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山の写真を撮り始めた頃、或る山岳写真家が語っていた言葉がとても印象に残っている。「それぞれの風景には胸にせまるポイントは限られていて風景写真というのはその風景の薄皮を剥いでいく行為に他ならない。それぞれの山にはそんな薄皮の層の数が決まっていてシャッターを押すたびに薄皮を1枚、2枚と剥いでいき、それが尽きればその風景のINPACTは永久に失われる」 実際に山の写真を撮ってみると、対象とする山の撮影ポイント(いわゆる一等三脚点)はごく限られていてこの言葉は身に沁みた。 また、中学生時代の美術の故平山先生はどんな人の顔にも美点というものがあって、そのポイントを見つけ出すことでその人物のもっとも素晴らしい描画が得られると教わった。 こうしたかけがえのない瞬間をみつめ、そのもののもつオーラを独自の方法で発見し作品化することはアーティストの仕事の半分で、そこから紡ぎだされるストーリー性を言語で対象化しうることで作家としての完成が得られると僕は考えてきた。ポエムあるいは言葉こそがそれぞれの作家の表現行為に確かな流れをもたらす。 おもんちゃん展の後の吞み会でFさんから教わったツィッターについても現代社会の言葉の問題ととらえ、これから視野に入れていきたい。 それは<かぎりあるいのち>の永遠化とはちょっと異なる生きとし生けるものの不易流行とでもいうことにつながるキーワードかもしれない。 今年のデジカメ写真の自選のベストは益田の岩船にした。岩船の美点を捉え薄皮何枚目かの一期一会のLandscape Photoの1ショットだ。藪蚊を払いながらの撮影だったが、2万円のデジカメでよくこの瞬間の大気感が捉え得たなと自画自賛している。 十六夜月のハロウィーンの今夜が明ければ、季節はいよいよ立冬へまっしぐら。ムックきのこクラブの1クールは前身の日本キノコ協会と同じく4月から3月までだが、明日の11月1日よりきのこシアタープロジェクトの第2年度までの助走期間がはじまる。ムック茶会のプランニングはその皮切り的イベント。本年の大和まほろばの旅は聖徳太子にはじまり、飛鳥、平城京の山林修行者たちのトポスを訪ねる旅だった。この1年の旅をこれから年末までに僕なりの方法で表現したいと考えている。 次年度は場所を京都に移すが、平安から南北朝時代までの山林修行者たちのトポスをたずねることを主眼に、春日奥山の彼方に広がる大和高原を経て木津流域の笠置山、恭仁京、紫香楽京、長岡京、そして平安京の四囲の寺社山林を訪ねることになろう。
2012年10月31日
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雨で流れた初谷きのこ鍋ですが、雨にも負けないムックきのこのギャルたちが向かっているというので川西きのこクラブの澤山・井上コンビの待つ能勢妙見口駅へ出向いた。駅前にはど根性がしのばれる美男美女の総勢11人、今や遅しと待ちかまえており、たのもしいかぎりだ。 まずはとよの下水のマンホールに挨拶して、いつも登る女人高野の高代寺山を今日は眺めながらの探訪会。 シュイロハツのだっこちゃん親子が松の倒木の脇から顔をのぞかせていたので、材の上に置いてあげた。「どうだい、お嬢ちゃん。これで富士山でもエベレストでも見えるだろう」と語りかけるとしきりにうなづいていた。 おりからの雨にボディコンのチシオタケがなかよく手を振っている。ハタケシメジが今日の本命きのこだが、幼菌は方々に顔をのぞかせているが、やはりdecastes (10人のこびとたち)の種小名を持つ群生状態のありようを観察してもらいたいなと思っていると、箕面の山をゲレンデとしている今回初参加のCHARさんが見つけてくれた。 とんと見かけなくなった野葡萄もここでは健在で秋色をそっくり映す果実にはホッとする。道路脇には濡れそぼったイタチタケがポツリポツリと敬礼してくれている。 来しかたのどこを切っても枇杷の花 マダラ 見上げると僕ののっぺりした飴のような人生の節々を飾ってくれてきた花枇杷が蕾を持ち、いよいよ新しいステージを迎えたきのこ人生のこの1年の芳醇な時間の束をふりかえることしばし。今年は強力なアシスタントのお蔭で予想外の成果があがり、勢いがついてきた。 能勢路の空き地には必ずといってよいほど繁茂するチカラシバ(上左)。本日のニューフェイスはタンキリマメ(上右)。 高野ホウキとめっきり少なくなったコガネグモも声をかけてくれる。 晩生のヘビキノコモドキやチャツムタケも雨の中、閲兵式のリハーサル。 かくて、初冬の里山の風情は雨に極まり、いささかジャッキー・マクリーンのアルトが聞えて来るような感傷的な旅(センチメンタル・ジャーニィ)となった。 きのこ鍋の代わりに、駅前の津の国屋さんで採集キノコを焼きそばの具に加えてもらい、田中義人さんが持参した味つけ抜群のホウキタケ、岡元さんのヤ―コンの柚子味噌和え、そしてさまざまなフルーツを入れたバウンドケーキなどを澤山画伯の自作自演の歌を2曲、それも可愛いKチャンからのリクエストに弾みがつき2度まで聞かされながら賞味したことである。おそらく画伯は自身の声に(悪)酔い、聴衆は帰りの電車の中で消化不良の胃をなでていたこととお察しする。
2012年10月30日
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猿澤恵子 現代美術作家。現代美術というと僕らの世代はつい意識野の薄明域の想像力が生み出す魔性を帯びた作品を想像しがちだが、この絵心、詩心(うたごころ)を二つながら備えた作家はそうした魂の飛翔を生活領域のものたちにつなぎとめて、ちょっと背伸びのアート世界を手放すことなく淡々と作品を作ってくれている。このアート感覚は、僕がこれから目指す<きのこ>という鍵穴を通して得られる変容した形象(イメージの具象化)を得る生活科学に根差した庶民アート(シュールなきのこアート)への新しいメッセージをもっておりとても注目している。これまで断片的におもんちゃんワールドには触れてきたが、こうした2年に1度開かれる全仕事の現在形に触れるのは初めてでワクワクしながら会場を目指した。 今回の作品はすべて自宅にあるものたちのみを活用したものという作家の説明を聞きながら2時間余りじっくりと会場を巡った。 ハエナワの漁網の針をとりバッグに編み直した逸品。 毛織物アートのSHEEP SHIP主宰としての作品群。 上左より、セーターをバッグに作り替えた作品 子供のソックスを改造した小物入れ ネックレス カシェ(香り袋) 紹興酒の蓋を利用したプレート 彼女の<遊びの仕事>は、集まってきたものたちを<紡ぐ、繕う、腰機織り、野外で遊ぶ、仕上げの工夫、デコレーション>などの過程でそれぞれのものの声に耳傾けながら造形。究極の無駄が贅沢な心の糧になることを立証していく作業そのもの。 プレゼントのチョコレートの函にチョコレートに様変わりした椿の実と本展のDM ムックきのこクラブの世界の珍茶・飲茶の会(12月23日)でワ―クショップをしようと提案していただいたシャンペンのコルクでつくったきのこの独楽(上右・アップは以下の図像に)。 