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カノコガ ミドリの鮮やかなアブ 春にはじまり夏を迎える頃になると、人と自然とさまざまな交流がはじまり、収拾不能に近い状態になる。それが熱い心を冷やせよと言わんばかりの6月、ジュ―ンだ。その6月も明日で終わる。1年の半分があっと言う間に過ぎてしまったことになる。さて、その交友録の虫くんたちの中でも僕が愛してやまない蛾がカノコガ君だ。いつもよそ行きのお洒落な服装には敬服する。写真右のムシ君はハンミョウの仲間だろうか。シロとクロのパターンがすばらしい。7月を迎える前に名前の分かったあるいは名前がどうしてもわからないnew friendsたちの極く一部をここにご紹介したい。人との出会いは図像ではなく言葉で語る方がその交流が出会うべくして起こった必然までが伝播できるので、ここではいきおい他の生物が中心となる。幸い、日々仕事場を訪ねてくれる虫たち、植物たちは僕の心をハイにしてくれるのでやめられない。しかし、あまりに大挙して訪れるので交友録に未掲載の友達がどんどん増えてきてしまう。やはり圧倒的に多いのが、蛾の仲間。じっくりと観察するいとまがなく申し訳ないが、彼らのモードを眺めていると猿澤さんの主宰するsheep ship 毛織物工房のファッションショウを見ている気分になる。 キキョウソウ(写真上左)は草抜きを頼まれ、猛スピードで引き抜いていてハタと手が止まってしまった。小粒ながらその可憐さには思わず声をかけてしまった。 蛾に次いで多いのがカミキリムシとコメツキムシとコクゾウの仲間たち。 写真右はずっと死んだふりをしていたコクゾウムシくんだ。 サビカミキリ君たちも良く見るとお洒落に気を配っている様子が見てとれる。写真上右は、以前立派なシロスジカミキリを紹介したが、この地味だが、お洒落なストライプ柄のカミキリくんは明日なろう物語よろしくまぎらわしいが、スジシロカミキリというらしい。 真夏に毛皮は暑かろうと心配してしまう蛾もいればアロハと声をかけたくなる蛾も居る。写真下左のミドリの蛾はとても賢そうな顔をして哲学者風だ。 木の葉に擬態する蛾は面白いことに常に秋色なのが不思議だが、やはり末枯れた雰囲気を漂わすことが彼らの生き残り戦略なのかもしれない。 この白い蛾は鏡に自身を映して「私きれい?」と自問自答しているようでいじらしいではないか。 写真上左、真ん中の蛾はO青年言うところのシリアゲの仲間だろうか、いつもシャチホコ立ちしているのが面白い。何かに擬しているつもりなのだろう。この1ケ月だけでもここに挙げきれない位のファッショナブルな紳士淑女たちが訪ねて来てくれた。 夏至も過ぎて8月7日の立秋までのひと月余り、千客万来なので、月の変る明日は冒頭から神戸生物クラブの探訪会があり、こちらから出向いて会いに行く仲間も否応なく増えるだろうから、ここに訪問客の姿だけでもとどめて御礼に替えたい。
2012年06月30日
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前日(23日)の甲山に続き、日曜日は伊奈部物部、秦氏の故地のひとつ、猪名川中流域に位置する池田の五月山のきのこ探訪会。久しぶりにきのこ図像作家のスマウグさん、山野草にくわしい吉野さんとそのお友達、五月山の定点自然観察を続けて来られきのこを猛勉強中の升方さん、ここのアサギマダラの観察でその名を知られる写真家の松本さんが参加。また午前に蝶の講習会を指導したガイドさん2名も合流して見るもの聞くものすべてが新鮮で楽しい一日となった。このシジミチョウは聞きそびれましたが。 さすがに、雨後2日目とあって、夏の走りのきのこたちが顔をのぞかせ始めた。また蝶も数多く飛び交い、ヒメシジミあるいはミヤマシジミと思ってカメラをそっと近づけるとなんと翅のおもてにも顕著な紋があり???となってしまったシジミチョウが以下の写真だ。 この日、ベニタケの類いはクサハツ、ケショウハツをはじめ4-5種、テングツルタケ、そしてヒダが淡紅色であることから通称アカハテングタケと呼ばれているタマゴテングタケモドキ Amanita longistriata が多数発生していた。 タマゴテングタケモドキ Amanita longistriata アメリカウラベニイロガワリ Boletus subvelutipes イグチ類ではアメリカウラベニイロガワリBoletus subvelutipes やミドリニガイグチが僕たちの到来を遅しとばかりに待っていてくれた。またイヌセンボンタケ、キクラゲ、ヒラタケ、ベニヤマタケ、チャツムタケなど、いずれも出はじめのものでこれから1週間の間に大きく成長するぞといった気迫に満ちていた。また面白いところではダイダイガサの褪色した個体が樹木の洞から発生。もちろん普通のダイダイガサも多数挨拶してくれていたが・・・。 サイゴクベニシダ イシミカワ(柄のトゲに特徴ありとか) 管理事務所の入り口でみつけた揚羽の蛹 ヤナギマツタケ 山を下り、呉春の醸造所前を通りながら、「呉春も以前ほどおいしくなくなったね」と語リあっていると、なんとも変なオブジェが目に入ってきた。石垣からまさしくエノキと桐の木が伸び出しているのだ。 そんなことからか、何の因果かはしらねども、澤山画伯と井上きのこガイドと芸術論を闘わせながら無意識に呑んでいたのはたしか呉春だった。節操のないこときわまりないのはもうなおらないかな!?。 池田駅への帰路見つけた石垣より発生したエノキと桐
2012年06月30日
