅れとなってしまったことも原因らしい。予備校に限らず30年経つと社会の仕組みも変り、栄えていた職業は滅びていくものだと述べていた。だから職業を選ぶときには今もてはやされ栄えている職種は敬遠して栄えていない職業を選ぶのが賢明だと述べていた。そういえば旅行大手のJTBは希望職種ナンバーワンの時代が長かった。海外旅行にも行けるし、収入も多かった。しかし今はどうだろうか?インターネットで簡単に航空券も予約できるようになった。一時期のような超人気職種ではなくなってきているのではなかろうか?月尾嘉男さんは仕事を選ぶときは今倍率が高い人気職種よりも人気がない職種の方がよいと言い、もう一つ冷蔵庫を例に上げて、そういう仕事は選ばないようにした方がよいと言っていたがそこはちょうど車をバックしなければならずラジオが止まり詳しく聞けなかったので割愛させて頂く。今医学部志望者が多く、医者は人気職種だと思うが、月尾嘉男さんの話だと30年後にはがらっと変る可能性がある。今女子アナが女性にとっては最高の人気職種だが、何年か先にはがらっと変っているだろうという話もしていた。今農業を職業として選ぶ人は少ない。しかし月尾嘉男さんの理論で行くと今人気がない職業は将来脚光を浴びてくる可能性があり、真っ先に選ぶ価値がある職業かもしれない。
2014.08.28
コメント(10)
朝日新聞の2日に渡る慰安婦問題に関する特集記事を読んだ。2日とも見開き2面の記事でかなり読み答えがあった。最近朝日新聞への批判があいつでいる中でそれに答える形で「読者の皆様へ」という小さい要約記事も載せていた。この記事を読んでどのように感ずるかは各人各様だと思うが、私は日韓関係をこれほどまでに悪くしたのは竹島の問題もあるが朝日新聞の責任は極めて大きいと考える。朝日新聞は執拗に慰安婦問題を書いてきたがその目的はどこにあったのであろうか?吉田氏の証言が虚偽だと分かった後も、吉田氏の発言は取り上げなかったが、それは虚偽だったということは今日まで一言も言ってこなかった。挺身隊と慰安婦を混同し、「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」などと書いており(92年1月11日朝刊)、その言い訳が「原因は研究の乏しさにあった。当時慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった」と記しており、だからいい加減なことを書いたが已むおえなかったと言っているが、なぜ何も分かっていないのに慰安婦問題を書こうとしたのだろうか。社長命令だったのだろうか?スクープになると思ったのだろうか?日本政府を苦境に立たせようと思ったのだろうか?いずれにしても新聞記事によって内外の世論は動いた。世論を動かそうとするのは新聞人としては当然のことだが、何のためにそれをしてきたかは明確には書かれていなかった。吉田氏の証言については朝日だけでなく、毎日、読売、産経新聞も取り上げており、吉田氏を済州島で女性を従軍慰安婦として連行したことを証言した人だと紹介している。今になって各新聞社が朝日新聞を攻撃しているが吉田氏の証言が虚偽だと見抜けなかった点では50歩百歩だったと言えよう。マスコミとはそのようにいい加減で、しかも世論を作り上げるのでこれほど恐ろしいものはない。それに対して民衆は信用できてありがたい存在だと思った。吉田氏の証言が正しいかどうか調査員が済州島に行って関係者に質問したところ、そのようなことはなかったと全ての人が返答した。このような日韓関係の中ではそれがあったと言いそうなものだが、彼らは決して嘘はつかなかった。韓国民は冷静である。マスコミは韓国人はこんなにひどい、日本人はこんなにひどいと報じることが多いが、実際は正しい韓国人はいるし、まともな日本人もいるのである。個々のマスコミ人は純粋で正しくても、マスコミという枠に入ればその魔力に侵されてしまうことが多い。マスコミで働く人たちの大半は私より若い方々だと思うが、常に広い視野を持ち、人類のためと言う根本精神で、純粋で正しい心を失わないで熱き心の記事を書いてもらいたいと願う。
2014.08.08
コメント(5)
朝日新聞は5日、6日の特集記事で、慰安婦問題に火をつけた韓国済州島で女性を強制連行したと証言した吉田清治氏に関する記事を虚偽だったと判断して取り消した。今、日韓両国の間で大問題となり、外交上の大きな障害になっている従軍慰安婦問題は吉田氏らの証言を基にした朝日新聞の記事が火種になった。大新聞のその記事の反響は日本だけでなく、韓国、世界にまでおよび、それにあることないことなどが加わってどんどん大きくなっていった。朝日新聞にとってはスクープであり、センセーションを巻き起こしたのでしてやったりだったのかもしれないが、韓国からは補償問題が持ち上がり、国際的にも非難され、日本は攻撃され続けている。新聞の使命は何か?真実を伝えることだと思う。当時は吉田氏の証言の虚偽は見抜けなかったとのことなので、虚偽を伝えたとは思わないが、吉田氏の証言が虚偽だと分かった今、現在の真実は何か?を追及してもらいたいと思う。昔を今に還して改めてもらうことはできない。韓国民の心を簡単に変えることもできないし、日本人に対する国際世論も簡単に変えることもできない。しかし現在の状況をもたらしたのは朝日新聞であり、その責任をきちんと自覚すべきだと思う。過去のことをとやかく言っても始まらない。今であり、これからである。過去を反省して常に真実を見極めながら日本のため、世界のために真実の記事を書いてもらいたいと切に願うものである。
2014.08.07
コメント(2)
先週に続いて今週も土曜当直である。家内は私が高齢なので、体に悪いからと言う理由と、当直の明日はいびきがすごくて自分が眠れないからの理由で、「当直は止めなさい。事務長さんに言いなさい」と言い続けているが、穴が空いたら仕方ない。特に土曜の夜は救急患者さんが大勢来て眠れないので他の人は避けてしまうので私がやることになってしまう。家内が何と言おうと自分とすれば翌日が日曜日なので多少きつくてもそれほど大変とは思っていない。ただ判断が難しいと思う。先週もあったが、今日も近くのリハ病院から入院患者さんが重症化したので引き受けてもらいたいという電話があった。直接来院した人や救急車の要請は引き受けているが、他の病院に入院している患者さんの場合は、一応医師がいるわけで、その病院と自分の病院で自分の病院の方がレベルが上というわけではなく、こちらも医師が一人しかおらず救急車その他の患者を受け入れてさらに近隣の病院からの重症患者さんを受け入れるとなると考えてしまい、「もっと高機能病院に紹介してください」とお断りしてしまった。後で断って悪かったかな?と反省する。でも重症化した場合、その先生が手に負えなければこちらだって手に負えない。自分の実力のなさを嘆くが誰だって万能の人間はいない。医大とか県中とか大きい病院なら専門スタッフが揃っているのでそちらに紹介してもらいたいと思う。でも「断って悪かったかな」というわだかまりが前回はかなり残った。当直終了時はああこれで終わったとの解放感から幸福感に浸れることが多いが、前回はそれが気になって幸せではなかった。いつもお世話になっているので引き受けてやれば良かったかなと思うが、こちらで次から次に重症患者を診ている状況の中ではやむ負えなかったかなと自分を慰めている。今も熱中症の人、尿閉の人、頭痛の人など大勢来ている。このブログも書きだしてから途中で何回も呼ばれるので中断しながら書いているので、かれこれ2時間くらいかかってここまで書いてきた。まだ夜の8時頃だ。11時、12時頃まではへっちゃらだが1時過ぎてからの当直が厳しい。覚悟して勤めを果たそうと思う。
2014.08.02
コメント(8)
大病院から治療のしようがないので最後を見取って欲しいと依頼されて転院してきた75歳の口腔がんの患者さんが昨日の未明に息を引き取った。放射線治療や手術療法等があるがやせ細って体力がないので、いずれの治療も無理と判断されたらしい。食事も食べられないので最初鼻管を入れて栄養したが、吸収がほとんどなさそうなので太い静脈に管を入れて、直接高カロリー輸液を注入していたが最後は眠るように逝かれた。何十年も医者をしていると多くの方の最後を見取らせて頂いてきた。若い時はあまり色々考えなかったが、高齢になり自分もぼつぼつその仲間になりそうな年齢になると、自分があの世に行った時すでに先にあの世に行っている人たちから「お前はあまりよくしてくれなかったな」などと言われないかと心配するようになった。今回のケースでも大病院でいずれの治療も無理だろうといわれたとのことだが、詳しい検査をしてその大病院とは別の放射線治療ができる病院に送ってやるべきだったのかとふっと思ったりした。結果的には無理だったかもしれないがベストを尽くしたかを反省した。様々なケースがあると思うが、私があの世に行った時「まあまあそれなりに尽くしてくれたな」と言ってもらえるようにベストを尽くしていきたいと思う。
2014.07.09
コメント(4)
