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今日は9月30日。秋も次第に深まって来ましたね。散歩をしながら、つい秋らしいものを探してしまう私です。このシリーズでは、そんな風にして見つけた「実りの秋」を紹介しますね。 ヘクソカズラです。(9月2日撮影)今では葉は枯れ、実は焦げ茶色になっています。 9月2日撮影のノブドウ。きれいなエメラルドグリーンをしています。 9月29日のノブドウです。神秘的なブルーに変わっていました。 ヒメリンゴです。真っ赤な色がとてもきれいですね。 こちらは4週間前の姿です。やはり色が薄いですね。 9月2日。道路にイガグリが落ちていましたが、残念ながら中身はありませんでした。 青かったカリンも徐々に黄色くなって来ました。そのうちに良い香りがし出します。 道路に落ちていたギンナン。小さい実のせいか、誰も拾いません。 あるお家の庭のブドウ。あまり立派な房ではないのですが、魅力は秘めています。 昨日は残っていた黒い実を1粒失敬しました。それなりに甘い味でした。 ホオズキはなぜだか懐かしい感じがしますね。 漢字では「鬼灯」と書くそうですよ。不思議ですね。 キウイも魅力がありますね。食べれば酸っぱい味なのに。 3週間前とほとんど色は一緒。でも少しずつ大きくなって来てます。 マユミです。そのうち実が割れて種が出て来ますよ♪ こちらは見事なツリバナ。実が大きく割れて、種が見えています。 ズングリした椿の実。昔は種を絞って椿油を取ったのでしょうが。 ヤマボウシの実です。ハナミズキと間違っていました。 完熟すると甘くて美味しいのですが、完熟してない実はとても不味いのでご用心!!<続く>
2015.09.30
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昨日の朝カーテンを開けると、窓が結露していた。外気温が下がって、温度差が大きくなったのだ。あの狂おしいまでの猛暑は、すっかり遠い日のことになった。体調は少しは良くなったように思う。目まいがしないだけでも有難い。だが試しに走れば、恐らくは心不全になって倒れるはず。手術を受けるK病院の診察日は10月19日。早くその日が来てほしいと願う秋だ。昨日は雲南百薬を収穫。白菜とブロッコリーの成長は順調。全ての野菜に追肥。 大相撲秋場所は結局鶴竜の優勝に終わった。横綱になって初めての賜杯。しかも白鵬と日馬富士が共に休場中の12勝3敗で、稀勢の里との対戦では、2度変化して何とか勝った。それほど勝ちたかったのだろうが、あれは横綱相撲ではない。照ノ富士は膝の靭帯を傷めながらも休場せず、最後まで土俵に上がったのは立派。嘉風の活躍は見事。殊勲と技能のダブル受賞も当然だろう。遠藤が千秋楽にようやく勝ち越したのは意外。どこか体を傷めていたのだろうか。 筑波勤務時代の後輩から電話があった。恒例の麻雀大会に、職場の先輩であるSさんとKさんも来てくれることになった由。私のリクエストがまさか実現するとは。お二人とも80代半ば。私も体調が悪く、恐らくお会い出来るのはこれが最後になるだろう。それにしてもノートに期日を書き込んでいながら、そのことをすっかり失念していたことに驚いた。きっとそれだけ苦しんでいたのだと思う。1カ月後に、果たして無事筑波山へ辿り着けるかどうか。 先週末、妻が1泊の登山旅行で長野へ行った。その間四国の長女から電話があった。その声が暗い。きっと留守中の私の体調を心配してかけてよこしたのだと思う。詳しくは書けないが、不調の理由は心臓だけではなかった。ここ2カ月以上私は悶々とし、ほとんど自室から出ないで過ごしていた。妻に頼まれた買い物をするため外へ出ると、まるで亡霊を見るかのように近所の人が私を観た。無理もない。私はずっと家に引き籠っていたのだから。 本を読む気がしなかった私は、体調不良の間U-tubeで歴史問題を見ていた。動画と言うよりは、ほとんど音声だけのもの。しかも日中、日韓の「ヘイトスピーチ」のようなものが多いのに驚いた。中国と韓国では極端な反日の歴史教育が実施されている。「動画」もそれに触発され、日本の青年達が過激に反応しているように感じた。何のための「反日」か。恨みは恨みを呼び、不信は新たな不信を誘うだろう。ただ、参考になる情報も多かったのが救いだ。 ニューヨークで開催中の国連総会で、日本、ドイツ、インド、ブラジルの4カ国が共同で、安保理事会の改革に関して新たな提案をするようだ。常任理事国の定数を増やし、その拒否権を無くそうとの内容らしい。常任理事国のフランスは、拒否権に一定の制約を設ける提案をする由。だがロシアと中国がそれらの改善策に対して、猛烈な反対をしているようだ。 きっと自国が不利と感じているのだろうが、常識的に見れば時代に逆行する行動としか思えない。恐らくこのまま「すんなり」とは行かないだろう。人類の理想追求の場であるべき国連だが、大国のエゴが跋扈する場でもあるのだ。 朝の連続ドラマ「まれ」が先週で終わった。世界一のパティシエを目指す女の子の話だが、今振り返ると案外平凡なストーリーだった印象が強い。放浪癖のある父親が最後に家に戻ったのが救いか。家族とは何かを考えさせるドラマだったが、まだ20歳の土屋太鳳が妻となり2児の母となる姿が新鮮で、番組冒頭の踊っているシルエットがとても美しかった。また出演者全員でテーマソング歌っていたのが楽しかった。次のドラマ「あさが来た」にも期待している。
2015.09.29
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昨夜の「中秋の名月」、ご覧になれましたか?特に今回は月の軌道が地球に近かったため、いつもより14%ほど大きく見える「スーパームーン」だったそうですね。写真はネットからの借用です。私のデジカメでは、こうは写りませんもの。 さて今日は、十五夜と一緒に秋の草花も楽しんでいただこうと思います。 ススキ ススキ 十五夜にススキは欠かせませんね。ススキの穂が風になびく姿を見ると、ぐっと秋が近づいた気がします。もちろん「秋の七草」の一つです。昔の名前はオバナ(尾花)。きっと動物の尻尾に見えたのでしょうね。 9月2日撮影。クズ(葛)の花も「秋の七草」の一つ。近づくと甘い匂いがして来ます。 8月10日撮影。キキョウ(桔梗)ももちろん「秋の七草」の一つ。気品があるこの花を見かけるのはなかなか大変です。 ハギ(萩)も「秋の七草」の代表的な花。宮城県では県の花に指定されています。 白萩です。宮城県だけでなく仙台市の花もハギなんですよねえ。特に芭蕉が「奥の細道」で訪れた宮城野は、萩の名所でもありました。 こちらは定番のピンクのハギです。市内の公園では、どこでも咲いていますね。 個人のお宅の塀際にも、可憐なハギの枝が垂れていました。 一つ一つの花は小さくてあまり目立ちませんが、密集すると華やかですね。 花が咲く時期は結構長いのですが、そろそろ散り始めて来たようです。 今年もこれで見納めでしょうか。秋の代表格の花、ハギの姿でした。 ここからは秋の野草を紹介します。トップバッターはカントウヨメナ(関東嫁菜)かな?きっと野菊の仲間だと思うのですが。 これも同じ花。撮影場所は近所のM公園です。ここは自然が残されている公園で、桜の名所でもあります。 アザミ(薊)の仲間ですが、正式な名前は分かりません。 ツリガネニンジン(釣鐘人参)の可憐な花です。この花もM公園の秋の定番かな? ツリガネニンジンの枝は、とても華奢に出来ています。風があると震えてうまく写せなくなります。 これは我が家の庭に咲いているワレモコウ(吾亦紅)です。切って花瓶に挿したものを写しました。 赤いミズヒキソウ(水引草)です。病院まで歩いて行った9月16日に撮影しました。 これはM公園で9月14日に撮影したキンミズヒキ(金水引)のアップです。とても小さな花です。
2015.09.28
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<連載を終えて> 昨日の朝ブログを更新して朝食を済ませ、再びPCを開いて驚いた。何とブログのアクセス数がその時点で400件に達していたのだ。もちろんこんなのは初めてのこと。それが午前中のうちに500となり、午後1時に600、夕方に800を遥かに超えるアクセス数になった。先ほど1日分のを確認したら1067件。一体誰が見てくれたのかも、何故そんな数になったのかも分からない。勿論そんなことで慢心することはなく、逆に気を引き締めた私だった。 止まりそうな弱々しい鼓動と乱れる脈拍。このシリーズはそんな心臓の不調と戦いながら書いた。翌朝ちゃんと生きているかも分からない体調。それにブログ友が全て去ってしまうかも知れない重たいテーマ。全くの少数意見なので、ひょっとしたら妨害に遭う可能性もある。そんな不安が深刻な不眠を呼び、良くない体調をさらに悪化させた。それでも私は書こう。それが老い先短い自分の使命だろう。そんな風にも考えていたのだ。 歴史は好きだが、特に詳しい訳でもない。政治に関心はあるが、新聞すらろくに読んではいない。ただこれまでに読んだ本の知識と、ネットで毎日のようにチェックしているニュースと、自分の直感だけが判断の頼りとなった。歴史や政治に関する見方が人によって異なるのは承知の上。それに我が国の防衛に関する「安保関連法案」ともなれば、論議が分かれても当然だ。私は少数意見だが、何とか自分の意見を述べてみたい。そんな想いが強かった。 私は「権威」を信じない方だ。大新聞だから、あるいは相手が学者だからと言うだけで、その意見を鵜呑みにはしない。それは41年間自分が大学や研究機関に勤務したせいかも知れない。その間に私は多くの研究者と接し、中には我が国を代表する研究者も数多くいた。結論から言えば、偉大な研究者ほど謙虚だ。そして中途半端な研究者ほど自分を偉く見せ、威張りたがる傾向にある。 「憲法学」はどうやら日本の学問分野の中では保守的な傾向にあるようだ。現在の憲法を絶対視しその解釈に励む。そのような研究者が多い分野とも聞く。だから憲法が社会の動きや政治体制との間に齟齬が生じても困らないのだろう。「国民をどのようにして守るか」。日本国憲法にそのような視点はないそうだ。残念なことだが先日国会で参考人として述べられた反対意見は、きっと「形式的な学問上」のものだったのだろう。 今般の「安保関連法案整備」に関連して、野党や巨大マスコミが我が国が置かれた現状を正確に分析し、あるべき防衛の姿を述べたとの話は、寡聞にしてついぞ聞かなかった。ただ悪戯に「戦争法案」と呼び、「徴兵制」に繋がると国民の不安を煽った。主張の根拠は一体何なのだろう。私は直感的に「これはおかしい」と感じた。論理的ではなく、国民の感情に訴える手法。それこそが盲目的で危険な道ではないのか。 連日国会前でデモを展開していた学生主体の「SEALDs」と言う団体について、私は全く共感を覚えなかった。それは私の70年以上の人生経験から来る直観。なぜ自発的に集まった学生同士が、皆同じような行動と反応を示すのか疑問。それにインタビューへの答えがどれも画一的な意見ばかり。「あれはある政党が後押ししてる」。ネットのそんな意見に、「なるほど」と頷けるものがあった。 もし彼らの反対意見が本物なら、戦いの本番はこれからのはず。国会で法案は通ったが、法廷闘争でそれを阻止する運動は出来る。ただそんな長い戦いを、「一般学生」の彼らがこれから本当に起こせるのだろうか。もし起こすとしたら、特定の政党の「下請け機関」の専従となるしか方法はないようにも思うのだが。 今、各国の首脳はニューヨークの国連総会に集まり、世界中がそれに注目している。「安保理」では5つの常任理事国が全て核保有国でかつ拒否権を持っているため、自国に不都合な意見は聞かない。つまり国連は単なる形式で、大国のエゴが通る機関とも言える。だがその国連に世界の平和を託さざるを得ないのも事実。そして各国の経済活動が、世界の情勢に大きく作用するのが現実。国連総会の場では、きっと今「見えない火花」が飛び交っているのだろう。 今、世界は一つの岐路に差し掛かっている。テロや戦いに明け暮れている地域もあれば、難民があてもなく彷徨い続けている地域もある。そんな中で飽食で平和そのものの日本。いつまでも国民が豊かで平和な暮らしを続けられるために、これからの日本は一体どこへ向かえば良いのだろう。今回は自分の能力を遥かに超えるテーマに挑んだ。この拙文が、そのことを考える際の刺激になれたら望外の喜びだ。<完>
