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今、私が最も情熱を傾けているものは、やはりウルトラマラソンでしょうね。50歳の時に初めて「第1回四万十川」で100kmを走って以来、すっかりその魅力に取り付かれています。ところがこのウルトラマラソンを走るためには幾つかの条件があります。まずは体力的な問題。そして経済的な余裕と時間の余裕。最後に家族の理解も必要です。 100kmもの距離を走り抜くためには、強靭な体力と気力が要ります。ウルトラはどこででも開かれているわけではなく宿泊が伴います。エントリー料も普通のレースの4倍ほどになるし、交通費もかかります。遠くへ行けば仕事を休まなければならず、職場にも影響を及ぼします。また留守にする期間、家族にも負担がかかります。これらの問題をクリヤーして初めてウルトラマラソンのスタート地点に立てるわけです。 昨年から自分が稼いだ分は自由に使えることになり、ずいぶん参加レースが増えました。多分最後のチャンスだと思って、今年は毎月フル以上のレースに出て完走することを目標に掲げました。でも来年もそれを目標にとは考えていませんでした。来年はウルトラのレースを中心にじっくり走る予定でした。その一番目のレースが「宮古島ワイドー」でした。 それを何かで知った妻が激怒したのです。12月にNAHAに行き、翌月が宮古島です。2ヶ月連続で沖縄に行くほど余裕があるのだと考えたようです。実は余裕はありません。10月と11月のレースが近場なので、なんとか遣り繰りすればどうかなと言ったところで、宮古島の分は、ツーリストへ支払いもしてない状態です。 マラソンのレース、特にウルトラ関係ではずいぶん前にエントリーしますから、よほど予算執行計画がしっかりしてないと財布が持ちません。来年はウルトラが多くなる分レースに出ない月を増やそうとしたのはそのためです。我ながら実に厄介な趣味を持ったものです。(笑) 参加レースの対象も一部見直しを始めていました。例えば来年の11月に参加する予定だった「屋久島エコジャーニーラン80km」は、新幹線と飛行機の乗り継ぎにした場合、総額で12万円以上になることが試算で分かり無理だと諦めたし、3月の「伊豆大島100km」も結構高くつくので他のレースにする積りでした。 それにこれまでは家計から出してもらっていたパソコンの更新費用も、何とか自分の小遣いで買うため資金を少しずつ貯める気持でいたし、遠くに住む孫達にも何か送って上げたいと考えていました。自分の趣味の実現が中心かも知れないけど、やはり自由に使えるある程度のお金は必要ですね。 大喧嘩の結果、小遣いがこれまでの半額ではなく、今月は5千円で、来月から毎月1万円の減額で決着したのは確かに痛いけど、どうにも遣り繰りがつかないと言う訳ではないのが救いです。それにしても今はまだ体が元気で、過酷な肉体労働にも耐えられるから良いのですが、果たして何時まで働けるのか。それより何より、何時まで会社が私を雇ってくれるのかが問題でしょうか。その時には、小遣い確保のための新たな闘争が始まるかも知れません。(笑)<続く>
2007.10.31
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夏の終わりに種を蒔いた春菊が大きくなり、何度も料理に使っています。秋蒔きの京水菜も食べられるようになりました。柔らかいうちなら生でサラダにしても大丈夫のようです。さて昨日はようやくタマネギの苗を買うことが出来ました。今年は夏が暑かったせいで、農家が種を蒔くのが遅れたようです。あまり早く蒔いて成長が進むと、茎が硬くなるみたいです。 その苗も園芸店2箇所に確認してから買いました。1箇所目は50本で500円だったのが売れ残り、400円でした。でも葉が黄ばんで来たようで?マークです。2箇所目は100本で600円でした。私はその店に買いに行くことにしました。確認したのは値段だけでなく、もし行ってもなかったら無駄足になるからです。 春は春野菜の種。夏は夏野菜の苗。そして秋から冬へかけての種と苗。肥料や石灰や庭の芝。それだけでなく庭の草花に関する経費もほとんど私の小遣いから出しています。植木鉢の花も季節毎に入れ替えるので結構馬鹿になりません。先日まで園芸に関する経費は年間2万円ほどと思っていたのですが、どうもその倍は掛かっているようです。もっとも正確な計算は一度もしたことがないので、単なる勘なのですが。 新鮮な野菜は我が家の健康を守ります。また美しい花々は私達の心を慰め、生活に潤いを与えてくれます。小遣いの少なかった時期は、それらの経費を家計から出してもらうために、一々領収書を見せて妻に請求していました。でも小遣いが増えた昨年以降は、自分で出すことにしました。私にはこの方が気持が良いのです。好きな野菜を育て、好きな花を植えられるのは実に嬉しく楽しいことです。 東北楽天の応援も楽しみの一つです。一昨年の1年目には2回しか球場に行けませんでした。昨年はファンクラブに入り7回球場に観戦に行きました。今年はほとんどレフトの自由席、つまり楽天の応戦席に23回行きました。もう単なる「観戦」じゃないのです。田中マー君のレプリカユニフォームも買いました。すっかり「はまった」んですよねえ。(笑) 来年は3500円のレギュラー会員から、1万500円のゴールドクラブに入ろうと考えていました。そうすると素敵なユニフォームなどをもらえるのです。そのユニフォームを妻に着せて、一緒に土曜日のデーゲームに行こうと思っていました。妻は常勤からパートに切り替わると土曜日がフリーになるからです。でも今回の減額でやはり今まで通りレギュラー会員のままで行くしかないでしょう。もう贅沢は出来ませんからねえ。 さて、肝心のウルトラマラソンですが、長くなったのでこれは明日書くことにします。
2007.10.30
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妻は働いており、自分名義の動産を持っています。私名義のものとほぼ同じ額だと彼女は言います。(我が家では全て彼女が財産を管理してるので)彼女名義のお金は、将来自分が特別養護老人ホームへ入る場合の資金にするのだそうです。そして間もなく常勤からパートに切り替えてもらう予定のようです。 彼女の仕事はホームヘルパーですが、常勤だと盆も正月もないくらい仕事が入ってクタクタになります。勿論私も出来るだけの手伝いはしています。ここに書き出したら多分ビックリするくらいです。ある時彼女に「他の家の仕事を手伝ってお金を稼ぐのは良いけど、疲れ過ぎて自分の家の仕事が出来ないようじゃ仕方ないんじゃないの」と言ったことがありました。 彼女は黙っていましたが、自分としても仕事を減らす時期だと考えたのでしょう。そしてつい最近、職場にその申し出をしたそうです。大喧嘩の原因になった私の小遣いを減らす件にはそんな伏線があったのです。私が潤沢な(?)小遣いを自分一人で楽しむために使うのじゃなく、夫婦二人で楽しむ資金の一部にしたいと言うのが彼女の主張です。 老後に備えて貯金をするのも、夫婦で共通の楽しみを持つのも悪いことではありません。むしろ賛成すべきことでしょう。でも、だからと言っていきなり夫の小遣いを半分に減らすと言う考えはどうでしょう。それも自分がそう考えたら、いとも簡単に実現するだろうと言う感覚が、私にはとても理解できないのです。 前職を退職してからは毎月の小遣いが2万円と言うルールで3年間我慢して来ました。年金が満額出るようになったら、私が稼いだお金は自由に使うと言うのが口論の末に決めた我が家の約束でした。それを突然半額にするとの「お触れ」ですから、私が納得が行かなかったのも無理はないと思うのですがどうでしょう。 人間は必ず老い、そして死を迎えます。妻は自分が歳を取って認知症になることを恐れています。特別養護老人ホーム資金としての預金等もその表れなのだと思います。一方、男である私は自分の将来にほとんど不安を感じていません。出来れば70歳近くまで働き、それを資金にしてウルトラマラソンに挑戦し続けたいと言う、極めて楽観的な考えを持っています。 と言うより、趣味の一つであるウルトラマラソンに挑戦し続けることは自分の健康を保ち、若々しく老後を過ごすことに繋がると考えています。つまりランニングは惚け防止になり、結果的に医療費を抑えることになると言う思いでいるのですが、その気持が妻には通じないようですね。
2007.10.29
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昨日から福島の飯坂温泉へ行ってました。筑波勤務時代の悪友達と、年に一度の麻雀大会があったのです。幹事は私。昨年の愛知県犬山市の大会で私が優勝したからです。長老であるK間氏の開催地の希望は福島の飯坂温泉か白河だったため、麻雀設備のある宿を探すのが大変でした。それも9人ほどの仲間の日程を下調べし、一番参加者が多い週末がどこかを確かめてからの宿探しだったので、連絡等に大わらわでした。 自宅から出かけた昨日は、朝から雨。おまけに最寄のJRの駅に着いたら1分前に福島行きの電車が行ったばかりで、1時間も待合室で待っていました。まあ本や雑誌を持って行ったため、読書が出来て良かったのですが。福島駅で慌しく福島交通飯坂線に乗り換え、終点の飯坂温泉駅で下車。天気が良ければ歩く積りでしたが、生憎の大雨でタクシーで宿泊施設へ。宿は案外近いところにありました。 既にF森氏が到着。彼は三重県津市の自宅を朝8時に出たとか。一番遠い人が一番早かった訳です。60近くになるまで独身だった彼がかつての部下でバツ1の女性と名古屋で偶然再会し、結婚したと聞いて驚いたのが昨年の大会。今回話を聞いたら、相手の連れ子の娘さんがつい最近お医者さんと結婚したとか。奥様のお母さんも同居している家は彼が購入したようです。私も彼に2回ほど見合いを勧めて断られたことがありましたが、人間には不思議な「縁」があるのでしょうね。 千葉、茨城組は雨の中を車で来たために遅くなり、電車で来た東京組みのうちの一人は福島競馬で大負けをしたみたいです。ともかく6時半過ぎに全員が揃い、温泉に入ったあと懇親会。幹事の私が冷や冷やするほどたくさんお酒を注文するんですよねえ。(笑)ずいぶん酔っ払った後は麻雀室に移動です。これが今回の一番の目的でした。 ゲームは4人制なので常に3人が余ります。昔ならイライラして待っていたのが、年を取った今ではのんびり風呂に入ったり、それぞれの部屋で寝ていたりと、大らかなものです。それに一番変ったのが、全員この数年で禁煙したことでした。今年70歳の古希を迎えたヘビースモーカーのK間氏も、喉の薬であるネオシ○ダーを吸って我慢していました。皆健康志向になったのでしょう。 金曜日の夜に女房と大喧嘩していた私は珍しく一晩中大酒を飲み、ゲームも大負けでした。喧嘩の原因は女房が私の小遣いを半分に減らすと言い出したことでした。私の生きがいであるウルトラマラソンにはお金がかかります。そのため過酷な肉体労働にも耐えて小遣いを稼いでいるのですが、女房の目から見たら、私一人が好き勝手してるとしか思えないのでしょう。 結局は今月5千円、来月からは毎月1万円を私の給料から家計に廻すということで決着したのですが、相当苦しいやりくりになることは避けられず、来年の遠征計画は一からやり直しになりました。そんなことが脳裏にあって悪酔いしたのでしょう。大会は筑波に住むF田氏が優勝したため、来年は久しぶりに筑波での大会になりました。 メンバーもそれなりに老化が進んでいますが、かつての悪友達に会える年に一度の大会を楽しみに待っているのです。10年間勤務し、命を懸けて仕事をした懐かしい筑波。来年はそこへ集合します。きっと厳しい財政状況にになりそうですが、レースを減らし筑波への交通費を蓄えておきましょう。勝負では負けましたが、筑波の地酒と奥久慈産のリンゴをお土産に帰宅した私でした。ああ眠~い。Zzz・・・。
