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<きのうから続く>コクトー版『オルフェ』での重要な女性役は、妻のユリディースではなく死神。死神のキャストについては、コクトーはガルボ、ディートリッヒ、マリア・カザレスの順番で考えており、最終的にカザレスに決まった。そして、同年のメルヴィル監督『恐るべき子供たち』で主役にポール役を務めるエドゥアール・デルミットもセジェスト役で出ている。どうも、この役はコクトーが『恐るべき子供たち』の映画化をにらんで、演劇経験のないデルミットを映画に慣れさせるために与えたようだ。映画冒頭で、オルフェとカフェですれ違うセジェスト(右・デルミット)『オルフェ』の撮影は1949年8月、『恐るべき子供たち』は1949年12月なのだが、同年の3月から5月にかけて、マレーは「ジャン・マレー劇団」を組織し、中近東へ演劇巡業に出かけて、大成功をおさめている。コクトーも随行し、各地で講演をしては観客動員に一役買った。その講演は非常に熱っぽく、聞いていたマレーが恥ずかしくなるほどだったという。巡業の成功は、たぶんに「ジャンの演説のおかげ」だとマレーは深い感謝の言葉を自伝に綴っている。この公演には、イヴォンヌ・ド・ブレのようなベテランの名女優も参加したのだが、役者名簿のなかにエドゥアール・デルミットの名前もある。もちろん、コクトーがマレーに頼んだのだ。しかし、このデルミットという青年、もともとが役者志望ではなかったし、演技の才能もなかった。『恐るべき子供たち』の監督メルヴィルものちに、ポール役をデルミットにしたのは失敗だったと告白している。メルヴィル自身は最初からわかっていたことだが、コクトーが映画化の条件はデルミット=ポールだとゴリ押ししたために仕方なかったのだ。デルミットは『オルフェ』以降、コクトーの映画には多く出演したが、彼を使おうとする映画監督・舞台演出は他には皆無だった。コクトーにとっても、デルミットはマレーにかわる演劇の詩神(ミューズ)にはなりえなかった。コクトーは、マレーのために何本もオリジナルの戯曲を書いたが、ポールにあてたのは、昔の自分の作品が映画化された際、もしくは『オルフェの遺言』のような別テーマの作品の中の一役だ。ジャン・マレー自身は、デルミットについて、自伝でこんなふうに書いている。「ジャンのこの友達(=デルミット)を私も大層好いてはいたが、芝居には向かなかった。中近東巡業の際、彼も一役を演じていたが、私には不十分に思えた。この先、稽古にはげむ彼に対し、私の思うところを言わざるをえないと考えていた。私はそうなることを避けたかったのだ」『オルフェ』でマレーとデルミットが共演したことで、当然「コクトーは前の愛人と今の愛人を共演させた」と書いたメディアもあった(今もある)。Mizumizu的には、オーラのあるスター俳優(=マレー)とタダの若者(=デルミット)のそもそもの存在感の違いが、共演したことでくっきり顕在化してしまったと思っている。演技どうこうより、単に立っていたり座っていたり、「そこにいるだけ」で違う何かがこの2人にはある。ルックスがいい悪いの前に、もっている雰囲気が違うのだ。コクトー自身はマレーへの手紙で「ドゥードゥー(=デルミットの愛称)は君を崇拝している」「ドゥードゥーも君に会いたがっている」と何度も書き、特にマレーがアパルトマンから出て行ってしまった最初のころは、自分の手紙にデルミットが書いたマレーへの丁寧なメッセージを添えることもしばしばで、なんとか2人の距離を近づけようと心を砕いている様子が見える。また、デルミットに会う前は、マレーに対して、「君のために生きていきたい」と書いていたコクトーが、デルミットをそばに置くようになってからは、「君とドゥードゥーのために生きていきたい」に変わっている。それだけコクトーにとってデルミットは大切な存在だったということだ。では、マレーのほうはというと、デルミットを「大層好いていた」と言いながら、彼の自伝の中には、コクトーと長く一緒にいたハズのこの彼の息子(デルミットは正式にコクトーの養子となった)との会話が1つもないのだ。ただの1つも。コクトーは『オルフェ』以降しばしば(そしてほとんど死ぬまで)、マレーに自分の戯曲を再演して、デルミットを使ってくれるよう頼み続けるが、マレーは一切応じていない。といって、マレーとデルミットが不仲だったわけではない。のちにデルミットが結婚し、子供をもうけたときには、デルミットに請われてマレーが名づけ親にもなっている。また2人はコクトーの死後、共同でコクトーの遺産や著作の管理にも当たっている。さて、話を『オルフェ』に戻そう。この作品には、まだコクトーの心にマレーしかいなかったころの2人の思い出も映像になっているように思う。たとえば、夜眠るオルフェを死神がこっそり見に訪れるシーン。ベッドのオルフェは、なぜかまるでもだえているよう(笑)。こちら↓は、オルフェの心変わりを知った妻が、覚悟を決めて眠るオルフェを起こそうとやってくるシーン。このときも、オルフェは不自然なくらい何度も寝返りをうつ。さすが、ジャン・マレー。1人で寝てるだけなのに、妙にセクシー。夜型のコクトーは、しばしば熟睡するマレーの寝顔を見ながら詩を書いたり、マレーのための戯曲を書いたりしていた。マレーは夜遅くまで起きていることのできないタイプだった。ある朝、コクトーが働いているのに、自分だけ眠りこけてしまったことをマレーが謝ると、「君の眠りがぼくを刺激してくれる。創作の助けになるんだよ」と答えてマレーを安心させている。また、「君は眠る。ぼくは眠らない。そこが素敵」という詩もマレーに贈っている。ほかに、眠ってるマレーのそばで書いたとおぼしきこんな詩もある。眠れるわが恋人の傍でこの詩を書くかの金髪は眠り、かの黄金の「ピー(自主規制音)」は眠るぼくらは沈黙しよう、微笑もう、お互いに気高く愛し合おうぼくはわが恋人の心の近くでこの詩を書くこんなイラストも描いてる。↓ いかにコクトーが、眠るマレーを見つめるのを好んでいたのかがよくわかる。『ジャン・マレーへの手紙』(三好郁朗訳 東京創元社)の一頁からだが、この横にある戦場のマレーへの手紙(1940年)が熱い。「(君に)もうすぐ再会できる、キスができる、その確信、その夢に、ぼくはすがりついています。ひまさえあれば両目を閉じ、今の君の姿を想像しています」この、ほとんど一方的に強い想いは、許されない恋情に身を焼く死神が夜毎オルフェの寝室に現れ、禁を犯してオルフェの妻を死の世界へ連れ去ってしまうという行動に投影されている気がしてならない。また、オルフェが死神に連れて行かれる家で、背の低い2人のアジア系の少年がオルフェに飲み物をサービスする場面があるが、これとそっくりな思い出がマレーの自伝に書かれている。2人の最初のバカンス、コクトーがマレーを連れて行ったツーロンの滞在先での思い出だ。「私たちの世話をしたのは、このアパート(=コクトーとマレーが滞在したコクトーの女友達の家)の奇妙さに色をそえたインドシナ人のボーイだった」(マレー自伝より)<明日へ続く>
2008.05.31
<きのうから続く>オーモンはコクトーが台本を執筆している間にアメリカへ戻っていた。『オルフェ』を脱稿すると、さっそくコクトーはマレーに読んで聴かせた。「ジャン、これは素晴らしい作品だ」朗読を聴き終えたマレーは、感動を抑えられなかった。「君の心にあるあらゆる神話のエッセンスが入っている気がする。シナリオを超えているよ。これだけでもう偉大な詩的作品だ」マレーの大絶賛にコクトーは大喜び。つねづねコクトーはマレーの評価を「ぼくにとってはピカソの評価と同じくらい重みがある」と言っていた。「ねえ、ジャン」マレーはなおも言った。「もしオーモンがいいというなら、ぼくも出演させてもらえないかな。ウルトビーズ役ならぼくでもできると思う」「だって、オーモンが主役で、君が脇役でいいのか」「もちろん、いいさ。頼むよ、オーモンにぼくの助演を承知するかどうか、聞いてみてくれないか」「もし君がやってくれるというんなら、渡りに船だよ」さっそくコクトーはアメリカのオーモンに脚本を送り、ジャン・マレーの助演を受けるかどうか打診した。だが、オーモンのマネージャーから、すぐに丁寧な「お断り」レターが来た。「ジャン・コクトー様 脚本確かに受け取りました。さっそくオーモンにわたします。さて、ジャン・マレー氏出演のお申し出につきましては、大変光栄ながら、このたびは見送らせていただければと思います。今回の映画は、ジャン・ピエール・オーモンのフランス帰国記念の第一作であり、ジャン・マレー氏に助演をお願いするのは不都合がございます。次回作以降での共演の機会がありますことを祈念する次第です」がっかりするマレー。「間違いなく君の最重要映画作品になるのに。出られないのか……」マレーがここまで出演を熱望するのも珍しい。コクトーはすでに映画のプロデューサーであるドシャルムにも脚本を送っていたが、マレーの様子を見て、後悔し始めた。「あのシナリオをわたしてしまったのは失敗だったかな。君がそこまで気に入ってくれたんなら、いつか君と2人で撮れるように手元においておくべきだった」「もう1つ書いている時間はなかっただろう? 契約もあるし、仕方ないよ。悲しいけど諦めるさ」「いっそ、ドシャルムに気に入られなければいいな」「あれのよさがわからないなんて、ありえないよ」ところが、そのありえないことが起こる。『オルフェ』を読んだドシャルムはコクトーのマネージャーのポールを呼び出して、どなりつけたのだ。「いったいこのシナリオは何だ。ジャン・コクトーは、俺たちをバカにしてるんじゃないか」思いもかけない反応に、ポールは驚いてドシャルムを見つめる。「俺もこの仕事は長いけどね、こんないいかげんなシナリオは読んだことがないよ」「いいかげん?」「明らかに書き飛ばしてるだろ。契約金を早くせしめようと思って、適当に書いたんじゃないか」「まさか。その脚本は、ジャン・マレーも手放しで絶賛していて、脇役でいいから出たいと、そう言ってたくらいなんですよ」「その話はオーモンのマネージャーから聞いたがね」ドシャルムはポールをじろりとにらんだ。「そもそも、なんでオーモンのための映画のシナリオを、先にジャン・マレーに読ませてるわけ? 気に入らんよ」「それは、あの2人が親友だから……」「親友? こないだまで、息子だって言ってただろ」「それは…… 息子で、親友」「もう1つあるんじゃないのか?」「……」「さすが、ジャン・マレーだな! 常識じゃありえない3役をこなしてるってわけだ」敵意をふくんだ言い方に、ポールはとまどった。「しかし、ジャンとジャノのことは、この映画には関係ないでしょう」「そういや、ジャン・コクトーには、また新しい『息子』ができたってな。オーモン、マレー、デルミット。次々若いのに乗り換えて、しかも、3人が3人とも似たようなカラダときてる。コクトーの尽きせぬ情熱には、まったく敬意を払うよ」「あなたは、明らかに何か誤解してる。ドシャルムさん」「ま、俺には興味も関係もない世界だけどさ。おたくら、マレーが出たがってるなんて言って、駄作にハクをつけようとしたんじゃないのか」「まさか!」「オーモンの脇役でいいなんて、ジャン・マレーが言うかね? おかしいよ」「それだけ『オルフェ』が素晴らしいってことですよ」「素晴らしいだと? この適当な台本がか? いいか、だいたい死神はいったいいつどこでオルフェに恋をしたんだ? 『沈黙は後退を意味する』とか『鳥は指でさえずる』とか、やたらと繰り返されるしさ。意味なんて、ないだろ? ラジオで数字を読み上げるなんてのは、シナリオの行つぶしにしか見えんよ。おまけに、なんで最後に死神が突然自分を犠牲にするのよ」「それは、ジャンに直接聞いてもらえれば。ぼくだとちょっと……」「聞くまでもないね。こういうのを、ストーリーが破綻してるっていうの。とにかく、こんなくだらない、子供だましにもならない作品をオーモンの帰国第一作にするわけにはいかない」「しかし、オーモンとモンテスが気に入ったらどうするんですか。彼らの意見も聞かないと」「俺と大差ない感想みたいだけどね」「もう聞いたんですか?」「まだ、しっかり読んでないと言ってたけどさ。『端役でも出たい』と思ってるふうじゃないのは、確かだよ」ポールは絶望して引き下がった。コクトーとマレーにプロデューサーの酷評を話す。すっかり凹むコクトー。「それは、映画を作らないっていう意味かな?」「まだそこまでは……」マレーがさっそくコクトーを慰める。「ジャン、彼の読みなれた台本と違うってことだよ。どれほど異質かってことがわからないんだ」「きっとオーモンにも、モンテスにもわからないんだろうな。死神とオルフェが出会う前から定められた『カップル』だってことが。そして、最後の死神の完全な自己犠牲の意味も」と、コクトー。「ポール、もしオーモンがやりたくないというのなら、僕がやりたがっているって、ドシャルムに交渉するのはどうだろう?」「そりゃ、無理だろう。オーモンを使う映画の話だからさ。それに……」「それに?」それに、コクトーとマレーに対する反感を見ると、ドシャルムとはいい仕事ができそうにない――ポールはそう思ったが、さすがに言えなかった。「いや。つまりさ、ドシャルムのところで企画がポシャったときのことを考えて、別のプロデューサーを探しておいたほうがいいじゃないかと」「たしかにね」「ポールヴェに相談するしかないかな」コクトーとマレーは顔を見合わせた。「またポールヴェか」ポールヴェはコクトー作品の映画化を何度も手がけてきたプロデューサーだが、コクトー自身はあまり好印象をもっていなかった。何やかやと難癖をつけ、「興行に自信がもてない」と言ってはコクトーに不利な契約を押してつけてきたからだ。だが、とにもかくにも、コクトーのマネージャーのポールとマレーのマネージャーのリュリュとが動き出す。そもそもコクトーのほうは、マレーがやりたいと言い出した時点で、オーモンではなくマレーと撮りたいと思っていた。結局、ドシャルムはコクトーとの契約を破棄し、映画は作らないと通告してきた。ポールとリュリュはポールヴェにかけあい、コクトーに残された唯一の方法を提案した。コクトー自身が『オルフェ』のプロデューサーとなり、そこでポールヴェを代理プロデューサーに指名して、俳優を集め、組織するという方法だった。