ヒマラヤの人口100万位の小国ブータンで農業の父と慕われる西岡京治氏の記念館が現地に設立され、その記念式典が6月17日に行われた。西岡氏は大阪府立大学農学部卒で、昭和39年、31歳の時に夫人の里子さんと共に農業指導者としてブータンに赴任して、日本から導入した野菜の栽培、品種改良、農地開墾等を指導し、農業振興に尽力した。氏は一方的な押し付けでなく、現地の実情に即した漸進的な指導を行ったので村人に信頼されて大きな成果を上げ、生活の基盤改善に大いに寄与した。1980年47歳の時ワンチュク国王から国の恩人として、「最高に優れた人」の爵位を授与された。28年間尽力してきたが59歳の時敗血症にかかりその生涯を閉じた。国を挙げての国葬が行われ3000人以上の人が集まり別れを惜しんだ。その遺骨はブータンに眠っている。日本の農業指導50周年を記念して氏の記念館ができたが、これほど慕われた人はこの国始まって以来とのことだった。人と生まれたからには何かをして死にたいと思うものだ。人に知られなくても自分なりに満足してその身を終わる人が多いが、西岡氏はブータンの国民から最高の人物と慕われて一生を終え、今なおその精神や霊はブータンの中で生き続けている。偉大な日本人先輩を持ったことを誇りに思う。
2014.07.05
コメント(4)
第2回赤ひげ大賞を受賞した下田憲さんは、北海道のほぼ中央に位置する南富良野町幾寅という人口2800人位の過疎の町にある「けん三のことば館クリニック」院長である。診療所の名の通り、診療所内には月に2回朝4時に起きて書き換える書があちこちに飾ってある。「ひたむきに歩けばいつか光は見える、生きろよ生きろみな生きろ」「嫌いだなと感じている人をもしも好きになれたなら、生きる世界がひとまわり大きくなるんだろうね」など沢山飾ってある。名刺に「悪い薬は用いません。悪い治療も選びません。体を癒すだけでなく、心の癒しも目指します」と書いてあり、東洋医学と西洋医学を併用して金のかからない医療を実践している。毎日40人位の患者に無料で鍼治療を行っており、薬の副作用がなく、何より安価で効果がある治療法とのことである。外来で診察した後は往診に出かけ、一人一人と真心の交流を続けているとのことだ。ここに開業して18年、医院の中にある屋根裏部屋に一人で住んでいてこの幾寅を終の住みかと定め、体が動く限り診療を続ける覚悟とのことである。「今とても満足している。目いっぱいの医療をやっているから」「患者さんが慕ってくれる。こんないい生活をして許されるのかと思うほど幸せを感じている」「自分に思い上がりがないかいつも問い直している。」受賞後のインタビュー記事を読んで、まさに患者さんのために生きているすごい人だなと思った。北大出身とのことで私の後輩になるが、私とは天と地の違いがあると思った。私は言語や文章ではいかにものようなことを言ったり書いたりするが、現実には結構よこしまな事を考えることもあり、患者さんのことを考えながらも、自分の身のことも考えることもあり、患者さんが自分の命の全てと考えて行動している下田さんには遠く及ばないと思った。下田さんのこの笑顔を見たら神ではないかと思えた。
2014.07.02
コメント(2)
ハクチョウソウ今朝の新聞に「過労死防止法案成立へ」という記事が載っていた。過労死防止推進法案が超党派の議員立法で衆院厚生労働委員会に出されて全会一致で可決し、今月中に本会議にかけられ今国会で成立する見込みになった。過労死家族の会代表の寺西笑子さん(65)の夫はチェーン店の飲食店店長だったが、厳しいノルマと長時間労働を強いられて過労自殺した。夫のように過労死する人をなくして欲しいという願いが国会議員に受け入れらたということで傍聴席を埋めた遺族たちは両手を上げて喜んだとのことである。人間を金を稼ぐ機械と考え、使えるだけ使い切ろうと考えるのは人間に対する冒涜である。ノルマを決めてそれを達成できない場合は解雇もしくは減給処置にされるのはたまらない。ノルマを達成しようとして、力尽きて病死したり自殺したりすることのないように、しっかりと法整備をしてもらいたいと思う。私は今土曜日の当直をしている。朝から外来患者さんが大勢来て午後からは当直帯に移ったが救急車が2台続けて来て医師は一人しかいないのでてんてこ舞いだ。しかもこれから夜中にかけて救急車や急患がくる。殆ど寝ることはできない。厳しい仕事なので、途中で死んだら過労死と言われるかもしれないが、家族には「たとえ死んでも過労死ではないからな」と言ってある。過労死と私のような人間が死ぬのとでは違う。過労死は強制的に働かされて体調を崩したり自殺したりするのだが、私の場合は強制されたわけではなく好きでしているのだからそれで死んでも過労死にはならない。同じ仕事でも自分から進んでするのと、人から強制されてするのでは疲れ方も精神に対するダメージも全く違う。もし私が同じ量の仕事を強制されてしたとするならとっくに過労死していたと思う。法の整備は必要だが、個人的にも厳しい仕事の場合はやらされていると考えないで自分からしていると考えてもらいたい。そうでなければ尊い命を落とすことになるので精神的防御法も身につけてもらいたいと願う。
2014.05.24
コメント(2)
厚生労働省は明日から介護報酬のあり方について議論を始める。今朝の新聞には介護職員の給料が低すぎて離職者が相次いでいるとの記事が出ていた。正規職でも他職種に比べ平均で9万円安いと出ていた。私が知っている40歳代の男性Iさんはトヨタ販売に勤めていたが事情があって退職し、ヘルパー講習を受けて介護職につき今リハビリテーション病院併設の介護施設で非正規職員として働いているが手取りで12~3万円である。新聞に書いてあった22歳の介護福祉士の資格を持つ正規職のMさんは、手取りで18万円とのことでで私の知るIさんよりは少しいいがそれでも厳しい。MさんもIさんも仕事の内容は同じで朝早くから夜遅くまで、さらには夜勤で終夜認知症などの患者さんのお世話をしている。同じ施設内で働く医師や看護師よりはるかに重労働だが給料は格段に安い。Iさんは3年以上懸命に勤めているが未だに正規職待遇にならず給料は上記のままである。その金額を聞いて生活保護の方への支給額13万より安い現実に心が傷んだ。新聞に過酷な仕事の割にあまりに給料が安くて離職者が相次いでおり、介護職が不足しているので外国から労働者を受け入れる対策をしていると出ていたが、とんでもないと思った。日本人の給料はそのままにして、不足分は安い賃金でまかなえる外国人にお願いしようとの考えだ。介護職につきたい人はいっぱいいる。しかし就いてみてその現実を知って退職していくのである。消費税が上がった分、介護職員の給料を確実に上げてもらいたいと願う。明日から始まる社会保障審議会のメンバーのどなたかも今朝の新聞を読まれたことと思う。日本人が日本人を介護するのは当然だと思う。介護職員の給料を是非とも上げてもらいたい。心からお願いするものである。
2014.04.27
コメント(4)
数日前高橋佳子さんの「一億総自己ベストの時代」という本を紹介した。その本には副題がついていて「人生の仕事の見つけ方」と書いてあった。ここでの仕事とは給料をもらう仕事だけでなく、人生全般の営みを仕事と捉えています。仕事の仕は人につかえる(支える)と書きます。ものを作ったり売ったりするだけでなく他人に関わることは全て仕事ととらえています。旅行することも仕事だし、絵を書いたり、音楽をかなでることも仕事です。病人が早く良くなろうと努力することも仕事です。人にはその人にだけしか出来ないことが必ずあるはずだから、1億人の人(日本人全て)が全員仕事を見つけてベストを尽くして行きましょうというのが著者のメッセージです。今夜は病院の当直で今までに既に3台の救急車がきました。これから夜間、深夜にかけてが本番なので、利尿剤を飲んでいるので、何回もトイレに行きますが、心して対応していこうと思っています。救急車がきた場合、救急隊、患者さん、看護師、医師、放射線技師などが関わります。大きく分けると患者さんを運んできてくれた救急隊と患者さん、そして医療者となると思います。救急隊は一刻も早く運ばないと命に関わることもあるので迅速に行動してくれて立派な仕事をしてくれていると思います。医療者側もそれなりの処置をして仕事をしたと言ってよいと思います。ならば患者さんは?救急車で運ばれてきたことが仕事です。患者さんがいなければ、救急車も医者も看護師もいりません。患者さんは患者ということだけで大仕事をしていることになります。さらに良い日常生活を保ち、薬を飲んだりして元気になっていくと周囲は喜びますので、周囲に対して良い働きかけをしたことになり、良い仕事をしたとなるのだと思います。一般的には医療者が仕事して患者さんは仕事をしてもらうと受け止められがちですが、患者さんにも仕事するチャンスは十分あるのだと思います。今20歳の虫垂炎疑いの女性が来ました。私は内科医で何もしてやれません。外科医のいる病院を探して紹介しようと思います。土曜日とか日曜日は殆ど受け入れてもらえないことが多く、その病院を探すのが私の仕事です。いくつかあたってみるつもりでしたが最初に電話した病院がいい病院で、当直看護師が外科医に招集をかけてくれて受け入れOKとなりました。ありがたかった。遠方の病院でしたがすごくいい仕事をして下さり心から感謝しました。当院の事務の方、先方の事務の方もいい仕事をしてくれて本当に感謝です。仕事とは感謝と同じに考えてもいいかなと思いました。
2014.04.26
コメント(5)
