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こうなることは予想はしていたけれど、はっきり決まるとやっぱりガックリ。昨日、高遠さんのお話を聞いてから、いよいよ「これでいいのか?」という気持ちである。(断っておくが、彼女は自分が体験し、現在もイラクの友人達から得ている事実を、精一杯述べていただけであり、アメリカ批判や日本の政治批判はこれっぽっちもしていない。彼女は、「情報量をフェアにしたいのです。その上で皆さんに考えて欲しいのです」と言っていた)以前はとても親日的だったイラクの人達も、今では徐々に「占領軍アメリカを支援している国」と思うようになっているようだ。何かの雑誌で読んだが、日本人が思うほどにはアメリカは親日ではないという。中国も韓国もソ連も、もちろん親日国家とはいえず、欧米だって似たようなものだという。そんな中で中東は全体的に「親日」だったそうだが、それも怪しくなっている。アメリカ中心主義に巻き込まれて、結局は日本だけが孤立しなければいいけれど・・。(アメリカが孤立しても、あちらは何せでっかくて力がある)
2004年12月10日
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☆曽我さん一家佐渡へ昨日、やっと曽我ひとみさんが家族そろって佐渡に帰ることが出来た。それに先立つように、夫のジェンキンス氏はアメリカのタイム誌のインタビューに対してかなり踏み込んだことを語っているようだ。政治ニュース「北朝鮮、娘をスパイにする意図」米誌でジェンキンス氏今朝、昨日の曽我さん一家の記者会見をテレビで見たが、ジェンキンス氏は時折声をつまらせて、「人生の最終章を家族と佐渡で過ごしたい」と語っていた。それは多分、本当に正直な気持ちだろうと思った。曽我さんはもっと嬉しそうな顔をしているのかと思ったが、意外と硬い表情だったのが気にかかる。ひょっとすると、一家を守る大黒柱としての責任感と緊張で、喜びに浸れないのかもしれないなと思った。あるいは、行方不明の母親のことが、今まで以上に気にかかるようになっているのかもしれない。ジェンキンスさんとその母親を会わせてあげたいとの気持ちで、頑張ってきたようにも言っていた。どこまでも、曽我さんの苦労は尽きないようだ。☆またまた大学生の破廉恥行動まったく、体育会系の大学生達はどうなっているんだという気分。このような輩(やから)は一部の人間だろうけれど、本当に嘆かわしいと思う。痴漢行為やレイプなどをした学生には、学生であるか否かを問わず厳しく対処して欲しいが、このような時にいつも気になるのが「連帯責任」である。もちろん、他の部員達の中に同様の行為をしているものがいないかどうかは厳しく調べて欲しいが、それがはっきりしない状況の中で「活動停止」「出場辞退」も、何だか変だなとも思う。これほどの行為でなくても、高校野球などでは一部の生徒の事件で出場停止などのことが時々ある。今回のことでも、真面目に頑張ってきた学生達は、本当に気の毒だと思う。それにしても、日本人のモラルは一般的に本当に低下してきている。大学などでのアカハラ(アカデミック・ハラスメント)などもさほど珍しいことではなくなっていると聞いたことがあるので、大学生の不届きな行動も珍しくはないのだろうか。政治家のモラルなんて、どこにぶっ飛んだのかという感じだし・・。いくら法律を厳しくしたって、各自の心の中に「自制心・自立心」が育ってなかったら、何のブレーキにもならない。☆日本の15歳の学力低下日本の学力「世界トップ水準と言えず」…OECD調査というニュースが、またまた教育関係者たちを慌てさせるのだろうか。私は、学力の低下よりもモラルの低下の方がもっと怖い。また、「ゆとり教育の弊害」などという言い方がされるのだろうが、だいたいちゃんとしたゆとりを子どもに与えもせずに、何を言ってるんだか。特に「読解力」の低下が見られるらしいが、読解力を高めるために一番いいのは「読書」だと思う。本を読む楽しさを知った子どもは、自然に本を楽しむようになる。本を面白く読んでいるうちに、自然に読解力は高まると思う。最近、「朝読書」をする学校が少しずつ増えてきている。赤ちゃんの時から本を通しての親子コミュニケーションを定着させようと、「ブックスタート」を実施する自治体も増えている。私は、何年か後には、このような地道な取り組みが成果をあげるのではないかと期待している。もう少し長い目で、そして広い視野の上で、子どもの学力を考えていかなくてはならないと思う。☆めぐみさんの遺骨は別人のもの「遺骨」は、めぐみさんと別人というニュースが流れた。夕方の横田ご一家の記者会見を見ながら、遺骨が別人と判明して本当に良かったと思うと共に、北朝鮮の意図に首を傾げてしまう。こんなことをして、日本の怒りを買うことくらいわかるだろうに・・。おりしも今日は12月8日。日米開戦の引き金となった「真珠湾攻撃」の日である。当時の日本は、アメリカから見たら今の北朝鮮みたいなものだったのかもしれないと、ふと思ってしまった。例年この日には、札幌市で「12・8戦禍を語り継ぐ会」が開かれている。私も何度か参加して、戦争の実態について体験者(証言者)の話を聞くことが出来た。今年は何かの事情があったのか明日開催され、内容も高遠菜穂子さんの講演である。(札幌市かでる2・7で午後6時より、参加費1000円)一度彼女の話を実際に聞いてみたいと思っていたので、行ってみようと思っている。
2004年12月08日
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昨日、今年の流行語大賞が「チョー気持ちいい!」に決まったというニュースを見た。そのほかにはどのような言葉がノミネートされていたのかと、今朝の北海道新聞の記事を見た。それだけでは、どうもよくわからないところがあるので、さらにネット検索で確認。それによるとノミネートされていたのは、・ チョー気持ちいい (北島康介) ・ 気合だー! (アニマル浜口) ・ サプライズ ( 武部勤) ・ 自己責任 ・ 新規参入 (ライブドア社長 堀江貴文) ・ セカチュー (作家 片山恭一) ・ 中二階 (参議院議員 山本一太) ・ って言うじゃない… ○○斬り! …残念!!(波田陽区) ・ 負け犬 (酒井順子) ・ 冬ソナ (チュサン役 萩原聖人、ユジン役 田中美里 さん)「なるほど」というより、「へ~」という気分である。 この中で、私は世間知らずなのか「中二階」は、そういえばそんなこと言ってたかな? 程度の認識しかなかった。(ちなみに、山本一太議員は嫌いだし・・)「って言うじゃない… ○○斬り! …残念!!」については、全く知らなかった。当然、波田陽区も知らない。顔を見たら、「ああ、あの人か」と思うのかもしれないが。私の頭の中で今年一番クルクル回っていた言葉は、「自己責任」であった。あの言葉は、いったい誰が最初に言い始めたのだろう。言葉が本来の意味とは少しずれたところで、勝手にもて遊ばれたようなイヤな気分がするし、多分、多くの人がそれぞれの立場で苦い思いをするだろうから、大賞に選ばれる可能性はなかっただろう。そんな意味では、とても嬉しい気持ちを素直に表現した 「チョー気持ちいい!」が大賞になったのも、まあ、無難な結果かもしれない。だが、残念ながら私好みの言葉ではない。なんでも、「チョー」をつけるのは、日本人の言葉の表現力が貧しくなった表れだと思うので、これを大賞として認知するのはちょっと・・という気分でもある。ノミネートされた言葉の中で、全く知らなかったのが一つだけという結果には、少しばかりホッとしている。これから年末にかけて、レコード大賞などの音楽賞が色々あり、その集大成のように紅白歌合戦があるのだが、毎年これらの番組を見ていて、年末なのに「今年初めて聴く音楽」「初めて見る歌手」が続くことになることは目に見えている。年末はいつも息子達が帰省しているので、「これ誰?」「こんな歌、流行ってた?」を連発して馬鹿にされることが恒例行事のようになっている。ああ、またあの悲しい季節になったのだなあ。
2004年12月02日
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☆事件の連鎖に思う「両親と姉殺した」110番、28歳男を逮捕…土浦というニュースを見て、「まただ・・」と思ってしまった。昨日の19歳少年が親を殺めてしまった事件が、似たような事件を誘発しなければよいがと思っていたのだが・・。今回の場合は28歳の男性であり、私の息子と同世代である。昨日の日記へのポンボさんのコメントへのレスにも少し書いたが、最近は「ひきこもり、ニート、フリーター」であることがとても悪いことのように言われるので、そのような状態の人やその親はとても肩身が狭くなる。もちろん、それが良いことだとは言わないけれど、それを責め立てたからといって問題は解決するわけではなく、かえって本人や家族を追い詰めてしまうのがほとんどだ。仕事をして自活し、社会的にも認められる生き方をしたいというのが、誰にとっても当然の願いだろう。言葉には出せない切ない思いを、親身に黙って聞いてくれる人がいたなら、そして一緒に考えてくれる人がいたなら、人は絶対的な孤独からは救われるのではないだろうか。フリーターで何が悪い。ちゃんと働いて生きているなら、充分ではないか。ひきこもっていたとしても、他人様に迷惑をかけているのか?一番困っているのは、本人と家族だ。困っていることがあったら、その苦痛を軽くすることを周囲は心がけたいものだ。それは何よりも、その本人と家族が孤立感を深めないで、日々を生活できるように配慮することではないかと思う。「気にかけているよ」というメッセージを送り、「何かできることがあったら言ってね」と伝えるだけでもいいのではないか。腫れ物に触るように遠巻きにして、シカトしているのと同じような状況になっていたり、あるいは勝手な噂話をしたりするのは論外だ。とにかく、自分の子どもが心配ならば、家族(家庭)が閉鎖的にならないように心がけるのが第一歩だろう。そして、家族といえども「別の人格」と肝に銘じて、適度な距離と親切を心がけたいものだと思う。☆道警裏金問題に思う道警裏金、本社ホットラインに怒りの声177件 一連の裏金問題で、道警が内部調査の最終結果を報告したことを受け、北海道新聞社が二十三、二十四の両日設置した「ホットライン」には、電話やファクス、電子メールで計百七十七件の意見が寄せられた。道警の内部調査の限界を指摘する声の一方で、強い権限を持つ百条委員会を設置せず、真相究明に及び腰に映る道議会への批判も相次いだ。 最終報告については、現場の警察官への同情を示す声が一部にあったが、「私的流用や上層部関与を否定したことに落胆した」(札幌市の三十代男性)に代表されるように、意見を寄せた大半の道民が「不十分」「肝心な点が未解明」と厳しく指摘。自ら裏金づくりに携わった道警幹部の手による身内の調査に、旭川市の男性(47)は「外部の目を入れなくては駄目だ」と不信感をあらわにした。 こうした中、証人に偽証罪などの罰則を適用できる百条委員会に期待が高まり、自民党・道民会議など与党会派の反対で設置できずにいる道議会へのいら立ちが渦巻く。江別市の男性(71)は「政党と警察権力が手を握れば、世の中は暗闇になる。両者に貸し借りの関係をつくらせてはならない」と強調した。 これに関連して、札幌市の男性(53)は「選挙では自民党に入れてきたが、なぜ自民党と公明党が道警を擁護するのか、理解できない」と批判する。同市内の七十代の男性も「自民党の態度に腹が立つ。道警の幕引きに手を貸すなら、次の選挙では投票しない」と憤った。 また、「道警幹部の言動は、現場で日夜職務に携わる多くの警察官の心を踏みにじるものだ」など、責任を下に押し付ける幹部への批判も相次いだ。(北海道新聞)↑は、北海道新聞のHPの記事である。道警は、裏金づくりへの道警本部や方面本部、所属長の関与を厚顔無恥にも否定している。そんな報告を、道警の幹部以外の誰が信じるというのか。そのずうずうしさにあきれ果ててしまうけれど、それに対して議会の追求も本当に生ぬるい。どうして自民党や公明党は道警をかばうのだ?普通に考えれば、「つるんでいるから」だろう。議員たちは、どのような便宜を警察から図ってもらっているのだろう。それとも、みんなそれぞれ「ヤブヘビ」になることがあるのだろうか。そしてまた、ホットラインには現職の警察官の悲鳴や告発も届いているようだが、事態はここまできているのに、まだ上司のいいなりになるのも少し情けないのではないか。勇気ある実名告発をした元幹部たちの、後に続く人はいないのだろうか。
2004年11月25日
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19歳が鉄亜鈴で両親殺害 大学行かず責められ 24日午前3時15分ごろ、水戸市の無職少年(19)から「両親を殺した」と110番があった。駆け付けた水戸署員が、少年の自宅2階で死亡している両親を発見、自宅にいた少年を殺人の疑いで逮捕した。 調べでは、少年は同日午前零時ごろ、自宅2階で別々の部屋に寝ていた中学校教諭の父(51)と元小学校教諭の母(48)の頭や顔を、自宅にあった4キロの鉄亜鈴で10回程度殴って殺害した疑い。 少年は両親と祖父(76)、今年中学を卒業した妹(16)の5人暮らし。 当初「衝動的に殺した」と話していたが、その後の調べに対し「大学に入らなかったので両親から『習い事をしろ』と言われ、祖父からも『何をやっているんだ』と責められたので、皆殺しにしてやろうと思った。(父母を殺害したところで)力がうせてしまった」と供述している。 少年は取り調べに冷静に応じており「はじめから犯行後に通報するつもりだった」などと供述しているという。(共同通信) - 11月24日この家族や少年が事件に至るまでに、どのような経緯があったのか正確にはわからないので、無責任な批評をすることは控えなくてはならないが、とにかく一人の少年が両親を殺したというニュースを見て、とてもやりきれない思いにとらわれている。亡くなった親も、親を殺めてしまった息子も、残された家族も、本当に可哀想でならない。そして、つい最近児童虐待関連の研修会で聞いた「優しい暴力」という言葉が、頭の中をグルグル回っている。親は子どもが一人前の人間に育つようにと、それぞれのやり方で心を砕き努力をしている。身体的な暴力や、食事を与えないなど衣食住の環境を与えないなどのネグレクト、子どもをひどく傷つけるような言葉の暴力など、他人から見て「ちょっとひどいのではないか」と思える暴力は、まだわかりやすいし介入もしやすい。しかし、親が子どものためを思って努力しているように見えること、あるいは、もしも自分が親の責任としてやっていると思われる範囲のことについては、誰も何も言うことはできない。だから、今回のニュースを見て、当惑している親は多いのではないだろうか。子どもの進路に関して、アレコレ口出しをしている親の方が多いだろうし、学校に行かない子供の心を心配して、可能な限りの配慮をすることも自然なことである。家庭での悩み事を周囲には語らない人だって、一般的だとさえ言える。大人はみんな、親の気持ちに対しては共感しやすいだろうと思う。しかし、子どもにとってはどうだろうか。親の愛情や期待が息苦しくて、それに反発したことのある人間は多いだろう。完全無欠で自分の味方のヒーローと思っていた親が、実は自分を巧妙に支配する存在だと気付き、何らかの条件を満たさなくては自分を愛してはくれないのだと思った時、それまでの信頼感が強かっただけに失望と怒りに心が引き裂かれるような気持ちになった体験は、多かれ少なかれあるのではないだろうか。そんな親への反発や抵抗をしてみると、親はいよいよ「お前のためだ」という錦の御旗を掲げて、大人社会の常識への屈服を強要してくる。しかし、それはいつも「親の愛情と責任」という姿をしているために、子ども自身も混乱し、無条件の反発ができないのだ。私は、誰でも一度は自覚しているか否かに関わらず、心の中で「親殺し」をしているのではないかと思う。自分と一心同体と感じていた親を、自分とは違う人間なのだと切り離すこと。無条件に自分を愛してくれていると信じていた親が、実は「親自身の欲求を満たすために自分を利用している」と感じた時。あるいは、自分(子ども)の味方ではなく、自分以外の誰か(父親や母親、教師、世間)の味方ではないかと感じた時。いずれも、「親は他人なのだ」と、親への幻想を断ち切ったときが、「内面での親殺しの瞬間」ではないかと思う。子どもは、そのような時を経なければ、自分自身で生き始めることができないのではないだろうか。ほとんどの子ども達は実際に親を殺すことなく、心の中で親を切り離して歩き始める。しかし、そのプロセスが上手にできず、親との一体感が強い反動のように、最終的に親への身体的暴力しか残されないような状況になる子どももいる。今回の事件は、そのようなことではなかつたのかと思われてならない。「家族は愛情で結ばれていなくてはならない」という信念は、美しく聞こえるが実は幻想で、カルト信仰に近いものかもしれない。どの家庭にも、それぞれの悩みやドロドロしたものがあるはずだ。子どもは決して可愛いだけの存在ではないし、どんなに心を尽くしても(いや、尽くせば尽くすほど)思い通りには育たない。夫婦だって、結婚前の熱い恋愛感情は同居と同時に冷めはじめ、「こんなはずではなかった」という失望や怒りに支配され始めることが多い。ずっと仲の良い家族でい続けるためには、どれほどの忍耐と日々の努力が続けられていることであろう。しかしほとんどの家族は、家族内の誰か(妻、夫、子どもなど)努力に依存していることが多く、努力の分量は決して平等ではない。家族は、不平等とある種の力関係(支配と服従関係)で成立していることが多いのだ。家族のそのような側面をしっかりと見詰つつ、その中でどのように関わるのがお互いの安心感につながるのかを考えたいと思う。「色々あるけど、やっぱり家が落ち着く」というのがいいんだろう。