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夏至すぎのマンハッタンに蝶生まれ時空さざめく マダラ 夜の顔{脱}俳句会で当夜の題が、「生まれる」または「小松左京」だったので、前日出会ったシジミ蝶と途中の地下鉄のニュートン誌の車内広告「時空のさざなみ」とからふとバタフライ効果のことを思い出し、冒頭の作品を作ってみた。このバタフライ効果とは「香港で一匹の蝶がはばたいてちょっと大気を乱すとそれがつもりつもってニューヨークの天気を変えることになる」というもので、気象学者のエドワード・ローレンツがいかにもアメリカ人的なユーモアをこめて、彼が珈琲ブレイクのためコンピューターを離れたほんの小一時間の間にディスプレイが当初予想された計算結果と大きく異なる結果を表示していたことからうまれたたとえ話だと言う。 非線形科学の世界で、システムの一部が乱れることが、結局はシステムの全体を左右するものだという考えに蓬着し、不規則で予測しがたいカオスというものの考え方に気づいた当初のものだ。そんな初期値に対する鋭敏な依存性のことを指してバタフライ効果とおしゃれに喩えたのだ。 それがまた「時空のさざなみ」をとらえる望遠鏡というこれまたおしゃれな表現に出会い、苦肉の作ができあがったという次第である。 写真のしじみ蝶はツバメシジミの♀ではないかと思うが、産卵植物がシロツメクサであることや後バネの肛角の赤い飾りと糸のような尾状突起を垂らしこの突起からツバメと命名されたと言うのでよくみるとなるほどあるにはあるし、時期的にも6月中旬の夏至過ぎから秋10月頃までが盛期というのも合致している。が、翅の色がルリにはほど遠い鉛色なので蝶に不案内な僕には断定しがたくシジミチョウとおおづかみにしておいた。また澤山画伯のコメントを待つことにしたい。
2012年06月29日
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額アジサイが咲きました[ギャラリー]営業日 水曜日11:00~6:00(喫茶)金曜日2:00~6:00(ロシア料理)日曜日11:00~6:00(キノコ料理) 「世界のキノコ切手展」開催中 ギャラリーの夏休み 8月12日(日)から8月25日(土)まで [サロン]7月6、20日(金)6:30 ロシア語会話クラス 会費2,000円13日(金)臨時休業15日(日)4:00 第61回DVDでシネマを楽しむ会 会費1,500円 『群盗、第7章』(1996年)オタール・イオセリアーニ監督21日(土)3:00 第94回不思議なお茶の会 会費2,000円 「ロシア料理教室」 講師 扇エリザヴェータ (要申し込み)29日(日)4:00~ 特別企画「写真を見せる・魅せる技術-写真の黎明期とトルコの写真」トークゲスト 川本健二(在トルコ、日本語教師、写真家、メディア文化研究者) トークのあとトルコ酒ラクと料理で交流会をおこないます 会費2,000円8月4日(土)4:00 第17回「映画で学ぶロシア語とロシア文化」 お茶代500円«Граффити» 2006 Игорь Апасян 監督 字幕なし、解説あり5日(日)4:00 第62回DVDでシネマを楽しむ会 会費1,500円『鏡』(1975年、ソ連) アンドレイ・タルコフスキイ監督10、31日(金)6:30 ロシア語会話クラス 会費2,000円会員限定の木曜サロン(6:00~9:00)は7月5、19日、8月2日です。当日3時よりウクレレ教室、4時30分よりギター教室があります。ギャラリー きのこ Tel/fax 078-802-2339 kobekinoko.exblog.jp
2012年06月27日
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へいけぼたる Luciola lateralis ようやく訪ねてくれた平家ボタルくん。今朝のマンションの廊下の片隅に息を凝らしていました。初見参です。源氏に比べて個体サイズは小さいが、清流でなくとも棲めるのが味噌。ニュータウンと呼ばれる僕の生活圏では源氏はまず無理なのですが、先週末には蛍蛾とデートしたところでしたので、平家は「いつか王子さまが・・・」の小唄よろしくお待ちしていましたが、それがようやくかないました。 平家蛍との遭遇の予兆となったホタル蛾。
2012年06月26日
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週末のきのこと対話する旅の終りはギャラリーきのこの北村グルメ亭。さまざまなワインとチーズ料理の後は、ナチュラルチーズ・ア・ラ・カルトで〆。 土曜はコ―プ西ノ宮主催のわくわく学び隊に招かれ杉山♀、小川♂、明くる日曜日は川西きのこクラブの五月山探訪で升方♀、松本♂と、生きもの世界の動向を見守りつづけている人たちとの新しい出会い。そして五月山の帰りには澤山、井上とひさしぶりに3名となったので立呑屋さんで池田の酒「呉春」を賞味しつつ生きものを通して立ち現われる芸術についてはじめてしみじみ意見を交わした。そして、酔い心のままぶらりとギャラリーへ戻ると岐阜の多治見よりはるばる訪ねてきた菌造形作家を志向するという作陶家の安藤美樹さんが待ってくれていた。 お会いしてしばらく言葉を交わすだけで、ようやく来るべき人が来たという思いが僕の中に広がっていくのを感じた。永年の願い叶ってギャラリーきのこにいるという歓びを全身から発散しているのをうれしく見つめながらグルメ亭の間中ずっと「きのこの向こうに立ちあがってくる世界」について話し合ったが、お互いの言葉が心にスッと沁みとおっていく思いがしてとても初対面とは思えない親しみを感じた。作品は今回、俯瞰図のみここで紹介する。ヤン・シュヴァンクマイエルに傾倒し、きのこの彼方の菌類という抽象世界に目覚めた彼女は、以前ここで紹介した山口紀子さん同様、作陶世界からのきのこシアターワールドへの同伴者だ。ようやく僕の見つめてきた世界を表現する若い作家たちが、この広い夜空の下に確実に育ち始めていることを確認でき、うれしさもひとしおであった。次春3月にはギャラリーで個展を開いてくれるそうなので、楽しみにしていてほしい。 この日森で出会ったハチノスタケと変形菌の中でも唯一外生胞子をつくるツノホコリの亜種 のタマサンゴホコリCeratiomyxa fruticulosa var. porioides つい数時間前にきのこの森で出会った自然の束の間の造形たちの面影が、安藤さんの手になる作品にそっくりそのまま息づいていることを感じとっていただければ幸いだ。 いずれも陶の繊細さと堅牢さの拮抗するバランスがいのちの作品だ。 「無用の用」を強く意識させる極薄の白磁の器 と むくの木の幹の造形 木の洞に発生したダイダイガサの褪色個体とベニタケsp.
