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<春の使者たち 一花一句> 昨日は天候が急変した一日だった。朝は晴れていたため、雪を戴いた奥羽山脈の写真を撮ろうと外へ出たら雪になっていた。それから曇り、雨、晴れ、曇りと変化し、午後からは吹雪になった。今日は2月の最後の日。明日からはもう3月だ。外はまだ強い風が吹いている。今日は散歩中に撮った花の第2弾。少しずつ近づく仙台の春を、共に楽しんでいただけたら嬉しい。 マンサクは2月10日に撮影した。「先ず咲く」が名の起源とされるこの花は、東北では春の到来を告げる花の一つ。明るい黄色の花は、希望を与えてくれるような気がするのだ。 万作や春の光の確かなる フクジュソウが咲いていると妻に教えてもらって、最初に写真を撮りに行ったのが2月12日。2月25日には、別な場所で撮ったのを追加した。土の中から真っ先に飛び出してくる黄色い花は、名前の通りとてもお目出度い感じがする。県南から引っ越して来られたその家の老人が言うには、赤い色のフクジュソウもあるんだとか。いつか元の家からその花を持って来たいとも話されていた。 福寿草土破りける命かな 紅梅は2月13日に撮った。下の方に咲いてるのはわずか数輪だけで、しかも幹の方に顔が向いている。日当たりの良い高い枝には、少しまとまって咲いているのが見えた。白梅はまだ蕾。我が家の梅が咲き出すのは、例年4月に入ってからだ。梅の香りを楽しみたかったのだが、1輪では少々無理だったかも知れない。 梅一輪香の幽けきを愛でにけり クロッカスを撮ったのは、2月25日の散歩中。ここは小川の狭い堤防の上。金網のフェンスの向こう側だ。近所の人が、幅1m、長さ10mほどのスペースを掘り起こして花壇を作り、長い間花を植えて楽しんでいたようだ。その古屋は壊され、住んでいた人はどこかへ引っ越して行った。今は主のいない花壇に、ひっそりとクロッカスが咲いているだけだ。 クロッカス小川の土手の客として 菜の花を見つけたのは昨日のこと。雪山を撮ろうとして出かけ、空ぶりのまま帰宅する途中農家の畑に咲いていた。柔らかな若緑の葉っぱに黄色い菜の花。この花を見ると、春が来たことが実感出来る。我が家の白菜も、葉が開き出した。これから何日か先には、何本かの蕾が出ると思う。我が家では花を愛でる前に、蕾菜として食用にする。少し苦味があるが、それがまた美味しいのだ。今年もやがて、そんな季節がやって来る。 菜の花を濡らして雨の治まりぬ <続く> 昨夜は酔っぱらった勢いで幾つかの俳句を作ってみた。「俳句歳時記」に載っていた季語の練習だ。テーマは桜。仙台で桜が咲き出すのは4月10日頃なのだが、イメージで詠む桜も悪くない。戯れに載せておきたい。 春爛漫人溢れける山ありぬ 酒を酌みまた酒を酌む桜守 花冷へや酔客の足定まらず 命ありて今年も愛でし桜かな 空青く命競ひし花とわれ 山桜その閑けさを愛でるかな 御衣黄に光溢れて午後となる 花散らしやうやくに風温みたる 黄桜も萎れしころや天に星 桜人酔うほど月の美しき お花見の本番でも、こんな風に句が作れると良いのですが。
2015.02.28
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<眼科と薬局とパン屋さん> 暖かい日が続いていたと思ったら、また冬に逆戻りしてしまいました。でもこれは想定内のこと。春は簡単には来ないもの。さて、2月中旬のある日、私は眼科を訪れました。緑内障用の目薬が無くなってしまったからです。最近は走れてなかったので、せめて運動代わりに歩いて行こう。私はデジカメを首にぶらさげ、2km先の眼科へ向かいました。その途中で撮った写真がこのシリーズでも使われています。で、今日の最初の写真は、眼科で撮ったものです。<眼科にて> 花は待合室に飾られている造花です。春らしい明るい色に惹かれて、撮ってみました。<薬局にて> 次に処方箋を持って、近くの薬局へ。ここは眼科の客が専らなので、いつも閑散としています。まずは薬剤師さんへ「お薬手帳」を提出。出してもらうのは目薬だけですが、他の病院でもらい現在服用している薬も併記する必要があるとのことで、わざわざ持参したのです。目薬が出るまでの間に、断って室内を写します。 なかなか洒落た薬局でしょ?この日私が支払ったのは、眼科で400円、薬局で400円、合計800円だけでした。東日本大震災被災のために1割負担で済んでいるのですが、それも今年の10月まで。その後はまた2割負担に戻ります。<パン屋さんにて> これで今日の用事はおしまい。再び歩いて帰宅します。その途中のパン屋さんでパチリ。ここも案外絵になりますからね。春らしい楽しい雰囲気が伝わると良いのですが。 なお私はこんな高級なパンは買いませんよ~。安売りの美味しいパンを知ってますからね。さて、明日はどんな写真を載せようかな。どうぞお楽しみに~!!<続く>
2015.02.27
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<春に先駆けるもの> 2月中旬のある日、私は散歩に出かけた。もちろん春を探しにだ。そろそろ何か春の兆しがあるのではないかと思ってね。そしたらほら、こんなものが見つかったのさ。 これらはきっとモクレンの芽だと思うんだけど、どうだろうね。この花が咲き出すのは4月末か5月初めごろ。まだかなり先なんだけど、それでも嬉しいな♪ この地味な花は何の花だろうね? 残念だけど、この花の名前も知らないんだ。 次に見つけたのがこれ。そうミツマタの花だよ。これもかなり地味だけど、春に先駆けて咲く、貴重な花なのさ。 我が家の辺りはかつて「紙漉山(かみすきやま)」と呼ばれてね、江戸時代はミツマタを植えていたようだ。戦後は開拓地となったけど、その時に植えたのがまだ残ってるようなんだ。 こうして見たら、なかなか可愛いものさ。 そして我が家の庭で咲いてたのがこの花。小さな小さなフユシラズ。 近所の土手では、オオイヌノフグリを発見。 これも小さな花でね。デジカメで撮る時は苦労するんだよねえ。 そしてついに昨日、庭で咲いてるこの花を見つけたのさ。そうスイセンだ。いつもなら3月に咲くこの花が、今年は2月中に咲いてくれた。それでこの日も散歩に行ったのさ。もちろん春を探しにね。 そしたらこのスイセンを見つけたんだ。我が家のと良く似てるねえ。 裏庭にはこんなものが!!まだ固い蕾のままだけど、春の使者フキノトウだよ♪ それならと思って近所の農家の畑を見に行った。そこは日当たりがとっても良いところなのさ。そしたらやっぱりあったんだよねえ。こんな立派なフキノトウが。 これは春が近づいている何よりの証拠。この日はセーター姿のまま、庭や畑の草取りをしたんだよ。冬の雑草が生えていたからねえ。お陰できれいになったのは良いが、腰が痛くなったのには参ったよなあ。<続く>
2015.02.26
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東北の冬は長い。だがあれだけ鬱陶しかった曇り空も、次第に明るくなって来た。少し春が近づいたような気もするが、まだ油断は出来ない。三寒四温を繰り返しながらゆっくりっゆっくり近づくのが東北の春なのだ。このシリーズにはそんな東北人の気持を込めた。説明は少ないが、一緒に春を待つ心情を味わっていただけたら嬉しい。<空に向かって> 今は葉を落として寒々しい樹木が多いが、やがてその枝にも青々とした若葉が茂る季節がやって来るだろう。それを楽しみに、北国の人々はじっと寒さに耐えている。<続く>
2015.02.25