パッケージデザインなどをお手伝いしているというベーカリーの小麦粉の袋とその残りのパウダーを使って描きあげた作品。 シ―プ工房の色とりどりのスピンドルを用いた作品、亡き友へのオマージュとか。 この夏、暑さをしのいだ飲料水染めと 廃原発へのイラスト・メッセージ 作品「箱の箱」 いろいろな身ほとりグッズの作品 シャンペンの蓋を利用したきのこ独楽 包帯利用の螺旋作品 おもんちゃんの世界展では、究極のきのこアイコン・螺旋が曼荼羅の中心を成しすべてのものたちを統べていてとりわけ僕のお気に入り。森羅万象の生成のはじまりとおわり、終わりの始まりをシンボライズしたものがきのこでありラセンであるからだ。かくしておもんちゃんの創作活動はステージを変えて生成流転していくことを暗示している。 月天心のギャラリー JR福島界隈で発見したポルチーニ ギャラリーを後にして、会場で出会ったムックきのこクラブ会員さんと初対面の染色を手掛けるKさんら僕好みの美女3名と凄く活気あふれるJR福島駅界隈に繰り出し、アワダケクラブの下町篇を実現。おもんちゃんは閉廊間際に駈けつけたお友達のため会場に残ったのは残念でしたが、ここで出たツィッターにはじまり、さまざまな映画の話題はとてもスリリングなもので、それぞれ心地よい興奮に包まれて12番目の月を仰ぎながら家路についたことです。
2012年10月29日
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山口県のきのこ姫。友人から今年は成長不良とコメントがそえられてオニフスベをプレゼントされたらしいのです。一度念願の試食をと思い続けてきた彼女は、しかしどうも彼女の知っているオニフスベとは異なり、山口県の新聞でときどき話題になるスミレホコリタケではないかと思い始め、メールで同定を依頼してきました。やはり、きのこギャルだけあって、すでにきのこ目も相当なもので、違いがわかる大人になりつつあるようでたのもしく思いました。きのこは微生物ですので、裸眼による同定は占いのようなもので、エィヤ―とばかりにこれまでの貧弱な体験をもとに強引に決めつけるので、祈祷師としての力量こそためされても、それが当該のきのこかどうかは神のみぞ知る領域に属しています。そんな僕に同定を依頼するということは騙されても本望と覚悟を決めている人とお見受けしますので、お答えいたしましょう。 図像は一瞥しただけで、ノウタケ型のきのこでいちじるしい網目模様から、スミレホコリタケかキクメタケと思いましたが、更に添付されていた断面図像からキクメタケと判断しました。 直径20cmでオニフスベとしては発育不良とのことですが、通常10cm内外のスミレホコリタケやキクメタケとしては巨大なものです。 スミレホコリタケCalvatia cyathiformisもキクメタケCalvatia caelata も、共にホコリタケ科Lycoperdaceae、 ノウタケ属Calvatia のきのこで、それぞれ外観はよく似ており胞子塊が紫色を呈するかどうかで判断します。したがって、紫色はどこにも介在しないことからキクメタケと占った訳です。ラテン名のcalvatiaははげ頭、cyathiformis はさかづき形のという意味です。caelataは空に関係する言葉のようですので、ノウタケ属のきのこはいずれも胞子が成熟すると空色や紫色を多かれ少なかれ呈するのかもしれません。このきのこは僕も10数年前に三田市の天満神社で一度見たきりで、珍しいたぐいのものでしょう。食毒は食べた報告がないので不明ですが、ノウタケ、ホコリタケの新しいものに命にかかわるような中毒例は報告されていませんので、お試しになられた後メールできる余力が残っていたら是非報告をお願いします。 きのこはどんなに華麗で可憐であっても通過儀礼(イニシエーション)にしか過ぎず、「ここ掘れワンワン」ときのこが示す彼方の目にみえない世界への導入口にしか過ぎません。このようなきのこたちとの一期一会の出会いの機会は貴重ですし、保ち続けることは大切ですが、きのこ学そのものにはその先がなくきのこを極めて名前を覚えても菌類学への貢献度はとても希薄なものですので、微生物学という学問としてきのこを追求しその子実体が指し示す彼方の世界を目指すなら別ですが、もしそうでないならきのことの出会いの中から貴女のライフワークをきのこ目で再構築し、きのこを愛する文化人・国際人を目指す方向に少しでも早く取り組んでほしいと思っています。ムックきのこクラブはそんな人たちを対象とするお散歩クラブとしてようやく本来の形を成し始めてきました。そんなクラブの流れをより理解する意味からも最近出た岩波新書・小川眞さんの『きのこの教え』を読まれることをおすすめします。氏はきのことの個性的なつきあいの中から彼方の世界に行っちゃった人物として僕は尊敬していますので。 僕がきのこギャルさんたちのお役に立つとすれば、その地点にご自身が立脚していると自覚したときからの事です。もう25年以上もこんなことを言い続けてきてちょっと面倒臭く思い始めていますので、そろそろ自身のライフワークの集大成にとりかかろうかなと考えている今日この頃ですが・・・。 ムックきのこクラブの探訪会は、きのことの一期一会を愉しみながら、自然と人との接点となる場所で、時には映画館や美術館で、あるいは町中をさすらいつつ、きままにお喋りすることに尽きます。他日その日の爽やかな印象や、貴女自身に意味のあったきのこをイメージとして反芻することを通して多面的に人生を捉えかえそうという試みですので、今取り組んでいただいているきのこポエム24音詩をはじめとしてますます自覚をもってご精進のほど。 貴女がよくご存知のホコリタケやノウタケ同様、頭部のパン生地様の部分が胞子となって飛散し、下部の部分は残骸として残ります。その様子はまさに野ざらしの髑髏(されこうべ)そのものですよね。
2012年10月27日
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粒が揃い始めたムックきのこクラブで、この12月に珍茶・飲茶の会をしようということになった。僕は文化サロンに欠かすことのできないものとして喫茶ということに注目してきた。千家に代表される戦国大名や都市の旦那衆のステイタスとして確立された茶の道とは違い、江戸期の売茶翁(高遊外)につらなるちょっと背伸びの庶民文化としての喫茶を想定している。 わが国の仏教は、自然宗教のアニミズムに由来するシャーマニズムと密接に関わりながら浸透していった。奈良時代、僧侶になると税の免除を受けられることから、勝手に僧侶となるものが急増したが、彼らは官許の学僧(得度僧)に対して、受戒の手続きを踏まず勝手にドロップ・アウトして僧侶となったり、あるいは在家のまま受戒を受け僧侶となった国家非公認の者たちで私度僧とか優婆塞(うばそく)と呼ばれた。しかし、そんな人たちの中のごく一部ではあるが利他行(菩薩行)に目覚めた人たちは、伽藍の奥深くで経典を究めて悟りを開く得度僧とは異なり、知識と実践のバランスをみがくことが衆生の真の救済の道と考え、当時のニューウェーブであった大陸からの知識のつまった経典の原典読解生活半分と山野を跋渉し、鉱物や植物に通暁し、のちの本草学や鉱物学につながる博物学をどんどん身につけていく自然哲学半分の生活を送った。