2012年06月25日
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シワナシキオキナタケBolbitius vitellinus? とキオキナタケB. variicolor? シワナシオキナタケのほうは、粘性がありレモン黄色、キオキナタケは当初オリーブ色で本菌はさまざまなステージのものが多数みられたが、柄もこの写真よりはすらりと細いものが多数をしめており、種名はただちには決め難いものがあった。 梅雨晴れ間の一日、30年近く昔のきのこ初学の頃かって通いつめた甲山森林公園から湿原までをコープこうべの親子会員からなるわくわく学び隊のみなさまと一緒に散策した。コープ活動サポートセンター西宮の杉山さん、佐田さんの企画によるこの催しは親子で身近な自然に親しみこの地球が人間だけのものではないことを実体験するもので総隊長は小川さんという物理畑から退職後、生物に目覚めたと語る面白いおじさんだった。 この日はようやく大地を潤すまとまった雨の直後で夏のきのこがぼつぼつ顔をのぞかせていたが、子供たちの集中力は抜群で、ミリ単位のきのこをほうぼうで見つけてきて楽しい会となった。 キツネタケとカレバキツネタケはここの常連さんだが、ヒナノヒガサ、クサハツ、ケショウハツ、ドクベニタケ、キクラゲ、ニセホウライタケ、モリノカレバタケ、ムジナタケ、イタチタケ、コガサタケ、ハタケコガサタケ、カワラタケ、ハカワラタケ、ノウタケ、ニセショウロ、ヒトクチタケなどなど、盛り沢山のきのこたちが次から次へと挨拶してくれた。 この日のニューフェイスはシワナシキオキナタケ、キオキナタケの中間種がどっと発生していたこと。甲山では初見参のこのキノコは、馬糞上あるいは堆肥上に発生し、近畿の公園緑地課がこうした公園の富栄養化に撒くチップに付着してくるもので、一種の生物相の撹乱が起こっている顕著な例だ。この地に固有の在来種ではないきのこだが、チップが土に還るにつれて、その役割を終え、同伴のきのこたちも少しずつ姿を消していくのが常だ。しかしこの日、このオキナタケとキツネタケのグループは、個体数が多く、さまざまなステージを観察する好機だったので、発生から老菌までの姿の遷移を楽しんでもらうことにした。 オオヒメノカサ Hygrocybe ovina チチアワタケ Suillus granulatus あっと言う間に終わった感のある学び隊だったが、解散後、小川、佐田、杉山と管理事務所への帰路、オオヒメノカサとチチアワタケに出会い、なぜかホッとしたことだった。このオオヒメノカサはヒダは疎ながら触れても赤変ののち黒変する過程が見られず、厳密に言えばsp. の仲間と言うべきだろうが、こうした裸眼の観察会では種名まで特定するほうがおかしいので、ヌメリガサでオオヒメノカサの特徴を多分に備えたきのこということにしたい。 このようにきのこは種の内部での変異の幅がとても大きく、それが観察者を悩ませるが、むしろこれこそがきのこというものの本質的な部分でありすかぎりなく人間に近い部分で僕などはたのもしく感じる。 カレバキツネタケ Laccaria vinaceoavellanea
2012年06月23日
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サボテンに月下美人というのがあるが、これは白くて強烈な臭いと深夜に花ひらき明けがたには閉じてしまうことからこの時期よく新聞に登場する。でも こちらのサボテンはシャコバサボテンかと思っていてあまり注目していなかったのだが、或る朝突然花をつけたのに出くわして驚いた。鉢の主に聞くと孔雀サボテンというそうだ。このサボテンの花も2日ともたない短命さは同じだが、あでやかな紅色といい、開花時間が明けがたから夕方という、月下美人とは全く対照的なところ、まさにサボテンの別称・覇王樹(はおうじゅ)と呼ぶにふさわしいと思った。 初日にふたつ花をつけ、それが閉じるのを待って写真左の蕾状態の花が翌開花した。
2012年06月22日
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待望の書が出た。2012年6月15日発行なので出来たてホヤホヤの湯気の上がっている。仙台在住の大内秀明東北大学名誉教授(1932年生まれ)の著書である。宇野派のマルクス経済学者の氏は東日本大震災に直面し、近代文明の大転換を強く感じ、ユートピア社会主義の再検討を通じてモリスの共同体社会主義という概念を打ち出している。モリスのことは友人から教えられて、そこはかとなく知ってはいたが、社会主義とのからみで考えたことは一度もなかったので、とてもうれしい気がしている。 大内氏はまた、仙台の作並に2003年「賢治とモリスの館」をオープンし、モリスと賢治の思想と生き方を紹介することを使命とされてきたので、モリスの生地、コッツウォルズのケルムスコット・マナーともども是非一度訪ねてみたいニュー・プレイスとして浮かびあがってきた。僕のきのこシアター構想はモリスの社会運動に近いものだが、21世紀の世界でどう展開できるかを目下悩みはじめていた矢先に本書と出会ったので何か励ましていただいたような気がした。アートによる社会活動はきのこの彼方に見たユートピア世界のようなものだと考えてきたが、モリスの生の軌跡は一度じっくりと検討してみる値うちはありそうだ。賢治のことは大学時代に随分入れ上げて、彼の詩集「春と修羅」を小脇に賢治の生家からイ―ハト―ブの舞台を2度旅をして彼の生涯の軌跡に思いを馳せたことがあったが、本書をひもといてその当時の想いも再燃しはじめてきた。 しかし、今回の大飯原発再稼働の動きを見ていて、大衆芸術の担い手たる大衆、すなわち一般市民というものの他者へのまなざしの全くの欠如に驚いたことも事実で、人財の面で従来想定してきた協力者群像のイメージを大幅に修正する必要に迫られている。 こんな時代だからこそなお一層のこと、私の中でユートピア世界への希求が強くなってきたのかも知れないが、農本主義者の枠組みを超え得なかった賢治は別としても、モリスの思想は、その時代背景とともにしばらくつきあってみたいと切実に感じている。
2012年06月21日
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今日の仲間は、アオカミキリモドキ Xanthochloa waterhousei くん。しばしば訪ねてきてくれているのだが、千客万来でなかなかここで紹介できなかったポン友だ。この仲間はほとんど区別のつきがたいものにカトウカミキリモドキ、シリナガカミキリモドキがあるが、エイヤ―でアホカミキリちゃんとした。いやアオでした。どちらかというとこの仲間たちはカミキリムシというよりはクビナガムシのほうに近いような気がします。僕たちの好奇心をくすぐるのは、体形その他はそっくりだが、翅部分が紫藍色で首が黄色いキクビカミキリモドキは触れると液体を発し、それが皮膚に水ぶくれを生じさせることだ。この青色種はそんな心配はなさそう。
