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「千回のありがとう」という言葉を以前から聞いていましたが、その効力というものがどれくらいのものなのか・・・ 癌の克服、アトピーが治ったという内容ですが、ただ「ありがとう」・・・を繰り返すだけで治ることを考えればこんなにありがたいものはないと感じます。 その証しが http://www.fuun-sha.co.jp/pdf/23.pdf#search='「千回のありがとう」' よりご覧頂けますのでもし良ければご覧下さい。 この証しは霊界解怨とは違いますが、さらに解怨も導入出来ればさらなる効果も現れる可能性も秘めていると感じました。 というよりまずはいつも心から自然とありとあらゆることに感謝の気持ちが先行出来れば運勢も出会いもそして自分自身が変わって来るのでしょう。 「千回のありがとう」が永遠の美のスーパーライナー、であり真のふるさとへの道なのでしょうか。 「千回のありがとう」を自覚しながらも、時間を空間と人と出会いの中にあって、「千回のありがとう」を言い続けるにはもう、ありがとう以外の言葉は使わないくらいに言わなければ追いつかないことも考えられます。 とても大変なことで最初は義務的でも辛いこともあると思いますが、調子の上下の波があっても確実に運勢があがり良いことが起こるようになれば、「ありがとう」が義務ではなく当たり前になり、さらに自然な心の発露の喜びになって来るのでしょう。こんなに良いことがあるのにどうして意識を傾けられなかった自分であったことが不思議でなりません。 そして続けれ行くうちに「ありがとう」ということばがどれほど自分にとっても家族にとっても兄弟姉妹にとっても、万物にとっても・・・ まずは自分から「ありがとう」を使うだけで天宙万民が幸せになって行く、真の最高級の人間が放てる神様が作られた気流(気)であることがわかりました。 人と会えない時は身の回りの万物にありがとうを言います。するとあらゆる存在が自分の為にいかに備えられているかがわかります。 そして整理整頓する気持ちが「ありがとう」のおかげで起きて来ます。 ごみが散らかっていれば、きれいにする心を与えてくれてごみに「ありがとう」といいます。 するとゴミ箱に入ったごみまでが運勢の気を放ってくれるのです。 この「ありがとう」から生まれる気がやがて人間の心と体の病をも克服してくれる時代も来るのでしょうが・・・ そういうことも含めて「千回のありがとう」を続けて行けるといいですね! 人が幸せになれれば、万物が喜べれば、そして神様が喜ばれれば、サタンの鎖も取れるのでしょう。 「千回のありがとう」・・・まさしくこれは神様とつながるすべての真の愛の呼吸なのでしょうか・・・ ありがとうの心で言葉を不平や、不満、人が悪い、環境が悪いなどという思いが入りこむ余地、隙間、時間がないくらいに実行して行きたいです 「心からの千回のありがとう」・・・謙虚であり、寛容であり、情け深く、慈悲を持ち、すべてを受け入れ、収容出来る真の愛の世界の言葉であることを感じます。
2009.06.30

自分が苦境に陥ると、幸せというものが遠くに見えてしまうのでしょうか・・・そして人が幸せそうに見えてしまうことも・・・しかし神様はこういう時こそ二人三脚で歩んで下さっていることに気が付きました。試練の連続でしかもその試練があまりにもわざわざ計算されたような内容なので、神様は私を愛しておられないのではないだろうかと感じてしまうこともよくありました。他の兄弟姉妹はゲストをよく動員出来るのに、私は路上で反対派から取り囲まれて試練に遭ったり、非常に厳しい状況にあると極端に落ち込んでしまうこともありました。毎日、世界中で6万人の人たちが飢餓に苦しみ亡くなられて行く現実の中・・・これも遠いところの私達の意識圏外の事実ではなく、同じ神様ご自身がこの現実から目を逸らし逃れることも出来ずに亡くなられて行く人たちの親としてどんなに苦しまれておられるのでしょうか。もう消してしまいたい想像を絶する悲しみ、苦しみがどんなに続いても神様は親として絶対に消すことが出来ずに、人間がこれを乗り越え克服して行くしかないあまりにも切ない悲しみが秘められていることを私達は知らなければならないのでしょう・・・親としてもし子が一人でも滅んでしまえば例え、これからどんなに天国が出来てもその一人の子の為に神様は永遠の悲しみの神様になってしまう・・・そのために、神様はどんな状況の試練、悲しみを経過して先が見えず苦しんでいる子の為に、この子が自分で帰って来るまでひたすら待つことしか出来ない神様であることを思えば、神様はまさしくもう二人三脚ほどに肩を寄せて下さってどんなに一緒に勝利したいか・・・これが真の親の姿・・・この思いの方がはるかに想像を絶するほどに深いのでしょう・・・試練の時ほど神様が二人三脚で一生懸命「イチ、二!イチ、二!」と声をかけ励まして下さっているのでしょう。神様の肩の温かさを感じるほどに、私達は神様の本当の愛の深さと大きさを知ることが出来るのでしょう。振り返れば試練・苦しみ・悲しみは遠心力となり、必死に求心力を持って神様をめざして行く過程が私に必要でした。誰一人として同じ歩みは出来ないそれぞれの血統清算の戦いに遠心力が強ければ強いほど、試練が大きければ大きいほど神様の意識と心情は高く期待は大きかったんですね。これからもどんなに戦いが大きく、試練(遠心力)高くても、私はそれ以上の求心力を持って神様(ふるさと)の胸に飛び込めるように頑張ろうと思いました。振り返れば全てが愛なのでしょう・・・それが1000%確実な愛であるこを自覚し・・・今日も歩んで行くのです。砂の上の足跡 http://www9.ocn.ne.jp/~basic/pages/home/footprints.html
2009.06.28