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重たいテーマの話をようやく書き上げた。自分の能力に余るテーマに挑むのは悪い癖だが、どうしても書きたいという気持ちを抑えることが出来ないのだ。本も読んだ。司馬遼太郎の『街道をゆく 夜話』朝日文庫2007年。柳舜夏の『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』小学館2015と交互に読んでいたのだが、不思議と全く邪魔にならなかった。司馬の本を読むのは久しぶりだったが、いつものことながら歴史や風土や人間に関する洞察の鋭さに敬服だ。 週末には4週間ぶりに走った。長い間体調が思わしくなく、自分ではもう走れないのではないかと諦めかけていたのだ。だがこの日は心も体も快調で、走りたいとの思いが湧き出していた。私が選んだのは、小川に沿う11kmのコース。途中で何人かのランナーに抜かれたが、全く気にならなかった。相変わらずノロノロだが何とか走ることが出来、とても幸せな気分で帰宅した私だった。 だが、その幸福感も長くは続かなかった。ネットサーフィン中に、突然PCが動かなくなってしまったのだ。画面に一つのメッセージが表示された。初めて見る警告だ。それ以降何度もオンオフを繰り返しても、状況は全く変わらない。仕方なく夕刻になってSOSを発信。だが、対応は翌日になるとの返事。長いお休みの時間が始まった。私は仕方なく新たな本を読み始めた。司馬遼太郎対談集『日本人を考える』文春文庫1996。対談相手の中に私が話したことのある方が2人おられた。梅棹忠夫先生と梅原猛先生だ。梅棹先生は数年前、鬼籍に入られた。 翌日も状況は変わらず、私はテレビで東京マラソンを観戦していた。8回連続で抽選漏れのこの大会。走りたかったのに一度も走れなかった東京の街。走友の何人かはあそこを走ったのだろうか。今回から初めてポリスランナーが登場した。テロ防止のためだ。日本人1位の30歳の今井選手が2時間7分台を出した。確か7年ぶりのことで、歴代6位の好成績だったはず。箱根駅伝では「山の神」と呼ばれた男だ。 ようやく我が家に救世主が現れたのは、日曜日の夕刻だった。早速PCを点検した彼曰く。「これはウイルスに汚染されたか、スパイウェアでも埋め込まれたかしてますよ」。そして何とかネットに繋がる方策を講じてくれた。スピードは遅く、これまでより便宜性はかなり悪い。それでも動き出したことがとても嬉しかった。何せ「ブログ命」の私なのだ。安心して妻に頼まれた買い物に出かけた。夕方4時から野菜が2割引きになる店へ歩いて行く。 妻が帰宅したのは夕食の途中だった。金曜日の午後から、彼女は東京に行っていた。下の孫の発表会に付き添うためだ。疲れた表情の妻。慣れない都会、慣れない付き添いで良く眠れなかった由。無理もない。羽田まで孫を迎えに行き、発表会後はまた羽田まで送りに行ったのだから。早めに風呂に入り、早々に床に就いた彼女。私はようやく簡単なブログを書いた。まる1日以上PCを操作出来なかった今回の「事件」。原因は一体何だったのだろう。 月曜日の朝もPCの不調は続いた。3時間近くかかって書き上げた文章が更新出来ないのだ。仕方なく小分けにして何度も下書きしながら進めた。結局合わせて5時間以上かかり、その後も修正に追われた。合わせてこの日はコンポスト容器の堆肥を始末し、剪定した木の枝をまとめ、土の中から大根を1本引き抜き、芽キャベツを15個ほど収穫。 コンポスト容器周辺に穴が開いていた。ドブネズミが侵入したのかも知れない。近所の小川の畔の桜の枝が切られていた。前回の雪の重みで折れた枝だ。この日は10度を超える陽気で、仙台では4月の気温。一雨ごとに春が近づくような気がする。T田氏からのメールに、宮城UMC新年会の写真が添付されていた。有難きかな走友。どうやら私も、心だけはまだランナーの端くれのようだ。明日から新しいシリーズを始める予定。
2015.02.24
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本日3回目の挑戦です。うまく作動しないので、少しずつ書き足しています。 エクソダス1 わしは最近映画を観た。男が口を開いた。映画の名は『エクソダス』。これは旧約聖書の「出エジプト記」の話なんじゃよ。古代エジプトの王に拾われて育った男が、ひょんなことから自分がヘブライ人(ユダヤ人)だと知り、大勢の奴隷と一緒にエジプトを脱出する話だ。逃げる途中紅海の水が奇跡的に引いて彼らは対岸に渡ることが出来るのじゃが、後を追って来たエジプト兵は満潮に飲み込まれるんじゃ。男の名はモーゼ。彼はシナイ山で神の啓示を受ける。いわゆる「十戒」じゃね。これは紀元前1300年ころの話なんじゃよ。 地中海に沈んでいた金貨 一方イスラム教が起こったのは610年。メッカに生まれたムハンマドがアラーの神の啓示を受ける。彼は15歳年上の女商人と結婚し、6児の父となるが男児はいずれも早死にしたんじゃ。イスラム教徒に奪われた聖地イエルサレムを奪還しようとしたのが十字軍。1096年に始まり、第9回が1272年に終わった。第1次世界大戦には中近東の地が列強に奪われて寸断される。ユダヤ民族の国イスラエルが建国されたのが1948年。モーゼのエジプト脱出から実に3250年後のことだった。 エクソダス2 だがこのことが原因でパレスチナ難民が生まれる。イスラム教徒がスンニ派とシーア派とに分かれていることは君も知ってるだろうね。それに今は数多くのイスラム過激派がいるし、民族間の対立も多いんだよ。つまり人間の世界では、民族、宗教、領土を巡っての争いが絶えなかったと言うことさ。だが、わしのなかでは「竹島問題」や「尖閣問題」は既に決着がついているんだ。なぜなら自分が正しいと考えるなら、国際司法裁判所に訴えれば良いだけの話。それが出来ないのは、疾しい点があるからだろうね。 ある意味でわしはアメリカは立派だと思ってる。なぜなら彼らは小笠原や沖縄をちゃんと日本に返還したからね。小笠原はアメリカの捕鯨基地だったことがある。江戸時代の話さ。彼らは油を採るためにクジラを追って日本近海に来た。だが日本の侍小笠原某が、それらの諸島を発見したことを知って、戦後日本に返したんじゃよ。だからあの島には青い目の日本人がいる。捕鯨船の乗組員の末裔が日本に帰化したんじゃよ。 だがソ連は違った。第2次世界大戦の終戦間際に日本に宣戦を布告し、北方領土を奪った。最大時には日本はカムチャッカ半島付近まで領有していた。その千島を樺太と交換したこともあった。アメリカが沖縄を返還したらソ連も北方郎度を返すと言っていたのだが、未だにそのままの状態だ。樺太や満洲から抑留された日本人はシベリアに連行され、重労働に就いた。そのお陰で出来たのがシベリア鉄道なのさ。だが多くの日本兵が彼の地で死んだ。 一方、中国は最近ハルピンだったかに記念館を建てた。これは朝鮮人の安重根を称える建物だ。韓国政府の求めに応じてね。彼は日本初の総理大臣で初の朝鮮総督府総督だった伊藤博文を暗殺したテロリストなんじゃよ。伊藤は自分を撃った犯人が朝鮮人であると知って、虫の息で「なんと馬鹿な」と言ったそうだ。なぜなら伊藤は朝鮮併合には一番反対していた人だったからじゃ。だが彼の暗殺後、併合は一気に進んだのじゃ。安重根の意思に反してね。 朝鮮を併合して欲しいと願ったのは朝鮮の意思でもあった。当時はロシアの南下政策が進行中で、日本にとっても脅威だったからじゃ。ともあれ併合によって日本は鉄道を敷き、大学を置き、産業を育成し、衛生状態の改善に努めた。このことによる富の収奪よりも、日本の持ち出しの方がかなり多かったようだ。そして朝鮮の整備が進むのじゃが、キリスト教徒だった安重根が暗殺したのは、伊藤が明治天皇の意思に反したと誤解したことによるんじゃよ。 さて話は変わるが、辺野古の基地前では移転反対の運動が活発化しているようじゃね。だが危険性が叫ばれている普天間基地をこのままにして良いんじゃろうか。それに海の生態系を守れなどと言っているが、船の通行に邪魔なサンゴを爆破して取り除くことは前からやっていたし、中城湾の干拓などは辺野古の比ではないんじゃよ。それにかつて石垣島のサンゴ礁を自分で傷つけて問題にしたのは、朝日新聞の記者だったよね。 昨日は与那国島で住民投票があったようだが、どうなったんじゃろうね。あれは自衛隊の設置に関する可否を問うんじゃが、今回はなんと中学生や外国人にまで投票権を与えたようだ。それが日本の国防に必要な措置とは、わしにはとうてい思えないんじゃよ。もちろん米軍基地の適正規模について論議されて良いのは当然じゃ。たった今新聞を見たら、どうやら自衛隊基地設置賛成が6割に達したようじゃね。まあ当然のことであるが、わしも安心したよ。 だが先だっての小笠原諸島の宝石サンゴを中国の漁船が盗みに来たことは皆も知ってじゃろ?あの中には海中の地形を探査する船も紛れていたと言う噂もあるんじゃ。それに尖閣と小笠原の双方で、日本政府がどう対応するのか確かめる気があの国にあったのは確かじゃろう。あの国はともかく油断が出来ない国じゃ。 さて人間にとって、それほど領土とはシビアな問題なのじゃよ。何せモーゼの時代から、いやそのずっと前からの課題じゃからのう。それに民族間の対立もね。そう言って男は深い闇を見つめた。<完>
2015.02.23
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昨日の午後からネットにつながらなくなっていました。ようやくパソコンに詳しい方に手伝っていただいて何とか復活出来ましたが、まだ悪戦苦闘中で皆様のところにもお邪魔できずすみませ~ん。昨日のブログに書いた内容を根に持って、悪質な悪戯をしたのかも知れませんが実態は分かりません。またゆっくりお訪ねしますので、どうぞよろしくお願いしますね~!!
