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<きのうから続く>儀式のようなヴィスコンティ邸の食事が始まった。食前酒のスプマンテを注いだカメリエーレがひっこむのを待って、マレーは昨夜出会ったシチリアの少年の話をした。悲劇的な境遇の少年を救うためには、たとえば自分が彼を養子にするのはどうだろう――マレーは真剣にそう思っていた。「養子……?」「うん。ここに来る前にガソリン・スタンドに寄ってみた。もう誰かのクルマに乗って南に行ってしまったあとだった。――なあ、ルキーノ、あの子にもう一度会うには、どうしたらいいんだろう?」ヴィスコンティはマレーの突飛な相談に、驚いたふうはなかった。冷静に聞いていたが、次の質問はマレーのほうを驚かせた。「ジャノ、君は――その子に惚れたのか?」ヴィスコンティの声は沈着だった――というより、むしろ陰鬱だった。「おいおい、ルキーノ。何を言ってるんだ。――12歳ぐらいの子供だよ」「12歳は、すぐに14歳になる。それから15歳になり、16歳になり、17歳になる……」「待ってくれよ。そういう目的で養子を取る人間がいるのは知ってる。でも、誓って言うが、ぼくにはまったくそんな嗜好はないよ。――ぼくはただ、1人の不幸な少年を救いたいんだ。父親が母親を殺して、自分はひとりぼっち。そこまで運命に見放された子供に手を差し伸べるのは、正しいことじゃないのか?」アンティパストが運ばれてきた。ヴィスコンティは黙り込んだ。2人はフランス語で会話していた。だからイタリア人の給仕係に話はわからないはずだ。そもそも、聞かれてまずい話などしていない――マレーはそう思ったが、ヴィスコンティは使用人が来ると、わざわざ口をつぐんだ。昔からヴィスコンティには、こういうところがあった。何でもないことまで秘密にするような、奇妙に閉鎖的なところが。2人が初めて会ったのは、マレーがコクトーと出会った半年後の1937年の秋。当時『ヴォーグ』誌のカメラマンをしていたホルスト・P・ホルストの家だった。『オイディプス王』のときに、マレーの写真を撮りに来たホルストはすぐにマレーと親しくなり、以来マレーはホルストの家にしばしば招待されていたのだ。ホルストとヴィスコンティは、一度同時にしばらく姿を消したことがあった。ヴィスコンティはマレーが行き先を聞いても、その間のことは話さなかった。ホルストのほうが後から、2人でモロッコで休暇を取ったとマレーに話した。マレーはヴィスコンティが、ことさら秘密にしたことに多少の違和感を覚えないでもなかった。「ジャン・コクトーが、以前に君についてこんなふうに書いていたな……」と、ヴィスコンティ。「君は、『ヒロイズムの中でしかくつろげない俳優』だって――」それはある新聞にコクトーが書いた、ジャン・マレーに関するエッセイだった。ヴィスコンティがそんな記事まで読んでいるとは、マレーは思ってもいなかった。「ルキーノ、ジャンはね……ジャンは、ぼくが見るところ、ほとんど欠点のない人なんだけど、唯一の欠点は、ぼくに備わってもいない美点で飾り立ててぼくを見ることなんだ。ジャンは常に真実を語るけれど、ことぼくに関する文章は、割り引いて読んでくれよ」「そうか……」ヴィスコンティは、小海老のカクテルをまるで聖体を口に運ぶようにして食べていた。ほとんど生来の――とマレーには思える――威厳と神秘性……マレーはふいに気後れを感じた。それはやはり、ピカソの家にいるときに感じる感情に似たものだった。「……ぼくは、ヒロイズムからは程遠い人間だが、もしぼくみたいな人間にも、ジャンが君に見るようなヒロイズムがあったとしたら……それは、若いころ、『揺れる大地』を撮ったときだろう――」『揺れる大地』(1948年)は、シチリアを舞台に、資本主義に蹂躙される漁民と労働者の現実を描いた作品。マルクス主義者として知られる「赤い貴族」ヴィスコンティは、この映画を選挙の時期に公開しようとして、周囲を尻込みさせた。『揺れる大地』は興行的には大失敗で、ヴィスコンティ個人も多大な経済的損失をこうむった。さらに、ヴィスコンティが解放に手を貸したつもりのシチリアの労働者も含めて、1948年の選挙では国民の多くがキリスト教民主党に投票して圧勝、左派系は勢力を失い、ヴィスコンティの政治的な思惑もはずれる結果となった。「――ミラネーゼ(ミラノ人)のぼくにとって、シチリアはイタリアの中でもっとも遠い場所だった。いや、世界中でもっとも遠い島かもしれない。若いころはとかく人間は、自分から一番離れた世界に行きたがる」「シチリアは、そんなに異質なのか?」「半島に住むイタリア人がシチリアに対していだく感情は、とても複雑だ。それは北に行けば行くほど強烈になる。差別意識だけにこりかたまっていられる人間は、むしろ幸福なのかもしれない。シチリアーノ(シチリア人)以外のイタリア人は、常にシチリアには苛立たされる……そして、多かれ少なかれ贖罪意識をもたないではいられない。同情もある。同時に恐れ、忌み嫌ってもいる。だが、シチリアは一面で、イタリアそのものだ。イタリア以上にイタリアだ。イタリア人である以上、シチリアにこだわり、愛し、郷愁をもたずにはいられない」「……」「わかるかい?」「……いや、その――」マレーは口ごもった。「悪いが、ぼくには、さっぱり……」ヴィスコンティはやさしく笑った。「つまり、ゲーテは正しいのさ――Italien ohne Sizilien macht gar kein Bild in der Seele……」ヴィスコンティはフランス語だけではなく、ドイツ語や英語にも堪能だった。パリで出会ったとき、あまりに彼のフランス語が流暢なので、マレーはてっきり長くフランスに住んでいるイタリア人だと思ったのだ。だが、そうではなかった。フランス人の家庭教師が家にいたのだとヴィスコンティは言った。勉強はすべて家庭教師に習い、学校に通ったことがないというのは、素行不良で学校を追い出されたマレーには別世界、いやむしろ別時代の身の上話のように聞えた。「ルキーノ、それはゲーテの言葉か?」「ああ」「で……どういう意味?」「『シチリアなしのイタリアは、心の中に何のイメージも作らない』」「はあ……」マレーはがっかりした。フランス語で聞いても結局、よく意味がわからない。「つまり、イタリアはシチリアなしには存在しえないということだ。――ぼくはゲーテがイタリアについて語る言葉を引用するのが嫌いだった。それはファシストの奴らが、ナチス・ドイツとイタリアの結びつきを強調するときに、必ずゲーテを利用したからさ。だが、それも今は過去の話になった……」カメリエーレが今度は第一の皿を運んできた。ヴィスコンティは律儀に黙る。「小海老のカクテルは、いかがでしたか?」「え……ああ、とてもおいしかったよ。ありがとう」「リビエラの海老に負けないでしょう?」「リビエラ? そうかい?」主も主なら、使用人も使用人だ――わけのわからないことを言われて、マレーは混乱した。ヴィスコンティは余計なことをしゃべるなと言わんばかりに、カメリエーレを睨みつけた。使用人は慌てて引っ込んだ。「……だから、今ならゲーテは正しいと、大声で言うことができる。シチリアなしのイタリアなんぞ、考えられない。シチリアは半島より歴史が長い。マーニャ・グレーチア(大ギリシア圏)の伝統を真っ直ぐに受け継いでいる世界でも稀有な島だ。そして、君の得意なギリシア悲劇は、シチリアでは過去の伝説ではない」「ギリシア悲劇だって?」「そうだ。シチリアにはシチリアの掟がある。その掟は長い……長すぎる歴史と伝統と習慣とに守られているんだよ。それは、あの島の人間以外には、おそらく理解できないだろう――理解する必要もないし、理解されようとも思っていないかもしれない。――母親を父親に殺された息子がいるとする。息子が父親に復讐するのは、近代社会では、許されざる行為だし、無意味な行為……我々の住む世界はある意味、人の自然な欲望と欲求を否定している社会だからな。だが、シチリアでは違った考えがあっても不思議ではない。シチリアの掟は沈黙と海に守られている。変わろうとしても変わらないものが、あの島にはある。変わろうとしたものは滅びるという運命が、あの島を支配している。――君が、運命に見放された少年を救おうとして、シチリアから最も遠い世界に連れて行ったとしよう。君はその子に、これまで彼が知らなかった快適で贅沢な生活を与えることができるだろう。彼はだんだんにそれに慣れていくかもしれない。だが、人はいつか必ず、魂のふるさとに帰ろうとするものだ。――こんなぼくでさえね……君は『若者のすべて』を観てくれたんだね。だったら、ミラノのドゥオーモの屋上が出てきたのを憶えているか?」「ああ、ロッコが彼女と別れる場面だろう」「ぼくがあそこを使ったのは、ドゥオーモの建築にぼくの祖先がかかわっているからというのもあるんだ」「へえ……」マレーは感心した。それ以外に反応しようがなかった。<明日へ続く>1937年にホルスト・P・ホルストの撮った若き日のヴィスコンティ同年に、ホルスト・P・ホルストの撮った『円卓の騎士たち』の衣装を着たジャン・マレー。この舞台を見て、ヴィスコンティはマレーにイタリアでの仕事を申し込んだ。こちらは1960年代半ばにホルスト・P・ホルストの撮ったヴェネチアのジャン・マレー。ホルストは戦争を機にフランスを離れ、アメリカに移住していた
2008.08.31

<きのうから続く>サロンに入ると、百合の香りは嘘のように消えた。大理石の床は、暖かみのある木の細く精緻なヘリンボーンとなった。仕上げたばかりのように艶やかな白い漆喰の壁には、100号はあろうかという大きな油彩の絵がかかっている。それは、ゼウスとガニメデウスの図――つまり、鷲が羊飼いの若者を山へさらっていく絵だった。天井のバロック風のメダイヨンから、圧倒的な大きさのシャンデリアがテーブルに向かって重たげに下がっている。壁に埋め込まれた背の高い本棚、巨大なスタッフォードシャーの陶器、ダークブラウンのアンティークな木製の象嵌家具、床に散らばるように敷かれたいくつかのラグ。花瓶にはこぼれおちんばかりの白いバラ。逆U字型の2つ並んだ大きな窓の向こうには、緑の芝生と5月の花が咲き乱れる、手入れの行き届いた庭が見えた。明るく、そして非常に静かな、音のないサロンだった。窓のそばに置かれた、それだけはいっそモダンな黄色い椅子から、影が立ち上がった。ヴィスコンティだった。『白夜』のあと、マレーはパリのアンバサドゥール座でウィリアム・ギブソンの戯曲『ブランコの2人』の出演を申し込まれた。脚色はコクトーとも親交のあるルイーズ・ド・ヴィルモンで、相手役は才能溢れる女優のアニー・ジラルド。劇場側はマレーに演出をと言ってきたが、2人だけの芝居なので、マレーは役者に集中したかった。演出家を推薦するように頼まれたマレーは、ヴィスコンティの名前を挙げた。「絶対に受けないよ。パリまでわざわざ来て、2人芝居の演出なんて」周囲は悲観的だったが、予想に反してヴィスコンティは2つ返事で引き受けた。舞台美術もヴィスコンティが手がけた。ヴィスコンティの演出と美術は素晴らしく、マレーはその才能に驚嘆し、彼と仕事ができることに幸福感を覚えた。ヴィスコンティは演出しながら、自分も演じて見せるのだが、マレーはそれを見て、ヴィスコンティが俳優であっても素晴らしいだろうと思った。彼にそう告げたが、ヴィスコンティは笑っただけだった。アニー・ジラルドは共演者としても、1人の仕事人としても尊敬に値する女性だった。演出には忠実に、そして的確に従い、決して共演者の不利になるようなことはなしない。ちゃらんぽらんなところのない、堅実な性格でもあった。そして、『ブランコの2人』でジラルドの才能に注目したのか、ヴィスコンティは『若者のすべて』で兄弟2人から愛されるナディア役に彼女を抜擢した。『マッチ』誌は、アニー・ジラルドの特集を3ページにわたって組んだ。マレーはその雑誌をヴィスコンティに見せ、アラン・ドロンや他の役者も含めて『若者のすべて』が非常によかったこと、パリでの客の入りも上々であることを伝えた。またも、ヴィスコンティは、かすかにはにかんだような笑いを見せただけだった。ちょっと褒めると大喜びのコクトーとは対照的――と、マレーがそんなことを思っていると、急にヴィスコンティは、「ジャンにも、あらためてお礼を言っておいてくれ」とコクトーの名前を出して、マレーを慌てさせた。「え?」「『2人のブランコ』をやったときに、ジャンがぼくについて書いてくれた文章だよ。あれは素晴らしかった。ジャンに直接会ってお礼ができなかったのが心残りでね」「ジャンはこのごろ、サン・ジャンにいることが多いからね…… わかったよ、必ず伝える」2人がテーブルにつくと、カメリエーレが足音も立てずに入ってきて、マレーに手書きのメニューをわたした。テーブルの上には、よく磨かれた銀のカトラリーが並び、曇りのないグラスが4種類も置いてあった。短く切った白いアネモネの花が、四角い小さなガラスの花瓶の中でかしいでいた。カメリエーレの男は、メニューの説明を始めた。「アンティパストは小海老のカクテルです」――小海老のカクテル?マレーは首をかしげた。――どこかで聞いたな……「今朝チビタベッキアの港から、ローマに着いたばかりですよ」「それは楽しみだね――」マレーの眼の前には、男の太い腕と腕にかけたリネンのクロスがあった。カメリエーレはマレーに身をかがめるようにしながら、熱心に料理の説明をしていた。相槌を打ちながら、マレーは上の空だった。ヴィスコンティとはフランス語で話していた。急にイタリア語でべらべらと話されて、うまく脳が切り替わらない。それにマレーには、ヴィスコンティに相談したいことがあったのだ。<明日へ続く>ヴィスコンティ監督『白夜』のスチール。ジャン・マレーとマリア・シェル(右)『白夜』については3月10日からのエントリー参照。
2008.08.30
<8/27日のエントリーから続く>1961年3月、マレーはパリで、友人であるルキーノ・ヴィスコンティ監督の最新作『若者のすべて』を観た。マレーが出演した前作『白夜』から3年(注:フランスでの『白夜』封切は1958年3月)、アラン・ドロンを主役に据えたこの作品は、すでにヴェネチア国際映画祭で特別賞に輝くなど高い評価を得ていた。マレーにとってはアラン・ドロン以外にも、馴染みの女優が出演する作品でもあった。ナディア役のアニー・ジラルド。彼女は1958年に『ブランコの2人』という2人だけの芝居でマレーと共演した。この舞台の演出をマレーがヴィスコンティに依頼したことで、ジラルドは『若者のすべて』に抜擢されたのだ。映画を観終わったマレーは、『若者のすべて』が『白夜』とはまったく違ったスタイルの作品だったことに驚いた。今回ヴィスコンティは、いったん離れたとみせたネオ・レアリズモにやや回帰しつつ、5人の兄弟を軸に、家族を中心的なテーマにすえた物語に取り組んだ。――ルキーノは、まるでピカソのようだ……と、そう思った。自らが作り上げた様式を自ら破壊し、次々と新しいスタイルの作品を発表していくピカソ。そのカメレオンのような変貌ぶりは、『夏の嵐』でネオ・レアリズモから離れ、『白夜』『若者のすべて』と1作ごとにスタイルをまったく変えてみせる、この時期のヴィスコンティと共通するものがあった。さらに、ドロン演じるロッコのすぐ上の兄シモーネが、意中の女性に貢ぎ、ロッコや家族に金を無心したあげく、彼女に捨てられて自暴自棄になる姿は、まるで亡くなった兄のアンリを見ているようで胸が痛んだ。その兄を許し、なんとか支援しようと誠心誠意尽くすロッコは、理想化されたもう1人の自分であるような気さえした。アンリは若いころから、好きな女性にプレゼントをするために、一緒に住んでいた叔母の財布から金を失敬していた。その額はだんだんに増え、家族の生活を脅かした。最初の結婚は、妻に逃げられて終わった。アンリは悲嘆に暮れ、体まで悪くした。ルミナール依存症になったのもそのころだった。仕事が長続きしないアンリは、マレーの出征中にコクトーに金をせびった。マレーは何とか兄に安定した収入源を与えようと、自分が出演している劇場のオーナーに頼んで、秘書にしてもらった。だがそれも、マレーと劇場主の仲がこじれると解雇という形で終わった。2度劇場を解雇されたアンリに対して、責任を感じたマレーは、彼が死ぬまで経済的に支援し続けた。マレーはヴィスコンティに、兄の話をしたことはない。にもかかわらず、まるで胸の奥の秘密を見透かされたようだった。ロッコとシモーネは1人の女性をめぐって一時三角関係になるが、マレーと兄にも同じような思い出があった。アンリが18歳だったとき、彼の恋する女性(しかも彼女の名前は「シモーヌ」だった)の家に一緒に遊びに行った。シモーヌはまだ少年だったマレーに、とても親切だった。天使のように可愛い、と彼女は言った。恋する女性が弟ばかりにかまけたことにアンリは激怒し、帰宅したあとにマレーをめった打ちにして、彼女の家に行くことを禁じたのだ。そんな忘れかけていた思い出さえ、ヴィスコンティの最新作を観て蘇ってきた。マレーは複雑な気持ちで映画館を後にした。5月になって、マレーはアメリカ人のアーヴィング・ラッパー監督の映画『ポンス・ピラト』を撮るために、イタリアに行った。撮影中は、ローマから30キロほど離れたアルバノのブドウ畑の中にある小ぎれいなヴィラを借りて住み、毎日自分でクルマを運転して仕事に行った。ちょうど撮影の合い間にヴィスコンティと会うことになっていた前日、奇妙なことが起こった。撮影を終えてローマを出ると、1人の少年がカーストップをかけてきた。マレーはクルマを停めた。まだ12歳かそこらの、みすぼらしい身なりの痩せた少年だった。「ナポリに行きたいんだ」「アルバノまでしか行かないよ」それでも、少年は乗り込んできた。「君のご両親は、こんな夜にヒッチハイクをする君に何も言わないの?」「親なんていない」大人びた、いっぱしの口をきく少年だった。「2人とも?」「母さんは死んだよ」「じゃあ、お父さんは?」「刑務所だよ。母さんを殺したんでね」「何だって――」マレーは呆然となった。「――それは…… なんという悲劇だ……」「別に。シチリアではよくある話さ」「君はシチリア生まれか」「生まれも育ちもシチリアだよ。貧民養護施設にブチこまれたんで、逃げ出してきてやったのさ」「ナポリに行ってどうするんだい?」「船でシチリアに戻るよ」「船代はあるのか? それか、あてでも?」「あるわけないよ。でも、乗っちまえばこっちのもんだろ」涙も見せず、むしろ誇らしげな様子だった。――こんなにまで、運命に見放された少年を放っておいていいのか?マレーは迷いながら、アルバノを通り過ぎた。だが、ナポリまで行くにはガソリンが足りない。現金の持ち合わせも十分ではなかった。マレーは、ガソリンスタンドでクルマを停めた。ガソリンを入れ、残りの現金を少年に与え、スタンドの店員に声をかける。「この子をナポリまで乗せてくれる人を、探してもらえませんか?」店員は、自分に声をかけてきたのが有名な俳優だとすぐに気づき、驚いた表情を見せた。「君は、この人が誰だか知ってるの?」少年に聞く店員。「知らない」と、そっけない答え。「ジャン・マレーさんだよ。映画スターの」そう聞いても、表情を変えない。「君、名前は?」今度はマレーが少年に聞いた。「……」上目遣いにマレーを見ながら、少年は黙っている。ここで別れたら、2度と会えない――そう思ったとたん、マレーは胸が締めつけられた。思わず少年の前にかがみこんで、「君に会うためには、どこに行ったらいい? 家の住所を教えてくれるかい?」と、聞いた。少年の後ろに立っていた店員が、眉を顰めたのが目に入った。少年は、答えなかった。マレーはアルバノに戻った。少年をスタンドに置いてきたことを、ほとんど後悔していた。なぜかわからなかったが、とても悲しかった。翌日、ヴィスコンティと会うために、サラリア通りの彼の屋敷へ行った。門番は、マレーが来るのを待っていた。まるで自動式のように、見上げるほど高い門の柵が左右に開いた。石畳――それはローマの伝統にのっとり、小さな四角い黒い石を土に打ち込んで、扇型に整えたものだった――のアプローチを進んでいくたびに、外部の喧騒が1つ1つ消えていき、いにしえの貴族世界に時間をさかのぼっていくようだった。緑につつまれたヴィスコンティ邸は、茶色がかった桃色の外壁で、エントランスの扉の前には、すらりとした美青年が控えていた。クルマを降りると、庭から鳥のさえずりが聞えてくる。美しいポルタトーレは、目を伏せたまま静かに挨拶だけをして、扉を開けた。彼まで機械式のようだった。中に入ると、今度は年老いた執事がマレーを待っていた。ヴィスコンティ邸の床は、縞1つない純白の大理石で、ホールには赤いシルクのペルシア絨毯が敷かれ、灯りを掲げる半人半獣の彫刻をしつられた真に審美的な螺旋階段が目を惹いた。シャンデリアはすべて完全に18世紀ヴェネチアン・スタイルで統一されており、光沢を抑えた漆喰の壁には、ルネサンス期のものらしい絵画が黄金の額縁におさまって並んでいた。あちこちにみずみずしい花が生けてあり、ことに百合の香りがむせかえるようだった。上品な物腰の執事に案内されて、サロンに向かう。彼も最初に挨拶しただけで、あとは一言もしゃべらなかった。サント・ソスピール荘では、誰が出迎えても、サロンまで賑やかにしゃべりどおしだし、それはマレーの場合、たいてい誰の屋敷に招かれてもそうだった。だが、ここにはそうした気さくさを拒む雰囲気があった。まるで何か、禁断の儀式にでも案内されているようだった。<明日へ続く>
2008.08.29

昨日紹介した『リュミエールの子供たち』。フランス映画100年の旅と銘打ったこの作品のプロデューサーであり、ナレーションも担当したのがジャック・ペラン。若いころは『ロバと王女』での王子役を務め、その後は『ニューシネマ・パラダイス』の大人になったトト役で印象的な演技を見せた。ペランが世界に認知されるきっかけとなったのが、『家族日誌』でイタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニの弟役を演じたことだった。この2人はマストロヤンニ最晩年の名作『みんな元気』では親子役を演じた。マストロヤンニが『白夜』でフランスの名優ジャン・マレーと共演し、スターになった経緯を考えると、何かしら因縁めいている。なお、ヴィスコンティ監督『白夜』は9月5日の午後2時からNHKのBS2で放映予定のよう。同日午後1時からのヴィスコンティ監督ドキュメンタリーにはジャン・マレーも出ているはず。このドキュメンタリーは1999年公開で、マレーは前年に亡くなっている。さて、ペランの『リュミエールの子供たち』だが、基本的に映画人ではないハズのジャン・コクトーに対して、最大限ともいえる敬意を示している。コクトーがかかわった作品は非常に高率で採用しているのだが、中でも興行的に見れば決して成功したとはいえない、デビュー作の『詩人の血』、遺作の『オルフェの遺言』の2つをちゃんと入れているところは特筆に値する。『オルフェの遺言』で詩人が槍で突かれる場面。これは『美女と野獣』でマレー演じるアヴナンが矢を射られて野獣にメタモルフォーゼし、死んでいくシーンにつながる(このシーンについては5月9日の記事参照)。『美女と野獣』では、5月9日の記事でも紹介したように、撮影の際、射手の立つ位置がうまく決まらず、マレーが苦心して腕だけでぶら下りながら身体の角度をずらし、何とか下から射られたように撮った。『オルフェの遺言』でも、槍をうまく斜め上からあてることができなかったようで、槍が突き刺さる場面と突き刺さった後の場面では、槍の方向が若干違ったままになってしまった。演じていたのがマレーだったら、撮り直しを要求したかもしれない。コクトーの代表作『美女と野獣』に関しては、撮影現場でコクトーが「少し待って」と撮影を止める場面、それに完成した映画から、野獣(ジャン・マレー)がベル(ジョゼット・デイ)を館に運んでいく場面をかなり長く採用している。『リュミエールの子供たち』で流される名作のカットはほんの一瞬のものも多いので、『美女と野獣』の長さはかなりの特別扱いだと言っていい。『美女と野獣』の撮影現場のシーンでは、三島由紀夫をも魅了した、あのコクトーの優雅な手の動きがとらえられている。ジャン・マレーもコクトーのほっそりとした指と美しい動きを大変に愛していた。コクトーに手形を送ってくれるように頼んだり、晩年にはコクトーの手をモデルにしたと思われる彫刻作品も作っている。『リュミエールの子供たち』で一瞬映るコクトーの手の弧を描く動きは、確かに生来の優美さがある。ほかにも、1942年にコクトーが台詞を担当したド・ポリニー監督の『幽霊男爵』。同年にジャン・マレーが出演し、コクトーが台詞の書き直しをしたロラン・テュアル監督の『天蓋つきベッド(円柱つき寝台)』といった、今では全編見るのが不可能な珍しい作品も取り上げられている。『天蓋つきベッド(円柱つき寝台)』は大ヒットした『悲恋(永劫回帰)』の1年前の作品だが、このときのマレーは『悲恋(永劫回帰)』よりさらに細い、まごうことなき美青年ぶり。庭につながるフレンチウィンドウ、細い脚の上品な家具…… いかにもフランス的なインテリアのこじゃれた部屋で、スパンコールを散らしたティアードドレスをまとったお姫様が立っている。そのお姫様にひざまずいて、ドレスの裾にキスをしているのが若き日のジャン・マレー。お姫様役のオデット・ジョアイユーも、つぶらな瞳におちょぼ口、ブロンドの巻き毛と、まさにフランス人形そのものといった可憐さ。『天蓋つきベッド(円柱つき寝台)』のマレーについてコクトーは、「録音が悪く、声が甲高くてよく聞えない。本人が当てにされるのを嫌っている身体的特長を濫用しているのみ」と、評価していないのだが、このシーンだけを見る限り、お人形のような美男美女の取り合わせが、うっとりするほどロマンチック。『リュミエールの子供たち』では、フランスの生んだ3大美男スター、ジャン・マレー、ジェラール・フィリップ、アラン・ドロンを公平に扱い、それぞれの代表作5本を選んでいる。ジャン・マレー - 天蓋つきベッド(円柱つき寝台) - 悲恋(永劫回帰) - 美女と野獣 - 城塞の決闘 - 怪傑キャピタンジェラール・フィリップ - 花咲ける騎士道 - 悪魔の美しさ - 夜の騎士道 - 狂熱の孤独 - 赤と黒アラン・ドロン - 太陽がいっぱい - 太陽が知っている - 素晴らしき恋人たち - サムライ - パリの灯は遠くアクシデントが生んだ『太陽がいっぱい』の名シーンもちゃんと入っている(このアクシデントについては5月28日のエントリー参照)。もちろん美男スターだけではなく、歴代のフレンチ・ビューティも一堂に会しているのが、『リュミエールの子供たち』の魅力でもある。たとえばダニエル・ダリュー。『ルイ・ブラス』では相手役に食われて(?)、その美貌が引き立たなかった感があったが、ダリューのもっとも美しいカットといえば、やはりこれでしょう。『暁に帰る』から。波打つ豊かな髪、頬杖をつきながら歌うダリューのものうげな眼差し。際立ってみずみずしい肌。顎を上げ、若干斜めから撮った顔が、恐らく彼女は最高に美しい。そして、エドヴィージュ・フィエール。『双頭の鷲』で、グレタ・ガルボが演りたがった女王役をコクトーは、「あの役はエドヴィージュのものだから」と譲らなかった(女王役がエドヴィージュに行くまでのいきさつについては5月17日のエントリー参照)。フィエールはやはり、このように女王様然とした佇まいで、ハスキーな声で強気な台詞をささやくときが、たまらなく魅力的。セクシーな美女といえば、忘れてはいけないB.B.こと、ブリジット・バルドー。実は彼女を最初に映画に使おうとしたのは、ジャン・マレーだった(7月17日のエントリー参照)。バルドーのセクシーでコケティッシュな魅力をあますところなく引き出して見せたのが、彼女の最初の夫、ロジェ・ヴァディム。『素直な悪女』での、健康的かつ肉感的な太腿と……野性的な美貌。そのほかにも…フランスの誇る悪女、マノン・レスコーを演じたエマニュエル・ベアール。『泉のマノン』から。歌手としても活躍していたヴァネッサ・パラディが演じる17歳の少女が、49歳の高校教師(哲学)に一方的に惚れこむという、中年“腐”男の妄想としか思えないアリエナイ設定の『白い婚礼』から。こんな超ウルトラ美少女にこんなコトを言われたら…… 全世界の男性の妄想を駆り立て、悩殺した名シーン。忘れちゃならない、カトリーヌ・ドヌーブ出演作品も、もちろん数本取り上げられている。これは名作『シェルブールの雨傘』から。ドヌーブが初めてセザール賞主演女優賞を獲得した『終電車』も入っている(『終電車』については7月4日からのエントリー参照)。なぜか、ドミニク・サンダがいない――と思ったら、サンダの代表作は、イタリア映画だったりドイツ映画だったりするということに気づいた。選りすぐりの名作から、選りすぐりのシーンを集めた『リュミエールの子供たち』。このアンソロジーを引き立てているのがフランス映画には欠かせない音楽家、ミッシェル・ルグラン。時にドラマチックに、時にスリリングに、時にロマンチックに映像を盛り上げる旋律は素晴らしいの一言。不満があるとすれば、『リュミエールの子供たち』は日本でDVD化されておらず、ビデオでしか見ることができないこと、それにここで取り上げられている古い名作の中には、見たいと思ってもすでに消えてしまった作品が多いことだろうか。