「さいわい、毎日が新たな始まりなのです」 とりわけあなた自身に寛大になりなさい。転んだなら、そのたびに勇気を奮って立ち上がりましょう。さいわい、毎日が新たな始まりなのです。日々、心機一転やりなおす。精神生活を向上させる手段として、これほど優れたものはありません。☆フランシス・ド・サル(聖職者)☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時間というものは何があっても止ることはなく、待っていてはくれず、人間は時間の進行の中で喜びを感じたり悲しみを感じたり、出会いと別れを通じて情の変化も止ることなく絶えず成長して行くのでしょう。出会いというものを通して最高の喜びをもたらし、ある時には別れというものを通して悲しみを通過させてくれます。こうして生まれた心情の因縁が成長し、強くなり、真の兄弟姉妹の本然の横的展開がなされ、人間は真の神様の子を取り戻し、永世では永遠の真の兄弟姉妹になって行くのでしょう。さらに愛する人、親、家族であればなおさらです。このような熱い心情世界の情感をTFはとても大切にしなさいとよく言われます。千年も万年も一緒にいたいという関係が神様の願われる本然の堕落前のエデンの世界なのでしょう。TPは初めての出会いも、数多き再会でもこれがもう地上で出会える最後の機会と思って尽くして、もてなして、愛してあげなさいといわれます。これくらいの情感を持って私も仕事などでも温かく永遠の出会いのつもりで愛し、尽くして行きたいと、今までの私の不足していた部分を大幅に修正して神様の真の愛の大海に帆をあげて出発したい思いで一杯になりました。TFはまたもし地上での再会の時にも永遠の世界でも心から気持ちよく出会えるその日、その時の為に、絶えず可能な限り尽くしなさい願われます。これが本当の天国人の生活の姿なのでしょうか・・・もう自分勝手に生きることは出来なくなってしまうのでしょうか・・・この世の出会いは神様が用意され与えて下さるのでしょう。今まではたして天国の人間関係を目指しながら、たとえ一瞬でも神様が与え出会わせてくださった尊い関係、時間として永遠の喜びをもって接することが出来たでしょうか・・・神様と共に、環境・人と共に生きている深い関わりの意味をさらに知りたい心境です。たとえ同じ電車の中で同乗した見知らぬ一瞬のその場所に居合わせた関係でもこの地上界でいつまた会えるかを思うと胸が熱くなり、その人が途中下車する後姿を見て涙が潤んでしまうほどにもなりました。まだまだ復帰途上時代ではこうしたすれ違いが当たり前の世界ですが、やがて本然の世界になれば人間は真の兄弟姉妹なのである車両の電車の中はカラオケBOXになり自由にはじめての出会いでも共に喜び合えるのでしょう。最近は男性専用車両の話もあるようですが、いつか女性専用車両が撤廃される時代がくればと願っています。いつの日かどこに行っても、初めての出会いでも兄弟姉妹であるという無限%の疑いのない、不安感も、恐怖感も不信感もない人間関係が修復される時代を目指したいと思います。「さいわい、毎日が新たな始まりなのです。日々、心機一転やりなおす。精神生活を向上させる手段として、これほど優れたものはありません。」これからは時間を無情と思わないで、何があっても時間ほど愛の宝庫はないという人生の解釈を求めて神様のみ意に近付けるように頑張りたいと思います。
2009.06.26

この数ヶ月間の中で景気悪化により職を失い、生活の為に非常に追い込まれる期間を通過し、内的に切羽詰まった状況でしたが、健康ランドでまた指圧業の仕事を与えられ、何とか試練にひと段落しましたが、運勢的には乗り越えなければならないことが多く、景気に立ち向かって行かなければならない緊張感が当分の間続いて行くことと思います。 辛い立場ですが、こういう時こそ、たとえ不利な状況の中にあっても、絶望感を感じず、考えず、自分で出来る運勢の下げない方法を考えれば、以前も取り上げましたが「健康言葉」を可能な限り意識し、運勢を上向きに努力して行かなければならないと感じて来ました。プラス思考として大切なこの「健康言葉」を使うことによって、自らの心情も上向きになることがわかりました。 そして運勢を上げるためにも最低限自分の心情が上向きになっている状態が必須条件になりますので、この肝心な所は必ず押さえておかなければと感じるこの頃です。これは礼節の次に大切なものと感じます。「言葉と病気」の関係についても同様のことと思います。「病気は気から」とはよく言われたものですが、その大切なものとして普段使われる言葉が非常に大きく身体に影響しやすいことも大きいな関係があるといわれています。いわゆるマイナス思考、厄病言葉というものが身体に与える影響は非常に大きいと感じます。その正反対として、善なる位置にあるものがいわゆるプラス思考という大切な健康言葉であり、調子が良くても高慢にならずに謙虚にこの言葉を使うことによって、仕事や学校、毎日の生活の運勢を上げて行くことが大切になると思います。プラス思考・健康言葉を常に使うことによって実際に癌を克服したという証しもありますので、これは運勢を運ぶ言葉使いとも感じます。その健康言葉とは真の愛の言葉であり、天一国人の言葉にもなって行ければと切実に願います。しかし、一般社会で仲間を作るにはマイナスことばや、敬語を省いた愚痴言を使いながら安心させ、同類を確認し合う為に、同類言葉(類言:るいこと)」を使わなければやって行けないということもありますが、時間をかけても徐々に「類言:るいこと)」のレベル・アップも大切になるこれからの時代になるでしょう。 それも仕事や学校の運勢にもつながるので、一般でも繁栄言葉を使わざるおえない時代を迎えると思います。 これが景気回復の大きなポイントになると思います。 真なる道を知っている私たちから景気回復も含めて個人に至るまで「プラス思考・健康言葉」に目を向けなければ打開出来ない時代を迎えていると思います。「プラス思考・健康言葉」・・・人間の身体と心に与える影響は計り知れないものがあると思います。人間はともかく、食べ物、万物にも言葉の使い方で喜んで輝き生きます。 特に水の結晶の実験はそれを非常にわかりやすく表現していると思います。 水を愛し良いことばを語りかけると、良い音楽を聞かせてあげると美しい結晶を作って行きます。 http://www.youtube.com/watch?v=iFQ-coyrZSk&featurPlayList&p=465EDF13826F42C5&playnext1&pfrom=PL&index=6逆に厄病言葉を水にかけると結晶は崩れ、見るに耐えられない光景になります。そして身体の70%近くが水から出来ていますので、この水である私たち人間が健康言葉を使えば、不健康で美しくならないはずがあるでしょうか・・・そしてこの健康言葉を万物・環境に伝えて行けば地球・・・全宇宙のすべてが輝いて生きて行くのでしょう。そして逆に厄病言葉を自分に(絶望感)人に、万物・環境に対して使って、さらにそれを人に、環境のせいにして行けば、心の病、病気にもつながって行くのでしょう。私も社会・環境を構成している一員であるのでこの関係を知り、宇宙、天宙の果てまで関係があることを自覚し、責任を持って健康言葉を使って行こうと感じるこの頃です。○[健康言葉]○ ● [厄病言葉]● 充実している 忙しい 張ります 疲れた 簡単だ 難しい おもしろい つまらない できる できない すてきだ いやだ 優れている どんくさい 楽だ 困難だ やれる ダメだ 、マイッタ 金がある 金がない おいしい まずい まだ若い もう年だ きれいだ きたない 努力します どうしよう 利口だ バカだ(アホやねん) 幸せだ 不幸だ やってみよう やりたくない 楽しい おもしろくない 元気だ 不調だ 素晴らしい 駄目な、アカンわ 試みる 無駄だ イケル 無理だ 可能だ 不可能だ わかる わからない 美しい 不細工だ うれしい 悲しい ありがとう ありがたくない
2009.06.25

