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<きのうから続く>軍に入ったものの、芝居のことしか考えていないマレーは1人でぶつぶつ新しい戯曲の台詞を練習していたために、最初は気違い扱いされてしまう。やがて『恐るべき親たち』で有名な役者だと皆が知るようになると、彼と親しくなろうとする人間、彼に冷たく当たる人間ができて、一種のタブー的存在に。だが、軍用車の運転手を務めていたとき、仲間が車の取っ手を壊し、その責任をかぶって抗弁せずに罰を受けたことで、仲間の兵隊の見る目が変わった。壊した当人があとから良心の呵責を感じて名乗り出てきたのだ。さて、マレーは中でも気の合った軍曹と「姿をくらます」ことをしょっちゅうやるようになる。軍用車でひそかにパリへ行っていたのだ。軍曹は家族かあるいは愛人と会いに、マレーはもちろんコクトーに会いに。いつも朝早く点呼前に戻るのだが、ある霧の深い日、たまたまマレーが軍曹に運転を替わってもらったところ、溝につっこんで事故ってしまった。2人で車を引っ張りあげることは不可能だった。仕方ないので、通りがかりのトラックを停め、綱で引き上げてもらった。車は思った以上にへこんでいる。しかも、スピードも出なくなった。マレーと軍曹は6時には戻るつもりでいたが、結局9時になった。将校事務所に入っていくマレー。将校はマレーをじろりとにらみつける。「どこにいたんだ?」「はい、自室におりました!」「いや、部屋にはいなかったぞ。捜しに行かせたんだ」「散歩しておりました!」「……結構。で、車はどこだ?」「入り口の前であります!」2人は車を見に行く。当然ぶざまにへこんだ車が将校の目に入る。「事故を起こしたな?」「いいえ、中尉殿!」「なにが、いいえだ! よく見ろ!」「はい、中尉殿!」「はい、だと? 事故を起こしたことを認めるんだな?」「いいえ、中尉殿!」「きのうまでは完璧だっただろ? それがどうだ? よく見てみろ!」「いつもこんな具合であります。中尉殿!」「君は私を気違い扱いするのかね!」「いいえ、中尉殿!」「では、どうなんだ?」「どうと言われても、車はいつもと同じであります。中尉殿!」気違い沙汰なのは、明白な事実を否定しているマレーのほうだ。しかし、こう答えている限り、中尉にはどうしようもないし、マレーも追及されたくなかった。まさかパリへコクトーと密会しに行っているなどと言えるわけがない。「営倉入り」の罰が下るが、営倉がなかったので、歩哨番にさせられた。ところが、将校を含めて皆が、マレーはまた誰かをかばって演技していると思い込む。ある意味正しい推測だ。車を溝にはめたのは軍曹だったからだ。彼らはマレーを歩哨番から解放すべくストライキを起こした。やがて、動員解除されると、例の中尉がマレーに尋ねてきた。「誰が車を壊したか、もう教えてくれてもいいんじゃないか」マレーは微笑んで答えた。「中尉殿、車は本当に壊れたりしなかったんですよ」戦争をしているとは思えないぐらいノンビリとしたエピソードが多いが、実は当時のフランスはまともにドイツと戦う意思がなかった。ドイツ軍の勢いもあったが、国民の間では厭戦ムードのほうが高く、休戦派が徹底抗戦派を押し込めて1940年6月22日に、仏独休戦協定が締結されている。こうして、占領下におかれたパリに、動員解除されたマレーは疎開していたコクトーと途中で合流して帰ってくる。変わり果てたパリを見て2人は涙を流したという。コクトーはパリ陥落の前(1940年)にマドレーヌ広場のアパルトマンを引き払い、モンパンシエ通りに2人のための新しいアパルトマンを見つけていた。モンパンシエ通りとは、パレ・ロワイヤル庭園を取り囲むアーケードの外側にある通りのこと。つまりアパルトマンは一方はアーケードに面して、一方はモンパンシエ通りに面しているということになる。マレーは10年ほどここでコクトーと暮らし、その後出て行ったが、コクトーは死ぬまでこのアパルトマンをパリの住居としていた。「モンパンシエ通り36番地の小さなスペースを、私たちは『恐るべき親たち』のなかでと同じように家馬車と呼んでいた。ある魅力が私たちといっしょに棲んでいた。コメディー・フランセーズの横を通るにせよ、リシュリュー通りからの階段を使うにせよ、あるいはコレットの家の前に出るボージョレ通りを辿るにせよ、家に近づくとすぐその魅力が働き始めるのだった。経路はその3つだが、どれを通っても禁断の町に入っていくような気がした」(ジャン・マレー著『私のジャン・コクトー』東京創元社 岩崎力訳)き、禁断の町… なんて「まんま」な表現……<追記>以前mapumamaさんからご紹介いただいたYou Tubeの映像。http://www.youtube.com/watch?v=tlEcnuvMHiI フィルムの逆回しや窃視といったコクトーお得意の映像表現を紹介したあと、0:20あたりに円柱のあるアーケードをコクトーが歩いてくるシーンがある。コクトーの晩年の様子と思われるが、これがパレ・ロワイヤル庭園の3方を取り囲んでいるアーケード(コクトーが歩いているのはおそらく、西側のモンパンシエのアーケード(Galerie de Montpensier)」)で、ここに面した建物の中に「モンパンシエ通りのアパルトマン」があったのだと思う。コクトーが鉄製の扉から向こうを見ているシーンがあるが、その視線の先にはパレ・ロワイヤル庭園があるはず。ちなみにパレ・ロワイヤルそのものはルーブルの近くで、庭園はその北。南北に長い長方形の庭園になっている。ネットでコクトー関連の記事を読んだら、コクトーはパリの「パレ・ロワイヤルに住んでいた」と書いているエントリーをいくつか見つけたが、それは正しくない。パレ・ロワイヤルの庭園のそばであって、パレ・ロワイヤルに住んでいたわけではない。マレーにしろコクトーにしろ、自作では必ず「モンパンシエ通り36番地のアパルトマン」と書いている。1948年にこのアーケード、つまりコクトーのアパルトマンの目と鼻の先に「ル・グラン・ヴェフール」というレストランが再開し、1953年には、コクトーはこの店のために絵皿を制作している。上のYou Tube映像にVefourという下がり看板が見える。グラン・ヴェフールは今でもあり、「ルレ・エ・シャトー」のメンバーとして格式を誇っている。<続く>
2008.03.31
<きのうから続く>1939年夏、ジャン・マレーとジャン・コクトーは南仏の港町サン・トロペでバカンスを過ごしていた。宿泊先はコクトーの友人の経営するホテル。そこへある朝、マレーの友人がたずねてくる。「挨拶にきた。動員令を受けたから行かないと」その言葉にマレーが驚く。「動員!? なぜ?」今度は友人のほうが驚く。「ええっ、君たちは戦争が始まったこと、知らないの?」「戦争だって?」新聞も読まず、2人きりの世界にひたっていたコクトーとマレーには青天の霹靂だった。慌ててパリに帰ると、マレー自身も動員されており、しかも出頭期日が過ぎていたことがわかる。動員センターで軍服を受け取り、コクトーとココ・シャネルとマキシムで食事をとったあと、すぐにマレーは出征した。「この戦争は私には理解できなかったし、ましてや受け入れられなかった」(マレー自伝)。高級家具に囲まれた南仏での優雅なバカンスからいきなりテント暮らしの軍隊駐屯地へ。だが、マレーの関心は次の芝居のことにあった。コクトーはサン・トロペへ出発する直前にマレーのための次の戯曲『タイプライター』の初校を脱稿していた。もちろんこのときもコクトーは、マレーに、「次はどんな役がやりたい?」と聞いている。「今、『罪と罰』を読んでいるんだけど、ラスコーリニコフみたいな役をやってみたいんだ」とマレー。そこでコクトーはあらゆることに無頓着で嘘つきで、病的誇張癖のある人間たちの物語を書く。マレーはその中で2役を演じる設定だった。『罪と罰』とは難解な小説を気に入ったものだが、マレーはもともと文学にはまったく疎く、読書家でもなかった。その彼が変わったのはコクトーのそばにいるうちに、自分の無知・無教養を思い知ったからだ。マレーの反応は実に素直だ。「こんなにバカでいいわけ? オレ……」いいわけない。役者としての表現力を高めるためには、人間の心理に対する理解力も深める必要がある。本を読まなければ。病気で舞台を降板せざるをえなくなったとき、マレーはコクトーに頼んで、読むべき文芸作品のリストを作ってもらっている。マレーの自伝にはそのときにコクトーが挙げた作家と作品名が列挙してある。1作家に対して1作品を選りすぐり、それをきっかけに興味をもてば、同じ作家の別の作品を自主的に読んでいけるように考えられているリストだ。さて、マレーが動員されると、パリに残ったコクトーは駐屯地のマレーに会うための面会許可証を手に入れようとあらゆる友人たちのもとのを訪れ、片っ端から頼み込んでいた。季節は冬に向かっていた。シャネルはコクトーの駐屯地への旅行にそなえて、防寒用の衣類やセーター、手袋などを用意している。シャネルという人は、つねにコクトーを経済的に支援していた。コクトーがマレーと出会ったころ、実はコクトーにはあまりお金がなかった。だが2人はいつも高級レストランで食事をしていた。コクトーからの支払いが滞るとレストランはシャネルに勘定を回す。で、彼女が払う。コクトーとシャネルの付き合いは長い。ラディゲが死んだとき、葬式代を出したのもシャネルだった。だからコクトーとシャネルは「婚約者」と新聞に書かれたこともある。だが、コクトーに対するシャネルの感情が普通の人々が想像するような恋愛感情でなかったことは確かだ。なぜなら、シャネルはコクトーが愛する青年に対しても、ほとんどコクトーと同じように支援していたからだ。マレーもずいぶん助けられ、自伝で「彼女は私に対して、常によき妖精でありつづけた」と書いている。シャネルだけではない。コクトーという人は一定の男性からは非常に嫌悪されたが、女性から憎悪のまなざしを向けられることはまったくなく、ほとんどの場合大いに好かれた。特に社会的地位の高い働く女性、貴族の血を引く教養のある裕福な女性が多くコクトーを支援し、時には家族のように付き合っている。こうした女性の心理を理解できない男性は今も多い。「女性は常に自分の恋愛対象としての男性を求め、男性と付き合うのはそのため」だという固定観念から逃れられないのだ。だが、現代の日本女性なら、ある種の男性に対して「よき妖精」として付き合うことを楽しんだシャネルの心理を理解できる人も多いだろうと思う。駐屯地のマレーにコクトーから手紙が届く。「マキシムから君が出発したのは、わが人生最悪の瞬間だった。君と別れるなんて想像できない。一瞬たりとも別れられない。君のママのところへ行ったよ。もちろん、私たちの息子(オイオイ!)の話をするためにね」「私たちは離れていても一体でしかないのだからね。小さな飾り星の下に寝ている君と今にも会えそうな気がする」「君と再会するためには、どんな不可能事も辞せずと誓う」「幸せすぎた過去の報いは高くつく。だが僕らのバカンスを思えば高くはない」コクトーの手紙は洪水のようにやってくる。コクトーは友人たちにもマレーへ手紙を書くように頼んだために、マレーは一日に20通も手紙を受け取ることも。コクトーの手紙も一度に3通も4通も届くことがあった。「君の『あなたを愛することが僕の幸せだ』という言葉を聞くためなら、どんな犠牲を払っても高すぎることはない。たとえ神の声でも僕たち2人を引き裂くことはもはやできない」「ママのことは心配しないで。なるたけ足しげく見舞うようにするからね」「日曜日にそっちへ行くつもりだ。願わくばサンタクロースのように着けますように」そうして、コクトーは駐屯地のマレーに面会にやってきた。初めての面会のあとのコクトーの手紙。「ジャノ。君の顔に幸福を見たし、君も僕の顔に幸せを見たね。僕たちの運命の星以上に輝くものはなにもない。僕たちの夢を見るためにこれからやすむ」毎日曜日コクトーは危険をものともせずにマレーに会いにやってくる。そして、パリに帰るコクトーをマレーは駅まで見送りに行く。「汽車の窓越しに僕に向けられた君の可愛い顔つきは、この世で一番美しい肖像画」とマレーに書き送るコクトー(戦火が燃え上がっている世の中だというのに、この2人が焼かれているのは完全に別の炎……) 。<続く>
2008.03.30
1938年末、好評を博していた舞台『恐るべき親たち』を見た教育関係者が、この芝居は「放蕩息子」の「近親相かん」のさまを「白日のもとにさらけ出す」もので、子供には絶対に見せるべきではないと非難した。これに激怒したコクトーがパリで一番発行部数の多い新聞紙上で反論したために、スキャンダルはさらに広がった。上演していた劇場がパリ市庁所属だったことから、教育上よろしくない芝居は上演禁止だと追放される。だが、すぐに別の劇場が門戸を開く。すると噂の卑猥な芝居を見ようと客がさらに押し寄せた。もちろん卑猥なモノを見たかった観客は完全に裏切られるが、その評判がまた評判を呼び、『恐るべき親たち』はロングランを続けた。ところが1939年2月末、マレーが体調を崩し、結果5月まで役を離れることになってしまう。4月、コクトーがマレーを療養をかねた旅行に誘う。今度の行き先はかつてコクトーが早熟の天才レイモン・ラディゲと過ごした思い出の地ル・ピゲだった。ラディゲが20歳で夭逝したことで阿片に溺れるようになったコクトーは、ラディゲが死んでからル・ピゲには足を運んでいない。およそ15年ぶりの再訪だった。コクトーはかつてラディゲと長期滞在したホテルにまた宿を取る。そして、療養中のマレーと過ごしながら、まるで過去を精算するかのような小説『ポトマックの最期』の執筆に着手している(完成させたのはエックスシドューイユ)。5月にマレーは舞台復帰。有名になったマレーには取り巻きが増え、次第に同年代の遊び仲間と外出するようになる。そんなマレーに対してコクトーは父親のような寛大な態度で接していた。自作の戯曲が当たったとこもあり、コクトー自身も多くの仕事をかかえ、非常に多忙。そのせいもあってマレーは何となく、「コクトーが自分に無関心になった」と感じる。そんなマレーの取り巻きの1人に19歳の美貌のアメリカ人がいた。「彼には、私にはないものがあり、そこに魅了された」「私にとっては一種のドリアン・グレイを想わせた」(マレー自伝より)。天性の美貌をもちながら、麻薬と娼窟に溺れ、とめどない背徳の世界に堕ちていくドリアン・グレイ――いわずと知れたオスカー・ワイルド代表作の主人公だ。マレーはドリアン・グレイに関してはちょっとした思い出をもっている。マルセル・レルビエから『ドリアン・グレイの肖像』を撮るからカメラテストをしろと言われ、髪を脱色し、巻き毛にしてテストを受けに行ったことがあるのだ。移動の途中でバスを降りると若い男が一緒に降りてきて、「突然すいません。私は画家なのですが、君の肖像を描きたいのです」と、ナンパしてきた申し出てきた。面食らったマレーは事情を説明し、「いつもはこんな格好じゃないから」と断る。その画家とはジャック・デュポン。マレーをナンパしたに声をかけたときは無名だったが、その後有名になっている。彼はマレーの肖像を描くことはなく、マレーもレルビエの『ドリアン・グレイの肖像』に出演することはなかった。企画が途中でぽしゃったためだ。だが、マレー自身は後に、「ドリアン・グレイは自分の役ではなかった」と言っている。そうかもしれない。マレーのエネルギーにあふれた屈強な体躯は、ドリアン・グレイのイメージではない。ちなみにヘルムート・バーガーはこの役が当たり役だと言われた。さて、そのドリアン・グレイを思わせるアメリカ人は、名前をデナム・フードと言った。もともとはデナムが病気だったにもかかわらず、どうしてもマレーに会いたいとパジャマのままマレーの楽屋に押しかけてきたのが2人の出会い(本当につくづく、いちいちエピソードがヤバイ人だ)。マレーとデナムは急速に接近し、しばしばデナムに誘われ、マレーは歓楽街に出入りするようになっていく。そんなときに、「愛する私のジャノ(コクトーはマレーをこう呼んだ)」で始まる、コクトーから長い手紙が部屋のドアの下におかれる。その要旨はこうだ。「僕は父親のように君を愛そうとしている。それは君を束縛し、独占しすぎることを恐れたから。それに君が恋に落ちはしないかと気に病むことを恐れ、君が僕にそれを隠そうとすることを恐れたからだ。もし君を自由にすれば、僕に隠し事をしないだろうし、そのほうがむしろ悲しみは少ないと自分に言い聞かせることにしたのだ。僕は君を愛しているし、尊敬している。僕の君への熱愛は神聖なもの。僕の一切を捧げる宗教的なものだ。君は僕のすべてだ。君の素晴らしい青春に水を差す考えは毛頭ない。僕は君に栄光を与えるためにあれを書いた。そして栄光を与えることができた。それが僕の唯一の誇り。僕はこれからも君に栄光を与えたい。それが僕の創作意欲になっている。もし君が同年代の人と出会い、そのことを隠したり、僕を絶望させたくないためにその人への愛を控えたりしたら、僕は死ぬまで後悔するだろう。むろんそれが僕の幸福を奪うことは確かだが、君が僕を信頼し、父や母といるような自由を感じるほど、僕が立派になるということもまた確かなのだから」この手紙を受け取ったとき、マレーはコクトーが本当は何を言いたいのかわかっていなかった。だが、数日後、また手紙がおかれる。「僕はとても悲しい。たまたま君を賞賛の絶頂に押し上げることに僕が手を貸し、皆が君を好くからだ。君がいつも同年代の人たちと外出することはいい。ただ、Dは君のためにならない。君は美しい王子の姿を彼に見ているが、僕や他の人々の目には運命に対する怠け者にしか見えない。目をひらいてほしい。僕たちの仕事や計画、僕たちの純粋さ、正しい方向を考えて欲しい」さらに数日後、手紙はさらに生々しく、狂おしい調子を帯びてくる。「これは僕の嫉妬だと考えてくれてもいい。僕ほど君を愛せる人間がほかにいるとは思えない。君が誰かに触れ、優しい言葉をかけるなどと、考えただけでも気が狂いそうになる。でも、そこに君への非難が含まれているとは考えないでくれ。君は自由。君の青春、君の飛躍を束縛したくない。僕の苦悩は哀れな動物的な反応からきているにすぎない。誰かの腕に抱かれる君、誰かを抱く君を想像すると、拷問にかけられるよう。これは単なる僕の妄想にすぎないかもしれない。君の善意がそれを明かしてくれることを望んでいる。僕は君が愛する人に対して、うらやましいとは思うけれど、嫉妬はしない。君の幸せだけを僕は求めたい」 (コクトー先生、言ってることが完全にぐちゃぐちゃです…)このキョーレツな手紙を受け取ったマレーはすっかり気が動転してしまう。イヴォンヌに打ち明け(すぐ喋ってしまうマレー君)、デナムに手紙を書き、彼との関係一切を解消した。そして、コクトーに自分の気持ちを書く。それに対するコクトーの手紙は、またすぐにドアの下におかれる。「僕のジャノ。君の優しい手紙を繰り返し読んだ。どうして僕が君に『無関心』だと思えたんだ? 僕が愚かにも芝居を演じていたのは、そうするほうが君を自由にし、君を幸福にできると考えたから。しかし、僕の幸福が君の幸福にも役立つならば、毎晩泣き濡れ、君を抱きしめられない不幸に悩み、僕の笑いや陽気な振る舞いすべてが真実を隠す作りごとであることを知ってほしい。君がDに手紙を出したとイヴォンヌから聞かされて、僕は感謝の念とその慈愛に溺れて死ぬかと思った。君は僕に幸福をくれた。僕がどんな苦痛に耐えていたか、君には決してわかるまい。これからは誰よりも強い愛をさらに確かめ合おう」そして、「白紙の便箋に『うん』と書いて。その美しい詩の返事を僕の宝にするから」マレーが言われたとおりにすると、コクトーは『パリから脱出しよう、パリから…』という詩をマレーに贈り、2人はサン・トロペにバカンスに出かける。マレーはこのときのバカンスを人生最高のバカンスだったと回想している。コクトーとマレーが2人きりでゆったりと過ごしたバカンスは、実はこれが最後になってしまう。サン・トロペで2人は突然の開戦を知る。マレーは動員され、戦場に。そのあとはパリがドイツの占領下におかれ、優雅なバカンスどころではない時代が来る。占領下では対ドイツ協力派からの激しい攻撃にさらされる。そんななかでのマレーの映画デビュー。映画は国際的な成功をおさめ、2人の名声は世界へと広まり、お互い多忙を極めることになる。マレーにはコクトー以外との仕事も増えていく。そして、コクトーには別の出会いも……<続く>
2008.03.29