2015.02.22
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今夜は最近わしが読んだ本の話をしよう。3日目の夜になって、風は少し治まったようだ。著者は韓国人の柳舜夏(ゆ・すんは)。この人は作家でね、3歳まで京都で暮らしていたそうだ。タイトルはご覧の通り。「帯」には「反日をやめなければ韓国は滅ぶ!」とある。必死の思いで書いた本のようだよ。そもそもわしがこの本を読もうと思ったのは、韓国人の考え方を知りたかったからなのじゃ。理由はお前さん方も予想がつくじゃろう。今日本と韓国はとても険悪な関係にあるからねえ。そう言って男は腕を組んだ。(小学館、2015年) 「日本または日本人を批判する日本人は良心的な日本人として称賛される」。本にはそんなことが書かれている。もちろん「韓国または韓国を批判する韓国人は「左派あるいは親日派」として糾弾される」ともね。 「韓国人は、こと日本に関しては、激昴する傾向がある」。「韓国では日本に関する学問研究さえ出来ないが、日本での韓国研究はこれとは反対に、非常に充実している」。そんな状況の中で、この本は書かれたのさ。 「昼には反日、夜には親日」。夜はカラオケで日本の歌を歌い、日本料理を食べたり日本酒を飲む人が結構いるみたいだね。「韓国人の短所が、そのまま日本人の長所となっている」。作者はそんなことを書いている。また「韓国には日本人をさげすむ言葉がたくさんあるが、日本語には韓国人をさげすむ言葉はほとんどなく、朝鮮人、韓国人と言った当たり前の表現しかない」。作者はサラリーマンとして何度も日本に来、日本人と接した経験がそう言わせているようだね。 「反日の裏にある慕日」と作者は表現する。どうやら韓国人の激しい反日の陰には、日本に対する羨望や称賛や畏敬の念が隠されているようだ。古代から朝鮮半島の国々は、倭(大和)とことごとに張り合って来た。そして近代になってから日本はアジアで一番先に先進国の仲間入りし、韓国はその日本に36年間もの間併合されたことが、強い屈辱感として今でも彼らの胸の中にしっかり刻まれているのだろう。 日本と韓国の差が開いた原因を、作者は儒教のせいと考えている。李氏朝鮮王朝時代、儒教は政治を縛り、人々の暮らしを縛っていた。だが儒教の精神は学問上の形式だけで、両班(やんぱん)が実践したことはない。これに対して江戸時代の日本が選んだのは陽明学。これは実学で武士達は実践を重んじた。つまり武士道は現実の世界で生かされ、韓国では今でも形ばかりの儒教精神に拘っていると言う訳さ。元々「兄」の朝鮮が「弟」である日本に物事を教えたと言う気持ちが今でも強いんじゃよ。 「韓国(朝鮮)の官吏はほとんど不必要な悪的存在」。作者はきっぱりと言う。「現在の韓国の統治者達も、国民と国家のためにはほとんど不必要な悪だ」。「建国以来大韓民国を駄目にし続けているのは法治の不在」。なるほどこれは思い当たるものがあるねえ。「法を握る支配層の国会議員の前科者数は大韓民国が最高」。これも聞いたことがある。確か半数以上の議員は収賄などでの逮捕歴があったはずじゃ。だが、そこまではっきり書いて、作者は大丈夫なのかと逆に心配になるのう。 「法を執行されなければならない人達が公然と保護され、この保護にメディアまで同調してえこひいきする」。「政治が100回変わってみても効果がない。政治家達や社会の指導層が何かをするというのは幻想である」。例の「フェリー沈没事件」や「ナッツリターン事件」を見ても、韓国の闇は深そうだ。何せ財閥と政治家が癒着し、前政権は必ず後の政権によってその悪が暴かれているからのう。 この本には作者の日本に対する誤解も一部にあった。また翻訳の手違いも一部に感じられた。日韓の文化の比較や、両民族の考え方の違いなどもっと掘り下げて欲しい部分もあった。だが、これだけの内容を良く勇気を持って書いたと、わしは感心してるんじゃよ。何せあの国では、日本の真実を伝えたり好意的に書こうものなら、学会やマスコミからつまはじきに遭うんじゃ。最後に作者の願いを記しておこう。 「お互いに反日や嫌韓、独島・竹島、歴史問題で不毛な論争を続けることは愚かなことだ。現在両国に差し迫っているのは中国の脅威である」。わしはヘイトスピーチには反対じゃ。そして「嫌韓論者」などとの評判も全く気にはしていない。わしが知りたいのは「真実とは何か」だけなのじゃよ。<続く>
2015.02.21
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日本人は本当に残虐な民族なんだろうか。男がつぶやいた。窓の外では風がうなっている。今は厳しい冬なのだ。わしもかつての戦争で日本軍が何を行ったかは知ってる積りだ。それに関東大震災の時に、朝鮮人や社会主義者が殺されたことも。だが、中国であったとされる南京大逆殺のことは良く分からないんじゃよ。男は悲しそうに瞬いた。今日はわしが知ってることを整理してみようか。そう言って男は遠くを見つめた。 疑問は先ずその数なのじゃ。中国は30万人が殺されたと言っている。だが南京市の当時の人口は20万人程度なのじゃよ。だからたとえ全部の市民を虐殺したとしても、まだ10万人も余ってしまうのだ。当初中国政府は虐殺されたのは20万人と言っていた。だが我が国が反論しないとみると、さらに10万人増やした訳だ。どうして犠牲者の数を増やす必要があるんだろうね。20万人としても、全市民を殺すことなどあるのだろうか。なぜ南京市だけ全滅させる理由があったのかも分からない。 南京を攻略した部隊の隊長は松井石根陸軍大将だ。彼は孫文の唱えた「大アジア主義」に感銘を受けて中国の駐在武官を志願したと言われている。その彼が昭和12年12月23日に起きたとされるこの事件を知ったのは戦後のことのようだ。全く不思議な話だ。だが彼は東京裁判では事件を自分の責任だとした。当時の部下には皇族がいたんだよ。検事役を務めたジョセフ・キーナン検事は裁判後語ったそうだ。「なぜ彼は自分の責任と言ったのだろう。あれは部下のせいなのに」と。 99歳の元日本軍兵士は証言する。「私達の部隊は厳しい監視下にあったし、規律も守られていた。婦女子には決して手をかけないよう厳命されていた」と。だが、そんなことなど聞く人はいない。そして貴重な証言も、高齢化に伴って失われてしまうのが残念だ。また別の証言では、進駐した日本軍と市民の居住区は仕切られていて、お互いに入れないようになっていたと言う。 ともあれ昭和59年8月4日付朝日新聞大阪版夕刊に載った生首の写真は、中国軍が切り落とした馬賊(中国人の強盗)の首であることが判明したんじゃ。そして中国の唱える大虐殺は、英国紙の特派員だったハロルド・ディンバリーが書いた『戦争とは何か』が根拠であることも分かった。当時彼は中国国民党宣伝部顧問として党から資金の提供を受けていたそうだ。これは明星大学の勝岡寛次氏(戦後教育史研究センター)の研究で明らかになっている。 その著書に記された死者の数は20万人。市民全てが日本軍に殺されたことになる。だが通常兵器しか持ってなかった日本軍が、どうして短期間にそれだけの数の市民を皆殺しに出来たんだろう。参考までに上げると、広島原爆で亡くなった方が14万人、長崎原爆で7万4千人、全部で106回あった東京空襲の最大時(昭和20年3月10日)の犠牲者が8万4千人、この合計でようやく29万8千人なんじゃ。 どう考えても日本軍がそれだけの人を短期間に殺せる訳がない。それに「大虐殺」があったとされる1カ月後には、南京市の人口が何と25万人に増えている。そんな不思議なことがどうして起きるんだろうなあ。 恐らく実態は南京郊外での戦いも含めて日本軍が殺傷したのは2、3万人と言われているが、今となってはそれを証明するものはないんじゃ。日本社会党(当時)のカンパで作られた南京市の歴史博物館は、日本軍の蛮行を世界に訴える内容となり、その後各地に同様の博物館が続々建てられて行った。戦争の賠償代わりだった日本の巨大なODAのお陰で、中国は人工衛星や有人衛星まで打ち上げる大国となり、今や世界第2位の経済力を持つようになったんじゃが、中国国民はそのことを知らされてはいない。 戦争とは実に醜いものじゃ。異常事態に置かれると人は人を平気で殺す。戦後ドイツの戦犯は裁かれ、「人道に反する罪」で死刑になった。だが、日本軍戦犯は「平和に反した罪」で裁かれたのじゃよ。つまり人道に反したとされる証拠が乏しかった訳じゃ。だが、中国が抗日戦争勝利70周年を迎える来年に向けて、一層我が国を攻撃することは目に見えている。 さて、広島の原爆の碑には確かこう書かれていたはずじゃ。「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と。それこそ人道に反する兵器、原爆を落としたアメリカを非難せずに、自らの行動を省みる日本人とは一体何なのだろうねえ。男の目が哀しそうに光った。外はまだ強い風だ。<続く>
