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ちょっと寄り道です (;^_^A
前回シティの紋章であるドラゴンの話をしましたが、本当のドラゴンの出所はどこか? 気になって考えていました。
ケルト(Celt) のドラゴン
ウェールズの赤い竜の伝説
ケルトに伝わる魔除けのドラゴン
ヴァイキング船のドラゴン
シティの紋章の柄についてはセント・ジョージ(聖ゲオルギウス)の退治したドラゴンと言う事に(公式発表)落ち着きましたが、実はもとはウェールズを出身とするテューダー家の流れをくんで造られた紋章だったと言われています。
ウェールズの赤い竜の伝説
ウェールズの国旗(ウィキメディア・コモンズより)
白と緑の二色の旗の上にウェールズの象徴である赤い竜(竜の図に規定は無し)
ウェールズではすでに9世紀にはドラゴンが象徴として使用されていたと言われ、彼らの赤い竜に対する思いはもはや民族のアイデンティティー(identity)になっています
。
ドラゴン伝説 1 (赤い竜と白い竜の戦いの伝説)
赤い竜が侵略者からブリトンの土地を守る・・と言うあらすじです。
ケルト系ブリトン人の守護神が赤い竜。
対して侵略者は白い竜を守護とするゲルマン民族(サクソン人とアングル人
)
つまりこれは 実話の戦いを竜伝説で比喩した話
となっています。
ローマ帝国の属州ブリタニア(ブリトン人の土地)はローマの撤退後に領土の取り合い合戦が始まります。
ブリタニアを奪還して土地を守ろうとするブリトン人と新たな侵略者サクソン人のそれぞれの軍旗から「赤い竜と白い竜の戦い」と呼称された伝説ができたと考えられています。
ドラゴン伝説 2 (ドラゴンの封印とドラゴンの再来)
ローマ以前にブリトンを統治していた王とされるking Ludは、暴れる 両者の竜を穴に埋めて封印し、戦いを止めた
。
が、 その封印が解かれる時、再び戦いは始まる・
・と言うあらすじです。
封印はブリトン人とサクソン人の戦いが終わった事を意味
します。
それは実際ヴァイキングのブリトン進行に対処する為に彼らが連合し、一時停戦。
しかし 伝承通り封印は解かれ、戦いは再び起きる事になります。(史実)
ドラゴン伝説 3 (マーリンとアーサー王)
封印が解かれ、再び地上にドラゴンが現れる事を予言したのが、魔術師マーリンです。
そして「アーサー王が白い竜を退治した時に戦いは終わる」と予言
。
伝説では 予言通りに赤い竜の元でアーサー王は勝者となり、土地を守り、赤い竜はアーサー王の象徴となった
。
ウェールズでのドラゴンに対する特別な思いは、そんな幾多の伝説とアーサー王が同じケルト系ブリトン人である・・と言う誇りにより国旗になった・
・と言うわけです。
ケルトに伝わる魔除けのドラゴン
アーサー王の伝説は世界的に有名な話ですが、実際の所実在人物かどうか定かではありません。
これは 各地の伝承が吟遊詩人によって語り継がれ、ロマンス性が加えられて著書となり、物語として完成した話
なのです。
もっとも誰かしらモデルがいたとも考えられます。それはローカルの名君だったかも・・。
ところで物語の中でアーサー王は金色の竜(ドラゴン)の軍旗を掲げていた。・・気がします。
実は考えているうちにドラゴンの出所に思い当たる所がありました。
それは3年前に特集した「ヴァイキング」に出て来る竜頭です。
もしかしたら ドラゴンの発祥はヴァイキング船の船首につけていた守り神。竜頭から来ているのではないか? と思ったわけです。
中世流行した時のアーサー王は中世の騎士の姿で挿絵されてしまったが、本当のアーサー王の時代は6世紀頃の話です
赤い竜と白い竜の戦いは軍旗ではなく、もとは船首についていたトラゴン・ヘッド由来だったのでは?
