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花が美しいのは、 その花が美しいからなのか・・・ その花を観た、自分の心が、美しいと感じるからなのか・・・この言葉がとても、好きです。私たちは、平等に瞳から情報は入っています。しかし、自分というフィルターによって、その情報は選別されています。私たちは、自分の感性というフィルターが、どういうものなのか、冷静に観られることがなかなかできていないように思います。人と人との関わり合いの中には、潜在的に潜んでいるものの一つに「共鳴」という振動があります。「あなたもそう思うの?」「違うの?」「あなたにも同じに見えるの?」「見えないの?」安心と不安です。しかし、この安心と不安の行き来には、自分を探すという力が働いています。次第に、それは安定してくるのです。しかし・・・私は、最近、人との関わりよりも、猫やワイン、空や自然との対話を楽しむようになりました。これって、なんかやばい現象なのでしょうか・・・(笑)訂正します。「よりも」でなく、「・・・も」です。今年もカウントダウンが始まる音が聞こえてきたような気がします。今日の吹く風が、とても強いからでしょうか・・・・スキー場に、雪がてんこもり降りますように・・・・
2008.12.26
先週に続き、今日の講義のテーマも同じ「感性のトレーニングは、言葉の感性を磨く手法である」さて、どれほどの人たちが、自分の目標を明確にドラマチックに言葉で表現できるか・・・実は、夢を語ること、目標を伝えること・・・・は自分の人生のプレゼンテーションなのだ・・・・・午後一番の授業90分は、私も辛いからということではないが、黒板の前で話しをするのが本当に苦手で、逃げ出したいのをごまかすために(笑)ちょいアクティブに授業をすることにした。3班に分かれて、それぞれのテーマを持って校内外を観察帰ってきたら、班内でディスカッションし、発表する。先週のテーマは「カタチ」3班がそれぞれ、○と□と△の形状のものだけに、意識を集中し目の中に飛び込んできたその形をチェック、それが、どうしてその形なのか、必要なのか、自分ならどんな形に表現するか、それはすぐれているのか、機能的なのか、デザインなのか、メッセージなのか・・・をディスカッションするそして、発表・・・1・感じる前に何を感じるかを決める(形)2・感じたものを理解する「言葉」を持つ3・感じたものを感じ取る「技術」これが今季最後の授業のテーマだ。「ある特定の対象への意識の焦点化と集中化」の訓練は、発想の転換や、感性を磨く成長へ加速させる。仮説がないと、私たちは何もつかめることも見ることもできない。なにか見ようとすると、そこにスポットライトがあたったように見え始めるよく、シンクロした!と興奮するときがあるが、これは実に自分が見ようと、感じようと、知ろうと、欲しいと・・・そういうアンテナを張るから、昨日と同じ道でも、違った景色が見え始めるのだ。見ようとする意識が高まってくると、感じることができてくる。それをまた言葉に表すこと・・・・感じるまではいいのだが、みな、それを「言葉」という技術に落とし込むことができない人が多い。変換能力と感性の高さが、これから求められる時代になるはずであるし、そうあってほしい初めて、彼らは意識的に○や△、□を意識するそうすることで、それを理解しようとし、なぜ?という「問」のトレーニングになる。彼らはファッションの世界で、マネージメントも学び、企画、商品開発をしたいと望んでいる。すでに企画デザインされ、商品開発されたものが市場に出回った「結果」を見て、そこから逆算して、システムやメッセージを学んでほしいと思う。世の中は、学校で教わるより、はるかにリアルな授業の総合学院であるからして、ただ、講師の言葉に耳を傾け、黒板を写すだけの授業は、勿体ないと思うのだ。<感性の根源は言葉である>そして、大事なのは、感じたこと、問を、言葉でどう表現するかなのだ。シャガールがパリで修行中のときの日記から・・・・「電柱の陰に隠れている神様ごみ箱の後ろにいる神様・・・・僕に、誰もが使ったことのない、ブルーをください」彼は言葉であの「青」を自分のものとしたのである。また、腕のいい料理人は、言葉の表現力の達人であり、スケッチを頭の中で描くことがうまい明確なキーワードを持ち、そこから料理のアイディアやメニューを決める。言葉で、組み立てることのできる人が、これからのクリエィターの必要な資質である。ワインのソムリエなどいい例だろう。その言葉の表現に、ゲストは感動し、まさにその場を言葉でエンターテイメントさせる素晴らしい技術であると思う。感性・言葉・認識とは、不可分な関係にあるはずである。「言葉」をキーワードに、今後、学生たちと私も同じ目線で、学んでいこうと思う******************************アンデルセン童話(「うまいおもいつき」・岩波文庫より)ここは、詩を作ったり、お話をしたりすることのできる人たちならば、どっちを向いたって、そういう材料でいっぱいなはずなんじゃ。畑に生えている作物の中から取り出すこともできるし、流れゆく水の中からだって、くみ出すことができますよ。ただ、その手立てをしらなきゃ、ひとすじの光りをつつかまえるすべをしらなきゃだめだね。まあひとつ、ためしに私の眼鏡をかけて、耳ラッパに耳をあてがってごらん!
