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<きのうから続く>マレー演出の舞台『アンドロマック』を上演していた劇場に突然武器をもった反レジスタンス組織の民兵が押し入って占拠し、戯曲が上演中止に追い込まれたのが1944年5月29日。まったくの偶然なのだが、この日にオーストリアでヘルムート・バーガーが生まれている。バーガーの出世作『地獄に堕ちた勇者ども』(もちろんヴィスコンティ監督)に、「長いナイフの夜事件」をモチーフにした場面、つまりナチ主流派が突然、敵対勢力がたむろする屋敷に押し入ってきてその場にいた人々を皆殺しにする場面があるが、何となくダブって見えるのは不思議な運命のいたずらだろうか。それから1ヶ月後、扁桃腺の切除手術を終えたマレーのところに驚くべきニュースが届く。フィリップ・アンリオがレジスタンス兵に暗殺されたのだ。「やったのはお前じゃねえの?」「お前、28日はどこにいた?」友人が冗談とも本気ともつかない口調で聞いてくる。アンリオがラジオでマレーを中傷する演説を行ったのが5月28日。暗殺されたのは6月28日なのだ。コクトーは『占領下日記』に書いている。アンリオの友人も敵も、彼の死の真の原因は『アンドロマック』事件に端を発していることを知らない。どんな人間であれ、ああした冷酷で愚劣で卑怯な行為を犯せば、幸運と不運の仕掛けが必ず働き、爆薬が調合されるのだ。ジャン・マレーがされたように高貴さや純粋さが公衆の面前で一挙に汚泥を浴びせられるようなことがあれば、必ずその恐るべき応報が、生じるものなのだ。今この瞬間に照らせば、「ああした冷酷で愚劣で卑怯な行為を犯せば、必ずその応報が生じる」という言葉は、まるで青山学院大学瀬尾佳美准教授に向けられたもののようにMizumizuには映る。彼女が公衆の面前で汚泥を浴びせた人々は光母子殺人事件の被害者と同事件担当の最高裁判事、それに拉致事件の被害者。以下のあきれ果てた中傷文は、いかに瀬尾佳美という人間が、自分の幼稚で狭量な想像力と感情でしか世の中を見ることができないかを示している。「私としては、女子学生に多額の奨学金を貸し出すのはなんとなく気が引ける。光市の母子殺害事件の被害者みたいに、借りるだけ借りておいて、卒業したら間髪いれずに孕んでそのままぜんぜん働かず、挙句の果てに平日の昼間から家でぶらぶらしていたため殺されちゃうなんてことになっては回収不能になるからだ」「差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」「元少年が殺されれば、報復が果せた遺族はさっぱり幸せな思いに浸るに違いない。自分の血を吸った蚊をパチンとたたき殺したときみたいにね」「拉致家族にしても私は軽い違和感を覚えます。私は子供をなくした経験がありますが、『めぐみっちゃん』はちゃんと育って、結婚までして、あまつさえ子供までもうけています。私の目から見ると信じられないくらい幸福です。なのにその幸福に感謝もしないで、いつまでもいつまでも『めぐみっちゃん』とか不幸面してられるアンタが心底うらやましいよ、とTVを見るたびに思います」「これからもこんな日本みたいな国に生まれて幸せだったと思うことは生涯一度もないと確信しています。毎日、夜寝るときは今日も日本から脱出ができなかった自分のふがいなさに苛立ち、朝起きたときは今日も奇跡がおきずにまたも日本で目覚めてしまった絶望に日々打ち砕かれます。こんな限りない日常が終わりになるなら是非拉致されたい。行き先は北朝鮮でも火星でもとにかく日本人がいないところならOK」ここまで書いたからには、当然その責任は負わなければいけないだろう。ことに最後の2行の甘えた物言いは、精神が退化し幼稚化した日本人の典型例。どう見ても日本以外では生きていけず(それは本人も自覚しているようだが)、日本以外では通用しないような人間に限って日本の悪口を言う。悪口を言うことで商売になる。本当に日本は平和の毒に麻痺した国だ。言論の自由が保証された国で何より問われるのは、書き手が心の中にもっている「モラル」なのだ。当時、コクトーはヒットラーの側近ともいわれたドイツ人彫刻家アルノ・ブレーカーと交流を続け、彼の個展に序文を寄せたりしていたため、レジスタンス側からも批判されていた。もちろん、対独協力派からもセクシャリティをからめて中傷されていた。そんな彼にブレーカーは再三申し出ている。「ジャン、ぼくから『その筋』に頼めば、彼ら(=対独協力派)を少し黙らせることはできると思う。君さえよければ……」だが、コクトーはいつもきっぱりと断っている。「アルノ、ぼくはね、あいつらから侮辱されるのが好きなんだ」コクトーは自分の政治力を利用して、敵を黙らせようとは決してしなかった。彼は日記に「判断は歴史がくだす。そう祈る」と書いている。ブレーカーはそんなコクトーに対して、「万が一の時には、ぼくに聞いたといって、ここに連絡するように」とヒットラーに直接つながる電話番号を密かにコクトー(とピカソ)に教え、コクトーの友情に報いていた。そう、ある意味、コクトーは非常にモラリスティックな人だった。それは作品を読んでもわかる。コクトー・ワールドの登場人物たちは、ある一定のモラルから決して道を踏み外さない。それは時代や社会によって変わる道徳の基準ではなく、人が人である以上自然にもっているべきモラルだ。コクトーは確かに早熟・多情な人で、当時の感覚では、それは犯罪に近いと考える人も多かった。だが、今日的に見れば、コクトーのセクシャリティはなんら犯罪的ではない。複数の同性・異性と交際してトラブルになることはままあったが、買春や未成年者虐待のようなことは決してしない。むしろそうした行為を彼は激しく嫌悪していた。コクトーにとっては「心と官能があまりに密接に結びついているため」「友情もその範囲を出てしまう」だけにすぎなかった。マレーも最晩年に出版した『私のジャン・コクトー』で「コクトーのモラルはいっさいのモラルを超えたモラルであり、私もそのモラルにしたがった」と書いている。たとえば、マレーの言いたいことを、マレーに代ってコクトーが書き、それをジャン・マレーの名前で発表することに、2人はまったく後ろめたさを感じていなかった。コクトーとマレーは「ぼくは君、君はぼく」だったからだ。コクトーがマレーの代作を始めたきっかけはマレーが24歳のとき(つまりは2人が出会った直後)。あるジャーナリストが有名になったばかりの舞台俳優ジャン・マレーのところへやってきて、「自分にとってニュートンのりんごとは何だったのか」という主題で雑誌にエッセイを書いてほしいと言った。そのときのマレーは、ニュートンのりんごって、ナニ?状態だった。自分の無知・無教養が白日のもとにさらされる恐怖でパニックになったマレーは、コクトーのところへ駆けつけ、恥ずかしさに真っ赤になりながら、自分の代わりにそのエッセイを書いてくれないかと頼む。コクトーはマレーがびっくりするほど、あっさりと承知して書いてくれた。で、今度は、それを読んだジャーナリストがびっくり。ジャン・マレーって、こんなに才気に溢れた教養人だったのか!ジャン・マレーって見かけだけじゃなく、頭もいい――一挙に評判が広まり、次々に雑誌から執筆依頼が来た。それらを全部コクトーが、ときにマレーの意見を求めながら代作していく。だが、そんなコクトーが頑として代作を拒んだテーマがあった。それは来るべきして来たテーマ、「ジャン・コクトーについて」書いてくれという依頼だった。いつものように代作を頼んできたマレーにコクトーは言った。「それだけはダメだ、ぼくのジャノ。君の名前でぼくについて書くなんて権利は、ぼくにはないよ」この拒絶にマレーは驚く。「自分について人に読んでほしいと思うことを何でも書いてくれればいいよ。みんなの誤解をとくいいチャンスじゃないか」「いや、ぼくにはそんな権利はない」「もうOKしちゃったんだよ」「こんなことをぼくに頼んじゃいけない。断るか、自分で書くか、どちらかにしてくれるかい?」マレーの名前で自分について書く――コクトーにとってはそれは自分のモラルに反する行為であり、彼の慎みが許さなかったのだ。そこでマレーは初めて、自分自身の手でエッセイを書き、コクトーに読んでもらった。コクトーは微笑ながらマレーに言った。「心と魂はどんな学校にもまさるね」コクトーは無知・無教養を自覚していたマレーのために、読むべき本のリストを作り、マレーをあちこちに連れて行ってはモノの見方を教えた。コクトーが心と魂で行ったそうした行為は、マレーにとってはどんな学校にもまさる勉強の機会となった。そうして、マレーはコクトーの書いた台本を誰よりも多く暗記した俳優になる。ニュートンのりんごすら知らなかった無学な青年は、いつしか、コクトーが見ても印刷物に載せるに足る文章を書ける人間に成長していたのだ。<続く>
2008.04.30
<きのうから続く>『アンドロマック』の企画と演出意図について、マレーは次のように報道機関に発表している。「今回の企画は、しばしば映画に取り込まれていた俳優たちが、演劇への義務を果たそうと決心したことから始まった。私にとっての悲劇の演出は、あえて気取った言い方をすればバレエの振り付け以外のものではありえない。言い換えれば、ダンスにも劣らぬ綿密・正確な基盤に立つものでなくてはならない。俳優が自分のなかから取り出すべく努力しなければならないのは、習慣によって鈍化した角を研ぎ澄ませて状況に鋭く切り込む自然さと熱情である。ラシーヌは天才的な演劇人だ。私たちが奉仕したいと願っているのは、なによりもまず演劇人としてのラシーヌなのだ。詩人としてのラシーヌは私たちを必要としておらず、おのずから立ち現れるのだから」。30歳そこそこの俳優兼演出家が書いたとは思えない文章だ。それもそのはず、このころジャン・マレーの署名入りで書かれた原稿は、実はジャン・コクトーがすべて代作していた(笑)。「バレエの振り付け」とか「詩人はおのずから現れる」などというのは、明らかにコクトーのビジョンだし、全体的にコクトーの手が入っているのは誰の目にも明らかだが、まさかマレーの文章をすべてコクトーが書いているとは当時誰も思っていなかった。コクトーはコクトー自身の署名入りで、マレーの舞台評も書いている。その裏で、マレーの演技や演出の意図を的確な文章で人々に伝える役割も同時に果たしていたのだ。上の文章、特に後半「俳優が……」以降は、まさしくマレー自身の考えそのものだ。マレーは常々、俳優の表現とは「自分のなかにある感情を探り当て、取り出すこと」だと考えていた。また、彼は今回の戯曲上演に際して、習慣化していた伝統的な朗唱法の鈍さを捨て、もっと自然な台詞まわしで鋭い感情表現を行おうとしていた。「習慣によって鈍化した角を研ぎ澄ませて状況に鋭く切り込む」という一文は、その姿勢を個性的な表現で的確に説明している。「詩人はおのずから現れる」というのは、役者が朗々と詩的に詠いあげなくても、ラシーヌの詩的世界は崩れることなく存在しうるということを言っている。こうした新しい解釈をもちこみ、美しい衣装と凝った舞台装置をそろえ、入念な役作りと稽古を積んで幕を開けた『アンドロマック』。人気の役者がそろっていたこともあり、人々は前売り券を求めてボックスオフィスに押し寄せ、開演前からすでに客席は満席だった。ところがこの公演、6日しか続かなかった。連日の妨害工作とマスコミの批判。そして6日目に「フランスのゲッベルス」と呼ばれた対独協力派の大物フィリップ・アンリオがラジオで、「『アンドロマック』でマレーとキュニイが採用した変形自在の散文は、フランスにとってはイギリスの爆弾以上に有害きわまりない」と批判した。アンリオは芝居を見に来てはいなかった。この政治的工作の裏にいるのは、もちろんマレーに張り倒されたアラン・ロブロー。「これはロブローの復讐」とコクトーは『占領下日記』で明言している。6日目の夜は、劇場の一般客は終演後拍手喝さいだった。だが、翌日マレーのところに劇場側から劇場に来ないでくれと懇願する電話が入ってくる。フィリップ・アンリオの息のかかった反レジスタンス組織「ミリス」の民兵が観客の入場を妨害するために武器をもって劇場を占拠したのだ。こうして『アンドロマック』は上演中止となった。ピカソ作の杖もこのときのどさくさで紛失してしまっている(今残っていれば、とんでもないプレミアものだろうに)。マレーたちにとっては信じられない成り行きだった。ある程度の妨害は覚悟していた。だが、ここまでされるとは想像もしていなかった。しかもマレーは、社会風紀を乱した張本人として逮捕者リストにまで名前が挙がっていた。逮捕は早朝行われると聞いたマレーは、夜が明ける前にこっそりモンパンシエ通りのアパルトマンを抜け出し、一時友人の家に身を隠した。マレーはこの戯曲の上演に当たって、私費を投じていただけでなく、友人から出資を募っていた。6日で上演打ち切りとなったために、莫大な損が生じた。マレーは友人に資金の返還を申し出たが誰も受け取らなかった。マスコミからはマレー側の話も聞きたいとして記事の執筆依頼がくる。もちろん、コクトーが代作。今回のアンドロマックは、あくまで「古典劇を知らずに毛嫌いする若者にラシーヌを知ってもらい、劇場に足を運んでもらうため」に企画したものだったこと、それに対して出演者を中傷し、ありもしないスキャンダルを一般客に信じさせようとする陰謀がめぐらされたことなどを克明に記して発表した。ところが、この弁明がまたマスコミを牛耳る対独協力派の怒りに火をつけ、ありとあらゆる新聞・雑誌を使って、マレーに集中砲火を浴びせた。多勢に無勢。数を頼んだ猛烈な誹謗中傷攻撃には、いかな天才とはいえ、たった1人の詩人と若い俳優で太刀打ちできるはずがなかった。すべてが歪められ、「ジャン・マレーは自ら恥じて、ホモ的芝居の上演を取りやめた」などという「大本営発表」が幅をきかせた。この状況に激しく落胆したのは、マレーよりも代作者コクトーのほうだった。マレーはそんなコクトーを見て、虚勢を張り続けた。コクトーをこれ以上悲しませたくなかったのだ。「ジャン、これは素晴らしい冒険だよ。ぼくのような若さでこれほどの体験を味わった俳優はいない。ぼくはそれを誇りに思っているから」そんなマレーをコクトーは「アーチのように強靭」と『占領下日記』に書いている。『アンドロマック』は途方もない広がりを呈してきた。だが、苛烈なマスコミの攻撃は、返って人々の同情を集め、マレーは今度は逆に若者を中心にレジスタンスの英雄に祭り上げられる始末だった。ある日、マレーが道を歩いていると、それを見つけた学生たちが駆け寄り、数人で担ぎ上げ、こう叫びながら行進した。「アンドロマック! アンドロマック! ロブローのバカ野郎! アンリオはくそ壺に! 民兵どもはくたばっちまえ!」フィリップ・アンリオの放送で槍玉にあげられたイギリスのBBC放送もマレーを褒め称え、「忍耐だ。ジャン・マレー。我々はまもなくそちらに着くだろう」と呼びかけた。図らずも政治的な存在になってしまった自分を、当のマレーは唖然として見ていた。パリ解放は目の前に迫っていた。反レジスタンスの民兵は浮き足立ち始める。マレーは、身を隠していた友人の家からモンパンシエ通りのアパルトマンに戻った。一日中電話が鳴り止まない。マレーは一切出なかったのだが、ある晩、とうとう疲れ果て、受話器を取った。「あの……」受話器の向こうからとまどったような、か細い若い女性の声が聞こえたきた。「『アンドロマック』があんなふうに打ち切りになってしまって、私、とても悲しくて。それをお伝えしたかったんです」モノ不足、電力不足、飲み水にも事欠くような占領下の厳しい情勢のなか、劇場で仲間と重ねた稽古。水泡に帰してしまった努力の日々が、マレーの脳裏に蘇った。「マドモアゼル、ぼくもですよ」受話器をおいて、マレーは泣き崩れた。虚勢を張っていたツケは身体に出る。マレーは体調を崩し、扁桃腺の切除手術を受けている。翌日わけのわからない尾ひれをつけた記事が紙面を踊った。「ジャン・マレー、猫の声帯を移植するため、日本の医師を呼び寄せる」(なんで日本なのじゃ??)<明日へ続く>
2008.04.29
<きのうから続く>1944年5月――ジャン・マレーが演出・舞台美術(装置)を手がけた『アンドロマック』の幕が開くと、対独協力派によって買占められた30ばかりの席から、口笛や怒号、汚い紙つぶて、催涙弾までが投げつけられた。マトモな観客は鼻と口にハンカチを当てて舞台を見るハメに。この席買占めによるいやがらせは数日間続いた。マレー版『アンドロマック』の素晴らしさについて、コクトーは『占領下日記』に次のように書いている。朗々と吟詠する台詞まわしの排除、きわめて簡素な偉大さの発見で、この上演は歴史的事件となった。ジャノはオレストを演じているが、私見ではムネ・シュリーやド・マックス以上。あの美貌、気高さ、激情、人間味、どれも比類がない。装置は遠近法を利用したもので、夜空は、奥の青白いアレートに接している。上は、切れ切れの雲の浮かぶ空を背景に高いアーケード。一種グレヴァン博物館の雰囲気だが、人工的遠近法で細部が人体のサイズに思いがけない効果を与えている。トロイの馬の尻尾の形をした髪形に白い衣装、布を腕にらせん状に巻いたアンドロマックの登場は1つの奇跡だ。舞台を見た友人からマレーへの手紙。「昨晩の美しさ。私は我を忘れてしまいました。涙と狂気と愛の深遠のせめぎあう境界、舞台の夜の闇の中で、あなたは王者のように人々を意のままに支配していましたね。この舞台を私は生涯忘れないでしょう」。ところが、対独協力派の息のかかった新聞・雑誌は、この舞台に対していっせいに泥を投げつけた。「ホモ的芝居。その証拠に男性はほとんど裸。女性は首まですっぽり衣装で身体を隠している」実際には、男性は裸ではなく、ギリシア風の袖なし上着や寛衣をまとい、マレーは20メートルにも及ぶ布をひきずっていた。女性はむしろ、襞は多いものの、身体の線を強調するようなぴったりとした衣装をつけていた。だが、本当のことなど、批判する側にはどうでもいいのだ。もちろん、天皇アラン・ロブローも「これはフランスの恥」と痛烈な批判をあびせた。今日、私たち日本人はアラン・ロブローなる批評家(作家でもあり詩人でもあったらしい)がいたことすら知らない。むしろジャン・コクトーがずっとフランスの文壇に君臨していたかのような錯覚すら抱いている。だが、ある時期ロブローの権勢はフランスの知識人誰も口をはさめないほどであり、コクトーのほうがはるかに小さな「異端」の存在だったのだ。ロブローの文章はほとんど日本には紹介されていないが、皮肉にも、コクトーが『占領下日記』に収録したマレーに対する酷評は今に残っている。では、ロブロー陛下、どうぞ(特にエグい箇所は赤文字にしておきましたんで)。「(『アンドロマック』においては)変質者の造物主が、ジャン・マレー氏、アラン・キュニイ氏に才能も能力も皆無で無知な小粒の俳優であるとの評価を永劫に確立させようと望んだかのようである。あのオレストのコリドンの刻印(注:男色者のこと)は明らか。伝えているものは、耐え難い退屈のみ。ラシーヌを退屈なものにしてしまうとは沙汰の限りではないか。ラシーヌが、これら宦官たちに、自力で困難を打開するよう巧妙に手を打ったことは明らかだ。ラシーヌの不在は随所に見られる。そもそもどこかラシーヌなのだ。ジャン・マレーの酔ったほえ声にもラシーヌはない。このテロリスト(注:フランス文化を破壊するという意味にかけている)がギリシア風の寛衣をまとっていることだけが、どうやらラシーヌの詩句を朗唱している様子を伝えるのみだ。口の中でもぐもぐやるのですべてがいかがわしい代物になってしまう。これがコクトーが咥えて放さない『特別の男』なのだ。ジャン・マレーはここから決して立ち直れることはあるまい」。アラン・ロブローはよっぽどマレー君に殺されたいらしい……(苦笑)。直接に間接に、徹底的かつ執拗にマレーとコクトーの関係をこきおろし、ヘンタイ扱いしている。咥えて放さない男ってのが、言いえて妙、いやいや、お下劣さの極致と言えよう。おちょくり批評もある(けっこう笑える!)。「視覚的には舞台はこぎれい。太鼓腹の男優も巨乳の女優も出ず、たしかに容姿は見ていて心地よい。ジャン・マレーの太腿は人々の視線を惹きつけている。彼は咽頭科で数年の治療を受け、さらにかなりの空白(バカンス)をおけば、おそらく称賛に値するオレストになりおおせるだろう。ただし、優れた演出にめぐり会う必要はあるが。これに反し、アラン・キュニイに治癒の見込みは皆無だ。どんな咽頭科医師もサジを投げるだろう。このすさまじいかすれ声、さらにあのせわしない息遣いでは、まるで喘息のアザラシか、寿命のきた機関車の息遣いに巻き込まれたかのごとくで、しばしば台詞がそっくり消えてしまっているありさまだ。だが、彼の容姿は素晴らしい。告白するが、第5幕はあいにくと見届ける気になれなかった。ジャン・マレーが床の上を転げ回ることは、親切にも前もって教えられていたからだ。ジャン・ラシーヌの悲劇について音楽がジャンゴ・ラインハルト(注:20世紀のジャズ・ミュージシャンでギタリスト。ジプシーの伝統音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィングの創始者)とあっては、なおさらのこと早々に退散する気になっていた」(アンドレ・カストロ)マレーの美貌を絶賛した批評家も。「頭のてっぺんからつま先までミケランジェロ的な、極端なまでの美貌」(ロジェ・ランヌ)もちろん、演出の意図をストレートに汲み取って、好意的な記事を書こうとした批評家もいた。「装置は瞠目すべき偉大さ。馴染みにくいラシーヌの作に、これほどまでの悲劇的美をたたえた枠組みは誰しも想像できない。すでにジャン・マレー氏は、昂揚感の陰に秘められた激情や荒々しさを表現しているが、また、危険な惑わしの妖精の姿を見事なまでにあらわにさせたと言える。マレー氏は、この上なく優雅で、生硬で、激情的で、父親殺しを常に念頭におき、他を苦しめながら、自らも深く苦悩しているオレストをきわめて正統的に造形した。偉大な悲劇俳優のみが到達しえる凄絶な悲劇美にマレー氏も到達した」(ジャック・ド・プレサック)。ところが、この記事、新聞が掲載を拒否した。怒ったプレサックは辞表を提出した(えらいぞ! さすがパリの批評家!)。それについて、新聞は「ド・ブレサック氏は一身上の都合により、演劇欄の執筆陣から離れた」と発表した。こうしたパリの批評家を文章を読むと、日本にはいかに批評文化が根づいていないかがよくわかる。日本の新聞・雑誌にのる舞台批評はすべて、Mizumizuに言わせれば「記述(ディスクリプション)」であって、「批評(クリティーク)」ではない。ロブローは同性愛者に対する偏見丸出しだし、カストロは若く美しい役者は大好きのよう(しかも男性の太腿にはウルサイ?)だが、台詞まわしは朗々と声が響きわたるような伝統的な手法でないと受け入れられないらしい。プレサックはマレーの演劇世界が非常に気に入ったということだろう。どの評論も主観には違いないが、それぞれ独自のモノの見方を、独特の修辞で読ませていく手法には相当の工夫と洗練がある。日本の批評は、主観に傾きすぎるのを恐れるあまりか、はたまた書き手がギョーカイでの人間関係に気を使うのか、舞台の内容の説明や演出意図、宣伝の片棒担ぎのような見所紹介に留まっている。ただまあ、今も昔もパリの評論家はちょい特別であることは確か。けっこう変わり身もはやい。「批評家は絶対ならず。モノの見方は千差万別」ということを知らしめるには最高。だがもとより批評とは、そういうものではないのだろうか?ことなかれ主義の「記述(ディスクリプション)」ばかりを読まされ、「批評(クリティーク)」に慣れていない日本人は、何であれいわれのない非難に対しても免疫がなく、非常に弱い。ちょっと批判されるとまるで自分に非があるかのように反省し(あるいは反省したフリをし)、すぐに妥協して相手の機嫌を取ろうとしてしまう。さらに、新聞各紙がマレーにコメントを求めたことから、騒ぎはますます広がることになる。<続く>
2008.04.28
<きのうから続く>『悲恋(永劫回帰)』(1943年)のあと、ジャン・マレーは以前から約束のあった『カルメン』の監督の映画に1本出たきりで、次作の『美女と野獣』(1946年封切)までしばらくスクリーンから遠ざかっている。これは今では考えられないことだ。もちろん、『悲恋(永劫回帰)』の主役で一世を風靡したハンサムな俳優のところには、映画の出演依頼がひっきりなしに持ち込まれた。だが、マレーはそれらをすべて断っていた。舞台『アンドロマック』に集中するためだった。アンドロマックはギリシア悲劇にもとづくラシーヌの古典。もともとは若手俳優が上演を企画し、マレーにオレスト役と演出をやってくれないかと申し込んできたもの。『ブリタニュキス』上演で古典悲劇に手ごたえをつかんでいたマレーは渡りに舟と喜んだ。マレーは古典劇に新たな解釈を持ち込み、世に問いたいと以前から考えていた。それは「歌いあげるように」台詞を読む従来の朗誦法を放棄し、現代劇に近い自然な会話で劇を進行させていくことだった。ラシーヌはフランスのシェイクスピアとも称される大家だが、同時に大仰で退屈だと、若者は敬遠する傾向にあった。マレーはなじみにくいラシーヌの素晴らしさを、自分と同じ若い世代にも知ってほしいと考えていた。だが、マレーによれば稽古は苦難の連続。最大の問題は、プリュス役のアラン・キュニイが演出家ジャン・マレーをさっぱり信用しようとしなかったこと。キュニイはカルネの『悪魔が夜来る』に主演しており、マレーが『悲恋(永劫回帰)』でフランス一の人気俳優になる前は、もっとも人気のある俳優に選ばれたこともあった(キュニイは1974年『エマニュエル夫人』にもマリオ役で出ている・笑笑)。キュニイはコクトーともわりに親しく、1942年の『幽霊男爵』(監督ポリニー、台詞コクトー)にも出ている。キュニイが個人的にコクトーに映画の役作りや監督との関係について相談に来ていたことは、コクトーの『占領下日記』にも出てくる。(もちろん、コクトーが『幽霊男爵』に『悲恋(永劫回帰)』ほど力を入れていなかったことは日記を見ても明らかだが)。『アンドロマック』でマレーがキュニイに注文を出すたびに、キュニイは疑り深い目でマレーを見る。まるでキュニイを下手に見せようとマレーが企んでいるのではないかと疑っているように。マレー自身はキュニイの演技力を高く評価していたのだが、彼からの信頼の欠如に悩まされた。キュニイの猜疑心の強い性格は、コクトーも気づいていた。『占領下日記』で、「キュニイはむしろ高貴な農民。ジャノのもつ騎士の純粋さを彼は理解できないだろう」と書いている。ちなみに、キュニイはコクトーの最晩年になって、新聞のインタビュー記事でコクトーの悪口を一方的に並べ立てて、コクトーを驚かせている。マレーは自身の役作りにも熱心に取り組んでいた。こだわったのは小道具の杖の使い方だった。自宅で、杖のかわりに箒(笑)の柄をにぎって、肩にのせ、背後で右や左に持ちかえたりしながら、人や物を指すために活用した。この独特のゼスチャーを繰り返し練習し、ある程度自信ができたところで、コクトーの意見を聞くことにした。マレーの実演をじっと見つめるコクトー。「素敵だよ。これまでどんな役者も、杖をそんなふうに使おうなどとは考えなかった。君の手にあると、その棒も高貴なものに見える(つーか、箒なんですけど?)」「使いすぎていないかな?」「そんなことはないさ」「実は、ちょっと問題があるんだ」「問題?」「この箒でずっと練習してきたから、長さや重さにすっかり慣れてしまった。別の杖だとうまく扱えないかもしれない」「うーん」考え込むコクトー。「よし、じゃあ、ピカソのところへ行こう」コクトーはマレーを連れてピカソのアトリエに赴き、事情を説明した。ピカソはすぐに、箒の長さと重さに合わせた鉄製の杖を自ら焼いて作ってくれた。「以前、ジャン・ピエール・オーモンに官杖の扱い方を教え込もうとしたことがあったんだけれどね」と、コクトーはマレーに話している。「彼の不器用さときたら天下一品でさ。演出家はとうとうこう言ったんだ。『君は官杖をしっかりもって、絶対に振り回すなよ。でないとみんな目を潰されちまう』って」マレーにとっては苦難の連続だった稽古も、どうやら満足のいくものになってきた。そこでマレーは、コクトーに稽古に立ち会ってくれるよう頼む。稽古を見たコクトーの言葉は確信に満ちていた。「ジャノ、君の権威、君の独創性には驚いたよ。君が演じ出すと、テキストは熱を帯びてくる。これは君以外には作り出すことのできない人格だ」(つーか、他の役者さんはどーだったんでしょう? コクトー先生)「ジャンの絶賛により、私はもう誰も怖くなくなった。私の唯一の目的は、私のすることを彼が好ましく思ってくれることだった」(マレー自伝より)いよいよ初日。だがもちろん、対独協力派の天皇アラン・ロブローが天敵ジャン・マレーの舞台をつぶすべく、周到に計画を立てていた。<明日へ続く>
2008.04.27

