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しかしながら、このブログを放置して、かれこれもう、1年半ほど経ってしまった。。。そして、その間にも我が家ではいろんなドラマが繰り広げられていた。。。
ガストンが末期がんで虹の橋を渡り、もう一周忌を迎えたこと。。。

だんなが、自分の本当の夢、「料理」をまた真面目に受け止め始めたこと。。。
私が自分でビジネスを持とうと活動をし始めたこと。。。

ミドリがK9Good Citizenの試験にパスしたこと。。。

サクラの問題行動で再確認した、「あること」。。。

気ままの21歳で迎えた大往生。。。
たかが一年や二年で、何がどうなることでもないが、今、ブログ再開に向け、過去を振り返って、やはり思う。人生には無駄がなく、私のこの、のらりくらりとした人生でさえも私に問うてくること、教えてくれること、そして考えさせられることというのは、どれをとっても、とても貴重だということ。その一つ一つを、こうしてブログとして残していくというのは、実を言うと本当はとても素敵なことなんじゃないか、そんな風に、また思えるし、ブランクのある過去2年ほどの出来事も、やっぱり残しておきたいから、ブログを続けていこうと思う。(さて、この向上心はいつまで続くのか。。。
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それはともかく、私はどちらかというと社交的に映るようで、友人からも、つきあいが多そうね、と言われることが、しばしばなのだが、実を言うと片手で数える程度の「友達」しかいない。それは多分、二十歳前半でアメリカに渡ったことも大きな原因だと思われる。その当時電話代はバカ高く、(コロラドに来てすぐに日本の友達と電話で2時間以上しゃべった後、400ドルくらいの請求書がやって来てだんなに国外線をキャンセルされたこともあったっけ。
インターネットやコンピューターのない時代(年代がバレるじゃないか。。。
) だったので手書きの手紙で日本の友人と連絡を取り合っていた。それでも日本との繋がりを絶ちたくなかった私は(当時)たくさんいた(と思われた)友人一人一人に近況を伝えることを欠かさないようにしていた。アメリカに来た当初は親戚関係からも手紙をもらえる状況だったのが、一年経ち、二年経ち、、、としていくうちに親戚関係はもちろん、友人からの連絡も、どんどん減っていった。
コロラドに住んで18年の間に日本へは3回帰ったが、その度に「会いたい」と思う友達が減ったこともある。それは私がアメリカで変わってしまったのか、日本で生活しているうちに相手が変わってしまったのかは、わからない。けれど、友人(と思っていた)の価値観が受け入れられなくなってしまった自分を発見したり、共通点があると思っていたのに実はなかったことを確認してしまったことが何度かあって、そんな人達とはもう長い間音信不通になってしまった。今でこそ、「友達」と呼び合い、お付き合いしてくださる人もこれまた少数ではあるが、コロラドにも何人かできたけれど、最初の4,5年の間は英語という壁があったため、すぐに友人を作ることができなかった。だからこそ、よけいに「友達とは、家族とは」ということを、自分の心に整理をつけるため、真剣に考えていたのかもしれない。
それから最近になって、アメリカでの生活にも随分慣れ、英語を使っての日常生活も困らなくなり、仕事上や、だんなとだんなの兄ちゃんがバーを経営していることから私を慕ってくれる人たちもかなり増えた。でも、それは「友達」とはまた違う。。。
では、私はどこで「友達」と「知人」をわけているのだろう?
昔、「人」と言う漢字はヒトとヒトが支えあっているように書かれているところから来ている、というようなことを聞いたことがあるが、私にとって「友達」とは、どれだけ筆不精であっても、どれだけ連絡が途絶えていても、一旦電話をしちゃえば、大笑いをしながら、まるでしゃべったのはつい昨日のことのように感じさせてくれる、そんな関係が「友達」に当てはまる。「え~と、最後に会ったのは去年の今頃ね~、元気?(ええ~と、次何話そうか?)」とかって考えなきゃいけないような関係は「知人」なのである。
実を言うと私もだんなも、大勢の人が集まるイベントやホームパーティが大の苦手である。例えば、仕事でしかお付き合いのないAさんからホームパーティに招待されたとしよう。それでなくともあまりよく知らないAさんがホスト役であり、そのパーティに来るのはAさんの家族や友人なのである。それが大勢であればあるほど私達はどうしていいのかわからないのだ。だいたい、ホスト役の人はいつも接待やお料理などで忙しいので、Aさんは私達がAさんなしでも楽しめるようにとBさんやCさんを紹介してくれるわけだ。で、Aさんは「一緒に働いているThe Avs Girlさんと、そのだんなさんよ。」とBさんやCさんに伝え、私達には「幼馴染みのBさんとCさんよ」と言って、その場を離れる。すると、残された私達だけで、紹介された以上はなんらかの会話を進めなければならない。一応自己紹介くらいはするが、そんな短い時間でどうやって相手を知ることができるだろう?しかも、それほど知り合いたい、と思って話をしているわけではない。ということは無難な話、天気や出身地や仕事の話だけで、「友達のように」会話を続けなければいけない。私達はそういった、その場限りの会話というのが苦痛にしか思えず、よっぽど行かなければいけないイベントやパーティ以外は一切行かないし、行ったとしても、1時間もいればいいところで、そそくさと帰ってしまうのがオチだ。
結局のところ、私もだんなも「友達」とはお互いを「吟味」しあって、心から「理解」と「信頼」をしあえて、ちょっと嫌なところがあったとしても、まだなお「大切」に思える人のことのように思える。だから私達は「知人」は多いが、「友達」と呼べるのは本当に少ない。
そんな私が、つい最近、日本にいる数少ない素敵な友達と久しぶりに会話が弾んだ。声を聞くのは日本に最後に帰って以来なので5年ぶりだった。でも、彼女達はやっぱり声を聞いた瞬間、くったくなく笑い、冗談を言い、距離感の全くない会話をし、血こそ繋がってはいないが、今も家族以上の存在で在り続けてくれていた。そして、それはどんな素晴らしい本や、おいしい ご飯にも勝る元気を私に与えてくれたのだった。
たくさんの「知人」を「友達」と思い違えてるよりも、ほんの一握りだけであっても、生涯を通じて付き合える「本当」の「友達」がいるほうが、ずっと幸せだと思う。そして、私はそんな「友達」が片手で数える程も、いることに感謝している。。。。