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人生は愛すること。 そして、愛されることの喜びそのものです。愛は「与えること」で、一番良く表現されうるのです。そして、いま学びにあるあなた方は、この「与えること」が痛むまで「与えること」を学ぶのです。何故ならば、これこそが本当の愛の証だからです。☆マザー・テレサ(宣教師)☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・このマザー・テレサの言葉を通じて人生学校に入学させてくれた私の両親の深い愛と願い、そしてその学ばなければならない最も大切な醍醐味というものを教えられるようです。マザー・テレサは愛すること、愛を与えることは自分がしているのではなく、「与えること、愛すること」とは人生を学ぶこととしてとらえています。 「為に生き、与え尽くす愛」というものがまさしく人生学校の一番の大切なメイン教科になるのでしょう。 この一番大切なメイン教科を柱に人生学校に通い、生涯を通して実践講習しながら人は真の謙虚と感謝という永生の世界の礎(合格試験)を築き上げ、人生学校を卒業することが出来るのではと感じています。マザー・テレサご自身がこの人生学校の生徒であるので、先生というよりは母校の先輩として残してくれた成績に私たちは敬意を持たざる負えなかったので、永遠に残る優秀な生徒になったのでしょう。そして同じ人生学校の生徒であることを思えば、私の成績の悪さにはあきれるばかりです。しかし先輩が残してくれた実践成績や資料を通じて、残してくれた足跡・軌跡ゆえに、私にも伝統を相続出来るチャンスを与えられているのでしょうか・・・そのチャンスもう与えれくれた愛の軌跡に他なりません。一人の人の残すものとは本当に大きいと感じるばかりです。愛を実践し、奉仕活動を尽きるまで続けてゆくこと・・・学ぶこととはこういうものだったのですね。自分が歩んだ足跡を尽くしたことを思い出せないくらいに沢山のことをして疲れ尽きたいという心情世界・・・自分が愛し尽くし与えたという量の思いが残らないように過去を忘れてしまうくらいになれば、真の感謝と謙虚さが与えられ、今から未来への愛することの思い高ぶり、高慢になる思いや、さらに助けてあげたというような思いはきれいに大掃除されて行くのでしょうか・・・とにかく本当の学ぶということを続けて行きたいです。謙虚さを忘れ、実績により高慢な思いが湧くようであれば、ことごとくその実績は無効になってしまって来たことを本当心痛ましいほどに身を身って体験・経験して来てしまいました。勝利ではなく、後退に過ぎませんでした。そして後退させてしまう自分にお詫びを捧げました。それは何故かというと自分の中の神様の喜びを奪ってしまったからですね。体はすべて神様のものなので、いつかこの体にお別れする時には自分の体(神様)にお詫びをするのでしょう。もっと健康に幸せにしてあげられることも出来るはずだったと・・・この後悔に出会わない為にも神様(自分の体)をも幸せにしてあげたいと切にこれから悔い改めながらの再出発になるでしょう。私の心の中では学ぶ=謙虚=感謝=愛の実践がいわゆる人生学校の三大スローガンになると思います。 私もこれから本当に生涯をかけて、「与えること」を学んで行きたいと思います。 本当の学ぶということを続けて行きたいです。尽くし果てて痛みを感じながら「与えること」を学んで行きたいです。気が付けば神様に対して、人に対して、因縁・運命に対してマイナス思考や、被害意識、人や団体にも恨に持つ必要も全くないこと人生過程に出会うのでしょう。そして本物の謙虚と感謝という人生学校の授業料を支払いながら、滞納することなく、思わくば積み立てするくらいに深い謙虚と感謝という授業料を日払いで人生学校に払って行きたいです。
2009.11.17

~自叙伝「平和を愛する世界人として」より~私の民族。私の宗教を絶対視して、他の民族と宗教を無視して非難をするとすれば、その価値を失ってしまいます。自分の宗教を押し立てて人を踏みにじり、人の宗教を大したことない見下げして、憎悪の日を燃やして紛争を起こすとすれば、そうした行為はすでに善ではないからです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はこの言葉がとても心に痛く感じられました。このないようは民族・宗教ばかりでなく、国から政治、個人に至るまで一貫した共通性があり、私個人の生き方・考えもあてはまります。個人主義が蔓延り、この大変な霊界を大きく変えなければ日本の・世界の犯罪、戦争もこの地球から追放することは出来ないのでしょう。それを追放するにはまず私から始めなければなりません。「あの人は死ななければなおらない」といわれないように「あまりにも治り(直り)すぎる」と言われるようになりたいものです。そのことは神様の復帰途上時代の今に生きる私たちへの願いはそれでも復帰成長が遅すぎるのでしょう。その為にも、自らの堕落性に気が付き、理解し追放するには現実の否定(誤解をも含めて)真っ向から受けて、感受し、感謝し、前向きに整理して、成長の糧にして行くことでしょう。