<きのうから続く>1943年10月、『悲恋(永劫回帰)』は封切られると同時に爆発的なヒットとなった。初日、ラストシーンで観客がスタンディングオベーション。評判が評判を呼び、映画館の前は長蛇の列。列は日に日にのび、入り口に公安機動隊が配置される事態に。「ジャン・コクトーとジャン・マレーと聞いただけで、吐き気がする」(こういう人も多かったのだ。いくらコクトーが「ジャノはぼくの息子」とか言ったって、世間様はそうは思わなかった↑ジャン・コクトー美術館のウェブページにある写真。父親が息子を見つめる目つきにはどーしても見えませんが、コクトー先生)と言っていた評論家も、「ラストシーンは感動的」と称えた。「コクトーとマレーが関係しているにもかかわらず、映画は素晴らしい」と書いたアンチもいた。モンパンシエ通りのコクトーとマレーのアパルトマンの電話は鳴り止まず、毎日300通以上のファンレターが届くように。マレーの美貌は、「民衆の中から突如現れたアントニウス」と絶賛された。そう、コクトーが『悲恋(永劫回帰)』を書いたのは、マレーを誰もが認める大スターにするためだった。そのために、コクトーは他の仕事はまったく入れずに、長い時間をかけ、何度も推敲して台本を仕上げた。その苦労が報われた喜びをコクトーは日記にこんなふうに記している。1943年10月20日 『悲恋(永劫回帰)』の成功は、一般大衆と愛好家を融和させることを狙っていただけに、ぼくには感激だ。目的は達した。ジャン・マレーは大スターして認められた。(ジャン・コクトー『占領下日記』より)さらにコクトーは日記中で、なぜか(苦笑)マルセル・カルネに一方的な勝利宣言をしている。カルネは以前マレーが憧れていた映画監督で、一時は独占契約を結んで映画デビューを考えていた。コクトーに台本を依頼し、カルネ監督で撮るはずだった映画のために、マレーはコメディー・フランセーズを舞台を踏まずに去るハメになり、マレーのためにコクトーが韻文で書いた『ルノーとアルミード』にも出ることができなかったのだが、そのカルネの映画は結局ドイツ当局の許可がおりずに撮影に入れなかった。困惑したカルネはマレーに、「君の気に入った映画があったら出てくれていい。いずれ一緒に映画を撮ろう」と約束する。それで、マレーは『燃える館』を経て『カルメン』『悲恋(永劫回帰)』を撮ることになったのだが、カルネはカルネで『悲恋(永劫回帰)』封切の前年『悪魔が夜来る』で高い評価を得ていた。ところが、この『悪魔が夜来る』、鼓動する心臓や彫像、不動化する人物などがコクトーの以前の作品『詩人の血』と似ているのではないかという話になった。コクトー自身は何も言っていないにもかかわらず、「コクトーはカルネに真似されたとぼやいている」などとあちこちのメディアが書きたて、カルネがコクトーによそよそしくなる。さらに『悪魔が夜来る』以上に観客を動員した『悲恋(永劫回帰)』を見て、今度はカルネが、「ユベール(注:『悲恋(永劫回帰)』のカメラマン)はぼくの真似をしている」と言い出したことに、コクトーがカチンとくる。「『悲恋(永劫回帰)』と『悪魔が夜来る』のイメージはまったく違っているのに、何を言っているのか。『悲恋(永劫回帰)』の最中には、『悪魔が夜来る』にぼくが抱いた嫌悪感が、ぼくを導いてくれたことがしばしばだった、ぼくにとっての問題は、カルネの無数の失敗に断じて落ち込まないことだった。カルネはのあの冷ややかな『詩的』物語では絶対に観客を熱狂させられなかった。『悲恋(永劫回帰)』の観客は、涙を浮かべ、感動して出てくる」――コクトーとカルネの間に生まれた溝ゆえか、はたまたコクトーと組んだ主演作品がカルネ作品以上のヒットとなったためか、マレーはその後カルネの映画にはなぜか出演していない。マレーはマレーで、『悲恋(永劫回帰)』の空前のヒットを見て、1939年対独宣戦布告の日にコクトーがマレーに送ってくれた手紙を思い出していた。「善良で勇敢なジャノ、ぼくにはわかっている。これからもぼくたち2人は、寄り添ってあまたの奇跡を生きるだろう」その奇跡がまた1つ現実のものになったのだ。「ジャンには未来を読む力があるんだ」――マレーのコクトーに対する尊敬の念はますます高まった。だが、この大成功は2人のプライベートな生活をほとんど崩壊させてしまう。電話だけでなく、呼び鈴も鳴り止まない。マレーの若い女性ファン、コクトーのファン(は、主に役者・芸術家志望の少年)がひっきりなしにやってきて、コクトーはまったく仕事に集中できなくなる。ことにサインを求めるマレーの少女ファンは執拗だった。彼女たちは早朝から深夜まで2人のアパルトマンの真下にたむろし、奇声を上げ、茶番を演じる。マレーの部屋はパレ・ロワイヤル庭園に面した中二階にあったので、庭園から中が見える。呼び鈴が鳴る。マレーが玄関を開けに行く。それを見て公園のベンチにいる少女たちがドッと笑う。ドアを開けるとサインをねだられる。サインをしてマレーが部屋に戻る。また呼び鈴。同じことの繰り返し。ついにブチ切れたマレーが、「消えちまえ!」とどなると、さっそくコクトーがお説教。「この職業を選んだのは君だよ。にこやかに彼女たちの敬意を受けるべきだ。たとえいたずらであっても、挨拶には違いないだろう」そのコクトーも『占領下日記』では、マレーファンの無遠慮ぶりを手厳しく批判している。「ジャノを見つけると、ドッと群がってくる少女たちは、ぞっとするほど淫ら」「ジャノとぼくがコメディ・フランセーズから出て、たった数百メートル歩いただけで、人が群がって一緒に歩いてくる。ジャノはサインぜめ。いつまでサインをしているのだろう」。マレーも常に部屋のカーテンを閉めておかなければならなくなった。そんなある日、コクトーがシャンゼリゼでフランス国旗を押し立てて行進していたドイツ兵についていたデモ隊(つまりはフランス人の民間人)から暴行を受け、失明寸前の大怪我を負うという事件が起こる。もちろん屈強なマレーがそばにいれば、そんな目には遭わなかっただろうが、あいにくその日はコクトー1人だった。さらにコクトーは、長年の友人であったドイツ人彫刻家アルノ・ブレーカーとの交友が問題視され、レジスタンス側からも糾弾されるという四面楚歌状態に。だが、どんなに批判されようと、コクトーはブレーカーとの交流をやめようとはしなかった。個人と個人の友情は政治とは無関係――それがコクトーの一貫した信念だった。追い討ちをかけるように、ロブローを中心とする対独協力派が、ますますコクトーとマレーに対して弾圧的な批判をエスカレートさせていった。新聞紙上で猛威を振るう自分たちへの誹謗中傷に堪忍袋の緒が切れたマレーは、「今度はロブローを殺す」と心に決める。そんなマレーの思いつめた気持ちに、コクトーはなぜかまったく気づかない(笑)。コクトーの関心は次のマレーのための戯曲に向いていた。だが、周囲の他の友人は気づいていた。彼らはマレーに、「アリバイ作りのため」と言ってブルターニュ地方へコクトーともども誘い出す。実際には、マレーに思い止まらせるためだった。「ロブローを殺して、君が銃殺刑になったらどうする? アイツにそんな価値があるかよ」マレーが殺人犯にならずにすんだのは、こうした友情があったからだ。<続く>
2008.04.26
<きのうから続く>『悲恋(永劫回帰)』のラストシーン撮影は、マレーとソローニュにとっては肉体的に過酷なものになった。まず最初に撮ったときは、カメラを持ち上げるクレーンの設置がうまくいかず、後退して撮るべき部分が真上から見下ろすかたちになってしまった。そこで移動レールを敷設しなおすことに。偶然生まれた時間のロスを利用して、スタッフが漁網や小舟などの小道具を取りはずし、何もなくなった空間に2人の死を見せる場面のバランスの調整をする。翌日再度同じシーンの撮影。マレーとソローニュが横たわっているのは実はひっくり返した小舟の上。さらにそこに漁網がかぶせてある。もちろん寝心地(笑)は最悪。なぜ小舟を裏返しにしたかというと、それは、その形が王家の紋章のイメージになるというコクトーの発案による。ラストシーンは観てる側には短いが、撮影はセットの小道具や何艘もの舟を片付けながら進めていったため、都合2時間以上かかった。その間マレーとソローニュは衣装の襞ひとつ乱してはならない。埃が舞い上がる不快な空間。不安定な小舟によれた漁網。2人は背中がひどく痛んだという。本番の途中でアークが飛び、修理に15分。撮影が終わると、今後はスチール撮影。ようやくライトが落とされたときには、2人の体力は限界を超えていた。見かねたコクトーが監督のドラノワにマレーとソローニュをねぎらってやってほしいと頼み、ドラノワがあわてて2人の控え室に抱擁に行く一幕も。病み上がりのコクトーも「すっかり疲労困憊した」と『占領下日記』に書いている(つーか、コクトーはいつも体調が悪くて疲れている)。さらに日記には、もっとも力をこめて脚本を書いたシーンの撮影を終えたコクトーが、「未来の人々」にあてて書いたと思われる不思議なメッセージがある。封切を4ヵ月後に控えての日記なのに、公開当時お客として想定していた若者ではなく、会うこともない未来の若者へあてた伝言。それがまるで不思議な暗号のようにこちらに届いた。コクトーはこの作品がずっと残るものだということを確信していたのだ。公開する前から。そして、公開されたときの観衆の反応よりむしろ、この作品を「古いもの」として観た人々の反応を気にしている。1943年6月20日 パトリスとナタリーの死の場面は、真に素晴らしい。だがいつかこの文章を読むはずの人々に、ぼくの言っている意味がまったく分かってもらえないのではあるまいか? なぜなら、映画というものは過ぎ去っていくはかないもので、進歩に従属しているところにその弱点があるからだ。残念なことだが。しかし、ぼくが将来のすべての若者たちに生きて欲しいと願っている生の幾多の瞬間を、ぼくはあそこで生きることができた。2008年4月25日 ジャン・コクトー様 映画が進歩に従属している、そしてそこにむしろ弱点があるというあなたのご指摘はそのとおりだと思います。きのうもあるテレビ番組で、CG技術の発展がいかに近年めざましいかという話をやっていました。そうやって最先端の技術を追求することは、ある分野の進歩という歴史の流れには貢献するのでしょうが、それを1つの作品の中で追い求めれば追い求めるほど、その作品自体の命は短くなってしまいます。新奇な視覚効果は、花火のように人々を熱狂させますが、まさしく花火のようにあっけなく消え、次に新しい花火が打ちあがったときには、人はその前の花火のカタチをもはや忘れているのです。ヴィスコンティを介してあなたの世界を後継していると思われるアン・リー監督が、最新のCGや凝った画面構成を駆使し、巨額の資金を投じて作った大作『ハルク』がすでにほとんど忘れ去られ、しっかりした原作、緻密な脚本のうえに、美しい自然と若い俳優の体当たりの演技で作った『ブロークバック・マウンテン』が、批評家からも一般観客からも広く高い評価を得たのがその好例でしょう。リー監督が次に多額の資金を投入したのは、最新の技術に対してではなく、過ぎ去った時代、在りし日の上海の街をよみがえらせるためのオープンセットにだったというのは象徴的ではないでしょうか。あなたがたが『悲恋(永劫回帰)』を撮った当時とは、比べ物にならないほど映像技術が進歩している2008年の東京に生きる者として言いますが、ナタリーとパトリスの死の場面は、技術の進歩によってその価値が毀損される結果にはなりませんでした。むしろ、その逆。現代建築に取り囲まれて生きている人間でも、時代を超えて残ってきた中世建築の美しさには十分に感動できるし、今の時代にはない、過去の人々の美意識の高さに圧倒されるのです。技術の進歩は俳優の演技力や、もしかしたら監督の力量さえ相対的に弱いものにしてしまっています。今日的には、そちらのほうが問題でしょう。いつの時代でも人をもっとも感動させるのは、「人による巧みの業(わざ)」――映画であれば俳優の演技にほかならないと思うのですが。もうひとつ、「パトリスとナタリーの死の場面」の素晴らしさが理解できないとすれば、それは技術ではなく、人々の精神、美しいもの美しいと感じる感性の問題でしょう。いくら真に美しいものが目の前にあっても、それを理解し、受け止めるだけの精神がなければ、豚に真珠をかざしてみせるようなものなのです。あからさまでない美、伝統にのっとった美を理解するためには、観るほうにも訓練が必要であるということを、ほとんどの人々は理解しようともしません。感性の鈍化だけでなく、今の平和な日本では精神の後退が顕著に進行しています。古い名作を見て単純に思うのは、「昔の若者はなんとオトナだったのだろう」ということです。現代では『悲恋(永劫回帰)』は若者の映画ではなく、オトナのための映画でしょう。『悲恋(永劫回帰)』が公開されたのはナチスドイツからの解放直前のパリ。若者は爆撃の音を聞きながら、こぞって映画館に足を運び、この真に審美的な映画を観ていたのですね。今の日本には、当時のパリの若者が体験していたような凄惨なドキュメンタリーはありません。爆弾で死んだり、ゲシュタポに拷問されたり、銃撃戦に巻き込まれて命を落としたりなどというのは想像の外の出来事です。けれども、長い平和の中で人々の精神は明らかに退化し、若者たちはより幼稚になってしまいました。現実離れした刺激に慣らされ、たとえば『悲恋(永劫回帰)』の小人の母親ゲルトルートに見るような、人が人として当たり前にもっている良心ですら陳腐なものと軽んじられ、ただ単に自分が「取るに足らない存在ではない」と思いたいがためだけに、取り返しのつかない犯罪に走る若者さえ後を絶ちません。あなたの作品が今日的に意味があると思うのは、それはコクトー・ワールドには『異邦人』がいないということでしょう。親は死んだけど遊びに行こう、たいした理由はないけど人を殺してみよう。今の世の中は不条理な「異邦人」があまりに増えてしまいました。理不尽な突然の死に際して、誰も恨まずにただナタリーだけを求めたパトリス。最愛のパトリスに本当の自分の気持ちを知ってもらうこともできずに彼を失いながら、「パトリス、私よ」とささやいてすべてを受け入れるナタリー。そんな2人のそばで涙を浮かべるマルクとリオネル。パトリスの死という重大な場面では、自分のささいな復讐心を捨て去る「選ばれなかった」妹ナタリー。自分の撃った弾でパトリスが死ぬとは、まさか想像もしていない小人のアシール。登場人物の純粋さや、人としての最低限のモラルは、彼らのもつエゴイズムとは矛盾せずに成立しています。そこに私は、あなたの深い人間観察と成熟した精神を見るのです。「ぼくに加えられているほどに執拗な攻撃は、かつて文学の世界には皆無だったとばくは確信している」「ぼくが接触を願っている人々の魂のどれだけ多くが、ぼくと触れ合うことなく終わっていることだろう」「ある攻撃が幾度も繰り返されれば、結局人々の精神はそれに影響されてしまう」「自分についての誤解とデタラメを雪崩のように浴びせられる。これは夢なのか現実なのか」「大衆はなぜデマなしに生きられないのか」といった『占領下日記』の記述から察してあまりあるほどに、常に人々の悪意に曝露され、理解されない孤独感に悩んでいたあなた。そんなあなたが、作品の中ではある一定のモラルから絶対に足を踏み外さなかったのは、世間の誤解に対するあなたなりの応答でもあり、挑戦でもあったのでしょう。「ぼくの唯一の目的は、けっして悪意をもって行動しないこと、苦痛を他に及ぼさないこと、周囲の人々に悪い手本となるものは片鱗すら見せないことだ」――あなたとそうした姿勢と意思こそ、実は今、若い世代にもっとも教えるべきことであり、「すべての若者たち」があなたが生きて欲しいと願った「生の幾多の瞬間」を生きるために、必要な力なのではないかと思うのです。
2008.04.25