2004年11月24日
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思いがけず、予定より早く雑事から解放された。明日は絶対に書き込めないと思うので、少しだけでも書いておこう。このところ、気になるニュースが色々あったので・・。☆奈良の女児誘拐殺人事件何というむごいことをするのか・・。この子は、衛星利用測位システム(GPS)を利用して居場所を知らせる機能を持つ携帯電話を持っていたという。以前に迷子になったことがあり、母親が万一の時のために持たせていた携帯電話が、役立つどころか最悪の使われ方をされてしまった。不思議なのは、せっかくそのような機能付きの携帯を持っていたのに、なぜもっと早く居場所がわからなかったのだろう。持ち主が発信しなければ探せないというのであれば、間抜けな機能だと思うのだけど・・。とにかく、そこまで配慮していたのに、このような結果となってしまった親の気持ちを考えると、胸が苦しくなる。何が目的の誘拐殺人だったのか。身代金目的、怨恨によるものなど、とりあえず理由があればまだわかりやすいし、周辺住民の不安も少しは軽くなるけれど、ただの愉快犯だとしたら、怖くて子供を一人で外には出せない。かといって、大人が四六時中子どもに張り付いているわけにもいかないし、そのような状態で育つこともまた、子どもの成長にとって良いとはいえない。このような犯人は、何が何でも早急に逮捕してもらわなくては・・。犯人のものと思われる毛髪などが見つかっているらしいし、とにかく警察の総力をあげて、犯人を見つけ出してほしい。☆横田めぐみさんは?日朝実務者協議での日本人拉致問題に関する外務省の報告は、被害者家族だけではなく、多くの日本人にとっても納得できるものはほとんどないといえよう。その中でも、今回は特に横田めぐみさんのことが注目されている。拉致された頃の写真や自筆のメモから始まって遺骨まで、思い切って出してきたものだという感じさえする。ご両親は、遺骨が他人のものであるという鑑定結果がでることを、祈る思いで待っていることだろう。私も、めぐみさんがどこかで生きていて、最後の最後にはご両親と再会できることを願ってはいるけれど、悪い予感の方が強い。それにしても、北朝鮮は不思議で辻褄の合わないことを堂々と強弁する国だと、そのしたたかさには驚く。その意味では、日本はしたたかさに欠けているのかもしれない。しかし、たとえ北朝鮮がひどい国であろうと、戦争覚悟でケンカするわけにもいかない。相手がいかにルール違反をしようと、こちらは世界が認めるルールにのっとった態度で交渉するしかない。その間で、拉致被害者家族の方々は、どれほど悔しく情けない思いをしていることだろう。それにしても、家族が帰国した蓮池さんたちは、どれほど事実を政府に伝えているのだろうか。(まだ、周辺に工作員がいることを警戒して、言えないことがあるのではないか)実は私は、5人が日本に出発する時に撮ったという、ヘギョンちゃんと一緒の写真が以前から気になっている。どうして蓮池さんたちは、ヘギョンちゃんとの再会にあれほど泣いているのだろうか・・と。もちろん、ずっと消息がわからなかった人との再会に喜んで涙が出るのはわかる。しかし、あの写真の表情の裏には、もっと深い意味があるのではないかと思ってしまう。☆オレオレ詐欺子や孫を装ってお年寄りからお金を騙し取る「おれおれ詐欺」のことがニュースに出るようになってから、もう随分たつ。騙しの手口が次第に巧妙化しているとはいえ、どうしてこんなに簡単に引っかかってしまうのだろう。騙された人も、きっとニュースなどを見ていて「私は騙されないぞ」と一度は思ったことだろうに。やはり、家族が泣きじゃくる声を聞くと動転してしまい、正常な判断力を失うということなのだろうか。それと同時に、それなりにお金持ちなのだろう。(ン百万も、誰にも相談せずに即座に用意できるんだから)その時になってみなくてはわからないことではあるが、とにかくこのような電話があったら、まず疑ってみることを心がけておこう。夫とそのようなことを話しながら、そういえば息子たちは「オレ」とは言わないことに気付いた。電話では、「お母さん? ○○だけど」と名乗ることが一般的である。会話の中でも、「オレ」とは言わず、「ボク」か「自分は・・」と言っている。よし! これに気付いたからには、私は絶対に騙されないぞ!(ん? でも、「ボクだけと」と言ったら、ひっかかっちゃうかも・・。そうだ、違う名前を呼んでみよう。4歳の孫の名を)
2004年11月20日
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☆日朝実務者協議結果淡い期待を抱いていたけれど、「やはり・・」という失望の結果しかなかった。家族の人たちの怒りや落胆は、いかばかりかと思う。多分、ほとんどの日本国民も、家族の人たちの気持ちに共感したのではないだろうか。それに対して、小泉純一郎首相は「北朝鮮側の努力の跡はうかがえる」(どんな努力だ! 言い訳や詭弁の努力を評価するの!?)「まだ納得できるような内容ではない点もある」(納得できる内容が、どこにあるというのか)「(慎重なことに)変わりない。対話と圧力。日朝平壌宣言を誠実に履行する努力を続けていく必要がある」(まったく、同じ言葉しかつかえない人だ!)最近は、小泉氏の同じ言葉の繰り返しに、ほとほとあきれるというか、情けないというか・・。アメリカ支援に対しては大層勇ましい言葉が繰り返されるが、この件については優柔不断というか、歯切れが悪い言葉が繰り返されるばかり。☆パウエル米国務長官が辞表を提出私はパウエルさんが好きだったし、とてもバランスが良くて「アメリカ政府の良心」のように感じていたので、とても残念だ。政府内で孤立してきたと言われているが、それもよくわかる。それだけに、彼が去った後のことがとても気がかり。後任には、ライス大統領補佐官の名も上がっているというが、どうなるんだろう。何だか、とっても気が重いニュースばかり。
2004年11月16日
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紀宮さまが、秋篠宮様の友人である黒田慶樹さんと婚約内定とのニュースがテレビや新聞に踊った。そのこと自体については、心から「おめでとうございます」という気持ちであるが、どうして今、このニュースが?と、ちょっとひっかかる。新潟中越地震のことに配慮をして発表を延期しているということを知り、「えっ? それなのに、今ニュースになるのはどうしてなの?」と、不思議に思うのは私だけではないだろう。今、イラクのファルージャでは、大変なことが起きているような気がしている。(何せ、詳細が報道されていない。市民の犠牲者はどれほどあるのか、とても気がかりだ)テレビや新聞でも色々な人が言っているが、私も「ファルージャの制圧=武装勢力の制圧」ではなく、「モグラたたきの」ごとくに戦火を別の場所に飛び火させることではないかと思う。そんな状況の中、自衛隊の派遣延長が既定路線のように進められようとしており、第四次部隊も出発した。。また、中国の原子力潜水艦による領海侵犯のことや、日朝実務者協議の成り行きなど、日本の安全に関わる重要な問題が次々と起きている。このような中での皇室の慶事のニュースは、私は官邸の「煙幕作戦」のように感じられてならない。政治家が政策を推進するために戦略(謀略も含め)を持つこと自体はあたりまえのことであるが、その意図で放つニュースをしっかりと見極めていくのは、私たち国民であろう。メディアは(特に民間メディアは)、当然国民の視点に立っての情報を提供して欲しいと思う。紀宮様のご婚約は嬉しいことだけど、まだ正式発表ではなく、ご本人達も「正式発表まではそっとしておいて欲しい」とおっしゃっている。誰がこの情報を外部に出したのか、私はそれが知りたい。【関連ニュース】☆イラク派遣:陸自第4次隊の第1陣200人が出発☆紀宮さま、都職員・黒田さんとご婚約へ 震災に配慮、発表は来月☆ファルージャで武装勢力の掃討続く、赤新月社の救援物資は市民に届かず☆【速報】イラク戦争被害記録英医学誌『ランセット』の論文「2003年のイラク侵略前後における死者数--集落抽出調査」より「要約」部分翻訳
2004年11月14日
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昨日の日記は、藤原氏の文章を全文転載したのですが、今日は紹介だけにします。今日の北海道新聞の記事で、オランダ・ハーグの国際司法裁判所で開かれた「中東における正義と平和のための国際会議」のことが書かれていた。箕輪登元郵政相が、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟を起こしたと聞いた時、北海道の政治家にこのような人がいることを本当に嬉しく思った。彼が現役だった頃、私はさほどの関心を払ってはいなかったし、「タカ派」のイメージでくくってみていたと思う。だからこのニュースを見た時、人をイメージでくくってみてはいけないなと思ったものだった。箕輪登氏の主張については、ネット検索すると色々と見ることができるので、興味のある人は見てください。ご高齢で身体も悪くされている箕輪さんですが、損得を抜きにして体を張って持論を主張されている姿には、励まされる気がします。【追記】明日から2日間留守にしますので、日記を書き込めません。
2004年11月07日
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「よく行くページ」の藤原新也氏のエッセイに、とても考えさせられた。多くの方に読んでいただきたいので、ここに転載させていただきます。「君、我が子せめて墓場に臥させよ」 アメリカには都市のごく一部に非常に優秀な人材がいるが全土を回ってみて思うことは大部分の人々はアフリカの奥地の人々に比するくらいにシンプルで子供っぽいということだ。それとともに思うことはこの国のかなりの部分は土漠や砂漠であり、その風土が中近東のそれと似ているということだろう。こういった風土からはえてして抽象思考が発生しやすい。 中近東に生まれた「千夜一夜物語」またアラジンの魔法のランプという誇大妄想もそれに当たるし、アメリカ人が固有に持つ全能感もそれに当たる。今回再選されたブッシュの思考回路にもこの子供っぽい全能感が濃厚で、私たちは再びこの全能感と誇大妄想の間に翻弄されなければならいのかと思うとうんざりする。 イスラム教国を旅していると、いたるところでその誇大妄想という名の巨人に出会う。 つまり「絶対神」に位置づけられるアッラーそのものが誇大妄想そのものであるわけだが、そのような宗教的場面でなくとも日常の中においても巨人は立ち現れる。 たとえば私たちが街を歩いていて買い物をする。だいたいふっかけてくるというのは通り相場だが、時にこのふっかけ方が尋常ではなく、誇大妄想の領域に入り込む。客観的に見ると笑えるほど滑稽な場面に遭遇しているわけだが、彼ら一流のその詐欺師のような駆け引きにつきあいはじめるといつしか感覚が麻痺し、アリ地獄に巻き込まれたように抜き刺し難い状態に追い込まれる。 サマワに駐屯した自衛隊と地主の間で交わされた土地賃貸交渉の顛末はまさにこのアリ地獄そのもので、私は逐一報道される経緯を見ながら「ああ、またやってるなぁ」と妙なことについ頬が緩んでしまったほどだ。それとともにあの純情な自衛隊が丸め込まれるのは時間の問題だろうなと予測していたが、案の定、彼らは無償の援助に行ったにもかかわらず、あのただの何もない砂漠の砂に莫大な金を払わされつづけている。 ことほど左様に、彼の風土の掟や思考の構造に立ち向かうのは生半可な神経では太刀打ちできない。かつて私は以前向こうの聖職者と宗教談義をしたことがあり、仏教の中に流れる「多神」「寛容の精神」というものを説明した。ふんふんと納得したように聴いていた彼が最後に何と言ったかというと、 「ということは仏教というのは疲れた考えが支配しているということだな」である。 本当に驚いた。 寛容=疲労。 「眼には眼を、歯に歯を」という復讐の等価交換の原則を数千年も貫き、今もまたその原則の中に生きる彼らにとって「許す」ということは「疲れ」でしかないのである。 幸いなことに私たちこの仏教国はこの本当にしつこくて独善的なイヤな野郎たちと政治的にも地理的にも長い間距離を保ち、イスラム的な誇大妄想と不遇なクラッシュをするのは、せいぜいたまにそこに迷い込んだ私のような旅行者程度で済んでいたわけである。 しかし9・11以降その関係性と風景は変わった。 イスラムと正面衝突したアメリカに無条件で追随した日本は、好むと好まざるとに関わらず(あまりなりたくはない)イスラムの隣人とならざるを得ない時代がやってきたのだ。 その帰納的なひとつの結果がひとりの日本人青年の死である。この路上に汚物のごとくうち捨てられた死は最大限に陵辱されていた。 イスラムの世界では畜生界に突き落とす意味を持つ断頭。 そして血にまみれたアメリカ国旗の包衣。 かりにひとりの青年の軽率な旅程がそのような結果を生んだとしたとしても、そのような「無惨な日本人の死体」を生み落とした日本の戦後政治に怒りと悲しみを覚える。 加えて小泉首相に言いたい。 君は「世界」というものをあまりにも知らなすぎる。 そして、またイスラム世界というものをあまりに知らなすぎる。 イスラムの人々は、その言動が強硬な反面、礼節を重んじる人々でもある。この礼節は何によって表現されるかというとそのひとつは着衣だ。 フランスにあってイスラムの女性のスカーフ問題が騒がれたように彼らにとって包衣は単にファッションではない。すべては神に対する礼節にはじまっている。その着衣の思想が他者にたいする礼節となって敷衍するわけだ。つまり彼らは自分のためにではなく他者を敬うために着衣するのである。 今回、ビン・ラディン氏がひさしぶりに声明を発表する場面が見られたが、私は彼の着衣を見て驚いた。