<きのうから続く>プロの俳優としてのキャリアをスタートさせたばかりのジャン・マレーがベテランのイヴォンヌに助けられたように、マルチェロ・マストロヤンニにとっても恩人ともいうべき先輩がいた。それはビットリオ・ガスマン(1992~2000年)。マストロヤンニより2歳年上の俳優で、2人はヴィスコンティ主宰の劇団の先輩・後輩だった。同劇団に入団したばかりのマストロヤンニのコンプレックスはアカデミックな演劇教育を受けていないことだった。一方のガスマンは大学を卒業後、国立演劇アカデミーに学んだいわばエリート。マストロヤンニは基礎のしっかりしたこの先輩俳優を晩年まで「偉大な名優」と呼んで尊敬していた。1949年、つまりマストロヤンニ入団の次の年、劇団は『オレステ』の上演を企画する。『オレステ』はギリシア史劇をもとにしたアルフィエーリ作の悲劇で、韻文の台詞が格調高く、非常に難しい。現代人のふつうのしゃべりなら得意なマストロヤンニだが、こうした重々しい時代モノは苦手だった。そんなマストロヤンニにガスマンはとても親切だった。演出のヴィスコンティに見つからないように、控え室で時間をみては演技の手ほどきをしてくれたという。だが、マストロヤンニはどうしても自信がもてない。とうとう初日が来てしまい、緊張しまくったマストロヤンニは何度もトイレに行き、ほとんど「トイレに隠れてる状態」になってしまう。そこへガスマンがやってくる。猫でもひっぱり出すように、マストロヤンニの首根っこをつかむガスマン。「おい、いい加減にしろよ。俺たちの出番だぞ」急いで舞台へ走りながら、あわててスボンのボタンをとめるマストロヤンニ(嗚呼! マレー君と違ってなんて色気のないエピソードなんだろう)。ちなみに、オレステ役はマレーも『アンドロマック』の舞台で演じている。そのときのマレーについては、ジャン・コクトーの『占領下日記』(筑摩書房)に、「彼(マレー)の姿勢には脱帽する。彼が動いていないとき、つまりあたかもいける彫像と化したとき、最美のオレスト(=オレステ)を見る思いがする」という評論家の賛辞が紹介されている。マストロヤンニが尊敬するガスマンは舞台俳優としては大いに評価されたが、映画ではなかなか人気が出なかった。彼を有名にした映画は、偶然にもマストロヤンニと共演した喜劇映画『いつもの見知らぬ男たち』(1958年)での間抜けなギャングのリーダー役。マストロヤンニが『白夜』(1957年)に主演した翌年のことだ。もともとアカデミックな正統派だったガスマンがこんなキャラクターでブレイクしたのは、もしかしたらこうしたジャンルが得意なマストロヤンニの「助け」もあったのかもしれない。また、コクトーとの縁もある。1945年にヴィスコンティはローマでコクトーの戯曲『恐るべき親たち』と『タイプライター』を演出している。このときまだマストロヤンニは劇団にいなかったが、ガスマンは出ている。『恐るべき親たち』は、パリでの初演から遅れること7年。現実の物語でありながら、「どこか幻想的」と最初の読者であるマレーが感動した物語を、ヴィスコンティも自身で「演出してみたい」と思ったのだ。マレーもマストロヤンニも舞台からスタートし、のちに映画で世界的な名声を得るが、どちらかというとマレーのほうが舞台への思い入れが強いかもしれない。マレーの自伝を読むと、映画での役作りについてはあまり触れられていないが、舞台での役作りの苦労や工夫にはかなりのページを割いている。映画については。「○○(国や場所)でXX(映画のタイトル)を撮った」というあっさりした記述が多い。映画と舞台の調整に苦労した話やそれにともなうトラブルの話は非常に多い。収入だけ考えると映画のほうがいいのだが、ときに舞台に集中するために長く映画出演を断り、経済的に苦しくなったこともある。マストロヤンニも舞台にはこだわりをもっているが、『甘い生活』以降は舞台から遠ざかった印象がある。なにしろ生涯で170本もの映画に出ているのだ。マストロヤンニ自身「自分の本当の人生が幕間に逃げてしまうほど次から次へと演じてきた」と言ってる、また「170本のうち70本は駄作」とも。「脚本を読んだ時点で、どうやったっていい作品にはならないとわかる映画もある。それでも自分は出る」というのがマストロヤンニのスタンスだった。マレーは脚本を読んでその役が自分に合わないと思うと絶対に出ようとしなかった。違約金を払うこともあった。また、たとえば演出家や共演者が最適だと思っている役者を、プロデューサーが個人的に気に入らないという理由で降ろしたりすると抗議に行き、ついでに自分も役を降りたりしている。あるいは、権威をもった「お偉いさん」が「ジャン・マレーがもしこの映画への出演を拒否するなら、仕事ができなくなるまで公けにこき下ろすから」などと脅しをかけてくると(ナチスドイツの占領下のパリではこういうこともあったのだ)、脚本も共演者も気に入っているにもかかわらず、出演を拒否した。つまり、マレーという人は、たぶんに「騎士的な性格」だったのだろうと思う。実際彼は占領時代、対ドイツ協力派で自分とコクトーを執拗に攻撃していた有名な評論家を路上で思いっきり殴り倒すというスキャンダルも起こしている。マストロヤンニは舞台と映画の違いについて、「舞台では声、映画では目の演技が大事」と言っている。また、「役を距離をもって見る冷静さが俳優には必要」だというのが確固たる1つの信念だ。役者は観客を泣かせるものであって、自分がどっぷり涙にひたってはいけない。特に舞台では観客の反応を見ながら、やりすぎていると感じたときはしばしばブレーキをかけるのだという。長い役者人生の中でも、彼は「本気で」感極まってしまったことはほとんどないと断言している。だが、何度か思いがけずそうした状態に陥ってしまったときは、とても困惑し「役と自分との距離をとりそこなった」失敗だと感じたという。確かに本当に感極まってしまうと、人間は何も話せなくなる。また、何かを表現する人間が、常にそれを外から観賞する視点をもつことが大事だというのは、普遍的なセオリーだろうと思う。同時にマストロヤンニは舞台の怖さも指摘している。特に映画で育った役者は舞台を怖がる。本番の舞台の幕が開いたら、トチったからといって「もう一度テイク」というわけにはいかない。マトロヤンニはこんなエピソードを挙げている。1960年代の中ごろ、喜劇作家でもあり脚本家・映画監督でもあったエドゥアルト・デ・フィリッポが、自作をブロードウェイの舞台にかける話をマストロヤンニにもちかける。戦後ナポリからニューヨークに移住したイタリア人カップルがそこで子供を育てていくというストーリーで妻役はもちろんソフィア・ローレン。マストロヤンニとローレンは12本もの映画で共演し、映画の世界では、本物の夫婦以上の夫婦といわれた最高のカップルだ。マストロヤンニはこの話に大いに期待をかける。ローレンは英語がうまい。自分はヘタだが、設定からすればそれぐらいがちょうどいいかもしれない。ブロードウェイの舞台で成功したい。マストロヤンニの夢がふくらむ。「ソフィアには君から話してくれるかい?」「もちろんですよ」そして、マストロヤンニは勇んでローレンに電話する。「ソフィア、すごいチャンスだよ。エドゥアルトがブロードウェイで『フィルメーナ・マルトゥラーノ』をやりたいってさ。2人でこんな冒険ができれば、僕たちも若返ること間違いなしだと思わないかい? 気分を変えて舞台に出ようよ。そうしたら君だってきっと……」「私は今でも若いわよ」そっけないローレンの声。「だから舞台なんてやる必要ないの」一方的に膨らんでいたマストロヤンニの夢風船を破裂させる針の一刺し。ソフィア・ローレンは映画で育った女優だった。「結局彼女も舞台が怖かった」とマストロヤンニは回想している。「舞台」というものの魅力と魔力は、好きではない人、興味のない人には説明しても意味がないかもしれない。舞台は映画とは違う。いくら映画の撮影技術が進み、現実離れした夢の映像を見せてくれるようになっても、その場で生身の役者が演じる舞台の魅力にとってかわることは決してない。舞台演劇は一期一会であり、役者と観客が1つの空間を共有することに醍醐味がある。劇場はそもそも建築家の芸術作品だが、ただ設計して建てただけでは完成しない。お客が席に着き、幕が開いて初めて完成するのだ。虚構の世界が現実として目の前の空間に展開していく。そして一瞬ののちに移ろい、消える。声が劇場を満たし、役者が動き、多くの観客が一緒にそれを聴き、見つめ、昂揚する。その臨場感と一体感が素晴らしければ素晴らしいほど、劇場の外にいて奇跡を知らない人々が気の毒になってくる。マレーやマストロヤンニの演技をだから、映画でしか知らない今の日本人は、彼らの横顔の一方しか見たことがないのに、それですべてを判断しようとしているのかもしれない。<続く>
2008.03.28
<きのうから続く>ツーロン滞在中のある朝7時、突然6人もの警官が家宅捜索にやってきた。そしてコクトーの部屋から阿片吸入器具一式すべてを押収していってしまう。そのときマレーもコクトーと一緒にいたために仲間だと誤解されてしまっていた。「どうしよう?」狼狽するコクトーにマレーは、「中毒を治せばいいんだよ」「無理だよ。治療は高くつくし、時間がかかる。パリで芝居の演出もしなけりゃいけないだろ」「ジャン、中毒を治すべきだって」「いや、もう港で身投げしたいよ。吸いたくはないけど、治したくもない。ぼくは死にたい」「ジャン!」コクトーの「死にたい」はマレーへの殺し文句。一度泣かせて味をしめたのか(笑)、やたらと連発してはマレーを困らせている。マレーのほうも慣れたのか、数年後パリで一緒に生活し始めてから、コクトーがコッソリ今度はコカインに手を出したとき、お返しに先に言っている。(数年後、パリ)マレー「最近夜寝てないみたいだけど、クスリをやってるんじゃないだろうね?」コクトー「まさか」マレー「やってない?」コクトー「やってないよ」マレー「ボクの首にかけて誓える?」コクトー「誓うよ」 夜、2人は同じベッドで寝ている。何度もバスルームに立つコクトー。寝たふりをするマレー。バスルームからは水を流す音はしない。マレーが立ち上がり、バスルームへ。コカインを吸っているコクトーを見つける。マレー「それは何?」コクトー「……」マレー「コカインだよね」コクトー「……」マレー「ボクの首にかけてと言ったじゃない。ボクは死にたいよ」とまあ、こんな具合。ちなみに、この晩、マレーはコカインの粉を便器に流して捨ててしまっている。時間は少し戻って1937年10月14日、『円卓の騎士』が初日を迎えた。マレーは上がってしまい、練習どおりの演技はできなかった。「ジャン・マレーについては、彼は美しい。それがすべて」と批評記事に書かれる。マレーはそこに人々の意見を感じ取った。つまり、見かけはいいが、演技はよくないと。確かに当時の自分は、写真を見ると「フォンダンのようだった」とマレーは後に述懐している。フォンダンとは砂糖を再結晶させたもので、とても甘く、口に入れるとすぐ溶けてしまう。だが、そのときのマレーは自分の演技が未熟だったことを認めつつも、どこかで自分は人が言うような見かけだけの俳優ではないはずだという確信を持ち始めていた。批判されても揺るがない何かが彼の中に芽生えていたのだ。コクトーとの関係が確かなものになるにつれ、ジャン・ピエール・オーモンに対する競争意識は自然に消え、変わってマレーは「自分自身が進歩する」ことを目指そうと心に決める。それは生涯にわたっての俳優・ジャン・マレーの目標になった。ところがそんな矢先、再びコクトーが何も言わずに姿を消してしまう。芝居を続けながら、マレーはあれこれ思い悩む。30歳を越えたばかりの無名のヴィスコンティがマレーにイタリアでの仕事を申し込んできたのはそんなタイミングだったのだ。『円卓の騎士』の上演が終わりに近づいた2ヵ月後のある日、突然コクトーがマレーの楽屋に姿を現す。「彼と再会した喜びで、何も尋ねなかった」(マレー自伝より)。オテル・ド・カスティーユに戻ったコクトーはマレーに、自分が予告なしにパリを去ったのは2人が親密になりすぎたために起こるであろう諸問題を避けるために逃げていたのだと話し、許しを請うのだった。「3日間、私たちはオテル・ド・カスティーユの部屋を出なかった。食事も部屋に運ばせた」(意味深……)。年が明けてすぐ、コクトーはモンタルジ(ロワール川のほとりの中世の街)で新作を書くから一緒に来て欲しいとマレーを誘う。書こうとしていたのは、マレーが気に入ったベテラン女優イヴォンヌ・ド・ブレとマレーをキャスティングに想定した戯曲。「君はどういうものをやりたい?」「極端で、活気があって、現代人の役。泣いたり笑ったりして、美男でない役」こうしてマレーの希望を入れ、かつ彼と母親との異常なまでに緊密な関係を反映して出来上がったのが『恐るべき親たち』だった。コクトーがマレーに読んで聞かせてくれたこの戯曲は幻想的な雰囲気をもった傑作だった。マレーはそう思った。だが、自分に当てられた役柄があまりに難しい。「自分の力量では演じられないのでは」とマレーは自信を失くす。だが、コクトーの信頼を裏切るわけにはいかない。「若い俳優なら誰でも憧れる、最高に素敵な役だと思う。それにふさわしくなれるように一所懸命勉強するよ」不安でいっぱいのマレーにとって助けになったのは、ベテランの名女優イヴォンヌとの稽古だった。イヴォンヌに助けられ、マレーは次第に役を自分のものにしていく。だが、本番が迫ったころにイヴォンヌは体調を崩し、やむなく代役をたてることになってしまう。なかなか上演してくれる劇場が見つからないなどの困難はあったものの、なんとか初日を迎え、いざ舞台の幕があくと、この芝居は大当たり。今回は批評家の評判もよく、舞台俳優ジャン・マレーの名は一挙にパリ中、そしてフランス中に広まった。このときマレー25歳。入場料を値上げしても劇場は常に満員。マレーの収入もアップしていく。そんななか、コクトーが「もうホテル暮らしは嫌だ」と言い出した。マレーは母と暮らしていた家を出て、マドレーヌ広場のアパルトマンでコクトーと暮らし始める。<続く>
2008.03.27
マルチェロ・マストロヤンニは若いころの舞台劇での思い出を語るとき、芝居がはねたあとの仲間との交流の楽しさを強調している。ことに出し物がうまくいっているとき、劇団の仲間には家族的な雰囲気が生まれる。遅くまでやっている店にみなで繰り出し、その日のお互いの演技について指摘しあったり、ときにはからかったりして時間を過ごす。それがなによりの喜びなのだと。ジャン・マレーはといえば、若い俳優たちで作った劇団企画の『オイディプス王』で、脚本・演出を手がけるジャン・コクトーが彼にいきなり主役を与えようとしたこと、さらには次作『円卓の騎士』での主役が決まったことで、一部の劇団員から激しく憎まれ、対立していた。マレーの自伝によると「とても卑しい陰口を叩かれた」のだという。「やってらんねーよ、なんでよそ者のアイツがいきなり主役なわけ?」「カオとガタイだけの役者だろ?」「芝居ヘタだし」「カラダで役取ったんじゃねーの、相手はコクトーだしさ」な~んていう2ちゃんねる風の悪口を言われたかどうかは知らないが、いつの世もやっかんだ人間の言うことなど同じようなものだろう。マレーは頭に来て、張り倒したい衝動にかられるが、「そんなことをしてもどうにもならない」と思いとどまる。そのかわり、意地悪な団員相手にまったくのお人よしを「演じる」ことでやりすごすことに決め、自分に与えられた「分不相応な幸運」をムダにすまいと、演技の勉強に集中した。コクトーはしばしば、マレーをオテル・ド・カスティーユに呼び出す。そのころの楽しい思い出としてマレーが挙げているのは、後に映画『美女と野獣』の美術を担当し、コクトー映像の美の世界を作り上げるのに一役買うことになるクリスチャン・ベラールの訪問だった。コクトーとベラールはホテルの部屋にあるタオルやベッドカバーといった備品と自分たちの私物を組み合わせて思い思いに変装し、演じたくなった芝居の好きな場面をそれぞれが即興で演じてふざけあった。本業のマレーが観客で、それを見て笑いころげたという(とことん芝居好きの3人……)。同時にマレーは、若いころから天才の名をほしいままにし、彼にとっては雲の上の人だったコクトーの意外な一面を知ることになる。ある日、「正午に会いにおいで」と言われて行くと、コクトーは阿片の匂いの充満する部屋でまだ寝ており、起こしてもなかなか目を覚まさない。やがて徐々に覚醒したコクトーは、自分を揺り動かしているマレーを見るともなしに見つめながらふいにつぶやく。「ぼくは死にたい」コクトーのような有名人は幸せに違いないと信じ込んでいたマレーは、その言葉を聞いて思わず泣いてしまう(そろそろ反応が変だよ、マレー君)。マレーの涙を見てコクトーは我に返り、許しを請う。「ジャン、もう死にたくないでしょ?」「うん、今はもうね。眠っていて幸せなことを忘れてしまったんだ」マレーはコクトーを幸せにしたいと思う。そして、そのためには阿片中毒を治す必要があると痛感する。同時に自分は絶対に麻薬に誘惑されたとコクトーに告白する事態には陥るまいと心に決める。「自分の仕事は俳優。何よりも健康が第一だし、そのためには節制した生活を送らないと」。マレーはその信念を守り、80歳を超えても舞台に立った。70歳を超えてから日本で1人芝居を上演したこともある。もう1つマレーが心に決めたことがある。それはコクトーに経済的な支援を求めないことだ。マレーはかつてレルビエ監督と自分の関係が歪んでしまったのは、貧乏だった自分がレルビエからお金を受け取ったり、食事を奢ってもらったりしてしまったせいだと思っていた。その轍は踏みたくない。さて、『円卓の騎士』の稽古に入る前に、コクトーはマレーに数週間南仏で過ごさないかと誘う。マレーは承知するが、母親がいい顔をしない。マレーは母に「コクトーに会って。そうすれば彼がどんな人かわかるから」と頼むが、母は会おうとはしない。彼女はコクトーと出会ってから、息子が自分から離れていくのを感じて悩んでいたのだ。異常なほど親密な絆で結ばれていた母と息子の関係が崩壊しはじめた瞬間だった。後年マレーの母は、息子が大病をした際に自分のことのように苦悩するコクトーの姿を見て、マレーとコクトーの関係には敬意を払うようになる。だが、そのほかの人に対しては、常にマレーとの間に入って両者に嘘をつき、互いの仲を引き裂くように画策し続けた。息子は息子で、母親が「仕事」といっては窃盗を繰り返す姿をずっといたたまれない思いで見てきた。「今にボクは金持ちになるよ。そうしたら、母さんは『仕事』しなくてすむよね」「そうなりたいものだね」確かにマレーは金持ちになった。だが結局、母の窃盗壁はついに完全には治ることはなかった。コクトーの麻薬中毒も、一時はマレーの努力もあって治癒したものの、晩年には再発している。さて、「役作りに必要だから」と母を押し切って(役作りに必要? 演出家と旅行するのが? ふ~ん……)、コクトーとともに南仏に向かったマレーはそのときに生まれて初めて寝台車に乗る。列車がリヨンを過ぎてしばらくたったころ、コクトーがマレーに教える。「ヴァランスを過ぎると南フランスだ。バラ色の瓦屋根を見てごらん」マレーはここまで南に来たことはなかった。そうして2人が降り立った街は、ツーロンだった。ツーロン!そこはコクトーにとって特別な街だ。マレーと出会う10年前、つまり1927年の末にコクトーはたぶんに自伝的な要素を含む小説『白書』を署名なしで秘密裏に発行している。「秘密裏に」というのは、初版がたったの20~30部だったからだ。ほとんど読まれることを拒否しているかのような部数。出版社名もなし。1930年に限定450部で再版、1949年になって予約限定500部で発行。つまり、執筆してから10年以上たっても、一般にはほとんど読まれていなかったということになる。しかもコクトーは公けには、それが自分の作品であることを認めず、サインもしなかった。なぜか? それは『白書』があまりに赤裸々な同性愛者の魂の告白を綴ったものだったからだ。コクトーの「公式」の作品には同性愛を直接テーマにしたものはただの1つもない。ところが『白書』に出てくるのは同性愛者ばかり。「私」という語り手が、幼いころ自分のセクシャリティを自覚し、世の中を支配しているキリスト教的な倫理観に苦しみながらも、宿命の出会いと悲劇的な別離を次々に繰り返していく。そのなかでもとりわけ異彩を放つ特別な街として描かれているのがツーロンなのだ。『白書』の中で、「私」はツーロンを「魅惑のソドム」と呼んでいる。そこに描かれたツーロンはこうだ。「夕暮れには、さらに甘い寛容の気配が街を浸し」「世界中から、男の美の虜になった男たちが水兵を見にやって来る。水兵たちは1人で、あるいは一団となって気ままにぶらつき、秋波には微笑で応え、愛の申し出を決して拒まない。夜の妙味が、どれほど乱暴な徒刑囚でも、どれほど粗野なブルターニュ人でも」「花で飾り立てた立派な女に変身させる。彼女たちはダンスが好きで、踊りの相手を何の気兼ねもなしに港のいかがわしいホテルに連れ込む」(『白書』山上昌子訳 求龍堂)もちろんこの倒錯した卑猥な雰囲気は、現実のツーロンとは違った磁場をもつツーロンのそれかもしれない。『白書』は自伝的な小説であって、ドキュメンタリーではない。現実にはありえないようなことも次々起こる。ある意味、非常に幻想的な作品でもあるのだ。だが、コクトーが過去しばしばツーロンに来ていたこと、そこに『白書』に登場するような人物がいたことは事実として確認されている。そんな街に、コクトーは何も知らない若いマレーを連れてきた。1937年当時のマレーが『白書』を読んでいた可能性はほとんどゼロだ。ただ奇妙な符合もある。マレーは高校時代、自ら女装して退学処分になっている。奇妙な符合はそれだけではない。『白書』で「私」は「パ・ド・シャンス(ついてない)」と入墨をした、粗野で屈強な体躯の水兵と出会い心惹かれる。パ・ド・シャンスの入墨を万年筆で線を引いて消し、そこにハートと星のマークを入れた「私」は、この男と共に生きたいと心を動かされるのだが、結局「彼と私は世界が違う。一緒に暮らすのは不可能だ」と、重い気持ちで別れを決める。別れる決心をした理由の1つは、パ・ド・シャンスの心の卑しさ――「私」が貸した金のネックレスをあわや盗もうとしたこと――だった。マレーはといえば、南仏に来る前、ホテルに彼を呼び出したコクトーから「タクシー代をあげるからクルマで帰れば?」と言われてもきっぱり断り、歩いて帰っている。また、「自分は絶対にいつかコクトーと出会う」と思ってそうなったように、自身がとても「ついている」人間だと常に信じ、他人に公言してはばからなかった。自分を「ついてない」と考えてそう入墨した水兵と出会い、そして心を痛めながら別れた虚構の空間に、自分は「ついている」と信じている美貌の青年を実際に連れてきたコクトー。さらにその後すぐコクトーは、ホテル暮らしをやめてマレーと一緒に暮らし始めている。マレーの自伝に描かれたツーロンは、だが、『白書』に登場する猥雑な街とはまったく違う。マレーがコクトーと過ごしたツーロンは、上品で優雅な美しさをたたえた文字通りの「魅惑の街」だ。「彼(コクトー)と見たすべての景色、地方、町々はとても素晴らしかった。彼のおかげで、これまで見たことも、想像したこともない美しさを教えられた。そして彼はツーロン旧市内の家屋の、素朴な優雅さを湛え(注:訳文ママ)、そして美しいノッカー付きの小さな扉口の前で私の足を留めさせた」「私たちは何時間も街を歩き回った。美しく非凡なものすべてに対する彼の熱狂ぶりが、それまで誰にも教えられなかった数多くのことを学ばせた。それは寸暇もない勉強となった」「私は幸福だった」「私はジャン(コクトー)を愛してしまったのだ」(『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』石沢秀二訳 新潮社)そしてマレーはナイトのような行動を取る。コクトーが気に入って、2人で何度も見に出かけた手袋屋の「赤い鉄製の手袋の看板」を譲ってもらいに行くのだ。「ある晩、ジャンに内緒で、私は手袋屋に出かけた。二階へよじのぼり、店の主人が譲ると言うまで、手袋にぶらさがった。そして持ち帰り、わが目が信じられないというジャンに渡した」うーん、さすがに後年のアクション俳優。マストロヤンニじゃこうはいかない。一階の窓に飛びついたあたりで、すぐに地面に落ちそうだ。「手袋」もコクトーの世界では現実と幻想を結ぶ象徴的なアイテムだ。特にコクトーワールドの手袋は「忘れられる」ことが多い。『白書』では、屈強な水兵「パ・ド・シャンス」が忘れられた「私」の手袋に頬ずりしながら涙を流している姿を、「私」がドアの隙間から窃視する場面がある。その物語が書かれて10年後、『白書』の世界は何も知らない、やはり屈強な体躯をもった美貌の青年が「コクトー」のために、コクトーの気に入った手袋の看板を届けてくれたのだ。<続く>