<4.21のエントリーから続く>パトリスの隣りに横たわったナタリーが息を引き取ると、カメラが上昇して、空中を後退する。その間に漁師小屋にあるごたごたした漁具や小舟がだんだんと消滅。2人はいつの間にか中世の簡素な王宮か教会に安置されている。明らかにいにしえのヨーロッパの王の墓舎のイメージだ。このシーンは、コクトーがワグナーの『トリスタン』を何度も聴きながらイメージをふくらませて書いたという。2人をマントとシーツで覆ったのは、撮影に合流し、現場にいたコクトー自身。幾重にもなった襞がとても美しく、パトリスとナタリーを高貴な存在に見せるのに一役買っている。まさしく、墓舎に刻まれた彫像と化している。初期ゴシックを思わせる簡素な建築様式の空間。内部には陽光が差し込み、光と影のコントラスト以外は何もない。ブルターニュかノルマンディーであろう漁村の漁師小屋がいつの間にか中世ヨーロッパの王宮(もしくは教会)になり、しかも窓の向こうにはアルプスのような山並みが広がっている。この建物自体はモンサンミッシェル内部と共通するようにも思えるのだが、窓の向こうの風景はむしろルートヴィヒ2世の白鳥城からの眺めに似ている。そしてジョルジュ・オーリックが担当した音楽は、どこかバロック的だ。視覚的にも聴覚的にも極めてヨーロッパ的な美学を凝縮させ、時間と空間を飛び越えたこのファンタスティックなラストシーンに唖然となったところで、FINの文字。今、「ヨーロッパ的美学」と書いたが、これはあまりに舌足らずだろう。このラストシーンの美学はもっと限定することができる。それはイタリアを中心とする地中海文明の伝統に立脚したヨーロッパではなく、アルプス以北の中世の西ヨーロッパだ。ゴシック、バロックはイタリアから見れば「gotico 理解しがたい」「barocco 奇妙な」もので、伝統的なイタリアの美学とははずれたものだった。『トリスタンとイゾルデ』の物語はそもそもケルト文化にそのルーツがある。だから、いわゆるギリシア・ローマ神話を生んだ地中海世界の伝統を受け継いだイタリア的ヨーロッパとは一線を画している。地中海文明とケルト文明というのは、西ヨーロッパ文化の2大潮流だといってもいいかもしれない。コクトーの『悲恋(永劫回帰)』には、アシールに見るようにギリシア神話のエッセンスも混ざってはいるが、明らかに「アルプス以北」の美学がメインストリームとして流れている。どこまでもイタリア的だったヴィスコンティの美学とは明確に違う。こうしたヨーロッパの風土差が芸術家にもたらす影響も個人的には非常に面白く見た。実際、ジャン・マレーは「アルプス以北」であるドイツで非常に人気があった。ドイツで俳優に与えられるオスカーともいえる「バンビ賞」を4度受賞し、1958年にはベルリン国際映画祭で審査員も務めている。もちろん、ドイツでマレーが知られるきっかけになったのがこの『悲恋(永劫回帰)』。日本やアメリカでは『美女と野獣』のほうが人気があるが、ドイツやフランスでは圧倒的に『悲恋(永劫回帰)』のほうが受けた。ごく一般の日本人にはこの「アルプス以北」のヨーロッパ美学がおそらく理解できないのだろうと思う。ことに中世のヨーロッパ建築というのは、現地に行かなければ見ることはできない。建築はもって来るわけにいかないからだ。絵画を通してのヨーロッパの伝統なら容易に、そして巧みに理解した日本人だが、建築に関しては興味と知識がすっぽりと抜けている。『悲恋(永劫回帰)』が公開された当時の日本人がこのラストシーンを見ても、おそらくその伝統美、その時空を超えたアイディアの巧みさにはまったく思い及ばなかっただろうと思う。だが、『悲恋(永劫回帰)』が非常にうまくできた映画だと思うのは、こうしたわかりにくい美学を内包しながら、一番目を惹く「ファッション」の面では、非常に現代的で若者にアピールするよう考えて作っていることだ。コクトーも主人公2人には最新のモードを着せるよう指示している。流行が戻っているのか、たった今見ると『悲恋(永劫回帰)』のモードは古さを感じさせない。ナタリーのAラインの膝丈のスカートや、女の子らしいフリルはあえて使わずにトリムでエッジを縁取るなどしてスッキリさせたデザインの衣装は、とてもエレガントでオトナっぽい。パトリスの衣装の力の入れ方は異様なほど(笑)。ジャン・マレーという俳優が、ことに若いころ衣装に非常にこだわっていたことはコクトーの『占領下日記』にもその一端が垣間見れる。コクトーと仕事をし始めたころ、マレーはまだデュランの演出する舞台にも立っていたが、そのデュランからあてがわれた「衣装が嫌だと言って、着ようとしない」とある。また、マレー自身が演出したある舞台劇では、デザイナーがもってきた衣装を、マレーが目の前でビリビリ切り裂いて短くして別のものに作り変えてしまい、デザイナーがガッカリしている様子もマレーの自伝に書かれている。そんな、ファッションにうるさいマレー君だが、『悲恋(永劫回帰)』での彼の衣装は、今風に言えば、まるでグラビアのよう。まずは腿のふくらんだ乗馬スタイルのズボンに長めの皮のブーツ。パリッとしたオープンシャツを着て、これに浅いVネックのジャーキンを合わせることも。乗馬シーンでは髪はふわりとまとめている。ディナーのシーンではツイードのスーツ。髪はポマードでわりあいきっちりかためて、年以上に落ち着いて見える。ナタリーとのシーンでは北欧風デザインのジャカード織りプルオーバー(これが公開当時若者の間で流行したのはすでに書いたとおり)、髪はすこし前髪を垂らして若々しさを強調。山小屋から出て行くときはおしゃれなミリタリー風のマント着用(苦笑)。リオネルの工場では一転してツナギの作業着姿。髪はバラけて額にかかり、めくった袖からたくましい腕が見え、それでグイグイとこともなげにジャッキを動かし、筋肉好きにも巧みにアピール(?)。瀕死のシーンでは、なぜか相当薄着。大理石の彫刻が薄い衣をまとっているよう。髪は流れて長髪のようになっている。これだけファッションにこだわった映画をモノ不足の占領時代に撮るとは、フランス人の面目躍如といったところだろう。豊かなハズの今の時代の若者のファッションのほうが安っぽく見える。いつの時代も若者はファッションに敏感だ。『悲恋(永劫回帰)』は、まるでファッションショーのようにマレーにいろいろな衣装を着せ、その美貌を際立たせることで、彼をスターにすべく作られた映画であることもよくわかる。実際、コクトーはマレーの前作『カルメン』を見て、「このラストシーンはもっとジャノのアップを長くすべきだった。カメラを引いてしまったのは失敗。感動がそがれた」などとマレー中心主義(苦笑)の感想を書いている。この『カルメン』分析はおそらく、後にコクトー自身が監督する『美女と野獣』に生かされたのだろう。そもそもこの『悲恋(永劫回帰)』を最初に見たときは、29歳のマレーのあまりの美しさに度肝を抜かれ、他は何も眼に入らないうちに終わっていた(笑笑笑)。よく考えれば29歳(しかもすぐに30歳になる)という年齢は外見を売りにするには少し遅いような気もする。マレー自身が「フォンダンのようだった」という24歳当時、「彼は美しい。それがすべて」と新聞紙評に書かれた初コクトー演出舞台のときは、どんなンだったのだろう。ごくごく一部しか映像が残っていないのは、やや残念。<続く>
2008.04.24
2008.4.22 日暮里のびぶらアート劇場でバリトン歌手青戸知(あおと・さとる)の独演コンサートに行った。わずか100席の小さなコンサートだが、質的には世界最高峰だったと言っていいかもしれない。青戸知の美声に驚いたのは、先日もエントリーにのせた2002年の新国立劇場での『サロメ』だった。ちょうどチューリッヒ歌劇場で『トスカ』聴いたあとで、オケの実力差はまざまざと感じざるをえなかったのだが、歌手に関して言えば、チューリッヒではルッジェーロ・ライモンディだけが突出していて、他はどうということはなく、新国立劇場の歌手の実力は決してチューリッヒにひけをとるものではなかった。中でも青戸演じるヨハナーンは、「ヨハナーンがこんなにリリカルで若々しく、健康的でいいのかい?」と戸惑うくらい、つまりちょっと違和感あるくらい、暗さのない伸びやかな美声を響かせていた。役に合っているいないかは評価が分かれるところだろうが、個人的にはたいそう気に入ってしまった。ヨハナーンの定番イメージをくつがえすに足る声、それもとびきりに美しい声だった。それからしばらくたって、偶然NHKの『名曲アルバム』で、信じられないくらい甘美で若々しく、希望にさえ満ちているような"Gute Nacht"が流れてくるのが耳に入った。Gute Nachtは言わずと知れたシューベルトの『冬の旅』の一曲。女性に振られた男性が彼女の住む家のドアの前でひそかに別れを告げて去っていく歌だ。こんな声の持ち主は、あのヨハナーンしかないのではないか。そう思ってみたら、案の定だった。NHKの人材を見る眼には感服する。誰が選んでるんだろう。マーラーで知られる青戸に、シューベルトのこの"Gute Nacht"を歌わせるなんて、あまりにツボでびっくりしてしまった。おそらく『冬の旅』の中でもっとも青戸に合っているのが"Gute Nacht"だろう。しかもそのおかげで、青戸版『冬の旅』全曲も聴いてみたくなってしまった!シューベルトの『冬の旅』は、日本では『菩提樹』の格調高く重々しい名訳のイメージがあまりに強く、ジジイが自分の人生を振り返ってる歌だと誤解されている。まったく違うのだ。『冬の旅』はマイスターを目指す若者のさすらいの旅の歌であり、精神的には挫折感と絶望感に悩みながらも、肉体的には死に拒否されている生命力が裏にある。日本ではジジイの曲になってしまった『菩提樹』も、早いところ木々のささやく「安らぎ(つまりはラクな人生)」に背を向けて、風に向かって進もうとする若者の意思的な歌に戻して欲しい。"Gute Nacht"も沈鬱な歌唱、もしくは繊細な歌唱が多いが、青戸の歌唱はまったく異色だった。彼の声には希望と意思の力がある。声の張りと伸びやかさが、従来の失恋の歌のイメージをくつがえす。バリトン歌手としては珍しい明るさ、それが青戸の天性の魅力なのだ。この天性の明るさをもった声で、屈折したキャラクターを演じると、そこに不思議な齟齬が生まれる。評価しない人もいるとは思う。だが、陰りのある性格を極限まで陰に演じることだけが、オペラの役づくりではない気がする。青戸の声のもつ純粋さが、屈折した、あるいは倒錯した役に、他の歌手では出せない奇妙な味を与えているように思うのだ。今回のコンサートで歌ったフィリップ・グラスのアリアもそんな系譜に位置づけられる歌唱だと思った。つまり、普通の人が屈折だとか倒錯だとか思う性格も、本人にとっては生来であり、その意味では純粋なのかもしれない。常軌を逸した理屈を切々と訴えるPlease listen to me。これを聴くと、悪魔も善い行いができないという意味で、純粋な性格なのかもしれない、そんな解釈があってもいいのではないかと思った。狂気の世界、倒錯した世界を青戸のひたすら明るく伸びやかな声で押しすすめたら、ぞっとするような新境地が拓かれるかもしれない。今回のコンサートにはプレトークがあり、それがとても興味深かった。当初、青戸はグラスのこのアリアがなかなか歌えなかったという。まるで氷の上をすべっていくように、リズムが自分から離れていってしまう。そんな試行錯誤のなかで、青戸はグラスの旋律がどこかで自分が体験してきた音楽に似ているということに気づく。それは得意のマーラーの「大地の歌」だった。そこで「大地の歌」を先に練習し、それからグラスの歌曲に入ったところ、自然に歌えるようになったという。さらに、グラスについてのドキュメンタリーを見て、グラスが独学で作曲を学んでいたとき、マーラーのシンフォニーをひたすら写譜していたことを知ったという。「大地の歌」は中国の漢詩をもとにしているが、グラスも東洋に興味があり、インド音楽、特にシタールの音色を自らの音楽に取り入れている。グラスとマーラーはそんなふうにつながっていたのだ。ちょうどヴィスコンティとコクトーのつながりについてブログで書いているところので、奇妙な符合にちょっと慄然となった。今回のコンサートでは、そんなグラスのアリアを歌ったあと、青戸の真骨頂であるグスタフ・マーラーの『さすらう若人の歌』が来た。「他に比肩するものがない」と絶賛されているというだけあって圧倒的に素晴らしい。今回のコンサートで一番感動したのは、「燃えるような短剣を持って」のひたすら男性的な歌唱。う~、もう一度聴きたい!! いや、何度でも聴きたい!!!しかし、こんなに凄い歌手のCDが一枚もないとは…… ホームページもないのでコンサート情報や出演オペラを調べるのにえらく苦労する。一般人はなぜかテノールばかりに夢中になる。CDにしろ、コンサートにしろ、オペラの「歌手」として人気があるのはテノールばかり。本当のオペラの屋台骨はバリトン歌手なのに。青戸の現在の魅力は、バリトンの大御所のような重々しさではなく、若さと明るさにあると思う。ライモンディのような悪魔的な魅力でもなく、クルト・モルのような深遠なる重厚さでもないが、デビュー10年の今の青戸知にしかないエネルギッシュな魅力。こうした個性は年齢とともに変わっていく。他の魅力が加わるにせよ、今の青戸の「常に希望と若々しい意思を感じさせる」歌唱は失われるかもしれない。だがら、ぜひとも今の青戸の歌唱をCDで残してほしいと思う。青戸は今回、マーラーの音楽についても解説してくれた。あまりにおもしろいので、勝手に(苦笑)簡単にご紹介。マーラーの音楽の特徴の1つに、「やわらかいリズム」があると青戸はいう。なぜマーラーを聴いて「やわらかい」印象を受けるのか? それはマーラーの音楽には、大きく分けて3つの「仕掛け」があるからだ。(1)アルペジオ(2)フェルマータ(特に小節と小節の間の)(3)トリルアルペジオは、擬音であらわすと「バーン」という音を、「ジャララララーン」と変化させる。フェルマータは音楽の流れに一瞬の「間」を生じさせる。トリルはすっきりした旋律を、いわば「ぐじゃぐじゃ」に変形させる。この3つの「仕掛け」がマーラーの音楽には綺羅星のごとく使われており、それらの効果でマーラーのリズムは「やわらかく」聴こえるのだという。そしておそらく(ここからはMizumizu理論)、青戸知という東洋に生まれたバリトン歌手の声のもつ伸びやかさとマーラーのリズムのもつやわらかさが、時を超えてピッタリと寄り添い、さすらう若人の歌=青戸知という幸福なコラボレーションになったのだろう。今回歌った『亡き子をしのぶ歌』については、青戸はずっと歌うのを避けていたという。これはマーラーが娘をなくしたときに作った曲で、2人の子供をもつ父親である自分にとっては、ある意味「縁起が悪い」からだ。だが、そんなジンクスめいたことにこだわるのは芸術家の姿勢とはしては好ましくないのではないかと思うようになり、いわば封印をといたのだという。個人的にはこの歌唱は、将来の青戸知にとっておいてもいいかな、という気がした。もちろん、悪い意味ではない。青戸の今の一番の魅力は、悲劇があってもそれを寄せ付けないような、みずみずしい生命力にあると思うからだ。こうした個性をもったバリトン歌手は、世界広しといえども、ほとんどお目にかかったことはない。東京が世界有数のオペラ消費都市であることは間違いないにしても、青戸知のような歌手が日本にだけ留まっているのは、世界のオペラファンのためにももったいないことのように思えてならない。マーラー研究の話はとてもおもしろかったが、やはり歌手は、青戸自身も舞台で言っていたように、「歌ってナンボ」なのだ。美しい声質は天からの贈り物だが、テクニックはもっと向上させることができるはず。それは地上での作業だ。ぜひ、ザルツブルクでも、バイロイトでも歌ってほしい。その日が来たら…… もちろん追っかけますとも! もちろん、パリ、ウィーン、チューリッヒ、ミラノ、パレルモ、どこでもOKだけれど。XXXXXコンサートの楽曲は以下のとおりXXXXグスタフ・マーラー 《亡き子をしのぶ歌》 1 今太陽は輝き昇る 2 今にして良くわかる、なぜそんなに暗いまなざしか 3 おまえのお母さんが 4 よく思う、あの子たちは、ちょっと出かけているのだと 5 こんな嵐の日にはフィリップ・グラスオペラ「流刑地にて」からアリア Please listen to meグスタフ・マーラー《さすらう若人の歌》1 恋人の婚礼の日に2 朝の野辺を歩けば3 燃えるような短剣を持って4 二つの青いひとみ アンコールシューベルト An die Musik
2008.04.23

ジャン・コクトーの映像世界では、同性愛的な要素も近親相かん的な要素も決して露骨ではなく、ほのめかされているだけだった。ところが、ヴィスコンティは『山猫』でカンヌのパルムドールを獲得し、名実共に大監督の名をゆるぎないものにして以降、露骨に退廃的で倒錯した世界を描くようになった。ヘルムート・バーガーを起用した『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』『家族の肖像』はその冴えたるものだ。先駆者がある作品でほのめかした要素を、後継者がより顕在化させていくという現象はルネサンス期の絵画に好例を見ることができる。これはレオナルドの『岩窟の聖母』(ルーブル版)。ここで描かれた幼児のキリストとヨハネは非常に刺激的なものだった。何が刺激的だったかというと、キリスト、すなわち崇拝される側が、ヨハネ、すなわち崇拝する側にそっくりに描かれているということだ。まるで双子のように、ここまでキリストとヨハネをそっくりに描いた画家はレオナルドが初めてだった。拝む側が拝まれる側がそっくり――そこに漂っているのは当然、「自己愛」の芳香だ。レオナルドは実際、非常に自己愛の強い性格だった。そうしたレオナルドのほのめかしを強く嗅ぎ取った後継者、すなわちレオナルド派と呼ばれる画家たちは、幼児2人の姿を借りた自己愛の世界をより明示的に表現するようになる。このようにキスを交わす幼児キリストとヨハネの像が、ひんぱんに描かれることになるのだ。先駆者がその作品で暗示したことを、同じ傾向をもつ後継者がより顕在化させるという図式は、コクトーと晩年のヴィスコンティにも当てはまる。また同じ現象は現在に至るまで映画の世界で頻繁に起こっている。1つエポックメーキングな作品が一世を風靡すると、類似の作品が多く作られ、もともとはそれほど露骨でなかった要素がクローズアップされ、多くは大衆の妄想と欲望に奉仕する低俗なものとなって流布される。ヴィスコンティはコクトーに共通する性愛の傾向を顕在化はさせたが、低俗にはしなかった。そこに一部はコクトーの後継者でありながら、全体としてはほとんどまったく違った精神世界を確立していたヴィスコンティの表現者としての力量がある。それでも、多分にCocteauesque(コクトー風)なポエジーに満ちた役をジャン・マレーに与えた『白夜』 が、ヴェネチア国際映画祭のサンマルコ銀獅子賞というヴィスコンティにとっては初の大きな賞に輝き、それがその後の彼の世界的な名監督としての飛躍的につながったことを考えると、コクトーという詩人の存在は、ヴィスコンティの映像世界にとっても案外大きいのかもしれない。
2008.04.22

<きのうから続く>マルクとナタリーが着いた時には、パトリスはすでに息をひきとっていた。ナタリーはパトリスに近づき、「パトリス、私よ」とささやいたあと、脇に横たわり、そのまま死んでいく。このシーン、1分近くマレーの死に顔を横から舐めるようにカメラが映し出すのだが、その美しさたるや、身の毛がよだつほど。まさに、この世のものとは思えない。上半身は衣装が半ばはだけて裸の胸が見える。眼を見開き、口は少し開いている。眼はガラス玉のよう。皮膚は少し硬直して、蝋人形か大理石の彫刻になってしまったよう。これほど真に審美的な死の演技は今まで見たことはないし、おそらくこれからも見ることはないだろう。生きているときのパトリスは、わりあいおバカでジコチューな青年だった。ところが死んだとたん、彼はまさしく神になっている。そうとしか思えない。このジャン・マレーの美貌の死に顔を見たときの衝撃に、一番近い気持ちを味わった芸術作品がイタリアのナポリにある。サンセヴェロ教会内に安置された「ベールのキリスト」だ。18世紀のジョセッペ・サンマルチーノ作の大理石の彫刻。この作品のどこが衝撃的かというと、「とても大理石とは思えないリアルさ」だ。キリストの頭がのっているクッションのやわらかそうな質感、濡れてまとわりついているような薄いベール。そして、たった今亡くなった人そのもののようなキリストの肌。それに、このキリスト、男性なのか女性なのか実はよくわからない。キリストだと知らなければマリアかと思ってしまうかもしれない。若いのか若くないのかもよくわからない。ベールでおおわれた顔はとても若いようにも見えるし、それほどでもないように見える。リアルな人間のようでいながら、年齢や性別といったものすべてを超越してしまった存在なのだ。ルーブルで「ミロのヴィーナス」やミケランジェロの「瀕死の奴隷」を見て、最上の大理石彫刻を見たと思っているアナタ! なんのなんのまだまだ、なのだ。この「ベールのキリスト」を見ずに死んではいけない。薄暗い教会内部に安置された、あまりにリアルであまりに崇高な死せるキリスト像は、日本ではそれほど知られていないけれど、まちがいなく大理石彫刻の最高傑作の1つだ。この傑作の前に立てば、必ず衝撃を受けること間違いなし。触れてみたくなる衝動を抑えるのに苦労するだろう。この「ベールのキリスト」が、大理石彫刻が人間のようになってしまった例なら、『悲恋(永劫回帰)』の「パトリス、私よ」でのマレーの死に顔は、人間が大理石彫刻になってしまった例だと言える。実はいまだに、「本当にあの死に顔はジャン・マレー本人?」と半ば信じられないでいる。そもそも人間はあんなに長く、瞳をまったく動かさす、まばたき1つせずにいられるものなのか? マレーの自伝やコクトーの『占領下日記』を隅から隅まで読んで、「実はあのシーンのマレーは蝋人形」みたいなタネあかしがないものかと探した。もちろん、そんな記述はなかった。ラストシーンの撮影では、途中停電になったりして大変だったというようなことが書いてある。映画制作の資金も不足気味だったらしいから、とうてい人間のかわりの人形など制作する余裕はなかっただろう。役者が演じるのが一番安上がりだ。のちの『双頭の鷲』も『ルイ・ブラス』もマレーの死に顔で終わるが、その原点がこの『悲恋(永劫回帰)』だろう。『悲恋(永劫回帰)』のマレーはもっとも若く、もっとも神々しい。そして、非常に驚くべきことに、この『悲恋(永劫回帰)』でのジャン・マレーの死に顔に酷似した死に顔が出てくる映画があるのだ。それは1974年封切のヴィスコンティの『家族の肖像』。演じているのは言わずと知れたヘルムート・バーガー。これはハッキリ言って、『悲恋(永劫回帰)』のマレーとまったく同じだと言っていい。顔つきから、口のあけ方、髪の毛の流れ方までソックリ。ただ死に顔のカットは『家族の肖像』のほうが短い。『悲恋(永劫回帰)』のように「美貌の死に顔で観客の度肝を抜く」ものではない。『悲恋(永劫回帰)』が封切されたのが、1943年10月。同じ年の5月に偶然にも、ヴィスコンティ処女映画『郵便配達は2度ベルを鳴らす(オセシオーネ)』が封切になっている。ヴィスコンティはこれによってネオリアリズモの旗手とされ、なまなましい男女の欲望をとおして時代の不安感を見事に描き出したと絶賛された。占領下のフランスで制作されながら、戦争の影は微塵もなく、現実と神話が入り混じったロマンチックな『悲恋(永劫回帰)』とは、ある意味まったく対照的な作品だ。ヴィスコンティとコクトーの世界がつながると、当時考えた人はいなかっただろう。だが、ヴィスコンティとコクトーは、実はジャン・マレーという俳優をとおしてずっとつながっていた。1937年、まだ助監督で映画を撮る予定などなかった31歳のヴィスコンティは、パリで24歳のマレーにイタリアでの仕事を申し込んでいる。このときのマレーはコクトーが何も言わずに2ヶ月も姿を消してしまったことで苦しんでいた。1945年には、コクトーがマレーのために執筆した戯曲『恐るべき親たち』『タイプライター』の2作を、ヴィスコンティがローマで演出・上演している。また、マレーの自伝によれば、ヴィスコンティはパリに来ると必ずマレーに連絡を寄こしたという。マレーの舞台も見に来ている。1937年のヴィスコンティのマレーへのオファーについては、ずっと不思議に思っていた。当時のマレーは駆け出しの俳優でイタリア語も話せない(ヴィスコンティはフランス語も英語も話せる)。そんな外国人俳優をイタリアへ連れて行って、何をやらせるつもりだったのか?それについては、BBCのドキュメンタリーでヒントになるかもしれないエピソードが紹介されていた。http://jp.youtube.com/watch?v=dEzVGr7kaN8この4:00ぐらいから始まる説明。ヴィスコンティとバーガーが出会ったころの話だが、オーストリアの地方のホテル経営者の両親のもとで育ったバーガーは当時学生で、ほとんどイタリア語が話せなかった。その彼をローマに連れてきて、自分の家に住まわせ、そこからヴィスコンティの生涯でもっとも長い付き合いとなる彼との関係が始まる。ヴィスコンティは演技経験のなかったバーガーに、映画でまずは台詞のある端役を与えた。4:20ぐらいに登場する、ちょっとラリった、手つきのアブナイおっさんが、バーガー本人。ヴィスコンティの誘いが非常に強引だったことがわかる。ローマのヴィスコンティ邸はまるで宮殿のようで、料理人がおり、メニューを書いた紙がデスクに置かれていた(リストランテかよ?)。8人の召使がいて、彼らはしゃべることは許されていなかった…… などなど、およそ20世紀とは思えないような貴族的(そして権威主義的)なヴィスコンティの私生活が語られる。バーガー以外にも、昔のヴィスコンティの使用人が出てきて、ヴィスコンティが毎日部屋に生花を飾るよう要求したこと、庭はいつもきれいにしておかなければならず、銀のカトラリーは常に磨いておかなければならなかったこと。そして、60年代にまだ庶民には高嶺の花だった自動車をくれたことなどが語られている。つまりそういうことなのだろう。演技経験が浅く、イタリア語が話せないというのは1937年のマレーと共通している。コクトーは皆にお金もちだと思われていたが、実は貧乏で基本的に質素だった。モンパンシエ通りの2人のアパルトマンでのコクトーの部屋はベッド1つ入れるとほかには何も入らないほど狭く(マレーの部屋はもう少し広かった)、したがってコクトーには机がなく、いつも膝の上に木の厚い板を置いて執筆していたという。ヴィスコンティは初期の映画のためにアマルトマンを1つ手放したりしているが、それでもまだまだ信じられないぐらい裕福だった。バーガーは麻薬に汚染され、『ルートヴィヒ』撮影時にヴィスコンティから様子が変だと疑われると、「役作りのプレッシャーだ」と言い張った。マレーは麻薬に汚染されることなく、コクトーの阿片中毒の治療に力を尽くしたが、逆に中毒が治ったあと1年もの長きにわたり、コクトーが何も書かなかったことで、「自分が無理やり阿片をやめさせたから、書けなくなったのでは?」と人知れず心を痛めていた。マレーの実質的な初主演作である『悲恋(永劫回帰)』とヴィスコンティの初監督作品は公開が同じ年。それから30年もたって、みんなが忘れたころ、マレー風の死に顔をバーガーを使って蘇らせている(ずるいぞ! ヴィスコンティ)。マレーも死に顔で終わる作品が多かったが、バーガーも『家族の肖像』『ルートヴィヒ』のラストは死に顔だ。ついでに言えば、『ルートヴィヒ』で王が、裸の若者の水浴びを偶然目撃して自分のセクシャリティを自覚する場面は、コクトーの『白書』で裸の作男が水場に来るのを主人公が窃視するくだりからすべり出てきたようだし、神父に懺悔することで救いを求めようとする姿も『白書』の主人公と共通している。つまり、晩年のヴィスコンティ作品は、明らかに若き日に自身が影響を受けたであろうコクトー的世界を、自らの退廃的で貴族的世界に採り入れているのだ。なんとも「永劫回帰」なエピソードだ。そういえば、ヴィスコンティがジャン・マレーをキャスティングした『白夜』のヒロインの名前は「ナタリア」だった。『悲恋(永劫回帰)』のヒロインのイタリア語読みじゃないか。マレー演じる下宿人の部屋に鏡をたくさんおいたのは、コクトーへのオマージュだし、オールセットの不思議な空間は、現実と幻想が入り混じるコクトー・ワールドの翻案とも取れる。ちなみにマレー自身は何も気づいていない(やっぱりパトリスご同様の性格のようで)。自伝で『白夜』の撮影について触れているのはたった数行。「私はヴィスコンティと撮る『白夜』撮影のためイタリアへ発った。小さな役だが、私の友人である、この偉大な演出家のために仕事するとは無上の幸福!」←これだけ。マレーは数多く映画に出ているが、コクトー作品以外だとやはり『白夜』を評価する人は今でも多い。だが、本人にとっては「小さな役」という思い出だけだったようだ。マレーの情熱は映画よりも常に舞台にあった。マレー風の死を演じたフランスの美男俳優がもう1人いる。それはアラン・ドロン。オムニバス作品『世にも怪奇な物語』中の『影を殺した男』でのドロンのラストシーンがこれ↓。バーガーほどはソックリではないが、やはりマレー風の死に顔だ。しかし、演技はひどい。死んでいるのにまばたきしているのがわかってしまう場面がある。これはイケマセン。やはり長くまばたきしないでいるのは至難の業なのだろう。ジャン・マレー、アラン・ドロン、ヘルムート・バーガー…… 次にこの審美的な死に顔をスクリーンに蘇らせるのは誰だろう。監督ならアン・リーかもしれない。アン・リーがヴィスコンティアンであろうことはすでに指摘したが、『グリーン・デスティニー』のラストシーンは、コクトーの『美女と野獣』とつながっているようにも思える。だが、監督は思い当たっても、マレー、ドロン、バーガーの系譜を継ぐ俳優が思い当たらない。<4/24へ続く>
2008.04.21