行基にしても空海にしても、野にあっては道教やインド錬金術などを駆使する奇巫(あやしきみかんなぎ)と呼ばれるシャーマン的な存在に近かったことが「日本霊異記」や空海の自著から知ることができる。この山林修行者も当然精神の変容をもたらす飲茶や護摩の習慣はあったと想像する。 お茶というものは、今でこそアルコールとは異なり、単なる嗜好品・飲料として扱われるが、本来は薬、それも精神に作用する植物由来の薬物だった。ある種の銘酊状態をもたらすものこそがお茶だったと僕は考えている。 僕は幼少の頃より宗教的な雰囲気の中で育ち、巷の霊感師やさまざまな宗教的欺瞞の世界を笑顔で通り抜けてきたが、きのこをライフワークに据えた頃に出会ったアンドルー・ワイルの不朽の名著『太陽と月の結婚』で僕は、ドラッグや向精神性植物に対するそれまで抱いてきた考えが正しかったと確信した。彼は、精製・純化した薬物は自然にもっとも遠いもので、自然のものはすべて雑なものがまじりあっていて、その雑駁なものが、そのおりおりの生命を維持する最大摂取量を決定するという。だから無際限に摂取できる精製されたものはグラニュー糖でも身体には悪影響をもたらすというのだ。これはヘテロな生き物きのこにも通じる考え方である。 ただ、今でも霊感師やさまざまな占い、はたまた新興宗教の人たちの言説を全否定する気は全くない。すべてあり得ると思えばあり得るし、無いと思えば無きにひとしい個人的な信に関わる世界のことだからだ。 このことの理解には、南都六宗の法相衆の説く瑜伽・唯識がわかりやすい。唯識とはあらゆる存在は唯(ただ)識(すなわち心)の働きで表わされた仮の存在にすぎないとし、ヨーガの実践を通して識(心)のありようを汚れた状態から清浄な状態へと変容させることが法相大乗の行法だという。したがって、人間というものは自分の心のはたらきによって自分のものさしによって理解された世界にのみ住んでいるものということができる。したがって生きとし生けるものはいかなる存在も全否定しえないのは自分を全否定できないのと同様のことなのだ。 ナチュラル・ハイをもたらす精神に作用する植物やきのこによるトランス状態は、霊感師の体験し示す世界と同じく、その当人に期待感がなければ全く効果が出ない。「SOMAはベニテングタケ」と、自説を展開したR.ゴードン・ワッソンを信州の菅平に招き、錚々たる顔ぶれの我が国の菌学者たちが一堂に会して開かれた「幻覚蕈(きのこ)の集い」がまったく無残な結果に終わったのは当然と言えば当然であった(MOOKきのこ12号の「SOMA」参照のこと)。まず心底それを望む期待があり、加えてそれにふさわしい場のセッティングを図らなければ生活のしがらみから脱して精神が飛翔することはない。人体実験という方法では薬効成分の効果のみに終始し、想像力の入り込む余地が全くないからだと僕は思っている。精神に作用する植物、それがナチュラルな素材であるかぎり、その成分以上に期待感のともなう想像力が介入することで意識の自由な飛翔が得られる。ようするに想像力の問題なのだ。 したがって、期待感とそれにふさわしい場の設定がなされれば、ナチュラル・ハイの状態は、食事でも、音楽鑑賞でも、喫茶でも、セックスでも得られるということだ。茶の道には今日さまざまな流派があるが、いずれもそのような場を設定するための作法を定式化したもので、そこに場の雰囲気を盛り上げる亭主の心遣いがあれば当座の客人たちはたちどころにあらぬ彼方へ行っちゃうことができるし、それが叶わずともそれに近い状態を招来することができる。探訪会のあとのアワダケクラブがたのしいと思う人たちと言うのはひとえに、そんな想像力を駆使してその場に集った人たちから何かを得ようと期待していることによる。 売茶翁の口コミサロンは京の町の思わぬところで神出鬼没の様相を呈していたが、蕪村や池大雅をはじめ当時の文人墨客の面々は喫茶をたしなみながら、言葉に尽くせぬインスピレーションを得ていったと云う。 この12月の飲茶の会はそんなサロンの最初の一歩だが、まずはさまざまな種類の茶を楽しむことからはじめて、少しずつナチュラルハイの方法を模索していきたいと思っている。目下、茶会といえば金銭まみれのイメージがぬぐえないが、そんな茶会とは厳密に一線を画して、きのこを愛し、きのこの彼方へ旅立つ人生のアーティストの林間サロンの場づくりに、ムックきのこクラブでも導入していきたいと願っている。 喫茶はアルコール飲料以上の銘酊作用があること。茶による銘酊作用は多分に精神的であると思われるので是非開発していきたいものだ。この期待感をみがくことこそがムックきのこクラブならではの茶会なので、どうぞさまざまなアイデアを持ち寄って試行を重ねていただきたい。 繰り返すが、僕たちムックきのこクラブの茶会は茶葉の選定以上に場づくりに心を配ることが肝心だ。そうした努力の果てに単なる飲茶の会になっても折々のお茶を楽しめれば無駄ではない。しかし、その想像力のはばたく場のセッティングを常に心がけることで「たかがお茶」の世界が「されどお茶」に変容することをお忘れなく。 ただ、精製して粉末になったドラッグはナチュラルハイとは無縁のもので、以上のかぎりではないことを肝に銘じておくこと。
2012年10月23日
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修験道発祥、楠公ゆかりの地、金剛山は道具立て充分でした。 去る10月14日(日)、南海高野線河内長野駅に降りたった怪しいきのこ探険隊の面々は総勢10名。一升瓶かかえた男性、地下足袋姿のギャルをはじめ、どう贔屓目に見ても怪しい男女が、支離滅裂の話に興じながら、役行者の本拠地・葛城山を目指していた。登山口バス停に降りたって彼らが目指したのは、まずトイレ。ついで、やさ男風の元物理の先生がさまざまにルートをしめし、とりあえず目の前の石段登ろうということになって、まずは千早赤坂城址へ直登。ところが案の定登り始めてまもなく、もう方々でしゃがみこんでぶつくさ、キャーキャー叫びはじめている。「トイレは今すましたのにな」といぶかっていると、這いつくばって写真をとる人、メモる人、苦笑して見つめる人、おならをぷりぷりする人、スカートの裏はどんな感じですかと訊く人、鹿はいないはずなのにと憤慨しながら糞を探す人。ひたすら頂上を目指す人。小一時間かけて赤坂城址へ石段を登りつめたら、「金剛山ってあっけないのね。もう頂上だ」といって「まだ山に入ってないよ。これからが登山」とかなんとか言い合っている。とりあえず、丹後の冠島の老人嶋神社に供えたお下がりのお神酒で乾杯という段になるとどこならともなく紙コップが出てきて、ロッテリアからかすめてきたっていう人あり。おやじギャグの画伯は、アルコール燃料不足で、まだおとなしい。しかし、この時とばかりに代理ギャグが獣糞コレクターから飛び出す。最近は女性陣も、10分ほど経ってから笑えるようなギャグを挿入しはじめ、頼もしいかぎりだ。 登りつめて登頂気分になった石段とお神酒と赤坂千早城跡 しかし、お神酒が入っていよいよ登山となると寄り道ばかりでなかなか前へすすまないのだ。動き出してまもなく言葉使いは優しいが「腹がへったよう。めし喰わせ!!」