2008.03.26
今季からジョニー・ウィアーの横に座っているコーチが誰かわかる人はかなりのフィギュア通だろう。答えはガリーナ・ズミエフスカヤ。全盛期のロシアスケート界でオクサナ・バイウル、ビクトール・ペトレンコというオリンピックチャンピオンを育てた名コーチで、本田武史選手が短期間ついていたこともある。しかも、今回ウィアー選手の横にはガリーナコーチだけでなく、ペトレンコ自身の姿もあった。世界トップレベルの選手のコーチとして晴れの舞台に帰ってきたペトレンコの姿を見るのは初めてで、新鮮な驚きがあった。べトレンコはガリーナコーチの娘と結婚しているから、ガリーナファミリーでウィアーのコーチングをしているということだろう。ウィアー選手はジュニアの世界王者になったこともあり、アメリカ選手権をかつては3連覇した。だがトリノオリンピックのあたりから伸び悩み、その後は怪我もあって低迷し始め、ライザチェックに全米王座を譲る格好になっていた。年齢的にも23歳と微妙で、このまま消えていくか、復活できるか、今年は勝負の年だった。その年にウィアーが決断したのは、コーチを替え、ズミエフスカヤに師事する、ということだった。世界から注目された10代後半のころのウィアー選手の持ち味は、細く長い四肢を使った繊細で華麗なスケーティング。少女漫画から抜け出たような、アンドロギュノス的な美貌にバレエを思わせる線の美しさで若い女性ファンを魅了してきた。だが、20歳を超え、男性的な筋肉を備えた身体を作る時期に自分のイメージが変わってしまうことを恐れ、ジャンプを跳ぶためのトレーニングを怠ったことがその後の低迷につながってしまう。20歳を超えた男性はアンドロギュノスではいられない。今のウィアー選手はそれを自覚し、これから進むべき自分の世界をはっきりと自覚したようだ。それはこれまでのウィアー選手のイメージとはまったく違う、やや重い、ドラマチックな音楽を使ったフリープログラムに表れていた。ぺトレンコがそばにいるということは、当然ペトレンコ風の表現になっていくことは想像に難くない。ペトレンコは重厚で風格のある表現力で、カナダのブラウニング選手と覇を競った選手だ。ウィアー選手はこれまでの華麗で繊細な表現ではなく、ロシア的な重厚感と深い叙情性をたたえる世界を作ろうとしているのだろう。この戦略は今年の結果から言うと、大変にうまく行った。昨年は8位と低迷した世界選手権で今年はいきなり銅メダル。優勝候補筆頭だった高橋選手をかわしてのメダルは価値が高い。昨年までの調子だと、今年はもう10位にも入れずにそのまま消えていってしまうかもしれない危険性もあったのだ。それをここまで持ち直してきたのは立派。これまで跳べなかった4回転もだいぶ決まるようになってきた。フリーでは両足着氷だったが、とりあえず降りたように見えた。プロトコルを見ると結局ダウングレード判定され、3回転の失敗として1.57点しかつかなかったが、中野選手のトリプルアクセルと同じく、ほぼ決めたといってもいい出来だったと思う。そのほかのジャンプもやや不安定で、GOEを見ても加点と減点が入り混じる評価だったが、ここ数シーズンのウィアー選手はフリーでことごとくジャンプを失敗してきたから、それから比べると段違いによくなった。ウィアー選手をいきなりここまで立て直したことでガリーナコーチも再び脚光を浴びるだろう。母親的な包容力のあるガリーナさんにペトレンコのテクニックが加わればかなり強力なチームとなりそうだ。タワソワが健康問題で事実上コーチ業を引退し(振り付けはやっている)、その名声が高まることでモロゾフがあまりに多忙になった今、ガリーナ&ペトレンコチームが世界チャンピオンを育てる日も近いかもしれない。ランビエール選手について過去のエントリーをご覧いただけばわかるとおり、Mizumizuはランビエールの「ポエタ(フラメンコ)」を過剰なぐらい褒め称えてきた。フィギュアという概念をはるかに超えた、オリジナリティあふれる魅惑のダンス芸術。フラメンコダンサーと作ったというポエタの振り付けはまさしく不世出の名プログラムだった。同時に超絶技巧でもあった。最初から最後まで手の振りがほぼ休みなく入り、最初から最後までステップを踏む。通常大技のジャンプを決めるためには選手はかなり助走しなければならない。高橋選手は4回転を2度先に跳んでしまうプログラムを作ったが、見ての通り、最初はほとんどただ滑って勢いをつけているだけだ。ランビエール選手のプログラムは単なる「助走」がほとんどない。細かく複雑なステップの合間にジャンプを入れていく。あまりの難しさに、ランビエール選手はとうとう、2ジーズン連続で滑ったにもかかわらず、ただの一度もミスなく演技することができなかった。今回は最後のチャンスだったから、ランビエール選手がこの試合にかける意気込みは人一倍だったはずだ。だが、フタをあけてみれば、出来は最低に近いもの。得意の4回転を2度入れたが、どちらも不完全、苦手のトリプルアクセルもダメ、それどころか普通は難なく決めているルッツさえ高さが出ずにきれいに着氷できなかった。このプログラムは結局、超絶技巧すぎたということだ。難度の高いジャンプとは決して両立させることはできない「幻のプログラム」。誰も弾きこさせないピアノ曲のようなものだろう。同時にもう1つはっきりしたことがある。芸術性の高いダンスプログラムを作ってしまったら、今のフィギュアのルールではジャンパーには勝てないということだ。芸術性というのは要素と要素のつなぎの密度を濃くしてこそ高まる。だが、それによって運動量が増えれば、点数になる要素に気持ちを集中することは難しくなる。現行のルールのもとでは、決められた要素をきっちりとこなした選手が勝つ。もっといえば、ジャンプさえよければ勝てるのだ。高橋選手は「銀河点」を叩き出した4大陸選手権のあと、「スピンの強化」を課題にあげた。確かに世界選手権では4大陸でレベル3だったスピンを1つレベル4に上げた。だが、点数の合計でみると、フリーのスピンの合計点は12.94点から13.09点になったにすぎない。スピンの点など3回転以上のジャンプにつく基礎点とGOEに比べたら微々たるものなのだ。結局ジャンプがすべてといってもいい。ジャンプは難度が高いほうがいいが、高すぎると今度はリスクが高くていけない。そこそこの難度のジャンプをすべてきれいに決めることのできる選手が有利なシステムだ。ジャンプ大会にしないつもりで作った新採点システム、しかも今シーズン前に判定を厳密化したことが、フィギュアを完全にジャンプ大会に変えてしまった。バトル選手は4回転を跳ばずに優勝したじゃないか、と言われるかもしれない。だが、それはあくまで他の選手がジャンプを失敗したからに過ぎない。もっといえば、4大陸での高橋選手の「4回転2回完璧」の衝撃が、他のトップ選手に「フリーでは自分も4回転2度入れなければいけない」というプレッシャーを生み、優勝候補が軒並み自滅するという結果を招いたともいえる。ベルネル選手など、ヨーロッパ選手権でのジャンプ構成を完全に捨てて、わざわざ高橋選手と同じ「最初に2回4回転を入れる」構成に変えて挑戦してきた。結果は完全に裏目に出たが。ランビエール選手はどうするだろう。彼の目指した芸術性の高いフィギュアはもはや試合ではリスクを高めるだけだ。一度引退に傾いた彼の気持ちを再び駆り立てものは、誰も演じたことのないような芸術性の高いプログラムを演じて見せたいという情熱だった。その目標を犠牲にして、ジャンプを決めることだけに注力したプログラムを作り、再び試合に勝とうとすることがランビエール選手の中で意味をもつだろうか。すでに彼は世界選手権も連覇し、オリンピックでもメダルを獲っている。今後のランビエール選手にとっての一番の問題は、モチベーションの低下とどう闘うかということになってくると思う。ちなみにランビエール選手がEXで滑った「ロミオとジュリエット」は作曲ニーノ・ロータ。今拙ブログで連載しているヴィスコンティ監督の助手だったゼフィレッリ監督の同名の出世作で使われた映画音楽。<フィギュアネタは本日で終わりです。また来シーズンにお会いしましょう。明日からは、古い映画ネタの続きに戻ります>
2008.03.25
2008年フィギュア世界選手権男子シングルを制したのは、カナダのジェフリー・バトル選手だった。これは本当に素晴らしいことだと思う。バトル選手はすでに25歳。解説をやっている本田武史と競ってきた選手で、フィギュア界では高橋選手より「ひと世代上」ということになる。ジャンプ重視の現在のフィギュアでは「そろそろ引退する時期」「もう終わってる選手」と見られてしまう年齢だ。事実、ここ最近のバトル選手の成績は振るわなかった。今大会のカナダの国内大会ではチャンに負けて2位。それほどレベルの高くないカナダでタイトルが獲れなかったということは、「もう世代交代」だというという目で見られても仕方がない状況だった。ところが、もっとも大事な世界大会でショートをノーミスで終えて1位。フリーでも4回転こそないもののジャンプをことごとくきれいに成功させ、スピンではすべてレベル4を並べた。プロトコルの得点を計算すると、バトル選手のスピンでの得点はランビエール選手より高かった。また、GOEで減点がほとんどない(「ほとんど」というのは1人だけルッツにマイナス1をつけた変わり者のジャッジがいたからだ)。すべての要素で加点をもらう超優等生のプロトコル。品行方正なバトル選手にふさわしい「成績表」になった。バトル選手の持ち味はクリーンでシャープなスケーティング。清潔感あふれる表現力。軸がまったくぶれない驚異的な精度のスピン。そうした強みを全部出し切った。加えて、バトル選手の「お約束」になっていた最後のルッツでの失敗がなかった。いつも失敗しているフリー最後のジャンプ。これを跳ぶ前は見ていてこちらも緊張したが、根性で回って降りてきた。これがなんといっても一番賞賛すべき点だと思う。フリーの総合点はなんと163.07。高橋選手の4大陸の175.84点には及ばないものの、同じく4大陸での自身のフリーの得点150.17を10点以上上回るハイスコアだった。ちなみに4回転を一度決めて優勝したランビエール選手のグランプリファイナルのフリーが155.30だったから、いかにバトル選手の得点が高かったかわかると思う。これは4回転という大技がなくても、すべての要素を取りこぼしなくきちっとこなして加点をもらえば、勝てるという証明でもある。バトル選手はキム・ヨナ選手と同じ方向性で勝ったのだ。大会が大きくなればなるほど、「大技をもつ選手」ではなく、「失敗をしない選手」が勝つ傾向は高まる。一番よい例はトリノ五輪の荒川選手だろう。荒川選手は公式練習ではバンバン跳んでいた3+3を本番であえて回避し、完璧な演技を見せた。演技終了時点ではメダルの色は微妙だったが、後に続く金メダル候補のスルツカヤ選手もコーエン選手もジャンプで転倒した。スルツカヤがあんなところでコケるのなんて見たことない。こういうことが起こるのが大きな試合の特徴だ。バトル選手の場合、最終グループの最終滑走で、優勝候補選手がバタバタ失敗して自滅していたから心理的に有利だったと考える人もいるかもしれない。だが、それはちょっと違うと思う。一番心理的に優位に立ったのは4回転が安定しているジュベール選手だったはずだ。事実、ジュベール選手は事前の申告では「3回跳ぶ」としていた4回転ジャンプを1度に抑えて、ジャンプミスのほとんどない演技を見せた。ジュベール選手がもし最終グループの最初のほうに滑っていたら、4回転を複数入れざるをえず、結果失敗してメダルはなかったかもしれない。ところが、ジュベール選手は最後から2人目。その前に滑った優勝候補が軒並み自滅した。後ろにいるのは「たいしたことない」バトル選手だけ。バトル選手には4回転はないし、ジャンプもどこかで必ず失敗する。だとしたら4回転は1度で十分。そんな計算がジュベールのコーチにあっただろうと思う。事実ジュベール選手は演技が終わったとき優勝を確信しているように見えた。最後に滑るバトル選手はジュベール選手よりずっと精神的にキツイ立場だったはずだ。ショートを1位で滑って、生涯初めての世界選手権での金メダルが目の前にぶら下がっている。なまじっかトップ選手が崩れたことで、ますますチャンスが高まった。そういう状況であれだけの完璧な演技をするのは並大抵のことではない。やはりバトル選手がこれまで積み上げてきた「経験」がものを言った。これまで何度もチャンスがありながら、ことごとく自分のミスでつぶしてきた過去の苦い思いがあってこその完璧な演技だったと思う。長い苦労が報われて、本当によかった。彼はインタビューや日ごろの態度も、素晴らしいとしかいいようのない青年だ。そうした選手が栄光を手にするのを見るのは嬉しい。実はジュベール選手の得点がもう1つ伸びなかったのにはワケがある。ジュベールはフリップでwrong edge判定を受けている。ショートではボーカルを使ったということで「音楽の違反」で1点減点された。この音楽の違反はジュベール陣営には意外だったらしく、キス&クライでコーチとジュベール選手が猛烈に不審がっていた(ショートの録画をしてる人は見てください。転倒が1回なのに2点引かれ、驚いているジュベール選手とコーチの姿が映っています)。あの態度をみると同じ曲をヨーロッパ選手権で使って、そのときはボーカルと見なされなかったのかもしれない。だが、ボーカル禁止はルールなのだから、なぜわざわざボーカルに聞こえるような声(音?)を入れたのかちょっとわからない。とはいえ、怪我があってシーズン途中でグランプリシリーズを離脱した世界チャンピオンがここで底力を見せたのはやはり素晴らしいことだ。今シーズン力を入れたというカート・ブラウニング振り付けのステップは期待したほどではなかったが、ここ一番でジャンプにミスがないというのは実力がある証拠だ。だが、フリーのとき、リンクに入ってから口にふくんだ水をそのままペッと吐き出したのはいただけない。フランス人選手のマナーの悪さ(特に気に入らないことがあったとき)はほとんど伝統だが、「ジュベールよ、お前もか」と思ってしまった。<明日はウィアー選手が「復活できた理由」についてです>
2008.03.24
誰がこんな結果を予想しただろう? 優勝候補の3人――四大陸で史上最高得点をたたき出して優勝した高橋選手、グランプリファイナルで高橋選手を破ったランビエール選手、ヨーロッパ選手権を制して波にのるベルネル選手――は誰もメダルを獲れなかった。優勝したのは4回転を跳ばず、ショートとフリーをミスなくまとめたカナダのバトル選手だった。それについてはまた後日書くとして、テレビの解説でおそらく、一般の方が一番わからなかったであろう「高橋選手の最後のルッツが0点になった」ことについて説明しようと思う。本田武史は実に正確に説明していたが、あの話はフィギュアのジャンプに関する基本ルールを知っていないと理解できないと思う。男子フリーの場合、連続ジャンプは3箇所(2連続・3連続という話ではなく、あくまで3箇所)で入れることができる。4箇所で連続ジャンプを入れてしまうと4つ目のジャンプは0点になってしまう。「高橋選手は4回も連続ジャンプを跳ばなかった」と言われるかもしれない。それはそのとおり。高橋選手が「実際に」跳んだ連続ジャンプは2回だけだった。だが、別のルールがからんでくるために、跳んでもいない連続ジャンプを跳んだとみなされるのだ。その別のルールとは、「同じ種類の3回転以上のジャンプは、2回まで入れていいが、そのうち1回は必ず連続ジャンプにしなければならない」というルールだ。つまり単独で同じジャンプを2度跳んでしまう(つまり連続ジャンプにできない)と、2度目のジャンプは自動的に連続ジャンプの箇所としてカウントされる、ということだ。もちろん得点がのびるわけではない。ただ、連続ジャンプの箇所数としてカウントされるというだけのこと。高橋選手のフリーのプロトコルのうち、ジャンプだけを抽出してみよう。ジャンプの種類 GOE後の実際の得点1) 4T 10.43点2) 4T<+SEQ(<は回転不足によるダウングレード。SEQは本当は連続ジャンプにしなければいけなかったという意味だと考えるとよい) 0.20点3) 3A 7.5点4) 3A+SEQ(こちらはダウングレードなし。SEQは同じく本当は連続ジャンプにしなければいけなかった箇所) 4.17点5) 3F+3T(これが高橋選手が実際に跳んだ連続ジャンプ)10.74点6) 3S 5.24点7) 3Lo 4.79点8) 3Lz+2T 0点このように2)と4)と5)と8)の4箇所で連続ジャンプを跳んだとみなされるため、最後の8)は0点となる。つまり8)で2Tさえ「つけなければ」3Lzの後半の基礎点6.6点はちゃんと加算されていた。きれいに跳んだからおそらく加点もついただろう。4大陸のときはちゃんと単独ルッツで加点をもらって7.6点も稼いでいる。つまり、2Tをつけてしまったがために、7点近い点を失ったのだ。アナウンサーが「最後に2Tをつけなければメダルに手が届いた」と言っていたのはそういうことだ。高橋選手のジャンプの構成は4大陸と同じだった。4大陸でのジャンプは3LoのGOEで引かれた以外は完璧。1) 4T 10.292) 4T+2T 10.733) 3A 9.54) 3A+2T+2Lo 12.95) 3F+3T 11.886) 3S 5.667) 3Lo 4.648) 3Lz 7.6基本的にこの構成で、最後の8に2Tをつけてしまったと考えると「連続ジャンプが4箇所だった」ということに納得がいくだろうと思う。この構成で行くつもりが、2)と4)で転倒とお手つきがあり、連続ジャンプを入れられなかった。入れられなかったことで同じ種類の単独ジャンプを2度跳んだことになり、自動的にそれは「連続ジャンプの箇所」にカウントされたというわけ。最後に高橋選手が2Tを回ったとき、テレビの前のMizumizuは信じられなかった。まさに悪夢。最後のルッツの点をモロに失うのは本当に大きい。モロゾフコーチも凍りついただろう。構成は4大陸と同じなのだから、決められた箇所での連続ジャンプで失敗してもほかの単独ジャンプを連続ジャンプにしてはいけない。モロゾフのジャンプ構成はそれを非常にわかりやすく選手に印象づけるようになっている。最初に2回の4T、次に2回の3Aを跳ぶのだから、連続ジャンプはもう1箇所でしか入れられない。なのになぜ? 高橋選手に聞くほかないが、2)の4Tを自分の中で3Tのミスと勘違いしたのかもしれない。実はランビエールに負けたグランプリファイナルのときの高橋選手のジャンプ構成は、1) 3T2) 4T3) 3A4) 3A+2T+2Lo5) 3F6) 2S7) 3Lo8) 3Lz+2Tだった。つまりこのときは3回入れていい連続ジャンプを2箇所でしか入れず、損をしている。負けたランビエール選手との差は僅差だったから、どこかで2Tだけでも回っておけば勝ったのになあ、などと思ったものだ。高橋選手にはこのときの構成が頭にあったのかもしれない。どちらにしろ、冷静ならばやるわけない失敗なのだが、案外このキックアウトでどど~んと減点される選手は多い。拙ブログでは全日本選手権のときの太田選手に起こったこのキックアウトの悪夢を取り上げたが、織田選手も何度かやっている。これも考えてみれば不合理なのだ。今回の2)のジャンプは回転不足でダウングレードしている。つまり3回転トゥループの失敗と見なされている。ところが連続ジャンプの回数カウントでは4回転としてカウントするのだ。回転不足のダウングレード判定がいかに多くの矛盾を引き起こすかわかると思う。高橋選手のフリーは2度目の4回転を失敗したのは仕方ないとしても、得意のトリプルアクセルが決まらず連続にできなかったこと、そのほかのジャンプにもミスが出たことが大きかった。これはやはり極度の緊張を強いられる世界選手権で大技を決めることがいかに難しいかを示した結果となった。大技は、決めたあとは集中力が切れて別のジャンプを失敗したり、決められなかったときは精神的にダメージを受けて次からのジャンプに精彩を欠いたりする。全日本、4大陸とほぼパーフェクトに決めてきて、実力はあることを証明した高橋選手だったが、やはり重要な試合になればなるほど、普段どおりにはできなくなる。最初にトリプルアクセルを跳ぶ前にコケて、ほとんど演技が中断しそうになりながら、それ以降はほぼパーフェクトに跳んだ浅田選手とは対照的だった。これは精神力の違いだろうと思う。ただ、4回転1回でもメダルは獲れそうだった状態で、あえてモロゾフが4回転2度を認めたのは(モロゾフは直前に回避策を指示したが、けっきょく高橋選手が押し切った)、オリンピックまでに完成させようという気持ちからだと思う。何回やってもできるぐらいまでこのジャンプ構成を自分のものにすれば、また「銀河点」が出ることはわかっている。国際大会ですでに一度やっていることだから不可能ではないはずだし、今回の世界選手権でも4大陸の高橋選手をしのぐジャンプを見せた選手はいなかった。来シーズンに期待しよう。
