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数日前テレビ欄でたまたま見つけたので録画しておいて、家事の合間にちびちび観てたお芝居。昨年11月に公演されたらしい文学座の舞台http://www.bungakuza.com/teinen/index.html が敬愛する重松氏の原作で。私もずいぶん前に読み終えた作品だったから、ちょっとした懐かしさもあり実際に役者さんが演じるとこのストーリーがどんな風に違って見えるのか、自分の目で確かめてみたくなった。重松氏お得意のきめ細かくてあったかい描写を、時間と空間の限られた芝居の中で全部出しきるのは難しいことだけど、そこは“定年ゴジラ”達(=主演のベテラン役者さん達)それぞれの個性と演じるキャラとで程よく補われ、最初から最後まで飽きずに見届けることができた。まぁ、タイトル通り“定年”な世代が主人公だから、出てくる主な役者は見事におじさんばかり。むしろ誰とは言わないが中には“おじいさん”と呼べる人だって混じってる。どのおじさんも結構長ゼリフが続くので、ちょっとひと呼吸なんか入れられると「今のはあえて役者が入れた“間”なのか? それとも台詞のつっかえなのか?」なんてあれこれ無駄に気を揉んだり…観てるこっちがドキドキしてしまう。それでもやっぱり年季が入ってる役者さん達のこと。まるで近所の町内会の集まりを覗き見するかのような生々しさを漂わせながら、原作で読んだキャラそのままに、茶目っ気たっぷりな愛らしいおやじ像を申し分なく自然に演じて魅せてくれた。おかげで時々涙腺が緩みそうになり、観終えた時はとてもあったかい穏やかな気持ちになれていた。惜しかったのは、ひとつの良いシーンで客席の男性が二度ほど大きな咳をしたこと。あれで一気に観客が“ニュータウンくぬぎ台”から“現実”へと戻されてしまうから、ちょっと残念。誰にでも起りうる止むを得ないことだった、とは言え。そんな微々たる問題はさておき。この芝居を観てたら、久しぶりに生でお芝居が観たくなった。このところ歌舞伎や落語といったライヴものには縁があったけど、このテの劇団芝居はなかなかチャンスがなかったし。できれば“本物”の演者さん達による舞台上の独特な緊張感と熱気を、1度でいい、今年は何かしら経験してみたいものだ。 ★ ★ ★ ★ ★ 今日のひとこと。「整いました!(挙手)」
2010.03.30
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私にはややお高めな価格なので、そんなにしょっちゅうは買えないけど今日どうしても飲みたかったので。うっまーーやっぱり好きだわ。パッケージも洒落ててコロンとした手触りも可愛いい。公式サイトによるとどうやらミス・スウェーデン(※過去)の女性が発案者らしい。効くね★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「夫婦水入らずで温泉行きたい。」
2010.03.25
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あと1週間で3月も終わり。「1月は行ってしまう。2月は逃げてしまう。3月は去ってしまう」「ぼんやりしてると1年あっという間に経ってしまいますよ~」小学校の担任が言ってたのを、月が変わる度ウン10年間相も変わらず思い出して焦るぐらい、やはり、今年の3月も過ぎるのが速い。前半はありがたいことに仕事の依頼がコンスタントに入り、家のことは後回しして適当に手抜きもできて、義母との接触時間もグッと減り、気疲れも少なく、作業に集中できたので、気はラクだった。ダンナも今かなり多忙な時期なので、ふたりとも程よく緊張して過ごせていた。でも、ひと山越えた頃には彼も私もだいぶ疲れが溜まっていたけれどそんな頃、パァーッと気分転換がしたくてウズウズしてたのでおそらく10ヶ月近いとは思うが、ご近所友に時間を作ってもらい評判のカジュアルフレンチの店で、平日鎌倉ランチデートを決行♪♪心身ともに癒される料理に舌鼓しながらも結局は、共通のテーマでもある“親・義親たちの老いや介護問題”についてのディープな話題に、どうしても向かってしまうのがカナシイ。引き続き、眺めのいいカフェに移り、早咲きの桜を眺めながらマグカップ一杯で3時間以上、時の経つのも忘れ熱く語り合う。辛い時疲れてる時こそ、気心知れた友とのおしゃべりが私に力を与えてくれるのは確かだから、今回も彼女には感謝してる。いわゆる三連休は、初日ひっさびさにお義母さんが義弟宅に1泊したのに夫婦揃って溜まった疲れに負け、背中が痛くなる程爆睡(泣)。前日辺りから体調を崩した私は、微熱が上がる一方で。翌日のダンナずファミリー恒例の墓参りも、長男の嫁の分際で病欠。身体が熱でふらふらして節節が痛む以外は、家でひとり分の朝食、昼食を用意し、好きな時間にテレビを観て、好きなだけダラダラして…逆に貴重なひとりの時間を楽しめた半日でもあった。