島のケルト人たちが乗っていた船はいわゆるヴァイキング船だったかも・・と仮説してみた。
インド・ヨーロッパ語族の民族移動
実は ブリトン人はローマ時代に土地に定住していた島のケルト人
です。
その祖はインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族
です。
つまりアーサー王は、島のケルト人と考えられます。
そしてまた ゲルマン人もまたインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派の民族
です。
つまり ゲルマン民族であるサクソン人もアングル人も同じ先祖を持つ者。
さらに別の 侵略者ヴァイキグもまたインド・ヨーロッパ語族(ゲルマン語派)を祖先とする民族
です。
つまり祖先を辿ると出自がみんなインド・ヨーロッパ語族の同族
だった事がわかります。
(おそらく 民族の伝統文化もそんなに変わりはなかったはず。)
その違いはと言えば、民族の移動時期と移動のルート。長い時間の混血です
。
2010年02月のヴァイキング特集で詳しく書いています。
「ヴァイキング 1 (民族移動) 」
「ヴァイキング 15 (北方ゲルマン人の民族移動総括) 」
リンク ヴァイキング 1 (民族移動)
リンク ヴァイキング 15 (北方ゲルマン人の民族移動総括)
アナトリア(現トルコ)あたりにいたインド・ヨーロッパ語族の先祖達は移動と分裂を繰り返し大陸を移動
して行きます。
BC6100年頃ケルト語と分離し、BC3400年頃ゲルマン語派やイタリック語派の民族が誕生。
いったんヨーロッパ中北部に移住した彼らは後にまた分離
していきます。
そんな彼らの民族の大移動は数世紀毎に何度か確認。
2世紀から5世紀のゲルマン民族の移動もその一つ
です。
ヨーロッパ中北部に定住した民族。
南に下りローマで傭兵になってローマ文化を吸収した民族もいる。
ローマを相手に交易した者達もいる。
ラテン王国を築いたゴート族もゲルマン民族です。
スカンディナビア半島や北海沿岸に定住した彼らはノルマン人(Norman)「北方の人」になり、8世紀初めから11世紀初頭iに再び民族移動。
ヴァイキングと呼ばれる者たちもその一部です。
2度に渡るイングランドの征服でイングランド地方に定住した者もいる。
それがいわゆるブリトン人です
。
北方から食べ物を求めてさらに西にルートをとった者は飢餓でほとんど滅んでしまった。
アメリカ大陸に到達した民もわずかにいたが・・。
歴史の中に悪く言われがちなヴァイキングの登場はほとんど無い
。
一つには キリスト教化されて別の民族になってしまっている事
もあります。
逆にキリスト教に改宗しなかった者は異端として敵になりヴァイキングとして恐れられた。・
・と言う事なのでしょう。
実は アーサー王自体がキリスト教に改宗した王なのです
。
そう言う意味では、 アーサー王はブリトンの王であるけれど、ケルトの王ではなく、キリスト教徒として王位についている。
後世のアーサー王伝説は間違いなくキリスト教色を強める物語に変化していると言えます。
ヴァイキング船のドラゴン
ヴァイキング船の船首に付けられている守り神、モンスタ-・ヘッドの別名は「竜頭柱」
「ヴァイキング 3 (竜頭柱とヴァルハラ宮殿) 」
以前紹介した写真を改めて載せました。
船の船首にとりつけられる守り神のドラゴン
精密なケルト文様の細工がほどこされた船首に取り付けるドラゴン・ヘッドはまさしくアーサー王の父の名前ユーサー・ペンドラゴン(Uther Pendragon)「竜の頭」と一緒。
「竜頭柱」の首の部分
上に紹介した「竜頭柱」は全てノルウェーのオスロにあるヴァイキング船博物館で撮影した写真です。
ノルウェー、グドヴァンゲン(Gudvangen)にかつて復元されていたヴァイキング船
写真左の船首には簡単だがドラゴンの彫刻が施されている。これこそがヴァイキング船の象徴。
かつてイングランド含めてたくさん存在していたヴァィキング達の資料は今やノルウェーにしか無い。
ところで グラストンベリー(Glastonbury)で発見されたと言うアーサー王のお墓
ですが、(本物とは断定できないしウソかもしれない)
その遺骸は船の聖棺に王妃と共に葬られていた
と言います。
この 船に死者を葬る慣習もヴァイキングのものと一致
します。
やはりアーサー王がヴァイキングと同民族のケルト人である事は間違いなさそうです。。
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