それがほぼアメリカに対しての声明であったわけだが、彼はサーモンピンクの包衣に純白の法帽という最高の礼節を表す衣装で現れたのだ。このことはイスラムの研究者の間でも話題にもならなかったか、あるいは気づかなかったようだが、彼の民族の懐の深さに感じ入った一瞬だった。 また今回、日本人青年を殺害したグループの声明発表時の、背後に聖旗を、そして黒衣でシンメトリーに居並ぶその姿にも並でない決意がその姿に現れており、これは非常に危険な状態であることを臭わせたし、そういった場面でも儀式性を崩さない彼らの姿に奇妙な言い方になるがイスラム人の礼節を感じた。 そのように他者に対する時の礼節としての儀式性や着衣を重んじる彼らに対し、証生青年が非常に不運だったのは、小泉首相が災害視察用の手軽な作業服のままコメントを吐いたことだ。それも災害現場での日本人記者のとつぜんの質問に「テロには屈しない」吐き捨てるように言い、そのままそっぽを向いて歩きはじめたのである。彼の国の慣習に照らし合わせ、国民の命を預かる一国の首相の軽率さと無知に、おいおいこれはまずいよと、私はその一瞬背筋が寒くなった。かりに小泉首相が言うようにそれがテログループであったとしても、彼らは儀式的な姿で小泉首相に声明を出したのである。それに対し、ほとんど犬猫をあしらうような姿(着衣)と態度で声明を唾棄したこの一瞬、ほぼ証生君の処遇と運命は決まった。 運命が決まったということは、彼の処刑が決まったということのみをさすのではない。今日の日本の置かれている立場、というより小泉首相個人の置かれている立場からするなら、グループの要求に応じて自衛隊を撤退させるということはほぼありえない。したがって、前回の日本人拘束のようにグループが身代金目的ではない以上、証生君が処刑されるであろうことは動かしようがない結末だったのだろう。 私の言う、運命、処遇とはその屍の姿にある。 畜生を意味する断頭。 そして、血に塗られた星条旗の包衣。 犬のように路上に投げ捨てられた死体。 一人の日本人は考えうる限り、最大限の恥辱の姿で殺されたのである。 彼にあのとき、記者のイレギュラーな質問に対し、ちょっと待てとそれを制し、官邸に帰ってのち、あらためて彼が衣服をフォーマルなものに着替え、日本人記者団に向かってではなく、グループに向かって、なぜ私たちがイラクを撤退出来ないのかを(かりに彼らがそれを欺瞞と受け取るとしても)説明すべきだったのだ。 確かにそれでも証正君は殺されただろう。 しかしあそこまで憎悪と恥辱にまみれた無惨な死体にはならなかったはずだ。 小泉首相のこのように、その世界に対する無知と軽率な言動によって彼は今、国民を引き連れてイスラム世界のあの「憎悪の連鎖」の中に自ら好んで入り込みつつある。そしてブッシュの再選によってさらに無神経ぶりはエスカレートするだろう。 「テロには屈しない」という言葉は手負いのブッシュが国民向けに吐かざるを得なかった背水の陣の言葉であったわけだが、その言葉を彼は受け売り的にあまりにも便利に使いすぎているのもグループが日本人を敵視し蔑視したひとつの理由だと考えられる。 それはまさしく「眼には眼を」という言葉なのだ。 「テロには屈しない」 という“慣用句”を呪文のように吐き続けるたびに私たち日本国民はあのイスラム的憎悪の連鎖のアリ地獄に除々に除々に巻き込まれて行くだろう。 かりに屈しない、としても彼は日本人独自の言葉でそれを表現すべきだったのだ。 イスラムの人々は礼節と言葉を持たない人間を軽蔑する。その言葉、つまり意志を持たない民族に対する仕打ちがあの無惨な死体でもあった。 かりに日本国首相がブッシュの言葉ではなく、礼節を欠かない姿で日本文化を背景とした日本人の言葉で彼らを糾弾したとするなら、私たちの子の死体は、せめて墓場に臥せられていたかも知れないと思う。
2004年11月06日
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北海道の後援企業2社から計1100万円のわいろを受け取ったなどとして、受託収賄など4つの罪に問われた元北海道開発庁長官で衆院議員だった鈴木宗男被告(56)に対し、東京地裁は5日、わいろ授受などを起訴事実通り認定して懲役2年、追徴金1100万円(求刑懲役4年、追徴金1100万円)の判決を言い渡した。 判決理由で八木正一裁判長は「請託を受けるやためらいもなく、当局者に働き掛けて支援者の便宜を図った。犯行は北海道開発庁長官の地位を私物化したほか、内閣官房副長官の職務などに対する国民の信頼を損ねた」と述べた。 判決は4つの罪すべてについて無罪を主張した鈴木被告側の主張をことごとく退けた。その上で「被告側からわいろを要求したものではないにしても、捜査、公判であえて虚偽の陳述をしてはばからない被告に対し、刑の執行を猶予するのは相当でない」と実刑の理由を述べた。 また、北海道開発局では行政側が受注業者を決める「官製談合」が行われていたことを認定した。 判決によると、鈴木被告は北海道開発庁長官だった1997-98年、後援企業の島田建設(網走市)から北海道開発局が発注する工事の受注に対する請託を受け、計600万円を受け取った。 また盗伐問題で行政処分を受けた製材会社やまりん(帯広市)からも行政処分による損害分を、その後の随意契約で購入したいとの林野庁への口利きを依頼され、あっせんの報酬として現金500万円を受け取った。このほか政治資金規正法違反、議院証言法違反(偽証)の罪にも問われた。 初公判で鈴木被告は「いずれも刑事責任に問われるものではない」と述べ、弁護側も「捜査は被告を排除すべきとの世論に応じた国策捜査だ」と無罪を主張。検察側は「国民の厳粛な信託による国政そのものを否定するに等しい悪質な犯行」と厳しく指摘し、真っ向から対決してきた。 一連の事件で起訴されたのは12人。5日の判決で鈴木被告を含む11人は1審でいずれも有罪判決が言い渡され、1審公判中は佐藤優・元外務省主任分析官だけとなった。(共同ニュース)私は、この判決はとても真っ当だと思っている。鈴木氏にしたら、先輩政治家達を見習って、いやそれ以上に精一杯頑張ってきたのに、何でこうなるの?という気持ちなのだろうと思うが、そのやり方がダメだということなんですよ。鈴木氏は即日控訴し、7000万円で保釈されたようだ。この保釈金は、どこから出ているのだろう。支援者からなのだろうか。私自身は、この事件が起きるズーッとずーっと昔から、この人のことは嫌いだったけれど、地元ではまだ人気もあるようだ。北海道の端っこの人たちのことを親身に考え、北方領土問題に彼以上に本気で取り組んでくれる政治家が、いなかったということだろう。同じ北海道に住んでいても、申し訳ないけれど道東や北方領土に対しては、道民ですらあまり関心を払っていないのではないだろうか。そのような背景が、彼のような人間を育ててしまったのだと思う。その意味では、私たちもまた、彼の罪の一端を担っているのかもしれない。
2004年11月05日
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・・・何と言えば良いのか・・。でも、一応大きなニュースだから書いておくことにする。今までの流れの中では、日本にとってはブッシュ氏再選の方がそれなりに安定するのかもしれないが、世界的に見たらどうなのだろう。今回、ケリー氏を支持した人たちもとても多かったことで、ブッシュ氏への批判もアメリカ国内には多いのだということがわかって、それだけは少し救いのように感じたのだが・・。しかし、一時は少ししおらしい顔をしても、すぐに自信満々で自分の政策が支持されているというような顔をするのが、政治家というものの常のような気がするし・・。私自身は、ブッシュ氏が再選されるのはイヤだったけれど、ケリー氏もどうも好きになれないというか、信頼できないように感じていたので、どっちでもガッカリの予想だった。ということで、今の気分はやっぱりガッカリ。とブツブツ言っても、私の気分などアメリカには無関係。小泉氏がホッとしているのは間違いがないし、ニュースによると「批判されても跳ね返して指導力を発揮する姿勢を見習わなくちゃ」と言っているとか・・。もちろん、その選択が正しければ何も文句はないのだが、彼の場合、何だか少し怖い。
2004年11月04日
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昨夜のニュースで、小泉首相がイラク人質殺害事件に対しての政府の対応を「最善を尽くした」と言ったと聞いて、愕然とした。私は、言葉の枝葉末節で人を非難するのは好きではない方なのだが、この言葉は許せないと思った。最悪の結果に対して、最善の対応だったとは・・。私が許せないのは、「これが本音だろう」と思うからだ。私の憤りに追い討ちをかけるような、今朝のニュース。小泉純一郎首相は1日夜、イラクでの邦人人質殺害事件で犯行グループの自衛隊撤退要求を即座に拒否した自らの判断について「正しかった」と強調した。首相の撤退拒否発言が犯人側を挑発したとの見方が出ていることについて、首相は「逆に、自衛隊を撤退するとか撤退を考えているとか言ったら、どういう結果になったか。そういう点も批判する人は考えてもらいたい」と反論した。首相官邸で記者団の質問に答えた。(時事通信)いったい、どのような結果になったというのか。自国民が人質になって殺害される以上にひどい結果があるなら、教えてもらいたい。自衛隊の宿営地にロケット弾が打ち込まれたという。これでもまだ、サマワは「非戦闘地域」と言い張るのだろうか。12月で当初の派遣期間が終了するのを機に、自衛隊は一時的にでも撤退すべきだ。イラクにとどまるべき大義名分は、どこにあるのか。本当にイラクが落ち着いたなら、その時には精一杯、自衛隊も民間人も協力しながら復興支援に汗を流したらよいではないか。小泉首相、あなたのお得意な「冷静な判断」を、私は心から願っています。どんなにあなたに腹が立っても、国民はあなたをリーダーとする政府の判断によって命運を左右される存在なのです。ましてや、自衛隊員は命令をいかに忠実に従うかについての主体的判断はできても、命令にそむく主体的判断は許されていないのです。いつ砲弾が打ち込まれるかわからない不安の中で、次の命令を待ち、その命令に従う準備をしているしかないのです。正義感と犠牲的精神に溢れた勇気ある青年達を、どうぞ国のメンツのためだけに危険に晒さないで欲しいと、心から祈るばかりです。
2004年11月02日
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国内外が揺れている中でも、個人にとって一番重要なことは、自分や家族が日々健やかに過ごすことである。どれほど悲惨なニュースを見聞きしたとしても、私が今なすべき一番の大事は、「私の手」を必要とする自分に近い人たちのことなのだと感じる3日間だった。・・と書くと、「みらいさんの身内に何か?!」と思う心優しい人がいらっしゃるかと思うが、何のことはない、お嫁さんが風邪でダウンして、あいにく彼女の夫である我息子が仕事で本州に行っていたため、助っ人にはせ参じたというだけのこと。なーんだ、と思われるだろうが、これが「個人にとっては大事件」であり、一番のニュースである。どんな人も、家族にとっては「かけがえのない存在」である。☆イラクでの日本の青年の死に思うこと24年前この世に生を受け「証生」と名付けられた青年が、イラクで人質となり殺害された。この名前を見た時、私はそう名付けて今日まで見守ってきたご両親の気持ちが、心に突き刺さるように感じた。そして、あのビデオで見た彼の表情や声を見聞きしながら、本当に申し訳ないけれど最悪の事態を予感せずにはいられなかった。私でさえそう感じたのだから、家族の人たちの心中はいかばかりなものかと感じた。前回、イラクで人質になった時とは状況も違うので、なおさらであった。あの時のように、また「自己責任」などという言葉で本人や家族を誹謗中傷する嵐が起きないようにと願っていたが、実際はどうだったのだろうか?前回とは違って私の日常が忙しかったため、ネットなどを見ている時間がなかったが、新聞やテレビで見る限り、少しは日本のメディアも政治家達も学習したのか、前回ほどに家族や本人へのバッシング的論調はひどくはなかったように感じるが・・。それでも、家族へのひどい電話やファックスなどはあったようだ。昨今の日本の状況を見ると、「無責任でジコチューな人でなし」が多いように感じるので、腹は立つけれど「そんなこともあるだろう」と思わざるを得ない。しかし、一国のリーダーがそうでは困る。最初に「人質」の報があった時、小泉首相はすぐさま「自衛隊は撤退しない。テロには屈しない」と、前回の時と同じ言葉を発したそうな。それを知った時、私は「この人は、まったく学習しない人だ」と、とても情けなく感じた。彼が、心の中でそう思うのは良い。その一念で、事態の打開を図っても、まあ仕方がない。しかし、前回同様(いや、前回以上に)、彼の言葉によって人質の命運がかかっている時、この発言はあまりにも戦略がないし冷酷である。自分の国の若者を助けようとせずして、何が「人道支援」だ。彼の生死が確定するまで、交渉の含みを残しておいても良いではないか。この人がリーダーである限り、自衛隊員は「人道支援」の美名の下に戦地に滞在し続け、アメリカという親分が軍を撤退しない限り、後方支援を続けるのだろう。最近は自分の日記で書くことを少しセーブしてしまっていたが、私は最初から自衛隊のイラク派遣には反対だ。日本人が国家の命令で戦地で死ぬこと、あるいは戦闘で他国の人を殺すことは、戦後60年近く続いてきた日本国が世界に誇れる事実を踏みにじることだと思っている。一度決定したことを変えるためには、「理由」が必要だ。自衛隊をイラクから撤退させるためには、亡くなった人には申し訳ないけれど今がチャンスだったと思う。それなのに、小泉氏はそれへの含みさえも断ち切った。私は、この人が首相になったとき期待した一人だった。今は、彼という「人間」を見誤った自分を恥じている。☆若者は、失敗しながら成長する前記のことと関連するのだが、人間は失敗体験を繰り返しながら成長するものだと思っている。特に若者は、社会体験不足による「無知」と「思い込み」で「無謀な行動」をして、痛い思いをする中で心から反省し、大切なことを学んでゆくものだ。多くの人に迷惑をかけ、それでも自分を助けてくれた人たちへの心からの感謝の気持ちが、その人を大きな人間にしてゆく。私は幼い頃からとても臆病な性質で、あまり親に心配をかけない子どもだったと思う。そのような子どもに対して、大人はどんどん要求を高くしてゆく。そしていつか、どうしても周囲の期待にはこたえきれない自分への苛立ちや失望が子どもの心を追い詰める。その結果、周囲には「キレた」と思えるような言動をすることがある。それは、多くは「大人や親の支配を断ち切る」ということだと思う。人間同士のコミュニケーション体験が少なければ、その時に「取り返しのつかないこと」を起こすのかもしれない。こんな、生来臆病な私にも「キレた」時代があった。その時の自分の言動は、今思えば恥ずかしくて髪をかきむしりたくなったり、穴を地球の裏側まで掘って逃げたい気分にもなる。しかし、私にはあの時、あれが必要だったとも思う。親や大人の価値観の支配を断ち切り、自分自身が何を感じているのか、何を求めているのかを確かめるには、あのように「自分ではないような言動、精神的状況」というバネがなくては、とても「大人に飛び立つこと」はできなかった。当時の私の支離滅裂さは、それを見守ってくれる人や励ましてくれる人の存在で、何とかバランスを保つことができた。私の若い頃には、まだ大人に「包容力」があったように思う。たとえば、学生運動でゲバ棒を持って暴れまわった若者も、なぜかちゃんと就職し、今ではそれなりの立場にいたりする。私自身は学生運動には気質的にフィットできず、そのような活動をしていた人たちと親しくもしていないのだが、彼らは今の若者達をどのように見ているのだろうと思ったりすることがある。あるいは、彼らは自分の子ども達をどのように育てているのだろう・・と。青い正義感と、一面的な理論を振りかざして戦ったことを恥じる心は、きっとあるだろう。私のように、その時代の自分を思い出すことさえイヤで、振り切るように目の前に与えられた仕事に邁進してきたのかもしれない。それを非難する気持ちに、私はなれない。しかし、だからと言って、恥ずかしいことを避けることを第一に考え、自らの体験知である無難に生きるための方法論を、若者に押し付けるのは間違っている。恥ずかしい体験をしなくては、人は成長できない。人に迷惑をかけたことで辛い思いをしなくては、人間の優しさや痛みはわからない。その体験をさせないで、若者を「無気力」「無感動」なんて批判することはやめてほしい。社会的存在である人間になるために一番大切な「職業体験」の場を奪っておいて(若者に回しもせずに)、「ニート」だ「フリーター」だなどと、若者をバカにしないで欲しい。若者を育てているのは、私たち大人なのである。このグローバルな社会で本当に必要な人間を育てるためには、大人はもう少し痛みを引き受けなくてはならないと思う。誰かを批判するだけでは、その人は成長しないのだ。その人の横に立ったり後ろに回ったり、時には先に立って自分でやってみせながら、彼らが自分で気付き自分のやり方を見出すまで、待つ必要がある。若者の「無謀」は、時には必要なのだ。それを批判するだけでは、若者は冒険を恐れて自分の内部から湧き上がる思いに蓋をするようになるだろう。香田証生さんには、生きて帰ってきて欲しかった。残念で残念で仕方がない。