2007.10.28
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今日は仕事を終えても真っ直ぐ家に帰らず用事を済ませることにした。まずは第2現場の休憩室で腹ごしらえ。食べたのは近所のコンビニで買った弁当。金398円也。値段の割にはまあまあの内容か。レンジでチンしてもらい、お茶と一緒に食す。テレビでは亀田興毅の謝罪会見の模様が写る。親父と次男大毅に代わっての謝罪は、時々言葉に詰まっていて彼の苦しい胸中が現れていたように思う。 食事を終え、仲間に挨拶してビルを出る。まず向かったのが銀行。そうそう今日はわが社の給料日なのだ。振込み額を確認して全額を下ろし、同時に通帳に記帳。残金はたったの300円あまりだった。(笑) 下ろしたお金で早速国民健康保険の保険料を振り込む。面倒なので妻には自動振込みをお願いしてるのだが、妻は妻で私の小遣いから保険料を支払わせようとして、申し出は却下されてばかりだ。そうなれば小遣いは半分に減って、私の生きがいの一つであるウルトラマラソンに行けなくなるので必死に抵抗している。(笑) 大体定年後にまで仕事をしてるのは、自由になる小遣いを稼ぐためだと妻も知ってはいるが、残業などで少し収入が増えると「損」したような気分になるのだろう。ケチの見本のようなものだ。(って、まさか女房はこれを読んでないだろうねえ?)わはは。 次に向かったのがとあるツーリスト。12月のNAHA行きの代金、残額4万円ほどを支払う。やれやれこれで大物は片付いた。来年1月の「宮古島ワイドー」分の残額は1月初めで良いので、それまでに節約してお金を溜め込む必要がある。次は書店で「ランナーズ」の12月号を購入。余裕があれば1年間とか3年間の一括払いをしたいところではあるが・・。 バスで帰宅途中、眠気が襲う。やはり週末は疲れが出る。今週も疲れる色んな「事件」があったっけ。途中で下車し最寄の生協へ。まず修理に出していたシューズの受け取り。これは左足の片方だけで630円だった。普段履きに下ろしても良いのだが、練習用だとまだ履けそうなので修理に出してみたのだ。修理店の値札を見たら傘の骨も1本150円で直せるみたい。しまった!あの大きな傘を捨てるんじゃなかった。 次に5千円のバスカードを女房名義の会員カードで購入。ポイントがつくのでそうしろと厳命を受けているのだ。(笑)これが終わると2階の床屋へ。ここだと60歳以上のシルバー年代は平日わずか千円で頭髪を刈ってくれ、おまけに専用のポイントカードにポイントが入る。 次にコンビニに寄って「つまみ」を買う。これは明日飯坂温泉で行う「麻雀大会」用で支払いはク○カードを使う。職場の無事故表彰の記念品だ。次が薬局で歯ブラシを購入。私の歯は「乱杭」状態なので直ぐに歯ブラシが駄目になる。女房が買うと安物が多いので、給料日くらいは質の良いものにしたいのだ。 最後に寄ったのがリカーショップ。カードが新しいのに切り替わった時に500円の割引券が送られて来たのでそれを使おうと思ったのだが、5千円以上のお買い上げじゃないと駄目と店員に断られた。う~む。我が家じゃ一度にアルコール類を5千円以上なんて買わないんだけどねえ。たまには美味しいお酒も飲みたいとは思っても、いつもは4リットルで2千円ちょっとの焼酎で我慢してるんだよね。 カードなんて無駄遣いの元だと思って滅多に使わない我が家。良く使うカードと言えば、結局は診察券とポイントカードくらいかなあ?今日は秋に相応しく懐の淋しい話でした。(笑)
2007.10.26
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<残り物に「福」あり> スタンドに上がるとO川さんが戻っていた。タイムは意外にも4時間7分ほどで、確かワースト記録とか。悪天候で冷え、体が動かなかったようだ。スピードランナーの彼と6分違いなら私にしては良く頑張った方だと納得。私にとっては気温が低い方が走りやすいのだ。 着替えをしているところへぬまっちさん登場。私達と会うためでなく、どうやらスタンドの壁に描かれている岩手県の郷土芸能「鬼剣舞」を撮影し、彼のHPに載せるためだろう。ついでに私達の写真も撮ってくれたぬまっちさんの次のレースは兵庫の「武庫川ユリカモメ」とか。 そう言えば「ユリカモメ」の主催者であるK浪さんをが走ってるのをレースの途中で見かけたっけ。そして今年も「別大」に出ることや、今から盛岡の友達と食事をする予定だと話して、ぬまっちさんは去って行った。これからも頑張れ~っ、ぬまっちさ~ん! 一旦車に戻って荷物を置き、財布を取って来た。まずスポーツショップに寄り、朝予約したロングタイツを買った。が、果たしてお買い得かどうかは穿いてみないと分からない。(笑)次に芋汁とお握りを引き換える。親切にもこの大会では昼食のサービス付きなのだ。会場で昼食を入手できないことも考え、念のため昨夜のうちにコンビニでお握りを買ってはいたが、これは助かる。 陸上競技場の屋根の下でO川さんと2人で遅い昼食を摂る。暖かい芋汁が冷えた体を芯から温めてくれた。ところが時々強い雨が風に乗って吹き込んで来る。その氷雨の中を力走する大勢のランナーが目の前を通過して行く。全く気の毒だが、これもまたレースのうち。私達ももう少し遅かったらずぶ濡れになっていたはずだ。 人心地ついてテントの方に向かうと、何やら良い匂いが漂っている。ひょっとして前沢牛の焼肉か?近づくと大勢のシェフの人が大きな骨から肉を削り取っていた。訊ねるとこれもランナーへのサービスだったとか。「どうしても食べたいんですけど」。思い切ってお願いすると、親切にも最後の肉を切り取って紙皿に分けてくれた。 ん、ん、ん? これは美味い。まるで高級和牛のような味だが、実は岩手県産豚を一頭丸焼きにしたものだと言う。「残り物に福あり」とはまさにこのことか。たまたま覗いたテントで思いがけないご馳走にありつけるとは。レース結果には不満だったO川さんも大いに満足したような顔でパクついていた。(笑) 最後にもう一軒、この日のために遠い石垣島から出店したテナントを覗いて見た。宮古上布か、それとも八重山紬か、多分沖縄特産の布で仕立てられたと思われる渋い和服を着た老婦人が所在なさそうな様子で立っていた。急いで泡盛の値段を見る。一升瓶の「請福」がなんと5千円!う~む。きっと5年もの以上の上等な古酒(クースー)だろうが、それにしても高過ぎて手が出ない。諦めて帰路に就く2人。 帰りの東北道でも所々で雨に遭った。強い風と雨に悩まされた今日のレースだったが、これで何とか10月のレースも完走、10ヶ月連続での完走達成となった。O川さんには自宅の直ぐ前まで送ってもらった。また佐渡での借金も無事返却できて一安心。O川さん、本当にお世話になりました~!! 帰宅後は早速愛犬と散歩し、裏磐梯へ絵を描きに行っている妻に代わって、いそいそと夕食の準備をした私だった。<完>
2007.10.25
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<雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ> 30km地点からは北上川を渡らずに直進。ペースは依然としてキロ6分を切っている。左手に展勝地公園の広い敷地が見え出す。手入れされた美しい松並。そして32km地点には「みちのく民俗村」の古めかしい門が見えた。この辺りからスピードの落ち出したランナーをドンドン抜く。これは前半抜かれた「お返し」だ。 34kmから右折し国見橋を渡って北上川と4回目の遭遇。川面を渡る風がきつい。おまけに36km地点からは徐々に登りとなる。太股を叩いて自らを叱咤激励。頑張れ~自分。これが本当の「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」だ。(笑) 辺りの景色が変わりスタート地点の運動公園が近づいたことが分かった。でもコースは無情にもそのまま運動公園には向かわず、周囲を大回りするようだ。それも坂道の連続。朝コースの経路図を予め見ていたので覚悟は出来ていた。マラソンも人生も辛抱が大事。そして最後までしっかり走れるための体力を温存しておくのがレースのコツだ。 途中まで食い下がって来た女性ランナーはとっくに引き離し、6km地点辺りで抜かれた静岡のS本さんもどこかで抜いた。だが運動公園近くで、「割烹鎌倉屋」の黒い上下を着た地元の女性ランナーに、執念で抜き返された。すらりとした下肢は普段からずいぶん練習を積んでる証拠だろう。 残りの距離表示の数字が減るのが嬉しい。だが運動公園の中に入ってからも遠回りしてゴールが遠い。ようやく後1kmの表示。近くにいたスタッフが、これからグラウンド内を2周すると教えてくれた。「ええっ、まだ2周も?!」グラウンドに入ってスタンドを見上げたが、O川さんの姿はない。寒さを避けるために車に乗ってるのかも。 1周前に黄色いユニフォームのK村さんがゴールするのが見えた。走り終えてにこやかな表情の彼女。最後の力を振り絞って、さらに数人のランナーを抜きにかかる。第4コーナーを曲がり、4時間13分33秒でついにゴール。206kmも走った「佐渡島一周」の後にしては上出来で満足。 チップを外し、飲み物と完走証を受け取りスタンドに向かう。総合375位は中ほどの成績か。そして60歳代男子の部では39位。これもマスターズ選手権を兼ね強い選手が集まった中ではこんなものかと思う。トイレに入ると、なにやら見覚えのある顔を発見。ネットの古い走友「ぬまっちさん」だった。 ファンランナーだった頃の彼は「カンガルー」の衣装をつけて走っていた。それが毎週のようにマラソンを走っているうちにサブスリーを達成し、「別大マラソン」に出場するほどの本格的なランナーに成長したのだ。彼とはこれまでNAHAマラソン、北海道M、青島太平洋M、長野マラソンで会ったことがあった。
2007.10.24
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<悠々と流れる北上川> 8km地点を過ぎると少し先に川が見えた。岩手と宮城の両県にまたがる北上川だ。橋の手前に古い船着場の名を発見。江戸時代の北上川は舟が運搬の手段として活躍していたのだ。そしてこの辺りは確か伊達藩の領土だったはず。「青々と柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」珊瑚橋の上を走りながら啄木の短歌を口ずさんでみたが、果たしてこれで正しかったのか。(笑) 遥かに歴史を遡る古代の陸奥では蝦夷(えみし)が実効支配していたが、朝廷の命を受けて国府多賀城などから次々と討伐隊が送られ、征服後は最前線に城が築かれて行く。伊治(これはり:宮城県栗原市)城、胆沢(いさわ)城、紫波(しわ)城、徳丹(とくたん)城(いずれも岩手県)などがそうだ。その蝦夷征伐の際も本隊は北上川を舟で進んだようだ。そう言えばコースの6km地点手前、支流の和賀川に架かる橋が九年橋と言う名前だったが、きっと「前九年の役」から採ったのだろう。 10km地点から、コースは完全に北上川沿いの道になる。時々強い向かい風。そして畑には真っ赤なリンゴの実。道端で熱心に応援してくれる集落が多く、中でも12km地点の黒岩集落では、地元のウグイス嬢によるゼッケンと名前を読み上げながらの応援が嬉しかった。 12km地点から20mほどの登り坂になり、少しだけランナーを抜く。18km地点で再び北上川に架かる昭和橋を渡る。風が吹き抜ける川面に数十羽の鴨が泳いでいる。この辺りから歩き出すランナーがボチボチ目に付く。ずいぶん多くのランナーに抜かれた私だったが20km地点でもまだキロ6分を切るイーブンペースを維持している。練習不足の割には案外順調だ。 25km地点手前で3度目の北上川。橋の名前は中央橋。雨が降り出したのはこの辺りだったろうか。晩秋の岩手に降り注ぐ氷雨。天気予報と違って大荒れになったが、これもまたレースのうち。ASで初めてバナナを食べエネルギー補充に努める。そしてペットボトルにはアスリートソルトを6粒ほど混入。気温が低めでも用心するに越したことはない。 中央橋を渡り切ると再び往路に戻った。帰路の黒岩集落は26.5km地点。冷たい風に乗って流れて来る、ウグイス嬢の心のこもった応援が心と耳に暖かく響く。ランナーにとっては何ものにも替え難いサービスだった。