「愛はすべてを他人に与えた時に最も富んでいるのです」 ☆グッコー(ドイツ・作家)☆ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まわりを見れば、人が順調にうまく行っているように見えて、自分だけが辛い思いをしているように見えるときがありました。 そういう時は自分だけの世界に自らを閉じ込めてしまい、殻を作って人を受け入れなく、 いくらお金を貯めて”自分だけ”の安地の境遇を求めれば求めるほどますます、心空しくなってしまうことに・・・ 人は一人では生きて行けないと改めて自覚するようになりました。 本当に富むこととは何か・・・これを打開し、本当の喜びにたどり着くにはこの言葉のように愛を全て与えることなのでしょう。そして財や環境も為に生きる時、その愛が富む時、人は本当の幸せと喜びを感じるのでしょう。以前は自らを心の牢屋に自分を閉じ込めてしまいましたが、 私の心がそこから保釈され、住み着いていた心の牢獄の扉を開けて外を見れば眩し過ぎるほどの神様の真の光を浴び、 自らの心を空を自由に飛ぶ小鳥のように・・・ 神様の許へ返してあげたいと・・・ 涙ながらに神様と自分の心にお詫びを捧げました。 映画「ブラザーサン シスタームーン」http://www.youtube.com/watch?v=aUOrKTpJ2Pw&featurrelated ブラザーサン シスタームーンその声はめったに私には届かない自分の悩みだけに心を奪われて兄である風よ姉である空の精よ私の目を開いておくれ清く正しい心の目を私を包む栄光が目にうつるように神に与えられた命私にも神は宿るその愛がいまこの胸によみがえるブラザーサン シスタームーン今こそその姿に触れその声を耳にそして胸を打つあふれるこの愛
2009.06.24

常にありがたいと思う心を忘れない人には、ありがたいと思わざるをえないことがたえず起こる。感謝の波長を有している人には、 それに同調してイヤでも感謝したくなるようなことが 次々と生起してくる。結果いつも困難は避けられ願い事は叶う、 そんな人生が可能になるのです ☆☆塩谷信男(医学博士)☆☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 毎日、この言葉のように出会いと活動の中で常にありがたく、感謝の心を忘れずに歩んで行きたいものですね。 常にありがたく、感謝の心を忘れずに歩んで行けば、そうならざるおえないことが絶えず起こるということで、これからの人生を感謝の波長を有しながら生きて行くことが一番Bestと感じざるおえない言葉であり、真理であると思います。私の今月から指圧、体調Bodyケア仕事に全面的に復帰したのですが慣れるまでとても疲れやすい状況の中で、「常にありがたいと思う心」そして「感謝する心」を実感として感じるように努力すると、やはり疲労感が和らいで来ていることがわかりました。 逆に怒りが続くき・・・あるいは不満が心のどこかに残っていたりすると、体が非常にだるく疲れやすくなって来ます。 だから一日を、あるいはこれからの人生のすべてを感謝で通しきることが、私たちの本当のみ旨の心のエンジンであり、燃料になるのでしょう。 朝から寝床につくまで、何人の人にありがたく思ったか、感謝の心を持てたか・・・全ての与えられた活動そのものにもどれくらいありがたく思うことが出来たか・・・そのように思って1日を振り返ると、その体の疲れが非常に心地よい疲れにも感じてきていつの間にか疲れを忘れてしまい、朝まで安眠出来るようになるのでしょう。鉄道でいえば「ありがとう感謝号」の線路と「不平不満号」の線路があり、そのまま乗って終着駅がわかればどちらの路線に乗りたがるでしょうか。「ありがとう感謝号」の行き着く終着駅は健康と幸福の世界、天一国なのでしょう。 そして「近所迷惑号」や「不平不満号」「傲慢号」「裁き号」「陰口号」には決して乗りたくないです。その終着駅は、病気と悲しみの世界、獄一国なのでしょう。常にありがたいと思う心をいつも持って、感謝の波長を有しながら困難が避けられて、願い事は叶う、そんな人生をまた今日から出発したいです。
2009.06.23

親切で慈しみ深くありなさい。 あなたに出会った人がだれでも前よりもっと、 気持ち良く 明るくなって、帰るようになさい 親切があなたの表情にまなざしに、ほほえみに 温かく声をかける言葉にあらわれるように 子供にも貧しい人にも、苦しんでいる孤独な人すべてに いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい 世話をするだけでなく あなたの心をあたえなさい☆マザー・テレサ(宣教師)☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この頃、このマザーテレサの言葉がとても心に染みるようです。特に人間関係の出会いというものの因縁関係がいつも新しく生まれているので、本当に大切にしなければと思います。 GREEにおいては本当に心温かい出会いばかりなので、とても感謝させて頂いています。 神様が導いてくださった真の兄弟姉妹ばかりで本当に心から深く感謝に絶えません。 ☆「あなたに出会った人がだれでも前よりもっと、気持ち良く 明るくなって、帰るようになさい」☆ 新しい出会い、またいつもの出会い・・・ そのすべての出会いと、帰りの時は出会う前よりももっと気持ちよく明るくなって帰ることが出来ることを意識することが天国生活の醍醐味なのではととても感じて来ました。 今まではそうなれるように意識が出来ていただろうかと振り返って見ると、あまりにも忘れている内容に、私自身の愛の不足さを実感し、そうではいけないと改めて決意させて頂き、生まれ変わろうと思いました。 今の復帰途上時代ばかりでなく、この大切なことは永遠に続からこそ、天国であるという証明でもあるのでしょう。 ☆「親切があなたの表情にまなざしに、ほほえみに温かく声をかける言葉にあらわれるように」☆ 与えるということはこちらが奉仕する(受ける)立場とか、教える(教えられる)立場とか関係なく大切なことは心温かな笑顔なのでしょう。 本当に愛してるという気持ちが伝わり、表情にまなざしにほほえみになり温かく声をかけられるのでしょう。 その心情の根底に神様の子(ご自身)を愛する(与える)とうよりはマザー・テレサのようにかたちとしては奉仕活動ですが、教えられ救われているのは私達の方ですと・・・ いわれるように本当に愛し、与え、為に生きるということは、相手から謙虚に学ぶことですと・・・いわれていることに尽きると思います。 私もこのことが出会いで一番大切なことと自覚し、場合によっては学ぶことそのものが本当の為に生きることであると感じて来ました。 そして相手にとっても自分のことが受け入れられ、意識されていることが根底からわかれば、これほど嬉しいことはないのでしょう・・・ しかしわかったつもりでの先入観は相手を傷つけやすいこともよくあるので、理解し、学ぶだけ学んで、聞かせて頂けるなら出来るだけ聞かせていただいて、先入観以上に相手そのものを受け入れるにはこちらの主観ではまだ言葉には出来ず、相手が話しきり、相手の心が少しでも上向きになるまで、待つことしか出来ませんでした。 そして「前よりもっと、気持ち良く 明るくなって、帰るようになさい」という関係になる為に必要なことを神様に祈祷報告させて頂くことしきりです。 本然の世界ではこの大切なことがすぐにわかる心情の世界なのでしょう・・・ 真の心情文化の世界が必要なようです。 神様・・・真なる親が一番喜ばれることはその親子関係で子供が褒められることですね。 その相手の子供を褒めたり、作品を褒めたり・・・ その温かい心情圏に対して謙虚に敬意を持ちながら、深く深く学んで行きたいと・・・ 私は作者(神様、人)と作品(被造世界、人生)に敬意を持ちながらまだまだ学ぶだけで精一杯ですが、この基本だけは一番大切に・・・ マザー・テレサのように「教えられ、多くの愛を受けているのは私達の方です」と、毎日、毎日、マザー・テレサは多くの患者の人たちから学び教えられる人生だったのでしょう。 そして患者の神様の子を神様に賛美し、報告することで神様と一体となり、多くのことを・・・深い心情の世界を学んで行かれたのでしょう。
2009.06.22