2008.03.23
トリプルアクセルでめったに見ないような大失敗をして、フリーではキム選手に続く2位だったものの、合計で逃げ切って1位に輝いた浅田真央選手。これまで大きな大会では浅田選手にはいろいろな不運が重なったが、今回の優勝は逆にかなりラッキーだった。「キム選手がルッツで失敗してくれないと、浅田選手は勝てない」と過去のエントリーに書いたが、今回はズバリ、キム選手がショート、それにフリーの後半と2回も単独ルッツを失敗した。実はこの失敗が何よりもキム選手にとっては痛かった。フリーではキム選手は前半にトリプルルッツ+ダブルトゥループのコンビネーションを跳び、かつ後半で単独のルッツを跳ぶ。そしてキム選手のルッツにはとんでもない高得点が与えられる。グランプリファイナルのときの浅田選手との直接対決を思い出してみよう。フリーで浅田選手はトリプルアクセルを見た目きれいに決めた。ところがこのジャンプは多少着氷がツーフットになった。そこで基礎点の7.5点から減点されて6.7点。キム選手が後半に跳んだトリプルルッツは10%増しの6.6点の基礎点に加点が加わってなんと7.8点。トリプルアクセルより高い点になっているのだ。繰り返すが、これはまったく不合理だ。いくら飛距離と高さがあるといってもルッツはルッツ。アクセルの難しさとは比較にならない。ところが、現行のルールにしたがうとこんな本末転倒な点数が出てしまう。トリプルルッツはキム選手にとって、浅田選手の不安定でなかなか決まらないトリプルアクセルより、ずっと確実に点を稼げる武器なのだ。加えて今シーズンの浅田選手はエッジ問題で、ルッツを跳ぶたびに減点され、きれいに決めても4.7点程度にしかならない。着氷で乱れるとすぐに3点台に落とされる。このルッツでの点差はどうやっても埋めることはできないのだ。ところが、今回のキム・ヨナ選手は後半にトリプルルッツを跳ぶ体力がなかった。ショートでの失敗も頭をよぎったかもしれない。無理に挑戦してコケてはいけない…… そんな気持ちからか、ルッツはすっぽ抜け、1回転のルッツになってしまった。この1回転ルッツに与えられた点は結局0.69点。実はショートでコケたトリプルルッツは、昨日も書いたように、2点になっている。コケたルッツのほうが、コケなかった1回転ジャンプより1点以上点が高い。こんなジョークみたいな点がつくから今の採点システムはわけわからないのだが、つまりは、フリー後半でキム選手は、このルッツが決まらなかったことでグランプリファイナルのときと比べて、7.11点も損をしたことになるのだ。このルッツ「さえ」決めていれば技術点は71.93点と70点台にのったのだ(今回64.82点)。もう1つ、グランプリファイナルのときにキム選手はトリプルループ(基礎点5.5)で転倒している。そこで今回は苦手なトリプルループを回避して、得意なダブルアクセル(基礎点3.5)に変えてきた。これは決まったが、ダブルアクセルはダブルアクセル。点数は加点をもらっても4.07点にしかならなかった。単独のトリプルループに関しては、浅田選手は絶対的な強さを持っている。失敗したことはほとんどないし、実際今回のフリーでも後半に入れて10%増しにし、さらに加点をもらって6.64点もの点を稼いでいる。キム選手がトリプルループを入れられないことで浅田選手が稼いだ点も隠された勝因の1つだ。さらにキム選手はやはり後半に失速した。得意の腕の表現を抑制して体力を温存、ジャンプに集中し、前半に連続をかためて点を稼いだものの、後半の大事なトリプルルッツをシングルにしてしまい、トリプルサルコウも不完全な着氷で減点されて点がのびなかった。得意のCoSpでもレベル3で点数は2.64点。これまでレベル4を並べてきたキム選手としたら失敗だろう。ステップはレベル3でレベル自体は過去と変わらないが加点があまりつかずに3.39点。浅田選手は前半のCoSpで3.57点。後半のステップは非常に力強く魅せて4.03点。浅田選手も最初のトリプルアクセルの失敗でマイナス1点になっている。グランプリファイナルでは6.7点、4大陸ではこのトリプルアクセル1つだけで9.36点もの点数を稼ぎ出しているから、トリプルアクセルさえ決めれば同じく技術点を70点台にのせていた。浅田選手のジャンプ以外の目立った失敗はスパイラル。これを危惧しているのはすでに述べたが、今回脚をあげている時間が足りずにレベル1に落とされて2.3点。4大陸ではレベル4で4.4点だったのだ。では、試合前にあげたジャンプの課題はどうだったのだろう。1 最初のトリプルアクセルを、着氷時の浮き足がこするツーフットなしで決めること。これはダメだった。見たこともないような「跳ぶ前のコケ」。最悪の結果だった。今季のトリプルアクセルは結局、昨シーズンよりさらに悪くなったということになった。2 前半に行う3回転フリップ+3回転トゥループのジャンプのトゥループを回転不足なしで決めるか、もしくは2回目のジャンプを別のジャンプにして完璧に決めること。これは見事に決めて、加点までもらっている。10.93点。キム選手が同じジャンプで11.36点。飛距離に劣るせいか加点ではやや負けているが、それでもほぼ互角。これでセカンドにトリプルトゥループも跳べることを浅田選手は証明した。4大陸では5.51点にしかなっていなかったジャンプだ。3 トリプルルッツの着氷で乱れないようにすること。これもクリアした。5.5の基礎点に対して4.71点。今シーズンの目標としてはOKだろう。4 後半に行うダブルアクセル+2ループ+2ループの3連続ジャンプで回転不足や着氷時のツーフットがないようにすること。これも見事にクリア。加点は控えめだったが7.86点。5 後半に行う3フリップ+3ループのループを回転不足にせずに決めること。残念ながら、これは見た目にはきれいに決めたように見えたが2つ目のループをダウングレードされてしまった。やや回転不足だったかもしれない。6.7点にしかならなかった。4大陸では12.41点もの点を稼ぎ出した連続ジャンプ。5.71点も低い。見た目はほとんど変わらないのだが、やはりループは回転不足判定にされやすいという浅田選手の欠点は完全に克服できたとはいえない。キム選手のトリプルルッツ+ダブルトゥループ(+ダブルループがつくこともある)に対抗するためには、このジャンプはやはり回転不足にならずに決めたい。4大陸のときの浅田選手は技術点が71.91、今回は61.89点だから、やはり出来としてはよくない。演技・構成点(つまりは表現力)で60.57とキム・ヨナ選手(58.56)より高くもらったのも助かった。体力に不安のあるキム選手は得意の腕の表現も大きさがなかったし、いつものようなメリハリにも欠けた。後半は明らかに動きに精彩を欠いていて、ステップの印象も細ってしまった。浅田選手は逆に後半になるにしたがってぐいぐいと盛り上がり、華やかな躍動感が伝わってきた。これは2人の体力の差を示している。それが演技・構成点の違いとなって出たかもしれない。コストナー選手の銀メダルに関してはセカンドのトリプルトゥループを一部不完全ながら決め、「お約束」のフリーでの転倒がなく、お手つきをしても回転不足と見なされずダウングレードされなかったことが大きい。キム選手の点の取りこぼしに助けられた部分もあるし、ヨーロッパ開催ということで、たとえばスパイラルの判定などは、明らかに甘かった。判定競技ではある程度は仕方がないことだろう。浅田選手の優勝が他の選手の失敗に助けられたものであることは間違いないが、試合とは常にそういうものだ。トリプルアクセルでマイナス1になり、後半の3F+3Loをダウングレード判定されながら、一番点を取ったということは賞賛に値する。だが、やはり課題も多い。トリプルアクセルは2年前のシーズンの調子には戻っていない。セカンドジャンプの回転不足も、こっちができればあっちができない。どこかでミスが出る。ルッツは矯正しなければならない(これは一番大変かもしれない)。スパイラルの取りこぼしはプログラムの構成で防いでいくようにするべきだろう。だが、あれだけの難度のジャンプを全部完璧に決めるなど、ほとんど女子のレベルを超えてくる話だ。繰り返し強調するが、今もっているジャンプを浅田選手がミスなく決めることができれば、誰も浅田選手には歯が立たない。浅田選手が目指すべきは、「ステップからのトリプルアクセル」だとか「4回転ループ」だとかではなく、今もっているジャンプを「誰にも文句言わせないくらい」完全なものにすることだけだのだが、それはまた非常に難しいだろう。
2008.03.22
浅田選手の優勝で終わった今回のフィギュア世界選手権女子シングル。結果は妥当だと思うが、最後の中野選手のフリー演技の低い点数には納得できない方も多いのではないだろうか。最終滑走、(見た目)ノーミスできれいにまとまった中野選手の演技が終了、満場の拍手とスタンディングオベーション。ホームの日本ではない。北欧スウェーデンの観客が自然に立ち上がって中野選手をたたえたのだ。「ノーミスですね~」「素晴らしかったですね~」。解説者も興奮気味。これはメダル間違いなし? 金? 銀? 期待が盛り上がる。ところが点が出て、「あれ~?」。フリーの得点は56.98+59.32で116.30。ちょっとフィギュアに詳しいファンなら「120点いってない?? うそ? なんで?」という反応だろう。この低い点数、拙ブログを読んでいる方なら察しがつくだろうと思う。そう、中野選手の最大の武器であり、かつ一見「決めたように見えた」トリプルアクセルが点数上は「ダブルアクセルの失敗」とみなされたのだ。つまり、回転不足によるダウングレードをくらったということだ。何度も説明しているが、初めてこのブログを読む方のためにもう一度簡単に説明すると、ジャンプで4分の1回転以上回転不足で降りてきたとみなされた場合、3回転なら2回転へ基礎点を下げられ、さらにGOEという複数のジャッジがジャンプの質を(マイナス3からプラス3までの間で)評価する加点・減点でも減点されてしまう。トリプルアクセルの基礎点 7.5点ダブルアクセルの基礎点 3.5点こんなに違うのだ。今回のフリーで中野選手のトリプルアクセルは着氷が回転不足と判断された。そこで基礎点が3.5となった。次にGOEを見ると、12人のジャッジがそれぞれマイナス1とマイナス2をつけている。結果として中野選手が獲得したこの最初のトリプルアクセル(に見えたジャンプ)での点数はたったの2.24点!普通に跳んだダブルアクセル3.5点より低いのだ。さらに言えば、ダブルアクセルをきれいに決めればGOEで加点がつく。キム・ヨナ選手がフリーの最初のほうで入れた単独のダブルアクセルはこの加点をもらって4.07点になっている。トリプルアクセルをほんの少し回転不足にしてしまうと、とたんに普通にきれいに跳んだダブルアクセルよりずっと低い点になってしまう。これが今のフィギュアのルールなのだ。ちなみにキム・ヨナ選手はショートのトリプルルッツで大オケした。で、あの点数、何点だと思いますか? 基礎点が6点。回転不足で降りてきてコケたと見なされ「なかった」ためにダウングレードなし。GOEでマイナス3。ここで得点が3点。別枠で「転倒でのマイナス1点」で減点されて、2点。中野選手のトリプルアクセルよりわずか0.24点低いだけ! こんな点のつけ方がまっとうだと思う人がいるだろうか? 転倒ジャンプは回転不足とか、GOEでマイナス3とか、別枠でマイナス1とか、わけのわからない引き方をせずに、一律で0点にする。それで何も問題ないはずだ。中野選手のプロトコルをみると、後半に入れた単独のトリプルフリップでもダウングレードがある。トリプルフリップの基礎点は5.5点だが、後半だと10%増しの点数になる。ところが、回転不足で降りてきたとみなされたためにダウングレードされ、基礎点がたったの1.87(つまりダブルフリップの10%増しの基礎点)に下げられたうえ、GOEで減点されて1.48点。見た目は3回転フリップを決めたように見えるのに、たったの1.48点にしかなっていないのだ。ノーミスに見えて、実はこれだけミスをしたと判定されれば、点がのびるわけがない。「あれ~?」という結果になるのは当然だ。回転不足というのは、これも何度も書いているが、素人目にはほとんどわからないことが多い。着氷の際の「お手つき」は明らかなミスで、誰でもわかる。コストナー選手は2度お手つきをしたから、印象としてはミスが多かったということになる。ところが回転不足で着氷したとは見なされなかった。だからダウングレードがなく、GOEだけの減点に留まり、結果点数がそれほど下がらなかったのだ。加えて中野選手はセカンドジャンプに3回転がない。コストナー選手は2回セカンドジャンプにトリプルトゥループを入れた。コストナー選手は最初の3F+3T+2だけで基礎点11に対して12点もの点数を稼ぎ出している。セカンドジャンプにトリプルのない中野選手の場合は、後半に跳んだ3T+2T+2Loでの7.48点(これは加点も減点もされなかった)が最高だ。こんなに開いていてはどうやったって追いつけない。きれいにまとまったノーミスのプログラム、観客のスタンディングオベーション。ところが結果はショートから順位を落として4位のメダルなし。こんなふうに一般のファンの印象と出てくる点数が極端に乖離してしまうのが現行の採点システムの大きな問題点なのだ。それぞれの要素を厳密にジャッジしようとするあまり「木を見て山を見ない」採点になってしまっている。同じ木を見ても誰もが同じ判断をするわけではないというのが、また困ったところなのだ。「4分の1以上の回転不足判定(ダウングレード)」は、明らかに、判定をするジャッジによって試合のたびに甘かったり厳しかったりする。それがまたわかりにくさの原因になっている。解説者がよく「回転不足、かもしれない」「もしかしたら回転不足ととられるかも」と言っているのは、いかにその判断が曖昧かを示している。プロが見ていてもよくわらかないのだ。見る角度によっても違ってくる。そんな微妙な判断に非常に大きな点数がからんでくるのが一番の問題なのだ。トリプルアクセルを回転不足で降りたといっても、当然ながらダブルアクセル以上には回っている。ところが、それをダブルアクセルの失敗だと見なすからこんな極端な低い点になる。回転不足はGOEで減点すればいいことだ。基礎点を下げたうえに、二重にGOEで減点するなんて不合理極まりない。どうしてこんな不合理な規定を作ったのかといえば、それは「あまりに難度の高いジャンプへの挑戦」を抑制したかったのだ。特に男子は4回転に比重がいきすぎて、軒並み選手生命が短くなってしまった。4回転を跳ぶ有力選手はほとんど、若にころから怪我に悩まされ、引退を早めてきた。そうした状態に危機感をもった連盟が、「難しいジャンプをリスクをおかして跳ぶより、確実に跳べるジャンプをきれいに決めれば得点が出る」ようなシステムを作ろうとしたのだ。だが、そのためにメチャクチャな理屈を作った(45度以上回転不足だとグレードの低いジャンプの失敗とみなす)ことが、公正なジャッジをゆがめる結果になり、さらに悪いことには、ジャンプの比重は低くなるどころか返って高まってしまっている。3回転以上のジャンプの基礎点の高さとGOEでの極端な加点・減点(3回転以上のジャンプ以外の要素の加点・減点はジャッジが1から3点をつけても、それがそのまま反映されるわけではなく、何掛けかに抑制されている)のために、結局はジャンプを決めなければ点が出ないシステムになってしまったためだ。せめて回転不足判定でのダウングレードだけでも早めに撤廃すべきだ。ジャンプの質を評価することには賛成だが、現状は判断が曖昧なくせに、加えられる、あるいは減点される点数が極端すぎる。このままこの不毛なシステムを続けていくと、一般ファンは「まったく理解できない採点」に愛想をつかせて、フィギュアから離れてしまう。XXXXX安藤選手の途中棄権は残念という以上に心配。ショートでは「右脚で回るスピン」で多少ぐらついたが、左脚に問題があるようには見えなかった。安藤選手の説明では直前の公式練習のアップ時に肉離れを起こしたとか。試合前の合宿でも実は痛めていたという報道もある。左脚ということは、サルコウジャンプを踏み切るほうの脚だ。4回転サルコウをかなりハードに練習していたというし、その影響かもしれない。大技をもつ選手につきまとうリスクだ。特に安藤選手は試合直前の怪我が多い。故障が度重なると精神的にも萎えてくる。すぐに脱臼する右肩も治らないようで、この肩の故障以来安藤選手はビールマンスピンができなくなり、スピンのレベルが取れなくなった。不運が重なっている。ただ今は、怪我が軽いことを祈りたい。<明日は、浅田選手のプロトコルを分析します>
2008.03.21
イエーテボリ(スウェーデン)で行われたフィギュアスケート世界選手権女子ショートプログラム。浅田選手、中野選手が素晴らしい演技を見せた。安藤選手は言われているほど悪くはなかった。スピンで失敗があったが、ジャンプは無難に決めていた。あの出来で8位とは、モロゾフコーチとしてもやや想定外だったかもしれない。ヨーロッパ選手に思わぬ高得点が与えられている。開催国がヨーロッパなので、これはある程度仕方がないかもしれない。ヨーロッパの選手はアジア系の選手にはない成熟した雰囲気をもつ芸術的な演技が魅力だが、ショートとフリーのジャンプを安定してすべて決めることのできる選手がほとんどいない。コストナー選手は、フリーでコケるのがお約束のような選手だ。もちろん今大会はそうした過去の失敗をふまえて、ジャンプのレベルを落としても確実な演技でくるかもしれない。だが、安藤選手とトップのコストナー選手の点差はわずかに5.07。スピンでのぐらつきを見ると脚の状態に不安があるが、フリーの出来次第では逆転も夢ではないので明日に期待しよう。まだプロトコルは発表されていないが、上位の選手のショートの総合点と技術点+演技・構成点は以下のとおり。1 Carolina KOSTNER ITA (64.28) 36.34+27.942 Mao ASADA JPN (64.10) 35.22+28.88 3 Yukari NAKANO JPN (61.10) 34.83+26.27 4 Kiira KORPI FIN (60.58) 34.22+26.36 5 Yu-Na KIM KOR (59.85) 32.71+28.14 6 Joannie ROCHETTE CAN (59.53) 32.99+26.547 Sarah MEIER SUI (59.49) 32.17+27.32 8 Miki ANDO JPN (59.21) 31.93+27.28 9 Kimmie MEISSNER USA (57.25) 30.54+26.71 浅田選手はスパイラルとスピンで狙ったレベルが取れなかったといっていたが、なんといっても最大の課題だった3+3の連続ジャンプを決めたことが大きい。4大陸では2回目のジャンプを回転不足判定にされてしまったが、今度は文句ないだろう(と思う)。今回の3+3は浅田選手のジャンプの魅力――軸が細く、高さがあり、回転が速い――がドンピシャで出ていた。これはかなり調子がいいということだろう。ショートの連続ジャンプはミスってはいけない。これをミスして世界女王になった選手はいないからだ。キム・ヨナ選手はこの連続ジャンプは決めたが、もう1つの彼女の大きな武器であるルッツで転倒した。「浅田選手が優勝するためには、キム・ヨナ選手にルッツで失敗してもらうほかない」と過去のエントリーで書いたが、そのとおりになった。今シーズン、ルッツに関しては、wrong edgeで必ず減点される浅田選手に対して、キム選手は決めさえすればほぼ確実に加点をもらう。その点差は平均して1回の3回転ルッツで3点だった。テレビでは「転倒したので1点減点されます」と解説で言っているが、これだけでは正しくないのはすでに過去のエントリーでしつこく書いたとおり。