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昨夜はキムタク主演の映画「武士の一分」をテレビで観ました。ご存知のとおり原作者は藤沢周平ですが、最後の方になるまで原作を読んでいたことをすっかり忘れていました。キムタクの下級武士、なかなか似合っていましたね。それに江戸時代の地方の武士言葉を良く「こなして」いたように感じました。下級武士でもプライドを持って生きていたあの時代、小説ながら「武士道」の何たるかを久しぶりに考えさせられました。 今朝は起きた時から雪が降っていました。大晦日にふさわしい天気と言うべきでしょうか。ホームヘルパーをしている妻は、こんな日も仕事が入っています。体を使う肉体労働者の辛さでしょうか。寒い雪の日にも自転車で出かける妻の苦労が少しは分かるような気がします。 私は愛犬との散歩を終え、朝食を済ませた後は自分の食器を洗います。そして新聞を読んだ後は、新年用の注連飾りを玄関に飾り、輪通しを台所など5箇所に飾りました。妻の激務に比べれば楽過ぎて申し訳ないような感じです。 さて、大晦日は一年の最後の日です。日頃は忙しくてなかなか書き込めないネットの友人の掲示板などを訪問して、年末のご挨拶をして来ました。その数15、6名と言ったところでしょうか。知り合いのHPの中には気になるものが幾つかありました。 中国へ行き今月の初旬には帰国するはずなのに何の消息がなかった人が、今日見たらようやく書き込みがあって無事だったことが分かりました。また暫く訪れなかったHPが消えていたのは、もう走ることを諦めたからのようでした。とても寂しいことですが、「これもまた人生」でしょうか。 あるBBSでは4週間近くレスがなかった私の書き込みに、ようやく返事がありました。きっと仕事が厳しくなって返事する暇がなくなったのでしょうね。仕事上の転機になりそうで不安感が満ち溢れていた友人の日記には、少しだけ明るさが感じられました。そして再発で心配されたさる方の癌は、悪性ではないようで少し安心しました。そんな全国の走友達よ、これからも負けずに頑張ってね~!!! 夕方にも雪の中を愛犬と散歩。その後はお風呂の掃除と続きます。帰宅した妻が言うには、途中で自転車がパンクし歩いて来たとか。本当にお疲れ様でした!! さて、大晦日の夜、仙台地方では「ナメタガレイ」の煮物を食べるのが普通です。これは大掃除をして新らしい年とそれを寿ぐ「御歳神様」を迎える「お年取り」の伝統行事とも呼べるものでしょう。 この一年私の拙いブログを訪れてくださった皆様、大変お世話になりありがとうございました。どうぞ皆さんも良いお年をお迎えくださいね。そして来年もよろしくお願い申し上げます。来年も元気に走るぞ~っ!!
2007.12.31
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今年の我が家では、長男の転勤、妻がフルタイムからパートタイマーになったこと、孫の眞実ちゃんが小学校に入学したこと、次男の帰省、建築後10年を迎えて家の塗装工事をしたことなどが大きな出来事でした。塗装工事に続いて冷蔵庫やガスレンジの買い替えなど、ずいぶんお金のかかることも続きました。 そうそう、愛犬マックスに「結婚話」が来たことも驚きでした。果たして来春の「お見合い」に成功するでしょうかね。その彼が、朝の散歩の時に行方不明になる事件もありました。慌てて自転車を取りに戻り彼を捜しに行きましたが、どこかで行き違ったのかがっかりして帰宅すると、彼は尻尾を振って待っていました。一時はどうなるかと心配したのですが、ちゃんと家に帰る道順を覚えていたのですね。 一方、私個人では次のようなことが今年起きた大きな出来事でした。☆毎月フル以上の距離のレースに参加し、完走できたこと 怪我もなく、無事達成できたことは私にとって快挙でした。来年は無理せず、マイペースでレースを楽しもうと思っています。☆田中マー君のレプリカユニフォームを着て東北楽天の応援に行ったこと 全部で23回フルキャストスタジアムへ行きました。レフトの自由席はたったの1200円。これで熱くなれるのですから安いものです。楽天の救世主マー君、新人賞おめでとう!☆妻とバスツアーへ9回行ったこと 2月:伊豆沼の白鳥と「栗電」(宮城) 3月:湯ノ浜温泉(山形) 4月:置賜桜回廊と小野川温泉(山形) 6月サクランボ狩りと銀山温泉(山形) 8月:桃狩り(福島) 9月:薬莱高原と薬師の湯(宮城) 10月:大内宿と塔のへつり(福島) 11月:奥岳温泉(福島) 12月赤倉温泉(山形) さて、来年はどこへ行こうかな?☆博物館、美術館などでの観覧と鑑賞 河北美術展(仙台) レオナルド・ダ・ヴィンチ展(東京) 早大エジプト発掘40年展(仙台) 日展百年(仙台) 東北大学の至宝(仙台) 芹沢けい(金に圭)介が集めた仮面展(仙台) 沖縄県立美術館・博物館(那覇) 那覇市立博物館(那覇) 与勇輝人形展(仙台) など今年もたくさん観ることが出来て幸せでした。☆「日記」の変更 5月にそれまでの「さるさる日記」から「楽天のブログ」に変更しました。これによって1日千文字しか書けなかったのが1万文字まで書け、とても便利になりました。でも変な広告が多いのが難点かな?☆警備員論文で入賞 私の仕事である警備員の論文コンクールに応募したら、宮城県と東北地区でそれぞれ2位に入賞しました。宮城県では1万円の商品券、東北地区では現金で2万円を副賞にいただき、とても嬉しく思いました。賞金ではランニングシューズなどを買えて助かりました。(笑)☆<家の出来事の追加>今年の野菜の出来は? 夏野菜は残念ながら不作でした。折角順調に育っていたトマトは、長雨の影響でほとんど腐ってしまったのです。その中でまあまあ好調だったのがキュウリとゴーヤで、それぞれ100本近く収穫出来ました。冬野菜は大根、春菊、京水菜、仙台冬菜が全て順調に育ち、毎日のように食べています。100本のタマネギの苗も順調に育っているので、春になるのが楽しみですね。(笑) 以上、我が家と私の今年の主な出来事でした。
2007.12.30
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☆7月 「磐梯高原ウルトラ」100km 12:55:37 前年は距離が102kmで制限が13時間半だったのが、今回は距離がぴったりの100kmで制限は15時間に延長されました。一昨年の第1回から少しずつコースが変更され、より走り易く改善されているように感じます。今回のスタート地点はこれまでの磐梯山中腹のホテルから、麓の体育館に変更されました。その分、却って高低差がきつくなった気もします。猪苗代湖を一周する後半は気温が30度を超え、なかなか大変なレースでした。☆8月 「立山登山マラニック」65km 11:16:00 距離は65kmと短めですが、海抜0mの浜黒崎から3003mの立山連峰雄山山頂まで一気に登るコースはとても過酷です。特に八郎坂と最後の雄山山頂へ向かう2箇所は断崖絶壁とも感じる山道で、この日は30度を超える猛暑が立山黒部アルペンルートに入ってからも続き、厳しいレースになりました。最初の関門である室堂が確か標高2500m。普通のウルトラとは全くペース配分が違い、一時はリタイヤを覚悟しました。ゴール後3000mからの眺望は、とても忘れることの出来ない素晴らしいものでしたよ。☆9月 「佐渡島一周エコジャーニーラン」206km 40:23:00 昨年の第1回とは異なって道路工事のための迂回路も無く、ようやく距離が206kmに落ち着きました。しかもコースの所々にはちゃんとした案内標識が立てられており、コースアウトしたランナーは1人だけだったようです。昨年同様に不眠状態で走ったものの、昨年悩まされた幻覚と幻聴はさほどでもなく、第1夜の歩きを除けば最後までちゃんと走り切ることが出来、楽しめました。☆10月 「いわて北上マラソン」フル 4:13:33 初めて参加した大会で、同じ走友会のO川さんの車に便乗させてもらいました。コースは北上川に沿った田園地帯を走るもので、途中で雨が降ったり、風が吹いたりでちょっぴり苦戦。コースでの応援が少ないこともさほど気にならず、東北の片田舎の秋の風景をしみじみと味わいました。ゴール後は岩手県産ブタの丸焼き、おにぎり、サトイモ汁のサービスがあり、冷えた体を温めることが出来ました。☆11月 「湯のまち飯坂ふくしまマラソン」 4:17:00 飯坂温泉の町起こしのために開かれた今年が第1回のレースでした。コースは飯坂温泉郊外の摺上ダム周辺を周回するもので、ダムまで登る最初の坂道が最大の難所でした。その後は眺めの素晴らしい「茂庭っ湖」を3往復するのですが、風の強さは大変なもので、多くのランナーが体力を消耗したのではないでしょうか。受付場所と走るコースがかなり離れているのが特徴ですが、ランナーにとっては何かと不便なようにも感じました。☆12月 「NAHAマラソン」 4:39:07 これまでに10回参加。うち1回は疲労骨折後の痛みが残っていたために中間地点でリタイヤし、1回は直前の膝痛で見学・応援に終わりました。この日の最高気温は23.7度で、冬の東北から見たら初夏のような陽気で気温が高く、かなり苦戦しました。ゴール後は2時間ほど続く痙攣に苦しみましたが、多くの走友に再会できて幸いでした。沿道での応援や私設エードも多くて、とても楽しいレースですよ。 以上が今年走ったレースの全てです。一ランナーとしては大した故障もなく、無事年末を迎えられたことを喜びたいと思っています。さて、来年は今年よりも多くのウルトラレースに参加し、楽しみながらゆっくり走りたいと思っています。なお、来年に走る予定のレースについては、改めて新年に入ってから紹介したいと思っています。走友の皆さん、来年もよろしくね~!