2015.09.27
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<ウチナンチュ・ヤマトンチュ> 重要文化財中村家住宅 先日、国連の人権委員会(ジュネーブ)において、翁長沖縄県知事は「日本の米軍基地のうち70%以上が沖縄にあり、独自の文化と言語を持つ沖縄の人権が犯されている」と訴えたそうだ。またこれに先立つ講演会では、「沖縄は日本のものでもアメリカのものでもない」と述べた由。不思議なことを言う人がいるものだ。琉球語は日本語の古語を基調とする方言だし、沖縄県があれだけ巨額の地域振興費を毎年日本政府に要求し続けている理由は何か、訳が分からない。 これに対して日本のNGO団体は人権委員会において、「沖縄県民の人権は犯されておらず、逆に尖閣諸島領海への中国艦船の侵犯などで沖縄の安全が犯されている」と訴えたそうだ。どちらがまともな神経なのだろう。 私は3年間勤務した沖縄が大好きだ。米軍基地が密集する現状については気の毒にも思う。だが、その基地も計画に基づいてかなり返還されており、今後も嘉手納基地以南の地区が順次返還される予定なのだ。かつて米軍基地だった所が、新しい街に生まれ変わった姿を観るのは新鮮だ。そして沖縄を訪れる度に、立派になっているとの実感がある。 私が赴任した平成元年頃の沖縄は下水の臭いが鼻につき、道路は凸凹で、小学生まで泥棒をして捕まり、高校生は酔っ払いの無免許運転で一夏に何人も死んでいた。高い失業率に離婚率、かつては日本一の長寿県が肥満で短命になりつつあった。私は沖縄の人から「ヤマト」や「ヤマトンチュ」と呼ばれ、生命の危険を感じたことが3度もあった。 崇元寺石門 「辺野古に新基地は作らせない」と知事は言う。それはおかしい。既に辺野古に米軍基地はあり、普天間基地からオスプレーを移転するため海上に滑走路を延長するだけの話。それに伴って、これまで沖縄県民が危険と訴え続けた普天間基地が全て返還されるのだ。それに現在普天間基地にある爆撃機と給油機も全て本土に移転する。そして辺野古は過疎地のため、オスプレーの「危険性」も大幅に減少する。それでも沖縄の安全は保たれるし、良いことづくめだと思うのだがなぜ反対するのか分からない。 実は不思議なことがあるのだ。海上に米軍基地を拡張する案だと、これまでも沖縄県は反対して来たのだ。理由は基地の借地代が入らないためだろう。米軍基地3か所の返還も、地元の名護市は拒んでいる。山間部にあるため返還されてもその後の活用が困難なためだ。それなら借地料をもらい続けた方が得と考えているのだと思う。 那覇の米軍軍港が近く浦添市に移転する。これは翁長県知事が那覇市長だった時に推進した事業だ。軍港の移転は歓迎しながら、最も古くて危険だと訴える普天間基地の移転と返還を喜ばない理由は何なのだろう。全く訳が分からない。あの広大な土地が返還されたら、きっと新しい宜野湾市の構想が生かせるだろうに。 今帰仁城石門 県知事は辺野古の海上工事許可を取り消す方針を打ち出した。その是非を巡って、今後長い法廷闘争が続くことになろう。その間、沖縄が訴えた『普天間の危険性」はそのまま続くのだ。政府は地方振興費の一部を県や名護市を通さず、地元の辺野古集落へ直接配分することを検討中らしい。地元の賛成は99%以上なのだ。それにこれまでも政府は、北部振興の一環として辺野古周辺に沖縄工業高専を新設し、隣り合う恩納村に大学院大学を新設している。 県内の道路整備や離島への架橋など、沖縄県への予算配布は異常なほど高い。県知事はかつて自民党の沖縄県連会長で、那覇市長当時は「米軍基地反対を言うのは政府から予算を引き出すため」と話していたそうだ。すると国連人権委員会でのアピールは一体何だったのか。都合の良い時はヤマトンチュ(日本人)として多額の予算を要求し、都合が悪くなるとウチナンチュ(沖縄人)になって沖縄の悲劇を世界に訴える。 まるで二重人格者ではないのか。私は沖縄が大好きだが、そんな「使い分け」は大嫌い。だが、事情を知らない内地の人間や世界の人々は、悲劇の島沖縄に心からの同情を示して已まない。 伊江島タッチュー 沖縄県民を悩ませて来た米軍に関する「地位協定」も徐々に改善されて、最近では米兵の犯罪を日本の警察が取り調べる案件も多くなった。また、つい最近も政府は米国に改善方を申し入れている。その経済力に恐れて、一時は日本の頭越しに中国と手を結ぼうとしたオバマ政権だが、南シナ海や東シナ海における中国の脅威に、その後ようやく気付いたようだ。だが経済力が落ちたアメリカが、どこまで本気で日本を守るかは疑問が付きまとう。 そのためにも今回の「安保法案整備」は不可欠な措置だったと思うのだが、肝心の沖縄はのんきなもの。地域振興費を使って中国から大量の「龍柱」を輸入するようだ。龍柱は中国皇帝の権威の象徴で、冊封国はその権威をありがたく利用する。つまり日本の予算を使って中国のPRをしているようなものではないか。 「沖縄タイムス」や「琉球新報」は、ほとんど中国の脅威の実態を伝えないそうだ。狭い島では、それが唯一の真実になるのだろう。そしてそれがウチナンチュとヤマトンチュの心をますます遠ざける結果になるように思う。 私にはなぜか沖縄と韓国が非常に似ているように感じてならない。「日本」と言う国に支配された歴史、地政上の宿命と、それゆえに米軍基地が置かれる事情、そして屈折した心情などだ。いつまで経っても日本を恨み、それでも多額のお金を要求し続ける心理。いつになったらそんな過去の悲劇から脱却する日が来るのだろう。それとも永遠に「琉球独立」を夢見るのだろうか。それこそが中国の思う壺だと私は思うのだが。<続く>
2015.09.26
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<犯罪国家・北朝鮮> 昭和58年(1983年)10月8日。ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)にあるアウン・サン廟の前に、韓国の全斗換大統領が乗った乗用車が着いた。周囲には爆破された残骸が横たわり、大勢の人々が倒れていた。爆死した人の数は21名。このうち韓国人が17名を占めた。重軽傷者は47名に及んだ。これが北朝鮮の工作員によって起こされたテロ、いわゆる「ラングーン事件」だ。全大統領が乗った乗用車は2分遅れて現場に着いたため、奇跡的に事故を免れたのだ。 昭和62年(1987年)アラビア半島のバーレーンで大韓航空機の爆破事件が起きた。犯人達は毒薬を飲んで死んだが、一人の女が死ぬのに失敗して捕まった。女は日本人の「蜂谷真由美」と名乗ったが、捜査の結果北朝鮮の工作員キム・ヒョンヒ(金賢姫)であることが判明した。彼女はやがて許されて韓国に帰化し、韓国人と結婚して日本へもやって来た。そして北朝鮮によって拉致された日本人が数名、生存してることを自分の口から漏らしたのだ。 金日成(1912~1994)、金正日(1942~2011)、金正恩(1982~)。の親子三代。これが社会主義国家北朝鮮を支配する独裁者の家系だ。初代は中国共産党に入党し、朝鮮を併合していた日本と戦った伝説の人。その息子正日は聖地白頭山で生まれたとされているが、父の逃亡先であるソ連(当時)のハバロフスクで生まれたのが真実だ。冒頭のラングーン事件を立案したのが彼のようだ。三代目に選ばれたのが三男の正恩。兄弟の中で一番性格が激しかったためらしい。 私の記憶に残っている北朝鮮の犯罪を列記してみよう。偽札(ドル、円)の印刷と行使。覚醒剤の製造と密輸。日本人等の拉致。朝鮮銀行を通じての不正送金。万景峰(マンギョンボン)号による密輸。原発の開発と原爆製造。朝鮮総連による工作。韓国領への発砲(延坪島事件2010年)、日本海へのミサイル発射などだ。拉致被害者に関しては、平成14年(2002年)に蓮池さん夫婦ら5名が一時帰宅を許され、その後日本へ来た家族もそのまま留まった。 何と言う犯罪国家ぶりだろう。首都ピョンヤンの地下には「敵国」であるソウルの街並みが再現され、工作員がそこでスパイの訓練を受けているようだ。拉致された日本人の中には、工作員に日本語を教えている者もいるようだ。国家の秘密を握っている拉致被害者を、北朝鮮は返そうともしない。第二次交渉の期限も過ぎたが、相変わらず拉致被害者は6名で全員死んだと言い、戦時中の日本人遺骨を高額で引き取らせようとする作戦に出ている。 若き独裁者の暴走が続いている。高齢の幹部を次々に抹殺し、実力者である自分の叔父までついに粛清してしまった。「六カ国協議」も暫く開催されておらず、韓国との観光共同開発も不調に終わった。つい最近、北緯38度線を越えた韓国領内で北朝鮮による爆破事件が起き、緊張が続いた。近くミサイルの発射実験をするようで、韓国は戦々恐々としている。そして4度目の核実験の兆候があるそうだ。今年も食糧不足みたいだが、やはり「恫喝」で救援を迫るのだろうか。 後ろ盾である中国との関係も悪化したこの犯罪国家は、今世界で孤立している。東アジアの厄介者である北朝鮮がこれからどこへ向かおうとしているのか全く不明。お隣の同胞国である韓国も含め、朝鮮半島の行方が全く見えて来ない。それに中国とロシアの闇も加えると、東アジアの将来は混とんとしていると言えよう。そんな国々を隣国に持った日本が、「一国平和主義」で浮かれている暇はないと言うのはそう言うことだ。<続く>
2015.09.25
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<韓国 ~優越感と劣等感の間で~> 「なぜ北京で開催された抗日戦勝利70周年記念式典に参列したのか」。記者団にそう問われた朴槿恵韓国大統領は、「意地」と答えたそうだ。経済も上手く行っておらず、国内の政情も不安定。自由主義陣営にありながら何かにつけて中国寄りの姿勢を見せるのは、日本に対する意地なのだろう。 父は韓国の第5~9代大統領を務めた朴正煕。彼は日韓併合時代、日本の陸軍士官学校に留学している。クーデターで大統領になり、日本から資金援助を受け、韓国経済発展の基礎を作った人だ。だが日本びいきだった父を否定するように彼女は反日の道を取り続け、日韓関係は急速に悪化した。恐らくはそれも意地だったのだろう。 朝鮮半島の諸国と日本が争ったのは、現代が初めてではない。中国皇帝の前で、百済、新羅、高句麗の使者達と日本の使者がその席次を巡って常に争っていたことが中国の史書に記されている。白村江の戦い、二度に亘る元寇、秀吉の朝鮮出兵でも、不幸にして戦火を交えることになった。朝鮮の古い史書には、「倭人」が朝鮮半島南部から九州にかけて住んでいたことが記されているそうだ。倭寇の存在も含め、昔から玄界灘を通じて「交流」があったことは間違いない。 百済と新羅が戦った際、日本は百済を支援して敗れたことがある。その後半島は高句麗が統一することになるが、それらの3国の王族などが混乱を避けて、わが国に逃げて来たことは良く知られている。そしてその彼らが、中国から伝わった知識や技術をわが国にもたらしたことも事実だ。 朝鮮半島は何かにつけて中国の影響下にあった。大陸に連なる半島国の運命だ。「楽浪郡」や「帯方郡」のように中国の一地方と位置付けられたこともあれば、独立国ながら中国の冊封体制下に入ったこともしばしばだ。明治43年(1910年)日本に併合されるまでの約2千年間は、ずっと中国の属国だったと言っても良い。李氏朝鮮(1392~1910)王朝時代、王国は中国の儒教を国是とした。歴史ドラマの「チャングム」や「トンイ」が活躍した時代だ。 日本の幕末に当たる時代、イギリスの若い女性イザベラ・バードが朝鮮半島を旅している。彼女が後に著した本によれば首都である漢城(現在のソウル)の王宮の目の前には、狭い路地に貧しい藁ぶきの小屋がたくさん立ち並んでいたと言う。