2007.10.23
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<突然の「初めまして!」> 目覚ましを4時ジャストにセットしていたのだがその2分前に目覚めた。夜半0時過ぎに愛犬が放つ声に目が覚めパジャマの犬小屋へ行くと、彼は散歩に行けるものだと勘違いして盛んに尻尾を振っていた。結局庭でオシッコをさせて再び床に就いたのだが、そんなことがあって多少寝不足になっていた。起床後着替えをして直ちに愛犬との散歩に向かう。 道はまだ真っ暗だが、少し体を動かした方が朝食が美味い。帰宅後朝食を済ませてバス停に向かう。5時30分に仲間のO川さんが迎えに来てくれることになっている。見慣れない車が接近し、O川さんの笑顔が見えた。何と彼の愛車は車体が低いスポーツカーだった。 東北道を北上市へまっしぐら。1時間半ほどで会場の「北上総合運動公園」に到着。ここは5月末にある「いわて銀河ウルトラ」のスタート地点なので馴染みがある。車から降りると風が強い。確かに天気予報では仙台より3度ほど低い気温ではあったが、風のせいで体感温度はさらに低く感じる。公園の中の桜の木が美しい紅葉と化していた。 受付を終え、着替えのために陸上競技場のスタンドに向かう。出来るだけ風を受け難い場所を探す。いつもならランシャツランパンが私のスタイルなのだが、この日は上は半袖Tシャツ、下はハーフタイツしか持って来なかった。そして手袋はポシェットに忍ばせていた。 競技場内で準備体操をした後、グラウンド内を軽く2周する。スタンドに戻ってバナナと大福を食べ、栄養剤を飲む。この後スポーツグッズの出店を覗き、ロングタイツを予約。仙台の業者で「いわて銀河」や「磐梯高原」などのレースでも買っているし、車の中に財布を置いて来たからだ。 場内のアナウンスで招待選手の紹介と、公式タイムを得るためにネパールの選手がフルマラソンに出場する旨の紹介があった。8時50分のスタート時間が迫りいよいよグラウンド内へ。陸連登録のO川さんは最前列へ向かった。他の仲間を探すとK山さんが鉄人製作研究会のS井さんと一緒におられた。塩竃FMCのK村さん、住吉台走友会のS木さんにも会って挨拶。 ユニフォームの名前で沖縄の石垣島の選手を発見。沖縄の人にとっては、今朝はさながら冬の気温だろう。「いわて北上M」と「石垣M」は姉妹レースのようだ。数年前の冷害の年に、岩手産「ひとめぼれ」の田植えを引き受けてくれたのが確か石垣島だったはず。きっとそれ以来友好関係が芽生え、お互いに優秀選手を派遣するようになったのだと思う。 秒読みが終わると同時のスタート。選手はまずグラウンド内を一周と4分の3ほど走って公園内へ、さらにそこから一般道へと向かう。参加選手数は800名足らずで、あっと言う間に先頭グループは見えなくなった。比較的前からスタートした私は後からドンドン抜かれる。 一般道へ出ると、コースは「いわて銀河」と反対の北上川方面に向かった。5km地点で27分台。自分としてはそんなに遅くないはずなのだが。6km地点辺りで後から「初めまして!」の挨拶にビックリ。静岡のS本さんで、雲峰さんのHPなどで私のことを知ってるとのこと。たまたまどこかの掲示板に書いたゼッケンから名前を調べたようで、4月の長野Mでも同じくらいのタイムだった由。 今回もたまたまプログラムで名前を見つけ、ナンバーを覚えていたみたい。世の中には色んな人がいるものだ。忽ち遠ざかる彼の背中。そして早くも8km地点で第1関門発見。ここの制限はスタート後50分。ちんたら走っていたら、捕まってしまうところだった。危ない危ない。(笑)
2007.10.22
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今日は「いわて北上マラソン」でフルを走って来ました。朝8時50分のスタートでしたが、朝から気温が低いのに加えてコースの途中では雨や風があったりして苦しみました。完走記は明日書こうと思っています。とりあえず結果だけ記すと4時間13分33秒で総合375位でした。(60歳代男子だと39位です。)これで今月もフルを完走したので、10月までフル以上のレースに毎月出て完走すると言う今年の目標は、引き続き達成されています。(笑)
2007.10.21
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夜来の雨も上がり、今朝はすっかり秋晴れになった。先日張り替えたばかりの芝生や植え替えた庭の植木も、そしてわずかばかりの畑の野菜にとっても、昨夜の雨は恵みの雨になってくれたようだ。愛犬との散歩を済ませ、畑に肥料を撒く。 今日は妻とハイキングに行く約束をしていた。私は大雨で道路状態がどうか心配したが、妻の方はすっかり行く積りでいたようだ。まず最寄のJR長町駅までバスで行き、そこから東北本線と仙山線に乗り換えて愛子(あやし)駅で下車する。新設の「東北福祉大前駅」を初めて見たが、まさに大学の真ん前だった。 愛子駅から秋保温泉までが今日予定したハイキングのコースだが、「サイカチ沼」経由だと妻も2度歩いているため今日は「錦ヶ丘」経由にしてみた。瀟洒な郊外の団地の裏手には「西風蕃山」(ならいばんざん)の山並みが迫っている。県道は団地の入口から秋保方面に抜け、間もなく建築中の仙台市天文台が見えた。構内道路を整備中のようで、来春辺りにはオープンになるのだろうか。 山道に入りコースの最高地点が近づくと、遥か彼方に奥羽山脈から泉ヶ岳にかけての雄大な景色が一望できる。足元には山栗の実がたくさん落ちていた。真っ赤なガマズミの実の下で少し早い昼食。メニューはお握りとリンゴとカステラ。汗をかいた分お茶が美味しい。「サイカチ沼」への分岐点にあった案内標識が壊れていたが、今はハイカーが少なく釣り人くらいしか通らないので不便はないのだろう。 秋保温泉到着は12時40分ほど。入浴の準備も一応はして来たがそのまま歩くことにする。近所のスーパーの名物はおはぎだが、餡、黄な粉、ゴマを各2個ずつ購入し、「秋保里センター」へ。ここでは運良く、盆栽展とジャズのライブをやっていた。東屋の椅子に掛け、ジャズを聴きながら食べる「おはぎ」の味は格別だった。(笑) 休憩後はライブの横をすり抜け自然路経由で覗き橋へ。さらに紅葉し始めた磊々峡(らいらいきょう:夏目漱石の弟子の小宮豊隆=東北帝大文学部卆が命名)を歩く。名取川上流の小規模な渓谷だが累々たる大岩が眼前に迫る絶景だ。その近くのバス停からバスに乗って帰宅。歩いた距離は10kmほど。それでも帰りは疲れて眠っていたようだ。(笑) 仙山線に乗らずに国道経由で一周するとちょうど42kmになり、私も何度か練習で走ったことがある。自然が好きなのに普段歩く機会が少ない妻は、こんなハイキングでも結構喜んでくれた。今年妻と行ったバスツアーは6回。そしてこれからの予定が3回。たまの女房孝行も、家庭円満のためには良いかなと思う最近の私だ。
2007.10.20
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水泳の木原光知子が死んだ。水泳の指導中、急に倒れたそうだ。死因はくも膜下出血で享年59歳。まだまだ死ぬ歳ではないと、ニュースを聞いてもなかなか信じがたい。16歳でオリンピックに出た時から美少女で人気があった。大人になっても持ち前の明るさと行動力で、グイグイ周囲を引っ張って来た人だという印象が強かった。 あれだけの美人なのに何故か結婚はしなかった。(余計なお世話か)あれだけのアスリートなのに60前に亡くなった。日本女性の平均寿命に比べたら20歳以上若い死だった。彼女の死因だった「くも膜下出血」は、ある日突然頭蓋骨内で出血し、死に至る重大な病のようで、日頃から頭部のCTスキャンなどできちんと調べておかないといけないようだ。 そんなことがあったからだけではないだろうが、最近女房が私の生命保険の内容をチェックし始めた。私が加入した保険はかなり前の古いタイプのもので、死亡時に500万円出るだけだ。それを死亡時の補償額を減らす代わりに、入院時も補償されるよう契約を変更するみたい。これまで大手生保は十分説明責任を果たさず監督官庁から指導を受けたばかりなので、案外親切に教えてくれるようだ。 今朝の通勤時に本を読む積りが、仙台駅に着くまでグッスリ眠っていた。週末はやはり疲れが出るのだろう。8月から続いている第2現場での残業も、ようやく今月末で終わりそうな気配。12時に仕事を終え、空腹のまま帰宅ラン。低血糖で走るのもトレーニングのうち。 定禅寺通りでは黄葉したケヤキの葉が風に舞っていた。西公園の角でランナーとすれ違う。同じ走友会のG藤さんだった。「今日は、暫く~っ!」一瞬のうちに挨拶を交わす。確か昼休みも8kmほど走っていると聞いていたが、日中この辺を走ってると言うことは最近転勤でもあったのか。西公園の中に入ると、ギンナンの実がたくさん落ちていた。やはり季節は確実に秋になったようだ。 動物公園の裏では、地下鉄東西線関連の工事が進んでいる。駅予定地周辺の土地を整備しているようだ。日赤病院付近から赤いジャージーを着たM山高校の生徒が目立って来た。どうやら学校行事のウォーキングで太白山にでも行ったのだろう。案の定途中2箇所にチェックポイントがあった。 これで今週は5日連続での帰宅ランになった。日曜日に「いわて北上」でフルを走るのだが、「佐渡島」以降ほとんど練習をしていなかったのだ。それでもゆっくりならフルを走れるだろうが、レースに出るからにはある程度スピード感を養っておかなくちゃいけないし、今ならどのシューズが足に合うかを試しておく必要もある。 今年の目標だった「毎月フル以上のレースに出て完走すること」を9月までは達成出来たので、12月までの残り3回を何とか完走したいと思っている。話は変わるが、送られて来た「佐渡島一周」関係資料の中に、ゴール時の写真が入っていることに昨夜になって気づいた。まるで亡霊のような顔をしてるのは、40時間以上も眠らずに走り、歩いた疲労のせいだろう。 こんな写真はとても人様に見せられない。(笑)健康のためのランニングが健康を害する原因にだけはならないよう注意したいと思う。間もなく職場の健康診断と市が行う胃の健診を受ける予定だが、その前後にフルマラソンと徹夜の麻雀大会が重なる。果たして検査結果にどう影響するか。 さて、かねがねおかしいと感じていた「メタボリックシンドローム」の基準(日本人男子の場合)だが、そのうちの一つ「腹囲が85cm以上」について専門家の中にも異論が出て来たようだ。健康には十分注意している私だって85cmに近いんだもの。背が高く、体格の良い人なら85cmを越えるのはザラじゃないの~?