と言ったようなかなり差し迫った語気のある言葉がガッキ―嬢の口から飛び出したので、どうせ登頂は無理と最初からあきらめムードのマダラが「じゃーここで飯にすっか?!」と登山道の脇へ座ろうとすると、「もうちょっと見晴らしのいいところへ行ってたべましょうよ」と地下足袋女が優しく、しかしかなり強引に牽制。そんなこんなで、楠正儀の首塚から少し登ったところにある脇の高台で食事。ここでのおしゃべりは、お神酒もまわってかなり高度で多次元の話題で、廃原発問題やオオミズナギドリの話には皆目の色が輝きだす。 楠正儀の首塚と近年マスコミをにぎわしたスギヒラタケ 飯がお腹に納まったガッキ―ちゃんは、午後(というより遅い昼下がりと言うべきか)の急坂の山道をとっとこトットコ登りだし、ニガクリタケの花盛りの山道をリードしていく。お蔭でロープウェイの最終に間に合わず山頂で野宿なんて不安な気持ちを笑顔の裏に押し殺していた初参加の女アキレスさんもやや安心。結局は明るいうちに河内長野駅に到着して、駅前の居酒屋であわだけクラブ(反省会なのだ)へとなだれ込んだ。めでたしめでたし。 ムラサキシメジ ヌメリツバタケ アカヤマタケ クリタケに見まがうニガクリタケ ムラサキアブラシメジモドキ シロカノシタ チシオタケ ミニチュアながら立派なノボリリュウタケ ベニタケsp 種名不詳のカヤタケ 頂上付近より大和方面を望む 葛木神社 元気で見事なブナ林 さて、きのこ星雲、J-FAS日本キノコ協会より23年、ムックきのこクラブ5年目にしてようやく<ちょっと背伸び>を常に心がけるメンバーの粒が揃いはじめた。今回個展の準備に大忙しのSさんや自然派のKさん夫妻。きのこ大好き親子のYファミリー、本格派山ギャルにしてきのこ愛に目をうるませるFさんの仲間たち。郷里の熊野できのこ講師に招かれ出張中のきのこ青年O君、最近仕事につぶされそうなAちゃん。遠く山口よりエールを贈ってくるきのこ乙女のデコちゃんいやたか女さん。 金剛山での林間サロンは、今回初参加のアートマニアのKおじさん、元物理のY教諭、文字にくわしい印泥おんなのIさん。朗読で新しいきのこ世界を開発中の猫女Nさん、長ーいジャズ仲間のMくん、地球せましとアジアに熱い目を注いでいるガッキ―ちゃん。きのこ星雲人にしてマダラの親友・糞コレクターのIくん。多面的な僕の活動を親身で支えてくれているS画伯、そして、ムックきのこの幹事からアート・コーディネート、探訪会のプランニングまでをこなしていただいているSさん。こんな人財が目下のところムックきのこクラブを遠巻きにしてくれています。
2012年10月22日
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神戸大学のTさんが、ギャラリーきのこにプレゼントしてくれたコミックは、近年溢れだしたきのこ本の中では、なかなかジーンとくる佳作で、コミックの苦手な僕もなんとか読み切ることができた。 ストーリーは、愛犬・はなこを亡くした絵本作家の夕闇ほたるくんが、ほったらかしの庭の雪柳の下に顔をのぞかせたピンクのきのこを眺めていると、それが動き出し犬となって彼の生活に割り込んできて奇妙な時間がはじまるといったものだが、いわゆる劇画にありがちな神経を逆なでする描画とは無縁な独特で微妙な筆致で展開する情景はフィット感があり、なかなか愉しめた。 ただ、この作家も<微生物としてのきのこ>と無縁な新感覚派とでも言うべき新しい世代の作家で、花といえばチューリップを描いてしまう幼児よろしく、きのこといえばシメジ型しか描けないところにやや物足りなさを感じてしまう。だが、実際のきのことは無縁の感覚的なきのこファンが今後きのこをひとつの新しい文化表徴として捉え、深化させていくかどうかを問題にすること自体は僕のあまりに個人的な趣向に引き寄せた考え方で、そうしたきのこのトレンドの中での是非を考慮しなければ、きのこという不思議ないきものを素直に捉え対象化した蒼星きままさんのセンスの良さには脱帽ってところだ。 僕は、ちょっと背伸びのきのこ文化人を目指せと方々で語ってきたが、30年近くも僕のまわりに集まってくるきのこに敏感な人たちをつぶさに観察してきてようやくこの「ちょっと背伸び」とは結局何であったかに理解が及び、やや手遅れながらムックきのこクラブで新しい試みをはじめている。それは<きのこに敏感>ということは、きのこで一家を成すための必要条件にしか過ぎず、言葉による自己対象化への努力があって初めて必要にして十分な条件となりうることに思い至った次第だ。 「このきのこ食べられますか」と問い続ける人と「きのこを明日を生きる自身の心の糧にしたい」と欲する人の間には如何なる差異も本来的にはありえないのだが、きのこに敏感な人といってもそこには無限に近い意識差すなわち心のグラディエ―ションがあり、それを理解できるかどうかの間には深くて超えがたい溝があること。そして僕が求めてきたきのこ人とはこの差異を理解し愉しめる人たちだと思い至ったからだ。 ましてや、きのこ暦第3期を迎えた僕が構想するきのこシアタープロジェクトの担い手は、そんなきのこの彼方を目指すアーティストたちで、きのこなど意識にのぼったこともない人たちをも共感させる普遍に通じるパワーをもつ人たちだと考えるので、言葉によるアートを当然のごとくあらゆるアートに先行して身につけようと努力している人たちを対象としている。これが僕の言う「ちょっと背伸び」の内実なのだ。それが2年前にはじめたきのこポエム24音詩にもつながっている。 アートで身を立てるということは経済性の世界でアートする自己を貫くことなので、無名の個人という最も辺境の特殊世界から発信するほかなく、常にトレンドを意識しつつ商業化の波に乗る以前にみっちりと自己検証しておく必要があり、それは言葉というまったくの保守的な手段を通してのみ可能と考えてきたからだ。 僕のまわりには実にさまざまなアーティストの可能性を持った人たちが去来してきたし今後もますます増え続けて行くことだろうが、微生物の有性生殖器であるだけのきのこをどう内実化していくかが、<ちょっと背伸び>という言葉にこめられていることを自覚してほしいものだ。そうすれば、菌蕈学(きんじんがく=きのこ学)という全く微生物学という科学と無縁で未来のない世界を、自身の心の糧としてとらえかえすことができる。 ムックきのこクラブの月1度の探訪会は、身ほとりの自然に身を置ききのこをひたすら観照するのみの会だが、きのこはそんな素朴な僕たちの心の欲求に充分にこたえてくれる得難い友なのだ。 此の度、このささやかなコミックを手にして、僕はこれまで歩んできた道が間違いではなかったことに改めて思いを致し、今とてもしあわせな気分にひたっている。そして蒼星きままさんに続くきのこ新感覚派の人たちの益々の精進を期待している。蒼星さんは大阪生まれと聞くので、いつか機会があればきのこの森にもご一緒したいものだ。
2012年10月21日