韓国の遊覧船が沈没して多くの乗客が死亡したり行くへ不明になっている。船長はいち早く船外に脱出して「申し訳なかった」とインタビューに答えていた。同じように沈没したタイタニック号の船長は、最後まで乗客の救出を図りながら船と一緒に沈んで行った。船でも飛行機でも学校でも、病院でも会社でも長のつく立場の人はそのグループの責任者である。そのような立場になると自分は偉くなったと思って威張ったりする人がいるが、本当は偉くなったのではなく、最終責任を任かされたのである。船長にも家庭もあるだろうし、自分の生活もある。自分だって生きる権利があると思うのは当然だが、高い給料をもらい、多くの部下を従え、いい生活をしていたことと引き換えに、自分の命は船や乗客とともにあることを認識すべきであった。この船長は万が一船が沈没した場合に自分はどうしたらいいか想像したことがなかったのだと思う。まさかの時には死の覚悟が必要な職業なのだ。船長は憧れの職業かも知れないが、事故あった時には全責任を取らなければなければならない立場である。もしそれが出来そうもなかったら、船長になるのは辞退すべきだったと思う。私も他人のことは言っていられない。病院で働く医師は船長に近い立場である。事故あった時どのような行動がとれるか、普段から想像し、対処法を考えておかなければと思った。
2014.04.17
コメント(2)
家内が20年以上毎年咲かせているクンシラン( 君子蘭)です。私も冬になると家の中に入れるのくらい手伝いますが他は何もしません。冬の間、花の咲いていないときは部屋をふさぎ廊下の通り道で邪魔になり、疎ましく思いますがきれいな花を咲かせると感銘を受けます。7年前93歳の女性が心不全で救急車で運ばれてきた。ご高齢で腎機能も悪く、両肺も真っ白で助かる見込みはないと思った。肺にたまった水を取るために利尿剤を使ったが効果はそれほど期待できないと思っていた。ところが少しずつ水が抜けて肺が次第に見えるようになってきて呼吸も楽になり快方に向かい退院した。その後大腿骨頸部骨折や膝の骨を骨折したりして入院したこともあるが、最近は車いすで外来通院していた。娘さんがおり、7年前の瀕死の状態の時から骨折した時、そして最近少しむくみが出てきた時まで変わりなく、ずっと面倒を見てきた。そして今度100歳を迎えて、その娘さんから「あの時助けて頂いたからここまで来れた」との感謝のお手紙を頂いた。私からみれば娘さんがずっとお母さんを大事にみてきたからここまで来れたと思うので娘さんこそ第一の功労者だと思っているが、娘さんは小生のおかげだと書いてくださった。正直私は全く大したことはしていない。利尿剤を使っただけで、それは誰でもすることで、特に私だったからということは全くない。大変恐縮したが、そのように感謝していただいてうれしかった。医者冥利に尽きると思った。と言うのは連日様々な重症患者さんを抱え、90歳とか98歳とかご高齢の患者さんが多く、神経をすり減らして心を砕いてもよくなる気配はなく、だんだん悪くなって行くばかりである。それにつれて自分の心も重くなる。そのような毎日の中で、93歳で亡くなりそうだった方がだれのせいだかわからないが、100歳まで生きたと言うことはめでたいしうれしいからである。実際は本人の生命力で医者の力等はほとんど影響していないと思うが、日々の重苦しい気分の中でたまに、おかげさまでこんなに元気にしていますと言われると心が晴れてうれしくなるものである。人生はつらいことが100あって、その中に一つよいことがあるものだと聞いたことがあるが、実際はつらいことばかりが人生だと思う。その中にたまにうれしいこともある。まあそういうこともなければ人生やっていけないかもしれない。
2014.04.14
コメント(11)
ある雑誌で天皇陛下の心臓を手術した順天堂大の天野篤さんのインタビュー記事を読んだ。オフポンプと言って心臓を普通に動かしたままでバイパス心臓手術をする腕は世界一と言われており、今もほとんど毎日手術している天野さん、現在、年齢は58歳である。いつメスを置きますか?の質問に対して、「弟子を育ててきたので彼らに後を引き継いでもらうことになるが、私を求めてくる人は大勢いる。お役に立っている間はメスを捨てない。患者さんやスタッフなど周りの人に迷惑をかけるようになったら、止めます」とのことだった。「常に患者さんのために最高の手術が提供できるように誰にも負けない技術を身につけるため日々努力してきた。自分が受け持った患者さんについてはだれかれの差別なく全ての人に全力で対応してきた。世の中の医者は自分に甘すぎる」僻地医療とか地域医療に貢献したいとの夢を持っていたそうですが、それはどうなっていますか?の質問には「その気持ちは今も持ち続けているが、今心臓手術で自分を必要としている人達が目の前にいる。僻地医療にはそれなりの準備と訓練が必要なので今の仕事が区切りがついたら行きたいと思っている」とのことだった。常に努力を続けている人。あくまで人の役に立つために頑張る人。自分に厳しいので後輩に対しても臆することなく厳しく指導している姿、立派だと思った。数年すると定年になる。定年後には僻地に行くかもしれない。どこに行っても全力で尽くす人だと思う。我々医師の鏡だと思った。
2014.04.01
コメント(6)
義兄が庭先にある小さな畑にジャガイモを植えに来てくれて、帰りに入院中の姉のことを話してくれた。脳梗塞の再発作で県立中央病院に入院し、今は以前入院していたリハビリテーション病院でリハビリ療法を受けている。左半身麻痺で左手左足は全く動かない。口は何とかきけるが寝たきりである。義兄が毎日通って面倒を見ている。色々気遣いして介護しており、本当に頭が下がる。今日は、県立中央病院、その前にいた介護施設、そして今のリハビリテーション病院で関わってくれているすべての看護師、理学療法士、医師、介護士、ソーシャルワーカーなどの名前を覚えていて、皆さんよくやってくれて感謝しており、その人の特徴や出身地まで知っているのには驚いた。毎日通っているので医療スタッフと親しくなり、治療や介護をしてくれる様子を観察しており、あの人はこのようにしてくれた、この人はこうしてくれた等実に詳細に把握しており、医療人とすれば大勢の患者さんの内の一人として職業的に仕事しているのだと思うが、患者の家族にしてみれば妻に対してどれだけ良くしてくれるかが全てである。他の患者さんには親切かも知れないが、自分の身内に対してはどうなのかで評価されるのだ。大勢の患者さんを診ていて超多忙だと一人ひとりには手が回らなくておざなりになることがある。我々医療者にとっては患者さんは大勢の中の一人である。患者さん側からは、医療者一人一人が自分に対してどれだけ尽くしてくれるかで評価する。忙しい、忙しいなどとばかり言っていられないと思った。
2014.03.23
コメント(6)
1日神経を使う仕事をしてそれからさらに夜の勤務、翌日も仕事ということで少しきついのでボツボツ勘弁してもらおうかな?と思う。でもそれは中々難しい。翌月の当直記入用紙がタイムカードの横に貼ってある。皆がそれぞれ希望日を記入するが、最後まで記入のない日が必ず月に2~3日ある。誰かが埋めないと、穴があいて医師がいない夜がでてしまう。事務長がインターネットなどで募集するがそう簡単に見つかるものではない。結局私ともう一人の医師のところにお鉢が回ってきて、その人と私で穴を埋めるということになる。きつい仕事だが私は嫌いではない。夜中に急に具合が悪くなった人のお役に立つなら嬉しい。でも朝から勤めて午後も勤め、さらに夜の仕事となると疲れが出てくる。大したことでもないのに午前2時、3時頃来る人や、救急当番病院なんだから診るのが当たり前と横柄な態度で受診する人にはムッとすることがある。でもそれをぐっと抑えるのが当直医だと思って頑張っているが、それらの患者さんと対応したあとは疲れが増す。私は「ラブラブ思考で世界は変る」という本を書いた。自分と他人を全く同じようにラブする。結論は人様に尽くすために生きる。そこに真の幸せ境涯があると言うのが内容だが、上記のような患者さんにムッとするとはラブラブ思考に反すると思うが、人の感情は自分が思う通りには働いてくれない。今夜はそういう患者さんはあまり来てくれないことを願っている。
2014.03.18
コメント(8)
