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カテゴリーを「建築物・教会・墓地・墓石」から「お金」に変更しました。
ロンドン、シティにあるテンプル教会は建物もさる事ながら、ロンドンを金融の街にした礎そのものだからです。
テンプル騎士団とテンプル教会があったからこそ、金融の街ができあがった理由を紹介。
案外今のシティの人達も知らないかもしれません。
ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)
それはテンプル教会のロンドン拠点がそこにあったからに他なりません。
結論から言えば、シティにあったテンプルそのものが巨大な銀行として存在していたからです。
十字軍とテンプル教会
偉大なるヘンリー2世とヘンリー2世の失敗
シテイの礎を造ったテンプル教会
Bankers to Europe
ちょっとおさらい・・ 十字軍とテンプル教会
キリストの聖地を取り戻す為に教皇の公認の元に誓願(せいがん)を立てて「十字章」をつけた戦士が十字軍(crusade)です。
注・・ 「十字章」は
1095年11月28日フランスの クレルモンでの教皇演説の時に志願者に配られたワッペンのようなもの
です。その十字章より十字軍と呼ばれる訳です。
1099年、聖地を奪還するもイスラムとの戦いは続く、
そんな中に結成された 修
道誓願を立てたたった9人のグループは巡礼者が安全にエルサレムに辿りつけるようボランティアで巡礼路の警護を始める。
その戦士の一団はやがて
、かつてソロモン神殿のあった場所に拠を置く事を許された 教皇公認の騎士修道会に認定(1129年)。
それが テンプル(神殿)騎士修道会(Knights Templar)
であり、 この教会のルーツです。
シティにあるテンプル教会
何度も修復され、最初の姿はほとんど無いそうですが存在に意義のある教会です。
テンプル騎士はすぐにロンドンにオフィスを作ったようですが、1160年の始めに現在のシテイに移転。
ここはイングランドにおけるテンプル騎士団の本部となり、騎士や教会の財産管理をする本部事務所に発展。
因みに最初の教会はホルボーン(Holborn)のリンカーン法曹院の東隣(現在のSouthampton Building) にOld Templeがあったと言う。
「The New Temple' in London(ロンドンの新しいテンプル)」の創設は1185年。
時の総長は10代目ジェラール・ド・リドフォール(Gérard de Ridefort)(1185年~1189年)と推定。
欧州にかなりの土地の寄贈を受けていた事が解っているので寄進の受け口としてのオフィスや騎士募集の為の教会が必要だったのは確か
ですし、拡大する教団にかかわる諸々の事業者の事を考慮するとホルボーン(Holborn)は手狭になったのかもしれません。
円形堂内部
教会は無料で一般公開されています。
円形の堂下には中世の騎士の墓。
ダ・ヴィンチ・コード(The Da Vinci Code)ではこの堂内部で銃撃があります。
遺物にあたったらどうするのだ?
実はここは先の大戦で空爆(1941年)されドームが崩れ破壊されここにあるのはレプリカのよう。
偉大なるヘンリー2世とヘンリー2世の失敗
教会移転の頃(1160年~1185年)はヘンリー2世(Henry II)(1133年~1189年)の時代です。
ヘンリー2世と言えばコモン・ロー(common law)が確率したばかりのイングランドでさらに司法制度、裁判システムを創設(1154年)。
現在に続く英国の司法の諸制度のほとんどは彼の時代に確立
されたと言う。
しかし、訴訟が国王裁判所に集中した為、王の権限はUPしたものの仕事は増えた。
つまり、 マグナ・カルタ(Magna Carta)以前のイングランドの王は国王裁判所と政務を取る宮殿との間を往復する忙しい
生活だった・・と言うわけです。
そんな頃、 トマス・ベケット(Thomas Becket)(1118年~1170年)暗殺事件
が起きる。
ヘンリー2世は腹心の部下であり友、トマス・ベケットをカンタベリー大司教に推薦し、イングランドの総司教座にまで着かせた(1162年)が、教会の立場に立って王とことごとく対立。
ヘンリー2世の部下にカンタベリー大聖堂で暗殺された時、トマス・ベケットは司教であった為、王 はマズイ立場に・・。
ローマ教皇に睨まれ、十字軍遠征を約束させられる。
テンプル騎士団に騎士200人分の費用など資金援助し
、彼らのバックアップをする関係 が生まれた
。
因みにヘンリー2世は聖地に行けなかったが、腹心の側近、騎士のウィリアム・マーシャルが戦地におもむいているし、リチャードの十字軍、Richard the Lionheart(リチャード獅子心王)はヘンリー2世の3男リチャード(Richard I)の事である。