それでも溜まってる汚れ物を見れば、気になって洗濯機を回したりふたりの帰りを待ちながら、3人分の夕飯のメニューを考えたりして“主婦”としての部分は、休む暇が大してなかったな…(泣)。そんなこんなしててうっかり忘れかけていたが、この連休中に我が家はこの家に越してきた日から丸5年が経っていた。ダンナに話したらしみじみしてホロッとすることを言ってくれたが、何事にも愛着を持たないお義母さんは案の定あっさりしたもので、「ふ~ん」のひとことで終わり。何も期待はしてなかったが、なんだかなぁ…あの日のことは今でも、ついこの前のようにありありと覚えてる。“終の棲家”と決めて初めての町にやって来て、不安もあったけど並木道のその春の桜が、最高の美しさで迎えてくれたことも。昨日病み上がり散歩がてら眺めてみたら、蕾も順調に膨らんで、ところどころ“その時”を待ちきれず、ピンクの花びらを覗かせていた。あの日のように息を呑む瞬間が、間もなくやって来る。去年はこの時期、最愛の人を亡くして以来ずっと体調を崩してた実母の看病に明け暮れ、春の暖かさにも気づかず、桜を愛でる余裕もなかったから………昨夜、散々世話になっている伯母からの電話で、私達遺された家族(実母、実弟と私)に対して、これまで1年間の労いの言葉をかけてもらい、またひとつ荷が下りた気がした。まだまだすべてが解決したわけではない。でも、息詰まるような問題と心配事の連続に苦しんだ1年前よりはるかに、私達家族それぞれが背負う錘は軽くなっている。そう信じてるし、ホントにそうであってほしい。そんな願いもこめて、今年は2年分の春を心から楽しみにしている。 我が家の猫額ガーデンにも、そろそろ新しい花を植えたい気分。土いじりが待ち遠しい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「カウンター77777超え達成皆様のお蔭です」
2010.03.23
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巷は卒業シーズン、ということで。『卒業』って響きは、ちょっと寂しさも伴うけれど、個人的にはキライじゃない。これまで積み重ねてきた自分の経験をもとに、次のステップへと自分を進め、押し上げるための“区切り”なんだと思うとワクワクする。ここ最近はさすがに、卒業ってものから遠のいてはいる。子どもでも居れば、子の成長と共に巡ってくるんだろうけどそんなチャンスは我が家にはないので、ちょっと人間としてソンしてる気もする。その代わりと言ったらナンだけど、結婚する前と結婚してからと色々とあちこちスクールに通ったりしたから、その時々で目ざす“ゴール”の日があって。その度に私は“卒業”に似た感覚を得られたから、“その時”にしか味わえない特別な気持ちを何度か味わって、キュンとしたりした。口コミテーマに『卒業で思い浮かぶテーマソングは?』というのがあるので、自分も考えてみたが。私のは多分みんなとちょっと変わってて、ストレートにそれを唄ってない。けど、私が遠い昔、この季節によく聴いてた懐かしい曲たちの中で今日パッと浮かんだのが、コレだった。私の青春時代まで遡るんだから、今ではもうずいぶん“昔の曲”になってしまったのだなぁ……(遠い目)九州の田舎モンの私が若かりし頃、“オサレ大学生の象徴”みたいに崇めてた人の1曲。 天気図 http://utaten.com/lyric/jb60901168 この人はナンダカンダしながらもオッサンになってもずっと、“唄い続けてる”もんだと思ったのに、2年前ぐらいだったか、突然、これまでの地位と所属を手放し、米国に移り住んでしまった。生まれて間もない頃から音楽と共に育ち、音楽で名を上げ一時代を築いた彼の「音楽を学ぶため」の新しい一歩は…今度はどこへと向かうのだろう。卒業、ではないが、ある日突然、「終わりが来てしまった」話。マスコミでも思ったより沢山取り上げられていて、その度に胸が痛くなるようなそんな思いがしたのだけれど。樹齢千年と言われ、八幡宮の、いや鎌倉のシンボルとも言える天然記念物の大銀杏が突然の風雪に見舞われた10日の未明、何の前触れもなくその場に崩れ落ちた。新年祈祷で訪れた1月の時点では、特別変わった様子もなくいつもどおり来る人々を迎えてくれていたのに。去年の12月初旬に撮ったご神木は、 こんなにも鮮やかに青空に映えていたというのに……私もダンナも同じ気持ちになり、ウォーキング日和の日曜の午後、八幡宮まで様子を見に行ってしまった。人であれモノであれ何であれ、いつもそこに在るべきはずのものがない、というのは、それを実感したとたん、思ってた以上に寂しさが募る。本殿へと続く大銀杏そばの石段には、通行禁止の柵がぐるり設けられご神木の周りを広範囲に渡り覆いがされていて、黄色いクレーンの音が時折空しく響く。舞殿の脇から中を覗くと、真ん中にぽっかりと空洞ができた大銀杏らしき枯れた大木が、何分割かになって横たわっているではないか。あまりの痛々しい姿に言葉も出ない……そこに集まった誰もが声をひそめ、ただひたすら作業風景を見守るのが精一杯、という重々しい空気が漂っていた。でも。今日のニュースで、昨日までの再生に向けての作業が好い方に進み90%の再生見込みと、専門家に診断されたよう。千年もの間、私達参拝者を見守り続けた大樹から、再び新しい根が張り、いつかまたその場所に、蘇るかもしれないと……命あるもの、必ず途絶える時が来る。けれど、そこに至るまでに撒かれた種は、ひとつの終わりを迎えても再び息づき、始まっている。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「お寺で柏手…やめなっさい!」