そして周囲には糞便の物凄い悪臭が漂っていたらしい。なんとその頃の朝鮮の庶民はトイレがないため、家の前の路傍で「用を足して」いたのだ。 彼女は書いていないが、大量の糞便を「処理」していたのが放し飼いの犬達。中でも若い赤犬は美味で、朝鮮の人々は好んで食用にしていたようだ。犬の肉を食べる風習は、とても滋養があるとして今でも残されている。 日清戦争に勝って朝鮮を併合した日本は、その近代化を推し進める。鉄道などインフラの整備、教育制度の整備、産業の育成と相まって、長い陋習の身分制度を解放した。「チャングム」の時代は賤民、僧侶の下層階級のさらに下に「白丁」と呼ばれる奴隷が存在し、庶民の大半は文字が読めなかった。また驚くことに「針」を作る工業も、物を売る商業も許されてなかったのだ。それらの施策で日本政府が費やした予算は、収入を遥かに上回った由。 貴族階級の両班(ヤンパン)が形式化した儒教を信奉するだけで、庶民は何の恩恵も受けてなかった。儒教が重んじられたため僧侶は疎んじられ、この中世時代に大量の仏像が処分されたようだ。初代韓国統監に就任した伊藤博文が独立運動家の安重根に暗殺されたのが併合の前年。若くして総理大臣を務めた伊藤は朝鮮の良き理解者で、征韓論者ではなかったのだが、暴漢はそれを知らなかったようだ。この暗殺者を讃える記念館を、中国が国内に建てている。 竹島 第二次世界大戦が終わり敗戦国になった日本がまだ国連に加盟出来ないうちに、朝鮮戦争が起きた。韓国軍が日本の対馬を奪おうと釜山に軍を集結させている間、留守になったソウルに北朝鮮軍が侵入したのが発端らしい。戦争のどさくさに紛れて、韓国の李承晩大統領は日本海に見えない「李承晩ライン」を引いて日本漁船を締め出し、竹島を奪った。竹島は日本帝国に奪われた韓国の領土と言うのがその主張だ。 だが、日本には江戸末期に描かれた緯度経度入りの詳細で近代的な地図が何枚か残されている。それに対して韓国側の地図は想像図に近く、中には韓国領の鬱陵島と日本の竹島の位置を取り違えたものもあるほど。これでは国際司法裁判所でも勝てないと見た韓国は、そのまま実効支配を続けている。 今、韓国経済は不振に喘いでいる。元々財閥中心で産業の構造が偏っているのに加え、機械の部品のほとんどを日本からの輸入に頼っているのだ。日本企業の退職者を高給で釣って企業秘密を盗むやり方も横行した。日本の円安の影響を受けて輸出が大幅に減少し、失業率が増えている。花形産業で一頃日本を追い抜いていた鉄鋼業や造船業も不振続き。朴大統領の反日政策が祟って、日本人観光客が激減してしまった。 フェリー沈没事件や、感染病の流行、米国駐韓大使の襲撃事件などで、危機管理意識の欠如を世界に暴露した韓国。中国寄りの「コウモリ外交」は、とても自由主義陣営の国家とは思えないほどだ。おまけに野党には北朝鮮寄りで、「国家反逆罪」で逮捕歴のある議員が何十人も存在すると言う不思議な現象。 成功した者は一族を援助するのが当然。その「偏った儒教精神」が政治家や財閥の収賄事件に繋がる根源だ。韓国の家のほとんどが李氏朝鮮時代の貴族である「両班」の家系図を所有している由。到底あり得ない話だが、それが通じるのもまた韓国なのだ。 誇り高い民族がわずか40年にも満たない日韓併合時代を悪夢と見なし、民族の誇りを傷つけられたとして未だにわが国を恨み続けている。それが「従軍慰安婦」問題や、「明治近代産業に関する世界遺産登録」への妨害活動に繋がるのだろう。 韓国が頼りとする中国は、今落日のように沈みかかっている。同胞国家である北朝鮮との相克も、当分続くだろう。すっかり迷路に入り込んでしまった韓国が、そこから再び這い上がることが出来るのだろうか。「正しい歴史認識を持て」。日本にそう要求する韓国が、自らの矛盾に気づく日がいつか訪れるのだろうか。それとも冒頭の孤独な大統領のように、いつまでも「意地」を貫く積りだろうか。 長崎のブログ友である神風スズキさんの試算によれば、日本からこれまで韓国に提供した支援金は83兆円に達する由。だが彼らは未だにビタ一文返済していないそうだ。「朝鮮は日本よりも文化の先輩国」。「儒教も朝鮮通信使を通じてわが国から日本へ伝えた」。そんな優越感を抱く韓国が本物の正義の国かどうか、隣国日本は、その姿勢をじっと見守っている。<続く>
2015.09.24
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<病める巨象・中国> 今日も深夜に目が覚めて眠れなくなった。これは書くしかないだろう。今回のテーマは中国。恐らくは先日の「安保法案整備」に真正面から反対する唯一の国家だ。中国の歴史や政治をあまり知らない私が、一体何を書けば良いのか。まあ、頭を整理しながらボツボツ行こうか。 中国が古い歴史を持っていることは誰でも知っている。先ずは敬意を表してそこから書き出そう。黄河文化は良く知られているが、他にも長江文化や遼河文化ってなものもあるほど中国の歴史は古い。奇妙な青銅器も作っていたし、漢字の源になった甲骨文字も生み出した。夏(か)や殷(いん)、商(しょう)と言う名の古代国家もあった。それらは確か全て漢族が黄河の中流域に興したものと記憶している。そしてそこからやがて「中華思想」が生まれる。 これは漢族の国家が世界の中心との思想。漢民族以外は全てが蛮族と言うわけだ。日本も中国に遣いを出して、国家として認めてもらったことがある。「漢の倭の奴の国王の印」。福岡の志賀の島から出土した金印に刻まれた古代の小国家だ。唐や隋に遣いを出したこともあった。新しい文化や宗教や政治体制などを学ぶためだ。だが、難破して多くの人命を失ってまで遣いを出すことはないと判断し、日本は独自の道を進むことになる。太平洋に浮かぶ島国だからこそ、大国の影響を排除することも出来たのだ。 中国にも変化があった。長い歴史の中で漢民族以外が興した国家も幾つか出現する。「元」(1271~1368)はモンゴル族が興し、「清」(1644~1912)は満州族が興した。清は近代国家となった日本が初めて戦った外国。明治27年(1894年)の日清戦争で勝ったわが国は、それで台湾を得、李氏朝鮮が独立するきっかけとなった。やがて日本は朝鮮を併合する。ロシアの南下政策を危険と観たのだ。そのまま放置すればロシアが半島を奪うだろうと。 病める巨象、中国はヨーロッパの列強に蚕食された。イギリスにはアヘン戦争で敗れて香港を失い、ポルトガルにはマカオを貸与した。またロシアへ遼東半島を、ドイツには山東半島などを割譲した。日本には台湾を譲るだけでなく、第二次世界大戦で大陸の奥深くまで侵入された。だが日本は敗戦国となって大陸から去った。ここから巨象の快進撃が始まる。内蒙古の一部を奪い、東トルキスタンから奪った領土を新疆ウイグル自治区とし、チベット族を完全に制覇し、インドの国境を犯し、王国ネパールに共産主義国家を打ち建てた。 中国には55の民族がいる。中でも人口の多いチベット族が住む西蔵自治区は鉱物の宝庫。彼らの精神的な支柱だったダライラマは、迫害に耐え切れず、インドに脱出した。その後、チベットへは鉄道が敷かれ、漢民族教育が徹底した。最近は新疆ウイグル自治区のウイグル族への迫害が続いている。国外へ脱出したウイグル族が、先日タイでテロ事件を起こした。タイ政府によって仲間が中国に送還されたことへの抗議の由。そして脱出の理由がイスラム国(IS)でゲリラ兵の訓練を受け、中国政府を倒して自分達の国家を建てるためと言うから恐ろしい。 つい先日、中国は抗日戦争勝利70周年の記念式典を挙行した。中国共産党の八路軍が日本軍を打ち破った祝いだ。だが日本軍が戦った相手は蒋介石が率いる国民党軍。国家としての「中共」の誕生は終戦の4年後だ。実は歴史を捏造するのは中国の伝統なのだ。革命で勝った国が、敗れた前の国家の「正史」を書くのが通例。従って、あくまでも正しいのは勝った国。あの犠牲者は200人ほどとされる「天安門事件」でも、一体どれだけの人民が死んだか不明だ。 十数年で40倍に膨れ上がった軍事費。無理に無理を重ねた工業化で、国内には深刻な公害が発生している。大気汚染、土壌汚染、水質汚染に食糧汚染。都市と農村の所得格差、政府首脳の汚職と不正蓄財と、子弟の海外流出。先日天津港で起きた大爆発も、権力争いのためとの噂もある。ともあれ不動産バブルで浮かれた経済が、今瀕死状態であることは確か。新機軸の「アジアインフラ投資銀行」も軌道に乗るかどうか。 東シナ海では、日本の尖閣諸島を狙うだけでなく、天然ガス油田開発に名を借りた軍備が着々と進んでいる。海上プラットホームもさらに増強したようだ。だが「環球時報」で沖縄を奪うとした中国にとって、今回の「安保法案整備」は思わぬ大敵になったことは間違いないだろう。 ラオス、タイの国境を流れ、カンボジアとベトナムを潤すメコン川。ミャンマーの国土を流れるサルウィン川。これらの水源は中国奥地にあるが、中国はそこにダムを建築したため下流は水不足気味と言う。南シナ海の浅瀬を埋め立てて港湾や滑走路を造り、近隣諸国との軋轢を生んでいる中国。滑走路の着手はとうとう3本目になった由。 中国が国連安保理の常任理事国の席を得たのは、アフリカ諸国に大金をバラまいたため。それで貴重な金属資源を開発し、かつ世界のリーダーに躍り出たのだ。その巨象が今、熱病に苦しんでいる。日本軍による「南京大虐殺」の嘘も効き目が無かったようだ。不動産バブルが弾けて国土は鬼城(ゴーストタウン)化し、株価は下がり、外国資本は逃避し始めた。市場としての魅力も無くなって来たのだ。 元々中国への外国企業の進出に際しては、最新技術の公開などを義務付ける不当な要求があった。また、中国から企業を引き揚げる際は、財産没収などの恐れもあった。そこまでの制約も、どうやら巨象を再生させるカンフル剤にはならないみたいだ。病める巨象が倒れた時、13億もの人々の運命は果たしてどうなるのだろう。そして中国の影響下にある北朝鮮と韓国でも大きな動乱が生じるのではないか。 ヨーロッパでは、目下百万人規模のシリア難民が押し寄せている。この東アジアでも、そうならないとは断言できないだろう。「一国平和主義」で浮かれる日本。「備えあれば憂いなし」。今般整備された安保法案は、そのための一助になるのではないか。だがわが国の前途は、決して平坦ではないとも感じている。<続く>
2015.09.23