今日も忙しかった。本日は職場の健康診断受診日で朝ご飯を食べないで出勤。皆さんの胃カメラ検査を行い、最後に自分で自分の鼻に胃カメラを入れて検査を行った。検査はかなり症例を積んでおり、皆さんに対する検査は容易に行えるので、胃カメラは簡単でそれほど苦しくなくて、ましてや鼻からは楽だと思っていた。ところが自分でやってみると結構苦しくて、皆さんかなり我慢してくれていたのだなと思った。自分の胃をしみじみと見たが、多くの人より委縮が強く、かなり胃炎が進んだ汚い胃袋で、仕方ないことだとはいえ、少しがっかりした。その後体重測定や腹囲測定などがあった。腹囲は85センチ以上あるとメタボリック症候群と診断されるので、思いっきり息を吸いおなかをへこませて測ってもらったら、85センチ以下だった。普通にしていたら85センチを超えていたと思うが、本当はいけないのだが、多くの人と同様、私も何とか数字を少なくしようとおなかをへこませてしまった。以上の健診受診は昼休みに行い、午後は外来診察だった。ヘモグロビンが4.5と言う人がきた。正常値は12~3だからいかにひどい貧血かわかる。黒いタールのような便が大量に出たとのことで胃や十二指腸から大量に出血したのだと思われる。入院させた。別の患者さんは27歳女性、黄疸を示すビリルビン値が、13もある。正常値は1.2くらいだからいかにひどい黄疸か分かる。足のむくみもひどくて入院させた。入院指示を出さなければならない。焦った。今夜は7時から山梨県厚生連健康管理センターの会議室で山梨消化管研究会が行われ、私は当番で症例のプレゼンテーションをしなければならない。聞くだけならいいが、自分が発表者なので、遅刻するわけにはいかない。宿命なのかもしれないが、自分はどうしていつもこのように切羽つまった状況に置かれなければならないのかと困窮した。でも大雨の中を息せき切って駆けつけて無事発表し、その後外科の先生にその症例の手術記録を動画で説明してもらった。外科の先生の準備も大変だったと思うが、私も数日前からパワ-ポイントを使ってスライド造りを行ってきたが、発表時より、準備段階の方が大変だと思っている。いずれにしても無事終了して一安心した。帰って来たのは9時過ぎだった。明日も午前中病棟回診した後外来だ。休まる暇はない。でも忙中閑ありという言葉がある。多忙の中にも憩いの時を見つけていきたいと思う。
2014.03.13
コメント(6)
Medical social work is a sub-discipline of social work, also known as hospital social work. Medical social workers typically work in a hospital, skilled nursing facility or hospice, have a graduate degree in the field, and work with patients and their families in need of psychosocial help. Medical social workers assess the psychosocial functioning of patients and families and intervene as necessary. Interventions may include connecting patients and families to necessary resources and supports in the community; providing psychotherapy, supportive counseling, or grief counseling; or helping a patient to expand and strengthen their network of social supports.Medical social workers typically work on an interdisciplinary team with professionals of other disciplines (such as medicine, nursing, physical, occupational, speech and recreational therapy, etc.)76歳の女性患者さんを受け持っている。一人暮らしだが、息子は大阪に住んで立派に生計を立てており子供さんもいる。年も取ったし病弱だから大阪に来ないかと息子に言われているが、お嫁さんに気使いしたり、子供の勉強の邪魔になっても悪いからとその誘いを断って、生活保護をもらって当地で暮らしていた。でも今回の入院に際し、体力の衰えを感じ、退院後はグループホームなどに入れてもらいたいと感じ始めた。私は息子さんがそう言ってくれるなら大阪に行くのが一番いいのではと言ったが、本人の心はすでに施設に入ることに決めているようだった 。どこの施設に入るのか、生活保護で入れるのか? 医療は無料だが老人ホームなどは金がかかるのではないか?手続きはどうしたらいいのかなど様々な問題がある。しかし病院にはメディカル・ソーシャル・ワーカー(医療福祉士)がいる。彼らがケアマネージャーや役所などに連絡をとってくれてその患者さんに取ってベストの道を探してくれる。Medical social worker 医療福祉士は患者さんにとっても我々医師にとっても大変、大変ありがたい存在である。欧米では19~20世紀初頭に生まれ患者さんの便宜を図ってきたが、わが国では戦前に聖路加病院では活動していたみたいだが、本格的な活動は戦後に始まっている。患者さんが入院している間は食事は出してもらえるし、医療保険と補助金等で看護や介護をしてもらいながら生活できる。しかし退院となると一人暮らしのご老人が多い現在、退院後再度一人で暮らしていけるかは難しいことが多い。その時患者さんの精神的バックアップや、退院後の生活など一切の相談を引き受けて道を切り開いてくれるのが彼女、彼らである。20歳代の若い人達が多いが、わがままな患者さんや認知症の患者さんの面倒を実に良く見てくれて本当に頭が下がる。ある程度年齢を重ねた人達なら、人生の苦労も知っているので、お年寄りを親身に見てくれるという先入観があったが、若い人達が本当に親身に世話をしてくれていていつも感心している。医療分野において我々医師の仕事は微々たるものである。彼らMedical social worker 医療福祉士等に支えられながらそれなりの医療を実現させて頂いているといつも思っている。
2014.03.02
コメント(6)
昼前に当直明けで帰ってきた。1時、2時、3時、5時、6時、8時とひっきりなしに患者さんが来るので朝8時半頃には本当に疲れてしまった。外来で急患を見ているところに病棟から電話があって、患者さんが血管に入れてある管を引っ張って糸を切ってしまったので縫い直してもらいたいとのことだった。細かい仕事なので疲れた体と神経にはきつかった。家に帰ったら車が出せるように雪かきをした。屋根から落ちた雪で塞がってしまった玄関の雪かきもした。今夜は一杯飲んで早めに寝ようと思う。当直の翌日はいびきがすごいといつも家内に言われるが、ご迷惑だったら部屋を移って頂こうと思う。
2014.02.23
コメント(6)
土曜当直をしている。バイクで転んだ22歳女性とか雪かきをしていて転んだ88歳の女性等が来院している。自分は内科なので外科系の患者さんはお断りすることにしているが、直接来てしまった人はレントゲンをとって骨折の有無などを診察して整形外科に紹介している。今まだ宵の口なのでどんな患者さんが来てもそれなりに対応できるが、夜間から深夜にかけては疲れもたまってきて対応が大変と感ずることがある。でも明日の朝9時までの任務で、その後は日曜日で休めるのでそれまで気を張って頑張ろうと思う。当直任務とは直接関係ないが昨日外来受診した62歳の男性患者さんが、体調が良くなったので昨年末から毎週木曜日にハローワークに通って職探しをしているとのことだった。工事現場での交通整理の仕事とかホテルの布団上げとか皿の片付け仕事などをしたことがあるとのことだが、前者は痔になってしまって辞めて、後者は腰が痛くなって辞めたとのことだった。お金をもらう為に働くのは大変だと思う。生活保護をもらって生活したほうが楽だと考えるのは無理ないかも知れない。社会福祉政策は、だれ人も最低限の生活を保証されなければならないとの大原則に基づいて行われている。こ方のように健康に自信がなく、痔や腰痛にならないような仕事を探すのは難しいかもしれない。市役所からはゆっくり探して良いと言われているとのことで、私もそうですかと応じたが、世の中にはもっと厳しい状況の中で必死で働いている人たちがいることを考えてもらいたいと思った。その方が帰ったあと別の診察ブースで車椅子に乗った80歳くらいの患者さんが受付事務の人に大声で絡んでいる声が聞こえてきた。事務長を呼べと言う声も聞こえた。後で聞いたら生活保護の患者さんでいつもあれこれ文句をつけているとのことだった。医療者側には生活保護だからと言って差別する気持ちは毛頭ないし、実際に差別は絶対に行っていない。しかし生活保護受給者の中には特別待遇されるべきだと思っている人もいるようだ。待たされるのは生活保護も他の患者さんも同じである。生活保護だからと言って早く診てもらえる権利はない。私が診ている生活保護の患者さんは皆さん静かな方が多いが、中には権利をはき違えていて、特別待遇してもらえないと怒り出す人がいる。生活保護を受けている意義をよく考えてもらいたいと思う。
2014.02.22
コメント(2)
大雪でタクシーの運転手にお世話になった。車をこすって板金塗装のおじさんにもお世話になった。ピアノの先生にもお世話になっている。量販店にパソコンを買いに行って色々説明してもらたり、売ってもらったりしてお世話になった。タクシー運転手の運転をみて、自分はとてもこの人のようには運転できないと思う。擦った車を元通りに直す板金塗装屋さんの腕前に感心する。それぞれのプロフェッショナルの人達に助けてもらいながら私たちは生きている。他人の仕事ぶりをみると、自分にはとてもあのように出来ないと思う。彼らはその道で何十年と腕を磨いてきたのだと思う。自分はどうか、胃カメラとか大腸カメラを何十年としてきたが、上に述べたプロフェッショナルの人たちの技に比べると恥ずかしいような気がする。多くの人達にお世話になりながら私たちは生きている。各自専門があるのでその専門部門では熟練し、上手になっているのは当然のように思われるが、イマイチの場合もある。同じお掃除係の人でもまさにプロのお掃除をする人とイマイチの人もいる。今させて頂いている仕事で、イマイチと言われないで、さすがプロだといわれるような仕事ができるようになりたいと願う。
