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引用文『おはよう!という発話は、相手から何らかの応答があって、はじめて「挨拶」という意味や役割を担うものとなる。そこで繰り出された発話の意味や役割、その行く末は自分の中に閉じていては知りえない』引用文2『発話の意味や役割の一部を相手に委ね、そして相手はそれをそっと支える』一方通行では、意味や役割を見出すことが出来ず、何もなかったかのように霧となって消えてしまう。認知症の人に勇気の一歩を出し、アプローチをした時に、相手がどんな対応をしてこようが、それを受け入れる〈支える〉優しさが無ければ、認知症の人は置きざりにされ、ポツンと佇んでしまう。相手に一部委ねる心、ウエルカムという開いた心が認知症の人が自分自身の人生に参加し、主体的に歩んでいく道標となる。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように。感謝。
2020年06月30日
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引用文「うーと考え込んでいる間に周りが先回りして代弁してしまうことがあった。それが続くと話さなくても過ごすことが出来るから、そのような人が居るところでは無口なる」相手に委ねる心が無いと、その人が置き去りになり、そこの場所に参加できない。介護者が認知症の人を置き去りにしてしまったら本末転倒である。相手に委ねる心を持ち、認知症の人に自分の人生に参加してもらう。そこで介護者が支え、支えられ、委ね、委ねられ共に充実した未来社会を人生を創って行く。それが未来の認知症ケアだ。この動画は弱いロボットの思考5章からの学びです。弱いロボットの思考、興味があれば読んでみてください。https://www.amazon.co.jp/〈弱いロボット〉の思考-わたし・身体・コミュニケーション-講談社現代新書-岡田-美智男/dp/406288433X/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr= この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように。感謝。
2020年06月29日
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引用文『受動歩行とは、傾斜から得られる位置エネルギーを歩行運動に利用するために「歩く」ための特別な動力を必要としない。』引用文2『ASIMOの歩行モード安定化に向け、倒れそうになる動作をむしろ歩行に生かす』坂道を下る時、前に倒れるように足を一歩踏み出せば、勝手に足が出る。自然に環境に逆らわずに委ねること。認知症の人が真夜中に「家に帰る」と言った時、感情には逆らわず。認知症の人の孤独感という心に介護者が委ねてみる。ハグする。手を握る等。そこを足場にして、新しい価値を二人で生み出していく。介護する側される側というよりも共に社会に価値を生み続ける人間として認知症という大地から〈支え〉られ〈委ね〉生き抜いていくしぶとさが大切だと感じた。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月28日
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引用文『地面に対する〈委ね〉とその地面からの〈支え〉との動的なカップリングによって、何気ない歩行を生み出している。私たちは地面の上を歩くと同時に、その地面が私たちを歩かせているともいえる。その「一歩」は行為者の中に閉じて、自己完結しているのでなく、むしろ外に対して開いている』引用文2『この地面からの〈支え〉を予定して一歩踏み出す時、どうなってしまうか分からないけど、というドキドキ感がある。認知症の人を介護する時、〈支え〉にとても不安感を感じ、〈委ね〉を期待しすぎているような気がしてならない。行き当たりばったりでいいのだ。困難にぶつかった時は、お掃除ロボットが壁にぶつかったのと同じ。そこでお掃除ロボットが方向を変えて動き出したように、ケアのやり方、アプローチの仕方を変えて、一歩を踏み出せば、そこに新しい未来が広がるのだ。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月27日
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自由に振舞えるということはとても大切なことだ。その中で、認知症の人の潜在的な力、能力が浮き彫りになってくる。この人にこんな一面があったのか! この人にこんな能力があったのか!能力を新たに開発する必要は無い。全ては認知症の人の中にある。内在する力とケアを掛け合わせる関りをした時に、水素と酸素で水が出来るように、化学反応をして、認知症改善、認知症治癒という水が出来る。そして水は認知症治癒の為の必須アイテムだ。ユーザーに価値を見つけてもらうは1~3まで連続で見ていただけると、分かりやすいです。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月26日