『誰しも幸福を望みますが、 それを実感することにおいてはきわめて鈍感です』不幸に敏感な人は、不幸な気もちになりやすいでしょう幸せに鈍感な人は、幸せを感じにくいでしょう不幸に鈍感な人は、不幸になりにくいでしょう幸せに敏感な人は、幸せな気もちになりやすいでしよう☆日野原重明(『生きかた上手』(ユーリング)より)☆ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ある意味では私は不幸に対してあまりにも鈍感であり、気が付かないのかもしれません。 今流行のいじめよりももっとハードな行為を受けてきた10代の頃を思い出しますが、それをあまり不幸とは感じませんでした。 でっち上げの犯人にさせられても平気でした。その10代の頃はキリスト教、仏教書などを読みながら人間の生き方を学ぶことが多かったです。 ある時朝起き会誘われ行ってみたところ、身体障害者の方も多く通うこともとても大変に感じましたが、彼らは何故、幸せに笑顔を見せてくれるのか、それがあまりにも自然で作ったような感じでなかったので、とても関心を持つようになりました。 よく研究したところ、上記の言葉の内容のように本当に幸せに敏感なんですね。 彼らの行動の基本生活が掃除なのでそれを最も大切にしながら心も清められて、いつもどんなところでも掃除を自然とする習慣があります。 それはあたかも幸せに敏感になる習性のように・・・当たり前になっているので、当然見せる笑顔も自然と何の抵抗もなく、さらには掃除を通して喜びを感じているので、笑顔は当たり前なのではと感じることが出来ました。 そこで気が付いたことは本然の世界の真の兄弟姉妹の関係を取り戻すことが出来る、大切なことは”掃除をすること”なのではとしきりに、切実に感じて来たのです。そして彼らの信念とは宗教的な難しい内容ではなく、とにかく掃除をするこに尽きるそうです。 すると自然と良いことがどんどん起こって来るということが心と体に身についているのです。 私たちにとってもこれは例外ではないでしょう。 私も掃除に専念するように習慣つけたいと思い、祈祷室を中心にいつでも神様とTP、多くの人たちをお迎えしても良いように、この地上界にいる限り絶えず掃除を続けて行きたいと改めて決意させられました。 私としてはまだ微々たるもので、毎日の掃除の継続を始めたばかりですが、そのごとくに、環境がきれいになるばかりでなく、それ以上に心が清められるというよりは神様によって洗われるよいう感覚でしょうか・・・ さらにはそれを実践して、運勢も上がって来ることがわかりました。 前回は大変だった娘の原理テストも今回は教区でトップだったり、選抜JrSTFの恒例のマラソンも前回とは比べ物にならないほど速く走れたとか・・・ もちろん本人の精誠の努力に他なりませんが、掃除は運勢の宝庫である確信が高められ、さらにこれからの掃除人生をまっとうして行きたいと決意しています。 彼ら(朝起き会の人達)が言うにはそれが自然な幸せになる為の法則だからと・・・ 宗教ではなくても掃除をすることは神様と共にいることなのでしょう。 それが本然の為に生きる活動の自然な姿なのではと・・・そういうことなんだと、身にしみる思いです。 UCにいても、世界のどこにいても掃除をいつもというより自然現象としてさせて頂けるような人生でありたいと思います。 彼らはあまりにも謙虚(掃除をする自然な行為)すぎて・・・本当に謙虚になることは掃除を当たり前ばかりか、掃除を奪い合うくらいが天国なのではないでしょうか・・・もはや私にとって掃除を抜きにした神様と共にある人生はないでしょう。 自然な形で幸せな笑顔ににあふれ、いつも、そして永遠に笑顔が絶えないことを切実に求め・・・ さらにはそれはめんどくさいという思いが1滴たりとも起きない本当の喜びに満たされた心情世界・・・ 「掃除=笑顔・喜び・感謝=謙虚」の三拍子を、幸せに敏感になる原点としての為に生きる愛の法則を胸(旨)に頑張りたいと思います。 謙虚でなければ祈祷報告が出来ないようにまずは、すべての運勢の窓口が掃除なのでしょう。 掃除から、神様への思いやり、人への思いやり、さらにはそれは自分への思いやりとして真の愛が無条件に天宙を無限に書いてして行くのでしょう。 そしてきれいにしてもらうことを考える余地もないのでしょう。もう幸せに鈍感にはなりたくないです。 地球(神様の体)を掃除してきれいにして、心をきれいに・・・「美しい世界」(体)「美しい天宙」(心)にして行きたいです。 掃除ほどタダで身体に良いものはないです。
2009.06.20