2007.12.29
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☆1月「勝田マラソン」4:28:14 月初めのランで疲労骨折のような痛みを感じ、3週間通院しました。前回の疲労骨折時には骨折と分からずに走ったために、後遺症に悩まされ約5年間ほど十分走れない状態が続きました。そのため今回は用心して3週間全く走らなかったのです。この日は珍しく風が無く、とても穏やかな日和でした。底の厚いシューズで慎重に走ったせいでタイムは伸びませんでしたが、完走できたことだけでも十分でした。☆2月「おきなわマラソン」4:19:18 今回は2回目の参加でした。8年前の前回は膝を故障中で、タイムは4時間10分25秒でした。コースはNAHAマラソンよりもアップダウンが厳しく、海抜5mから最高地点110mまで登ります。今回はレースの半分ほどは雨降りで、雨の気温18度は沖縄のランナーには寒く感じたでしょうが、私にとっては筋肉が適当に冷えてとても走りやすかったですよ。ただ顔見知りのランナーが3人しかいなかったのが寂しかったかな?☆3月「佐倉健康マラソン」4:08:13 過去2回エントリーして1度も走れなかった曰く付きのレースでした。3月は異動の内示がある月で、そのためにエントリーだけで終わったのです。この日は春の嵐でもの凄い暴風雨が吹き荒れ、ゼッケンやICタグが風で飛ばされたランナーが続出でした。私にとっては雨のお陰でとても楽に走ることが出来て幸いでした。でも風景が良く見えなかったのが残念!☆4月「長野マラソン」4:27:58 「ランナーズ」の調査によれば日本で一番人気度の高いフルマラソンが長野で、一度は走ってみたいレースでした。前日は長野近郊の温泉に一泊しました。レース当日も朝風呂に入ってからの出発です。コースは「長野オリンピック」当時の施設を巡るもので、雪を戴いたアルプスの秀峰や千曲川沿いの桃畑が望め、咲き乱れる菜の花など風光明媚なところでした。ただし帰路の堤防では、強風に悩まされました。☆5月「いわて銀河ウルトラ」100km 12:17:43 東北楽天の若きエースである田中マー君のレプリカユニフォームを着て走りました。コースの最高地点には3つほど長いトンネルが連なっているのですが、このトンネルを吹き抜ける風がとても冷たく、昨年はトンネルを出た道路脇に雪が残っていたほどです。今年は前半小雨模様でしたから一層寒さを感じ、結果的にはユニフォーム着用が大成功。また、とても楽しく走れることが出来ました。☆6月「東京喜多マラソン」4:27:20 コースは荒川の河川敷を往復する単調なもので、日陰がないため直射日光を浴び続けることになります。気温は確か30度を超え、ランナーにはとても過酷なレースになりました。主催者の「北区ラジオ体操連盟」にはあまりマラソンに関するノウハウがないようにも感じました。高いエントリー料金の割にはエードも参加賞も粗末で、6月は適当なレースが他にないため仕方なく選んだものの、2度と参加したくない大会でした。<続く>
2007.12.28
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今年も暮れました。大晦日まで後4日ほどしか残っていません。そこで今日は今年走ったレースを振り返ってみたいと思います。 さて、私が所属する南仙台走友会では、毎年の年頭に際し会員各自がその年の抱負を公式HP上で公開するのが恒例になっています。私は「毎月フルマラソン以上のレースに出場して完走すること」を挙げました。その前年も2月と6月にレースに出ないだけだったので、目標のクリヤーはさほど困難ではないと考えてのことでした。 そう宣言すれば自分自身へプレッシャーをかけることになり、必ず実行せざるを得なくなります。それに、そんなことに挑戦できる機会は、今後なかなか生じないだろうとの思いもありました。抱負の実現のためにはどんなレースを選ぶかも重要な要素でした。あまり無理をすれば、体もお金も続かず、家族(我が家の場合は妻ですが)の理解も得られないからです。 体にそれほど負担がかからず、しかも自分が走りたいレースを選ぶ。これが結構大変ですね。楽しみのため初めて参加するレースも選びました。3月の「佐倉」、4月の「長野」、8月の「立山登山マラニック」、10月の「いわて北上」がそうです。6月はあまり適当なレースがなく、「東京喜多」は止む無く選択した大会でした。 11月も迷いました。「大田原」は制限がきつくて完走できない可能性が高かったし、「つくば」だと12月の第1日曜日に開催される「NAHA」とは1週間しか間がありません。そこで最終的に選んだのが新設の「飯坂ふくしま」でした。結果は出場した大会の全てを、無事完走することが出来ました。これも健康で故障がほとんどなかったお陰です。 いま振り返って見ると、最初の1月がもっともピンチでした。所属走友会の有志の企画で1月3日に走った「塩釜神社祈願走」の時に、右足を負傷(疲労骨折状態)してしまったのです。慌てて接骨医に行きましたが治療には3週間を要しました。「勝田」の直前です。実はまだ治療中だったのですが、通院を止めて「勝田」の3日前から練習を再開したのです。この時は本当に走れるのか不安でしたね。レースの概要などは明日記すことにし、以下にレースの結果だけ紹介します。☆ 1月28日 第55回勝田全国マラソン フル 4:28:14 ☆ 2月25日 第15回おきなわマラソン フル 4:19:38☆ 3月25日 第26回佐倉健康マラソン フル 4:08:13☆ 4月15日 第9回長野マラソン フル 4:27:58☆ 5月20日 第3回いわて銀河 100 12:17:43☆ 6月3日 ’07東京喜多マラソン フル 4:27:20☆ 7月7日 第3回磐梯高原 100 12:55:37☆ 8月25日 第10回立山登山マラ 65km 高低差3003m 11:16:00☆ 9月22日~第2回佐渡島一周エコ 206 40:23:00☆10月21日 いわて北上マラソン フル 4:13:33☆11月4日 第1回飯坂ふくしまマラソン フル 4:17:00☆12月2日 第23回NAHAマラソン フル 4:39:07 ご覧の通り、今年は一度もサブ4には至りませんでしたね。(笑)
2007.12.27
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昨日の午後、急に妻が夕方から出かけようと言い出した。何かと思ったら、あるデパートで開いている人形展を見たいのだそうだ。そのついでに夕食も済ませ、光のページェントも見たいとのこと。人形ねえ。確かその展覧会はテレビのコマーシャルでもやっていた。なかなか素晴らしい感じはするけど、果たしてどんなものか。 一方、「光のページェント」は冬の仙台の風物詩になっているのだが、いつもテレビのニュースで見るだけで、実際に見たことはない。「行ってみようか」。私はそう返事をし、いつもより早目に愛犬との散歩を済ませた。仕事から帰宅した妻を待ってバスで出かける。その前に犬小屋に寄り、愛犬に妻が食べ残したパンの耳を与える。何という貧しい我が家のクリスマスプレゼント!(笑) デパートに着いて、まず「友の会」への入会手続きをする。会員になると「人形展」は無料になる。歳暮の送料も無料になるので、得だと判断したのだろう。人形作家の与勇輝(あたえ ゆうき)氏は神奈川出身で、パリの美術館にも出展し大評判になったようだ。ほとんどの人形は戦前までの日本のどこででも見られた子供達の表情を生き生きと写し取っていた。 それに衣装が見事。当時の生活ぶりが伝わって来そうなくらい写実的に再現している。あんな生地をどんな風にして集めたのだろう。映画の1シーンを再現した人形。ディズニー社からの依頼を受けて製作した人形。携帯電話を手にした現代的な人形。想像の世界に遊ぶ妖精達。 たかが人形と馬鹿にしてはいけない。妻がこの展覧会に行きたいと思ったのは、絵の先生に薦められてのことのようだが、確かにそれほどまでに素晴らしい芸術作品だった。作家の言によれば、彼の製作する人形は「布を用いた塑像」だと言う。だから骨格がしっかりして、「子供だまし」には見えないのだろう。入場料700円は決して高くはなく、一年の終わりにとても良いものを見せてもらった。 すっかり腹が空いて、夕食は繁華街にある焼肉屋に飛び込んだ。私は「石焼ユッケビビンバ」と生ビール、妻は「牛タン定食」を頼んだ。前夜もイブらしい夕食ではなかったし、この夜も外食の割には豪華な内容ではないが、私はご馳走でなくても体に良ければそれで十分なのだ。ただ隣の席で卒業を目前に控えた専門学校の男女が、このまま付き合いをするか、それとも止めるかと揉めていたのが興ざめだった。 定禅寺通りまで歩いて行くと、それまで点灯していた明かりが一斉に消えた。んんん?折角来た途端にスイッチか何かの故障?と落胆。ところがそれは「ウインク」とか言って、1時間に1度、真っ暗な状態から一斉に点灯させる趣向だったようだ。ケヤキの枝と言う枝で光るオレンジ色の瞬き。単純だがケヤキ並木が結構長く続いているために豪華に見える。 西公園まで行くとさらに眩しく光っているものを発見。近づくと、それは何とSLのD51に飾られたイルミネーションだった。帰宅したのは9時半ころ。毎朝4時40分には起床する私にとっては疲労の限界で、とても日記を書ける状態ではなかった。今年はケーキも食べずプレゼントもないクリスマスだったが、健康で平和な暮らしが出来るだけでも十分。さて、皆さんはどんなクリスマスだったでしょう? 遅ればせながら、「メリークリスマス♪」
2007.12.26
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今日は3連休の最終日だが、私のやる仕事は決まっていた。まず1階部分の窓ガラスの掃除だ。2階部分の窓ガラスは、今夏屋根と外壁の塗装工事をするために足場を組んでいた時に掃除した。2階部分の窓ガラスはベランダを除き身を乗り出して行うのだが、窓が小さめなのと危険なのとで十分に拭けなかったのだ。1階部分の内側は結露を拭くために時々掃除してるのでパスして良いと妻が言ってくれた。 2つのバケツにお風呂の残り湯を満たす。足場の安全を確認しながら脚立に登る。手には濡れた雑巾。そして腰には乾いたタオル。順番はまず濡れ雑巾で拭き、その後を乾いたタオルで磨く。そして最後に網戸を拭く。居間や和室の外側はまだきれいだが、台所、トイレ、洗面所、風呂場の窓には侵入防止用の「桟」があり、これがかなり汚れている。このため汚れが酷い場所は最後に回した。 風呂場の窓はルーバー式になっているため、桟に手を入れて1枚ずつガラスを拭くのが厄介だった。始終動いているために全く寒さも感じないし、初めから覚悟しているので鼻歌も出る。普段やれない掃除で、窓はすっかりきれいになった。 次に取り掛かったのがイチジクの木の下に積み上げている枯れ木の始末。雑草や畑に植えたトウモロコシの茎などの残骸の中から枝を取り出していると、突然手に鋭い痛みが走った。手袋を脱ぐと血が流れている。残骸の中にはバラや山椒や柚子の枝も混じっているのだが、それらには鋭い棘があることをすっかり忘れていた。 作業の途中に妻と自転車で買い物へ。買ったのは魚、野菜、牛乳などの食料品やお歳暮の品。お正月に向けての準備なのだろう。消費者はやはり少しでも安い店で買おうと必死のようだ。私も時々買い物の手伝いはするが、これだけの重量があると妻の苦労が少しは分かるような気がする。 昼食後は妻は仕事へ出かけ、私は午前中の作業を継続。結局縛った枯れ枝は6束、袋に入れたのが3袋分になり、それをゴミの集積所まで運ぶ。次に洗濯物の取り込みをし、妻と私の分に分けて畳む。干した布団も寝室まで移動。 次は自転車で花屋へ。買ったのは「ワイルドキャッツ」と言う名の洋ラン。名前が名前だけに黄色にエンジ色の模様が入った変わった種類だ。先日まで3千円以上してたのが、1800円に値下がりしていた。所持金は1900円ちょっとだから、それが限界。これは花が好きな妻へのクリスマスプレゼントだ。 帰宅後は愛犬と夕方の散歩。わが愛犬へのクリスマスプレゼントは、「いつもより距離の長い散歩」にした。彼はとても散歩が好きなのだ。普段はなかなか行けない山道へ向かうと、道路が閉鎖されている。冬季は良く凍結する場所なので、いつもこの時期には区が封鎖するのだ。車はダメだが人は通れる。愛犬も喜んで枯葉の匂いを嗅いでいた。 「この花はどうしたの」と帰宅した妻。「クリスマスプレゼントだよ」と言うと妻が困っていた。私には何も買ってないらしい。「じゃあ、この靴下は何?」と袋を指すと、それは生命保険の小母ちゃんが持って来たものらしい。 まあ良いや、私にはプレゼントがなくても。妻は3人の子供へ小遣い入りのクリスマスカードを送り、2人の孫にも「お年玉」を送るみたい。小遣いをすべてウルトラに遣っている私には、とても文句を言えた立場じゃないからね。
2007.12.24