『悲恋(永劫回帰)』でコクトーが最もこだわったキャスティングはマルクだった。占領下日記にも、「マルクがいない」と選定が難航しているさまが書かれている。マルクこそコクトーが直接自分を投影したキャラクターだ。『悲恋(永劫回帰)』の脚本を執筆するほぼ5年前、戦争が始まる前に、コクトーとマレーはまずマドレーヌ広場のアパルトマンで同棲を始める。このときはコクトーがマレーに、まさに「狂っていた」といってもいい時期で、さかんに自作の詩をマレーに宛てて書いていた。その公表を前提としない、完全にパーソナルな詩のなかで、しばしばコクトーは自分をマルク王、マレーをトリスタンにたとえている。マルク王が美しいトリスタンを愛したように、ぼくは君を愛し、ぼくの愛はぼくを悲しませながらも陽気にさせる(中略)君の美しい手に殺される必要があるならばぼくは愛を信じて、果てたと思うにちがいないこれは一種の破滅願望とも読める(そして、この最後の2行の願望は、のちの『双頭の鷲』のラストシーンへと忍び込んでいるようだ)。また、(マルク)王から騎士への命令風にした愛の詩もある。君は知られざる仕事に励む騎士よ、君のブロンドの尻や腿で痩せた裸の純血種を「(映倫)」よ! ぶ、ぶろんどの…… やだなあ、コクトー先生ったらえっちで「痩せた裸の純血種」というのは言うまでもなくコクトーのことだ。この詩は2人の性的な関係を強く暗示している(というか、マレーに捧げた秘密の詩は、そういうのばっかり)。そして、自分より24歳も若い「恋人」が、やがて自分から去ってしまうことを予感して作ったと思われる詩もある。なにゆえにトリスタン、ブロンドのイズーと結婚するや 死ぬがいい、呪われるがいい! この最後の言葉は決して耳にすまいかつてこの世で誰も知らぬほど愛された、とは (注:訳はすべて石沢秀二。明らかな間違いと思える部分だけMizumizu訂正)「決して(誰も)耳にしない」「誰も知らぬほど愛された」というのはマルク王がトリスタンを愛し、イゾルデとの結婚を呪っているということだ。「ブロンドのイズー」とは将来のマレーが結婚するであろう、彼にふさわしい相手を指していると読める。こういう詩をマレーに捧げていたコクトーが、マレーのために初めて書いた映画の脚本の題材に「トリスタンとイゾルデ」を選んだのは偶然ではないだろう。『悲恋(永劫回帰)』でのパトリスと伯父の親密さや信頼関係は尋常ではない。それはナタリーをめぐって2人が対立しても、完全に切れることなく続いている。最初のころ、パトリスが伯父に、「誰か愛してる人はいないの?」と聞くと、伯父は、「お前のことを愛している」と答えている。パトリスとナタリーが楽しそうにしている様子を見て、マルクは苛立つ。表向きはナタリーを気に入ったからというふうに見えるが、本当はパトリスを奪われたくないのかもしれない。ゲルトルート一家の罠によって、パトリスとナタリーの気持ちが明るみに出たとき、マルクはパトリスに、「お前はもう自由だ。出て行け」と言いわたしている。パトリスも伯父に叱られてうなだれている。本当なら1人の女性をめぐって対立している恋敵のはずなのに、マルクに対する憎悪はまったくない。パトリスも伯父を慕っているのだ。マルクにしても、パトリスだけ追放するならわかるが、ナタリーも島へ返すという。これではまるで、自由になったパトリスがナタリーを奪いに来るかどうか試しているだけのように見える。ナタリーが大事なら、2人の間には「まだ間違いは起こっていない」のだから、パトリスだけ追い出せばいいはずだ。さらに奇妙なのは、ナタリーがパトリスの手に落ちてしまってから数ヶ月たって、突然ナタリーを迎えにくることだ。「殺そうと思ってきた。でも寝顔を見て考えが変わった。一緒に帰ろう」この台詞は、実はマルクはナタリーに向かって話しているわけではない。ナタリーが小屋の中にいるときに、外で1人で空を見ながら、涙を浮かべてつぶやいている。本当は一緒に帰りたかったのはパトリスなのかもしれない。だが、パトリスはナタリーを途中で奪い、自分への裏切りを決定的なものにした。だから、パトリスにとって一番大切なナタリーを奪い去って復讐した。そういう展開だと読むこともできる。パトリスのほうも瀕死の状態で、ナタリーだけではなく、「伯父も連れてきて」とリオネルに頼んでいる。「(僕が死にそうだといえば)きっと来るから」と、伯父と自分の眼に見えないつながりを信じている。どう考えても2人は普通の恋敵ではない。これは、すでに死んでしまったパトリスに、ナタリーが、「パトリス、私よ」と言ってその脇に横たわったあと、マルクがリオネルにつぶやく言葉。コクトーのマレーに寄せる想いを拡散させたような2人のキャラクターが並んで立ち、パトリス(=マレー)とその最愛の人が死によって結ばれるのを見つめている。この物語は、「トリスタンとイゾルデ」といいながら、明らかにトリスタン、つまりパトリスにほぼ一方的に重点が置かれている。コクトー自身も、占領下日記で、「この映画は『トリスタン』と名づけられるべきだった。クレジット・タイトルに数行説明を付け足して、それに関連づけようと思う。それに『トリスタン』と告知してしまうと、ストーリーが矮小化され、ストーリー自体が持つ壮大な仕掛けが効力を殺がれて見えることもある」と書いている。つまり、この映画はトリスタン(=パトリス=マレー)の物語なのだ。イゾルデだけではない、妹ナタリーも兄リオネルも、マルクも、そしてアシールも、登場人物はほとんどがパトリスを直接的に、あるいは自分でそうと気づかないまま、愛してしまっている。パトリスとナタリーの恋物語というよりも、パトリスをめぐる周囲の人々の愛憎の物語なのだ。それは映像作品において、常に「意識と無意識」の世界を見つめていたコクトーらしい筋立てだ。だが、そうハッキリ言ってしまうと、コクトーが訴えたい普遍的なテーマ、「時間も空間も超えて繰り返される愛の悲劇」という側面がぼやけてしまう。だから娯楽映画としては難しい『永劫回帰』というタイトルになった。コクトーが言っているのはそういうことだ。<続く>
2008.04.20

<きのうから続く>足を撃たれたパトリスをひきずるようにして、リオネルはなんとか妹のいる島へ戻ってくる。漁師小屋に寝かされるパトリス。応急手当をしなかったこと、汚れた池の中を逃げたことから、傷口が悪化、高熱が出て危険な状態に。パトリスは熱にうなされながら、リオネルにしがみつき、必死に懇願する。「リオネル、お願いだ。ナタリーに会いたい」「会えるよ」「いや、僕は死ぬ」「ばかを言うな」「死ぬ前に一度だけナタリーに会いたい」城のナタリーのことしか考えていないパトリス。パトリスの悲劇に寄り添い、ひたすらかしずいているリオネル。そんな2人を妹ナタリーがじっと外から見詰めている。パトリスは、たった1つの名を狂おしげに呼び続けている。「ナタリー、ナタリー」ヒロインの名、ナタリーには、実はコクトーの個人的なロマンスの思い出が込められている。1932年、つまりマレーと出会う5年前、コクトーは1人の貴婦人と恋に落ちている。彼女の名はナタリー・パレ。父はロシア皇帝アレクサンドル3世の末の弟、つまり彼女にはロマノフ王朝の血が流れていた。コクトーがナタリーと出会ったとき、彼女はすでに著名なデザイナー、ルロンの妻だった。彼女はコクトーの子を宿すが、スイスで堕胎。このことがコクトーにはひどくショックだった。コクトーの『占領下日記』には、『悲恋(永劫回帰)』の脚本を執筆中に、ナタリーのことを思い出している様子が書かれている。「1942年3月31日 ナタリーとぼくの間の子供のことを考えている。生きていればあの子は10歳。産んでおくべきだったのだ(ルロンのもとで育てても)」「ナタリーの妊娠を知ったときのあの喜び。ナタリーが夫に告白してしまい、ルロンが子供を引き取ることを望んだときのぼくの苦悩。彼女が子供をおろしてしまったときのぼくの怒り。ぼくはあのときサン・マンドリエ(注:ツーロンの近く)にいた。彼女はジャン・デボルド(注:コクトーがラディゲに続いて支援した作家)宛ての手紙で、私生児は生めないし、ジャン・コクトーとロマノフの混血を恐れるといっていた」「もしあの子が生きていて、ルロンのところにいたならと、その情景や出会いなどを今も想像している」コクトーはロマノフ王朝の血を引く自分の子供が欲しかったのだ。だが、ナタリーはそれが嫌だといって子供をおろしてしまった。不倫の関係に残酷なピリオドをうった元恋人の名前を、コクトーは瀕死のパトリス(つまりマレー)に何度も叫ばせたのだ。『悲恋(永劫回帰)』の中のナタリーは2人。1人は熱愛される運命の女性、もう1人はかえりみられない女性だ。この世には選ばれる者と選ばれない者がいる。それが残酷な真実だ。妹ナタリーは、選ばれない者たちの悲哀を代表している。最初にパトリスと出会ったとき、妹ナタリーは相当にスレた感じだった。兄の連れてきたハンサムな若者を、まるで獲物を狙う猫科の動物のように露骨にジロジロ見て、パトリスをたじろがせている。彼女も一目でパトリスに魅了されていたのだ。だが、島で真実を知ったとき、彼女は悟る。「パトリスと私とは、住む世界が違っている」そう、パトリスは何かしら、この世のものならざる特別な存在なのだ。その証拠のように、「パトリスを殴る」と言っていた兄も、あっという間にパトリスに篭絡され、言いなりに行動するようになってしまった。瀕死のパトリスがリオネルに、城のナタリーを連れてきてくれるよう懇願するシーンは、もはやほとんどラブシーン。横たわったパトリスの言葉を深い哀しみを湛えた面持ちで受け止めるリオネル。ときおりいとおしそうに顔を撫でたり、手を握り締めたりする。このシーンのリオネル役のトゥータンについては、撮影現場に合流していたコクトーも占領下日記で言及している。「トゥータンの態度は意味深い。彼はジャノが大好きだ」「本番の合い間にも、彼(=トゥータン)は親しそうにジャノの方に体をかがめ、役のリハーサルを続けていた。だから今朝のあのスクリーンでも、彼の表情は沈痛で、美しかったのだ」トゥータンの意味深なリハーサル(?)のおかげで、このシーンは本当にアヤシイ真に迫ったものになった。「お願いだ。城へ行ってナタリーを連れてきてくれ。僕が危篤だと言って。伯父さんも一緒に。きっと来るから」「わかった、行ってくるよ」「ナタリーを連れてこれたら、舟に白いスカーフをかかげてくれ。遠くからでもわかるように」「白いスカーフだね。そうするよ」リオネルが漁師小屋の外に出ると、そこには完全に蚊帳の外におかれた妹ナタリーが立っていた。「あとは頼む。城に行ってくる」「いつ戻るの」ナタリーの声は冷たい。「わからない。伯父さんの説得に時間がかかるかも」「確かにね」ナタリーは相変わらず冷たい。リオネルは落ち着かない様子で、妹の頬に言い訳がましいキスをして立ち去る。兄がいなくなり、パトリスを見守るナタリー。パトリスは舟が来るのをひたすら待っている。「海を」「海を見ろ」「舟は来たか」このあたりの台詞は完全に「コクトーの詩」の世界になる。「まだよ」「舟は来ないわ」「何も見えない」冷えた声でナタリーが呼応する。「瀕死のパトリス」のマレーの演技の素晴らしさについては、コクトー以上にうまく表現できる人がいるとは思えない。では、コクトー先生、どうぞ。「あまりに宗教的で、あまりに荒々しく、感動的」「ぼくは俗世界のあらゆる憎悪や愚劣を忘れていた」「汗まみれで、ジャノは苦しみ、また苦しみを繰り返していた。いったい他のどんな俳優にこんな離れ業ができるだろうか? またぼくでさえこんな彼は初めて見たが、彼は魂の限界までを発散させていた」(コクトー『占領下日記』より)マレー自身もこの「死の場面」にもっとも力を入れていた。「ひたすら役の求める肉体的苦痛を身内に感じ取れる日を目指すこと。そのためには精神的苦痛を体験することだ――少なくともそう考えていた。私は最後のシーンで、真実、瀕死の状態になることを夢見ていた」(マレー自伝より)ジャン・マレーの演技はときにレリーフのように浮き上がる。今日的なさりげない名演ではないかもしれないが、自身をこの世ならざる存在に昇華していくという、誰にも真似できない「離れ業」ができる俳優であることは確かだ。コクトーは誰よりもそれを理解していたし、その才能に魅了されていた。そのパトリスのそばで妹ナタリーは、いかにも俗世間の人間らしい憎しみから自由になれずにいる。やがて舟のエンジン音が聞こえる。舟をじっと凝視するナタリー。白いスカーフがはためいているのが見えた。「白いスカーフはあるか?」最後の力を振り絞って身体を起こすパトリス。「いいえ、白いスカーフはないわ」低く抑えた声でナタリーは、パトリスに復讐する。「もう一度見てくれ」「ないわ! いつもの赤い旗よ」良心に抗うように高い声でナタリーが否定した瞬間、パトリスは力尽きでぐったりと倒れる。その姿がナタリーに復讐を放棄させる。パトリスの名を呼びながら、駆け寄り、すがりつきながら告白する。「嘘よ。白いスカーフはあるわ」泣きじゃくるナタリーには、最初のスレたイメージも、さきほどまでの冷酷なイメージもない。ただ、限りない純粋さがある。その言葉を聞いたパトリスの最後の言葉は、トリスタンの有名な台詞から来ている。「これ以上は、ぼくの命を保てない」(字幕は「間に合わなかった。残念だ」になっていた)そして、その台詞をつぶやくと……「たちまち彼の表情はすべての線が、固定され、弛緩し、深く刻みこまれ、伸び、そしてあたかも荘厳な旅立ちのように沖に出て行くのだ」(コクトー『占領下日記』よい)この生から死への旅立ちのシーンは、まさに禍々しいまでに神々しい。監督のドラノワ(1943年)「これほどすばらしい死の場面は、今まで見たことがない」観客のMizumizu(2008年)「同感です。私も見たことがありません」ついでに言うと、1943年のフランス映画を2008年の日本で観ることができ、しかもそれが素晴らしい作品で、さらに「このシーンはすごい!」と思った部分について、調べてみるとやはり制作者サイドが最も気持ちを込めて撮ったシーンであることがわかり、脚本家・監督・俳優すべてのコメントが読めるということに感動してしまう。奇跡的なことではないだろうか?<明日へ続く>
2008.04.19

<きのうから続く>結婚を決めたパトリスと妹ナタリーは、兄リオネルと3人で島へ婚前旅行にやってくる。パトリスが城のナタリーと出会った場所。そこで妹ナタリーと結婚式を挙げる予定だった。ところが、妹ナタリーが城のナタリーの写真を義母のアンヌから見せられ、すべてを察してしまう。涙ながらに兄に訴える妹。兄は写真を手に、「ぶちのめす」とパトリスのところへ。「こういう人がいるなら、なぜ妹と結婚するなどと言ったんだ?」勢いこんで問い詰めるリオネル。パトリスの返事は、なんだか、どことなく、ヘン……君たち、ねえ……気がつくとパトリスは大粒の涙を流している。それを見たリオネルはさっきまでの勢いはどこへやら、パトリスの手に自分の手を重ね、ヘタヘタと座り込んでしまう。(ヘン……)「妹は大事だ…… でも君も大事だ。どうしたらいいんだ?」悩むリオネルに、パトリスは熱心に頼み込む。「一度だけナタリーに会いたい。君も一緒に行って欲しい(何でだよ?、パトリス君)。もし彼女が本当に僕のことを忘れていたら、君の目にもそう見えたら、君の妹と結婚する」リオネルの絶望的な顔のアップ。城のナタリー恋しのこの身勝手な申し出に、一言もない。もはやリオネルはパトリスの言いなりだ。2人は城へ忍び込む。ナタリーの部屋の窓の下で口笛を吹いて、彼女を呼ぶパトリス。だが、パトリスは知らなかった。ナタリーはさらに病状が悪化し、「この部屋は明るすぎて疲れる。別の部屋に移りたい」と、もうそこにはいなかったのだ。誰も出てこない窓に向かって、必死で口笛を吹くパトリス。いたたまれなくなったリオネルは、「もう、いいだろう。帰ろう」と友の肩に腕をまわす。パトリスの口笛に気づいた人間が1人だけいた。アシールだった。アシールは窓から銃口を向け、未練をすてきれずに立ち止まったパトリスに向かって引金を引く。弾はパトリスの「アキレス腱」のあたりに命中。それでマルクとゲルトルート夫妻は目を覚ましてしまう。慌てて汚い池の中をパトリスを引きずるようにして逃げるリオネル。アシールはすぐに銃を隠し、母親がのぞきにきたときには、平和な顔で眠ったフリをしてる。パトリスとリオネルも逃げてしまい、マルクは誰が忍び込び、何が起こったのか突き止められない。アシールの出番は、パトリスを撃ったあとのこの安らかな寝顔で終わる。実はこの「アシール」という名前は、ギリシア神話の英雄アキレウスから来ている。アキレウスはイリオスの王子パリス(Paris)に急所を射られて重傷を負い、それがもとで命を落とす。『悲恋(永劫回帰)』では、そのアキレウスの名を持つアシールが、パリスとよく似た名前をもつパトリス(Patrice)の「アキレス腱のあたり」を銃で撃ち、その傷がもとでパトリスは命を落とすことになる。英雄アキレウスにまつわるギリシア神話の登場人物で、パトリス(Patrice)に少し似た名前を持つ者が実はもう1人いる。パトロクロス(Patroclus)だ。パトロクロスはアキレウスに仕えた武将で、アキレウスの親友とも、恋人とも言われている。猛々しい英雄の名を与えられながら、肉体的には弱者そのものである小人のアシール。その名によって、表向き邪悪で陰湿なことばかりする彼という存在の悲劇性がよりいっそう際立つ。そして、アキレウスの敵であるパリスにも、あるいは親友・恋人であるパトロクロスにも似た名前をもつ、同じ年の従兄弟パトリス。アシールがパトリスの足を撃つというのは、だから、この物語がギリシア神話ともつながっていることを暗示している。突き詰めて言えば、アシールはパトリスを神話的世界に導く水先案内人だったのだ。パトリスとナタリーがトリスタンとイゾルデになるのは、アシールが媚薬を飲ませたからだ。パトリスが神話的で崇高な死を遂げるのは、アシールがパトリスを撃ったからなのだ。<続く>
2008.04.18