イエスよ、ごらんください。 これが私の心です。 私の魂は貧弱で、徳に欠けています。 私の沢山の不完全さで出来たわらくずはあなたを刺し、あなたを泣かせてしまうのでしょう。 しかし主よ、これが私の持ち物の全てなのです。あなたの貧しさは私を感動させ、私をなごませ、私の涙を誘います。 イエスよ、あなたが共にいてくださることで私の魂を美しいものとし,あなたの恵みで飾ってください。 これらのわらくずを焼き尽くし、誕生したあなたの聖なるお体を横たえる 柔らかな寝床に変えてください。イエスよ、私はあなたを歓迎します。 多くの人があなたを拒み、外には寒風が吹き流れています。。。 どうか私の心の中におはいり下さい。 私は弱く、貧しい・・・でも出きるだけあなたを暖めます。 せめてもの私の望み、それは、あなたを喜び迎え入れ、あなたに何かよいものを捧げ、 あなたの為に犠牲を払うという私の大いなる願いがあなたのお気に召すことです。☆教皇ヨハネ23世(1881-1963)☆ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最近、この言葉が胸深く刻み込まれるようです。 神様と万民、万物の前に本当に悔い改める毎日です。 そしてこれが私の持ち物のすべてしかありません。 今までの自分を映し出せば、何と申し訳ないことばかりだったのでしょうか。 人から、社会から、教会から認められることばかりを考え、夢中になっていた頃は、本当の人間関係、本当の自分というものが一番見えず、距離をおいている何か得たいの知れない者からの恐怖感から逃れるために・・・ 我知らず知ったかぶりになり、地位や、名誉、自分の居場所を捜す行為で 本然の真の兄弟姉妹とは正反対の方向へ迷い込んでいたのでしょう・・・ 気がつけば、そのつながりの関係から生じた傲慢ゆえに、神様と回りの兄弟姉妹の本当の愛に気がつかず、迷惑をお掛けしてしまうこともあったぼでしょう。 自分は何なのか! 本当の自分を教えて下さいと! 何度お尋ねしたことでしょうか・・・ 情心苑でも本当に悔い改めました。 知識からすべてに至るまで神様から、全ての人たちから、万物から与えられたものは、それを与えて下さった方にお返しして、心から悔い改めるしかかかったのです。 私には何もありません・・・ 「イエスよ、ごらんください。これが私の心です。私の魂は貧弱で、徳に欠けています。 私の沢山の不完全さで出来たわらくずはあなたを刺し、あなたを泣かせてしまうのでしょう。 しかし主よ、これが私の持ち物の全てなのです。」私の心は魂はこの言葉のように貧弱で、徳にかけていました。 そして沢山の不完全さに・・・私の心はわらくずのようです。 その上にあなたが休まれれば私のわらくずの先であなたを刺してしまうかも知れません。 あなたを泣かせてしまわないようにしても傷付いてしまうあなたの心に対して本当に切実に悔い改めるしかなかったのです。 そしてこれが私の持ち物の全てなんですと・・・ 溢れんばかり涙をもってお詫びするしかない今の私であることをお許しくださいと・・・ しかし、あたなはこんな私の上に休まれようとなさるんですね。 これが神様の本当の真の親なる愛というものなんですね・・・ その為にも私の心が一日も早く羽毛になれるように・・・ より深く深く・・・謙虚に謙虚に・・・ 祈祷報告、訓読、真の愛の家庭活動・・・しか育成させるものはないのです。 認められたい・・・所有するのものばかりを追っていた自分・・・ 知識から始めてすべて認められたい為に使用した私の物は何もないので与えられたものは与えて下さった方にお返ししました。 目まぐるしく動く環境、出来事、出会いの中で私の持ち物のすべては何か・・・ 何があるんだろうと考えれば考えるほどに不完全なくずばかりが心の中に埋もれていりことがわかり、 神様やTP、イエス様・・・人や万物も入りたがらない私の心ではないかと感じることが多いです。 傲慢な心に誰が入りたいと思うでしょうか・・・そのくずを燃やすことが出来ずに、私の心に中にお迎え出来る様な温もりさえも起こせない私であったのです。 心にぎっしり詰まった余分なくずを全て燃やしても、温もりを残してあなたを迎えたいという心貧しき者になりたい! 心貧しき者とはこういうことを言うのでしょうか! 今まで沢山の不完全さで出来たわらくずで何度も何度もあなたを刺し、あなたを泣かせてしまったのでしょう。 しかしこれが私の持ち物の全てなのだと自覚し、これらのわらくずを焼きながら、温もりを起こしてあなた(神様)の聖なるお体を横たえる柔らかな寝床に変えてくださいと・・・ あなたが使われる為の羽毛を与えてください!・・・ 私に必要な知識はそれでけしかないのです。 すっと祈祷報告させて頂き、悔い改めと、謙虚と感謝のじゅうたんを私の心の底に敷いて行きたいと懇切に懇切に祈願して行くのです。 今まで、何度も何度も神様、人や万物を刺し、泣かせて来た私の心でしたが・・・ 神様の夢を見ました! 神様は疲れて寝ている私をそっと抱きかかえてずっと子守唄を歌ってくださり、完全に寝てしまった私を温かいじゅうたんの上にそっと横に寝かせてくれてその上から温かい羽毛をかけて下さったのです。
2009.06.19

「聖フランシスコの平和を願う祈り」 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。 神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。 自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつしか知れず、愛されることや理解されることを願っている自分を発見する度にその分、人に負担を背負わせてしまい、気がつかないまま心情を蹂躙してしまうことも大きな悔い改めの正さなければならない項目にして行きたい内容を切実に感じていました。 いつの間にか愛されることや理解されることを願っている自分に気が付く度に、自己中心的な生き方になっているので運勢も下降気味になってしまい、またそれを回りの人や環境のせいにしてしまう恥ずかしさに、自分の居場所も捜せず、長く祈祷室に心を委ね、悔い改めるしかありませんでした。 何故、そのようになってしまうのでしょうか・・・ 愛されることや理解されることを願っている時は、自分の成長が止まっていることを・・・ そればかりか後退していたことを最近非常に実感しながら、何度同じことを繰り返してきたことか・・・ あきれて言葉に出来ないほど悔い改めました。 ある意味ではここが自分の人格形成への分岐点でもあり、また過去へ帰るのか、未来へ向かうのか大きな分かれ道であることがわかりました。 見かたを変えれば万物の分別、知識、地位、名誉などの所有権も分別して、成長して行かなければならない時を神様は何度も与えて下さったのでしょう。 何度気がつかず、わからなくても、神様の根気は絶対的なものであり、神様は私たちがどんな状況であろうとも、転換出来る道を与えて下さったいることがわかった時に、何度涙を持って、このご恩をお返して良いのか・・・ 計り知れないものであることに、これから与えられる道を、歩んで行く道をしっかりと、見極め、歩んで行きたいと切実に感じるばかりです。 周りに迷惑をおかけしない方法は自分が神様から、人から、万物から本当に愛され、愛される為に生まれて来たことを本当に自覚して行くことが何よりも大切なことですね。 「君は愛されるために生まれた」 http://www.youtube.com/watch?v=bzCgNmmuR0w&featurrelated 愛されないことや理解されるないことを、人や環境、体制、組織のせいにし始めると、悪の交互作用になり、他人をも巻き込んだり、気が付けが大きな問題に広がっていることもよく発見します。 道が見えるようになるためにまずは盲点である恨みの完全削除ですね。 「本当に愛され、愛される為に生まれて来たこと」を理解し、伝えることが伝道であり、神様のみ旨なのではと・・・感じました。 愛したい、理解したい、為に尽くしたい、私たちの原点である真の愛という素晴らしい、かけがえない存在を心から受け入れ、「本当に愛され、愛される為に生まれて来たこと」に感謝を持ってお捧げ出来る歩みでありたいと思います。
2009.06.18