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昨日は8時間半、今日も8時間以上眠った。それだけ疲労が貯まっていたのだと思う。どんより曇って暗い朝。犬小屋の中でじっと待っていた愛犬と遅めの散歩。天気予報では朝から雨とのことだったが、まだ降ってはいない。冬枯れの野原に愛犬を放つ。 帰宅して一人朝食を摂る。まだ眠っている妻はそのまま寝せておく。フルタイムからパートタイムに切り替わり勤務時間が減ったとは言え、きっと妻も疲れているのだと思う。前夜の残り物をそのまま暖め、味噌汁を作る代わりに緑茶でいただく。そのうちに妻も起きて来た。 自室でじっくり新聞を読んだ後、いよいよ残った年賀状の宛名書きをする。途中でテレビを点け、高校駅伝を観(聞き)ながらの作業となる。女子は立命館宇治が終始リードしての2回目の優勝。仙台育英はエースの絹川愛が腰痛のために欠場したのが祟って、4位に終わった。だが最後の追い込みが凄かった。絹川は急遽「助監督」を勤めたとのこと。エースの欠場がチームの結束を高めるためには役に立ったと考えられなくもない。 男子は第1区で世羅の留学生が断然リードした。仙台育英は14位と低迷。だがこれも作戦のうちで、監督はアンカー勝負に出たようだ。3区の留学生がトップに躍り出てからは都大路を快調に突っ走った。これを追うのが昨年も2位(?)の佐久長聖。勝負はやはり最終区間、3年生同士のアンカー勝負になった。決着はトラックまでもつれたが僅かの差で仙台育英が優勝し、佐久長聖は同タイムの2位だった。エースを急な怪我で欠いた西脇工業は最後に3位まで上がったのはさすがだった。 高校駅伝のレースの途中に臨時ニュースが流れた。福田総理が薬害肝炎の患者を救済するための法案を急遽上程することにしたようだ。これまで決断しなかった総理が最後に来て重たい腰を上げたのは、きっと下がり続ける支持率に不安を抱いたからだと思う。その理由はともかく、遅まきながらでも全国の患者が救済出来ればそれに越したことはない。 夕刻、小雨の中を愛犬と散歩しながら書き終えた年賀状を出しに行く。これでようやく大仕事は終わった。残った大仕事は年末の大掃除だろうか。帰宅して居間の温風ヒーターに灯油を補給し、2人分の布団を敷き、湯船の掃除をする。台所では妻が夕食の準備中。どうやら今夜の食卓には1日遅れで「冬至カボチャ」が出るみたいだ。
2007.12.23
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今日からいよいよ3連休。暫く放っぽり投げていた年賀状だが、今日辺りから書かないといけないだろう。来年の年賀状の写真は「磐梯高原ウルトラ」のゴールでのもの。これに家のこと、妻と行ったバスツアーのこと、園芸のこと、応援した東北楽天のこと、今年観た美術展などのことを項目ごとに書いた。そして最後がランの話で、1月から12月までに走ったレースの紹介。枚数は250枚。現役時代は450枚だったから200枚減った計算になる。 宛名は手書き。パソコンの「筆グルメ」の画面と五十音順に並べ替えた「喪中はがき」を交互に見ながらボールペンで書く。筆だと良いのだろうが私にはとても無理な話だ。(笑)果たしてどれくらい書いたら手が痛くなって来るかが心配。テレビも点けずに一生懸命書いていると、案外枚数が進んでいる感じ。 宛名を書きながらその相手のことなどを思い出す。少々疎遠になってる親戚もいるが、これもまあ年に1度の勤めだろう。離れて暮らしている子供達。兄弟に甥や姪も元気で過ごしているだろうか。偉くなってもう年賀状をよこさなくなった後輩。毎年丁寧な文章の年賀状を送って来る後輩。まだ義理で出してる前職関係の人も少しいるが、大部分はこの4、5年の間に「整理」させてもらった。 そんな中で、たった数回(中には1回だけの人も)会っただけの人だが年賀状を長くやり取りしている人もいるから不思議。きっとどこか馬が合うのだろう。こちらから出してないのにもらう人。思い出したようにひょっこり年賀状を送って来る人。もうそろそろ打ち切りたいと思っても、もらうとついつい出してしまう人。 私は転勤族で11箇所に勤め、中には1年とか2年しか勤めてないところもあるのだが、そのいずれの箇所の人とも未だに年賀状をやり取りしている。マラソン仲間とは趣味が共通であるだけにさほど気を遣わないで済み、転勤先の同じ部署の人よりも走友の方が多かったりするのも今になって見ると案外笑える。 今日の分を書き終え、ポストまで行ったが一旦引き返した。例年この時期ならポストには「年賀状はお早めに」などと書いたシールが張られているのだが、今年はそれがない。最近郵政会社になって方針が変わったのだろうかと思って、念のために出すのを止めてみたのだ。 愛犬との散歩の時に出会った郵便配達の人に、年賀状をポストに出しても良いのか、その際まとめなくて良いのか確認したら、そのままバラの状態で出しても良いとの返事。安心して100枚以上を投函した。 夕刻ガス工事の業者が来訪。秋のガス展で予約したガスレンジがようやく届いたのだ。業者はこれまでも何回か電話をかけたとは言うが、果たして真相はどうなのか。新しいレンジは多機能でなかなか難しそうだ。それに台の表面が特殊なガラスみたいで、強い衝撃を与えると割れる恐れがあるらしい。メカに弱い私には単純な機能の方が使い易くて良いのだが。(笑) 夕食はその新しいレンジで作った「おでん」と「イカの丸焼き」だった。今日は冬至。一年でもっとも昼が短い日だ。明日からは少しずつ日が長くなると思えば少しは嬉しい。妻は3人の子供達にクリスマスカードを送ったようだ。私は明日も張り切って年賀状の残りを書くことにしよう。
2007.12.22
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今朝の愛犬との散歩はちょうど5時頃だったろうか。昨夜降った雨で道路が濡れていたが寒さは感じなかった。それが出勤のため6時15分過ぎに自宅を出る頃には道路が所々で凍っていて、後ろを振り返りながら歩いていた時に滑って危うく転びそうになった。ピリリとした寒気に思わず身がすくむ。凍結した道路で、果たして衝突などの事故は起きなかったのだろうか。 日中にはビル街のど真ん中で火事があった。屋上に上った上司は煙で目が痛いと話していた。その現場で今夜は忘年会があるようだが私は声を掛けられていない。そこではたった1時間だけの勤務なので呼ばれなくてもどうと言うことはない。バス代節約のため(?)今日も走って帰宅。 昼食を済ませ、新聞を読み、今日2回目の血圧を測った後は自室でパソコンを開き、メールをチェック。色んなHPでニュースを見ているうちに眠気が差す。今日は金曜日。きっと帰宅ランを4日連続で行ったのも影響して疲れが出たのだろう。喪中はがきも来なくなったので、明日からの3連休では何とか年賀状を書き終えたいものだ。 畑では冬野菜が順調。京水菜は葉も茎もまだ柔らかいが、仙台雪菜は茎が硬くなって来た。春菊はそろそろ寒さにやられそうだが、根が地中深く潜っている大根は当分凍ることはないだろう。タマネギの苗は目下寒さと格闘中。干し柿はかなり前に冷蔵庫の中に収容された。その一部をお正月の「なます」に入れるようだが、今頃あの味はどうなんだろうね。そしてイチジクのワイン煮は既に食べ尽くした。 庭に咲いてる花はぐっと少なくなった。今は山茶花、キンギョソウ、パンジー、ヴィオラくらいなものか。咲き終わって枯れた菊は、和室前のものを除いて引き抜き、裏庭に移植した。来年の裏庭はきっと様々の花で賑やかになると思う。居間ではシクラメンが赤と白の2鉢が咲き誇っている。シンビジウムは古い株の方からは4つほど花芽が出ているが、昨年もらった鉢には1個も見当たらない。一体何が悪かったのだろう。 東北楽天の主砲山崎は3年連続「トリ」で契約更改を済ませ、1億円以上アップし2億円近くになったとのこと。年俸が大幅にアップした田中と山崎には来年も活躍してもらわないといけないねえ。折りしも今日は宮城球場の名前が決まった。正式名称は確か「日本製紙クリネックススタジアム宮城」で、略称は「Kスタ」とのこと。個人的には「クリスタ」の方が語感が良いと思ったのだが。 さて、今年も来週一週間で勤務が終了する。一年間元気で働き通せたことに心から感謝したい。だが夏以降はずっと残業が続き、体のあちこちに痛みがあるのも事実。来週も何とか無事勤め上げ、新たな気持ちで新年を迎えたいものだ。
2007.12.21
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昨日韓国において、次期大統領選挙が行われたようです。その結果、野党ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補が圧倒的な差をつけて当選したとの報道がありました。同氏は前ソウル市長であり、その前身は韓国経済界のトップ企業である現代建設の会長だったとか。日本の大阪で生まれ、戦後韓国に帰国して苦学を重ねた人物でもあるようです。 企業人としてはブルドーザーのように働いて実績を挙げ、ソウル市長としてはどぶ川の暗渠とその上に架かる高速道路を全て取り除き、中心街に清流を取り戻す大工事を行ったことで有名になったとか。これまで続いて来た革新政権から保守政権へと10年ぶりに転換するみたいです。 新大統領はこれまで北朝鮮に取って来た「太陽政策」は取らず、先ず核兵器の廃棄を実行させてから経済援助を行う方針のようです。また拉致問題についても、北朝鮮の責任を明白にする方針のようです。一方対日政策では、これまで民族的な反目が続いて来た歴史認識の問題や、竹島(韓国名独島)問題を一旦棚上げし、未来志向で考えるとされています。 この10年間で理念が先行するあまり経済が疲弊し、格差の拡大や若年層の就職率低下が進行していたみたいで、今回の選挙では新大統領に好景気を期待する部分が多かったようです。自社株の株価操作に問題があったとかで、今後も何らかの動きが予想されますが、我が国のためにも良い人が選ばれたように思います。 一方、我が国でも昨日から今日にかけて総理の決断が迫られました。例の薬害肝炎訴訟に関して、原告側と国側が全面和解となるかが注目されていました。舛添厚生労働大臣が首相官邸の裏口から入って福田総理を説得しに行ったようですが、結果はNOとなり原告団はさらに法廷で戦うことを選択することになったようです。 もともと国の厚生行政のミスで生じた汚染された血液製剤がC型肝炎の原因であることは明らかですから、国側に全面的な責任があるはずです。「専門家の意見を待ってるんですよ」。福田総理が相変わらずのらりくらりの答弁を繰り返しているようでは、政治にも期待が持てませんね。 厚生行政のミスは原爆症の認定、水俣病の認定、薬剤エイズの問題などでもありました。また厚生労働省となってからは、社保庁による年金問題などがクローズアップされています。役所の好い加減な対応が国民の生活を脅かし、防衛省などの不正は国民の政治不信を招いています。こんな時に決断しない政治家は不要ですね。 そんな折に驚くべきニュースが飛び込んで来ました。先だって行われた北京オリンピック大会ハンドボールアジア予選を全面的にやり直すという通知が、国際ハンドボール協会から届いたのです。何故そのような事態になったかですが、アジアハンドボール協会の幹部を中東地区の国が務めていて、その息がかかった審判が先の予選で中東よりの「笛」を吹いたのです。 その結果、日本と韓国は著しく不利な判定を受け、日本は3位となって北京への道を閉ざされたのです。それを不服として証拠のビデオなどを送って国際ハンドボール協会の判定を仰いだ結果が、「全面的なやり直し」となった訳です。地区の予選を全面的にやり直すなんてのは前代未聞のことのようですね。 再試合の結果はどうなるか分かりませんが、国際的な大英断があったことを喜びたいと思います。なお、再試合は国際ハンドボール協会が派遣する審判の元で行われると聞いています。スポーツにはフェア精神が大切です。政治の世界もそうあって欲しいと願うのは、私だけでしょうか。
2007.12.20