<きのうから続く>なぜ、『悲恋(永劫回帰)』の解説に『白書』を出すかというと、1927年に書かれたこの秘密の自伝的告白小説の登場人物が、その後のコクトーの小説や戯曲に、いわば翻案されたかたちで拡散していっているからだ。たとえば1929年に出版された『恐るべき子供たち』には、エリザベートとポールという姉弟にダルジュロスという少年がからんでくる。ダルジュロスはひ弱なポール少年にとって、「漠然とした強烈な苦しみであり、性欲も目的も伴わぬ清浄な欲望」の対象だった。ポールはダルジュロスの面影を宿した少女に惹かれ、ダルジュロスはやがてポールを破滅へと導く。『白書』にも、ダルジュロスが出てくる。『白書』のダルジュロスはもっと生々しく、残酷で、「私」はダルジュロスに対して性的に目覚めており、ダルジュロスもそれを承知している。ある日、ダルジュロスへの思いに耐えかねた「私」が、ダルジュロスを呼び出して告白をしようとする場面。「何だよ」と彼(=ダルジュロス)は残忍な笑みを浮かべて尋ねた。彼が何を想像しているかはわかった。そもそも、来て欲しいという私の頼みは、彼から見ればそれ以外の意味ではあり得なかったのだ。(『白書』より)つまり、『白書』では徹頭徹尾性的な存在だったダルジュロスが、その後公けに出版された小説では抽象的な死の天使へ昇華しているのだ。もちろん「私」はポールであり、その虚弱さから見ても、ポールがコクトーであることは間違いない。ちなみに、ダルジュロスはコクトー・ワールドでもっとも重要なキャラクターの1つであり、常に崇拝と畏怖の対象として描かれる。コクトーの学生時代に、実際にその名をもつ少年がいたことはよく知られており、1919年発表の『ポトマック』には、すでにダルジュロスの名が見られる。『恐るべき子供たち』でのポールは、石の入った雪球をダルジュロスに投げつけられる。そして、コクトーはマレーに宛てた秘密の詩の中で、こんなふうに言っている。狂気の痩せたダビデは投石器の石を心臓に受ける。投石器を君に与え、君の的に進んでなろう。狂気の痩せたダビデが誰かということはハッキリしている。つまりコクトーはマレーに、ダルジュロスがポールにしたように、自分に石を投げつけろと言っているのだ。マレーに死の天使ダルジュロスの幻影を重ねていると言ってもいい。むろんダルジュロス「だけ」のイメージを重ねているわけではない。マレーはときに自分が過去に強烈に愛した少年ダルジュロスであり、ときに観念としての騎士トリスタンでもある。マレーをトリスタンにたとえた詩もコクトーは作っている。そして『白書』には姉弟も出てくる。「私」はまず姉に出会う。そして彼女と婚約したあとに弟に会い、弟に中に自分が姉に惹かれていたものをより燦然としたかたちで見てしまう。自然な成り行きとして「私」は弟とも関係をもってしまい、3人は悲劇的な結末を迎える。つまり、姉弟+私の関係において、強くお互いにひきよせられてしまったのは男性同士なのだ。ダルジュロスに実際のモデルがいるように、この姉弟にもモデルがいる。ジャンヌ&ジャン・ブルゴワン姉弟。コクトーとこの姉弟は交流があった。姉は実際にピストル自殺をとげ、弟は後年修道士となってアフリカのらい病患者の介護に身を捧げた。『恐るべき子供たち』では、この「私」が弟のポールと一体化している。だから姉のエリザベートは弟を愛している。もともとポールは白書の「私」だからだ。そこにアガートというダルジュロスに似た少女が現れ、ポールはアガートに惹かれる。アガートはつまり、少女に翻案されたダルジュロス。姉エリザベートがそんな2人に感じる嫉妬は、『恐るべき子供たち』では「2人の世界を壊されたくない」という、性的な関係をともなわない特殊な感情に昇華されているけれども、それが裏では姉と「私」の関係なのだと考えればすんなりと理解できる。そして姉エリザベートは弟ポールを支配するダルジュロスの幻影と闘うことになる。『白書』の中では、「私+ダルジュロス」と「姉弟+私」という別々だったエピソードを1つに融合して脚色し、そこにジェラールなど脇のキャラクターを加えて、まったく違う物語に仕上げたのが『恐るべき子供たち』なのだ。設定は複雑になり、幾重にもベールがかけられているとはいえ、2(男女の兄弟)+1の関係の中で、運命的にひきよせられてしまっているのが実は男性同士という核の部分は変わっていない。『恐るべき子供たち』は表のコクトー・ワールドであり、『白書』は――それにマレーに捧げた秘密の詩も――裏のコクトー・ワールドだ。裏コクトーは長く秘められたまま公けにされることはなく、そこから猥雑で卑猥で露骨に性的な要素を、あるいはそぎ落とし、あるいは昇華させた表コクトーが世間に流布される。だが、やはり表コクトー・ワールドからも、それにぴったり寄り添う裏コクトー・ワールドの芳香が消えることはなく、それがまた人を惹きつけるのだろう。『悲恋(永劫回帰)』でもこの『白書』の2+1の原型の応用がある。ナタリーに去られたパトリスが、兄妹が2人だけで営む街の自動車修理工場にやってくる。兄の名はリオネル。パトリスの友人。そして妹の名はなんとナタリー。ここでは兄妹+パトリスという設定であり、かつパトリスはコクトーがダルジュロスの面影を重ねたマレーが演じている。「伯父に追い出された」というパトリスにリオネルはなぜか(苦笑)熱心に自分の家に泊まるように誘う。そうこうしているうちにパトリスはリオネルの自動車修理工場での仕事を手伝うようになる。さらにリオネルは「ナタリー」という名に過剰反応するパトリスに対して、「お前は妹を愛しているのに、その気持ちに自分で気づいていないんだ」などと強引に決め付ける。そして、「ナタリーのこと、好きだろ?」と、パトリスに迫り、パトリスが「好きだよ」と答えると、↑などと妹との結婚を強く迫っている。「彼女のことは好きだけど、愛とは違うよ」といったんは答えるパトリス。ゲルトルートはパトリスが町で兄妹と3人で住んでいるという噂を聞きつけ、夫を偵察に出す。「結婚するんだって?」などとカマをかけるゲルトルートの夫。「誰がそんなことを?」と聞くパトリスに、「ナタリーだよ。『パトリスが結婚するらしいわ。これで安心ね』と言っていたよ」と嘘をつく。ナタリーは本当は城へ戻って以来ずっと寝たきりなのだが、「ナタリーは元気だよ」とデタラメばかりをパトリスに吹き込む。さて、リオネルの妹のナタリーも、自分がパトリスの運命の相手と同名だと知らないまま、パトリスに魅了されている。そして、自分を意識しているようにも見えるパトリスに対して、あと一押しとばかりに夜部屋を訪ね、↑こんなふうに言い寄る。一度は妹ナタリーを部屋から追い出したものの、今のパトリスには他に行き場もない。城のナタリーは自分を忘れているという。ヤケになった勢いで、今度は自分からナタリーの部屋に押しかけ、「僕と結婚する?」などと聞いてしまうパトリス。ナタリーは、「ええ」と答える。そこへ兄リオネルが入ってきて、妹とパトリスが結婚することにしたと聞き、大喜びする。喜びのあまり(?)、リオネルはなんと、パトリスをベッドに押し倒す!(呆)これ以降リオネルのパトリスに対する態度はどんどんヘンに……やはり『白書』と同様、2+1の関係でひきよせられてしまっているのは、実は男性同士なのだ。パトリスがダルジュロス、兄が「私」であり「ポール」、つまりはコクトーだと考えれば、この兄のその後の妹そっちのけの奇妙ともとれる行動は、実に納得がいく。一緒に店をやりたい理由も。<続く>
2008.04.17

マルクの城を追放されたパトリスは、騎士なら当然そうするであろうという行動を取る。島へ送り返される途中のナタリーを奪って逃げるのだ。そして舞台は突然、アルプスを思わせる雪山を遠くにのぞむ山腹にあるコテージになる。季節は冬。孤立した清らかな空間。山小屋のほかには何もない。これまでとはうって変わった景色。一体それがどこなのか、まったくわからない。ブルターニュあるいはノルマンディーに近い場所の設定だったはずなのに、こんな景色は北フランスのあのあたりにはない。空間をいきなり飛び越してきた感じだ。粗末な木のベッドで眠っていた2人が目覚める。彼らは逃げてからずっとこの山小屋で暮らしていた。売れるものはすべて売り、もう手元には何も残っていない。パトリスが薪を取りに外に出ている間に、犬のムールークが外で拾った手袋をくわえてナタリーのところに来る。手袋はコクトー・ワールドでは「死」につながるアイテム。手袋を受け取るナタリー。「死」につながる手袋を受け取ること――それはつまり、「運命の受諾」を暗示している。ナタリーには誰の手袋かすでに察しがついている。戻ってきたパトリスは何も気づかない。「私たちこれからどうするの?」ベッドに横たわり天井を見つめながら、ナタリーがつぶやく。「町に行って住むところと仕事を捜すよ」パトリスは屈託がない。だが、ナタリーは、今が2人の愛の絶頂であることを知っている。これから2人きりの世界を出て、山をおり、町で暮らしたら? 思いつめるナタリー。陰影が美しい顔のカット。これほど陰の入ったアップは、最近では写真でしかお目にかかれない。カラー映画でこんなふうに撮ったらどうなるのかな? とちょっと興味がある。「私はどうしたらいいの? 捨てられたら……」ナタリーの思いつめた声にパトリスが驚く。慌ててナタリーを慰めようとして、熱があるのに気づく。パトリスは町へ薬を買いに行くとナタリーに告げる。君は竪琴のように美しい君は平和のように美しい君が僕を「(映倫)」るとき君は錯乱したように美しい(コクトーがマレーに捧げた秘密の詩より/訳:石沢秀二)町へおりようとしているパトリスをナタリーは、戸口で呼び止める。『ロミオとジュリエット』の別れの場面につながるようなロマンチックなシーン。衰弱した体、足元はふらついている。さっそく戻ってくるパトリス。 まさに騎士と姫のよう。マレーの男性的な凛々しさ、ソローニュのオトナの女性の魅力が輝く。ナタリーはこれが最後だとすでに心に決めている。そして本当に、このとき交わしたキスが2人の今生の別れになってしまう。何も知らずに出かけるパトリス。1人になったナタリーのところに、伯父マルクが現れる。「来ると思っていたわ。早く私を連れて行って」いったん小屋に入り、身支度を整えるナタリー。マルクは小屋にもたれかかり、空を見つめながら、「殺そうと思ってきた。でも寝顔を見て気持ちが変わった。一緒に帰ろう」とつぶやく。眼にはうっすら涙が浮かんでいる。こうしてマルクとともにナタリーは去ってしまう。そう、ナタリーは2人が最高に幸せな瞬間で、時間を止めてしまおうと決意したのだ。この美しい孤立した空間から2人が生活のために町へ出て行けば、そこには愛の神話はもうない。この女性の心理は、のちのル・コントの『髪結いの亭主』でも描かれている。コクトーも「愛の神話」の短さとはかなさをよく知っている。私たちが神話の神々のように半ば地上で、半ば水中で暮らしていたあの場所でなら、夢は長続きしたかもしれなかった。(『白書』より)これはバカンス先の海岸で主人公の「私」がHと出会い、そこで愛が燃え上がったときのことを書いている。『悲恋(永劫回帰)』のこの不思議な山小屋は、「水中」を「天上」に置きかえたような世界だ。『白書』の私とHはその後パリへ戻り、どろどろの三角関係で傷つけあい、もともと虚弱だったHが肺結核で亡くなるという悲劇的な結末を迎える。『悲恋(永劫回帰)』では、まるでそんな醜い展開を避けるかのように、ヒロインが「半ば地上、半ば天上」の世界から去ってしまうのだ。やがて何も知らずにパトリスが町から戻ってくる……<明日へ続く>
2008.04.16
無知に技巧だけの衣装を着せたコラムを読むとむなしくなるが、一方で日本はやはり優れて文化的な国だと思うこともある。N響のホームページで先ごろ発表された「最も心に残ったN響コンサート&ソリスト2007」。これで一位になったのが、ネルロ・サンティが振った「プッチーニ/歌劇「ボエーム」(演奏会形式)」だったのだ。こうした演奏会形式のオペラには客寄せに有名歌手をもってくるのが普通なのだが、今回の歌手にそうしたビッグネームはない。それでも聴衆が一位に選んだということは、サンティの指揮とN響の演奏がいかに素晴らしかったかということだ。実はこのコンサートには行っていない。あまりに仕事のスケジュールがきつく、とてもコンサートどころではなかったからだ。2007年のN響+サンティのコンサートで足を運んだのは、NHK音楽祭「華麗なるオペラ・バレエ音楽」の世界の最終夜。このときのサンティの斬新な「ダッタン人の踊り」については11月27日のエントリーで述べた。あれ以来、サンティの見せてくれた、若い踊り子が跳ねる踊りの虜になってしまった。ふつうのゆったりとした「妖艶な」踊りでは満足できない。「見せてくれた」と書いたのはサンティの音楽が極めて視覚的・絵画的であるからだ。あの驚異的な「ダッタン人の踊り」を聴いたとき、Mizumizuは確かに、足首に鈴をつけて踊る若い踊りの姿を見ていた。衣装のデザインや色さえイメージしていたかもしれない。あるいは顔の表情も。サンティはなぜスコアを見ないのだろう? もちろん暗譜しているからだ。だが、それだけではない。サンティはおそらく、指揮をしながら音楽だけではない、何か別のものを見ている。視線の先にあるのは、直接的には彼の弟子たる奏者だろう。サンティは指揮者であると同時によき指導者でもある。奏者や歌手と対立する指揮者も多いが、サンティの場合はほぼ例外なく、彼らに慕われ、尊敬される。だが、それだけでは聴衆は感動しない。おそらくサンティは指揮をしながら、音楽に人生を見ている。あるいは風景を。ある情景を。それに観衆は魅せられ、サンティの虜になるのだ。たとえば、同じN響で「モルダウ」を聴いたときは、ちょうどチェコから帰ってきたところで、現実に見てきたブルタヴァ(モルダウ)川の情景がまざまざと蘇ってきた。それだけではない。川が生まれるときの水の最初の一滴を、現実にはありえない情景を、見ているような気分になった。これほど豊かな視覚的空想の世界に誘ってくれる指揮者はそうはいるものではない。これはリッカルド・ムーティの作る音楽とは対極にあるかもしれない。ザルツブルク音楽祭でムーティ+ウィーンフィルのオペラ「魔笛」を聴いたが、あれはおそらく、完璧というものがこの世にあるとするならば、もっともそれに近い音楽だった。ムーティはスコアに完璧な世界を見ている。人の世ではありえない、音楽でしか作り上げることのできない完璧な世界。だからムーティはスコアを凝視する。だからムーティの音楽は厳しい。ときに聴いていて息苦しくなるほど。2007年のサンティ+N響の「ボエーム」が素晴らしかったことは想像に難くない。それはMizumizuが2002年4月チューリッヒ劇場で、サンティの「トスカ」を見て衝撃を受けたからだ。そのときはサンティのことはよく知らず、歌手のルッジェーロ・ライモンディが目当てだった。ライモンディはむろん素晴らしかったが、何といってもサンティの棒にひれ伏してしまった。チューリッヒ劇場のオケの実力も想像以上だった。東京に戻ってきて、すぐに新国立劇場にオペラ(「サロメ」だった)を観に行き、オケのレベルの低さに愕然となった。日本のオペラ事情でどうしても見劣りするのがオケの実力だ。それは残念ながら今でも変わらない。そして、「サロメ」が終わったあと、オペラファンの仲間に、「チューリッヒで観たサンティが素晴らしくって~!」とアツく語ろうとした。ところが、誰もサンティを知らなかった! 関西からわざわざ泊りがけでオペラを見に来るようなオペラオタクも、だ。しらっ~とした周囲の視線で、チューリッヒでのサンティ経験談義は不発に終わった(苦笑)。あれから5年以上たった。幸いなことにN響が頻繁にサンティとコンサートを行い、ついには演奏会形式のオペラをやってくれたことで、日本のオペラファンの間にもサンティの名が浸透してきた。もはや彼の話題でオペラファンが全員「しらっ~」とすることはあるまい。彼の振ったオペラが2007年の最も心に残ったN響コンサートのトップに選ばれたのを見て、「日本の聴衆は本当にわかっているし、信頼できる」と思った。これはむろんサンティの実力でもあるが、日本の一般聴衆がよく音楽を知っているということの証明でもあると思う。あとはサンティ指揮の全幕オペラだ! 演奏会形式ではない本当のオペラ。衣装と舞台美術、そして演出がなければオペラという芸術は完成しない。そして、できればプッチーニではなくヴェルディで(←これは完全に個人的な趣味・笑)。オケはN響。他には考えられない。チューリッヒ劇場レベルのオペラが東京で観られる日を、心から楽しみにしている。
2008.04.15
2008年4月11日付朝日新聞の天声人語の記事は、これを書いた記者がいかにパバロッティに興味がなく、オペラに無知かということをさらけ出している。オペラファンなら一笑に付して終わりだろうが、一般の人は間に受けてしまうかもしれない。だから、そこそこオペラを見ている人間の「ふつー」の感想を、書いておくのも意味のないことではないと思う。XXXX以下、天声人語XXXX「私は勝つ。勝利(しょうり)する」と歌い上げる(うたいあげる)くだり(件)は、突き抜ける(つきぬける)ような驚異(きょうい)的な往年の声の張りを思わせるものがあった――。06年2月10日、トリノ冬季五輪の開会式。ルチアーノ・パバロッティの熱唱(ねっしょう)を伝える小欄である。ただし〈テレビで見る限り〉として▼寒空(さむぞら)の下に流れたアリア「誰も寝てはならぬ」は、13日後、荒川静香さんに金メダルの滑りをさせた曲でもある。あの夜の名テノールが「口パク」だったと聞いて、しばらく本当に寝られないファンもいよう▼当時のオーケストラの指揮者が、近著で「歌も演奏も録音だった」と打ち明け(うちあけ)た。映像を確かめてみた。歌い手は左手に白いハンカチを握りしめ(にぎりしめ)、太い眉(まゆ)を八の字にし、口を大きく丸く開けている。ただならぬ存在感だ。弦楽(げんがく)の奏者たちもしっかり弓(ゆみ)を動かしていた▼「高音の王様」は4カ月後に膵臓(すいぞう)がんと診断され、07年9月に71歳で逝った()。トリノの頃はすでに痛みを覚えていたらしい。当日は体調を考え、数日前に別々に吹き込んだ歌と演奏を会場に流したという▼これが最後の大舞台となった。拍手と歓声に向かって右手で投げたキスは、母国での大役を「無事」に務めた喜びか。いや、歌の神様への感謝、謝罪、そして別れだろうか▼かつて、一度の野外(やがい)公演で何十万人もを酔わせた(よわせた)声楽家にすれば、歌うふりは恥ずべきことかもしれぬ。だが、これで彼の「勝利」が消えるはずもない。大声で弁護はしないが、現にあの夜も、世界中の何億人かが酔った。「それも芸じゃないか」と、口だけ動かしてみる。XXXXXXXX文章はうまいし、よくまとまっている。だが、その内容たるや、情けないぐらい勝手な思い込みに終始している。1)突き抜けるような驚異的な往年の声の張り→パバロッティがとっくに驚異的な高音を失っていたのは、オペラに興味がある人間なら誰でも知っている。トリノでのvincero'もかつてのパバの突き抜けるような艶やさはなかった。そんなことぐらい「テレビをとおして」だってわかるだろう。「往年」の彼の歌唱をおそらくは一度も聞いたことのない人間が、堂々と「往年」などと言う。なんたる欺瞞だろう。もし、この記者がパバの高音の比類なさを知っているなら、ただのイベントにすぎない「野外コンサート」の例など出さないはず。パバが全身全霊をかけ、「その声を出す前は、体中の筋肉が緊張する(パバの弁)」というハイCを響かせて聴衆を驚愕させた伝説のオペラの演目を例に挙げるはず。2)名テノールが「口パク」だったと聞いて、しばらく本当に寝られないファンもいよう→アリアのタイトルに引っ掛けたと思われる変なオヤジギャグだが、「本当の」オペラもしくはパバロッティのファンなら別段驚くことではない。パバロッティが口パクをやったのは、トリノが初めてではない。超高額のコンサートで口パクをやってしまい、叩かれたこともある。これはNEWS WEEKの日本語版でも「どうしちゃったの? ルチアーノ?」という記事で紹介された。これにからめて、「なぜ口パクをしたのですか?」とインタビューを受けているパバの姿も日本のテレビで放映された。パバは微笑みながら、「私が悪いんです。うまくやれると思っていたのですが」と答えていた。あのときは相当な騒ぎになったのだが、朝日新聞の天声人語担当者はまったく知らないようだ。いかにオペラに興味がないかわかるというもの。Mizumizuの個人的な話でいえば、トリノでパバが登場したとき、「また口パク?」と思い、そう口に出した。それがむしろ普通のファンの反応だろう。パバが歌えるとは思えなかったからだ。すでに、パバは何度も「引退コンサート」をやっていて(笑)、ついには「引退という宣言を本当に守れますか?」などと突っ込まれていたからだ。ところが、口パクだろうと思って見たら、口パクには見えなかった(苦笑)。しかも、相当いい感じだ。これには実は驚いたのだ。そして、「ああ、最後までちゃんと歌えてよかった!」などと胸をなでおろしていたのだ(もちろん、内心ちょっとだけ、「やっぱり口パクだったんでは?」という疑惑は残った)。パバにやられたってことだ(笑)。天国のパバヘ:見事に騙されましたよ、お見事!3)数日前に別々に吹き込んだ歌と演奏を会場に流したという実は、この「数日前」というのは相当ひっかかる。演奏はともかく、当時のパバが「数日前」にあそこまできちんと歌えたのだろうか。本当は歌唱の録音はもっと前のものだったのではないか…… と密かに思っている。4)拍手と歓声に向かって右手で投げたキスは、母国での大役を「無事」に務めた喜びか。いや、歌の神様への感謝、謝罪、そして別れだろうか投げキスはいつものパパのしぐさ。コンサートではたいていああやるし、オペラでのカーテンコールでもそう。特別なポーズではない。もちろん、あれが最後の雄姿となったわけだから、見る側が主観でそう信じるのは勝手だが。感傷的に入れ込んだ文章を書く前に、パバのオペラの1つぐらいは見てはどうだろう。5)かつて、一度の野外公演で何十万人もを酔わせた声楽家にすれば、歌うふりは恥ずべきことかもしれぬ。だから初めてじゃないんだってば。本当にパバが恥だと思っていたら、何度も口パクはやらないって。パバにとっては体調不良のままライブで歌って、途中で声が出なくなることのほうが恥だし、聴衆をガッカリさせると思っていた。そうならないという自信はすでに晩年のパバにはなかった。だから口パクをやったのだ。単純な話だ。それに、雑音だらけの環境でマイクを通して大勢に聴かせる野外公演なんて、お祭りみたいなもの。本当の声楽家の勝負は劇場でのオペラなのだ。パバはスカラ座でブーイングをあびて以来、かのオペラの殿堂の舞台には立たなかった。晩年のパバの声の衰えは、それと反比例するようなパバロッティがらみの高額チケットビジネスとあいまって批判の対象にされたのだ。6)「それも芸じゃないか」と、口だけ動かしてみる。 ……いまどき天声人語を真に受けて読む読者もいないかもしれない。だが、影響力のある新聞なのだから、こんな「知ったか」を書く前に、多少オペラに詳しい人間に話を聞くなり、パバのオペラのビデオを1本でもいいから見るなり、パバについて少し知る努力をするべきではないかと思う。イタリアでのオリンピックという歴史的なイベントにおいて、イタリアが生んだ歴史的歌手を登場させること――それがイタリア人にとって、そして世界の人々にとっても、もっとも重要なことだった。その後まもなくパバが亡くなってしまったということを考えると、あの舞台にパバが立ったこと、それが何よりの意義だろう。すでに引退状態のパバに「往年の美声」を期待した人がいたら、それはまったくパバに関心がなく、パバの現状を知らない人だ。東京は相当ハイレベルなオペラ消費都市なのだ。これほど一流の歌手が頻繁にコンサートを行い、一流のオペラハウスが引っ越し公演をやっている街は世界広しといえども、そんなにはない。首都東京の一般聴衆のレベルがこんなに高いのに、国のオピニオンリーダーになるべき新聞記者が、ここまであからさまに無知では情けなくなる。
2008.04.14
イヴォンヌ・ド・ブレは、ジャン・マレーが劇場でその演技を見て、「彼女が舞台に立つと他の俳優は皆かすんでしまう」と感激したベテラン女優。コクトーはマレーとド・ブレを共演させるべく、戯曲『恐るべき親たち』を書いた。マレーは最初にこの作品をコクトーに読んで聞かされたとき、自分にはこの役はとてもこなせないのではないかと不安に駆られた。そんなマレーを救ったのが、ド・ブレとの稽古だった。『恐るべき親たち』は大成功し、舞台俳優マレーの名は一挙に世間に広まった。だが、この素晴らしい舞台女優には1つ大きな問題があった。彼女はアルコール依存症だったのだ(マレー君の周りはこんな人ばっかり……)。『悲恋(永劫回帰)』出演直前にも、酔っ払って暴れ(苦笑)、コクトーに電話をかけてよこし、一方的に「映画なんてお断り」とタンカを切ったかと思えば、翌日また電話してきて、「やっぱり出るわ」と言うなど、コクトーを困惑させている。そんなド・ブレをコクトーは、「聖なる怪物」と呼んだ。「時代は彼女のような存在をもはや支え切れなくなっている」とも。ともあれ、『悲恋(永劫回帰)』(そしてのちの映画『恐るべき親たち』にも)ド・ブレが出てくれたおかげで、その卓越した演技が映像に残り、パリから遠く離れた日本の聴衆もその素晴らしさを知ることができる。『悲恋(永劫回帰)』のロケのためにド・ブレをパリからニースまで連れて行ったのはコクトーだった。「ド・ブレを列車に乗せるのは、大変な苦労だった。寝台車でなくては嫌、というのだった。しかも目茶苦茶に酔っていた」「わけもなく笑い声を上げていた」「彼女は結局立ち詰めで旅をした。ニースに着いたときには死にそうなほど疲労困憊していた」(コクトー『占領下日記』より)それもこれも、マレー君がド・ブレに出て欲しかったから。コクトー先生、お疲れさまです。ド・ブレとマレーの交流は1954年にド・ブレが亡くなるまで続くが、さまざまなエピソードに彩られている。1946年、映画『悲恋(永劫回帰)』公開から3年後、再びマレーはコクトーの舞台劇でセンセーショナルなヒットを飛ばす。ルートヴィッヒ2世の従姉妹エリザベートに想を得て書き下ろした『双頭の鷲』だ。『双頭の鷲』は超ロングラン上演となり、別の劇場が決めた『恐るべき親たち』の再演とダブる結果となった。マレーは新作を優先し、『恐るべき親たち』の主役を別の俳優に譲る。ド・ブレは当然キャスティングされていた。マレーは観客として『恐るべき親たち』の初日に劇場に足を運んだ。幕が開き、ド・ブレ登場。拍手喝采。ところが、マレーはすぐに「何か変だ」と気づく。ド・ブレは完全に酔っ払い状態だった。ロレツが回らず、台詞がまともにしゃべれない。観客は激怒してブーイングの嵐となる。すぐに幕が下ろされ、公演は中止に。慌てて楽屋に駆けつけるマレー。かつて圧倒的な演技力で自分をリードしてくれたベテラン女優は、鏡の前で泣いていた。「愛想が尽きたでしょ? どう?」何も言えず、ド・ブレを抱きしめるマレー。「相手役があの人ではダメなのよ。あなたでなければ……」2人はただ、一緒に泣いた。こうしたマレーとド・ブレの深い信頼関係、あるいはそれだけではない「何か」に強烈に嫉妬した人がいた。マレーの実の母親だ。その嫉妬は、ド・ブレが亡くなったあとも静まることはなかった。マレーは過去に共演した女優や友人の写真をよく楽屋に貼っていたが、ド・ブレの写真だけは置くことができずにいた。母親が嫉妬で狂ったようになるからだ。そんな事情を知らないド・ブレの母親が、マレーの衣装係に、「ジャノは別の女友達の写真は楽屋に何枚も貼っているのに、うちの娘の写真はおかないのね。あんなに仲が良かったはずなのに」と嘆いた。それを聞いた衣装係が、気を利かせてマレーの楽屋にド・ブレの写真を置いておいた。ところがそれを、ド・ブレの母親より先にマレーの母親が見てしまう。舞台に出るために劇場に向かっていたマレーは、通りから母親が絶叫しているのを聞く。急いで階段を駆け上がると、衣装係が一所懸命、「写真をおいたのはマレーさんじゃない。私です」と弁明しているところだった。母はマレーをにらみつける。「お前が芝居をやっているとき、客席に行って、ド・ブレは酔っ払いのスベタだと皆に叫んでやるからね!」「そんなことをしたら、『母親の見せ場』じゃなくて、『愛人の場面』になるじゃないか! いい加減にして、外へ出てくれよ。衣装もつけなきゃならないし、メイクもある。少し時間をとって準備もしないと」「私を追い出すんだね?」「そうじゃないよ。でも、舞台の前に気持ちを集中させる時間が最低限必要なんだ。お願いだから1人にしてくれ」「追い出すんだね。わかったよ。もう二度とお前になんか会うもんか」母は劇場を飛び出していった。オロオロして謝罪する衣装係。「いや、君はいいことをしてくれたんだよ。写真はそのままにしておこう。イヴォンヌの写真を置かなったのは、僕が臆病だったからだ」なんとか芝居を終え、楽屋に戻ると電話がかかってくる。病院からだった。「ジャン・マレーさんですか?」「そうですが」「地下鉄のホームで気絶した女性がこちらに運び込まれてきたんですが、あなたのお母さんだと言うんです。本当でしょうか?」「重態ですか?」「いいえ。検査はしましたが、どこも悪くありません。とにかく来ていただけますか?」こうして母親を引き取りに行くマレー。「私はごく若いころから、嫉妬、恐れ、驕り、羨望など否定的な感情に囚われているかぎり、人は幸福にはなれないと理解できていた。演劇に対する愛と情熱が、常に私をこうした否定的な感情から解放してくれた。私は幸運だった。だが、母にはこの幸運がなかった。彼女は他人の幸せが許せなかった。それが母の不幸だった」とマレーは言っている。
2008.04.13