元気があれば何でもできる、ゆけばわかるさ人は、歩みを止めたときに老いていきます。 この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となる。迷わずゆけよ、ゆけばわかるさ★一休さん&アントニオ猪木★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神様の道を知ってからもう何年が経ったことでしょうか・・・ 神様の前には信仰歴というものはあまり関係ないのではないかと、最近よく感じることがあります。 それは天国(本然の世界)は考える世界というよりは感じる世界であるからと感じます。信仰歴という経験が長ければ長いほど、それが知識というものさしになってしまい、そのものさしが肝心なことを忘れさせて気が付かずに通り過ぎてしまうこともよくあると思います。 これを防ぐ為にも信仰歴という経験により知識が膠着して行くよりは本来、信仰歴があればあるほど人間はますます柔軟にならなければなりませんし、その最も大切な柔軟な心があるからこそ、人間は真の心情文化人なれるのではと感じるばかりです。 その柔軟な心そのものの柱が感謝と謙虚さのもっとも深いの本然の原点ではないかと感じます。 それは聖書にあるように「天国は幼子のような心の者が行くところ」という原点になると思います。 体は大人でも心が幼子のようでなければ100%天国は見え、感じることは出来ないのかも知れません。 イエス様はこのことを言いたかったのでしょうか・・・ 人は幼子として生まれ、幼子として人生学校を卒業し、幼子として永遠に神様の愛を敏感に当たり前に感じて行くことが出来るのでしょう。 人間の完成は幼子になることでしょうか・・・いいえ、それが目標ではなと思います。 人間は堕落人を卒業して初めて、ここからが本当のスタートラインに立つことが出来て、本然の完成人を目指して神様の最高の相対となれるようになり、さらに神様の真の子供なって行くのでしょう。 Jeekungdoの創始者ブル-ス・リーが「考えるな!感じとれ!、それがやがて我々が目指す栄光の道に通じるのだ!」と言う言葉が浮かんで来ました。み旨経験があればあるほど大切な幼子のような心情を啓発し、さらに謙虚と感謝の深さへ入って行けることが何よりも大切なことと思います。 伝道されたばかりでの新しい人を見る場合、まず、私の今までの経験から考え、見つめてしまうようになってしまえば、私の成長は伸び悩むようになってしまうのでしょう。 伝道さればかりの新しい人からは本当にあまりにも神様を教えられ、屈服してしまうことが多い人生になります。 さらに、土よりも劣る身として、人間と万物の個性真理体を100%学べるように、私自身を空っぽにして行きたい思いしきりです。 経験が積もれば積もるほどそれだけすべての個性真理体を学び、ますます謙虚になることを私の切実な願いとして、また今のこの瞬間の出会う存在から100%学び、神様の創造の美を無限に感じて行きたいのです。 今までの私の人生はその願いとは反対に経験と知識が傲慢と知ったかぶりを生み、考えるみ旨になってしまい、神様の願う本来の感じる世界とはどんどん離れて行ってしまう自分を発見し、本当に長い間悔い改めの人生時間を費やしてしまいました。傲慢な人生経験を振り返り、回りの人への本当に温かい配慮にかけて心情蹂躙もあったのではと・・・お名前を思い出せるかぎりお詫びのお祈りに明け暮れる毎日を繰り返して過ごすしかありませんでした。どうしたら経験が積もれば積もるほどますます謙虚に・柔和になることが出来るでしょうか!これからも私の課題になるでしょう。み旨評論家になってしまい、見せかけ食口として本当は神様に一番心情蹂躙してしまったのではと・・・頭をたれてお詫びするしかありませんでした。このような思いが続くなか・・・お父様の夢を見させて頂いたのです。 どういうわけかそこ(夢の中)がプロレスのリングになっていて、お父様(世界ヘビー級チャンピオン)としてリングに立たれていて、 「おい、リングに上がって来い!」私は呼ばれてリングに上がったところ、急に試合になり、私はお父様から頭をつかまれて思いっきりアイアンヘッドバッド(鉄頭突き)を食らわされ失神しました。そのまた夢の夢の中で「真実だけを見つめなさい、感じなさい」という声が聞こえて来て、目が覚めると私の心は生まれ変わったように妙に平安を感じることが出来たのです。良い事も悪い事も情報を得ながらのみ旨評論家は霊界では本当に役立たずの者になることが見えて来たのです。サタンとの戦いが怖くて知ったかぶりを装っていたに過ぎなかったのではないでしょうか・・・振り返れば本当に愛であり、短いみ旨人生と思います。 苦しいこともありますが、サタンと戦っている時が一番生き生きとしていて、充実感を取り戻せます。 サタンと戦い勝つ為にはそのサタンと戦いながら戦略を研究し、身に付けて行くのでしょう。 それがお父様の「真実だけを見つめなさい、感じなさい」という声の意味が本当によく分かりました。信仰の素晴らしさと信じる事の素晴らしさ、愛することの素晴らしさをを実感して行きたいと思います。瞬きのような人生に・・・その瞬きの瞬間に何をすれば良いか・・・ その瞬間を一筋に徹して信じながら生きて行きたいです。 幼子のようにいつも神様を素直に100%感じて行きたいです。
2009.06.15

人生における本当の喜びと幸せは、あなたが与えて与えてそして、 さらに与えつづけて、その代償を決して考えない時に見つかります。☆アイリーン キャディ-( 北スコットランドの「聖なる楽園」 フィンドホーンの創設者の一人)☆ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この言葉を読みながら感じることは、私はまだまだ本当に心が幼いことがよくわかり、 そればかりか思いやりと愛の不足ばかりの人間なのでは感じてしまうようです。あまりにも不足すぎて申し訳ないにも関わらず、 このような日記の文を読んで下さる皆様の方が遥かに愛深き人たちであり、 心豊かな人たちであるからこそ、コメントまでも書いてくださることにひたすら感謝と敬服に余念がありません。与えて・・・与えて・・・そして、さらに与えつづけていると、 なかなか成果が現れないと続なかなくなってしまうことに・・・ 何の為に与えるのかと考えさせられ、 結果と成果を求めてしまう自分があまりにも不足な者であることを発見し、 与える原動力は何か・・・結果と成果を求めずにどのようにすべきが・・・ 神様に深くお祈りしたところ・・・ 「与えて・・・与えて・・・そして、さらに与えつづけていること・・・ これが成果なんだよ」と神様は応えて下さいました。 人に尽くし与えることが出来ることが神様からの最高のプレゼントであり、 これが天国世界で一番の素晴らしいことであり、 この幸せ(与える喜び)が永遠に続いて行くところが天国であると・・・教えられました。 与える瞬間が一番幸せであるのにそれ以上幸せを求めることがありましょうか? 私の幸せの観点がずれていたんですね。 人に動物に万物に与え愛することが出来ることの奇跡への感謝・・・ これ以上に幸せなものがあるでしょうか・・・ こうして人間の本来の本心からの神様から与えられた本当の幸せな気持ちに浸れることが出来る状態=与え、愛すること・・・であれば、愛することが一番幸せなのに この幸せな思いが多くの人に届けられないはずがあるでしょうか・・・ 人は皆誰もが不幸を退け幸せなりたいのに、幸せを求め(与えること愛することをせずに)ないでいれましょうか・・・ そして与え、愛することが一番幸せなので疲れることはないのです。 そしてその愛の発電所が家庭であり、 「与えて与えてそして、さらに与えつづけて、もっと与えたい・・・」 という万有原力を無条件に神様から与えられ、親から子供へ、兄弟姉妹として・・・ そして子孫へ、さらに霊界人へと・・・愛することが喜びなのでこの喜びが万民のものとなり、天宙が真の愛に満たされるのでしょう・・・ 与え、愛するることに真の幸せを感じながら今日も家の掃除から出発出来る毎日でありたいです。 それは真の愛・本然の愛には飽きというものが存在しないことがわかりました。 愛することが幸せなのに、幸せに飽きる方法はもう見つかりません。 さらに深く求めれば、与え、愛し、為に生きることが人間の一番幸せなことであり、喜び満員御礼の世界に神様はおられないはずがあるでしょうか・・・ 疲れを知らない親の愛・・・今日も真の親を目指して歩んで行きたいです。 与え続けること、理解し続けること・・・・ いつの間にか私は幼いが故に何度、神様に、人に理解を求めて来たことでしょうか? 何度、幼いお祈りをして来たことでしょうか・・・ そしてお祈りこそ神様と情を分かち合う最も大切な時間・・・ 与え続けること、理解し続けることが100%の幸福のLiveに今もこの瞬間にも天国を感じ取りたいです。
2009.06.14