2007.10.19
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9月に走った「佐渡島一周」の完走証が記録などと一緒に送られて来た。完走証の中の写真は、確か初日のまだ早い段階で撮られたものと思う。私はランパン、ランシャツ姿で満面の笑みを浮かべ、まだまだ余裕がある表情をしている。完走証のデータのうち、第3ASと第4ASの設置地点が同じ距離と誤記なのがご愛敬か。 「佐渡島一周」はタイムを争うレースではないとの理由で、原則として順位は発表しないし表彰もない。さらに言えば「参加賞」だって主催者のS木さんが好きな新潟の銘酒「越の寒梅」と決まっているのだ。(笑)冗談はともかくとして、折角送っていただいた記録表なので、大会の趣旨に反するかも知れないがゴールした順に整理してみた。ご参考まで。☆エントリー人数52名 ☆不参加4名 ☆途中リタイヤ5名 ☆コースアウト1名順位 タイム 選手名 県 年齢 性別 出場した主な大会 1 28:45 O 埼玉 34 男 萩往還 250 42:24 2 30:27 S 宮城 60 男 萩往還 250 39:29 3 31:01 K 新潟 55 男 雁坂峠 141 19:27 4 34:29 S 東京 61 男 ぎんが 100 11:10 5 34:31 N 東京 59 男 秩父 140 22:00 6 35:29 K 神奈川58 男 冨士五湖117 11:29 7 35:57 W 神奈川69 男 さくら道270 43:00 8 36:09 H 栃木 62 男 さくら国250 33:51 9 37:15 K 神奈川47 男 隠岐島 100 12:1910 38:03 S 大阪 56 男 佐渡島 211 38:5911 38:41 N 富山 59 男 丹後 100 13:1612 38:58 O 宮城 56 男 佐渡島 211 43:2013 39:14 F 秋田 36 男 ぎんが 100 9:1314 40:00 A 神奈川52 男 甲州夢 215 34:3715 40:23 私 宮城 63 男 佐渡島 211 41:4016 40:30 T 千葉 55 男 川の道 522 121:5917 41:25 D 宮城 50 男 萩往還 250 46:2318 41:39 S 富山 36 男 佐渡島 211 46:3819 41:41 T 宮城 59 男 くびきの100 12:3120 42:15 H 兵庫 60 男 萩往還 140 21:3921 42:16 S 兵庫 37☆女 甲州夢 215 32:5522 42:24 K ブラインド 男 ー 23 42:32 S 神奈川39 男 サロマ 100 ? 24 42:55 Y 東京 47 男 エコ 100 12:5025 43:36 O 新潟 42 男 しまなみ100 12:0026 43:58 U 新潟 54☆女 くびきの100 13:0127 44:24 N 兵庫 60 男 太陽の道190 39:2328 45:24 I 埼玉 男 -29 45:37 S 埼玉 67 男 磐梯高原102 13:3430 45:38 M 宮城 56 男 佐渡島 211 43:2030 45:38 Y 宮城 52 男 サロマ30 45:38 K 宮城 60☆女 宮古島 100 13:2630 45:38 S 東京 72 男 磐梯高原102 13:5734 45:47 K 新潟 33☆女 北丹沢山 44 9:0435 46:23 H 新潟 36 男 佐渡島 211 45:4836 46:25 T 新潟 38 男 くびきの100 13:4237 47:14 K 福岡 21 男 宮古島トライアス10:5638 47:31 F 新潟 49 男 くびきの100 13:1338 47:31 T 新潟 52☆女 磐梯高原100 13:5840 47:57 K 兵庫 51 男 伊豆大島100 12:5440 47:57 S 埼玉 52 男 サロマ 100 12:1140 47:57 O 群馬 56 男 くびきの100 11:20 これまで走った最長距離がたった44kmで参加した新潟の愛ちゃんとトライアスロンの経験しかなかった福岡の正太君(レース中に21歳の誕生日を迎えました)。皆の注目を集めた若き男女2人が200kmを越える超長距離のレースに挑戦し、見事完走を果たしました。私の目から見たら無謀とも思える彼らの挑戦でしたが、良く頑張ったと褒めておきましょう。 愛ちゃん(HN:銀のねこさん)と共に私のブログに書き込みをしてくれた秋田のF原さんが、悪戦苦闘した「佐渡島一周」の完走記を彼のブログにまだ執筆中です。これも「佐渡」が取り持った縁でしょうね。良かったら覗いてみてくださいね。 http://plaza.rakuten.co.jp/RJUN100/ です。
2007.10.18
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昨日の仙台の最高気温は14度にもならなかったとか。道理で寒かった訳だ。急いで居間に電気カーペットを敷き、私の部屋にはコタツを作った。まだ温風ヒーターへ灯油は入れてないが、これでも当分は暖かく過ごせるだろう。 今日は帰宅ランの後昼食を済ませ、値段が安いと聞いた遠方の園芸店までマウンテンバイクで行ってみた。タマネギの苗を買う予定だったが、苗が出回るのは今月末か来月初めになるとのこと。夏が暑かったせいかも知れない。我が家もタマネギの種を蒔いたのだが、長雨で折角出た芽が駄目になってしまった。 店内を見回すと結構安くて良い品が多く、折角なのでケイトウを4本と千円の西洋シャクナゲを買った。念のためにシャクナゲの植え方を聞いたら、鹿沼土に腐葉土などを混ぜると良いらしい。帰宅して今度は荷台のある自転車でDIY店に行き、鹿沼土、砂利、芝の目土を購入。 西洋シャクナゲを買ったのは、先日庭仕事中に、私が誤って折ってしまったからだ。植えてから6年ほど経ってようやく花芽をたくさんつけたのに残念だった。来春の植木市では是非買いたいと思っていたところだった。植木には鹿沼土が合うことは、知識として頭のどこかにはあったのだが、実地には生かしてなかった。例えば西洋シャクナゲだが、これまでなかなか花芽がつかなかったのは、土の成分などについて余りにも無知だったからだろう。 今年たくさんの実が生ったユスラウメが夏以降に急に枯れた理由が分からなかったのだが、妻が果樹に詳しい人に聞いた話だと、果樹は酸性度の高い土を嫌うとのこと。そのため石灰で中和し、腐葉土などを鋤き込んで土の成分を良くする必要がある由。そう言えば今回のユスラウメ同様にずいぶん前に枯らしたアンズも、畑の直ぐ側に植えていた。もちろん石灰は撒いてはいたが、それ以上にせっせと窒素肥料を撒き、酸性化させてたのが悪かったのだろう。 ナナカマドやカリンなどを枯らしたのは、移植した時に根を切り過ぎてしまったからだった。この秋移植したハナズオウも葉がすっかり枯れている。ひょっとしたらこれも駄目にした可能性が高い。狭い庭なので樹木が大きくなると、どうしても植える場所を変える必要が出て来るのだが、素人の悲しさで樹木の性質や土の成分、植え方などの知識が足らないために、結局駄目にすることが多いのだろう。 元々我が家の土地は30年間も放置して全国を異動しているうちに工事の残土などを捨てられ、石ころなどがゴロゴロ出て来てとても畑や庭になる場所ではないのだ。畑の方は年に何度か掘り返すため徐々に土壌の改良も出来るけど、庭の方は全て掘り返すことは出来ず、栄養が悪いままなのだ。それでも最近では梅、柿、イチジクなどの実の生る木や花の咲く木の根元には、春先に堆肥を撒くようにしたのだが。 オオテマリや柿の葉が毒蛾の幼虫にほとんど食べられた年もあった。またバラや梅にはアブラムシなどがつくため消毒が欠かせないし、畑の葉物には直ぐに蝶々が卵を産み付ける。ひょっとしたら人間が生物を育てることは、他の生物との競争なのかも知れない。この秋、小さな畑で育てた春菊を、もう何度か摘んで食べた。例え失敗は多くても、そんなささやかな収穫が私達夫婦の目下の楽しみになっている。
2007.10.17
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昨日から第1現場では冬の制服を着用し始めた。厚い生地の冬服。ワイシャツにネクタイ。腹部を縛る幅広のベルト。暑苦しい帽子。半袖の軽い制服に慣れていた体に、冬の重たい制服は厳しいだろうと思っていたのだが、このところ急速に気温が下がって来たせいで案外大丈夫だった。 その代わり良く動き回る第2現場の作業服はまだ半袖シャツのままだし、作業中はそれすら脱いでTシャツだけになっている。そして帰宅ランはランパンに半袖Tシャツ。そのスタイルで走っていると、通りすがりの人が首をすくめている。その姿を見てるだけでも寒さを感じるのだろうか。 63歳にもなってこの時期にランパンで走れる健康体を感謝すべきなのだろう。一昨日のクラス会で聞いた話だと、当時55名いた級友のうち既に8名が物故者となり、目下6名が体調を崩しているらしい。それに住所不明になった級友も3名いた。 少し書き足すとO江は唯一私が警備員として働く姿を見ている。彼はそのビルの関連会社の社長のようだ。道理であそこで出会えたわけだと納得。鶴岡に住むS藤は、かつて私が「鶴岡100km」への参加を目指していたことを良く覚えていてくれた。 最近ハーフ程度の距離を走れるようになったと話すS木は千葉県佐倉市に自宅があるが、住所を見たらこの3月に走った「佐倉マラソン」のスタート地点の直ぐ側だった。近所の児童館の館長をしているS原には帰宅ランの途中に何度か会っている。宴会の席で私が100kmとか200kmとかを走ると話すと、皆はビックリし、きっとこの中で最も長生きするのは先生と私だろうと話していた。(笑) さて、先日のWBCフライ級タイトルマッチの最中に発生した「亀田事件」に対して、このたびJBCから裁定が下った。18歳の大毅本人は1年間の出場停止。試合でセコンドを勤めた兄の前世界チャンピオン興毅に対しては厳重戒告。父親でセコンド役の史郎トレーナーについては無期限セコンド資格停止。そして所属ジムの金平会長は3ヶ月間のオーナー資格停止と言う厳しい処分内容に加え、今後は「亀田道場」での練習を認めず、金平ジムでしかトレーニングを受けられないことになった。 つまり今後父親の史郎氏が亀田兄弟を指導することは一切不可能で、兄が弟の試合のセコンドに立つことも出来なくなる。聖なる世界タイトルマッチの場を汚した代償は、余りにも大き過ぎたと言うべきだろうか。本来最もストイスティックなスポーツであるボクシングの試合が、あたかも芸能ショウのようになってたこと自体が間違っていたのだ。今回の処分に対する亀田家側の反撃も難しいと思うがどうだろうか。
2007.10.16