マレーは自伝では、オーモンに配慮したのか、「映画化がようやく決まったときには、オーモンはすでに他の仕事にかかり、空いてはいなかった」と書いている。だが、映画化が本決まりになる前年、まだ自身でプロデューサーになる前の段階でコクトーがマレーにあてた手紙には、「この映画(=『オルフェ』)はぼくたちのもの、君とぼくのものになります。絶対です」という一文がある。つまり、コクトーは途中からもう、オルフェ役はオーモンではなく、マレーにと決めていたということだ。オルフェ役がマレーになったので、ウルトビーズ役が必要になった。マレーはなんと、ジェラール・フィリップに申し込み、断わられたと自伝に書いている。ジャン・マレーのオルフェに、ジェラール・フィリップのウルトビーズ! なんと素晴らしいキャスティング! 実現していれば、間違いなく『オルフェ』の審美的価値はさらに飛躍的に高まっただろう。最初に登場するとき、ウルトビーズはロールスロイスの運転手だが、端整なブリティシュフォームのコートをきっちり着こなしている。オルフェを冥界に導くとき、ウルトビーズの顔にだけ風があたり、髪が乱れる。2度目の旅ではオルフェに手をとられながら2人で四苦八苦しながら進んでいく。最後にオルフェと妻の幸せな姿を見届けて姿を消すときは、なんともはかなげな寂しそうな表情になる。こうしたシーンはすべてジェラール・フィリップの繊細な美貌にはぴったりだった気がする。『オルフェ』は封切られると同時に大ヒットし、ロンドンのロイヤル・アカデミーとニューヨークの『ヘラルド』から、「今年最高のフランス映画」に選ばれ、1950年ヴェネチア国際映画祭で国際評論家賞も受賞している。出演していれば、ジェラール・フィリップの数少ない(というのは若くして亡くなったからだが)代表作の1つになったろうに、残念だ。ジャン・マレーは自身ももちろん卓越した役者だが、共演者を選ぶ選択眼も非常にすぐれていた。イヴォンヌ・ド・ブレもエドヴィージュ・フィエールもマレーが共演を望んで作品が成功をおさめた。また、まだ19歳だったセルジュ・レジアニの朗読を聞いて、そのあまりの素晴らしさに感動して舞台での共演を自ら申し込み、それがきっかけでレジアニはメジャーになった。その後レジアニはヴィスコンティの『山猫』にも出演している。後年は、映画『上級生の寝室』でまだ端役だったジャンヌ・モローの才能に注目し、自身が演出する舞台にのせて大成功している。余談だが、『オルフェ』は1983年にフランスのTV番組としてリメイクされた。そのときオルフェ役、ウルトビーズ役とも役者のファーストネームがオーモンと同じ「ジャン・ピエール」だった。<明日へ続く>
2008.05.30
<きのうから続く>さて、2人の私生活に話を戻すと、1946年1月に『美女と野獣』を撮りおえたコクトーは、翌月マレーと離れてスイスに近いモルジーヌで療養。このときに1944年にマレーと約束した本を書いている(このときのエピソードについては5月2日のエントリー参照)。それが内省的な批評エッセイ『ぼく自身あるいは困難な存在』。この朗読を聞いてマレーは「驚嘆した」と言っている。「ジャンを尊敬すればするほど、自分が恥ずかしくなった」(マレー自伝より)。マレーが驚嘆したこのエッセイ、のちにコクトーはその生原稿を、「ぼくたちの思い出に」といってマレーの誕生日に贈っている。モルジーヌでの皮膚病の治療はさしたる効果をあげずに終わった。1947年7月封切の『美女と野獣』が大成功をおさめると、モンパルシエ通りのコクトーとマレーのアパルトマンは、ますます訪問客が増えていった。電話や呼び鈴が鳴り続け、コクトーはほとんどまったく仕事ができなくなる。このころの2人の関係を暗示するような記述が、マレーの自伝にひっそりと書かれている。「そのころ、ジャンは修道僧のような生活を送っていた。彼ぐらいの年齢(注:このときコクトーは57歳)になると、ある種の交際(やりとり)は破廉恥でしかなく、滑稽なものになると、自ら考えていたようだ」。さて、パリのアパルトマンでの創作活動に限界を感じたコクトーは、「別荘が欲しい」と言い出す。1946年の夏、コクトーのマネージャーのポールがフォンテンブロー近郊のミリィ・ラ・フォレに司祭館のような上品なたたずまいの物件を見つけてくる。コクトーもマレーも一目で気に入った。2人にはこの別荘を現金で買うほどの持ち合わせはなかったので、借金をすることに。内装の改修をマネージャーのポールにまかせたところ、ほとんど物件購入と同等の金額を要求された。1946年8月にコクトーがマレーに送った手紙。「ポールはミリィにかかりきりですが、大変な出費です。なんとか必要なものをかき集めるべく頑張っていますが、後々どうやって暮らせばよいものやら。でもいいのです。パレ・ロワイヤル(注:モンパンシエ通りのアパルトマンのこと)で苦労しているくらいなら、ミリィを手に入れ、それで苦労するほうがずっといい」(『マレーへの手紙』より)内装工事の終わったミリィにコクトーとマレーが入居したのは1947年1月。別荘は3階建てで、3階がマレー、2階がコクトー、1階が共同スペース。家具や置物すべてを2人は「愛と友情をこめて」(マレー自伝より)一緒に選んだ。ところが、この別荘、モノを書くコクトーには天国だったが、映画のロケやパリでの舞台の仕事のある俳優のマレーには不便だった。結果、マレーはあまりミリィには来ることができなくなる。マレーは若いころから絵を描くことが好きで、時間があれば描いていた。そこでミリィをアトリエにしたのだが、『美女と野獣』以降は絵どころではなくなってしまった。さらに1947年の夏に、コクトーはパレ・ロワイヤルの画廊で22歳の画家志望の青年に出会う。レイモン・ラディゲに似た風貌のこのたくましい若者をコクトーは一目で気に入り、別荘の庭師助手にならないかともちかけ、まもなく息子として遇するようになる。それがエドゥアール・デルミット。1949年撮影の『恐るべき子供たち』で主役のポールを演じることになる青年だ。そしてデルミットが原因で、マレーはパリのアパルトマンを出ることになる。1948年のことだ。「モンパンシエ通りでは、ジャンが援助しようとする友人を手厚くもてなしていた。ジャンの部屋は狭く、それより広い私の部屋との交換を彼に申し出た。しかし彼は、私をわずらわすことを全然望まず、申し出を丁寧に断った。私は彼の生活をいっそう快適にする方法を考えた。もし私が引っ越せば、かえってジャンは苦痛だろう。そこで新鮮な空気と太陽が欲しいという口実を使った。モンパンシエ通りのアパートはパレ・ロワイヤルのアーケードの下にあったから、公園の反射光を受けるだけだった。伝馬船ならば、一時の出来心に見えると思った。小さなハウスボートを見つけ、セーヌ河の淀みに居を構えた。私の引越しは出発という雰囲気ではなかった」(『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』石沢秀二訳 新潮社)この「援助しようと手厚くもてなしていた」友人というのが、エドゥアール・デルミットだ。こうしてマレーは、「出来心に見せて」コクトーとのアパルトマンを出て行ってしまう。コクトー自身はこのときは、マレーと自分にはミリィもあるし、またマレーと一緒に暮らせる日が戻ってくると単純に考えていた。マレーのほうもコクトーと別れるつもりはまったくなかった。だが、現実にはこれ以降コクトーとマレーはお互いのさまざま事情から、少なくとも表面上は、同じ屋根の下で暮らすことはなくなってしまう。つまりジャン・コクトーとジャン・マレーの共同生活は事実上10年で終わったのだ。マレーはセーヌに浮かんだハウスボートを「放浪者(ノマード)号」と呼んだ。放浪者号の内装は非常に豪奢で、床まですべてマホガニーと銅でできており、19世紀の船内家具がいくつもしつらえてあった。フランス中のすべての雑誌が、このジャン・マレーの新居を写真つきで掲載し、「放浪者号の装飾品のコピー」がパリのアンティークショップで売られる始末だった。マレーとコクトーは放浪者号とモンパンシエ通りのアパルトマンをお互いに行ったり来たりする生活になっていた。ちょうどそのころ、ハリウッドで華々しい成功を収めたジャン・ピエール・オーモンがフランスに帰国。コクトーに会いに来た。自分と妻のマリア・モンテスのための映画のシナリオをコクトーに書いてもらえないかというのだ。コクトーが気にしたのは、マレーだった。ジャン・マレーはもともとは、いわばジャン・ピエール・オーモンの代役としてコクトーが抜擢した俳優だった(オーモンとマレーについては、3月18日、3月19日、3月27日のエントリー参照)。いまさら自分がオーモンにかかわると、過去の話をおもしろおかしく蒸し返され、また要らぬスキャンダルの種になるかもしれない。マレーに事情を説明し、「君に迷惑がかからないかな?」と、気にするコクトー。「なぜ?」「昔のことで、また何かかや攻撃してくるぼくたちの敵がいるかもしれないからね」「気にするなって。ぼくは全然大丈夫だよ。それより、シナリオが出来たら読ませてもらえるかな」安心したコクトーは、オーモンの年齢に合わせた「詩人」のイメージで台本を執筆する。それが、『オルフェ』。今ではジャン・マレーの代表作の1つとしての評価が確定し、ほとんどマレーのために書かれたと思われている作品だが、意外にもこれは、もともとはオーモンのために作られた物語だったのだ。その主演がなぜマレーに行くのか。運命の歯車が動き出す。<明日へ続く>
2008.05.29

<きのうから続く>『美女と野獣』でコクトーの技術顧問を務めたルネ・クレマンは、コクトーからさまざまなものを学んだと言っているが、中でも「アクシデントには常に心の準備をしておくように」という言葉が印象に残っているとしていた。そして名作『太陽がいっぱい』では海上の殺人シーンの撮影時に疾風が吹いて、あわやヨットが転覆しそうになるアクシデントが起き、それがあの場面に異様な緊迫感を与えたというのは有名な話。『恐るべき親たち』でも最後の最後にアクシデントが起きている。ラストシーンでカメラが後退(トラックバック)していくのだが、撮影が終わってセットをバラしたあとの試写で、このトラックバックの動きがうまくいっていなかったことが判明する。カメラが後退しはじめたときから、画面がぶれるのだ。「もう一度セットを組み立てて、撮り直し?」皆が顔を見合わせ落胆したところで、コクトーのツルの一声が響いた。「大丈夫だ。撮り直す必要はない。この画面にナレーションを入れよう。『こうして家馬車は走り続ける。流浪の民は立ち止まらない』とね」こうしてアクシデントによる画面のブレは、建物全体が揺れ動く「家馬車」のイメージにぴったりになった。「詩人は事故をとらえて、詩に変容させた」(マレー自伝より)。さてさて、『恐るべき親たち』(1948)の配役だが、『美女と野獣』とかなりダブっている。ミシェル…ジャン・マレー(『美女と野獣』では野獣・王子・アヴナン)マドレーヌ(ミシェルの恋人)…ジョゼット・デイ(『美女と野獣』ではヒロインのベル)ジョルジュ(ミシェルの父)…マルセル・アンドレ(『美女と野獣』ではベルの父)この3人の『美女と野獣』とはまったく違う演技もおもしろい。ジョゼット・デイについていえば、『美女と野獣』ではやさしくいたわっていた自分の父親役のマルセル・アンドレを、「息子のためなんて言って。本当は嫉妬だけじゃない」と罵る場面が迫力満点。デイはコクトーの友人だった映画監督兼小説家マルセル・パニョルの愛人だった女性で、彼がコクトーに『美女と野獣』で使って欲しいと依頼した。パニョルとデイの痴話げんかにコクトーが仲裁に入っている様子が、コクトーの『占領下日記』に綴られている。「1944年2月25日 マルセル・パニョルから電話。つらくてやりきれない、すぐ会いたいという。彼はやってきた。ジョゼットの置き手紙を見つけたのだ。破局だ。あの娘と彼は互いを支えあって生きていた。彼は彼女を愛している。リッツ(注:ホテル)のジョゼットに電話を入れる。すぐ来るように言う。その後、2人をぼくの部屋で2人にしてやる」このときパニョル49歳、デイ30歳。が、そのあとすぐデイとパニョルは本当に破局した。そして、マレーが志願兵となってパリから離れ、『美女と野獣』を撮るかどうかプロデューサーサイドとコクトーがもめている時期に、デイのほうからコクトーに接近している。パニョルのほうはデイと破局後、さらに若い20歳の恋人を見つけて、コクトーに「彼女は素晴らしい。問題はまだ20歳ということだが」という手紙を書いてよこしている(おさかんなことで)。デイのほうはコクトー・ファミリーの一員として2本の映画に主演したのち、裕福なビジネスマンと結婚し、女優業を引退している。そして、ミシェルを取り巻く2人の大人の女性イヴォンヌ(ミシェルの母)…イヴォンヌ・ド・ブレレオ(イヴォンヌの姉)…ガブリエル・ドルジアこの2人の演技はどちらも最高に素晴らしい。イヴォンヌ・ド・ブレについて、コクトーは「ほとんど神の領域」と手放しで絶賛している。マレーも「イヴォンヌが舞台に立つと、他の役者はかすんでしまう」と賞賛を惜しまない。滑稽で、残酷で、辛辣で、鈍感で、繊細で、愛情豊かで、そして毒気にあふれたド・ブレのオンナの感情表現の見事さは、まさに比肩するものがない(ド・ブレとマレーについてのエピソードについては、4月13日のエントリー参照)。ガブリエル・ドルジアも潔癖な女性をやらせたら、右に出るものはいないかもしれない。ドルジアも早くからコクトー・ファミリーの一員で、1938年の舞台での初演当時から『恐るべき親たち』に参加している。コクトーから台本を読んで聞かされ、「熱狂的に役を引き受けた」と、マレーの自伝にある。ドルジアは『ルイ・ブラス』でも宮廷のしきたりに忠実な石のようにお堅い公爵夫人役を憎々しく演じていた(5/22のエントリーに写真あり)。『恐るべき親たち』は室内セットも魅力だ。実際の邸宅で「ロケ」を行った『恐るべき子供たち』とは対照的に、『恐るべき親たち』には登場人物の性格にぴったりの室内セットが用意されている。とくに螺旋階段のあるこじゃれたマドレーヌの居室は、まるでイマドキのマンションのモデルルームのよう。清潔なマドレーヌの家と違って、ミシェルの家はカオスそのもの。