2015.02.20
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日本人は本当に残虐なんだろうか。男は口を開いた。どうやら外は吹雪のようだ。例えばアメリカインディアンについて考えてみよう。男の目が闇に光った。コロンブスが新大陸を発見してから、現在のアメリカ合衆国にはヨーロッパの人達が大勢押し掛けた。スペイン人はもとより、フランス人、イギリス人などもね。そして清教徒達が自分達の国を作るために母国イギリスと戦い、フランスから土地を買い、やがて西部に進出して行く。 やがて太平洋側で金が発見され、人々は争って西部に移住した。つまりゴールドラッシュだね。当然原住民のアメリカインディアンは抵抗するさ。わしが知ってる部族はスー族、アパッチ族、モヒカン族、ナバホ族くらいかな。映画の西部劇では白人達が主人公で、インディアン達はほとんどが悪役さ。彼らを抑えるため1830年にはインディアン強制移住法が制定され、それを拒否する部族は皆殺しにしても良いことになった。全く酷い話さ。 アメリカインディアンは元々1千万人いたと言われている。だが、そのうちの95%が死んだ。白人との戦いで命を落とした人が多いのだが、白人のもたらした病気で死んだ者も多かったようだ。彼らは新しい病気に対する免疫が全くないからねえ。それに南部で綿花を栽培するようになると、アフリカからは大量の黒人が奴隷として連行されたことは君達も良く知っているだろ。黒人に対する処遇も実に哀れなものだった。 一方、日本はどうだろう。日本列島の原住民は縄文人だ。そこへ大陸から弥生人が稲を携えてやって来た。彼らは縄文人と棲み分けが出来たため、大きな争いにはならなかったと思う。縄文人は主に山や原や海岸で食べ物を採集し、弥生人は湿地帯で稲作を行ったからね。やがて縄文人達も稲作の重宝さに気づき、両者は次第に混血するようになる。これがわしら日本人の先祖なんじゃよ。 さて、北海道の原住民がアイヌだと言うことは君達も知っているじゃろう。わしが知ってるアイヌ族は3つ。千島アイヌ、樺太アイヌ、そして北海道アイヌ。これらのアイヌ族は親戚のような関係だったようじゃね。そこへ日本人が進出したのは南北朝時代ごろかのう。戦いに敗れた武士達が当時蝦夷が島と呼ばれた北海道に逃げ込み、小さな砦を作ったのが始めだったのさ。そしてアイヌたちと通商を始めるんだ。 当然和人とアイヌの間にも戦いは起きた。コシャマインの戦い(康正3年=1457年)やシャクシャインの戦い(寛文9年=1669年)などのね。でも死んだのは双方合わせて数十名から数百名程度のもんじゃろう。やがて砦は松前藩の元になり、明治期に入ると本格的な北海道の開拓が始まる。もちろんここではインディアンを皆殺しにしたようなことはしない。土地を交換しながら開拓地を広げていったんじゃ。ただしアイヌには土地の概念や数の概念は乏しかったから、和人に騙されたことも多かっただろうがね。 もう一つ比べてみたいものがハワイ王国のこと。カメハメハ一世が建国したハワイ王国は、ほぼ100年で滅亡した。最後はより親米的な王権樹立のため1893年にクーデターが起こり、共和制となった。そして1898年にはハワイ準州となるんじゃよ。ハワイがアメリカの一部となってから、まだそれほど日が経ってない。もっともアメリカ自体の歴史だって、300年ちょっとくらいだからのう。 一方の琉球王国と日本との関係はどうじゃろう。こちらはハワイ王国と違って異民族ではなかったが、地理的に遠かったため日本とは別の国として成立した。そして中国へ使者を送り、形式的に臣下となることで貿易を進めて繁栄したのが島津藩の目に留ったんじゃ。島津は江戸幕府に願い出て琉球を討つことになった。東北へ漂着した琉球船を救出したにも関わらず、王国が礼を言って来なかったのもその口実になったようだね。 琉球に侵攻した島津はわずか3日間で王国を征服した。この王国は100年ほど前に武器を全て倉庫に入れ、すっかり錆びて使えなくなっていた。慶長14年、1609年のことさ。それ以来琉球王国は中国と日本の両方に従属する形を取る。ただし、そのことを中国は知らなかった。なぜなら大陸から柵封使が来ると、島津の役人達は皆田舎に隠れて姿を現さなかったからねえ。 明治5年、政府は琉球王国を琉球藩とし、明治8年には琉球と清との国交を禁じた。これには琉球の士族は戸惑ったようだ。さらに明治12年には漂流した琉球人が台湾の蛮族に殺されたことを理由に清国から賠償を取り、同時に琉球藩を沖縄県にしたんじゃよ。これがいわゆる「琉球処分」なんじゃ。島津の侵攻と言い、琉球処分と言い、ほとんど血は流されていない。明治維新ではたくさんの血が流されているにも関わらずだ。 大城立裕著「小説琉球処分」には、その時の情景が詳しく書かれている。琉球人は嘆き悲しみ、中には清国に助けを求めて脱出した士族もいた。だが当然清国は琉球を助けるような状況にはなかった。自らがヨーロッパの列強に蚕食され、どうにも出来ない立場にあったからじゃ。仲間由紀恵が主役だったテレビドラマ「テンペスト」などは嘘。当時の沖縄にはあんなヒーローはいなかった。 ペリー提督が浦賀水道に現れる以前、黒船は琉球にも立ち寄っている。水や燃料を補給するためじゃ。もちろん琉球王国は開国に同意はしなかったが、ペリー一行は上陸出来た。一行に加わっていた絵師が描いた琉球人の士族はいずれも暇そうに煙草を吸っている。何もすることがなかったからじゃ。そして「琉球処分」の時でさえ、彼らはほとんど役に立たなかった。開国か攘夷かを巡って真剣に論議され、日本人同士が戦っていたちょうどその時にだ。 初代の沖縄県令(現在の県知事)は横暴で、内地人に優先して土地を安く譲り、権利も与えた。それらの現実を見た県の技官謝花昇は苦悩のあまり狂死する。彼は東京農林学校を出た秀才だが、同胞である沖縄県人のあまりもの無気力に失望したのじゃ。沖縄の税制が本土並みになったのは明治後年になってから。これも琉球の旧士族をなだめるための策で、それで沖縄の振興が遅れた面もあるんじゃよ。<続く>
2015.02.19
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デジカメを買ってからもうすぐ2年になる。私は緑内障のため視野が欠け、物が歪んで見えたりして苦しいのを、デジカメが補正してくれて助かる。おっかなびっくり使っていたのだが、今ではブログに欠かせない良い相棒になった。文字だけの日記やブログを10年以上続けて来た私だが、写真を入れることによって、表現の幅が大いに広がった。昨日も歩いて眼科に行きながら、自分で面白いと思う写真を70枚ほど撮った。 今日はそんな風にして撮った中から、テキトーにタイトルをつけた写真を何枚か紹介したいと思う。一緒に楽しんでもらえたら嬉しい。 「3個のブローチ」 「音符とリズム♪」 「虎刈りの頭」 「大混線(1)」 「大混線(2)」 「籠の中」 「あれっ、飛び出しちゃった!」 「リースはいかが?」 「2個の抹茶アイス」 「今夜は豆まき」 「ひょっこりもっこり」 「ひび割れ」 「ダンゴムシ」 「保護色」 「トナカイの角」 「雪・汚れちまった悲しみに・・」 「「の」の字」 「信じる?信じない?」 「苦あれば楽あり」 「捕まった子供たち」 「一時停止!」 「横綱の土俵入り」 さて、「ゲイジュツ写真」の数々、楽しんでもらえたでしょうか?
2015.02.18
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今日は何の説明もしませんでした。どうぞ皆様も自由に感想をお書きくださいませ~!!
2015.02.17
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先日米を買いに行くついでに、道路の工事現場を見に行った。工事の進捗状況が気になったからだ。工事現場はさる老人医療施設の構内の直ぐ横。こちらが現場の北側に当たる。邪魔にならないギリギリの場所まで進み、谷を覗き込む。 ここは取り付け道路で、その先に新しく架けている橋があるのだが、遠過ぎて見えない。 その先へ進むと、擁壁の部材のようなコンクリートの型が道端に置かれていた。 この辺りからだと道路はかなり完成しているように見えるのだが。 ギリギリ先端まで行くと、道路の真ん中にはまだ岩山が残っていた。これを全部崩さない限り、道路の開通はあり得ない。 買った米を自宅へ置き、再び撮影に行く。今度は谷の底からの撮影。ここは先程の現場から500mほど南に下がった場所。 大きな橋を支える橋脚は、かなり頑丈そうに見える。 橋の南側は団地。新しい道は橋を含めてもわずか1kmほどの距離しかない。 この道路は地下鉄の新しい路線の終着駅に続く近道になる。だから道路の竣工は、地下鉄の開通より前になるはず。とすると、今年の12月初めには竣工すると思うのだが。 住宅の上を跨ぐ橋。右下の小川がこの結構深くて広い谷を、何万年もかけて作ったのだ。 土手を登って橋の南側へ向かう。この辺りは気温が低いのか、まだ雪がたくさん残っていた。 こちら側からも、前方の道路上に岩山が残っている様子が窺える。そして橋の上には色んな作業車が。 この道路が出来たら、南側の団地の人はこれまでより少なくても15分は時間を短縮できるはずだ。 橋の工事が中断されていたのは、年末年始のわずかな期間だけだった。それだけ工事を急いでいるのだろう。 川幅わずか2、3mの小川がこれだけ広くて深い谷を作り、これまでは大きく迂回する必要があったのだ。 橋と取り付け道路が完成したら、交通はかなり便利になるはずだ。そして周囲の風景も、変わって来るに違いない。新しい道路の竣工を楽しみにしていよう。 さて、今日から突然ブログの入力形式が変わったようだ。写真と文字入れの感覚がこれまでと全く違って戸惑う。直接写真が見えるのは良いとしても、バランスが悪いため後でやり直すことになる。 いつものことだが困ったものだ。