2008.08.28

『Le Bossu(直訳はせむし男)』はポール・フェヴァル原作のルイ王朝華やかな時代の騎士道物語。フランスでは非常に人気があり、何度も映画化、テレビ化されている。映画での主だった作品としては、以下の3本がある。邦題は公開当時の時代を映していておもしろいが、原題は全部Le Bossu。1944年 ジャン・ドラノワ監督、ピエール・ブランシャール主演、邦題『血の仮面』1959年 アンドレ・ユヌベル監督、ジャン・マレー主演、邦題『城塞の決斗』1997年 ド・ブロカ監督 ダニエル・オートゥイユ主演、邦題『愛と復讐の騎士』(ロードジョー公開はなし)1959年のジャン・マレーは、父アルフレッド・マレーの死、兄アンリ・マレーの死、ジョルジュ・ライヒ(レーク)との別れなど、精神的にどん底で、経済的にも苦境にあった。この年、マレーは映画を1本しか撮っていない。それが『城塞の決斗』(フランスでの封切は1959年11月26日で、何の因果かジェラール・フィリップの亡くなった翌日)だったのだが、この映画で演じたアンリ・ド・ラガルデール役は、批評家からも観客からも喝采で迎えられ、騎士道時代劇映画にジャン・マレーあり――をフランス中に知らしめる結果となった。そのときの様子を伝えるコクトーの電報と手紙は、喜びに満ちている。「電報 君のラガルデールは、最高にうるさい人たち相手に勝利を収めました。ぼくが目を覚ましたら感動を伝えてほしいとアラゴン(=ルイ・アラゴン、詩人)がマドレーヌ(=コクトーの家政婦)に電話を寄こしました。月曜に映画を見ます。くちづけを送ります。ジャン」「1960年1月27日 ぼくの善良な天使 せむしはあの瘤にラガルデールの巻き毛と同じくらいの夢を入れて運んでいます。君は2倍素晴らしかった。客席は賞賛の叫びをあげています」フランスでのルイ王朝時代の騎士道物語というのは、日本のチャンバラ時代劇のようなもので、常にコンスタントな人気がある。また、周期的に大ブームが起こり、続けて同じような作品が量産されることもある。フランスではちょうど60年代初めにこの騎士道物語ブームが起こり、マレーはその波にのった。1960年にはコメディタッチの『怪傑キャピタン』に主演、これも観客の爆笑を誘って大ヒットとなり、1961年には同じような娯楽時代劇を1年で数本封切るという人気ぶりになる。19世紀のロマン派長編小説を下敷きにした騎士任侠劇というのは、もともとはかつてコクトーが『ルイ・ブラス』で描いた世界で、実際『怪傑キャピタン』には『ルイ・ブラス』とそっくりなシーンがかなりある。この綱につかまっての振り子移動は『ルイ・ブラス』そのもの(5月24日のエントリーの写真参照)そのあと窓ガラスを割って逃げる展開も同じ。ただし、『怪傑キャピタン』ではキメ台詞がある。『ルイ・ブラス』公開当時は、イタリア・ネオレアリズモが隆盛を極めていたころでもあり、『ルイ・ブラス』は異色作品扱いだった。10年以上たって、ようやく世間がコクトーに追いついてきたのだ。それについてマレーは新聞紙上に発表したエッセイで、コクトーの先見の明を称えている(5月26日のエントリー参照)。娯楽映画のヒットとともに、マレーの経済的苦境も嘘のように霧散し、長年マレーの浮き沈みに付き合ってきたマネージャーのリュリュは胸を撫で下ろす。またしても、マレーが「不当なほど幸運」であることが証明されたのだ。60年代の初めの騎士任侠映画とそれに続くファントマ・シリーズでマレーはひと財産作ってしまう。騎士道時代劇に対するフランス人の愛着については、1995年にジャック・ペランがフランス映画史100年を記念して製作した『リュミエールの子供たち』(1995年)で、次のように解説している。「フランス映画の持続性、それはヒーローが登場する大衆文学を映画化することで、義憤を覚える山賊や無欲の仇討ちを描くことでもあった」。『リュミエールの子供たち』は、1885年のリュミエール兄弟のシネマトグラフの発表と公開上映を「映画誕生の年」と位置づけたうえで、100年におよぶフランス映画の歴史を概観し、選りすぐりの307本から名場面を抜粋して編集した作品。ちょうど『ニューシネマ・パラダイス』で、ペラン自身が演じた大人になったサルヴァトーレ(トト)が最後に観ていた、ラブシーンをつなげたフィルムと同じようなカットの連続になっている。ジャン・マレー主演の映画は5作品入っているが、そのうちの2作がこの「ヒーローが登場する大衆文学の映画化」した騎士道時代劇に分類される『城塞の決斗』と『怪傑キャピタン』だった。日本では文学の香り高いコクトー・ワールドの住人としてのみ扱われがちなジャン・マレーだが、フランス映画界での位置づけは日本でのイメージとは若干違うことが、この選択からもわかる。もちろん、コクトー自身が、「マレーはあまりに強烈に私の作品と同化しているので、そこにはあたかもコノハムシと木の葉の区別がつかぬような不可思議な関係が成り立っている」と言ったように、誰よりもコクトーは自身の戯曲・映画にマレーを必要とした。『双頭の鷲』の再演にあたって、年齢を理由にスタニスラス役を拒むマレーに、何度も役を受けてくれるよう頼んでいたのもこの時期(詳細については5月20日のエントリー参照)。1961年には、かつて『悲恋(永劫回帰)』で一世を風靡した黄金コンビ、ジャン・ドラノワ監督、ジャン・コクトー脚色で、マレーをクレーヴ公にキャスティングした『クレーヴの奥方』が封切られるが、皮肉なことにラファイエット夫人原作のこの文学の薫り高い作品は、マレーの同時期の他の痛快娯楽時代劇ほどは観客に受けなかった。コクトーは、こうした風潮に対し、「すばやい接触ばかりを望む今の観客には、クレーヴの愛は理解できない」と失望をもらしている(ただ、クレーヴ公に扮したマレーの演技についてはマレーへの手紙で絶賛した)。もともとコクトーは1945年にはすでに、ドラノワと『クレーヴの奥方』の打ち合わせをしていた。実に15年越しでようやく映画化まで漕ぎつけた思い入れのある作品だっただけに、残念な結果だっただろう。だが、モチロン、尊敬するジャン・コクトー作品へのオマージュとしてジャック・ドゥミー監督が作った『ロバと王女』(1970)ではさりげなく、こんな台詞もある。↓ちなみに、赤の王子様に扮しているのは、ジャック・ペラン(右)。『双頭の鷲』をマレーに蹴られたコクトーは、次に『ルノーとアルミード』の再演――しかも、舞台美術はエドゥアール・デルミットで――を考えてくれるようにマレーに懇願を始め、マレーを困らせている。コクトーは、仕事でひとり立ちできない養子のデルミットの将来を非常に気にかけ、なんとかしようと一所懸命だった。一方で、マレーのほうがコクトーに対して望んでいたのは、一緒に仕事することではなく、私人としてのコクトーとできるだけ長くプライベートな時間を過ごすことだった。「ジャンの友情が絶えず生きる力を与えてくれる。私たちは可能な限り、頻繁に会っていた」(ジャン・マレー自伝より)。何度となくコクトーに同居をもちかけるマレー。かつては「多忙」を理由に、遠ざかったミリィ・ラ・フォレの別荘にも、この時期のマレーは時間を見つけては足繁く通い、コクトーに会っている。ミリィからマルヌへマレーが戻ったあとに、コクトーが書いた手紙。「ミリィにて ぼくのジャノ 君が帰ったあと、恐ろしいほどの悲哀と孤独に苛まされました。このぼくの発作に対しては、賢明なドゥードゥー(=デルミット)の心をもってしても、手の施しようがないのです。確かに君の言うとおりです。このような『相互訪問は耐えがたく、2人は一緒に生活すべき』なのです。去っていく君の後姿を見ると、ぼくは空虚さの中に落ち込んでいくようでした。君は君で別の空虚に」「君は毛皮の手袋を忘れて行きました。君の手袋をもって部屋に入り、頬ずりしながらむせび泣きました」忘れられた手袋に頬ずりしながら泣くというのは、コクトーがマレーに出会う前に書いた『白書』の一場面が現実にすべり出してきたようでもある(この手袋の場面については3月26日のエントリー参照)。仕事でスペインに行ったコクトーのマレーへの手紙。「1961年8月9日 いつもお互い、そばにいるべき2人なのに、君から不当に遠く隔てられ、2度と見ることもないだろうと思っていたスペインに、ぼくはいます。進めば進むほどぼくたちの存在が散り散りにされ、君の面影がますます遠のくことが悲しくてなりません。これはありきたりの悲劇ではないのです。ぼくたち2人を結ぶ絆は断ち切られることはなく、お互いが遠ざかるほど苦痛とともに引っ張られるのですから」(上の2通の手紙のうち、ミリィからのものは『ジャン・マレー自伝』『ジャン・マレーへの手紙』の2つに掲載。8月9日付けのスペインからの手紙は自伝にのみ掲載)「2人は一緒に生活すべき」「いつもお互いそばにいるべき」と言いながら、マレーからの同居の申し出をはぐらかすコクトー。それは、マレーには知られたくない――少なくともコクトーは知られたくないと思った――秘密があったからだった。<明日は『リュミエールの子供たち フランス映画100年の夢■』を紹介します。コクトー&マレーはあさってから再開>リュミエール兄弟によって最初の映画が公開されてから100年。この作品はその記念すべき日から現在に至るまでのフランス映画1世紀を綴った・・ビデオによる”映画辞典”!■
2008.08.27

10月中旬のある木曜日。コクトーはサン・ジャン・カップ・フェラから、マレーはニースの飛行場から、ヴィルフランシュに向かい、ホテル・ウェルカムで合流した。ウェルカムはコクトーが常連だったホテルで、コクトーを訪ねて来る友人をもてなすための部屋も用意されていた。マレーはコクトーが予想していたより、ずっと元気な様子だった。「ぼくは元気だよ」と、マレー。「最初の手紙が深刻な調子になってしまって、悪かった。君があんなに心配するなんて、思ってなくて――」「ねえ、ジャノ……」コクトーは真剣な面持ちだった。「ぼくは君が1人で、孤独だなんて耐えられないよ。――家族をもつことを考えたどうだろう?」「家族? ロザリーがいるよ。それに君も」「そうじゃなくて、結婚だよ」「結婚? ぼくが?」あまりに思いがけない提案に、マレーは思わずコクトーを見つめた。コクトーが冗談を言っているのでないことは、確かだった。「素敵なお嬢さんと結婚して、子供を作って――」「ジャン、本気で言ってるのか?」「もちろんだよ」「いつだったか、君はロザリー(=マレーの母)と結婚してもいいと言って、今度はぼくに結婚を勧めるの? ジャン・コクトーがジャン・マレーに結婚を勧めてるなんて、ひとに聞かれたら笑われるぜ」「ぼくは君が、君の新しい家族に囲まれて輝くのを見たいんだよ」マレーはしばらく考えてから言った。「ジャン、たぶん君は――君には、父親がいたよね」「10歳まではね」「でも、ぼくの家族は母親と伯母さんとおばあさんだったんだよ。父親はいなかった。アルフレッド・マレーのことは憶えていないし、ウジェーヌ・ウーダイユがぼくの本当の父親だったとしても、たまに来るおじさんってだけで、一緒に暮らしたこともない。親類も近くにいなかったから、全然知らない。ウジェーヌのあとは、ジャックという男が来るようになったけど、彼は結局、ロザリーの金をもって行方をくらませた。だから…… だから、ぼくには、父親と母親と子供がそろった家庭というイメージが、もともとないんだよ」「ジャノ……」いつの間にかマレーはコクトーの横に座り、肩を抱いていた。むしろマレーのほうが、あやすような口調になっていた。「それに、結婚して孤独でなくなった人なんて、ほとんど見たことがない。――ぼくはね、君が…… 君が、家庭に憧れをもっているのは、知ってるよ。それはぼくが君に与えてあげられないものだからね。――でも、ぼくは君とは違う。ぼくは誰かと結婚して、家庭をもちたいとは思わないんだよ、まったくね……」そしてマレーは、コクトーに会ったら言おうと思っていたことを口に出した。「……ジャン、君は手紙で、ぼくがしてほしいと思うことを考えてるって、言ってくれたよね」「もちろんだよ。こんなボロキレのようなぼくにでも、できることがあるんなら何でもする」「ぼくが君にしてほしいことは、たった1つだ――そばにいてほしい。映画の仕事が終わったら、じきに冬だろう? マルヌの家に住んでくれないか、もちろんドゥードゥーも一緒に」「マルヌの家に……」鸚鵡返しに言って、コクトーはマレーの腕の中で、困惑したようにうつむいた。痩せた身体がさらに小さくかたまり、何か、罰を恐れる子供のようだった。二つ返事で諒承してくれるものと思い込んでいたマレーは、思いがけない反応に慌てた。「もちろん、ずっとじゃなくても…… 1ヶ月か、2ヶ月でもいいんだ――」「ジャノ――映画の撮影が終わったら、11月はロンドンで聖母のチャペルに絵を描かないといけない。オラトリオの『オイディプス王』の公演もある。ぼくはコロスの役で出るんだよ――君がぼくのために演じてくれた最初の役だ。パリの初演では観客にしかめっ面をされたけど、ウィーンでは、ベームとカラヤンが振ってくれて、大成功だった。ロンドンではストラヴィンスキーが指揮だ。――それから、年末にかけては、映画の編集……」「じゃあ…… じゃあ、来年でもいいよ。1月か2月か……」「その時期はまた、フランシーヌとドゥードゥーとサン・モリッツで過ごす予定なんだよ。雪のある空気のきれいなところに行けって、医者も勧めるんだ」「気管支炎か?」「うん。ぼくもだけど、フランシーヌのほうがもっと悪い……」「フランシーヌはずいぶん痩せたね」「いつだったか、体調が悪いままパリからキッツビューエルに旅行して、寒さでやられて高熱を出した。あれ以来、病気にとりつかれてしまったようなんだ。今は服を着ても、35キロあるかないかだそうだ」「そうか……」マレーはひどく落胆した。「君がサン・モリッツに来れないかい? ジャノ。あそこでなら、ドゥードゥーとスキーができる。プリンセス(=キャロルのこと)も来るよ」「いや…… 来年のアタマはパリでの舞台がもう決まってる。3月からはニースとモンテ・カルロで公演なんだ――」「そうか…… ぼくたちはすれ違っているね。手紙もよくすれ違いになるけれど……」マレーは悲しくなって、唇を噛んだ。「ジャノ、パリに行ったら、すぐにマルヌのあの地上の楽園に食事に行くよ」「――そうしてくれると嬉しいよ」2人はそれから、コクトーの映画、マレーの舞台、それにもうすぐ封切りになるマレーの最新映画『城塞の決斗』の話をした。仕事の話は長くながく続き、コクトーの話はマレーを、マレーの話はコクトーを夢中にさせた。結局コクトーは、マレーの人生から去っていったダンサーの話には触れず、何も聞かなかったし、マレーも話さなかった。時間はあっという間に過ぎていった。2人はコクトーが「ぼくがやる唯一のスポーツ」と呼ぶ会話に熱中して部屋から出ず、食事も運ばせた。ルームサービスに入ってきたホテルのボーイが見たのは、港を見下ろすバルコニーのテーブルで、時に声を上げて笑い、楽しげに語り合っている詩人と俳優の姿。一方が深刻な別離の傷をかかえて来たなどとは、到底想像できないのだった。翌朝早く、パリへ帰るマレーに、コクトーは心を込めて言った。「ぼくがいつも君のそばにいることをわかってほしい…… マルヌに住めなくても、1分ごとに君のことを考えているよ……」こうして短い逢瀬のあと、2人は別々の世界に戻っていった。1人になったマレーが必要としているのは、他ならぬ自分なのだと知らされたコクトーのこれ以降のマレーへの手紙は、再び熱を帯びてくる。「君の孤独を知って以来、これまで以上に君を間近に感じてきました」「ぼくの善良な天使、生きるのですね。それも2人して、ともどもに生きるのです」「映画のあのアクロバットの合い間に、ほんの短い手紙なりと書いてください」「君から遠く離れて暮らすのは、ぼくには耐えられません」「電話をください。ひどく気持ちが沈んでいます」「いつだって君のことを考えています、ぼくの愛で君を暖めてあげます」「2人一緒に暮らし、喜びと苦しみをわけ合うことができないなんて、本当に悲しい」「山ほど願いを立てましたが、どの願いもみな、2人が遠く離れて暮らさなくてすむことにつきています」そして、最愛の人に深手を負わせたジョルジュに対しては――マレー自身はまったくジョルジュを悪く言っていないにもかかわらず――悪口を炸裂させている。「ジョルジュは君の友情の値打ちがわからないのですから、犯罪的です」「誰もが君に感じるあの豊かさが、いつまでもこのまま君を困らせておかないでしょう。ジョルジュにはそれがわからない、およそ彼の人格に感じ取れないものだからです。君はあらゆる幸運、あらゆる栄光で包まれるべきです。その光がとても強いので、彼にも到底消すことはできません」コクトーはマレーとジョルジュがアツアツだったころは、「ジョルジュはとても優雅です」「彼の精神の落ち着きを、ぼくも見習いたい」などと、(無理やり?)褒めていたのだ。コクトーとマレーが出会ったのは1937年5月のパリだった。この5月の記念日をコクトーは常に忘れなかった。1956年2月にサン・モリッツから、マレーに宛てて送ったコクトーの詩の一部。 太陽は山々の高峰を 残酷な雪々で柔らかく被う かくてもぼくらは集まった 翼を買わずに飛び立つため かくてぼくらは飛び立った かくて寒さは弱まった ぼくらの魂の封筒(つつみもの)は 5月のサフランまで飛んでいく (新潮社『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』石沢秀二訳)1960年5月にマレーに宛てて書いたコクトーの手紙。「この手紙は遅れて着くでしょうけど、ぼくたちの記念日です、君にくちづけを送ります。2人は愛し合いましょう、いつまでも、永遠に」(コクトーの手紙の抜粋はすべて『ジャン・マレーへの手紙』より)自作のジョルジュ・ライヒの肖像画を見つめる最晩年のジャン・マレー(南仏カブリスの別荘にて)「私が本当に恋することのできた唯一の女性」とマレーが自伝で告白した、ミッシェル・モルガンとマレー(後ろ)のブロマイドそしてもちろん、「彼のためなら命も捧げよう」とマレーが思い決めたジャン・コクトーとマレー(右)
2008.08.26
マレーは南仏で『オルフェの遺言』の撮影をしているコクトーにあてて、自分は今限りなく不幸だと手紙に書いた。「朝の来ない夜の世界にいるようだ。自分の心の醜さにも嫌気がさした。生きることが苦痛でならない。結局ぼくは、ぼく自身には何もない――君を含めて、周囲の人や環境に恵まれた幸運な人間というだけだった。でもその幸運も、もう尽きようとしている。君が最初にぼくに主役をくれた『円卓の騎士たち』の終幕のぼくの台詞は、『払わなきゃ、払わなきゃ、払わなきゃいけない』だったね。確かにぼくは今、いろいろな代価の支払いを迫られている。こんなときに、君がそばにいてくれたら…… いや、でも、この苦しみは、ぼくが君に与え続けた苦悩の代償かもしれないね」普段は太陽のように明るく、めったに弱みを見せないマレーが自信を失い、かつてないほど苦しんでいる…… その告白に、コクトーは衝撃を受け、慌てて筆を取る。「1959年10月3日 ぼくの愛するジャノ 恐ろしいほどの手紙の山から、運よく君の手紙を見つけました。何が起きたのですか。君が不幸だと聞かされるなんて、ぼくには耐えられません。あまりに恐ろしいことです。君の苦痛が何なのか、教えてください。映画を放り出せ、君の傍らにいろ、そう言うのですか。どんなものも、君の苦痛にはくらべようがない、君が苦しんでいると思うのは、ぼくには耐えられないことです。お願いです、どんな些細なことでもいい、君を不幸しにている理由を聞かせてください。このままじゃあんまりです」このときコクトーは、マレーがジョルジュと別れたとは知らなかった。マレーを苦しめているのは、彼の愛するジョルジュの怪我か病気ではないかと、またすぐに手紙を書いている。「1959年10月8日朝7時 今朝、ぼくは郵便配達を待ち続けるでしょう。ジョルジュの健康と、悩んでいる君の心について、ニュースが届くはずだからです。君がぼくから遠く離れ、不幸でいるという思いは、ますます耐えがたいものになりつつあります。しかも、君の苦痛の正確な原因がわからない。でも、そのことはどうでもいい、この場合、ぼくは父親か母親のようなものです」『オルフェの遺言』の撮影は佳境に入っていた。コクトーは忙しい仕事の合い間にすばやく、何度も何度も手紙を書き、まめにマレーに送っている。「きみから生まれるものが醜いなど、ありえぬことです。だから、悲しみと不運の下で、美しさが隠れて見えなくなっているのでしょう。君の夜をしっかりと見つめてください、ぼくも自分の夜を見つめてみます。そこに見えるはずです、『配り間違え』の幸福、『逆風』の幸運が。それに『天使ウルトビーズ』で、ぼくが、 人の望む幸せのなんと醜く 人が苦しむ不幸のなんと美しくと書いたのは正しいと、そう考えることを教えてくれたのは君です」「配り間違え」の幸福、「逆風」の幸運とは、不運や逆境が常に、マレーに幸運をもたらしてきたことを言っている。マレー自身も「自分は不当なぐらい幸運な人間」だと公言していた。たとえば、デビュー間もない若いころ、マレーが共演を楽しみにしていたベテランのスター俳優は、『恐るべき親たち』のミシェル役がマレーだと知ると、「ジャン・マレーにあの難しい役はできっこない。見かけだけの大根役者と共演するのはまっぴら」と、コクトーには受けるといっていた父親役を降りた(だから、イヴォンヌとともに必死に稽古をし、30回以上カーンコールを受ける演技をすることができた)。占領時代にはドイツ当局に睨まれ、コメディ・フランセーズでの舞台を犠牲にしてまで望んだ映画出演ができなかった(そのことがパリ解放後にマレーを救った)。解放間際のある時期には、レジスタンス活動がらみで信じられないほど褒めそやされ、解放後に『悲恋(永劫回帰)』のヒットで大スターになると、今度は逆に「ただの軽業師」「俳優ではなくて体操教師」と誹られた(そのことで、まだ20代半ばだった自分が名優だと勘違いせずにすんだ)。マレーからすぐに返事が来ないことで、コクトーの不安はいっそう募る。「ぼくのジャノ、これまで君は、ぼくを苦しめたことがありません、太陽が移動して隠れれば、少しは影が出るもの、けっして自分をとがめないでください。指令を出すのは運命、ぼくたちはその召使。逆らってはいけないのです。ひっきりなしに君のことを考えています」「ぼくの善良な天使。君が不幸でいる、そのことを知った苦痛を抱えて生きるのは、もう不可能です。ぼくたちを隔てる距離と仕事を呪いたい。これさえなければ、この手で君を揺すり、慰め、精一杯の優しさ、温かさを与えて、君の心の周りの氷を溶かしてあげられるでしょう、絶対です」マレーはマレーで、心血を注いだ『オルフェの遺言』を投げ出してまで、自分のもとへ駆けつけかねないコクトーの心配ぶりに、逆に慌てていた。そして、ジョルジュと別れたことを手紙で打ち明け、そのために仕事を中断してほしくない、最後までやりとげてほしいと伝えた。そのマレーの手紙を受け取る直前と……「ぼくの善良な天使 このところの手紙と電報の洪水、申し訳なく思います。でも、君のあの手紙以来、ぼくはもう生きていけない。君の沈黙におびえています。君は不幸であってはならないのです」「ぼくが何を考えているのか、いったい何が起きたのか、スタッフ全員が不思議がっています。ぼくが考えているのは君のこと、いつだってそうです」……直後のコクトーの手紙。「ぼくのジャン ぼくにはわかっていました、でもわかりたくなかったのです。ぼくが何を考えているか、君に言うのは難しい、君にふさわしい人間など、世界中にほとんどいないと思っていますから」コクトーは本人以上に、マレーのジョルジュに対する愛の深さと2人の10年に及んだ同棲生活の重みを知っていたのだ。コクトーとマレーの同棲も、同じく、ほぼ10年で終わっている。きっかけは、コクトーがエドゥアール・デルミットを支援し始めたことだった。コクトーは頻繁に訪れるデルミットを手厚くもてなすようになり、それを見たマレーはコクトーの生活をより自由で快適なものにするために、「気まぐれに見せて」狭いモンパンシエの2人のアパルトマンを出て行った。実際には、コクトーとの生活をデルミットに譲ったのだ。デルミットはモンパンシエのアパルトマンに住み始め、コクトーとマレーが共同購入したミリィ・ラ・フォレの別荘にもコクトーと滞在するようになる。一方のマレーは多忙のため、ミリィにはほとんど行けなくなった。そこで、コクトーがマレーの持ち分を買い取った(詳細については7月16日のエントリー参照)。ちなみに、コクトーの正式な養子となったデルミットは、コクトーの死後もミリィに住んだ。マレーが出て行った当初は、コクトー自身は再びマレーと――できればデルミットも一緒に――パリで暮らせる場所を探そうとしたのだが、マレーのほうは、マルヌ・ラ・コケットに土地を買い、自分の家の建築に着手することで、コクトーの希望を間接的に拒否した。また、コクトーがフランシーヌと出会い、彼女の南仏サン・ジャンの別荘を気に入ってしまったことも2人の距離をいっそう隔てることになった。コクトーがサン・ジャンにいる間にマレーはジョルジュと出会い、すぐに一緒に暮らし始めている(ジョルジュとの出会いについては、6月2日のエントリー参照)。「自分を苦しめるようなことをしてはいけません、君の高貴さを他人のせいにしないことです。君は太陽で、その光に浴しようとしない者は、どこかよそで拾ってもらうしかないでしょう」「どれだけ手紙を書いても足りない思いです。ぼくが君の傍らに行こうとしたら、このみじめなインクの河をたどるしかない。どうして君はぼくのそばにいてくれないのでしょう、君ならぼくに勇気を与えてくれるし、ぼくだって君に力を与えてあげられるのに」「ずっと君を、君の苦しみのことを思っていました。美にとりつく悪魔をやっつけるのに、君にどう手を貸せばよいか考えていました。君に強くくちづけます」「つなぎのカットのことで、2日ほどヴァル・ダンフェールへ戻る必要があります。でもヴァル・ダンフェールでも、カップでも、ヴィルフランシュでも、いたるところ、君の悲しげな顔が一緒で、どうしてもぼくを離してくれません」「撮影中もずっと、君のこと、君がしてほしいと思うことを、考えないときはありませんでした」2人は電話で連絡を取り、ヴィルフランシュの馴染みのホテルで、1日だけ会う時間を取った。「今夜、レボーへ行き、問題のあるカットをいくつか、撮りなおします。カップへは火曜に戻ります。そして木曜には君のもとへ」(コクトーの手紙の抜粋はすべて『ジャン・マレーへの手紙』より)<明日へ続く>
2008.08.25