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ちょっとした行き違いは、第2現場でもありました。第2現場は第1現場の隣のビルで、私はここで機密文書の裁断作業を担当しています。休憩室は清掃を担当しいる4人の方と一緒です。10時の休憩時にはコーヒーとお菓子が出ますが、この経費は給料日に徴収されます。 健康診断の前日、私は女子の方にお願いしました。「明日は健康診断なので、コーヒーは出さないでください」。コーヒーには砂糖もクリープも入っているため、午後から受ける健康診断で引っかかると思ったのです。でも返って来た答えは「そんなことは自分で管理してください」でした。 コーヒーを入れてくれるのはいつも女の人。隣のビルから来て着替えが終わった頃には、大抵コーヒーが机の上に出されています。自分で用意するなら兎も角、折角コーヒーを入れてもらっても健康診断があるため飲めないのだから無駄になります。私は彼女の返事に声を荒げぶつくさ文句を言いました。声を荒げるなんてことはそこに通い出してから初めてのことです。 次の日第2現場に着くなり、私は冷蔵庫の中から麦茶が入ったビンを取り出して、私がいつも座る辺りに置きました。それは「自分で管理して」と言われたからでした。ところがロッカーの裏で着替えを終えて席に着くと、全員のカップに麦茶が注がれているではありませんか。どうやら「コーヒーを出さないでくれ」と言ったのを、全員に出すなと言われたと勘違いしたようです。 いくら何でもコーヒーを飲みたい他の人にまで、コーヒーを出さぬよう頼む訳はないと思うのですが、彼女が誤解してそう受け取ったのか、あるいは私が怒ったことでそうしたのかは分かりません。別の日に別な女の人には、そんな積りで言ったんじゃないんだと理由を話しましたが、彼女は黙って笑っているだけでした。 私に「自分で管理して」と言った女の人は、何事もけじめをつけないではいられない性格のようです。自分の家庭ならいざ知らず、自分よりかなり年配で様々な経験を積んで来た会社の男の人にまで「指図」をするのはどうかと私は常日頃から感じていました。 話は変わって、2つの現場では、私がマラソンをすることや時々遠くまでレースに行くことを知っています。特に休暇をもらった時などは2つの職場それぞれにお土産のお菓子を買って帰ります。(勤務を代わってくれた人には個人的にも)。休暇は当然の権利ではあるけど、休ませてもらったお礼の意味もあります。ところが中にはお礼を言わない人や、ほとんど食べない人、もらったお菓子を自分の机の上に放置したままの人もいるのです。確かに食べ物の好き嫌いはあるでしょうが、そんなことがいつも続くと正直言ってガッカリします。 また我が家の女房などもそうですが、レースに行くことを観光に行くのと同じ様に考えている節も見えます。だが観光地でない所のレースだと大したお土産もなく、また乏しい小遣いなので、場合によっては高額なものは買えないこともあります。お土産を買って来た方が逆に気を遣うようでは、今後はレースに行くことも隠し、お土産も買わない方が良いとすら思えて来ます。 下らない話を書きましたが、人間ってほんの些細なことが「行き違いに」になったりする不思議な動物ですね。これから歳を取ったらますます気をつけなくちゃいけないと思う反面、「ある程度の誤解は人生にはつき物」と、開き直る私がいるから厄介なものです。
2007.12.19
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昨日私が勤める第1現場のビルでは、夕刻から「安全会議」が開かれました。今年の夏に管理会社が変わってから開かれた初めての会議です。間に入っているもう一つの管理会社の若い責任者からは、「多分年末年始のスケジュール調整だと思うので都合が悪ければ欠席しても良い」と聞いていたのですが、直属の上司からは必ず出席するよう念を押されていました。 結果は単なるスケジュール調整ではなく、職場内でどう安全を確保し、労働災害を防ぐかと言うテーマに沿った「安全会議」で、とても充実した内容のものでした。それにしても若い責任者が何故敢えて出席しなくても良いと考えたのでしょうか。 この秋、隣のビルのサラリーマンが、私が警備するビルの外部にある喫煙コーナーへ大挙して押しかけ、タバコを吸ったり、缶コーヒーを飲んだり、携帯電話をかけたりとまるで自分達の会社の休憩所みたいに使用するという「事件」がありました。実はもっと前から自由に使用していたようなのですが、その確証が持てなかったのです。その動かない証拠を私が見つけ、外部者の喫煙を禁止するために張り紙をして欲しいと若い責任者に願い出たのです。 ところがビルのオーナー側と相談したした結果、もしその現場を確認したら我々警備員から注意するだけに留めることにしたようです。隣のビルと揉め事になるのを嫌ったのでしょう。そこで私は何故このことが重要か。また何故張り紙をする必要があるのか、理由を挙げて理路整然と説明し、再考を促しました。結局もう一度オーナー側の管理会社と相談して張り紙を張ることになったようですが、若い責任者は私に対する苦情を私に直接ではなく、同僚である遅番の警備員に話したようです。 業務連絡用のノートに遅番の人が書いた文章から、私はそのことを悟りました。私自身は一警備員として、担当するビルの安全や財産の保全が脅かされる事態が発生したら、個々人のプライドなどは振り捨て、それを防ぐためにどうすべきかを関係者一同が智慧を出し合って協議すべきだと考えています。責任者でもない私が意見を具申したことがよほど気に入らなかったのでしょうが、結果的にその後隣のビルの住人が喫煙コーナーに押しかけることはありませんでした。 いくら隣のビルに良い条件の喫煙コーナーがあっても、いくら自分の働いているビルの環境が悪くても、喫煙したければ自分のビルで行う。これが常識だと普通の人なら考えるでしょう。非は先方にあるので、当方が毅然とした態度をさえ示せば決して争いにはならない。それが私の読みでしたが、全てその読み通りになりました。 我が社の直属の上司がこのことで呼び出され、若い責任者に嫌味を言われたようでしたが、責任者と同じ歳の上司は「彼は大人じゃないねえ」と一言。さらに私に向かって「Aさん良く言ってくれました。これに懲りて辞めたりしないでください」と。私はその言葉で長い間胸に支えていたものが落ち、気持ちがすっきりしました。 立場の違いを人間の偉さと勘違いしている発注側の青年。彼の意見を鵜呑みにしている私の同僚。普段は忙しくて現場に来れないけど、一瞬にして誰のどの意見が正論なのかを見抜いた若い上司。私は定年後に雇われたパートの警備員だけど、社会人としての長い経験から物事をどう進めたら解決するかは直感的に分かる積りです。でも世の中には、この手の「行き違い」が結構多いのも事実。人間がそれだけ複雑な動物である証でしょうか。<続く>
2007.12.18
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長崎県佐世保市のスポーツクラブで起きた銃撃殺人事件だが、37歳の男が事件後銃で自殺したとの報道が流れて久しい。凶弾の犠牲になったのはスポーツクラブで水泳のインストラクターをしていた女性と、犯人の中学・高校時代の同級生だったとのこと。そのほかに負傷した方が子供達を含め、何名か居られた由。 事件の真相はまだ捜査中のようだが、さるHPを見ていたら犯人は殺されたインストラクターに好意を寄せていたようだ。だが誰からも親しまれていた彼女には付き合っていた彼が居たとかで、犯人の恋は不完全燃焼に終わったみたい。一方の同級生の方もあの犯人を親友と呼んでいたほど人柄は良かったみたいだ。既に家庭を持ち、子供もいて、平和そのものの暮らしをしていたのだと思う。 それにしても不思議な事件だ。亡くなった同級生の他にも、あと2名の同級生をスポーツクラブまでメールで呼び出し、居場所まで指定していたと言う。迷彩服の下には防弾チョッキを着込み、チョッキの下や車や自宅には合わせて2700発ほどの銃弾を用意していたとか。また車は父親の退職金から支払って買った新車だったようだ。 犯人は東京や大阪などの大都会でも働いていたとか。ただ10年ほど前に故郷の佐世保に戻って来てからは、折角看護助手として勤めた医院では上司のちょっとした注意に腹を立て、さっさと辞めてしまったようだ。「切れやすく」なったのはそれ以来か、頭に来て近所の人に銃口を突き付け、問題になったこともあるとか。 母親は敬虔なカソリック教徒で、犯人も幼児期に洗礼を受けていたようだ。長崎は天草四郎が島原城に立て篭もって戦ったように昔から隠れキリシタンの里として名高く、その流れでカソリックの信徒が多い土地柄だ。彼が最後に自殺したのもカソリック教会の敷地だった。クリスチャンが殺人を犯すのは大罪だが、カソリックの世界では自殺することも大いなる罪なのだ。 職もなく、恋に破れた青年が自暴自棄になって自分の世界に閉じ篭ると、やがて1丁の空気銃と3丁の散弾銃と2700発もの銃弾を入手し、凶悪な犯罪を引き起こすようになるのだろうか。それにしても銃砲の管理が、果たしてこんな野放し状態で良いのだろうか。 何度も言うが、無職の鬱屈した青年がさほど裕福とも思えない親から高級車を買い与えられ、自由に銃砲を手にして周囲を闊歩する世の中なんて、どこか変だと思うのだがどうだろう。 昨夜のテレビで私は雑誌を拾って食事代を得る生活から、市の嘱託を受けて環境整備に従事するまで社会性を取り戻した、三鷹市のホームレスの青年の話を知った。彼は不幸な少年時代を過ごして人間不信に陥ったのだが、同じホームレスの先輩からグループを纏める後継者として指名されるまでに成長したのだった。 何が人間を救うのだろう。お金か、豊かな暮らしか、他人の情けか、宗教か、それとも自分自身の努力か。だがどんなに悲惨な状況に置かれても、人間が人間を殺めてはいけない。あと1週間で今年もクリスマスがやって来る。
2007.12.17
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3時前に仙台市体育館に行く。ここは我が南仙台走友会の練習会(水曜、土曜の午後3時から)の集合場所なんですよ。仲間と一緒に走る練習会は何と2ヶ月ぶりのことでした。今年、総会を兼ねた新年会は「おきなわマラソン」のため、芋煮会はつくば時代の悪友とのマージャン大会でそれぞれ欠席。走友会の行事で出席できたのはお花見くらいのものでした。だから練習会の後にある忘年会には何とか出席したかったのです。 練習会にはどの走友会にも所属していないI橋さんも珍しく見えていました。1週間前にホノルルマラソンを走ったと言う彼は実力者なのですね。だって26度の気温の中でも3時間26分で走れたと言うのですから。その彼と同じようなペースで山の上のコースを走り、名取川の堤防では、少しだけスピードを上げて走ってみました。 服装はロングタイツに薄手の長袖Tシャツでしたが寒さを感じるほどでもなく、気持ち良い練習が出来ました。故障なく年末を迎えられそうなのがとても嬉しいことです。体育館に戻って熱いシャワーを浴び、着替えてから忘年会の会場へ。既に会場には「スピード組」の連中が集まっていました。 忘年会への出席者は総勢31名で、初代会長も来られるとか。創設後20周年になる基礎を作られた方です。出席者の最長老はD堂氏。今年ハーフを1時間27分で走った絶好調の息子さんも一緒です。M仙人の腰の調子もまだ戻ってない模様で、来年2月の「東京マラソン」までには走れるようになりたいとのこと。乾杯に続いて懇親の部に突入。 この日は日本酒の差し入れが5本か6本。地元の「浦霞」、新潟(?)の「掟破り」と「五百万石」をそれぞれコップで2杯ほど飲んだように思います。特に「掟破り」は原酒のような濃い味がしました。包装が新聞紙とは強烈な個性を持った酒ですね。いつもながらお料理も良心的で、これも職場が隣にあるK野さんのお陰です。 制限時間1人1分のスピーチも楽しいですね。短い挨拶の中にも、今年の活躍ぶりや来年への期待などが分かります。みんなの挨拶などで知ったのですが、これまで5月開催だった「いわて銀河」が来年は6月になったみたいですね。Y田さんは5月に第1回が開催される福島の「東山マラソン」(?)へ行かれるようです。私もそうしようと思ったのですが、後で考えたら「いわて銀河」と開催が重なり2年間参加できなかった「仙台鉄人会」へ出るのも良いかと思い直しました。仙台鉄人会にはお世話になってる方も多いし、何せ地元で料金が安いことも魅力です。 今年「北京マラソン」を走ったM井さんI藤さんは、来年は「ゴールドコースト」へ行かれる予定とか。そのうち海外のマラソンへも出てみたいですね。今年「飯坂ふくしま」で初フルを見事完走したE名さんは来年1月の「宮古島ウルトラ遠足」で今度はウルトラのデビュー戦とか。D夫妻が伴走されるとも聞きました。成長ぶりが著しいですね。 今年はメンバーの負傷で「県下駅伝」にエントリーできなかった「スピード組」はよほど残念だったようで、ある方などはそのことに触れた時に、感極まっていました。来年こそは鍛え直してまた再挑戦して欲しいと思います。 さて、飲んで食べて歌っているうちに時間が迫りお開きになりました。私は気持ち良くペダルを踏んで自転車で帰って来ましたが、店の外にはマイクロバスがエンジンをかけて待っていたので、かなりのメンバーは二次会のカラオケにでも行かれたのでしょう。 帰宅して日記を書こうと思ってパソコンを開いたものの、すっかり酩酊した頭で「名文」を書くのは無理でしたね。(笑)こんな楽しい忘年会を開いてくれた幹事さん達、お疲れ様でした。また会友の皆さんにも今年一年大変お世話になりました。皆さんの活躍ぶりを目の当たりにして、自分のランの刺激にさせてもらいました。そして来年も引き続きよろしくお付き合い願いますね~!!