3回転ジャンプの転倒は降りてきたときに回転不足か回転しきっているかの判断で基礎点が大きくかわり、さらにGEOでも減点されるから、下手をするとマイナスになってしまう。キム選手の得点を見る限り、ルッツに回転不足判定はされていないと思う。それにしても相変わらず、よくわからない順位だ。見た目の出来の印象と順位に乖離があると感じる観客も多いだろう。特にアメリカ勢はかわいそうだと思う。さて、日本の新聞はさんざん「浅田選手の課題は表現力」と書いてきたが、これがいかに的外れな論評か点数を見ればわかると思う。表現力は「演技・構成点」で見るが、浅田選手の点は28.88。他のどの選手よりも高いのだ。今シーズン、浅田選手はキム選手に勝てなかったが、これもすでに書いたように浅田選手のジャンプに問題があったからで、表現力の差では必ずしもない。この2人の表現力の持ち味が違うのだ。肩の可動域にまさるキム選手は腕の表現が美しい。脚の筋力と柔軟性にまさる浅田選手はステップの躍動感やエッジ遣いの深さに魅力がある。2人の今シーズンの「演技・構成点」を全部見てみよう。キム(ショート/フリー)中国杯 27.92/56.80ロシア 28.60/60.80ファイナル 29.72/60.96浅田(ショート/フリー)カナダ 27.28/57.84フランス 29.40/60.96ファイナル 28.04/59.204大陸 29.05/60.40単純に平均を出すとキム選手(ショート/フリー) 28.75/59.52浅田選手(ショート/フリー) 28.44/59.6ほとんど点差がないことがわかる。どのジャッジの点を拾うかで違ってきてしまう程度、つまり誤差程度の点差しかなく、ほぼ互角の評価がされていることがはっきりすると思う。ちなみに世界選手権のショートが終わったので、これを加えた今シーズンの2人のショートの演技・構成点の平均はキム選手 28.60浅田選手 28.53という結果だ。わずかに点差は0.07。フリーでは逆にこれまでの平均では浅田選手が0.08勝っている。こんな差しかないのに、「キム選手に対抗するためには、浅田選手は表現力を磨くべき」などと言ってる新聞はちゃんちゃらおかしい。3回転ルッツを(見た目)2人がきれいに決めた場合に3点前後も差がつく――それが浅田選手がキム選手に勝てない最大の原因だ。さらにトリプルアクセルも着氷でちょっと浮き足がついただけで減点され、下手をすると普通にきれいに跳んだキム選手のトリプルルッツより点が低くなる。こうした採点システムに苦しめられてきたのだ。今シーズン、浅田選手がキム選手に勝てなかったのは、彼女のやや不完全なジャンプに対する減点が厳密にされてしまったことだ。それを浅田選手はショートで見事に克服した。wrong edgeについては仕方がない。それよりも、もっとも重要な3+3をきれいに決め、ルッツも着氷の乱れがなかった(wrong edgeを気にするあまり着氷で乱れるとさらに減点されてしまうからだ)。拙ブログでの過去のエントリーで挙げたショートでの課題を浅田選手は見事にクリアした。素晴らしいとしかいいようがない。次はフリー。フリーの浅田選手の課題をもう1度挙げよう。1 最初のトリプルアクセルを、着氷時の浮き足がこするツーフットなしで決めること。浅田選手の場合、完全に両足で着氷してしまうことはほとんどないのだが、そのかわり「ちょっとだけこすってしまう」ことが非常に多い。2 前半に行う3回転フリップ+3回転トゥループのジャンプのトゥループを回転不足なしで決めるか、もしくは2回目のジャンプを別のジャンプにして完璧に決めること。浅田選手は実は、2度目に跳ぶトリプルトゥループを本当の意味で完成させていない。このトゥループはシーズン途中で入れてきたもので、これまで必ず回転不足になっていた。45度以上の回転不足とみなされるとダウングレードといって基礎点がさがり、さらにGOE(減点・加点)でも減点される、つまり2回転ジャンプの失敗とみなされるから、まったく武器にならない。運良くダウングレードを免れても少し回転不足で降りてきただけで、GOEの減点があるので、きれいに決めた3+2よりも点が低くなるということもありえる。3 トリプルルッツの着氷で乱れないようにすること。すでに書いたように、エッジが最後に多少内側に入ってしまうのは、今シーズンはもう仕方がない。着氷をきれいに決めて、減点を低く抑えることだ。4 後半に行うダブルアクセル+2ループ+2ループの3連続ジャンプで回転不足や着氷時のツーフットがないようにすること。この3連続ジャンプの入り方は、ぜひご注目を。左右にエッジを深く倒しながら片足ですべってきてそのままダブルアクセル。こんなことを、しかも後半にできる選手は浅田選手しかいない。本当に、見ていて惚れ惚れする。5 後半に行う3フリップ+3ループのループを回転不足にせずに決めること。これは実は今シーズン、浅田選手のジャンプのなかではもっとも確率が高い連続ジャンプだ。普通はフリーの後半は体力が落ちてむずかしくなるのに、浅田選手はショートの最初ではさんざん失敗したが、フリーの後半ではなぜかうまく決めている。決めてはいるが、ほかのジャンプを決めることに集中すると、これまで決めていたジャンプをいきなり失敗することがあるので、やはり注意が必要だ。この課題さえこなせば、ハッキリ言ってフリーでキム選手が彼女のもつすべてのジャンプを決めても、浅田選手にはもはや勝てない。ショートで4.25差があるから、ルッツで出る点差の平均3点をしのいでいるし、いくらキム選手のルッツが高評価だといっても、「きれいに決めたトリプルアクセル」より点が出ることはない。フリーでもスパイラルのレベルの取りこぼしは多少気になる。浅田選手のフリーは非常に難度が高い。高すぎる。あらゆる難しい技を、まるで一陣の風があざやかに、そして軽やかに吹き抜けるようにこなすことを目指して作ったプログラムだ。密度が濃く、スパイラルのあとにすぐトリプルループが来るような構成になっている(キム選手のプログラムは、スパイラルの脚をおろしてからジャンプに入るまで十分な助走時間がある)。シーズン途中で修正したが、ジャンプに集中しようとすると気になって規定よりはやく脚をおろしてしまうかもしれない。だが、スパイラルやスピンは実際には、ジャンプの点に比べたらたいしたことはないのだ。すべてはジャンプの出来で決まる。浅田選手の場合はやはり、カギになるのは最初のトリプルアクセルだろう。これを4大陸のときのような素晴らしい完成度で決めることができれば、気持ちものってくる。中野選手も今季最高の演技でメダル圏内にいる。ぜひとも頑張って欲しい。キム選手は逆に得意のルッツで転倒したことがかなり精神的に響くはずだ。痛みをかかえた状態だと不安がつきまとい、ジャンプに集中できない。「転んでまた悪化したらどうしよう」といった思考を自分の中で消し去って演技するのは、若い選手には容易なことではない。ショートでの動きも全体的に悪く、印象も薄かった。インタビューでも「痛みが出た。痛かった」と何度も言っていた。ああいった言い訳のようなことを言うのは、怪我による調整不足の不安を自分自身コントロールできていないということだ。本当に強い選手は「痛くて」などとは決して言わない。そう言ってしまえば、同情はしてもらえるかもしれないが、他の選手を精神的に「ラクな」状態にしてしまうからだ。ライバルには常に精神的な重圧を与えるように振舞わなければならない。フィギュアはメンタルな面が非常に大きく作用する競技なのだ。常識的に考えると、キム選手のあの状態では長いフリーはとてももたない。ただそれは一般論であって、強い精神力と集中力で乗り切ることのできる選手もいる。明日の演技に注目しよう。
2008.03.20
まったくの偶然なのだが、マストロヤンニもマレーも24歳になる直前に、ヴィスコンティとコクトーという名演出家に出会っている。1948年、マストロヤンニはローマの大学演劇センターで舞台に立っていた。ある日、女優ジュリエッタ・マシーナがマストロヤンニ所属の劇団の舞台出演を引き受けてくれ、それが話題となってルキーノ・ヴィスコンティ主宰の劇団支配人が観劇にやってくる。そこで彼の目に留まったのがマストロヤンニだった。支配人は彼の楽屋に来て、俳優としてやっていく気があるかと尋ねる。勤労学生だったマストロヤンニはわりあい軽い気持ちで、「はい」と答え、支配人の手配でローマのスペイン広場にあるティールーム(う~ん、おしゃれ)でヴィスコンティに会った。その場には後に『ロミオとジュリエット』を撮って一世を風靡するフランコ・ゼフィレッリもヴィスコンティの助手として同席していたという。ちなみに、1946年からゼフィレッリはヴィスコンティの恋人だったと言われている。「君には素質があると推薦してもらった。もし本当にそうなら、『欲望という名の電車』のミッチ役をまかせたい。ただ、場合によってはエキストラになるかもしれないが」とヴィスコンティ(当時41歳)。マストロヤンニの興味は報酬にあった。「実はボクは働いているもので…… その仕事はいくらいただけるんでしょう?」(結構あつかましいぞ、マストロヤンニ!)提示された報酬額は、マストロヤンニがやっていた仕事の3倍だった。とたんにマストロヤンニはホクホク。「よろこんでやらせていただきます!」そして翌年(1949年)ちゃんとミッチ役をまかされ、ついでに端役で出演していた女優フローラ・カラベッラと知り合い、26歳で結婚している。マストロヤンニの10年におよぶヴィスコンティ劇団での「修業」はこうして始まった。すでに映画監督としてデビューしていたヴィスコンティの名は世間に知れわたっており、劇団に対する評価も高く、外国へも興行するほどだった。マストロヤンニはのちに、「私は黄金の門から演劇の世界に入った」と回想している。時間は戻って1937年。23歳のジャン・マレーはデュラン主宰の劇団で役をもらおうと必死に稽古をしていた。そこへ新しい若い劇団を作ったという女の子がやってきて、「私たちのグループに参加しませんか?」と誘う。男性俳優が足りないのだという。「来年もここ(デュランの劇団)で役をもらいたいの。だからデュランに逆らいたくないんだよ」とマレー。「困ったわ。仲間になってくれると思ったんだけど」「残念だな。脚本は何?」「ジャン・コクトーの『オイディプス王』」憧れのコクトーの作品ならば話は全然違う。マレーはすぐに前言を翻し、彼女とともにコクトーのオーディションを受けに行く。マレーのコクトーに対する第一印象は、「驚くほど痩せていて、とても優雅」というものだった。マレーの演技を見たコクトーは、すぐに主役のオイディプス王をマレーにすると言い出す。マレーは「夢見心地で」役を引き受けるが、他の劇団員が大激怒。コクトーに「彼はよそ者だから」と直談判し、いったん決まった役をマレーから取り上げ、マレーは合唱隊員の端役に回る。だが、マレーには自分自身で決めた目標があった。「オイディプスだろうと合唱隊員だろうと、ジャン・ピエール・オーモンそっくりに演じてみせる」。マレーはその目標に心を奪われていた。ジャン・ピエール・オーモンはコクトーの舞台劇で世に出、その後ハリウッドに進出して大成功した俳優だ。マレーは当初、このオーモンを非常に意識していた。また後年、マレーの代表作となる『オルフェ』誕生の際にも、オーモンの存在が深くかかわってくることになる。さて、『オイディプス王』の稽古中、コクトーがマレーのところにやってきて、「オーモンが僕の戯曲を初演する予定だったんだけれども、映画の契約があってできなくなった。君がやってみないかね?」と声をかける。マレーは一も二もなく承諾する。するとコクトーは脚本読みをするからオテル(ホテル)・ド・カスティーユの自分の部屋に来いと言う。当時コクトーはホテル暮らしをしていたのだ。マレーはマルセル・レルビエに連れて行かれたサロンのことがトラウマになっている。「もしあのときと同じ状況になったら、ボクはどうしたらいいんだ?」と往生際の悪いことを考えながらオテル・ド・カスティーユに向かう。だが、ホテルの部屋でマレーが見たのは、阿片漬けになっているコクトーの姿だった。コクトーが読んで聞かせてくれた戯曲『円卓の騎士』はあまりに素晴らしく、マレーの心を打つ。第一幕が終わったところでコクトーは、「疲れたので、続きは後日」とマレーを帰す。通りに出たマレーは、喜びのあまり飛び跳ね、駆け出す。「信じられない! 信じられない!」これまでさんざん約束を反故にされてきたマレー。だが、今度こそ本当に主役を獲得できる。そして何より嬉しかったのは、コクトーがいかがわしい関係を強要しなかったことだった。脚本を読み終わった日、コクトーは真剣にマレーの意見を求めてきた。マレーはお世辞が言えず、ただ自分がどれほどその作品が好きかということを熱心に話すのみ。『円卓の騎士』で主役を演じることはほぼ本決まりに。だが、そこでコクトーに、「僕の戯曲に出演するようになれば、人から僕の『愛人』だと言われるよ」と釘をさされてしまう。思わず、「それは光栄です」と答えたものの、自分の演技が認められたとばかり思っていたマレーは、そこでどうやら「それだけではないかもしれない」ことを感じて、多少腹を立てている。端役をあてがわれた『オイディプス王』の幕が開くと、マレーは「ジャン・コクトー」のネームバリューの凄さをまざまざと見せ付けられることになる。記者やカメラマンが現れ、あらゆる新聞や一流雑誌にマレーの写真が掲載されたのだ。ところがそんなさなかコクトーが姿を消してしまう。2ヶ月まったく連絡なし。マレーは次回作での自分の役が不安になる。不安が絶頂に達したころ、コクトーからの電話が鳴った。「すぐ来てくれ。重大事が起きた」マレーは思う。「オーモンが自由になったに違いない。彼が出演して、ボクは降ろされる」ほとんど泣きそうになって、オテル・ド・カスティーユのコクトーのもとへ駆けつけるマレー。と、そこで、コクトーから打ち明けられた重大事とは、彼がマレーを熱愛しているということだった。思いもかけない展開に戸惑いながらも、とっさに、「ボクもです」と答えるマレー。だが彼はそれが自分の出世欲からくる「嘘」だと自覚していた。<いったん終了します。続きはフィギュア世界選手権のあと3月26日から再開>
2008.03.19
マルチェロ・マストロヤンニとジャン・マレーの少年時代は対照的だ。『マストロヤンニ自伝』(小学館)を読むと、彼がある意味、古き良き時代のイタリアを代表するような職人の家に育っていることがわかる。祖父と父が一緒に同じ仕事をし、母親も家族の誰よりも早く起き、一番遅くに床につく働き者。そこにあるのは典型的なイタリア庶民の愛情に満ちた家庭だ。年頃になって、祖父から「道具箱をもってきてくれ」と頼まれると、そんな姿を通りがかりの近所の女の子たちに見られたらカッコ悪いじゃないか、などと考えている。マストロヤンニは11歳から教会主宰の舞台劇に出ていたが、目的は主にそこで仲間とふざけ合うこと。大きくなると女の子を冷やかしに出かけた。演劇はそんな楽しみの1つだったという。ジャン・マレーの幼年時代はそれに比べるとはるかに暗い。『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』(新潮社)によると、彼はシェルブール生まれだが、幼いころ母が父のもとから去り、祖母、母、兄とパリで暮らし始めた。マレーは周囲が「女優さん?」と聞くほど美しい母を崇拝しており、母もマレーを盲目的に愛し、2人の「異常なまでに緊密な関係」はマレーがコクトーと出会うまで続く。マレーが幼いころ、母はときどき長いこと家を留守にすることがあった。「手を怪我した」などといって手紙さえ来ない。実はそのとき母は刑務所に入っていたということを、マレーは長じて知ることになる。マレーの母には窃盗癖&虚言癖という重大な問題があった。父と別れた理由についても、マレーにはずっと「父さんがあなたに暴力をふるったから」と説明していたのだが、それも後年まったく嘘だったとわかる。この母の窃盗癖と虚言癖は結局最後まで完全に矯正されることはなく、生涯にわたってジャン・マレーを苦しめることになる。マストロヤンニは高校卒業後、いったんローマ市役所で製図技師として働きはじめる。このころ、つまり20歳前後のころの忘れられない経験として、彼は戦時下のヴェネチア・メストレから乗った列車での出来事を挙げている。当時敵の爆撃を恐れ、列車は電気を消して走っていた。その暗い車両の中で、マストロヤンニがタバコに火をつけたところ、一瞬照らし出された彼の顔を見て、女性が近寄ってきた。そして火が消えたところで2人はキスを交わしたという。マストロヤンニはその女性の顔を見なかった。若かったのか年配だったのかも、美しかったのか醜かったのかもわからない。彼女は途中で先に列車を降りてしまった。だがマストロヤンニにとってそれは、「すばらしい体験」だったという。なんともはや、のちの「ラテン・ラヴァー」にあまりに似つかわしいエピソードだ。きっと若い美人だったよ、マストロヤンニ君。キミのお相手はいつもそうじゃないか。その後マストロヤンニは映画配給会社の経理の仕事を紹介されるが、演劇への興味を捨てきれず、21歳でローマ大学に入学し、大学の演劇センターに通い始める。並行して映画会社に売り込みを始めるが、こちらは効果なし。マレーはといえば、高校で退学処分になっている。その理由というのがふるっている。「他人を演じること」に興味のあったマレーはある平日の自由時間に、母の服を失敬して女装(!)し、仲間の妹ということにしてピクニックに出かける。そこで、引率の教師がマレーに一目惚れし、「午後中かかって」口説きにかかった(オイオイ、教師!)。それが学校にバレ、「女装なんて不道徳なことはけしからん」となぜかマレーだけ責めを負って放校になってしまう(オイオイ、学校!)。役者になりたいと決めたマレーは、10代の終わりから映画会社に自分の写真を送ったり、いろいろなオーディションを受けたりし始める。だが、誰も拾ってくれない。そこで、年鑑から演出家の名前を拾い出し、直接自分を売り込もうと決める。アポなしで訪ねたのが、マルセル・レルビエという映画監督の家だった。レルビエに「今は何をしているの?」と聞かれて、「絵を描いています」と答えるマレー。それは本当だった。レルビエはマレーの描いた絵を買うといい、代金は分割で払うからその都度取りに来いという。ところが、マレーが実際に絵を渡そうとすると、「もらっても物置行きだから」。マレーが演技を見せても、「ダメだね」と冷たい。そんなある日、レルビエはマレーをディナーに招待し、ある特殊なサロンに連れて行く。そこにはダイニングスペースの奥にもう1つ部屋があり、開いたドアの向こうに整えられたベッドが見えた。その異様な雰囲気にマレーはすっかり硬くなり、レルビエが話しかけても「はい」「いいえ」ぐらいしか答えなくなる。そのつれない態度を見て、こんどはレルビエのほうが冷淡になった(オイオイ、監督!)。レルビエはその後、自作の映画の準備をするたびに、「主役をあげる」と言ってはマレーを呼び出すのだが、結局エキストラや端役しか与えない。そこでマレーは別の演出家シャルル・デュランのもとでエキストラを始める。それを知ったレルビエは手切れ金のようないくばくかのお金と一緒に、「これで2人の勘定に決着をつけよう。君が白パンを食べられなくなったとき、君の心の恋人『演劇氏』が黒パンを食べさせないといいのだがね」などとイヤミな手紙を送ってよこしてマレーとの関係(もともと何もないのだが)を解消する。そんな時期に、マレーは街角であるポスターを見る。ジャン・コクトーの戯曲『地獄の機械』。実際に劇場で芝居を見て、マレーはすっかり魅了される。「コクトーの作品に出演できるなんて、この俳優たちはなんて運がいいんだろう!」(東京創元社『ジャン・マレー 私のジャン・コクトー』より)。このときマレーはあることに気づく。『地獄の機械』で主役を演じたコクトーお気に入りの俳優ジャン・ピエール・オーモンは、自分とほとんど同じ体形だということだ。それならば自分もオーモンのような役を演じられるかもしれない。21歳のマレーは、ジャン・コクトーと自分が「いつか出会う」と信じるようになる。コクトーに近づき、その作品に出たい。だが、そのためには演技を磨かなくてはダメだ。そう考えたマレーは、デュランのもとで練習に励む日々を送った。ちなみに映画監督マルセル・レルビエはその後、IDHECという映画学校を設立し25年にわたって校長を務めた。ここからはルイ・マルなどの著名人も出ている。俳優志望の若者にセクハラまがいのことをしていた監督が映画学校の校長とは…… なんてありがちな話なんだろう!<明日は2人の「23歳での出会い」をご紹介します>
2008.03.18