2015.02.16
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昨日はいつもよりかなり遅く目が覚めた。慌ててブログを更新し、自室を掃除する。妻の依頼で畑の中から大根を掘り出し、外の水道で洗う。冷たい水だ。朝食後は掃除機の中のゴミを取り出して掃除し、いつも通り風呂の掃除。その頃から結構雪が激しく降り出した。 洗濯物はヒーターを点けている居間に、妻が干した。私は和室に妻が飾った雛人形を撮った。これは42年前、長女が生まれた年に妻の母が買って、私達が当時住んでいた筑波までわざわざ送ってくれたものだ。それを懐かしく思って、一部分だけ出したのだろう。 もう雪景色は撮らなかった。まだ前に撮った写真が残っているので、それを使えば良い。雪はまだこれからも降るだろうし、雪景色が続くと中にはうんざりする人もいるだろう。雛人形に続いてシンビジウムを撮った。春の色がして暖かい気分になる。そのうちそれらを載せたいと思うが、今日はまだ雪景色で我慢してもらおう。 1月31日 自宅の庭 1月30日 自宅の庭 南天(左)とモッコウバラ(右) 1月30日 自宅庭 クチナシ 2月10日 木の根元 2月10日 子供達が遊んだ後 2月10日 雪の畑 埋もれているのは白菜です 2月10日 小川の傍の木立 2月10日 竹藪(左)と土手(右) 2月10日 木立 2月10日 古井戸 2月10日 丸太 2月10日 林の中の小道(左)と丘の上の家(右) 2月10日 坂道(左)と土手(右) 2月10日 畑(左)と壁面(右) 2月10日 近所の小川 12月18日 沼1 12月18日 沼2 これで雪の写真は使い切ったと思ったら、昨年の暮れに撮ったのがまだ何枚か残っていた。それもいずれ、何かの形で生かしたいと思う。この日はバレンタインデーであることに気づいた妻から、夕方チョコレートをもらった。運動もせずに毎日チョコレートを食べていたらどうなるか、実に怖~い実験だ。
2015.02.15
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先日米を買いに行ったスーパーマーケットは、高級住宅街の一角にある。そこは私が30年以上全国を転勤していた間に出来た団地。どの家も敷地が広く、高級感が漂っている。だが最近は、その立派なお家にも空き家が目立つようになった。表通りの店もお客が減ったせいか、閉店したり更地になったりして、すっかり様変わりだ。その道路の直ぐ傍に、しもたや(今は商売してない店)があり、店頭に幾つかの盆栽が並んでいる。 冒頭の看板が表通りの壁に張られている。これは商売とは言えないだろう。自分の趣味で開いたお店だが、お客など誰もいないように見える。そして道路に面する日当たりの良い場所に、盆栽が道行く人を静かに見てるだけだ。盆栽の知識はないが、本人が楽しめればそれで良いのかもしれない。私は盆栽が植えられた、木の容器が気に入った。恐らくは流木などで作ったのではないか。今日はそんな街中の盆栽を、私と一緒に楽しんで頂けたら嬉しい。 盆栽は「小さな宇宙」とも言われる。小さな植木とそれを盛る容器に、一つの小さな世界がある。今は冬で、広葉樹の葉が落ちた盆栽は、かなり貧弱に見えるかも知れない。だがそれすら一つの趣なのだろう。静かな住宅街の一角にある誰も入らないお店の前の盆栽だが、私は通り過ぎながらその風情を楽しんでいる一人だ。 最後に「おまけ」を一つ。これは盆栽のあるアトリエから少し先のお店の前にある石。これは大昔木だったのが石化した「硅化木」(けいかぼく)と呼ばれるもの。仙台市内でも何箇所かで見つかり、中には天然記念物に指定されている物もある。これも不思議な雰囲気を持っていて、良く見るとなかなか楽しい。なお、今朝は寝坊して、ブログ更新がかなり遅れてしまった。
2015.02.14
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一日中家にいると、色んな電話がかかってくる。保険の勧誘、冠婚葬祭、牛乳の配達、金や宝石の買い取りなど様々だ。電話帳に載せていないはずなのに、相手はどうやって調べるのかが不思議。かなり前には「オレオレ詐欺」の電話もあった。次男にそっくりの声だったが、翌日妻が話して、次男じゃないと見破った。 先日はネットの乗り換えのことで電話があった。ちょうど昨年の今ごろ、かかって来た電話でブロバイダーを変えて、とんでもない目にあった。今回はそのブロバイダーの親会社とのこと。まだ若くて騙すような感じではなかったが、我が家が受けた実例を上げて苦情を言った。姿の見えない商売は怖い。まあインターネットそのものが姿が見えないものではあるのだが。 台所の食器戸棚を新しい物に替えてから、半月経った。以前の物は東日本大震災の大きな揺れにも耐えまだ使えたのだが、妻は不便だと言い住宅メーカーに取り付け工事を頼んだのだ。確かに使い勝手は良くなった。図体は小さいのに収容力はアップしている。隙間にHCで買った棚を吊ったのだが、妻は気に入らず、私の部屋で文庫本を納める本棚として使用している。これがなかなか重宝だ。 数日前、妻に頼まれて近所のスーパーへ行った。玄米を10kg買い、3分搗きにしてもらう。色は黒っぽく少し堅いが栄養満点。我家では圧力鍋で炊いている。この日はポイント10倍の日。消費税込みで2700円が2万7千円相当になる。そのポイントで650円ほどの開き2匹が入ったホッケと交換した。つまり美味しそうなホッケが「ただ」でもらえた訳。 10kgの米が入ったリュックを背負って坂道を下る。散歩がてらの運動になるし、ブログ用の写真も撮れるし、第一に家計も助かる。これは一石三鳥。妻も大いに喜んでくれた。 昨日、確定申告を済ませた。会場までは8km以上はあるだろう。そこを自転車で行く。前日も行ったが、会場は閉まっていた。建国記念日であることを失念していたのだ。建物の中に入ると70分待ち。その間に2冊の本を交互に読んでいた。順番が来て前整理から始まる。税務署の職員は若い女性。まだ経験不足で時間がかかり、必要書類の選別に手間取った。 パソコンでの入力場所に移動すると、アルバイトの女性が書類に不備があると言う。税務署の男性職人に確認すると、先刻不要とされた書類が使えることが分かって一安心。医療控除も10万円未満だったが申告。残念ながら還付金はなく、逆に税金を若干額納入することになった。帰路は全て登り坂。前日は向かい風だったが、この日は穏やかで助かった。 昼食後、デジカメを持って散歩に。妻がフクジュソウが咲いている家を教えてくれたのだ。家は直ぐに分かった。断って庭に入り、写真を撮らせてもらった。今年初めて見たフクジュソウ。きっと日当たりが良い場所なので、こんなにも早く咲いたのだろう。黄色くて良く目立つ花が、心まで明るくしてくれる。 さらに坂を登ってロウバイを捜す。これも妻に場所を教わったのだが、前回は見つけられなかったもの。今回は首尾良く塀の直ぐ傍の木に、蝋細工のような花がたくさん咲いているのを発見。蕾も半分ほどあり、この先も楽しめそうだ。帰宅途中にオオイヌノフグリの小さな花を見つけた。そして庭の一角ではスイセンの蕾も発見。妻は夕刻、確定申告を郵送した由。 気になっていた案件を済ませたせいか、肩の重荷が取れたようだ。私はきっと小心者なのだろう。それもまた良し。税金をちゃんと納めるのは国民の義務だ。それにしても受給する年金の額は減る一方で、強制的に引かれる介護保険料などは上がる一方。国民年金だけで暮らすなんて、到底無理な話だ。 最近ブログのアクセス数が乱高下してるのは、どうやら「ハリーポッター」のことを書いたせいのようだ。ここ2日間は通常の3倍ほどのアクセス数にまで上がった。「サンデー毎日」の年寄りにとっても、驚かされることが結構多い日々だ。散歩がてら撮った様々な写真は、近く紹介する予定。どうぞお楽しみに~!!