たいてい暗い部屋のベッドにいる自堕落なイヴォンヌ、いつもきちんとした格好で自分の部屋はしっかり整頓している行かず後家のレオ、散らかった部屋の床に転がって子供のように泣くミシェル。何をやっているのかわからない仕事場とキッチンをうろうろしている自称「発明家」のジョルジュはどうやら、かなりの夢想家のようだ。『恐るべき親たち』は1939年に一度映画化が企画されていた。セットも組まれていたのだが、マドレーヌ役をめぐってコクトー&マレーと出資者である劇場支配人が対立。結局、契約は破棄され、セットも壊されてしまった。このときのコクトーとマレーはプライベートでも熱い蜜月時代。映画化が頓挫すると、さっさとサン・トロペへバカンスに行ってしまう。マレーを旅行に誘うコクトーの詩↓新婚旅行に出かけようしかも本物の蜜月旅行を!狂暴に、桁外れの馬鹿になろう天からこない者のためにおお、ぼくの天使、お願いだ!(君はぼくの幸福を好むだろ)狂気の4日間をすごそう眼以上にふくれる腹を満たそう。抑圧し、説教する者は皆無裂けんばかりの脈打つ心臓眼下には、幸福な殉教者らの薄紫のアネモネの花。(注:アネモネはギリシア神話では美少年アドニスが流した血から生まれた花とされる)手と膝を捉えぼくらの間に忍び込みぼくらの愛撫を遅らせる怠惰を決して放置するな。幸福とは職業か?幸福とは教えあうものそしてぼくの流す白い血は全世界を甦らせるもの。(石沢秀二訳)この詩には続きがあるのだが、あまりに生々しい(上の詩だけで十分生々しいか)のでカット。興味のある方は、マレーの自伝をお読みください。そして、バカンス先で2人が戦争勃発を知るのは、すでに書いたとおり(詳しくは3/30のエントリー参照)。ちなみに、このころのマレー君は、こんなにカワイイ↓これは映画のためのスチール写真ではない。動員されたマレーが戦場で撮ったスナップ。戦場の兵士が、犬を抱いて(この犬は駐屯地でマレーが拾った)こんなにステキに笑っていいのか。当時の日本じゃ考えられない。もちろん、約10年たって撮られた映画版『恐るべき親たち』でのジャン・マレーもやっぱりハンサム。舞台『恐るべき親たち』の前の戯曲で、「ジャン・マレーはといえば、美しい。それがすべて」と批評家に書かれたマレーは、「次は美男でない役を」とコクトーにリクエストした。だが、映画を撮ったコクトー自身は、「君が映えるよう、あらゆる効果に気を配り、強調したつもり」とマレーへの手紙で書いているし、そもそも美男なのだから、やっぱり美男に映っている。さらにコクトーはマレーの演技についても、「君には泣かされました」と褒めている。『ルイ・ブラス』での「体操教師」発言のように、マレーに対してはだいたい批判的だった当時の批評家も、この作品のマレーの演技は高く評価した。
2008.05.28
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ジャン・マレーはジャン・コクトーについて、「つねに1時間前に来ながら、日を間違えたのかもしれないと思ってその場を去り、あとになって流行が彼の発見したものを取り込むのを見ても、決して根にもったりはしない人」(ジャン・マレー『私のジャン・コクトー』岩崎力訳 東京創元社)と書いている。マレーによれば、そのコクトーがたった一度だけ時間通りにやってきたことがある。それが、初演から並外れた成功をおさめた『恐るべき親たち』だというのだ(『恐るべき親たち』執筆をめぐるエピソードについては3月27日からのエントリー参照)。『恐るべき親たち』はマレーが一目で気に入った舞台女優イヴォンヌ・ド・ブレ(ミシェルの母イヴォンヌ役)とマレーを念頭に、「極端で、活気があって、現代人の役。泣いたり笑ったりして、美男でない役」がやりたいといったマレーの希望を入れてコクトーが書き下ろし、24歳の舞台俳優ジャン・マレーの名を一躍パリ中に轟かせた大ヒット作。日本人から見るとジャン・マレーのイメージとは違うと思うような役だが、この戯曲を演じていた当時のマレーは逆に、先輩の女優から「あなたは、『恐るべき親たち』のミシェル以外はできるはずないわ」と決め付けられたぐらい、ハマリ役だと見なされたのだ。舞台の初演が1938年、映画が撮られたのが1948年。10年も経ってしまったことで、初演当時のマレーの若さは映画では見られないが、それでも、マレー自身は「舞台でも10年後に再演したが、10年前よりこの若者の役をうまく演じることができたと思う」と言ってる。確かに映画『恐るべき親たち』のマレーの演技はうまい。ミシェル役の設定である22歳に年が近い役者だったら、ここまでさまざまな感情を演じわけるのは難しかっただろう。しかも、この映画、名作『オルフェ』のたった1年前の撮影なのだ。『オルフェ』のマレーはスランプに陥っている気難しい詩人役。『恐るべき親たち』の落ち着きのない甘ったれたミシェルより少なくとも10歳は年上に見える。死神に愛される天才肌の国民的詩人と自分のクイブチもままならず、堅実な彼女を見つけて「これでボクも安泰かも」などと思っているダメ男。この2つの対照的な役を演じた時期がたった1年違いというのにも驚かされる。だが、その『恐るべき親たち』は、日本では今も昔もサッパリ受けない(笑)。コクトー監督+マレー主演映画の中では唯一DVD化もされていない。なんとVHSしかない! DVD化はされず、このまま消えるかもしれない。だが、それはあまりに惜しい。これは舞台劇のお手本のような作品だからだ。なんといっても登場人物5人の性格づけがいい。異様に親密なミシェルとイヴォンヌ親子の2人を中心に、イヴォンヌの姉と夫、ミシェルの恋人。この5人が5人とも、どこかエキセントリックで、だが基本的に平凡な人間。彼らの内にある矛盾した感情――エゴイズムと自己犠牲、憎悪と愛――を役者がどう演じてみせるか。それがこの作品の最大の見所だ。『恐るべき親たち』はフランスでは非常に人気がある。何度も再演され、さまざまな役者が演じ、新しいところでは2003年にテレビドラマ化もされている。コクトー存命中の1958年の再演時には、南仏にいたコクトーに「ぜひミシェル役をぼくに」とわざわざ売り込んできた若い美男俳優がいた。それが誰あろう、2年後に『太陽がいっぱい』で天文学的ヒットを飛ばすことになるアラン・ドロン。コクトーが最初に台本を朗読したとき、「若い俳優なら誰でも憧れる、最高に素敵な役」とマレーが評したミシェル役。1990年代の半ばのロンドンでも、この役でセンセーショナルな注目を集める若い俳優が現れた。彼の名はジュード・ロウ。96年には『恐るべき親たち』ブロードウエイ公演でも喝采を浴び、トニー賞助演男優賞にノミネートされた。ジュード・ロウの舞台で特に話題になったのは、ロウがバスルームから全裸で出てくるシーンだった。コクトーの映画『恐るべき親たち』でも、ジャン・マレーがめずらしくも(笑)脱いでいるバスルームの場面がある。さすが、コクトー。若い役者を売り出すには、どういうシーンを入れればよいのかちゃんとわかっている。ロンドンの演出家は、それを現代女性にアピールするようにさらに扇情的にしたということだ。どうして日本でやらないのだろう? Mizumizu的にはそのほうが不思議だったりする。おそらく、もっとも根底にあるのは、欧米と日本の親子関係における「個」の感覚の基本的な違いだろうと思う。直接的には、日本女性の「マザコン」というキャラクターに対するステレオタイプの悪イメージが障害になっているのかもしれない。ミシェルはまさしくマザコンで、母親に対してかなり芝居がかった態度を取る。母親をニックネームで呼んだりするところも違和感がありすぎるのかもしれない。だが、泣いたり、笑ったり、甘えたり、怒ったり、喜んだり、絶望したり、単細胞でちゃっかり男のミシェルの感情の起伏は演じるのも見るのも最高ではないかと思うのだ。そして、そのダメダメ君に最後に襲いかかる人生の悲劇は……そう、『恐るべき親たち』には人生がある。『恐るべき子供たち』が現実の人生を拒否しようとする子供の物語なら、『恐るべき親たち』は現実の人生を受け入れざるをえない大人と、その大人にならなければならない若者たちの物語。3人の大人たちは皆、いやおうなしに自己犠牲をともなう肉親への献身の情と自分の中にあるエゴイスティックな復讐心の間で揺れ動く。「(妹の)愛のために自分は犠牲になった」とすでに諦めたはずのレオが、妹イヴォンヌの死を前にしてふと、「もし彼女がいなくなれば、私はもう一度彼とやりなおせるかも」などと思ってしまう。「わがままな自分」を通して、死を選んだはずのイヴォンヌが、いざ死を眼の前にしたときに、「やっぱり私は生きていたい。皆と幸せになりたい」と後悔してしまう。人は我を通すべきなのか、妥協すべきなのか。いったんの決心は本当に正しいのか。そして、あまりに思いがけない悲劇的な死を目の当たりにした若者はこれからどうするのか。答えのない人生の問いを登場人物たちは観客に突きつける。しかも、物語は途中までは、ほとんどドタバタ喜劇のような展開をし、最後の最後に残酷な「メメント・モリ(死を思え)」の瞬間が口をあけて待っているのだ。こんなにオモシロイ、成熟した作品を、日本人がどうして完全に無視するのかわからない。連綿と続いてくれる何事もない日常が、実は何かのきっかけで簡単に崩れてしまう脆くも貴重な幸せであるということを忘れてただ退屈し、死をある部屋から別の部屋に移るだけのことのように、実感もなしに軽く考えすぎる今の日本の若者こそ、観るべき作品だと思うのだが。<続く>
2008.05.27

<きのうから続く>ジャン・コクトーは、療養先で皮膚病の治療をしながら『ルイ・ブラス』を書いた。治療はあまりうまくいかなかったようで、「ペニシリンが効かない。そもそもぼくの皮膚の病気は伝染性ではないよう」「針のような水の噴射で突き刺され非常に疲れた」「治療の効果はあまりない」とマレーにあてて書いている。だが、そんな状態の中、心血を注いだ脚本がほとんど完成に近づいた1946年8月には、ルイ・ブラスとドン・セザールについて、「君の2つの役は素晴らしい(とぼくは思います)」とマレーに書き送り、自信を見せている。確かに、この2役は素晴らしい。その表情にどこかしら憂いがつきまとう、繊細で理想主義の文学系青年ルイ・ブラス。逆に暗さや陰りはまったくなく、純粋なワルである体育会系ドン・セザール。キャラクターの書き分けも見事なら、演じ分けも見事。じーさま相手に決闘したり(この決闘シーン、じーさまが刺されるところがとってもオカシイ。この時代よりまたもう1つ前の「大芝居」の時代のような不自然さ)。鐙に足をかけずに、馬に飛び乗ってみたり(これは、中世の騎士がやっていたこと。マレーはリハでは失敗していたが、本番ではうまくできたという)。美形俳優ジャン・マレーの三種の神器、「失神・死に顔・ドアップでの涙」の1つをブラス役でもセザール役でもちゃんと披露したり(この血まみれの失神シーンはあまりに美しく、思わずDVD巻き戻したりして・笑)。ルイ・ブラスに扮したときは、逆にじっと立ち尽くして、生ける彫像と化してみたり(しかも、ホンモノの彫刻の横で彫像になるという凝りよう)。サド長官に命がけのアピールしてみたり(そしてあっさり、「死んでみろ。醜聞に花を添えるだけだ」とあしらわれ、無力感に打ちひしがれる)。で、この毒入りの指輪はどうやら、三島由紀夫を介して黒蜥蜴にわたったらしい(笑)。↑これが『悪魔のような美女』で黒蜥蜴が飲む指輪にしこんだ毒。。これについて詳しくは、5/15のエントリー参照。つまり、ジャン・マレーばかりが目立ちすぎて、ヒロインがさっぱり魅力的に見えないのだ。ダニエル・ダリューのガラスの美貌も、あの時代の髪形とファッションには合っていなかったのかもしれない。ただ、着替えのシーンで一瞬見える、ダリューの真っ白な柔肌は非常に官能的。だからなおのこと、もうちょっと王妃役も映えるような演出はできなかったものか、と思うとそれが残念。もうちょっと…… と思うのは、この映画の夜のシーンで、呪術的にかぶさってくるナレーションがあまり効果的でないことだ。「マドリードの民よ。時計は11時(12時)を回り、安らかな眠りの時間。眠りが我らの救いとならんことを。王と王妃を讃えたまえ。悪魔を我らの道から遠ざけよ。幸せに眠りたまえ」。カトリックという「信仰」が世の中を支配するスペイン絶対王政時代の雰囲気を伝えるとともに、観衆を一種の催眠状態に誘うような優れて詩的なナレーションなのだが、その言葉とリズムを深遠に響かせるための視覚的演出が物足りなかったようにも思う。全体的に(変に)インパクトのあるショットは多いのだが、余韻が足りない。ちなみにコクトー自身は『ルイ・ブラス』を見て、「ダニエル(=ダリュー)のせいで、『ルイ・ブラス』にブレーキがかかっています。感じが冷たすぎる、せっかくのラストを殺している、そう言って彼女を非難する人がいます。褒め言葉は、君がみなさらっていってしまったのです」とマレーへの手紙で書いている。他人の批判を間接的に肯定しているところをみると、どうやら王妃役の演技はコクトーの「こうあるべき」というイメージとは違ったものになってしまったようだ。ただ、ダニエル・ダリューという人はその怜悧さが魅力だと思うし、そもそも脚本家が主演男優にノメリすぎじゃないの、とついつい突っ込みたくなる。マレーの魅力を最大限引き立て、役者としての可能性を引き出そうというコクトーの尋常ならざる愛を非常に強く感じるのだ。もっとも心を揺さぶられるのは、もしかしたら、それなのかもしれないが。『ルイ・ブラス』の総括は、1950年代の終わりにジャン・マレー自身がこの作品の意義について、公開当時(封切は1948年2月)の人々の反応に言及しながら新聞紙上に書いた文章を引くのがもっともふさわしいように思う。「『ルイ・ブラス』で、私が今撮影しているような騎士任侠劇映画(注:当時のフランスでは、ルイ王朝時代の騎士物語を中心とする、一種の時代劇ブームが起こっていた)を創始したこと、それはジャン・コクトーの功績です。『ルイ・ブラス』が発表されたのはイタリア・ネオレアリスムの全盛期で、観客は不満顔でしたが、今ではそれこそが悲劇的な世界の悲しみから観客を解放してくれるのです」。
2008.05.26