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UK君は老人嶋神社神前に神酒をお供えしてくれました。その2本の内の1本を持ち帰り、先般の金剛山きのこ探訪の際に持参していただき、千早赤坂城跡で乾杯したことです。 若狭湾の西、大浦半島の成生岬(なりゅうざき)の北9kmのところに冠島(かんむりしま)、更にその島の北3kmのところに沓島(くつしま)というふたつの無人島がある。これら2つの島は大宝元(701)年3月に3日3晩続いた地震のために海没した凡海郷(おおしあまのさと)の名残りだと伝えられている。丹後半島は古代史のテーマパークだと僕はこのブログでかって語ったことがあるが、とりわけ、与謝郡、日置の里、筒川で生まれ育ち日下部首の祖先とされた浦嶋子伝説に興味を抱き、幾たびとなく通い詰めたが、現在までこの2つの島は、禁足地になっており、訪ねることが出来ずに来た。ところが、ムックきのこクラブの池田裕計さんがオオミズナギドリの調査にこの島に定期的に入っていると聞き、島の情報を伝えてもらった。なんとなれば、冠島(雄嶋とも呼ばれる)の老人嶋神社の祭神はこれら2つの島の守護神の十一面観音で、その守護神に仕える3人の1人として浦嶋子は祀られており、瀬之御前(弁財天)と結ばれ夫婦になったとされているからだ。 冠島 老人嶋神社手前の舟魂神社 UK君、いざ冠島上陸 老人嶋神社参道 uk君の調査対象であるオオミズナギドリについては以前彼から居酒屋で直接聞いたことがあるが、毎年2月末頃にこの島へやって来て春から夏にかけてこの島で産卵、秋になり雛が大きくなるとそのヒナ鳥を伴いフィリピン方面まで渡りをするという。 オオミズナギドリ 写真はすべて本年8月下旬の調査の際のもの 冠島と沓島の位置関係 戦いすんで夜は明けて離島の日 写真提供 池田裕計 日置氏のこと: 日の吉凶を占う職を担った氏族名に由来し、日祀りをとりおこなう祭祀者のひじり(聖)から日知、日者に通い合う。日本全国に「ひおき、ひき、へき、へぎ」などと地名で残っているところは日置氏の縁があると言って過言ではない。また、彼らは日置部として、刀剣作りの鍛冶に用いられる炭を供給する職にも関係していたとされる。また新撰姓氏録によれば、日置造(みやつこ)は高麗系とされ、秦氏や物部にも関係づけられる契機を孕んでいる。
2012年10月20日
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帰路の4番目の月 コスリコギタケ 突然賜った休日、秋の食用きのこ採集に1日を費やした。僕のなじみのテリトリーを3箇所巡り、Lサイズの紙袋3つにショウゲンジ、サクラシメジ、ウラベニホテイシメジ、ヤギタケ、ムラサキフウセンタケ、ハナビラニカワタケ、ヌメリツバタケ、クロラッパタケ、シバグリなどを放り込んで澤山画伯の参加している川西美術協会の作品展2ケ所までちょっと足を伸ばし、4番目の月と対話しながら帰路についた。しかし、同じエリアの日うら日おもてだけをとってみても土壌の乾湿の程度には大差があり、発生にも遅速があるものだ。また、樅林の残る西谷の社叢林ではアカモミタケが1個体と幼菌1個体が発生していていよいよ秋深しと感じたことである。 本日の希少種はヤギタケ、オニフウセンタケ、コスリコギタケ、アカモミタケだ。いずれのきのこも僕たちの関西圏では比較的出会うことが稀なもので、これも秋ならばこそのデートであった。 オニフウセンタケ ムラサキフウセンタケ ハナビラニカワタケ アカモミタケ ショウゲンジ ヤギタケ 澤山画伯とは会えずじまいで、撮影許可はとれなかったが、画題「タイヘエラク」はやはり白とエメラルドグリーンが主体の抽象日本画で、いよいよライフワークとしてのテーマを追求しており、個人的にはとても潔い感慨を抱いたことである。 サクラシメジ 第二会場(チャリティー)の画伯の絵 今回は画伯に会えず写真撮影は控えたが、こちらの展示絵画は黙ってゲット 今回の画展では榎原 保氏の「忘れてきた学舎」がダントツに強く印象に残った。毎回観ているはずのこの協会の重鎮的な存在の作家だが、本年はとても目を惹いた。第二会場に居られた長谷地区の棚田風景「コスモス」を描かれた若宮一成さんに榎原さんのことをお聞きすると京都工芸繊維大学出身で若宮氏とは保ケ渕静彦門下の兄弟弟子だそうだ。
2012年10月19日
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芸術の秋は貧乏暇なしの僕にとっては大忙しの季節だ。貧乏は常態なのでほとんど意識にのぼることは無いが、ひまなしが曲者。身体がいくつあっても足りないのが悲しい。神戸大学大学院人間発達環境学研究科・発達科学部人間表現科創作系ゼミ合同展と銘打った活動展のことを本日、発作的に思い出して、会期中可能な日時は今日だけと観念して仕事をはねてから片道1時間以上かけて大雨の中JR元町高架下商店街のゼミ展に行ってきた。とりわけギャラリーきのこの常連客でチンドン同好会の山中澪さんのインスタレーション作品はクラゲを筆頭にアクアリウムの動画に彼女のキャラクターが遊泳するもので面白かった。Polyhedronとは多面体の意味らしく、絵画、立体造形、アニメーションなど創作系ゼミの様々な個性をひとつの統合体として紹介するもので、そのアイデアはとても参考になった。 個人的な好みでは赤川作品の「ストローク」(上左)が、Photoの部門では作品よりもきのこに通じるクラゲのランプシェード(上右)が気に入った。 展示方法としてはモトコ―3会場がもっとも訴求力があり、作品も言語化しやすいもので充たされていた。 山本法子の「st Ones」(左)と石田千都菜の「爽」と「求」(右)。鈴木マヤ子の「アカノヌマ」(下左)、「メダマイケ」(下右)。 創作ゼミというひとつの集合体の多様な作品に個人名は不要かもしれないが、以上のほか、蔵薗幸恵、小林翔子、多田初穂、田中美佳、中村優里、藤野志織、宮田晴菜、山浦由子、王明明、幣夏恋ら多才な作家たちの作品が堪能できた。 この日は予想に反してやや肌寒だったので、平崎結花の「うどん」(上左)には感情移入してしまって、ここを出たらもう絶対に立ち喰いうどんを食べようと堅く決意したくらいだ。 3会場を駈け足で巡った感想は、作品相互の多面体的な展開が会場を分けることでマイナスに作用しているように感じ、多様性の統一といったインテグレーションの点で、やや散漫な後味が残った。微妙なことではあるが、PolyはPan(汎)を意識しないとPhonicな響きを持ち得ない。次回の課題としてほしい。
2012年10月17日
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アントニオ・カルロス・ジョビンの別の面といったタイトルを持つアナ・カランのしみじみとしたアルバムを入手した。ファーストアルバムと目される「Rio After Dark」(1989年リリース)以来、彼女のボサノバの流れをくむアルバムは90年代よく聴いたものだが、やがてフュージョン系の音楽に流れを変え始め、熱帯音楽を探究していた当時の僕の好みからやや逸れて行き、疎遠になっていった。この「The Other Side Of Jobin」は1992年リリースの作品で彼女を後押ししたジョビンへのオマージュとも言えるアルバムで、「Rio After Dark」の大ファンの森崎くんと久しぶりに再会して、彼女のディスコグラフィーを調べる内に浮上してきたもので早速入手、とてもなつかしく聴いた。
2012年10月16日