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<米国の怒りと不可解な老人> もしもわが国が外国から侵略された場合、貴方ならどうしますか。私は志願して戦いたいと思う。だが、日本には志願兵の制度はない。また、あったとしても私のような病気持ちの老人は、何の役にも立たないだろう。 現在自衛隊員になるには、中学校を卒業して自衛隊の専門高校に入学する道と、幹部候補生になるため防衛大学に入る道しかない。今般、安保法案の整備が徴兵制に繋がると主張した野党があるが、専門の教育と訓練を受けない限り近代兵器を取り扱うことは困難な由。つまり「徴兵制」など到底あり得ないと言う訳だ。 また「安保法案の整備で自衛隊員のリスクが増える」との指摘もあった。与党は「リスクは増えない」と主張したが、これまでより増えるのは確かと私は思う。だが、元幕僚長の田母神氏は言う。「自衛隊員のリスクが増えることは、国民のリスクが減ることを意味する」と。とても明快な論理だ。隊員は極力隊と自分のリスクを減らすために、日夜訓練を重ねている。 だが、隊員の平均年齢は35歳代と高齢化し、給与も消防署員より少ないのが現状らしい。それでも隊員達は、国を守ることに誇りを抱いている。そして昔の軍隊と違って完全に文民統制下にあるため、自衛隊が独走することはあり得ない。 今回のわが国における安保法案整備を、世界はどう評価しているのだろう。同盟国であるアメリカの歓迎は当然だが、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリアなどは高く評価し、好感を持って歓迎しているようだ。アジアの諸国でもインドネシアとフィリピンがいち早く歓迎を表明した。韓国はこのことにある種の懸念を示し、中国は明確な反対の意思を表明し、北朝鮮は無言を貫いているように見える。反対の国はごく一部で、日本の措置は概ね世界から受け入れられ、欧米の中には期待を寄せる国も少なくないようだ。 わが国の平和は憲法9条で守られていると思っている国民が多いようだ。戦後70年間、日本は平和国家として世界に貢献して来た。確かに憲法9条のお陰もあったかも知れない。だが繁栄の陰には、日米安保条約と米軍の存在があったことも事実。しっかりわが国を守ってくれたために、平和と繁栄を享受出来たことに気づかない国民が多いだけの話。だが世界一の経済大国アメリカにも、とうとう陰りが目立ち始めた。 「世界の警察官」を標榜していたアメリカも経済活動が低下し、国家予算の編成に苦心している。そのため世界の各地に展開していた軍隊を引き揚げ始めた。日本への駐留も大きな負担なのだが日本国民は感謝するどころか、逆に迷惑と感じる向きもある。もしも全て自前、つまり自衛隊だけで日本を防衛すれば、どれだけ莫大な軍備費がかかるかに気付いていないのだ。もちろんわが国がそのような道を選ぶことは到底困難なのだが。 民主党も共和党も日本への不満を隠さない。わが国の軍が日本を必死の思いで守っているのに、もしもわが国の軍が危険に曝されても、自衛隊は助けることが出来ないと。つまり「不公平」と言うのが彼らの言い分だ。かつてソマリア沖で日本のタンカーが海賊に襲われたことがあった。傍にいた自衛艦は手出しが出来ないため、米軍の小さなボートが海賊に立ち向かって退散させた。その時3人の米兵が犠牲になったが、日本のマスコミにはほとんど報道されていないそうだ。 中国は9月3日に「抗日戦勝利70周年」の記念行事を催し、軍事パレードを展開した。その中には堂々たる弾道ミサイルの一群があった由。それは中国からアメリカの西海岸まで到達する最新鋭のもの。しかもそれを製造出来るのはアメリカだけなのだが、なぜか中国が保有していたのだ。理由はサイバー攻撃による軍事機密の強奪。アメリカが怒るのは当然だろう。 その軍事パレードをロシアのプーチン大統領と一緒に、韓国の朴クネ大統領が見物していた。同盟国のアメリカが参加しないよう必死で説得したにも関わらずだ。過去十数年間で40倍もに増大した膨大な軍事費で整備した近代兵器の山。それを日本の元総理、村山氏も見物したようだ。どうやら中国政府から招待されたようだ。「従軍慰安婦」の真実も確かめないまま「村山談話」を世界に公表したあの眉毛の立派な老人が、今回また国益を損なう不可解な行動を取ったのだ。<続く>
2015.09.22
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<油断と苦戦> シルバーウイークにも関わらずたくさんの方が見て下さっていることに先ず感謝したい。さて、昨日は墓参りに行った。お盆の頃は最悪の体調で、とても墓参りに行ける状態ではなかったのだ。ようやく胸のつかえが降りた。また昨日はもう一つ嬉しい出来事があった。帰宅後に観たラグビーワールドカップで、日本が過去2回優勝し、今回も優勝候補に挙がっている南アフリカを下したことだ。 日本がこの大会で勝利したのは、24年ぶりらしい。チームの顔ぶれを観て驚いたのが、中に数名日本人とは思えない顔が混じっていたこと。プレー中に日本が好きになって帰化しただけでなく、3年間滞在すればその国の選手として出場可能なのだとか。今回の安全保障問題も同じだと私は感じた。日本一国だけでは安全を保てないし、国民を守れない。だから集団的自衛権が必要な時代になった。私はそんな風に捉えている。 安全保障関連法案の整備に関して、反対を表明していたブログは幾つかあった。連日の抗議デモへの賛同も目立った。だがほとんどのブログは、沈黙を守っていた。賛意を示したのは、結局私の他には誰もいなかった。言っておくが私は右翼とは違う。彼らの街宣活動は大嫌いだし、天皇制も積極的には支持しない。だが、防衛問題はわが国にとって最重要課題の一つであり、日本の周辺には今危険な芽が幾つか芽生えつつあると認識している。 最近安倍政権では、判断の甘さが目立った。最初は「国立競技場問題」。結局は最初からコンペをやり直すことになった。次に「東京オリンピックのエンブレム問題」。これもコンペのやり直しで決着がついた。きっと大勢の国民が動揺や不満を感じたはずだ。 そして安全保障関連法案の整備に関し、自民党若手議員の不規則発言が起きた。非公開株式の購入問題も発覚して、同議員は結局自民党から去った。さらに首相補佐官が法案の安定性に関して不規則発言をした。これは参議院の特別委員会委員長が委員会に招致し、同補佐官は陳謝した上で発言を取り消す結果となった。いずれも総理を補佐する積りが逆に政府を追い詰め、国民の怒りを買う結果となった。自民党の油断と甘さを強く感じた案件だった。 国会での総理の野次が問題にもなった。そして本件に対する国民の疑問が拡大したのは、与党側の参考人が「安保法案は憲法違反」と断言したことだ。完全な人選ミス。事前のチェックが全く出来ていなかったのだ。あの教授を推薦したのは船田元議員だったようだが、判断の甘さの典型と言えよう。国民の理解を求める機会が、逆に国民に疑惑を抱かせるきっかけになったのだから。野党の呼び掛けもあって、国会前で連日デモが展開され始めた。 法案は合憲とする研究者もいたのに、何故その人を選ばなかったのか。最後の最後で詰めの甘さがまた出た。まさに「油断」そのものだ。全国紙で本件に批判的だったのが「朝日」、「毎日」「東京」。明確な賛意を表明したのが「読売」と「産経」か。テレビ局もほぼ系列紙通りの対応で、中には安倍総理が直接出演して国民に訴えることを拒否した局もあったように聞く。野党の中には「戦争法案」が「徴兵制」に繋がると訴えた政党もあった。その主張が国民に大きな不安を与えたことは確かだ。 東京だけでなく、全国各地でも反対のデモが起きた。山形市長選挙では、法案への賛否を問う戦いになった。結局反対の意思表示をした候補は敗れたが、このことが「維新の党」分裂への引き金となった。総理が出演した読売テレビの「そこまで言って委員会」は大変面白かった。だがあの場で総理が話した法案の趣旨は、国会での答弁と異なると私は感じた。どうもあまり法案の内容が整理されてないのではないか。正直、そんな疑念が起きたのも事実。 「不倫は文化」。かつてそう話したタレントの石田純一がデモの映像に写った。「日本は個別的自衛権で十分対応出来る」。その時彼は、そう演説していた。本当にそうだろうか。私には日本が一国で自国を守っているようには見えない。米軍基地の存在と言う厳粛な事実があるからこそ、近隣の某国が手出しをしないだけの話だ。 つい最近、IS(イスラム国)が攻撃の対象として日本を上げた。また近隣の某大国の首脳が、軍に対して戦争準備に取りかかることを命令したとの情報も聞いた。ラグビーではないが、そんな危険な思想を持つ国家や団体に対して、世界は共同でスクラムを組む必要がある。今は一国で平和を守れるほど単純な時代ではない。安保法案の整備が戦争への抑止力に繋がると信じる所以だ。<続く>
2015.09.21
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<国会での審議と印象など> 参議院での採決で、一つの問題に決着がついた。「安全保障関連法案」のことだ。国民の意見を二分するこの問題について書きたいと思う。だが、これを書けば元々多くないブログ友を、さらに失うことになるかも知れない。それでもやはり、私は書くほかないだろう。特段政治や法律について、知識があるわけでもない。それに体調も悪く、いつまで生きられるかも分からない。いわば死にかけてる一人の爺さんが、何かほざいてると思ってくれたらそれでも良いのだ。 まだ参議院の特別委員会での審議過程では、とんだ茶番劇をやってるなと言うのが正直な印象だった。それが本会議での採決を前に、各党の論説が行われた。それを聞いて、初めてこの問題の実態と本質が分かったような気になった。前夜から眠れずにいたが、この夜も一旦床に就いたもののその後の進展がどうなったか気になって目覚め、テレビのスイッチを点けた。 民主党の福山氏。ここまであらゆる抵抗を続けて来たものの、とうとう「悪法」の成立を許す無念さに溢れていた。自民党は、なぜこの法案整備が必要なのかを冷静に話した。共産党は「戦争法案」が徴兵制に繋がり、日本の平和を壊すと説いた。公明党は国際状況と日本の立場を丁寧に話した。その他の政党も、各々自党の立場を明確に述べた。そうか。そう言うことだったのか。審議の最後の最後になって、ようやくこの法案の実態が見えて来た気がした。 そう言われたら、確かに今後の日本はこれまでとは大きく立場を変えることになり、かなり不安も覚える。しかしわが国を取り巻く環境や世界の情勢を見たら、今のままでは良くない。何らかの対策が必要だと思うのだ。それも出来るだけ早急に。それだけ日本の平和が脅かされていると私は実感していた。不測の事態が起きるまでに、何らかの対策が必要だ。それが今回の法案整備なのではないかと。 それにしても公明党がここまで頑張るとは思っても見なかった。創価学会員が党員の大半を占める政党で、私はあまり好きではない。ただし「平和の党」を標榜し、あまり危険な方向には向かわないと言うような安心感はあった。それが与党に与してからは自民党へ影響を与え、自民党も止むを得ず公明党の意向を尊重せざるを得ない面もあった。今回の問題は学会員の中からも反対の声が多く、党はそれを押し切ってまでも最後まで自民党と行動を共にした。へえ、あの公明党がそこまでやるかねえ。 本件に関しては国会前などで、連日デモが展開された。だが私はあまり感動を受けなかった。認識がまるで違うのだ。法案整備の危険性や違憲性よりも、日本が置かれている現況の厳しさや危険性の方が心配だった。人間であれば誰しもが好きで戦争を起こそうとする者はいない。そして誰だって平和な暮らしを願うのが普通だと思う。でもその方法が違うのだ。平和は黙っていれば勝手に着いて来るものではない。まして問題が複雑な今日の国際環境においては。 ともあれ一つの方向が示されたが、このまま順調には進まないと思う。これから法案の違憲性に関する提訴があり、長い裁判が始まることだろう。そして今回の結果が、来年の参議院議員選挙に大きな影響を与えることは必至だと思う。どんな結論になるかは全くの不明。だがどちらの立場に立っても、自分の方が正義だと信じている国民がいることだけは確かだ。これほど大きな課題を、たった一人も死ぬことなく結論を得たことも事実。先ずは賽は投げられた。<続く>
2015.09.20
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今年も彼岸花が咲く季節になった。ブログ友の写真に触発され、何日か前に近所で咲いている彼岸花を撮りに行った。四国松山勤務の時、大分県の国東半島へ旅したことがあった。金色の田の畦道に、真っ赤な彼岸花の一群。何と言う見事な光景だろうか。その時はそんな感慨で終わった。 その次の転勤先でボス(日本史の泰斗)の著書を読み、彼岸花が稲と共にわが国に渡って来たことを知った。彼岸花の根には毒が含まれているが、その花をわざわざ田の畝に植えたのだ。何と有毒の彼岸花の根を恐慌で何も獲れなくなった年は掘り起こし、水に曝して食用にした由。そのため遠い祖先たちは住まいの傍にこの植物を植えた。食糧が豊富な今では、もう有毒の植物の根を食べることはない。ただ長閑な秋の風景だけが目の前にある。 近所の彼岸花には、そんな歴史も風情もない。ただ観賞用に植えたのだろう。一見華やかな花だが、見方によっては単純でもある。そこで自作の拙い句を添えることにした。お互いに補い合って、新たな風景が現出したら嬉しい。なお曼珠沙華(マンジュシャゲ)は彼岸花の別名である。 哀しみはあと幾度ぞ曼珠沙華 秋空を背に艶然と花開く 青雲の流れ果てなし彼岸花 この秋の小さき川よ赤き花 赤々と命燃やして彼岸花 秋の陽と命を競ふ花の群れ 彼岸花まつ毛の長き乙女ゐし 曼珠沙華逝きたる母と姉の顔 風止みて一際赤き彼岸花 一列のさざめき彼岸花の咲く ヒガンバナ昭和は遠き夢の果て わが命あと幾年ぞ秋の空 我が墓に似合わぬ花よ曼珠沙華 曼珠沙華今宵は月も出ぬさうな 故郷を離れて久し彼岸花 彼岸花いずれも似たる背格好 秋彼岸川辺に赤き花の列 赤とんぼ止まりし花も秋の色 マンジュシャゲ傍若無人の色をして ほどほどの人生楽し花の秋 金色と朱の入り乱れ邨の秋 秋の田や花並び立つ村外れ 秋空にパッション舞ひて花の宴 未明に目覚めてテレビを点け、国会中継を見続けていた。とうとう一つの問題に決着がついた。そこでわが国を二分した課題に関して、明日から新たなシリーズを書き始めたいと思う。さてすっかり目覚めた頭で、これから二度寝することが可能かどうか。私にとってはどうやらそれが喫緊の課題みたいだ。