2015.02.13
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自分らしく生きる 一日に一つ なにか有意義なことをやれたらいいね 玄関掃き 風呂掃除 新聞紙など資源ゴミのまとめ方 散歩や買い物や読書 写真を撮るのだっていい ブログなんて最高 だってそれは人生の凝縮だもの 考えてみれば この歳まで生きて来たことでさえ なんだかすごいことのようにも思える もうよろよろとしか走れなくなった俺だが いくつかの病気にも耐え こうして案外元気に暮らしているのだから 以前 整骨院の先生の奥さんが言っていた 「世の中にはオシッコが出なくて困っている人もいるんだよ」と 「超音波治療を受けた後はオシッコが出過ぎて困る」 あれは思わず俺がつぶやいた時のことだった そうかオシッコやウンチがちゃんと出るってことは とても大事なことなんだと 俺はその時初めて思い知らされた 一日に一つ なにか意味のあることができたらうれしい 一人の人間として そして生かされていることの証として 今日の詩はそんな風にして生まれた 2015.2.11
2015.02.12
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<爺ちゃんのつぶやき> 楽しかったね、大阪の遊園地。いつもは離れて暮らしている家族が爺ちゃんの古稀を祝うため、大阪に集まってくれた。爺ちゃんはこの日の朝早くホテルを出、遊園地に入る順番待ちをしてたんだよね。 それもこれもハリーポッターを2人の孫に見せるため。爺ちゃんは遊園地が開くのと同時に走ったよ。退院後まだ2日しか経ってなくて心配したけど、約1kmを必死に走ったさ。 Mちゃん、Rちゃんも一緒に走ってくれた。離れて暮らす2人の孫と会えたのは7年ぶりのこと。嬉しかったよ、爺ちゃんも。 一生懸命走ったお陰で、30分待ちでハリーポッターの建物へ入れたんだよね。この不思議な街を通り過ぎて。そして、後からこの街の上をみんなで飛んだんだよね。 爺ちゃんはハリーポッターのことは魔法使いの子供くらいとしか知らない。でも2人は一生懸命に下調べして来たんだよね。 不思議な乗り物に乗って飛んだ魔法の国の空のこと、爺ちゃんは忘れないよ。ずっとこれからも。 2人はこの汽車の前で、外国人のイケメンのお兄さんと写真を撮ったんだよね。昨年のベストショットと、年賀状に書いてあったっけ。 工場の火災ショウには驚いたね。本当に目の前で炎が上がったんだもの。 最前列で見たもんだから、熱かったよね本当に。 何きょろきょろしてんの、お母さん? どう?楽しめたかなMちゃん。今年はいよいよ高校受験の最上級生だもんね。楽しかったかなRちゃん。東京での発表会頑張ってね。婆ちゃんも応援に行くから。 色んなショウを楽しめたかな、お母さんとお姉ちゃん。お姉ちゃんと会ったのも7年ぶりのこと。これからも元気で2人の子供を頑張って育ててね。<続く>
2015.02.11
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<遊園地での会話> 昨年の9月、家族が大阪に集まって行ったのがこの遊園地。 遊園地の直ぐ傍には近代的なビルディングがニョキニョキと。 園内には大きな池があってね。 池には船も浮かんでいる。 おいおい、ここって本当に遊園地なの? ふふふ。小さな船着き場もあるけど、みんな作ったものなのさ。 そして池の畔には、再現された街もあるんだよね。 それじゃ、ちょっと街の中を歩いてみようか。 ふ~ん。ここって日本じゃないね。 ハハハ。ここはアメリカさ。それも古い時代のね♪ そうか。つまり古き良き時代って訳ね。 まあ、そんなとこかな。それにしてもこの建物、何だかとっても良い感じだね。 おいおい、「ビバリーヒルズ」って書いてあるよ~っ!!そうさ。ここは映画の街でもあるんだ。 どおりで何だか楽しそう♪ 道端ではスチールドラムの演奏もやってるしな。 ふ~ん。カリブの国から来た本物みたいだねえ。 ハロウィンの飾りまであって、何だか楽しそう だから言ったろ。ここは夢の国、それに映画の街でもあるんだ。 ふふふ。それに園内にはジェットコースターもあるしな。 どれどれ? ほら、目の前にちゃんと見えるだろ♪<続く>
2015.02.10
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問題です。この花、一体何に見えますか~?答えはサル。花の上の方がサルの顔に見えるでしょ?先日ネットのニュースに載っていました。「モンキーオーキッド」と言う名のランの仲間なんだそうです。直訳すると「サルのラン」。まさにそのものズバリの名前ですね。 では2番目の質問。この花の名前はなんでしょう?花弁の色も変わってますが、花弁に細かいイボイボがあるのが特徴です。これはつい最近カンボジアの山中で発見された新種。従ってまだ名前は付いてないんですって。これもネットのニュースで知ったランの仲間なのだとか。 土曜日の夜は町内会の役員会がありました。そこでの話ですが、仙台市内の町内会はどこも高齢化が進んでおり、町内会同士の合併話も出ているのだとか。最近は「空き家」が目立つ代わりに子供の姿をあまり見かけなくなりました。それだけ活気がなくなっているのでしょう。予算もその多くを高齢者を対象にした行事に割いていると、会計担当の役員がこぼしていました。 我が町内会の役員も、一番若い人で70歳。会長は80代近いですが、まだまだ元気です。ここ数年役員改選の話が良く出ますが、実現はしていません。私も年度末のこの時期、毎回役員になるよう誘われていますが、固辞しています。不整脈のためこれまで3回入院して手術や処置を受けている身。一日のうちにも体調の好不調の波が激しいのです。数年前までは元気で走っていたため、きっとその印象が強いのでしょうけどね。 長年の走友であり、徳島県鳴門勤務時代の上司でもあったT氏から喪中葉書をいただいたのは、昨年の暮れのことでした。亡くなられたのは奥様。亨年は私と同じ70歳となっていました。HPに奥様の闘病記を書いたとの文章があったことを思い出し、数日前にその掲示板にお悔やみを書きました。それが偶然にもちょうど一周忌の日だったようです。 奥様はすい臓がんでした。余命半年と聞いて奥様がされたのは身辺整理と預貯金の解約。そのうちの一部をお子様に生前分与され、病院を退院して自宅療養されていた由。それまで作られていた俳句の中から160句を自ら選び、句集を刊行されたと書かれていました。覚悟を決めた見事な最期、見事な生き様だったと心から感服しています。 T氏はじめお子様達の看病も大変だったことでしょう。でも最後に思い出の家族旅行もされたようで、奥様は静かに天国へ旅立って行かれたとのことです。きっと強い痛みもあったことでしょうし、苦しい思いをしたことでしょうが、最後の最後に従容として死の旅路につくなど、なかなか出来ることではないでしょうね。T氏からは昨夜私のブログに長いコメントをいただきました。改めて奥様のご冥福をお祈りいたします。合掌。 さて、昨日は新年早々に亡くなった義兄の納骨でした。時間前にお寺に着いたのですが、まだ本堂は閉まったまま。軒下には雪が積っていました。お墓に行くと、石屋さんが納骨の準備中。その彼がお坊さんに電話してくれ、ようやく中に入れました。でも本堂は冷え切ったまま。どうやらお坊さんは自宅からこのお寺へ通っているみたいで、普段は無人なのでしょう。数年前、まだ先代が居られた頃はこんなことはなかったのですが。 納骨をしてくれた石屋さんによれば、動かした花立ては小さいながら1個で65kgあるのだとか。それを素手で持ち上げていました。大変な重量があるんですねえ。妻の実家のお墓は、4年前の地震と津波で被害にも遭っているのです。石屋さんは若い息子さんと一緒でした。目下見習い中なのだとか。家業を引き継いでくれる人がいるのは、有難いですね。お寺の一角に、無縁仏を祀るお堂が新しく出来ていました。今はそんな時代なのでしょう。 無事納骨を終えて帰宅すると、テレビでは「いわきサンシャインマラソン」のニュース。私も3度走ったフルマラソンですが、すっかりそのことを忘れていました。4年前は4時間15分台で完走する力がまだ残っていたのですが、今は目まいや息切れに悩まされている日々。月日とは実に残酷で、レースは「過去形でしか話せない世界」になりました。でもその思い出があるだけ私は幸せなのでしょうね。多くの走友のレースぶりが脳裏に浮かんだ夕暮れでした。
2015.02.09
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日が長くなった。そして日差しが少し春めいて来た。北欧の人々はかつてクリスマスよりも冬至を祝ったとか聞いた。緯度の高い地方は昼の時間が短い。それでも冬至が過ぎれば少しずつ日が長くなり、雪や氷が融ける春が近まるからに違いない。春の訪れを待つ北国の人間は、皆同じ気持ちなのではないか。 私は暫く走っていない。体もそうだが、心が私を走らせなかった。寒さのせいでも、体調の悪さでもない、ただただどうしても走りたいと言う気持ちにならなかったのだ。そうして日がな一日、私はパソコンの前に座っていた。あれほど体を動かすのが好きだったのに、今ではようやく散歩に出かける程度。きっと心も体も歳を取ったのだろう。 そうまで私が執着していたのはブログ。思うように走れなくなってからは、最大の関心事で、最大の趣味になったようだ。LINEなどしたことはないが、苛めや犯罪につながる不健康なものとの印象が強い。ツイッターなど、単につぶやくだけ。なるほど「速さ」はあるが、情報量は少ないと思う。ではフェイスブックは?それもやったことはないけど、お友達の申請など、付き合いの範囲が限られて窮屈なのではないか。 その点、ブログは良いよね。情報量が多いから好きなことが書けるし、写真だってたくさん載せられる。それに交友範囲も広いもんね。でもその分たまにだけど変な書き込みがあって、迷惑することもある。