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小川眞さんとは小生が設立に協力した丹後きのこクラブの記念講演会の折りにようやくお会いすることができとても興奮したが、本書は氏の菌根菌研究の人生の来し方行く末を述べたものとしてしみじみ昧読した。20世紀の終わりに近い頃だったが、すでに丹後半島で原因不明の広葉樹枯れがひろがりつつあった頃のことで感無量のものがある。 本書の暗流を成すテーマは、人間のものさしが如何に卑小で自分勝手なものであり、人類の超克すべきもっとも火急の課題は、第2章の「これ食べられますか」に終始する一般の人たちの価値の不分明な生き物に対する「差別」の意識ではないか?という自らへの問いかけをきのこをつくる菌類という生きものを通して語ったものだ。 本書ではじめて小川眞氏が幼くして父を亡くしたこと、それが氏の今日までの人生に大きく作用してきたことを知った。小生も小学生の頃、兄を亡くし、以来「人は何で生きるのか」ということを反芻しつつ馬齢を重ねてきたこともあり、氏の語りかける言葉に共感してきた理由の一端に触れることができた。理科系の彼の場合は、京大農学部在籍時代に浜田稔博士にマツタケをテーマに菌根菌の研究をやれと肩押しされ、この道に入った。余談になるが、この浜田稔博士は、我が国戦後の菌類学の草分け的存在で、関西菌類談話会を創始し、今日までのきのこや菌類学世界の名だたる人物や学者はその殆どが氏の大きな懐から輩出された(京大をベースにしたきのこ学の黎明期のことは四出井淑子さんの「きのこ学騒動記」に詳しい)。 ひるがえって僕の場合は高校・大学と山岳部に所属し、自然の魅力を満喫したが、晩年を意識した30歳を過ぎて山の写真を撮り始め、5年余りののち、突然きのこと決定的な出会いを果たし、めぐりめぐって小川眞氏とも出会い、本書でようやく氏が同じ頂きを目指していることを理解したのである。小川氏は森林総研時代すでにマツタケの研究からAV菌根へと進み、菌根に感染させたフタバガキ科の植物を利用し砂漠の緑化の一助とする企業体に転職してからは、地球の緑を支える菌類と炭の研究即実践活動に専念し、人々のものさし、すなわち意識の転換を促す努力を続けてきた。文系の僕は、きのこをつくる大型菌類に由来する生きものに学ぶ哲学(ヘテロソフィア)をベースに民芸につながる総合的なアートと社会事業による発想の転換を招来させたいと考え、きのこに敏感なアーティストたちを結集し、ヘテロソフィア・アートのトレンド形成に努力をつづけてきた。小川眞さんと僕の共通点は、自然とりわけきのこに親しんできたこと、そして利他行(宮澤賢治の言葉では自分を勘定に入れない菩薩行)を目指し、たえず知識と実践のバランスを図りつづけてきたくらいのことでしかないが、僕は感覚的なきのこファン(これはブームと言われる現在でも極く少数派でしかない)の無意識には共通点があり、その自覚を促すことで、小川さんや僕の目指す新しいものさしをもった人たちによる社会の実現は可能だと信じている。 21世紀の成長産業は人の弱みにつけ込む産業のみだと言われてきた。この筆頭が医療、教育、保険で、それは昨今の健康食品、医薬品、進学塾、さまざまな保険商品のTVコマーシャルを見れば一目瞭然だ。営利を最優先させることが善とされた社会が破綻寸前であることは、放射能汚染、酸性雨にきわまる大地、水、土壌の汚染の指標としての森ときのこの現況をしめした本書の随所にちりばめられているが、小川氏も本書の結論として農業、教育、宗教あるいは哲学といった広義の文化を新しい価値観をもって取り戻すこと。そしてこれから残された人生のすべてを賭けて取り組む氏の事業を「共生する木と気を植える」と見事なコピーで訴えかけているのがとても印象に残った。これが小川さんの到達した境地であろう。 本書の前半は、きのこの生物学、後半はそのきのこを通して培ってきた社会哲学が披露されており、とても読みやすくまとめられていてきのこに親しんできた人にとっても、まったくきのこに不案内な人にとってもたのしめる内容となっている。 宮澤賢治にはじまり、山伏から身を起こした良弁、行基、空海。仏教を神仏に身捨てられた最下層の人たちのものたちにとりかえした鎌倉期の法然、親鸞、日蓮。海外では僕の青春時代を最も支えてくれたアルベール・カミュ。永続革命を提唱したトロッキー。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンと流れた国家社会主義の瓦解ののち、ますます光輝を増す一方の共同体社会主義を目指したウイリアム・モリス。そして氏の共生の理論に通じる相互扶助論を提唱したロシアのアナーキスト・クロポトキンなど、ようやく僕が寄り道しながら摘みとってきた知識とそれらを実践した人物群像のそれぞれが一つの方向に流れ始めてきたのを感じている。 最後に小川氏の体験の滲む言葉でとりわけ僕の心に突き刺さった下りをお伝えしておこう。「陸上植物の新しい種は競争相手のいないところを選んで広がって行った。そのときお守り役を買ってでたのがきのこだ」。きのこの立場を代弁してあまりある絶妙な言葉だ。また別の章では「生物とは元素を見える形にしている仮の姿だ。」と。生命の連続の中では死も生も同じものの両面だという究極の宗教につながる発想でこれまた僕にとって忘れ得ない言葉となった。
2012年10月12日
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正面とやや右上からの俯瞰 隠れた作品細部の図像 2012年10月7日~8日肥後橋の未生会館で開かれた「然り 自然会 屋久島より」未生流展にかけ足で行ってきた。冒頭の写真は岡田有甫、角谷直甫、小林弘甫、田中絵梨甫の無題の合同作品(写真上)で、華材にヤツデ、ケイトウ、ツルリンドウ、ユリ、キイチゴ、ススキ、エノコグサ、コスモスなどを配した若々しい意欲あふれる作品。 ほかに心に留まったものは、八重のクレマチスをあしらった西田みゆき甫、河村友見甫の作品(上左)。藤裕甫の縞万年青のみじんも隙のない作品(上右)。 来し方のどこを切っても枇杷の花 マダラーノフ とぼしい過去のいずれのシーンをふりかえってみても金太郎飴のようにこの花枇杷がさりげなく演出していたなと回想した拙句だが、そんな僕の好きな花を追求した伊藤廣甫(上左)、同じく柿を追求した一瀬隆甫(上右)。ヤマサンザシとシノノメホトトギスを配した上薗静甫(下左)。本展ではこのとても典雅な華材をあしらった上薗作品が一番印象に残った。今回は屋久島から空輸したミニ華やそれに合わせた超ミニの花器など面白かったが、総じてまだ枯れきっていない僕の心は巡回するうちに「秘すればこその花、女人には華あれかし」といった思いで充たされて行った。そんな思いは階下の点前の席で豪華絢爛に着飾った美女たちに囲繞されておうすをいただいたときに存分に満喫した。 茶席の短冊には「秋風旅雁帰」だろうか。またしみじみと心華やぐ作品群に交じって文房四寶のすばらしかったこと。売茶翁の禅味を今に伝える煎茶道具の数々、そして売茶流の煎茶道家元教室も未生会館・高麗庵で開かれていることも知り、新しい発見であった。
2012年10月08日