2007.12.16
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これから所属する走友会の練習会と忘年会に参加して来ます。その内容については帰宅後にね♪。ただし、泥酔してる場合は明日になりま~す。きっとこっちの方かな?(笑)
2007.12.15
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FA宣言してメジャー希望だった中日の福留は、カブスと4年契約を交わしたようだ。これで総額で53億7600万円の巨額を手にするのだからたまらない。同じくFA宣言した楽天の福盛がレンジャーズと2年契約で総額3億3900万円。これも楽天時代の年俸に比べれば倍以上になる。 テレビの番組で張本が「皆がメジャーを目指せば日本のプロ野球がダメになる」と話していたが、先輩達の活躍を目の当たりにしたら機会があれば自分もメジャーの舞台に立ちたいと考えるのが当たり前だと思う。野球選手は体が資本だし、活躍して高給を取れるのは人生のうちのほんの僅かの期間だもの。 だが、メジャーの厳しさは日本のプロ野球界とは雲泥の差で、これまでレンジャーズで投げていた大塚が戦力外通告を受けて解雇された由。喜び勇んで海を渡る福盛も、いつ大塚の二の舞を踏むか分からない。 松井稼が3年間でメッツ→ロッキーズ→アストロズと渡り歩くことを見ても、大選手といえども簡単にトレード要員になることが分かるだろう。ヤンキースのゴジラ松井もサンフランシスコジャイアンツへのトレード話があったようだが、今回は先方が他の選手を確保して成立しなかったのだとか。 そんな厳しい話の中で、「へえ~」と思うような話もあるようだ。試合中の捻挫が響いてパイレーツから戦力外通告を受けた桑田だが、このほど桑田と再契約する話が復活した由。桑田は目下日本に帰国して手術後のリハビリ中だが、来春のキャンプに招かれるとのこと。投手としての資質のほかに、彼の野球に対する真摯な態度、若手への指導力、抜群の語学力なども買ってるらしい。来年40歳になる桑田には嬉しい話だろう。 体を張るのは選手だけでない。サッカー日本代表の前監督だったオシム氏は、倒れた日も夜遅くまで外国チームの戦力分析をビデオを観ながら行っていたらしい。救急車で運ばれる先の病院と連絡がつけられず、イギリスの関係者に緊急連絡してようやく入院することが出来たと言うニュースには驚いた。 後を引き受けた岡田新監督も、家族の反対を押し切っての就任だったとか。その岡田氏だが、幾つかのチームから来期の監督を打診されていたらしい。偶然かどうかは知らないが、彼はそれを全て断っていたと言うから不思議な話だ。それはまだオシム氏が倒れる前の話だからだ。監督はやはりそのような気骨と信念を持った人じゃないと勤まらないのだろう。 北京オリンピック野球の日本代表監督の星野さんの苦労も並大抵ではないようだ。熱血漢の彼曰く。「グランドの中で死ぬのは本望だ」と。ここにも自分の体を張って勝負に拘る闘将がいる。こんな人がいるからファンも熱くなれるのだ。胃の全摘手術を受けながらカムバックしたソフトバンクの王監督。来年は少し頬がふっくらした顔を見られるかな。今度めでたく結婚される三女(?)の理恵さんがバツ2だったことも初めて知った。 さて、我らが楽天の若きホープ田中マー君。初めての契約更改で推定4倍の6千万円を提示され、一発ででサインしたとか。彼の関係グッズだけでも1億円売れたというから球団にとってはまさに「福の神」。6千万円は決して高くない年俸らしい。マー君よ、これに満足せず来年も全力で頑張って欲しい。 プロの選手とは比べようがないが、私も今日ボーナスをもらった。金額はわずか3千円だが、プロ野球の選手同様に私も毎日汗を流し、体を張って働いている。
2007.12.14
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通勤でいつも通る繁華街の裏に小さな公園がある。夏は飲み明かしたサラリーマンやホームレスの人がベンチで寝ていたりもする。公園といってもほんの僅かの空間で、遊具もない。もっとも中心街なのできっとそこで遊ぶ子供もいないはずだ。 その小公園に以前から猫が3匹ほど棲みついている。私が見た限り特に可愛い猫でもない。この猫達に毎朝せっせと餌を上げている人がいる。中年の女の人だ。ポリ容器に家から持参した餌を入れて与え、食べ終わった後は掃除をしているようだ。 この公園の入り口に「動物に餌をやらないでください。仙台市」と書かれた小さな看板が掲げてある。猫の始末に困った町内会の人が、市に注意書きの設置を要請したのかも知れない。女の人は字を読めないはずはないのだが、それでもせっせと餌を与え続けている。避妊手術でもしない限り猫が増えるのでないか。愛猫家でない私はそんなことを考えながら、いつも傍を通っている。 今日は仕事の帰りにデパートに寄った。妻に頼まれたお歳暮を発送するためだ。アーケード街はクリスマス商戦を意識してか、きらびやかなデコレーションで飾られていた。お歳暮特設コーナーに行くと、椅子に座って順番待ちの人がズラリ。まるで銀行の窓口みたいな感じなのに驚く。まず品物を選び、書類に記入してから順番の札を取るシステムのようだ。 値段と送り先の趣向を考えながら適当なものを選ぶ。デパートの会員になっていると送料が無料で品代も5%引きとか。妻は何も言ってなかったので知らなかったのだろう。それにしても高価な品々が溢れ、デパートも結構賑わっている。ひところ低調だった景気は回復しているのだろうか。本当はラーメンでも食べて帰りたいところだったが、我慢して帰宅し昼食のうどんを作った。只ではないが家計は助かるだろう。 昨日から仙台では「光のページェント」と言うのが始まった。ケヤキの枝に電飾を張り巡らせ一斉に点灯させる冬のイベントだ。今年飾った豆電球(?)は60万個で、地下鉄工事が始まった関係で例年より10万個少ない由。それを見物するため2階の天井部分がない、スカイバスとか言う観光バスまで巡行してるようだ。テレビの報道ではそれをわざわざ遠くから見学に来る観光客もいるとのこと。日本の豊かさを実感するようなニュースだ。 その一方でテレビは報道する。ブラジル奥地のアマゾン川流域では、毎年東京都の面積に当たるジャングルが切り開かれて畑に変わると。バイオ燃料の原料になる大豆やトウモロコシを栽培するようだ。切り倒された木を燃やす煙が人工衛星からも確認されるとか。 二酸化炭素の増加は温暖化をもたらし、海水面を上昇させる。太平洋やインド洋上にある島嶼国では今深刻な国家存亡の危機に曝されていると、バリ島で開催されている国際会議で訴えていた。何しろ海抜2mしかない島国では地球温暖化の影響がもろに及ぶのだ。 物が溢れ返り、飽食の先進諸国。貧しくその日の食べ物にも困っている後進諸国。その差は歴然だ。灯油の値段が急上昇したこの冬。我が家では家計を取り仕切る妻が、防衛上温風ヒーターの温度を20度から19度に設定し直した。そのヒーターすら点けず、電気カーペットで我慢している妻。私はコタツに入り、かじかむ手でパソコンのキーを叩き日記を書いている。 スエーデンでは暖房の温度を17度に設定するのが「常識」らしい。北欧ほど寒さに強くない我が家では19度でこの冬を乗り切る積りだ。もしも体が健康であるなら、暮らしはつつましくても良いと思う。ふぇ、ふぇ~くしょん!