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前回の動画の中で出したフレーズ、『一緒になって遊ぶ』というのは、介護者も共に楽しむということを指している。認知症介護は確かに大変だ。こちらの言うことは全くっていう程通じない。そんな状況で楽しめるのかという声が聞こえてきそうだ。介護のおもちゃ箱というのは、介護者がおもちゃ箱であるということ。そういう意味では、介護者は固定概念を捨てて、認知症の人がおもちゃ箱から何を取り出し、どういう使い方をするのか、その使い方にルールは無い。ルールは認知症の人が決める。この時介護者がこれは、この使い方が正しいという固定概念があるとそこに苦しみが生れる。こんな使い方があるのかと、ワクワクしながら、見守る姿勢が大切になってくる。そこに新しい価値が生れてくるのだ。そしてそこに新しい価値の介護方法も生まれてくる。そんな新しい介護を生み続け新しい時代の武器にしていかなければならない。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月25日
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引用文「犬型ロボットアイボの開発者が、とりたて役に立ちそうに何無いものだけど、と思いつつ、アイボに明確な価値や役割を与えぬまま世の中に半ば委ねて販売を開始した」開発者目線、提供者目線で価値や役割を与えると、利用者のニーズから外れてしまうことが多い。認知症ケアに置き換えたらどうなるだろうか?介護者が一方的に考えたケアはその人のとって的外れなケアになる。ケアのおもちゃ箱みたいに、いろんなケアを詰め込んだパッケージをどうぞと、認知症の人に投げる。その中から自由にいろんなケアを持ち出して遊んでいる時に一緒になって遊んで(関り)その遊びを通じて共に個別な価値を生み出していく。個別な役割を見出していく。そんなケアがその人に寄り添うケアになると思った。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月24日
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引用文「生きた意味を生み出すには、不完結ながらも、あるいは不完結だからこそ、聞き手にその一部を委ね、一緒に意味や価値を生み出すというとしてのスタンスが必要なのだろう」話し手が「あのね」等、聞き手の態度をその都度確認しながら言葉を作り出していく。自分の話をちゃんと聞いているか確認している。全て決まった言葉を出すわけではないという意味で不完結。聞き手に一部委ねることで、聞き手もその話に参加できる。聞き手が参加することにより、聞き手、話し手共に特別な意味の持つ会話が成立する。認知症の人と介護者、話し手と聞き手の間に信頼関係、生き甲斐、安心感を会話するたびに生み続けていくことができれば言葉の力で豊かな人生を歩めると思う。補足(動画では話していません)話をする時に話の全容を全て決めて話すわけではない。聞き手に一部話の内容を委ねながら共同作業で作り上げて行く。ブレーンストーミング法のようにこの動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月23日
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引用文「わたしたちの言葉はいつも誰かに向けられており、「宛名」をともなう。《ミハイル・バフチン》言葉とは話し手と聞き手の二つのの出会うところで相互に活性化しあう。わたしたちのは、他者のと向き合う中で当事者にとってオリジナルな意味を作り上げる。会話をすることで、相手の心をノックしあうことにより、心が高揚していく。高揚感が快か不快か別として、この高揚感がその人のとって特別な意味を作る。その人にとって快の高揚感を与える言葉を出し続けることで、言葉の力で認知症を改善方向へ持っていくことも可能ということだ。言葉を厳選して発し続けていきたい。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように。感謝
2020年06月22日
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引用文1「とりあえず周囲との関わり、その周囲を味方につけながら、一緒になって行為を組織していく」という関係論的な側面。引用文2「とりあえず、という行為の背後にあるのは、とりあえず行動してみない事には分からない。というわたしたちの身体に備わる制約の存在であるという側面。」自分の自由と相手の自由が出会った時に、お互いにその自由をセーブすることによってそこに新たな自由の世界が始まるのだと感じた。人間には自由が与えられている。その自由と自由がぶつかれば争いが生れる。しかし、自由と自由が出会った時に、新たなルール(制約)を持つことによってその組織の自由が生れる。認知症の人と介護者間で【思いやる】というルールを作ることによって、おもやりを受けた人は思いやりの反応、リアクションを起こし、お互いの自由は拡大すると思った。 この動画が認知症ケアや介護のヒントになりますように感謝