2004年11月01日
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外出していることが多くて、なかなか日記を書き込めずにいる。また、震度6の地震が新潟県を襲ったようだ。地震に遭われている方々の恐怖や不安はいかばかりなものだろう。ボランティアも動き始めているようだけれども、このような時こそ機動力抜群の自衛隊の出番だろうと思うが、地元からの要請が遅かったのか、何だか出動が遅いような・・。頑丈なテント設営など朝飯前のことだろうに、自衛隊が設営するテントに避難している姿も見ない。車中で寝泊りしている人が多いようだが、そろそろ限界ではないだろうかととても心配だ。兵庫県の台風水害の被害も、まだまだ解決していない。私たちにできることは何か。行って手伝うことが出来ないなら、少額でも良いからみんなで義捐金を送ろう。私も、これから郵便局に行って送金するつもりである。また、日本人が拘束されたようだ。これからどのような展開になるのか、とても心配である。先日は、自衛隊の宿営地に砲弾が打ち込まれたけれど、現在、現地で自衛隊はどのような仕事ができているのだろう。現地の人たちに守ってもらいながら仕事をするのなら、自衛隊でなくても良いのではないか。自分達の身の安全を守るだけのために存在するのが自衛隊ではないだろうに。とにかく、今は日本が大変な時なのである。本当に必要とされている場所で働きたいのが、人情ではないか?テロや誘拐・殺人は許されないけれど、海外で誘拐された人を守るのは国の責任である。くれぐれも、また政府首脳のみならず同じ日本国民が、「自己責任」などといって、誘拐された人を誹謗中傷することがないようにと願う。
2004年10月27日
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23日(土)の午後6時頃、新潟県の中越地方でマグニチュード6.8の地震が発生。この余震が、三日目の今日もまだ続いている。記録として、ネットでの「共同通信ニュース」を転記しておく。23人死亡、負傷2100人 参考値は震度7新潟県中越地方を襲った地震の被害は24日、確認作業とともに拡大、県警の調べで死者は23人に上り、負傷者は2100人を超えた(共同通信まとめ)。死傷者数による被害規模は1995年の阪神大震災以来。防災科学技術研究所は、本震で観測した小千谷市での揺れが参考値ながら「震度7相当だった」と地震調査委員会に報告。政府は非常災害対策本部を設置した。震度5強、5弱などの余震が続き、避難者は夜になって8万5000人に達した。気象庁は「平成16年(2004年)新潟県中越地震」と命名。新潟県は被害が大きかった小千谷市や川口町など26市町村に災害救助法を適用した。営業運転中の新幹線として初の脱線事故を起こした上越新幹線の復旧には数週間かかる見通しだ。県によると、全半壊と一部損壊を合わせ建物の被害は住宅約2700棟、事務所や公共施設などが約1200棟。警察庁によると、約60カ所で山崩れが起きた。毎日報道される地震情報では、震度5前後の余震が頻発している。「震度5」なんて、余震レベルではない大地震だ。そのような揺れが次々と起きる地域にいる人たちの不安と恐怖は、いかばかりのものであろう。現在でもまだ、孤立している集落がたくさんあるという。日に日に被害者数が増えていくのは、阪神大震災の時と同様である。台風などで地盤が緩んだところへの大地震が、重複被害をもたらしたともいえるだろう。天気予報によると、また新潟地方は雨模様になり、気温も低下するそうだ。被災者の人たちの二次被害が、本当に心配である。阪神淡路大震災の時、長男は神戸に住んでいた。朝、テレビで地震発生のニュースを目にしたときの、血の気が引く思いが甦る。あわてて電話をしたら、「無音」であった。「ツー」とも「プー」とも鳴らない完全無音は、最悪の状況を想像させた。しかし、その不安な時間も、息子からの電話で一時間で終了した。こちらからは通じなかったけれど、神戸市内からの電話は通じだのだ。「神戸市内には電話が通じないし、テレビもつかないし、ここはどうなっているの?」という電話だった。あの時の、心から安堵した思いを忘れることはできない。その瞬間息子は、寝ぼけ状態の中で「戦争が始まって、爆弾が落とされたのか?」と思い、布団を頭からかぶって丸くなっているばかりだったという。湾岸戦争の記憶が新しかったせいだろうと思う。昨今の北朝鮮の脅威のニュースの中で、咄嗟に北朝鮮からの攻撃を連想した人もいたのではないだろうか。自然災害はかくも簡単に社会生活を破壊する力があるということを、またもや見せつけられている。日本のような地震国には、防災への努力がもっともっと必要である。あの阪神淡路大震災の時に得た教訓は、全く生かされていなかったわけではあるまい。しかし、現実はこの通りである。加えて、台風が次から次へとやってくる状態に日本は直面している。天災を防ぐことはできないけれど、少なくてもそのような時に情報収集を円滑に行い、必要な場所に救援に向う手段くらいは『国・自治体』の責任において確保しておいてほしい。今回は、阪神大震災の時と違って「携帯電話」が普及しているから、通信網は格段に進歩していると思っていたが、これも停電の影響を強く受けていて通じない場所が多いとか。何だか、とても間が抜けていると感じるのは、私だけだろうか。とにかく、一刻も早く被災者を救助し、生きてゆくために必要な物資を確保して欲しい。インターネット上では、必要な物資の送付先などはわかるのだろうか。これから検索してみようと思う。☆関連サイトNHKニュース新潟県中越地震情報
2004年10月25日
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台風23号の被害は、今年最悪になったそうだ。何度も何度も台風に襲われた地域の人たちに、何とお見舞いを言ったらいいのか・・。そんなニュースを気にしながら寝たせいか、久しぶりに鮮明な夢を見た。実家の裏庭と池が台風で水浸しになり、裏山の陰にある「倉(現在は夫の趣味小屋)」が流されそうになっている夢だった。夢とはいえ、とても臨場感があって、濁流が渦巻く裏庭の向こうに、倉を守ろうと必死になっている夫の姿を見て、本当に焦りまくっていた。手伝いに行こうと思っても、濁流にはばまれて行くことができないのだ。その焦りや不安感は、今もはっきりと甦ってくる。目が覚めて、「私もやはり、妻だったんだ」と、妙な納得をしながらホッとしていた。・・けれども、これが夢ではなく現実の人たちが、日本中にどれだけいることか。「悪夢であって欲しい」と思いながら、その現実と向き合っている人たちの心中はいかばかりかと思う。もしも、天気予報がない時代なら台風は「神風」と呼ばれ、神の意思を伝えるものと考えられたかもしれない。当然、時の権力者の治世が悪いせいだと考えられたことだろう。大国の言いなりになって、自国の民のことをないがしろにするせいだと、各地で一揆などの暴動が起きているかもしれない。小泉さん、天気予報がある時代で良かったね。だから、被害に遭った人たちの救済や復興のために、大いに(権)力を発揮してください。
2004年10月21日
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埼玉の7人 ネットにのめりこみ、子供に遺書もというニュースに、「またか」と悲しくなる。人間、生きていれば「死んだほうがマシだ」と思う時期は一度や二度はやってくる。そのような思いをしたことがない人は、今までとても幸せであったか、あるいはとても「鈍感」な人であるかのどちらかだろう。後者の場合は、ひょっとすると周りの人に「この人さえいなければ・・」と思われているかもしれない。私は、死にたいほど辛い思いに長年捉われている人は、とても気の毒だと思う。そして、その苦しさに耐えられず自ら命を絶ったとしても、単純に責める気持ちにはなれない。今までに、何人もそのような死に方をした人を知っているが、死んだ本人に対しては「辛かったね。よく今まで頑張った。お疲れ様」と、手を合わせている。しかし、ひとたび目をその家族に転じると、その悲しみや苦しさは死んだ人に勝るとも劣らない。このように悲しんでくれる家族のことにすら思いが至らないほど、苦しかったんだろうと思うしかない。そして思う。死にたくなったなら、自分が死んだ時の家族の気持ちを考えようと。以上のように、一人で死んでいく人に対しては、「もう少し頑張ったなら、光が見えたかもしれないのに」くらいしか言えないのだけど、自分の死に仲間を募るのは卑怯だと思う。死ぬ覚悟ができたなら、自分ひとりで死になさい。迷っている人を誘うようなことはやめなさい。一緒に死ぬ人を見つけて、傷をなめあいながら死んだ人たちに対しては、同情はしないことにする。生まれたからには、生き続けることが一番の仕事だと思っている。人は、一人だけでは生きて行けない。一人だけで生きてこなかった人間の命は、自分だけで勝手に断ってはいけないのだと思う。自分の命を粗末にしないということは、今まで自分を支えてくれた人たちへの最低限の思いやりの表明だ。思いやる心を見失った時に自分一人で死ぬのまでは何とか認めるとしても、人を巻き込むほどに身勝手な人を認めるわけにはいかない。【追記】上記のことを書いてから、いろいろと考えていてフッと思った。集団自殺した人たちは、ネットにのめりこんでいたという。私が「自殺」という言葉で連想するのは、生きていることがとても辛い状態になって、その苦しみから逃れるために死を選ぶという状況である。生きていることが辛くなるには、挫折や病気、失望・絶望など、生きづらさの積み重ねによる精神的疲労、または精神的に病んだ状態になってのことと思っていた。しかし、ひょっとすると、ネットで仲間を募って死ぬタイプの人たちは、今までの「自殺への道のり」とは違うのではないか。私は、パソコンを使うようになって、とても目が悪くなった。それと似たようなことが、脳内でも起きるということはないだろうか。現実生活の苦しさの有無とは無関係に、死を希求する傾向性を生じさせる何かが・・。ストレスによる生理的変化についての研究は色々あるようだが、パソコンなどの機械に向い続けることによる生理的・心理的変化、パーソナリティーの変化などについての研究はどうなっているのだろうか。
2004年10月13日
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☆ライブドアと楽天が陣取りゲーム?私は、プロ野球にはほとんど興味がない。だから、今回のプロ野球関連のごたごたについても、切実な関心はないに等しいけれど、あれだけテレビや新聞で取り上げられたら、いやでもチラとは考えざるを得ない。私は最初から、野球選手たちのストに対しては応援する立場だったので、今回の経緯についてはまあ納得。古田選手会長に対しては、心から「ご苦労様」である。で、ふと気付くと話は「ライブドア」と「楽天」がプロ野球参入に名乗りを上げ、同じ仙台に本拠地を置きたいとか?えっ? いつ、そんな話になったの?私の素人感覚では、「楽天さん、どうして? それって、嫌がらせ?」このように日記でお世話になってはいるけれど、どうにも納得できない話。これからどうなっていくんだろう。☆日本ハムファイターズ、プレイオフ進出?野球音痴の私には、プレイオフに進出するのがどれほど素晴らしいことなのかよくわからないんだけど、みんな喜んでいるので、まずは良かった。でも、ストの代替試合が行わなければだということだけど、そんなことはサッサと決められないんだろうか。私は、それがとっても不思議。それでも、先月(だったかな?)初めて札幌ドームで野球観戦をして、ファン達を始めとする観客の迫力ある応援の中にいると、このように心をワクワクさせてくれる存在って、やっぱり大切だなと思ったものだ。どうも私は、このようなことに熱くなる気質ではないようで、ひょっとするとこの気質、他の人たちよりもとっても損なのかも。でも、無理して熱くなるわけにもいかないから、私は時々こっそりと応援することにします。☆皇太子殿下の撮った映像を見て愛子ちゃん、随分成長したこと・・。愛娘と一緒に遊んでいる雅子様も、とても穏やかな表情で何だか少しほっとした。でも、愛子ちゃんが皇太子殿下に「パパも・・」と呼びかけているのを聞いて、少しだけガッカリ。そうか、「パパ、ママ」なんだ・・。何となく、皇太子ご一家のイメージとは合わないような・・。皇族はそれなりの多大な国家予算でお役目を担っていただいている、特殊な公務員だと思っている。皇室のあり方、天皇制のあり方には色々と意見もあるけれど、それはさておき、特に「天皇」は日本の象徴なのだから、それに繋がる人たちには(外国語は駆使できる語学力を高めていただくのにはやぶさかではないが)日常語はできるだけ日本語でお願いしたいな。こんなことをつぶやく私は、古臭い時代遅れの日本人なのかも・・。
2004年09月25日