2015.09.19
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もがいていた。苦しんでいた。まるで金縛りにでもあったように。そして体が熱かった。私は一晩中うなされたまま、とうとう朝を迎えた。ブログを書いて庭へ出ると、真っ赤な花が目についた。あれっ、ハイビスカスが咲いてる。おかしいなあ。暑かったこの夏は一度も花を開かせた記憶がないのに。それにしても昨夜の苦しみは何だったのだろう。今も首と肩が猛烈に痛み、カチカチに固まった感じだ。 朝食後、歩いて2kmほど先の山の上にあるM医院へ行った。薬がほとんどなくなったのだ。それにドクターには、前回の診察後K病院で検査を受けた結果を報告する必要があった。ゆっくり一歩ずつ確かめるように足を出す。まだ元気だった頃は、こんな坂道を平気で走って登ったものだ。それが情けないことに、ゆっくり歩くだけでも息が切れて苦しい。どこからか匂って来る芳香。これはキンモクセイだ。今年もまたキンモクセイが咲く季節がやって来たのだ。 M医院の待合室は既に大勢の患者で溢れていた。「今日は通常の診察で良いんですか。後1時間半はかかりますけど」。受付の女性が言う。それは織り込み済みのこと。暫くして血圧計に左腕を突っ込む。血圧は正常範囲だが、脈拍は120ほど。やはり不整脈が出ている。新聞と雑誌を読み、無料の緑茶やジュースを飲んで順番を待つ。普段は読まない地元紙と週刊誌の記事が新鮮。やっと名前を呼ばれて、診察室前のベンチに座る。 この日のMドクターは髭面だった。日頃はマスクをしているため、分からなかったのだ。ドクターに前回以降の経過を話す。その間2回通院したK病院からも検査結果の連絡が来ている由。気になっている首と肩の痛みが不整脈と関係あるか尋ねたら因果関係はない由。発作が出て以降40日経ったが未だに苦しく、12月に3度目の手術を受ける予定であることも告げた。薬を処方してもらい、隣の薬局へ向かった。 薬剤師も心得たもので、あまりしつこくは症状を聞かない。処方された薬の種類と量を見たらピンと来るのだろう。2袋分の薬は2カ月分。病院と合わせると5千円近い料金だが、71歳を過ぎ「東日本大震災」の被災地であるためまだ1割負担適用なのが有難い。これが通常の2割負担だと倍になる。眼科、歯科、K病院など含めたら相当の医療費だ。帰路は全て下り坂なので楽。 坂を半分ほど下った所で誰かに呼び止められた。良く見ると2番目の職場の元同僚。ご主人共々最近私を見かけないと心配していたそうだ。そこで立ち止まって事情を話す。体の辛さもさることながら心の辛さも正直に話すと、とても驚いていた彼女。元気良く坂道を走り回っていた私が、まさかそんな現状だとは想像出来なかったのだろう。それにしても、この首と背中の痛みの原因は何? そう言えば、先日妻の電動自転車を借りて、鶏糞を買いに行った。2袋で30kg。小さな荷台にゴム紐で縛りつけたが、帰宅した時には危うく落ちそうになるほどずれていた。あの時は重くて必死にハンドルを握っていた。そして畝をシャベルで掘り返しもした。最近は自室に籠ってパソコンとテレビ三昧。きっと座椅子に座るその体勢も、首や肩に負担をかけているのだと思う。それであの夜は久しぶりにストレッチ体操をしてみたのだが。 午後から整骨院へ行って見よう。そう思って古い診察券を引っ張り出した。良く見たら水曜の午後は休診日だった。ああ残念。折角その気になったのになあ。その夜寝床に入っても、前夜ほどには苦しまずに済んだ。背中と首は心なしか楽な感じ。だが、不整脈の気持ち悪さは残ったまま。その夜は何度も目覚め、その都度テレビを点けて国会の動きを確かめた。例の安全保障関連法案の審議状態だ。目下国を二分しているこの件についても、書く必要があるだろう。そう思いつつ、いつの間にか深い眠りに落ちた。 翌日居間のテーブルの上に柿の実を発見。我が家の裏庭で生ったのを妻が枝ごと折ったようだ。春には枯れかけていた樹だが、私は必死に水やりをした。そのお陰で何とか樹勢が戻り、わずかながら実をつけたのだ。柿の樹も自分も何とか頑張った。そして秋を迎えることが出来た。 今は爽やかな風が心地良い季節。「風立ちぬ。いざ生きめやも」。堀辰雄の小説と共に、同名のアニメーションを思い出した。後は12月の手術まで、何とか体を持たせたいのだが。
2015.09.18
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先日の県内の水害に関して、岩手のブログ友ニッパさんがお見舞いのコメントを書いて下さった。もう1カ月半ほどブログを更新していなかった彼が無事だったことが分かって嬉しかった。体調が悪い中で心配してくれたんですね、ニッパさん。どうもありがとうございます。 長崎のブログ友神風スズキさんが、27日ぶりに散歩が出来たと私のブログにコメントをくれた。遺伝性の痛風で、両足、両膝に激痛があり、脂肪肝の障害も出ていた由。そのため煙草とアルコールも止めたそうだ。それもこれも再びスキーを楽しむためとのこと。私も体調が悪いだけに、ご両人の心中がとても良く分かるのだ。 ご主人の怪我でさらに多忙になった三重のブログ友よっちゃんさん(彼女は私の一番古いブログ友なのだが)が、暫くブログを休むと昨日書かれていた。地域での奉仕活動などでお忙しい上に、ご主人の代行で鯉などの世話や庭の整備でお疲れのようだ。これまでに何度もブログを止めたいと書かれていた彼女。何とか頑張って欲しいのだが。 その他、パソコンの不調でブログを休まれている群馬のyuriさん。先日ジョージア(以前のグルジア)から帰国されて以来コメント欄を閉じたままの三重のブログ友マッカーサー先輩もおられる。お二人とも一体どうしたんだろうね。きっと何か事情があるのだろうが、またブログを再開され、コメント欄を開かれることを心待ちにしている。 先日堤防が決壊して大きな災害を受けた宮城県北部の渋井川。大崎市古川の走友達は、大丈夫だったのだろうか。きっと彼らの住まいは、あそこから離れていると思いたい。不整脈が発生して恒例の「薬莱山とお足」に参加出来なかった私に、当日の写真をメールで送ってくれたT田さん。「病気が治ったらまた走れるようになる」と励ましてくれた彼の家に被害がなかったことを祈っている。 それにしても鬼怒川の水害は酷かった。被害もさることながら、常総市の対応の悪さが目立った今回の事故だった。実は水害を予想して「ハザードマップ」を作成していたようだ。それが決壊場所と氾濫場所の推定が、今回の水害の地点とほぼ一致していたことに驚いた。また決壊箇所の住民には、避難勧告をしてなかったことも判明。行方不明者の実態も把握しておらず、茨城県との連絡体制にも問題があった。それより何より、災害対策本部のある市役所が水没したのでは話にならないと思うのだが。 わが東北楽天の今期は散々だ。大久保監督は成績不良の責任を取って、早々に辞任を申し出た。現在は借金が20以上にまで増え、堂々の最下位。そんな中で、星野前監督の球団副会長への昇任人事が発表された。チームの編成にも携わるとのこと。今季は諦めたが、来季は頑張って欲しい。ニューヨークヤンキースの田中マー君が、今季13勝目を上げた。春先は不調だった彼が、やはり実力を現したのが嬉しい。そして彼も近くパパになるニュースを聞いた。 大相撲秋場所は、横綱日馬富士に続いて白鵬まで休場することになった。何でも場所前の出稽古で、膝を傷めた由。先場所解説者の舞ノ海から「衰えが出て来た」と論評され、怒っていた彼だがやはり稽古量が少ないことが、怪我に繋がったのだろう。長い間一人横綱で頑張り、多くの記録を塗り替えた彼も、やはり人の子。大横綱になって慢心したのだと思う。プロ野球もそうだが、勝負の世界の厳しさを知った思いだ。 体調を見ながら、時々体を動かしている。だが、不整脈の発作が出てから40日間。強烈な抑制剤を服用しているのに発作は続いており、あまり無理は出来ない。用足しやブログの写真を撮るための散歩など軽微なものだ。先日は畑の始末をした。オクラとツルムラサキを全て抜き、その後の畝に白菜とブロッコリーの苗を移植。オクラを植えたのは筑波以来の40年ぶりだが、かなりの収穫があった。美しい花を記念撮影し、感謝して苗を処分した。<続く>
2015.09.17
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9月も中旬に入るとぐっと秋めき、花も秋の花に変わって来ますね。今日はそんな秋の花を紹介しましょう。いずれも近所を散歩中に撮ったお気軽なものですが、楽しんでいただけたら幸いです。 秋の花と言えばやはりこの花を思い出しますね。 風にそよぐコスモスの花。爽やかで良いですねえ。 黄花コスモスの鮮やかなオレンジ色も素敵ですね。 仲良し2人組み。 地味なケイトウですが、やはり秋の花の代表かな? ケイトウにも幾つかの種類があるみたいですね。 我が家の畑の「オクラ」の花です。この夏はたくさんの実をつけてくれました。 野菜としての役割を終え、先日苗を処分しました。 ピンクの色が濃いオオタデの花です。 雑草を改良して園芸種にしたのでしょうか。 我が家の庭のシュウメイギク。今年も秋が来ましたね。 玄関にはワレモコウとシュウメイギクが。どちらも我が家の庭の花です。散歩は体調と相談しながら、ゆっくりとしたペースです。今日は歩いて病院へ行こうと思っています。
2015.09.16
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今回は4月末に訪ねた「仙台市電保存館」の第2回目です。 「仙台市電保存館」には市内を走っていた当時の車両が何台か展示され、実際に乗車することが出来ます。 これらの路面電車が仙台市内を走っていたのは大正15年(1926年)から昭和51年(1976年)までの約50年間でした。もちろん私も子供の時から乗っており、とても懐かしい存在です。自動車が増え過ぎて市電が通行の邪魔になり、とうとう廃止するこのになったのです。私が転勤中で不在の時の廃止だけに、残念でたまりません。 車内の様子です。実際に電車に乗ることが出来ます。 電車の前と後です。マークは仙台市の市章です。 電車の横についた「行き先案内板」です。分岐点で車掌に言えば、乗り換えが出来ました。 右は料金箱です。私が覚えているのは20円だったかな? 電車の停留所の看板などです。私にとっては懐かしい名前ですね。 左は電車の前にある「行き先」です。色んな路線があって、市内の色んなところに同一料金で乗って行くことが出来ました。市民にとってはとても便利でエコな乗り物だったんですがねえ。 仙台市の市章(左)と、車両メーカーなどの社章です。 車両メーカーなどの社章が残されていました。 台車の車輪だけが特別に残されていました。 今回はいずれも「オタク」っぽい写真が多かったですが、私は特に「オタク」ってほどではないのですがね。<明後日に続く>
2015.09.15