2007.12.13
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あれは何年前のことだったか、我が家の愛犬マックスが大きなドブネズミとじゃれていたことがあった。もちろん生きているものではなかったが、なぜマックスがドブネズミの死骸と戯れていたのかは未だに謎のままだ。彼が自ら捕らえるほど機敏ではないし、ドブネズミだってわざわざ犬に捕まるようなヘマはしないはずだ。 だが、そのドブネズミには確かに見覚えがあった。否、正確に言えば何故ドブネズミが我が家の庭に現れたのか、理由が分かっていた。我が家の庭には小さな畑があるのだが、その一角にコンポスト容器を置いている。これは台所から出る生ごみや愛犬のウンチを「原料」にして堆肥を作る道具だ。 そのコンポスト容器には時々魚の「あら」を入れることがあるのだが、食べ物を捜していたドブネズミがたまたまその匂いに釣られて我が家までやって来たのだろう。彼らの巣は我が家から100mほど離れた小川に流れ込む「土管」の中だと思う。何故なら何人かの人が、小動物が土管を出入りする姿を見ているからだ。そしてその彼が我が家のコンポスト容器に潜り込んだことは、何回か地面に大きな穴が開けられていたことで証明されている。 何者かが侵入したのかは分からないが、それを防ぐために私は周囲に大きな石を敷き詰めたりした。だが、案外頭の良い彼は手薄な箇所を捜して潜り込んでいた。そんな智慧の働くドブネズミが、愛犬にむざむざ捕まる訳はないのだが、結果的に彼は死骸になりマックスの玩具になってしまった。 あれから数年経ち、そんな出来事があったことなどすっかり忘れていたのだが、今年の秋に同じような「事件」が起きた。剪定した庭木などを積んであるイチジクの根元で、ある時カサコソと言う小さな音が聞こえたことがあった。その時は特段疑問にも思わなかったのだが、数日後、コンポストの脇に小さな穴が開けられ、何者かがコンポストに侵入した痕跡が認められた。 あの音と言い、開けられた穴と言い、きっとドブネズミの仕業に相違ない。だが、今回の穴はずいぶんと小さなものだった。2回か3回同じようなことが続いた後、私は意地悪をしていつも穴を開ける辺りに大石を置いてみた。それ以来ドブネズミが来た様子はなく、カサコソと言う微かな音も聞こえなくなった。きっと小さなドブネズミは諦めてしまったのだろう。 その少し前、取っている新聞にドブネズミの親子が新しい巣を求めて冒険すると言う内容の小説が連載されていた。タイトルは「川の光」だった。ふとあの話を思い出して、ドブネズミ親子には悪いことをしたなあと言う気になった。その庭も今ではすっかり木々の葉が落ち、淋しい冬景色に変わってしまった。
2007.12.12
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NAHAマラソンから帰って来た日、妻がどこか沈んだ様子だった。聞けば私の留守中に妻の従兄が亡くなった由。年齢は確か80歳近かったと思う。優しくて常識あふれる人だったが、ここ2年ほど前から骨肉腫を患っていたようだ。私は妻に言った。「伯(叔)父さん伯(叔)母さんの次は従兄弟たちが亡くなる番なんだよ」。「そうだね」。妻は少しだけ納得したようで、それから2、3日後に再び元気を取り戻した。 今日、第1現場のビルに出勤すると、11月初めに受診した健康診断の結果が届いていた。恐る恐る封筒を開けて通知書の内容を確認すると、どの項目も引っかかるものは無い。先日別途受診した胃がん検診の結果も大丈夫だったし、これで暫くは安心できそうだ。やれやれ。 今年は毎月フルマラソン以上のレースに出場し、完走することを目標に掲げた。それを達成するためには何よりもまず健康でなければならないだろう。どのレースに出るか良く考え、レースとレースの間隔を出来るだけ開けるように調整した。歳も歳だし、無理をすれば疲れが出る。疲れが出れば勤務に支障を来たすし、悪くすると病気にもなる。目的達成のためには日ごろからの節制と精進が必要だと思う。 昨年までは何らかの項目に異常値が出て、再検査が必要だった。レースと健康診断の日が近かったせいもあった。今回もそれほど日は離れていなかったし、去年より夏場の残業時間が多かった。それなのに異常値が出なかったのはやはり蓄積疲労が無かったためだろう。年間を通じて良い体調管理が出来たことを喜びたい。 妻の検診結果も去年より良かったようだ。一時期あれほど酷かった更年期障害が、かなり安定したのだと思う。それに私達夫婦のストレス感も少しは和らいだのだと思う。無理をして仕事を続ければ収入は増えるが、それによる疲労やストレスも増加する。歳を取れば、そんなことが病気の原因になることもあるだろう。 高知の長女からお歳暮代わりに「カツオの土佐作り」が送られて来た。妻の話によると、少し前のピアノの発表会で孫の眞実ちゃんは賞をもらえず、長女が落胆していたそうだが、ピアノは本人が楽しく弾けたら良いと諭したそうだ。親のエゴや見栄であまり小さいうちから子供を縛るのは決して良い影響を与えないと私も思う。 それより心配なのは田舎で暮らしている長女の義母の調子が良くないことだ。夫君に先立たれ、もう10年近く一人暮らしを続けているお母さん。一人息子(長女の夫君)は都会で転勤暮らしのため孫にも自由に会えず、寂しがってるようだ。老齢になってから長年の伴侶を失うと、精神的にもショックが大きいのだろうか。やはり夫婦は共に健康で長生きするのが一番だ。それには何よりもお互いに労わり合う精神が大事なのだろう。 東京の次男が年末に休暇が取れ帰省するようだ。それほど長い休暇は無理だろうが、NAHAマラソンへ行った時に買って来た泡盛の古酒とスクガラスで、一献傾けることが出来たら嬉しい。そしていつかは仙台に帰って一緒に暮らせるようになったらより嬉しいのだが。 三重にいる長男もきっと苦しい思いをしているのではないか。東京勤務時代の上司が、再度東京に呼び寄せる話もあったようだが、本人は非人間的な東京での勤務にはかなりのストレスを感じているようだ。人間誰しもが偉くならなくて良い。自分に合った生き方が見つかれば、多少収入が減っても良いではないか。まず健康第一と親は考えるのだが、甘いだろうか。 私の長く続いた転勤生活が、3人の子供達の人生にも少なからず影響を与えたと思う。遠く離れて暮らしている私達家族だが、それぞれの健康と安らかな暮らしを願う気持ちをいつも抱いている積りだ。
2007.12.11
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第2現場のロビーにクリスマスツリーが飾られている。それがありきたりのデコレーションではなく、枝と言う枝にピンクのリボンが結んであるのだ。傍のメッセージボードを読むと、乳がん撲滅キャンペーンの一環のよう。ビルには生命保険の会社も入っているためだ。今日は12月10日。師走も早や中旬となった。ブログのデザインをクリスマス仕様に変えて見たがどうだろう。(笑) さて、先週の土曜日に妻とバスツアーに行った。今年9回目のツアーの行き先は山形県の赤倉温泉。つまり今回乗ったのは「温泉バス」だった。途中鳴子温泉を通る。川の向こう岸に真新しい工事の跡がある。あれが崖崩れを起こした箇所だったのだろうか。赤倉温泉が近づくと私は車窓から道路の状態を観察した。国道は狭い上に交通量が多く歩道も無い。これでは走るには危険そうだ。バスは国道から左折して山間に入った。その道が案外広く、完全に除雪してある。これなら走れそうだ。 帰りのバスが発車するまで4時間もあった。早速風呂場でロングタイツに着替え、外へ飛び出した。地理は分からないがとりあえず山に向かって走ろう。坂道だが勾配はさほどでもない。どんどん行くと赤倉スキー場への分岐点があった。さらに行くと小さなトンネルが見えた。左手の山道を行くと「1.8kmで山刀伐(なたぎり)峠」の標識。だが山道は深い雪で覆われている。 この峠は確か松尾芭蕉が尾花沢の素封家である鈴木清風を訪ねる際に通ったようだ。現在はトンネルが出来、峠を歩く人はほとんどいないのだろう。(雲峰師匠、S原パパ、ちっちさん達も「奥の細道ウォーク」で歩いたはず)道路は山形県の最上町から尾花沢市へ抜ける県道みたい。トンネルを過ぎてさらに行くと尾花沢市市野々(いちのの)の標識があった。集落まで行かずそこから引き返す。 山中の田圃には点々と大小の足跡が。どんな動物達が雪の上を歩いたのだろう。1時間ちょっとで旅館に戻る。走った距離は8~9kmほどか。最初に「ひょうたん湯」に入る。もう正午を過ぎたので男子と女子の風呂が入れ替わったのだ。岩風呂の大浴場に入れなくて残念だが、山の中を気持ち良く走れたので満足。大型トラックがやたらと多かったのはどうやら新庄市内を通らないで済む近道だったからのようだ。 昼食は今回も妻が作った「太巻き寿司」。半分ほどの人が「出前」を取ったようだ。食事の後は果物とお菓子にお茶。少し落ち着いてから新聞を読み、それが終わると勇躍混浴風呂へ。ここは大きな天然の岩風呂があり、大小3つの浴槽があった。残念ながら(?)女性の入浴客はいなかった。一番上の岩風呂は小さくてぬるい。手前の大きな風呂は適温より少し温め。真ん中の岩風呂が熱くて体が冷えた私には適温だった。 妻は3回も温泉に入ったようだがどの湯もぬるく、すっかり湯冷めした感じ。それに休憩所の大広間が広過ぎて暖房が効かないみたいなのだ。今年最後のバスツアーはまあまあの旅だったが、来年はどんなところへ行こうか。温泉も良いけど、良い景色を眺め、美味しいものを食べるツアーも良いかもね。 ところで膀胱がん再発の恐れが心配される雲峰師匠やちっちさん達は、来週は今年最後の旅で関西方面に向かわれるとか。どうか師匠にとって心安らぐ旅になるよう願っている。
2007.12.10
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<個人誌・月桃の種・沖縄ソバ・「謎」は解け、新たな夢へ> ホテルでの朝食を済ませると、私はバスに乗って元の職場に向かった。「東口」で降り、歩いて構内へ向かう。ここを去って既に15年。構内の風景も懐かしいものだった。2階の事務室に顔を出すと、今年の3月に定年退職したOさんがいた。年金が完全に支給される歳まで再雇用されたのだとか。まずは元気そうで安心した。 M氏は最近出したばかりの個人誌を私にくれた。彼は沖縄では高名な詩人で、さる賞の審査員でもある。パラパラページをめくると、宮古島の言葉で書かれた彼の詩も載っていた。裏表紙にサインしてもらう。1時間近く近況や沖縄のことなどを話す。彼もまた来年3月で定年だ。 下の事務室にも顔を出す。奄美大島出身のH郷氏が色んな種を保存していた。15年ほど前に与那国島を訪ねた時に島で採取した由。再来年の春に定年になる彼は、せっせとその種を職場の庭に蒔いているのだとか。別れ際に彼は「月桃」の種をくれた。「植木鉢に蒔き、冬は家の中に入れたら仙台でも何とか育つのではないか」と言って。月桃の葉は独特の芳香を放つので、首尾よく育てば沖縄の思い出になるだろう。それにしても皆歳を取ったものだ。 Hさんが迎えに来た。昨日24km地点付近で私設エードを開いていたT氏と一緒に沖縄ソバを食べに行くのだ。これがNAHAマラソンを走りに来た時の最終日の約束事になっている。68歳になるT氏は体のあちこちが不調で、医者に通っていると話していた。私が沖縄に赴任した頃は、良きライバルとして元気に走っていたのだが。「体を動かさないとどうしても弱るからねえ」。T氏が席を立った時にHさんが私に言った。 長寿王国沖縄も最近では男子が長寿番付の1位からかなり順位を下げている。きっとストレスが増え、伝統的な食べ物を食べなくなり、運動不足も重なって、ゆったりとした時間が流れていたかつての沖縄も、今は本土なみにせかせかし出したのだろう。「T事務長、ご馳走になったソーキソバの大盛り、美味しかったですよ」。 那覇空港から飛び立った飛行機は、たちまち雲の中に入った。往路は渡良瀬調整池、富士山、富士五湖の一つ、浜名湖、英虞湾、奄美大島などが見えたのだが、帰路は徳之島と浜松の市街がかすかに見えただけだった。さらば沖縄よ。こうして私にとって11回目のNAHAマラソンは終わった。 帰宅して2日ほど経ったある日、私は今年2回沖縄に行ったことを思い出した。1回目は2月に「おきなわマラソン」を走った時だ。そうか、お土産にタンカンを買ったのはあの時だった。いくら暖かい沖縄でも12月にはまだタンカンは出回らないはず。ようやく「謎」が解けた。いや、これは単純に私の物忘れが酷くなっただけの話だろう。 それからさらに何日か経ち、何気なく来年のカレンダーを見ていた時に、私はあることを思いついた。「プロジェクトX」を立ち上げるのは来年しかない。きっと今まで何度か描いていた夢を実現する最後の機会になるだろう。「ちんすこう大作戦」。今は仮にそう呼んでおこう。どうやら沖縄に対する私の夢は、まだ終わってはいないようだ。<完>