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☆栃木の幼児虐待→誘拐殺人殺人はもちろん文句なく許されないことだ。しかし、今回の事件では色々と不可解だったり、納得できないことが多い。この事件を知って最初に思ったことは、せっかく児童相談所に繋がっていたというのに、このような結果になることを防げなかったことだ。まったく、このような事例をたくさん扱っているはずなのに、児童相談所の対応はなぜこれほど甘いのだろう。虐待が確認された、あるいはそれを防ぐことができなかった保護者のもとに子どもを戻す時には、慎重の上にも慎重な対応をしなくてはならないことは、素人でもわかることだろう。大人がちょっと注意されて表面上は反省したとしても、そんなもの全くあてにはならない。信じたい気持ちはわかるけれど、希望的観測で判断してはならないだろう。まず、子どもの心身の安全を第一に考えたなら、虐待を防げなかった親に子どもを戻すべきではない。今回の場合は、祖母と同居するということで戻したというが、それならばキチンと定期的に追跡調査すべきだ。児童相談所がそれをできないのなら、地域の児童委員などに見守り(監視)を依頼すべきだ。私は、今回の悲しい結末は、行政(児童相談所)の怠慢によるものだと思う。人間は、同じ状態になれば同じようなことをする、あるいはエスカレートするのが自然なのだ。☆宅間死刑囚の死刑執行このニュースを知った時、何ともいえないやりきれない思いが渦巻いた。宅間死刑囚は、最後まで人間らしい罪の意識を持つことができなかったようだ。そのような人間に対して、死刑という償いが意味を持つのであろうか。彼は、家族や世間に対する恨みに最後まで捉われていたようだ。なぜにそのような心境に至ったのか、彼が死んでしまった今は、それを検証すべき術がなくなってしまった。私は、彼自身の特異性でこの事件が起きたとはどうしても思うことが出来ない。彼も最初は被害者の時期があり(被虐待児だったと聞いている)、それが凶悪事件の加害者へと転じたわけである。虐待されていたものが虐待する者に転じることは、珍しいことではない。どのようにしたらその転換を防ぐことができるのか、そこにこそ知恵を絞らなくてはないだろう。そして、壊された心、人間らしい感覚を失った者が、どのようにしたら本来の心を取り戻すことが出来るのか、真剣に自らのこととして考えなくてはならないだろう。私は決して、宅間死刑囚を弁護しているわけではない。ただ、「人を殺したやつだから殺して当然」という論理は、どこか間違っていると思うし、それでは誰も浮かばれないと思うのだ。我が子を殺されたなら、「殺してやりたい」と思うのは当然だ。しかし、そのような復讐を許さず、法によって裁き罪を償う仕組みを人間は考えた。その一環として「死刑」もあるのだが、それを決めるときには死刑による同様の事件防止の意味があったはずだ。しかし、死刑が殺人の抑止効果を生むかどうかには、疑問視する人も多いし、私もとても疑問だと思う。そしてまた、犯罪被害者の癒しについても、もっと考える必要がある。死刑によって「子どもを殺したヤツが生きている」というやりきれなさは軽減されたかもしれないが、家族はそれで本当に納得し癒されるのか・・。罪は年齢を問わず償うべきである。しかし、今回の早い死刑執行については、どっちから見ても釈然としない。
2004年09月14日
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☆チェチェンのこと、テロのこと 秀さんの日記「チェチェンで何が起きていたか」を読んで、人間や人間社会の怖さをまさまざと感じている。しかし、そのような中でも、精神を壊すことなく人間の善さの部分を失わずに生きてゆける人達の存在に、「絶望をしてはいけない、諦めてはいけない」とも思う。私達は、自分の知らない世界や人たちには、本当に冷淡なものだ。そして、ほうっておくと自己中心や我欲の世界に、どんどんはまりこんでゆく。同時に、自分が優位に立つことでの快感の世界にもズブズブと・・。しかし、その世界では、決して心からの(魂の)喜びは得られないのではないかと、私は思う。ジャカルタでは、またテロが起きた。窓ガラスが全部割れたビルを見て、もっとたくさんの使者が出たのではないかと想像したが、今朝の新聞では「七人死亡」とある。しかし、数の問題ではない。このような情勢の中、日本だけがテロから無縁でいられるわけがない。「テロに屈しない」という勇ましい掛け声は、どんどんテロを増殖させているようにも思う。魂の喜びや感動を知っている人に、リーダーになって欲しいものだ・・。 ☆台風被害に自然の脅威を感じる 台風被害の写真をご覧下さい。台風の高波でがけに打ち寄せられた、後志管内神恵内の大森大橋の写真を見て、本当にびっくりした。波によって、あれほどの橋が破壊されて打ち寄せられるなんて・・。これでしばらくはあの道路は通れないから、付近の人たちは、不自由な生活になるのだろう。北海道の日本海側の道路は、「造っては壊れる」ことが多い。やっと「陸の孤島」でなくなったという喜びも束の間、自然の力によってダメになることが多いのだ。「一日も早い復旧を」と思いつつも、人間は自然の大きな力に対して、身の丈に合わない無謀なチャレンジをしているのかもしれないと思ったりする。 ☆道警、裏金を認めるが 「裏金はない」と、虚しい主張を続けていた北海道警も、とうとう1998-2000年までの三年間だけの裏金の存在を認めた。ここに至るまでには、原田氏(元釧路方面本部長)や斎藤氏(元弟子屈署次長)の勇気ある証言や、様々な圧力にも屈せずに裏金疑惑報道を続けてきた「北海道新聞」の力があったからだ。北海道新聞は、一連の裏金疑惑報道への取り組みが評価されて、今年の「日本新聞協会賞」と「JCJ大賞」をダブル受賞した。長年この新聞を購読している一人として、とても誇らしく感じている。しかし、裏金を認めたのはこの三年間に限っているし、14億円の裏金のうち不正支出はその半分以下という、まだまだ往生際が悪い姿勢である。「裏金は作ったけれど、大半の使い道は適正」という主張で、私達が納得すると考えたのだろうか。本当に人をバカにしていると思う。これが、警察官僚の真実なのだ。【補記】復習ページに、「教育学」を追加しました。久しぶりの復習でした。
2004年09月10日
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本日の北海道新聞の社説に、とても共感した。イラクには、北海道の各部隊から900人もの自衛隊員が派遣されていた。とにもかくにも、全員が無事に帰国できたことに対しては、無条件でホッとしている。しかし、まだまだこれからも、次々と自衛隊員はイラクに派遣されるらしい。サマワの状況は、時々見聞きする情報だけでも、どう考えても「非戦闘地域」とは思えないのに、そのことに対する見直しすらもされていないようだ。同じ新聞の三面には、第二次イラク派遣部隊指揮官の今浦一佐が記者会見で、8月上旬に続発した自衛隊宿営地の迫撃弾攻撃の時、「『最初に撃つのは自分、最初に死ぬのは自分だ』と覚悟していた」と語っている。この言葉は、サマワが戦争状態であるということを証明しているものだと思う。同じような言葉を、父の戦争体験談の中で聞いたことがある。中隊長であった父は、「突撃する時には自分が先頭に立たなければ、兵隊はついてはこないのだ。だから、俺の同期の仲間達は、みんな死んでいった」と言っていた。幸いにも父は、無謀な突撃をすることなく生き残ったのだが、その覚悟だけはしていたと言っていた。帰国した自衛隊員たちの本音や体験を、もっと知りたいと思う。●同じ社説に「BSE検査*見直し急ぐのはなぜか」というのがある。 こっちの見直しは一所懸命やるんだね・・。
2004年09月07日
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今朝の新聞でとても気になったニュースの一つがコレ。札幌・大通小跡に定時制高新設 「治安悪化」と反対 地元町内会、市長に文書福祉施設や精神科の病院が近くに建設されるという時に、地域の人たちが反対することはこれまでにもあった。それだって、十分に偏見に満ちたものだと思うが、「定時制高校」という教育機関までも治安を悪化させると反対するのかと、心底びっくりした。もちろん、多くの人の中には、そのように感じて不安に思う人がいたって仕方がないけれど、複数の町内会の合意もとで、堂々と定時制高校建設反対の要求をするなんて、その人権感覚や自らの偏見への反省のかけらもないことに、不気味さを感じている。公共施設や教育機関を建設するに当たっては、地域住民への十分な説明や意見交換は必要だと、私も思う。新聞記事によれば、地域の人たちは定時制高校建設予定地に福祉施設を希望しているらしいが、どのような施設なら賛成するのだろう。多分、老人・保健関連の施設だろう。つまり、自分達が利用できるものなら賛成という、とても自己中心的な発想なのではないだろうか。町内会の役員の中心は、ほとんど高齢者である。私も町内会の役員の末席でウロウロしているが、役員会でよく出る話題が「若い人達が町内会活動に協力しない」という嘆きである。それを聞きながら、「若い人の声を聞こうともしないで、何をかいわんや」の気分になることがよくある。このニュースは、そのような風潮の延長線にあるのではないか。現在の青少年や教育の現状についてほとんど知らずに、その上に何が人間の成長に大切なことかも考えずに、ただ自分達の身の安全ばかりを主張する。そして、少しでもそれを脅かすのではないかと想像するだけで、それを排除しようとする。そのような中高年の視線や態度に対して、若者達が反発して反撃することは、私には当然にすら思える。これから出かけるので、ちょっと言葉足らずだけど、とりあえずここまで書いておきます。【追記】最近は、高校も「全日制、定時制、単位制、通信制、複合型」など、様々な学び方がある。私はそれを、とても良いことだと思っている。しかし、全日制以外の学び方に対して、まだまだ正しい理解をしていない人がいるのも事実。つい先日、通信制で学んでいる若者に対して、「通信制高校は、高校とはいえない」と言った人がいたそうで、彼はとてもショックを受けたらしい。彼自身、それに対してきちんと反論できる知識や言葉を持っていなかったらしくて、ショックは二倍だったようだ。紆余曲折を経て通信制高校で一所懸命学ぼうとしている青年に対して、なぜにその人はそんなことを言ったのかと、本当に腹立たしかった。こんな無神経で偏見に満ちた大人が増殖し、地域の包容力がなくなっているから、色々な悲しい事件が続発するのだと思う。そして情けないことに、無責任で無神経で身勝手な人のほうが「声が大きい」という傾向がある。それにどのように抵抗していけば良いのかと、私自身頭を抱えてしまう。
2004年09月01日
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午前中にやるべきことが一段落したため、ホッとしながらテレビをつけると体操の団体戦をやっていた。結果は既にニュースでわかっていたけれど、最初の床の演技から他の国々の選手達の演技も一緒に見ていると、わかっていてもハラハラ・ドキドキしてしまい、結局二時間くらいもテレビに釘付けになってしまった。平行棒・吊り輪・鉄棒を見ていて、その演技の美しさに感動してしまった。美しく見える要素の一つに、日本人の体型・容姿がとてもきれいになっていることが大きいような気がする。それにしても体操の「金メダル」は、28年ぶりとか。体操ニッポンの時代は、そんなに昔のことになったんだなと、あらためて自分の年を感じてしまった。塚原選手、本当に良かったね。あのプレッシャーの中で、完璧な演技を決めた米田・鹿島・冨田選手、本当に素晴らしかった。日本人もプレッシャーに強くなったものだと、そちらのほうに感動!!夜は、卓球の福原愛ちゃん、柔道の谷本選手にまたまた感動をもらった。今回のオリンピックでは、何だか日本の若者達に明るいものを感じさせてもらっている。本当に、ここまで努力を続けて来た人たちの姿は、勝っても負けてもカッコいいと思う。これからの試合を控えている選手達も、今までの汗と涙を全部ぶつけて、私達に感動を与えてくださいね。・・と、オリンピック気分に酔いながらふと目を転じると、沖縄では米軍のヘリ墜落関連で、沖縄が米軍の占領下にあるという現実が・・。イラクも戦後復興状態とは到底言えるものではないし、自衛隊が駐留するサマワも、状況は悪化しているようだ。オリンピック熱に日本人が浮かされている間に、政治の世界でまずい事が進行していないだろうね。
2004年08月17日
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アテネオリンピックの開会式に先立って、女子サッカーの一次リーグ予選での初戦を、「なでしこジャパン」が記念すべき初勝利をおさめた。私は、スポーツについてはあまり関心が高いほうではなく、ましてや「女子サッカー」については、オリンピック関連のニュースで観る程度。「なでしこジャパン」という愛称も、つい最近知ったばかりの素人であるが、オリンピックの先陣を切る対戦だということなので、夫と二人で観戦することにした。その詳細については、私はここに書く事のできる力を持っていないので、全体の印象について書いておこう。まず、対戦相手のスウェーデンと比べると、何と日本選手は可愛らしいこと!そして、必死にホールに食い下がる姿の、何とけなげなこと。技術面についてはよくわからないのだが、ボールの扱いなども、とても細かな動きを駆使して巧みだったように感じた。前半戦は、決めたゴールも含めて絶対に日本が優勢だったと思うが、後半戦は相手の必死さも加わり少し押されぎみ。それでも、決してスウェーデンに振り回されたり慌てたりせずに、本当に良く頑張ったと思う。夫は、「メダルも見えるぞ!」と言っていたが、本当にこの調子で頑張って欲しいものだ。この勝利は、きっと他の選手達にも良い影響を与えるだろう。これからオリンピック期間中は、日本全体が寝不足になってしまうかもしれないな。
2004年08月12日
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☆新潟県の水害新潟県を中心とした豪雨は、大水害を引き起こしている。被災者の皆さんの状況を見るにつけ、本当に胸が痛む。まだ雨が続くようだけれど、これ以上の被害が出ないで欲しい。この水害に対して、行政はもとよりボランティアや募金活動も動き出している。それにつけてちょっと不思議なのは、ニュース映像の中に自衛隊の姿が見えないこと。(私が見ていないだけなのかな?)水害の後片づけをするために水が必要だけど、その水が出ないというニュースを見ながら、このような時のために、自衛隊の給水車や浄水設備があるはずなのにと感じたのだけど。あまりに広範囲なので、自衛隊の手も回らない?もしも、災害出動が遅れているなら、ちょっと問題のように感じている。(まさか、要請していないということはないでしょう?)とにかく、一日も早い復興を願うばかりです。☆憲法九条改正、民主党・岡田氏も賛成彼だけではなく、国会議員の8割が憲法改正に賛成とか。憲法のどこを改正しようとしているのかによるけれど、憲法九条は変えて欲しくない意見の私としては、「あーあ」という感じである。二大政党制に少し近づいたと言っても、私にとってはいよいよ不安が募るばかり。☆ジェンキンスさん、そんなにひどい病状なの?正直なところ、最初に「彼の病状が良くないので来日か」というニュースを見た時は、「うーん、その手できたか」なんて不謹慎な感想を抱いていた。しかしこのところ、やけにひどい病状と強調されるのを見て、本当にそうなのだとしたら、曽我さんの心配はどこまで続くのか・・と思う。壁になっている訴追問題だけれど、私としてはルールに則った方法で善処してほしいと願っている。
2004年07月17日
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選挙の時によく感じることがある。「日本人って、けっこうバランス感覚はあるかも・・」。今回の選挙結果を見ても、同じようなことを感じている。まず、気になる投票率だけれど、全国では約56%。しかし、我北海道は61.7%で、15年ぶりに60%を越えたそうな。やはり、イラクに自衛隊を送り出している地元であることや、政治のしわ寄せをモロに受けやすい地方(国内においては辺境)であることや、鈴木宗男氏の出馬、民主党が二人の候補者を出したことなどからかな。いずれにせよ、少しでも多くの人が政治に関心を持ち、自分の頭で考えて投票したことはいいことだと思う。投票したら、その結果が気なるのは人間の心理だし・・。しかし、もう少し自民党にはお灸を据えたかったな・・。このような状況の中で躍進できなかったら、民主党にも日本にも未来はないと思うから、もう少し議席を増やしてほしかった。(別に、民主党支持ではないけれど、与党に拮抗できる勢力が必要だと思うので・・)そしてまた、公明党のキッチリと議席を確保すること。これはこれで、大したものだ。(公明党の皆さん、ご自分の頭で考えてますよね? 念のため)これでいよいよ、自民党は公明党と仲良くしなければならないでしょう。それにしても、共産党の凋落と社民党の悲しさは、目も当てられない。どうしてこうなったか、しっかり反省して欲しいです。でも、それができるなら、こんな状態にはならなかったかな・・。それにしても、政治家になる人は、本当にめげない人たちだ。もともとの気質がそうなのか、政治の世界がそう育てるのか、どんな批判も中傷も微塵も気にしないで、自信満々にアピールできる姿は、まことに羨ましい限り。北海道では鈴木氏は落選したけれど、結構な票を獲得している。不思議ではあるが、彼に期待をしている人が多いのも事実。もう、彼のような政治手法は古いと思うけれど、これは古くて新しいものなのかな・・。拉致被害者家族の増元氏は、やはり無理だった・・。それでも、選挙を通して多くの人に拉致被害者のことを訴えることができたということで、この結果には「悔しさ10%、達成感90%」と語っている。そうか、選挙にはこのような意味もあるのだな。今朝の感想は、このくらいにしておこう。☆33333のゾロ目を踏む人はどなたでしょう。多分、今日中だと思うのですが。↑あっという間に、過ぎてしまいました。嬉しいような、寂しいような・・・。