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久しぶりに背広を着、バスに乗って郊外の温泉に向かう。ホテルに着くと受付に3人のクラスメートがいた。どうやら私が一番乗りだったみたいで、恩師もほかの級友もまだ着いてない。案内状を良く見ると開宴は6時からのようで、まだ2時間もある。暫く部屋で寛いでいた。恩師がホテルに着いたのは5時半頃。一緒に温泉に行く。 恩師の喜寿の祝いを兼ねたクラス会の司会者はA沢。彼は地銀の支店長を勤めた温和で面倒見の良い男。彼がいなければ2年に1度のクラス会も開かれないだろう。その彼の口から思いがけない言葉が出た。この1年で2人の級友が亡くなったとのこと。 そのうちの一人Yは学生当時は合唱部に所属し、美しいバリトンの声でいつも歌を披露して呉れた。彼の死因は舌癌だった由。あの明るい男の美声の歌がもう聞けないと思うと、とても淋しい。これでクラスの物故者は8名になった由。宴会に入る前に全員で黙祷。 恩師は昨年の3月まで高校で国語を教える非常勤講師を勤めていた由。仕事を辞めて以来毎日が日曜日で張り合いがなくなったと話す。視聴覚教育の中心だったため、3年生を担当したのは私達と2年先輩達だけだったとか。その2つの年度の卒業生が良くクラス会に招いてくれると喜んでいた。 代表の挨拶をしたのはクラス委員長だったS井。彼は大学1年の時に父親を亡くし、稼業の船具店を継いだ。おっとりした人物でクラス会の永久会長に衆議一決。その彼が私の第二詩集を持参したことにはビックリ。 代表でお祝い金を渡したO場は当時サッカー部所属。自営業で悠々自適のよう。春先ランニング中に出会った時に、恩師の喜寿の会を催す予定と教えてくれたのが彼。レースとかちあわなくて本当に良かった。 横浜に住むA達はクラス会初参加で皆と会うのは46年ぶり。彼の住所をずいぶん前に同窓会に教えたのが私だった。東京勤務時代の私に結婚式の司会を依頼しに職場に訪れ、私が司会をしたそうだがすっかり忘れていた。だが一緒に行った鎌倉で迷子になり、別々に帰ったことを彼は忘れていた。 大阪に住むT代はクラス会にはいつも飛行機で来る常連。彼の出身はどういうわけか鹿児島の屋久島なのだとか。島には甥が経営している旅館がある由。ひょっとして今後お世話になる可能性があるかも。 Y田は国立大学の経済学部を卒業して金属加工のメーカーに勤務し、経理部長を勤めたとか。現役の最後の方は外国に建設した工場へばかり行っていたと話す。意外だったのが現住所で、何と走友会の練習コースの直ぐ側だった。 Y夫は私と同姓で地銀の支店長を勤め、定年後は関連会社の経理部長をしていた。まだ詩を書いてるのかと私に問う彼に、今は毎日ブログに3千文字ほど日記を書いてると話すと驚いていた。高校当時まだ坂元町だった彼の家に遊びに行ったことがあったが、海が荒れていて泳げなかったことは忘れていた。 参加者22名の話は尽きない。席を廻っているうちにすっかり酔ってしまった。私の他は全員一泊し、翌日は懇親ゴルフもあるのだが、翌朝勤務のある私は2次会に少しだけ顔を出し、9時過ぎにタクシーで帰宅した。 今日は名幹事A沢が作ってくれた級友の住所録を見ながら、昨夜のことを書いた。恩師が元気そうだったのが何より嬉しい。実は私達夫婦の仲人をしてくれたのも恩師だった。そして長らく企業戦士として頑張って来た級友達一人一人の健康を、心から祈りたいと思う。
2007.10.15
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昨夜は珍しく8時間ほど眠れた。そんなに眠るのは年に数回しかない。よほど体が疲れていたのか、夜中にトイレに起きたのも2回ほどだけで済んだ。今朝は久しぶりに走ろうと思って、枕元にトレパンなどを用意していた。日曜日の朝から走ることも私にとっては珍しいことだった。 窓ガラスに結露が出来ている。今シーズンでは初めてのこと。きっと朝方の気温が低かったのだろう。用意したTシャツは幸い長袖のもので、用心して軍手をはめることにした。愛犬を犬小屋から出すと、もう散歩に行くのだと張り切って飛び出す。左手にはウ○チ用の袋、右手にはリード(綱)を持って、明るくなった朝の道へ走り出す。 そうそう、今朝のランニングは愛犬の散歩を兼ねてのものにしてみたのだ。久しぶりに私と走る愛犬はいつもと様子が違うので、どう走ったら良いか戸惑っている。オシッコやウ○チに時間を取られるのは最初だけで、徐々に彼もペースが分かって来たようだ。 愛犬とランニングするのはZ川沿いの11kmのコースと決まっている。後でノートを調べてみたら、彼とこのコースを走るのは何と元旦以来のことだった。(笑)いつもは反時計回りをするのだが、今日は最初から太陽に向かう時計回りにして見た。朝風が冷たく感じて鼻水が出る。やがて走っているうちにそれも治まった。 Z川の堤防まで来ると、風に乗って良い香りが鼻腔をくすぐる。最近除草をしたばかりなのか強烈な干草の匂いだ。刈られた草が太陽に照らされて発するその香りが、私はとても好きだ。暫くこのコースを走らないうちに、新しいマンションやコンビニが幾つか出来、道路が拡張されていた。そして稲刈りの済んだ広い田圃の向こうには、走友会の練習コースである隣の市の山々が朝日を浴びていた。11kmを長く感じたのは、間違いなく練習不足のせいだろう。(笑) 10時過ぎに町内会の集会所に行く。今日は豊齢会(老人会)の集まりで、郷土史の講演があるらしい。約束の時間より早いのに、もう話が始まっていてビックリ。話の内容は私達が住む地区の歴史で、講師は博物館で市史の編纂に携わっている方。さすがは研究者らしく渡された資料には出典が細かく載っている。専門は近世史かと感じた。 古代から中世、近世、近代、現代へと、私達が住む地区の歴史が1時間かけて説明された。私の関心事でもあるだけに興味が湧き、あっと言う間に話は終わってしまった。直ぐに退出すると言う講師に古代の官道がどこを通っていたか訊ねた。これまでの研究では実方中将が通った山沿いの道だと思われて来たが、つい最近発掘された大野田の遺跡や、その周辺に「東街道」の地名があることから平野部を通っていた可能性もあるとのこと。専門家の間でもまだ結論は出ていないようだ。 さて、今夜は高校時代の恩師の喜寿を祝って、郊外の温泉でクラス会が開かれる。祝賀会、懇親会に続いて二次会があり今夜は一泊し、明日は親睦ゴルフとか。私は明朝も仕事があるので今夜のうちに帰宅する予定だ。そのことはまた明日書くことにしよう。
2007.10.14
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柿の葉が落ち出した。黄葉したシャラの葉が風に吹かれて玄関先に散っている。風は既に秋のもの。今日は風呂の床に敷くマットと、湯船の保温用のシートを物置から出した。コタツを作るにはまだ早いものの、つい先日まで着ていた半袖ではもう寒い。 建築家の黒川紀章さんが亡くなったことをニュースで知った。春の都知事選や夏の参議院選に立候補して話題を振りまき、ついこの間まで元気でいたのが嘘のように思えるほどあっけない最期。選挙中も決して体調は良くなかったようだが、あの大騒ぎは一体何だったのだろう。 先日創立30周年祝賀会開催の案内が来た8番目の職場の建物は黒川氏が設計したものだった。その後何度か増築しているが、設計者である黒川氏の了解を得るのが大変だったとも聞いた。自分が手掛けた建物に対する思い入れがそれだけ強かったのだろう。それにしても人の生命とは、実に儚いものだ。 今朝は起床して直ぐ、自転車で3度石材を運んだ。様々な色と形をした石が石材店の石置き場に捨ててあるのだが、その中から敷石になりそうなものを選ぶ。捨ててあるくらいだからあまり立派なものはないが、そんな石でも幾つか荷台に積むと相当重い。坂道をえっちらおっちら、ふうふう言いながらペダルを踏む。足にかなりの加重がかかり、とても良いトレーニングだ。 朝食後裏庭に敷石を敷く作業を開始。まず硬い土を掘り起こし、石の厚さや大きさに応じて穴を掘る。次に適当に土を均し、既に敷いてある石とのバランスを考えながら石を敷いて行く。結局今回持って来た石材だけでは家の周りを一周させることは出来なかった。 近所のスーパーで買い物した後、今度はDIY店まで芝生を購入しに行く。実は前日も芝生と砂利を買い、庭の手入れをした。先日来の美化運動の続きで、石を敷き芝生を張るスペースはまだまだあるが、問題はどこまでやるかだ。 そんなことで疲れが抜けず、午後は横になりながらパリーグのプレーオフを観て、走友会の練習には行かなかった。今月走ったのは2回で、合わせてもまだ29kmだけ。下旬にはレースでフルマラソンを走る予定があるが、焦りはまったくない。私は疲れが激しい時に無理はしない主義だ。 階段を上り下りして建物を巡回したり、重いダンボールを持って何度も踏み台に上がる肉体労働が目下の私の仕事。それに愛犬との散歩、自転車での買い物や野球観戦など、日々の暮らしの中での運動が、きっと少ないランニングの練習量を補い、自然と足腰を鍛えてくれているのだと思う。 さて、地元のユネスコ協会の理事長をしている先輩から、「県民大学」に入るよう勧誘があった。だが私はまだまだ現役の労働者で、平日の日中から講義を受ける身分ではない。これからも汗を流しながら働き続け、ウルトラマラソンの費用を稼ぐ積りだ。「県民大学」や「老人大学」へ行くのは、仕事を辞めてゆっくり出来るようになってからでも遅くはないだろう。
2007.10.13
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昨夜はWBCフライ級世界チャンピオンタイトルマッチがあった。チャンピオンは内藤大助33歳、挑戦者は同級世界14位亀田大毅18歳で期待して観ていたのだが、挑戦者の経験不足で試合内容には大きな差があった。亀田陣営の筋書きとしては最年少チャンピオン誕生を狙っていたようだが、頭突きや肘打ちが多くて見せどころが少なく、最終回はタックルなどのルール違反で3点減点されるなど散々な出来だった。 これまでの試合で圧倒的な強さを見せ付けて来たのは一体なんだったのか。やはり「旬」を過ぎた弱いボクサーばかり相手にしてたのが実態だったのだろうか。世界チャンプの兄興毅がセコンドに入って違法な反則技を指示していたと言う報道もあるようなので、今後コミッショナーがどう動くかだ。 違法と言えばつい最近ネットを介した嘱託殺人で30代の男性が逮捕された。妻が治療のためにもらった向精神薬をネットで販売したり、自殺の手助けや挙句の果ては殺人の請負まで、手作りのHPで表明していたと言う。容疑者から睡眠薬を購入し自殺した人も現実にいたようだし、睡眠薬を飲んだ女性の依頼で袋を被せて窒息死させたと言うから世も末。死を商売の道具にして得た金を、容疑者は遊びの資金にしていたようだ。ネットの闇は深い。 簡単に人殺しの手伝いをする人がいる一方、前途ある青年を寄ってたかって殺した相撲部屋があったことにも驚いた。何度か逃げ出した新弟子に「焼き」を入れるため、親方の指示で兄弟子が徹底的に痛めつけ、ついに死に至らしめてしまった。親方自身、亡くなった青年の頭部をビール瓶で殴っていたと言うから呆れて物が言えない。 この事件は横綱朝青龍の非常識極まる態度などとは問題にならないくらい社会的影響が大きい。何故なら朝青龍の問題は彼個人の倫理観とか非常識が問われるだけで済むが、今回の死亡事件は犯罪だからだ。他の部屋でも新人に「焼き」を入れることはあるらしいが、果たしてこれが「国技」とも言われる大相撲界の実態だとしたら悲しいし恥ずかしい。密かに噂される「八百長」など、大相撲の世界には我々がまだ知らない闇の部分が、きっと存在しているのだろう。 さて、ミャンマーで銃殺された報道カメラマンの死も悲惨だった。我々があまり良く知らないミャンマー軍事政権の実態の一部が、今度の事件で明らかになったのではないか。多くの民衆から尊敬を受けている僧侶すらデモに立ち上がったミャンマーの今の姿を、世界に伝えようと危険も顧みずに現場に向かって撮影を続けるカメラマン。それを妨害するため、背後から至近距離で発砲した兵士。 亡くなったカメラマンの手に最後まで握られていたビデオカメラだが、ミャンマー軍が証拠隠滅するためか遺族に返還されることはなかったようだ。アウンサン・スーチー女史の軟禁と言い、彼の国の民主化への道のりは遥かに遠そうだ。民衆を苦しめる深い闇。我が国にもかつてそんな闇の時代があったことを、決して忘れてはいけない。