スペインが舞台なのに、撮影はイタリアで行われた『ルイ・ブラス』。旅情を誘う「ご当地番組」は昨今枚挙にいとばがないが、『ルイ・ブラス』は間違いなくそのはしり。なんとなんと、イタリアでも指折りの観光名所である、「ドロミテ」と「ソレント半島」がさりげなく出てくるのだ。トレ・チーメ・ディ・ラバレード(Tre Cime di Lavaredo)ルイ・ブラスが王妃のための花を探しに渓谷の奥へ分け入る…… というシーン。ううっ、ここはMizumizuも大好きなドロミテのトレ・チーメへ向かうトレイルではないか!Mizumizuが現地で買った絵葉書↓石灰岩質の奇岩のカタチがそっくり同じ。道を見ると現在のトレイルのほうが若干広くなり、整備されたかもしれない。が、基本的に景観は映画の中、つまり1940年代と同じだった。で、トレ・チーメという3つ並んだ巨岩の麓を馬で走るルイ・ブラス。これが現在のトレ・チーメ。ここに行くにはいくつかルートがあるが、Mizumizuは、コルティナ・ダンペッツォからバスでミズリーナ湖に行き、そこからまたバスでアウロンツォ小屋という、トレ・チーメへ向かうトレイルの入り口にある小屋まで行った。バスで行けるのはここまでで、そこからトレイル(一番上の写真のルイ・ブラスが馬で走っている道)を15分ほど歩いて、ラバレード小屋(上から2番目の絵葉書の場所)へ。そのまま奥へ進むと、ぐるっと回って出発点のアウロンツォ小屋まで戻るトレッキングができるのだが、これは6時間コースなので、やらなかった。ただ、イタリアでも屈指の景観が楽しめるトレッキングコースであることは間違いない。トレ・チーメの巨大さには本当に度肝を抜かれた。山好きさんには絶対お奨めできる場所。しかも、トレッキングコースもそれほど高低差がないから、ヒヨワな(?)日本人でも大丈夫。ただ、標高は、バスで行ける場所ですでに2300m。ちなみに、馬で走れるとしたら、アウロンツォ小屋からラバレード小屋までの徒歩でも15分程度の短い距離しかない。ラバレード小屋から先はちょっと急な坂を越えていかないといけないから危険だろう。そのせいか、『ルイ・ブラス』のこのシーン、「渓谷の奥へ分け入っていく」という設定のハズなのに、同じ場所を何度も行ったり来たりしてる(笑)。あの短いトレイルで撮影するとしたら、そうせざるとえないだろうな、と納得。ソレント半島Penisola Sorrentina どう見ても、「ここはソレント半島でしょ?」という場所もあった。ちょっとわかりにくいのだが、広々としたテラスがあり、その向こうに海をはさんで半島が見える。半島は上のほうは岩がちで海に近づくと緑が多くなる。テラスからは、わざと遠くの景色を見えなくするように、細いヤシモドキの鉢などを後ろに置いているのがありありとわかる。この黒々とした植物だけ妙に違和感があるし。ここはおそらく、ポジターノからアマルフィを望むどこかのホテルのテラスではないかと思う。逆にアマルフィとポジターノの中間からポジターノ側を見た写真が拙ブログの11月4日のエントリーにある。拙ブログでの写真では海の向こうに街(ポジターノ)が見える。『ルイ・ブラス』のテラスは逆に、向こうの街からこちらを見た風景だと思う。ドロミテとソレント半島――今では世界的な観光地だ。自分も行ったことのある、いわば「なじみの場所」が、1940年代のフランス映画のロケに使われていたというのに驚いた。イタリアの観光地は、北から南から、地中海側からアドリア海側から、ほとんどすべて行きつくした者として言うが、『ルイ・ブラス』は、実にいい場所をロケ地に選んでいる。
2008.05.25

急流の場面で溺死寸前ジャン・マレーは自伝で、『ルイ・ブラス』を印象に残る映画の1つに挙げている。その理由は単純、「撮影で死にかけた」から。王妃の好む珍しい花を摘むため、ルイ・ブラスが渓谷の奥の急流をわたるシーンがあった。そこでロケ隊は急流を求めてアルプスのとある村にやって来た。村を流れる川の上流で撮影ポイントを決める。『双頭の鷲』でもそうだったが、マレーには「危険なシーンは稽古しない」という流儀があった。そこで、カメラテストのために地元の消防夫が雇われた。だが、実際に現場にやってきた消防夫は、「ここじゃできない」と言い出す。「流れが速すぎる。おまけにすぐ下手に滝が三段、危険すぎます」「滝ったって、そんなに落差はないだろ」「いや、あなたがたはこの川の怖さを知らない。ここで泳ぐ人間なんて、地元にはいませんよ。悪いことは言いません。場所をかえたほうがいい。もうちょっと下流に行けば、流れが緩やかなところがありますよ。そこに行きませんか」「流れが穏やかじゃ、ちょっと……」と、顔を見合わせる監督とカメラマン。「ジャノ、どうする」マレーに意見を求める監督。マレーは冷水が大嫌いだった。だが、下流だろうとその条件は変わらない。川を見るマレー。確かに流れは確かに急だが、命の危険がありそうには思えなかった。「じゃあ、ぶっつけ本番でやりますよ。もしものときは、助けに来てくれるでしょう?」「そりゃもう、保証するよ。カメラでずっと追っているしね。何かあったら皆で飛び込むから」マレーは水に入った。流されながら第一の滝に向かう。――頭から突っ込んだら、岩にぶつかるかも?一瞬、考えがよぎったが、足から入ったのでは迫力にかける。覚悟を決めて、頭から滝へ突っ込んだ。すると、渦巻く水の中で、足が上、頭が下になって……そのまま、水中で岩の隙間に挟まれてしまった。しかも、悪いことに、完全に身体が水中に没してしまい、川岸のスタッフは――カメラも――マレーの姿を見失った。青くなるスタッフ。「どこへ行ったんだ?」「流されたのか?」「いや、姿は見えません。まだ滝の中じゃないんですか?」口々に叫ぶ。水中ではマレーが、身体を反転させようともがいていた。――早く助けに来いよ。――俺が死ぬだろ。ところが驚いたことに、誰も来ない。――嘘だろ!マレーは現場の仲間の姿を1人1人思い浮かべながら、無言のまま片っ端からやっつけた。この怒りで気力がわきあがり、なんとか水の上に頭を出すことができた。「あ、あそこです!」誰かが叫ぶ。一瞬顔を出したところで、また頭から水を浴び、同じ岩穴に落ちるマレー。もう一度水中の岩場で足を踏ん張り、何とか同じように身を乗り出した。すると――「引っ張るな! 引っ張るな!」川岸の叫び声が耳に入った。「首に綱が巻き付いてる!」そこでやっとマレーは、仲間が輪になった結び目のある綱を投げ、それがたまたま、本当にたまたま、自分の首にかかっていたことに気づいた。冷たい水で感覚が麻痺し、綱も眼に入らず、首に巻きついた綱の感触さえわからなかった。「奇跡だ!」再び誰かの声が聞えた。マレーも心中思った。――まったく、同感。流れから引っ張り出され、服を脱がされ、身体をこすられ、酒を飲まされた。「タバコをくれないか」まだ寒さで感覚を失ったままだった。震える唇でタバコを吸い込む。だが、マレーが無事と知るやいなや、カメラマンは日光の角度を猛烈に気にしだした。「おおい!」少し高い岩場から、ほとんど怒鳴っている。「もう一度、すぐやらないと日が沈むって、ジャノに言ってくれ! これじゃ泳ぐシーンが短すぎる」そこで今度はマレーは足から滝に入った。そして3度同じ動作を繰り返した。アクションシーンで監督とケンカ当然のことながら、監督は大スターのジャン・マレーに危険を犯させたくなかった。特に教会からドン・セザール(ルイ・ブラスともどもマレーの2役)が綱につかまり、身を躍らせて釣燭台に乗り移り、それから窓をブチ割って外へ逃げるシーン。ここは最高に危ないアクションシーンで、当然監督は「吹き替え」を用意していた。ところが、マレーが吹き替えより先に梯子にのぼり、「絶対に降りない」と言い張った。監督は撮影を中止して、マレーを説得しようとする。だが、マレーは頑固だった。1時間以上(!)言い争う2人。だんだんに怒り始める監督。「いいかげんに降りろよ、ジャノ! 貴重な撮影時間を無駄にするな」「無駄にしているのは、そっちですよ」「怪我したらどうするんだ。冷静に考えろ!」「ぼくはきわめて冷静です」「責任取れんぞ」「誰も取ってくれなんて言ってないですよ」「こんなシーンをぶっつけでやるなんて、頭がどうかしてるんじゃないか!」「綱からそっちへ飛び移るだけでしょう。できますよ」「落ちたらどうしてくれんだ!」「落ちません」結局、監督が折れた。実際のシーンがこれ。↓綱につかまって振り子移動……釣燭台に飛び移る(まるでサーカス)。そのあと、ステンドグラスを蹴破って逃走……この当時としては破格に型破りのアクションシーンを見た批評家は、「体操教師、ジャン・マレー」と揶揄した。ジャン・マレーという人の無鉄砲さには、のちのちまでジャン・コクトーも手を焼いている。1958年、とある催し物で、マレーが「猛獣使いの役」をやろうとしていると知ったコクトー(当時は南仏にいた)は、パリのマレーに「心配のあまりぼくが病気になりそうだから、やめてくれ」と懇願している。「ぼくのジャノ。君が、芸術家たちのガラで猛獣使いをやりたがっていると聞きました。君のヒロイズムに逆らっても無駄なことはわかっています。でも、こんどばかりは、跪いてのお願いです。ほんのわずかのことで最悪の事態になりかねません。ストラヴィンスキーの婿など、雌ライオンに頭の皮をはがれてしまいました(鉄格子の隙間からです)。彼女のほうはほんのお愛想のつもりだったのですが。パリの観客たち相手に死を賭ける値打ちはありません。連中のほうが野獣です。君がそうした演目を考えているようだと(許可が出ないことを祈っています)、ぼくはもう生きた心地がしません、病気になりそうです。君を断念させられる理由があるとしたら、きっとこのことだけでしょう。だから、あえて書いています。くちづけを送ります。ジャン」(ジャン・コクトー『ジャン・マレーへの手紙』三好郁朗訳 東京創元社)<明日へ続く>
2008.05.24

麗しすぎる! 王妃と女官の友情『ルイ・ブラス』ではあまり女性が登場しないのだが、王妃(ダニエル・ダリュー)と王妃付きの女官(ヨーネ・サリナス)の2人は、と~ても麗しい。視覚的に美しいだけでなく、この女官は、常に孤独な王妃に寄り添い、王妃をなだめ、力づけ、守っている。その献身、その強さは並みではない。彼女と王妃とルイ・ブラスとの夜の密会にもくっついていく(笑)。ハッキリ言って、彼女と王妃が恋人みたい。この1作のためのセットじゃ、もったいなすぎる!『ルイ・ブラス』のセットは、眼をむくほど豪華。カラーでないのが惜しく感じたり、いや、白黒だからアラが目立たないのかな、と思ってみたり。セットを見てるうちに字幕を見逃して、筋がわからなくなるほど。そして、ただ単に豪華なだけでなく、不思議な空間が混ざり合っているところが、まさしくコクトー・ワールド。たとえば、王妃のプライベートルーム。細かな格子細工と木製の柱が、とってもアジアン。かけてある仮面も、なんだか南の島のお土産のよう。しかも完全に東洋的な雰囲気だというわけでもなく、アラビックな雰囲気の曲線が優美な透かし細工の入った間仕切りもある。ちなみに王妃が拝んでいるキリスト像は明らかに、この時代のスペインのものではなかった。ロマネスク時代を思わせる、非常に素朴な力強さにあふれた木製のキリスト像。どちらかというと、フランスの地方に残っているものだ。Mizumizu的に一番惹きつけられたのは、サド長官の書斎にある彫刻が並んだ不思議空間。高さの違う宗教的な彫刻が並んだ背後は、ヌボーッと灰色で、テラスのような外部の空間につながっているのか、それとも照明を当てたただの壁なのかわからない。開放的なのか閉鎖的なのか判然としないのだ。左には普通の窓があり、さらにその左の壁は本棚になっている。彫刻のあるこの空間だけが、突出して幻想的なのだ。白と黒、そして無限の灰色が醸し出す不思議さ。フィルム・ノワールならではの味わいかもしれない。何着作った? 華麗すぎるジャン・マレーの衣装『ルイ・ブラス』の舞台は、スペイン絶対王政時代。当然その時代の衣装を着ているわけだが、まったく時代考証に忠実というわけでもない。衣装のそこここにフランス人らしいエスプリが効いている。ルイ・ブラスの衣装は主に「エンブロイダリー(刺繍など、布地にほどこした装飾)」で見せるものと、「アクセサリー(ネックレスタイプかブローチタイプ)」で見せるものに大別でき、しかもそのセンスたるや、抜群。こちらの衣装のポイントはVに開いた胸元をかざる装身具。中央に1つ大きな丸い貴石をあしらい、その下にはティアードロップ形のディアマンテ風の石がぶら下がり、中央には長いチェーンで丸い真珠を留めている。ネックレス全体は上部をスクエアタイプの透明な石でつなぎ、小さな円形の石をこれでもか、というくらいにあちこちにふんだんに使用している。この絢爛たるアクセサリーを目立たせるために、服は無地。重たげなアクセサリーが下にくるせいか、襞襟は総レースで軽やかに。逆に布地に華やかなエンブロイダリーを施した衣装を着る場合は、装身具はつけずに、前身ごろの合わせをしっかりとじている。この衣装のポイントは肩から手袋まで連続するように施したエンブロイダリー。肩から斜めにさげた金属製の装身具と呼応するように、右腕にそって変形十字模様のアップリケ。そこにスパンコールを散りばめている。これはルイ・ブラスの演説シーンなので、腕を動かすたびに、この華やかなエンブロイダリーが動的にきらめく演出。片腕の装飾を最大限引き立てるために、ほかの部分にはほとんど模様を入れていない。びっくりしたのは、この白いケープ。胸元にワンポイントの渦巻き形の凝ったカッティングを入れ、たっぷり布を使った美しいケープなのだが、なんとこの数秒のシーンにしか使われていない。このワンショットのために作ったのか?? 贅沢すぎる!しかも、このケープを見て、思い出した映画がある。『ルイ・ブラス』から6年後に封切られたヴィスコンティの『夏の嵐』。フランツがよく白いケープをまとって登場していたのだ。『夏の嵐』でのフランツの白いケープは、非常に印象的、効果的に使われていた。またヒロインのリヴィアの衣装も質感が高く、腰のワンポイントのリボンや、ふっと顔におろす帽子のレースも非常に美しかった。どうも『ルイ・ブラス』と似ているぞ…… と思って調べてみたら、なんと『ルイ・ブラス』も『夏の嵐』も衣装担当が、マルセル・エスコフィエ(ドイツ語風に読むとエスコフィアー)。なんだ、似てるワケだ。マルセル・エスコフィエはジャン・マレーお付きの衣装デザイナーといってもいい。『カルメン』『美女と野獣』『双頭の鷲』『オルフェ』、すべてエスコフィエが衣装担当。マルセル・エスコフィエはオペラの衣装も手がけていて、今でも映像が残っているのがある。1964年にミラノ・スカラ座で上演されて大評判となった、カラヤン指揮、ゼフィレッリ演出の『ラ・ボエーム』。言うまでもなく、ゼフィレッリはヴィスコンティの弟子(兼愛人)。ゼフィレッリの代表作『ロミオとジュリエット』で、ロミオが大胆にジュリエットのバルコニーまでよじ登っていくシーンがあるが、あれも『ルイ・ブラス』のドン・セザールにそっくりだし。ヴィスコンティがネオレアリズモから脱する過渡期の作品でジャン・マレーお付きの衣装デザイナーが起用されているというのも、偶然とは思えない。そういえば、ジャン・マレーが亡くなった直後の1999年に公開されたヴィスコンティのドキュメンタリー番組があり、生前のジャン・マレーも出演しているのだが、それがジャン・マレー最後の公開映像になった。もちろんこれは偶然だが、いかにも因縁めいている。ヴィスコンティとマレーが出会ったのは、コクトーとマレーが出会った直後であり、ヴィスコンティがマレーをイタリアに連れて行こうとして断られたのはすでに書いたとおり。ヴィスコンティとマレーはその後もずっと友人関係が続いていた。コクトー映像の影響力の強さについては、ジャン・マレー自身が1957年に、こんなふうに言っている。「私は影響を受けたことを批判しているのではありません。しかしなぜそれを認めないのでしょう? 先駆者をほめたたえないのでしょう?」 。<明日へ続く>