2012年06月20日
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この夏は、近年になく超多忙の日々で、ブログで残しておきたい心の内外の想いもドップラー効果よろしくどんどん浮かんでは消えていき、なかなか追いつかない。新しい訪問者もファイルに溜まる一方だ。 訪問してくれる仲間たちのうちでも蛾の仲間はダントツに多いが、情けないことにそのほとんどが名前すら分からぬまま通り過ぎていく。そんな日々の中で、久しぶりに15cmは優に超える大きさのヤママユガが訪ねて来てくれた。その名もヒマサン。忙しい忙しいなんて言っちゃって本当は暇なんだろうとでも言いたげな名前だが、食草がヒマであるところからの命名で、他意はなさそうだ。 前翅後翅にある幅広い淡色の帯、各翅の中央の幅狭で透明の三日月の斑紋が特徴のおしゃれな蛾君だ。触覚が羽毛状であるところから♂ではないかと思われる。アジア原産だが、北米に持ち込まれ、現在ではヨーロッパでも絹糸を採るために飼育されるという。夜行性の蛾だが、もちろん昼間まどろんでいるところをパチリ。こんなのも寝込みを襲うというのかな?。 学名はSamia cynthia ヒマサンという名が可哀想と思し召される方にはエリサンという別名(eri silkmoth) でどうぞ。 先週来、クワガタが夜灯に導かれて飛来するようになった。子供の頃はヘルメットをかぶったような出で立ちから「兵隊」と呼んでカブトムシよりはるかに珍重されたものだ。そんなミヤマクワガタの♂が来たと思えば翌日は「放っていかないで」とばかりに♀が追いかけてきた。今年の夏は短そうなので、「love loveの日々でも間に合わないからせいぜい励んでね」と訳のわかんないことを言って別れた。
2012年06月19日
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『贋チャリダ―さんのヒマラヤ越え』の手記を手にしてまもなく久々に心洗われるロードムービーに出会った。 「1983年、共産党政権下のブルガリアから脱出しドイツへと移住したアレックス一家は、家族バラバラの生活を経てそれぞれが複雑な思いの錯綜する里帰りの途中、交通事故に遭い両親は死亡、アレックスは記憶喪失になってしまう。孫を心配してブルガリアからやってきた祖父バイ・ダンは、究極の選択をしてアレックスをタンデム(2人乗り)自転車で彼ら親子がやってきた逆の道のりを辿るヨーロッパ横断の旅に誘い、故郷ブルガリアを目指す。彼は、幼い頃手ほどきを受けたバックギャモンを再び一から祖父に教わりながら故郷へ向かう道中で自分自身の人生をもう一度辿りはじめるのだ。「人生はサイコロと同じ。どんな目が出るか、それは時の運と自分の才覚次第だ」とバックギャモンで鍛えた人生のマイスターとして祖父は暗に「運命なにするものぞ」と孫に教え、この不屈の精神が次第に孫アレックスを明日へとつなげていく。 この祖父を演じたミキ・マノイロヴィッチは、クストリッツァ監督の『パパは出張中』、『アンダーグラウンド』から今回の作品まで一貫して共産党政権下で権力の理不尽な抑圧に翻弄されつづけた男の物語を演じつづけてきた存在感のある名優だ。 ここでは祖父のバイ・ダンが、自身の人生の岐路を終始支えてくれた究極のアイテムとして自転車とバックギャモンが登場するのも異色である。ぜひ万難を排して観て欲しい作品だ。(監督ステファン・コマンダレフ、原作イリヤ・トロヤノフ。2008年、ブルガリア=ドイツ=ハンガリー=スロベニア=セルビア映画。) この映画を観ながら、しきりに申垣和ミさんの『贋チャリダ―のヒマラヤ越え』を思い浮かべていた。「The Ten Days of riding over The Himalayas by cycling.」とも言うべき手づくりコミック10冊のクライマックスを成す第6分冊目で、にせチャリダ―が真正チャリダーの旅ガラス・烏ペンギンさんを一瞬にして超えてしまうシーンが記録されている。それは、イライラのつのる石ころだらけの道を心身ともにぼろぼろになりながらやってきた一行が突然ひらけてきた絶景を前にして対話する次の部分だ。 「あっ!!」 「エヴェレストよ」 「えっ!」 ほら 「・・・。」 「どうしたの?」 「ちがう思う」 「ガキちゃん・・・。」 「あんなにしょぼい山に私は会いに来たわけではない」 烏ペンギンさんのエヴェレスト発見の歓声に、道中ずっと受け身だった贋チャリダーがはじめて異議をとなえるのだが、この時のきっぱりとした言いようは、2人のイデア(理想)に対する微妙な差異が明確化した場面だと僕は受け止めた。この微妙な資質の違いからは2人のそれぞれの現在が見てとれる。 プラトンの思想の根幹を成す「イデア」とは現実の向こう側にある理想の世界のことだが、彼によれば、現実とはそのイデアの世界からワンランク下の、イデアの光に照らされるときにできた影のようなものだという。僕たちはそんな影を目にしながら生きているのだが、ときおりイデアの光そのものを垣間見る瞬間がある。そんな貴重な体験をここで悪がきさんは束の間得たのだと感じた次第である。彼女の人となりから滲みでてくる「往っちゃった感」はそんなところにあったのだ。 祖父バイダンの生きざまは「生物的な直観に生きよ、そして決してあきらめるな」と言うことに尽きる。そのためにはしっかりとした「イデア」を見すえる目こそが求められるのだ。「きのこ目を養う」とは、もっとも低い目線で生きものたちすべての生きることの真実を見透す訓練に他ならない。エヴェレストに寄せるイデアとその影の違いを見分けれるか否かの明暗の分かれ目は、日ごろから「ちょっと背伸び」を試み続けることを措いてない。僕がこの世界で関心を持つ一握りの人たちとはそんな一見無駄にみえることをせっせとやり通している人たちだ。その行為の彼方に僕も同じものを見ているのではないかと感じされる人たち。そして僕のいうところのアートとは「ちょっと背伸び」を続ける中で現実の影の向こうに垣間見る光そのものを言い止め、形にすることでしかない。Through The Kinoko(T・T・K)を思い起こしてくださいませ。 その30秒後にドーンと立ち上る威容 短期間の間に、奇しくも二つのチャリダ―人生をこうして同時に味わうことができ、この1週間は僕にとってもとても刺激的なものとなりました。
2012年06月16日