パソコン上で日記やブログを始めてから私は多分13年くらいになる。ずいぶん色んなことを書いて来たし、とても楽しみだったんだよね。それが最近妙なことが起きてるんだ。 3か月ほど前のことだが、アクセス数が急に伸びた。変だなあと思ったが、その後も落ちずに続いたんだよね。これは俺のブログも人気者になったのかと、ついそんな気になったのさ。それが2、3日前から急落。昨日などは以前よりも少ないほどまでに落ちた。これはショックだねえ。老後の楽しみのブログ。その楽しみは大勢の人が見てくれることでもある。それがこんな風に急激に減ると、正直ガッカリするんだよね。 ひょっとして、これって楽天ブログの謀略なのかなあ?ブログの利用者が減ると、広告主も減る。そうなるとIT企業としては困る。それを避けるため、一時的にアクセス数を「水増し」する。その「サービス期間」が終わると、前よりもさらに減ってしまう。ひょっとしてそんなからくりになってるんじゃないかと疑っているんだよね。何せ以前は「自動巡回」なんてシステムがあったくらいだからね、楽天ブログには。 まあ俺の場合、たとえアクセス数がどんどん減っても、ここで頑張るしかないね。たとえ他所へ行っても増える保証はないし、第一メカに弱い俺には写真を搭載する方法などが変わると、それだけで付いて行けなくなるもんなあ。テーマだって読者が飽きないよう工夫してる積りだし、写真だって頑張ってるんだけどなあ。まあ、歳を取ってレースや旅行に行けなくなると、それも残念ながら減ってしまうだろうけどね。淋しい話けど、今日のブログはそんな心のつぶやき。
2015.02.08
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<アゲイン~28年目の甲子園~> 甲子園への使者は男の自宅の前で待っていた。使者は神戸大学の女子大生。かつて甲子園を目指していた男に、もう一度甲子園を目指さないかと誘いに来たのだ。女子大生は「マスターズ甲子園」を企画する神戸大学の教授の指導を受ける学生。男は28年前、県の決勝戦前日に試合を辞退した高校のOBだった。 当時の仲間だって、一体何が起きたのか分からない。だが、ふとしたことから挑戦することになった。男達はあの悔しい思い出を、未だに引きづっていたのだ。そして女子学生の過去も分かる。意外にも彼女こそ辞退の原因となった部員の娘だったのだ。そして当時のマネージャーがかつての仲間の前で真実を告げる。 重松清の小説を映画化した作品。出演者は中井貴一、柳葉敏郎、和久井映見、西岡徳馬など。どう見ても高校時代に硬式野球をしていたようには見えない俳優達ばかりだが、それでも観客を泣かせ、魅せる演技をするのがさすがだ。私は若い頃軟式野球をしていたことがある。次男も少年野球をやっていた。だから野球にまつわる思い出は多い。そのことを思い出して、私は何度も涙を流していた。これは男の映画なのだ。 奇跡的に男達のチームは強豪を破って県の代表となり、28年ぶりに甲子園に出場する。結果がどうなったかは書かないことにする。試合後、甲子園球場内で選手と家族はキャッチボールが許される。男の前に現れたキャッチボールの相手は、意外な人物だった。 大阪勤務時代、私は甲子園を訪れたことがあった。次男の少年野球チームの仲間が、徳島県代表になって甲子園までやって来たのだ。外野席から練習をするT君とK君の姿を見つけ、少しだけ話も出来た。次男のユニフォームは、私がまだ大事にしまってある。そのことを妻も次男も知らないままだ。<マエストロ!> その使者は関西弁を使う若い女性だった。集められた人達は、ボロボロの工場の中に入る。そこがどうやら練習場だったようだ。彼らは早速練習を始める。工場の中では男が金づちで何かを叩く音。その音が大き過ぎて、彼らは練習する手を停めた。大工のような身なりの男こそ、彼らをここに招いた張本人だったのだ。 マエストロとは親方の意。この場合は指揮者だ。そう、この映画のテーマは音楽。一度解散したオーケストラを、もう一度復活させる奇跡の話だ。原作はさそうあきらの漫画。彼は子供の頃ピアノを習っていたことがあるようだ。監督は小林賢太郎。彼のことは何も知らないが、彼の父親の上岡龍太郎とは「ユリカモメウルトラ」で一緒に70km走ったことがあった。60歳で芸能界を引退すると言う宣言を、本当に守った篤実な人だった。 指揮者が西田敏行で、コンサートマスターの第一バイオリン奏者が松坂桃李。シンガーソングライターのmiwaがフルート奏者を演じる。こちらも音楽とは無縁の俳優が多いはずなのに、素晴らしい演奏と演技に感動させられる。原作が漫画であるクラシック音楽の映画は、「のだめカンタービレ最終楽章」以来だったが、今回も泣かされ、涙が止まらなかった。 あれほど心配した演奏会は大成功だった。だが、その翌日の演奏会には、開演時間が迫っても観客は来ない。いやたった一人だけ車椅子に乗って現れた人がいた。 解散したオーケストラから誘われなかった楽団員達。残ったのはどこかに問題があった人ばかり。彼らの誇りを次々と叩きのめしながら、西田演じるマエストロは厳しい指示を団員に出す。そうして最後に彼らの音楽が完成する。オーケストラとは響き合うこと。一つ一つの楽器が強過ぎたら、決して心地良いハーモニーは生まれない。汗臭い野球と洗練されたクラシック音楽。分野は違っても、その本質は全く一緒だと感じた私だった。
2015.02.07
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<沖縄らしいもの> 昨年の10月、私は沖縄の「久米島マラソン」を走って来ました。今日の写真はその時に撮った「沖縄らしいもの」を紹介しましょう。 久米島の居酒屋にあった仮面。ちょっと怖そうに見えますが、本当はユーモラスな表情をしています。祭の時に被っておどけるのです。 那覇空港で見かけた扇子です。雰囲気がちょっと変わってますね。 同じく那覇空港にあったポスター。三線(さんしん)を弾くミュージシャンですね。 黒砂糖味のお菓子(左側)です。これを「おまけ」してくれたお菓子屋の小母さん。(右側)私は沖縄に行くと、いつも小母さんが働いているお菓子屋さんで、沖縄のお菓子をお土産に買っています。 沖縄定番の家庭料理、ゴーヤチャンプルーです。栄養満点です。 こちらは那覇平和通りの花笠食堂で食べた「ナーベラー定食」。ヘチマ料理です。ご飯とお吸い物、副食品を各3種類の中から選べます。私がこの日選んだのは、赤飯、モズクの酢の物、ナカミ(豚の腸)のお吸い物でした。とってもヘルシーな家庭料理で、値段も安くて美味しいですよ~。 レース後のパーティーでエイサー(沖縄の盆踊り)を踊っていた若者達です。 ここからはレース前日に久米島の中を探訪した際の写真で、国の重要文化財に指定されている旧家、上江洲家(うえづけ)住宅です。同家はこの島の城主の末裔で、琉球王朝に統一された後は、王朝の臣下として島の取締役をやっていました。最初の写真はヒンプン。目隠しの塀です。ここは貴人しか通れない入口でもあります。 堂々たる木造建築の母屋です。これだけの住宅は、県内にも数軒しか残ってないのです。風雨を防ぐため「雨はじ」と呼ばれる長い軒先が出ています。 座敷の一つです。かつてトートーメ(位牌)のある仏壇を置いた形跡があるので、一番座敷かな。どの座敷も居住する人が決まっていした。でも現在この家には誰も住んでおりません。 こちらは二番座敷でしょうか。 倉の全景です。色んな道具類や食料を貯蔵しており、高床式の構造をしています。原型が分かるとても貴重な建物です。 倉の一部です。道具が置かれています。 倉の側面です。琉球王朝時代の上流階級の暮らしぶりが分かりますね。 左側のトイレは後で継ぎ足したものですが、右側は「フール」と呼ばれる豚の飼育場です。豚の食料は人糞。当時の食料はサツマイモが九割以上だったため、大量の人糞が出ます。それで豚を養う究極のリサイクルです。これはベトナムの地方のトイレが池の上にあるのと一緒。池では魚を飼っているのです。沖縄本島の中村家住宅(重要文化財)のものは、ただ囲いしか残っておらず、とても貴重な施設です。 母屋の裏側です。こちら古い時代の風情が残っていますね。 中にぼんやりと臼ときねが見えます。 こちらには大きな甕が見えます。きっと目出度い時に飲む泡盛が入っていたのでしょう。<不定期に続く>
2015.02.06
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<久米島の海> 2月に入って、今年もプロ野球のキャンプが始まりました。各チームのキャンプ地は暖かい所が多いですね。我が東北楽天のキャンプ地は、球団発足以来沖縄の久米島なんですよね。私は昨年の10月末、引退レースとして「久米島マラソン」を走って来ました。制限時間が長く、コースがフラットなこともありましたが、楽天のキャンプ地であるこの島を、最後に走って見たかったのが本当の気持ちでした。今回はまだ残っている写真の中から、海の風景を紹介しますね~♪ ホテルのプライベートビーチの夜景です。灯りで景色が微かに見えますね。 久米島の夜明けです。東の空から太陽が昇って来ます。素敵な朝焼けです。 旅行最終日の朝です。この日もまあまあの天気かな? ホテル前の海岸です。次第に明るくなって来ました。 こちらはその日の夕方。潮が引いた海岸です。珊瑚礁の内側は遠浅になっています。 具志川城のある丘から見えた東シナ海です。標高は70mくらいでしょうか。 レース当日はデジカメを持って走りました。島の東部で7km地点周辺です。この辺りから私は最終ランナーになっていました。早歩きのランナーにも抜かれる苦しい戦いを忘れることは出来ません。この写真を残して、いつか詩を書いてみたいものです。私はブログに載せた後の写真は、全てPCから消しているのです。 7.5km地点付近です。遠くに見えるのがスタート地点の方向です。コースはこの辺りから左折し、島の西側に向かいます。 14km地点の川の河口です。この少し上流に、前日訪れた島で最も古い城跡があります。崩れた石垣しか残ってませんでした。 