2007.10.12
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昨日は朝から晩まで働き通しだったためにクタクタの状態で日記を書いていた。今読み返しても疲労感が滲み、全く文章に潤いがない。が、それはそれで仕方がないと思う。今日も睡眠不足が重なってまだ疲れは取れず、似たような状況で日記を書いている。 出来る限り毎日日記を書くと言うノルマを課した以上、草臥れて多少硬い表現になったとしても許してもらうしかない。変な譬えかも知れないが、自分にとっての日記はウルトラマラソンのレースと同じで、じっと辛抱の修行みたいなものだ。そのうちまた楽になる時が来る。 さて、8番目の職場だったさる博物館から案内状が届いた。勤務したのは10年以上も前のこと。世間ではまだ馴染みの薄かったマルチメディアを取り入れた最先端の研究と展示を試みる斬新な職場で、パソコンなど機器類の扱いが最も苦手な私がどうした訳かシステム関係の部署に配属され、予算要求の説明などで相当苦しんだものだ。 来月中旬に開館以来30周年を迎えるに当たり、記念式典と祝賀会を開催するための案内状と、別途特別企画展の案内が今回届いた。仙台から遥かに遠く、私が欠席しても何の影響もないためはじめから出席する意思はなかった。だが自分にとって仕事は厳しかったが、国内で最先端の博物館活動には目を見張るものがあり、とても良い刺激になったことだけは確かだ。 話は変るが、私も今日何通かの案内状を全国に出した。筑波時代の悪友と年1回定期的に開催している麻雀大会がその用件。昨年愛知県犬山市での大会で優勝したため今回は私が幹事だったのだが、8月の「立山登山マラニック」9月の「佐渡島一周」を無事完走して、ようやく準備する気になったのだ。 皆の都合を問い合わせた結果、今月下旬の最終土曜、日曜が好都合だと分かった。希望があった飯坂温泉周辺の宿を急遽手配し、パンフレットが届いた今日案内状を送付した次第。欠席は3人で1人は高齢に因る症状でドクターストップ中の先輩。1人は超多忙で来年2月まで予定が立たない後輩。そしてもう1人はたまたまその日都合が悪かった後輩。10人近いメンバーにスケジュールを照会すれば、どうしても誰かが犠牲にならざるを得ない。 遠く三重から1名、東京から2名、千葉から1名、茨城から2名、そして宮城の私の合計7名が今回の参加メンバー。年々OBが増え、この会合を楽しみに待っている先輩や同僚も多くなった。現役時代は女房に目の敵にされた麻雀仲間だが、今もなお最も気心の通じ合う悪友はとても大切な存在で、勝っても負けても一晩中酒を飲みながら戦い続ける姿は、とても女房族には見せられない。(笑)ビバ!懐かしい悪友達よ。再会の日はもう直ぐだ。
2007.10.11
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今日は遅番のため夕方からの勤務だった。夕方から夜の8時まで勤務する遅番のTさんが飲み会で、早番の私と交代したのだ。私は本来朝からお昼前までの勤務だから、遅番の彼と直接顔を合わせることはない。このためノートに業務上の連絡事項を記して、共通認識を持つようにしている。 この5月から勤務してからようやく半年経った彼は元高校球児だけに、ノートに書かれた連絡事項の内容はいつも明快だ。それに建設業界で長らく営業を担当して苦労したせいか配慮に富み、いつも打てば響くような答えが帰って来るので有難く思っている。 今回は彼の依頼で勤務を交代したが、来月は私が胃の検診を受けるために交代をお願いした。胃の検診なんて前職を辞めて以来だから4年ぶりのことになる。妻が国民健康保険で安く受診出来ると言うので初めて申し込んで見たのだ。歳を取れば健康には人一倍気を遣うが、一人勤務の職場ではお互いに融通をし合わないと休みも取れないのが実態。 そんな事情のためレースの際も極力休暇は取らないようにし、近場だと100km走った翌日も早朝4時半には起きて仕事に向かう。レースで大怪我などしたらたちまち勤務先に迷惑をかけてしまうのでうっかり怪我も出来ない。また、疲労で勤務に支障が出るようでも困る。 今朝は久しぶりにゆっくり起きた。勤務先へは午後4時頃まで行けば良いので、またまた朝から家の仕事に専念した。まず西隣の駐車場近辺の雑木を切る。持ち主は東京の人でほとんど管理してないような状態。桑も竹も簡単に伐れるので手間はさほどでもない。これからは太陽の位置が低くなる一方なので、木を伐ると我が家の庭に良く日が当たるようになる。 引き続き花桃とムクゲを移植。次いで敷石を敷き直し、芝生を張り替えた。午後からは犬小屋周辺に砂利を敷き、人工芝のマットを敷く。それもこれも退屈した愛犬が穴を掘って芝を台無しにしたからだ。芝生、砂利、人工芝は自転車で出かけ、DIY店で買って来た。2束の芝や4袋の砂利は非常に重く、一度は自転車のハンドルが取られ危うく転倒するところだった。 ともあれこの所続いていた我が家の美化作戦はほぼ終了した。見違えるようにきれいになった庭や畑を見て、妻もすっかりご満悦。多分暫くは機嫌良く接してくれるだろうと淡い期待をしている私だ。その妻は私が枝を伐り過ぎた表の家に、お詫びの印として柿を買い持参した由。妻との関係同様に、近所付き合いはなるべく穏やかな方が良いみたいだ。
2007.10.10
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キンモクセイの強い香りが漂って来る。ムラサキシキブの小さな紫の実が宝石のように光っている。そしてウメモドキの赤い実は、今年はまだヒヨドリに食べられずに済んでいる。朝夕は寒さすら感じるようになり、朝の散歩時にはまだ夜空に星が光っている。それだけ夜明けが遅くなったのだろう。昨日の愛犬との散歩の時に、赤い実のついたガマズミの枝と萩の一枝を手折って来た。秋は少しずつ深まって来たようだ。 この3連休、私はまたまた畑や庭仕事に精を出した。移動した物置があった場所には砂利と敷石を敷いた。先日狂い咲きして白い花をつけたハナズオウを移植したが、根を切り過ぎたので果たして根付くかどうか。茂り過ぎたレンギョウは、思い切ってかなりの枝を剪定した。お蔭で塀際がすっきりし、見通しが良くなった。 畑では大根の最終間引きをし、土寄せをした。これで虫に食われて遅れ気味だった成長の度合いが少しは早まると思う。京水菜は先日消毒したせいか、その後虫食いは治まり苗の成長が目立った。今回は間引きした苗を他の畝に移植してみた。お百姓さんがそうしているのを見たからだが、何とか根付いてくれそうな感じだ。 DIYショップに行って花の苗や球根などを買った。今回買った球根はチューリップと百合とスイセン。きっと来年の春には美しい花々が我が家の庭先を飾ってくれるに違いない。そして花の苗は紫の花を持つハーブとパンジーなど。それらは今、花壇や植木鉢で鮮やかな彩りを見せている。 そしてDIY店では庭用の照明装置も買った。3千円ほどの安物だがソーラー式で、年1回電池を替えるだけで良い。人が近づくとセンサーが働き、案外足元を明るく照らしてくれる。実は駐車場からの階段が暗く、時々足を踏み外すことがあったのだ。これから歳を取るにつれて危険度が増すと考え試しにつけて見たのだが、喜んだ妻は用もないのにその前を何度もウロウロしていた。 我が家に入り込んでいた裏の家の篠竹を何本か切った。表の家には断って高い桧の枝を切らせてもらった。だが、そんなに伐り過ぎた訳ではないと思うのだが、妻の話ではそこのご主人が怒っていたみたいだ。前回木を伐ってと頼んでも彼はなかなかやってくれず、やはり私が危険を冒して伐った経緯があった。 本来なら隣家に迷惑をかけないよう自分で処理するのが鉄則。今回の「事件」が今後何らかの軋轢になるかは分からないが、気にしながらも極力気にしないでおこうと思う。人間には誤解がつき物。そして人生万事平穏とは限らない。ひょっとして、秋は己の生き方を振り返る季節なのかも知れない。さて、明日は芝の張替えでもするとしようか。
2007.10.09
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しかしまあ強い人がいるもんですねえ。これがまだ若い女性なんですからビックリです。名前は「佐渡島一周」で一緒だったR子さん。佐渡の翌週に215kmの「甲州夢街道」を完走したことは既に紹介したところです。初日、2日目と共に雨だったそうです。その雨にも負けず、峠を幾つか越えて、無事日本橋のゴールに着かれたんですねえ。 そのR子さんがこの3連休でまたまた200kmを走られたとか、土曜日の練習会の時D口氏に聞きました。レースの名前は聞いたのに忘れてしまいましたが、土曜日に50km、日曜日に100km、そして今日月曜日が50kmと3日間のレースのようです。「甲州夢街道」ゴール後、彼女のアンヨは「象の足」状態になっていたとか。 そんな状態にも関わらず3週連続で200km超級にチャレンジする彼女の強さは、一体どこから来るのでしょう。見た目はとても優しく、走り方も力強いと言うよりは、淡々と走ってると言った方が適切でしょうか。その彼女がウルトラに魅せられたように、次々とレースに参加するとは・・・。 私達の走友会にも強い人がいます。スパルタスロンに60代半ばで挑戦したM仙人や、2年連続で萩往還250kmを完踏したD口氏です。でも彼らの強さはレースだけではなかったようです。何とあの難関の「東京マラソン」に2年連続で当選されたと聞きました。これはかなりの強運の持ち主ですね。古川のT田さん、仙台明走会のノリピーさんとか、他にも知人で当選された方が何人かおられるようです。皆さん、大いに楽しんで走って来てくださ~い。 走友会の掲示板を見たら、昨日の「松島ハーフ」にもたくさんの仲間が参加したことが分かりました。今年から「一般参加の部」が新設されて、参加者数もずいぶん増えたとか。驚いたのは伴走を勤められていたU海さんがレースの途中で足を傷め、苦しんでいるのをたまたま通りかかったH田さんが見つけ、急遽伴走を交代し無事ゴールまで導いたと言う実話も知りました。思わぬ仲間の助けを得たU海さん、さぞ安心されたことでしょう。ここにも友愛で結ばれた強い人達がいました。 話は変わってメジャーリーグの話題ですが、松坂や岡島がいるレッドソックスや松井稼が所属するロッキーズが早々に地区予選で勝ち進んだのに、ゴジラ松井のNYヤンキースは2連敗後ようやく1勝目を挙げたようです。ゴジラ松井は膝を傷めて苦戦中とも聞きましたが、何とかリーグ内のプレーオフ進出めざして頑張って欲しいものです。 ちょっぴり驚いたのが我が東北楽天の守護神的存在だった福盛投手が今シーズン後FA権を行使し、メジャーリーグに挑戦すると言うニュースでした。既に福盛に対して関心を寄せているチームも存在するとか。もし楽天からメジャー選手が誕生したら大きな話題になるし、きっとこれからの励みにもなりますね。 3年間親しんで来た「フルキャスト球場」が無くなると言う、若干心が曇るようなニュースもありましたが、犬鷲軍団には是非来年もまた新たな希望に向かって、より一層力強く羽ばたいて欲しいものです。
2007.10.08