2004年07月12日
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時間がないので一言だけ・・。昨日の曽我さん一家の再会場面を見て、色々なことは全部置いておいて、まずは「やっと会えて、本当に良かった」と思わずにいられなかった。そして、私が想像していたよりもずっとずっと、曽我さん夫婦と二人の娘さん達は、深い愛情で結ばれているのだろうと・・。それは、過酷な人生の中で築かれてきたからこそ、私なんぞには想像も及ばないものがあるのだろうと・・。私は以前の日記で、ジェンキンス氏に対して冷ややかな書き方をしている。そのことをここで反省して、曽我さんには「ごめんなさい」という気持ちで一杯だ。もうこれ以上曽我ひとみさんを苦しめることがないようにと、心から祈らずにはいられない。そして、曽我さん一家の再会を我事のように喜びながらも、不安や焦りを感じているであろう他の拉致被害者家族のことも、政府は決して忘れないで欲しい。
2004年07月10日
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☆道警OBの「告発文」このことについて書かれた道新の記事を読んで、またまた唖然とした。警備の人数の水増し請求だけではなく、日額旅費を本人には半分しか支給していないこともあるなど、「信じられないこと」が行われていた。どうしてここまで腐ってしまったのか。そして、これほど当事者の告発が続いていても、まだ道警はそれを認めようとはしない。認めてしまうと、後始末をどうして良いのか考えるのも恐ろしいだろうし、ここは嘘を突き通して「人の噂も75日」を待つ積りなのだろうか。このような事態になって、一番大変な思いをしているのはやっぱり現場の警察官のようだ。交通違反の反則金を「裏金で払っておけ」と言われたりもするようで・・。そんな文句が言いたくなる気持ちも良くわかるが、現場の人たちには「甘い汁」は届かないようなので、やはり怒りの矛先は「警察幹部」、そしてその大元締めにぶつけるべきだろう。☆参院選公示こんなに政治に対する様々な不満があふれているのに、やはり選挙に対する関心は低いのだろうか。今の私は、どの政党を支持するかというより、小泉政権が暴走するのを止めてくれ! という気持ちである。大切な問題がなし崩し的に、事後承諾的に進んでいくのはゴメンだ。先日知人と話をしていた時に、「棄権も意思表示の一つだと思う」と言うのを聞いて、ガッカリした。また、「入れたい人も政党もないから白票」とか、「自分が入れたい人(候補者ではない)を書いてこようかな」なんて人もいて、力が抜けそうになった。その人たちは、決して無責任な人たちではない。今の政治に対して、不信感を抱いているということであり、言葉ではそのように言っても、結局は選挙に行って正しい投票をしてくれると信じたい。選挙に行かなければ、単なる「無関心、無責任」と同じである。白票や有効でない投票は、ただのゴミになるだけだ。今の政治に対して不満があるならば、それを意思表示するにはどのような投票が有効かを考えて、自分なりに一票を投じたい。私の投票は「たかが一票」ではあるが、この一票一票が積み重なっての選挙結果であるのは間違いががなく、「されど一票」なのである。「無関心は無責任」であり、それが「えっ、いつのまに? 誰が悪い、オレは悪くない」とぼやくことにつながるのだ。とにかく、選挙権のある人は、折角の権利行使のチャンスを無駄にしないで欲しい。ちなみに私は、まだ一度も棄権したことはありません。【補足】復習ページに「国語学」を追加しました。
2004年06月24日
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どうにも、このことだけは黙っていられないので、自分のアリバイ作りのために書いておく。このような決定が「粛々と」なされることに、意見すらも持っていなかった人間になりたくないので。今日の閣議で、主権移譲後のイラクで編成される多国籍軍への自衛隊参加を決定するらしい。サミットの時に、小泉氏が多国籍軍参加の意思表明をした時は、本当に驚いた。「そんな話、チラとも聞いてなかったような気がするけど・・」という驚きだった。自衛隊のイラク派遣についても、なし崩し的にというか異論を多数決の原理で踏み潰していったような気がしていた。法治国家であるはずなのに、意見が分かれていようともまだバリバリの現役である憲法を、これほどないがしろにして良いものかと、腹立だしく苦々しく感じていた。しかし、詭弁に見えてもまだ「人道支援だ」と言い張っていたのは、憲法があってこそであろう。しかしそれでは、まだまだ不足だったようだ。「自衛隊は軍隊ではない」という言い方も詭弁であるけれど、多国籍軍に入るということは、もう「軍隊だよ」と公然と言っていると同じであろう。たとえやることが同じだったとしても、多国籍軍として活動するとしないとでは、意味として雲泥の差があると思うのは私だけなのだろうか。それになにより、「多国籍軍に参加するけれども、その指揮下に入らない」って、どういうこと?ここは軍事専門家の(あくまでもプロとしての専門家で、アマチュアの自称専門家の見解ではない)意見をこれから注意して見聞きしたいと思うが、軍隊は指揮系統が統率されていなければ、軍隊と言わないのではないだろうか。勝手に各国の部隊が動いてもいいのか?それに、今までのアメリカのイラク攻撃やその後の経緯に諸手を揚げて賛成し、その意向に従って行動してきた日本が、「日本政府方針に反する多国籍軍司令部の要請は拒否する」なんてことが、現実的に可能なのか?自衛隊員の方々は、この決定をどのように受け止めるのだろうか。百歩譲って、自衛隊のイラクでの活動を認めるとしても、どうして今のままではいけないのだろう。何が何でも多国籍軍に参加する必要性は、どこにあるのだろう。少なくても私には全く納得できないし(たとえ、どのように説得されても納得できないと思う)、日本にとって重要な決定が簡単になされることが、とても怖い。私は、自衛隊の多国籍軍参加は反対である。テーマをたどっているうちに、イラクで亡くなった小川功太郎さんが、友人に宛てたメールを紹介している、りょうちゃん0622さんの日記に出会った。http://plaza.rakuten.co.jp/tetsugakuessey/diary/200406160000ぜひ、読んで頂きたいと思います。
2004年06月18日
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☆とうとう・・ イラクで日本人ジャーナリストが殺害されたという。 これからどうなっていくのか・・。☆小泉首相の厚生年金加入 勤務実体が無いのに厚生年金に加入していた?! それを悪びれもせずに堂々と述べる小泉首相には、唖然とした。 これは、国民年金未加入どころではない大問題だと思うのだけど。 小泉首相が慌てて北朝鮮に行き、北朝鮮に残されていた拉致被害者の子供達を連れ帰ろうとしたのは、このことがバレル前に点数稼ぎをしようとしたのではないかと思った。 「三十年以上も前はそういう太っ腹の、見返りを期待しないいい社長、支援者がたくさんいた(小泉首相の弁)」とのことだけれど、本当に何の見返りもないことだったのか? もしも政治家になって、それまでの支援に対してお礼の行動をしなかったとするなら、それもまた不自然なことではないか。 そういうことに平気で甘んじる政治家を、人間として私は認めることが出来ない。*********************明日から2日間は、日記に書き込むことができません。
2004年05月28日
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昨日は、小泉氏の動向と拉致被害者家族の行方について、大多数の日本人が注目していたことだろう。もちろん、私もその一人であった。時間を追ってその時々によぎった思いは・・。☆午前中に予定より早く会談が終わったと知った時 (えっ、どういうことなんだろう?)☆四時半頃、小泉氏の会見を聞いた時(え、今回は両国で文書の確認はないの? またしても曽我さん、可哀想すぎる。)☆小泉氏の記者会見後の家族と被害者家族達の会見を見て (ご家族の怒りはもっともだなあ。どうしてもう少し粘らなかったのだろう。小泉さんは人の気持ちがわからない人だ・・)☆蓮池さん、地村さんのお子さん達が両親と共にバスから降りてきた映像を見て。 (とにかく良かった。これから何があろうとも、家族一緒なら乗り越えて行けるはず。がんばれ!)もっともっと様々な思いが渦巻いていたけれど、一番感じたのはそのようなことだったと思う。昨夜は少々体調が悪かったこともあり、その時点で私は布団に入り、その後の会見などは見ていない。そして今朝、ザーッと新聞とテレビに目を通した後、町内会の清掃に出て、さきほど帰宅した。色々な人の意見を見聞きしてから日記を書こうかと思ったけれど、私は他の人の意見に左右される傾向が強いので、今思っている正直な気持ちを、まず書いておこう。☆私は小泉氏に格別の失望はない。 彼が被害者に対して冷淡な感覚の持ち主であることは、イラクの人質事件の時の言動で痛感したので、今回のことについても、「彼ならば不思議は無い」と思う。 家族の気持ちを本当にわかっていたら、たとえ無駄だとしても時間一杯使って、金正日に日本政府や家族の意向を主張するだろう。 彼は、お膳立てどおりの彼が出来うる範囲と思うことをしただけであり、彼なりに精一杯だったと思う。 両国間の問題は拉致家族の問題だけではないし、大局的判断で行動しなければならないことは、私だって理解できる。 しかし、そこに国民の(特に拉致被害者の)強い祈りと苦しみの日々の重みを感じるならば、その気持ちに対してどのような言動が必要かくらいはわかってほしかったが、彼はそのような資質の持ち主ではないということだ。☆じゃあ、小泉氏以外の首相ならいいのか? 残念ながら、人間的に多少の冷淡さがあるとしても、小泉氏以外の人が首相であったら、この3家族すら(曽我さんのご家族も、時間の問題だと思っている)も帰国できなかったかもしれない。 二度にわたって同じ首相が訪朝できる基盤があってこその、今回の5人の帰国であったことは事実だろう。 家族会の批判や反発は理解できるし、あの人たちがどのように小泉氏を罵倒しようとも、今までのことを思えば当然だと思う。 しかし、被害者以外の人も同じ様に、ただ小泉氏を批判することに終始するのは、いかがなものかと思う。 特に、政治家が言うとするなら、何をかいわんやだ。 今まであなた達は何をしてきたのかと、逆に問いたいものだ。【追記】昨日、小泉首相が首相経験者に今回の訪朝について報告した時、中曽根首相が苦言を呈したとか。私は中曽根氏が首相の時に拉致問題がどのようなことになっていたのかよくわからないのだが、少なくても今まで何もやっていなかった人が良く言うよという感じがする。他の政治家達の発言にしてもしかり。やっぱり政治家は、自分を棚に上げて平気でいえるんだなと再確認している。 (25日14:00記)☆帰国した子供達を静かに暖かく見守ってあげて欲しい 彼らは、北朝鮮でエリート教育を受けていたのだ。 そこで培われてきた価値観や知識や技術が、日本ではほとんど無化されるだろう。 蓮池さんは「おやじやおふくろを信じろと言いたい」と、帰国が決定する前に言っていたと思うが、子どもの立場になってみたらそれがそのまま通用するだろうかと心配だ。 だって、今まで信じていた親の言葉が、実は全く違っていたということを認めるところから始まるのだ。 何を信じたらよいのかと混乱するのは、自然なことだろう。 家族が一つ一つ困難を乗り越え、親子の絆を確信し合い、日本の価値観に適応していくためには、かなりの時間が必要だろう。 青年期まで日本で生活していた人が何十年ぶりに帰国したのとは、わけが違う。 好奇の目で彼らを取り囲み、彼らの人権を侵害し、さらには今まで教育されてきた価値観で築かれた人格を否定するようなことは、なんとしても避けるような配慮をしてほしい。 特に、メディアに対しては強く強くそれを思う。 私だって、彼らのその後に興味がないわけではないが、それは本当に無責任な好奇心でしかない。 拉致被害者を、日本人が二重三重の被害者にしないようにと祈るばかりだ。 **********************takanebiranjiさんの日記で、「安田純平イラク現地報告会」のことが書かれている。色々な点でとても考えさせられた。やはり、実際にその場で体験した人の言葉は重いと思う。多くの人にぜひ読んでいただきたいので紹介します。私も、彼らの報告会が近くであったら、ぜひ聞いてみたいと思います。
2004年05月23日
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留守の間にたまっていた新聞を斜め読みした。その中から何か取り上げて感想を書こうかと思ったが、下記の署名記事に共感したので、転載しておこう。5面の「潮流」というページの「記者の視点」という記事である。***********************米軍のイラク人虐待根底に戦争の不当性-兵士ら人権感覚失う- 虐待についてブッシュ大統領は、「米国の価値を代表するものではない。吐き気を催す」と非難。 ラムズフェルド国防長官も「軍の指導と矛盾しており『非米的』だ」と弁明した。 米政府内には、戦争捕虜を保護するジュネーブ条約の徹底不足を指摘する声もある。 だが、人を裸にして積み重ね、性的行為を強要し、銃で撃ち、あげくに笑顔で記念写真を撮影する行為は、こうした論議以前の次元だ。 たとえ「米国の価値」やジュネーブ条約などを知らなくても、普通の人間にはできない、破廉恥な仕打ちである。 虐待はむしろ、イラク戦争自体が兵士の品性を退廃させた結果ではないか。 それは二つの文脈からたぐることができる。 ひとつは、ブッシュ政権がイラクのテロリストと市民を明確に区別せず、「敵」の殺害を当然視する人権軽視の姿勢を続けてきたことだ。 たとえば、米国は「生死を問わず」フセイン元大統領の行方を追ってきた。 元大統領を拘束した昨年12月、ブッシュ大統領は演説で、暴力はすぐにはなくならず、テロリストは米国の脅威であるとして、彼らがフセイン大統領と同様の敵であることを強調。「打倒する」と決意を示した。 だが「テロリスト」とはだれを示しているのか。 大統領は詳細に説明していない。 米国の対テロ戦争に内在する論理では、テロリストの殲滅は許される。 だが、殺害されたのが本当は一般市民でなかったかは、ほとんど検証されない。空爆でも多数の市民が犠牲になった。 虐待のあった旧アルグレイブ刑務所は、一般市民を含む収監者をテロリスト同様に扱った形になる。 国際条約で保護される戦争捕虜への虐待として非難されるが、行為自体はテロリスト根絶を最優先する大統領の論理の延長線上にある。 虐待した兵士の人権感覚の鈍磨は、政府と同じレベルなのである。 もう一つは、ブッシュ政権が国際法を一貫して軽視、国際社会が正当性を認めないまま先制攻撃を断行したことに代表する、米国のおごりだ。 戦争の大義である大量破壊兵器が発見されなくても、米国は開き直っている。「テロとの戦い」は何ものにも勝る、という独善を米政府が範として兵士に示し、収監者の人権軽視につながった。 正当性が疑われる戦争は、兵士の精神を荒廃させる。ベトナム戦争で起きたいくつもの虐殺がそうだった。 村民の惨殺体を手に記念写真を撮るベトナムの米軍政府の笑顔が、今回の虐待写真の笑顔と二重写しになる。(ワシントン・菅原 淳)************************この記事に共感したので書き写してみたのだが、その作業をしていてちょっとひっかかっていることがある。「正当性が疑われる戦争は、兵士の精神を荒廃させる」とあるが、戦争の正当性とは何なのだろう。そんなものは「仮想」であって、本当はどこにもないのではないか。人間の中には「征服欲、残虐性、差別性」などがあって、それを発揮するために理由を探しているだけではないかと思う。人間の中にある醜いものを完全に消すことは無理だと、私も思う。人間に出来るのは、それを理性で何とか制御して、折り合いをつけていくことだけだ。私はそれを制御することすらできないとまで、人間というものに見切りをつけたくはないし、絶望はしたくない。戦争には理屈付けはあっても正当性はない。理性のない理屈が幅を効かす環境だからこそ、その中で鬼畜にすらなっていく。それが戦争の本質ではないかと、私は思う。