<きのうから続く>『トリスタンとイゾルデ』における「媚薬」――それはたいていは、神秘的な薬を飲んだと信じたことで、2人が抑圧していた「許されざる恋愛感情」が呼び覚まされたのだと解釈される。コクトーの『悲恋(永劫回帰)』も当然この路線。つまり、2人はそうとは知らずに媚薬を飲んでいるのではなく、どこかで自分たちが媚薬を飲んだと知る必要がある。『悲恋(永劫回帰)』では、この媚薬の神秘性をうまく活用する展開になっている。まずは、暖炉の火が燃えているリビングで、パトリスとナタリーがくつろいでいる。パトリスがカクテルを作りにバースペースへ。グラスを用意し、果実を絞り、作りかけのカクテルからちょっと眼を離したすきに、こっそり小人のアシールが「毒」と書かれた瓶に入った液体を、2人のグラスに注ぐ。アシールは例の盗み癖を発揮して、ナタリーの部屋から媚薬の瓶を盗んでいたのだ。カクテルの仕上げにパトリスがワインを注ぎ、それを持ってくる。何も知らずにカクテルを飲む2人。すると、何か摩訶不思議な感情が押し寄せてくる。それが単にお酒のせいなのか、それともアルコールをきっかけにこれまで秘めてた感情がベールを脱ぎ始めたのか、理解できないまま昂ぶりを自覚する2人。暖炉の前に横たわるパトリスとナタリー。外はひどい嵐。雷も鳴り始める。それがますます若い男女の何かをかき立てる。ナタリーは雷におびえる。そんなナタリーにパトリスは思わず……古典的な暖炉の火を前にしたラブシーン。ちなみに、このときマレーが着ていた北欧風のプルオーバーは、映画公開時若者の間で流行った。そころがそこに、いきなりアシールが現れる。はっとして離れる2人。アシールは嫌悪と羨望と嫉妬がないまぜになった恐ろしい形相で、2人に「毒」と書いてある瓶を投げつけ、脱兎のごとく逃げていく。瓶の中身を見て媚薬を入れられたのだと気づき、その逸話をパトリスに話すナタリー。もちろんパトリスは信じない。「僕には効き目がないよ」そころが、伯父が出かけたある晩、パトリスはまるで何かに憑かれたようになって、ナタリーの部屋へ続く螺旋階段を上っていってしまう。月明かり、陰鬱で運命的な音楽、普段の快活なパトリスとは別人のような恍惚とした表情…… 自分の意思で階段を上っているのではなく、むしろ誰かに導かれているように見える。一瞬媚薬の魔力を信じてしまいそうになる、真に審美的なシーン。光から闇へ、闇から光へ。意識下と無意識下の世界の境界を極限まで曖昧にするジャン・マレーの美貌が、この世のものとは思えない。ナタリーのベッドでパトリスは、「もう引き返せない」とささやく。ところが2人がキスを交わそうとした瞬間、今しがたパトリスが上ってきた階段からアシールが現れる。部屋の灯りがつき、ドアをあけてゲルトルートが嬉しそうに笑う。このときのイヴォンヌ・ド・ブレの腹の底から楽しそうな、勝ち誇った笑い顔には背筋が凍りつく。神話の一場面のように美しい、秘めた禁断の恋物語が、残酷な照明にくまなく照らし出され、一瞬にして安い見世物になってしまった。最後に伯父マルクが登場。実は伯父が出かけたというのは、ゲルトルート一家が仕組んだ罠だったのだ。マルクはパトリスに「家を出ろ」と命じる。そして、「彼女に罪はない」と言いかけたパトリスを黙らせ、ナタリーに「ゲルトルートたちに送らせるから島へ帰れ」と言い渡す。<4/16へ続く>
2008.04.12

<きのうから続く>パトリスが案内してくれた城の豪奢さは、貧しい島育ちのナタリーにとっては想像を超えたものだった。高い天井、意匠をこらしたクラシカルな室内装飾、天蓋つきベッド、地下のワインセラー、人の背丈以上あろうかという巨大な暖炉。↑うわべでは伯父とナタリーの相性を心配しているパトリス。だが、どこかに案内するときはいちいちナタリーの腕を取って手をつなぎ、グイグイと引っ張っていく。誰がどこからどう見ても好き好きビームが飛び交っている!(笑)パトリスとナタリーは何をやっていても楽しい。夜のリビングで、静かにくつろぐ「偽」家族を尻目に、大声で笑いながらチェスに興じている。完全に2人の世界に入ってしまい、周囲の目に気づかない。ゲルトルートは大喜び。万が一マルクに新しい(しかも若く美しい)妻などできれば、自分たちは間違いなく厄介者として追い出されるだろう。マルクには孤独でいてもらわなければならないのだ。パトリスとナタリーがくっつくけば万々歳。伯父の愛情を一身に受けて、なにかと自分たちをのけ者にしたがるパトリス。ナタリーとパトリスが結ばれれば、それはすなわち親密な伯父と甥の間に亀裂が入るということ。ゲルトルートにとっては理想的だ。ゲルトルートは、「若いっていいわね~ この家が明るくなったわ~」などと盛り上げる。ゲルトルート役のイヴォンヌ・ド・プレの演技力が十二分に発揮される場面。口元では笑いながら眼には皮肉で意地悪な光がある。寛大なオバさんの素直な発言のようでいながら、心の奥には邪悪な計算高さが潜んでいる。イヴォンヌ・ド・ブレは、マレーがそのオーラに惚れこんだベテランの舞台女優だ。『悲恋(永劫回帰)』への出演について、マレーは「イヴォンヌは彼女らしからぬ端役で出てくれた」と最大限の感謝を捧げている。息子への限りない情愛、だがそれに溺れない普通の人が普通にもっているモラル、同時に年を重ねた女性に特有の疑い深さや図太さも同時に表現できる稀有な女優だ。彼女が歩く姿はまるで貴婦人のように気高く、息子にキスする姿は溢れんばかりの包容力に満ちている。それでいながら、女の内側にひそむ負のエモーションをときにさりげなく、ときにあからさまに表現する。恐るべきイヴォンヌ・ド・ブレ!ナタリーは我に返り、部屋へ戻る。送ろうとするパトリスをマルクが苛立ちながら制止する。ナタリーがいなくなったところで、自分はナタリーと結婚すると宣言するマルク。「ガタッ」――チェスの駒の音で皆がパトリスを振り返る。駒が落ちた音を聞いて初めて、自分がそれを取り落としたことに気づき、パトリスも我に返る。「誰がなんと言ってもナタリーと結婚するから」と一方的に宣言して、マルクが退場する。ゲルトルートはパトリスに、ナタリーとはいつから知り合いなのかと尋ねる。すると思わず、↓こんなことを言うパトリス。出たっ! 「幼なじみ」発言!!どぉぉぉして「ヤバいところ見られちゃった」オトコは(もちろんオンナも)、こういうミエミエなことを言っちゃうのだろう。これぞまさしく、過去においても、現在においても、未来においても繰り返される「永劫回帰」発言。さすが早熟・多情で鳴らした百戦錬磨のコクトー、こういうシチュエーションでオトコが何を口走るかよくわかっている。<2人が幼なじみでない動かぬ証拠>ナタリーの家でのパトリス。眠りから覚めて、ナタリーと会話。…と自己紹介。<動かぬ証拠終わり>ついでに、「アシールと同じぐらいの背丈のころから(の幼なじみ)」などと、小人症の息子を不憫に思っているゲルトルートの神経をわざわざ逆なでするようなことも言っている。さっそくムッとして顎を上げるゲルトルート(上の写真)。そう、パトリスは決して清廉潔白なキャラクターではない。溌剌として純粋だが、他人の気持ちを思いやる能力には欠ける。ついでに自分の本当の気持ちに気づくのも遅い。そこで図らずも人を傷つけることになる。まったく自覚も悪気もなしに…… だからこそ彼は魅力的なのだ。コクトー・ワールドでは決して善悪が明瞭に二元に分類されることはない。人間をそんなふうに区分して断罪しようなどという発想は、もともとコクトーの辞書にはない。そして、これは映画の終わりになって明らかになるのだが、その清廉潔白でも高潔でもない青年が、死を目の前にして次第に崇高な存在に変化(へんげ)していくことになる。それがこの作品の最大の見せ場であり、その想像を絶する視覚的表現は今に至るまでおそらく比類ないものだ。<明日へ続く>
2008.04.11