一般に、ルキーノ・ヴィスコンティとジャン・マレーのつながりはあまりないように思われている。だが、実は違う。ヴィスコンティはマレーがパリで舞台デビューを飾ったごくごく初期のころ、マレーに仕事を申し込んでいる。それは『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』(新潮社)で明かされている。1937年の春、当時23歳のマレーはジャン・コクトー原作・演出の『オイディプス王』のオーディションにやってくる。一目でマレーが気に入ったコクトーはいきなり主役に抜擢しようとして、劇団員から大ブーイング。マレーはもともとこの戯曲の上演を企画した劇団所属ではなく、「数合わせのために」さそわれたよそ者だったからだ。そこで、マレーは『オイディプス王』では端役にまわり、コクトーの次回作『円卓の騎士』で主役を演じる。『オイディプス王』でその美貌が注目されたマレーのもとには、ヴォーグなどの一流誌のカメラマンがよく取材にやってくるようになる。ある日マレーは、懇意にしているカメラマンの家でジャン・ルノワールの助監督を務めるイタリア人に会う。それが当時まったく無名だった31歳のヴィスコンティ。彼はマレーの『円卓の騎士』を見て、イタリアでの仕事を申し込んできたという。「私は断った。だが私たちは仲の良い友達付合いを続けた」(『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』より)。う~ん、ちょっとだけモーションかけるオファーを出すのが遅かったネ、ヴィスコンティ監督。『オイディプス王』に出るまでは、マレーは仕事がなくて困っていた。映画会社に写真を送っても無視され、オーディションを受けても落ち、自分で映画監督のところに売り込みに行ってはセクハラまがいのことをされてメゲたりしている。『オイディプス王』のあとでは、ジャン・コクトーに突然愛の告白などされ、マレーは実はかなりビビっていた。だが、『円卓の騎士』の稽古の前にコクトーと南仏に旅行をし、ここでコクトーの献身的な態度や深い教養にすっかり魅了されてしまった。『円卓の騎士』上演中にはコクトーが急にマレーに黙って2ヶ月も姿を消してしまい、「どうしちゃったんだ?」と心が千々に乱れている。そうした時期に別の演出家の仕事を受けるわけがない。次回作もコクトーで、というのはすでに2人の暗黙の了解になっているし、実際、『円卓の騎士』が終わるとすぐコクトーは、マレーが気に入った年上の女優とマレーをキャスティングすることを念頭においた『恐るべき親たち』を執筆する。『オイディプス王』も『円卓の騎士』もマレーのために書かれた作品ではなかったが、『恐るべき親たち』は正真正銘彼のための戯曲であり、1938年11月に上演されると空前絶後の大当たりを取り、ジャン・マレーの名が世間に一挙に広まった。ただし映画デビューまでにはさらに3年待たなくてはならない。これには当時の政治的な事情も関係している(後日書きます)。ヴィスコンティの処女作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』の封切は1943年だが、その直前にマレーは別の映画の撮影でイタリアに行き、ヴィスコンティと会っている。またヴィスコンティは、コクトーの『恐るべき親たち』を1945年にローマで演出している。さらに後年、ヴィスコンティがパリのコメディー・フランセーズでのマレーの芝居を見に来たこともマレーの自伝には綴られている。ヴィスコンティはパリに来るたびにマレーに連絡をよこし、しばしば一緒に食事をしていたということだ。ヴィスコンティがマレーに『白夜』の出演依頼をしたのはだから、31歳と23歳(もしくは24歳になりたて)で2人がパリで出会ってから20年後ということになる。ヴィスコンティとコクトーの映画は一見まったく共通点はないように見える。一方は現実と歴史をみすえ、一方は幻想と神話をテーマにした。だが、Mizumizuにはまるで同じ地下水脈の水がまったく違う場所に湧き出すように、2人の世界がどこかでつながっているような気がしてならない。コクトーはその代表作の1つ『双頭の鷲』を書くに当たって、ルートヴィヒ2世関連の本を読み漁ったという。そのルートヴィヒ2世そのものをヴィスコンティは後年映画にしている。マレーを銀幕に美しく映し出そうとするコクトーの執念は、ヴィスコンティのヘルムート・バーガーに対する姿勢に繋がっているように思う。唐突に顔のアップを入れ、時代がかったトーンで語らせる手法も似ているかもしれない。『白夜』でマレーの演じる下宿人は、ほとんど何も口説くことなくナタリアの心を虜にするが、それはコクトーとマレーの蜜月時代に撮られた映画『悲恋』『美女と野獣』『オルフェ』でマレーが演じたキャラクターすべてに共通しているのだ。これらの作品でマレー演じる主人公は「特に何もしなくても」あっさり相手の心を奪うか、あるいは一方的に思いを寄せられる。そして常に、現実と非現実を行き来する特別な存在だ。こうした役はコクトーとマレーの間に、現実の生活でも、また映画の世界でも、なんとなく距離ができるにつれ消えていくが、ヴィスコンティは『白夜』で、そうしたマレーを復活させたのだ。部屋におかれた鏡はまさしく、コクトー作品へのオマージュだ。どこから来たのわからない、1年間どこへ行っていたのかもわからない、だがヒロインに定めれた運命の相手。のちに「ラテン・ラヴァー」というニックネームでプレイボーイの代名詞のように扱われるマストロヤンニからあっさりヒロインを奪っていくのが、かつてコクトー作品の神話的なキャラクターで一世を風靡したジャン・マレーだというのが、なんともにくい設定ではないか。ちなみに、『白夜』のあと、ヴィスコンティはマレーのオファーを受けて、パリで彼の舞台劇の演出をしている。彼の素晴らしい演出にはマレーもその共演者も、全員が魅せられた。マレーはこの仕事をヴィスコンティが引き受けたのは、自分が『白夜』での小さな役を引き受けたことへのお礼だと感じたという。マレーがコクトーに出会ったのが23歳。実はマストロヤンニがヴィスコンティに出会ったのも23歳。やはりすぐれた俳優がその才能を開花させるには、名監督との出会いがどうしても必要だということだろうか。(どーでもいいけど、『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』でのルキーノ・ヴィスコンティの表記は間違ってばっかり。P78では「リュシ」ーノ・ヴィスコンティ、P142ではルキノ・ヴィスコン「チ」。イタリア語はluはル、chiはキ、tiはティなのだ。チならciとなる。お~い、新潮社の校閲部さん! 朱入れなきゃ、朱!)<ヴィスコンティとマレーの関連年表>1906年 11月ルキーノ・ヴィスコンティ生まれる1913年 12月ジャン・マレー生まれる1937年 春ジャン・マレー、コクトーと出会い、7月『オイディプス王』(コクトー作)に端役で出演。10月『円卓の騎士』(コクトー作)に主演。ヴィスコンティがマレーにイタリアでの仕事を申し込む1938年 11月、ジャン・マレー『恐るべき親たち』(コクトー作)に主演。大反響。1943年 ヴィスコンティ、処女映画『郵便配達は2度ベルを鳴らす』封切1945年 ヴィスコンティ、ローマで『恐るべき親たち』演出1947年 10月、コクトー『双頭の鷲』撮影1948年 5月、コクトー映画『恐るべき親たち』撮影。11月封切1949年 8月、コクトー『オルフェ』撮影。12月、『恐るべき子供たち』映画化(監督はメルヴィル)1952年 マレー、コメディー・フランセーズで『ブリタニキュス』に主演。1日おきに大ブーイング。舞台を見たヴィスコンティ、マレーに「ブリタニキュスでスキャンダルを起こせるなんて、コメディー・フランセーズもたいしたものだね」1957年 ヴィスコンティ『白夜』封切1972年 ヴィスコンティ『ルートヴィヒ』封切<明日は名監督に出会う前のマストロヤンニとマレーについてご紹介します>
2008.03.17

『白夜』のラストは、鮮烈で残酷だ。マリオが自分のコートをナタリアにそっとかけてあげたりして、すっかりいいカンジに盛り上がった2人は、街を見下ろす高台に来る。眼下に広がるのは、いかにもイタリア的なドゥーモと塔が見える街並みだ。雪はいつのまにかあがっている。この場所が映画に出てくるのはこの一回だけ。これまでずっと狭く暗い、閉鎖的な街の様子を見てきた観客は、「この街にこんな眺めのいい開放的な場所があったの?」と驚く。これまでとはまったく違う広々とした場所で、マリオは叫ぶ、「ボクは…」マリオの台詞と背景が見事にマッチしている。ところが、角を曲がったところで、ナタリアが橋の上に立っている男性を遠くから認め、急に立ち止まり、声を上げてかけよっていく。途中でマリオにかけてもらったコートがすべり落ちてしまうが、まったくおかまいナシ。それを見て、マリオはすべてを悟る。「彼」が帰ってきたのだ。このときのマリオの絶望を表す演技は、舞台劇風だ。カメラは遠くから前景左のマリオ、通りを走っていくナタリア、そして遠くにそれをむかえる下宿人(ジャン・マレー)をとらえている。ナタリアが走っていくにつれ、マリオがまるで具体的な身体的苦痛を感じたように大きく体をひねって顔をそむける。そして、両腕をかかえる。これもオペラ的な苦悩の表現だ。ナタリアはいったん戻ってきて、マリオに「一瞬あなたが運命の相手かと思ったけれど…」と涙ながらに謝罪する(ちゃっかり、ジャン・マレーから見えない場所にマリオを移動させて謝っている・笑)。マリオに別れを告げ、あらためてジャン・マレーのところへ行くナタリア。今度はカメラはジャン・マレーを前からとらえ、遠くに寂しげなマリオの影を映している。このときのマレーの目の演技はぜひご注目を。彼は後ろに誰かがいることを察している。だが、決して振り向かない。そのかわり戻ってくるまでのナタリアを待つ間、「すごい目」をしているのがわかる。ナタリアは後ろめたそうに戻ってきて、許しを請うように、微笑みをうかべながらマレーにそっと手をかける。このナタリアのやさしさとよろこびに満ちた表情は、決してマリオに向けられたことはなかった。そして、恋人同士は橋をわたって前景右端に移動、キス。はるか後ろにはやはりマリオの影。中景に配置された橋や雪におおわれた道、両側の建物といった舞台背景も、運命の2人とマリオの距離感を出すのに一役買っている。この背景も現実の街角のようでいながら、現実離れしたまとまりのある「舞台劇」的な空間になっている。マリオ、がっかり……このあとマリオは涙をぬぐいながら、道端に落ちたまま忘れられた、ナタリアにかけてあげた自分のコートを拾う。傷心のマリオ――マストロヤンニのお手本のような演技が堪能できる場面だ。ドストエフスキーの原作『白夜』の主人公は完全に「もてないクン」だったが、ヴィスコンティ版『白夜』のマリオは決して、まったくのもてないクンではない。彼につきまとう街娼もいたし、道端では女の子に「チャオ!」とモーションをかけられているシーンもある。だが、彼はナタリアがよかったのだ。マリオは無想家でお調子者だが、平凡な男性だった。その普通の男性のときめきや高揚、期待や落胆、絶望といったありがちな感情をマストロヤンニはきわめて非凡な卓越した演技力で見せた。ラストシーンでは寝静まった街を1人行くマリオに一匹の犬が近寄ってくる。物語の最初でも犬が出てくるが、そのとき犬はマリオに関心を払わずに逃げていってしまった。ラストでは犬のほうがマリオに駆け寄り、マリオはかがみこんで犬をなでる。まるで慰めようとするようにマリオに寄り添う犬は、観客の心情そのものだ。この物語は、純粋さや思いやりといったものが時としていかに残酷かということを見せつけるという点で、いかにもヴィスコンティらしい作品だ。ナタリアは決して高慢でも意地悪でもない。純情で世間ズレしていない、非常にやさしい性格だ。ラストで待っている恋人を見つけて、そのままかけ去ってしまうだけならまだしも、いったんマリオのところに戻ってきて、涙ながらに言い訳したりすることで、マリオのやりきれなさはいっそう高まることになる。こんなふうにされては、彼女を恨むことも憎むこともできなくなるからだ。それにしても…… と観客は思うはずだ。あの下宿人のどこがそんなによかったのか? なぜこうも簡単にナタリアは彼のところに行ってしまったのか? そもそも彼、名前は何だっけ? 何をしてる人?実は、何もわからない。彼の名前さえ、とうとう最後まで一度も出てこない。職業もわからない。ナタリアもナタリアの祖母も「あえて素性を聞こうとは思わなかった」とわざわざ言っているからだ。にもかかわらずナタリアの「運命の相手」であることは、まるで既成事実のように決まっている。彼がナタリアを魅了するためにしたことは、ただ部屋に入ってきて帽子を脱いだだけ。こうした不自然な、ある意味理不尽な運命の相手にふさわしい俳優は誰か? ヴィスコンティの答えは「ジャン・マレー」だった。ヴィスコンティは直々にジャン・マレーを口説きにパリまで行っている。この役はやはりマレーでなくてはならなかった。なぜか? それはマレーの絶頂期の映画を見ればわかる。<続く>
2008.03.16

ヴィスコンティの『白夜』の魅力は、ごく平凡な男女の小さな日常の物語の中に、ふと妖しい夢幻の世界が混ざり合うところにもある。ナタリアに託された手紙を捨ててしまったマリオは、街でナタリアに出くわすと今度は避けようとする。だが、ナタリアにつかまって「どうだった?」などと聞かれ、「ダメだったのね?」と哀しそうな顔をされると、隠し切れずに「手紙はわたしてない」と告白してしまう。そして、改めてナタリアに自分との交際を申し込む。マリオとナタリアがとあるバールで話していると、急に周りの人たちが踊り始める。彼らはマリオとナタリアの座っている場所を侵食するようにどんどん踊りを激しくしていく。「私は踊れない」と言っていたナタリアだが、とうとう巻き込まれるように踊り始める。なんとも不思議な店だ。こんなヘンな店はイタリア広しといえど、見たことがない。最初は普通のバールだったはずなのに、踊りが始まると、すぐにそこがダンスホールになるのだ。そして、1人の男性が中心に来て見事なダンスを披露する。『サタデーナイトフィーバー』を先取りしたようなシーンだが、彼のダンスは明らかに「モダン・バレエ」の要素が入っている。このダンサー役の身のこなしは徹底的にバレエの基礎を身につけた者のそれ。つまり、このような店で楽しみで踊っている若者にしてはうますぎるのだ。躍動的なダンスを披露するこの若者をみなが円形になって取り囲む。まるで何かの儀式のようにも見える。ふつうのディスコシーンのように見せながら、そこはかとなく妖しげ。何か別の世界を強く暗示させる。その「尋常ではない雰囲気」を感じているのは、なぜかマリオだけだ。周囲の人々の盛り上がりとは対照的にマリオは明らかにこの「神がかり的にダンスのうまい若者」に対して警戒心をいだく。これは、ナタリアに微笑みかけるダンサー役の若者を見つめるナタリアとマリオ。このときの若者の笑顔は、なんともいえない。どこか野卑で、ある種の欲望をむき出しにした目つきでナタリアを見ている。その視線をさえぎるようにマリオが踊り始め、若者とマリオの間に生まれた緊張感に気づいていない周囲の人々は、それでまた盛り上がる。この不思議なダンスで高揚したナタリアとマリオは、店を出ると、勢いで運河のボートに乗り込む。マリオはナタリアに2人っきりになれるステキな場所があるという。「恋人ができたら、ここに来たいな」と以前から考えていた場所だ。ところが、行ってみると「その場所」は、2人っきりになれるどころか、ホームレスの家族たちに思いっきり占領されていた。ヴィスコンティの映画なのに笑えるシーン!? さすがにマストロヤンニ主演だけある。マリオはさっそく、「ぼくたちはまだ恋人じゃないから」とフォロー。さらに…うまい! 座布団1枚!周囲にホームレスのギャラリーがいるというのに、マリオは夢中になってナタリアを口説いている。「君がボクの恋人になってくれれば……」…だそう。完全に自分の言葉に酔っていて周りは見えないようだ。ナタリアに「運命の恋人」の打ち明け話を聞かされたときとはえらい違い。マリオの妄想はどんどん暴走し、「君さえ恋人になってくれれば、ボクは金持ちになれる!」とまで言い出す(そりゃないと思うよ)。ナタリアのほうはまだ、ちょっと醒めている…だが、そこへふいに雪が降り始める。喜ぶナタリアと、そんなナタリアを見てノリノリになるマリオ。この雪の降り出すシーンは、『白夜』の中でも屈指の美しさ。ヴィスコンティの卓越した美意識が遺憾なく発揮されている。その雪はなんのためらいもなく、いきなり、自らを主張するように降ってくる。ちょっと現実離れした降りようで、それがまた、この映画の幻想的な雰囲気をいっそう高める。<続く>
2008.03.15

マリオに「運命の恋人」との思い出を話し続けるナタリア。ある日、彼がナタリアの祖母のところへやってきて、ナタリアともどもオペラに行かないかと礼儀正しく誘う。祖母は大喜び。みなでオペラに出かけ、その夜ナタリアは彼が自分の運命の相手だと悟る(たった一回のデートで? 完全に非モテ系女性の思い込みでわ…… )。マリオに対しては「あなたっていい方ね」「私たちはいいお友達になれそう」「お友達ですもの」「兄のように慕ってます」とさんざん引っ張るナタリアだが、運命の彼との展開は速い速い……ナタリアと下宿人のラブシーン。秀逸な構図が目を惹くカット。渡り廊下のような場所で、観客はちょっと上から左端でキスを交わす2人を盗み見ているような気分になる。ここで下宿人に「自分には解決しなければいけない問題があり、1年帰ってこれない」と言われたナタリアはショックのあまりほとんど失神状態に。だが、1年たってナタリアの気持ちが変わらなければ、「そのときこそ一緒になろう」と告げて彼は去る。自分の告白に、1人で感極まって涙ながらにマリオにもたれかかるナタリア(やっぱり、けっこう勝手……)。自分ではない男へのあつ~い想いをさんざん聞かされて、ヘキエキするマリオ。街中でナタリアに泣かれ、周囲の目を気にしてるシーン。マリオは怒って、「そんな話は信じられないよ」とナタリアを突き放そうとする。だが、そこへ急に雨が降り出す。雨宿りの場所を探して走り出す2人。向こうから老婆(エキストラ)も走ってくる。あくまでも自分は彼を信じているというナタリアに、マリオは思わず……女にだってわかると思うよ、ふつう……だが、ナタリアは「彼はもう街に戻ってるはず」だと言う。ナタリアの家の使用人が彼を見たというのだ。一途なナタリアの様子にマリオは「手紙をかけば?」などとアドバイスをしてしまう。そして、ナタリアの手紙をマリオが彼に手紙をわたすことになる(変な展開…… 苦笑)。手紙をマリオにあずけ、例の純情可憐な表情で、「必ずわたしてね」と頼むナタリア(無神経にもほどがある)。これはそのシーン。今度は街に幻想的な霧が出ている。霧に煙って周囲はどんどん見えなくなる。ナタリアはなにげにマチコ巻き?(『君の名は』の話ね。さすがに古すぎてヒロインの漢字は、知らない)。必ずわたすといいカッコしたものの、マリオはむなしさでいっぱい。このちょっと太鼓になってるステキな橋をわたってナタリアが去ったあと、橋の上の欄干にもたれ、しばらく考えたあと、手紙を細かく破ってポイと捨ててしまう。このときのマストロヤンニの表情、手紙の捨て方には、彼の俳優としての非凡さがよく表れていると思う。独白は何もないのだが、無下には断れない、さりとてそんな道化師みたいな役回りを引き受けたくもない――「ちぇっ、うまくやりやがって。やってらんねーよ」と思っているマリオの「普通の男性の考え」がよく表れているのだ。そこへ、街娼が通りかかり、マリオに無言の誘いをかける。このねーちゃん、実は最初からマリオになんとなくつきまとっている。あれ? 自分を見つめるねーちゃんに気づくマリオ。据え膳だ。思わず食べちゃおうかな? と近づくマリオ。とことん本能に素直(笑)。でも……やめたらしい。<続く>
2008.03.14

ヴィスコンティの『白夜』では、ジャン・マレー演じる下宿人の部屋の小道具で、明らかに作り手が「遊んでる部分」がある。一目で下宿人に恋をしたナタリアが彼の留守中、用事にかこつけて部屋に入る。そして、鏡台の前へ行き、1人で彼の使ったものを触ったり、クリームのにおいを嗅いだりする(相当気持ち悪い……)。これはそのシーン。貞子ナタリアが彼を思い浮かべてうっとりしている。ボードの上におかれた小物もなにげに垢抜けた雰囲気。このオシャレな薔薇の彫り物(笑)のある鏡は何なんだろうね。帽子のかかり方もえらくカッコいいじゃないか。ボードの上にもご丁寧に小さな鏡がおかれ、貞子ナタリアのブリッコ(死語?)ポーズが、きちんとこの鏡にも映っている。しかも、彼の部屋の鏡はこれだけではない。このボードの向かい側の壁に長方形の鏡がもう1つ。さらに手洗い用の洗面器の上にも丸い鏡があるのだ! なんと、部屋に鏡が4つ! 中年の男性の部屋なのにですよ。ちなみにマストロヤンニ演じるマリオの部屋には鏡は1つもない(笑)。手洗い用の洗面器はあるが、もちろん鏡つきではない。どうしてこんなに鏡だらけなのか? それはもちろん、ジャン・マレーの部屋だから。ジャン・マレーといえば、コクトー。コクトー作品でのマレーといえば「鏡」なのだ。これは代表作『オルフェ』の、あまりに有名な、妖しいシーン。映画を見る前は、「この人ってば、鏡の自分に頬寄せて自己陶酔したように目をつぶって、一体何やってるんだろう?」と好奇心をかきたてられた。実際には「自分に頬寄せてる」シーンではないのだが、明らかにそうとしか見えない演出…… それについてはまた後日『オルフェ』のエントリーで書くとして、この作品では、そして同じくマレーの主演した『美女と野獣』でも、鏡が重要な小道具として象徴的に使われている。つまり、こうしたことをふまえて、ヴィスコンティは『白夜』で鏡をマレーの「アトリビュート」として使ったのだ。アトリビュートとは西洋美術における「持物(じぶつ)」のこと。文字通り「持ち物」だ。たとえばヴィーナスのアトリビュートは薔薇であり、聖母マリアのアトリビュートは百合。このように決めることで、アトリビュートを見れば、そこに描かれた聖人や天使が誰かということがわかるようになっている。代表的なアトリビュートの例を挙げよう。これはエルグレコの『受胎告知』。右側の天使の肘あたりに白百合が見える。レオナルドの『受胎告知』でも、左側の天使が白百合を抱えている。天使の顔の右側あたりに見えるはず。画家が勝手に自分の趣味で百合をもたせているわけではない。天使が受胎を告げる相手が聖母マリアだということを見るものに伝えるために百合が描かれているというわけ。これは一種の決まりごとなのだ。ちなみに「鏡」というのは薔薇や百合のようにハッキリ誰のアトリビュートと決まっているわけではないが、おもしろいことに、それを持つキャラクターによって「傲慢」や「虚飾」の象徴としても、「純潔」や「真実」、あるいは「賢明」の象徴としても使われる。コクトーがそこまで考えて愛するマレーとの作品に鏡を多用したのかどうかはわからないが、ヴィスコンティは明らかに、意図的に下宿人の部屋に鏡をたくさん置くことで、そこが「マレーの部屋」であることを西洋絵画の伝統にのっとって暗示したのだ。間接的にコクトー作品へ敬意を示したとも取れる。さて、物語のほうだが、ナタリアが部屋で物思いにふけっていると下宿人が帰ってくる。この下宿人もナタリアを気に入っているので、勝手に部屋に入られても全然怒らない。それどころか、本を貸してあげたうえ、ここぞとばかりデートに誘う。やさしくナタリアの手に自分の手を重ねて……(かな~り「慣れた」雰囲気ムンムン)。う~ん、展開速いぞ。ま、この物語、マストロヤンニにもたくさんしゃべらせなくてはいけないし、パリからローマへこの撮影のためにやってきたマレーのスケジュールもあるし、ナタリアと下宿人の恋の展開にあまり駆け引きも入れてられないよね。<続く>名画を読み解くアトリビュート