2014.02.20
コメント(8)
同僚医師が廊下を急いで歩いていた。すれ違ったのである患者さんのことを聞くために話しかけたら、答えてはくれたが素っ気無かった。よほど急いでいたのだと思う。でも自分を無視されたようであまり気分の良いものではなかった。それなら自分はどうか?ほとんど走っている。外来に行く時、内視鏡室に行く時、病棟に行く時、病棟回診の時、ほとんど小走りに移動してる。途中で何人かとすれ違い、会釈はするが、相手から話しかけられたら困る血相で歩いているので、もし話しかけられても「今急いでいるので」と手短に話して通り過ぎていた。外来のスタートに遅れないように、内視鏡検査に遅れないようにとの気持ちから急いでいるのだが、今日の同僚医師とのすれ違い場面を思うと、私の急ぎぶりは彼どころではなくもっともっと激しいので、おそらく多くの人に不快な思いをさせていたのだろうなと思った。「そんなに急いでどこに行く」という標語があったが、急いで墓場までまっしぐらなのかもしれない。確かに少しでも早く外来を始めたい、少しでも早く胃カメラを始めたい気持ちは分かるが、走る前の仕事の手順を考えた方がいいと思った。走らなければならない状況を作っているのがいけないのだ。朝病棟に行く時間をもっと早くすれば、もっと余裕をもって回診できて、慌てふためいて外来や、内視鏡室に行かなくてもいいのである。急いで歩けばいいというものではない。廊下を走らないで普通に歩く人間になれるように、廊下に出る前の仕事に早く取り掛かかり、早く処置できるようになろうと思った。
2014.02.06
コメント(2)
有価物の日はいつもそうだが朝4時ころから目を覚ましてしまい、通知では6時半からでよいとのことだが6時から出勤してペットポトル、アルミ、スチール、色瓶、無色瓶等を分別して袋や箱に入れる作業をしてきた。結構腰骨が痛くなってきたがお隣の奥さんは5年前に脊椎管狭窄症の手術をしているがあまり痛くないとのことで、その前には痛くて歩けなかったことを考えると医学の恩恵を感じた。6時45分頃あらかた終わった。これから持ってくる人もいるかもしれないがあまりいないのでもういいですねと言って責任者が残ってくれるというので他の4人は帰ってきた。家についてしばらくしたらその責任者私の知ってる人だが一人残して悪かったなと思った。少なくとも私も残りましょうか?くらい言えばよかったと思った。反省である。今日の病院任務は午前中は病棟回診後胃カメラである。午後は大腸カメラである。腰骨が痛いが仕事の内容が違うので大丈夫だと思う。夜は10時まで近くの会館任務の当番である。今日は午後から雪が降るという。今日は朝から任務が詰まっているところに自然の脅威もある。細心の注意を払いながらもリラックスして生き抜こうと思う。
2014.02.04
コメント(4)
もし医師を目指す方がおいでなら、参考になるかもしれないので、医師とはどういう仕事でどういう境遇なのかということを書かせていただこうと思う。医師といっても開業している医師、病院勤務の医師、大学病院や研究所で研究している医師など様々だが、ここでは、入院や外来患者を診ている一般勤務医を例にとって説明しようと思う。先日超音波検査を受けに来た80歳の女性から「40年前その方のご主人が命が危なかったのを輸血その他の懸命な治療で助けていただいたが、その時の担当医が私で、命の恩人である私のことを鮮明に覚えている」と言われた。私はといえば、鮮明どころかおぼろげにも覚えていない。その代わり治療がうまくいかなくてお亡くなりになった人のことは鮮明に覚えている。おそらくその方々の家族の人達も憎しみの対象として私を覚えているのではないかと思う。一日の仕事内容は、病院に着いたらまず病棟回診から始まる。その後外来とか胃カメラとかの任務に移るが、病棟の患者が発熱したり、嘔吐したりしているとその処置で外来開始時間に遅れてしまうこともある。病棟の患者が具合が悪いと我が身も具合が悪くなってしまう。外来では必死で患者さんをさばくが、中にはあれこれ質問してきて時間を取られてしまうこともある。大変なのは12時前後に来る患者さんである。高齢者で発熱しているケースが多く、血液検査をしたり点滴をしたりするが、処置室がいっぱいになってしまう。入院させなければいけないのかと心を砕く。そこへ病棟患者が具合が悪くなったとの電話がある。処置を済ませて時計を見ると午後2時少し前だ。慌てて昼食を食べていると午後2時になる。2時は午後の仕事のスタート時間である。この頃昼休みはほとんどない。午後は午前中に入院させた患者さんの診察や他の患者の回診をしたり、退院サマリーや介護保保険用の主治医意見書を書いたりする。書類書きもかなりの時間を費やす。書類を書いていると健診室から、マンモグラフィ(乳房X線)の読影をしてくれと頼まれる。日中は神経を使うことばかりで休憩時間もほとんどない。これが平均的な医師の一日である。よほどの使命感がないとノックアウトされてしまう。一度油断すると入院や外来の重症者に引っ張られて自分も奈落に落ちていく。これが現実である。外から観る医師像と実際の医師像はかなり違う。ノックアウトされそうになることが何度もある。それに耐えられる人が医師を全うできるのではないかと思っている。
2014.01.24
コメント(9)
医者が調子のよい時と悪い時があったのでは調子の悪い時に当たった患者さんは救われないので常にベストコンデションを保つように心がけなくてはならないが、昨日たまたま最悪のコンデションのことを書いてしまったので、その翌日のことを書かせて頂く。昨夜は11時40分頃と早く寝た。いつもは朝までに4-5回目を覚ましてトイレに行くが昨夜は途中で右足がつって痛くて起き上がってつま先を立てて座ってみたが中々痛みが取れずしばらくかかったがそれでもその後すぐ眠って6時まで起きないでストレートに眠れた。いつものことだが当直の翌日はいびきがすごくて家内が別の部屋に引っ越すが昨夜もひどかったとのことである。人様にはうるさかったかもしれないが自分的には当直の翌日はよく眠れて気分がいい。おまけに通勤途中のラジオで血液型占いをしていてA型が最高の運勢でAB型が最低とのことだった。血液型によってその日の運勢が決まるわけがなく、全くのお遊びだと思うが、調子が悪いと言われた時には調子が悪いような気になってしまう。以前ゴルフに行く途中、その日の運勢でA型が最低と言われて元々実力がないので仕方なかったが、実際最低のビリの成績になってしまったので、朝あんな放送を聴かなければよかったと思った。今日の実際はどうだったか?病棟回診と内視鏡検査と健診の仕事だったが、昨日は自分が調子悪いところに持ってきて患者さんも殆ど具合が悪くて益々自分も具合悪くなったが今日は比較的安定しており、自分の心はナイスだった。内視鏡は午前7人の胃カメラ、午後3人の大腸カメラだったがいずれもスイスイで、痛みや苦しみを与えず満点に近い検査ができた。健診の仕事は昨日やり残した仕事もバッチリカバーしたし、病院全体のコワーカーとのコミュニケーションも良好で絶好調の1日だった。やはり人間よく眠らなければだめということかなと思った。冒頭に医師は調子のいい時と悪い時を作ってはいけないと書いた。ベストコンデションを保つには規律正しい生活、特に睡眠は6時間くらいきちんと取らなければいけないと思った。
2014.01.21
コメント(12)
今日は病院の当直である。もう既に一台救急車が来た。明日の朝まで勤務なので今後の救急車対応が重要だが、入院ベッドがないという。お断りするかいったん当院で診て大病院に紹介するかになると思うがベッドがない当直は窮屈で心苦しい。外では大学受験生がセンター試験2日目に挑んでいる。私にも昔経験があるが、大変な緊張の瞬間である。私も当直頑張るので彼らも落ち着いて冷静に試験頑張ってもらいたいと願う。
2014.01.19
コメント(3)
昨日は「忙しすぎてこのような生活の中に幸せがあるだろうか?」と書いて皆様にご心配をおかけし、お言葉も頂いた。今日は昨日の反省を踏まえてパニックにならないように冷静に対応したら最高に幸せが感じられた。昨日は病棟から電話があり、そちらへの対処を考えながら外来をしていたので、外来でくどくど訴える患者さんが疎ましく感じられ随分失礼な対応をしたのではないかと反省した。流れを早くすることだけを考えながら外来をしても、結果的には遅くなってしまい、患者さんは不快な気持ちで診察室をでることになる。昨日のことを言えば病棟からの電話に対し、「こんなに患者さんが並んでいるところに大したことでもないのに何を電話をかけてきたのだ」との気持ちがあり、「並んでいる患者さんを診るのが先決だ」と病棟への返事を後回しにしたが、それを気にしながらの外来診察で、目の前の患者さんに身も心も捧げていなかった結果が、昨日のパニック状態だったと思う。今日は違った。少し位待たせてもいい。時間がかかってもいい。待ってる人のことは忘れて目の前の人に全精力を注ぐのだの気持ちで対応したら、スムーズに流れ、却って昨日より短時間で終了することができた。何よりも患者さんと心と心で対話できた実感があり、心から幸せだなと感じられた。昨日と今日を比べると昨日はリズムがめちゃくちゃだった。今日は三拍子のリズムに載って快適で、全く疲れも感じなかった。リズムに乗っていれば幸せ感があり、リズムに外れていれば不幸感あるのだなと痛感した。