2020年06月21日
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引用文【車を初めて運転する時、とりあえず車を動かしてみる。ハンドルの動きに合わせた周囲の見えの変化がハンドルを動かすことの意味を教えてくれる】環境の変化が次の自分の行動を示してくれる。立ち止まっていては何も始まらない。とりあえず、よく分からないけど、動いてみる。その動きに、環境(人も入る)が変化していくので、その変化を見て自分の役割や自分の存在を確かめる手掛かりにしていく。自分は何をすべきなのかを知っていく。認知症の人が動く。それに反応して介護者も動く。その反応の出方で、自分自身の介護のあり方を見つめなおし、修正していく。とりあえずアクションを起こしてみる。その繰り返しがその人に最適なケアを見つける近道になる。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月20日
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引用文【私たちが一歩踏み出すのは、自分の身体を前に進めたいばかりではない。自分の中に閉じていては見えてこない、そこにあるはずの自分の存在を確かめるために、ということもある】自分の存在を確かめるために動く。認知症で、今の自分が分からなくなり自分を探すために動く。動くことはごく自然な反応である。自分自身の存在を確かめている作業なのだ。この時にどのような介入をするかで、これがわたしだという自分に出会うこと出来るか、わたしではない!という自分に出会わせてしまうか、分かれ道になる。そう、これがわたしなのだ!という理想の自分自身に出会わせることが認知症が改善する道筋だと思う。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月19日
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引用文1【この世界に対峙するとき、自分の内側からは、その体の一部や自分の顔は見えない。とりあえず動き出すことで初めて自分の姿がそこに現れる】引用文2【自分の今の表情は見えない。すれ違う相手の表情などに、自分の姿や表情の一部が映しこまれている】他者や環境とコミュニケーションを取ることで何らかの反応を示す、その反応を手掛かりとして自分自身の今を認識する。認知症の人が対応する人によって落ち着いたり、不穏になったりするのは、他者とのコミュニケーションおいて、他者が反応するリアクションで、今の自分を認識しているということになる。逆を言えば、認知症の人が穏やかに、安心を得るようなリアクションをこちらが取り続けることが出来れば、認知症は改善していくと思った。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月18日
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気管切開をして声が出なくなる。彼にとって話すことは唯一の希望と言っていいほど大事なアイデンティティだった。ボラの一人が声の出る方法を見つけてきて、医者に内緒で発声練習をしていく。努力の甲斐あって希望(こえ)を取り戻す。どんな逆境に出会っても希望を抱き続ける彼の強さは並の人間のできることではないと思う。常に希望を抱き続けていると、まるで希望が引き寄せられるかのように、希望の方から「お待たせしました。希望です」みたいに彼の心に希望が訪問してくる。彼は身動きが出来ない状態なのに、全ては向こうからやってくる。というよりも彼が必要なものを全て引き寄せているように思える。認知症ケアでは行き詰ることは多い。そんな時でも希望を捨てずに、抱き続けて、希望を引き寄せられる人間になろう!この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月17日