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昨日も良く救急車のサイレンを聞いた日でした。仙台市内では30か所で崖崩れが発生したようです。それも午前中だけの件数とか。先日大雨が降って地盤が緩くなったのでしょう。「特別大雨警報」の影響が、残っていたことに驚きますね。また久しぶりに気温が上がって夏日となり、暑く感じた一日でした。さて、今日は花の特集の第2回。「仙台市電保存館」と交互に紹介しています。 近所で見かけたハイビスカス。 この夏、我が家のハイビスカスはなぜか咲かなかったように思います。 マツバギク。この花も夏は元気に咲いていました。 この白い花の名前は知りません。 この花はなんでしたっけ?名前を聞いたら思い出すんだけどなあ。 小さくて可愛らしいセンニチコウ(千日紅)。 我が家のノボタンは良く咲き、今も2回目が咲いています。 ホウセンカの花。沖縄では「ティンサグヌハナ」と言います。昔の子供達が「手の先」、つまり「つま先」をホウセンカの花の汁で染めて遊んだことに基づきます。「ヌ」は「の」の意味です。 手ぃんさぐの花やちみさちに染(す)みり、親の諭(ゆ)しぐとや肝(ちむ)に染みり。 (ホウセンカの花はつま先に染めて遊びなさい。ただし親が諭してくれたことは、心に染めなさい。) 今でも大好きな沖縄の教訓の歌です。「ゆいレール」(那覇のモノレール)では、この曲が流れる駅があります。 これも名前が不明。夾竹桃に似てますがずっと大きな花です。 ジャスミンでしょう。松島湾の桂島で見たテイカカズラ(定家葛)に似ています。 オレンジ色のマリーゴールドです。秋が近づいて来たようです。 マツバボタンです。石ころがゴロゴロした地面でも平気で咲いています。 エンゼルトランペットの花が下を向いて咲いています。 咲いているのは、町内会が世話をしているバス停前の花壇です。 3年かけて、石ころだらけの空き地を花壇に変えたのです。今はたくさんの花がバスを待つ人の目を楽しませています。 白花のエンゼルトランペットも咲いています。 別の花壇で咲いていたハナトラノオ。 あるお宅の前にあった寄せ植えです。 さほど大きなスペースではないのですが、花を愛する気持ちが良く表れていますね。<明後日に続く>
2015.09.14
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「仙台市電保存館」を訪ねたのは、今年の4月末。所属走友会のお花見の日でした。お花見の前に、自転車に乗ってここへ来ました。でもその頃は季節に相応しいテーマの写真がたくさんあったので、直ぐには公開しませんでした。この建物は、仙台市地下鉄南北線富沢駅付近の車両基地内にあります。 仙台市電は、かつて仙台市内を走っていた路面電車でした。大正15年(1926年)から昭和51年(1976年)まで、約50年の歴史があります。でも自動車が増えて渋滞するようになって、廃止されました。私は子供の頃から親しんでいましたが、転勤中に廃止されたのが残念です。仙台市民である私にとってはとても懐かしい存在ですが、見ている皆様にはどうでしょうね。それでも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。 ここからかつて走っていた電車を型式別に紹介しています。 ずいぶんたくさんの型式がありますが、中には私が乗った電車もありますね。 南町通りです。昔の「農林中央金庫」が写っています。名称は変わりましたが、今も同じ場所にビルがあります。 これはかつての仙台市役所前を走る電車。懐かしい建物で、市の庁舎は同じ場所に新しく建て替えられています。 これは大学病院前にあった市電の車庫です。現在は市営バスの車庫になっています。 国鉄(当時)仙山線の北仙台駅前で、この辺には当時の面影が若干残っています。現在は地下鉄の駅があります。 軌道内の敷き石を除けて工事をしています。当時はこのような風景を時々見かけました。南町通りのようです。 車掌姿のマネキン人形です。 運転席の様子です。私も良くこの場所に立って、運転する様子を眺めていたものです。 当時運転手さんが被っていた帽子です。 電車の運転免許証です。珍しいですね。<続く>
2015.09.13
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9月10日木曜日。テレビの実況放送に釘付けとなる。何と川が氾濫して住宅地へ流れ込み、ヘリコプターで救出する生の映像が写っている。場所は茨城県の常総市で、川の名は鬼怒川。筑波と水戸に合計11年間住んだので、茨城の地名は分かるが、平成の大合併ですっかり昔の地名とは違っている。そこでネットで場所がどこか調べ、それを昔の地図で確認する。これは私が時々行う調査作業でもある。 その結果、常総市は昔の水海道市であることが分かった。ここには筑波時代の卓球仲間が住んでいるはず。さらにテレビを見てると、堤防の決壊場所が「新石下」と呼ばれていることも分かった。石下(いしげ)も馴染みがある地名。筑波研究学園都市の創設期、私は東京の三鷹から3時間かけて通勤したことがあったが、「石下」は常磐線の土浦駅から職場へ向かうバスの終点の名前だったのだ。 筑波から観光バスに乗ってあの周辺を通った時、バスガイドから「小貝川は洪水の多い所」と聞いたことがあった。そのために何度も堤防を補修しているとか。だがその小貝川ではなく、それより大きな鬼怒川が決壊したのだ。原因は「線状降水帯」と呼ばれる大雨を降らせる雨雲が同じ場所にかかって、雨を降らせ続けたことだ。上流の栃木県も同様の気象だったため、川の水嵩が増したのだろう。 目の前で濁流が次々に住宅地に流れ込むヘリコプターからの映像。すさまじい水の勢いに、住宅が耐え切れずに流されて行く。そして自衛隊員がロープを伝って民家のベランダに降り、取り残された住民を助ける様子を手に汗握りながら私は見続けていた。栃木県でも鹿沼市を中心に水害が生じ、家が流され人が亡くなったことを知った。鹿沼市には、東京勤務時代の後輩が住んでいる。果たして彼の家は大丈夫だろうか。 その夜のニュースで、仙台と山形を結ぶ仙山線が全面運行停止していることを知った。また高速道路「山形道」の一部も通行止めにしているらしい。これでは家に帰れない人が出て来る。私も仙台の自宅から山形の職場まで、4年間高速バスで通勤したことがあった。通常は1時間で着くのが、大雪で4時間もかかったことがある。あの時はトイレで困ったものだ。 9月11日金曜日。ブログを更新しようとしてパソコンを開いて驚いた。待ち受け画面に宮城県内に「特別大雨警報」が発令され、仙台市などに避難勧告が出ていたからだ。この警報が出たのは東北で初めてのことと、後で知った。大雨が降ることは前日の天気予報で知ってはいたが、まさか自分が住む地区に避難勧告が出るとは。それも5つの区全てが対象のようだ。外は大雨だが、少し高い位置にある我が家は大丈夫のはず。 ゴミ出しに行きながら、近所の川を確認した。まだ水量はさほどでもない。これなら心配はないはずだ。だが朝食後テレビを見ていて驚いた。県内の交通が高架の東北新幹線と仙台市地下鉄を除いて、ほぼ全面ストップしている。それに学校は軒並み臨時休校措置を取ったようだ。 パソコンを開くと、仙台市内でも泉区に氾濫箇所があるようだ。仙台市の北方の富谷町と大和町を流れる吉田川及びその支流の竹林川でも氾濫のニュース。ここは「薬莱山とお足」55kmコースで通り、橋の上からいつも川を眺めていた場所だ。さらに大崎市古川の渋井川も氾濫したとのニュース。こちらは規模が大きく、古川駅も水に飲まれたようだ。だが、聞いたことがない名前で、調べるのにかなり手間取った。 そのうちヘリコプターが飛ぶ音が何度か聞こえるようになった。救急車も良く通る。どこか崖崩れでも起きたのだろうか。それともまさか市内を流れる広瀬川が危険になったのか。夕方になって、同じ太白区の団地で崖崩れがあったことが分かった。旧国道沿いの傾斜地にソーラー装置を設置した場所で、何度も傍を走って通ったことがある。 ブログには心配したブログ友のお見舞いの言葉もあった。皆さん、ご心配いただいてありがとうございます。幸いにして我が家は無事。そんな返事を必死で書いていた。 県内の大雨もやはり「線状降水帯」の仕業だった。そして渋井川の氾濫の原因は、鬼怒川同様に「バックウォーター現象」のようだ。小さな川が大きな川に合流する際、水嵩が増したより大きな川に合流出来ず、水が押し戻されて堤防が崩れて決壊するのだそうだ。鬼怒川の決壊現場では、その後かなり水が引いた。だがその分水没面積が増えて、常総市役所まで水に飲み込まれてしまった。 さて今日は9月12日土曜日だが、今朝もパソコンを開いたら仙台市の青葉区に避難勧告が出ている。これは一体何なのだろう。ともあれ大雨と水害のニュースに翻弄されたここ数日間だった。犠牲者の方々に心からご冥福を祈りたい。そして被災地の方々には、大変でも頑張っていただきたいと願う。折角刈り取り前だった稲が、すっかり台無しになってしまった農家の悲しみを思う。自然災害のエネルギーの物凄さをつくづく思い知らされた感じだ。 「災害は忘れたころにやって来る」。物理学者寺田寅彦のこの言葉を、もう一度噛みしめる必要がありそうだ。
2015.09.12
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外では今、雨が降っています。ブログを更新しようとしてPCを開けて驚きました。何と私が住む仙台市で、水害の避難勧告が出されていますね。5つの区のいずれもに、至急避難すべき対象の方がおられるようで驚きです。幸いにして我が家は少し高い位置にあるため大丈夫です。また堤防が決壊して氾濫してる川が、近隣の町にあるようです。さらに宮城県内に特別大雨警報が発令されたようで、心配です。 昨日はテレビを見て驚きました。各地で大変な水害が起きていますね。福島県の南会津町。ここは100kmのウルトラレースをエントリーしながら体調不良で参加出来なかった山の中の町です。栃木県鹿沼市。ここは東京勤務時代の後輩が住んでいます。そして茨城県常総市。ここは筑波勤務時代の卓球仲間が住んでいる市(旧水海道市)で、創設当初は土浦市から石下(いしげ)行きのバスに乗りました。石下は鬼怒川の堤防が決壊した、あの場所です。 行方不明の方も何人かおられるとのこと。驚くべき大災害ですね。被害に遭われた皆様には、心からお見舞い申し上げます。そして仙台市及び周辺の町の被害が出来るだけ小さなものであるよう、祈ります。災害のニュースに相応しくないかも知れませんが、今日は花の特集。体調不良が続き、最近はほとんど写真を撮ってないため、既に撮ってあるものを使用したいのです。美しい花を見て、少しでも心を和らげていただけたら嬉しいです。 まだ暑かった頃の元気者のヒマワリです。 我が家のユリですが、名前は何かな? 百日紅(サルスベリ)は、夏に相応しい花の一つですね。 サルスベリには青空が良く似合います。 近所のバス停にある花壇で咲いています。私達の町内会が管理しています。 黄色いエンジェルトランペットの花。 我が家のカシワバアジサイですが、この後猛暑で枯れてしまったようです。 これも我が家のユリです。 キョウチクトウ(夾竹桃)も夏の花の代表格かな? 公害に強いキョウチクトウは、大都市の街路樹になるとか聞きました。 これはノウゼンカズラの蕾でしょうか。 インパチェンスでしょうか? きれいな花ですが、名前は知りません。 ヒルガオ(昼顔)の花が咲くのも夏ですね。 ここからはアサガオ(朝顔)の特集です。じっくりお楽しみくださいね。 これで今日の掲載許可が満杯のようです。続きはまた今度。少し秋らしい花が載せられるかな?さて、水害がこれ以上増えませんように~!!<続く>
2015.09.11