<きのうから続く>1年前、マレーの腕の中で泣いたジョルジュ。数ヶ月前、プールサイドで泣き出したジョルジュ。マドレーヌの家で部屋に閉じこもり、泣いていたというジョルジュ――だが、イカロスたちはもう一緒に飛んではいけないのだ。2人の間に生じてしまった軋轢すべてに眼をつむり、再び天を目指したとしても、暖かすぎる太陽がまた彼らの翼を溶かすだろう。マレーは黙ってカーテンを閉め、使用人のようにジョルジュの服をたたんで、静かに部屋を出て行った。マレーはアトリエに行き、灯りをつけると、クロッキーブックを取り出した。次の芝居の舞台装置を考えなければならなかった。しばらく鉛筆を走らせてみたが、気分は乗らなかった。集中しようとしても、落ち着かなかった。といって眠る気にもならない。いたずらに時間だけが過ぎた。マレーは、舞台装置のアイディアを練るのは諦めて、たまっていたブロマイドのサインを始めた。このほうが頭を使わずにすむ。かつては母に代筆を頼んでいたが、今は自分でやるようにしていた。気がつくと、空が明るくなり始めていた。窓の向こうから鳥のさえずりが聞える。庭の木々はいつの間にか、秋の色だった。マレーの寝室のドアを開ける音が聞え、足音がバスルームのほうへ遠ざかっていった。しばらくして、アトリエのドアがゆっくり開き、バスローブを着たジョルジュが顔をのぞかせた。マレーから声をかける。「やあ……」「おはよう」そう言ってジョルジュは腕を組み、ドアの脇の壁にもたれた。髪が少し濡れて光っていた。「朝帰り?」「いや――」「飲みに行ってた?」「ああ……」マレーが夜1人で外出したのは、昨夜が久しぶりだったのだ。「サインしてたんだ」「うん…… たまっていたからね」2人の間に沈黙が流れた。ジョルジュは片足を少しもちあげ、足の裏を壁につけている。うつむいて、何も言わない。かつては、マレーとジョルジュは話すことがたくさんあった。だが、今は…… 2人はまるで、舞台で台詞を忘れた役者と振付を忘れたダンサーのようだった。互いの言葉の貧しさと縮まらない距離は、愛の負った傷の深さを否応なしに見せつけた。マレーが愛し、尊敬してやまない詩人が、昔作った詩が浮かんだ。貝の殻が海の響きを懐かしむように、マレーの耳はかつてジョルジュと交わした、なんということもない会話やばか騒ぎを懐かしんだ。今の自分は、波打ち際でころがっている貝殻のように孤独だと、マレーは思った。やがて、ジョルジュは口を開き、床を見つめたまま、バレエ・カンパニーは解散するつもりだとぽつりと言った。そうか、とマレーは答えた。――また沈黙が流れた。それからジョルジュは、恋人ができたと言った。……そうか、と再びマレーは答えた。――マドレーヌの家は、もう出てる。……そうか。本当は、ジョルジュが誰を愛そうと、自分たちの関係はまったく毀損されないと言いたかったのかもしれない。だが、いつの間にか忍び込んできた猜疑心は、深くマレーの心に根を張ってしまっていた。あるいは、それは臆病な自尊心だったかもしれない。ジョルジュの恋人は、とりわけ若いのだろうと思った。夏に愛された春がやがて夏となり、新たな春を愛しても、秋になったかつての夏に何が言えただろう。ジョルジュはしばらく動かなかった。彫像のようなシルエットに向かって、キュランヌを連れて行くか、とマレーが尋ねた。「いや……」ジョルジュはうつむいたまま、マレーを見ない。「もしよかったら、ここで飼ってくれないか。君なら可愛がってくれるし、それに……」ジョルジュは一瞬、言葉を詰まられせた。「……それに――ぼくは、アメリカに帰るかもしれないから……」アメリカに帰るかもしれないから、アメリカに帰るかもしれないから、アメリカに帰るかもしれないから――それはあるいは、ジョルジュが差し伸べた、最後の和解の希望だったのかもしれない。だが、マレーはその手を取らなかった。ただ一言、かまわないよ、と答えた。再びジョルジュは黙り込んだ。それから、聞えないぐらい小さな声で、「キュランヌのこと、可愛がってよ……」と言った。「大切にするよ。約束する」と、マレーは答えた。「サン・クルー公園を一緒に散歩してくれる?」「もちろん、するよ。ここにいるときは毎日……」「たまには砂糖をあげてよ、喜ぶから。――それから首を撫ぜて、耳を噛んであげて」「そうするさ」「君がバカンスで南に行くときは、連れてってくれる? ムールークみたいに」「ああ……」マレーは耐え切れなくなって、庭のほうへ顔をそむけた。――ジョルジュ、残酷だよ……2人が別れることは決まっていた。もう、行ってくれ――と、マレーは心の中で呟いた。やがてジョルジュは、静かにアトリエを出て行った。再びマレーの部屋のドアが閉まる。服を着ているのだ。マレーは息を詰めた。ジョルジュの着替えが、このまま永遠に終わらなければと願った。だが、再びドアを開ける音がして、足音が玄関のほうへ遠ざかっていった。マレーはジョルジュの足音とともに歩いた。廊下を進み、サロンの横を通り、市松模様の大理石を敷き詰めた玄関ホールへ――それから重い木の扉を開ける…… ドアの閉まる音がかすかに床から響いてきた。とうとう「希望」は出て行ってしまった。マレーはまっさかさまに闇に落ち込んだ。どのくらい時間がたったのかわからない。マレーがようやく立ち上がったときには、外はすっかり朝になっていた。アトリエを出るとき、きのうまではジョルジュの肖像が掛かっていたマレーの背後のイーゼルに、コクトーの肖像画が立てかけてあったことに、今さらのように気づいた。台所から音がする。ジャンヌが朝の支度をしようとしているのだ。マレーは台所に顔を出し、徹夜をしてこれから休むから朝食はいらないと言った。いつもと変わりない朝だった。寝室に戻って、服を脱ぎ、そのままシーツにもぐりこんだ。ジョルジュの匂いをかすかに嗅いだように思った。そのまま昼過ぎまで眠った。午後の日差しがまぶしくて眼が覚めた。起きぬけの痺れた頭のまま書斎に入り、開戦を知ったときにコクトーといたサントロペで買った、水夫用の貴重品箱を開ける。そこには、南仏でのバカンスを中断して出征を余儀なくされたマレーへ宛てて、スカラベ号からコクトーが書いた手紙が束になって入っていた。マレーは手紙を読み返す。戦場のマレーの危険を思って身を震わせていること。なんとかマレーのもとへ行けるよう、通行証を求めて八方手を尽くしていること。手持ちの金がほとんどなくなったこと。マドレーヌ広場の2人のアパルトマンの家主から家賃の催促が来たこと。イヴォンヌが、恋人のヴィオレットと喧嘩をして家出したこと……コクトーは書いていた――マレーがジョルジュに期待し、ジョルジュに言いたかった言葉を、すでに20年近く前に。「ぼくたちが、2人して不愉快な質問を投げつけ合い、疑い、嘲り合って暮らしているさまを想像できますか。ぼくの天使、ほかの人たちの暮らしぶりの一刻一刻が、ぼくの幸運を教えてくれます。君の魂の美しさを教えてくれます。ぼくたちの空はいつまでも晴れ晴れと保っておきたい。たとえぼくのことを変わらぬ愛のまなざしで見られなくなっても、君の大いなる炎と秘密だけは、ぼくたのために抱きつづけていてほしい」――君はジャン・コクトー教の信者…… ジョルジュは正しかったのだ。――キリスト教徒が聖書に救いと道しるべを求めるように、マレーはコクトーが送ってくれた昔の手紙を読みふけった。それから眼を閉じて、薄い便箋から、泉のように湧き出る愛の言葉に身をゆだねた。その泉が力となり、からっぽになった心を満たすまで――
2008.08.24
<きのうから続く>マレーはつれづれにジョルジュの肖像画――それは、手だけはマレー自身の手だった――を描き続けていたが、ある日イーゼルからはずして、かわりにコクトーの肖像画を載せた。マレーは絵が完成したと思えないタチだった。イーゼルに載っていると絶えず描き直したくなる。そこで、何枚かの絵を交互に描くことにしようと決めたのだ。9月も終わりのある夜、コクトーの肖像画に手を入れていたマレーだったが、筆を置いても、その日はすぐにベッドに行く気になれなかった。1人で外出なんて、ばかげている――そう思いながら、マレーの足はガレージに向かった。オープンカーを出す。きっと秋の夜風は気持ちがいいだろう。エンジンの音に気づいたのだろう。門の横の家に住み、門番も兼ねている衣装係のアンヌの夫のジルベールが慌てた様子で出てきた。「寝てくれていいよ」門を開けてくれたジルベールに声をかけて、アクセルを踏んだ。眼を上げると満月だった。マルヌの隣町のバーに行くと、おぼろげな知人がまとわりついてきた。彼はなかなかマレーを解放してくれなかった。気疲れしてようやく戻ってきたときは、午前1時を回っていた。ジルベールの家に灯りがついている。マレーが門を開けようとクルマから降りると、ジルベールが出てきた。「待っていなくてよかったのに――」「ジョルジュ様がおいでです」「え……」家の中はしんと静まり返っていた。マレーはまずジョルジュの部屋を開けた。――ジョルジュはいなかった。サロン、ダイニング、アトリエ…… 全部見て回ったが、やはりいない。最後に、マレーは自分の寝室のドアの前に立った。灯りはもれてこない。そっとドアを開ける。思ったとおり、ジョルジュはマレーのベッドで眠っていた。床の上に服が脱ぎ散らかしてあった。まるで酔っ払いが着ているものを脱いで、そのままベッドに倒れこんだように、下着1枚の姿だった。カーテンを開けたままの大窓から差し込む月明かりに、静かに眼を閉じた横顔が浮かんで見えた。背中を少し丸めて腕を投げ出している。筋肉質な太腿から伸びるすんなりとした脚は、くの字に曲がって重なっていた。庭の樹木が、ジョルジュの下半身とベッドのシーツの上に、入れ墨のような影を落としていた。半ば闇に沈んだ蠱惑的な裸体は、ある種の神話の挿絵を思わせた。ふいに、マレーの脳裏にある思い出が蘇った。最初に戦争に動員された1939年、マレーはフランス北部のソンム県にいたが、無断でこっそり駐屯地を抜け出しては、パリのコクトーに会いに来ていた。マレーの出征で1人になったコクトーは、ココ・シャネルに誘われてリッツ・ホテルに身を寄せたが、リッツの贅沢さを嫌い、当時イヴォンヌ・ド・ブレが同性の恋人ヴィオレットと住んでいたハウス・ボート「スカラベ」号に移った。夜の間にクルマを飛ばして、朝パリに着いたある日、コクトーはたまたま外出していた。コクトーの部屋に入ると、ベッドに向かいあった壁いっぱいに、マレーの写真がピンで留めてある。入り口の脇においてある小さな机には、自分あての手紙が書きかけでおいてあった。野外で寝ることに慣れていたマレーには、パリのハウス・ボートのコクトーの部屋は暑かった。服を脱ぎ、窓を開ける。狭い部屋にはソファもなかった。ベッドに座り、コクトーの帰りを待つつもりだったが、徹夜で走ってきた疲れで、いつの間にか眠り込んでしまった。気がつくと、陽が高くなっていた。コクトーはすでに戻ってきていて、書きにくそうな机に、楡の木で作った板――コクトーは机のない場所でも書き物ができるよう、いつも板を持ち歩いていた――を半分たてかけるようにして、何か書いていた。マレーは慌てて起き上がり、時計を見ると、すでに帰らなくてはいけない時間だった。なぜ起こしてくれなかったのかと、多少恨みがましくコクトーに言ったかもしれない。コクトーはこちらを向き、やさしい笑顔で何か言った。何と言われたのかは、憶えていない。君がよく寝ていたからとか、そういったたぐいの何気ない言葉だっただろう。だが、コクトーの声と表情は、マレーの胸を歓びで満たした。時間はなかった。マレーはコクトーと抱擁とキスを交わし、駐屯地へ戻った。マレーはいつの間にか、あのときのコクトーの年齢に近づいていた。部屋に戻ってきたコクトーは、ちょうど今の自分がジョルジュを見つめるように、自分を見つめたのかもしれない。マレーはジョルジュと和解したかった。いがみ合う理由など2人にはまったくない。マレーはジョルジュを愛していたし、求めていた。こうして、ここに眠っているということは、ジョルジュも同じはずだ。ジョルジュを揺すって起こし、抱きしめ、赦し、赦されること――マレーの心が、そしてジョルジュの心が、それ以外の何を望んでいただろう?
2008.08.23
<きのうから続く>1959年夏、ジャン・コクトーは映画『オルフェの遺言』の撮影に入ろうとしていた。計画から約2年、資金集めは難航した。映画製作会社は、コクトーに『美女と野獣』のリメイク版を作らせたがった。そのためなら、コクトーが申し出た金額の10倍を出すとまで言った。もちろん、コクトーはきっぱりと拒否した。結局資金を提供したのは、映画『恐るべき子供たち』に深い感銘を受け、『大人は判ってくれない』でカンヌ映画祭監督賞を受賞したフランソワ・トリュフォーだった。トリュフォーは『大人は判ってくれない』の収益を尊敬する詩人に捧げた。そのほかにもアラン・レネ、フランソワ・レイシェンバック、それにコクトーと長く家族のような関係にあるフランシーヌ・ヴェズヴェレールが資本参加した。いざ映画化が決まると、フランス中の俳優がコクトーの滞在するヴェズヴェレール夫人の別荘、サント・ソスピールに出演を求めて電話をかけてきた。『大人は判ってくれない』でコクトーが演技力を高く評価した子役のジャン・ピエール・レオもその中の1人。コクトーは、「なんと、ジャン・ピエールが映画に出演したいと言っています。アコーディオンじゃあるまいし、適当に継ぎ足すというわけにはゆきません」(『ジャン・マレーへの手紙』より)と困惑したが、なんとか小学生の役をつけてほんの1分ほどの出番を作った。コクトーは、マレーには盲目のオイディプス王役を用意していた。マレーが好み、ヨーロッパ中を公演してまわった戯曲『地獄の機械』の一場面でもある。父を殺し、母を妻とした自分の呪われた運命を知ったオイディプスが、母イオカステ(ジョカスト)の黄金のブローチの針で目を突き刺し、娘のアンティゴネーとともに荒野をさすらう――。『地獄の機械』のクライマックスでもある。『オルフェの遺言』の資金難を知っていたマレーは、無償での出演をコクトーに申し出ている。コクトーは、マレーの撮影を控えて、何度か手紙でこの久々の2人の映画でのコラボレーションの打ち合わせをしている。「オイディプスの衣装を手に入れ、9月にコート・ダジュールまで持ってきてくれるよう、ジェルメーヌ・モンテロに頼みました。あと、長い白の杖を見つける必要があります。映画では、君がアンティゴネー(オイディプスよりなお盲目の)から、ぼくに渡させるのです」みずから両眼を突き刺した悲劇の王を導く王女アンティゴネーが、「オイディプスよりなお盲目」というのは、『地獄の機械』のストーリーから、オイディプスの魂を救うべく死の国から戻ってきたイオカステの姿がアンティゴネーには見えないことを言っている。「衣装のことは心配なく。ペストと、あの眼の悲劇のあとなのです、汚ければ汚いほど美しく見えるでしょう。髭が本当に必要かどうか、迷っています。なにしろ、このオイディプスは君なのです。めしいたぼくが君とすれ違うのです(2人のめしいです)。かつらはいいかもしれません、ムネ・シェリ風の美しい赤いリボンか何か、君に似合うものをつけるのです。それに、盲人用の長い白の杖が必要ですが、そちらはぼくが用意します」コクトーはマレーへの手紙で、眼から血を流しているオイディプスの顔のイラストをわざわざ2つも描いている。最初のオイディプスの顎には、無精ひげが伸びているが、次の絵からは髭は消えている。完成した『オルフェの遺言』の盲目のオイディプスにも、髭はなかった。ちなみに、ムネ・シェリは往年の大舞台俳優。コクトーはよく、ジャン・マレーをムネ・シェリやド・マックスといった伝説の舞台俳優と比較し、「彼らを凌ぐ」と絶賛していた。舞台の仕事がつまっていたマレーがこの撮影のために割けたスケジュールは、わずかに1日。いよいよマレーが南仏のコクトーのもとに来る直前に、コクトーがマレーに書き送った手紙が以下。期待感に満ちている。「ぼくのジャノ 君が来てくれること、それがぼくの幸せ。ピカソとドミンガンの撮影は、昨日終わりました。ピカソが、君に会えなくてがっかりしていました。君のため、最高に美しい背景を用意しています」(以上、すべて『ジャン・マレーへの手紙』より)ジャン・マレーが南仏にやってきたとき、1人の少女がその姿をじっと見ていた。コクトーのパトロンヌだったフランシーヌ・ヴェズヴェレール夫人の1人娘、キャロル・ヴェズヴェレール。ヴェズヴェレール夫人とコクトーは、1949年に夫人の従姉妹のニコル・ステファーヌが主演した『恐るべき子供たち』の撮影現場で会うが、当時7歳だったキャロルも後日、母と一緒に遊びに来て、コクトーと出会う。フランシーヌとコクトーが家族のような付き合いを始めると、大の子供好きのコクトーとキャロルも、実の親子のような親密な関係を築いていく。キャロルは『地獄の機械』『ピグマリオン』『シーザーとクレオパトラ』といったマレーの傑作舞台もフランシーヌとコクトーとともに見に行っており、「シンプルで暖かなハートの持ち主」(キャロル自身の言葉)のマレーを兄のように慕っていた。『オルフェの遺言』撮影時には、キャロルは17歳。このときのマレーの様子を、キャロルは1996年に出版した『ムッシュー・コクトー』(花岡敬造訳、東京創元社)で、次のように詳細に書いている。「ジャン・マレーが到着した。彼はママのベントレーから降り立ち、『オイディプス』あるいは『スフィンクス』という名のシーンを演じる予定だった。なぜか彼は殺気立った様子だったが、ひとたび演技を始めるといつもの微笑を絶やさぬ愛想のいい役者に戻った。粗い毛織の僧衣のようなものを着て、赤く塗った顔に血走った顔つきのマレーは、アンティゴネー役のアーモンド色の服を着た金髪の小娘にもたれて、白い杖をついた。コクトーは歩くとき、ゆっくり唇を動かすようにとマレーに指示を与えた。彼の生気のない目、荒れた顔、よろける足取りは私たちの心を揺さぶった」「観光バスが何台もやってきて、ジャン・マレーを見るためにわざわざ車を停めた」マレー自身は、『オルフェの遺言』について、「この映画における私の出演は、わずか1日だけであったが、それでもなお、ジャンがこの作品に持ち込むすべてについて、何度となく私は魅了された」(新潮社『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』石沢秀二訳)と短く記している。『オルフェの遺言』の撮影は、若いキャロルに決定的な影響を与える。コクトーのこの作品の制作現場を目の当たりにした彼女は、以後、映画の世界以外で生きることは考えられなくなってしまう。キャロルが見た、撮影にやってきたマレーの「なぜか殺気立った様子」。マレーはこのとき、最愛の「弟」との諍いをかかえていた。そして、2人の別離は、マレーが『オルフェの遺言』の撮影を終えてパリに帰ったあと、決定的なものとなる。<明日へ続く>
2008.08.22

ジョルジュとの関係には、すでに猜疑心が入り込んでしまった。黴菌のような猜疑心に侵された愛は、もう2度と純粋状態には戻らない、黴菌は繁殖し、他の大切な誰かまで侵蝕してしまう――マレーは再び、哀しい思いで理解した。マドレーヌ――皮肉な名前だった。それは、自分が生まれる数日前に死んだ姉の名前だった。コクトーとの最初の愛の巣のあった広場の名前だった。コクトーが書き下ろし、最初の栄光をつかんだ戯曲『恐るべき親たち』の相手役のヒロインの名前だった。しかも皮肉なことに、『恐るべき親たち』ではマレー演じる主人公の父親「ジョルジュ」とマドレーヌが関係をもっているという筋書きだった。思えば、マドレーヌ・ロバンソンは、昔から微妙にライバルだったかもしれない。2人の演劇の師のシャルル・デュランは、マドレーヌのほうを重用した。マレーは自分も認めてもらおうと、熱心に稽古に励んだ。プロになってからも、2人は競争心が嫉妬や憎悪に変わるのを慎重に避けながら、互いに刺激し合い、高め合う努力を重ねた。そんなマレーの思いをまるで見通したように、マドレーヌはふいに話を変えた。「ねえ、ジャノ。憶えてる? あなたが、最初にジャン・コクトーの『地獄の機械』を見たときのこと」「?」「あなたったら、教室のみんなに、ジャン・コクトーは素晴らしい、ジャン・コクトーがどこに住んでいるか知らないかって、聞いて回っていたわね」「えっ?」――そんなこと、なんで憶えているんだ?「そうだった?」「そうよ。で、誰かが答えたわ。『どこに住んでるかは知らないけど、男と一緒に住んでることは間違いない』って。そしたら、周りがドッと笑って、あなただけキョトンとして…… それから、あなたったら真っ赤になってた」「おい、マドレーヌ! なんで、そんなぼくの恥ずかしい話を、君は忘れてくれないの」「あんまり可愛かったからよ。あんな純情青年は、探したってそうは見つからないわ」「まったく女性は怖いね――あのころのぼくは、全然誰とも交際できなかったんだよ、ロザリーの監視が厳しくてね。君みたいに自由じゃなかった」「ところが、それから何年かしたら、あなたがジャン・コクトーと暮らしてたわ。あのころのあなたは、本当に幸せそうで、見ていてまぶしかった」「完璧に、幸せだったよ」マドレーヌ広場19番地――戦争でモンパンシエ通りへの転居を余儀なくされるまで、そこでマレーはコクトーと暮らした。2人の部屋を1枚の扉が隔てていた。その下に、毎晩のようにコクトーは、薄い便箋に書いた詩を滑り込ませた。朝起きるとまず、生まれたての詩を読むのがマレーの日課だった。便箋はいろいろな形――ときには、星の形――に折られていた。詩は美しく、マレーは美しさのほかには、そこに幸福しか読み取らなかった。コクトーの詩は幸福とともに、マレーに幸運を運んできた。そして、マレーは幸運を連れて、コクトーを起こしに行くのだった。「私は幸せなあなたを見るのが好きなの」と、マドレーヌ。「このごろのあなたは、参っているわね。そうじゃない?」「それは…… いろいろあったからさ――」「でも、あなたはまたきっと輝き出すわ。あなたは並外れて幸運な人。自分でそう言ってたわね」「うん……」「私もそれを信じてる。――それと、誤解しないでね。私がジョルジュを愛するのは、あなたがジョルジュを愛してるからなのよ」「マドレーヌ、ぼくは…… ぼくは、確かにジョルジュを愛しているよ。彼はきれいごとだと言うかもしれないけど、本当に、心から彼の幸せを願っている。だって、愛するっていうのは、そういうことじゃないか? 愛する人の幸せが、たとえ自分の人生の外にあるとしてもね。――君は、君の伴侶と別れたとき、何を思った? 2人の不幸なカップルでいるより、1人でいたほうが幸せだと、そうは思わなかったかい?」「それは――確かに、そうね……」「パンドラの箱が開いてしまったら、人はもう嫉妬や独占欲や猜疑心から逃れられない。自己弁護したり、相手を非難したり…… いがみ合いの後は、まっさかさまに不幸のどん底に堕ちるだけだ」「でも、若いジョルジュにそれをすんなり理解しろというのは、酷な話かも」「マドレーヌ……やっぱり、君は…… 悪いのはぼくってことか」「そうじゃないわ。そうじゃなくて…… 若いころは、誰でも嫉妬で相手の愛を量ろうとするものよ。違う? あなたは、あなたを愛した人に対して、わざとヤキモチを焼かせたり、怒らせるようなことを言ったりしたりして、自分への愛を試したことはないと、断言できる?」またも痛いところをつかれて、マレーは黙り込んだ。マドレーヌは確かに、コクトーと自分の生活を間近に見ていたのだ。「だから、ねぇ、ジャノ…… 聖マドレーヌの日じゃなくても、たとえ夜遅くでも、あなたがうちにまた電話してくれると嬉しいわ。もちろん、あなた次第だけれど。――パンドラの箱に最後に残ったのは、『希望』じゃなかった?」マドレーヌはそう言うと立ち上がり、マレーを抱きしめた。愛情のこもった抱擁に、ムスクの香水の匂いが入り混じった。それはどちらかというとマニッシュな、成熟した大人の香りで、彼らがつかず離れず過ごした年月の長さを教えてくれた。「マドレーヌ、君は素敵だ――」マレーは思わず言った。マドレーヌはマレーの瞳を覗き込み、微笑みを浮かべて、「あなたも」と言った。マレーはマドレーヌの肩を抱き、門まで送った。また一緒に舞台をやりましょうよと、別れ際にマドレーヌは言った。夏は過ぎていった。マドレーヌの家には電話をしなかった。ジョルジュからも連絡は来なかった。それでいてマレーは内心、ジョルジュと和解する希望を捨てきれずにいた。――ずっと愛していた。フランスに来てからずっと。ぼくは君だけを愛してた。あのとき、腕に抱いたジョルジュの身体の温もり。その記憶がマレーをいっそう苦しめた。マレーは甘い夢想の中に逃げ込もうとした。だがそれも、残忍な堕天使ルシファーの登場を告げるファンファーレに切り裂かれて終わるのだった。<続く>「完璧に幸せだった」時代のジャン・コクトー(左)とジャン・マレー(2006年発売のDVD "Jean Marais : le mal rouge et or" より) こちらは最晩年のジャン・マレー。舞台の楽屋でのインタビュー。80歳を超えるまで舞台に立ったマレーだったが、最後まで楽屋に飾っていたのは、このもはやマレーの息子にように見える、2人が「完璧に幸せだった」時代のコクトー
2008.08.21
<きのうから続く>数日後、マドレーヌ・ロバンソンが突然、マルヌの家にジャン・マレーを訪ねて来た。「いったい、何があったの?」サロンに通されたマドレーヌは、ソファに座るのもそこそこに切り出した。「2人のことに立ち入るのはどうかと思ったけど、でも、うちのかわいそうなピューリタン君を見てると黙っていられない。毎日部屋にこもって泣いてばかりよ」「泣いてる? ジョルジュが……?」――泣きたいのは、むしろこっちだよ。「まるっきり女の子みたいよ。あれじゃ、うちのちいちゃなソフィー・ジュリアのほうが、よっぽど頼もしく見えるわ」「ジョルジュのことは、ジョルジュに聞いてよ」「聞いても話さないから、ここに来たんじゃない。ジョルジュはこのところ、自分のバレエ・カンパニーのことで悩んでいたわ。カンパニーは解散したほうがいいのかとか、アメリカに帰ってやり直そうかとか…… あなただって、聞いてるでしょう?」「いや…… ぼくは何も聞いてないよ」「聞いてないですって」「聞いてないよ」「だって、ジョルジュのカンパニーは、あなたの援助なしでは、立ち行かないんじゃないの」「今はとくに何もしていないよ、ぼくは」「助けてあげないの?」「助けるって――」「ジョルジュがカンパニーを作るとき、やってみたらって勧めたのは、あなたなんじゃないの?」「それは…… やってみたらとは言ったさ」「それなのに、今は何もしていない? ジョルジュをけしかけておいて、見捨てるの?」「おいおい――」――いったい、どういう話になっているんだ?「信じられないわ。今になってあなたがジョルジュを見捨てるなんて。いい? ジョルジュがパリで仕事する決心をしたのは、誰のため? あなたのそばにいるためでしょう? もともと彼は、短期間でアメリカに帰るはずだったのよ、忘れたの? ブロードウエイでの次の仕事も決まってた。それなのに、あなたは、向こうに根を下ろして咲くはずだった花を摘み取って、自分の手元において、10年たって枯れ始めたら、もういらないと捨てるってわけ?」マドレーヌは真剣に怒っていた。マレーは呆気に取られて一方的にまくし立てる彼女を見つめた。「どうして、そんな話になっているのかな…… むしろ愛想を尽かされたのはぼくのほうだと、思うんだけど」「どういうことよ」「どういうことって……」マドレーヌにどこまでどう話したものか、マレーは迷った。そもそも話す必要があるのだろうか? 「つまり――ジョルジュがそう言ったんだよ」「ジョルジュが?」「そう。――決めたのは、彼だ。友情はいらない、人生の伴侶がほしいってね」「人生の伴侶? どういうことよ」「知らないよ。聞きたいなら、彼に聞けよ」マドレーヌは、ようよう黙った。しばらく考え込み、思い切ったように口を開く。「つまり…… それはあなたなんじゃないの?」「違うよ」「どうして」「どうしてって、ぼくは不適格者だからさ」「それも、ジュルジュがそう言ったの?」「マドレーヌ、勘弁してよ。――あんまりぼくを惨めにさせないで」「ジャノ……」だんだんに口調がやさしくなった。「私たちは、親友よね。違う?」「ぼくはそう思ってるよ」「誰より私たちは、長い付き合いよね」「ああ、もう20年以上だ」「あなたが人に弱みを見せるには、あまりにも誇り高いってことはわかってるわ。――それは私も同じだからよ。私たちは似たような性格よね。――私はあなたを愛してる。信じてくれる?」「ぼくも君を愛してるよ」「なら、話してちょうだい。あなたたち、何があったの?」「つまらない話だよ――」マレーは多少自暴自棄になって言った。「ある日あるとき、ぼくは自分に似たひとに会った。彼はぼくがジャンに会った歳と同じ歳だった。ぼくはそれを運命だと勝手に思い込んで、ジャンがぼくにしてくれたようにふるまった。ジャンがぼくを高みに連れて行ってくれたように、彼と一緒に飛びたかった。ところが、結局、ぼくらは墜落した。イカロスのようにね。それで、終わり」「ジャノ……」「ぼくはできる限りのことをしたつもりだよ。ジョルジュのカンパニーのミュージカル公演だって、本当はジャンが自分に相談してくれていいって言っていたんだ。ジャンが書いてくれていれば――少なくとも眼を通してくれていれば――ずっといいものができたはずだ。ところがジョルジュは、ジャンを無視した。ジャン・コクトーの世界はわからないし、興味がないと言ってね」「……」「それで、はからずもぼくが作者になってしまったってわけ。ジョルジュはいつもそうだ。――たとえば、南仏にバカンスに行っても、サント・ソスピール荘には行きたくないと言い出す。最初はフランス語がわからないから、食事の席が楽しくないという理由だった。そのうちに同じところじゃイヤだ、別の街が見たい、とかね。――ぼくらが来ると期待して、ぼくのバカンスのたびにいろいろ準備しているフランシーヌはがっかりするし、ジャンからは小言を言われるし…… でも、みっともない話だけど、ぼくはジョルジュの機嫌を損ねたくなくて、どんどん後退した。自分の砦がなくなるくらいにね」「やっぱり――ジャン・コクトーが原因なのね」「違うよ。これはぼくたち2人の問題なのに、ジョルジュが無理にそう決めつけてるだけだ。ジャンには何も責任はない。――ジャンがジョルジュに何をした? バレエの台本なら当てにしてくれていい、怪我はしていないか、公演で疲れてないか、いつもジョルジュを気遣ってくれたのに、ジョルジュはそれをわざわざ色眼鏡で見るのさ」「つまり、それは――ジョルジュがあなたを愛してるってことじゃないの」「……どうだかね。むしろ逆だと、ぼくは思うけど」「冷たい言い方ね」「君こそ、ずいぶんジョルジュの肩をもつじゃないか」「あなたこそ、単純な問題から眼をそむけてない? つまり――あなたは、ジャンとジョルジュのどちらを愛しているの?」「どちらも愛しているよ」「だから、ジョルジュはそれが受け入れられないのよ」「どうしてさ」「どうしてって――」「ジャンとジョルジュを引き比べて、どちらかを選ぶなんて、そんなことはできないし、そもそも考えたこともないよ。ジャンはぼくの創造主だ。――24歳のとき、ジャンの手がぼくに触れて、ぼくは生まれた。――本当の父親以上に、ぼくに命を吹き込んでくれたひと…… たとえ神の声でも、ぼくらを引き裂くことはできないよ。――でも、ジョルジュへの気持ちは、また別のものだ。君は君の父や母を愛しているからって、別の誰かを愛せないって、そんなことがあるかい?」「それは多分、あなたの理屈なのね。――私はあなたの気持ちもわかるけど、ジョルジュの気持ちもわかるから、何とも言えない」「マドレーヌ……」「人生の伴侶がほしいなんて、あなたにそんなふうに言うなんて、切なすぎる。――ジョルジュはそうやって言葉にすることで、あなたの分も傷ついたのよ」「あくまで傷ついたのは、かわいそうなジョルジュってわけか! まったく君は理解があるね。そういう人こそ、彼の伴侶にはふさわしいんじゃないの」「何よ、それ」「君は3番目か――4番目かの伴侶と別れたんだろう? おあつらえむきじゃないか。ジョルジュも君の家は、ずいぶん気に入っているみたいだし」「ジャン・マレーさん、それは嫉妬ですか?」痛いところをつかれて、マレーは赤面した。それを見て、マドレーヌは再びやさしく言った。「ねえ、ジャノ――たとえば、こういうのはどう? あなたが、うちへジョルジュを迎えに来るっていうのは?」「いつでも好きなときに来ていいって、ジョルジュには言ったよ」「だ・か・ら、そうじゃなくて――『いつでも来ていい』じゃなくて、『帰ってこい』と、あなたから言うのは、どう? たとえば、明日」「明日?」「そう、明日」「でも……今は、ロザリーもいるし、彼女にも言わないと……」「お母さんは関係ないんじゃないの」「……それはそうだけど、ジョルジュはロザリーを嫌っているし――」「だから、帰ってこいとは、言えないってわけ? お母さんがいるから?」「……」まるで誘導尋問だった。マレーにはそう聞えた。彼にしたくもない決断を迫り、責任を押しつけようとしている――マレーはマドレーヌの友情を疑った。年下のダンサーを、2人は微妙に譲り合い、微妙に奪い合っているようだった。<明日へ続く>