2010.03.15
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先週は、私もダンナもフル回転。ここ数年のうちで一番と言いきれるほど、なんだか猛烈に忙しい日々だった。そのせいかお義母さんは、飼い主が出ずっぱりで落ち着かない犬のように毎日朝から晩まで興奮し、失礼ながら留守番以外、特に何の役にも立ってないんだけど(これ、ホント)この私達のハードな1週間を私達とは違う意味で無駄に力んで空回りして、口では元気と言い張ってるが、どっと疲れが出てるようだ。いつもの昼まで買い物がてらのお散歩が、前より一気に短縮され家では「何でこうなる?」って理解不能な行動を思いがけずとったり、不味そうな着色料まみれの梅干ばかりを食べている。そんな義母の事も気にはなりつつ、私達は私達で1日を乗り切るために必死で深夜まで蟻のように働き、泥のように眠りに就く毎日を繰り返した。せめてこんな時ぐらい、空が晴れていればいいのに、三寒四温を繰り返すこの時期は、風も冷たく身も縮みそうな雨続きだから、余計に参る。そんな暮らしの中で、いつだったかこの前の夜。職場から家への帰り道、目の前の澄んだ夜空にまんまるいお月さんが浮かんでた。実際には満月にはちょっと足りない形だろう。けど、あの時見た大きくて淡い光を放つ厳かな姿は、私のヨレヨレになった心身を癒すのに充分だった。昔、私が現役バリバリ&イケイケ(死語?)の編集者だった頃。公私共にズタボロになる度に、1Rマンションの猫の額ほどのベランダで月ばかり見てたことがある。あの時の月は、都会のガスった空にあったけどその月にどれだけ癒されたことか。漲るパワーの太陽ももちろん好きだが、神秘的な月の底知れぬパワーにも、結構長いこと惹かれてる。ちょうどこの仕事の最後の日に、 を読み終えた。書店で思わず手に取った本。理由は前フリのとおり、タイトルにひと目ぼれしたから。三浦しをんの本は以前、直木賞受賞作の を1冊だけ。どうやら『月魚』は、この『まほろ駅前~』より前に書かれたもののよう。でも主人公のキャラ設定や、彼らが抱えてる陰の部分とか、それを取り巻く登場人物そういうもののベースがこの作品ですでに、ある程度形となっていたのではないか。そんな風に思わせる類似点をなんとなく感じつつ読んだ。個人的には、三つのストーリーのうち本題である「水底の魚」だけで、終わらせてほしかった。スピンオフ的に付け加えられた後の二つの物語は、予備知識にはなって面白い事は面白いが、1話目を読みきった側の勢いと余韻をそこで無理矢理止めてしまい、やや残念な印象に。そういう理由からも、やはり賞をとった『まほろ駅前~』の完成度は高い。あの作品のキャラのそれぞれが魅力的で、私はかなり好きだって事に今回この本を読んで気づかされた。自分にとってはあまり手ごたえのなかった作品とは言え、ハッとした言葉がいくつかあった。 「傷が傷として残っても、それでもいいと態度で示してくれる人がいます。それはやがて傷ではなく、私の、私だけの模様になるのだ、と(以後省略)」 「諦めた時点で、人の絆は終わる。」 【以上、「水底の魚」より拝借】 「辛いのは哀しいからではない。思い出があるからだ。忘れられないことが、いつも私を苦しめる。その事実に今さらながら気づき、私は仄かに笑った。それでは私はいつまでもこの息苦しさを抱えていくしかないのだろう。だって私は、忘れたくはないのだから。」 【「水に沈んだ私の村」より拝借】特に最後のは、イタい。私の母が1年経った今も、父を喪った哀しみから立ち直れない理由を、言い当てられたかのようで…………………………………………女性作家ならではの繊細な描写や、少女漫画を彷彿させる対照的な主人公二人の醸し出す雰囲気のコントラスト…それらは、どれも美しい。強烈なメッセージやインパクトには乏しい、派手ではない物語である。だけど、知らず知らずにスッと心の奥に馴染むような心地好さもある。色んな意味で、「冬の月」のイメージを抱いた本だった。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ん? 誰だ?! 弄りすぎて顔ちがいすぎ!」
2010.03.08
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