2008.05.23

『ルイ・ブラス』はアブナいだけではない。今ドキの視線で見ると、相当に「キワド」い。ほとんど男ハーレム状態のドン・セザールのアジトアルバ公が誘拐され、連れて行かれたドン・セザールのアジトは、筋骨隆々たる半裸の男たちでいっぱい。↑右手に見えますのはゲルマン系。左手に見えますのはラテン系。あとはアフリカ系もいるし、遠くにちらっとアジア系も見えたかも。女性はゼロ。男性だけ集めたハーレムのよう。いいのか、これで??「ドン・セザールは女タラシ」だとかってサド長官が言ってたけど、女の気配なんてまるでなし。そのアジトで、アルバ公と2人きりになると、ドン・セザールは「服を交換しよう」と迫る。ルイ・ブラスに対しては徹底的に精神的優位に立っていたアルバ公だが、ドン・セザールの前ではたじだじ。結局言いなりに服を交換することに。それはいいとしても、「服を交換しよう」の台詞のあと、ドン・セザールは、「いかが?」とかいいながら、こんなふうに……唐突に思いっきり胸をはだけて見せたりする。??? 歩くギリシア彫刻ジャン・マレーのたくましい胸はたしかに美しいけどさ。必然性はないよなあ。でもって、ボタンをはずし始めたアルバ公を、無遠慮かつ心から楽しそうに見つめるドン・セザール。アルバ公もその視線に気づいて、セザールを見やったりする。すると、またもセザールのこの笑顔↓ず~っとアルバ公が服を脱ぐのを見つめながら、自分もガンガン脱ぎ出すセザール。徹頭徹尾明るい表情。淫靡ないやらしさがないところが、逆に妙にソソる。この2人、セザールはものすごくガッチリとたくましいし、アルバは細身で華奢。こんなに体格が違うのに、服を交換して着れるんかい、などという突っ込みは、この際むなしいのかな。「どこまで脱ぐの?」と思ったら、なぜかいきなり場面が変わり、男ハーレムで少年が皆から「服を脱がされて」イジメられているという扇情的なエピソードが入ってくる。1940年代にこんな脚本書いていたんですか、恐るべしジャン・コクトー。しかし、監督の演出はちょっとばかり、エグすぎるような気も。全体的にコクトー監督作品のような気品に欠けるきらいがある。↑こんなふうに乳首まではだけて見せる必要はまったくないと思うわけよ。なんなんだ、まったく。見ていてあんまりビックリしたんで、どういう流れでこうなったんだか忘れてしまった。コクトーはマレーに、「健康が許せば、ぼくが『ルイ・ブラス』を撮りたい。演出家がうらやましい」と言っていた。『美女と野獣』の監督で完膚なきまでに破壊しつくされた体がまだ戻っておらず、コクトーは台本執筆時に転地療養などしている状態だった。だが、『ルイ・ブラス』のロケの際にはマレーに随行して、ヴェネチア(スペインが舞台だが、撮影はイタリアで行われている)に一緒に滞在していた。撮影所に通うのに、2人はゴンドラかヴァポレットを使う以外になく、そのゆったりしたヴェネチア風リズムの生活に、マレーはやや戸惑っていた。コクトーは晩年になって別の友人とヴェネチアを訪れたとき、フランスにいるマレーへ手紙で、「あの『ルイ・ブラス』の広場を歩いています。君と一緒にゴンドラに乗っています」と懐かしい2人の思い出にひたっている様子を書いている。さて、『ルイ・ブラス』の「キワド」さは、まだまだある。サド長官のキワドすぎる言葉責めサド長官は、およそ初めから終わりまで、一本調子のサディスティックな口調でルイ・ブラスを言葉で責め続ける。ルイ・ブラスはドン・セザールとは対照的に、ガラスのように繊細な神経の持ち主。王妃への恋に悩んでいるのをサド長官に見すかされ、「誰だ? 誰に恋している?」「言え、誰だ?」とガンガンに責められて、顔をそむけたり、肩を落としたりして、いかにも「もっとイジメてください」状態。で、なぜかうるんだような瞳で、サド長官を見上げ、「そんなに知りたいのなら……」↑って、そんなにムキにならなくても。ますます火(サド心)に油をそそぐよう。「ふふふ…… ういやつじゃのう……」みたいな、露骨に悪代官風の台詞は…… もちろん、ない。一応慎みのコクトーだし。で、ルイ・ブラスの恋煩いの相手が王妃だと知ったサド長官は、彼を利用して王妃に罠をかけることを思いつく。長官は、王妃のお付きの女官に手を出したのを王妃に咎められ、失脚させられたのを恨みに思っていた(らしい)。そして、ルイ・ブラスに、「王妃の……」と、そそのかす。こうしてサド長官の手引きで、ルイ・ブラスは身分を偽って宮廷へあがることになる。なぜか美少年ばかりゾロゾロいる宮廷ここの…… って一応舞台はスペインなのだが、宮廷は一風変わっている。なぜか女性がほとんどいない。臣下で目立つのは、ラテン系細身の美少年ばっかり。女性といえば、こんなの↓だけ。この人(左)は公爵夫人で王妃(右)のお目付け役なのだが、雅子様王妃が何かしようとすると、「それは(やっては)いけません」といちいち邪魔するイジワル婆さん。王妃には親友ともいえるお付きの若い女官がいるのだが、美人はほぼ、この2人しかいないといってもいい。そのかわり、美少年はごろごろしていて、身分を偽っているルイ・ブラスにあてこすりを言って集団でイジメたりする。このシーンは、まるで昨今の日本の学校でのイジメのよう。なんだか胸が痛くなるのだ。<続く>
2008.05.22

文豪ビクトル・ユーゴーの原作をコクトーが大胆に脚色した映画『ルイ・ブラス』(1947年)。大当たりを取った舞台『双頭の鷲』でのマレーの「軽業師ぶり」に目をつけた映画プロデューサーが、コクトー台本で冒険映画を作らないかと申し込んでできた作品だが、『ルイ・ブラス』の脚本自体は、『双頭の鷲』の初演より早くほぼ完成しており、その後アクションシーンが付け加わる形になった。ジャン・マレーは1960年代になって、いわゆる『騎士任侠劇』、平たく言えばフランスの時代劇で人気を博すことになるのだが、『ルイ・ブラス』はそのルーツとも言われている。さらに最初から最後まで、外見は似ているが性格がまったく違う2役を演じ分けている点で、のちに1作品で何役も演じ分ける多芸な名優ジャン・マレーの出発点になっているとも言えるだろう。また、『ルイ・ブラス』は『悲恋(永劫回帰)』『美女と野獣』で世界的大スターとなった美形俳優ジャン・マレーのために、当時としては破格の予算がついた大作でもある。実際、その豪華で一風変わったセットと「いったい何着作ったのだ?」と呆れるくらい次々とお色直し(笑)をするジャン・マレーのきらびやかな衣装と装身具も大いに魅力的。おかげでヒロインであるはずの王妃の衣装がさっぱり印象に残らない。ジャン・マレーの顔の変遷初登場の場面では、ルイ・ブラスはラバに乗ったとってもダサい、純朴な青年。それが、物語が進むにつれ、どんどん洗練されて美しくなるこちらは、根っからのワル、ドン・セザールの初登場での顔のアップ。ルイ・ブラスとはずいぶん顔が違いませんか?ドン・セザールのほうは、終始この満面の笑顔。生まれは貴族なのだが、素行が悪く、今は盗賊団のリーダーになっている。そして、性格はとっても明るい。ちなみに、ちょっと遅れて撮られた『双頭の鷲』のジャン・マレーはこんな顔。これまた、ずいぶん印象が違う。こちらは、どことなく夢見る文学青年風のルイ・ブラス(右側)。ルイ・ブラスの性格には常にどこか憂いがつきまとう。左側のヒト、何度見ても名前を忘れるのだが、とりあえず、性格が超サドなので、サド長官と呼ぼう。ルイ・ブラスは、このサド長官に操られ、平民の身分を貴族と偽って宮廷に出入りすることになる。宮廷に出入りするときには、すっかり美青年になっているルイ・ブラス。なんと! ヒョウ柄のスタンドアップカラー。なんでこんな、ありえないセクシー襟にしてるかというと、それはルイ・ブラスが王妃の愛人になりに来たからなのだ!? 『美女と野獣』風に王妃に話しかけるルイ・ブラス。ジプシーへのシンパシーが語られているのが、実は暗示的。というのは、ジャン・マレーは40代後半になって、ジプシーの青年を養子に迎えることになるからだ。で、この作品、娯楽映画のはずなのに、とっても筋がわかりにくい。基本的には王妃と平民ルイ・ブラスの悲恋モノのハズなんだが、いろんなエレメンツをてんこ盛りにしすぎて、主要なテーマがかすんでしまっている。平凡で説明的な台詞を極端に嫌うコクトーの台本は、よ~く考えないと含んでる意味がわからないし、それに監督の趣味なのか、本筋とは関係のないところでの妙にアヤシいシーンがえらく目立ってしまい、筋が頭からスッ飛んでしまう。たとえば……アルバ公のルイ・ブラスへのアブナすぎるアプローチラバに乗った青年ルイ・ブラスは、マドリッドへの道でアルバ公爵と出会うのだが、このアルバ公、完全にアブナイ。いきなり、汚れなき(?)文学青年のルイ・ブラスを自分の後ろに乗せようするし↓、唐突に、この質問↓はないでしょう。そんなアルバ公に、恥じらいながらストレートに答えるルイ・ブラスのウブぶりが可愛すぎる。ジャン・マレーに、「目覚めたときに見る、君のえくぼが素敵」と言っていたコクトー。確かにね。でもって、アルバ公はまたもいきなり、下心があるとしか思えないこの台詞↓。あぶないあぶない。会ったばっかりでこの親切さ。こんなヒトの館に連れ込まれたらどうなるか、見えてると思うよ、ルイ・ブラス君。いったいこれって、どういう映画だ? と思ったところでアルバ公はドン・セザールの手下に誘拐されてしまい、ルイ・ブラスは事なきを得る(そうなの?)のだが……その後、サド長官とともに身分を偽って宮廷にやってきたルイ・ブラスに、またも、いきなりアルバ公は、熱い抱擁とほっぺへのキス。宮廷の雰囲気にのまれて気後れしているルイ・ブラスは、突然のアルバ公の親しげな挨拶に、ビックリして彼を見つめている。でもって、憧れの王妃の姿を見て、すっかり心を奪われているルイ・ブラスを……アルバ公は背後からじっと観察。アルバ公は、「宮廷では誰も信用するな」とルイ・ブラスに処世術をアドバイス。自分に秘密を打ち明けようとするルイ・ブラスを押しとどめて、この台詞。↓ほとんど愛の告白に近い。これがルイ・ブラスとアルバ公の今生の別れ(というほどの関係なのかどうかはともかく)になる。・ルイ・ブラス@映画生活どうにも気になることがあるので、追記。『ルイ・ブラス』で、ドン・セザールの部屋に置かれたこの箱。実は、フタをあけると戸外へ出る階段に通じているわけなのだが……これとソックリなしかけが市川崑監督・豊川悦司主演の『八つ墓村』(1996年)に出てきたのだ。蔵から鍾乳洞へつながる通路への入り口として。野村芳太郎監督・萩原健一主演の『八つ墓村』(1977年)では、こんな箱はなく、鍾乳洞への入り口は単なる壁だった。空前のスケールのロケ、娯楽映画としての要素をテンコ盛りにしたファンタジックな映像で大当たりを取った野村版『八つ墓村』に対して、市川版では、まったく対照的な厳密なセットでの様式美と舞台劇のようなある種の「わざとらしい」演技を追求したように見えた。たとえば「はっ」と驚くときの非常に不自然な役者の動きとか、一本調子の豊川悦司の台詞回しとか、『ルイ・ブラス』時代の映画にあったような、「大芝居」の雰囲気を入れようとしたのかもしれないと今にして思う。結果は大失敗だったと思うが。ちなみに『ロバと王女』で箱が重要な小道具として登場するのは、あきらかに、ジャック・ドゥミー監督のコクトー作品へのオマージュ。<明日へ続く>
2008.05.21