「栄光の王冠(Crown of glory)」 私が人を疑う時、私は苦痛を感じる 私が人を審判する時、私は耐えることができない 私が人を憎悪する時、私は存在の価値を失う しかしもし私が信じれば私は間違いなくだまされる もし私は愛すれば私は反逆に遭う 今宵私の頭と身はく痛と悲しみに震えている 私は間違っているのか? そうだ 私が間違っているのだ しかし私がだまされても私はまた信じる 私が反逆に遭っても私はまた赦す 私は私を憎悪する者をことごとく愛するだろう おお 主よ! 愛するという痛みよ! 私の手を見てください。 この私の胸に主の御手を当ててみてください。 私の胸は言うに言えない苦痛の中で破裂しそうだ しかし 私は反逆した者を 私が愛する時勝利を成就するだろう もしあなたも私のように愛するなら 私はあなたに栄光の王冠をささげよう。 (お父様の16歳の時の詩) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今日は忙しく、このみ言(お父様の詩)で出発したいと思いました。 今日も神様の温かいおまじないで騙され続けていたいです。 それが永遠に続けばもっと嬉しいです。 私が信じれば神様は確実におまじないをもって私を騙してくださるでしょう。 それがどんなに辛い道でも一番短い近道へ私を騙して導いてくださいます。 この近道があまりにもきれいで美しく、涙がこぼれると道の向こうに輝けるふるさとを映してくださるのです。
2009.06.14

毎日の訓読生活を大切に祈祷報告を中心に罪の清算という現実を避けることなく、また堕落性を脱ぐ為の自己反省の模索を常に意識し継続しつつ・・・ 今までの人生の一つ一つに対しての総反省と悔い改め、今まで、そして毎日、さらにこれからも出会う一人一人に対して心情蹂躙はしていなかっただろうか、いないだろうか、そしてしてしまわないだろうかと・・・記憶の許す限り、さらに今の問題点と反省点を記録し、さらに反省し、悔い改めたことを繰り返さないように祈願文での報告・悔い改め・祈願を通じて解決につながるように自分の中に継続項目をいつも忘れずに心に刻みながら歩んで行きたいと思うこの頃です。その為にも毎日の訓読と祈祷報告はすることに食事をするよりも飢えて、心貧しくして行けるようになりたいと思うことしきりです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである それは地球の引力と同じ現実的な力である医師としての私は多数の人々が、あらゆる他の療法で失敗した後に祈りという厳粛な努力によって、疾病や憂鬱から救われた例を目撃している――アレクシス・カレル(仏のノーベル生理医学賞受賞者)――・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今まで役事を何度も受けさせて頂きましたが、堕落性がわからないことがまず罪深いということに気が付き、人の性格が変わることばかり願っていた私に気が付き・・・ またそれがどんな恥ずかしい行為であったことか・・・ 思い出したい過去、そして現実に何度も悔い改めと反省の報告に余念がありませんでした。 どんな現実があってもまず、人が変わることを願う前に、自分がどうかして変われないものかと暗中模索しても自分がまずは、変わらなければ現状を打破出来ないことをますます自覚してしまうこの頃です。 私は本当に非常に傲慢なんですね。 これが私の一番の堕落性なんです。 そしてこのことがわからないことがどんなに恥ずかしいことか・・・ 「あいつはもう死ななきゃ治らない」・・・と年を経て行くような人生だけはなりたくないと・・・何度思ったことでしょうか・・・ しかし、自己正当化と言い訳の多い人生ではその階段を上って行くしかない本当に恥ずかしい人生になってしまうので・・・ さらにそのことが永遠に記録に残っては神様、TP、ご先祖様、家族、そして子孫にとっても恥ずかしさを背負わせてしまうので、一人の人間の存在は本当に家族、氏族、血統・・・世界、天宙にまでつながっているので、どんなに隠しても隠せない時が来ることを覚悟し、これを解決する時は・・・ そう、今であると、自分の反射神経に入れたいくらいに強い意識圏の中で、本当の人生をこれから向かえて行きたいと思います。 そして絶えず、人の心に耳を傾け、生涯謙虚生活、生涯感謝生活、生涯感動生活、生涯許し生活、生涯学習生活、生涯信仰生活を持って行きたいと決意させられる毎日です。 堕落性は代表的な4つの大きな堕落性本性をよくご存知と思いますが、どうして人の堕落性ばかり見えてしまうのか・・・ 組織の悪い点ばかり見てしまうのか・・・ それほど自分は正しい人間なのかと・・・ 自らを正しき者とする沸き出ずる罪の深さに慟哭してしまい、人の心の温かさが伝わらない自分が本当に孤独に見えて来てしまいました。 その人の心の温かさ、神様の心の温かさがわからない限り、自分は・・・自分は・・・自分によって心傷いてしまわれた方もおられたのでしょう。 現実的にお会いし、お詫び出来ない方も多いので、本人とその方のご家族、ご先祖様に心の手紙をいつも書いていつか霊界、天国でお会い出来た際に気持ちを届けられるように数年前から準備しています。 しかし、そうすればするほど、誰よりも大切にお詫びしなければならない大切な人は家族であり、妻であり、親であり、ご先祖様であり恩師であり、兄弟姉妹であること・・・ 本当にあまりにも身近な方たちであることに・・・涙を持ってしか気持ちを伝える術がありませんでした。 まずはこれを実行するには自分の中にもし恨みがあれば話になりませんし、偽善者にしかなりませんので幾重にも連なる許しの山々の峠道を私は乗り越えて行くのでしょう。 人の堕落性よりも自分の堕落性を探すのに自分の中の恨みは心の癌にしか過ぎません。 この心の癌を根こそぎ取り除き、ごまかしのない本当の自分と対面し、連なる許しの山々の峠道を何千何万里も越えて越えて行きたいのです。何度も何度も許し、限りなく許し、この世に生まれた全てを許し、全身心身感謝の細胞に生みかえること・・・ この心の手紙に今までの人生に関った全ての人たちの名前を書き、賛美と感謝と、お詫びと反省と激迎の言葉を書いて行くのです。 こうしながら続けると何か分からない恐怖感というものが自分の中から抜けて行くような感じを覚えたのです。まだまだ本当に初歩の段階であることは十分わかっています。 限りなく続ける賛美・・・ それが本当に心から精誠を持って捧げられる賛美に変わって行くと、どんな人でも受け入れられるように自分の中の大きな壁が崩れて行くのでしょうか・・・ 神様がその人に備えられたその人の本当の良い点がわかって来ると人間はその人に対して気が付けば自然にいつの間にか謙虚になれて、真の兄弟姉妹の神性を味わうことが出来るのでしょう。 今日はこの人のこんなところを探そうと・・・ 神様は親として兄弟姉妹の個性真理体を捜そうしてくれる人には喜びを感じてくれるのではと思います。特に食口と教会の良い点を探して行く様にすると運勢も変わって来ることがよく分かるようになりました。 神様と御父母様あっての全ての出会いなので・・・ たとえ一瞬の出会いでも永遠分の感謝を神様に捧げて行きたいほどに真の兄弟姉妹を感じていたいのです。今まで絶対に口も聞かなかった人が温かく話しかけて来てくれたり、良い関係で話せるようになったり、驚くような神体験が出来るようになりました。そして今日もそのように瞬間を永遠に感謝の思いで投入して行きたいのです。
2009.06.11