2014.01.10
コメント(9)
今勤務が終わってからの甲府のホテルでの勉強会「消化管研究会」に参加して帰ってきたところである。本日の任務は午前中胃カメラで、午後外来、夜は上記の勉強会があるので、何とかそれに間に合うようにと必死で外来患者さんを診ていると途中で病棟から電話がかかってきて時間を奪われる。1月23日発表の学会のスライドも作らなければならない。3月13日にも発表の予定がある。病棟の患者さんは少しも良くならなくて気苦労は重なる。朝、病院に行って、夕方帰るまでに休まる暇がない。そのような中で組の人のお葬式がでた。お葬式の役員として受付をしなければならない。考えるだけで頭がパニックになりそうである。忙しすぎてこれでいいのかと思った。忙しい、忙しいで日が暮れて、それで幸せが得られるだろうか?とふっと思った。幸せとは何か?のんびり優雅に暮らすことか? 心に余裕があることか?もしそうだとするなら今の私は幸せにはほど遠い。あくせくと心の余裕が全くない状態で日々を生きており、幸せとはとても思えないと思った。しかし逆に時間に余裕があって、悠々自適に生きていれば幸せかというと必ずしもそうとは言えない。目標の設定が重要だと思う。忙しくても暇でも、金があってもなくても、美人でも美人でなくても幸せとは心で感ずるものなので、心が幸せなら忙しくても、金がなくても、不美人でも幸せになれるものだと再確認した。問題はあれもしなくてはならない、これもしなくてはならないと頭の中で考えている時、病棟その他から連絡が来たりするとパニックに陥ることである。忙しいから幸せになれないということはない。問題はパニックにならないことだということが分かった。目標に向かって努力していれば、忙しいのは当然で、アバチャバしないで冷静に対処できればその中にきちんと幸せはあるのだ。と思えた。
2014.01.09
コメント(9)
無事当直任務を終了した。全部で救急車3台(人)を含む21人の救急患者さんを診察した。救急体制は受付の方一人、看護師一人、医師一人である。明け方3時、4時頃来る患者さんは態度の悪い人が多い。私などは「なんでこの程度の病気でこの時間帯に我が物顔で来るのか」という思いが湧いてしまいがちだが、昨夜の看護師さんは、年配のベテラン看護師だったが、そんな時間帯に来た患者さんでも、変わらぬ気持ちで親切に接していて素晴らしいなと思った。患者さんが来た時、医師は話を聞いて診察し、点滴や薬の指示をパソコンに打ち込むだけだが、看護師は実際に点滴し、点滴中の患者さんの様子をチェックしなければならない。医者よりずっと大変だと思う。でもよくやってくれたので、朝の任務終了時には「お疲れ様、ありがとう」と挨拶に行ってきた。彼女、彼らの仕事には頭が下がる。色々あって大変な思いをしたこともあったが、点滴をしていた人すべてが元気になって帰ってくれたこともあり、「無事任務終了した」の満足感があり、帰りにゴルフ練習場に行って球を打ってきたが、思ったように当たらず、球も飛ばなくてがっくりして帰ってきた。家についてからはかねてからからかっている景品でもらったウオークマンをボルボV40のカーナビで聞くためのブルーツースのマッチングを試みたがやはりダメだった。適合機種ではないということだと思う。重ねてがっくりした。でもピアノでも弾いて心のバランをとろうと思う。
2014.01.05
コメント(2)
正月1日、2日と休ませて頂いた。今日は12月31日に診に行った重症患者が気になって箱根駅伝を見たあとその患者さんを診に病院に行ったが、思ったより元気で安心して帰りにゴルフの練習をしてきた。いよいよ明日4日から通常業務である。たまたま当直にも当っているので、日曜の朝まで勤務だが、翌日が日曜日なので助かる。新しい年の勤務がいよいよ始まる。心して頑張っていこうと思う。
2014.01.03
コメント(6)
本日は天皇誕生日で祝休日である。天皇、皇后両陛下は様々なご心労のなかで本日ご健勝で誕生日をお迎えになられ、心から祝福を申し上げたい。両陛下の益々のご健勝をご祈念しながら、本日は当直業務についている。今95歳の肺炎の男性を入院させた。朝9時半頃発熱ということで、来院され、レントゲンや血液検査で肺炎と診断して入院となった。付き添ってきたのは70歳位の息子さんと93歳の奥さんだった。奥さんは7年前に小さな肺がんの手術をしたが、今は元気で畑仕事などをしているとのことだった。今午後1時半頃だが、奥さんも息子さんもずっと付き添っており、大変だなと思った。病棟に入室できれば、家族に帰って頂いても良いが受け入れ先の病棟でベッドの確保、準備が中々できなくてご高齢の付き添いの方々を長く待たせてしまいお気の毒だと思った。これから夜間、そして明日の朝まで当直業務で朝からは日常業務を普通どうり務めることになる。私は月に1回か2回だが、月に8回位当直をしている医師もおり、大変だなと思う。
2013.12.23
コメント(6)
庭のコスモスまた年賀はがきの季節になった。今朝の新聞に郵便局の職員や非正規職員は年賀はがきの販売のノルマを課せられる。役職によって1万枚とか5000枚とか決められて、それを売るように義務付けられる。とても売りさばけないので自分で買って金券ショップで1枚40円とか42円などで買ってもらう場合もある。手取り16万円の職員が3000枚を自分で買うとすれば15万円で生活費がなくなってしまう。本当にゆううつな季節である。新聞によると郵政の幹部職員の言葉として金券ショップを定期的に見回りし、出回った場合でも番号から持ち込んだ人を割り出せるようにしているとのことで、金券ショップにも持ち込むこともできなくなるようだ。どうすることもできなくてうつ病になったり郵便局をやめざるを得ない人もでている。ノルマはどこの世界にもある。新聞啓蒙のノルマや選挙での候補依頼者数のノルマ、商品販売のノルマ、交通違反検挙数、顧客獲得のノルマなどほとんどの会社や企業で職員にノルマを課していると思われるが、問題はノルマを果たせなかった場合の対応である。ギリギリに努力しても目標達成できない人もいる。郵便局ではそのような人に対し、給料泥棒とか辞めてもらってもいいという圧力をかけているらしい。日々の日常業務に対して給料を頂いているのであって年賀状を売るために雇われているのではないと思っても、ノルマが果たせなければ肩身は狭いし、職場にも居づらい。ならばと言って猛ハッスルして販売先を確保したとしてもそれは誰かのお得意さんを奪い取ったに過ぎない。ノルマが果たせなかった場合の対応は各社、各団体、企業によって違うとは思うが、ノルマで人間が縛られるのは悲しい。上の人も職員もノルマ至上主義は止めてもらいたい。人間が最も大切なのだ。人間をノルマを達成するための道具と見なさないでもらいたい。人間が最初である。人間があってノルマがあるのである。ノルマは努力目標であり、各人が主体的に取り組んでそれなりの成果を上げればいいのである。職場に貼ってあるノルマ達成表は破いて捨てるべきである。各人の意識向上こそ企業を発展させるものなので、ノルマに頼らないでそれらを向上させる、工夫、努力こそ重要と考える。
2013.11.17
コメント(12)
今日は1時過ぎまで外来診療して、2時から災害訓練に参加した。近くで震度7の地震があったとして、災害拠点病院に患者さんが運ばれてきた時の対応の訓練だった。職員のほとんどが参加し、消防隊も実際の救急車を使って参加してくれて、患者役に日本赤十字のボランテアの方々が参加してくれた。問題は実際に起こったときにどう対応出来るかだが、何も訓練していないと、きっとドタバタしてしまうと思うので、このような訓練をしておくことは大変重要なことだと思った。ところで本日のメインテーマは外来診療についてである。本日も2時間、3時間と随分待たせてしまった人がいたが、少しでも待たせないように必死で早く早くを心がけながら診察している。前の人が終わったら次の人で、前の人のことは一切忘れて今の人に全力を注ぐ。これがかなりできるようになって楽しい。診察を受けにくる人には様々なタイプがある。素直に医師の言うことを聞いてくれる人ばかりではない。ピロリ菌の除菌薬を飲んで下痢したり、吐き気がしたと言ってきた人がいた。薬の副作用なのか、感染性胃腸炎なのかわからないが、とりあえず休薬してくださいと伝えたが、副作用を起こすような薬を投薬したことに対して不満も述べていた。でもその人も含め文句たらたらの人でも、前に診察した人のことは一切忘れて当面の患者さんに全力を尽くして対応するとほとんどの方がよく理解してくれる。人間は千差万別である。病状も様々に違う。病気のことで深く悩んでいる人もいれば、待たされて怒り狂っている人もいる。でもそれらの人達も前後の人のことは忘れてその人に全精力を注いで話すと自分でも思いがけないくらい解決できるので楽しい。