<きのうから続く>1956年夏、すなわち、舞台『双頭の鷲』初演から10年たって、コクトーのもとにエドヴィージュ・フィエールから手紙が届く。そこには、『双頭の鷲』をサラ・ベルナール座で再演したい、そのためにジャン・マレーにスタニスラス役を引き受けてくれるよう、コクトーから口添えしてほしいと書かれていた。1956年には、マレーとコクトーはすでに一緒に住んではいなかった。南仏にいたコクトーはさっそくパリのマレーにフィエールの願いを聞き入れてくれるよう手紙を書く。「(『双頭の鷲』の再演が)実現すれば、哀れなぼくの老いにとって、幸福とも勝利ともなる」と書き添え、期待感を示した。だが、マレーの返事はコクトーを落胆させる。「ぼくはもう42歳。スタニスラスを演じるにはあまりに年をとりすぎている。フィエールには、もっと若い役者と一緒に舞台に立つよう進言してほしい。それに、スケジュールのこともある。今年から来年にかけては、すでに7本映画が決まっている。とても舞台にさく時間はないんだ」。コクトーから聞かされたマレーの進言をフィエールは拒否する。「ジャン・マレー以外のスタニスラスは考えられない」。彼女はいったんは再演を諦める。そして、2年後の1958年4月1日。コクトーのもとにエドヴィージュ・フィエールから電話が入る。「ねえ、ジャン、一生に一度のお願いよ」思いつめた声だった。「あなたから、あの頑固者にもう一度頼んでもらえないかしら。私の相手役を引き受けてくださいって」「『鷲』のこと?」「そうよ。私からも劇場からも、何度も頼んだのよ。再演に踏み切れないでいる理由はただ1つ、ジャン・マレーのほかに相手役は考えられないの。彼の影にだってなれる役者はいないわ。私にとって『鷲』がどれほど重要な作品か、彼に理解してほしいの。そして、彼の美しさ、威厳、天才抜きで私が『鷲』を演じる気持ちには、どうしてもなれないってことも」「ジャノは、なんて?」「例によって、同じよ。『年をとりすぎた』の一点張り。彼が年だというなら、私はどうなるの? なのに、彼は、『女王は君しかいない。でもスタニスラスは若い役者がやるべきだ』ってこう言うのよ。お願い。もしジャン・マレーを説得できる人間がこの世にいるとしたら、それはジャン・コクトー以外にはいないわ。年のことは言いたくはない。でも、私も50歳よ。もう少ししたら、本当に遅すぎることになってしまう。再演するなら早くしないと」「ジャノがぼくの言うことを聞いてくれるかどうか、まったく自信はないよ」と、コクトー。「でも、できるかぎり話してみる」コクトーはさっそくマレーに電話をかける。だが、マレーは最愛の人からの懇願にも、がんとして首を縦に振らなかった。逆に、スタニスラス役は広くオーディションで求めるべきだと主張した。「いったい君以外の、誰を選べって言うんだ、ぼくのジャノ。エドヴィージュが『鷲』を再演しないのは、スタニスラスは君しかいないからなんだ。ぼくもまったく同じ意見だよ。ブリュッセルでも、ロンドンでも、ヴェネチアでも君は演じてくれた。それなのに今はどうして、そんなにも頑なにエドヴィージュを拒むんだ?」「決してエドヴィージュを拒んでいるわけじゃないよ、ぼくのジャン。スタニスラスは12年前のぼくの役だ。12年だよ! あのころのぼくは、もう今のぼくじゃない。冷静に、客観的に今のぼくを見てほしい。どこからどうみたってスタニスラスをやるには年を取りすぎている」「たしかに、ぼくは君を『冷静に』見るには、君を愛しすぎているかもしれない。ただね、君の謙虚さは、ときに自分を過小評価しすぎるよ。そんなことをしたら、ぼくらの敵の思う壷じゃないか」「スタニスラスに必要なのは、何よりも若さと一途さだ。それをもっている役者を探すべきなんだ。君もエドヴィージュを説得してほしい」「スタニスラスに必要なのは、単なる年齢の若さではないよ。それにエドヴィージュの相手となると、それこそあまりに若い役者は使えない。彼女の年が目立ちすぎるからね。だいたい、君は『円卓の騎士たち』のガラードも若い役者に譲りたいといってさっさとやめてしまった。『恐るべき親たち』のミシェルはもうやりたくないという。そうやって君が拒むから、ぼくの作品はちっとも再演されない。他の作家の作品はどんどん再演されているのに……」涙声になるコクトー。「誤解しないでくれよ、ジャン。ぼくにできそうな役があれば、必ず君の作品の再演に協力する。そうだ、『恐るべき親たち』の父親役をぼくにやらせてくれないか。息子役は無理でも、父親役ならやってみたい」「だって、スタニスラスは君のために書いたのに。君がやってくれなければ、ぼくたちの『鷲』はもう終わりだ」「ジャン、『鷲』は再演されるべきだよ。そして、再演されるよ。ぼくは知っている。あれはぼくだけのものじゃないんだ。今さら、エドヴィージュとぼくとで再演して誰が見に来る? 懐古趣味の観客を喜ばせるだけさ。でも若い役者がやれば、若い客が見に来る。そうやって『鷲』は引き継がれるべきなんだ。ぼくだけが独占してはいけないんだ」「君は青春そのもの、真実の青春なんだよ。単に才能のある者、テクニックのある者はいるかもしれない。でも、ジェラール(注:ジェラール・フィリップのこと。コクトーは彼の才能を高く評価していた)が死んでしまった今、女優に対して偉大な『立て役』になれるのは、もはや君しかいなんだ」「とにかくオーディションをやってみてくれよ。僕以上の役者が現れないなんて、どうして言える? やってみなければわからないじゃないか」2人の気持ちは平行線のままだった。マレーはなんとか自分がすでにスタニスラス役にはふさわしくないことをわからせようとした。コクトーはなんとかマレーこそスタニスラス役にふさわしいことをわからせようとした。結局、『双頭の鷲』のスタニスラス役のオーディションは、それからさらに2年後の1960年になってようやく行われる。そして、コクトーはマレーへの手紙で、しつこく(笑)恨みごとを言っている。「1960年6月4日 ぼくの善良な天使。『鷲』の稽古のため戻ってきました。おきかえようのないものをおきかえるつもりはありません。無理をしても、愚かな企てに終わるでしょう。だからこそ、無名の若者を育てようとしています」マレーはマレーで、たとえ役を断っても、自分のコクトーへの気持ちが変わらないことをなんとか示そうと、離れて暮らすコクトーに愛をこめた贈り物をしている。ちょうどマレーからの贈り物を受け取ったときのコクトーの手紙。「1960年6月24日 あの役は君が再演するしかなかったのです。真実の若さである君の天才、君の炎の代わりは、ただの若さでは務まらないのです。君にはいまさら言うまでもないでしょうが、新聞記者たちはぼくの言うことがわかりません。だから、ゆがめて書いています。君に手紙を書いているところへ、ちょうど、君から花が届きました。ありがとう。心の底から君にくちづけます」「ぼくのジャノ、君なしでは、鷲の頭がひとつきり。それだってどうだか。ぼくは泣いています」コクトーがオーディションの発表をすると、若い役者は口々に、「どうしてジャン・マレーがやらないのですか」と聞いてきた。コクトーは悲しげに、「ジャン・マレーはスタニスラスが女王ほどいい役だと思ってくれないんですよ」と答えた。「いい役じゃないですって? なんともまあ」名女優エドヴィージュ・フィエールの相手役には当然希望者が殺到した。だが、どうしてもコクトーはマレーのスタニスラスを諦めきれない。夕食をともにしたある晩、「ピカソも役の年齢にこだわるのは間違っていると言っている」などとマレーに話し、マレーを怒らせている。「ジャン、ピカソは確かに天才画家だよ。でも役者じゃない。演出家でもない。どうして、ぼくたちのことに彼を介入させるんだ」臍を曲げてしまったマレーにコクトーはこんなふうに書き送っている。「1960年7月12日 昨日の夜のあの夕食の席を恨みに思うのではありません。でも、ぼくはひどく悲しく、つい黙っていられませんでした。なにしろ、ピカソは君が好きで(非常に珍しいことです)、役の年齢にこだわるのは間違っていると、そうぼくに言っていたのです」「しかし、こうなった以上、苦い薬を飲み込まねばなりません」「お願いです。あの若い役者にしばらく時間を貸してやってください。彼に炎を魂を伝えるよう、やってみてください。君もぼくに、それだけは拒めないでしょう。このぼくは、君が望むことなら、なんだって、いつだって、やってのけます。君もそれはわかっている。哀れなぼくの心のすべてをこめて、悲しい思いで君にくちづけます」こうして、マレーをスタニスラス役に復帰させることは、ようやく、完全に諦めたコクトー。『双頭の鷲』は再演され、初演の伝説的なヒットの再現はなかったが、それなりに評価された。1962年(つまりコクトーが死去する前年)、ドイツでの『双頭の鷲』の上演が決まり、コクトーは女優役も替えてエルランゲンとミュンヘンで舞台にのせている。「1962年3月10日 大急ぎでパリを横切り、ミュンヘンへ向かいます。あちらでの君抜きの『鷲』には、頭が1つしかありません」「1962年3月14日 ぼくの善良な天使。舞台はエルランゲンで大勝利をおさめました。ミュンヘンがどうなるか、明日を待たねばなりません。スタニスラスは君と同じように倒れようと懸命です。でも、世界中の誰一人、君と同じようにやれる者はいません」「1962年3月20日 君抜きの『鷲』というのは気乗りがしません。だから批評などどうでもよろしい」死の前年まで、「スタニスラスは君しかいない」と言いつづけたコクトー。皮肉なことにコクトーが亡くなるわずか1か月前に封切られたジャン・マレー主演の映画は、『スタニスラス上院議員』というタイトルだった。またコクトーの信念を裏付けるかのような奇妙な符合が、コクトーの死後35年たって起こる。『双頭の鷲』では最後にスタニスラスが死に、それを追うように女王が死ぬ。1998年11月8日に84歳でジャン・マレーが亡くなると、そのわずか5日後に、91歳でエドヴィージュ・フィエールが亡くなったのだ。1週間もたたずに、自国の誇る名優、それも『双頭の鷲』で共演した2人を相次いで失ったフランスには衝撃が走った。当時の新聞は、当然、この不思議な巡り合わせを記事で取り上げている。Her death, which prompted a wave of tributes from French political and cultural figures, came less than one week after that of Jean Marais, the handsome, swashbuckling French actor who played opposite Ms. Feuillere in Jean Cocteau's 1947 film ''L'Aigle a Deux Tetes.'' マレーは「できる役があれば再演に協力する」とコクトーに言った言葉を、1980年にエドヴィージュ・フィエールとともに実行に移していた。バーナードー・ショーの戯曲をコクトーが翻案した2人芝居『嘘つきさん』(初演は1960年、マリア・カザレスとピエール・ブラッスール)を再演したのだ。これは『双頭の鷲』のあまりに暗示的な名場面。女王「双頭の鷲…」スタニスラス「双頭の鷲…(下の写真の台詞へ)」女王「…鷲は死ぬ」。<明日へ続く>
2008.05.20

『双頭の鷲』の冒頭、亡き国王の幻影を画中から招き出す孤独な女王。エーデルワイスの形をした髪飾りはあきらかにオーストリア皇妃エリザベート(ルートヴィヒ2世の従姉妹)を思わせる。そして、エドヴィージュ・フィエールのウエストも実在のエリザベートと張り合えるくらい細い。嵐の夜、銃声と犬の吼え声とともにスタニスラスが窓から現れる。左側のネオゴシック風の衝立が目を惹く。特定の時代を背景としない、さまざまな時代の様式を折衷した女王の城の室内装飾やコスチュームはこの映画の見所でもある。で、このシーン、どうにもヴィスコンティの『夏の嵐』(1954年)で、疎開先のリヴィアの寝室にフランツが現れるところに似てる、と思うのだ(『夏の嵐』については2/24のエントリー参照)。ちなみに『双頭の鷲』のフランスでの封切は1948年9月。まったく同じ年の同じ月にヴィスコンティの『揺れる大地』がイタリアで封切になっている。さらにいえば、マレーの出世作『悲恋(永劫回帰)』の封切が1943年10月。ヴィスコンティの処女作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』の封切が1943年5月。ヴィスコンティはこのころは、ネオ・リアリズモの旗手だった。少なくとも世間ではそう信じていた。コクトーとヴィスコンティ――同時期の作風はこんなに違うのに、『双頭の鷲』から6年後に封切られた『夏の嵐』にコクトー作品とソックリなシーンが出てくるというのが、なんとも言えない。ヴィスコンティ映画におけるコクトーの影響はなにも、これだけではない。『熊座の淡き星影』は『恐るべき子供たち』につながるものがある。女王の部屋に入ってきたときのスタニスラスは、ワイルドで得体の知れない青年。亡き夫にそっくりな彼に、女王は夫の服を与える。実在のエリザベートを彷彿とさせる「ぶらさがり健康器(笑)」にぶらさがる女王。その細い細い腰を抱くスタニスラス。エドヴィージュ・フィエールは、フランス人にとっては「私たちのグレタ・ガルボでもあり、マレーネ・ディートリッヒでもある」存在。ただ、この2人とフィエールが決定的に違うのは、フィエールには本当に貴族階級出身だと思わせるような品位とプライドがあること。そもそもあのウエストの細さは、コルセットを長く常用していたとしか思えない。ガルボにもディートリッヒにも、そしてヴィスコンティの『山猫』に出てきた貴族の淑女役の女優陣にも、あの真に貴族的な細腰は望むべくもなかった。『双頭の鷲』で際立ったのは、ジャン・マレーの歩く姿の美しさ。背筋はピンと伸び、大またで力強く歩く。そして、やはり思ってしまうのだ。この姿勢の正しさ、緊張感をもった直線的な歩き方はヴィスコンティの『ルートヴィヒ』(1972年)のヘルムート・バーガーに似ていると。バーガーのほうがずっと線が細く、「神経質そう」であることは間違いないとしても。この作品のほんの半年前に別監督の『ルイ・ブラス』が封切られているが、『ルイ・ブラス』のマレーには、スタニスラスのような堂々と気品に満ちた歩き方はまったくなかった。この差は役の性格もある(『ルイ・ブラス』でのマレーは、メランコリックで繊細な青年と生来のワルの2役だった)が、衣装も関係していると思う。デコラティブな『ルイ・ブラス』の衣装と違い、『双頭の鷲』では、かちっとしたジャケットにストレートレッグのトラウザーで、たくましい身体のラインとプロポーションよさを強調している。無駄な装飾のない、すっきりとしたシルエットが、ジャン・マレーのどこまでも男性的な動作をシャープに引き立てる。よく見ると、ジャケットの丈は相当短め。ヒップラインがかなり見えるのが、さりげなくセクシー。階段を上がるとき、マレーはだいたい片腕を曲げている。このポーズもなんとも上品なのだ。コクトーもよく歩くときはこうして片腕を曲げていたっけ。ちなみにこの階段は、多少『風と共に去りぬ』が入っているかも。その『風と共に去りぬ』を生んだアメリカに、コクトーは映画『双頭の鷲』のプロモーションをかねて行っている。「ぼくたちを運んでいく飛行機から、もう一度別れのハンカチを振ります。ぼくはいつだって君のそばにいます。ジャン」これはアメリカへ向かう飛行機の中で、コクトーがマレーにあてて書いた手紙。そして、『双頭の鷲』のプレミアが終わったあとの手紙。「1948年12月30日 アメリカの人たちは親切にしてくれます。信じがたいほどです。みんな君のことが大好きなようで、ぼくもいろいろと質問を浴びせられます。映画の最後の、君が転落する場面では、大変な喝采が起きました。次の会を待っている観客にも挨拶するよう頼まれましたが、断りました。(中略)朝から晩まで引っ張り回され、ホテルには新聞記者が列をなしています」「みんな君のことが大好き」というのは、前年、つまり1947年12月に『美女と野獣』がアメリカでも封切られ、ヒットしたためだ。そして、コクトーはニューヨークで、今はアメリカ人と再婚したかつての恋人ナタリーに会っている(ナタリーについてのエピソードは4/19のエントリー参照)。「一昨日の晩は、マレーネ(=ディートリッヒ)がホテルまで会いに来てくれました。それからナタリーと夕食をとりました。そこへ、ガルボ(=グレタ)がレストランを横切って近づいてきました。とても美しく、若々しくて、はじめは誰だかわかりませんでした。(中略)ぼくのジャノ、力のかぎり君にくちづけます。君が来られなかったのは本当に残念です。君を愛しています。ジャン」(『ジャン・マレーへの手紙』より)この手の話、コクトーはマレーに全然隠さなかった。そして、マレーに「ぼくは君になにもかも話しているのに、君のほうはあまり話してくれないね」とクレームしている(困ったもんだ・笑)。ちなみに、コクトーは帰国後まもなくハーバード大学から教授職を打診され、辞退している。<続く>