2008.08.20
<きのうから続く>「ジョルジュ、それは――ぼくとジャンのことを言ってるのか」「とぼけるなよ、わかってるくせに。ジャン・コクトーがハレの日にそばに置きたがるのは、誰だよ。結局君じゃないか。――彼がアカデミー・フランセーズの入会演説した日のこと、ぼくはよく憶えてるよ。コクトーは子供みたいに、はおったマントを身体に巻きつけてふざけてた。君はそんな彼の横で、太陽のように明るく、やさしく笑って彼を見つめていた。――歩くときは君がコクトーの横、ドゥードゥーはちょっと離れてその後ろ。ドゥードゥーは本当に自分の役割をわきまえてるよね。ああいうときに決してでしゃばらない。――演説を終えたコクトーが学士院から出てくると、ものすごい数のカメラが彼に殺到して、君が身体を盾にしてコクトーを守っていた。まさしく君だけが彼のナイトだった。ドゥードゥーは、ぼんやり人垣の外に立ってるだけ。そしてぼくはといえば、君らの栄光をテレビで見てるだけ」「どうして今ごろになって、そんな…… 何年前の話だよ」「4年前さ。でも、君のお兄さんの葬式はつい最近だ。あのときも当たり前のように、コクトーが君の横を歩いていた。アカデミーのときと同じなんだ」「君こそ、どこにいたんだよ。ぼくは君にそばにいてほしかったのに、君は来なかった」「君がちょっとでも目配せしてくれれば、ぼくを呼んでくれれば、そばに行ったさ。でなけりゃぼくに何ができる? 家族でもないのに、差し出がましい真似…… でも、君は何もしてくれなかった。――君が初めて父さんに会いに行く夜だって、ぼくは見送りたかったのに、君は1人で行ってしまった」「あれは……つまり、気がせいていたんだ。乗り遅れたらどうしようかと」「汽車の出る時間なんて決まってるじゃないか。定刻の前には出ないよ」「ジョルジュ、悪かったよ」「ぼくは君が兄さんの病気や父さんのことで苦しんでるのを知ってた。力になりたかったんだよ。でも君はぼくじゃなく、いつもコクトーに相談するよね。わざわざ南仏に電話をかけたりさ…… ぼくにはいつも明るく、何もかもが何でもないようにふるまうだけ。――ぼくのミュージカル公演だって、君に大変な目に遭わせたのはわかっていたさ。リュリュはあれ以来、ぼくを冷たい眼で睨みつける。――それなのに、君ときたら文句1つ言わず、金を払っている。まるで、後ろめたさを金銭で償おうとしてるみたいにね」「何を言うんだ! ぼくは……」「どうしてぼくを怒らないのさ。どうして、分かち合おうとしないの? ぼくには何もできないの? 君はぼくにきれいごとばかり言ってる。――ぼくはフランシーヌやドゥードゥーみたいに、偽りの家族ごっこで満足できる人間じゃないんだ」「それは違う。フランシーヌもドゥードゥーも、ジャンの家族だ。2人ともジャンを心から愛してる」「フランシーヌは有名な芸術家と付き合いたいだけだよ。コクトーがいなければ、彼女はただの大富豪夫人だ。ドゥードゥーはコクトーの与えてくれる安楽な生活を愛してるだけさ。コクトーに見捨てられたら、彼はアルザスの炭坑夫に逆戻りだからね。――だいたい、ドゥードゥーは毎日何をしてる? あの贅沢なフランシーヌの別荘で、昼まで寝て、放っておけば夕方まで寝てるじゃないか。君に誘われてあそこに行ったときは、正直言って、ドゥードゥーの怠けた生活には呆れたよ。彼はコクトーに役者をやれといえば、役者をやる。絵を描けと言われれば、絵を描く。何もかもコクトーの言いなりで、何もかもコクトーがかりだ。――君のほうは、コクトーの言いなりにならないからね。だから、コクトーは、何でも言うことを聞くドゥードゥーを必要としてるのさ。ぼくに言わせれば、ドゥードゥーは養子という名の使用人だよ。そうして我慢したご褒美に、コクトーの遺産をもらうんだろ」「やめろ、ジョルジュ」「君はアレック(=フランシーヌの夫)が、彼らを本当に許してると思ってるの? 偽りの家族は、きっといつか崩壊するよ。彼らは阿片が作り出すまやかしの天国で家族ごっこをしてるだけ。君は麻薬が嫌いなくせに、あの3人が阿片を吸ってるのを知ってて、見て見ぬふりをしてる」「阿片のことは、ぼくだってできれば吸ってほしくないさ。ぼくは戦争中に、無理やりジャンをリハビリ施設に入れて、阿片をやめさせた」「なのに、なんで今は黙認してるんだよ」「ジャンは生まれつき身体のあちこちが悪いんだよ。昔ぼくは阿片さえやめれば、ジャンが健康になると思ってたんだ。仕事だってもっとはかどるようになるだろうと。だから強引にやめさせた。もちろんナチに密告される危険があったのも事実だけどね。――あのときジャンは、阿片中毒は治ったけど、まったく物を書かなくなった。ほとんど1年間だ。1行も書かなかった。1行もだよ…… そのとき、ぼくがどんなにいたたまれなかったか、わかるか? おまけに、ジャンは健康にもならなかった。それどころか、返っていろいろな痛みに悩むようになってしまった。ぼくはあのとき、身をもって知ったんだ。阿片は他の麻薬と違う」「違わないよ。麻薬は麻薬だ」「いや、違うよ。ぼくの兄貴は薬を常用してた。医者から処方されるルミナールをね。神経症の発作を抑えるためだったけど、だんだん発作が起きなくても薬を欲しがるようになった。ルミナールは兄貴から仕事への意欲を奪って人生を台なしにした。ぼくは薬剤師と共謀して、ルミナールの入っていない薬を兄貴にわたすようにした。そうしたら、兄貴はまた、発作を起こしてしまった。神経症の発作じゃない、病気はもう治ってた。兄貴の発作はルミナールを欲しがる発作だった。――ジャンは確かに阿片に頼ったけど、人生を台なしにまではしていなかった。それどころか、多くの偉大な作品をフランスに与えたんだ。ジャンは生まれつき背中が曲がっているし、今は歯の具合も悪いし、たえず皮膚病に苦しめられてる。阿片はジャンの身体に均衡を与えてるんだよ。だからもうぼくは、無理に中毒を治そうとは思わないんだ」「そして、君はそんなコクトーの世話をドゥードゥーに押しつけてるってわけ」「何だって?」「君がジャン・コクトーのboyfriend(恋人)だってことは、世界中が知ってた。ぼくだってそんなことは、フランスに来る前から知ってたよ。でも、ぼくらが会ったとき、君はコクトーと暮らしていなかった。もう別れたんだと思ってた。――だけど、そうじゃなかった。君は年をとって病気がちになったコクトーの世話をドゥードゥーに押しつけて、自分だけ自由になったんだ。――君はコクトーのami(恋人)からamant(外の愛人)になっただけさ。――あのころ…… ぼくが君と出会ったころ、コクトーはドゥードゥーやフランシーヌとサン・ジャンに行ってしまって、君は淋しかったんだ。最初は1週間のつもりで行って、結局1年居座って、それからあそこが、ほとんどコクトーの家になってしまったんだってね。フランス人の君の仲間なら知ってたことだろ。だから君は事情を知らない、フランスに来たばかりのアメリカ人に目をつけて、囲い込んだんだ。コクトーがユーゴスラビア人のドゥードゥーを囲い込んだみたいにね」「……」「ぼくも滑稽だよね。そんなこととも知らずに、君に愛されてると思って有頂天になってた」「ジョルジュ…… ぼくはジャンと君を秤にかけたことは一度もない。ぼくとジャンの友情は君が思ってるようなものじゃない」「じゃあ、どういうものだよ」「ジャンは、色恋より友情に安らぎを覚える人なんだ」「そんなのは、コクトーが年をとったから言ってることだろ。ぼくの年のときのジャン・コクトーは何を考えていた? ぼくの年のときの君は? そうやって、loveとfriendshipの境界をどこまでも曖昧にするのが、君たちフランス人のデカダンな知恵なんだ」「友情だって愛だろう。どの愛がデカダンで、どの愛がデカダンじゃないんだ。そんなことを誰が決めた」「じゃあ、聞くけど、君はコクトーと罪を犯してないと言えるのか。これまで一度も」「……」「ぼくはそんな曖昧さの中で幸せになれる人間じゃない。ぼくと君だって共犯者だ。起こったことは、起こったことさ。今さら何もなかったことにはできないよ。――何度も言うけど、もうぼくも30を超えた。ぼくが欲しいのはclose friendじゃない。ぼくが欲しいのは、たった1人のpartnerだ、人生の。――ぼくだけを見つめてくれるpartnerなんだ」「……それが、マドレーヌってわけか」マレーの声は、自分でも驚くほど陰険だった。「マドレーヌ? 何を言ってるの。マドレーヌは関係ないよ」「じゃあ、何でマドレーヌと一緒に住んでいるんだ」「気が合うからだよ。ぼくたちはただの友達だ。友達はどこまで行っても友達だよ。loveとfriendshipは明確に違うんだ」「明確に違うなんて、ありえないだろ」「ありえないって?」「ありえないよ。友情は愛の一部だ。ときには友情は愛そのものだ。無理に境界線を引こうとする君のほうが間違ってる」「……」「間違っているとうのが適当でないなら、自然な感情に反してる」ジョルジュは嘲笑するように肩をすくめた。「それもジャン・コクトーがそう言ったの? 君はジャン・コクトー教の信者だからね。彼が何か言えば、頭からそれを信じてしまう。――君たちの自然な感情は、普通の人間から見れば不自然だよ。ドゥードゥーもローランもご同類…… まるで変な新興宗教だ。アメリカには時々いるよ。教祖のお言葉を金科玉条のように守って、世間一般からはかけ離れたモラルに生きてる集団が。そして、信者はたいてい、教祖と寝てるんだ」「ジョルジュ!」「コクトーはコクトーで、君のつまみ食いを見て見ぬふりをしてる。自由にすることで、君を縛ってるんだ。君は君で、見せかけの自由を謳歌してる。本当は身動きするたびに、ジャン、ジャン、ジャンと、コクトーのことしか考えていないくせに――そうやって、ジャン・コクトー教に自分のモラルのすべてを預けてしまって、彼が死んだら君はどうするつもり? コクトーは君よりずっと年上じゃないか。いつまでも生きてやしないよ。そうしたら、君は1人ぼっちだ。彼以上に君を愛しぬいてくれる人なんて、どこにもいやしないからね。――ぼくには見えるようだよ。コクトーの葬送の列が。コクトーの男やもめたちが、並んで行進するんだろう。そんな中で君は何を思うの? コクトー教の信者の多さに満足するのかい? それとも、教祖に一番愛されたのは自分だって、密かに誇りに思うの?」恐らくジョルジュを張り倒して、それで終わりにするのが一番の解決法だったかもしれない。アメリカ的なピューリタンによる断罪と侮蔑は、あまりに残酷だった。傷つきやすく、繊細な気質と、それとは裏腹に鍛え上げた、細いけれど筋肉質な肉体でマレーを魅了した「弟」は、いつの間にか残忍な堕天使ルシファーに変わってしまっていた。マレーの脳裏に父と兄の最後の日々が浮かんだ。病魔に侵された救いのない苦しみにとっては、もはや死だけが希望だった。同様に、瀕死の傷を負わされた愛には、もはや別れだけが救いだった。堕天使ルシファーは大天使ミカエルの魂を喰いちぎり、さらに全部差し出せと要求していた。だが、ミカエルが燃える剣(注=大天使ミカエルはしばしば、燃える剣をもって戦う姿で描かれる)を振るうことはなかった。彼は立ち上がり、無言で立ち去った。「ジャン・コクトー通り」は不思議なことに、明るい夏の日差しを浴びて、木の葉をきらきらと輝かせていた。それは嫉妬や疑念や独占欲に毀損されない、もう1つの、懐かしい世界だった。夏になって、やさしい緑がいっそう濃くなったと、ふいにマレーは思った。突然わっと泣き出す声を聞いた。泣いているのは自分ではなく、ジョルジュだと気づくまで、少し時間がかかった。透きとおった光と木々の織りなすジグザグの影の中を、マレーは通っていった。
2008.08.19
ジョルジュはテレンス・ヤング監督、ローラン・プティ振付のバレエ映画『ブラック・タイツ』への出演を申し込まれていた。マレーは『未来のスターたち』に出演した際に、ジョルジュにも役をつけてもらい、旧知の映画関係者にジョルジュを紹介し、仕事の幅が広がるように腐心していた。『ブラック・タイツ』はマレーの映画の撮影を何度となく手がけたアンリ・アルカンが撮影監督で、コクトーとも親しいモーリス・シュバリエがナレーションを担当することになっていた。「映画のこと、君がローランに頼んでくれたの?」ひと泳ぎしたあとに、ジョルジュが尋ねた。「いや、知らないよ。ローランからはまだ何も聞いていない。君は何の役だ?」「クリスチャン役だよ。『シラノ・ド・ベルジュラック』の」「それは偶然だな」「偶然?」「ぼくのほうには舞台で『シラノ・ド・ベルジュラック』の話が来てる。シラノ役だけどね」「受けたの?」「ああ」「そう……」『シラノ・ド・ベルジュラック』は、大きな鼻をもつ醜い容貌ながら、すぐれた詩人であり、騎士であるシラノの悲恋物語。シラノは美しい貴婦人ロクサーヌを深く愛しているが、彼女は美青年クリスチャンを愛し、クリスチャンもロクサーヌを慕っていた。2人の気持ちを知ったシラノは自分の恋心を押し隠し、詩心のないクリスチャンのために甘い愛の言葉を伝授し、恋文を代筆し、2人をとりもつ。クリスチャンとロクサーヌは愛し合うが、クリスチャンは戦死。ロクサーヌはシラノが書いた恋文をクリスチャンからのものと思い込んだまま、大切に胸にしまって修道院へ。長い月日が流れ、陰謀に巻き込まれて重傷を負ったシラノは、死の直前、変わらぬ愛を抱き続けるロクサーヌのもとへ。そこでクリスチャンの詩を諳んじるシラノの声に、ロクサーヌはようやく、自分が愛した詩人がシラノだったことを知る。「君がシラノで、ぼくがクリスチャンか…… 皮肉だね」「クリスチャンは、君にぴったりじゃないか」「詩心ゼロのところがだろ」「じゃなくて、美男だってことだよ」「薄っぺらな、中身のない美男ね。恋敵の騎士道精神に助けられてる情けない男だ」「ジョルジュ、いい加減にしろよ。そんなふうに自分の役を単純に決めつけてどうする。ローランがどんな脚色にするか知らないが、クリスチャンはシラノの気持ちを知らなかった。シラノの愛に気づいてからは、彼も騎士道精神を発揮してる。もともとこの悲劇は、シラノの劣等感が招いたものさ。ぼくはシラノの劣等感に興味がある。人を詩人にもし、剣豪にもし、孤独にもする劣等感にね。逆に、必ずしもクリスチャンが薄っぺらな顔だけの男だとは思わないよ。どんなクリスチャンにするかは、君次第じゃないか。やりがいのある役だ。そう思わないのか?」「バレエは芝居と違うしね。まずは、振付をちゃんとこなさないとさ」「……そうか」「ローランがぼくに与えるのは、結局、クリスチャンのように、見かけがいいだけのお人形のような役さ」「不満なのか」「そうじゃないよ。ローランには感謝してる。声をかけてくれたしね」「ならいいじゃないか」「でも、ローランは大切な作品にはぼくを呼ばない。たとえば、彼の『若者と死』にはね。ローランはコクトーにアイディアをもらったあの作品を、選びぬいたダンサーにだけ躍らせてるんだ」「『若者と死』を踊ってみたいのか? なら、ローランにそう言えば、ローランだって……」「そうじゃないよ、踊りたいって言ってるんじゃない。『若者と死』は、ぼくに言わせれば、バレエじゃない。あれをみんなが踊りたがるのが、むしろ不思議だよ」「ジョルジュ、またジャンの批判をするつもりなら、やめてくれよ――」コクトーの悪口は、母から聞かされるだけで十分だった。「――ぼくは君のバレエが好きだ。踊っている君は本当に美しいと思ってる。ぼくの中では君は最高のダンサーなんだ。映画の仕事をするのだって、ぼくは喜んでいるよ。それなのに、どうして君は、お互いが不愉快になるようなことをわざわざ言うんだよ」「君は役者を見る眼は確かなのに、ダンサーを見る眼ときたら、からっきしだね。ぼくは君とは違う。君は昔からlegendary actorだけど、ぼくなんて、ordinary dancerさ」「何だって?」「平凡なダンサーだってこと。それは最初からわかってるし、今だって変わっていないよ」「それは自分を過小評価しすぎなんじゃないのか」「それは君がよくコクトーから言われてる台詞だろ」マレーはむっとして黙り込んだ。ジョルジュは長椅子の上で膝をかかえ、顔を伏せた。まるで傷ついているのは自分だとでも言わんばかりの仕草に、マレーは苛立った。「ねえ、ジャン――ぼくが踊れなくなったら、君はぼくをどうするつもり?」「ぼくが君をどうするって、どういうことだよ。君はどうしたいんだ」「――どうしたらいいか、わからないよ……」涙声だった。マレーの苛立ちは、たちまち戸惑いに変わった。自分は、自分のことにかまけて、ジョルジュをないがしろにしていたのだろうか? マレーは、ジョルジュの肩にやさしく腕を回した。「ジョルジュ……」「言っただろ? ぼくはもう30を超えたし、若くない。ぼくはこれからどうしたらいいんだ? このままフランスにいてどうなるのか、不安なんだよ。君はもう、ぼくのバレエ・カンパニーに興味はないだろ? わかってるよ」あまりに敏感なジョルジュ――振り子のように不安定で、アラバスターのようにもろく、傷つきやすい心。コクトーの言うとおりだった。――なにしろ、君の一言でも傷つくような人です。「こんなことを言うのは、ぼくの劣等感のせいさ。シラノ以上だな、きっと……」「ジョルジュ、この家の君の部屋は、ずっとそのままになってるんだよ。ぼくは君と……」「もう、やめてよ」ふいに肩からマレーの腕をはずす。「誰かと魂が癒着してるのに、別の人間と暮らすなんて、引き裂かれながら生きるようなものだろ」ジョルジュの言葉は、月の女神がアヴナンに放った矢のように、マレーの身体を射抜いた。それは確かに、2人の間の暗黙のタブーだったのだ。10年におよぶ年月のあと、ジョルジュはとうとう一線を越えようとしていた。<明日へ続く>
2008.08.18
<きのうから続く>ジョルジュはマルヌの家を出るとき、飼っていた雌犬のキュランヌを残していった。――ぼくの幸せがどこにあるの。君のそば以外に。ほんの半年前、ジョルジュはそう言って、マレーの腕の中で泣いていた。マレーはジョルジュがいずれまた戻ってくると思っていた。飼い犬もそのままだったし、何より2人はお互いを必要としていた――少なくともマレーはそう信じていた。だがアンリの死後、母をマルヌの家に引き取ると、ジョルジュを含めた友人たちの足は遠のく。彼女はもはや自分の母親でなければ絶対に近づきたくないような、偏狭でよこしまで醜い老婆に日々変わっていった。マレーはシャルル10世風の内装と家具で彼女の部屋を美しく整えて迎えたが、母は物が捨てられないうえに、掃除も拒否するため、部屋は急速にがらくた置き場と化していった。口を開けば、マレーの愛する友人たちを非難し、罵倒した。ことにジョルジュに対しては、むき出しの敵意を隠さなくなった。ジョルジュはマレーの母をあからさまに恐れるようになった。それでもマレーは、ジョルジュの部屋を手をつけずにそのままにしていた。そんなとき、コクトーが南仏から思いがけないものを持ってきてくれた。マレーが以前サント・ソスピール荘(=南仏サン・ジャン・カップ・フェラにあるフランシーヌの別荘。コクトーはっこで1年の大半を過ごしていた)で描いたジョルジュの肖像画だった。ストックルームにしまい込んであったのを、たまたま見つけたのだという。「以前描いたはずなのに、驚くほど今の彼に似ていないかい?」コクトーが言った。「とても美しいね」コクトーだけはマレーの母に礼儀を尽くすことを忘れなかった。マレーは駅売り三文小説並みの自分の出生の謎をコクトーに話した。「アルフレッド・マレーもウジェーヌ・ウーダイユもぼくを自分の息子だと思ってた。ぼくが生まれたとき、ロザリーはぼくを見たくないと言って泣いた。マドレーヌが死んで女の子が欲しかったなんて、彼女一流の嘘さ。ロザリーは自分の罪に泣いたんだよ。ぼくは間違ってこの世に生まれてきたんだ」「ジャノ……」「もっと早くアルフレッドと会っていれば、彼はぼくの映画も舞台も見に来れた。彼はとうとう、ぼくの仕事を見ないまま死んだんだ。ロザリーはぼくが彼女以外の誰かを愛することを、決して許さない。自分の不幸はぼくのせいだと責め立てる。――ぼくは若いころ、ロザリーがデパートに物を盗みに行くのにも一緒に行った。ぼくだけが彼女を守れるような気がしていたからさ。――それなのに、これまで彼女がぼくに何をしてくれた? 絶え間ない嘘以外に、ロザリーがぼくに何を与えれくれた? ぼくを間違った道に引きずり込もうとしてたのは、彼女のほうだ。すべてに逆らってまで、自分の母親だからという理由で、彼女を愛すべきなんだろうか?」「ねえ、ぼくのジャノ――」コクトーは静かに言った。「――聖女ロザリーは、君をぼくと世界のみんなに授けてくれた。彼女のなした奇蹟に、ぼくは感謝している。これからもずっと、感謝し続けるよ」マレーはコクトーがもってきた昔のジョルジュの肖像画に、キュランヌを描き入れ、ジョルジュがキュランヌの首に手を置いている構図に変えた。ジョルジュは眼の前にいない。自分の手を見ながらジョルジュの手のディテールを描いた。こうして、ジョルジュの手はマレーの手になった。ジョルジュはマドレーヌ・ロバンソンの家に住んでいる。「一時的」だったはずが、ずっとマドレーヌの家に留まっている。どうやら、マドレーヌの家はジョルジュにとって、思った以上に居心地がいいらしい。そのことを、マレーはジョルジュのために喜ぼうとした。マレーはジョルジュが幸せで、楽しく暮らすことを願っていた。その気持ちに嘘はないはずだった。だが、ことに夜になると、マレーの胸は、何とも言えない哀しみとやるせなさでいっぱいになるのだった。マドレーヌとマレーの付き合いは、20歳そこそこの昔にさかのぼる。2人はシャルル・デュランの演劇教室で一緒だった。2人ともコンセンヴァトワールの入試に失敗してデュランの元に流れてきた。どちらも熱心な生徒だった。他の生徒はいろいろと理由をつけて予習をサボったが、マレーとマドレーヌはいつも準備が出来ていた。デュランは明らかに、マレーよりもマドレーヌを評価していた。それは間違いない。マドレーヌは、すぐにデュランの芝居で主役級の役を与えられたが、マレーのほうはなかなかだった。マドレーヌは台詞の入りが誰よりも速かった。マレーが10回繰り返さなければ憶えられない長台詞でも、マドレーヌは2~3回で十分だった。彼女は役をとてもすばやく、そして巧みに自分のものにした。マレーは1日のほとんどを演劇の勉強に捧げていたが、マドレーヌのほうは、その情熱を演劇と異性とに公平に分けていた。レッスンが終わると、教室の外でハンサムな男の子が彼女を待っていた。その相手はしばしば変わった。マドレーヌはマレーに対しても好意的で、年下であるにもかかわらず、姉のような包容力を示した。家庭が複雑で幼いころから苦労をしていた。マレーが映画に出始めたころには、マドレーヌは多くの舞台をこなしながら、すでに結婚していた。数年後、気がつくと夫が変わっていた。「もう結婚はコリゴリよ」――マドレーヌからそう聞かされたのは、7~8年前だった。すでに彼女には息子が1人いた。だが、その後、彼女は娘を産んだ。ちいちゃなソフィー・ジュリアの父親とは3年ほど前に、結婚をしないまま別れたと聞いた。「もう男はつくづくコリゴリよ。この年にしてやっと、男なんてA氏がB氏であろうが、B氏がC氏であろうが、みんな同じだってわかったわ。相手するだけ人生の無駄遣いよ」子供たちを1人で育てながら、マドレーヌは映画と舞台の仕事を続けていた。そして、マレーとはずっと仲のいい女友達だった。アンリがマルヌの家に来ることになったとき、ジョルジュに「うちへいらっしゃいよ」と言ったのもマドレーヌだった。「部屋はあまってるし、ついでにうちの息子と娘の遊び相手になってくれると嬉しいわ。あなたは自分のバレエ・カンパニーを立ち上げたばかりで、なにかと入り用でしょ? 好きなだけいていいわよ」――いつまでいるつもりなんだ、ジョルジュ?外でジョルジュに会うたびに、マレーは心の中で聞いていた。――ずっとか? 聞けぬままマレーは、ジョルジュがマドレーヌの家へ帰るのを見送るのだった。2人の会話は、だんだんに乏しくなっていった。仕事のほうは、映画を1本撮っていた。かつてコクトーが脚本を書いた『ルイ・ブラス』風の冒険活劇『Le Bossu(マレー版の邦題は「城塞の決斗」)』。フランスでは人気のある時代小説――ルイ王朝時代の騎士物語――で、およそ15年前に『悲恋(永劫回帰)』の監督のジャン・ドラノワも一度映画化している。皮肉にもマレーが扮したのは兄と同じファーストネームをもつアンリ・ド・ラガルデールというさすらいの剣士だった。舞台では『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノ役でフランス内を何ヶ所か公演で回ることになっていた。夏が始まったある日、マレーは母に看護婦と家政婦をつけてバカンスに出した。ジョルジュを昼食に誘うと、あまり気乗りのしない返事が返ってくる。それでも、ジョルジュはやってきた。父との思いがけない邂逅と永遠の別れ、続いて兄。さらには出生の秘密を明かされるなど、立て続けに起こった個人的な事件で、マレーはジョルジュとゆっくり時間をもつことができないでいた。その間に、少しずつジョルジュは遠ざかっていっているような気がした。マレーはそれが、思い過ごしであればと願っていた。リュリュからは、ジョルジュのバレエ・カンパニーは運営が思わしくないと聞かされていた。「たとえ泣きつかれても、経済的に支援するのは、絶対にやめてちょうだいね」リュリュからは釘を刺されていた。「スポンサーを自分で探すようにアドバイスしてちょうだい。あなたのバレエ・カンパニーではなく、ジョルジュが自分で作ったカンパニーなんですからね」昼食に来たジョルジュは、珍しくジャンヌの料理を褒めた。体重に強迫観念をもっているダンサーは、マレーと一緒に住んでいる間は、料理の味にはほとんど関心を払わなかったのだ。食事のあと、2人は庭のプールで泳いだ。イヴォンヌ・ド・ブレのイニシャルにちなんだY字型のプール。隣接するサン・クルー公園のほうから、子供の声が時おり聞える以外は、まったく静かな夏後の午後だった。