2013.11.09
コメント(6)
昨日のTBS系ニュースで就職活動中の学生の自殺が増え、東京都内で就活中の学生にアンケートを取った所20%の学生が本気で自殺を考えたことがあると答えている。現在は大学受験よりも就職活動の方が難しくなっていると思う。大学受験に失敗して自殺する人はいなかったが就活で次から次に不採用になると死にたい気持ちになることは想像できる。ある会合で中企業のトップと話した時、その社の受験生はそれまでに平均21社を受けているとのことでその会社が不合格になるとこれから何社不合格になるのかわからないし果たして今後どこかで採用してもらえるかどうか大変な不安に駆られるだろうなと思った。はたして学生諸君の就活では何社位受けるのだろうか。上記では平均21社とのことだが多い人は30社、40社受けている人もいると思う。40社受けても50社受けても採用されない。お先真っ暗で失意のどん底にいる人もいるだろう。先日ある人の体験を聞いた。大学卒の30歳代の男性である。それまで勤めていた会社で仕事上の失敗をして解雇され仕事を探さなければならなかった。そのようなケースでは新卒以上に就職は難しかったと思うが、仕事が見つからなければ食べて行けない。必死で探した。そして69社は不採用になり、70社目でやっと採用通知をもらい、しかも係長に抜擢されたとのことである。よく粘ったと思う。20社で断られ、30社でも、40社でも断られたらたらどうしたらいいか分からなくなってしまう。40回も断られると自信をなくして再挑戦を諦める人もいるだろう。自殺する人もいるだろう。就活でめでたく採用してもらえれば嬉しいが、不採用なら地獄である。そのような中で70回も挑戦し続けて、見事採用を勝ち取った青年に心からの拍手を送りたい。就活中の諸君、不採用が重なるとすごく辛くて苦しいと思う。でもまだ30回、40回位ではないか。70回も挑戦した人がいるのである。70回の人がいるなら80回も挑戦した人もいるかもしれない。30回、40回は、序の口だ!!70回就活してやっと採用を勝ち取った人もいる。30回、40回不採用でもたじろぐな!自分を信じてどこまでも挑戦してもらいたいと思う。
2013.10.19
コメント(8)
何をしても絶対に疲れを知らないスーパーマンみたいな人は別として、一般に仕事をすると疲れる。その時の体調によって疲れの度合いは異なるが、仕事がうまくいかない場合などには余計に疲れる。そのような時には売店に行ってリポビタンのようなものを買って飲むことがある。栄養剤と言われるドリンクは大体カフェインが入っているので、それを飲むと多少元気になったような気がする。でも一番疲れを癒すのは笑顔だと思う。同僚の笑顔だったり、お客さんの笑顔だったり、通りすがりの人が振り向けてくれる笑顔もある。奥さんの笑顔もある。同僚の笑顔についてはお互い疲れているので笑顔どころではないという人もいるかもしれない。同僚がしかめつらをしていると自分も益々疲れてくる。それでも中には笑顔を忘れない人がいる。そのような笑顔に触れるといっぺんに疲れが消し飛んでしまう。ドリンク剤など問題にならない。私もどんなときにも笑顔を忘れない人間になりたいと思う。
2013.08.06
コメント(6)
今日は病院の当直である。今月は今日の土曜日と24日の土曜日の2回当直である。土曜日の当直はいい。いくら忙しくて眠れなくても翌日が日曜日なので気楽なものである。通常深夜忙しくることが多く、今頃の午後3時半頃は時々医局に戻ることができる。そのような時には医局のパソコンに向かってみるがこれがたいそうの品物で、まず最初は動いてくれない。クリーナーをかけると動いてくれることがあるので、クリーナーをクリックしてもそれが中々起動してくれない。数十分後やっとクリーナーが動いてくれてそのおかげでパソコンが使えるようになったのでいまこれを書き始めた。でも救急で呼ばれて席を離れると数分後にはまた止まってしまって最初からクリーナーをかけなくてはならない。パソコンが止まらない今のうちに今日の本題を書こうと思う。仕事についてである。仕事はできる人とできない人がいる。定年退職で年金暮らしの人や、重度の障害者などは仕事をしたくてもできない。若者でも仕事をしたいのだが失業していて仕事ができない人たちもいる。私も普通ならとっくに定年で、仕事したくても仕事させてもらえない階層である。たまたま職業的に需要があり、未だに仕事をさせてもらっており、当直までさせてもらっている。幸い、目も耳もいいし、気力もあるし、向学心もあり、若い同業者に負けているとは思わない。むしろ気力や責任感では優っているようにも思う。でもこのような人は世間にはゴロゴロいる。でも年齢の関係で後継に譲らなければならず、仕事をさせてもらえないのが普通だ。自分だけこの歳になっても仕事をさせてもらえることを申し訳なく思う。だがよく考えてみたい。中には仕事したくない人もいるかもしれないが99%は仕事したい人達だと思う。でも年齢や、体の障害、自分に適した仕事がない等で仕事していない人は半数近くいるのではないかと思う。でも病院に行ったり買い物に行ったり、旅行したりするのは仕事に近いことではないかと思っている。買い物や旅行したりして金を使うことによって社会は動くからである。障害者が、病院やリハビリに通うのも病院で働く人の給料を生み出しているのである。目に見えるような仕事をしていなくても、社会の中で他の人に給料をもたらすようなことをしている人は立派な仕事をしているのではないかと私は思う。仕事とは給料をもらえる目に見えるような行動だけでなく、他人に給料を生み出すような行動も立派な仕事の部類に入るのではないかと思う。入院患者さんを見ていると彼等は肉体労働はしていないが、彼らがいなければ病院で働く人達の給料はでない。だから彼らは健康回復を目指してひたすら療養することが立派な仕事なのだと思う。私もいつかは仕事現場からはなれることになる。そして認知症になって入院したり、訪問介護を受けたりするようになるかもしれない。そんな病気の私でも立派な仕事をしているのではないかと思う。
2013.08.03
コメント(11)
この頃自分では全然疲れていないつもりだが、帰ってきて夕食を食べてしばらくすると眠くなり12時過ぎまで寝てしまうことが多く、ブログも3日位書かなかった。でも今日は土曜日だし書きたいことも沢山あるので、書かなくてはと思っていたが、やはり今まで半分眠った状態で寝転んでテレビを観ていて、いつものように寝てしまおうかと思ったが、少なくとも今日1日分は書こうと机に向かった。朝8時に出勤。車の中で「ニュースで英会話」を聴く。被災地の奇跡の1本松がプラスチックなどで修復されてお披露目の式典がもたれたとのニュースもあった。病院についたらまず病棟回診して、途中で呼ばれて健診受診者2人ほど診察して外来診察に向かった。随分多くの人が予約に入っており、それ以外にも新患も大勢きた。待たしてはいけないと夢中で電子カルテに向かって一人一人こなしていった。今日の胃カメラで食道がんが見つかった人、胃カメラの生検組織検査で胃がんが判明しそのことを説明しなければならない人、激しい腹痛が持続しており、虚血性腸炎の可能性のある患者さん等々、対応が難しいケースもあり、その人達に時間をかけると後がつかえてしまう。だからといってぞんざいに扱えば、がんの患者さんや、腹痛で苦しんでいる人は救われない。必死で説明したり紹介状を書いたりしてなんとか1時15分頃には終えることができた。その後食事を食べて予約してあった歯医者さんに行った。メンテナンスといって歯磨きの程度をチェックしてくれるのだが、いつもは歯科衛生士の方から、ここに磨き残しあり、ここもダメと高圧的に指導されることが多かったが、今日の人は違っていた。ダメなところの指摘はいつもと同じだが、その後の指導が適切で優しかった。歯ブラシの当て方とか小さな歯ブラシの使い方など丁寧に教えてくれたので、心から感謝し、次からは実際教えてくれた通りに磨こうと思った。5時頃家に帰ってきたら大相撲をしていたので観た。稀勢里が白鵬を破った時には興奮した。前半で3敗した稀勢里には落胆し、だらしがなくて大馬鹿者と思っていたがこの一番で消し飛んだ。午後6時にオールスター第2戦が始まった。大谷始め菅野、小川、藤波などルーキーの活躍を驚きながら見ていた。大体いつもはテレビを見ている途中で眠ってしまうのだが、今夜は昨日から書こうと思っていた16歳少女が友達を引き連れて同級生の少女を殺した事件について書かなくては思っていたからか、べったり眠らないで途中で起き上がって今ブログを書き始めたところである。16歳少女のことはこのスペースではとても書けないので次の機会に書く事にした。もう入浴して寝る時間になってしまった。1日は短い。振り返ってみると仕事しているときは夢中でしているが夕飯後の時間は半分寝ぼけて過ごしており、有効に時間を使っていないと思われた。眠くなってもいいが、やるべきことはやってもらいたいと思う。
2013.07.20
コメント(5)