<きのうから続く>ジャン・コクトー原作・脚本、ジャン・ドラノワ監督の『悲恋(永劫回帰)』は1943年、ドイツ占領下時代のフランスで撮られた。当時のフランスは電力不足、そして当然資金不足で、撮影は苦労の連続だった。コクトーはコメディ・フランセーズでの自身の戯曲『ルノーとアルミード』の上演が終わったあと、南フランスで行われていた『悲恋(永劫回帰)』の撮影に合流している。コクトーは占領下時代にメディアを牛耳っていたアラン・ロブローを中心とする対独協力派からの攻撃で消耗しきっていた。ロケに合流したとたんに肺炎で寝込んでいる。なんとか体調が戻ったときには映画の半分はすでに撮影が終了していた。邦題は『悲恋』というこの映画は、原題を『永劫回帰』という。コクトーは、「ニーチェから借用したこの表題を通して僕が語りたいのは、1つの伝説の正確な状況は永遠に再生し得るし、その主人公たちは、まったく気づかずに愛から死への同じ道筋を辿ることがあり得るということだ」と書いている(ジャン・コクトー『占領下日記』より)。そう、永劫回帰という世界観の中では、過去も現在も未来も、終末もない。そこでは同じ瞬間が次々に生まれ、永遠にそれが繰り返される。映画の物語自体は中世ヨーロッパの悲恋物語『トリスタンとイゾルデ』を現代に置き換え、ときには中世ヨーロッパ、ときにはこの世のどこでもない場所、ときには1943年当時そのままの空間を提示しながら、「現代と神話が入り混じった」(コクトーの弁)構成で、若い男女をもてあそぶ運命のすれ違いを描き出す。そう書くと難しそうだが、哀しいラブロマンスとしても、ジャン・マレーとマドレーヌ・ソローニュという北欧的な美貌を備えた男女の彫刻的・絵画的美しさを堪能する映像作品としてだけでも十分に楽しめる。登場人物は以下のとおり。パトリス(騎士トリスタン)・・・ジャン・マレーナタリー(イゾルデ姫)・・・マドレーヌ・ソローニュパトリスの母の姉の夫、つまりは伯父であるマルク(マルク王)・・・ジャン・ミュラーマルクの亡くなった妻の妹、パトリスの叔母ゲルトルート・・・イヴォンヌ・ド・ブレゲルトルートの息子で、小人のアシール・・・ピエラル(注・アシールとはギリシア神話の英雄「アキレウス」の意味)パトリスの親友リオネル・・・ローラン・トゥータンリオネルの妹ナタリー(パトリスの運命の女性と同じ名)・・・ジュニー・アストル 北フランスのある地方の領主マルクは中世さながらの城に、美貌の甥パトリス(両親は死亡)と小人症の甥アシール、それにアシールの両親の5人で暮らしていた。マルクはパトリスを深く愛しているがアシール一家のことは厄介者だと思っている。だが、アシールの母ゲルトルートは亡き妻の妹なので追い出すこともできずにいる。物語の冒頭では、まず小人症のアシールが同い年の美貌の従兄弟パトリスに抱く激しい憎悪が示される。アシールはパトリスの留守中に彼の部屋に忍び込み、彼の写真を床に叩きつけ、私物を盗む。そんなアシールを母ゲルトルートは常にやさしい情愛で包み込んでいる。だが、アシールの盗みは許さない。彼がパトリスの部屋からモノを持ち出したと知ると、叱責し、返すように諭す。そこへパトリスがさっそうと馬にまたがり、愛犬のムールーク(ジャン・マレーが実際に飼っていた犬)を連れて帰ってくる。パトリスはアシールの屈折した異常な行動に辟易している。アシールはパトリスにつきまとい、しばしば部屋のドアの外に立ち、盗み聞きなどしているのだ。その日も不審な行動を取るアシールに飼い犬のムールークをけしかけ、自分の部屋から追い出す。小人症のアシールとたくましくも理想的なスタイルと美貌をもつパトリス。しかも彼らは年も同じ、母親は姉妹、つまり従兄弟同士なのだ。パトリスに対するアシールの執拗な憎悪は、ある意味パトリスへの憧れと愛の裏返しとも取れる。そんな哀しいアシールの屈折を、パトリスはまったく意に介さないでいる。マルク、ゲルトルート一家、それにパトリスはともに食卓を囲む。パトリスは飼い犬のムールークを可愛がり、完全に自分の世界。それを見て、ゲルトルートは「犬なんかと食事するのは嫌」とイヤミを飛ばす。親類だけの普通の食事なのに、こんなにキチンと正装してる…… ある意味とてもシュールな日常だ。パトリスとゲルトルート母子の心理的な対立は爆発寸前。パトリスは自分を愛し、内心ではゲルトルート一家を煙たく思っている伯父マルクに「美しい若い女性と再婚して、彼らを嫉妬させてやりましょう」と提案し、「万事僕にまかせて。ステキな女性を連れてくるから」と、領地の島へ花嫁探しに出かける。ブルターニュの漁村を思わせる風景の島へ船でやってきたパトリス。島のとある酒場で彼は美しい女性ナタリーに出会う。彼女の婚約者気取りの荒くれ者とケンカになり、荒くれ者を殴り倒すが(アラン・ロブロー殴打事件を思い出させるシーン)、ナイフを投げつけられて気を失ってしまう。気絶したパトリスを周囲の若者に頼んで自分の家に運んでもらうナタリー。歩きながらも美しい青年の顔から眼が離せない。すでに彼女の心は恋に落ちている。パトリスの寝顔をうっとりと見つめるナタリーとその養母。いつの世もオバちゃんはイケメンの若者にヨワイのだ。やがて目覚めたパトリスは彼女も両親が子供のころに亡くなり、養母に面倒を見てもらっている自分と同じ立場だと知って彼女に共感を抱く。元気になったパトリスは、ナタリーに……(マレー君、キミのその顔…… あまりにデカダンで美しすぎやしないか)さらにパトリスは口説く。「君にふさわしい暮らしをするんだ。城に住んで、召使にかしずかれ、自動車に乗って……」寂しい北の島で、幸薄い人生を歩んできたナタリー。美貌の、そしてどうやら金持ちの青年は明らかに自分にプロポーズしている…… 夢のような展開に、ナタリーの眼から涙が溢れ出す。ところが……「相手は僕の伯父なんだ。立派な人だよ」冷水を浴びせかけるパトリスの一言。ナタリーの無言のまま部屋を出て行く。そんな女の怒りを理解できないパトリス。(ま、何か言うとしたら「ファックユー!」ってところですかな)だが、ナタリーは島から出たかった。この島にいるかぎり、大嫌いな荒くれ男の付きまといからは逃れられない。そこに彼女の未来はない。彼女はパトリスと島を出る決意をする。そんなナタリーに養母は謎の薬をわたす。それは男女が飲めばお互いに離れられなくなる伝説の媚薬だという。ナタリーはもちろん信じない。だが、そこに養母の心遣いを感じ取り、「この媚薬を心の支えにする」と感謝の気持ちとともに別れを告げる。船の上でパトリスは、「僕はバカだった。君が怒ったわけを、あれからよく考えてみたんだ……」↑女心をさらに逆なでする、いまさらの一言。しかもまったく悪気なし。それどころか彼女が自分に気があると知って、素直にまんざらでもない様子(さすがコクトー。マレー君の実際の性格を正確に反映してる!)。こんな無邪気なジコチュー男にナタリーは怒るでもなく、「もういいの」と静かに答える。なんともオトナの女性だ。さて、船から馬に乗り換え2人はマルクの城へ着く。そのあまりのゴージャスさに島育ちのナタリーは驚愕。城を見つめながら、「あれがそうなの?」彫刻のような2人の美貌をカメラはやたら長映しする。「そうだよ」とパトリスが答える前に……なぜかマレーにまばたきまでさせる演出。たっぷり5秒以上は2人の顔のアップを見せている。すっかり怖気づいたナタリーの髪に、パトリスは軽くキスして笑い、「しっかりつかまって」と城への道を進む。まさしく中世の騎士トリスタンがマルク王のためにイゾルデ姫を連れてくるイメージ。マルク(王)の待つ城へ。現在と中世が交じり合っているシーン。マレーのたくましい男性美にあふれた乗馬姿、ソローニュの髪と長いマントの襞が美しい。動く彫刻のよう。<続く>
2008.04.10
コクトーの『占領下日記』には、マレーがローマにロケに行っている間にも持ち込まれる「彼を自分の映画に使いたい」という申し出の対処に苦慮している様子も書かれている。中にはバルザックなどの文芸作品もあった。「ジャノはバルザック向きではない。スタンダールの若者でもない。ファブリス(スタンダールの『パルムの僧院』の主人公)でさえ間違いだろう。ジャノがワーテルローで途方にくれ、馬を取られて「泥棒! 泥棒!」などと悲鳴をあげる姿など、とても想像できたものではない」(コクトー『占領下日記』)。ちなみにスタンダール作品で比類なき才能を発揮したのが、言わずと知れたジェラール・フィリップだ。では、どんな役が合うのだろう? マレーの自伝にはコクトーの次のような言葉がのっている。「君にはヒーローか、一大ラブ・ロマンスが似つかわしい。文芸作品がこの世に存在して以来、愛を主題とする傑作は『ロミオとジュリエット』と『トリスタンとイゾルデ』の2作しかない。『トリスタンとイゾルデ』こそ君のもので、君はトリスタンだ」(マレー自伝)。そう、ジャン・マレーという人は、実際に騎士的な性格の持ち主だった。コクトーが手袋屋の鉄製の看板が気に入ると、店に出向いていって看板にぶら下がり、店主を根負けさせて譲ってもらう。夜の間に軍隊から抜け出して、こっそりコクトーに逢いに来る。アラン・ロブローから卑劣なペンの攻撃を受けると、自分の拳で殴り倒す。コクトーは、親しくもてなしてきた友人から「レーモン・ラディゲを殺したのはコクトー。ラディゲがあるポーランド人女性と親密になったため、嫉妬したコクトーが毒をもった。ジャン・マレーもまた彼に殺されかけた(注:大病して舞台を降板したときのことを言っている)」などとデマを書き立てられ、それにショックを受けて数日間寝込んでしまったことがある。だが、マレーにはその本を読まないように懇願している。マレーが読んで、著者を「懲らしめに行く」のを心配したらしい。こんなエピソードもあるからだ。ある日、コクトーが「過去の男友達」(苦笑)から暴力を受けて帰ってきた。マレーは誰にやられたかコクトーに白状させると、さっそく同じ目に遭わせるために出かけて行っている。コクトーがそうした一種のドメスティック・バイオレンスと無縁でなかったことは自伝的小説『白書』からも推察できる。だが、マレーを得てからは、愛憎の入り混じった暴力からはほぼ完全に解放され、以後、暴力的な性格の人間と付き合うことはなくなった。コクトーはピカソのところへしばしば遊びに行っていた(ピカソが尋ねて来ることはほとんどなかったが・笑)が、ときどきしょげて戻ってくる。それは、たいていピカソがキツイことをコクトーに言ったときだった。ある日、非常に落ち込んだ様子のコクトーを見て、何を言われたのかとマレーが尋ねると、「そんなことをしてやる価値もないような連中のために尽力することで、気を散らし、自分をダメにしている」と非難されたという。そう、ピカソは孤高の天才で、ムダな他人との交流に時間をかけるようなタイプではなかった。一方コクトーは、ときには裏切られながらも友人との交流を何よりも大切に考えていた。ピカソとしてはアドバイスのつもりだったのかもしれない。だが、自分の生き方をキッパリと否定されたことが、コクトーにはショックだった。そんなコクトーをマレーはこんなふうに慰めている。「ピカソだって、君の序文(注:コクトーはピカソの展覧会の序文などをよく手がけていた)に値しないような作品を描くこともあるよ」マレーは、コクトーがピカソに対していだく尊敬の念と厚い友情に、しばしばピカソが背を向け、関心を払わないことを許しがたく感じていたようだ。マレーが80歳近くになってから出版した『私のジャン・コクトー』で「ピカソについて、ジャン・コクトー以上に鋭く、強く、美しく、激しくさえある文章を書いた人が誰かいるだろうか?」「(私は)ピカソという芸術家に対して敬意を払っているとはいえ、(コクトーに対するピカソの態度に関しては)彼を恨まずにはいられない」と書いている。マレーには相当冷たく見えたのだろう。あるいは、コクトーの性格や態度にはピカソのカンに障る何かがあったのかもしれない。だが、コクトー自身は、ピカソの圧倒的な才能を誰よりも評価しており、「ピカソはその残酷な介入で僕の人生を何度か救ってくれた」と占領下日記に書いている。時に残酷でありながら的確なピカソの洞察力に一種の畏敬の念を感じていたのかもしれない。コクトーのような複雑に屈折した心理はマレーにはない。コクトーはマレーを、「不幸という名の詩人(=自分)の友人を脅かす存在」だと言っており、マレー自身もそうありたいと望んでいた。コクトーが過去同棲状態になった若者はたいてい悩み多き文学青年だったから、マレーのようなまっすぐな性格を持ち合わせた存在はいなかった。マレーは常にコクトーを気づかい、ある意味、騎士のように仕えていた。コクトーはコクトーで、マレーを「僕の神、王、息子、友人、恋人よ」(マレーに捧げた秘密の詩)と呼んで崇めていた。ちなみに、公けにする文章の中では、マレーは自分の「息子」もしくは「友人」だと言っている。『私のジャン・コクトー』には、モンパルシエ通りのアパルトマンに引っ越したばかりのころのマレーの屈託のない若者らしいエピソードも綴られている。アパルトマンに隣接したパレ・ロワイヤル庭園をマレーは、飼い犬のムールークとよく散歩した。いたずら好きのムールークはしばしば、庭番たちをかんかんに怒らせた。庭番たちはムールークがつながれ(アタッシュ)ていないという理由でマレーに違反通告書を書こうとした。するとマレーは「この犬は私になついて(アタッシュ)いますよ」と言って木によじ登り、通告書を切るならここまでおいでと言ってやった。コクトーが窓から、そんなマレーの姿を見て笑っていたという。コクトーはどんなに心楽しく幸福な気持ちで、マレーのやんちゃを眺めていたことだろう! こうしたマレーの性格をコクトーが非常に愛していたのは疑う余地がないが、それ以上に、まずはコクトーを惹きつけたであろうマレーの身体的な特徴がある。それは『白書』に「アルフレッド」という名前を与えられて登場する。「アルフレッドの肉体は私にとって、どこにでもいるような青年の「ピー(自主規制)」を備えた若い体というより、むしろ、私の夢がとらえた肉体だった。完璧な肉体。船が綱具を装備するように筋肉を装備し、四肢は1つの「ピー(自主規制)」を中心に星と広がるかのようである」このアルフレッドの肉体こそ、若き日のジャン・マレーの肉体そのものではなかろうか。今風のジムで鍛えて作った筋肉ではない生来の筋肉を備え、ミケランジェロのダビデの系統をまっすぐに受け継ぐ彫刻的なたくましさ。『白書』はコクトーがマレーと出会う10年前に書かれたものだから、まったくの偶然なのだが、実はジャン・マレーが幼いころに別れた戸籍上の父はアルフレッド・マレーという。つまりコクトーのジャノは「私の夢がとらえた肉体」をもった「アルフレッド」の息子なのだ。だが、マレー自身は自分の肉体美を売りにするつもりは毛頭なかったし、むしろそうした眼で見られるのを極端に嫌っていた。コクトーと出会ったころ、恩師のデュランから「裸のジゴロ役」を強要され、マレーは真剣に傷ついている。そう、騎士は自分のカラダを売ったりはしないのだ。マレーの映画2作目『天蓋つきベッド』を見たコクトーは、こんな感想を書いている。 「またしてもマレーには、資質を発揮する時間がなかった。当てにされるのを嫌っている身体的美点を乱用しているのみだ」(『占領下日記』より)。でもまあ、あれだけの男性美を備えた肉体なのだから、ハダカにしたがる演出家の気持ちもワカル……(苦笑)。そういえば、コクトーの映画ではマレーはほとんど肌を露出していない。『双頭の鷲』の最初と最後で半ズボンをはいてるくらいがせいぜいで、むしろ常にストイックなくらいきっちり着込んでいる。『白書』のアルフレッドは「私」と別れたときに髪を黒く染めていた。「アルフレッドの息子」マレーはコクトーと離れてイタリアにロケに行くために、やはり髪を黒く染めている。「私」がアルフレッドと別れたのは、アルフレッドが「私」の物をくすねたこと、「私」を脅迫して支配下に置こうとしたこと、そして最後にピストルをちらつかせたことが原因だった。「アルフレッドの息子」には、そうした卑しさや歪んだ支配欲は皆無。そして9ヶ月の不在ののち、イタリアから戻ってきている。そして、戻ってきたマレーに対してコクトーは『悲恋(永劫回帰)』のために、ヒロイン役のマドレーヌ・ソローニュと同じ色の髪に染めるようにと美容院へ行かせている(監督じゃないのに・苦笑)。最終的な映像を見ると、2人の髪の色は明るい金髪のイメージに仕上がっているようが、それにいたるまでに、マレーとソローニュはブルーや薄紫や緑色の色の髪で美容院を出てくるハメになったという。2人が同じ色の髪をしていたとは…… 言われてみればそのとおりだが、『悲恋(永劫回帰)』を最初に見たときは、まったく気づかなかった!
2008.04.09
<オールドムービーファンの方は明日おいでください。明日は連載に戻ります>2006年9月に新国立劇場で上演されたオペラ「ドン・カルロ」が昨夜、NHKで放映された。このオペラには足を運んだ。舞台演出が非常に斬新で気に入った作品だ。今になってテレビで見ることができるとは嬉しい限り。ありがとう! NHK!!個人的にオペラでもっとも好きなのはモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」とこのヴェルディ作品。いずれも妥協できない強烈な「個」をもった登場人物たちが、それぞれが信じるものを互いに譲らず、精神的に激しくぶつかりあうところに醍醐味がある。「ドン・カルロ」は特に、階級や身分、立場といったものから自由になれない者たちの物語。彼らはそれでも自分の自尊心をかけて、己の生き方を貫いていこうとする。それはある意味、とても男性的な葛藤。最近だとNHKの「風林火山」や「風の果て」、アン・リー監督の「ラスト、コーション」もこうした男性の視点が描かれていた。つまり、いずれも政治的な立場が個人の愛や友情にどう介入してくるかということが重い命題になっているということ。「ドン・カルロ」の主な登場人物は5人。フィリッポ2世、その息子の王子ドン・カルロ、ドン・カルロの婚約者だったはずがフィリッポ2世に見初められてその妃となったエリザベッタ、ドン・カルロを慕う美貌のエボリ公女、ドン・カルロに忠誠と友情を誓う臣下のロドリーゴ。フィリッポ2世は16世紀スペイン最盛期の国王。ドン・カルロは父の妻である王妃エリザベッタを愛している。エリザベッタはフランス宮廷からフィリッポ2世のスペインに嫁いできた外国人。彼女もドン・カルロを深く愛しているが、王妃という立場から決してその愛を受け入れることはない。エボリ公女はドン・カルロが自分ではなく、王妃を愛していることを知って逆恨みの復讐に燃える。忠誠心に篤く、ドン・カルロと義兄弟の契りを交わしているロドリーゴは、スペインによるフランドル(今のオランダ、ベルギー)の圧制に心を痛め、次の王であるドン・カルロにフランドルの民を救ってほしいと願っている。そこに当時の社会で国王以上の権威を誇っていたキリスト教教会の宗教裁判長が絡んでくる。2006年新国立劇場主催「ドン・カルロ」ですぐれて目を惹いたのは、モダンでシンプル、それでいながら複雑精緻なマルコ・アルトゥーロ・マレッリの舞台背景だった。「ドン・カルロ」といえば、やはりオペラ・ファンならゼフィレッリ(もしくはもっと古いヴィスコンティ)の「これぞオペラ」という重厚で豪華絢爛なバロック的舞台を理想とするだろう。だが、今の時代に彼らと同じ美意識の土壌で勝負して勝てる演出家はほとんどいない。そもそもお金がかかりすぎる。マルコ・アルトゥーロ・マレッリはゼフィレッリに見られる正統派路線を追うことなく、舞台装置をほとんどすべて「灰色の六面体」、すなわち、正面から見ると四角形に見える箱で独創的な空間を作り上げた。幕が開くと、舞台の中央に、4つの大きな四角が見える。それらの間がちょうど十字架のような空間になっている。この4つの大きな四角が六面体で、上2つは上下左右に移動し、下2つは弧を描いて奥へ、あるいは左右へ開いたり閉じたりする。だが、十字架の形は、まるでカトリック教会が強い支配力をもっていた当時の時代背景を暗示するかのように、常に舞台のイメージに君臨する。以下に写真があるので、参考までに。http://www.nntt.jac.go.jp/frecord/updata/10000053.html衣装も含めて、最初はほとんど「色」がない。グレー、グレー、グレーの世界だ。王妃も白とグレーの縦ストライプの衣装をまとって現れる。多少灰色の入った衣装…… それは完全に純潔とはいえない、ドン・カルロへの思慕に揺れる王妃の心情を象徴している。普通は見逃してしまうような場面で印象的だったのが、王妃の貞操を疑うフィリッポ2世が、王妃がフランスから連れてきた女官の伯爵夫人に帰国を命じる場面。王妃が凍りついたように立ちすくみ、沈鬱な合唱が「ああ、国王は妃を傷つけた」と歌う。そして、王妃は心の支えだった伯爵夫人に指輪を「私の形見」と渡し、「心はいっしょに(フランスへ)ついていきます」と悲しみをこらえて別れを告げる。王妃が運命を受諾する瞬間。王妃役の大村博美の繊細で気品に満ちた歌唱が心にしみた。これ以降、ラストまで王妃は喪服のような黒い衣装を常にまとうことになる。残酷な宗教裁判の場面では、「天の声」を歌う幸田浩子の澄み切った歌唱があまりに美しかった。火刑に処せられる罪人が断末魔の苦しみにもがくなか、その前景をベールを後ろにたらした聖母マリアのような清廉な女性が群集の中から登場し、キリストを思わせる幼子を抱きながら、通りすぎ「魂は高く飛びなさい」と愛情のこもった祝福の歌を歌う。このアリア1曲で幸田浩子は完全に聴衆を虜にした。「ドン・カルロ」でもっとも有名なアリアである、フィリッポ2世の「ただ一人寝て」は、実はそれより数年前、サントリーホールで聴いたホール・オペラ(サントリーホールがそう呼んでいる、演奏会形式でのオペラ)でのフルラネットの奇跡的ともいえる絶唱の印象があまりに強烈で、そのときのことばかり思い出してしまった。だが、王の寝室を暗い牢獄のように見せる舞台装置と照明――六面体の壁を前面に出して空間を狭くし、窓の格子の月明かりの影をベッドと床にかぶせる――の効果で、王妃に愛されていない自分を嘆き、「私が本当にゆったりと眠るのは死んだあとだろう」と権力者の孤独を歌う王の心情が迫ってきた。しかし、フルラネットのフィリッポ2世を完全なオペラ舞台で聴いてみたいもの。フルラネットはすぐそのあと、新国立劇場でドン・ジョバンニを演じたのだが、実はこちらのほうはそれほど傑出したものではなかったのだ。やはりMizumizuにとっての最高のドン・ジョバンニは若き日のルッジェーロ・ライモンディ。あの魔的な魅力にかなうドン・ジョバンニはなかなかいない。そして、妻屋秀和の宗教裁判長! このオペラでの主要なキャラクターを根こそぎ引き倒すような、まがまがしいまでの迫力。妻屋はほとんど腰を90度曲げて、キリスト磔刑像を先にくっつけた杖にすがりながら、よぼよぼとした足取りで登場する。紫の手袋と帽子は強い照明の下で寒色がかったショッキングピンクのように輝き、この小さなアイテムだけで宗教裁判長の冷たさを強烈に印象づける効果があった。フランドルの民衆に同情的なあまり、ほとんど反逆児のようになっているドン・カルロのことを嘆く王に、宗教裁判長は「ドン・カルロの反抗など子供のいたずらのようなもの。本当の反逆者はほかにいる」と、忠節の臣下であるロドリーゴの処刑を求める。ロドリーゴを心から信頼している王は、「あなたの残酷さには我慢ならない」と怒りを爆発させるが、宗教裁判長は「私は先王と貴殿の2人に戴冠した」と応じ、「いまだかつて邪悪が支配したことのないスペイン」の安定を保ってきたのは自分だと強烈な自負を見せ、王を圧倒する。妻屋・宗教裁判長は最後に、その権威で怒れる民衆までもねじ伏せる。政治改革を求める群集が王の居室になだれこんできたとき、今度は手袋と帽子だけではなく、紫の法衣をまとって登場し、「この方は神に選ばれた方。神に逆らうとは何事か」と恐ろしい声で瞬く間に人々の心を鎮圧してみせる。神を畏怖した民衆は次々と膝をつき、最後に地上の最高権力者であるはずの国王も裁判長の前にひざまずく。自らを神の使者だと信じて疑うことのない老獪な権力が、当時世界の半分を支配していた国の王を屈服させる瞬間。妻屋のまがまがしいまでの迫力たるや比類なし。そして、サンジュスト僧院での、王妃とドン・カルロの別れの場。花嫁のような純白の衣装をつけた王妃が、1人で故国フランスと過ぎ去った青春への憧憬を歌う。大村博美の気品に満ち、深い情感をたたえた表現が満場の拍手を誘った。そこへドン・カルロが登場。王妃への想いを断ち切れずにいるドン・カルロに対し、天上の「ここよりももっと素晴らしい世界で」結ばれましょうと涙ながらに諭し、ドン・カルロもそれに唱和する。そして、運命のクライマックスへ。息もつかせぬグランドオペラの迫力を十分に堪能させてくれる舞台だった。日本人歌手の歌唱は特に素晴らしかったし、斬新でモダンな舞台装置も、モノトーンを基調とする洗練された衣装も最高に楽しめた。Bravissimo! Marco Arturo Marelli! とはいっても、やっぱりヴィスコンティあるいはゼフィレッリ的ドン・カルロの舞台も、もう一度見てみたい…… 新国立劇場さん、ヴィスコンティ衣装版の再演頼みます!<おまけ>この「ドン・カルロ」。ジャン・コクトーなら間違いなく、ロドリーゴとドン・カルロの物語にしてるだろうな。あの2人は「兄弟!」といってやたら抱き合うし、ロドリーゴはドン・カルロの腕の中で死んでいくし、コクトーを刺激しそうなエレメンツでいっぱい……
2008.04.08

<4月4日のエントリーから続く>さて、ロケでイタリアに行ったジャン・マレーはヴィスコンティに会っている。ちょうどヴィスコンティも処女映画の準備中で、犬連れでホテル滞在が快適でないと訴えるマレーのために、ローマの彼の友人のアパートを紹介している。その友人はヴィスコンティの映画ロケに付き合ってアパートを空けることになっていたので、ちょうどいいというわけだ(ホント、マレーにはとことん親切なヴィスコンティ)。マレーは撮影の合間に、映画化を望んでいる『悲恋(永劫回帰)』を読んだり、次回舞台にのせたいと思っている『アンドロマック』(ラシーヌ作)の衣装と装置のアイデアを練ろうと美術館に通ったりしていた。コクトーは『悲恋(永劫回帰)』の映画化を進めていた。話はなかなか進まない。占領下のフランスは電力不足が深刻で、映画はあまり撮られなくなっていたのだ。コクトーはいざとなったら自分で監督をしようと心に決めていた。マレーがローマに発ったのが1942年5月28日。最初のころコクトーは日記に、「6月2日 ジャノがローマで仕事と未知のさまざまなチャンスと出会っているかと思えば、いくらか気持ちが軽くなる」などと冷静ぶって書いているのだが、すぐに寂しさがつのり、10日後にはもう、「6月12日 やっと(やっと?)ローマから便りが来た。かわいそうにジャノは見かけはとても自然に明るく自由に振る舞っていることだろう」と心配しはじめ、さらに2週間後には、「6月25日 悲しいことに(ジャノから)手紙が一通も来ない。僕の手紙はどこに行っているのだろう」と文句を言っている。最初の手紙を受け取ってから2週間じゃ、そんなに何通も来ないと思うが…… コクトーは1ヶ月あまりの間に、一体何通書いたんだろう? マレーにあてて生涯に650通以上(!)手紙を書いたコクトーだから、すでに5通ぐらいは書いているのかも。『カルメン』の撮影は非常に進行が遅く、3ヶ月の予定が結局9ヶ月もの長丁場になった。フランスから来た人気のイケメン俳優に対するイタリアの関心は高く、ひんぱんに映画の出演依頼を受けるマレー。コクトーからは『悲恋(永劫回帰)』があるから契約はしないように手紙で釘をさされていたのだが、『カルメン』のプロデューサーだったバラットーロ(バルトロ)から同じ制作会社の次作にも是非と執拗に頼まれ、かつ『悲恋(永劫回帰)』の映画化に時間がかかりそうだと言われたことで、つい次作『西から来た娘』の契約にサインしてしまった。ところが、その直後コクトーからジャン・ドラノワ監督、マドレーヌ・ソローニュ共演で映画化が決まったと連絡が来た。しかも『悲恋(永劫回帰)』のプロデューサーがバラットーロに、「マレーを返さないと、映画産業組織委員会に提訴する」などと喧嘩腰の連絡を入れたことでバラットーロが怒り、話がこじれかける。また違約金? あわててバラットーロのところへ駆けつけるマレー。「お願いします。僕は『悲恋(永劫回帰)』に是非出たいんです。もしフランスに帰してくれるなら、撮影が終わったらこちらの映画には無料で出演しますから」必死で訴えるマレーをじっと見つめるバラットーロ。「そんなにまで、その映画のことを信じているの?」「『悲恋(永劫回帰)』こそが僕の映画での仕事の本当の始まりになると思っています(オイオイ、カルメンのプロデューサーだよ、マレー君)。成功間違いなしだと確信してます!」「あの脚本は僕も読んだけどね。君の熱狂ぶりがまったく理解できないね」「バラットーロは、こんな馬鹿げた契約のため大きな契約を反故にしたがる俳優に呆れつつジャノを僕らにゆずってくれた」「ジャノが持ち前の優しさで彼をなだめ、おかげで自由を手にしたのだ」(ジャン・コクトー『占領下日記』)こうしてマレーはようやく帰国した。「モンパンシエ通りの小さな楽園に戻り、ジャン(コクトー)がいると醸成される自由な雰囲気にひたれる、そう思うと私は幸福だった」(マレー自伝より)「1943年2月12日 どうかジャノがすでに旅立っていますように! 明日にでもぼくらのところに来てくれるように!」(コクトー『占領下日記』より)『カルメン』はマレーの帰国と前後して封切られ、予想を上回るヒットとなった。封切期間は延長され、逆に次作を慌てて撮る必要がなくなった。それを逆手にとったマレーとマネージャーは、違約金なしで『西から来た娘』出演をキャンセルすることに成功する。バラットーロとしては、違約金を取ってマレーとの関係を悪化させるより、どうせ当たりっこないワケわからんゲージュツ作品『悲恋(永劫回帰)』が終わったらまた、何かでマレーを起用しやすくしておいたほうが得策だと考えたのだろう。だが、正しかったのはマレーだった。『悲恋(永劫回帰)』は『カルメン』をはるかにしのぐ超大ヒット作品となり、フランスの美男俳優ジャン・マレーの名前をヨーロッパ中に轟かせることになる。『カルメン』は今はもう見ることはできないが、『悲恋(永劫回帰)』は現在の日本でもDVDが売られている。こちらはネットで見つけた『カルメン』のポスター。ううむ、時代感がよく出ている…… カルメンの向かって左(の下)にいるのがマレーかな? あまり似てない気もするケド(苦笑)。<4月9日へ続く>
2008.04.07

ある日の午後、クレープシュゼットが食べたくなった。フレンチのコースの最後に作ってくれるレストランはあるものの、その日はクレープシュゼットだけが食べたかった。もちろん、目の前で作ってもらわなければ。たしか、ホテル・オークラのオーキッドルームでサービスしていたハズ。もうそろそろ夕方に近い時間だった。さっそく電話をしてみると、ディナーに向けてクローズ時間があるという。今から行くとディナータイムになってしまう。おそるおそる「クレープシュゼットだけの予約でもいいいですか?」と聞くと、こころよくOKの返事が。オークラに着き、オーキッドルームで名前を告げると、「クレープシュゼットのお客様ですね」きわめてジャパネスクな意匠の施された、高い天井をもつ大空間に腰を下ろす。さっそくワゴンが運ばれてくる。クレープシュゼット、それは1つの儀式。オレンジピールと砂糖を練りこんだシュゼットバターをピカピカの銅製フライパンで溶かすのが、秘密めいた儀式の始まり。グランマルニエに加えてコアントロー、それにキルシュを加えるのがオークラ流。さくらんぼのリキュールを入れるのは珍しいかもしれない。リキュールが一筋の青い炎となって、折りたたまれたクレープにふりそそぐ。レモンの皮がソースに加えられ、香りを移したところですぐに取り出される。残り香が苦味に変わる前に。角砂糖をオレンジとレモンの皮にぎゅっとこすりつけ、移り香もろともソースに溶かす。最初は激しく燃え上がり、それからまとうようにフライパンをつつみこむ炎。巫覡がオレンジの皮をむく。ヴァチカンの奥でとぐろを巻く、あの螺旋階段のよう。そして、炎で昂ぶったコニャックを鍋の頭上でたらすと、青い翼をひろげて、天使が螺旋階段を降りてくる。それが儀式のクライマックス。ソースはかなり煮詰めてとろみを出す、クラシカルなフィニッシュ。艶やかな逸品。何層にもなったリキュールの芳香、大地の恵みを貪欲に吸い込んだクレープの舌触り。フレッシュなオレンジの果肉とアイスの冷たい甘み。時間と手間がかかりすぎるためか、クレープシュゼットを供してくれる店は少なくなった。その意味でもオークラは貴重。一度は行くべし!
2008.04.06

