わたしのこだわりブログ(仮)

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2013年07月17日
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カテゴリ: 歴史の旅

​​​​ 写真追加
テンプル教会はシティの中、西の関所であるテンプル・バーの近く、インナー・テンプルにあります。

ロンドン(London) 8 (シティの紋章)

シティ・オブ・ロンドン (City of London)
テンプル・バー(Temple Bar)
シテイの紋章とドラゴン(セント・ジョージ、セント・ポール)
グリフィン(griffin,・gryphin)

シティ・オブ・ロンドン (City of London)
​​ ロンドン証券取引所やイングランド銀行、ロイズ本社や法曹院が置かれ、 イングランドの金融センターとなっているシティの歴史は古く、すでに11世紀 イングランド征服王が統治する前から商人の街 ​​ として発展。独自の自治権を確立した特別な街 だったようです。

イングランド征服王
現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I)(1027年~1087年)の事です。ヘイスティングスの戦い(1066年)で勝利し、イングランド王として即位する前はノルマンディー公国のギヨーム2世。
もともとイングランドの出身では無かった王様です。

その シティの入り口には必ずドラゴンの像が置かれています
それは ​ドラゴンがシティの紋章​ であるからなのですが、同時にその ​場所が昔シティに入場するゲート(門)や関所のあった場所​ でもあるのだそうです。
pict-シティ 3.jpg
シテイの紋章はセント・ジョージ(Saint George)の十字架とセント・ポール(Saint Paul)の剣を組み合わせた楯を支えるグリフィン(griffin, gryphin)
pict-シティ 2.jpg

中世のシティは 東西3km南北1.5kmくらい。古代ロンドンを一回り大きくした規模で、その回りを シティ・ウォールと言う城壁で囲われていた と言います。
城壁には市外に通じる門も幾つか設置されていたそうですが、1760年以降全ての城門も、城壁も取り壊され、今はかつてのゲート跡がそこにあった事を物語るドラゴンが置かれている・・と言うわけです。。

テンプル・バー(Temple Bar)
王立裁判所の近く ​、 フリート・ストリートの道の真ん中 に謎の像が建っていました​
それはかつての テンプル・バーの跡に建てられた記念碑 だそうです​ 。​

ここもシティに入るゲートであり、 今も国王がシティに入る時はシティに敬意を表し、ここでいったん止まり、市長と「真珠の剣」の授受を行いシティに入る許可をもらうと言う特別なポイント だと言われています。

見えにくいけど写真右下の白い車の後ろ。
pict-テンプル 1.jpg
この テンプル・バー(Temple Bar)は中世以降シティの西の関所門として存在。
そもそも シティに入る者から通行税を徴収した場所 だという事です。

それゆえ、13世紀頃は柱や鎖でできていたゲートは、その後時代とともに変遷し、最後のゲートはセント・ポール大聖堂を再建した建築家Christopher Wren(クリストファー・レン)が1672年に造った石造りの門だったようです。
後に石の門はジャマになり1870年に解体。近年パテノスター・スクエアに移築。

なぜ通行税を取ったかはわかりませんでしたが、そもそも、ここにはテンプル教会(Temple Church)がありました。シティ・オブ・ロンドン (City of London)のルーツがテンプル教会から始まっていると言って過言でない歴史があります。テンプル教会については別の回に。
リンク ​ ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)
リンク ​ ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)
リンク ​ 騎士修道会 1 (テンプル(神殿) 騎士修道会)
※ 十字軍についてもまた別に書いていますが、要するにテンプル騎士団のルーツから始まるのです。

テンプル・バー跡のモニュメント
pict-テンプル 2.jpg
1880年建造されたモニュメントにはヴィクトリア女王と裏側がエドワード7世の像が置かれ、その上にシティの紋章であるグリフィンが乗っている。

制作はCharies Bell Birch
pict-テンプル 3.jpg
このモニュメントはグリフィンになっているが、シティの紋章は本来はドラゴンだったはず・・。

テンプルバーのモニュメント (今回の写真ではありませんが・・)
pict-シティ 5.jpg

シティの紋章とドラゴン

File:Coat of Arms of The City of London.svg
DOMINE DIRIGE NOS 我らを導き給え

シティの紋章はイングランドの守護聖人であるセント・ジョージ(Saint George)と
シティ・オブ・ロンドンの守護聖人セント・ポール(Saint Paul)の象徴が合体したもの です。
国家の象徴にもなっているセント・ジョージ・クロス(St.George's Cross)。
セント・ポール(Saint Paul)の象徴の剣。

しかしこれらはすんなり決まったものではなく、長らく討議されて今に落ち着いたようなのです。

1.セント・ジョージ(Saint George)
かつてグエル公園の特集の時に「ゲオルギウス(Georgius)のドラゴン退治」について紹介した事があります。
グエル公園の中央階段にあるドラゴンの噴水がカタルーニャの守護聖人サン・ジョルディ(Sant Jordi)の伝説に由来する・・と言う内容です。