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四天王寺怜人町より望む通天閣 きのこポエム24音詩、俳句17音詩こもごもの夜の顔脱俳句会もいよいよON THE CORNERに差し掛かってきました。俳句詩は俳句らしくあればあるほど真実味が薄らぎ、また、きのこポエムは新鮮ながら、24音詩でなくてはならない表現の必然が薄れるという面白い試行錯誤の季節に突入。精一杯悩みぬきましょう。当夜参加者9名と不在出句3名の12名。当夜の題は「泥の河」「通天閣」「新世界100年」によせる作品。4点句揚羽来てさざ波おこる洗面器 惇介あえかにしてつよし。揚羽蝶のありようをうまくとらえた界隈は戦後の匂い遠くまで見える天王寺 光男大阪を愛する人の心情が滲みでた作品。臭覚に訴えて成功。3点句たんぽほ゜の根が薬なんてポポポポポ 嘉隆 坪内捻典作品を思い出した。タンポポが薬なんてという素直な驚き。着たり脱いだり木の芽起こしのだるい日々 恵子木の芽起こしという言葉の再発見が、この時節のけだるさに合点する日々の表白となる。 一主婦にもどる日傘を折りたたみ 惇介俳句は一人称との声があがったが、日傘をたたむ行為で女から主婦に変身する機微をとらえた。六月の花嫁写真セピアのど真ん中で鬼 享婚礼写真のヒロインがツノ隠さずという次第。面白い。都会ではひとうねだけの麦の秋 俊美この発見は近郊農の現実をとらえて見事。麦の秋は麦畑にすると作者の言。雷神の誕生石かも雹となり 享もちまえの諧謔精神で押し通した作品の中でも新しみも感じられるこの句が秀逸。夏めくや犬がくわえたドクロが一つ無印良品 輝彦人骨を咥えて来た飼い犬のニュースよりとのこと。しかし、無印良品の飛躍はなんともしがたい。きりん眼もやらぬ通天閣の虹 惇介通天閣の虹という絶景は所詮人の物、きりんには無縁との表白。座布団2枚。珈琲の舞台に真空管の詠むポエム 俊美昔のジャズ喫茶、名曲喫茶では、真空管の巨大アンプが売りの店が多かった。しかし、客足の絶えた時間には浪花節が流れたりしていた。そんなレトロ珈琲店でポエムの朗読を流している情景か。意外性が面白い。2点句キリストも蕎麦祝うなり深大寺 彪生聞いてみれば深大寺そばのクリスマスパ‐ティだそうだ。キリストも蕎麦喰ってたのかとドギマギ。しかし、俊美作品同様、意外性が面白い。 渓谷にひっそりと咲く歌もある タ―ラ―インド帰りのタ―ラ―さん。谷間のユリならぬ歌を咲かせて入選。 ひとときの命の流れ金環食と共にして 輝彦輝ちゃんにしては珍しく神妙な表白。金環日蝕に圧倒されておふざけを抑えて成功。蚊柱の太る骨なし男佇ち 惇介♀をめぐり太る蚊柱と対照的な男を配して俳味を滲ませた。象徴的な意味がありやなしや。手を合わせ遠くにみえる通天閣 恵子長年通いつめた四天王寺別所の一心寺ではじめて通天閣が望めることに気づいたという。合掌が神仏のみならず新世界への祈りにもからめたところが味噌。町をゆく猫の足跡異空間へのジップ開く タ―ラ―ジップとはジッパー。猫のフットプリントの描写から異次元へスリップインする作者。還って来れるか否か。空向いてゆっくり競うゴ―ヤ鉢 恵子グリーンのエコ・カーテンとして近年よく取り上げられるゴ―ヤ。漂うのんびり感がよろしい。絵日傘のクルクルまわる昼さがり匂う花栗 マダラ待ち合わせの図か?。花栗の季節。和服の女がよく似合う。1点句長い一日の折り返しを知らせるのは春の日 えつ子当夜遅くまで勤務。そんな忙殺の日々のせめてもの慰みが遅日とのこと。 夏日差す一人の部屋にただひたすらに怠惰怠惰 成利 ソーホー生活の人にはこんな感じが日常化。初5が大西日なら死んだのになぁ。カミキリの声聞かせたき人遠しなびけ泥の河 マダラ虫を鳴かせて人に聞かせたいなんてまるで子供。七夕の故事もひそませているのかな。モノクロは泥を見ても美しき 恵子映画『泥の河』を観た人にはうなずける光景。散る桜干したる笊は花盛り 彪生食材を干す笊に「しず心なく花は散りまんねん。嬉しおすけど困りますわ」とのことでしょうか。ポツリポツル雨一人 タ―ラ―眺めるの本意は長雨に閉ざされた宮廷人の性的倦怠をあらわすとは山本健吉。ポツリポツルと宇宙語で乙女心の在り処を示した。U字なす女王馬(クイーン)の蹄鉄馬場の青芝踏み 享何か当たり前のことのようだが、青芝踏みでまあ良いか?!。風かおる乗り替え駅の右左 惇介時雨と駅に西口東口の句があるが、こちらは本人の実感がこもっておりよし。 寒さがつづいたのに去年と同じ時期に出てきたホタルよ 光男ありのままの事実を読んでありのままが一番だね蛍くん。というところが持ち味.しずけさやついさわさわと和してしまった蝶の昼 マダラ惇介氏の揚羽と同趣の作品。即物性の俳句表現には数歩劣る。たつまきや命の蔵のとびらをしめてケセラケラ 輝彦ポップス・ケセラセラ(なるようになる)を知る人も少なくなっちゃったね。竜巻が日本を縦断するなんてケセラセラを知っている世代には「寝耳に水」。癒しがたい断絶。万国旗そよぎ夏帽飛びたがる 惇介夏帽子が飛びたがると物に作者の思いを託した点がよろしい。俳句と詩の真実はいずこに。「泥の河」はカチカチ山のたぬきではないぞ諸君! マダラ「リトビノフは葡萄酒ではないぞ諸君」のもどき。この時代の作品は是非当会で再検討すべき。喰われゆくままの太陽血の滾り立つ青葉木菟 享当夜独壇場の享くんだが、ここまで来るとちょっと気張りすぎ。蛍の火は点滅する水滴は点滅しないヘビの眼も 光男光男くんもここまでかまとと振りを発揮するかといった見本。通天閣百年目の夏もビリケン坐りして 享センチュリアン・ビリケン人形は大阪のシンボル。僕らの世代はビリケン坐りすると立つのが至難の技だが。桐の花シニアの猫も天仰ぐ 享キリン同様、猫には無頓着な桐の花。だからこそ美しい。新世界の変っていく景色と変れない自分 光男 当夜の酉は感傷過剰ながら、光男くんの人となりの滲んだ作品。
2012年06月14日
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きのこ青年の見つけた良形のマツオウジ 猪名川の源流域の能勢の奥にある三草山(564.1m)を訪ねた。猪名川は尼崎の久々知(樹木神と関わる久々智氏に由来する地名)に始まり、伊丹を北上し池田の城辺山(きのへやま・今の池田市木部)の側を通り、宇禰野(今の畝野)で二流れに分かれ東の支流は久佐佐川、西の流れは美度奴(みどの)川と呼ばれ三草山を囲むように最上流域を形成する。美度奴川は三草山西側の木津あたりでは木津川とも呼ばれ、上杉、杉生などの地名とともに杉材の供給地であったことがうかがえる。東の久佐佐川域の久佐佐村は雄略朝に朝廷の膳に供せられる土器作りの技術集団の土師部(はじべ)が置かれており、猪名川は武庫川(河口部は武庫水門・むこのみなと)と並び、古代には丹波、有馬方面の内陸交通と猪名湊と呼ばれた河口部の港湾施設を結ぶ重要な河川であったことが分かる。 僕たちの目指す三草山はかって美奴売(みぬめ)山と呼ばれていた。『摂津国風土記』逸文には、美奴売というのは元々は神の名で、能勢郡の美奴売山に居られた。昔、神功皇后が筑紫の国に行幸した折りに近隣の神々が川辺郡の神前の松原に集い天皇の行幸を祝した時、この神も集い「吾も護りたすけよう」と言い「私の住む山に杉の木がある。これを伐採して船を造りこの船に乗って行幸するとよい。幸いがあろだろう」と言った。天皇の西征は成功し、還りにこの神をこの浦に祀った。またこの船をもこの浦に留め置いて神に献上した。またこの地を神にちなんで美奴売というようになったとある。