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皆様の地方では、台風18号の被害はありませんでしたか?今回は大変な大雨が降り続き、各地で大きな被害が出たようで、心からお見舞い申し上げます。さて、今日も似たような写真が続きますが、このシリーズは今回が最終回です。 松島湾に浮かぶ浦戸諸島は、名勝で日本三景の一つ松島の一部で、塩釜市の有人島4つ(桂島、野々島、寒風沢島、朴島)も含まれています。このうち3つの島を歩き、連絡船に乗ってデッキから島々を眺めながら塩釜港に帰る途中です。 小さな湾に浮かぶ島は、大小合わせて160にも上ります。 それらの島々が出来たのは、平安時代の貞観地震によると言われています。地質のもろい内陸部が揺さぶられて溺れ谷になり、そこに海水が浸入して小山の頂が無数の島々になったとの説です。 平安時代の資料には、まだ陸地だった頃はこれらの島々を歩いて対岸に行けたとの記録もあるみたいです。不思議な話ですね。 海に浮かんでいるのは、カキの養殖棚です。これらの設備は「東日本大震災」の津波で、ほとんどが流されてしまいました。 かつて広島湾やフランスのカキが病気で全滅した時、松島湾の種カキを送ったことがありました。今回はその時のお礼に、広島やフランスから種カキが送られて来たのです。 そのカキがようやく出荷出来るようになりました。ありがたいことですね。 三陸沿岸で養殖している「ホヤ」は、3年かかってようやく食べられる大きさになるのです。それが今年辺りから出荷出来る運びになった由。わずかに残っていた「種」を増やしたのです。 すっかり木が枯れた島です。原因の一つが海鳥の糞。島に巣を作ったウミネコが大量の糞をして、木を枯らしてしまうのです。そのため観光船からの餌付けが禁止されています。 幾つかの洞窟が連なる美しいこの島も、松が枯れ始めています。こちらの原因はマツノザイセンチュウによる松枯れ病でしょうか。 向かって右側の松が、勢いがありませんね。 「松島」は「松」が売り物。やはり青々とした松じゃないとね。 このスフィンクスのような形をしたのは「仁王島」。どことなく仁王様の横顔に似てませんか?礫岩や砂岩で出来ている島はもろく、「仁王様」の首はセメントで固定されています。震災前から何度も崩れかけているのです。 長い間の風雨や波の浸食でも、島は次第に削られて行きます。 だから、芭蕉達が「奥の細道」で見た風景も、今では変わってしまったかもねえ。 芭蕉と弟子の曾良も、やはり塩釜から舟に乗って松島へ向かいました。陸路が厳しかったからのようです。 ところで松島のあまりの景色の美しさに、芭蕉は「松島やああ松島や松島や」と詠んだと言うのは嘘。後で作られた話なのです。これはさる狂歌師の「松島やさて松島や松島や」をもじったものとされています。 そんな話が生まれたのは、松島で芭蕉が読んだ句が「奥の細道」に載っていないため。ところが弟子の曾良の日記には、師が詠んだ4つの句が記されているそうですよ。そのうち2つの句が本にあるので、紹介しますね。 島々や千々にくだけて夏の海 朝よさを誰まつしまぞ片心 大勢の走友達と歩いた松島湾の島々の話も、これでお終いです。似たような写真ばかりできっと退屈だったと思いますが、最後まで辛抱してお付き合いいただいたことに感謝します。来年も元気で、この催しに参加出来ると嬉しいのですが。<完>
2015.09.10
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2つの台風が日本列島に接近中です。台風17号は太平洋を北上して三陸沖へ、そして台風18号は紀伊半島から中部地方へ上陸しそうな勢いで。お近くの皆様は、強い風雨や波浪に十分ご注意くださいね。大きな被害が出ませんよう、お祈りします。 さて、今年の仙台七夕ですが、1回分の写真を未掲載のままでした。折角なのでこの場をお借りして載せたいと思います。季節外れの吹き流しを楽しんでいただけたら嬉しいです。 仙台七夕の初日である8月6日の午前中、私は仙台駅からスタートして中央通りを西に向かい、Fデパートから右折して今度は一番町を市役所方面に北上しました。今回の七夕飾りは、私が割と優雅だと感じたものを撮っています。 仙台は今日も雨の一日です。あの猛烈に暑かった夏が、何だか恋しい気もしますね。週末にはようやくお日様が出てくれるみたいです。さて、仙台七夕楽しんでいただけましたか?ハーフトーンの色彩のものばかりで、似ていたかも知れませんが、どうぞお許しを。今年の七夕は、これで見納めです。来年また改めて取材に行きますね。そして、台風には十分ご注意くださいませ~!!
2015.09.09
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生年月日と名前が呼ばれて、第1診察室へ入った。昨日の午前、K病院の循環器内科でのことだ。中にいたのは「不整脈外来」担当のO医師。私がその日の最初の患者だったのは、恐らく緊急度が一番高かったのだろう。カルテが十分に読まれていたのか、若い医師は開口一番手術の必要性を説いた。そして今回の「発作」と現在の体調を私に尋ねた。そうか、この体調の変化は発作なのか。そして手術を要するほど今回の不整脈は重篤だったのか。私は事態をそう受け止めた。 胸に違和感を感じたのは、8月6日の真夜中だった。脈拍がわずかに乱れているのが分かったが再び眠りに就き、その日はブログを書くため「仙台七夕」を取材に行った。走れなくなったのはその翌日から。明らかな不整脈の発生だ。その引き金となった要因は、猛暑と熱帯夜が続いたことによる睡眠不足、2週間連続の早朝ラン、そして脈拍を抑える薬を医師の指示によって飲んでいなかったことだと思う。それに精神的なストレスもあった。 不整脈の発生に伴う症状は、1)動悸2)眩暈(めまい)3)胸の苦しさ4)胃のもたれ。私の場合それに緑内障に伴う視野欠損と老化による二重視が加わる。酷くなるとそのまま死んでしまうのではないかと思うほどだ。とても運動するどころではなく、ひたすら耐えて病院のお盆休みが終わるのを待った。この間、自分の判断で服用を中止していた脈拍を抑える薬を飲んでいた。 8月18日。通院しているM医院で健診。病院を訪ねたのは、薬が無くなったこともある。心電図を見たドクターがいきなり「K病院での手術」を口にした。だが、私は真剣に受け止めてなかった。手術はこれまで2度受けたが、その都度不整脈が再発した。昨年の9月にはあまりの体調の悪さに入院して、不整脈を止めるため心臓に電気ショックを与える処置を受けた。それでも2週間後には、不整脈がゾンビのように蘇ったのだ。 いつでもK病院へ行けるようMドクターは心電図のコピーをくれ、脈拍を抑える薬を1日3回服用することになった。ペースメーカーの装着について尋ねたが、私の症状には不必要の由。この時は運動のため、歩いて帰宅した。症状が悪化したのはそれからだ。おまけに自室でパソコンやテレビを見続けていたことで、肩と首がガチガチに凝って苦しい。一歩歩くごとにうめき声を上げる始末だった。 8月25日の早朝から、覚悟を決めてK病院に行く。担当医師は4月末に救急車で運ばれた際に対応してくれた人。胸部X線撮影の結果、肺に水腫は見つからなかった。不整脈が悪化すると、肺に水が溜まることがあるらしい。血液検査もまあまあの結果。心臓のエコー写真では、さほど心機能の衰えはない由。心電図はM医院の時と同じ波形が出て、再度「不整脈外来」を診察するよう言われ、予約してくれた。強い薬効のある不整脈抑制剤を1錠追加服用することになった。 それでも私は手術をためらっていた。高いお金をかけ、体に負担をかけて手術をしても、長い歴史のある私の不整脈が、またぶり返すのではないかと諦めていたからだ。そして発作から1カ月経った昨日、K病院の不整脈外来を訪ねた。その日が予約日だったのだ。 その日撮った心電図を見て、O医師の反応が少し変化した。恐らくは脈拍が前回より穏やかになっていたのだろう。それは体の楽さで、自分にも分かった。「薬の効果が出ているね」。薬はそのまま継続し、万全を期して12月に入院、手術する由。体調と相談して旅行をしても良いとのこと。実は最初の診察では散歩すら禁止令が出ていたのだ。再検査のため、45日後にK病院に来院すること。通常の治療はM医院で受け、M医師には手紙で診察結果を伝えることになった。 「先生、なぜ不整脈になると苦しくなるのですか。年に何度かそのまま死んでしまうのではないかと感じる時があるのですが」。「脈拍が乱れることで血液が全身にちゃんと届かないためですよ」。なるほど、やはりそうか。自分では多分「高山病」の症状と似ているのだろう。そんな風に考えていたが、当たらずと言えども遠からずだったのだろう。「今回の手術は気合いを入れてやりますよ」。O医師はそうも言っていた。さっぱりした気持で、私は病院を後にした。 病院で不整脈が見つかったのは「東日本大震災」の年だから、既に4年半が経つ。考えて見れば、それ以前からその兆候があった。レース中に体調の異変を感じたことも何度かあった。過酷なウルトラマラソンに挑戦してから20年。退職後はその参加費用を稼ぐため、9年間肉体労働のパートにも従事した。その「勤続疲労」と精神的な過度のストレスが、私の体を知らず知らずのうちに蝕んだのだと思う。 その間に、ラブラドルレトリバー種の愛犬マックスを失った。彼は私の最大の相棒で、ウルトラのレース中も彼の名を呼びながら走ったものだ。老化と病気で最大の趣味であったマラソンを失い、良き相棒のマックスまで失った私の目下の楽しみはブログ。老後の体調に不安を抱きつつも、何とかより良き文章として昇華させたいと願っている私だ。自らの健康状態をブログに曝すことの是非はあろうが、アハハと笑って読み飛ばしていただけたら嬉しい。
2015.09.08
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このシリーズも第7回となりました。今回は連絡船から降りて向かった、塩釜市の酒造所を紹介しますね。 塩釜観光港が近づくと、カモメが寄って来ます。餌をねだっているのです。 塩釜観光港に上陸後は、3つのコースに分かれました、1)自由行動で塩竃神社へ参拝などします。2)多賀城市まで走って温泉で入浴します。3)塩釜市内の酒造所で「利き酒」を体験します。私がこの日選んだのは、3)の利き酒でした。「浦霞」は塩釜市の酒造所で作っている日本酒の銘柄です。 何とも渋い暖簾(のれん)と看板ですね。 店内に飾られていた容器類 こちらは「ぐい飲み」でしょうか。 店内の洒落たバーです。 カウンターには色んな日本酒が。 店内にあった写真です。寒い冬に杜氏が日本酒を仕込んでいます。 「利き酒」をしたのは3種類の銘柄で、いずれもふくよかで濃厚な味。「寒風沢」は私達が訪れた3番目の寒風沢島の水田で作った米を原料にした日本酒で、とても良い飲み口でした。その田圃が一部津波の海水を被り、埋め立て工事をしてましたね。 塩釜神社前の大通りの店。佇まいが優雅ですね。 下水道のふたのデザイン。中央の「み」は、宮城県のマークです。 塩竃神社の境内に咲く塩竃桜(天然記念物)がデザインされています。<続く> 昨夜のU-18ワールドカップ野球大会決勝は、残念ながら1-2でアメリカに敗れて準優勝でした。既にアメリカ戦で投げた佐藤(仙台育英)は相手が慣れていたし、1年生4番打者の清宮(早実)には、荷が重かったのではないでしょうか。もっと勝つことに拘らないと、優勝出来ないように感じました。 今日は病院へ行って来ます。帰宅はかなり遅くなると思います。いただいたコメントへの返事や訪問も、帰宅後になりますのでご了承を。ではね。
2015.09.07