2008.03.13

『白夜』には「オペラ的な舞台転換」が演出手法の1つとして使われている。ナタリアがマリオに運命の男性との出会いを話して聞かせる場面だ。街を歩きながら、ナタリアは崩れかけた遺跡に腰を下ろす。画面ではほぼ右端に座り、その左にはホームレスが残していったと思しき焚き火の炎が見える。考えてみれば、道端で焚き火なんてちょっと不自然ではある。だがこの炎の動きと明るさは視覚的な効果をあげている。つまり、ナタリアがそれを見つめることで、炎が現在と過去をつなぐ小道具の役割を果たすのだ。ナタリアが回想を始めると、カメラが左方向にパンニングを始める。するとそこは街ではなく、ナタリアの家の一室になる。ここで、部屋自体が奥のほうへ回転しながら移動する。実際には一度横に水平移動させたカメラを弧を描くようにして少し後ろに移動させているのだ。これで、部屋の様子が、最初は狭く、次に広い視点から見える効果が出る。これはオペラの伝統的な回転舞台のちょっとした応用で、まさしくオペラの舞台を見ているような気分になる。オペラでは通常、歌手が舞台左端後方に座る。そして回想を始めると、舞台が回転し、奥から過去の舞台装置が現れる。歌手はそのまま舞台の右端へ移動することになる。舞台が45度回転し終わると、歌手は立ち上がって過去の舞台装置の中へ入り込んで演じるというわけ。回想シーンは、部屋のドアを開けて、ジャン・マレー演じる下宿人が入ってくるところから始まる。ここの台詞進行もちょっと凝っている。回想シーンというものは、だいたいナレーションから始まるが、過去の場面になると、ナレーションを始めた本人も別の人間とその過去時制で直接会話するのが普通だ。だが、『白夜』では、盲目のナタリアの祖母とナタリアの会話は、祖母は直に会話し、ナタリアの答えは「現在のナタリア」が「私は~と言ったの」とナレーションで台詞をはさむのだ。たとえば、こんな感じ。下宿人が入ってきて帽子をとると、祖母がナタリアに「若い人? 年寄り?」と直接たずねる。ところが、画面の、つまり過去のナタリアはしゃべらない。ただびっくりしたように男性を見つめ、こぼれるような笑顔を浮かべる。そして「現在のナタリア」が以下の字幕のようにナレーションで答える。「私は答えたの…」この場面はナタリアが男性に一目惚れする場面なのだ。彼を見たナタリアは、こんな↑に嬉しそうに微笑みかけ、それから、いきなり意識過剰になって髪の毛をいじって整えはじめる。ナタリアのこの露骨な「気に入りブリ」は、市川版『細雪』で三女の雪子(吉永小百合)が何度も見合いをしたあげく、ついに「ジャストにタイプ」な男性にめぐり合ったシーンにそっくりだ。ナタリアが惚れこんだ「若くもないけど年寄りでもない」顔はこれ。40代になった峰岸徹ジャン・マレー。そして、こちらは戦後日本で初めて封切られたフランス映画『美女と野獣』(ジャン・コクトー監督)に主演した、30代前半のジャン・マレー。すごいな~。このジャンプーハットみたいな襟…(笑)どーでもいいけど、マレー君の顔にライト当てすぎじゃないですか? コクトー監督ぅ。これじゃまるでデヴィ夫人でわ…… 露出が飛んじゃってるのかと思いましたゼ。<明日はコクトー作品を意識した、下宿人氏の部屋の小道具について紹介します>
2008.03.12
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”文豪”ドストエフスキーの悲恋小説を”ネオ・レアリズモの巨匠”ヴィスコンティがかってない幻想性とロマンティズムで描いた名作!■白夜■『白夜』の魅力は、小さな日常を描いたようでいながら、すべてが実は非常に「幻想的」だということだ。最初に映し出される街の風景は、どこかのイタリアの街でロケをしたようにも見える。ESSOのガソリンスタンド、TABACCHI(タバコ屋)の看板。すべてがありふれた街の光景なのだが、通りの様子をよく見ると、ある意味とても不自然だ。道が狭く、看板がちょうどこちら側から全部重なり「合わない」ように並んでかかっているのがわかる。香港じゃあるまいし、イタリアの街中の通りで、こんなふうに電飾の看板がかかっているところはない。そう、ここは『バットマン』のゴッサムシティと同じく、イタリアの架空の街なのだ。この街で非常に印象的なのは運河だ。まるでヴェネチアのようだが、そのほかの街の様子がヴェネチアとは全然違う。ヴェネチアよりずっと起伏がある。運河にかかる橋をわたり、建物に沿って上へ歩いていくと、街中なのに崩れかけた遺跡が現れる。ここはまるでローマだ。自転車やバイクで車道やときには歩道を通りすぎる者、BAR(バール。日本のバーとは違ってコーヒーを飲んだり軽食を食べさせる喫茶店のような場所)に出入りする者。その喧騒に満ちた雰囲気はまさしく、嬉しくなっちゃうほど「イタリアの夜」そのものだ。『白夜』の魅力はそもそも、どこからどう見てもまごうことなきイタリアなのに、現実にはイタリアのどこにもない、ありえない街を舞台にしていることにある。マリオはこの街に転勤してきたばかり。今日は上司に誘われて遊びに行って遅くなった。「また誘うからね」と言われて、上司と路上で別れると、ちょっとほっとしたように、街をぶらぶらと歩き出す。この行動もいかにもイタ男(イタリア人男性)らしい。そう、イタリアに行けばわかることだが、イタリア人って、ほんっと、あちこちでぶらぶらしている。電車に乗れば、電車の通路をぶらぶら(電車ではたいていキチンと座ってるドイツ人の青年とは対照的)。街では広場でぶらぶら。海岸沿いのプロムナードでぶらぶら。彼らはそれを「パッセジャータ」と呼ぶ。散歩という意味だが、たいていのイタリア人にとって、たとえば夕暮れ時のパッセジャータは儀式のようなものだ。そして、自分の人生になにかちょっとした「すてきなこと」が起こるのを期待している。マリオは夜の街をさまよい、運河のそばを歩き、カワイイ犬を見つけて、近寄り、追いかけたりしている。しばらくして、マリオは橋の上で泣いている女性を見る。ちらっと見えた顔が好みだったらしく、マリオは吸い寄せられるように彼女に近づく。この行動もイタリア人にはけっこうありがちなので、笑える。何か気になるモノを見つけると「なんだなんだ」と妙に素直に近寄っていく。そんなイタリア人はめずらしくはない。マリオは別の場面でも、街中で気になることをしている若者を見ると、いきなりぐいぐい近寄っていき、相手が不信げに振り向くと慌てて離れたりしている。主人公2人の出会い方はドストエフスキーの原作どおりだし、会話も小説にある会話がそのまま多く使われているのだが、主人公2人の性格付けは違う。原作では青年は完全にモテナイ系のブンガク青年、ヒロインは美女だが、ヴィスコンティ版『白夜』では、マリオはちょい、いい加減クンのニュアンスがある典型的なイタリア人。ヒロインのナタリアはやや野暮ったい、世間知らずの純情可憐ちゃんだが、生粋のイタリア女性ではない、どこか「遠くから来た」雰囲気がある(マリオは最初彼女に「外国人?」と聞いている)。そんなナタリアに話しかけると、彼女は警戒して逃げてしまう。ところが、そこに暴漢が現れ(なんてベタな展開…)、マリオはなんとなく彼女を家まで送っていくことになる。そして道々なんとか、次の約束をとりつけようと必死になる。女性の1つ1つの言葉に1人で盛り上がったり、盛り下がったりしている。これはナタリアの家の扉の前のシーン。明日も会えることになり、マリオは天にも昇る心地に。ナタリアはうつむきがちで、いかにもすれていない様子。ドアに手をやっているマリオのポーズにご注目。求愛にはやる男性の心理をドアが押しとどめているようでもあり、彼は彼女のかわりにドアをさわっているようにも見え、非常に印象的なのだが、よく考えるとマリオの手の動き、そしてこの2人の立っている位置関係も、かなり不自然だ。こういう場合、男性はふつう女性の正面に立つものだ。だが、マストロヤンニが体を斜めにして、横から彼女を見つめることで、観客は一生懸命彼女に近づこうとしているマリオの表情をよりはっきり見ることができる。同時にマリオの立ち位置は、観客からナタリアの姿をまったくさえぎらないようになっているから、ナタリアの顔の表情も全部見える。硬直したナタリアのポーズ、流動的なマリオのポーズ――2人の対照的な立ち方が、どこかポエティックなムードをこの場面に与えている。ヴィスコンティのさりげなく凝った演出が光っている。さて翌日、約束したにもかかわらず、ナタリアはマリオを見ると急に逃げ出す。マリオが追いかけると、ナタリアはパニクって鶏小屋に逃げ込み、鶏の飼い主に追い出される。そこでナタリアが飼い主の農婦に向かって、「変な人に追いかけられて……」と言っているのをマリオは聞いてしまう。ドヨヨ~ンとなったマリオが、落胆して去ろうとすると、今度はナタリアが追いかけてくる。実は彼女には、「待っている恋人」がいたのだ。その彼が戻ってきて、彼女が別の男性と一緒にいるところを見られたら誤解されてしまう。ナタリアの奇妙な行動は、そうした乙女心からだった(信じられないくらい身勝手な乙女心…… それなら最初っからそう言えば?)。<明日に続く>
2008.03.11
ヴィスコンティ映画の中でも特に個人的に特に好きなのは、『白夜』だ。これはこの監督としては異色の作品かもしれない。ヴィスコンティの世界につきものの、破滅的な不倫や禁断の近親ソーカンや抑圧された同性愛といったエキセントリックな設定はなく、恋人の帰りを待つ純情な女性といい加減で平凡だけれど愛すべき性格の青年の淡い恋の物語。崩壊していく古きよき時代の転換点といった歴史の大きなうねりもなく、したがって豪華絢爛なセットやきらびやかな衣装もない。だが、ほとんど男女2人の会話で進んでいく小さな世界の物語だからこそ、役者の演技がストレートに楽しめる。そして、なんといっても傑出したヴィスコンティの演出。全体的に舞台劇的な雰囲気なのだが、すべてのカット、あらゆるモーションが、がとてもさりげなく、とても巧みで、しかも凝りに凝っており、オールセットで撮られたという街の幻想美とあいまって、何度繰り返してみても飽きさせない魅力を作品に与えている。加えて、『白夜』において特筆すべきは、その国際色豊かなキャスティングにあると思う。ヴェネチアとローマを足して2で割ったような独特な、そしてきわめてイタリア的な街に住んでいる純真可憐なヒロインにオーストリア出身のマリア・シェル。2週間前に転勤してきたばかりで、「恋人がほしいな~」と思っている、夢想家の青年に若き日のマルチェロ・マストロヤンニ。そして、ヒロインが思いを寄せる運命の相手に、フランスが生んだ往年の大スター、ジャン・マレー。マストロヤンニが主役でマレーが脇役。これがどんなに大胆なキャスティングだったか、現時点で想像するのは難しいかもしれない。マストロヤンニは今でこそ、イタリアの名優中の名優で、ヴェネチア映画祭ではその名を冠した賞まで創設されているが、『白夜』まで、つまり30代前半までは、舞台俳優としてのキャリアは長いものの、映画に関しては「陽気なタクシーの運転手役の類い」しか出演のチャンスがなく、ほとんど無名の存在だったのだ。これは『マストロヤンニ自伝』(小学館)で彼自身が語っている。マストロヤンニが『甘い生活』で世界的に大ブレイクするのは、『白夜』から3年後のことだ。一方、ジャン・マレーは当時40代半ば。世界中にその名(と美貌)をとどろかせた『美女と野獣』(ジャン・コクトー監督)からはすでに10年以上、代表作『オルフェ』からも約8年。コクトー作品からは離れ、幅広いジャンルで国際的な名声を確立していた。『白夜』では主役がマストロヤンニ。マレーは重要だけれど「小さな役(ヴィスコンティとマレーの言葉)」だった。ヴィスコンティのこの『白夜』で、それまで泣かず飛ばずだった映画俳優マストロヤンニは、フェデリコ・フェリーニの目にとまる。そして『甘い生活』を経て、『8 1/2』『ひまわり』『黒い瞳』『みんな元気』と、中年から晩年にいたるまで多くの作品で主役を張り続けることになる。ジャン・マレーのほうも、ジャン・コクトーが映画にかかわらなくなってからも、舞台や映画で多彩な才能を見せた。『ファントマ』シリーズのような娯楽作品ではアクションもこなし、『ロバと王女』『魅せられて』のような名作では存在感のある演技を脇で見せている。すでに大スターだったフランス人俳優を脇におき、これから大スターになるイタリア人俳優を主役にすえた。ヴィスコンティのキャスティングが光っている。この小さな役をジャン・マレーが引き受けたのはヴィスコンティが直々にパリまで頼みに来たからだ。『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』(新潮社)によると、ある日、パリで夕食をともにしていたヴィスコンティがマレーに次回作の俳優を1人探していると話す。マレーは何人かの俳優を挙げたが、ヴィスコンティはいい顔をしない。「その役に合いそうな有名スターを挙げてみてくれ。そうすれば俳優のイメージが浮かぶかも」とマレーが言うと、「君だ」とヴィスコンティが答えたという。「なぜそう言わないんだ?」「だって小さな役だから」「君との仕事なら役の大小なんて問題じゃない。引き受ける」こうして最後に主人公からあっさりヒロインを奪っていく、謎めいた下宿人役をマレーが演じることになった。一方のマストロヤンニは、長年ヴィスコンティの率いる劇団で舞台俳優として経験を積んだ。ヴィスコンティの教えは厳しく、その要求は途方もなかったという。そして、10年ほどたってやっと、ヴィスコンティとの初めて映画、つまりこの『白夜』に主演。それまでの取るに足らない役から抜け出すことができたのだ。そう思って『白夜』を見ると、気づかされることがある。それはのちのマストロヤンニのイメージ、つまり、オンナに弱く、口ばかり達者で、だがどこか憎めない、人間的なユーモアとペーソスを備えた「いかにもイタリア人的な遊びオトコ」――その原点がこの作品にあるということだ。加えて、『白夜』でマストロヤンニが演じるマリオは非常に表情が豊かで、ある意味感情が不安的。気分がすぐに変わり、単純に有頂天になったかと思えば、ちょっとしたことですぐに落胆しクラ~く落ち込む。簡単に信じ込んだかと思えば、一転して警戒し、相手に対する疑いや不信の念を隠さない。のちのマストロヤンニの感情表情がほとんどすべてがこの作品に「原点として」見られるように思うのだ。時に滑稽で、時に浅はかで、時に深刻で、時に悲劇的な人間そのものを、マストロヤンニは生涯にわたって数多く、巧みに演じたが、それらはすべて、この『白夜』での演技を発展させたものではないか。あまりにすばやく移り変わるマリオの喜怒哀楽を見ているうちにそんなことを思った。ある意味、このマストロヤンニの演技は「役者の感情表現のお手本」かもしれない。<明日に続く>
2008.03.10

北海道大学の広大なキャンパスには驚かされた。同じ国立大学とはいえ、23区内にあったわが母校とはえらい違いだ。北大自体が1つの町のよう。北大の構内にて。北欧で撮った写真のよう。この大学は敷地のスケールも建物の佇まいも日本離れしている。北大のそばに、とびっきりのケーキを売る喫茶店がある。「ププリエ」という古い店で、きっと知らなければゼッタイに入らないだろうな、というような店… それに、万が一予備知識なしに入ったら、店の中をみたとたん「失敗したかな?」と思うかも…どういう意味だ?あまり追求しないでください(苦笑)。とにかく店構えはおいておいて、一部のケーキの味は最高。ネットではクレームブリュレが評判よいようだけれど、Mizumizuのお奨めは1 チョコレートケーキ2 レアチーズケーキ スタイル703 ブルーベリータルトの3つ。これらのレベルは東京の有名パティシエもかなわないかもしれない。北大のそばに行く機会があったら、お試しを。北大から来ると道の左側。黄色い(苦笑)店なので、それなりに目立つ。くれぐれも店を見てひきかえさないように(そりゃ、あんまりか)。札幌駅の駅ビルには、ルレー・エ・シャトーで有名になった北海道増毛出身のシェフの店ミクニのカフェもあり、チョコレート系のケーキを売りの1つにしているが、ハッキリ言ってププリエの足元にも及ばない。ミクニのカフェはすでに大量生産の味になっている。駅ビルのミクニのカフェでスイーツタイムを過ごすくらいなら、地下鉄もしくはタクシー(たぶんワンメーターかツーメーター)で無理してもププリエに行こう(ただしイートインは、青春時代をあそこで過ごした人以外には、あまりお奨めしないけど・笑)。カウンターにとびきり安い赤ワインがおいてあるのを見たときは、けっこう愕然となった。どうしてこの店であんなにおいしいケーキが作られているのか、まるで狐につままれたような気分になる(って、ひどすぎますか?)。店名:ププリエ住所:札幌市北区北12条西2丁目4-4TEL :011-736-0079営業時間:11:00~20:00定休日:月曜日
2008.03.09
3月7日付けの読売オンラインに、以下のような記事が掲載された。XXXXXXXXXXXXXXXXXXXX日本占領下の中国描く人気映画、主演女優CMを放送禁止 (読売新聞)【北京=佐伯聡士】7日の北京紙「北京晨報」によると、中国で昨年公開され、大人気となった映画「色、戒」(邦題・ラスト、コーション)の主演を務めた女優、湯唯(タン・ウェイ)が出演するテレビCMなどが国家放送映画テレビ総局の指示で放映禁止になった。北京、上海のテレビ局関係者が同紙に対して、「上級機関の指示に従って行った」と明らかにしたという。理由は不明。同映画は、日本占領下の上海で、抗日運動に参加した湯唯演じる女性が日本の傀儡政権下で特務を指揮する男性(トニー・レオン)に色仕掛けで接近し、禁断の愛に堕ちるラブストーリー。中国国内の上映では、大胆な性愛シーンがカットされた。また、日本に協力する「漢奸(民族の裏切り者)」を二枚目男優トニー・レオンが演じたことなどから漢奸を美化し、「愛国烈士」を侮辱する作品としてインターネットで激烈な批判が出ていた。香港紙「東方日報」は「映画を見た中国の指導者が不愉快になったことが原因」と報じている。XXXXXXXXXXXXXXXXXXXx『ラスト、コーション』は、中国本土公開用では大幅にカットされたため、ノーカットシーン見たさに本土から香港へ中国人が押し寄せるという珍現象まで引き起こした大ヒット問題作。日本ではそれほどの人気にはならなかったし、まったく政治的な作品ではないから、右翼からも左翼からも特段注目されることはなかった。そもそも、リー監督は漢奸(トニー・レオン演じるイーを中国ではそう呼ぶらしい。ホント単純だなあ…)を美化などしていない。彼は常に自分の行動によって自分自身の精神が引き裂かれている。彼が社会的に破滅することは最終的にはわかりきっている。タン・ウェイ演じるチアチーに愛国烈士というレッテルを貼るのは勝手だが、その愛国烈士は中国人によって利用されるだけ利用された。利用した組織の幹部はコトがばれると、部下を助けようともせず、1人でちゃっかりトンずらした(なんとも「ありがちな」行動原理ではないか。リー監督はさすがによくわかっている)。中国の指導者にとってもっともイタいのは、中国という国が、こんなふうに若者の純粋さを利用し、ポイ捨てにしていることをこの映画が見せてしまっていることだろう。もちろん、愛国烈士が漢奸にホれてしまうというストーリーも許せないのかもしれない(けど、そんなの、ありがちな設定じゃん)。漢奸=悪玉、愛国烈士=善玉というようにレッテルを貼り、常に悪玉は善玉に「やっつけられなければ」満足できないのだろうか。なんとも幼稚な精神だ。そして、「中国の指導者が不愉快になった」からといって、主演女優のCMが放映禁止になる。マトモな先進国では決してありえない。しかも、監督は世界的な名声を得ている台湾出身のアン・リー監督。すでに書いたように、中国人としてのアイデンティティを強くもち、中国の文化を世界に広めたいと思っている人だ。たとえば彼は、ハリウッドで知らない人のないサムライ文化に対して、中国には武侠という存在があることをアピールしていた。サムライとどう違うかと聞かれて(見るからに全然違うじゃん)、「サムライは階級だが、武侠は生き方。武侠は、ときに盗賊にもなり、英雄にもなる」のだと丁寧に説明していた。そのリー監督の作品に主演し、好評を博した女優に対してこの仕打ち。中国というのはこういう国なのだ。権力者が「気に入らない」という理由で、放送が出来なくなる。そういえば、NHKの「激流 中国(英題: Dynamic China)」も、ネット上に中国語の字幕つきの海賊版が出回ると、「中国では伝えられない、国の本当の姿がある」と中国人の間で大反響を巻き起こし、危機感をいだいた中国政府がネット上での閲覧を禁止にしたという経緯がある。「激流 中国」は決して中国に対して批判的な内容でも、マイナス面を強調するプロパガンダ的な番組でもなかったし、結構中国とその民衆に対して配慮がされていたと思う(ま、NHKだしね。中国政府に不利になる報道すると、すぐ抗議が来るし、中国での取材も制限されてしまうのだ)。あくまでも急激な成長を遂げる中国の姿を伝えつつ、それに付随して起こっている問題に着目したドキュメンタリーだ。にもかかわらず、一般人が「見られないように」してしまう。さすが北朝鮮の親玉だ。中国を変にヨイショするジャーナリストも日本には多いが、少なくともMizumizuは「中国でなく、日本に生まれてよかった」と心の底から思う。もちろん日本にも権力者の汚職はある(そして、これは中国人お得意の台詞でもある。「そういう問題は中国だけではなく、どこの国にもありますよね」。ハイハイ)。だが、程度と制度があきらかに中国とは違う。日本のほうが一般民衆にとってははるかに、格段にマトモな国だ。日本人がそういう国を自分たちの手で作ってきたのだ。対して、中国はどうだろう? 悠久の歴史を常に自慢し、大国意識をもちながら、いつまでたっても法の支配が徹底した近代的な国が作れない。なんでもコネとカネ次第だ。いくら経済的に成長しても富の配分の偏りは目を覆うばかりで、下々の民衆は信じられないような貧しい生活を強いられている。最近では世界中に「毒」を撒き散らす。政府のお偉いさんが、「あの女優のCMは流すな」というと、そのとおりになってしまう。こんなあからさまに歪んだ国には決して生まれたくないし、住みたくない。
