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4枚の写真は、1971年7月に大夕張鉄道線清水沢駅付近で撮ったものです。 貨物列車の牽引機は、三菱大夕張炭礦大夕張鉄道のNo5号機で、清水沢駅近くの踏切を通過するところです。これは、1950年に国鉄から三菱鉱業(のちの三菱石炭鉱業)に譲渡されたキューロク(39695)です。 清水沢駅構内で操車係の方が乗っている蒸気機関車は、三菱大夕張炭礦大夕張鉄道のNo2号機です。この機関車は、1940年に美唄鉄道が自社発注した車両で、キューロク形機関車です。1969年に大夕張鉄道へ転入したものです。
2026.06.30
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5枚の写真は、1971年7月に夕張線清水沢駅付近で撮ったものです。 追分機関区所属のD51539とD51120が写っています。 写真の清水沢駅は、夕張線上の駅ですが、今は存在していません。夕張線は、追分駅 と 夕張駅を結ぶ路線でしたが、1981年に、石勝線の開通とともに、新夕張駅(旧紅葉山駅)と夕張駅間は支線となりました。清水沢駅も夕張支線上の駅として残っていましたが、2019年に夕張支線が廃止され、駅もなくなりました。
2026.06.29
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4枚の写真は、1971年7月に大夕張鉄道線清水沢駅付近で撮ったものです。 国鉄から譲渡されたキューロク(39695)のNo5号機が踏切を通過していきました。
2026.06.28
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5枚の写真は、1971年7月に夕張線(後の石勝線夕張支線)清水沢駅付近で撮ったものです。 写真の機関車は、いずれも、三菱大夕張炭礦大夕張鉄道線のNo.5号機で、1950年に、国鉄の9600形機関車(39695)から譲渡されたものです。
2026.06.27
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5枚の写真は、1971年7月に宗谷本線旭川駅及び室蘭本線追分駅で撮ったものです。 旭川で、C55 50がホームに停車していました。 残りの4枚は、早朝の朝靄の中、追分で撮った写真です。 ホームに停車中のD51 1086、貨物列車を牽引するD51 855(?)、入れ替え作業中のキューロク、客車列車を牽引するC57です。
2026.06.26
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4枚の写真は、1971年7月に留萌本線峠下-恵比島間で撮ったものです。 線路内に小動物が入ってきました。キタキツネか?どうもウサギのようです。 49616牽引の貨物列車(792レ)がやってきました。
2026.06.25
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5枚の写真は、1971年7月に留萌本線峠下-恵比島間で撮ったD51形347号機牽引の貨物列車(2783レ)です。 最後に補機D51543が連結されていました。
2026.06.24
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3枚の写真は、1971年7月に留萌本線峠下-恵比島間で撮ったD51形4号機(ナメクジ)牽引の貨物列車(782レ)です。 留萌本線は、今年(2026年)4月1日に、最後まで残っていた深川-石狩沼田間が廃止され、とうとう全線が消滅してしまいました。
2026.06.23
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5枚の写真は、1971年7月に留萌本線、羽幌線の深川機関区留萌支区で撮ったものです。 斜め後ろから撮ったD514は、「ナメクジ」です。D51の初期に製造された95両は、「ナメクジ」と呼ばれていて、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水加熱器を置き、それらを覆う長い覆いを持つことが外観上の特徴になっています。 雪かき車(ラッセル車)が並んで置いてありました。もしかしたら、奥の方にあるのは両側の雪の壁を崩し雪を線路の後方中央に向けて掻き寄せながら走るマックレー車かもしれません。 構内に、49603(稚内機関区所属)と59612(深川機関区所属)が並んで停まっていました。
2026.06.21
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5枚の写真は、1971年7月に留萌本線、羽幌線の深川機関区留萌支区で撮ったものです。 留萌駅構内を入れ替え用のキューロクが行き来していました。 留萌機関区には、海水浴臨時列車「かもめ」のヘッドマークを付けた深川機関区所属の39696が休んでいました。