2008.08.17

ジャン・コクトーが、最初にジャン・マレーに主役を与えた戯曲『円卓の騎士たち』。2人のコラボレーション第一作を記念して、コクトーはマレーに1枚のデッサンを贈っている。コクトーがデザインした衣装をまとい、役に扮したマレーの姿を描いたもので、右上には「ぼくたちの大切な仕事の思い出に」と手書きでメッセージが入っている。そしてなぜかコクトーは、右下に謎のような言葉を書き添えた。「ぼくの誕生はある秘密につつまれている」。マレーは20年以上たって、このメッセージが一種の預言だったことを知る。神託をもたらしたのは、1人の新聞記者。父と兄を相次いで癌で失った約1ヵ月後、『フランス・ディマンシュ』紙の青年記者がマレーに面会を求めてきたのだ。マレーは彼とは面識があった。好感のもてる青年だったので、会うことにした。記者はまず、さまざまなゴシップについて問いただしてきた。ブルゴーニュの若い女性が、最近ジャン・マレーの子供を産んだと告白したとか(マレーはもう何年もブルゴーニュには行っていなかった)、ある有名女優と婚約間近だとか(パーティで数度会っただけだった)、根も葉もない噂だった。ゴシップの話が終わると、記者は突然、「ジャン・マレーさん、実は、ぼくはあなたの従兄弟なんです」と言った。「従兄弟?」――何を言い出すんだ、いったい?「ええ。従兄弟です。あなたは、ウジェーヌ・ウーダイユを知っているでしょう?」ウジェーヌ・ウーダイユ!? あまりにも思いがけない名前だった。ウジェーヌ・ウーダイユはマレーの名づけ親だということになっていた。まだシェルブールにいたころ、マレーが洗礼を受けたときに贈り物をくれた。シェルブール時代の思い出はほとんどないマレーだが、ウーダイユのプレゼントの記憶はあった。そのころ父のアルフレッド・マレーは出征中だったのだ。パリでは、「伯父さん」として、時々マレーの家に出入りしていた。本当はマレーの名づけ親は兄だったし、血縁関係もなかった。幼いころにはわからなかったが、要するに母の交際相手だったのだ。母が父の元を去る夜、パリ行きの豪華な寝台車を用意してくれたのも当時シェルブール駅の鉄道特別監督官をしていたウジェーヌ・ウーダイユだった。マレーたちがパリに移ると、彼はいつの間にかパリのサン・ラザール駅の特別監督官になっていて、マレーも駅舎に時々「伯父さん」を訪ねていったことがある。母はときどき、「内務省付参事官」とあるウジェーヌの名刺をもって外出した。名刺には「私の妻と息子に便宜をお図りください」と書いてあり、それを見せるとなぜか映画館の映画はタダとなり、汽車にも切符を買わずに乗ることができた。母が駐車違反をして警察官と言い争いになり、平手打ちをくらわせて署に連行されたときも、名刺を見せると警察官の上司の態度が一変し、丁寧に謝罪されたこともある。だが、幼い記憶からウジェーヌはだんだんに消えていく。次第に家に来なくなり、別の男が来るようになった。「どうして君は、ウジェーヌ・ウーダイユを知ってるの?」何かなければ、絶対にわらかないはずの名前だった。「ぼくの伯父だからですよ」「君の伯父?」「そうです。そして、彼があなたの本当の父親なんです」「そんなバカな!」マレーは即座に否定した。「ぼくは父のアルフレッド・マレーに会ったばかりだ。ぼくらはよく似てた。外見もだけど、性格もだ」「でもね――」記者は確信をもっているようだった。「ぼくの従姉妹のマドレーヌ・ウーダイユは、あなたより15歳も年上だけど、彼女もあなたによく似てますよ」「マドレーヌ?」それは今、マレーを密かな嫉妬で悩ませている女性の名前だった。ジョルジュはその名をもつ、マレーの親友でもある女性と一緒にいる。さらにマドレーヌという名前には別の因縁もあった。ジャン・マレーが生まれる数日前、2歳だった彼の姉のマドレーヌが死んだ。そう、マレーには2つ年上の姉のマドレーヌがいたのだ。母はマドレーヌの死にショックを受け、その子にかわる女の子が欲しいと思っていた。生まれた子が男だと知ったとき、母は見たくないといって泣いたという。コクトーがマレーのために書いた『恐るべき親たち』のヒロインの名は、幼くして亡くなったマレーの姉にちなんでいた。「それがあなたの腹違いのお姉さんの名前です。そして、彼女はちょうど15歳の冬に、ウジェーヌ・ウーダイユが、誰かと電話で話していて、『息子か!』と喜んでいるのを聞いたと言っています。つまり、あなたのことですよ。マドレーヌの若いころの写真をもってきました。ご覧になりますか?」「ああ……」明るい髪に三白眼気味の大きな瞳をもった美人だった。確かに、マレーに似ていた。姉だと言われても不思議はないかもしれない。だが、写真は写真だ。ジョルジュとマレーだって、血縁関係はないうえに、国籍すら違うが、よく人から兄弟だと間違われる。「ウジェーヌ・ウーダイユとあなたのお母さんの間には、素晴らしい大恋愛があったそうですね。彼は離婚を決意していた。戦争中ウジェーヌはギリシアにいた。フランス人には通行証が出ない場所です。ウジェーヌに会うために、あなたのお母さんは娼婦たちの輸送列車に同乗してまでギリシアに行ったそうですよ。でも、ウジェーヌは内務省付きだった。その頃の内務省は対独協力者からの非難を浴びないために、私生活を厳しく監視していた。ウジェーヌの上司は、彼が離婚すれば免職にし、その上あなたのお母さんをスパイ容疑で逮捕すると脅したんです。ウジェーヌはそれをあたなのお母さんに話した。あなたのお母さんは愛人の経歴に傷をつけたくなかった。とんとん拍子で出世してる人でしたからね。それで彼と別れたんです」――まるで、駅売り三文小説だ……マレーは呆然となった。ウジェーヌ・ウーダイユの面影を辿ろうとした。だが、ほとんど思い出せない。ウジェーヌは確かに優しい「伯父さん」だった。彼が自分の本当の父だったのだろうか? そうだとすれば、すべて説明がつく。シェルブールにいたウジェーヌが、なぜか自分たちと同時にパリに移っていたこと。母がありもしない暴力やいもしない愛人をでっち上げてアルフレッド氏を悪者にしたこと。なんとか彼と息子たちを会わせまいと手紙まで偽造して画策したこと。さりとて、名刺に書かれた文字以外に、ウジェーヌ・ウーダイユから「息子」として扱われた記憶もなかった。俳優として名が売れてからも、彼が会いに来たこともなかった。翌日、母がマルヌの家に昼食に来た。マレーは記者の話をした。「ぼくは、ウジェーヌ・ウーダイユの子供なのか?」母は悪びれもせずに、あっさりと答えた。「もちろん、そうだよ。だから、お前が私をシェルブールに連れて行ったとき、笑ったのさ。アルフレッドは、子供が作れなかった」――子供が作れなかった?子供が作れない男が、別れた妻の息子の記事を集めるだろうか? 自分の子供でもない男に、死の床でまで会いたがるだろうか?「じゃあ、アンリも彼の子供じゃないんだね?」「そうよ!」あまりに嬉々とした様子の母に、マレーは疑いを覚えた。もともと嘘ばかりつく母だった。おそらくは、アルフレッド氏と息子との間に生まれた絆と思い出をぶち壊したいのだろう。40年間、自分を捨てた妻を待ち続けた男。自分のために夫のもとを去った女を、保身のために捨てた男。兄のアンリはマレーより7歳年上だった。アンリはアルフレッド氏の子供である可能性が高いような気がした。でも、自分は……駅売り三文小説並みの出生の秘密をさぐるために、マレーは父の葬儀で会ったアルベリック神父を訪ねて、シェルブールから少し離れたブリックベックの修道院に行った。だが、神父はアルフレッド氏の人としての素晴らしさを語っただけで、別居にいたった理由は聞かされていないと言った。マレーの母はアンリの死後、ますます意思の疎通が図れなくなる。その後一時マルヌの家に母を引き取ったマレーだったが、コクトーの予言どおり、やがて耐えられなくなり、南仏のカブリスに別荘を建て、家政婦と看護婦をつけて、母をそこに住まわせ、毎週末飛行機で会いに行くようにした。コクトーも手紙魔だったが、母もマレーにさかんに手紙を書いた。晩年はほかに何もすることがなく、毎日息子へ手紙を書いていた。だが、マレーあての手紙に「親愛なるアルフレッド」などと書き、使用人から「あなたの息子さんはアルフレッドではなく、ジャンと言うのですよ」と教えられるようになる。手紙の内容が途中から息子ではなく夫にあてたものになることもあった。夫への言葉は、不思議なことに愛情とやさしさに満ちていた。マレーの前ではアルフレッド氏を口汚く罵ってばかりだったのに、同じ人間が書いたものとは思えなかった。マレーは母の手紙から何か真実がわかるかもしれないと期待した。ある日、書いていた手紙を突然まるめて飲みこもうとし、周囲を慌てさせる事件が起こる。強引に口から取り出して広げると、手紙には「本当のことを言うと、あなたのお父さんは」と書かれ、そこで途切れていた。母は生涯、夫への想いも愛人への想いも胸に秘めたまま、墓場までもっていってしまう。結局、コクトーの言葉だけが真実を語っていた。――「ぼくの誕生はある秘密につつまれている」。「これからはぼく1人が君の父」とマレーに書いたコクトー。その戸籍上の名前は、Jean Maurice Eugène Clément Cocteau(ジャン・モリス・クレマン・ウジェーヌ・コクトー)という。さらにコクトーは1913年、つまりジャン・マレーが生まれた年に、ウジェーヌたちの物語『ポトマック』を書いている。コクトーはこの作品を自分の処女作と定め、それ以前の著作を全否定した。つまりマレーが生を受けた年に、コクトーも詩人としての自分を産んだのだ。<明日へ続く>
2008.08.16
<きのうから続く>数日後、今度はアンリの病状が悪化した。あと一晩もつかどうか――マレーは内心思っていた。ところが母はいつものようにアンリに小言を言ったり、忠告をしたりした。「ママン、お願いだ。――休ませてくれないか」絶え絶えの息の下で、アンリが懇願した。すると、母は怒り出した。「私の言うことが聞けないって言うんなら、出て行くわよ」マレーは慌てて引き止めた。「外出する場合じゃないだろ!」「イヤよ。アンリは私がいらないって言ってるのだもの。出て行くわ」「出て行くって、どこに行くんだよ」「自分のアパルトマンに戻るのよ。もう金輪際、アンリの面倒は見ないわ」マレーの腕を振り切って、母は出て行った。その夜、アンリは亡くなった。マレーは母の家に電話をかけて、アンリが重態だからすぐに来るように言った。母は戻ってきた。門のところで、衣装係と立ち話をしているのが見えた。恐らく、アンリの死を聞かされて気も動転しているだろう――マレーはそう思って迎えたが、母は何も聞かされていなかった。アンリの部屋で、ようやく彼女はすべてを理解した。すると、すさまじい勢いで神を罵る言葉を口にし始めた。――あたかも神が眼前にいるかのように…… 荒れ狂う母を見て、マレーは疲れ果て、麻痺した脳で考えた。――ロザリー、神を罵るためには、まず信じる必要があるんじゃないか?彼女は若いころは修道女を志すほど信心深い女性だった。修道院に入っていた彼女をむりやり結婚させたのは、彼女の父。その相手が、当時獣医学校に通っていたアルフレッド・マレー氏だった。今の母は完全な無神論者で、かつて「仕事」と呼んでいた盗みも、完全にやめてはいないことをマレーは知っていた。十分すぎるほどの生活費を与えても、欲しがるものはすべて買ってあげても、治らない母の盗癖と虚言癖。――ぼくはお金持ちになるよ。そうしたら、ロザリーはもう、仕事をする必要がないでしょ。――そうなりたいもんだね。マレーは母のためにも成功したかったのだ。母を救い、幸せにするために。マレーは確かに約束を果たしたが、母の病気は、返って見えないところで深く進行していった。マレーは自分とコクトーの関係が最愛の母を苦しめたのではという自責の念を捨てきれずにいた。マドレーヌ広場に見つけたアパルトマンでコクトーと暮らすことを決めたとき、母はこれまでマレーが見たことのない鬼のような形相で2人の「不道徳な関係」を非難した。マレー自身の意思で決めたことだったにもかかわらず、彼女は責任をすべてコクトーに負わせた。マレーが家を出て行くとき、母は息子が地獄に堕ちると叫んだ。息子は自分は不道徳なことは何もしていないと返した。それは、2人の間に起きた最初の、そして最大の諍いで、それからゆっくりと、四半世紀かけて築きあげた王国は崩壊していった。息子は母への償いの気持ちを、ふんだんに与える金銭や高価なプレゼントに込めた。だが、それは対処療法にすぎず、華やかな息子の成功は親子の時間を奪い、2人だけの王国は完全に崩壊し、母をさらに孤独に追いやった。わかっていながら対処療法を繰り返したことで、いつしか息子の母への愛までツギハギだらけになってしまった。アンリの葬儀の日、葬送の列でマレーは母の後ろにしたがった。コクトーがマレーにぴたりと寄り添い、離れなかった。それをジョルジュが遠くから見ていた。
2008.08.15
<きのうから続く>40年ぶりに夫婦は病室で再会した。ベッドの上の夫は両腕を差し出して妻を迎えたが、妻はそれを見ると、わざとゆっくり進み、夫の期待を裏切った。夫は妻の結婚指輪がまだあるかどうか、視線で確かめていた。彼女は指輪をはめていた。マレーは父の顔に自分の顔を近づける母を見た。キスするのかと思ったとたん、母は動きをとめ、烈しく冷たい眼で父を凝視した。――眼の前で死ぬのを期待している?背筋が凍るような妄想がわいた。「変わったと思う? 私……」それが40年ぶりに夫に再会した妻の最初の言葉だった。父はもうほとんど話をする体力が残っていなかった。喘ぎ喘ぎ話し、耳の遠い母は何度も、「えっ?」と聞き返し、ますます父を疲れさせた。マレーが割って入り、彼がこれまで彼女についてマレーに語った言葉を繰り返した。母はともかくも、神妙な顔で聞き入っていた。父は幸福そうだった。自分は幸せだとマレーに言った。マレーは心からほっとした。最後に父は、次の映画は何か、封切はいつかとマレーに聞いた。マレーが答えると、今度は必ず見るからと言って満足そうに眼を閉じた。翌日、パリに戻ったマレーに、父が亡くなったという知らせが届いた。とんぼ帰りでシェルブールに向かい、1人で葬儀に参列した。そこで父の親友2人と会った。1人はエルベ博士という医師、1人はアルベリックという神父だった。「また、あらためてご挨拶に伺います」と言い残し、パリに戻った。サン・ラザール駅から、劇場には歩いて向かった。道の途中で、通行人と眼が合った。脇の女性に、「見ろ、ジャン・マレーだ。少しぐらい笑ったっていいのにな!」と言うのが聞えた。――俳優も人間なのにな。マレーは暗い気持ちで、心に呟いた。あなた同様に、病気もあれば、気苦労もあり、悩みや悲しみもあるのだ。それでも、自分だけのことなら諦めよう。それほど、この仕事を愛していた。マレーはスイスのサン・モリッツで静養していたコクトーに父のことを手紙に書いて送った。死の1週間前にようやくまみえたこと、今まで音信不通だったのは彼の意思ではなかったこと、彼の気高い態度には男としての友情すら感じたこと。コクトーはコクトーで、マレーからしばらく手紙が来ないことで、何かあったのではないかと気に病んでいた。特に心配していたのは、アンリのことだったのだが。「1959年3月10日 ぼくのジャノ まったく音信がないので心配しています。葉書一枚で大喜びなのですが。ぼくたちの間には、ある種の膜というか、へその緒のようなものがあって、少しでも引っ張られるとぼくには耐えられなくなります」(『ジャン・マレーへの手紙』より)この手紙を送った翌日、コクトーはマレーの手紙を受け取って驚愕する。さっそくコクトーは、もっとも早く着く電報をマレーに送っている。「きみの手紙に動転。これからはぼく1人が君の父親。ぼくの心は君と君の家族の傍らにあります」コクトーはさらに、手紙もしたためる。「1959年3月11日 ぼくのジャノ 君の手紙には、文字通り動転させられました。死を迎えるときになってようやく生き始めた亡霊のような男性に、君はどんな友を見たのでしょう。何もかもが恐ろしく、何かしら神秘的な美しさをそなえています。信念を持ちましょう。愛しています。いまや、ぼく1人が君の父親。 ジャン」「1959年3月13日 ぼくの善良な天使 ぼくはずっと考えていました。君のお父さんの美しくも恐ろしい冒険のことを。彼がもし、君という太陽いまみえず死んでいたら、君がもし、彼という太陽に暖められることを知らずにしまったら……愚かしい諍いのせいで最良のものを失ったと嘆くのは、本当に辛いことです。それに、君は彼のことを感じていました。君があのシェルブールへの旅を計画するのを、いくど聞かされたことか。君はムールーク(注=ムールークは8年前の1951年に死んだマレーの飼い犬)を身分証明に使うつもりでいました。そして、彼も君を待ち、君のことを夢見ていたはずです。父上の写真は持っているのですか。死の床で写真を撮ることができましたか。ぼく1人が君の父となった今、ぼくは本当に彼のことが知りたい。ぼくの最愛のジャノ、18日には戻ります。君にくちづけを送ります。ジャン」(前掲書)マレーは、再びシェルブールに行き、葬儀で会った父の親友のエレベ博士という紳士の家を訪ねた。そこでまたも、信じられない事実を知る。マレーは実は過去に一度、エルベ博士と会っていた。それは映画のロケでブルターニュにいたときで、ディナー・パーティの席で彼と話をしたのだ。彼は父の戦友でもあった。大勢の招待客と会話しなければならなかったマレーだったが、偶然父を知る人間に会えたことが嬉しく、親しく語り合った。そのときのマレーの人柄に打たれた博士は、自宅に戻ってから、マレーにアルフレッド・マレー氏の現状を知らせる手紙を書いたのだ。アルフレッドは非常に孤独だった。彼は家族との思い出、そして父親としての後悔の念の中に生きていた。そして、ジャン・マレーの写真や記事を集めることだけが生きがいだった。「恐らく彼は私以外には、誰にも胸のうちを打ち明けていないでしょう」――親友の心中を察して、エルベ博士は書いたのだ。そんな彼に会ってやってはもらえないだろうか、と。ところが、その手紙は、すべてを拒絶するジャン・マレーの返信とともにつき返されてきた。「まったく預かり知らない話です」すでに、その返事を誰が書いたかは明白だった。マレーは暗い声でエルベ博士に言った。「その私からの手紙、見せていただけますか?」ジャン・マレーと署名のある手紙は、実によくできていた。思い上がった冷たいスターからの拒絶の手紙。嫌味な道徳論まで並べる周到さだった。「家族間の葛藤や内輪の争いは当事者のみの問題に収めたく思います」「仲介者はえてして、告白者に同情し、公平さを欠くものです」「確かに現在の私は名の知れた人間ですが、私は他人に忠告を与えて出すぎた真似をしたり、親密な関係を強要したりはいたしません。俳優にとって、これは絶対的な規律ですので」「あなたは私にとって『異邦人』にすぎません。ディナーの席でお近づきになった際も、私のファンに対していつもそうするように、愛想良くお答えしたまでです。しかし、人ぞれぞれの考えで、皆さんが私の身の振り方を規制しようとすれば、私は無人島にでも暮らさなければならなくなるでしょう。この私があなたのお仕事に余計な口出しをしたでしょうか?」「私に言わせれば、これは単なる品位と礼儀の問題でしかありません。誰もが同じ道徳基準のもとにいないことを残念に思います」「どうかお返事は無用に願います。再びお会いいたした節は、お近づきにならないよう、なにとぞお願い申し上げます」あまりのことに涙も出なかった。「これを書いたのは母です」マレーは言った。「父とぼくを会わせたくなかったんでしょう」「私も、ディナー・パーティでのあなたの印象と手紙の文面があまりに違うので、驚いたんですよ」「両親の離婚の事情、父から何かお聞きになっていらっしゃいますか。父は肝心のことには、口を閉ざしたまま亡くなりました」「いや、私は何も……」「この2通の手紙、いただいてもよろしいですか?」「どうぞ」マレーは礼を述べて、エルベ博士の家を出た。「ジャン・マレーさん……」最後に博士は言った。「あなたのお父さんは私に、人間の気高さを教えてくれた戦友でした。本当に立派で、他人の冒涜まで黙って我が身に引き受けるような男です。――シェルブールの街角にあなたの映画のポスターが貼られると、あなたのお父さんは道で立ち止まり、こみ上げる思いを抑えて見つめておられた。あの姿は今も忘れられません」打ちひしがれてパリに戻ったマレーは、耐え切れずにコクトーに電話した。コクトーはスイスから南仏のサン・ジャンに戻っていた。「ロザリー(=母)のことは、怒っていないよ」と、マレー。「いつものことだと言えば、いつものことだからね。だけど、どうしてここまでしたのか。聞けるものなら聞いてみたい。本当のことは言わないだろうけどね。父が暴力男だったとか、愛人がいたとか、でっちあげの嘘がばれるのが嫌だったにしても、あまりにも行き過ぎていないか? そもそもどうしてあそこまで、父を貶めて、徹底的に会わせまいとしたんだろう」「本当にロザリーは不幸な人だね。きっと何かあるんだろう。とても悲劇的な、彼女だけの理由が。それでなくては、こんな恐ろしいことはしないよ。考えれば考えるほど恐ろしくなる。聖者のようなエルベ博士が、君からの手紙を受け取って、君を敵だと思い込んで、どれほど苦しんだことか。申し訳ないけど、ぼくのジャノ。気分が悪くなる」「ぼくだって、吐きそうだ」「ぼくはロザリーにお悔やみの手紙を書いて、電報を打ったんだよ。それもこれも、黙っていると彼女がぼくと君との間に『地獄の機械』をでっち上げないか心配だったからだ。思ったとおりだったね。君とお父さんの悲劇がそれを証明してる」
2008.08.14
<きのうから続く>約束の10時になるのを待って、ジャン・マレーは小さな家のベルを鳴らした。70代の老婦人が出てきた。「私がルロワ夫人です。お父さんの従姉妹です」彼女はマレーを小さなサロンに招きいれた。ルロワ夫人が語った父の生活は、母から聞いてイメージしていたものとはかけ離れていた。父はこの街でずっと1人で獣医として働いていたという。身体を壊して仕事をやめ、診察室だけを売るつもりが、家まで売り渡してしまうことになり、住む場所がなくなった。そこでたった1人の親戚だった彼女が屋根裏部屋を父に提供したというのだ。「失礼ですが、ルロワ夫人。ご主人は?」「とっくに亡くなりましたわ。私もこの年で、1人きり。お父さんの病気はとても悪くて私の手には負えませんし、病院に移るか養老院に入るか、あなたからも薦めていただけませんか?」厄介払いをしたがっている口調だった。愛情ではなく義務感でマレー氏の面倒を見ているのは明らかだった。彼女が父の愛人であったことは、恐らく一度もないだろう。「病気は、そんなに進んでいるんですか?」「ええ。もう何も食べることができません。とても痩せていますから、お会いになって驚かないように。2年ぐらい前でしたか。あなたからお電話いただいて、お父さんはすぐにあなたに手紙を出したんですよ」「え?」「でも、お返事はいただけなかった。1ヶ月以上、お父さんは郵便屋さんが来るたびに、下に降りてきていたんですよ。あなたのお返事が今日来るか、明日来るかと待ちわびて……」「ちょっと待ってください。ぼくは父から手紙を受け取っていませんよ」「何ですって?」「ぼくと兄もずっと父からの手紙を待っていたんです。全然便りがないから、何か連絡できない事情があるのかと……」そこまで言って、マレーははっとした。母が半狂乱になって父に会うなと脅迫したとき、マレーは父に電話したことを母にしゃべってしまったのは、兄か兄の家族だと思っていた。だが、よく考えれば、マレーの郵便係は母だったのだ。ファンからの手紙にマレーに代って返事を書き、マレーのサインをまねて送り返していた。つまり、母は父からの手紙を見つけ、開封し、すべてを知ってしまったのだ。今回、たまたまジョルジュが郵便を取ってこなかったら? そう思い至って、マレーは暗澹となった。「ちょっと待ってくださいね。お父さんがあなたに会えるかどうか、見てきますから」そう言ってルロワ夫人は隣の部屋に行った。ドアを開けた瞬間、安楽椅子にかけている人の両足がちらりと見えた。夫人はマレーを招きいれた。気がつくとマレーは父の腕に抱かれていた。満足に髭も剃れないらしく、頬の髭が痛かった。マレーは『美女と野獣』の撮影中、ありとあらゆる皮膚病にかかり、髭剃りができなくなったコクトーを思い出した。「入院させなければ血毒で死ぬ」と医師に脅かされ、病院のベッドで横たわっていたコクトーの頬は、ちょうどこんなふうだった。あのとき、コクトーはなんとか命は取り留めた。だが以前の身体には戻らなかった。いつの間にかマレーの頬は濡れていた。父の涙だった。父はマレーを抱きしめたまま離さなかった。泣いているところを見られたくないのだろう。感動で胸が詰まった。抱き合ったまま、どれくらいの時間が流れただろう?やっと2人の身体が離れ、マレーは父の顔を見た。眼に飛び込んできたのは彼の青く、澄んだ瞳だった。これほど澄み切った明るいブルーの瞳を、マレーは見たことがなかった。マレーの瞳も青かったが、ずっとグレーがかっていた。鼻はマレーより細く、唇も薄かった。確かに痩せていたが、背は非常に高いようだった。マレーも大柄だったが、恐らくそれ以上だった。父と子はしばらく、何も話せずにいた。だが、話始めると堰を切ったようになった。アンリの病気が重いことを話すのはためらわれたが、父のまっすぐな視線に負けて本当のことを打ち明けた。兄は余命いくばくもないのだ。「癌」という言葉に父はおののいたようだった。だが、すばやく自分の感情を抑えた。「父さん、あなたは…… 役者というぼくの仕事や、ぼくの生き方を恥じていませんか?」それは、マレーが一番気にしていたことだった。「あそこの引き出しの中を見てごらん」父は言った。マレーが言われるままに机の引き出しをあけると、そこにはマレーについて書かれた本が何冊も入っていた。コクトーの『ジャン・マレー論』もあった。「そっちも」言われるままに別の引き出しをあけると、スクラップブックが何冊もしまってある。スクラップには、マレーについて書かれた記事や、マレーの署名入りの記事がきれいに貼ってあった。デビューしたてのころからつい最近に至るまで、マレー自身もう忘れているような古いインタビューや小さなコラムまで漏らさずに集めてある。「ジャン、お前は愛されるために生まれてきたんだよ。私はお前がどういう生活を送り、誰と一緒で、何を演じたかも知ってる。でも、私はお前の舞台や映画は1つも見たことがない。生のお前を見るのは、とても耐えられなかった。でも、これからは、きっと見ていられるだろう……」「どうして1人で生活しているんですか?」「お前のママンと約束したからね」「約束?」「家を出て行くとき、彼女は言った。『誓うけど、私、全然あなたを非難していないのよ』って。私は言った。『ぼくもだよ。誓って言うけど、20年でも30年でもここにいて、君を待ち続ける』って。その約束を私は守った。彼女とした約束という以上に、自分自身とした約束だったからね」驚きのあまり、マレーは言葉を失った。――父さんはね、まだ小さいお前を理由もなく折檻するような男だったのよ。――貧乏な私たちをほったらかしで、愛人を作ってエジプト旅行をするような最低の人間よ。母のヒステリックな叫び声が脳裏に響いた。「どうして……」長い沈黙ののちに、やっとマレーは口を開いた。「じゃあ、どうしてママンはあなたの元を去ったんですか?」「ママンはパリジェンヌだった。彼女は若く、美しく、賢かった。彼女がどれほど美人で魅力的だったか、お前には想像もつかないだろうね」「父さん、もちろんわかりますよ。ママンは本当にきれいだった。ぼくは子供のころ、ママン以上に美しいお母さんを他に見たことなかったもの」「だから、ここでは暮らせなかった。彼女にはパリが必要だった。だから、彼女は出て行ったんだ」自分の元を去った女性をまったく非難しないこの男をマレーは好きになった。母の欠点と悪癖はマレーもよく知っていた。夫だった彼が気づかないはずはない。彼の動作には自分に似たところが確かにあると思った。考え方や人との接し方も似ているようだ。獣医を職業として選んだからには動物が好きなのだろう。マレーも無類の犬好きだった。「人生なんで、おかしなものですね。あなたは1人で生活して、ママンもママンで1人。おまけに幸せじゃないんです」「幸せじゃないって? 何不自由ない生活をしているんじゃないのかい?」マレーは沈黙し、やがて言った。「父さん、ぼくたちは――同じ性質(きもち)をもっていますね」アルフレッド・マレーは驚きと感動をもって、息子を見つめた。シェルブールからパリへ戻る道々、マレーは父と自分の共通点を数えていた。それはいくらでも挙げられるような気がした。母がついてきた嘘は、他の数々の嘘と同様、マレーにはひどく悲しかったが、理解しようと努めた。きっとロザリーは、いつものように自分を独占したかったのだ。マレーの関心が別れた父に向かうことを恐れたのだろう。マレーはパリからシェルブールに連日出かけた。父を入院させる。医師からは「余命数日」だと宣告された。ある晩、マレーがシェルブールから戻ると母が楽屋にいた。「ジャノ、どうしたの? こんなに遅くなって」着いたのは開演ギリギリだった。少なくとも1時間前には楽屋に入るのがマレーの常だったのだ。「シェルブールへ行っていたんだ」「シェルブール?」「そう。父さんが、とても重態なんだよ。もうあと数日しか生きられない。ママンがぼくから崇拝され、尊敬されたいと思ったら、一緒に行ってくれよ。彼の最後の、最大の望みはママンにもう一度会うことなんだ」「ふうん……」母の声は冷たかった。「お前に崇拝されたいとも、尊敬されたいとも思わないけど、一緒に行ってあげようかね」2人は夜行でシェルブールに向かった。マレーは連日の移動と舞台で疲れきっていたが、母はしゃべり詰めでマレーを眠らせなかった。話題はといえば、父の悪口だった。愛情のかけらもない話しぶりで、悪意に満ち満ちていた。マレーは少し反論しようとしたが、「お前はアルフレッドにうまく騙されたのね」と毒々しい笑い声をあげられ、すぐに諦めた。息子が父に好印象をもったことを察して、それを打ち砕こうとしているのだ――マレーにはそう思えた。