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ミクロな世界もマクロな宇宙のリフレクション、非連続の連続。・・・きのこポエム いよいよポエム三昧の日々とお見受けする画伯、内面の表出がちらほらと散見でき面白い展開になってきました。短詩は個人の日々の心の備忘録でもあるので、全力でその日その日の出来ごとに触発された印象を書きとめて行きましょう。海上がる生きもの進化の果ての人の生き方人の生き方とむすぶとせっかくのモチーフが尻切れトンボに。「うみあがるいきものぼくはしんかのはてのひとたるか」ここはひとつ、意思表示がほしいところです。雷の電気は流れもったいないヘソパン焼いてますかみなりとヘタパンならぬヘソパン(どんなパンかな?)で独特のユーモアを滲ませています。秋風よ伝えておくれ政治経済の裏のうら佐藤春夫の「さんまのうた」のもじりでしょうか。なぜか寂寥の秋風が作家の心境を反映してぴったりですね。リフレーンの場合は視覚的効果を狙うため文字を重ねないほうがよろしいかと。天神さんの御旅所へ寄って原発反対へ 御霊はんの元祖の菅原道真公の巡回地に幣を手向けて、いざ金満国家の推進するプロメテウスの火をむきになって安全と言い張り推進する関電へデモ。これから1週間も立たぬうちに青森県大間原発が建設工事再開した。まさに死に急ぐ衆愚につける薬のないことが露呈した。天神さま、こうした強硬な政策を見て見ぬふりする僕たちも含めて激怒してくださいませ。蚊にえくぼあるかないかと午後の二時間 1日5作品のノルマをこなすため、どうも結語がトタン張りになってしまい詩情が薄らいでしまう嫌いがあります。おなじ無為徒食の精神を謳歌するなら「蚊にえくぼあるかないかと腕組みしそのままお昼寝」とする方が定型、かつ澤山節が活きると思います。青面金剛まであと少し日は短かくて 青面金剛は道教の庚申信仰の仏教的展開のアイコンです。忿怒相(怒りの表情)、六臂(腕が6本)、それぞれの手に武器を持ち、合掌した女人の髪を掴んでぶらさげている。足下には邪鬼を踏み、三猿や、雌雄の鶏を配し、夜明けすなわち辛酉(かのととり)の日を待つという意味の図像をちりばめている。鶏は庚申の日に男女交わってはならぬといういましめとされる。わが国独特の民間信仰を伝え、文字塔形、聖観音形、地蔵形とさまざまだが、馬頭観音のような三面六臂のものもあるのでむずかしい。舌足らずながら秋の野末の風を感じさせる佳作だ。擬死擬態自然のつくうそ本気で命がけ いきものに無限抱擁に近い愛情をふりそそいでいる画伯ならではの視点。人間だけが例外。リズム感がほしいところ。あちこちのクモの巣をレ―スにみせた朝の霧 これは誰でも一度は作品化したいと思っていた光景。上手にまとめました。猫ふんじゃったきこえてきたぞせんたくもんとりいれるか この論理の飛躍は面白い。日々展開されるワンパターンのピアノレッスンを聞かされる迷惑をさりげなく伝えている。一面のコスモスコスモスタマネギいためる匂い この飛躍も取り合わせの妙で成功。くりかえしはこすもすとしたほうが表記から来る混乱を回避できます。尖閣がかくす福島幕吹き飛ばせ秋の嵐 基地問題も原発も隠ぺい工作は常套化しています。アメリカの意向ですとは云えぬ主権国家の根源的な悩みですね。高速道路に売られたタンボ彼岸花二本 道路問題も後手後手にまわります。非暴力の虚しさのシンボルとなった2本の彼岸花、お察しいたします。キツネノハナガサ小さい虫の夢の花傘 たまゆらのいのちを感じさせてくれる淡いレモン色のキツネノハナガサタケ。ミクロの世界も相互扶助の精神が貫徹しているようですね。こんな無視されてきた生きものを歌いあげるジャンルも是非開拓してくださいませ。柿色づく妙見口駅なつかし度五つ なつかし度5点という若者言葉も生かされてます。雨上がり能勢の妙見キノコは地にマンダラ 「妙見によべの星降りきのこ散り敷く露の道」僕の作品ですが、定型に字足らず以外の点では負けました。脱帽。「雨上がり能勢の妙見 きのこらの地界マンダラ」たとえばこんな風に24音にまとめる努力も。イヌセンボンタケなでる千手観音能勢の山 千に重ねたきのこと観音まではおやじギャグ。しかし、結語の能勢の山でイメージ豊かな作品になりましたね。 この尾根をたった二人でソライロタケがいましたね 「この尾根にふたりぼっちソライロタケを見ましたね」こうしたほうが作品の言わんとした意味がより深く伝わります。ユングさん私の心深く住むキノコわかる 結語を「きのこご存知?」 あるいは「きのこ知ってる?」とすれば定型に。字余り、字足らずは必然性をともなわなければなりません。ご一考のほど。しかし、いよいよきのこの彼方へ足を踏み出しましたね。益々期待できそう。 芭蕉は俳句に向かう心を「高く悟りて俗に帰る(高悟帰俗)」 と言っています。この「高く悟りて」が庶民の詩を標榜しながらも近代以降の俳句作家の伝統につながる根拠とした根本のスタンスです。しかし、川柳作家は、そんな俳句詩にアンチとして創作活動をしていますが「俳句のような高尚なものはちょっと苦手だけれど、川柳なら」というその自己規定に僕は不快感を抱きます。結果的に川柳詩に至ったとしても、その根本のところのしたたかで傲慢に近い自己卑下の態度が見え隠れするからです。しかし、きのこポエムは高く悟る必要はありませんが、常にちょっと背伸びを心がけることで発想の第一歩から詩を目指します。庶民ではあってもちょっと背伸びの庶民たるべしなのです。この爽やかな野心を大切にするためにあえて俳句でも短歌でもないきのこポエム・24音詩を打ち出したのです。ちょっと背伸びすることの中には、日常語での表現を自らただすという訓練も含まれます。画伯の作品にみられる日常語もちょっと背伸びし、言葉を選ぶことで内容にふさわしい表現に生まれ変わります。きのこポエムは伝統につながる意識とか、俗のままでよしとする居直りの態度からも解放された自由な詩形であるべきで、新しい表現は必然的に新しい言葉を要求します。加えて、文学者の戦争加担の反省からわが国の戦後詩はリズムに乗ってしまうことを極端に忌避してきましたが、詩の根源的な歌うことを取り返すために僕は定型に少しこだわっています。「歌(音楽性)を忘れて詩はない」という思いがあるからです。いよいよ佳境に入り始めた画伯のきのこポエム、この基本をしっかりとご自覚の上、ますますご精励のほど。
2012年10月06日
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山口県光市のきのこ姫Tさまから可愛いヒメベニテングタケ Amanita rubrovolvata の図像ときのこポエムが送られてきました。彼女のゲレンデでは常連客らしく、阪神間に住む僕にとってはとてもうらやましい限りのきのこちゃんですので、ここにご紹介いたします。 ブナ、ミズナラ林、シイ、カラマツ林などに発生するので、兵庫県では氷の山あたり、もうすこし拡げると伊吹山以北にまで行かないと出会うことができません。しかし、野性のマイタケも箕面、京都の思いもかけないコナラ林で見つかっていますので、生きている間には身近なところで出会うこともあるかも。 大きさはカサの径2.5~3.5cm、柄は4.5~11cmほど。ツボもツバもあり黄橙色のれっきとしたテングタケ。日本の本州以南の他、マレーシアからも報告があると故本郷先生はおっしゃっておりました。 カバ属の樹下に発生するベニテングタケAmanita muscaria に比べ全体に粉っぽく、単にベニテングタケのミニチュア版というだけではすまされない性格を秘めており、その楚々としたたたずまいは僕の好みにぴったりのきのこちゃんです。