2004年05月17日
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☆福田氏は賢いな昨日の日記では、ネットでニュースを見た感想を書いたのだけど、朝刊を読むと色々な状況がさらに見えてくる。まあ、絶妙のタイミングで一番適切な行動をとったとは思う。(傷が深くならない意味で)好き嫌いは別にして、「ソツのない人」で「バランス感覚には優れた人」とは思っていた。そのような参謀を失って、小泉氏は痛いだろう。強固な壁の一角が崩れていく予兆を感じるのは、私の思い過ごし?☆陸自イラク派遣第二次部隊が今日出発先日の新聞で、サマワの人たちが陸上自衛隊の駐屯を支持するというアピール行進をしたことが報じられていた。このような状況の中で、派遣された自衛隊員の人たちが、いかにイラクの人たちに受け入れられようと努力しているかを、痛いほど感じている。私は今でも(現時点のイラクへの)自衛隊の派遣には反対だし、タイミングを計って一時撤退をしてほしいと願っているが、派遣されている隊員の人たちには心から敬意を払っている積りだ。少なくても、米軍のイラク人への虐待のようなことは、日本の自衛隊員はしないだろうと思うし・・。(だけど、ストレス状態が続き、攻撃されるようになったらわからないと思う)佐藤先遣隊長といい、番匠第一次派遣隊長といい、人間的にもすぐれている指揮官だと私は思った。(だけど、派遣命令をする長官はダメ。隊長たちの現地報告の意味もちゃんと理解できているだろうか・・)そのような指揮官の下、派遣隊員は北海道とは全く違う自然環境の中、時にはコンテナに避難しながら、隙を見ては「鯉のぼり」を地元の人にプレゼントしたりと、涙ぐましい努力をしていると思う。北海道はこれから一番美しい季節。その中を、今まで以上に過酷な中に自衛隊員は出発する。自衛隊員の家族も、人質になった人たちの家族も、心配をすることについてはみんな同じだ。しかし、隊員の家族は間違っても「自衛隊派遣をやめて欲しい」と政府に訴えることはできない。自衛隊員にも派遣を断る自由はあるだろうが、それは「退職」を意味するであろう。この就職難の中で、退職する勇気のある人は少ないだろう。家族持ちなら、なおさらだ。まさに、身を切られる思いで見送る家族の心情を思うと、面と向って「自衛隊派遣反対」も言うことがてきないのが、近所に自衛隊官舎がある地域に住む私の本音だ。だからせめて、匿名ではあるけれどこのような場で、「自衛隊派遣には反対です」と、ことあるごとに書くしかない。
2004年05月08日
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帰宅してパソコンを開くと、このニュースが飛び込んできた。福田康夫官房長官が7日午前の記者会見で読み上げた辞任表明のコメントは次の通り。 昨日、与野党間の話し合いにより、年金改正法案の取り扱いについて合意されましたが、これまでに私自身も含め、閣僚のなかに年金の未加入、未納の問題があったことが判明し、政治に対する国民の信頼を失ったことは、慙愧(ざんき)に堪えません。 さらに私自身の国民年金保険料未払い発表までの対応の仕方に不手際があり、内閣のスポークスマンとして、また内閣提出法案のとりまとめ役である内閣官房の責任者として、政治不信を増幅してしまったことに、国民の皆さまにおわびを申し上げたいと思います。年金改正法案の取り扱いについて、3党合意がなされたこの機会にけじめをつける意味で、内閣官房長官の職を辞したいと考えております。(毎日新聞)うーん、けじめをつけたと言えばカッコいいようだけど、それだけだろうか。それよりも、与野党の年金法案合意のために、犠牲的精神を発揮したつもりかもしれない。だとしたら、本当はちっとも「国民に申し訳ない」なんて思っていないかも・・。本人が感じている責任は、あくまでも政治的なものであり、道義的なものではないんだろう。なんだかなー、という気分。ついでだから、年金を一定期間以上未払いの議員さんは、みーんな辞職して総入れ替えして欲しい。きちんと国民としての義務を果たしてきた人たちに、あらためて年金問題で議論して欲しいものだけど、無理なんだろうな。福田氏の未納問題発言 ●「いやー、おもしろい話って言ってられない話、深刻な話ですね。ちょっと間の抜けた感じもするけどね。あえてそういう人を選んだのか」(3月22日、社会保険庁が年金啓発で起用した女優江角マキコさんの年金未納問題について記者会見)●「60歳当時は納付していた。個人の情報について申し上げる必要はないんじゃないか。(麻生太郎総務相ら3閣僚の未納は)起きちゃったんだから、しょうがないでしょう。じゃあ罰則でも科しますか、今から」(4月23日の記者会見)●「公開しろと国会で決めるなら従うが、個人情報そのものだ」(27日、閣議後の記者会見)●「国会のご指示に従いたいと申し上げている。何も開示しないというわけじゃありませんよ」(28日午前の記者会見)●「(未納は)1990年2月-92年9月の32カ月間。95年8月-同12月の5カ月間は外務政務次官就任に伴い、思い違いから未納となった。私の思い込み、勘違いで未加入や未納が生じたのは遺憾であり、自分の年金にも少し注意していれば良かったと反省している。(私自身)やるべきことをやるのが責任だ」(28日夜の緊急記者会見)(共同通信)こうやってあらためて読んでみると、これでは多少恥を知っている人ならば、辞職して当然だろうな。でも、本当に恥を知っていたとも思えないけど。他の議員さんたちの進退がどのようになるのか、しばらく注目してみよう。
2004年05月07日
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●国会議員の国民年金納入状況を開示して欲しい やっぱり、福田官房長官をはじめ、ゾロゾロ未納者がでてきた。追求していた民主党の管代表まで、それも厚生大臣の時にというのは、間抜けというかお粗末だったが、この際、国会議員は全員ご自分で調査していただきたい。 先日の日記で私は、未納や空白状態があったとしても同情するとは書いたけれど、自分が国民年金について物申している人たちに対しては、「勘違い」「仕方がない」「事務上のミス」「人に任せていたので」などは通用しないだろう。 たとえばこの私、退職や転職(夫も含め)の時に、うっかりしていて未納時期があったり、過払い時期があったりしたけれど、「時効の期限以内に自分で気付き」、自ら役所に足を運んで手続きをした。その際、役所の窓口では「申し訳ありません。不勉強だったもので・・」と頭を下げ、窓口の人からの若干の軽蔑の態度を受けつつ手続きをした後、「お手数をかけました。よろしくお願いします」くらいまでは言っていた。たとえ、「このコンピューターの時代に、どうして役所の方で自動的にチェックできないのだ?」と、腹立ちが渦巻いていたとしてもである。 手続きをお役所任せにしていて、未納期間をそちらのせいにするとしたなら、それは責任転嫁というものである。もちろん、役所の方でも、理由はともあれ引き受けたからには、ちゃんとした手続きをするのが当然ではあるが。そして私は、もう一つの構図が脳裏をよぎる。役人にとって、「ギイン先生」は文句なく偉いのである。文句なく偉い人に対しては、必要以上の便宜を図るものである。この問題も、「勘違い」ではなくて役人からセンセイへの便宜の一環の側面が皆無ではないのではないか?例えは違うが、我々のような地方都市では、一般庶民が役所にかけあっても門前払いのことが、センセイが間に入って「何とかならんのか?」というと、なぜか何とかなることが多かった。(過去形で書いてあるのは、私が民間福祉団体の職員として働いていた十年前まではそうだったから。今のことは知らない)市議→道議→国会議員と、格が上がるにつれてその効力は絶大である。そのことと、今回の手続き上のミスは、無関係ではないだろう。国会議員が不利になるような手続きを、役所の人間がするはずがないのである。 国民年金に関する法律を議論・決定する立場にある人は、この際きっちりと自分の状況を確かめ、その結果を開示して欲しい。●イラクの自衛隊員は、どんな気持ち? ファルージャの状況には、少しは歩み寄りが見られるようだが、サマワの宿営地の近くに砲弾が撃ち込まれたという。 このような状況の中で自衛隊は、復興支援などできるはずもなく、宿営地に缶詰状態。使命感を持ってサマワに赴いた自衛官達は、今頃どのようなことを考えているのであろう。しかし、彼らの本音は、決して公にされることはない。自衛隊(軍隊)組織のコマである隊員個人は、自分勝手な考えで言動することは許されない。しかし、「自分の考え」を持っていないということはない。自衛隊員になった動機も、人様々である。ふと、思い出す青年がいる。彼は高校時代「ボランティア部」で活動する、心優しい少年だった。五人兄弟の長男ということで、老人施設でのボランティア活動や、福祉関係のイベントの手伝いには、まだ小学生の可愛い弟を連れてきたりしていた。そんな彼が、卒業後に自衛隊に入ることにしたと聞いた時、私はビックリして「どうして自衛隊なの? 福祉の仕事がしたいって言ってたじゃない?」と聞いた。彼は笑顔で言った。「俺の家は貧乏だから、長男の俺がちゃんとした仕事につかないとダメなんだ。俺、頭が悪いから、役所なんかは無理だろう? オレ、身体には自信あるし、入隊したら自動車免許なども取れるって言うし、親も喜んでるし・・。仕事の合間にボランティア活動だってできるしさ」私は、「そうだね、身体に気をつけて頑張ってね」と、自衛隊入隊を祝福した。あの子はもう、30歳頃になっている。卒業以来会う事もないけれど、今頃どうしているだろう。彼のことだからひょっとすると、「サマワに行けば手当てが一杯もらえるし、家族が喜ぶ」と、志願したかもしれない。そんなことを想像すると、私はいても立ってもいられない気分になる。彼が志願しているかどうかはわからないけれど、きっとそんな人もいるだろうと思うのだ。そのような理由での志願を、誰が笑えるであろうか。笑いながら派遣について話し合っている人がいることを知ると、怒りが突き上げてくる。
2004年04月30日
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☆年金加入記録公表へ 大丈夫なの? と、他人事ながら少々心配しちゃうのは、私がお人よしの証拠かな・・。というのは私自身も就職→退職→主婦→就職→転職→退職→夫の退職→夫の就職という経緯の中で、うっかりしていて手続きを怠っていて空白状態になり、気付いて慌てて払ったり、反対に払わなくてもいいものまで払ったりしていた経験があるから。国の制度というのは何事においても、ほとんどが「申告制」である。それこそ「自己責任」で処理していかなくてはならない形になっている。たとえば、会社に勤めていたら所得税などは天引きされ年末調整がされるのだが、事務職員のミスで所得税を多く払ったとしても、税務署は「払いすぎですよ」と還付はしてくれない。大抵の人は、税金や年金関係の仕事をしなければそのようなことには疎いから、自分が正しく払っているかどうかなど、考えもしないのではないか。だから、多少の空白期間があったり未払いになったりしても、私は同情をしてしまう。ところが制度は冷酷でもあり、うっかりしていたことが、とんでもなく非情な現実を突きつけられることもある。(今回の「未納三議員」もそう思っていることであろう。確信犯には同情の余地はないが)さすがに、この件については賄賂も裏金も効果はないようで、そのことだけは少しホッとしている。まあ、国会議員の皆さんがちゃんと国民の義務を果たしていらっしゃることを願う。☆イラク関連の記事より 第二次イラク派遣命令が、昨日石破防衛庁長官から下された。イラクで三人の日本人が人質になった時、「このような事態は考えていなかった」と思わず口走った後ほとんど口を開かなかったのは、多分「もう失言は許さない」という官邸の意向だったのではないかと勘ぐっているのだが、やっと口を開いたと思ったら「年金未払いでした」という弁明。その同じ口で、昨日はイラクへの自衛隊派遣命令である。もう、この人の顔は見たくないというのが、私の本音。こんな状況で、こんな頼りないトップの命令で派遣される自衛隊員とその家族の気持ちは、いかばかりかと思う。安田純平さんの手記の最終回。 「終始私たちをかばってくれたのが、Bだった。拘束二日目の夜、イラクの暮らし、日本の暮らしを片言の英語で語り合ううちに、「アルグレイブに住め」とまで言い出した。「次はいつ来るのか」と問うBに、「三ヵ月後ぐらいかな」と答えた。少しの沈黙の後、彼は「そのころ、この辺りにイラク人はいないだろうよ」と言った。彼らの闘争には、悲壮感が漂っていた。」 この部分を読みながら、私は熱いものがまぶたに込み上げてきた。このような人たちのことを「テロリスト」と呼ぶことは、今の私にはとてもできない。日本が戦争中、私達の祖父母や両親の世代の人たちは、アメリカ人をはじめとする敵国の人たちを「鬼畜米英」と呼び、竹槍で敵を攻撃する訓練をしていた。その人たちの戦争中の体験談と、安田氏の証言に出てくるイラク人達が、重なり合ってしまうのだ。「武者小路公秀さんに聞く」より 武者小路氏は、大阪経済法科大アジア太平洋研究センター所長(国際政治学)。インタビュー形式の記事で、私は納得して読んだ。道新のホームページでも詳細を読むことが出来ないので、頑張って書いておこう。 人質事件をふり返ってどう思いますか?「人質が解放された時のイラク・イスラム聖職者協会のクバイシ師の表情に、日本人に対する友情、信用があるのを感じました。被害者が大きな危険を冒しながらも、イラクの人たちのために現地に行ったということが理解されたということです。うれしく、こんな日本人がいれば、日本も捨てたものではないと思いました」 事件に関する「自己責任論」でおもうことは?「つまらないことです。(中略) イラクの人たちは、事件で人質になった人のように、無手勝流で危険を共にする人にこそ、仲間・友情を感じたのです。被害者の存在が、自衛隊派遣のばかばかしさを立証している点に、政府は気付いたからこそ、この人たちを許せないのでしょう」 政府の問題だけではないと思いますが。「市民が政府の発言をうのみにしています。米国中心にものを考え、政府を批判する人が現われると、米国に嫌われ後から困るという考えで批判するのです。国際政治の動きを誤解しています。戦争で何が起こっているか見えていないのです。認識の違いです。」 認識の間違いとは?「占領について日本人は、米国に占領されて良かったと思っているふしがあります。でも武力でイラク人を制圧しようとする米国と一緒に行動し、占領政策の一部として、いわゆる戦後復興をしている日本に対して、地元で暮す人たちは、ありがたい行為だと思っていません。」 大型連休明けには、二次部隊も派遣されます。「イラクに大量破壊兵器はなかったか、あるいはあっても使いませんでした。米国は明らかに国際法に違反して、イラクを攻撃し占領しました。そして今、自衛隊は戦闘地域にいるのだからイラク特措法違反だし、派遣を続けるのも違法です。愚かなことはやめた方がいいのです。日本だけではなくて、他の国もイラクから退き、イスラム世界の国々が平和維持活動をする軍隊を派遣することが、自然なことだと思います」