石垣島の「ペンギン食堂」で売っている「石垣島ラー油」。テレビで紹介されて人気が出たとか。初めてのお客さんは直接頼んでも数ヶ月待ち…… という話も聞いたのだが、Mizumizuの場合は近所の店をとおして予約、いつもスンナリ買っている。普通のラー油のようには辛くない。そのかわり奥深く、複雑な味。島唐辛子、唐辛子、春ウコン、秋ウコン、ピパーチ、石垣の塩、黒糖、黒豆、白ゴマ、ニンニク、山椒、植物油…… こんなにいろいろなものが入っている。ラーメンなどのほかに、冷奴にかけるとやみつきになるおいしさ。ご飯にそのままかけて食べる人もいるらしい。
2008.04.05
<きのうから続く>『カルメン』の出演を打診されるほんの少し前、マレーはコクトーと出会う前に演技の手ほどきを受けた恩人のデュランから舞台劇の出演を依頼されていた。「頼むから手伝ってくれ。『守銭奴』のクレアント役がいなくてね。君が『人生は夢』をやりたがってるのは知ってる。だからあとでそれを君のために上演するよ」そこでマレーは急遽クレアント役を引き受け、1週間で何とかものにしてデュランとともに舞台に立った。マレーは舞台俳優兼演出家としてのデュランを尊敬していたのだ。『守銭奴』は好評で、デュランはまたマレーに出演を頼んでくる。だがそれは、マレーの演じたがっていた『人生は夢』ではなく、スペインの戯曲だった。「デュラン先生、あとで『人生は夢』を上演してくれる約束は?」「まずはこっちをやろう。すごくいい作品だろ?」マレーにはそうは思えなかった。「映画の撮影もあるんですが」「ひまなときに稽古すればいいさ」あまり乗り気にはなれなかったが、マレーは結局恩師の依頼を断りきれずに承諾した。ところが、そのあとに仏伊合作の娯楽映画『カルメン』のドン・ホセ役が本決まりになってしまう。カメラテストで「泣いてみて」と要求され、マレーがすぐに泣いてみせたことに映画関係者は驚き、特に総監督を務めるプロカンが「ジャン・マレー以外のドン・ホセは考えられない」と強く推したのだ。ロケは少なくとも3ヶ月、イタリアで行われる予定だった。デュランとの舞台には当然立てなくなるが、上演までにはまだ十分日にちはある。マレーの代役を捜せばいいことで、誰もが問題はないと考えていた。ところが、デュランが承知しない。デュランはマレーとの約束を盾にゴネはじめ、マスコミでマレーを恩知らずと非難した。これがまたスキャンダルに発展した。「事の真相などまったくおかまいなしに、新聞という新聞がマレー事件で大喜びしている」「彼らはいっせいにマレー非難活動を起こし、映画産業組織委員会がプロカン氏の名前でマレーに『カルメン』出演許可を出し、デュラン一座への出演におよばずとの指示を出していることを知ろうとさえしない」(ジャン・コクトー『占領下日記』秋山和夫訳 筑摩書房)「真相おかまいなし」で「知ろうとさえしない」… なんだか、今の日本と変わらないなあ……デュランと揉めてしまったことで、ロケ先のイタリア行きビザが発行されない。『カルメン』は当時大きな力をもっていた映画制作会社の手がける大作だった。なんとしても出たいマレーはデュランに直談判する。「デュラン先生、先生は僕を気に入ってくださっていると思っていました。今回の映画の役が僕にとっていかに重要か、わかってくださいますよね。クレアントをやれと言われたときもやったじゃないですか。今回の件だって、本当はそれほど作品は好きじゃなかったけど、先生が是非におっしゃったから引き受けたんです」「違約金を払うなら君を自由にするよ」「いくらでしょうか?」「30万フラン」『守銭奴』を演じて、ホンモノの守銭奴になってるデュランもある意味たいしたものだ。マレーは絶望して引き下がる。マレーの映画の契約金が3ヶ月で7万5000フラン。その4倍を要求されたのだ(なんつー、がめつい恩師だろう! ま、だいたい恩師ってのは、弟子が有名になるとタカろうとするものだ)。マレーがマネージャーに相談すると、マネージャーは映画制作会社に話をつけ、デュランに20万フランを支払うことで一件落着となった。不思議なことにマレーはこんな仕打ちをしてきたデュランをあまりうらんでいない。デュランは確かにマレーに演技の基礎を教えてくれた恩人だが、特に優遇してくれたわけではなかった。マレーが興味をもち、いったんは彼に与えた役を途中で取り上げてしまったこともある。カルメンがらみで莫大な賠償金が支払われたことについても、マレー自身はむしろデュラン一座のためになったと喜んだフシもある。それでマスコミにまた、「マレーとデュランは裏でひそかに共謀して賠償金をせしめた」などと言われてしまうのが、本人はあまり気にしていない。後年、デュランが病気になったときは律儀に見舞いにまで行っている。一方、コクトーはムチャクチャ怒ったようで、『占領下日記』でデュランをこきおろしている(笑)。「デュランはマレーを離したがらず、依怙地になっている。プロカンや委員会も彼を欲しがっており、やはり頑なになっている」「マレーは『カルメン』に出るべきだ! 必要なら演劇(注:舞台劇のこと)と絶縁すべきだ」「マレーは(かつて)デュランのところで1日につき10フランで1年間出演した(10フランとは!)。デュランはマレーを『プリュートゥス』の総稽古の前日に役から降ろしたが、マレーはビタ一文も要求しなかった」「賠償金として30万フラン(注:実際には20万フラン)を受け取り、おまけにレジアーニ(注:賠償金をもとにデュランがマレーのかわりに獲得した名優)の出演が得られるならデュランはいったい何を失うというのだろう? しかもまだ精神的損害の方面でもマレーを告訴する気配を見せている」要するに典型的な演劇バカで貧乏だったデュランが、有名になった弟子をダシにゴネて自分の芝居の資金を得たという話だろう。1日10フランという金額にコクトーは呆れているが、当時のマレーの自伝を読むと、デュランは本当にお金がなかったのだ。「10フランじゃ生活できないから、20フランもらえませんか?」と頼んできたマレーに対し、デュランは悲しそうに、「僕を破産させたいのかい?」と言ったというエピソードがそれを物語っている。さて、デュランとの揉め事が片付いたことで、マレーはいよいよイタリアへ出発する。まだ映画出演はわずかだったにもかかわらず、当時のマレーの人気は本人も、そしてコクトーも驚くほどになっており、ホセ役のために髪を黒く染めて美容院から出てくると、周囲の女性がみな振り返り、「黒髪も似合うわね」「金髪のがいいわよ」「ロケでイタリアへ行くらしいわよ」などと噂をしたという。コクトー自身はマレーにもちこまれる映画の役が、どれもこれも「僕のジャノ」にはふわしくないものばかりだと常に考えていた。本格的な映画デビュー作となり、マレーの大衆的な人気が広がるきっかけとなった『燃える館』についても、「つまらない作品」だったとけなしている。カルメンは大作だし、出るべきだ。そうすればお金も入ってくる。だが、マレーにふさわしい役は別にある。そう考えたコクトーは自身で新しい脚本を書き、イタリアへ長期ロケに出かけるマレーに持たせた。それが『悲恋(永劫回帰)』だった。マレーのほうは「3ヶ月もジャン(コクトー)と離れるなんて、胸が締め付けれられるよう」だと感じている。そして、飼い犬のムールークをイタリアに連れて行っている。「ムールーク相手にジャンのことを話したいのだ」(マレー自伝より)。マレー君、ミラのことはきれいさっぱり忘れて、思い出しもしないようだね。<来週に続く。週末はコーヒーブレイクネタです>
2008.04.04
ジャン・マレーの本格的な映画デビューは1941年。実はその前、コクトーと出会った1937年までに、10本ほどの映画に端役やエキストラとして出ている。例のセクハラ監督マルセル・レルビエの作品やマルセル・カルネの作品などだ。1938年に舞台『恐るべき親たち』がヒットすると、さっそく映画界から主役級でのデビューの話が多く舞い込んでくるようになる。まず最初に来た話にはマレーの憧れていた映画スターがキャスティングされていた。彼らと共演できることが嬉しくてさっそく契約にサインするマレー。ところが脚本を受け取ってショックを受けた。プロデューサーに契約破棄の電話をかけると、共演者に名を連ねていた名優が説得にやってきた。憧れの先輩の直々の訪問に圧倒され、いったんは押し切られたものの、「やはりこの作品で主役をやるのは嫌だ」と思い直し、プロデューサーに書留で出演拒否の意思を伝えた。結果、違約金を払うハメに。まだそれほどお金のなかったマレーは借金する。「こうして、私の映画経歴は出演しないために金を払うことから始まった」(マレー自伝より)。1939年は、待つまでもなく次々に映画出演を打診される。今度はしっかり脚本を吟味するマレー。まず最初に興味をひかれた映画はマレー自身が体調を崩したために逃してしまった。それから内容以上に共演者にひかれて出たいと思った作品があったのだが、原作者が「出演しなければ(自分のもっている)新聞の批評欄で叩きのめす」などと余計な脅迫をしてきたために拒否する結果に。次に『マノン』のカメラテストを受けたが、プロデューサーが「マレーはデ・グリューではなくダントン」だと言ったことに、コクトーが(横から・笑)激怒、お流れに。そこでコクトーは『恐るべき親たち』を自身の演出で映画化しようとする。だが、キャスティングで揉め事が起こる。コクトーやマレーを含めた関係者全員が「若い娘役にはふさわしくない」と考えた女優を、第一出資者の劇場主がゴリ押しで出演させようとしたのだ。映画化に向けてセットも組まれていたのだが、結局このキャスティングで両陣営の意見が折り合わず、契約は破棄されセットは取り壊しに。コクトーとマレーはサン・トロペへバカンスに出かけ、そこで開戦を知ることになる。マレーは戦場へ。動員解除されたのは1940年の終わりだった。そして1941年、占領下のパリで『ブリタニキュス』の舞台に立ったマレーに独占契約を求めたのはマルセル・カルネだった。「私の夢はマルセル・カルネと映画を撮ることだった」とマレーは自伝で書いているから、好きな映画監督だったのだろう。ところが、カルネが何度企画を出しても、「ジャン・マレー」の名を聞くとドイツ当局が許可しない。そんなか、マレーはコメディ・プランセーズのオーディションを受ける。相手役はマリー・ベルが務めてくれた。合格して入団したマレーにまたマスコミが攻撃を仕掛けてきた。マレーのオーディションはでっちあげではじめから入団は決まっていたと書きたてたのだ。これに怒ったマレーはコメディ・フランセーズに反論を頼むのだが、拒否される。そこで新聞紙上に自分の署名入りの公開状を送り、真実を明らかにした(実はコクトーが代筆したもの・笑)。ところが一座員が許可もなく抗弁したことで、今度はコメディ・フランセーズが面子をつぶされたと大騒ぎ。マレーの立場は一挙に悪くなる。コクトーはといえば、占領下で阿片が入手困難になってきたこと、密告される危険性があったことから、マレーに説得されて阿片治療のために入院をした。マレーの献身的なサポートもあって解毒治療には成功したのだが、その後しばらく何も書かなった。マレーはそれを非常に気に病んでいた。だが、マレーがコメディへ入団したのを受けて、コクトーは約束どおり韻文のオリジナル戯曲『ルノーとアルミード』の執筆に入り、マレーを安心させる。完成した作品はコメディ・フランセーズの審査委員会満場一致で採用が決まる。「個人的にいえば、私はジャンのことが自慢だった。古典派的であるとともに浪漫派的な韻文の美しさは、非常に特殊な文体で、ジャン独特のものだった」(マレー自伝)。そりゃそうだろう。俳優のコメディ・フランセーズ入団にあわせて、その格式にふさわしい戯曲をオリジナルで作ってくれるなんてヒト、世界中のどこを探したっていないよ、マレー君。舞台美術はもちろん、クリスチャン・ベラールが予定された。コメディ・フランセーズでコクトーの韻文戯曲に出演すること――マレーの夢はすぐにでも実現するかに思えた。だが、そこにまたマルセル・カルネから映画化の話が持ち込まれる。原作はヌヴー、脚本はコクトー、すでにコクトーは台本を書き始めていた。マレーはコメディ側に映画撮影のために1週間の休暇を認めてくれるよう交渉をする。ところが、超お高い劇団からは許可が出ない。そこでしかたなくいったん辞職し、映画のあとにまた採用してもらう話をつけて、コメディーを退団した。またマスコミが大喜び。大見出しで、「ジャン・マレー、舞台も踏まずにコメディ・フランセーズを去る」とスキャンダラスに報道した。さらに、またも映画は撮影許可が下りなかった。困惑したカルネは、マレーが気に入る映画があれば出演してもいいと事実上独占契約を取り消した。マレーはコメディに戻り、「映画がぽしゃって体があきました」と総支配人に。だが、この態度が総支配人を怒らせた。「君は私をからかうのか。コメディ・フランセーズが出入り自由だとでも思っているのかね」これをまた各紙がおもしろおかしく書きたて、マレーのコメディでの居場所は完全になくなった。コメディとマレーの間に入ってすっかり面子をつぶされた女優マリー・ベルはマレーと絶交した(苦笑)。マレーのために書かれた『ルノーとアルミード』はその後コメディ・フランセーズで上演され、ベラールの美しい装置ともあいまって好評を博すが、「ジャノのために」と書いたコクトーにとっても、「コクトーの韻文戯曲をコメディで演じたい」と夢見ていたマレーにとっても苦い思い出となった。さて、カルネが約束を解除してくれたために、マレーはバロンセリ監督の『燃える館』で映画デビューを果たす。一連のスキャンダルも手伝って話題にはなったが、マレーが撮影現場で感じたのは、他のベテラン映画俳優に比べて、自分の演技力が圧倒的に劣っているということだった。映画は舞台での演技とは違う――マレーはそのことを思い知った。次の映画は『天蓋つきベッド』。この作品でマレーは女優のミラ・パレリイと知り合い親密になる(彼女はのちの『美女と野獣』にも出演している)。それから、娯楽大作の『カルメン』のドン・ホセ役に抜擢され、長期ロケでイタリアに行くことが決まった。ところが、マレーはここでまたもスキャンダルに巻き込まれる。<続く>
2008.04.03
<きのうから続く>半時間以上待って、ようやくアラン・ロブローがレストランから出てきた。彼は太い杖をもっていた。それをもぎとって、通りの向こう側に放り投げるマレー。杖を使えば、ロブローを殺しかねなかった。ロブローに飛びかかり、鉄拳を見舞う。血を流しながらロブローが叫ぶ。「助けてくれ! 警察を!」ロブローは抵抗しない。マレーは彼の卑劣な攻撃の対象にされた「犠牲者」の名前を挙げながら殴り続けた。そして、マレーがレストランに戻るとシャンパンが用意されていた(笑)。ロブローも戻ってくる。「頼む。警察に連絡を」レストランの店主はすでに電話線を切っていた。外はどしゃ降りになった。家路を急ぎながら、「逮捕されるかも」とコクトーが心配する。「ジャン、君は大丈夫だよ。僕は仕方ないさ。やったことはやったことだからね」<事件の翌日、どこかの国のワイドショー>司会者「昨夜、とんでもない事件が起きてしまいました。横綱の朝青龍俳優のジャン・マレーがスポニチ記者評論家のアラン・ロブローを殴打し、怪我を負わせたとのことです。現場にはレポーターのeat sea grove さんが行っています。eat sea grove さ~ん」レストランの前に沈痛な面持ちのレポーターがマイクを持って立っている。レポーター「現場のeat sea groveです。事件は昨夜10時ごろ起きました。こちらのレストランでたまたま2人が鉢合わせし、ロブロー氏が出てくるのを待ち伏せして、ジャン・マレーがいきなり殴りかかったのです」司会者「怪我の程度はわかっていますでしょうか」レポーター「ロブロー氏の事務所に問い合わせたところ、全治2ヶ月の重傷だそうです」司会者「警察の捜査は進んでいるんですか?」レポーター「先ほど現場検証が行われた模様です」司会者「今日スタジオには特別ゲストとして横審のinside chateauさんとマレーさんの育ての親でもある映画監督のレルビエさんにも来ていただきました。inside chateauさん、今回の事件をいかがお思いになりますか」ゲストI.C「私の中ではジャン・マレーはもう引退した人ですから」司会者「まだ27歳ですが……」ゲストI.C「BLには老けすぎです」司会者「ビーエルって何ですか?」ゲストI.C「土俵のことです」アシスタントの女性司会者「裸で勝負、ということですね~」司会者「……morning sunさんのご意見は?」レギュラーコメンテーター「暴力はいけませんね。何か行き違いがあったんでしょうけど、暴力では何も解決しません。当事者同士がよく話し合うことですよ」司会者「ジャニーさんは、どう思われますか?」レルビエ「レルビエです」司会者「失礼、レルビエさん。レルビエさんはデビュー前のマレーさんに演技の手ほどきをされたということですが」レルビエ「こんな事件を起こすんじゃないかと心配しておりました。彼はキレやすくて、忍耐力が足りません。私もよく注意して教育したつもりだったんですがね。なかなか……」司会者「もともと暴力的だったと?」レルビエ「素直さが足りないことは確かでしたな。こちらの言うことを聞かないんですから。結局事務所を辞めてもらったんですな」司会者「そういえば、過去に巡業をサボって駐屯地を抜け出してナカタ氏コクトーとサッカーしていたという話もありましたね」ゲストI.C「あのときに引退勧告すべきでした」司会者「コクトーの愛人という噂もありますが」レルビエ「まったくうらやましい…… いや、不道徳きわまりない。私のような常識人には思いもよらないことです」司会者「逮捕・起訴は免れないのではという話もありますが、morning sunさん?」レギュラーコメンテーター「免れないかもしれませんね。とにかく、これを機によく反省して、今後は地球平和貢献俳優を目指してほしいものです。暴力はいけません」司会者「ありがとうございました。それではいったんコマーシャルを」翌朝、新聞は一斉に「史上最低の横綱パリで最低の俳優」と書きたてる。マレーの自宅には、だが、感謝と賛辞の電話がひっきりなしにかかってきた。ロブローからいわれない攻撃を受けていた俳優、劇場支配人、演劇関係者からだった。ロブローが手を回したらしく、『タイプライター』は上演禁止になった。だが、ドイツ当局はそれ以上は動かず、マレーが逮捕されることもなかった。ちなみにこの殴打事件は、後のフランソワ・トリュフォーの映画『終電車(1980年)』のワンシーンにもなっている。オリジナル戯曲の上演場所を失ったマレーはコメディ・フランセーズに入団することを考える。コメディ・フランセーズはフランスでもっとも格式の高い国立の劇団で、パレ・ロワイヤルのそばに同名の劇場をもっている。以前、マレーは韻文の創作戯曲を書いてくれるようにコクトーに頼んだことがあった。すると、コクトーは、「君がいつかコメディ・フランセーズ入りをしたらね。そのときに書くよ」と答えている。マレーはコメディ・フランセーズの看板女優だったマリー・ベル(映画では『舞踏会の手帖』に出演)に相談し、彼女の口利きでオーディションを受けることになった。マリー・ベルはマレーに『フェードル』という作品で自分の相手役を務めてほしいと考えていた。マレーはマレーで、まだ書かれていないコクトーのオリジナル韻文戯曲のコメディ・フランセーズでの上演を夢見ていた。<続く>
2008.04.02
「占領下のパリでは、人々は皆虚勢を張っていた」とマレーは自伝に書いてる。何事もないように劇場が開き、どこも満員札止め。以前と変わらない生活を送ることでパリの人々はドイツと闘っていたのだ。だが、その陰ではゲシュタポによる凄惨な弾圧が行われており、マレーとコクトーの友人にも犠牲者が出ている。マレーの身近ではリリー・ド・ロスチャイルド。裕福な社交界の花形でマレーもしばしば彼女の晩餐会に招待されていた。ある晩、友人と食事に出かけるつもりだったリリーは突然自宅にやってきたフランス人警官によって逮捕されてしまう。自身はユダヤ人ではなかったから、すぐに釈放されるだろうと考えたリリーは逃げようと思えば逃げられたのだが、素直に従った。靴も足を小さくする整形靴のままだった。収容所に送られた彼女は、靴のせいで1ヵ月後には歩けなくなった。看守はそんなリリーに起き上がるよう命令し、彼女が拒むとガス室に送った。コクトーの周囲からは、ジャン・デボルト。デボルトはラディゲのあとにコクトーの前に現れた若き文学の才能だった。2人の出会いはいわゆる「狂乱の」20年代――1926年。デボルト20歳、コクトー37歳。デボルトにラディゲの再来を見たコクトーは彼を支援し、私生活でも同棲状態に入ってしまう。それ以前にコクトーは一時カトリック教会に接近し、信仰に救いを求めているが、デボルトとの関係が抜き差しならなくなると、結局教会と決別し、自身も『白書』を書くことになる。そのデボルトはレジスタンス運動に身を投じ、パリ解放直前に当局に逮捕される。そして5時間におよぶ拷問の末、命を落としている。コクトーがデボルト逮捕を知ったときには、すでに彼は殺されていた。コクトーによると、デボルトは足にピンが刺さっても耐えられないような男だったという。ゲシュタポおよびその手先の拷問は悪名高く、「眼球をくりぬいて、それを靴で踏み潰す」などと噂されていた。その話自体が本当か嘘かはわからない。実態を示す証拠は何も残っていない。だが、たった数時間で健康な男性を死に至らしめる拷問とは? 想像を絶する。ちなみに実際にデボルトを拷問したのは同じフランス人だったという。あるいは、マックス・ジャコブ。コクトーとマレー共通の友人のユダヤ人芸術家。1944年2月下旬に逮捕され、コクトーはその釈放に奔走する。3月中旬には釈放命令を取り付けるが、ジャコブはその10日前、収容所で肺炎のためにすでに死亡していた。これとて連行されてからわずか数週間での出来事だ。収容所の過酷で劣悪な環境が想像できる。これらは過去の特別に悲惨な出来事だろうか? おそらくは、違う。今チベットで現在進行形で起こっている出来事ではないだろうか。私たちがそれを知らない、あるいは知ろうとしないだけで。さて、1940年、占領下のパリに戻ってきたマレーは、再び舞台に立とうとしていた。まず劇場側から『恐るべき親たち』の再演を打診されるが、結局これは当局の許可が下りなかった。陰で過酷な政治弾圧を行う一方、ドイツは占領下の人々に「モラル」を求め、「不道徳な芝居」の上演は認めなかったというワケだ。そこでマレーは古典の『ブリタニキュス』の上演を決め、みずから演出も手がけた。舞台は好評を博し、なかでもピカソは恋人の写真家ドラ・マールにマレーの写真を撮らせ、記念に保存したいと申し出ている。マレーのほうは本格的に映画デビューを考えており、有名な映画監督マルセル・カルネを舞台に招待している。カルネは他の映画からの誘いがあっても断るようにマレーに約束を迫った。マレーは約束する。実はこのことがコクトーの心にさざ波を起こすことになる。『ブリタニキュス』は観衆からは喝采で迎えられたが、新聞批評は冷たかった。このころ有力新聞の批評欄は対独協力派によって牛耳られていた。コクトーは「精神の領土を守ろう」と呼びかけを始めていたから、ドイツ当局ににらまれていた。そのコクトーによって世に出た人気俳優マレーも対独協力派にとっては目障りな存在だった。政治的な背景だけではなく、批評家の個人的なコクトーに対する嫉妬や羨望、コクトー&マレーのコンビに対する生理的な嫌悪も手伝って、2人は格好のイジメ対象になってしまう。2人への攻撃は古典の『ブリタニキュス』に続いてマレーが主演した、コクトーのオリジナル戯曲『タイプライター』の上演をきっかけに明確に口火が切って落とされる。コクトーとマレーへの「一大誹謗中傷キャンペーン」の中心となったのはアラン・ロブロー。自身も詩人で戯曲も書いた。批評家としても有名で、パリが占領されるといち早くドイツ当局に接近して政治的な影響力を強め、劇文学界の陰の天皇とまで呼ばれるほど権勢を誇っていた。『タイプライター』が初日を迎える直前、マレーは親しい新聞記者からロブローがコクトーをこきおろす準備をしていると聞かされる。「だってロブローは戯曲を見てもいないし、読んでもいないだろ」「そりゃそうさ、でもそう決めたんだ」「それなら、ロブローに伝えてくれ。そんなことをしたら俺が奴を叩きのめすとね」しかも、この舞台は初日寸前に横槍が入った。ドイツ当局が突然上演禁止を通告してきたのだ。劇場の支配人は直接ドイツ当局に掛け合い、芝居の一部(てんかん発作の場面)をカットすることで許可を取り付けた。初日の幕があいたが、アラン・ロブローは劇場に来なかった。にもかかわらず、あくどい批評を新聞紙上に発表。戯曲をけなし、役者をけなし、私人としてのコクトーにも汚い攻撃を仕掛けてきた。完全に「怒髪天」状態になったマレーは、きっぱり心に決める。「どんなに高い代償を払うことになっても、必ず張り倒してやる」だが、ロブローにはなかなか会えない。ある春の夜、マレーがコクトーとその女友達とレストランで食事をしていると、劇場主がロブローが来ているとマレーに教えてくれる。マレーはロブローの席へ行き、「あなたはアラン・ロブローですか?」と尋ねる。ロブローは答えない。再び同じ質問を繰り返すマレー。相手はようやくそうだと認める。マレーは唾を吐きかける。ロブローが立ち上がる。向かってくるものと思ったマレーはロブローに殴りかかる。そこへ店の店主がわって入った。「店ではやめてくれ! また厄介な目に遭わなきゃならん。この店ではダメだ!」「よし、それなら外でだ」マレーは席をはずす。レストランにいた友人たちが一斉に慎重になるようにとマレーに懇願する。コクトーも必死で思いとどまらせようとした。「ジャノ、あいつはゲシュタポだ。僕たちは銃殺刑だぞ」「ジャン、ロブローはゲシュタポなんかじゃないさ。それに君には何も責任はないよ。僕はアイツを叩きのめすと言ってある。だからやるだけさ」外はしのつく雨だった。マレーは待った。ロブローはなかなか出てこない。<続く>
2008.04.01
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