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私はたまに友人などではない市井の人とたまたま会話するハメになった時にしばしば感じさせられるのは、「そんなのどうでもいいじゃん。」という、やや呆れに似た感覚である。やれ夫がいくら言ってもトイレの水を流す時に蓋を閉めてくれない、やれ子供がゲームやYouTube を延々と見ている、やれ職場の誰々さんから何々と言われた、政府の経済対策は無策だ…「それがどうした」としか言いようがない。しかし本人たちは人生最大の問題であるかのように悩んでいる。いずれのケースも「夫は自分の言うとおりトイレの蓋をしてから流すべきだ」「子供は自分に言われたら即座にゲームをストップすべきだ」「職場の誰々さんは私に対して何々などと言うべきではない」「政府は私が正しいと思うような経済対策を打つべきだ」…要するに、自分が思ったとおりに、自分が正しいと思うとおりに、自分が当たり前だと思っているジョーシキに従って、動いてくれないことに対する苛立ちのオンパレードなのである。
ま、相手が自分の子供などであれば、幼い頃は親の言うことをよく聞くイイコちゃんだった頃の経験があるので、それがいつの間にか「うるせえ」とか「黙れ」とか言い返すワルイ子に成長した現実を受け入れられずにイラつく気持ちは分からないでもない(笑)。しかし、基本的に、他人が自分の思ったとおりに動いてくれるなどという思い込みは傍メーワクで有害な考えである。そもそも自分が正しい、自分の考えこそがジョーシキであるという思い込みこそが、この世の諸悪の根源だと自覚すべきだ。相手には相手なりの正義やジョーシキがあるわけで、それを受け入れられない自分を反省すべきなのである。
世界では、宗教派閥だかイデオロギーだか何だか知らないが、人々の考え方の衝突によって争いが起こり、近代兵器を使った市民への攻撃に巻き込まれ何万人もの罪の無い子供たちやその親が、住むところを追われて、所有物を略奪され破壊され、無一文となり、平穏な生活を、家族の命すら奪われ、苦悩や哀しみどころか、絶望の淵を彷徨って生きながらえている。たとえば海外出身の知人にそんな母国の惨状について淡々と聞かされた後、誰かが夫のトイレの蓋について延々と愚痴っているのを聞くと、本当にヘイワというか聞かされる方が死にたくなる。
考えてみると、本人には決してそんな自覚はないであろうが、便所の蓋に関する信条の違いでいがみ合えるのは正にヘイワの所産であって、要するに暇なのだ。便所の蓋以上の問題がそういう人には存在しないのだ。衣食住に困らず子供の非行・犯罪や夫の賭博や浮気に困らず、大した仕事もしてないので便所の蓋くらいしか悩みが無いのだ。
そんなわけで、会話をしているうちに死にたくなってしまうリスクがあるため、私は市井の人とはあまり親しくなりたくない。いくら市井の人が人口の99.9%を占めていたとしても。
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