「あの人は死ななければなおらない」という人から思われる硬い癌のような自分から気が付かない閉鎖された壁を崩さなければなりません。特に高慢な性質、謙虚に対応しているつもりでもいつの間にか魔法のように高慢になってしまうという性質にも気が付き、いつも原点にリセット出来る準備を持って行ける心情と勇気が大切と思います。地位、名誉、知識、宗教、経験・・・に人は弱く、高慢になりやすいです。感謝と謙虚心を狂わせないもの・・・それが為に生きることを継続することに他ならないです。為に生きながらも自分の悪いところがどんどん出て来てある時には人を傷つけてしまうこともあるでしょう。誤解されてしまうこともあるでしょう。そして為に生きることが辛く涙を流してしまうこともあるでしょう。しかしますは自らの中の悪いものを追放して行くには為に生きることしか実感を持って学べないので、継続して行くしかない・・・いつも修正しながらの毎日、一瞬一瞬ですが、本当に変われる自分を作り、神様の願われる自分を創るにはこの道しかないのでしょう。だから神様が一番親の心を持って辛いわが子を見ながらも何も出来ずに見ているしか出来ない一番辛い立場で、神様ご自身も誤解されながらもだまっているしかない本当に辛い立場と思います。「何故、私だけが・・・」人は辛くなればそう思いやすいです。神様の一番悲しむ瞬間ですね。この瞬間を何千年、何万年神様は愛する子から誤解されないがら生きて来られたのでしょう。そして自分は特殊な不幸を背負って生きてきたという自負がまたそれが高慢な材料になってサタンに持って行かれてしまう・・・辛い時に神様を慰めて行きたい、その辛さの何十倍、何千倍・・・悲しんでおられるのか神様だから・・・そして試練を超特急を与えられているのが私たちなので、自分の中の利己主義を早くなくして共に差さえあって行きたいです。あらゆる分野の自分が絶対に正しいという高慢性をなくし、ネット内外の中傷・罵倒、陰口をなくし、上記の言葉より分派が現れること自体善ではなく、宗教・思想を超えた愛を持って為に尽くして、傷ついても壁を乗り越えて行ける信仰(愛)が必要と思います。世界の宗教が一番お金もちなので、すべての人々に教育と万物を届けられるようになっています。
2009.11.16

この人生のメインロードに復帰されて今までいろいろなアベルに出会う事が出来たことが奇跡的な出会いだったのでしょう。本当にアベルを通して神様からいろいろなことを教えられ、アベルと共に過ごすことが出来た事は何よりも掛け替えのない永遠の宝物になっています。私にとってこの人生のメインロードがアベルを通しての永遠の宝探しはこれからもずっとこの関係は続いて行くのです。アベルは私とって神様が良しとされて選ばれた人であることは100%明白であったと振り返れば一人も漏れなく納得出来るものです。だからこの世の人間関係のしこりなど一切ありえません。神様がその良しとされた奥義を私に悟れるように与えられているすべてを如何にアベルから探しだすことが出来るか・・・これからとても大切な価値ある人生内容に他なりません。だから過去の事実は変えられませんが、過去への心情は100%神様からの愛の賜り物に変えることが出来ます。この神様の天事を如何に理解し、神様の願いに応えて行くかはやはり、与えられたアベルに求めて行く事に尽きると思います。 いろいろな個性があるアベルを与えられる度に神様が私の中にあるいろいろな堕落性を脱いで下さっている実感が湧く度に感謝です。また、人間の救いの道がアベル・カインという道のりを通らずして行くことが出来ないことを悟り、必ずアベル・カイン関係を通してその時に必要な神体験が出来るように神様は準備して下さっていまることを悟り、完璧な神様の願いがかけられた無駄のない人生時間なのでこのアベル・カイン関係で不信を持つ必要も全くないという結論に至るのです。試練大きい時こそ今の関係の中に如何に神様と出会う事が出来る種発見出来るかが最も大切なことであると思います。 自分以外幼い赤ちゃんから万人がアベルなので、一人の人から100%学びたいと思います。自分の中にある知ったかぶりと経験、天狗の心情を完全追放です。アベルと勝利するしながら万人の中の一つの性格も一切嫌うことなく受け入れられる許容量を私の心の中に作りたい道のりです。 神様が与えて下さるアベルなら、赤ちゃんや子供でも大歓迎ですし、二世・三世・・・この道に来る若い人を歓迎し、まだ未熟な私が永遠に学んでゆくのです。それが非常に大切な恩恵と感謝に他なりません。アベルの問題を批難したり、そっぽを向く必要も全くないですね。(サタンの戦法) 逆にもっとアベルに近付いて行きたい(神様の戦法)と思います。 アベルが間違った考え、言葉を言っても、その裏を返せる大きな恵みによる神様の遍在性をアベルから大切なものを捜し出せるのです。アベルに近付いて求める姿勢が訓読書を通じても与えられます。そして偶然を装ったように神様は人を遣わして本当に求めていた大切なものを与えて下さいます。 「アベルとは神様と必ず出会える人生のメインロードであり、道しるべ」であると感じてなりません。
2009.11.15
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