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12kmの道を走って着いた秋保温泉。そこから歩いて15分の山中にある「秋保工芸の里」。ここには5つの工房があり、作った工芸品を店舗に並べています。今日はその最終回。5つ目の店の続きです。 漆(ウルシ)でピカピカに光っている木製の徳利。材料はケヤキかな? ふた付きの漆器です。これは菓子器でしょうか。 鮮やかな曲線が描かれた漆器が見事ですね。 和風な部屋にマッチした木製のお盆が素敵です。 木目がはっきり表れたお盆。 仙台堆朱(ついしゅ:朱色の漆を塗り重ねた漆器)のお盆。 材質の良さが十分生かされたお盆ですね。 様々なお盆が並んでいます。 こけし型の筆立て(左)とダルマ型の筆立て(右) 「囲炉裏」の傍に立つこけし(左)と椿の木で作ったこけし(右) 宮城県内の「伝統こけし」には、幾つかの系統があります。北から鳴子(なるこ)系、作並(さくなみ)系 、遠刈田(とおがった)系、弥治郎(やじろう)系などです。いずれも温泉の近くの木地場で、最初は木製の食器などを作っていたのが起源でしょう。やがて湯治客の土産物としてこけしを作るようになったと思われます。各系統にはそれぞれ独自の特徴があります。(私はあまり詳しくありませんが) ここ仙台市の秋保温泉のこけしは、同じく仙台市内で山形県境にある作並温泉の作並系に属しているようです。その特徴は、こけしの絵柄が黒っぽいこと。きっとこの店のご主人は作並系のこけし工人として修業した人だったのでしょうね。でもこけしだけでは食べて行けないため、他の木製品も手掛けるようになったのではないでしょうか。 どの絵柄も黒っぽい、「作並系」伝統こけしの特徴を持っていますね。 作並系のこけしと、それをアレンジした鮮やかな色合いのこけし。 これも華やかな絵柄になっていますね。 宮城県内には、本来このような表情のこけしはないはず。ひょっとしたら他県のものを真似たのかも知れません。 恐らくはこの工房のご主人のオリジナルの創作こけしと思われます。これで「秋保工芸の里」の紹介を終わります。今回訪ねたどの工房も、経営には苦労しているように見えました。工人の創意と工夫で乗り切っているようですが、素晴らしい木工品が多くの観光客の目に止まり、購入されることを願っています。<完> この日は自宅から秋保温泉まで走って行きました。ゆっくりとでも走る力が残っていたのです。でも1か月前に不整脈が出てからは、全く走れなくなりました。明日は病院へ行く予定です。
2015.09.06
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今日は最後に上陸した寒風沢島(さぶさわじま)の話です。塩釜市の4つの有人島の一つで、丸で囲んだ島が寒風沢島です。 大きさは4つの島の中で最大の1.45平方km。人口は230人です。 これが野々島から寒風沢島へ向かう渡し船。料金は無料で、4往復して全員が島へ渡りました。 2つの島の間の「寒風沢水道」です。海上に何かの施設が見えます。 これは水道の潮の満ち干を利用した、潮流発電所なのです。 結構大がかりな施設でしたが、この実験装置で発電出来るのは、島の漁協の冷蔵庫1年分の電気を賄うくらいだとかニュースで聞きました。 文部科学省の補助金をもらって実験をしているのは、東京大学生産技術研究所。戦時中は確か「第二工学部」として兵器の開発に当たっていたと聞きました。戦後は工業技術の革新を目指す研究所として生まれ変わったようです。 港のすぐ傍で行われていた「東日本大震災」による津波被害の復興工事現場です。島内では、他でも復興工事を行っていました。 島の展望台にあった「方位石」です。風雨で石に刻まれた文字が消えていました。 この苔むした石仏も島の展望台に立っていました。きっと漁船の安全を祈っていたのでしょうね。 これは展望台の「縛り地蔵」です。大事なお地蔵さんがここから逃げ出さないように縛り付けたのでしょうか。それとも約束を果たさなかったために、島民に縛られたのでしょうか。ともあれ、こんなお地蔵さんを見たのは初めてでした。<補記>昔この寒風沢島は船運の中継地として賑わい、島には遊郭があったそうです。海が穏やかであれば船乗りが帰ってしまうため、遊女達は天候が悪くなることを願ってこの石仏を荒縄で縛ったとのこと。願いが叶った時は、縄を解いたのでしょうか。引率者のF田さんなそのような話をしてたのを、思い出しました。なお、願いの内容は異なりますが、仙台市青葉区米ケ袋の広瀬川河畔にも「縛り地蔵」があるようです。 「方位石」や「縛り地蔵」が立つ展望台からは、松島湾に浮かぶ島々が眼下に見えました。 寒風沢島を訪れたのは6月20日のこと。島の山道には筍が生えていました。右は廃校になった小学校の前に立っていたポスト。これも今では使われてないようで、淋しく立っていました。 島の東部には、広い田圃が広がっていました。でもあの大震災で海水が浸入して泥田となり、かなりの部分を埋め立てていました。津波の被害で島民が減り、耕作が不可能になったのでしょうか。浜辺の沖の防波堤も、新たに造り直されたようですね。 島の高台の共同墓地にあった「六地蔵」です。この島で亡くなった人を昔から守って来たのでしょうね。 私達60名の仲間達はこの島を後にし、再び連絡船に乗って塩釜観光港へと帰って来たのです。この日3つの島で歩いた距離は12km。梅雨のさ中でしたが、雨に降られなかったのが幸いでしたね。<明後日に続く>
2015.09.05
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第5回の今日は、この日行動を共にした走友たちの姿が中心です。 この日、塩釜市の浦戸諸島の3つの島を訪ねた仲間は宮城県内の走友だけでなく、関東や東北の各県から来られた走友60名でした。この写真にも全員が写っていません。中には初めてお会いする方もたくさんおられました。 何度も出て来ますが、この塩釜市営連絡船(有料)で最初の有人島である桂島へ渡りました。 連絡船の航路です。桂島、野々島、寒風沢島、朴島の順で訪ね、朴島から再びそれぞれの島に寄って、塩釜観光港へ帰って来ます。 「みちのくラン」の横断幕を持った走友。 オレンジ色の帽子とランシャツのスタッフ。 カモメと松島湾の島々。 港で船を待つ走友達。 左は桂島の集落を歩く走友達。右は桂島神社の鳥居前の走友達。 両方とも、桂島の遊歩道を行く走友達です。 桂島の浜辺(海水浴場)を行く仲間の遠望。 桂島から野々島への渡し船で寛ぐ走友達。 野々島の岩の山道を登る走友達。 野々島の「椿のトンネル」を行く走友達。 上の写真を拡大してみました。 寒風沢島への渡し船を港で待つ走友達を、渡し船の中から撮影しました。 帰路の連絡船から、湾内を巡行する観光船を一枚。 塩釜港で船に寄って来たカモメです。<続く>
2015.09.04
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九月に入って二日目 ようやく空が晴れ その空に太陽が戻った 久しぶりに散歩に行った俺は 風のそよぎに小さな秋を感じた 昨年走れた距離は 今はまったくの幻 冬に出来たことが春には辛くなり 夏の俺は 何度か死を覚悟した 春 救急車を呼んだ四月末 血圧は220を超えて手が痺れた 夏 仙台七夕の初日には不整脈が再発し それでもお盆が過ぎるまでは 何とか我慢していた俺だった なにせ俺はかつて200kmもの ウルトラマラソンを走り 我慢には慣れている 天候の変化や体調の変化にも耐えて 山の向こう 峠の向こうのゴールを目指したものだ その俺が 今は少し動いただけでも動悸がし 息が切れる それでも効き目の強い薬のお陰で 120もあった脈拍が100近くまで落ち 久しぶりに今日は散歩が出来たというわけだ 今年の春 病気で死んだブログ友 もう一カ月も更新していないブログ友 息子さんが病気になって悩んでいるブログ友 夏風邪をこじらせて肺炎になったブログ友 痛風の激痛で夜も眠れぬブログ友 静かに去って行ったブログ友 俺も幾つかのブログを訪れなくなった 今は秋 苦しみながらも夏を生き 風に小さな祈りを奉げる季節 そうして今朝の俺は ブログに拙い詩を書いた
2015.09.03
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さて、このシリーズも今日が5回目となりました。今日は3番目に入った「仙台箪笥の店」の続きです。 この店も他の店同様に苦戦しているみたいで、伝統工芸品の仙台箪笥だけでは食べていけないのか、色んなものを製作していました。これは色鮮やかな漆を塗った木製の花器でしょうか。 こちらは座卓かな? これは円形のテーブルのように見えますね。 木目も鮮やかな花台です。 漆器がつやつやと光っています。 黒い漆、赤い漆を塗った食器が見事。 朱色の漆を塗った花器(左)と渋い色の衝立(右) 丸いのは小物入れ、そして長方形のは箸箱でしょうか。この店で一番安かったのが、1膳500円の箸でした。 ここからが4番目の工芸店です。でも、店内に入って作品を見たら、とても工人が作ったとは思えないものばかりでした。これは素人と直感した私は、店を出て材料の木材を撮ったのです。魂が入ってない作品を載せても仕方ありません。原料の木材の方がよほど美しいくらいです。 店のご主人と話しましたが、少しも会話が噛み合いません。そんな訳で、早々にこの店から立ち去った次第です。 5番目の工芸店は、佇まいからして「まとも」ですね。工人である店のご主人が、工房で熱心に作業していました。「店内を撮影させて下さいと」と頼むと、「どのようにでも」との返事。「店も商品も全てはお客さま次第」とでも悟り切っているようでした。 店内の壁です。早々に立ち去った一つ前の店とは大違いの雰囲気です。 ダルマ(左)は縁起物として飾ったのでしょうが、壁に掛けられた天狗の面は、きっとここの工人の作品なのでしょう。堂々とした風格があり、立派な芸術品でした。 木目が美しい花器などがたくさん並んでいました。 ひょうきんな表情をした「ひょっとこ」(左)と木製の鍋敷き(右)。バームクーヘンではありません。 これはお茶の葉を入れる茶筒でしょうか。 ふた付きの壺(左)と箸立て(右)でしょうか。明後日に続きます。昨日の朝もお日様が出たのは、結局1時間ほどだけでした。青空が恋しい仙台です。<続く>
2015.09.02
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6月20日、私は大勢の走友と一緒に松島湾に浮かぶ3つの有人島を訪ねました。最初に上陸したのが桂島。島内を探検後2番目の島である野々島(ののしま)へ向かいます。○で囲んだのが野々島です。 これが野々島の拡大図です。広さは0.56平方KMで、人口は140人。昔の記録には「布島」(ぬのしま)と書かれたものがあったそうです。布(ぬの)が野々(のの)と変化したのでしょうか。 これは塩釜市営の渡し船の中です。これで桂島から野々島へと渡ります。この日は仲間が60人いましたので、何往復かしています。料金は無料。島民の足代わりなのです。 島ではネコちゃんが出迎えてくれました。この島には浦戸諸島開発総合センター(塩釜市の支所)、浦戸第二小学校、浦戸中学校が置かれていましたが、「東日本大震災」及び津波の被害のため島外へ移転した島民が増え、小学校の統合が進んでいると聞きました。 島で「ボラ」と呼ばれる洞窟です。ボラは元々「洞」なのでしょうね。砂岩や礫岩なので、簡単に掘れるようです。倉庫代わりに利用されているそうです。 島のあちこちで見られる石仏です。昔の人が彫ったのでしょうね。 島の山道でこのような石仏に出会うと、とても懐かしい気持ちになります。 石仏も小さな祠(ほこら)も、すべて島の石を彫って作ったものみたいです。 樹木のトンネルを行く仲間の姿。島内にはこのような椿のトンネルがありました。 これは最初の桂島で見かけた定家葛(テイカカズラ)です。最初はジャスミンかと思って匂いを嗅いだのですが、芳香がしなかったので、折角撮った写真を消してしまいました。最近になってあの花がテイカカズラだったことに気づき、ネットから写真を借用して載せた次第です。 島内の宇内浜で見かけたタブノキ。南方系の樹木です。私達はこの樹の下で昼食を摂りました。 宇内浜の風景です。 私達は食事をしながら、こんな風景を見ていたのです。(宇内浜にて) 宇内浜の沖合に浮かぶ島々。私達のほかには誰も見当たらない、静かな浜辺でした。 またまた無料の連絡船に乗って、最後の寒風沢島へと向かいます。これは連絡船から見える寒風沢水道と、野々島東部の半島です。 ではまたね。次の掲載は明後日の予定です。どうぞお楽しみに~!!さて、今日から9月ですね。仙台は久しぶりに朝日が出て、明るい空になっています。嬉しいな♪<続く>
2015.09.01
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