2026.06.20
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5枚の写真は、1971年7月に留萌本線、羽幌線の深川機関区留萌支区で撮ったものです。 D61形蒸気機関車の5号機と3号機が写っています。D61は、D51形の1軸従台車を2軸従台車にする等の改造をして、1959年から1961年にかけて、6両が登場しました。1981年に廃止された北海道の留萌本線・羽幌線で使用されました。なお、写真を撮ったときは、D613は、使用されておらず、休車中のようでした。 D51形蒸気機関車の4号機(ナメクジ)が写っています。前照灯の周りにある将棋の駒のような形のものは、ツララ落としです。
2026.06.19
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4枚の写真は、1971年7月に札幌、小樽、手宮で撮ったものです。 市電は、北24条 - 札幌駅前 - 三越前 - すすきの - 静修学園前 - 教育大学前を走る2系統です。車両は、600形611号車で、1950年日本車輌製、戦後復興期の主力車両です。ベージュとグリーンのツートーンに白ヒゲを付けた塗色になっています。 C126は、南小樽駅から手宮駅を結んでいた手宮線の手宮駅で撮ったものです。手宮駅は、1880年に開通した北海道最初の「幌内鉄道」の起点で、石狩・空知地方からの石炭積み出しや、開拓に必要な生活物資と生産資材などの道内各地への輸送、道内各地の産物輸送にかかわる海陸交通の接点として発展を遂げました。手宮線は、1985年に廃止されました。 D51148(長万部機関区所属)牽引の旅客列車、D51744(小樽築港機関区所属)牽引の旅客列車は、ともに小樽駅で撮ったものです。
2026.06.17
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4枚の写真は、1971年7月に北海道鉄道記念館で撮ったものです。 この施設は、北海道の鉄道発祥の地である手宮(てみや)にあり、1962年にこの施設を活用して「北海道鉄道記念館」が開館しました。(なお現在は、小樽市総合博物館の一部になっています。) 機関庫の写真の正面に見える間口が3口の機関庫は、1885年竣工の現存するわが国最古の機関庫で、「煉化石造機関車室」と呼ばれていたものです。レンガは「フランス」積みです。東側に1室、西側に車両2台分の2室に区分されています。西側の2室には、大勝号としずか号が入っています。大勝号は、7150形で、国産第2号機関車です。日本が日清戦争に勝ったことを記念して、大勝號の愛称が付されました。しずか号は7100形で、アメリカからの輸入機関車です。兄弟機関車に、義經・辨慶(弁慶)、比羅夫、光圀、信廣がいます。 機関庫の写真の左側に写っている間口が2口の機関庫は、1908年竣工です。レンガは「イギリス」積みです。当初は、間口数が5口であったものが昭和初期に2口になったそうです。 機関庫の前の転車台は、1919年製造です。写真を撮ったときは、まだ現役で使用されていました。 雪かき車は、キ601号で、1923年アメリカ製で、日本で組み立てられたわが国初の回転雪かき車(ロータリー式)です。車体内にボイラーと蒸気機関を備え、その動力を傘歯車によって車体前部に設けられた羽根車に伝えて回転させ、遠心力で雪を遠方に跳ね飛ばします。
2026.06.16
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5枚の写真は、2026年7月14日に、撮ったものです。 碓氷峠にある熊野神社を訪問しました。ここは、ヤマトタケルが八咫烏に導かれてやって来た場所で、関東平野が一望できます。ここで、相模灘で入水されたおとたちばなひめを偲んで、「吾嬬者耶あづまはや」(=「愛しき我が妻よ」)とヤマトタケルが嘆きました。この神社は、境内に群馬県と長野県の県境があり、群馬県側を熊野神社、長野県側を熊野皇大神社と呼ばれています。 近くの見晴らし台からは、南東に妙義山の山々、北西には浅間山を臨むことができました。 峠を下りきったところに横川があり、碓氷峠鉄道文化むらには、たくさんの機関車や客車などが展示されていました。2フィート(610mm)ゲージの本物のグリーンブリーズ号蒸気機関車が乗客を乗せて園内を周回していました。 横川駅には高崎行の211系が出発を待っていました。
2026.06.15
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5枚の写真は、1971年7月に、南稚内で見かけたC5547(旭川機関区所属)牽引の旅客列車と稚内で見かけた入れ替え作業中のキューロクです。 稚内からやって来たC55牽引の旅客列車(322レ)は南稚内に到着し、8時3分に出発しました。小樽に20時10分に到着します。
2026.06.13