この美奴売とは現在の神戸市灘区の敏馬(みぬめ)神社のある海岸付近を指すという。 敏馬神社 写真・佐田俊美さん提供 この猪名川の名の由来となった猪名部は渡来系の優秀な木工集団で、秦氏・物部の影が色濃く落とされている。この地が積極的に開拓された5世紀後半、ここに秦氏の集団が入植していたことは池田市がかって豊嶋郡と呼ばれ、『正倉院文書』や『続日本紀』に豊嶋郡在住の秦名が出てくることやこの地が秦上郷、秦下郷とに分かれていたことが知られるからである。三田から川西の地は、わが国の根幹を成す歴史のスクランブル交差点としての役割を果たしてきたことから、僕は鬼(き)の子の日本史の流れを実感するため、暇にまかせてふらふらと歩きまわっている。 本日の旅の起点となった岐尼(きね)神社 標越しに三草山方面をのぞむ カワトンボ シリアゲの仲間 三草山三角点 頂上直下の清山寺址 帯化アザミ(一種のフリ―ク) クロヒカゲ 塞の神峠 ガマズミ 草間よりちょっとキモいマネキンの首 クロキツネタケ 槻並の地蔵 ヤブニンジン 大塩平八郎の乱に呼応して決起の拠点となった岐尼神社から慈眼寺(じげんじ)を訪ね、浄瑠璃の竹本太夫の墓に詣でたのち、ゼフィルスの森として整備中の三草山を目指したが、道中人影もなく、白昼夢のようなチョウの影を追いつつ、静謐の時を数名の人たちと馬鹿話に興じながら歩いた。さえの神峠では数年前のきのこ初心の頃のO君が同行して木の洞にあったマンネンタケを見つけたのだが、この日、往時の記憶を辿って探し当てるとそのままミイラ状態で残っていて感動、O君にとってはきのこの神様からの一種の免許皆伝をさずかったように僕には思えた。以前はここから千枚田のほうへ下ったが、本日は槻並集落へ道をとりひたすら歩き倒して屏風岩のバス停に午後4時きっかりに到着した。道中の槻並集落の山林はマツカサの馬鹿でかいダイオウマツの植林が杉を圧倒して日本の里山とはいささか趣きの異なる風景がひろがっていた。きのこは端境期につき少なかったが、呆たけたクロキツネタケとおぼしききのこときのこ青年が良形のマツオウジを藪の奥から見つけ出してきて参加者全員溜飲を下げる思いがした。 当日仕事のため不参加となったSさんは、他日、阪神岩屋の敏馬神社へ出向いて社殿の写真を撮ってきてくれた。この場を借りてお礼申し上げる。
2012年06月13日
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室生龍穴神社 同社で見つけたきのこ石 室生寺は桓武天皇の皇子時代にわずらった病平癒の功で即位ののち勅命で創建されたと伝えられるが、清流にめぐまれた室生の地は元来(高?=たかおかみ)龍神が住む地と目され、この日も室生川のほとりより河鹿の鈴の音を転がすような鳴声が届いていた。大野寺から室生寺までの東海自然歩道は湿潤の気が漂い、いよいよ夏のきのこの季節の到来を予感させてくれた。 アミスギタケ サマツモドキ ヒナノヒガサ 菩提樹 粘菌マメホコリ Lycogala epidendrum ツノホコリ Ceratiomyxa fruticulosa ヤマカカシ ホソツクシタケ オオゴムタケ 猿澤、澤山、吉本の共同制作オブジェ ヤマアジサイ タケニグサ ヒキガエルのベイビー マイマイカブリ テンナンショウ アオハムシの仲間 4-5mm テンナンショウは斑入りの葉のものをはじめ3種ほど混在していてまだ花期が続いておりこの地の山深さを物語っていたが、まほろばの旅の企画を担当していただいたSさんは、腰赤燕が飛び交う弥勒磨崖仏を見上げながら「大和はこうして回を重ねて訪ねると、実にさまざまな表情をもっていることに驚かされます」と語っていた。 アラゲマイマイ シロホウライタケの仲間 トガリベニヤマタケ 巨大ミミズ約25cm光の干渉でルリ色の光沢をもつ 不明種の小型きのこ(ヒダ)と傘の表情 さて2012年度のムックきのこのまほろばの旅も1/2が過ぎ、盛夏はいよいよまほろばのへその部分の飛鳥、吉野へと迫っていく。いきものたちの生活の現場を訪ねながら、無名の人たちのいのちの痕跡を再発見する旅はかくして続いて行く。
2012年06月12日
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シリーズ本「チャリダ―」全10冊とビィブッダのきのこシール(中央) 申垣和ミさんの悪ガキぶり200%発揮本『贋チャリダ―のヒマラヤ越え』をもらった。方々から噂に聞いていた待望の書だ。2004年8月、3ケ月滞在した中国チベット自治区ラサを去り、ネパールのカトマンドゥーまでの1000kmを中古自転車で走破した見るも涙、聞くも涙の物語。相棒はかわいいお尻と作者がいみじくもおっしゃった本書ではペンギンもどきの旅烏さん。この真正チャリダ―が超楽天家の実にたのもしくも面白い人物だ。申ガキさん自身、今でこそ旅烏さんをはるかにしのぐ翔んでる乙女だが、8年前のこの当時は、旅がらすさんのすること・為すこと、ドキドキ・ハラハラの毎日だったようで、こんな時代もあったんだという和ミさんの告白の書としても読める。 僕にとってはさすらう若者たちの最初に出会った人物はビートニク世代のバイブル、ジャック・ケルアックの『On the road(邦題・路上にて)』で、ついでロード・ムービーの決定版『Easy rider』だったが、和ミさんは、白サイ2号というマウンテンバイクならぬジャイアント社といううそ気な会社のごく普通の中古チャリンコでふらふらと旅したところがすごい。当初予定していた足メカの白サイ1号は中国人がメチャ危険だと止めさせたほどの中国製品で、それで1000kmのでこぼこ道を走り切るつもりだったのだから無謀のほどが知られる。 この野ざらしの旅から無事帰還して(道中、描写をぼかしているが死体にも出会っているようだ)、おそらく人生のなんたるかを知ってしまったようで、僕たちの前にときおり出没するサルガキさんは、若いがなにかすでに超えちゃった、いや、いっちゃったような不思議な安定感がありたのもしい。しかも美人であるところがなおよい。 僕のまわりには青春浪人がうようよしているが、彼らは皆、青春を方法化してきた人たちで、色ぼけ、欲ボケ、おとぼけに大ボケ小ボケと、さまざまだが、要するに加齢で呆けるのを先取りしてしまったせいで、呆けきれなくなった人たちだから共通して言えることはストレスがない。すなわちアホウにかぎりなく近い人たちだが、和ミさん世代の青春の持続法はいささか異なるグラデーションが感じられ、どんな続編が送られてくるのかとてもたのしみに見つめている。
2012年06月12日