2008.05.19
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「尋常ではない何か」が働く因縁の『双頭の鷲』。その上演は遅れに遅れる。フィエールが出演を承諾したすぐ後に起こったマレーの『アンドロマック』をめぐる一大スキャンダル、パリ解放の混乱とマレーの出征、映画『美女と野獣』の撮影などがあって、結局『双頭の鷲』の初演は1946年10月のブリュッセル。その後リヨンを経て、パリでの初演は1946年12月22日になった。この間、『恐るべき親たち』も再演され、マレーはこの2作品の間で揺れ動くことになる。途中で『双頭の鷲』出演のため、『恐るべき親たち』を別の俳優に譲り、結果イヴォンヌ・ド・ブレが大失態を演じることになるのは、4月13日のエントリーですでに紹介したとおり。配役のゴタゴタもあった。自分の役がエドヴィージュ・フィエールに行ってしまったことを知ったマルグリット・ジャモアが、「裏切り者」とコクトーを責め立てたのだ。「ぼくたちは、君があの作品を気に入っていないと思ったんだよ。そう思うのも当然の態度を君は取ったんじゃないか」と、コクトー。「私の態度が嫌味だったことは認めるわ。申し訳なかったと後悔してるし、自分を責めてもいるのよ。だけど、筋としたら、あなたのほうから私の意思を確認する電話ぐらいくれたってよかったんじゃないの? 私に黙ってエドヴィージュに話をもっていくなんて、信じられない裏切り行為よ」「いったい、君は女王役をやりたいの? やりたくないの?」「あの戯曲には手直しが必要よ。ただ、少し直せば……」「マルグリット、あの作品はラストに『転落』がある、それはわかるね?」「ええ。それが?」「転落は最後にスタニスラスが階段から落ちる場面だけじゃない。第一幕からもう転落は始まっているんだ。不可知の領域からの働きかけが女王とスタニスラスを導いていくんだよ。その働きかけには、たとえぼくでさえ逆らえないんだ」「私の立場を考えて欲しいのよ。こんなの、ひどくみじめよ。とにかく、エベルトとエドヴィージュには会ってすべてをぶちまけるから」だが、マルグリットが何を言おうとエドヴィージュはひるまなかった。彼女は完全にコクトーを信頼し、マルグリットのように台詞にケチをつけることもない。清書原稿を受け取ると、上演日程がまだ決まらないうちからすでに役作りに入った。そう、『双頭の鷲』は女王役ですべてが決まる。劇の冒頭、亡き夫の亡霊と食卓を囲み、カード占いをする孤独な女王の狂気。亡き夫に瓜二つのスタニスラスが突然部屋に入ってきたときの驚きと内面の葛藤。すべてが長い長い女王だけのモノローグで展開していく。このパートを冗長で退屈なものにしてしまうか、あるいは緊迫した非凡なものにできるのかは、すべて女王役の女優の力量にかかっている。そして、ラストのスタニスラスへの挑発。サディスティックに若い恋人を追い詰めていくシーンも非常に長い。ここで気品を崩さず、いかにスタニスラスを導くか。この駆け引きも女王の台詞まわしと立ち振る舞いの魅力次第なのだ。舞台『双頭の鷲』の演出はコクトーだった。マレーにとっては舞台でコクトーの演出を受けるのは『円卓の騎士たち』以来。マレーは『円卓の騎士たち』以後は、実は意図的にコクトーに舞台演出を避けてもらっていた。それはコクトー演出以外の作品に出演できなくなるのではないかという、ほとんど本能的な恐れからだった。「ジャン・コクトーのロボットになってはいけない」と、マレーはマレーなりに考えていた。『双頭の鷲』の演出を自分自身が手がけたいというコクトーの申し出をマレーが受けたのは、今ならばロボットとしてではなく、彼の指示にそって演じる力が自分自身に多少はついたと感じたからだった。コクトーとの仕事にマレーは最大の喜びを見出した。また、傑出した先輩女優エドヴィージュ・フィエールの相手役を務める幸せも感じた。「エドヴィージュは従順の、親切の、仕事の、優雅さの、技巧の模範だった」(マレー自伝より)。ラストの階段から転落するシーンを、マレーは練習しなかった。稽古中不安を覚えたコクトーが、「ジャノ、いつ転落の練習をするんだ?」と尋ねる。「本番になったら」と、マレーは答えた。稽古も総仕上げの最終段階に入った日、本番のつもりでマレーは演じた。そして、ラストの「階段落ち」もぶっつけでやった。マレーが階段から転げ落ちると、その場に居合わせた者全員が恐怖の叫び声を上げ、マレーに駆け寄った。中でもコクトーはマレーが死んでしまったのではないかと、真っ青になった。「ジャノ、怪我したか?」苦しげなコクトーの声。ひょいと立ち上がるマレー。どこにも怪我はなかった。「信じられないわ」とフィエール。「かすり傷ひとつ負わないなんて、どうして?」「たぶん、落ちたのはぼくじゃないだよ」と、マレー。「ぼくがそうありたいと思っているスタニスラスだったからさ」実際、マレーはこの危険きわまる「(元祖)階段落ち」で、怪我をしたことは一度もなかった。いや、一度だけある。それはメディア向けの特別写真撮影で、「意識的に」転げ落ちることをやむを得ず承知したときだ。1946年パリのエベルト座で初演の幕が開くと、『双頭の鷲』は連日満員の大ヒットとなる。切符は1年先まで売り切れ。この芝居は実在の王妃エリザベートとその従兄弟ルートヴィッヒ2世の影が色濃く反映されている。だが、特定の国や時代設定があるわけではないので、クリスチャン・ベラールの衣装は独特の美を備えた洗練されたものになった。観衆は熱狂的だったが、批評は冷たかった。ジャン・コクトーには辛辣。とりわけマレーに関しては、手厳しかった。「ジャン・マレーについていえば、彼は軽業師だ。それ以外の何者でもない」という記事がマレーの眼に留まった。それは初舞台で、「マレーについていえば、彼は美しい。それがすべて」と言われた評を思い起こさせるものだった。だが、マレーは批評に苛立つことはなかった。批評家がどういおうと、自分は自分の道を追求するだけだと考えていた。連日の満員御礼で劇場の支配人エベルトは大もうけだった。プレイガイド「アンテル」を所有する彼は、チケットの販売を独占的にアンテルに集中させ、利益をほとんど独り占めにした。『双頭の鷲』は海外公演も行われ、どこでも大評判。ところが、パリでの公演は1年で終わってしまう。翌年も上演さえすれば、多くの観衆が劇場からあふれたことは間違いなかったのに。公けにはジャン・マレーのスケジュールの都合、ということになった。映画の仕事が増え、その撮影のために舞台に出る時間がなくなったというのだ。だが、それは表向きの理由。内幕にあったのは、マレーと劇場支配人エベルトの金銭トラブルだった。マレーの(元祖)階段落ちは大いに話題となり、多くのプロデューサーがジャン・コクトー脚本による冒険映画を作らないかと申し込んできた。コクトーは『ルイ・ブラス』の台本を完成させる。舞台はスペインだったが、撮影はイタリアで行われた。この映画の撮影のためにヴェネチアに滞在していたマレーは、ある日、エベルトからヴェネチア演劇ヴィエンナーレのため、ラ・フェニーチェ劇場で、『双頭の鷲』を演じてくれるよう依頼を受ける。「ジャン(=コクトー)とフランスのためなんだ。しかし、費用がかかりすぎるから、俳優さんには支払いきれんのだよ」マレーは承知した。ところが、あとからヴィエンナーレ主催者は俳優への出演料をエベルトに支払っており、無報酬で出演させられたのはマレーだけだということがわかったのだ。つまり、エベルトはフィエールをはじめとする出演者にはきちんと報酬を支払いながら、マレーの出演料は自分のポケットに入れてしまったのだ。この不正に怒ったマレーは、「二度とエベルト座には足を踏み入れない」と自分自身に誓いを立てた。エベルトのほうも、マレーが意図的にエベルト座への出演を拒否したことを知ると、報復に出た。マレーは実の兄をエベルトの秘書として雇ってもらっていた。その兄を解雇したのだ。栄光につつまれた弟と違ってマレーの兄の人生は暗く、自分で探した仕事もなかなか長続きしなかった。マレーの口利きで得た仕事も、結局はマレーと雇い主とのトラブルで失ってしまう。責任を感じたマレーは、兄が亡くなるまで金銭的に援助し続けた。こうして舞台『双頭の鷲』は、見たくても見られなかった観客をパリにたくさん残したまま、1年で打ち切りとなってしまった。そのかわり、1947年10月にコクトー監督で映画化されている。皮肉なことにコクトー自身は、自分たちの映画のせい(『双頭の鷲』の撮影から半年後にコクトーは『恐るべき親たち』も映画化した)で、『双頭の鷲』の舞台が途中で打ち切りになってしまったと信じていた。マレーがエベルトとのトラブルをコクトーに話さなかったためだ。映画『双頭の鷲』は、またもやヒットする。アメリカへの配給が決まり、1948年12月、コクトーは映画の公開にあわせてNYへ。そこで彼は因縁の人と再会を果たすことになる。 双頭の鷲 [CLASSIC MOVIES COLLECTION] / 洋画
2008.05.18
<5月10日のエントリーから続く>渋谷のPARCO劇場で美輪明宏演出・主演により何年かおきに再演されている『双頭の鷲』(記憶では、PARCO劇場での初演のときは演出は外国人だったように思う)。この戯曲が書かれたのは、映画『美女と野獣』の台本より早い1943年末。オリジナルの戯曲を書くときは、必ずジャン・コクトーはジャン・マレーに、「次はどんな役がやりたい?」と聞くのが習慣だった。このときも当然マレーに希望を聞いた。マレーは難問で仲間を困らせるようなノリで、冗談半分に言った。「第一幕ではしゃべらず、第二幕では随喜の涙を流し、第三幕では階段から仰向けに落ちる」孤独な女王と無政府主義者の若き詩人の悲恋をテーマに、コクトーはそのとおりの戯曲を完成させてしまう。執筆はパリから離れ、ブルターニュで進められた。第一幕を読んで聞かされたとき、マレーはコクトーに、「女王のモノローグがそれほど生き生きとしていないよう」だと意見を言っている。マレーが演じる予定のスタニスラス役の沈黙は、台詞としての力をもたなければいけないし、加えて沈黙そのものに相手の返答を生み出す力が備わっていなければならない。だから、女王の台詞にもっと詰問の調子があってもいいのではないか。それがマレーの意見だった。役者の意見にそって、原作者は手を入れる。書き直した第一幕はマレーには満足のいくものだった。コクトー自身は『占領下日記』に、「ぼく自身は、前のほうがいいように思うが、ジャノの希望を尊重した」と書いている。コクトーは、「クリスマスまでには書き終えたいな」とマレーに言っていた。事実、クリスマスの晩に戯曲は完成。マレーにとっては「素敵なジャンからのクリスマスプレゼント」になった。できあがった戯曲をコクトーが朗読する。コクトーの声は金属的で、真似のできない独特な調子があり、リエゾンはほとんどせずに、単語1つ1つを際立たせるようなしゃべりかただった。マレーは聴きほれる。「素晴らしいアイディアだね」と、朗読を聴き終えたマレー。「対立する2人の人間の孤独が胸に迫るよ」マレーの絶賛にほっとするコクトー。コクトーは常に、演じるマレーが自分の戯曲を気に入ってくれるかどうかを非常に気にしていた。この作品は、なかなか題が決まらなかった。コクトーが考えた案は3つ。『アズラエル』『しのびよる死』『美女と野獣』。マレー自身は『しのびよる死』というタイトルが非常に気に入っていた。『美女と野獣』には即座にダメ出し。「『美女と野獣』というタイトルで別の話を作って」とコクトーにリクエストし、それが映画『美女と野獣』になるのは、すでに紹介したとおり。最終的には最初の候補とはまったく違う、『双頭の鷲』というタイトルに決まった。『双頭の鷲』で女王役を演じたのはエドヴィージュ・フィエール。あまりにもハマリ役になったので、この作品はあたかも最初から彼女のために書かれたような錯覚さえいだくのだが、意外なことに、コクトーは実は別の女優にあててこの戯曲を書いたのだ。それはコクトーと個人的に親しかったマルグリット・ジャモア。『双頭の鷲』の執筆に入る前、コクトーは彼女に「エリザベート(オーストリア・ハンガリー帝国皇后)のようなイメージで作品を書くから」と約束していた。そのため、『双頭の鷲』執筆時にコクトーは、エリザベートとルートヴィヒ2世に関する本を読み漁っている。ところが、完成した戯曲を読んで聴かされたマルグリット・ジャモアは、まるで駆け出しの若い作家から仕事を押し付けられたと言わんばかりの切り口上で批評をまくし立てた。すっかり気まずくなって別れるコクトーとジャモア。その場に居合わせたマレーも、「あの態度は許せない」と激怒している。