脳梗塞で療養中の姉が今週月曜日に私の病院から老人保健施設「ナック湯村」に移った。3日後様子を見に行ってきた。「病院では入れ歯を外して洗ってくれるなどしてくれないし、話しかけてくれる人もいなかったが、こちらでは歯も洗ってくれるし、多くの人が話しかけてくれるし最高だ」と喜んでおり、顔も輝いていた。よかった。これなら回復も早まると思い、嬉しくなった。私がこの施設を紹介したのには理由がある。現在健診センターの嘱託として勤務しながら、週に何回かその老人保健施設にも関わりを持ち、理事長という肩書きの先生と話したのがきっかけである。彼は元は大病院の院長で実力的にも社会的にもトップレベルの医師だが、老人保健施設に行って患者さんたちと話すのが楽しくて仕方ないとのことだった。病気になる前の人生経験や、病気になってからの苦労話など聞いて上げると喜んでくれるし自分も楽しいとのことだった。同僚医師と話をして、障害者と一緒にいるのが楽しいとの話は始めて聞いた。殆どの医師は「大小便で汚い、口もロクにきけなくてまどろっこしい、不自由な足や手で移動したり作業するのをみるのは辛い」等、仕事だから仕方ないができればそんなところでは仕事したくないというのが本音だった。ところが彼は違った。心から楽しそうに話してくれた。そんな人が理事長のところで生活する人は幸せだと思って姉を紹介したが、まさに期待通りで障害者の楽園だと思った。世のどこかには、それなりの人物がいるものだと思った。
2013.07.12
コメント(8)
当直中、熱中症が次から次に救急車で運ばれてきたことは前回のブログで書いた。その続きを書かせて頂く。尿管結石で痛がっている患者さんを入院させようと手続きしていたら、お酒を飲んで意識不明の40歳の女性が救急車で運ばれてきた。尿管結石の患者さんはそっちのけで今度は飲酒後の意識不明で暴れている患者さんにかからなければならない。普通、急性アルコール中毒の場合は点滴して1~2時間後には意識がもどり、入院しないで自宅に戻れることが多いが、この患者さんは違った。点滴しても一向に良くならず、嘔吐したり首をふっており、時には呼吸が止まりそうになることもある。普通の急性アルコール中毒とは違うと思った。自分には手に負えないと判断して医大病院に電話したらICUが一杯で無理だとのことで、県立中央病院に連絡したら受け入れてくれた。心から感謝した。私も救急車に乗って病院に行ったが迎えてくれた医師達が神様のようにみえた。彼らもその病状に分からないというように首を振っていたが、大病院で色々な部門の専門家がいるのでお任せして自分はタクシーで帰ってきた。私が病院を留守にした時間帯の午前1時から2時頃まで別の先生が私の代わりに当直してくれた。心から感謝申し上げる。3時頃にも腹痛の22歳女性がきた。殆ど仮眠もとれない夜だった。ずっと対応してくれた看護師に感謝である。その翌日も通常業務である。入院させた3人の患者さんの処置に追われる中で業務の診察があった。その日はいつもより受診者が多く、プレッシャーを感じていたが、ひっきりなしに病棟から電話があり、途中で病棟に行かなければならなかった。診察中は激しい睡魔に襲われ、検査結果の説明でどこまで説明したか分からずまた最初からはじめることもあった。受診者は「なんだこの医者は!?同じことを何回も言っている。寝ぼけているのではないか?」と思ったと思う。顔をみたら怪訝そうな顔をしていたので怒っていたかもしれない。でも何とか1時過ぎには診察を終えたが午後2時には地元の小学校の先生達の診察に出発しなければならない。その間に食事を食べて退院する人の紹介状を書かなけれなならない。2時直前に紹介状を書き上げて出発した。出発直前に小学校の先生の前で午前中のような居眠りをしたら困ると思って缶コーヒーをがぶ飲みしていった。おかげで午後の診察は冴え渡り居眠り診察はしないで済んだ。コーヒーに感謝した。そして家に帰り、家内から「疲れただしょう」と言ってもらったのも感謝だった。食後パソコン向かっていたが眠くなり、畳の上で寝てしまった。12時半頃目を覚まし、それから風呂に入って歯を磨いて寝た。寝て起きた感想は、多くの人に感謝の2日間だったなであった。
2013.07.10
コメント(6)
クチナシの花姉と義兄が入院しているリハビリテーション病院にお見舞いに行ってきた。姉は左半身麻痺で左足が使えず、左手も棍棒のように曲がっている。でもリハビリの人が色々訓練をしてくれていた。義兄は嚥下障害や歩行障害があるが、訓練で少し歩けるようになってきたとのことである。エレベーターの中で理学療法士に「休日なのに大変ですね」と声をかけたら「患者さんは365日リハを必要としています。リハは1日も休むことはできないのです」と答えてくれた。そういえば私がお見舞いに行けるのは祝日、日曜、土曜の午後などで一般病院は休業日である。所がこのリハ病院では日曜も土曜も全く変わりなく、リハビリが行われていた。患者にしてみればありがたいことだが、彼らの休日はどうなっているのかと思った。恐らく代休などがあり、休みの日をずらして日曜も勤務しているのだと思うが、頭が下がった。私の病院にも理学療法士はいるが、言葉や手足が不自由な人達をじつにきめ細かく介助してくれていて心から感謝している。り・ハビリテーションとは機能回復の意味だが、簡単に機能は改善しない。悪化することもある。その中でしんぼう強く機能訓練してくれている理学療法士に心より感謝するものである。
2013.05.06
コメント(6)
庭のアーチに絡まって咲いている蔓バラ先ほど病院の当直から帰ってきたところである。午前零時頃22歳女性が下血しているとのことで救急外来を受診した。小児麻痺か先天異常か分からないが生まれた時から言葉は喋れず歩行障害もあり、障害者として22年間生きてきた。本が読めたりテレビが観れる訳ではなく、何の楽しみがあるだろうか?と思った。おまけにてんかんや睡眠時無呼吸症候群があり、6年前から夜間は陽圧呼吸器をつけて寝ているという。それでも障害者施設でそれなりに暮らしていたが、昨日の昼頃からてんかん発作が止まらなくなり、夜間になってタール便が出ているとのことで当院を受診した。顔面蒼白、頻脈、血圧低下あり、消化管出血が疑われた。血がどこから出ているのか分からず、脈は早いし、血圧が下がっているし、かなり重症で万一のこともあるかも知れないと両親に告げたが、よく理解できないようだった。食事は全介助で父親が食べさせてきたとのことだが、その子にかける両親の愛着は並々ならないものだった。今度の入院でもずっと付き添いするという。「口も聞けない、食事も自分では食べられない、病気ばかりしていて手のかかる我が子、寿命が来てくれればご両親も楽になるだろうに」とふっと思ったが、それはさもしい私のような人間が考えることで両親は障害のある我が子をどこまでも大切に思い、再度元気にしてやりたい気持ちが溢れていた。今日から4日休みが続くが、自分も休み返上して毎日その子のために毎日病院に行く覚悟をした。でも母親が看護師に「この病院では休み中は胃カメラ検査などしてもらえないでしょうね」と言ったとのことなので、少しでも可能性のある病院で診てもらいたい気持ちが強いと判断して山梨大学第一内科(消化器内科)に電話してみた。てんかんとか認知症とかの合併症があり、大変だが、胃カメラ位はできるから送って下さいとのご返事を頂いた。おかげで私の連休が復活した。その代わり医大の先生方の肩にかかって行くことになった。ありがたかった。大学病院で患者さんを受け入れてくれた時にはほっとして心から感謝の気持が湧いてくる。今日から連休なのに重症で難しい患者さんを受け入れてくださり、本当にありがとうございました。
2013.05.03
コメント(8)
庭に咲いてるボタン、大風のあとでかなり傷んでいます。今の車12年位乗ったので昨日車を買いに行った。小型の人気車は配車は8月下順か9月頃とのことだが、人を挽きそうになったらレーザーで感知して止まってくれたり、エアバッグが車体の外にもボンネットを超えて吹き出して人身事故を防ぐというのでそれを買うことにした。所がお店の人はそれより値段が高く大きいものをしきりに勧める。それなら今すぐでも車をお渡しできるからとすごくしつこかった。小型の人気車は予約しても数ヵ月後でないと売れないが、少し高くて大きいのは買う人がいないので、今すぐ買ってもらえれば販売成績を上げることができるのでこちらにしろ、こちらにしろと長時間言われた。こちらは入口が狭いので少しでも車幅が狭いほうがいいと言っているのに少し位車幅が広くても入る道を反対から入るようにすればいいとか明らかに客のタメを思ってではなく、自分のために今すぐ売れる車を押し付けようとしていた。何ヶ月も待つ車は売りたくないみたいなのでそれならそれも止めますと言って帰ってきたくなったが辛抱してそれを買ったがひどいものだと思った。商売する人は客のためにいいものを勧めるものだと思っていたが、誰がみても明らかに客の希望などお構いなし、自分の利益のために商売する人、情けないと思った。高い車を買うならまけるがと言って自分が買った人気車は一銭もまけてくれなかった。今後そこに車が来たら買わなければならず長い付き合いになるのでいつまでもそのことを根に持ってはいけないと思うが、あまりにひどかったのでここに書かせて頂いた。すべての職業人はお客さんのために働くものと思っていたが、色々な人がいるものだと思った。医者も患者さんのために全力を尽くすと言っているが、中に昨日の車屋さんのような人がいたら困るなと思った。
2013.04.30
コメント(8)
全303件 (303件中 101-150件目)