2008.12.14
某省の戦友と久し振りに飲んだ。帰路の電車の中から、互いに、携帯メールで、余韻を語り合う・・・「既存概念にとらわれず、曇りなき眼で、いろんなスケッチを継続したいと思います。」ときた・・・・人はその人の言葉で語られる・・・口べたでも、文章にすることはできる。奴のことが大好きなのは、行政マンであろうが、会社の社長であろうが、学生であろうが、人間として一緒にこの人間圏に生きる仲間として敬意をもてるからだずば抜けた才能や、特質した資質、天才的な技術の持ち主であろうがなかろうが、人と人との「間」の感性の近いところにあるということを、まずは大切に思う。それを「人間関係」という(笑)「自分を殺す上司は、部下をも殺す・・・・・」勇気のなくなった人間関係(社会)は消えゆくと思う。黒と白とはっきりしてるのに・・・灰色に妥協する社会。「調和を求めず、妥協する」これは大企業病の根源ではないだろうか・・・妥協は一時的にいいのだが、継続しない。黒と白とがどのように調和するかを考え、生み出されたものは、新たな感動や喜びを生む。黒と白はただ仲良く妥協していては、ただの灰色でしかない・・・・どうして、私たちは、「あなたは白が好きだというけど、私は黒が好き・・・・でも、白が好きだというあなたはとても好きよ・・・」と言える、自立した感性を持てないのだろうか・・・私たちはもっともっと勇気をもち、異議申し立て、自己表現をすべきではないだろうか。単純なことを複雑にし、根本原理をわからなくさせている。間もなく、日本列島うつ病大国・・・・「歴史好きの歴史音痴」「心理学好きの人間無知」錯覚と複雑の現代・・・・・どう生きていったらいいのか・・・「既存概念にとらわれず、曇りなき眼でいろんなスケッチを継続していきたい」という彼の瞳を、私は護りたいと、心の底から「きゅん」と単純に感じた。***************************トマト<カゴメの幹部の言葉>トマトはトマトのリズムで育つんじゃよ。人間のリズムでは育たないのだよ・・・・・
2008.12.11
母は、ニットデザイナーだった。気がついたら、毛糸の玉やら、カラー見本やら、そして、母が監修していた「あみもの」という雑誌に囲まれていた。色と色の出逢いは、その色までも変える。赤と白の赤赤と黒の赤並べると同じ赤色のはずなのに、色の輝きが違って見える。これは 人と人との出会いの接点とよく似ていると思う。女は男次第男も女次第・・・ちょっとずれたかな(笑)パートナーを選ぶ条件に、子供のころのカラー見本(笑)が参考になっているのかもしれない実体験してきて、いいも悪いもなんだけどね。同じものでも、額縁や台紙の違いで、全く印象もレベルも変わるまたずれる(笑)けど200円のお惣菜を、パックのまま出して食事するのと、一生もんと思って手に入れた、お気に入りの器に盛るとちょとした割烹料理に代わる(見た目だけなんだけど・・・)でも、同じ栄養素・カロリー値・素材でも、箸をつける人間が、「そんな気分」でいただくとこの数値が変化するという大脳生理学上でも、検証済みだ。病院食は、患者の体を数字で検査し、その結果の数字と数字でメニューを決める。だから、食べられたもんじゃない。医療の世界は、今、「病気」を学んでも、「元気」を勉強していない。健常者の数値の帯があって、それ以上それ以下は異常その数値がでたら、病気それでも、元気な人がいる。帯の中にいて、健常者というレッテル(笑)貼られても、元気でない人も多い。生きるという情熱は、数字で算出して出るもんじゃないと思う。自分がどこにあるのか自分をどこに置くか自分の瞳は何をみたいか自分の心はどこをむいているのか自分はどうあるべきか自分は何を感じたいのか自分はどこに行くのか自分は・・・・その選択は無尽蔵にあると思う。その選択積み重ねが、また自分という作品を作っているのではないかと・・・デザイン系の歴史古い大学で、講師を務めている。いつも、生徒たちの瞳から「自分の原点を見つめなおせ!」というミッションを受ける・・・大事な、私の先生だ。体の弱かった母のデザイナーという仕事の世界を、ちょっと違う形でかかわることになった運命に、もう少し思いを深めてみたいと思う・・・・毎週の授業はかなりのプレッシャーではあるけど、夢見る(笑)自分の場所にやっとたどり着いた心境である。産業心理学をテーマに授業をしている。学生たちのモチベーションを高めたり、テーマ発見に役に立てれば本望かな・・・それよりも、キャンパスにいられる自分を思うと、アンチエイジンングできそう・・・・(笑)******************************「やらない正義より・・・やる偽善」今年、「KIZUKI]という環境映画にかかわらせていただいた・・・環境活動をされている方々や、一流企業の方々に、作品の批評ではないことで、いろいろ言われることもあった・・・・環境をテーマに金儲け???みたいな・・・それも仕方ないと思う。その人のフィルター次第だからね・・・しかし、偽善でも、やらないより、やった方が、いい・・・・私はそう思うな・・・・
2008.12.04
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