2008.08.13
<きのうから続く>ジョルジュはもうジャンヌの後ろに立っていて、南仏にいるはずのコクトーがマレーと遅い朝食を共にしているのを見てしまった。ジョルジュとマレーの間がギクシャクし始めていることを知らないコクトーは立ち上がり、笑顔でジョルジュを迎えた。「君もアンリのお見舞いに来たのかい?」暖かなコクトーの声。「ええ、まあ……。フランシーヌとドゥードゥーは?」「相変わらずサン・ジャンだよ」「じゃあ、今日は1人で?」「もう帰るところだよ」コクトーは明らかにジョルジュに遠慮していた。ミュージカル・コメディの公演以来、ジョルジュはコクトーを避けるようになっており、コクトーもそれを感じていた。「いいじゃないか、ジャン。ゆっくりしていけば」マレーが思わず口を出す。「そうですよ――」ジョルジュの声は、むしろ挑発的だった。「――ぼくが出直しますから」「ジョルジュ、何を言っているんだよ。座れよ」「……そうだ」ジョルジュは手に持った郵便物をマレーに差し出した。「郵便が来てたから、取ってきたよ」「じゃあ、ジャノ。ぼくはこれで。また来るよ」コクトーはそそくさと帰り支度を始めた。慌てて受け取った手紙をテーブルに置き、マレーはコクトーを門まで送っていった。戻ってくると、ダイニングルームにジョルジュはいなかった。ジャンヌに聞くとアンリの部屋にいるという。マレーはテーブルの上に置かれた手紙を開けた。生まれ故郷のシェルブールからの手紙で、差出人はムートン夫人というまったく知らない女性だった。「幼なじみの縁でこの手紙を書いています。あなたのお兄様が末期癌のため、今や希望のもてない状態でいらっしゃることをお伝えしなければなりません。今はエクードゥルヴィル病院に入院中です。あなたからの連絡を待ちわびていらっしゃいます。病院以外への連絡先は、ラ・デュシェ通り28番地になります」――何のことだ? アンリが入院? 連絡を待ちわびている?眉をひそめたところに、ジョルジュが戻ってきた。「いたずらかな?」手紙をジョルジュに見せるマレー。「兄貴が癌で、なんとかって病院に入院中って……」ジョルジュは手紙を受け取って読み始めた。「ジャン、アメリカ人のぼくが言うのも変かもしれないけどさ」「うん?」「兄(フレール)じゃなくて、父(ペール)って書いてあるよ」「え?」マレーはもう一度文面を見た。確かに、読み違いをしていたのはマレーだった。幼いころ母が父の元を去ったため、記憶の中にもない父。2年前にも一度、マレーはアンリと一緒に父を捜そうとしたことがあった。なんとか電話番号を突き止めて2人で電話をした。あいにくそのとき父は留守だった。連絡をくれるように住所を伝えた。期待して待ったが、結局何の便りも来なかった。兄弟は連絡を寄こさない父に驚き、落胆した。だが、それ以上何もできなかった。というのは、母がマレーに、父に会おうとするのは自分に対する最大の裏切りだと言って泣き叫び、どんな名女優でも決して真似できないほどにすさまじい「狂乱の場」を見せつけて、マレーを恐怖のどん底に突き落としたからだ。――父さんはね、まだ小さいお前を理由もなく折檻するような男だったのよ。――貧乏な私たちをほったらかしで、愛人を作ってエジプト旅行をするような最低の人間よ。マレーは、母が父と別れる決心をしたのは、戦争から帰ってきた父に挨拶をしない幼い自分に腹を立てた父が自分を殴りつけたからだと聞かされていた。自分を暴力から守るために夫と別れた母の反対を押し切ってまで、父と会いたいとはとても言えなかった。「本当かな? 兄貴がこんな状態のときに、同じ癌で入院だなんて……」「病院に電話してみたらいいよ」「そうだな」シェルブールのエクードゥルヴィル病院の番号を調べてかけた。アルフレッド・マレー氏のことを尋ねる。「どちらさまですか?」当然の質問が返ってきた。もしかしたら、アルフレッド・マレー氏が自分は俳優のジャン・マレーの父だと病院で話してくれているかもしれない。「ジャン・マレーです。息子の」「ジャン・マレー?」鸚鵡返しのあと、相手は沈黙した。それからようやく、「2週間前に退院されましたが」という答えが返ってきた。「住所はわかりませんか?」再び沈黙。退院から2週間もたって突然電話をかけてきて、住所も知らずに息子と名乗る男を疑っているのだ。「存じませんが」予想通りの答えがそっけなく返ってきた。「何だって?」と、ジョルジュ。「だめだ。もう退院していて、住所は教えてくれない」「この手紙にある連絡先に書いてみたら?」「そうだな…… こういう場合、『テュ』を使ったらいいのかな、それとも他人行儀に『ブゥ』とすべきなのかな」「……ジャン・コクトーに聞けば?」「ジョルジュ、こんなときに、いちいち突っかかるなよ」結局マレーは親しい相手に使う『テュ』という人称を使い、「親愛なる(シェール)父上」という書き出して手紙を書いた。手紙には、2年前にも捜そうと努めたが無駄だったこと、月曜日が休みなので、できれば月曜にお見舞いに行きたいことなどを書き、「私の訪問をあなた(テュ)が望み、お許しくださるようなら、伺います。心からの愛情をこめて。あなたの息子、ジャン」と結んだ。返事はすぐに来た。あまりにも早く。しかも父からの手紙には、何年もマレーを待ち焦がれていたとあった。「月曜とはいつの月曜か、電報で知らせてくれ」とも書いてあった。はやる気持ちを抑えきれない様子が伝わってくる文面だった。今まで音信不通だった父からの突然の愛情あふれる手紙。マレーは信じられない思いで、すぐに直近の月曜日に行くと電報を打った。土曜日、マレーは母に内緒で日曜深夜の寝台車を予約した。その夜は、ジョルジュの新作バレエを母と見に行った。今度のバレエはリュリュが十分に目配りをし、オケは録音でダンサーの数も少なかった。ジョルジュは相変わらず美しく、バレエは見事だとマレーは思ったが、母には感動した様子はなかった。公演後に3人で食事をした。母がトイレに立ったすきに、マレーはジョルジュに明日の夜シェルブールに行くと打ち明けた。「ロザリーには黙っていてくれ」「わかった。明日、君の舞台が終わってから行くんだね。じゃあ、ぼくのほうの舞台が終わってからクルマで送るよ」日曜日の朝。月曜日がはるか遠くに感じられた。旅行カバンの留め金をかけるとき、胸が高鳴るのを感じた。日曜日はゆっくりと過ぎていった。寝台車は深夜12時15分発。マレーには夜の公演があった。万が一のことを考えて、幕間の休憩時間を短縮してもらった。公演が終わっても、ジョルジュのクルマはまだ着いていなかった。渋滞で遅れているのだろう。マレーはタクシーを呼ぶことにして、ジョルジュには伝言を残して1人で出かけた。寝台車は2人部屋で、同室になった男性はシェルブール高校の哲学教師だと言った。「どうしてあんなさびれて薄汚い町へ行くんですか?」「生まれ故郷だからですよ」哲学教師は失言を詫びた。月曜日、朝6時半。まだ暗いシェルブール駅に寝台車が着いた。誰もいないホームはこのうえなく陰鬱な感じだった。上からの小さな2つの灯りに照らされて、控えめな細い白いプレートにCHERBOUGの赤い文字が浮かび上がる。白く塗られた木製のベンチは雨ざらしでペンキが剥がれかけていた。ほとんど眠れなかったマレーはホテルに入った。父との約束は午前10時だった。部屋でバスタブに水を張り、裸になったところで電話が鳴った。「俳優のジャン・マレーさんですね」フロント係だった。そうだと答えると、最初にチェックインしたときとは打って変わって丁寧な声が返ってきた。「失礼いたしました。もっとよい部屋に移られますか?」「いえ、結構ですよ。もうバスを使ってしまいましたから」ゆっくり身支度を整えても、8時までかからなかった。幼いころ離れた故郷を訪ねたのは、これが初めてだった。ずっと来たいと思っていた。何より父に会いたかった。『悲恋(永劫回帰)』がヒットして、フランス中に自分の顔と飼い犬のムールークが知れ渡ったころ、ムールークを身分証明書代わりに、シェルブールで父を捜そうと夢想したこともあった。コクトーには何度もその計画を話したマレーだったが、結局実行には移せなかった。母の話によれば、父は自分を嫌って暴力をふるった。新しい家族と暮らしているかもしれない。いまさら別れた息子が会いに来るのは迷惑かもしれない。そもそも、自分には会いたくないかもしれない。マレーは街に出た。昔住んでいた家のあるイヴェット広場に本能が連れて行ってくれるのを期待した。だが、ダメだった。仕方なく道を尋ねる。教えられたとおりに行くと、突然生まれた家に出た。思い出の中の家とは違っていた。なによりもまず、圧倒的に小さかった。広場ももっと広いはずだった。家は物寂しく、薄汚れていた。まるでマルセル・カルネの映画のオープンセットのようだとマレーは思った。玄関に入ろうとして、通行人が不審げに見るのを感じ、引き返した。10時まで歩くことにした。すると、街の人々が、「ボンジュール」と挨拶してくる。ジャン・マレーがシェルブール生まれであることを、狭い街の住民は知っていたのだ。サインを求めるでもなく、ただ帽子を取り、「こんにちは、マレーさん」と挨拶する。まるでマレーが一度もシェルブールを離れたことのない人間のように。マレーも挨拶を交わしながら歩いた。年老いた男性が立ち止まり、握手を求めてきた。「お父さんに会いに来たのかね?」「はい」「お父さんのことはよく知ってるよ。同じ通りに住んでいるからね。ルロワ夫人のところだ。案内してあげよう」その女性の名前は初めて聞いた。彼女が父の愛人だった女性だろうか?
2008.08.12
アンリの病状は悪化の一途をたどった。ゆっくりと坂をくだり、それからその坂は急激に角度を増していく。転げ落ちるように細る命の現場に立ち会うのは、マレーにとって初めての経験で、その逃れようのない痛みは想像以上だった。兄との幼いころの思い出が走馬灯のように蘇る。成長してからの、必ずしも楽しい思い出ばかりではない兄との出来事さえ、かけがえのないものだったと気づかされた。そんなマレーを気遣って、ジャン・コクトーが見舞いにやってきた。門のところでマレーの衣装係と立ち話をしているコクトーを窓から見つけて、マレーが玄関先に出てくると、コクトーは喜色満面で手を振り、駆け出した。その子供のような無邪気さに、衣装係のアンヌが唖然とするのがマレーには見えた。「走っちゃだめだ、ジャン!」慌てて自分も駆け寄りながら叫ぶ。「君は、心臓が悪いんだから」久しぶりにマレーに会うコクトーは、叱られてむしろ嬉しそうだった。息を弾ませてマレーのところに来た。コクトーを死の予兆が漂い始めた兄に会わせるのは、マレーにははばかられることのように思えた。誰より鋭敏なコクトーの神経を心配したのだ。心臓に爆弾を抱えている状態のコクトーにショックを与えたくなかったこともある。だが、コクトーはアンリに対しても、いつもどおり細やかな配慮で接し、冗談を言って笑わせた。そしてマレーには、まだ希望があるかのように振る舞った。マレーはアンリがとっくに希望がもてない状態であることはわかっていたが、コクトーの優しさにすがりついた。弱みを見せられる相手は他には誰もいないのだ。眠れないマレーにコクトーはいつまでも付き合った。2人は夜の庭を散歩し、「ジャン・コクトー通り」とマレーがプレートをかけた庭の並木道のベンチで座り、月明かりの下で、アンリとマレーとコクトー3人の思い出話をした。戦争中、アンリは神経症の持病で兵役免除になった。マレーは戦場に。コクトーは孤独なアンリを家へ招き、彼の観たがる映画にも連れて行った。ところが、そのお返しにコクトーから小切手をせびり、マレーを激怒させ、絶望させた。常に意中の女性に貢いでは捨てられていた兄は、当時のマレーの頭痛のタネだった。だが、コクトーはアンリを責めなかった。マレーはコクトーに、すべてを打ち明け、兄には絶対に金を渡さないでくれと懇願しなければならなかった。やがて、話は今のことになった。兄が重病になって、家に来たことで、マレーが知ってしまったことがあった。マレーはよい職に就けないアンリを長い間経済的に支援してきた。だが、多忙になって兄と会う時間がなくなると、母が1人でさかんにアンリのもとを訪ね、マレーが言ってもいないアンリの悪口を本人に吹き込み、マレーの兄への無償の愛を屈辱的な施しに変えてしまっていた。「おまえの本当の姿を知るためには、病気になる必要があったんだな」アンリはマレーに言った。母は2人の息子を愛していた。だが、兄は兄、弟は弟で別々に愛したかったのだ。そのために兄弟の間を引き裂こうとした。マレーは愕然としながらも、母には何も気づかないふりをした。「たぶん、ロザリー(=母)は、ぼくが世の中から見捨てられた浮浪児になれば、ものすごく満足するんだと思う。そうすれば、自分だけがぼくの面倒を見られるからね。そのぐらい彼女はぼくのことを偏愛してる」「ぼくの母親は、ぼくが詩王になって、王族とだけ付き合うような人間になるのが夢だった。若いころはやっぱり、ずいぶん友人関係に介入してきて悩まされたけど、さすがにポール(=コクトーの兄)との仲まで裂こうとはしなかったよ」「でもね、ジャン。ぼくは…… ぼくは、できればこれからもここで、ロザリー(=母)と一緒に暮らしたいんだ」「君にとって、それは快適なのか?」「いや、正直に言うと重荷だけど…… でも、ロザリーも年だし、面倒を見たい」「ぼくは君を知ってるから言うけど、彼女と一緒に暮らし始めたら、たぶん1週間で君がホテル暮らしを始めるよ」「そうかな…… そうかもしれないな。でも、ロザリーと暮らせたらと思ってる。というか、1人にしておくと何をしでかすかわからなくなってるからね。年をとって、孤独になって、だんだんにひどくなっている気がするんだ。ああいう人だから、友達もまったくいないし、使用人をつければ、あらゆる酷いことをして当り散らす。アンリとぼくに嘘をつくのも、孤独が原因じゃないかな」「ねえ、ジャノ。これはまじめなプランなんだけど。ぼくがロザリーと結婚するのを、君はどう思う?」「え?」「そうすれば、君はぼくの本当の息子になれる。ロザリーの面倒も一緒に見るよ。今の彼女を1人で背負うのは、あまりに大変だろう。君さえよければ、そしてロザリーが承知してくれれば、ぼくはいつでも……」「ダメだよ、ジャン。絶対にそんなことをしてはダメだ。今のロザリーがコクトー夫人の座を手に入れたら、本当に何をしでかすかわからない。ロザリーは心の底では、ぼくたちを許していないよ。いまだに彼女からぼくを奪ったのは君だと信じて、君がぼくを『間違った道に引き入れた』と言っては不当に非難してる。いまだに亡くなったイヴォンヌとぼくに嫉妬して、楽屋にイヴォンヌの写真を置いただけで半狂乱になる。ぼくがいないときにやってきて、中からしか開けられない鍵をかけてジョルジュを締め出す。発作を起こさせないためには、とにかくプレゼントをしなきゃいけなんだ。ぼくはロケや巡業や旅行に出るたびに、バカバカしいぐらい高価なお土産をロザリーに買って渡してるよ。そうすれば、しばらくは満足して陽気でおもしろいロザリーでいてくれるからね」「まったく、君の母上ときたら、バルザックの作中人物だね。それでも君はロザリーを愛してるのか」「……うん」遅くまで話し、翌朝お昼近くになって2人が朝食を取っていると、玄関の呼び鈴が鳴った。「ジョルジュ様です」ジャンヌの声にマレーは凍りついた。ほんの昨日まで、マレーは訪ねてこないジョルジュに腹を立てていた。ジョルジュを待っていた。だが、どう考えても、この訪問はあまりにタイミングが悪かった。<明日へ続く>
2008.08.11
<きのうから続く>1958年末、ジャン・マレーは精神的にも経済的にも大変な沈みにあった。ジョルジュの公演のための借金の返済に追われる一方で、兄のアンリが癌であと半年の命と宣告された。アンリは離婚していて、娘2人と暮らしていた。マレーは兄の人生最後の時を、平屋建てで広い庭もある快適なマルヌの家で過ごさせることにする。兄の家族と母親が移ってくる。こうなると、ジョルジュは出て行かざるをえなくなった。明日は出て行くという日の夜、ジョルジュはアトリエで次の芝居の舞台装置を考えているマレーのところにやってきた。その様子は明らかに悲しげで、いつもと違っていた。マレーは、この家は君のものだ、いつでも来ていいし、誰を呼んでもいいと言った。ジョルジュは、君が病気になったら誰が看病するのかと聞いた。マレーは自分は丈夫だから、誰もいらないと答えた。2人の会話が途切れ、困惑したように黙り込むジョルジュに、マレーは微笑みながら、自分を愛していたのかと尋ねた。「ずっと愛していた。フランスに来てからずっと。ぼくは君だけを愛してた」ジョルジュははっきりと言って、子供のように泣き出した。マレーは立ち上がり、ジョルジュを両腕に抱きしめた。昔の自分を思い出させる顔立ち。2人が一緒にいると、知らない人はほとんど必ず「兄弟か」と尋ねた。違うのはジョルジュが黒い髪と黒い瞳をもっているということ。身体がずっと細いということ。そして、アメリカ生まれの潔癖なピューリタンであるということ。ミュージカル・コメディの公演を境に、2人の間には溝ができていた。それをジョルジュの涙が埋めた。ジョルジュはとめどなく泣き暮れ、マレーはあやすように慰めた。かつての2人の甘やかな時間が戻ってきたように思えた。「どうして泣くんだ。愛してるなんて素晴らしいじゃないか。ぼくは君には幸せでいてほしいんだよ。いつも幸せで――」「ぼくの幸せがどこにあるの。君のそば以外に」「ジョルジュ、ここにいたいなら、いていいんだよ。君さえよければ」本音を言えば、ジョルジュに出て行ってほしくなかった。だが、ジョルジュはかぶりをふり、家族の邪魔はできないと言った。そうして、若く健康な青年は去り、重篤な病人と年をとってますます狂気をはらんできた母と、父の運命を知って悲嘆にくれている姪たちがやってきた。兄のアンリはマレーにあまり似ていなかった。性格も容姿も。ジョルジュと違い、実の兄と一緒にいても、2人が兄弟だと思う人はほとんどいなかった。ジャン・コクトーと実の兄のポール・コクトーもまったく似ていなかった。痩身のコクトーと違って、ポールはでっぷりとしており、詩には興味を示さない勤勉な実務家だった。そんな共通点すら、マレーには密かな誇りだったのだが。恐ろしいほど空虚な日々が始まった。家族全員がマレーの支えを必要としていた。希望もなく、あてどもない看病の日々はマレーの精神を蝕んだ。だが、マレーはくじけそうな心に鞭を打って、兄の家族と母を励ましつづけた。だが、夕食後に皆でテレビを見ても画面は眼に入らず、音も聞えない。眠ろうと寝室へ行っても寝つけない。理由もなくジョルジュの部屋へ行く。部屋にはジョルジュの匂いが、2人の温かな時間が、漂っているような気がした。またも、フーガだった。「ぼくのジャノ。ぼくは君の部屋にいます。ここには何かしら、君が残っている」――気まぐれに見せてモンパンシエ通りのアパルトマンを出たあと、コクトーから届いた手紙の文面。この痛みは、自分がコクトーに与え続けた苦悩の代償かもしれなかった。マレーは次第にそうした思いに捉われるようになる。眠れなくなったマレーは、夜の街に出た。サン・トノレ通りの顔なじみのバー。1人で来たことなどなかった。――あれ、ジャン・マレーじゃない?ひそひそ声が聞こる。こんなところで1人で飲むなど滑稽だ――来たことを後悔する。それでも、すぐに帰る気にはなれない。深夜にようやく帰宅したあと、明日が聖マドレーヌの日だということに気づく。それを言い訳に、マドレーヌ・ロバンソンの家に電話をかける。ジョルジュは「一時的に」と言って、マレーの20年来の親友の女優の家に転がり込んだのだ。マドレーヌはマレーより3歳年下。シャルル・デュランの演劇教室に通っていたころからの仲間だった。マレーと彼女が非常に気が合うように、ジョルジュと彼女も仲がよかった。「遅い時間にごめんね」「あら、ジャノ」受話器の向こうからマドレーヌの嬉しそうな声がした。「電話したのはさ、明日が聖マドレーヌの日だから、君にお祝いを言おうと思って」「珍しいわね。あなたから電話をもらえるなんて。元気?」「うん、いや――」「お兄様の具合はどう?」「よくはないよ……」「そう…… ちょっと待って。ジョルジュに替わるわ」見抜いたようにマドレーヌは言う。すぐにジョルジュが出た。はずんだ声が聞える。2人の会話は延々と続き、長い沈黙で途切れた。再びマドレーヌが出て言った。「ねえ、ジャノ。私たちはこっちで、あなたと一緒にいると思って、ジョルジュとウィスキーを飲むわ。あなたもそっちで私たちと一緒にいると思って飲んでちょうだい」そうすると答えて、電話を切るマレー。ベッドに横たわり、眼を閉じる。とりとめのない妄想が浮かんだ。妄想の中でマレーはマドレーヌにもう一度電話し、「これから手首を切って自殺するよ」と宣言していた。「聖マドレーヌのお祝いにね。明日君の友達に話せよ。きっと盛り上がるぜ。ぼくは本気だ」マドレーヌの驚く顔が浮かんだ。慌てふためいた声で、ジョルジュを呼んでいる。「ジョルジュ! ジョルジュ! ジャノが手首を切るって! 早く救急車を呼んで!」そのとき、本物の電話の音が、マレーを夢想から引き剥がした。「ジョルジュ様からです」ジャンヌが呼びに来て告げる。「ジャン、起きてた?」ジョルジュの声を聞くと、自分のばかばかしい妄想が恥かしくなった。「ああ、起きてたよ」「今、マドレーヌと2人でウィスキーを飲み終わったよ。君のことを思いながらね」「ぼくもだよ」嘘をつく。「明日の夜も同じようにするから。君もそうしてよね」相槌を打って電話を切る。再び1人の夜の静寂が胸を締めつけた。――嫉妬してる? 俺が、マドレーヌに? まさか……マレーは憮然となった。眠れぬまま横たわり、空がしらじらと明らむのを見ていた。仕事は詰まっていた。新しい舞台の美術を1つ、別に演出を1つ。翌日は、寝不足のままアトリエにこもる。夜またジョルジュから電話があった。マドレーヌと一緒に、マレーを思いながらウィスキーを飲んだと告げるために。「ジョルジュ、そんなにこだわってたのか……」――それなら、いっそ会いにこいよ。「え?」「いや、また飲んでいたのか、マドレーヌと?」「そうだよ。君の話をしながらね」「そうか……」「どうしたの? つまらなそうな声だね」「ちょっと疲れてるだけだよ」「忙しいのか」「うん、まあ……」ジョルジュはアンリの容態を尋ねた。きのうと同じ答えをするマレー。ジョルジュは長電話は迷惑になるから、と言って切った。マレーは不眠に悩まされるようになった。むしろ夜遅くまで起きていることができない性質だったマレーには、まったく初めての体験だった。
2008.08.10