2012年10月05日
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毘盧舎那仏の掌 東大寺大仏建立を聖武天皇が思い立ったのは天平12(740)年、河内の智識寺(現柏原市)で毘盧舎那仏を拝み、自らも毘盧舎那仏を作ろうと決意した時に始まる。 大仏建立の詔が発せられたのは天平15(743)年10月15日。紫香楽の甲賀寺で行基集団の助けを借りて造像のための本体の骨柱が建てられたのは翌16年11月13日。人災に始まり天変地異が続き、ここでの建立を断念して平城京に戻り天平17年8月23日、添上郡(そうのかみのこおり)山金の里に於いて建立事業再開、鋳造開始は天平19年9月29日。鋳造は8回に分けて行われ、翌々年の天平宝元(749)年10月24日だった。 以後、台座を鋳て、塗金を施し、光背を造り始め、未完成のままに天平勝宝4(752)年釈迦の誕生日に間に合わせるべく企画したが1日遅れの4月29日、開眼供養が行われた。ここまでで発願以来12年。 開眼供養ののち、天平勝宝8(756)歳に台座が完成、塗金が完了したのは天平宝字元(757)年、光背が出来たのは宝亀2(771)年だから足かけ31年間をついやしたことになる。これを聖武が発想した当時、金はわが国から採取されたことはなかったし、銅もこの前代未聞のどでかい巨像をつくるには到底不足だった。そして、聖武天皇は、開眼供養と生前滑り込みの形で来日を果たした鑑真の受戒を受けてまもなくその完成を見ないままに薨去。 その上、この時完成を見た大仏は、現在の大仏の1.5倍あったとされる。その大仏を納める大仏殿はもっと巨大で、そんな総合的な土木建築冶金技術をこなした大事業がよくぞ出来たと頭を抱えてしまう。ここには、この事業に意気を感じ、当時の先進技術の粋を集め全身全霊を傾けて取り組んだ無数の無名のアウトロー集団があったことは特目すべきであろう。その情熱はどこから湧いてきたものか、またかくも多くの蟻のような異能の人財が集まってきたことに驚きの念を禁じえない。ビルシャナの手相は何も語ってくれないが、僕はこの無名の人たちのネットワークを聖武天皇が駆使できたことも併せて解明したいと思っている。 幾億兆個のミクロな細胞が、すわとばかりに結集しはじめ一晩で巨大なきのこをつくるにも似た集中力と得体の知れぬエネルギー。その造形物は今日の東大寺がそうであるように超宗教の新しい心のよりどころとなろう。僕はこんなアートを僕は夢見てきた。 さて、何から手をつけて良いものやら。 現在の大仏殿と毘盧舎那仏
2012年10月04日
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湖南・善水寺は元明天皇の勅命により創建された寺で和同寺称されたが、そののち最澄が、薬師法を修し、この山の清水で桓武天皇の病を治癒したことから、比叡山の山門派の拠点となり国宝を多数擁する寺院となった。寺院も当初の和同寺から、その良水に因んだ善水寺と変った。最澄の持ち帰った天台密教は、空海の真言密教とは異なり、教学中心の悟りを本義とする仏教だったが、いつの時代もまず現世利益で病い治癒、五穀豊饒のための降雨祈祷など、身心の貧困(空白)を埋めることに人々が飛びつくことから、山林修行者たちの専売特許であったシャーマン的な加持祈祷の体系をも採り入れていったようだ。 車谷の不動磨崖仏(6mの花崗岩壁に4m余りの厚肉彫り不動・江戸期の作) と滝への道を急ぐ余り踏んづけそうになったマムシ君。 善水寺の石仏群の中で心にとまった微笑仏。その寺の山域にある不動寺の岩根山不動磨崖(6mの巨岩に155cmの不動立像を高肉彫りしたもの)は、拝殿から小窓で覗くものとしているので、拝殿が岩壁に接近していてとても撮影しにくかったことをおぼえている。 善水寺の40点近い国宝でとりわけ珍しいのは僧形・文殊菩薩坐像と、善水寺・ご本尊の薬師如来坐像。 正福寺多宝塔(鎌倉期)と江戸期の石仏群 この酷暑の一日、暑さにうだっていたマムシ君にお詫びしてお見送りをした後、すぐそばに数個体発生していたベニウスタケ Cantharellus cinnabarius (車谷不動磨崖仏への谷道にて)と遭遇。
2012年10月03日
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見事なザラエノハラタケ Agaricus subrutilescens 仕事がはねて日暮れまで2時間ほどあったので、車を飛ばして、台風一過の山の気配を感じるためにひとっ走りしてきた。金木犀が香り立つのでいよいよ秋深しと思いきや、巒気はもやっとしたひと肌の感触で、歩きはじめてまだ里山は夏の名残りと了解。ザラエノハラタケやウスキモリノカサが最盛期であることでもそれと知られる。 山はいつも僕を迎え入れてくれるが、それは僕が山にあらゆる生命体の息吹きを感じ畏敬の念をもっているからで、僕の嗜好が森林浴なんてこととは無縁であることにもよる。森に溶け込み山に滲んで透明になっていくことこそが僕と山の関係。闇が訪れるまで静かに山に溶け込んでいると、心が身体から遊離していくのを感じる。これは特殊な能力ではなく、モード変換のようなもので、さまざまな生命体に分化する以前のクラゲや原人といった生きもの間を隔てる境を取っ払っていくとごく自然にそうした感覚を身につけることができる。山に入ってしばらくするときのこたちが一斉に立ちあがってくるのを感じるのも意識の仕切り板を取っ払っていくことと軌を一にしている。 ショウゲンジ、ムラサキアブラシメジモドキ、ムラサキシメジ、ホンシメジ、クリタケなどにはまだ半月余りの時の流れが必要なようだ。 アカヌマベニタケHygrocybe miniata ダム湖の夕暮れ 没日の寸前に束の間、西空が燃えた。その瞬間にオープンな場所に行きつくには間に会わなかったが、クライマックスをやや過ぎた頃のほうが風景の真実味がある。 暮れなずむ湖水 ウスヒラタケ Pluteus plumonarius 社叢に樅の木を擁する西谷のスサノオ神社に辿りついた頃にはすっかり夜の帳が下りていた。
2012年10月02日
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ムックきのこクラブ会員のSさんからとても可愛いきのこのエンジェル(キクバナイグチ Boletellus emodensis の幼菌)の図像が送られてきました。列島を覆う翡翠(ひすい)の森をただようクリオネとおぼしきエンジェルきのこ。こんなきのことの出会いは心なごみますね。きのこは一期一会のせつなさを感じさせる生きものです。ますますご精進のほど。
2012年10月01日
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