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パリーグの公式日程が全て終了し、明日からのクライマックスシリーズ(CS:プレーオフ)を残すのみとなった。残念ながらわが東北楽天はBクラスでCSには進めなかったが、1年間戦って67勝75敗で勝率が4割7分2厘、借金がわずか7で済んだのは立派。それに順位は4位で下には西武とオリックスが控えている。(笑) 一昨年、昨年とダントツのビリだった新規加入球団がようやくここまで来たことが何よりも嬉しい。負けた試合の中には作戦ミスも7つや8つはあったから、タラ話にはなるが上層部の作戦ミスさえ無ければ決して5割達成も無理ではなかったはずだ。前年までの無様な負け方が大幅に減り、その分最後まで接戦で試合を盛り上げたゲームがずいぶん増えた。 私は10月2日(火)から4日(木)まで、楽天の本拠地であるフルキャストスタジアム宮城で開催された楽天主催試合を3日連続でレフト外野自由席で応援したが、最後の最後まで熱心なファンが押し寄せ、素晴らしい応援風景が見られた。 2日(火)は先発の岩隈が1回の最後まで持たず玉砕。見所はフェルナンデスの3ランホームランと5回表に揚がった花火くらいなもので、日ハムに3対11の完敗だった。岩隈はこの日の負けで結局5勝5敗に終わり、シーズン後右肘の手術を予定しているとか。期待はずれの感が否めない一場と共に来季の活躍を特に願っている。 3日(水)の日ハム最終戦は田中が先発。見事に苦手の日ハムを5対1で下し、田中は11勝目(7敗)を挙げた。ヒーローインタビューには田中と枡田が上がった。枡田はこの日が初めての1軍デビュー。タイムリー3塁打ほかヒット2本、2打点の大活躍にはファンも驚くやら喜ぶやら。11勝で新人賞の獲得が確実視された田中だが、西武の岸もその2日後に11勝目を挙げているのでどうなるか。いずれにしても楽天の今年の快進撃の蔭に、ルーキー田中の大活躍があったことだけは確かで、まさにチームのエース的存在だった。 4日目が本拠地の最終戦。4時15分と早目の入場だったにも関わらず、この時点でレフト自由席で空いてるのは芝生席だけだったのにはビックリ。林恩宇、ドミンゴとつなぎ、最終回は引退する吉田豊彦が打者2人に対して最後の投球を披露した。また同じく今季限りで引退する関川は1番センターでフル出場、最後までファイト溢れるプレーを見せた。 結果は0対3の敗戦。ゲーム後強い雨が降り出し、自転車の私は大急ぎで球場を後にしたが、2人の引退セレモニーは粛々と続いていたようだ。関川はまだ幼い子供を抱いていたとか。引退する2人のほかにも球団から今季で戦力外通告を受けた選手も数人いたらしい。我が東北楽天のために草創期の何年かを頑張ってくれた選手には心から感謝したい。 山崎のホームランと打点の2部門での1位、つまり2冠王も特記すべき活躍だった。今季に入る前にはあまり自信がなかったようだが、2軍でじっくり調整したのが結果的に良かったのだとか。打率部門では最後になって股関節を傷めて欠場したリックが第2位に落ちたが、それでも長い間トップで頑張っていたのは立派だった。 投手は田中だけでなく青山や永井など若手がかなり頑張り、野手の直人(渡辺)、捕手の嶋も1軍に定着したのは立派で、来季に期待が持てる活躍だった。編成部やコーチ陣にも変動がある中、野村監督が来季も引き続いて監督を務める意欲を示したことも、チームのさらなる強化に繋がるだろう。 我が楽天とは相思相愛の仲だった仙台育英の最高球速156km佐藤投手が、高校生ドラフトでヤクルトが交渉権を引き当てたのは、地元仙台にとってはちょっぴり残念なニュースだった。 さて今シーズン私はフルキャスト球場に23回観戦に行き、14勝9敗の成績だった。このうち田中が先発で投げた試合は10回見ており(見てないのは1試合のみのはず)、結果的に他のピッチャーが勝ち投手になった試合を含め7勝3敗の好成績だった。田中の背番号入りのユニフォームを着た甲斐があったと言うものだ。 4時間ほどかかる試合時間のうち、楽天の攻撃中は立って応援するレフト自由席。たった1200円の前売り券であれだけ楽しめる熱気に、今年はすっかりはまってしまった。この分だと間違いなく来年もファンクラブに入って応援し続けるけることになるだろう(笑)。 さて来シーズン、犬鷲軍団東北楽天ゴールデンイーグルスがどんなドラマを描き、我々ファンにどんな感激を与えてくれるのだろうか。ますます楽しみが増えそうだ。頑張れ~、我らのイーグルス~っ!!
2007.10.07
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昨日の日記にも書いたが、佐渡から帰宅して行ったことの一つが畑や庭の始末だった。何しろ塗装工事のため、家の周囲に足場が組まれていた時は、家の周りを一周することが困難で雑草は伸び放題になるは、東側の畑の菜っ葉は虫に食われるはでどうしようもなかった。 ようやく足場が取れてすっきりしたのを待ちかねて早速作業開始、最初は草取りから始まった。次に植木の剪定。気になっていたユズ、イチジク、コテマリ、ユキヤナギ、山椒、萩などの枝を刈り込む。特にユズは植えてから一度も剪定したことなく、これでは何時まで経っても実は生らないと近所の人が教えてくれたのを実行してみた。まず上へと向かう枝を途中ですっぱり切り落とし、枝もかなり間引きした。つまり果樹のような枝ぶりにしないと花も咲かないし、実も生らない由。なるほどと感心した次第。 庭木のうち増え過ぎた椿を3本切り倒し、1本を移植。ボケとムラサキシキブも1本ずつ伐り、1本ずつ移植して救済。枯れたユスラウメは抜き、残っていた椿の根っこも抜いてゴミに出した。 次が農作業。まず東側の塀に沿って植えたゴーヤの苗を全て抜き、その後を耕した。ここには「仙台冬菜」の種を蒔いたのだが、昨夜の雨が効いたのか早くも芽が出て来た。大根、京水菜は間引き後消毒し、追肥を施した。京水菜は相当青虫に食われていたが、無事育つかどうか。キュウリを植えていた畝は全て耕し、これからタマネギの苗を植えるためのスペースとして確保した。 さて今年の夏野菜だが、カボチャ1個、ナス13個、トマト12個、トウモロコシ7本、ピーマン13個と長雨の影響で不作だった。特にトマトは例年の15分の1ほどの収穫量しかなかった。ミニトマトは最後に持ち直してそこそこ採れた。長雨の影響がほとんど無かったのがキュウリとゴーヤで、キュウリは94本、ゴーヤ95本と良く健闘している。ただし今年のゴーヤは実が小ぶりの種類だったのが不満。 次に花壇の手入れ。玄関脇の花壇は崩れたレンガブロックを組み直し、アイリスの球根を植えた。一方裏の花壇からはリュウノヒゲや野草を抜いて整理し、孔雀草を移植した。今後はさらにスイセンなどの球根を植える予定。 次が物置などのガラクタ整理。始末した不用品は「燃えるゴミ」が大型ポリ袋に5個分。「プラスチックゴミ」がポリ袋1個分に達した。また物置の位置が変ったことで家の裏側の風通しが非常に良くなり、これまでジメジメしていたのが嘘のように乾いて来た感じ。 最後に下水の掃除。台所からの排水が流れ込むマンホール内を掃除したが、ほとんど脂が付いてなかった。我が家では女房が極力油を使わない主義なので、下水に流れ出る脂分も少ないのだと思う。こんな具合に1人で一気に「環境整備」をしたため非常に疲れたが、その代わりとても気持が良くなった。やはり普段から身の回りに注意し、極力不用品を溜め込まないことが大切だと感じた次第。今度の週末の3連休も、さらに農作業など予定している。当分私の仕事の種は尽きないようだ。
2007.10.05
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9日ほどかけてようやく「佐渡島一周」の完走記を書き終えた。1回平均で3千字以上、合計で3万3千字ほどの大作になった。自分にとって文章を書く行為は真剣勝負そのものだ。まして「佐渡島一周」206kmもの長旅になれば、完走記も206km走ったと同じくらい疲れるのが本当のところ。 執筆中は十分神経を遣った積りだが、悲しいかなどうしても誤解や勘違いが生じる。例えば「A子さんはひょっとしたら姫津港への道をパスしたのではないか」と感じたことについては、ご本人から「手抜きせずちゃんと走りました」とコメントが入った。謹んでお詫びする次第である。 また第2日目の表現で、「対岸に米山が見えた」と書いたが、新潟在住のA子さんのブログだと佐渡から見えた山は「弥彦山」みたい。そう言えばこれまで何回か米山PAから佐渡の方角を見たが、一度として佐渡の姿が見えた試しがない。きっと方角的に見えるのは無理なのだろう。 だがこのことで弥彦山に祀られている弥彦神社が、何故古来から人々の篤い信仰を受けて来たのかが分かった。古代の越後には陸路を行った場合、筒石や親不知子不知(おやしらずこしらず)のように断崖絶壁の難所が多く、死ぬ危険性が極めて高かった。またツツガムシ病と言う厄介な風土病も存在していた。 このため古代の越後の旅は陸路より海路を取る方が安全だったと思われる。特長のある山容の弥彦山は海上から良く目立ったはずだ。もちろん米山も全く同じだ。越後沖からは弥彦山や米山が航海の良い目印になり、それが安全な航海に繋がり、次第に信仰の対象として崇拝されたのが真相だと思う。 さて佐渡から帰宅以降、完走記を書くだけの日々を過ごしたわけではない。この間に約1ヶ月に及ぶ塗装工事が終わって自宅の周囲を取り巻いていた足場が外され、私がすべき仕事が急に増えた。つまり庭や畑の草取り、畑の夏野菜の始末、植木の剪定と植え替え、秋、冬野菜の種まき、移動した物置の整理、下水溝の清掃などである。これについては日を改めて書いてみたい。 また一昨日から東北楽天の本拠地での今シーズン最後の試合が始まり、楽天ファンの一人として連日応援に行き、今夜もこれから出掛ける予定だ。このことも別途紹介したい。職場では残業を再開し、幹事として筑波時代の仲間達との麻雀大会の準備にも取り掛かっている。 佐渡島の完走記を書き上げてホッとしてるのは確かだが、このように何時までも佐渡の余韻に浸っていることは難しくなった。週末の連休では心身ともにリフレッシュし、そろそろ次のレースに向けて始動したいと願っている。それにしても眠い。
2007.10.04