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映画を観ていると、言いたいことを言ってボラを振り回しているように思えるが、実はボラのことをとても愛しているし、ボラの幸福を祈っている。ボラの一人が自分の彼女をボラに紹介する。別れる危機があるけれど、彼のさりげない言葉やさりげないアドバイス、大胆な仕掛けで仲直りをして結婚まで行く。この副ストーリーが実話かどうかは分からないが、彼がボラを家族の一員として捉えていることがよく分かる伏線になっている。自分は全てボラから与えられているから、自分は与えられたものを返していく。自分も社会に与えていく。社会に与えていくことは、回り回ってボラにも還元されていく。そのように考えていたように思える。聖書に与えんさらば与えられんという言葉がある。僕も与えられたものを与える人生を生きていきたいと思ったこの動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように感謝
2020年06月16日
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彼は筋ジストロフィーで自分の身体を動かすことは出来ない。排泄も着替えも入浴も全てを誰かに手伝ってもらわないといけない。その時にへんなカッコつけても何の役にも立たず、自分のやって欲しいことをやってもらえないことになる。だから自分自身に正直に生きる、他者にも正直に生きることで自己実現をしている。よく考えてみると、他者からこう見られているかもという自分への不誠実さがいろいろな災いを呼び込んでいるのかもと思い当たるところがあることに気がつく。正直に生きよう。そして認知症の方にも要介護者にも正直に接しよう。それが僕の自己実現になる。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように
2020年06月15日
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障害にしろ、自分を不幸にする事象を受け入れることは難しい。そんな人生を、運命を呪ってしまう。彼は12歳で筋ジストロフィーと診断された。この年齢で運命を呪わずに、受け入れ、更には自分の人生、運命を愛し続けることが出来たというのは、なかなか出来ることではない。偉人の域に入ってもおかしくないと思う。自分の人生を呪っていたら、愚痴や不平不満ばかリが出てくると思う。ボラや医者に対して自己主張はしても不平不満は言わずに、感謝の言葉を述べ、いつも心に感謝の気持ちを抱いて生きていた。真に自分の人生を愛することが出来ると、他者の人生も愛することが出来ることに気づかせてくれる。認知症という病気は自分さえ分からなくなる。認知症の人が自分の人生を愛し続けることが出来るように、僕自身の人生を愛し続けようと思った。この1分動画を観て認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように。感謝!
2020年06月14日
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彼は英検2級に合格した。アメリカに行くことは出来なかったが、最後まで夢を追い続け、確実に夢との距離を縮めていった。ボラの人達から介護を受けながら、自分の命を障害者で困っている、悩んでいる人達の役に立つような生き方をしようと、自分を律して生きていった。そして障害者の人達にこんな生き方もあるんだぞ!と証明をした。彼が自分らしく生きることが出来たのは、夢があったから。彼の夢、志が彼自身を創り続けたと思った。その人生の高みの極致では、肉体には障害があっても心は健全で健康だと完璧さを示してくれた。アマゾンプライム会員の方はアマゾンプライムビデオで「こんな夜更けにバナナかよ」が無料配信中です。この機会にぜひ見てください。1分動画が認知症の方や介護のヒントに繋がりますように。
2020年06月13日
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ボラの人達は自分の手であり足である、身体の一部。自分が五体満足なら、バナナが欲しければ丑三つ時だって買いに行く。脳が手足にバナナを買いに行け!と命令するのと同じ感覚でボラにお願いする。他者から見たらわがままに映るが自己主張である。ある意味彼は本音のみで生きている。そのガラス張りの心にボラ達の心もガラス張りの心で自然に対応してしまう。わがままな自分勝手な人であれば延べ500人のボラに支えられることは無かっただろう。そこに自分はボラなしで生きれないという自覚とボラへの感謝が彼の魅力として現れたのだろう。認知症の人も本音のみで生きている。でも、介護者である僕に「我」があることに気がつく。わがままなのは僕なのだ。アマゾンプライム会員の方はアマゾンプライムビデオで「こんな夜更けにバナナかよ」が無料配信中です。この機会にぜひ見てください。1分動画が認知症の方や介護のヒントに繋がりますように。
2020年06月12日