『愛は一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果物である』(マザー・テレサ 「愛と祈りの言葉」より)愛はマザー・テレサのこの言葉のように誰にも手が届くところになっている果物であるということを少しずつでも感じ取れる人生になれたらと心から感じるこのごろです。 そしてそのようになって行けることが何よりも神様が願われる私達の本当の天国を作ることなのではと最近よく感じることがあります。その尊い愛が身近にあり、湧き水にように・・・あるいは空気のように・・・毎日毎日一部始終与えれているにも関らず、気が付かなかったのが私の人生であり生き方であったのでしょう・・・ 今まで空気のように何不自由なく与えて下さり私を生かして下さる神様・・・そして私の周りの多くの人たち、協力者、兄弟姉妹にその溢れんばかりの愛があまりにも身に染みてきてこの熱い思いを抑える術をすべて失ってしまった私なのです。 そしてあまりにも大きな深い果てしない愛に気が付き、愛にぶつかり、その衝撃の大きさにいくら感謝しても感謝しても到底届かないあるか彼方の大きな愛に・・・あまりにも申し訳なく、お詫びをしながらの毎日なのです。このことに気が付いた衝撃の大きさに、今までの人生のへの不満がなんと愚かなものであったか・・・ 今まで私の心の中にいて悪臭を放っていた不満が激しく音を立てて蒸発して消え去って行くのを身に染みる思いで感じて行く、これからの私の人生であり、もうそのように行くしか私の見える道はないのです。 その不満そのものに・・・その正体のわからないものに踊らされ操られて来てしまいました。 そしてその不満という火を自分の中で消す事が出来ずに、飛び火になり、周りの人にも迷惑を与えてしまっていて私であったことに・・・ あまりにもの大きな過ちにどのように本当にお詫びと謝罪を持って迎えていったら良いのか・・・ その解決の道を訓読書を頼りに道しるべを探すための繰り返しの毎日なのです。こんなにも溢れんばかりの愛が、本当に2本当に!本当に!・・・手の届くところにあったのです。 この悟りでもう今までの人生・・・そしてこれからの人生を染めきってしまいたいという私の心のエンジンが全開で止まらないのです。 気が付けばこの膨大な愛に一つ一つに感謝を込めて行っても、感謝する私がまだあまりにも未熟なので足りないくらいです。 しかし、時間と人生はあまりにも短かく待っていてはくれません。 時間を本当に有効に使う為にも神様は私が求めれば語り・・・さらに災いを通しても教えられようとされています。 災いがあれば不満と恨みを持ってしまった私が何と器が足りなかったのでしょうか・・・すべてに感謝して感謝しても追いつかない大きな神様からの愛なのに・・・必死な感謝だけで人生が終わってしまうほど時間がないのに、不満なんてどこに入り込むことがありえましょうか・・・どんな環境、人間関係の中にあっても『愛は一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果物である』という心の目を持ちながら、トトロの『歩こう!』を唄いながら真っ直ぐに歩んで行こうと思います。 マザー・テレサにはどのような環境化にあっても変わらない心の目があったと感じます。自らを捧げものにしながら度重なる不幸から現実であるからこそ、かえってそこから謙虚に学び取りながら「教えられ、救われているほうは私たちです」と・・・ 為に生きる(実質は私は教えられ、救われるしかない)からこそ・・・ もう感謝でしかマザー・テレサの道にはなかったのでしょう。
2009.06.11

今日は演歌を作りましたので、紹介させて頂きます。 これもまだ録音していないので、またその際、お知らせします。 これから二世時代へバトンが渡される時代の中にあって、ご苦労された一世 の人たちにはこのような演歌で慰労される時代も来るような予感も感じて来ている中で与えられた2曲です。 もし読んで頂けるようであれば、とても嬉しく思います。 「哀愁の東海(日本海)」 作詞・作曲 Minoru この海の 向こう側は アボジの朝の 国がある 今日も祈り 待ち続ける アボジが来られる その日を あれからどれくらい 待ち続けながら あなたの夢を 見ただろう 黄昏れか幻か アボジの面影 雪が舞う冬景色 哀愁の東海(日本海) 汗と涙で 綴られた アボジの足跡を 辿り行けば アボジが選んだ 聖地が我を いつも待っていてくれた 幼い私を 励まし いつも勇気付けてくれた必ず勝利を 勝ち取ろう 春を待つ冬の空 哀愁の東海(日本海) (間奏) 何処へ吹くのか この風よ 朝の国へ 飛んで行け 我が熱き祈りよ アボジのもとへ届け 雪が舞う冬景色 哀愁の東海(日本海) ////////////////////////////////// 「浪花節だよ 女のみ旨は」 作詞・作曲 Minoru大阪生まれの ご婦人さん いつもみ旨を 歩みます 固い決意を 胸にして 今日も出発 元気よく 霊界予約をしながら 今日のエリアを 愛する 不屈の根性 見せてやれ 浪花節だよ 女のみ旨は 浪花へ嫁いだ お嬢さん 交通マナーに つまづくな 心はムッチャ あったかい ホンマに エエとこや 道頓堀から 通天閣へ ジャンジャン町にも 足跡が 父の祈りが 香っている 天の花咲け 浪花の地よ (間奏) 愛と人情の 浪花魂で 神の涙を 受け止めて 朝の訓読から 夜の祈祷まで 全て捧げて 行きたい 父母が生まれた 朝の国へ 慕い馳せながら いつかお会い出来る 夢を見て 今日も行きます 浪花の愛の道 必ず果たそう 神のみ旨 勝利の凱歌よ 天に届け これがこれが 浪花のど根性 (浪花節だよ!人生の替え歌ではないです^^)
2009.06.02
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