<きのうから続く>「もちろん、ジョルジュにはうまく話すわ」マレーの心中を知ってから知らずか、リュリュはまるでスケジュールを調整するような口調だった。「公演だって2ヶ月続けば成功でしょ。納得してくれるわよ。今後はジョルジュからヘルプを頼まれたら、まずは私に相談してよね」「……わかった。迷惑かけるね、リュリュ」「忘れないでね、ジャン・コクトーの『善良な天使さん』(=コクトーはマレーをそう呼んでいた)。大天使ミカエルの双子の兄弟は、堕天使ルシファーになったってこと」「リュリュ、ぼくはジャンが言うほど大天使には似てないよ。ジャンには百ぺんはそう言ってるんだけど、そうすると百ぺん言い返されるから、もう放っているだけだよ。――それにたしか、兄のほうがルシファーじゃないの? だったらぼくが堕天使で、ジョルジュが神に忠実な大天使さ。ジュルジュは敬虔なピューリタンだよ。質素で堅実で勤勉で。彼は公演中、仲間と飲みに行くことさえないんだよ。彼の節制ぶりは、ぼくにはとても真似できない」「どうしてそこまで、ジョルジュをかばうのかしらね……」「言いたいのはさ――どちらにしても、ミカエルとルシファーのように、ぼくがジョルジュと闘うなんて、ありえないってこと」リュリュは肩をすくめた。「ジャノ、私はあなたみたいな『善良な』見方はできないの。もうあなたたちは闘っているわ。あなたはあなたの世界にジョルジュを留めようとしてる。ジョルジュはジョルジュで彼の世界にあなたを引き込もうとしてる。支配するかされるかなのよ。私にはそう見える」「飛躍しすぎだよ。ぼくは友情に、支配や服従を持ち込むつもりは一切ない」「あなたはね。でもピューリタンって人たちは何でも、はっきりさせないと気がすまない潔癖なところがあるんじゃないかしら? あの人たちはすぐ結婚してすぐ離婚する。人と人との関係もそうだし、聞いたこともないような言葉を作り出して、人間を分類するのも得意よね。そしていったんレッテルを貼ったら、免罪符はなし。違う?」「……リュリュ、理屈では君に勝てないよ。――とにかく、今回の公演のことはぼくが浅はかだった。ぼくの責任だよ。――意識はしてなかったけど、ぼくはもしかしたら、ジャンがぼくにしてくれたようにジョルジュに振る舞いたかったのかもしれないね。でもぼくはジャンじゃない。彼のような知性も才能もない」「そして、ジョルジュ・ライヒはジャン・マレーじゃないの。あなたが気づかなきゃいけないのは、むしろそっちよ」「……」リュリュが裏で「工作」したことで、ジョルジュの公演は2ヶ月のロングランですんだ。マレーは密かに胸をなでおろした。公演終了後、ジョルジュと特に親しかったバレエダンサーの一団が次の仕事先のリヨンへ向かうのを、ジョルジュとマレーは駅まで見送りに行った。列車が動き出すと、窓から手を振って大声で挨拶をするダンサーたち。彼らは連日大入りの公演に満足していた。このミュージカル・コメディをきっかけに、歌手としてデビューする話が決まり、新たな飛躍に向かって羽ばたき出したダンサーもいた。ジョルジュも手を振って仲間に応え、ホームの端まで走って見送った。次第に遠ざかる列車。完全に見えなくなるまで、ジョルジュは立ち尽くしていた。にぎやかな別れの時が去り、ふと寂寥の砂埃が舞い上がった。「行こうか……」マレーが声をかける。「ねえ」ジョルジュはマレーのほうは見ない。まっすぐに鉄道のレールを見つめている。「ぼくたちは知り合って8年? いや、9年になる?」「何だよ、藪から棒に」「ずっとぼくたちは一緒に走ってきた。でも決して交わったことはないね。あのレールみたいに。断固として並行のままだ」マレーは虚をつかれてジョルジュを見つめた。13歳年下の「弟」の目には涙が浮かんでいるようだった。「どういう意味だ?」「そういう意味さ。君は俳優。ぼくはダンサー。そしてぼくのレールはもうじき途切れる。ぼくももう30を超えた。若くはないし、あといつまで踊れるか、カウントダウンに入っているよ。君のレールはまだずっと続くのにね」「そりゃ、ダンサーが俳優ほど長く舞台に立てないのはそのとおりかも知れないよ。でも、次の仕事を見つければいい。今回君はりっぱに振付の仕事をやりとげたじゃないか」「やさしいよね、君は……」ジョルジュは歩き出した。慌ててついていくマレー。「いつもそうだ。君は頼もしくて寛大。ぼくはきっと、『君の』ジャン・コクトーやリュリュに嫌われているんだろうな」「そんなことはないよ。ジャンは君を愛してる。今回のことだって、よかれと思っていろいろ言ってくれたんだよ」「愛してるって? ジャン・コクトーがぼくを? 冗談言うなよ。彼が愛してるのは君だろ」「ジョルジュ、ジャンは君のために台本を書いてくれたことがあるじゃないか。ローラン(=プティ)に君を紹介したのもジャンだろう」「たしかにローランの才能はすごいよ。ぼくよりたった2歳年上なだけなのに、もう世界的な振付師だ」「そのローランを助けたのもジャンだよ。ローランがボリス(=ボリス・コクノ。クリスチャン・ベラールの愛人だった)と一緒にぼくらのモンパンシエのアパルトマンを訪ねてきたとき、まだローランは20歳をちょっと超えたくらいだった」「知ってるよ。ローランから聞いた。ジャン・コクトーは恩人だって言ってた。ローランは図抜けているよ。コクトーに気に入られただけあってね。でもぼくの生きる世界とは違ってる」「違ってるって? 君はローランと仕事してるじゃないか」「ローランがぼくを使うのは、君とジャンの顔を立ててるだけだよ」「まさか……」「ぼくはもともと、ブロードウエイの一夜限りのショーの人間なのさ。華やかに、軽く楽しんで、それで終わり。ローランはジャン・コクトー的な『純粋芸術』の世界に生きてる。ローランは自分で気がついてないみたいだけど、ジャン・コクトーから相当影響を受けてるね。振付しながら、彼はよく言うんだ――ここは『美女と野獣』の姉のように意地悪く、とか。ここは『恐るべき子供たち』のラストシーンのように消えていくつもり踊って、とか」マレーの胸は誇りでいっぱいになった。「ジャンはそういう人だよ。誰もが知らない間にジャンの詩のフレーズを使ってる。ジャンはいつの間にか人々の中に入り込むのさ。ピカソにしたってね。たとえば、『私はたえず真実を語る嘘つき』――あれは、もともとジャンがシュールレアリストに対して皮肉を込めて言ったものだ。それをたまたまピカソが真似して言ったものだから、いつの間にか世間ではピカソの言葉だと思ってる」「君も君の『カルメン』より『悲恋(永劫回帰)』のほうが上だって、言ってるね」「比較にならないよ。ドン・ホセはぼく以外にも、たくさんいる。『カルメン』は何度でも作られるよ。でも、『悲恋(永劫回帰)』のパトリスは、ぼくのためにジャンが書いてくれたんだ。あれはあのときの、ぼくたちだけのものだ」「君はいつも堂々と、無邪気にのろけるよね」「のろける? ぼくはジャンに感謝してるんだよ」「でもね――ぼくは、本当のことを言うと『カルメン』のほうが好きだったんだ。難しいニーチェがどうのという『悲恋(永劫回帰)』よりね。――たぶん、君が言うほうが正しいってことはわかってる。ぼくがアメリカで『カルメン』を見てからもう10年以上たったけど、今ではみんな君のデビュー作は『悲恋(永劫回帰)』だと思ってるよね。『悲恋(永劫回帰)』はリバイバルされてるのに、『カルメン』はほどんど忘れられてる。公開したときは一大スペクタクルで、みんな夢中だったのに」「ジョルジュ、それは……」「ぼくにはジャン・コクトーの世界は縁がないんだ。小説だけじゃない。詩も戯曲も映画も、ね。よさが分からないし、入っていけないんだ。君に言わなかったのは、ぼくの嫉妬と思われたくなかったからさ」2人は駅前の広場の雑踏に来ていた。マレーは戸惑っていた。ジョルジュの思いつめたような声。周囲は自分に気づき始めているようだった。好奇の視線が向けられている。今にもあの角から、隠し撮りを狙う無遠慮なカメラが現れるかもしれない。「ぼくは、黒髪の君が好きだった。ブロンドの君よりね」「髪の色がいったいどうしたって言うんだよ。髪なんて役に合わせてしょっちゅう染めてるじゃないか。若いころは、黒どころか紫や緑色にされたこともあるよ」マレーはジョルジュの腕に手をかけた。とにかく落ち着かせたかった。だが、ジョルジュはマレーの腕をふりほどいた。「ぼくは、ドン・ホセの君が好きだ。黒髪の君が好きだ。――たとえ、みんながそう思わなくても。たとえ、みんなが忘れてしまってもね」潤んだ瞳がマレーの眼を見つめた。と思うまもなく、ジョルジュはあっという間に車道に飛び出した。ブレーキの音がして、ドライバーが窓から首を出してどなる。「危ないだろ!」他のクルマもクラクションを鳴らす。ジョルジュはクルマを縫うように駆けていき、もう道の向こうにいた。マレーは呆然と立ち尽くした。通行人が見ている――そう思うと、追いかけることもできなかった。パリでは逃れようのない人々の視線、だがそれよりも、常にそれに縛られている自分に腹が立った。元来自分は、ひどく内気なタイプなのだ…… 街灯にもたれて若い男女がキスを交わしていた。夕暮れ時の都会の一コマ。足早に道を行く人々の中で、彼らだけは隔絶された世界にいた。堂々と、2人だけの愛に没頭していた。ジョルジュは走って行ってしまった。その夜、ジョルジュは帰ってこなかった。マレーはまんじりともせずに夜を明かした。もちろんジョルジュは自由だ。何をしようとまったく自由。愛の鎖で縛るつもりはない――縛るつもりはないが、どこにいるのかいつ帰るのか、電話ぐらいくれてもいいんじゃないか? それもまた、フーガだった。昔――若いころ、さんざん遊びほうけて朝帰りしたときに、コクトーがマレーの部屋のドアの下にすべりこませていた手紙――「ジャノ、ばかみたいだと思うかもしれないけれど、ばくはじっと待っているのが病的に辛いんだよ。帰りがあまり遅くなるようなら、ほんの一言でいいから、電話で声をきかせてくれないか」――あれはいつだっただろう? まだ2人がマドレーヌ広場のアパルトマンにいたころ、『恐るべき親たち』の成功で周囲からチヤホヤされ始めた25、6歳のころだ。マレーは同年代の悪い仲間と歓楽街に出入りし、短絡的な快楽にふけっていた。一晩中帰ってこない自分を待ちながら、朝の5時に書かれたコクトーの愛と苦悩に満ちた手紙もあった。あれには何と書いてあっただろう? 「運命に対して怠慢な」「男娼のような相手」と付き合っていたマレーが、自堕落な世界にはまりこんでしまうことを心配するコクトーの言葉。夜を1人で待って過ごした詩人の孤独と哀しみ旋律が、自分の今に重なった。コクトーは世の父親以上の慈愛で、自分を正しい道に引き戻してくれたのに。コクトーはその寛大さを、ついには自己犠牲にまで高めたのに――
2008.08.09
<7月20日のエントリーから続く>自分のバレエ・カンパニーを立ち上げたジョルジュ・ライヒは、新作バレエの公演をもちがたっていた。だが自分で題材を見つけることができず、マレーに相談をもちかける。マレーが思いつきを話すと、ジョルジュは熱狂的になった。そこでマレーはプロの作家に台本を書いてもらうようにアドバイスをし、映画出演のためにローマに出かけた。このときに撮ったのがヴィスコンティ監督の『白夜』。ローマでマレーはジョルジュから手紙を受けとる。作家に依頼する前に、粗筋を書いてほしいというのだ。そこで、マレーは撮影のあいまに、粗筋を書き送り、作品のテーマを説明するためのシャンソンの歌詞もいくつか書いた。「もちろん、ぼくの書いたものはとても拙い。必ずプロを探して頼むこと」と注意書きを入れた。ところが、パリに戻るとジョルジュはすでにアメリカ人の作曲家ジェフ・デーヴィスにマレーの原稿をわたしていた。「ぼくらは君の書いたものがすごくいいと思ったんだ。バレエというよりミュージカル・コメディになるね」「ありゃ、ダメだよ、ジョルジュ。ぼくは物書きじゃない」「もう作曲を始めてるよ。曲を作る間、ジェフにマルヌの家にいてもらってもいいかい」「君がいるんなら、家で仕事をしてもらうのはかまわないけど。じゃあ、せめて書き直して仕上げよう」こうして、心ならずもミュージカル・コメディの作者になるマレー。多忙なマレーはすぐにまた映画のロケに、今度はユーゴスラビアに出かけた。そこでまたジョルジュから手紙が来る。衣装プランを送ってほしいというのだ。しかたなく、衣装デザインをロケ先から送り、「これは単なる素案。必ずプロのデザイナーを探して依頼すること」と書いた。だが、またもジョルジュは別のデザイナーを検討することさえなく、マレーのデザインで衣装を作り始めてしまう。衣装が決まると、次は舞台装置、それからポスターも描いてくれと頼んでくる。最後には、バレエの振付は自分がやるが、全体の演出はマレーでなくては嫌だと言い出した。「ぼくたちの作品を作りたいんだ」次第に、全責任がマレーの肩にのしかかってくる。ジョルジュは公演を手助けしてくれる興行主も探すことができず、結局マレーが出資者になった。公演は大掛かりなものになり、オケの編成人数は50人にもなった。出演するダンサーも非常に多く、それでも数が足りないと言ってジョルジュはアメリカから友人を呼んだ。ダンサーが増えれば衣装も増える。ダンサーだけでなく、物語の都合上マジシャンも手配しなければならなかった。公演のための出資は法外なものとなった。マレー自身も映画や舞台で多忙を極めている。だが仕事をしてもしても、ミュージカル・コメディの準備のために金は羽が生えたように飛んでいった。さすがに、この現実はマレーの予想を超えていた。この時期、たまたまコクトーがマルヌの家に遊びに来て、マレーの精神的、そして経済的苦境を知ってしまう。「1957年10月9日 ぼくのジャノ。一晩中泣き明かしました。疲れ切ってどうにもならなくなった君を見たからです。本来何の関係もないのに、あのような目に遭うなんて、君が優しすぎるから巻き込まれるのです。君が車まで送ってくれたとき、ぼくは自分が卑怯者に思えました。自分の愛するものを、漂流物にしがみついている世界にとり残して行くようでした。まるで病気になった気分です。ぼくのジャノ、君のことを思っています。約束します、他人のことにかまけて君を忘れたりはしません。こんなことをあえて書く気になったのも、昨日の夜の君の、あの素晴らしく、信頼にみちた態度のせいです。たとえ1分も君のそばを離れずにいます。ジャン」(『ジャン・マレーへの手紙』)最愛の人を救おうとコクトーがしゃしゃり出たことで、ジョルジュとジェフのアメリカ人2人組はすっかり気を悪くする。状況がドツボに陥ったことを示すコクトーの手紙。↓「1957年12月13日 すべての状況が、よってたかって、ぼくの心の望みを妨げようとする。こんなことがあり得るとは思ってもみませんでした。ぼくたち2人が分け合っている守護天使が何か企んでいるのではないか。(守護天使の)悪意の舌が、ジョルジュを傷つける言葉をぼくに吐かせたのかもしれません。なにしろ、君の一言でも傷つくような人です」「1958年1月26日 ほんのわずかなことで状況は変えられました。でも、ジョルジュも音楽家も、ぼくの言うことを信じなかったでしょう(とくにあの音楽家ときたら、オーケストラが強すぎると丁寧に指摘してやったのに、けんもほろろに言い返すしまつでした)」(前掲書)ジョルジュのミュージカル・コメディはフタを明けてみれば大入り満員だった。表面的には大成功。だが、大掛かりなオケ、無数のダンサーの人件費は膨大で、客席はいっぱいでも赤字だった。青くなったのはマレーのマネージャーのリュリュだった。「いったいぜんたい、どういうわけでこんなことに巻き込まれたの?」怒りを含んだ声でマレーに詰め寄る。「あなたはロケや舞台で忙しかったのに、私に何の相談もなく、いつの間にかミュージカル・コメディの作者になって、しかもスポンサーから演出家までやるなんて。出て行くお金は膨大よ。チケットがいくら売れても間に合わない。こんなバカげた話はないわよ」「ぼくもよくわからないんだ…… いつの間にか話が膨らんでたんだ」「まったく、ジョルジュときたら、まるで堕天使ルシファーね。あなたは破滅させるつもりかしら」「ジョルジュはいい舞台にしたかっただけだよ」「そりゃ、いい舞台でしょうよ。採算度外視だもの」「ぼくはプロデューサーには向かないってことだね。今になってポールヴェ(=コクトー映画の主なプロデューサー)の負っていたリスクがわかるよ」「バレエはただでさえお金がかかるのよ。お芝居とは比較にならないわ。ジョルジュはあなたと違って経済観念が発達してると思ってたのに…… あなたもあなたよ。どうしてこんなに深入りしちゃったのよ」「ジョルジュはぼくの弟だ。頼まれたら、手助けするのは当然だよ」一瞬黙り込むリュリュ。「……思うに、ジョルジュはあなたを試してるわね」「試してる?」「そ。どこまであなたが許してくれるか。あなたが『弟』だって言い続けるかぎり、ジョルジュはあなたを試し続けるわ」「おいおい、リュリュ。そんな、情痴事件にしないでくれる?」「じゃ、普段は質素なジョルジュが、どうしてこんな派手なことするの? 彼は結局自信がないのよ。あなたの気持ちにね。だから、こんな無茶をしてあなたを試してるんだわ」「それは違うよ。ぼくは役者だから、舞台人の気持ちがわかる。舞台で演じるというのは、いつもギリギリいっぱいなんだよ。幕が開く、照明が当たる――そうしたら、あとはもう1人だ。1人で不安と恐怖に打ち克つしかない。舞台に立ちながらカネ勘定なんてできないのさ。お客に満足してもらいたい、それだけだよ。そのためには音楽だって衣装だって装置だって豪華にしたい。払った金以上の価値があると観客に思ってほしいからね」「でも、そのためには働いてくれる人が必要よ。たとえば、あなたには劇場主のウィルメッツ(=ブッフ座のオーナー。マレーを芸術監督として招いた)が協力する。あなたを使いたがる映画監督がいる。あなたと共演したがる役者さんもね。別の劇場からも話が来てるわ。もちろんジャン・コクトーは言うに及ばす。それに、私という有能なマネージャー」「リュリュ、ぼくは君には感謝してるよ」「感謝してもらわなきゃ合わないわよ。でも、私が苦労をするのは、してもいいって思ってるのは、それがジャン・マレーだからよ。ジョルジュにはそういう人がいないわ。あなただけ。あなたの紹介で仕事をする。そこから自分で広げていくことができないのよ」「アメリカ人だから、ハンディはあるさ」「私が言いたいのはね、器が違うのよ。あなたとジョルジュじゃ。あなたはいつも自分の成功を幸運のせいにしてるけど、幸運を受け取る器ってものが人にはあるんだわ」「君はジョルジュに冷たいね」「ジョルジュ・ライヒのために、あなたを破産させるわけにはいかないってことよ」「また、破産かい。それはオーバーだろう」「どれだけのお金が出ていってるか、わかってる? マルヌの家につぎ込んだあとに、これじゃ、ほんと絶望的…… いい? あなたはもうとっくに、1人の俳優ってだけじゃない。ジャン・マレーは1つのファミリー、1つの会社なのよ。あなたに生活がかかっている人間がたくさんいるの、私も含めてね。それを忘れないで欲しいわ」「もちろん忘れていないよ、リュリュ。ぼくは君を愛してるし、ぼくの仲間を愛してる」「なら、なんでジョルジュ1人のワガママにこうも言いなりになるのよ。――むしろ、ジョルジュに溺れてると言わせてもらいたいわね。そろそろ目を覚ましたら? あなたの言う『弟への熱い友情』からね」「それって、嫌味?」「そりゃ、多少はね」「多少かなぁ」「いい? 2ヶ月のロングランならまだなんとかなるわ。3ヶ月となったら危ない。半年このままの公演を続けたら、いくらお客が満杯でもあなたは破産よ」「でも、今のところ劇場は満員だ。打ち切るわけにもいかないよ」「劇場との契約は何ヶ月?」「1ヶ月ごと」「なら、こうしましょう。まずチケット代を値上げする。値上げすれば、客足は落ちるわ。そして、契約更新のときに、売り上げの配分について、劇場側が呑めない条件を私から出す。それで打ち切りよ」「リュリュ…… 君は策士だね……」クールな実利主義者のリュリュに、マレーは多少うすら寒いものを感じないでもなかった。ジョルジュの舞台にかける純粋な情熱を彼は疑ったことはなかった。連日の厳しく真剣な稽古をマレーは間近で見ていた。公演が始まってからのジョルジュは、完璧に舞台だけに集中し、家と劇場を往復するだけ。規則正しい生活を送り、息抜きに外出することすらほとんどなかった。だが、リュリュにわかってもらうのは難しそうだった。多分、彼女は永遠に理解しないかもしれない。俳優ジャン・マレーのマネージャーにとって、仕事に直接的な恩恵を何らもたらさないバレエダンサーへの愛など、限りなく目障りで、不毛なやっかいものなのだろう。だが、マレーは単純に、舞台で踊る美しいジョルジュが自慢だったのだ。<明日へ続く>
2008.08.08
最終日、いつものようにメータータクシーをホテルのエントランスで呼んでもらって空港へ。オリエンタル・ホテルはBMWの7シリーズでの送迎をやっていて(2600バーツだったかな)、最後の最後までこれを一生懸命薦める(苦笑)。予約のメールでも、一度断わっても、しつこく薦めてきた(再苦笑)。まるで、売れないボーイみたい(←そんなところには、行ったことないって!)。だが、東京ではありふれてるBMWの7シリーズごときに2000バーツ以上の価値はないと、いつも(といっても2回だが)スリルあふれる(?)公共のメータータクシーを呼んでもらっている。なんでオリエンタル・ホテルはBMW派なのだろう。マイバッハかオールド・ロールスロイスだったら多少割高でも考えるのに。いったんメータータクシーで押し切れば、あとはホテルのスタッフは限りなく親切。タクシーの運転手にタイ語で行き先を指示し、こちらには、「600バーツぐらいです」と言ってくれた。実際には600バーツ(2000円弱)かかったことはないのだが。今回のタクシーの運ちゃんは、とても痩せて、見るからに人のよさそうな初老のドライバー。しかし、運転手の腕はイマイチ、いやイマサンぐらい信用ができないバンコク。ちゃんと高速にのって空港まで着くだろうか、とやや心配。しかも英語はほとんど理解しないようす。空港からオリエンタル・ホテルに来るときは、かなり近くまで高速で来ることができたのだが、帰りはいつも、相当街中に行ってから高速に入る。これは別に、運ちゃんが変なことをしてるわけではない。さて、今回の運ちゃんだが、道々標識を見て、いちいち指差し確認をしているではないか。「だ、大丈夫か? もしかして、そんなに道を知らないの?」不安が募る。運ちゃんに向かって、「ハイウエイ」と言うと、ウンウンと実直に頷いている。人間は絶対に悪くはない、と確信する。よく「人は外見ではわからない」というが、そんなことはない。悪い商売をしてる人間は顔つきが悪くなる、目つきに邪心が出る。大多数の人間は、普通に仕事をしている普通の人間。ナイトバザールのあたりまで来て、ようやく高速に入る。市内の渋滞した道が眼下に遠ざかるのを見て、ほっとして高速代65バーツ(高速代は近々上がるという話なので注意)を渡すと、25バーツ返してよこした。そっか、40バーツ+25バーツで、25バーツは後で払うんだったな、と25バーツをいったん受け取る。ところが!市内の渋滞を高速で回避してくれた…… のはいいのだが、この運ちゃん、なんと途中で高速をおりてしまうではないか! 高速の空港マーク標識が左手に遠ざかっていく。「あれれっ~?」――道端には露天が出てる。あきらかに高速じゃないよ、この道。しかし、前方に空港マーク標識が現れた! どうやらこの下道でも空港には行けるよう。しかし、なんで高速をおりているんだろう? 運ちゃん、とっても真剣にハンドルを握り(しかし、標識をみて指差し確認する動作はそのまま)、パッシングで前方車両を蹴散らしながら、ガンガン速度をあげて突っ走る。もしや、意外と走り屋!?運転に集中してる彼の邪魔をしないよう、後ろでおとなしく座っているものの、不安でならない。ちゃんと着くのか? 下道だと時間はどのくらいかかる? しかし、前回フルに高速で行ったときよりあきらかにスムーズに走行してる。そして、案外早く空港が視界に入ってきた。あらら? 結局高速代も40バーツだけで追加料金はなし(途中でおりたから25バーツ道路は使わなかった、ということだろう)。前回ホテルから空港まで来たときは、ずっと高速で来たが、高速も渋滞してノロノロ運転だった。それよりはるかに快適に走ってきた。もしや、この運ちゃん、市内の超渋滞地域だけ高速で回避し、市街地から出たらもう下道で行ったほうが速い、と知っていたのだろうか? それならそうと言ってくれるといいのだが、なにせ彼、英語ができない(笑)。お金をわざわざ返してきたところをみると、「間違って」高速からおりたのではない、ような気がする。とにかく、思った以上に早く、あっけなく着いた。ちなみに空港-ホテル間の計4回のタクシー料金(ちょうどメモが出てきたので)は:前回の空港からオリエンタル・ホテルまで 300バーツ(空港での手数料50バーツ+高速代65バーツ+メーター切り上げで払って185バーツ) 前回のオリエンタル・ホテルから空港まで 440バーツ(高速代65バーツ+メーター切り上げで払って375バーツ)今回の空港からホテルまで 380バーツ(手数料50バーツ+高速代65バーツ+メーター259バーツを切り上げて380バーツに)今回のホテルから空港まで 300バーツ(高速代40バーツ+メーター251バーツを切り上げて)前回はずっと高速で行ったのだが、高速が渋滞して途中でクルマがノロノロ走行に。時間もかかり、高速代もフルにかかった。今度の運ちゃんは高速を途中でおりたために、逆に早く着き、安く上がった。バンコクのタクシー運転手は道を知らない、英語ができない、外国人と見ると遠回りする――よく聞く評判だが、今回のように英語はできなくても、キッチリ(か偶然かイマイチ判然としないのだが・苦笑)早く着く安いルートで行ってくれる運転手もいる。あまり頭っから疑ってかかるのもムダなことかもしれない。ヘタに英語を話す運転手のほうがアヤシイ行為が多かった。空港では、英語が通じない運転手に向かって、ボディランゲージと満面の笑みで敬意を表して降りた。なんとなく通じたのか、運ちゃんも嬉しそうに笑っていた。乗るまではどうなるかわからない、ある意味スリリングなバンコクの公共タクシー。前回は落ち着きのない入墨の兄ちゃんドライバーで、走りながらやたらよそ見が多く、けっこうビビったが、今回はキチンとした仕事をしてもらって後味のよい旅になった。標識見るたびに指差し確認してたのも実直さの表われなんだろう……ということにした(あ~、コワかった)。空港の免税店に行くと、日本人のおばあさんが、ブルガリの店舗で「ディスカウントは?」と日本語で値切っていた。オイオイ!マーケットで味をしめたのかもしれないが、タイならどこでも値切れるワケじゃないよ。そういえば、ダムヌン・サドゥアク水上マーケットでも、日本語で「こうしょうできません」と書いてあったっけ。日本人の交渉(つまりは値切り)に、現地の人も多少ウンザリしてるのかも。そういえば、チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットでは、1枚85バーツ(280円)のラウンド型のランチョンマットを4枚買った。カオサン通りの露天などに比べれば(もちろん、ねーちゃん目当ての日本人のスケベなオッサン相手に超ボリまくるパッポン・ナイト・バザールは論外)、十分に安い値段だったので「交渉」はしなかったのだが、何も言わなくても20バーツ負けてくれた。サクーサイムーを買った店でも、2回目に行ったら何も言わないのに負けてくれたうえに、量も微妙に増やしてくれたっけ。小さなことなのだが、「わぁ~」と素直に喜んで見せたら、向こうも嬉しそうな顔をしていた。最後に為替レートについて円からバーツに換えるときは、成田空港よりもタイの空港に着いてからのほうがレートがいい。タイでカードで支払うときに、ときどき「円? バーツ?」と聞かれる。その場で円で決済したほうがわかりやすい、みたいな案内が日本語で書いてある店もある。でも、これはレートが悪い(今回実験ずみ)。タイミング悪く突発的かつ急激なバーツ高にでもならない限り、カードもタイバーツで決済したほうが、こちらにとっては有利なレートになる。ただまあ、わずかな違いといえばそのとおりだが。以上、結構引っ張りましたが、タイ旅行ネタは本日にて終了です。
2008.08.07

ワット・ポーには仏画もいっぱい。2度目の訪問となった今回は、巨大な黄金仏が横たわるReclining Buddha棟の壁画に注目してみた。仏教説話とラーマキエン(タイ王室にまつわる伝説)をモチーフにしていると思われるが、日本でいうと浮世絵にあたるような風俗画もあり、なかなか楽しめる。これだけは先日のエントリーで紹介した『A History of Wat Phra Chetupon and Its Buddha Images』に解説があった。カピラヴァットゥ帰郷説話の一場面だとか。注目すべきは仏陀のポーズ。足が前後に開いたWalking Buddhaスタイルになっている。国立博物館で注目したWalking Buddha像。日本では全然見ないと思って調べたら、やはりタイ独特のスタイルだという。こちらもWalking Buddhaスタイル。しなやかにのびた右腕が優美。これは仏教説話とラーマキエンが入り混じったような画。この仏陀は両足が揃っているので、Standing Buddhaに分類できる。僧侶たちは逆にWalking Buddhaスタイルでの行列。僧侶なのに、みな中性的なしなやかで優美な姿で描かれている。際立って中性的。それがタイの仏画の特徴かも。Walking Buddha像がお土産屋にないかと探したが、手ごろなものはなかった。古美術を商う店には真贋は定かではないが、アンティークと称するWalking Buddha像がかなりあった。スコタイ・ホテルの売店では、小さな青銅製のWalking Buddha像を見つけた。姿は大変に美しかった。値段を聞いたら200万円ぐらいだった(バタッ←気絶するMizumizu)。仏教説話とあわせて、タイの寺院壁画に欠かせないテーマであるラーマキエン。おそらくこれはその一場面かと。インド風におおらか&セクシー。「あらぁ、いけませんワ……」市井の人々の生活を写したような壁画もあった。この半裸(全裸?)の男たちは、一体ここで何をしてるのか?「ボク、ファランにオフされたいな~」(←コレの意味がわかるアナタは、とってもイケナイタイ通) この2人は何を……?(右の少年、立ち去りながら……)「ボク、知らないよ~」そして、No1ボーイ登場!?タイ・ボーイは昔から仕草がたおやか&セクシーだったようで……<FIN>
2008.08.06