2004年04月28日
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人質になった人達に対するバッシングへのまっとうな批判をあちこちで見聞きするようになったので、もうこのことについては触れないことにしようと思ったのだが、今朝の新聞やリンク先の日記を読んでいるうちに、書きたいことが出てきてしまった。☆さすが北海道の知事、よく言った!三人のイラクでの人質被害者家族に、北海道東京事務所を提供していた高橋はるみ知事は、「実費以外に経費の請求をするつもりはない。職員の残業代や施設の管理費は、業務としての経費」と言ってくれた。このこと自体は特に賞賛することではないのだけど、政府の人たちの見当違いの言葉を見聞きしていた今は、何だかホッとして嬉しくなってしまった。もう一つ、今北海道の警察関係者を震え上がらせている「裏金疑惑」について、この事件が発覚した当初、道警本部長が否定したことを支持するような対応をしたことについて、「先を見通せなかった」と率直に反省の弁を述べている。これも、間違いに気付いて反省しただけのことで、人間としては当たり前のことであるが、その当たり前のことができない人があまりにも多いので、「偉い!」と拍手をしたくなる。今は、当たり前のことをこのように取り立てて賞賛しなければならないんだな。心して、当たり前のことを見つけて褒め称えていかなければ・・。☆東京犬さんの日記で紹介されていたサイトこれは、とても痛快であり、かつ共感できた。多くの人たちに読んで頂きたいと思う。藤原新也さんの「人質バッシング」への見解http://www.fujiwarashinya.com/talk/2004_0416.html
2004年04月23日
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☆塾に行かない息子を母親が絞殺子どもを育てていたら「カッとなる」ことは多い。そこまでは私もとても理解できる。しかし殺してしまうとなると、やはり常軌を逸していると思う。それも「塾に行かない」ことが原因となると、死んだお子さんがとても哀れだ。母親にしても、カッとなって我を忘れた状態だったはずだから、これからが地獄の日々だと思う。母親が子どもに必要以上に当たってしまうのには、背景に別の問題が隠れていることが多い。人間関係、理想と現実とのギャップによる葛藤、百人百様のストレスを上手に解消できずに爆発したということが多い。私も子育て中はずっと仕事をしていたので、仕事・子育て・家族との関係など、それらがゴチャゴチャになって、何度も「キレた!」という感じがあった。次男が低学年の頃、なかなか足し算や引き算がのみこめず、担任から「少し家庭で手伝ってあげてください」と言われて、食後に教えていたことがある。当時、仕事上でも悩んでいることがあり、子育てと仕事の両立にボロボロになりかかっていた私は、息子に教えながら情けなくなってしまって、つい「どうしてわからないの!」と声を荒げ、そんな自分にまた自己嫌悪になりボロボロと涙が出てきてしまった。私は、普段は人前で涙を出せるタイプではないのだが、あの頃は精神的に鬱状態に近かったのではないかと思う。大人になった次男と昔話をしていた時、「あの時、お母さんが泣いてしまって、本当に嫌だったなー」と言われた。あまり物事に執着しないマイ・ペースの息子なのだが、その時の私の態度はよほど強烈な印象を与えてしまったらしい。本当に申し訳なかったと「そうだったの、悪かったね」と謝ってから、「はっきり覚えてはいないけれど、決してあんたが情けなくて泣いたわけではないよ。色々なことが重なり合って、自分がやりきれなくてあんたに当たったのだと思う」と言い訳をしてしまった。そんなことは、その時ばかりではなく、何度もあったように思う。それでも私は息子を殺すまでには至らなかった。本当に良かったと思うと同時に、このような事件の報道を見るたびに、ここまで行く前になんとかならなかったのかと、心が痛むのである。☆北海道警察、弟子屈署の裏金を認める・・が前弟子屈署次長の証言に基づき道警は裏金を認めたけれど、やっぱりというかなんというか、すべてをこの次長の責任に押し付けた形の認め方である。こんな言い訳を、今の北海道民の何人が信じるであろう。このような態度をとっている限り、警察の信頼は決して取り戻せないと思うのだけど、組織というものは本当にどうしようもない。どんどん内部告発者が出て、自己崩壊するしかないのだろうか・・。正義感と倫理観を持つ(元)警察官、立ってくれ!
2004年04月07日
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このニュースを昨夜のテレビニュースで知った時、「またか!」と思った。「また、虐待事件が起きた」ということではない。「また児童相談所や学校が放置した」ということにである。もちろん、どんな事情があるにせよ親に一番の責任があることは言うまでもないが、その責任を果たさないどころか、人間とは思えない行動をする親(保護者)が多く、子どもが悲惨な状態になることが後を断たないから、「児童虐待防止法」ができたのに・・。虐待が疑われる家庭には、児童相談所は警察などの協力を得ながらでも立ち入り調査ができる権限があるのにも関わらず、その機能や権限を発揮せずに、結果的に放置したと同様になることがあまりにも多い。その原因の一つに、児童相談所のワーカーの数が、現状には全く合わずに少なすぎる現実がある。さらに、「怖い保護者]に対して、学校や相談機関は本当に及び腰だと私には感じられる。怖いという心情は理解できるが、それと職業上の責任を果たさないというのは、全く次元が違う。私は、不登校の子どもを持つ親と話す機会が多いのだが、おとなしいタイプの不登校児は、学校から放置されていると感じることが多い。学校も児童相談所も、一定期間子どもと会えない状態が続いたならば、あらゆる手段を活用して子どもの健康状態を把握する努力をしてほしい。人間らしい心を持つ親ならば、決してそれを拒否はしない。親が徹底的に子どもに会わせる事を拒否するならば、「何かある」と疑ってもいいと思う。そして、権限を活用して強制的介入をしてほしい。さらに、虐待が長期化していると考えられる子どもは、遠慮せず親から引き離して欲しい。しかし、そのための児童相談所の「一時保護施設」も、昨今の児童虐待社会を反映して定員オーバー状態のようだ。さらに、児童養護施設も同様である。そのような状態の中では、傷ついた子どもに充分なケアは望めないばかりか、次の虐待が待っていることにもなる。遠い国の子ども達を救うことも大切だけれど、この国の子ども達をなんとかしてほしい。
2004年01月26日
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★イランの地震で6000人死亡 このような時に、すばやく自衛隊が災害支援に行ったらいいのに・・・。 それにしても、イランは地震国らしいのに「日干しレンガ」の家なんだ・・。火事にはなりにくいだろうけれど、と思うのは「阪神淡路大震災」を連想するから。あの時は長男が神戸に住んでいて、連絡がつくまでの時間は生きた心地がしなかった。自衛隊がイラク行きのために準備していることは、「医療・給水」などと聞いているので、そのままイランに行ってあげられないものかと、素人考えではあるけれど強く思う。こっちの方が絶対に緊急事態だし、喜ばれること確実。★アメリカBSE牛、国外感染の可能性当然でしょうが。ない方が不思議ですよ。私はあまり牛肉を食べない方なのだが、以前から「食べるために飼育する牛は殺してもいいが、鯨は賢いからだめ」なんてのたまうアメリカには腹が立っていた。論点が違うので並列して書くことは変なのだが、人間の(特に私の)思考はあちこちに飛ぶことをここでも実感。★運転中の携帯に罰金これも当然でしょう。携帯電話で話しながら運転をしている人を見ると、本当にドキドキしてしまう。私は不器用なので、あのようなことは絶対に無理なのだが、いくら聖徳太子でもあれは危ないと常々思っていた。罰を与えなくては自制できないというのも情けないけれど、シートベルト不着用より何倍も危険だと、ずーっと思っていた。
2003年12月27日
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★天皇誕生日 師走でクリスマスイブ前日という日が誕生日ということを、毎年少々お気の毒に感じてしまう。天皇陛下の記者会見の記事を読みながら、あのお立場で言える形の中で、精一杯現在の日本の状況についての危惧を伝えようとなさっていると感じるのは、私の深読みだろうか。言外の陛下の主張を感じてしまう私である。★道路公団民営会員の二人の委員が辞任 これも私の勝手な感想だけど、「委員が役割分担しての主張」とつい思ってしまった。この世は、主張がまるごと通ることはまずないから、多少でも自分達の意見を多数の人に認知してもらい、応援団を増やして自分たちに風を呼び込む戦略はとても大切だ。★わいせつ教員175人 少しずつ実数に近づいているのは確かだろうというのが最初の感想。教師が「聖職」と思い、先生が悪いことをするはずがないと思っていた幸せな日々は、いったいいつの頃だったか・・。多分、高校生の頃にはそのような幻想は失せていたと思う。「あの先生の奥さんは、教え子だったんだって・・」という話、それほど珍しいことではなかったと思うし、ということは教師と教え子の関係が男女の関係になるということは、たぶん・・・そういうことだろう。それに、女生徒が若い男性教師に恋心を抱くのは一般的なことで、昨今の女生徒なら積極的に迫ることだろう。それだからこそ、私は教師には強い自制心を求めている。だけど、自制心が育たずに成長した若者達がフェモロンを発しあう「学校」では、このような事件は減りはしないだろう。少なくても、泣き寝入りしたり人生を変えられたり(妊娠、中絶、できちゃった婚など)することが、少なくなることは強く願う。多くの場合、傷つくのは肉体で代償をはらうことになる女生徒のほうなのだから。
2003年12月23日
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あのフセイン元大統領が、民家の地下の穴の中で発見されたという。さきほどまで孫達の世話に追われていたので、チラチラとテレビや新聞を見ただけだが、今の感想を書いておこう。最初に思ったのが「本物か?」ということ。次に連想したのが、オウム真理教の麻原のこと。彼は地下ではなくて屋根裏部屋に隠れていた。次に連想するのが、自国で動乱があったときに他国に亡命する国家元首たち(王様なども含む)のこと。自分を今まで信じていた国民を放り投げて逃げ回る姿に、その国の人々はどのように感じるものなのだろう。今はまだ頑張って無茶苦茶をしている金正日も、きっと最後はこれに近いのじゃないかと思う。そして、一昨日観た「ラスト・サムライ」を思い出していた。近代国家を目指さざるを得ない日本にとっては、「侍」は邪魔であった。それは歴史の必然であり、それぞれの立場でこの国の未来を考える人達が、必死で国づくりにあたったのであろう。しかし、一人の人間として、それまでの価値観や生き方を180度変換することは、私達の想像を超える葛藤があったに違いない。そして、リーダー的な立場にある人の中には、「いかに生き、いかに死すべきか」と自分に突きつけながら生きた人も多いだろう。自分の存在を客観視できる人ほど、自分が何をすべきか否かを、ギリギリと追求したのではないか。そして、その結論の中には「死」もあったのだ。死に場所を求めるように、義を通すために戦う姿は、映画で見る限りは悪くはない。しかし、戦いとは一対一の対決ではない。その後ろには、多くの兵隊達がいる。その人達もリーダーと思いを一つにできれば話は美しいが、人間はそれほど単純でもないだろう。さて、フセインにはそのような人としてのギリギリの葛藤はあったのだろうか。神の名の元に戦ってきたという信念があるなら、違う態度になるのではないだろうか。我欲や権力欲の塊として君臨し、敗れた時は自分の身の安全ばかりに汲々とするリーダーを持った国民は、本当に不幸だと思う。そしてまた、少なくても第二次大戦敗戦の時、日本の天皇は逃げ隠れもせず国民を守ろうとする人であったことに感謝する。フセインが拘束されたことで、イラクが本当の意味で復興へのスタートが切れることを心から願う。できれば、ここでアメリカが、真の意味での懐の深さを見せてくれるといいのだけど。
2003年12月15日
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池田小学校で児童8人を殺害した宅間被告に、死刑の判決が出た。日本の法制度においては、このような事件を起こした犯人に対してこの判決は当然だと思うが、どっちを見てもすっきりしない、気分の悪さがある。遺族の立場になれば、犯人を何度死刑にしても足りない気持ちであろう。だが、死刑にしたらそれで気持ちが治まるものでもないだろう。私は、「人が人の命を奪う」ということにおいては、死刑も殺人も同様だという気がしていて、いくら「法律」とはいえ、死刑という殺人を完全に正当化できないのではないかと思っている。つまり、人を殺して良いという正しい理由など、ないのではないかと思うのだ。死刑の是非論とは別に、気持ちが釈然としない理由はまだある。宅間被告が、人間や社会への恨みを増幅させていった結果、このような事件を起こしたという「事実」だ。生まれたばかりの赤ちゃんが、人間に対して恨みなど持っているわけはない。どこかの段階で小さな恨みが芽生え、それを解消したり昇華する機会のないままに、雪達磨式に憎悪が心を麻痺させ、人間らしい感情を失わせていったのだろう。この社会は決して平等ではないし、現代のように競争に生き残ることを是とする社会では、競争が苦手な人や、もともと不利な状況でスタートする人にとっては、まったく優しくない社会だ。経済的・能力的・家庭的に不利な状況に生まれた子どもは、個人の努力だけではどうにもならない現実に呻くことになる。そんな中で、ある者は諦めて人や社会に依存できるだけ依存するようになるだろうし、ある者は社会の不条理や冷淡さに怒りをぶつけることだろう。マイナス要因をプラスに転化できる人は、人との良い出会いや、もともと高い能力を持ち合わせて生まれた、ある意味で恵まれた人間ではないかと思う。一見堕落に見える状態を、「本人の努力が足りない」だの、「もともとクズの人間だ」などと切り捨てる人は、それを言える分だけ恵まれた人のように思う。自分で体験しない痛みには、私も含めて人は限りなく鈍感だ。どうしようもなく泥沼の中でもがく人に対しても、私達は限りなく鈍感で冷淡だ。宅間被告の死刑判決を当然と思う私の心の中に、そのような冷淡さがあり、その冷淡さが知らぬ間に誰かを追い詰めているのではないかと思ったりする。もしそうであるなら、第二第三の宅間被告は、また出現してくるだろう。宅間被告をあのような行動にまで追い込んでいったのは、はたして彼の中の「悪魔」だけだろうか。そうとは言い切れないことが、私の気分をひどく悪くさせている。
2003年08月28日
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