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仕事の手を抜くことで介護の質が上がります。なぜなら、直ぐに転びそうな人に付き添いをして歩行練習や生活リハビリをしっかりやることによって、歩行能力が格段に向上し、杖で歩けるようになった。杖無しで歩けるようになった。小走りが出来るようになった。小走りが出来る状態になった利用者に付き添いはいりません。オムツの人がトイレで排泄をする様になった。オムツ交換はやりません。どちらも仕事の手を抜いているのです。介護の質を上げることによって、今までやっていた仕事をやらなくても良い状態にすること、手抜きをすること。これが自立支援なんです。介護者は仕事がなくなり、利用者は自由が拡大していくことが自立支援の目的です。この動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように。感謝。
2020年06月11日
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お掃除ロボットは行き当たりばったり。壁にぶつかり行き先を変え、イスの足にぶつかり方向を変える。その行き当たりばったりが結果的には満遍なく掃除をすることになる。自分の力だけで何とかしたい!自分の手柄にしたいと頑張ったところで、自分の力でやれるものは意外と少ない。誰かに助けられている。何に助けられていることに気がつく。自分の手柄ではなく、多くの人の役に立ちたいという思いで、成り行きに委ねてその流れに素直に逆らわずに進んで行く。その時大いなる他力が望み、大きな仕事が出来る。弱いからこそ他に委ねる心が育ち、相手と競うのではなく、協力し合うという思想が生まれる。そう考えると弱い認知症の人は物凄いポテンシャルを持っていることに気がつく。そのポテンシャルにケアを委ね共に協力しながら成長して行きたいと思った。の思考を読んで考えたことを整理しました。ぜひ読んでください。https://www.amazon.co.jp/〈弱いロボット〉の思考-わたし・身体・コミュニケーション-講談社現代新書-岡田-美智男/dp/406288433X/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1591749384&sr=8-1この1分動画が認知症ケアや介護のヒントに繋がりますように。
2020年06月10日
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「弱いロボットの思考」の本の中でお掃除ロボットがコードを巻き込む、スリッパをひきずり回す、段差から落ちるなど、改善すべき欠点という弱さが、私たちをお掃除に参加する余地を残してくれている。一緒に掃除するという共同性を引き出し、達成感を与えてくれる。と書いてあります。ロボットが困難にぶつかっても懸命に働く姿が一緒に掃除を参加させる気持ちを引き出し、行動力を引き出すきっかけになったと思います。必死になって自分の仕事を黙々と行う姿勢がとても大切なのだと教えてくれているような気がします。弱さとは奉仕に貢献するチャンスを与えてくれる青銅の扉なのかもしれない。の思考https://www.amazon.co.jp/〈弱いロボット〉の思考-わたし・身体・コミュニケーション-講談社現代新書-岡田-美智男/dp/406288433X
2020年06月09日
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弱さを強くする必要は無い。弱いままでいい。弱さの利点を引き出すことで、関わる人と弱い存在の認知症の人がwinwinの関係になれるのです。物忘れがある。それは、意識が覚醒していないからだ。意識を覚醒させるには水を飲むことだ!認知症の方に水を飲んでもらう。認知症の方一人ではなかなか飲めないので、介護者も一緒に水を飲む。そうすることで認知症状はどんどん改善し、介護者は認知症予防実践していることになります。バランスの良い食事を作り、一緒に食事をすれば、認知症の方も自分も健康になっていく。弱さは弱いままで良い。ありのままでいいのです。
2020年06月08日
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認知症の方は弱い存在だけど、何もできないわけではなく、今までの人生での経験があります。弱い存在ですが、環境の現れ方によって、その弱さが強さに変化していきます。保育園や幼稚園の先生をやっていた人なら子供が迷子で泣いているのを見つけたら上手に励ましてしまうかもしれません。その力が顕在化する環境に立てば、力が自然と発揮するけど、その環境が無ければその力は埋もれたままになるわけです。その人の力が、水を得た魚のように自由を手に入れる環境を作ることが大切です。https://www.amazon.co.jp/〈弱いロボット〉の思考-わたし・身体・コミュニケーション-講談社現代新書-岡田-美智男/dp/406288433X/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=読んでみてください
2020年06月07日