2008.03.08

北海道をドライブするなら、やはり道東がお奨め。帯広近郊には、内地(つまり本州)の人間が想像する「これぞ北海道」という景色が広がっている。音更(おとふけ)の家畜改良センター(十勝牧場)の白樺の並木道は一見の価値あり。カタチの整った美林が行儀よく並んでいる姿は壮観。家畜改良センターの中にはこんな、ちょっとした見晴台もある。遠くに見えるのは大雪山系。山自体は案外低い。群れから離れて、一頭の馬が近づいてきた。なんだか寂しげ。もしかしたら、馬仲間からはつまはじきにされているクンかも?音更を出たら山へ向かって北上し、然別湖に向かうのも一興。山道からは、雄大な北海道の景色が楽しめる。
2008.03.07

ドイツで聞いた、「白ソーセージには昼の鐘を聞かせてはいけない」という言葉。朝作った白ソーセージ(ヴァイスヴルスト)は午前中に食べるのが一番おいしい。時間をおくと味が落ちる、ということだ。実はパンにもそれがいえるのじゃないかと思えるモノを売ってくれる店が、井の頭線の久我山にあった。「グードファリーヌ」。天然酵母を使った自家製パンを売る店。職人のおにーさんが1人で焼いて1人で売っている。主にハード系で、生地に隠れた酸味が絶妙。「1日たつと味がなじむパン」や食パンやバゲット類もあるが、なんといってもここの焼きたての「味のついたパン」は最高。焼き上がりの時間をチェックして行く価値があるほどで、事実、何時に何が焼きあがるか店先の黒板に書いてある。もちろん熱がとれてもおいしいのだが、なんといっても作りたてのおいしさは天にも昇るほど。特に気に入っていたのが、「ブリオッシュジャポネーズ」というアンコ入りブリオッシュだった。ところが、このブリオッシュジャポネーズ、このところ見なくなった。理由を聞いてみたら、なんとバターが品薄で入手できなくなったので、作れないのだという。別のバターを使えばいいじゃない… というのは、コダワリの店には言えない台詞なんだろう。「その」バターあってこそのあのおいしさだったのね。小麦をはじめとする材料の値上がりは本当に深刻だという。この店の菓子パン類(甘いという意味じゃなくて、味のついた、という意味ね)は平均1つ250円もする。買う側からすれば大変に高いが、1人で作っている超少量生産だし、そのくらいの値段をつけても、おそらくそんなに儲からないだろうな、と見ていて思う。「4月から値上げせざるをえない状況」だという。仕方ないと思う。それより売れ行きと経営が心配だな~。ここの職人さんは、結構まだ若い。ちょっと浮世離れした雰囲気もあるし(苦笑)、おいしいパンを作ることのほかは、あまり興味がなさそうな人だ。荻窪からだと結構遠いのだが、それでもできるだけ贔屓にして応援しなくっちゃ。こんなおいしい、「本当のパン屋のパン」を食べさせてくれる職人はなかなかいない。駅から近くもなく、売り子もおかず(経営上おけないのかも?)、およそ商売っ気はないが、だいたいこの店に来るのは常連さんばっかりだからなんとかなっている。夕方にいくと菓子パン類はほとんどなくなっている。常連さんはみんな、早めに買って早めに食べるものだと承知しているのだ。少なくとも3時までに行かないと、めぼしいモノは売り切れている。右上の黒っぽいのは「ノアカシス(くるみとカシス)のパン・フラヴァール」。周囲はかためで中はもっちり、カシスのねっちりした舌触りにさわやかな酸味、くるみの歯ごたえと香り。これだけのパンには、本場のフランスでもなかなかお目にかかれないぐらいなのだが、なんと材料のくるみが50%値上がりしてしまい、在庫がなくなり次第これも販売終了になってしまうという。職人のおにーさんは淡々と話すのだけど、うう… どんどん商品がなくなるじゃないの。ホント、大丈夫か、この店。もしかしたら、1人でいろいろ作るのが大変になってきたのかな。毎日毎日20種類近く1人で焼いて、1種類当たり1日わずか5つしか店頭に並ばないなんていうのもあるからね。フラヴァールから時計回りにブルーチーズとクリームチーズなどの上質なチーズのハーモニーが楽しめるプチパン、カレー味が個性的なカルツォーネ、シトロンといって自然なレモン風味が楽しめる菓子パン。どれもこれも、すばらしいとしかいいようがない。冷えてしまうと魅力は半減だけれど、それでもやっぱり何度でもリピートしたくなる味。グードファリーヌを紹介した本↓東京でみつけたおいしいパン
2008.03.06

東京の和菓子屋で「栗きんとん」と言ったら、どうやら栗の甘露煮を餡でつつんだものを指すらしい。普通、栗きんとんと言ったら、コレでしょう。東京の和菓子屋で、秋に自家製でコレを作っているところを見たことがない。仕方なく他県の和菓子屋で作った栗きんとんを買っている。中が白く硬くなってしまっているものも多いが、岐阜の松葉の栗きんとんは、中心部までしっとりとして、栗そのものが凝縮されたような自然の風味が楽しめる。甘さもくどくなく、絶妙。ただ、ちょっと小さいのが玉にキズ(笑)。しかし、いかんせん東京の正調・栗きんとんの選択肢の狭さには落胆する。どこかで自家製で作っているところはないんだろうか。
2008.03.05

中学時代、クラスメートの「展子さん」が半ばゴーインに貸してくれたさだまさしの『私花集』。 Mizumizu「さだまさしって、どこがいいの?」展子さん「よく言われることだけど、やさしさかなぁ」Mizumizu「ふ~ん」てな会話をした記憶がある。昔はよく、自分の好きなアーチストのアルバムを結構、一方的に貸してくれる友達というのが存在していた(現在の中学では、そんなお節介は絶滅?)。『私花集』でもっとも気に入ったのは山口百恵の歌った「秋桜」でも、ファンの間で人気抜群だという「主人公」でもなく、梶井基次郎の小説をベースにしたというクラ~イ歌、「檸檬」だった。XXXXXXX♪あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざすそれを暫くみつめた後できれいねと云った後で齧る指のすきまから蒼い空に金糸雀色の風が舞う喰べかけの檸檬聖橋から放る快速電車の赤い色がそれとすれ違う川面に波紋の拡がり数えたあと小さな溜息混じりに振り返り捨て去る時には こうして出来るだけ遠くへ投げ上げるものよ君はスクランブル交差点斜めに渡りながら不意に涙ぐんでまるでこの町は青春達の姥捨山みたいだというねェほらそこにもここにもかつて使い棄てられた愛が落ちてる時の流れという名の鳩が舞い下りてそれをついばんでいる喰べかけの夢を聖橋 から放る各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく二人の波紋の拡がり数えたあと小さな溜息混じりに振り返り消え去る時には こうしてあっけなく静かに堕ちてゆくものよXXXXXXXXXXXXXX およそ「やさしい」歌ではないと思う。「捨て去る時には出来るだけ遠くへ投げ上げるもの」「使い棄てられた愛(を)鳩が舞い降りてついばんでいる」。結構残酷な世界じゃない? 青春の残酷、そしてどこかよそよそしい怜悧さをもった女性のイメージを歌にしたものだという気がした。とにかく、大変に気に入って、「湯島聖堂って行ってみたいな~」などと思っていた。大学は東京の上野だったから、歌に出てくる聖橋や湯島聖堂のある御茶ノ水は遠くない。実際、御茶ノ水には本を探しによく来た。来るたびになんとなく「あ、聖橋ってどれかな」「湯島聖堂って白い階段があるんだっけ」などと思い出すのだが、地図を見るという一手間が面倒で(笑)、明大通りから神田川の向こうにちらっとみえる水道橋を見て「聖橋ってあれかな?」などと勝手に考え、「ちょっと遠そう。ま、いいや。また次来たときに行こ」などと思いながらいつの間にか忘れていた。湯島「聖堂」というからには、それはカテドラル、つまりキリスト教教会だと思い込んでいた。ジーンズ姿の大学生ぐらいの男女がカテドラルの白い階段に腰掛けている。カップルの頭上には教会の尖塔と十字架。たぶん中にはステンドグラスがあるだろう。そんな絵が似つかわしいと1人で信じ込んでいたのだ。この週末、湯島神社に梅を見に来たついでに、そんなに遠くないからとクルマをちょっと移動させて、「湯島聖堂」に初めて行ってみた。だが、湯島聖堂に近づいてみても、敷地の中に教会があるようにはどうしても思えない。あるのは明らかに、中華風の建物だ。「教会はどこかね~?」「教会があるのぉ?」などという会話を連れ合い(このヒトも全然わかっていない)と交わしながら正門のところに来て、ようよう湯島聖堂が教会ではなく、孔子廟だという事実を知った。が~ん!なんというか、青い目のフランシスコ君に会いに行ったら、出てきたのが論語をかかえた白髪三千丈の老師だった、みたいな衝撃だった。これが湯島聖堂の正体。確かに階段は白く見える。でも実際はもっとクリーム色だった。汚れているので、とてもここに腰掛ける気になれない。中はこんな感じの中庭。これってアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』の世界ぢゃ・・・そのあと聖橋に行って、連れ合いと総武線(かつて車両が檸檬色だった「各駅停車」の電車。今はシルバーの車体に黄色いラインが入っている)など眺めて、すっかり「檸檬」の世界にひたった。ふと見ると、連れ合いは眼下の中央線・総武線・丸の内線の写真を撮っている。やってるやってる~。「ここから檸檬投げないとね~」などというMizumizuに「そうだね~」と、連れ合いも調子を合わせてる。フムフム、完全に「檸檬」の世界だねェ、私たち。駐車場に戻る途中、湯島聖堂の近くで見つけた千代田区と文京区の境。坂道の途中で分かれているのがなんとなく変だった。すっかり青春の檸檬の世界にひたったなぁ・・・ と悦に入りながら帰路につく。ところが、帰りのクルマの中で、実は連れ合いは、さだまさしの「檸檬」を知らなかったということが突如判明する。曲を口ずさんだら、「何? その歌」ときたのだ。「えっ? さだまさしの名曲を知らないの? 聖橋から檸檬を放る歌」「知らないな~」「で、そこに電車がすれ違うわけよ」「あ~、それで檸檬がどうのとかって言ってたのぉ」「はあ? わかってなかったの?」「全然。さだまさしっていったら『関白宣言』ぐらいかな、知ってるのは」「だって相槌打ってたじゃん。電車の写真も撮ってたし」「いや、単に鉄道マニアになってみただけ」とほほ・・・全然話が通じてなかったんだね。なんのために2人で湯島聖堂&聖橋に行ったワケよ。1人で感傷にひたってたMizumizuがバカみたいじゃね~の。同年代なのに、何で知らないのだ?と思って調べてみたら、なんと『私花集』って1978年のアルバムだった。さっ、さんじゅうねんまえ!?そんな昔の歌だったのか。道理でえらく懐かしい感じがするわけだ。youtubeで、「檸檬」の世界をばっちり写真におさめているエントリーを見つけた。さだ版檸檬を知らない方、忘れた方は、どうぞ。↓http://www.youtube.com/watch?v=U3lFrw83DVI追記:中学時代のクラスメートの「展子さん」は、同窓生名簿から察するに、地方都市で自分の会社を興したようだ。会う機会があるかどうかわからない。でも東京でもし会う機会があったら、ぜひ「聖橋」で待ち合わせしたいもの。今度こそ、さだ版「檸檬」の世界に、ちゃんとそれを知ってるヒトとひたりたい。
2008.03.04

湯島に行くからには、いまやすっかり有名になったタント・マリーのカマンベールチーズケーキを買って帰ろうと思い、自宅を出る前に電話で予約しておいた。湯島神社のすぐ隣のマンションの一室だったハズ… と思って行ってみたが、あれ? 店がない。湯島神社の周りをグルグルまわってみたが、やっぱりない。変だなあ、電話番号は変わってないのに。あいにくケータイを忘れた。神社の公衆電話から電話してみると、なかなか出てくれなくてファックスに切り替わったりしてる。イライラしながら、何度かかける。公衆電話のボタンの反応が悪く、押したつもりの数字が抜けたりして失敗し、ますますイライラがつのる。5分ぐらいかかっただろうか。やっとこさ出てくれた。話をしてみると、「移転した」とのこと。「どこですか?」と聞いたものの、神社の近くであることは間違いないのだが、道が入り組んでいるようで説明がよくわからず、さらにイライラ。こちらのとげとげしい雰囲気を察したのか、「じゃ、迎えに行きますから」とお店の人。数分で来てくれた。確かに近所なのだけど、路地裏の小さな工房で、およそショップという感じではない。これは正しい住所を知っていても見逃したかも。銀座の松屋デパートのほかに、丸の内のオアゾでも売り始め、元の工房が手狭になって移転したということだった。1983年から作っているタント・マリーの大ヒット作「カマンベールチーズケーキ」。ノルマンディのAOCカマンベールをたっぷり使った個性的なチーズケーキ。ひところ「甘くない」のがケーキへの褒め言葉になって、そこらじゅうのケーキが甘くない、というかほとんど味がなくなってしまった時代があった。今はかなり甘いケーキが「イン」だけれど、タント・マリーのカマンベールチーズケーキは、「おいしいケーキは、甘くない時代」の代表的なヒット作で、かつ今でも根強い人気を誇っている逸品だ。見た目はふつうのベイクドチーズケーキ。中身がしっかり詰まっている感じがある。ふわふわではない。一口食べると食感は確かにチーズケーキ。ところが、食べてるうちに、あ~ら不思議、完全にカマンベールチーズの味に変わってくる! つまり全然甘くない。そして、チーズ特有の風味、別の言い方をするとカマンベールの生臭さが鼻腔に抜けてくる。この魔法のような味わいは、ちょっとほかにはないかもしれない。ケーキといいながら甘くないし、カマンベールチーズそのものという個性的な味だから、嫌う人は全然受け付けないだろうけど、ほとんどこの1つの商品だけで、銀座と丸の内のデパートに出してやっていってるワケだから、ファンも多いのだろう。すべての人が好きなわけではないだろうけれど、どこにもない個性でファンが多く、根強い人気。実はこれが人気商売では一番強いのかもしれない。もちろん、ホンモノの上質の素材を使ってこその味であることは間違いない。ついでにりんごのタルトも買ってみた。ちょっとタルトタタンの雰囲気もある感じ。お酒がきいていて、やはり甘さは控えめ。酸っぱさはイマドキからすると強くもないかな。チーズケーキほどオンリーワンではないけれど、ちゃんと作ったおいしさ。タント・マリー工房 文京区湯島2-26-5 電話:03-3836-3358銀座店 中央区銀座3-6-1 松屋本店B1 電話03-3567-1211丸の内店 千代田区丸の内1-6-4 オアゾ1F 電話03-5252-7734
2008.03.03

文京区の湯島神社に梅を見に行く。受験の神様らしく、受験生とその親とおぼしき人々が列を作っていた。すごい絵馬の数。ほとんどが合格祈願。「就職できますように」というのもあった。できたかな?梅自体の開花はもうひとつ。日当たりのよい場所では咲いていたけれど、来週末あたりが見ごろかも。盆栽の花のつき方は見事の一言。お茶をたてるキモノの女性にカメラを向けてみる。ちょっとした観光客気分。紅梅。日の光に透ける白梅。上野広小路へ抜ける道は急な坂になっている。このあたりは本当に坂が多い。神社の石垣と梅。つーか、これ何? トックリが2つ??猫ちゃん、知ってる?「知るかよ」
2008.03.02

いわずと知れたパリの天才パティシエ、ピエール・エルメ。パリに行くと必ずサン・ジェルマン・デ・プレの彼の店を訪ねたものだ。地下鉄のマビヨン駅を東方面から出て、ボナパルド通りを左へ。エルメの店は間口が狭くて中が細長い、典型的なパリのペストリーブティックで、いつもお客でいっぱい。新作の時期には、それを目当てに行列もできるほどだった。エルメを出てサン・ジュルビス通りに出たら、すぐ左へ歩く。すると教会が見えてきて、その前がちょっとした広場のようになっている。ここのカフェで飲み物を注文して、持ち込んだエルメのケーキを食べる。パリではカフェに別の店で買った物を食べても別に問題はない。ただし、紙皿とフォーク&ナイフは持参していた(笑)。パリのエルメは、チョコレートはあくまで濃く、しかも何種類かの違ったテイストを必ずミックスさせていた。その組み合わせはいつも新鮮な驚きに満ちていた。日本にもおいしいチョコレートケーキはあるが、チョコレートの組み合わせの妙という意味では、エルメの右に出る人にはまだお目にかかったことがない。フルーツ系は日本人にとっては香料があまりに強く、ナチュラルな風味に欠けていると感じることが多かった。そういう優雅な(?)パリでの日々もすっかり遠くなってしまった。最近は仕事に追われまくり、パリどころか最寄の駅ビルにすらいけないような状態(苦笑)。おまけにこのユーロ高で、ただでさえ物価の高いパリに行ったら、おそらく、カフェでコーヒーを飲むのも二の足を踏むんじゃないかと思う(再苦笑)。さて、そんなエルメだが、東京にいくつか店はあるものの、パリのブティックのような賑わいはどこにもない。以前はパンもやっていたのにやめてしまったし、ケーキの数も心なしか減っている。海外の有名パティシエも東京では苦戦することが多い。だんだんと生菓子の数が減り、チョコレートだけになる、なんてことも多い。レシピを渡して、ブランド名だけでやっていけるほど東京人のレベルは低くないのだ。新宿の伊勢丹に行ったついでに、エルメの店があるのに気づいた。例によって(笑)あまりお客がいない。サン・ジェルマン・デ・プレでの賑わいを知っている人間からすると、ちょっと寂しいものがある。ひさびさにどうかな、と思って生ケーキを買ってみた。やはり、さすがの実力。チョコレート系は文句なくおいしい。スクエアなフォルムにスクエアなゴールドリーフのアクセント。シンプルなルックスだけれど、味は複雑。エルメの真髄である「チョコレートの組み合わせの妙」が堪能できる。ナッツの食感もアクセントになっている。パリのチョコレート系より若干あっさりとしているかもしれない。こちらは日本のピエールエルメの定番。表面のオレンジピールの若干の苦味とレモンの酸味がなんともいえない。何層にもなったチーズの味わいも密やかに複雑。ただ、パリだったらきっと、もっと酸味をきかせるハズ。日本人向けにおとなしくなっている感は否めず。おいしいことは間違いないのだが、やはり問題は種類の少なさと1つ700円以上という値段だろう。あまりお客さんもいないし、「このケーキっていつ作ったもの?」などと余計な心配までしてしまう(苦笑)。ピエール・エルメをありがたがって食べなくても、日本人の有能なパティシエはいくらでもいるということかもしれない。ただ、やはり「どっか違うな」と思わせるものがあるのも事実。それは意外なアクセント使いだったり、種類は同じでも少し味わいの違う素材の配合だったりする。ほんの「ちょっとした」違いだ。この違いにこの金額を払ってくれるお客がいるというのも、また東京の寛大さなのかもしれない。
2008.03.01
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