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<書き残したことなど>☆「佐渡島一周」はタイムを競うレースではなく、レース終了後は何の表彰もありません。ただあるのは、自分はどれくらいで厳しいコースを走り切ったという満足だけでしょうか。レース後の打ち上げで発表された1位の選手は28時間45分ほどでのゴールだったみたい。そのまんま東似のO久保さん(34歳)の挨拶によれば、前週に140kmの「雁坂峠」を走ったばかりとのこと。やはり強いウルトラランナーでした。☆そして2位になったのが仲間のS藤さん(60歳)。1位の若いランナーとは1時間30分以上差があったみたいですが、ベテランの意地と底力を見せたと思います。話をしたのは今回が初めてでしたが、S藤さんをはじめ実力のあるランナーは決して自慢話をしませんね。同部屋だったので彼の発達した大胸筋や見事に割れた腹筋もしっかり見せてもらいました。普段から厳しい練習で鍛えている体は、素晴らしいの一語でした。☆お金を少な目に持って行った私に快く貸してくれたのが仲間のO川さん。彼の話によれば、レース中いつも付いて来た選手がいたみたい。つまり今回が初参加で、「地図代わり」に利用したと彼は嘆き、「この大会は自分で地図を確認し、迷いながらコースを辿るのが趣旨なんだよ」と諭した由。良くぞ言ってくれました。他人に引っ付いてしか走れないのは、真のウルトラランナーじゃない!もちろんお互いにペースが合い、合意の上なら別ですが。☆レース中に200枚以上写真を撮ったと言う仲間のT田さん。彼は全国にマラソン仲間がいるようです。バスで新潟駅に着いた時も、制服を着たお巡りさんが彼と親しそうに話をしていました。後で聞いたらネットの走友がT田さんのスケジュールを連絡していた由。つまり現職のお巡りさんもネット仲間のランナーだったと言うウソのような本当の話。☆舘ひろし似のK茂さん。彼は最終ランナー3人組の1人ですが、何と仮眠所で朝起きたら誰もいなくなっていたとか。慌てて飛び出し、後を追ったみたいです。その彼と初日はかなりの距離を前後して走ったのですが、ゴール後に「歌を唄ったり、時々メモしたり、かなり余裕でしたね」と言われました。鼻歌が出たのは初日の途中まででしたが、メモは終始しっかり取りました。完走記を書くためです。もしメモを取ってなければ1時間以上ゴールが早まる可能性がありますが、肝心の完走記にリアルさが足らなくなるかもね。☆第1仮眠所で私の酷い股摺れを見た年配のランナーの方が、打ち上げの時に心配してわざわざ見舞いに来てくれました。「あれで最後まで走れたの」と言うのがその時の言葉。お蔭様でようやく今「かさぶた」が取れかかって来たので、もう直ぐ走れるでしょう。☆スタッフのS木さんが最終日の打ち上げ前にロビーで名刺の整理をしていました。少ない人数で大会を組織するのが大変で、今回はかなり地元の協力を得たようです。「来年9月は秋田内陸があるから来れないかも」と言うと、「じゃあ、佐渡を1週間ずらすか」とのきついジョークが返って来ました。スタッフの皆さ~ん、本当にお世話になりました!!☆帰宅後「佐渡」で一緒だったランナーが、はるばる私のブログを訪ねてくれました。1人は秋田のF原さんで、第1仮眠所から第2仮眠所へ向かう途中に抜かされた若者。ゴール後足首が腫れていて心配でしたが、接骨医の注意も聞かず(?)早速練習を開始したようです。彼はフルはサブ3、100kmはサブ10の実力者ランナーのようですよ。彼のブログのURLは http://plaza.rakuten.co.jp./RJUN100/ で、「佐渡」の完走記を書き始めたみたいです。☆もう1人が新潟のA子さん。今回ウルトラの経験なしに佐渡へ挑戦した勇気ある女性です。彼女のブログのURLは http://blogs.yahoo.co.jp./silvercat6231です。「佐渡島一周」での悪戦苦闘ぶりの完走記が、目下進行中です。☆颯爽と島内を駆け抜けたものの、ゴール寸前で迷子になったと言う兵庫のR子さん。佐渡の一週間後に「甲州夢街道」215kmを走ると話されていましたが、先週の日曜日に見事完走されたと、同レースのボランティアをされたちっちさんが教えてくれました。R子さんの無駄の無いフォームを思い出します。さすがはウルトラ娘ですねえ。R子さん2周連続の200km超級レース完走、おめでとうございます♪<これが本当の最後です。長い間私の駄文にお付き合いくださってありがとうございました>
2007.10.03
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<夢をつなぐ> 私は62歳の昨年、初めての200km超級レースに挑戦した。それが「佐渡島一周」だった。かなり逡巡したが、人生において200km以上もの超長距離に挑戦する機会はそう多くは無いと考え、申し込むことにした。私が住む仙台からは新潟行きの長距離バスが出ており、佐渡への足も案外便利だと思えなくもない。それに「佐渡島一周」に挑戦したいと言う大勢の仲間がいたことも、参加の大きな動機になったと思う。 さて、今回のレース結果をどう考えるか。昨年のゴール時間41時間40分に対し、今回は40時間23分。単純に見れば約1時間20分弱記録を縮めたように見える。だが果たして記録は本当に縮まったのだろうか。実は昨年のレースの正式な距離は211kmであった。道路の一部が工事中のため、標高400m近い山道を約5kmほど長く走っている。 それに今回のような案内の標識は皆無で、ずいぶん道に迷い余分に走った。それらを合計すると今回より11kmは長く走った計算になる。また時間にしても、昨年は小木のラーメン店で30分以上休憩したことを考えると、ひょっとしたらあまり速度は変らないか、昨年の方が速かった可能性すらあるのだ。 だが、昨年より進歩した部分もある。その第一はレース後の疲労回復度だ。筋肉痛や疲労感は強かったものの、帰宅した翌日には軽く走れるほど回復していた。やはり200km超級のレースに少しは慣れたと考えて良いだろう。それにシューズの底の減り方がまるで違った。昨年は途中で足を引き擦ったのか、左のシューズだけが刃物で削ぎ落としたように磨り減って使えなくなったのだが、今回はフォームを意識して走ったせいか、ほとんど変化はなかった。やはり200kmものレースでの走り方が、少しは分かって来たと考えられなくも無い。 今回のレースの反省点が幾つかある。1つ目は服装の選択だ。やはり超長距離ではいくら暑がりと言ってもランシャツは無理だと感じた。それにランパンも股摺れの要因になるので避けた方が良かった。2つ目の失敗は背負ったリュックの問題。いつも背負って帰宅ランをしているのだが、今夏は特に暑さが厳しくて大量の汗を吸い込み何度か洗濯している。この結果、防水性を失い、レース中の大雨で中の荷物が一部濡れてしまった。事前に撥水性のスプレーをしておくべきだったろう。 3つ目の失敗は予算の問題。エントリー料にはホテルの宿泊費が込みで入っていると勘違いし、少な目に持参してしまった。またこれに関して4つ目の失敗がある。リュックの中の財布に入れていた帰りのバスのチケットが濡れてヨレヨレになっていた。レース後の疲労で判断力が鈍っていた私は、それを「お土産割引券」と一緒に何気なく捨ててしまったのだ。一緒にバスに乗る仲間の存在がチケットを買ってあることの証明になると、安易に考えていた。この2つの失敗で仲間には大迷惑をかけてしまった。大いに反省したいと思う。 さて、来年の9月は「秋田内陸100km」が3年ぶりに復活する予定だ。走友会の大勢の仲間は当然秋田に行くだろうと思う。私もこれまではそう考えて来たのだが、この厳しい「佐渡島一周」のコースに来年も3回連続で挑戦するのも悪くないとの思いも、頭の中のどこかに芽生え始めている。 ウルトラマラソンの先輩を見ていると、失礼だが65歳が一つのピークのように感じられる。私の場合もその年齢に直ぐ届くところまで迫っている。そう考えると200km超級のレースへの挑戦の機会は、そう多くはないのだろう。さて、今回の参加者の最高年齢は72歳だった。出来れば私もそんな年齢になるまでウルトラマラソンに挑戦し続けたいし、そのためには今後ますます色んな努力やレース上の工夫が要ると思っている。 この歳になってもそこそこ走れることは嬉しく、かつ楽しい。幸いにして私は今のところ健康で暮している。それに身近には大勢のウルトラ仲間がいて、始終刺激を受け続けている。そう考えれば、健康でいる限りもうしばらくは、長い距離を走ると言う私の夢をつなぐことが出来そうだ。 さて、来年の9月は久しぶりの「秋田内陸」か、それともより条件の厳しい「佐渡島一周」か迷うところだ。まあ残された時間が1年近くあるので、この間大いに迷うのも楽しいかも知れない。今回「佐渡島一周」を走った大勢のマラソン仲間よ、本当にお世話になりました。皆さんあの厳しいコースで良く健闘されましたね。その努力を大いに讃えたいと思います。そしてこれからも、またどこかのレースでお会いしたいものです。ではその日までお元気で~!! これで<完成>の予定でしたが、明日もう1回「おまけ分」を書きます。
2007.10.02
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<勇者の横顔> ホテルに向かうマイクロバスの中から、にせこさんが走っている姿が見えた。ずいぶん前で抜いたと思ったが、きっと私の最後の走りは彼の歩きとさほど速度が変らなかったのだろう。昨年彼は少ないスタッフの一員として狩り出され、第3ASで私達のお世話をしてくれた。今回ようやく念願かなって選手として走ったのだが、果たしてどんな感想を抱いたのだろう。 ホテルに戻るとS藤さんとO川さんが部屋に居た。S藤さんは30時間台、O川さんは38時間台でのゴールだった由。萩往還250kmを39時間台で走ったS藤さんもさすがに疲れたようで、到着したお昼ごろからホテルで眠っていたとか。一方のO川さんだが、この夏は佐渡対策の一環として、山形の山寺から二口峠越えのロングランを実行した由。また翌朝は数ヶ月前に退院されたばかりの奥様を気遣いつつ、電話で完走報告をされていた。 私は風呂に入り直ちに床に就いた。目が覚めたのはO川さんが仲間の3人組がゴールしたか確認するために階下に降りた時だから、多分朝の4時半頃だと思う。食堂に行くとM井さんはその場所で眠り、Y田さんは食事中だった。どうやら仲間の3人組は全員無事ゴールしたようだ。ウルトラ未経験で初参加のA子さんもゴールしたみたい。私は暖かいトン汁とお握りで空腹を満たした。 食後ホテルの外へ出ると、「舘ひろし」と仲間2人が、まさにゴールへ向かう途中。「間に合いますかね」。舘ひろしが聞いたので、「大丈夫。絶対間に合うから」と励ます。朝風呂に入り部屋へ戻ると、Y田さんが布団で眠っていた。その手にそっと触れてみる。彼を「佐渡」へ誘ったのは私だ。スピードこそないが堅実なランナーで我慢強い山男である彼にはとても向いているし、200km超級のレースに挑戦するチャンスは滅多に無いと思ったからだ。 朝の7時過ぎ、最長老のS野氏夫妻がタクシーで観光に出かけた。後で知ったのだが彼はA子さんと夜っぴて歩いたようだ。第1仮眠所の先で走りながら私を抜いて行った秋田のF原さんの足首は、朝、赤く腫れ上がっていた。きっと軽い捻挫状態のまま走り通したのだと思う。湿布薬を上げるからと制止したのだが、彼は急いでタクシーに乗り、港へ向かった。 打ち上げの料理は豪華だったし、朝から飲むビールも美味かった。第1ASで「早くもばてました」と話していた21歳のトライアスリートも、稲荷寿司をおすそ分けした後輩のS潟さんも無事ゴールしたようだ。舘ひろし達3人組は制限時間3分前のゴールだったみたいだ。驚くべきことに翌週も215kmを走るR子さんはゴール寸前で道を迷い、かなりの時間徘徊していたとか。実に不思議な話だった。 皆良く頑張った。仲間のK藤さんの顔は少し青かったけど、完走の喜びに溢れていた。「今回は練習出来てなかったので初めから完走は無理だと思っていた」と、途中リタイヤのD口夫人。病気の親御さんを見舞うためしょっちゅう帰郷していたようで、出来れば万全の体調で走ってもらいたかった。そして皆を激励して廻ったH多夫人には、かなり疲労が色濃く出ていた。 確認はしなかったがD口氏は昨年のタイムを大幅に更新したはず。普段は話好きのT田さんが意外に大人しい。三脚まで背負って走った206kmもの道のりは、初参加の彼にとって相当厳しかったのかも知れない。目覚めたM井さんは大いに飲んだ。きっとY田さん、K藤さんを率いて無時ゴールさせ、去年の「借り」を返した喜びに溢れていたのだと思う。参加した48名の選手それぞれに、様々なドラマがあったことだろう。 ともあれ、こうして第2回の「佐渡島一周」は終わった。だが、新潟へ向かうフェリーの船室でも、M井さんの祝宴はまだ続いていた。 <いよいよ明日は最終回の予定です。>
2007.10.01
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