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4枚の写真は、1971年7月に、稚内機関区で撮ったものです。 49622のナンバープレートを付けたキューロクが停まっていました。 C5550(旭川機関区所属)が機関庫内にいました。 正面を向けている19616、お尻を向けている19661など機関庫内には、たくさんのキューロクがいました。
2026.06.12
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5枚の写真は、1971年7月に、急行「ニセコ3号」に乗車したときに、函館本線の山線(長万部~小樽駅間)で撮ったものです。 山線は急勾配が連続するため、函館からの本務機C6216にもう1両C62を連結し重連となり、16時43分に長万部駅を発車しました。 19時42分、小樽駅到着です。小樽駅で2両のC62が切り離され、札幌まで牽引するED76 516にバトンタッチされました。
2026.06.09
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3枚の写真は、1971年7月に、長万部駅で撮ったものです。 D51737(長万部機関区所属)牽引の旅客列車がホームに停まっています。 D52140(五稜郭機関区所属)牽引の貨物列車が出発していきます。 函館方面から来たC6216(小樽築港機関区所属)牽引の急行「ニセコ3号」がホームに停まっています。これから補機を付け重連になって山線(長万部-小樽間の勾配区間)に挑みます。
2026.06.08
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5枚の写真は、1971年7月に、長万部機関区とその周辺で撮ったものです。 急行「ニセコ1号」の補機を務めたC622が、長万部駅で解放された後、機関区へ入ってきています。 D52140牽引の貨物列車が入ってきました。 D52140が、長万部機関庫前の転車台で方向転換しています。
2026.06.07
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5枚の写真は、1971年7月に、函館本線長万部駅で撮ったものです。 札幌からやって来た急行「ニセコ1号」は、山線をC622+C623の重連で降りて来ました。長万部から函館までは、補機のC622を解放して、C623が牽引しました。 写真は、13時53分に長万部駅に到着した重連の「ニセコ1号」が補機のC622を解放した後の出発準備と、函館に向かって14時に出発する様を写したものです。
2026.06.06
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5枚の写真は、1971年7月に、函館本線長万部駅で撮ったものです。 札幌10時10分発の急行「ニセコ1号」が山線(小樽駅から長万部駅の険しい峠が続く区間)を下ってきました。機関車は重連となっていて、写真の牽引機は、C622+C623です。ここで補機のC622はお役御免となり重連は終了です。長万部からは、C623のみで列車を牽引し、16時12分に函館に到着します。 C622は、「スワローエンゼル」と呼ばれています。写真でも確認できますが、除煙板(デフレクタ)のつばめマークがその由来です。 「ニセコ1号」には、蒸気機関車のすぐ後ろに、オユ10とスユ13と思われる2両の郵便車が写真で確認できます。
2026.06.05
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5枚の写真は、長万部駅でとったD52202(五稜郭機関区所属)です。 写真のD52202は、貨物列車(1354レ)を牽引しています。主に函館本線・室蘭本線の貨物列車を中心に使用されました。 なお、1948-49年に、D52形蒸気機関車のボイラーを流用して49両のC62形蒸気機関車が製造されています。
2026.06.03
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写真は、2026年6月2日に、皇居前を歩いているときに撮った雲です。 なんとなく、ありえないような雲の形でした。
2026.06.02
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5枚の写真は、1971年7月に、函館本線で撮ったものです。 黒岩駅の蒸気機関車は、D51221(長万部機関区所属)です。写真の左端にリヤカーが写っています。 国縫駅の駅名標に、次の駅名に茶屋川とあります。今は無き瀬棚線の駅です。 ホーム越しに見た旅客列車は、長万部駅で見かけたD51765(五稜郭機関区所属)です。 C11の写真は、長万部駅で撮ったもので、瀬棚線用のC11187(あるいはC11180)(長万部機関区所属)です。 すぐ後ろに冷蔵車をつないでいる機関車は、長万部駅で撮ったD52414(五稜郭機関区所属)です。
2026.06.01
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