イングランド王家とテンプルの密接な関係はこうしてでできあがった
。
テンプル・バーの中には、国王が滞在する為の建物や、貯蔵庫、厩舎なども建造され、王はよくそこに滞在していたと言われている
。


シテイの礎を造ったテンプル教会
シティの街はテンプル騎士修道会が解散した後も発展をとげた
。
もともと 戦地に送る鎧甲など軍需品の会社などいろんな業種の会社が集まって来ていた
事
もあるだろう。
法曹界も債権や権利書など銀行に付随するものとして当時からテンプル周辺に集まって来ていた事
もある。
しかし、金融センターとしてニューヨークのウォール街と共に世界経済を先導してきた シティの基礎はテンプル騎士修道会の莫大な遺産と金融のノウハウだった事は間違いない
。
騎士修道会と銀行が結びつくとはとうてい考えられないでしょうが
、 当時最も崇敬されていた彼らの本部には莫大な献金があった。
テンプル騎士団はその誕生から100年後にはエルサレムで最大の土地所有者になり、ヨーロッパ各地に広大な土地を所有。
テンプルの事務局では、 領地を売り払い債権にして遠征に参加した者達の銀行代
わりもしたし、領地を寄進した貴族や経済状況が悪くて領地をテンプルに買い取ってもらいたい領主の面倒もみた
。
つまり 資産運用と同時に預貯金業務も行っていたのである
。
円形ドームの壁は特殊な装飾が・・。
奇妙な顔のレリーフが続く
グロテスクな顔がたさん。魔除けか?
Bankers to Europe(銀行家はヨーロッパへ)
どんどんふくれあがる資産。
潤沢な資金はエルサレムにいる者だけでなく、周辺の領主やヨーロッパの商人やヨーロッパ各国の王侯貴族にまで貸し付け
。
表看板は騎士修道会でありながら資産運用のサイドビジネスが成功し、独自の財務システムを発達させ銀行のような金融団体に成長
してしまった。
では テンプル(神殿)騎士修道会が解散してその莫大な資産はどうなったのか?
基本的にはテンプルの資産は聖ヨハネ騎士団が引き継ぐ
事になっていたが、 フランスだけは全てフィリップ4世が没収。
イングランドではいったん王の管理下に入り、聖ヨハネ騎士団に資産が移るまで25年かかっている。
テンプル(神殿)騎士修道会が解散させられた理由はやはり
フランス王フィリップ4世(Philipe IV)(1268年~1314年)の資産ねらいだったと
言うのが真実のよう。
当時フランスの財政は逼迫していたし、かなりのお金をテンプルから借りていた?
借金踏み倒しだったのかも・・。
イングランドではこの テンプルの資産が凍結されると王は王族や貴族の預金を抜き取ったと記録
されている。それはまさに銀行の破綻前の行動?
しかし
テンプル(神殿)騎士修道会が解散後も彼らの事務機関は生き残りシティに息づいた。それは突然破綻させられたわけではなく、イングランド王の元に管理されて今まで通り運営されたから?
なのかもしれない。
それにしても聖ヨハネ騎士団に資産が移るまで25年の利子は誰の手に?
※ 騎士修道会については以下に紹介。
テンプル(神殿)騎士修道会(Knights Templar)の末路については「騎士修道会 2 (聖ヨハネ騎士修道会)」の中で紹介。
リンク 騎士修道会 1 (テンプル(神殿) 騎士修道会)
リンク 騎士修道会 2 (聖ヨハネ騎士修道会)
リンク 騎士修道会 3 (ロードスの騎士)
ロンドンシリーズ Back number
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リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)
リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)
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リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2
リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)
リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)
リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)
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ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)
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