23km付近です。間もなく折り返し地点で、最初の関門があります。私は制限時間オーバーだったことを知らず、その先も1人だけで無人のコースを走っていました。 折り返し地点(25km)付近に残る火山地形です。沖縄の島々はかつて中国大陸と繋がっていました。だが、その後隆起と沈降を繰り返し、現在の島になっています。久米島の周辺には今でも海中から熱水が湧き出すポイントがあります。隆起サンゴ礁の多い沖縄で、このような火山性地形は珍しく、私はレース前日に初めてここで見ました。 この先折り返し地点の「ミーフガー」は女陰そのものでした。その中に香炉が置かれ、今でも子宝を授かりたい女性が遠くの島からも拝みに来るようです。 これはレース当日にその付近で見た丸い岩です。私には火山弾のように見えたのですが。 折り返し後、26km地点で見た穴のあいた岩で、信仰の対象になります。沖縄には日本が失った「原始神道」の古い姿がまだ残っています。この岩の下にも粗末な香炉がありました。 28km地点付近の海岸です。これも火山性の岩のように見えます。 ホテル前の夕景。プールと海岸が見えます。 朝の海岸で見つけた貝がらと珊瑚の死骸。 これがあったのは那覇の街中。それも居酒屋の前でした。 これらは沖縄の海で拾ったものです。貝の皿はお土産品。シャコ貝は沖縄勤務時代に神の島、久高島に行った際に、地元の方が海に潜って獲ったものです。シャコ貝は海中の岩を溶かし、その穴に潜んでいます。 マラソンのスタート地点のある球場(左側)が、東北楽天の2軍の練習場です。1軍の練習場である「蛍ドーム」がハーフマラソンの折り返し地点になっています。右はレース直前の私。この日は10月末で30度の暑さ。既に疲れ切った表情をしています。夏は体調が悪くてほとんど走れず、9月には入院して心臓に電気ショックを与えたくらいですから、無理はありませんけどね。<「旅の写真館シリーズ」はさらに続きます。>
2015.02.05
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ここ数日は言葉遊びを楽しんでいます。へぼ俳句作りです。何せ暇人なので一日中コタツに入り、ああでもない、こうでもないと頭をひねっています。これが全くお金がかからない遊び。そして、頭の体操になりますね。今日もそうして生まれた幾つかの俳句を紹介しますね。 夜の雪ただしんしんと夢包む 雪の夜や遠吠え二つ飲み込みし 仰ぎ見ん早や立春の朝ぼらけ 霜柱踏みて疑念を砕きけり 雪折れの椿に小さき蕾見ゆ 鵯の声ばかりして庭の雪 *ヒヨドリ ヒヨドリの飛び立つ影や冬の畑 梔子の倒れしままに冬の月 *くちなし 風止みて春まだ遠き老ひの坂 泡雪や青木の翳の頼りなき *かげ 名のみにて春烈風の中に在る 川流る春立ちしこと知らぬげに 冬と春せめぎ合ひして川流る 如月の真白き屋根に日の光 *きさらぎ=二月 シクラメン納骨いよよ迫り来し 立春やぽたりぽたりと雪の音 蘭咲きて部屋いっぱいに春の色<作句の舞台裏> 最初の句は しんしんと未だ止まざる夜の雪↓ しんしんとただしんしんと夜の雪↓ 夜の雪ただしんしんと夢包む と変化し、 2番目の句は 雪の夜や闇に吠へたる犬二匹↓ 雪の夜遠吠への犬二匹して↓ 雪の夜や遠吠へ二つ飲み込みし と変わりました。 他の句も同様に、何度も推敲を重ねています。これもまた俳句の楽しみなのですが。
2015.02.04
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<形 そして若干の俳句> 今日は節分とのこと。そうすると明日は立春か。暦の上の話だが、春はそこまで来ているようだ。そこで今日は雪の写真に、急遽作った幾つかの俳句を添えてみた。最終的にどんな形になるのか分からないが、それも楽しみ。では、早速作業を始めたいと思う。 自宅の畑が盛り上がっている。ここに隠れているのは、右側の白菜だ。 鵯も迷ひし雪の畑かな *ヒヨドリ 春立ちて雪なほ深き畑かな ガレージの屋根 泡雪の消へざりしまま午後となる 追難過ぐ流れる雲も春めきて *ついな=節分の豆まき 小川の土手 雪の玉遊びし子らも夕餉かな *ゆうげ=晩ご飯 雪止みて鬼の足跡点々と バス停に雪の形の椅子二脚 発光ダイオードの交通信号は、雪に弱いと言う話を聞いた。そう言えばいつもよりも光が弱いように感じたのだが。 ミラーにも車の屋根にも雪・雪・雪・・・ 私の部屋の西側の窓(左)と、いつも布団を干すベランダの手すり(右) 立春やまだまだ厚き屋根の雪 郵便受け 鬼やらひ豆拾ひたる子らの笑み *おにやらい=節分の豆まき 擁壁(上、左)とマンション(右) 春の雪墓天空に向かひけり マンションの土手(左)と滑り台(右)
2015.02.03
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イスラム国に捕えられた後藤さんの命は、湯川さんに続いて奪われてしまった。多額な身代金から死刑囚との人質交換など彼らの要求は変わり、その期限も次々と変化し緊迫を伴った。その間、後藤さんの釈放を願う世界の人々は、彼が助かることを祈り続け、「I AM KENJI」の連帯の輪が広がった。だが死刑囚はヨルダンにおり、ヨルダン政府は政治的な判断に迫られた。極めて残念な結果に終わったが、誰も責めることは出来ないのではないか。心からお二人のご冥福をお祈りしたい。 シリアへの入国は自己責任であることを、後藤さん自身が話していた。それだけ危険な行為であることは、彼も知っていたのだ。「必ず生きて帰る」。だが、その望みは叶わなかった。今回の事件で、私達はテレビを通じて湯川さんの父親の話や、後藤さんの母親の話を何度も聞いた。親としての悲痛な叫び、真剣な願いだった。かけがえのない命が失われたが、イスラムへの良き理解者をイスラム自身が奪ってしまったことにはならないか。 政府の対応について一部から非難があるようだが、それは当たらないだろう。非難されるべきはイスラム国そのものだ。彼らはイスラム教徒からも異端者と思われている。暴力で住民を脅し、高額な報酬で外国から兵士を募る狂った集団だ。それに正式な国でもないから交渉は難航したはず。ヨルダンやトルコなどへも必死に働きかけたが駄目だった。世界には彼らのようなイスラム過激派が240集団もあるそうだ。日本人の危機管理が、今後ますます問われるのではないか。 名大生の殺人事件にも驚いた。中学生時代からの殺人願望。そして高校時代の同級生への毒薬付与と斧の収集など、異常性は極まっていたのに、悲劇が起きるまで誰も気づかないままだった。大学入学後もネットへの投稿など、異常性が見られた。化学薬品に対する知識も半端ではなかったようだ。殺人の対象は誰でも良かった。彼女は捜査陣に対してそう話していたようだ。嘆かわしいことだが、国立大学学生による犯罪も今では珍しいことではなくなった。 後藤さんも女子大生も仙台出身とのことで、両方の事件は全国版と地方版の両方で観ることになった。それだけ関心が深まったのは当然だ。そしてネットには色んなことが書かれていた。女子大生はまだ19歳だと言うのに、本名、出身高校、所属学部、所属クラブも分かった。後藤さんの方も本名、奥様の名前、出身大学と学部、修士論文のタイトル、勤務先などが分かった。恐ろしい時代になったものだ。イスラム過激派もネットを駆使し、犯罪に利用している。 横綱白鵬のクレームも物議をかもした。大相撲初場所、優勝がかかった一戦での取り直しの一番。その審判に苦情を言ったのだ。「あれは子供でも分かる」。だが優勝回数の新記録を達成した大横綱の言とは思えない。他の力士の模範となるべき存在の者が、採るべき態度ではない。協会から親方を通じて注意があり、故大鵬親方の夫人からも忠告があり、白鵬もその後謝罪した。ただ、千秋楽の土俵上で、奥様の協力に感謝したのは素晴らしいことだったと思う。 イチローの所属が決まった。マリーンズの首脳陣が5人も揃って日本まで訪れ、イチローに背番号51が入ったユニフォームを手渡した。4番目の外野手としてマイナースタートになるようだが、異例中の異例の歓迎ぶり。彼は言う。「大リーグ3千本安打が目的ではない」と。さらに「日本人ファンに応援を頼むのではなく、その期待に応えられるような準備をしたい」と。41歳の彼には、きっと失うものなどないのだろう。頑張れ、イチロー!!
2015.02.02
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<雪景色> 一昨日、南岸低気圧の通過に伴い、仙台では一日中雪が降りました。細かい雪だったため、そんなには積らないだろうとたかをくくっていたのですが、我が家の周辺では20cm以上の積雪になりました。早速雪かきで汗を流し、朝食後は雪景色を撮りに出かけました。雪はこの冬6回目くらいかな? 近所の道路も、こんな雪道に変身です。 枝の雪が重たそう!! 屋根の上にも真っ白な雪。今回の雪は水分が多く、気温も上がったため、夕方にはかなり融けてしまいました。 雪を被った自転車が寒そう。 こちらは小型のブルドーザー。 中には動力で雪かきをしている人も。「何の写真ですか?」。「ブログ用なんですよ。雪景色を撮っているんです」。 馬頭観世音の石塔と鳥居。神社の方が後からここへ引っ越して来たのだとか。 行儀良く並んだお墓にも雪。いつもよりさらに静かな墓地です。 サザンカの生垣にも雪が積っています。 近所の小川も、何だか寒そう。でも、こんな景色が私は大好き。 坂道は滑るから注意しないとね。誰もまだ歩いてない真っ白な階段と、朝日を浴びている階段。 遠くに尖がった太白山(321m)が見えるね。 真っ白な雪におおわれている団地や集落の家々。この景色を見たかったんだよね。<1月のラン&ウォーク>ラン回数:7回 ラン距離:86km ウォーク回数:16回 ウォーク距離59km 月間および年間距離:左に同じ これまでの累計:85839km
2015.02.01
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