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弥勒仏磨崖仏 鎌倉初期 種字尊曼荼羅(像左下)鎌倉中期 入梅のひと日、数名の同好の人たちと室生寺への道を歩いていた。駅頭からも宇陀川の対岸にそそりたつ磨崖仏のあたりを望むことができる。近づくにつれ線刻の弥勒仏が浮かんでくる。像高だけでも11.5mあるという。ただ、この像は後鳥羽上皇の勅願によって刻まれたものでこの類いの彫刻には珍しく石工の名がすべて記録に残されている。それが、この像のオーラを薄めているように僕には思われる。室生寺金堂の国宝、重文クラスの運慶作とされる仏像たちにもそれはいえる。宗教法人と化した寺院は維持費捻出のためのローカルな私設美術館の様相を呈しており、僕はそうした作品にまったくの無頓着になっているのに今更ながら驚く。それはおそらく、僕がこの人生に求めるものが切実かつ大きくなってきたからだろう。 室生寺門前 僕の好きな同五重塔 金堂前の池の面の風紋の青かえで 岩に映じたシャクナゲの葉影 アートであれば、伽藍の仏たちよりも金堂前の池の面に投じた青楓や石に映じた木の葉影のほうがよほど美しいし、金堂の屋根を見下ろす石垣を覆う苔の間から顔をのぞかせたヒナノヒガサたち、あるいは龍穴神社の拝殿脇で見つけたアミスギタケの造形のほうがよほど心惹かれる。自然にまさる芸術はない。これらはすべて無名性を帯びて現前している。 金堂の屋根を背にヒナノヒガサ アミスギタケの自然の造形 僕の旅はさまざまな選択肢を鵜匠のように手繰りながら、人間を含めさまざまな生きものの現場に出向いてひたすら凝視ることにつきる。それは絶対理解不能な<他者>へのモールス信号に近いものだ。 そんな中でも、きのこは無名性がいのちのいきものである。きのこの和名、学名などは源氏名に近く、名前を言い当てようと青筋立てて言いつのる人たちの脇で「そんなのどうでもいいよ」って当のきのこたちがほほえんでいる。たとえ占い師よろしく言い当てたとしたところで、名前しか分からないのがきのこなのだ。しかし、<他者>と出会うことは未知との遭遇に等しく、?(はてなマーク)はたちまち収拾不能なくらい増えてくる。名前を知ったくらいで安堵したら最後、たちまち出会ったことさえ忘れてしまう。 <他者>というのは永遠の謎に近い。だからこそ、そんなわずかな機会ときっかけを見つけ交信しつづけることが必要で、そのためにこそアートが必要だと僕は考えてきた。 僕は、「きのこをメジャーに」をスローガンに無名の人たちが無名のままにメジャーになるアートを夢見て、あらゆる機会をとらえて束の間でも<他者>と同じ場に身を置き、同じ空気を吸うことをひたすら推奨してきた。 しかし、異能、無名の人たちがそのもっとも大切な部分を損なわずにメジャーになるために、決定的に欠けているもの。それがブランド力だとようやく近年納得した。きのこシアタープロジェクトは、そんな民芸に通じるようなアートをジャンルを超えて展開できる「場」を想定している。 ひとつの作品が普遍性を獲得してメジャーになるためには、その作品の背後に無数の作家たちの「I'm loving you」というささやきが聞こえるものでなければならない。「誠心誠意」という目に見えない技と心が立ち上がってくるもの。それは目線をきのこ同様生きもの世界の最底辺に据えてはじめてみえてくるものでそれが僕の言うきのこのブランド力なのだ。 このきのこのブランド力を透明な勳章とする人たちと少しずつきのこの劇場を形にしていきたい。
2012年06月11日
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1年ぶりに訪れた高安山ふもとの刑部(おさかべ)にある究極の珈琲専門店「ザ・ミュンヒ」 A spoonful of the vintage coffee, you know how much? この10日間の濃密な時の記録をしたためましたが、TIME UP. 能勢奥の三草山探訪の記事と夜の顔俳句会の速報が残ってしまいました。明日の室生寺探訪を含め、また改めてここで語りたいと思います。お楽しみに。紙面の都合上、5月26日のロシア学ことはじめは、この日付のダイアリーに。新長田亭のきのこの企画展の様子は5月27日のダイアリーに。その他の記事は本日6月9日に一括して掲載しています。どうぞお立ち寄りくださいませ。 Madaranov
2012年06月09日
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一滴の雨粒 跡部物部の本貫地の跡部神社 一滴の雨粒からはじまる旅を続けて延々25年の歳月が過ぎた。大いなる無駄をつくしてようやく物部守屋の墓所にまで辿りついた。時が満ちるということはこういうことだろうか?。渋川郷は物部守屋が蘇我馬子に不意をつかれ取るものもとりあえず辿りついた別荘で陣営を立て直し、敵を迎え撃つ手はずを整えた。しかし、彼には蘇我氏たちの真意が計りかねたのではないだろうか?。なぜを繰り返しながら射殺されたと僕は推測する。 教科書で習った聖徳太子や秦河勝をも巻き込んだ仏教導入の是非をめぐる争いとは異なる三韓の動向を反映した国際政治上の対立が顕在化したものとみられる。中大兄皇子の乱心は守屋謀殺ののち、蘇我へと及び、秦氏の動向すらそののち国史から見えにくくなっていく。大化の改新と呼ばれた維新に当たる事件はそろそろ再検討されるべきときが来ていると僕は思う。守屋の名誉回復もそのときなされなければならないように思える。 物部氏の氏寺とされる宝積寺址に建つ渋川天神社と尾形の整った狛犬 守屋墳 守屋の首洗い池 大聖勝軍寺の門前に建てられた守屋墳。明治までは塚状の丘の上に一本松が植えられただけのものであったが、明治のはじめに藤原氏の系譜につながる堺県知事小河一敏(おごうかずとし)が墓碑を建立。 大聖勝軍寺 全国の守屋系神社がズラリ守屋墳を囲む 玉垣にはMOOKきのこでも採りあげたアテルイを祀る片埜神社の名前も見られ、ここの宮司の養父家とのつながりが伺われる。 1.沙門天 2.広目天 3.増長天 4.持国天 聖徳太子像の四囲に立ち太子を守護するかのような四天王像 本来仏法の守護神である四天王は本寺では四大臣像と呼ばれ、上図左よりそれぞれ秦河勝、とみのあかえ、小野妹子、蘇我馬子に摸せられて、ここでも政敵のはずの聖徳太子、蘇我氏、物部守屋はなかよく祀られている。今回は都合で植松にある渋川神社へは立ち寄れなかったが、広大な社叢林とにぎはやひ命を祭るとされるのでまた機会があればきのこの季節に改めて訪ねたいと思っている。
2012年06月09日
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天台宗・金勝寺参道と同、虚空蔵堂脇のウラベニガサ 茶わかし観音 重ね岩と同岩肌に刻まれた線刻の石仏像 よべの台風はいずこにか去り、重ね岩あたりから草津・守山方面を望む 狛坂寺より出会いまでの途次に出会ったアオダイショウと蛇苺 狛坂廃寺の井戸の跡に寄せられた石仏 逆さ観音?(弥陀三尊像)
2012年06月09日