2007.12.09
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<姉さん女房> ホテルに戻ってシャワーを浴びる。4時間40分近く走り続けて汗だらけになった体が、ようやくさっぱりし出す。ふう~っ、気持ちが良いなあ。着替えた後は早速国際通りへ。マラソンを走りその後博物館を観たが、さほど疲れは残っていない感じだ。さて、今夜は何を食べるか。まずはいつもの市場へ行ってみよう。 市場の八百屋さんは閉まっていた。果物屋さんにもタンカンは見当たらない。そうなると土産はお菓子か。前日に泡盛2本とスクガラス(小魚の塩辛)、チンスコウ、黒糖ピーナツは買ってある。実際に作っているお菓子屋さんで紅芋のゴマ饅頭を買う。2つの現場、我が家、向かいの家、それに自分用のまで入れるとお土産代も結構馬鹿にならない。 代金を支払うと小母さんが同じ饅頭を試食させてくれた。まだ暖かい作りたての饅頭は、独特の風味で美味しい。幸福感に浸りつつ、「花笠食堂」へ向かう。店の陳列ケースの前で夫婦のような男女が何やら品定めしていた。格好からするとやはり「NAHA」を走ったランナーのようだ。 女性が男性に何を食べたら良いか教えているようだ。そこで私が「ここは安くて美味しい沖縄の家庭料理が食べられるんだよ」と解説。私が仙台から来たと話すと、女性ランナーが驚いている。実は彼女もこの春、仙台から横浜へ嫁いだのだと言う。「うわ~、仙台に帰りたいなあ」と彼女。こうしてテーブルを共にしながら、彼ら夫婦と暫しの時間を過ごしたのだった。 彼らが知り合ったのは今年4月の「長野マラソン」の時。コース上で何度か一緒だったらしいのだが、レース後のパーティーで再び出会い、運命的なものを感じて結婚することになった由。マラソンの話、沖縄の食べ物の話、仙台の話、新婚生活の話。それらを夕食を食べながら楽しく語り合ったのだ。 因みに奥さんが頼んだのは「グルクン定食」。これは沖縄の県魚であるグルクンの唐揚げを中心としたもの。そしてご主人は無難な「沖縄定食」で、私はナーベラー(若いヘチマを炒めた料理)を頼んだ。それらには他に数品のおかずと汁物が付く。私は中身(豚の腸)のお吸い物にした。これは滋養があり、とても上品な味なのだ。 別れ際にご主人が言った。「彼女は姉さん女房なんです」。「知ってたよ」と私。「ええ~っ」。彼女が驚く。「だって、人生経験豊富だからね」。生まれて初めて故郷の仙台を離れたことや、まだ就職が決まらないことで彼女は胃が痛んでいるとのこと。そんな不安も優しそうなご主人が一緒ならきっと乗り越えられるだろう。それにこれからも共通の趣味であるマラソンを楽しむことが出来るしね。 二人は何度も握手をし、別れを惜しみつつ去って行った。さようなら、姉さん女房の若夫婦。これからも仲良くやるんだよ。マラソンがきっかけで結婚するなんて幸せ者だねえ、あんた達は。それにしても人生って実に不思議で愉快なものだ。その夜、ベッドの上でも足が攣ったが、それが最後の痙攣だった。 翌朝読んだ地元の新聞には、前日走った「NAHAマラソン」関係の記事がでかでかと出ていた。それによると当日の最高気温は23.4度C。エントリー数は約2万7千人で、このうち実際に走ったランナーは約2万4千人。完走率は確か62%くらいで、完走者の最高年齢は76歳。優勝したのは男子は地元沖縄の、女子は県外のランナーだった。トップでゴールしたワイナイナは優勝ではなく、参考記録だったみたい。私のゼッケンナンバーは3413番で順位が3391位だったから、まあ順当なところか。<続く>
2007.12.08
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<痙攣よ止まれ!> とうとう奥武山運動公園内に入る。昨年までは公園の外周を一回りしていたのだが、野球場の工事でコースが変更になったようだ。私がまだ沖縄に勤務していた頃、奥武山球場では当時強かった沖縄水産の試合を良く観たものだ。観衆から差し出される手にもタッチせず、競技場内に飛び込む。グラウンドの中には大勢のランナーが最後の力走を見せている。 第4コーナーを廻りついにゴール。時計のボタンを押す。胸のナンバーカードから発信機が取られ、完走証を受け取る。4時間39分07秒。ネットが4時間36分16秒だから、スタート時のロスは2分51秒か。琉球ガラス製の完走メダルと飲み物を受け取り、走友の待つコーナーへ。 グラウンド内では走り終えたランナー、リタイヤして戻ったランナーが仲間と一緒に車座になり、そこかしこで宴会がもう始まっている。これもNAHAマラソンならではの風景だ。元の職場のコーナーに戻ると、既にゴールしていたのはT原先生、N村さん、Y彦さんの3人だけ。一番速いS吉郎さんの姿が見えないが、彼の集合場所はほかにあるようだ。 シートに座った途端、足に痙攣が来た。筋肉が大きくうねり、やがて硬直する。その痛みに必死に耐える。一旦収まっても再び襲う痙攣の波。ううううう。その様子をN村さんのお嬢さんが驚いて見つめる。S吉郎さんが戻って来た。3時間は切れなかったとのこと。練習も昔のようにはこなせず、3時間15分がやっとの状態なのだとか。ほかの3人も3時間台でのゴールだった。 痙攣が少し落ち着いたのを見て、N村さんのお母さん手作りの「ぜんざい」をいただく。沖縄のぜんざいは小豆でなくウズラ豆を使う。それに暖かくなく、逆に氷が入った冷たいものだ。胃の調子が戻ってからはサラダ、おにぎり、缶ビール、ミカンなどを次々にご馳走になる。その間も時々襲う痙攣に苦しむ。 N村さんの息子が帰って来た。関西の大学を今年卒業して沖縄に就職し、今回が初マラソンだった由。さほど練習もせずに5時間を切ったのは見事と言うしかない。着ているトレーナーから判断すると運動部だったようだ。沖縄の走友ももう息子や娘が走る年齢になったのだ。T利さんもその後ゴール。 5時間を過ぎて帰って来たのがN銘さん。2月の「おきなわマラソン」では彼に遅れを取った。今回はコース上で「バニーガール」嬢と何やら話していたが、あの後何度か痙攣が起き、途中から歩いたそうだ。この暑さは沖縄のランナーにとっても楽ではなかったようだ。 6時間近くなってようやく戻って来たS田さんの顔が青ざめている。かなり消耗したみたいだ。今回連続23回連続完走がかかっていたHさんは、制限の20分ほど前でのゴールだった由。同じく連続完走のT場さんの姿が現れないのが気がかりだ。一息ついた頃、全員で乾杯する。職員走ろう会幹事のY彦さんが、最近は会員がなかなか集まらなくなったとぼやく。仲間で沖縄本島縦断駅伝を企画したあの頃の勢いとは大違い。難しい時代になったようだ。 3時15分、花火が上がり競技場への扉が閉められる。グラウンド内では大集団がゴール目指してうごめく。手を振りながら走る仮装ランナー。歓喜の完走までもう一息だ。そろそろ水を被って濡れたパンツも乾いて来た頃。私はようやくトレパンを穿いた。 走友と再会を誓って握手し、奥武山グラウンドに別れを告げる。痛む足を庇いつつホテルへ帰る途中、私はデパートへ寄った。その4階にある那覇市立博物館を観るためだ。ここは1年ほど前に出来たばかりとか。料金は400円。入り口近くの特別室に尚家寄贈の国宝が20点ほど展示されていた。尚家は琉球王朝時代の王で、明治期の琉球処分時に民衆の動乱を恐れた政府が沖縄から王家を東京へ「拉致」した経緯がある。 もし尚家があのまま沖縄にいたら、沖縄戦の戦火で貴重な資料は灰燼に帰したであろう。強制的に東京に移住させられた「お陰」で、琉球王朝時代の品々が今日まで伝えられたのは皮肉な話だが、大量の資料が世話になった台東区でなく沖縄に寄贈されたことも沖縄県民にとって良かったのではないか。それにしても1千点以上もの国宝を持つ尚家は凄い存在だったのだと、再認識させられた私だった。<続く>
2007.12.07
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<私設エードにて> 沖縄戦犠牲者の慰霊塔がある摩文仁平和祈念公園に別れて再び国道へ戻る。ここからしばらくの間は緩い下り坂。よ~し、後半は少しペースを上げてみるか。昂ぶる気持ちに反して足は全く伸びない。変だなあ。こんなはずではないのだが。でも辛抱辛抱。自分にそう言い聞かせて耐える。 25km地点にある「ひめゆりの塔」の手前には、長年の走友だったT事務長が私設エードを開いてくれているはず。でも一度もまだそのエードを見つけたことがないのだ。コースの左側に注意しながら慎重に走る。NAHAマラソンの良い所は色々あるが、距離表示が1km毎なのがランナーには何より嬉しい。 24kmを少し過ぎた所で、誰か女の人が私の名前を呼んだ。振り返るとFさんだった。彼女も走友の1人だがもう7、8年は会ってないはず。傍らにはT事務長と若い女性もいた。挨拶もそこそこに2人と固い握手を交わす。そしてFさんが手渡してくれた冷たいサプリメントを一気に飲み干す。若い女性はFさんのお嬢さんとのこと。その彼女が写真を撮ってくれた。 本当は落ち着いてペットボトルにアスリートソルトやヴァームの粉末を補充すべきだったのだろう。だが、気持ちが急いて早々にその場を離れた。多くのランナーは「お祭り」のNAHAを楽しむのだろうが、私の場合レースは戦いでもある。ましてこの暑いNAHAを走り切るためには、これまで9回走った経験から相当強い気持ちが必要だと分かっている。 2人に会えて良かった。それだけでもNAHAを走った甲斐があったと言うものだ。少し元気を取り戻した私を、「徳島大学」のユニフォーム姿の女性ランナー2人が追い抜いて行く。その背中を懸命に追いかける。話を聞くと職員ではなく、公開講座の受講生とのこと。講座の目的は理論と実践に基づき、ホノルルマラソンを完走することらしい。 筑波大学でそんな授業があるとは聞いたがそれは学生が対象。一般市民を対象とした公開講座でそんなことをしているのは初耳だった。私も20年ほど前に徳島の鳴門で仕事をしていたことを話したが、スピードのある彼女たちにとっては単なる「お邪魔虫」だったようだ。 「待てよ」。折角沖縄まで来ておきながら膝の故障で仲間の応援に廻った4年前。30km地点に立っていた時も鳴門時代の同僚だった徳島のMさんがあのユニフォーム姿で通り過ぎたっけ。当時はメタボリックシンドロームなんて言葉は無かったが、確か医者の勧めで走り出したと言っていた。今になって思えば、きっと彼も公開講座を受けていたのだろう。 28km地点の名城(なしろ)ビーチ入り口前から、左手前方一帯にエメラルドグリーンの海が見えた。これだけきれいに見えたのは初めてだと思う。30km地点は糸満市の中心部。大勢の人が沿道で声を張り上げている。31km地点の糸満ロータリーも懐かしい。まもなく右手に白銀堂の建物が見えた。春のハーレー(ドラゴンボートの競争)では、神女がこの山の上から旗を振ってスタートの合図をするとか聞いた。 ここから数キロは魔の直線コース。苦しさのあまり歩き出すランナーが増え出す。私もどれだけ頭から水を被り、塩を舐め、水を飲み、差し出されるミカンを食べたことか。もう沿道の観衆に手を振る余裕はない。そしてレースに集中するためサングラスを掛ける。33.4km地点の関門を通過。一生懸命手に持って暖かくなったバナナを子供から受け取り、エネルギー源にする。 35km地点翁長(おなが)バス停の先から左折。那覇空港方面に向かうこの広い道路が緩いけど長い最後の登り坂。疲労困憊したランナーにはもっともつらい場所だろう。だが人家が密集するようになった今は、どこででも水や食べ物が得られる。少し前までこの辺は家並みが淋しく、応援の人が少なかったところだった。 モノレールの赤嶺駅を過ぎると距離表示がゴールまでの残りの距離に変わり、やがて競技場までの緩く長い下りが始まる。ようやく奥武山公園の森陰が見えて来た。頑張れ~、後一息だ~っ!!<続く>