このカタルーニャの英雄であるサン・ジョルディ(Sant Jordi)はカタルーニャ語名で実は聖ゲオルギウスの事なのです。
聖ゲオルギウス(Saint Georgius)についてもその時に紹介しています。

※  ​2012年6月「グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)」サンジョルディ(聖ゲオルギウス)のドラゴン)​ ​​​

​​​リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
.
​聖ゲオルギウスは黄金伝説に紹介される聖人の中でも特に有名な聖人​ です。
その理由は ​ゲオルギウスのドラゴン退治として絵画にも多く描かれ、後世全世界で知られる存在​ となっているからで、カタルーニャのように聖ゲオルギウスは各地域で別の呼び名を持って祀られているのです。

ゲオルギウス(Georgius)・・ラテン語
ゲオルク(Georg)・・・・・・・・・ドイツ語
ジョルジュ(Georges)・・・・・フランス語
ジョルジョ(Giorgio)・・・・・・・イタリア語
ホルヘ(Jorge)・・・・・・・・・・・スペイン語
ジョージ(George)・・・・・・・・英語

星

​イングランドの国旗「セント・ジョージ・クロス」 (St.George's Cross) は​ 聖ゲオルギウス十字と言う白地にゲオルギウスの血を表した赤の十字

ゲオルギウス崇敬と言って過言ではない強い信仰がイングランドにはあり、 その呼び名は歴代の国王の名にもよく使われています。

2.セント・ポール(Saint Paul)の剣
Saint Paulは 12使徒の一人である聖パウロの事 です。
聖パウロは聖書と短い剣が象徴 になっています。
聖書は「パウロの書簡」に由来するもので、剣は彼がそれにより殉教した事を示す印。

因みにシティに6世紀よりあるパウロを祀った教会がシティの象徴的ドームを持つセントポール大聖堂(St Paul's Cathedral)で、これはバチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂を一回り小さくした模倣的建築と言われています。

余談ですが、パウロにはもう一つ剣の話があります。
出典はパウロの書簡「エフェソの信徒への手紙」
悪魔の策略に対抗して立つことができるように神の武具を身につけなさい
真理を帯として腰に締め
正義を胸当てとして付け、
平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
尚、その上に信仰を楯として取りなさい。・・・
また、救いを兜としてかぶり、
霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

セント・ポール(Saint Paul)の剣とは、 実在の剣ではなく神の言葉そのものを指している(パウロの霊剣)・・とも解釈できます。


グリフィン(griffin,・gryphin)
2匹のドラゴンはセント・ジョージ(Saint George)由来のドラゴン に落ち着いたようです

なぜヴィクトリア朝時代の彫刻はドラゴンではなく、グリフィンなのか?
​グリフィン自体はもともと伝説上の鳥獣​
です。
曲がった嘴(くちばし)と翼を持つ鳥のような上半身と、獅子のような体を持つギリシャ以前から空想上の怪物として神話に度々出でくるグリフィンは、ドラゴンのようでもあります。
もともと ドラゴンも空想上の怪物で、翼や尾、かぎ爪などその姿形はグリフィンと混同されがち なのだと思います。
特に 18世紀中頃~19世紀にかけて流行した新古典主義の絵画や物語の作品中に度々現れているグリフィンはドラゴンよりも知名度をあげたから? かもしれません。


ところでロンドン橋とブラックフライアーズ橋はシティ・オブ・ロンドに属するのでシティのドラゴンが据え置かれているそうですが、タワー・ブリッジにもそれらしい紋章があります。

タワー・ブリッジの橋の欄干
pict-タワー橋 32.jpg

pict-タワー橋 33.jpg

タワー・ブリッジの両サイドにある櫓にも紋章はついている
pict-タワー橋 34.jpg
しかし、どう探してもタワー・ブリッジがシティに属すとは書かれていないのだ。
おわり
​​​
ところで、シティの紋章は、セント・ジョージとなっていますが、遡ると本来のルーツとなるドラゴンはケルト人の土地であったイングランドのルーツに居たドラゴンではないかと思います。
それについて書いた項です。
リンク ​ ケルト(Celt) のドラゴン 

シティ・オブ・ロンドン (City of London) のルーツ
リンク ​ ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)
リンク ​ ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)
リンク ​ ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)

その他ロンドンBack number
Back number
リンク ​ ロンドン(London) 1 (テムズ川)
リンク ​ ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)
リンク ​ ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)
リンク ​ ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)
リンク ​ ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2
​リンク ​ ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)
リンク ​ ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)



リンク ​ シティのパブ The Edgar Wallace  ​​
リンク ​ ロンドン(London) の地下鉄(Underground)
リンク ​ ビクトリア& アルバート博物館 のカフェテリア







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Last updated  2021年10月31日 02時14分42秒
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