今日午後杉並で2度にわたる集中豪雨あり。お昼すぎまで晴れていたのに、にわかに掻き曇り、叩きつけるような雨。しばらくしてあがったと思ったら今度は雷が来た。雷が鳴って一瞬パソコンが切れてしまい、書きかけのブログが消滅。……過電流を心配したけれど、パソコンは無事だった。杉並区では650世帯が停電中とか。ウチはまだ大丈夫だが…しかし、豊島区ではマンホールの中で作業をしていた5人が流されて現在捜索中とか(1人は死亡が確認された)。朝は元気に仕事に行ったはずの人たちだ。都市型集中豪雨の恐怖。XXXXXXXXXXさて、長さ46メートル、高さ15メートルにもおよぶ巨大なReclining Buddha(涅槃仏)ばかりが紹介されるワット・ポー。たいていの観光客が王宮見学のあとに疲れ切ってやってきて、「必見の足の裏」だけ「見た見た」と帰ってしまう。だが、実はこのワット・ポー、1000以上の仏像・仏画を所蔵する仏教美術の宝庫なのだ。様式も初期スコターイから後期アユタヤを経てラタナコーシン朝までと広範囲。にもかかわらず、巨大涅槃仏以外の仏像について解説した日本語ガイドブックがまったくない。なら、自分で探すしかない、とバンコクで本屋へ。すると、あったあった。『A History of Wat Phra Chetupon and Its Buddha Images』という研究書。中の写真は白黒オンリーだし、新書といいながら、若干ページが黄ばんでいるが、110バーツ(360円)という日本人からすると信じられない価格。各仏像について、その時代と様式、背景にある歴史などについて解説したマジメなスグレモノ。おまけに巻末にはワット・ポー(Wat Phra Chetupon というのが、ワット・ポーのこと)の平面図まで載っている。観光客が必ず見るReclining Buddhaがあるのが、この平面図では左上、つまり北西角の(10)番。前回はやはりこの涅槃仏だけを見て帰ったが、今回はしっかり他の仏像・仏画も見学しようと体力を温存してやってきた。ちなみに(26)番がマッサージ処。右側、つまり東側に広がる本堂エリア(実はこちらのほうがずっと広い)の境にあるのが3基の仏塔。この向こうが仏像・仏画の楽園。黄金に輝く甍がまぶしい。(1)の本堂に鎮座するのが、このまばゆいゴージャズ・ブッダ。アユタヤ様式。本堂を取り囲む離れ十字形の4棟のうち、南に位置する(3)にあるのが、弟子に説法する仏陀像…… と思ったら、解説書によれば、この仏像はもともと左右2つの立像をしたがえた3体1組のものらしい。仏陀に対して身体がかなり小さく、横一列に並んで皆こちらには背を向けている弟子(?)たちの像は後から置いたということか。仏陀像は、ラタナコーシン朝時代、すなわち18世紀後半から始まる現王朝に入ってからのもの。西側の離れ十字棟(4)には、7頭の蛇に守られた仏陀像。台座にはとぐろを巻いたエメラルド色の蛇。スコターイ様式。本堂のアユタヤ様式の仏陀より古いものということになる。超人的な仏陀のパワーを感じさせる仏像。口を開けた禍々しいまでの蛇の魔力。それを背後にいただきながら平穏な表情の仏陀。動と静、魔と聖の対比と融合が印象的。実はジム・トンプソンの家にも、これと同じ意匠の仏陀像があった。だが、7頭の蛇はすべて失われていた。ワット・ポーのものは保存状態完璧。そして、北の離れ十字棟(5)には、象と猿から捧げ物を受ける仏陀像(ラタナコーシン朝)の、これはレプリカ。新しいだけあって、仏陀のファッションは西洋風。なぜ、レプリカ写真を載せたのかというと、本物の像の前には……こんなにいろんな像を置いちゃって、肝心の象と猿が見えないのだ!位置を変えて、左側の跪く象はなんとか見えた! 右側のお猿さん(は、やっぱりあんまり見えないので、さらに移動)が枝の先に垂らして捧げているのは…… さては、クレープだなッ。このほか、離れ十字棟をつなぐ回廊には、ワット・スタットのように、Seated Buddha像がずらり(上の解説書の表紙の写真参照)。解説を読むとスコターイ様式のものとアユタヤ様式のものだそう。だが、実は、この2つの様式の違いがよくわからない。おまけに修復のとき一様にキンキラに塗り替えるから、新しいのか古いのかも一見して不明になる、と思う(詳しい方、見分けかたのポイントなどについて、コメントいただけると嬉しいのですが)。国立博物館で見たときは、スコターイ様式のほうが顔は面長で、優美でしなやかな動きのある立像が多く、アユタヤ時代に入ると顔は円く、より様式化されて静的な仏像が増えてきたように思ったのだが、ワット・ポー回廊のSeated Buddha像に関しては、必ずしもそういう特徴分けができないようだった。オマケ:3基の仏塔近くの回廊(24)で見かけたStanding Buddha。ガラスケースに収められている。仏様、お言葉を。「ここから出してくれよぉ~」「外は暑いッスよ」<明日は禁断の(?)ワット・ポー所蔵仏画・ラーマキエン壁画をご紹介します>
2008.08.05

先月はワット・スタットには行ったが、その近くの眺めがよいというワット・サケートには足をのばさなかった。ワット・スタットは本堂の仏陀像も素晴らしく、回廊に並んだ黒と黄金の仏像も魅力的でもう一度行きたいな、と思った。そこで、ちょっと変わったルートで街歩きしつつこの2つの観光スポットを回ることにした。まずは水上バス(15バーツ、50円だが、17バーツに上がるという話もあり)で「メモリアル橋」で下船。ラマ1世像のある広場を抜けて。ワット・ラーチャプラナへ。さっそくお犬様が入り口でヘバってた。お暑いですね~。せめて、日陰に移動されてはいかがでしょう? お犬様「動くのもタルいしね」ワット・ラーチャプラナは本堂は閉まっていて入れなかったのだが、建物を飾る浮き彫りと透かし彫りがなかなか見事だった。仏教説話に疎いので、なんの場面なのかさっぱりわからず、慙愧。だが、この動的なポーズは素晴らしい。浮き彫りと透かし彫りの組み合わせも手が込んでいる。これは『ラーマキエン』(アユタヤ王国の王子にまつわる伝説)の一場面かも?眼に異様な力がある。痩せたワンちゃんがお堂を守っている。近づいたら、タイで初めて犬に吼えられた。ここには日本人の僧侶が守る日本人納骨堂があるという。確かにあったが、鎧戸も扉もかたく閉ざされたまま。日本人僧侶らしき人にも会わず。ワット・ラーチャプラナを出てパフラット市場方面へ北上。ここらあたりは、観光客相手ではない一般市民用の日常品を売る露天が続く。600メートルほど歩くと、「オールド・サヤーム」というショッピングモールに出た。冷房で涼もうと入ってみる。名前のとおり、古めのモール(笑)。観光客相手ではなさそう。宝石や磁器を売る店もあるが、吹き抜けになった室内屋台が目を惹いた。こんな感じ。下が屋台村になっていて、上階は吹き抜け空間を取り囲むように店が並ぶ。結構地元民で賑わっているので、期待が膨らんだ。サクーサイムーを売ってる店を発見! やった~と1パック買う。35バーツだか45バーツとちょっと高めだが、たくさん入っていた。ところが!食べてみてガッカリ。冷えていて、周りのタピオカもまったく粒感がなく、しかも油っぽい。ウィークエンド・マーケットで売っていたもののほうが遥かに美味しかった。リベンジとばかり、人が並んでいるスイーツの屋台へ行く。もち米のお団子にココナッツミルクをかけたもの。15バーツと格安だったのだが、これもハズレ。小さなお椀だったが、全部食べられずに残してしまった。2連敗で他を試す気持ちがなくなった。残念。美味しい店もあったのかもしれないが、これも運。オールド・サヤームからまた暑い街に出て、さらに600メートルほど歩くとワット・スタット。メモリアル橋からはほぼまっすぐのルート。スコタイ王朝時代の最大の仏像。ラマ1世がここに運ばせた。だが大きいというだけでなく、姿の美しさもバンコクにある仏像では随一(と思う)。こんなしなやかな仏像もあった。前回来たときは目に留まらなかったのだが、細身の腰掛け姿がたまらなく優美。しかし、誰だロビンソンの買い物袋を横に置いたのは!? あまりにハマリすぎている! まるで買い物帰りに仏様が、「あ~、暑くて疲れた。ここで一休みっと」と腰掛けているよう。日本の枯れた雰囲気の仏像とあまりに違うので、最初は「タイの仏像って、やたらキンキラじゃん」と思ってしまい、そのことばかりが印象に残り、なかなかよさがわからなかった。ぐるりの回廊に安置された微笑みの黄金仏。ワット・スタットでは僧侶たちの祈りの声、奉仕学生(?)の元気な声がいつも聞えてくる。そして、回廊で眠り込む放浪者。観光客がそこに混ざり、独特なムード。敬虔と緊張と好奇と倦怠が全部ごちゃまぜになっている、とてもタイ的な空間で、バンコクでも最も好きな場所に。ワット・スタットを出て、仏具街になっている「パルムン・ムアン通り」を西へ500メートルほど歩く。大きなブラ・スメン通りを横切って少し行くと、きったな~い運河に出る。運河を左折して小道に入ると、そこは建具屋街。透かし彫りを施したドアの扉などが軒先に並ぶ。ステンドグラスをはめ込んだ洋風のものもある。「ワット・サケート」の下がり看板に導かれて路地に入ると……唐突に、緑の静寂。さっきまで聞えていたバイクやクルマの音が一瞬すべて消え、森に迷い込んだような錯覚にとらわれる。ワット・サケートは人工の丘。階段を登って「黄金の丘寺院」へ。釣り鐘が並んでいる。どことなくチベット仏教風のようでもあり。だんだん視界が開けてくる。伝統建築の向こうに近代的なビルが。これは王宮方面を見下ろしたところ。バンコクにこんな高い丘(しかも人工)があったとは。眼下に開発から取り残されたような古びた地域があるのを見た。実は東京にもこういう場所がポツポツとある。白金から恵比寿にかけての一帯に雰囲気がちょっと似ている。「白金」「恵比寿」と聞くとオシャレなイメージだが、実はこのあたりの低地には、昭和30年代から変わっていないような貧しげな地域がそのままになっていて、ふと迷い込むとタイプスリップしたような気分になる。頂上には黄金の仏塔があった。階段のぼって疲れ果て、喧騒の「下界」へ下り、大通りに出たところで、すぐにタクシーを拾い、ホテルへ。ホテルでガイドブックを見直して気がついた! 「ワット・サケートでは丘の麓に建つ本堂の『ラーマキエン』の壁画も必見」。が~ん!見事に見逃した。皆様はお見逃しのないように。
2008.08.04

オリエンタル・ホテルの門の外で客引きをしているのは、タクシー親父とトゥクトゥク親父とチャオプラヤーにつながるトンブリー地区(川の左岸)の運河めぐりボートツアーの客引き。「客引きについていってボートに乗せられると、ひと気のない川の上で身ぐるみはがれる」みたいな注意書きを日本語のガイドブックで見ていたので、ボートツアーの客引きは避けていたのだが、水上バスでチャオプラヤー河を行くと、白人がよくエンジン付きボートに2人から多いときは8人ぐらいのグループで乗っている姿を見かける。道端で声をかけてくるいかにも怪しげなオヤジと違って、いつもホテルの門のところで客引きしているおっさんたちは、一応商売でやっているようだし、2人なら大丈夫じゃないか、ということで、乗ってみることにした。これが↓客引きのおじさんたちが立ててる看板。同じ客引きは「リバー・シティ」というショッピング・センターにもいて、そこで聞いたらボート代として(1人当りではなく)、1時間900バーツ(3000円弱)、2時間で1600バーツだという。オリエンタル・ホテルの門の前でいつも座って手招きしているおじいさんに聞くと、800バーツだと言う。そのおじいさんは、1度見たら忘れられない、異様な風体。日に焼けて肌は濃いチョコレート色、髪はぼさぼさで、前歯はちぐはぐに唇から飛び出し、なんと裸足でそこらを歩き回っている。このおじいさん、いつもそこにいて、Mizumizuたちを見るたびに声をかける。まとまって外出できるのが土曜日だけなので、そう言っていつも振り切っていた。で、土曜日にいざ乗ろうとやってきたら、そんなときに限っておじいさんがいない。普通の身なり(苦笑)のおじさんがそこにいたので、「いつものおじいさんは?」と聞くと、「今日はいない」なんて言う。「朝見たけど?」と聞くと、こんどは「2時間ぐらいで戻ってくる」とか、本当に適当な返事(苦笑)。仕方ないので、値段を確認すると「1時間なら1000バーツ」とふっかける。「800バーツ」と粘ったのだが、「900バーツ。ガソリン上がってるからお願い」と譲らない。やっぱり、こっちから「乗りたげ」に声をかけるとダメなのね。1時間900バーツ(これはあくまでボート代で、1人当りではない)でOKして、ついていくことに。するとなんとなんとオリエンタル・ホテルをぐるっとまわってホテルの建物のすぐ裏につれていくではないか! 内部は完璧に掃除の行き届いたホテルだが、一般客が来ない建物の裏となると汚いのなんの。ビックリした。しかも、その建物の裏にある船着場(とてもおそまつな船着場なのだが、ともかく船への乗り降りは、なんとか可能)に、捜していたおじいさんが、ちょうど客を乗せていた! なんだ、お客をつれてきていたんだ。なら5分で戻ってきたじゃないの。まったくも~。おじいさんも、こちらに気づき、別の人間につれられてきたとわかると、ものすごく頭に来た顔をした。「あなたを捜していたのに」と一応英語で言ったのだが、通じたかどうか。完全歩合制だろうし、あれだけ連日熱心にこちらに声をかけていて、しかも800バーツと言っていたのだから、おじいさんとしたら、900バーツあっさり別の男に払っているMizumizuたちにはガッカリしただろう。さて、運河めぐりには、こんなボートで出発。船着場はこんな感じ。いかにも急ごしらえで、そのうちに板が抜けちゃうんじゃないかと思う。オリエンタル・ホテルの建物のすぐ裏にこんなものがあるとは知らなかった。チャオプラヤー河に漕ぎ出す。もっとエンジンの小さいスローボートに乗る白人観光客もいた。ワット・アルン(暁の寺)の手前で、運河へ入る。そこはもう一般人の居住地域。「大河」であるチャオプラヤーからの眺めとは景色が一変しておもしろい。こんなふうなワット(寺)地帯? もあれば……緑地帯もあるのだが……基本的にはこうした、貧しい水上家屋が延々と続いていた。昔はみんなこんなふうに生活していたのだろうけれど、いざ目の当たりにすると、そのあまりの貧しさにショックを受ける。アユタヤに向かう列車の窓の向うに続いていた、線路沿いのバラック地帯もそうだったが、日本の戦争直後の写真を見ているよう。しかも、半分朽ちたような水上家屋で生活している人々のすぐ横に、真新しい豪邸が建っていたりする。敷地の周りを高い柵で囲った豪邸の持ち主は、自分の家のすぐ隣に、最低限の生活をしている極貧の人々がいるのが気にならないのだろうか?それでも子供たちは無邪気。運河で魚を捕るのに熱中している。こちらに気づくと明るく手を振ってくる。ヨーロッパじゃ、こうした貧しい人が住む場所に足を踏み入れると、「覗き見するなよ!」みたいな敵意をふくんだ視線が返ってくることが多いのだが、「金満」観光客に対する一般人の僻みや妬みを、少なくとも表面的にはほとんど感じないのがタイ。しかし、やはりタイは問題の多い国だ。このすさまじい貧富の差は何なんだろう。教育を受けられない貧困層の子供が長じて働くとしたら、やはり手っ取り早い風俗になりがちだ。そして、タイの「ボーイ」(若い男性で売春する人たちをこう呼んでいる)や「オネエチャン」目当てに、白人や日本人が大挙して押し寄せる。若いイケメン君・カワイコちゃんなら、破格の収入になるだろう。タイの「いたいけな」ボーイやオネエチャンに騙され、せっせと送金して貢いでる日本人も多いらしい。あぶく銭がどこかに一時的に集中したとしても、それはあくまで個人レベルの話、国全体に巣食う貧困を解消する手立てにはなんらならない。それに、話していてわかるが、タイの男の子は一見シャイでカワイイのだが、日本人の同世代の男の子より一般的にずっと遊ぶのに「慣れ」ている。グッドルッキングであればあるほど、そこらあたりは巧み。日本人のように気ぐらいも高くない。だから逆に、ハマってしまってカモられる日本人が多いというのも、納得。ちなみに、カワイコちゃん(女性)にはMizumizuも連れ合いもまったく関心をもってもらえなかったので、彼女たちがドンナかは、不明。いまだに最低限の生活を強いられている水上家屋の群れを見せ付けられて、複雑な気分でチャオプラヤー河に戻ってきた。写真は日本人に人気のワット・アルン(暁の寺)。もちろん、エンジン付きボートで川面――それも大河と運河を両方を――走る気分はなかなか爽快なので、個人的にはお薦めのアクティビティ。このエンジン付きボートツアー。すれ違うボート(けっこう多い)を見ていて気づいたのだが、なぜか乗っているのは90%以上白人観光客だった。アジア系(日本人ではない)観光客は2組ぐらいしか見なかった。日本人にはなぜか人気がないよう(「ひと気のない川の上で…」と、脅かされすぎ?)。ホテルの喫茶部でのアフタヌーン・ティーは日本人女性が圧倒的なのだが。群れる場所が確実に分かれているのというのも、なんだか奇妙な気分だった。貧しい一般人の住む地域を覗き見してるようなものだといえばそのとおりなのだが、一応白人の観光客は自分たちの子供をつれてきて、こういう場所を見せている。それはある意味社会勉強だ。ところが、日本人はといえば、美味しい料理と買い物(そして多くのタイ・フリークはボーイやオネエチャンとの格安で気分のいいお遊び、つまりはセックス)にしか興味がない…… 「金満」日本人(多くの日本人は日本では別に裕福ではないが、タイの所得水準で考えれば皆「お金持ち」なのだ)のアタマのカラッポぶりを感じてしまう――と言うのは、あまりに卑下しすぎだろうか。
2008.08.03

オリエンタル・ホテルからシーロム通りに出て、散歩しているときに見つけた「アニタ・タイシルク」。最初飾り文字の「アニタ」を「アンティーク」と読んでしまったのだが、アンティーク・シルクの店、と言われても納得してしまいそうな、古めかしいどっしりとした店構え。そして、ウィンドウに飾られたシルク製品が、光沢といい質感といい素晴らしいものだった。明らかに高級店――と思い、実は先月も1度のぞいたのだが、布地が主で、製品になっているものは案外数が少なく、ピンとこなくて何も買わなかった。ただ、シルクの上質感が飛びぬけていること、プリントが鮮やかで美しいことは印象に残った。今回また店の前を通りかかり、引き寄せられるように入ってしまう。先月来たときには気づかなかったバスローブが棚の下にひっそりとあるのを見つけた。「いくら?」と聞くと、4500バーツ。うっ、ジム・トンプソンより高く(でも質は圧倒的にこちらのがいい)、オリエンタル・ホテルのオリジナル・バスローブと同じ値段だ。袋から出してもらってしげしげと眺める。この店に特長的な鮮やかな花鳥風のプリント。どこかしら日本の浴衣のような雰囲気もあり、こうした柄のシルクのバスローブは見たことがない。シルクは鮮やかなプリントが難しい素材。そう考えるとこれは貴重だ。華やかな黄色系と落ち着いたブルー系があり、買うなら黄色系だな、と心に決める…… のだが、なかなか決心がつかない。「免税になる?」と聞いたら、ならない、とあっさり。う~ん、肌触りと光沢から言ったら、オリエンタル・ホテルのシルク・バスローブのほうがいいかもしれない。しかも、むこうは免税手続きをしてくれる。どうしたものやら…… 真剣に迷っていると、相手をしてくれていた初老の上品な女性店員さんが、「500バーツ、ディスカウントするわよ」も~、絶妙のタイミングだった。その一言で購入決定。まったく、うまいなぁ。というワケで、アニタ・タイシルクで買った浴衣風シルクプリントのバスローブ↓手洗いもでき、脱水機は使わずにそのまま干してアイロンしろ、とのこと。シルク製品でドライクリーニングオンリーではないのは、長い眼で見ると重宝する。そしてこのバスローブの最大の魅力は「衣擦れ」の音。脱いだり着たりするときのシャラシャラという、乾いているのにどこかに湿り気を隠しているような不可思議な音は、いにしえの雅を感じさせる。ホテルに帰ってから、我ながらご丁寧に着比べてみたのだが、しょーじき、肌に触れたときのしなやかさだったら、オリエンタル・ホテルのシルク・バスローブ↓のが上だったかも……(苦笑)こちらは、無地で色はいろいろなバリエーションがある。ただ、胸元にホテルのレターロゴがバッチリ入ってるのを日本の自宅で着るのもなんだかなぁ…… ということにした。さて、アニタの店の袋を持ったまま、街の中心に出て、またもたまたま「ALMETA」というシルク製品の店に入る。ここもまったく偶然だったのだが、つぶさに見ると、1つ1つの商品の素材が非常によく、デザインもモダンで凝っている。店員さんは、「中田英寿+竹中直人÷2」みたいな風貌の30代半ばぐらいの男性。そして、どことなく仕草が中性的。話してるうちに、中身は相当女性度が強いとわかってきた。アニタの店の袋を持ってるのを目ざとく見つけて、「あ、アニタで買ったんだ。いい店よね。どんなの買ったの? 見せて」とせっつくところは、本当に女の子っぽい。ついでに、こちらの趣味もわかるし一石二鳥というところだろう。とにかく、「中田英寿+竹中直人÷2」君は、美しいものに対するセンスが抜群。「ほら、このテーブルランナーはね、縫い糸までシルクなの。赤い模様はウチのオリジナル。きれいでしょう?」確かに! でも、赤い模様のテーブルランナーはウチのリビングのカーテンの色と合わない。「このボックスは、フタの部分がシルクで底はレザーなの。色は2色。ほら、緑の箱とオレンジ箱を2つ、こうやってすこしずらして並べて置くと、きれいでしょ?」おっしゃる通り! でもやっぱりカラーリングが…… ブルーやレモンイエローだったらイメージに合う部屋があるんだけど。「このショールは裏表で色が違うの。だから裏を見せるように肩に巻くと(と言いながらMizumizu相手に実演)、きれいでしょ? 左右長さをずらしてもいいし、前をピンで留めてもいいし、片肩だけでまっすぐ垂らしても素敵よ」巧みな売り込みで買ってしまったのが、このショール。緻密な織りが、ぬめるような光沢としなやかな質感を生んでいる。光によって輝きが違って見えるのは最高級シルクならでは。値段はハッキリ憶えていないが、たぶん1万円前後かと。免税手続きはなし。「中田英寿+竹中直人÷2」君が店員でなかったら、たぶん買っていなかっただろう。ショップというのは、商品のデザインや質も大事だが、やはり売り子も非常に大事。「作り手」と「売り手」の二人三脚がうまくいかないと商品は売れない。バンコクには「器」は男性で「中身」は女性(的)という人がふつーに働いているが、ナレードゥム君といい、給仕やオシャレものの売り子には彼ら(彼女ら?)のような個性はまさしくピッタリ。中身は女性(的)、とは言っても、その女性度は個人で相当違うのだが、それぞれの特性に合った職業を得ると、彼ら(彼女ら?)は並みの女性や男性以上の能力を発揮する。「女性は女性らしく、男性は男性らしく」というのがいかに不自然で、ある意味不毛なしつけであることか、バンコクに来るとよくわかる。そして、タイシルクの実力もなかなかに奥深い。アニタ・タイシルクもALMETAも、安くはないけれど、商品の造りが丁寧で素材が上質。ジム・トンプソン以外にも、つぶさに見ていけば、質で勝負の小規模高級店が、まだまだありそうだ。
2008.08.02

欧米人に人気の観光スポット「ジム・トンプソン・ハウス」。同名のタイ・シルク製品の高級ブランドの創始者として知られるジム・トンプソン氏の生前の邸宅だ。アメリカ人。建築家から諜報員に転身し、ヨーロッパで活動したあと東南アジアへ。終戦後事業家に転じ、タイシルクの復興と普及に私財を投入して打ち込み、事業は大成功。そして、マレーシアでの謎の失踪。遺体は現在に至るまで見つかっていない…… そのドラマチックでミステリアスな生涯は人々を惹きつけずにはおかない。今回行ってみて、ジム・トンプソンという人のもつ美意識に感銘を受けた。チーク材を贅沢に使ったタイ様式の邸宅なのだが、玄関の床は大理石の市松模様にするなど、洋風のニュアンスも多く取り入れている。もともと建築家だったというだけあって、「家」に対するトンプソンのこだわりが長い時間を経てもズンズン伝わってくる。調度品も見事。古い仏像を中心としたコレクションが、あちらこちらにさりげなく飾ってある。圧巻はリビングルーム。古民家の居室を移築したのだが、その際に窓だった部分を4つつぶして、今風に言えば「ニッチ空間」――奥に窪んだちょっとしたスペース――に作り変え、ミャンマーで見つけたという古い仏像4体を壁に打ち付けて飾ってある。プライベート・ミュージアムといった趣きだ。内部は日本語でのガイドツアー見学。適当に行ったのだが、それほど待たずにグループが集まり、5人ぐらいで一緒に観て回った。日本人は比較的少なかったが、ココは来る価値があると思う。ジム・トンプソン・ハウス内にあるショップも大変な賑わいで、飛ぶように売れていた。バーツが高くなって売り上げが落ちたという話だが、なんのなんの。1バーツ=3.3円時代にあっても、「案外安いな?」と思わせる価格帯の商品が並ぶ。かつて、イタリアがリラの時代(笑)、かの国には案外安い、そして質の高い、オシャレなものが溢れていた。イタリアだけではない、西ヨーロッパ全体がそんな感じで、掘り出し物がたくさんある買い物天国だった。ところがユーロが導入され、便乗値上げが相次いでから、そうしたウマミがなくなった。くわえてこの数年の超ユーロ高。ヨーロッパの観光地で売られている(明らかに)中国製のおみやげ物ですら、とんでもなく高くて買う気にもなれない。そこにいくと、ジム・トンプソンはデザインも明るく洗練されているし、品数も多いし、それになんといっても買い物心をくすぐる「ちょっとしたお得感」がある。これからはアジア・ブランドの時代かも? ただ、シルク製品の「最高級」ブランドと言われると、若干「?」マークがつく。たしかに高級なシルクもあるが、そうでもないシルクもある(ように見えた)。手触り、質感ともに中国製の安価なシルクと大差ないものも多い。あくまでシルクの質だけで見れば、バンコクのシーロム通りで偶然見つけた「アニタ・タイシルク」(実は有名な老舗らしい。店構えからして高級感が漂っていた)やスクンヴィット通りやホテル・スコターイにショップ展開している「ALMETA」のほうが良かった。ジム・トンプソンはむしろ、コットン製品に力を入れてるのか、鮮やかでモダンなデザインのコットン製品が目を惹いた。などと言いつつ……シルク製のパーティ用バッグをまずはお買い上げ。値段は忘れてしまったけど、「案外安いな」と思った記憶がある。素材はブラックシルク、内張りは同じくシルクで色はショッキングピンク。内張りのピンクがラインになって見えるデザイン。シンプルなスタイルが好みにピッタリだった。左からシルク製のプルオーバー・トップ。ウィングド・スリーブが特徴的。このシルクは間違いなく最高級と言える風合いだった。シルクのバスローブも欲しかったのだが、残念ながらバスローブはあまりいいシルクが使われていない。その分値段も3500バーツぐらいで抑え気味だったのだが、「このバスローブなら、オリエンタル・ホテルのシルクのバスローブのほうがいい」と思い、買うのをやめた。ちなみにオリエンタル・ホテルのシルク・バスローブは4500バーツ。真ん中はコットンの長袖Tシャツ。トロピカルで派手なプリントに惹かれて思わずお買い上げ。右端はツバ広のコットンの帽子。よく日をさえぎってくれそうだし、折りたたんで持ち運ぶにも便利、それに安かった(具体的な値段は失念)ので、購入。ただし、帽子は案外厚手で風とおしが悪いということに、買って着用しはじめてから気づいた。真夏にかぶると、暑い。これは空港の免税店であまったタイバーツで買った3連のシルク製の財布。これだけは値段がわかる。610バーツ(2000円ちょっと)。カードや小銭や紙幣を分けて入れることができ、12.5cmX7.5cmの小ぶりなサイズは、ハンドバッグが小さいときに重宝しそう。こんなふうにボタン式で取り外しができマス。空港のジム・トンプソン店は日本人女性ばっかりだった。タイの免税についてタイの免税は下限が5000バーツ。1店で2000バーツ以上買うと書類を書いてくれるので、それを集めて5000バーツになれば、7%の税金が還付される。ただし、空港では手数料として100バーツ引かれ、クレジットカード入金希望の場合は600バーツ差し引かれる。……って、ちょっと待った!5000バーツ買ったとして還付される税金は350バーツ。そこから100バーツ引かれたら250バーツ(825円)。これは日本円に換金しても二束三文だから、やはり空港で使うことになる。クレジッド入金だと600バーツ引くって、それじゃ、5000バーツの買い物に対する還付より高いじゃん。苦笑……手続きが面倒なわりには、大量に買わないとあまりメリットがない制度。おまけに街中の高級店でVAT Refundしてくれる店は案外少なかった。
2008.08.01
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