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認知症の方は、強い存在か弱い存在か分類するなら弱い存在になると思います。誰かに介護してもらわないと生活に支障が出てしまいます。見方を変えると、認知症という弱い存在がいるから、介護者の介護力を引き出しているという風にも見えます。仕事として介護をしている人なら、介護の質を上げることが求められています。いろんな認知症状が出てくることによって、考えて、実践して、反省して、考えて、実践する。認知症という弱い存在がいなければ、介護力が上がっていかないということを考えると、弱い存在の認知症と介護士は相互に力を引き出し合っている関係と言えます。
2020年06月06日
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メジャーリーガーだったイチロー選手はイメージングを良くしていたそうです。スポーツ選手はイメージトレーニングをやっている方が多いです。良いイメージを潜在意識に落とし込むことで、そのイメージが現実になる。イメージという心の絵が、この世の現実世界の絵として現れる。転ぶ。転ぶ。とイメージトレーニングをしている方がいたら、スムーズにスタスタ歩いているというイメージトレーニングをやることで、しっかりと歩くことが出来るようになる。現実に歩きが安定してくると、イメージもスタスタ歩くから、踊りながら歩くみたいなイメージに変わってきます。自信がつけばつく程イメージも更に力強いものへと変わっていきます。
2020年06月05日
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その人にとっての異常事態を調べる時に、歩く様子を見て、つまずいたり、転びそうになったりする場面に遭遇しなければ異常事態が分かりません。転ばぬ先の杖で付き添って、少しふらついたら手を差し伸べるということをしていたらなかなか異常事態が見えてこないです。ここのバランスがとても難しい。基本は歩行練習をする時にその異常事態の状況を作ってどんな感じになるかテストをするというのが良いのかなと思います。転ぶかもしれない!転ぶかもしれない!と転ぶことをイメージングしてしまう方がいます。そのような方には自己イメージをスムーズに歩いているというイメージに置き換えることも必要です。
2020年06月04日
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転倒をする時は、その人にとって普通ではないことが起きた時に転倒します。例えば若い方が転倒する時のことを考えてみると、慌てていた。焦っていた。急かされた。動揺した。自分のペースを乱された。こんな感じでしょうか?どれも普通の状態じゃない。ということが言えると思います。転倒させないということを考えた時に、その人にとって異常時はどんな状況かということが把握できていれば、一人で自由に歩いてもらい、観察しながら、その人にとっての異常事態が起きたら駆けつける。付き添うことで緊張して異常事態になる可能性もあるので。一人で自由に歩いてもらい、自信をつけてもらって、更に歩くことに対して積極的に自信を持ってもらうことが出来るのではないかと思います。
2020年06月03日
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ミスをしてのほほーんとしている人を見ると、腹が立ってきますよね?本当に反省しているのか?自分がしたことの重大さが分かっているのか?と思えてきます。その場合、素直に本人確認するのが良いと思います。相手の中にも苦しみ、悲しみ、やるせなさがあるけど、その心をポジティブさに変換して行動しているのだなと分かったら、自由にやらせて様子を見つつ、その人が躓きそうなことが起きそうな時に、少し釘を刺しておく。一言声をかけるなどのフォローをすることで、その人はポジティブに物事を捉えて明るさが明るさを呼び、ミスを責めあい、足の引っ張り合いをするような雰囲気でなく、みんながミスをしなくなるようフォローしあう、助け合う精神が広がっていくと思います。
2020年06月02日
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何かミスをするとどうしても相手を責めてしまいます。あるいは自分を許せないと、自己処罰の思いを持ち続ける人がいます。相手を責めても自分を責めても事態は好転することは無いし、過去になってしまった事象が変わるわけでもありません。そこから何を学び、未来にどう貢献するかということが大切だと思ういます。感情がブレたり、心が揺れるような大きな事象の場合、そんなに冷たく、冷静に出来ないという気持ちは出てくると思います。どうにもならない事象に対してあれこれ悩んでも、持ち越し苦労しても意味はありません。それなら過去を乗り越え、未来を見なければならないと思います。相手を許し、自分を許して、そこから未来に対して希望を紡ぎだしていけなければならないと思います。
2020年06月01日
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