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狛坂廃寺址磨崖仏 かろうじて出迎えてくれたマツオウジと累々と築かれた寺苑の石垣 金勝寺からのコースのクライマックスに位置する場所が統一新羅様式の磨崖仏が残る狛坂寺跡である。県史にはこの寺は嵯峨天皇の弘仁年間(810~823年)、蒲生郡の狛(高麗に通じる渡来人)長者の娘が檀林皇后に金銅の観音像を献上したものを時の名僧願安に下賜し金勝寺に安置したが、ここが女人結界のため金勝寺別院として建立され、崇敬をあつめ繁栄したが、明治に至り廃寺となったとある。訪ねてみると、長大な石垣以外、往時をしのぶものは石塔の破片と割れ瓦、呆けたマツオウジ以外何一つとして残ってはいなかったが、磨崖仏は青葉光の中に稀に見る威容を保ち涼しげに鎮座ましました。高さ6m、幅4.5mほどのこの岩肌は北面し、像高3mほどの如来坐像、左右に三面宝冠を戴き、写実的でおおらかな微笑をたたえ、なまめかしく腰をひねった菩薩を侍らせた素晴らしいものでとても見ごたえのある像であった。本尊の面立ちはとても力強く両手を胸の前にあげ右のてのひらを外にして指を横に伸ばし、左手は掌の甲を外にして互いに反対に向ける複雑なもので「関西の石仏」の著者、清水俊明氏によれば転法輪印であるとのこと。また同氏は、この像の衲衣(のうい)の翻波式の技法から寺院創建の平安初期とされているが、僕は良弁との関わりから奈良後期には刻まれていたように思われてならない。 良弁は聖武天皇に重用され東大寺創建に参与し大仏開眼の天平勝宝4(752)年から同寺の別当(寺務総括のための僧官)に任ぜられたが、彼は幼年期より三月堂で法相、華厳の奥義を究め、優婆塞の長として秀でた活躍をし、東大寺創建に当たっては、その人脈を駆使して生地(一説には相模)に近い甲賀杣から巨材を運び出し、大伽藍の造営に当たり、盧舎那仏はもちろん、石山寺創建にも関わった重要人物で、行基とはスケールの異なる出世回廊を登りつめ宝亀4(773)年閏11月16日85歳で入滅した。
2012年06月09日
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金勝山・重ね岩をかすめる金星内合の日の太陽 去る6月6日、太陽面の上部を左から右へ約6時間30分かけて通過するという。次にめぐってくるのは105年先とあってマスコミをにぎわした。しかし、月食、日食とは異なり太陽の1/32ほどの大きさで内合となった金星の太陽面移動のショウを肉眼で見届けることは難しくかつ又、さほどの意味はない。 しかし、この日僕は何をしていたかはとても重要だ。たまたま平日休暇を賜った僕は、つい数日前まではそれとは知らずに草津の良弁、秦氏、物部にゆかりのある金勝寺尾根を歩く計画を立て、実際、早朝家を出て花崗岩からなる連峰をさすらっていた。 金星は、神武以前に大和を統治していたもうひとつの天孫族・物部のトーテムで、『先代旧事本紀』にはニギハヤヒの伴をして生駒山に降りたった32人の防衛(ふせぎまもり)、副官の五部人(いつとものかみ)、職能集団の五部造(いつとものみやつこ)、その配下のニ十五部人(はたちあまりいつとものをのかみ)、そして天磐船の乗組員の船長、跡部首(あとべのおびと)等の祖・天津羽原、舵取り、阿刀造(あとうのみやつこ)等の祖・天津麻良、そして船子として倭鍛師(やまとかぬち)等の祖・天津真浦、笠縫(かさぬい)等の祖・天津麻占、曾曾笠縫(そそかさぬい)等の祖・天津赤麻良、そして川西きのこで目下探索中の為奈部(いなべ)等の祖・天津赤星の4名とある。この神武以前にヤマトに君臨したもうひとつの天神の流れこそが原大和を創った勢力なのだ。それは、かって出雲と呼ばれた勢力とも関わり、三輪山の蛇になぞらえられた大いなる鬼(もの)の主、オオモノヌシに重なる。 『日本書紀』神代記には、異伝として天津甕星(あまつみかぼし)、またの名を天香香背男(あまのかかせお)と後発の天孫族の壮絶な戦いの記事が神話世界の出来事として挿入されている。天津甕星は天にあって甕のように威力ある大きな星。<かか>とは赫、のちに山田の案山子とされた香香背男(=案山子翁)は、天にあって赤く明るい男で、天空で太陽、月の次に明るい星は、明星と呼ばれる-4.4等星の金星以外にない(木星-2.5等、水星-1.9等)。ここからわが国の国史にある「さわに蛍火のかがやく神、蠅のように騒がしい邪神」としての月神、星神は、太陽神に淘汰され徐々に勢力を奪われて行くが、時を経て妙見信仰や月読信仰として復活する。そこには秦氏、物部の勢力の悲願がこめられているように思えてならない。そして、空海が明星を得て悟りを開いたとされるのも、秦、物部とのつながりが立ち昇ってくる。 金勝山中にて さてこの5月下旬から6月初旬の10日余りの日々は、私の中で思い思いの位置を占めていたさまざまな事象が激しくショ―トして火花が飛び散るような探訪が重なり、大忙しの日々であった。5月21日の金環日蝕、6月4日の部分月食、そして6月6日の金星の太陽面通過と単なる天空の動きが切実なつながりをもって呼応し始める日々が続き興奮ぎみで過ごした。
2012年06月08日
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5月28日(月)~6月2日(土) 現代クラフトギャラリー 5月31日夕刻より開かれた夜の顔俳句会で初めて参加の猿澤さまから友人の個展のポストカードをもらった。タイトルとこの作品に釘づけになった僕はとるものもとりあえず、翌6月1日、仕事のあと駈けつけてきた。 作家さんもおられたので、しばし立ち話をして、きのこを通して見すえている世界にも共感したので、これからさまざまな局面で共同の何かを創っていける人物と了解。大阪界隈の菌友・数名に声をかけて最終日必ずのぞくように連絡をとり、別れた。 信州の黒姫のそばにお住まいとか、戸隠の奥なのでこれから訪ねることもありそう。なんともうれしい出会いであった。きのこのへその部分に着目しているところがうれしく今後の展開がたのしみだ。 セラミックながら生活の器でないところも面白く拝見
2012年06月05日
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物部守屋の痕跡を訪ねて、跡部物部の本拠地、JR八尾駅界隈で見かけたレトロ家屋。 応募作品執筆のため、10日ほどパソコンから離れることを余儀なくされたが、その間猛スピードに旋回を続ける僕の毎日はどんどん加速し、明日より復帰するが、追いつくかどうか心配になってきた。 この10日間に起こった出来事は、僕のきのこシアター構想へとつながる重要な案件ばかりで、それぞれに対する思いを述べておく必要があるので後先するが少しずつ記憶を遡って擦過した時空の印象を刻みつけていこう。 この6月からは、いよいよ向原寺の物部守屋亡きあと物部氏の本流を担った守屋の子・雄君連(おぎみのむらじ)と湖東の愛知(えち)川流域の秦氏・良弁のつながりをもとめて滋賀のエリアにも足を伸ばしたいと思っている。
2012年06月04日
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