2007.12.06
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<こんな暑いのに仮装?> レース当日、4時過ぎには目が覚める。暇に任せて両膝はもちろんのこと、最近痛みが出ていた右足の親指や左足の底にも丹念にテーピングを施す。早目にフロントに行って新聞を読み、レストランへ。朝食は野菜やたんぱく質などを含めてしっかり食べた。競技場まで少し遠いので7時半にはホテルを出る。国際通りではアップのため走っているランナーもいる。この通りが1時間半後には大勢のランナーで埋め尽くされるのだ。 公園の入り口で宮城UMCのM黒さんを発見。誰か友達と話し合ってるみたい。お互いに挨拶をして別れる。競技場内のいつもの場所に行くと、1人2人昔の走友がいて声を掛けてくれた。誰にも連絡して来なかったが1年ぶりの再会だ。徐々に仲間が集まって来るが、往年は30人も居た仲間がたったの10人ほど。高齢化して健康に自信がなくなり、走るのを止めてしまった人が多いようだ。その代わり若い学生の数が増えていた。 連続22回完走で「青ゼッケン」のHさん、Tさんも遅ればせながら登場し握手を交わす。彼らも今回で連続が止まらないかプレッシャーがあるみたいだ。8時半。ナンバーが近いHさんと連れ立ってスタート地点へ移動を開始。橋を渡って壷川へ出、そこから国道58号線へ回る。いつもながらのランナーの波。もの凄い群集の一部になる。 カウントダウンが始まり9時ちょうどにスタートしても、ランナーが進まない。結局スタートラインまで3分30秒ほどかかった。原因はスターターを勤めた女優の比嘉愛未(まなみ)さんを携帯で写そうとして大勢の人が立ち止まったせいだった。「どんと晴れ」では清純な日本女性のイメージだったのが、目の前の本人は明るくて現代的なウチナンチュだった。 Hさんに合図して前に出る。国際通りの泊まっているホテルの前では従業員の人が手を振っていた。ひめゆり通りに抜けると、バニーガールの服装をした女性ランナーが颯爽と追い抜いて行った。歩道の人が一様に「可愛い」と叫んでいる。本当は並走したいところだが、とても付いて行けるスピードではない。 5km過ぎで「南洋の土人」を追い抜く。裸で「腰みの」をつけ、手には槍を持ったこの人はハワイのマウイ島から来た日系人とのこと。爬龍橋の上で宮城UMC仲間のT田さんと遭遇。今回も走りながらたくさんの写真を撮りたいみたい。バイパスの緩い登り道辺りで、早くも汗が噴出す。何分暑い。天候は晴れで最高気温は23度以上になるみたいだ。これでは東北だと初夏の陽気。おまけに風が全く吹かない。ふう~っ。 8km過ぎでエイサー(沖縄の勇壮な盆踊り)に見とれていると、金髪アフロのランナーが目の前を走って行った。慌てて後を追う。近づいて声を掛けると、はたしてネットの走友のぼくし~さんだった。本当は「森のプーさん」の衣装にするはずだったのだが、この暑さで急遽変更したみたい。それでも彼のTシャツは汗でグショグショに濡れている。お互いに健闘を称えて別れる。 10km手前の連続する2箇所の坂道には参った。もう10回もここを走っているが、何度走ってもきつい登りだ。苦しい中でも楽に呼吸が出来るようフォームに気をつける。東風平(こちんだ)三叉路を過ぎるとコースの両側には白い穂がなびくサトウキビ畑が見え出す。懐かしいこの風景は沖縄そのものだ。健康でまたここを走れるのがとても嬉しい。背広を着て走っている名物ランナーを抜いたのもこの辺りだった。 具志頭(ぐしちゃん)三叉路を右折した辺りでエーサーを撮るT田さん発見。そこへ強引に割り込んでピースサインでカメラに納まった。T田さんゴメ~ン!そこから緩い坂道が3kmほど続くのだが、その取っ付きで歩いているH城さん発見。かつての職場の仲間で私より1歳年上だが、往年のスピードは失ったようだ。「来月は宮古島ワイドーに出るよ」と声を掛けて先行。 坂道の途中で三度T田さんと遭遇。今度は屋敷の色鮮やかな花を撮っている。「それはブーゲンビレアだよ」と声を掛けて先行。彼の姿を見たのはそれが最後だったが、ゴールしたタイムは4分ほど私が遅かったようだ。あれだけ楽しんで写真を撮りながら走る彼に敵わないのだから恐れ入る。おまけに彼はこの暑いNAHAが初めてのはずなのに。 19km地点。坂道はほぼ終わり、そこから摩文仁(まぶに)公園へと左折する。去年はここで応援してくれたかつての仲間Sさんの姿が見えなかったのが残念。最後の坂を登り切ると、あとは下り。公園入り口の中間地点で時計を見ると2時間17分ちょっとだった。名物のシャワーを浴びながら走り抜ける。前半は相当数のランナーに抜かれたが、後半に期待してみよう。<続く>
2007.12.05
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<この香りは何?> 那覇空港ビルから外へ出ると、何かが匂って来た。植物の匂いなのは間違いないが何なのかは分からない。オーストラリアのキャンベラで早朝走った時も強い香りが漂って来たことがあった。あれは公園などにたくさん生えていたユーカリの匂いだと後で聞いて分かったが、あの匂いよりは薄い。 モノレールに乗って先ずは奥武山グラウンドへ向かう。買ったのは600円の1日乗車券。これだと用事がある時は何回も乗れてお得。仙台発那覇行きの飛行機の中で会った仙台明走会の10人ものメンバーは、預けた荷物を受け取っているのだろうか。私は機内に持ち込んだためそのまま空港を出られた。さすがに暑くて着ていたウインドブレーカーを脱ぐ。 壷川駅で降り、国場川に架かる橋を渡って奥武山体育館まで歩く。奥武山公園内に入ると、やはりあの匂いが漂って来た。これはムーチー(餅)を包むサンニン(月桃)の葉の香りに近い。でもいくら見回してもどこにも月桃は生えていない。体育館で受付をし、ゼッケンとTシャツをもらう。珍しく今回は知ってる走友の誰とも会わなかった。 壷川駅から再びモノレールに乗り県庁前で下車し、国際通りへ出てホテルへ直行する。ホテルではチェックイン後、翌朝の朝食時間を確認。何せ明日は厳しい暑さの中を42km以上を走るのだ。朝食を食べずに走れる訳は無い。部屋に行くと料金が料金だけに造りが安っぽい。それにやけに室内が暑く感じる。急いでエアコンのスイッチを入れる。 着替えをして早速外出。行き先は先月出来たばかりの県立美術館。ここは博物館も一緒みたい。土曜日は夜8時まで開館してることをHPで確認していた。3回目のモノレールは「おもろ町」で下車。ここはかつて天久(あめく)と呼ばれ、米軍の宿舎があった地区だった。それを返還してもらい新都心として再開発したのだ。モノレールから降りるとまたしてもあの香りが漂って来た。 迷いながら美術館・博物館を捜す。瀟洒な建物はショッピングモールの陰に隠れていた。受付で美術館と博物館の常設展示および特別展示をすべて観たいと言うと、「3時間はかかりますよ」と驚いたような声。料金は2200円以上も取られたが、これも覚悟の上。入り口に近い美術館へまず入館する。ところが案内のお嬢さんもどこか間が抜けているし、サイン計画が悪いのか順路が良く分からない。 2日後に訪ねた元の職場で聞いたら、サービス関係は民間団体に丸投げしているのだとか。道理でモタモタしていたはずだ。入り口近辺には戦後間もない頃の沖縄の写真が数百枚も展示してある。そのどれもが貴重なのだろうが、普通サイズの写真を1枚1枚観て行くには時間が掛かり過ぎる。近代絵画はまずまずの出来の印象だった。 圧巻は博物館の展示。元の県立博物館の倍以上の量と内容で、初めて観た琉球王朝時代の屏風絵は見事だった。また特別展の「人類の旅 ~港川人の来た道~」の内容もまあまあ。暇そうな学芸員と沖縄の考古学について意見を交換出来たのも収穫だった。 帰路、国際通りの居酒屋に入る。ソーメンチャンプルー、ゴーヤチャンプルー、テビチ(豚足)の煮物、ご飯、生ビール2杯で合計2千円以内。店内に居た時間が45分以内のため、生ビール1杯が100円で済んだのが安さの原因。だが土産に買おうとしたタンカン(沖縄の柑橘類)がどの店でも売ってなかったのはどうしてだろう。 書店で谷川健一著「甦る海上の道・日本と琉球」を購入してホテルへ戻る。その夜は暑さのせいか、旅の緊張のせいか、はたまたレース前日のためか5時間ほどしか眠れず、夜中も何度か目が覚めたのだった。こうして那覇の第一日目は終わった。<続く>
2007.12.04
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暑かった南の島から無事(?)帰宅しました。東北とは気候がぜんぜん違うし、旅先で興奮しているためになかなか眠れませんでしたが、きっと今夜からはグッスリ眠れるでしょう。(笑)完走記は明日から書きますね。お楽しみに~♪
2007.12.03
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NAHAマラソンは9時のスタートでした。スタートの合図の鐘をついてくれたのは沖縄出身の女優でNHKの連続ドラマ「どんと晴れ」のヒロインだった比嘉愛未(ひがまなみ)さんでした。 レースへの登録者は2万7千人で実際に走ったランナーは過去最高の2万4千人だったとか。また当日の最高気温は23.4度Cになったようです。冬の仙台から訪れるとNAHAはまるで夏のような暑さで、もう6km過ぎから水を被るほどでした。 暑さと登り坂に苦しみ30km辺りまではどんどん抜かれたものの、30km過ぎからはベテランの強みで抜き返し、何とか4時間39分07秒(ネット4時間36分16秒)でのゴールでした。順位は3391位。ゼッケンナンバーが3413番ですからほぼ申告どおりの成績と言えるでしょうか。ゴール後は連続して襲う痙攣に苦しみました。 これでNAHAは9回目の完走。また、今年は月1回フルマラソン以上のレースを完走するという目標を果たすことが出来ました。
2007.12.02
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10時50分仙台発の飛行機に乗ってこれから沖縄に向かいます。明日は青空の下NAHAマラソンを走ります。帰って来たら完走記を書きますね。お楽しみに~!
2007.12.01
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