「ジャン、きっと彼女は、あの役が自分に合わないと思ったんだよ。でも、それにしたって、あんな言い方をするのは間違いだ」コクトー自身も「ジャモアは、これほどに女性的な女性は自分の柄ではないと見抜いたのだろう」と察していた。マレーは、かわってエドヴィージュ・フィエールを推した。フィエールはマレーより6歳年上の人気舞台女優だった。マレーが最初にコクトー戯曲で主役を務めた『円卓の騎士たち』の上演にあたって、女王役をフィエールにオファーしたのだが、このときは先輩の有名女優はまったく相手にしてくれなかった。だが、『悲恋(永劫回帰)』が封切られたとき、フィエールはコクトーのもとに自分からやってきて、「私が映画に出るなら、あなたかジャン・ジロドゥの作品しか考えられない」と告げていた。ジャン・ジロドゥは、フランスでは知られた小説家兼劇作家。反リアリズムの作風で知られ、占領下時代にはコクトーと同じく映画のシナリオも書いていた。コクトーは美術担当のベラールを通じてフィエールにコンタクトする。今回はフィエールからすぐに電話があった。「金曜日にお昼をご一緒しましょう」1944年1月28日、コクトーはフィエールと会い、コトの顛末を率直に打ち明けた。フィエールはマレーやベラールがコクトーの話を聞くような真剣な態度で耳を傾けてくれた。そのやさしさ、礼儀正しさ、そしてどこまでも女性的な物腰にコクトーは感銘を受け、「彼女とは話が通じる」と日記に書いている。「その戯曲、是非聞かせていただきたいわ。来週にでもいかが?」と、フィエール。「じゃあ、さっそく月曜日の午後はどうでしょう」「問題ないわ。2時でどう?」自宅に戻ったコクトーは、「エドヴィージュに賭けよう」とマレーに言っている。「もし彼女が受けてくれないとなると、この仕事は失敗だ。女王の役を責任をもって演じきれる女優は他にいない」『双頭の鷲』にはのちのちまで奇妙な符合がついてまわるのだが、最初の不気味なめぐり合わせはこの朗読の日に起こる。フィエールが演じたい作家としてコクトーとともに挙げていたジロドゥがその当日(1944年1月31日月曜日)に急死したのだ。フィエールのもとに行ったコクトーには、フィエールが動揺しているように見えた。「今日読むのは、やめておきましょうか?」心配するコクトーに対して、「なぜ? 私の心はあなたの朗読を聴く準備ができているわ。たしかに、ジロドゥは行ってしまった。でも、私たちは仕事を続けるべきよ」と、きっぱりと答えるフィエール。その真摯な気高さを見て、「彼女こそ女王」とコクトーは改めて確信する。朗読を聞いたフィエールは感激を隠さなかった。「舞台作品でこれほどの傑作を聴いたのは初めてよ。この作品を贈り物として私にくださるの?」「受けてくださることが、私への最上のあなたからの贈り物になるんです」さらにジロドゥの突然の死が頭にあったコクトーは、「ぼくが死んだら、あの作品はあなたにお任せします」とまで付け加えた。パリでの上演はフィエールが好むエベルト座に決まった。「エドヴィージュは、自身のもつ才能以上に強烈な優雅さの光を放っている。彼女は言う。『自分を表現し、幾つもの限界を超え、本当の役を演じてみたいのです』。彼女はぼくのためにきっと素晴らしく役に立ってくれることだろう。探し求めていた女優を彼女の中に見つけた気がする」「よりにもよってまさに今日というこの日に、ぼくの劇をエドヴィージュに聴かせたということ。そこに、尋常でない何かがありはしないか?」(ジャン・コクトー『占領下日記』より)<続く>
2008.05.17

ファントマにからめて「ぼったくり」番組呼ばわりしてしまった天知茂の『江戸川乱歩の美女シリーズ』。実際、あちこちの洋画をぼったくった作品であることは間違いないし、特に初期のころのお下劣さ、エグさ、人命軽視は呆れるばかりなのだが、明智小五郎を演じる天知茂という俳優のニヒルなキャラクター(と眉間のシワ)がすべてを救った長寿人気番組。なかでも最高傑作の呼び声が高いのは、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』を脚色した『悪魔のような美女』。こちらが黒蜥蜴のアジト。もういきなり、『美女と野獣』のぼったくり。野獣の城にあって黒蜥蜴のアジトにないものは、気品。黒蜥蜴のアジトは、怪しげなキャバレーのよう。黒蜥蜴の趣味は、人間の剥製作り。↑は剥製にされた「美青年」。なんてたって役名も「美青年」。しかも演じているのは宅間伸らしい。その黒蜥蜴からリッチな宝石商に脅迫状が届く。狙いは20億のダイヤか!?「ダイハツ」で現場に急行する明智小五郎。『ファントマ』のファンドールがBMWのロードスターをカッコよく乗りこなしていたことを思うと、その落差にはただただ涙。宝石商の滞在先:電話は4126=よいふろ(海底温泉もある)http://www.sunhatoya.co.jp/20億のダイヤを所有しているというのに、信じられないぐらいの庶民派だ。さて、黒蜥蜴の正体を見抜いた明智だが……催眠スプレーを発射され、あっけなく逃げられてしまう。明智小五郎はいつも、コレで悪人を取り逃がしている。そして、ホテルからは、張り込んだ刑事の誰も気づかない見事な変装で逃走。黒蜥蜴はまた、見事な変装メイク、いや変装パックも披露。これで宝石商の娘になりすましている…… あまりに見事なためか、またもや誰も気づかない。事件を報道するテレビ。なんと! 「やじうまプラス」、いや「やじうまワイド」かな? とにかく吉沢アナはベテランだということを再確認。ファントマのごとく、海上へ逃亡する黒蜥蜴。しかし、乗ってる船には眼を疑う。ただの作業船では? おまけに相当くたびれて汚い。なのに、あたまに冠をのっけて、ひとりゴージャスに着飾る黒蜥蜴。数々のワンパタな展開を経て、いよいよ明智に追い詰められ……指輪に仕込んだ毒をあおる黒蜥蜴。実はこの場面はすべて、ジャン・マレー主演の『ルイ・ブラス』のぼったくり。あんまり堂々と同じなんて、初めて見たときは心から驚いた。明智小五郎はいまだかつて、悪人を生け捕りにしたことがない。毒を飲んだ黒蜥蜴に、愛の告白をされる明智小五郎。寅さんなみのワンパターンなエンディング。黒蜥蜴は接吻を要求。毒を飲んだ唇を避ける、案外小心者の明智。黒蜥蜴の死に顔はグレタ・ガルボ(『椿姫』)+ジャン・マレー÷2といったところか?出ずっぱりの特別出演小川真由美。-完-【◎メ在庫30台以上 】悪魔のような美女 江戸川乱歩黒蜥蜴 【日本映画】 KINGRECORD KIBF-3161
2008.05.15

ファントマシリーズ第ニ作は、イタリアが舞台。前作に比べて多少、ジューヴ警部のギャグもトーンダウン、エレーヌ(ドモンジョ)のセクシー度もやや控えめ、ファンドールのアクションも危険度が下がったように見受けられるのは残念ながら、そのかわりというのか、この第ニ作では、007並みの(??)スパイ御用達小道具が活躍…… するような、そうでもないような? まぁ、それに、ジャン・マレーの変装&コスプレは案外楽しめる。まずは、ジャン・マレーお得意の老けメイク。背中を丸くして(なにか入れてるよう)、髪はぼさぼさ、浮世離れした老学者の雰囲気をよく出している。ローマでこの学者がホンモノを含めて3人になってしまい、まったくワケわからない。第ニ作のファントマ変装のヒットは、この東山紀之風の忍者コスプレ(ん? 東山紀之はまだ生まれてないか?)かも。全体としては忍者ルックなのだけど、じゃらじゃら下げた銀のアクセサリーは思いっきり洋風。妖しげな眼張りがスゴイ。50歳超えて、本当によくやる。これはニ作目で一番セクシーだったドモンジョのコスプレ、いや仮装パーティの衣装。全身スケスケの思いっきりの良さ。えらいぞ! ドモンジョ! ただ、残念ながら全体としては衣装の露出度は前作に比べて落ちている。結構、ガッカリしたりして(苦笑)。このセクシーな衣装の恋人に、「モン・シェリ~!」とこれまた超コケティッシュな高い声で抱きつかれても、「あとあと」と引き剥がして、ファントマを追いかけるファンドールの行為はもはや犯罪的では? ちなみにこの衣装のマネをしているとしか思えないのが、明智小五郎シリーズ『天国と地獄の美女』での叶和貴子だった。天国と地獄の美女 江戸川乱歩の パノラマ島奇談(DVD) ◆20%OFF!何気なく『美女と野獣』風の装飾があったりする。こちらは、007シリーズに先駆けたと、(ごく一部の)マニアの間で評価の高い空飛ぶシトロエン。煮えたぎった溶岩さながらのセット。なぜいきなりこんなものが出てくるのか、まったく不明。でも、これも『天国と地獄の美女』が完全にぼったくっていた。ラストはやっぱり、ファンドールとジューヴのランデブー。今回はパラシュートなしで飛行機から落ちてしまったジューヴをファンドールが助けに行く。ここで音楽が突然、まるでミシェル・ルグランの『華麗なる賭け』を彷彿とさせるようなロマンティックでムーディなものに変わり、「ナンなんだ、この音楽??」と、観客がボーゼンとなるワケなんだな。そして、空に舞い上がったとたん、ただの翼のついたちゃっちいミニカーに変わったシトロエンがFINの文字を描く。ま、結論は、論評するのもバカバカしいくらい、キュートな作品ってことで…… ちゃんちゃんファントマ 電光石火(DVD) ◆20%OFF!・ファントマ 電光石火@映画生活
2008.05.14

<きのうから続く>変装したファントマは、ほとんどがジャン・マレーが演じている。そしてファントマは、素のマレーが演じているファンドール記者にもなりすます。これがファンドールになったファントマ。たしかにファンドール(つまりマレー)なのだが、ちょっと違っているようにも見える。だいたい性格がまったく違う。双子のようにそっくりなのに性格がまったく違う2役は、マレーが若いころ演じた『ルイ・ブラス』での2役にルーツがある。すでに舞台では、その前に『タイプライター』で2役を演じている。ちなみに、両方とも台本はコクトーが書いた。ファントマでは、オールドなクルマやバイク(バイクは1作目だけだけど)も楽しめる。こんなふうに↑キャディラックつぶしたり、トライアンフに乗ったり。そして、逃げるファントマもマレーなら、追うファンドールもマレー。しかし、なんで新聞記者が悪者を自分で追いかけてるんだ? しかも、ファンドールったら、このバイクを奪うために警官を張り倒してる!このバイクでのチェース・シーンに突っ込みを入れさせてもらうと、ファンドールとジューヴが乗ってるバイクがトライアンフになったりBMWになったりしてる! もう1車種使っているようだったが、判別はできなかった。Mizumizu以上のマニアがいたら、情報求む!そして、有名な『ファントマ』のヘリコプター・シーン。これがあるから、『ロバと王女』でマレー国王はヘリで登場したのだ。しかし、このヘリ・シーンは、本当に見ていて「危ない」と思った。まず、ヘリから垂らした梯子ロープに移るマレー。ヘリが上昇するなか、ぐいぐい梯子ロープをのぼっていく!愉快そうに手を広げたりする。……危ないって! そして、ヘリがここまで小さくなるまで、カメラの切換いっさいなし。つまりカットなしの長~いワンショットで撮られている。ということは、ずっとマレーがあの梯子ロープにへばりついたままだということだ。本当に、命知らずの50歳としか、いいようがない。実際、マレーの映画では過去に死亡事故も起こっている。1957年の『SOS ノローニャ』(監督ジョルジュ・ルキエ)。マレーの友人でもあった俳優が撮影中に溺死したのだ。このときコクトーはマレーに次のような手紙を送っている。「こんどの映画で起きた悲劇には、さぞ心を痛めただろうね。君は吹き替えを使うのをいやがるから、海中に落ちたのは君だったかもしれない、そう思ってぞっとした。十分に気をつけて欲しい」(『ジャン・マレーへの手紙』より)コクトーが亡くなったのは、1963年10月11日。『ファントマ』の公開は1964年。つまり、『ファントマ』は、マレーにとって「生涯で一番つらい時期」(マレー自伝より)に撮影されたということだ。ヘリコプターによるアクションシーンはラスト近くにもある。今度はファンドールがヘリから逃亡するファントマのモーターボートに飛び降りようとしている。(さすがに、このシーンはスタントマンを使ってると思うが……)あえなく失敗して、水中へドボン! (思いっきり「海中に落ちて」ますよ、天国のコクトー先生)ジューヴ警部も水中に没しかけた(苦笑)ところに、なぜか恋人がゴムボート(! モーターボートでガンガンに走って逃げていたのに、手漕ぎのゴムボートで追いつくって……)で救出にくる。……で、3人の大の大人がゴムボートに乗ろうと四苦八苦し、見てるほうは完全に呆れかえったところで、第一作は終了。ちなみに、あの(と言ってももはや、憶えている人もいないかもしれないが)天知茂の明智小五郎シリーズの『黄金仮面』でのヘリの使い方、ロベール(=怪盗・黄金仮面)のキャラクターづけなどは、ファントマ第一作にあまりに似ている。『天国と地獄の美女』はファントマ第二作を相当にぼったくっている。明智小五郎シリーズのスタッフにジャン・マレーフリークがいるのはまず間違いない。【○メ在庫~30台 】妖精の美女 江戸川乱歩の黄金仮面 【日本映画】 KINGRECORD KIBF-3159 しかし、黄金仮面のロベール(伊吹吾郎)が『水戸黄門』の格さんになってるのを見たときは、結構驚いたなあ。そうそう、音楽を忘れていた。『ファントマ』のテーマは、ミュージカル『オペラ座の怪人』(ロイド・ウェバー作曲、1986年初演)で復活した、としか思えない。オーケストラで聴く『オペラ座の怪人』 ~ザ・ベスト・オブ・アンドリュー・ロイド=ウェバー『ファントマ』はかくも、侮りがたい作品なのだ。<続く>
2008.05.13

2006年にリバイバル上映された『ファントマ』。5月14日、つまり明日の午前2時からCSでも放映されるらしい。007シリーズの亜流と思っている向きも多いやに聞くが、なんのなんの。『ファントマ』は007とは全然違う魅力をもった、フランス人の、フランス人による、フランス人のための、最高に笑える「活劇」娯楽映画なのだ。もうMizumizuは、だ~い好き。どこが好きかといえば、『ロバと王女』にも通じることだが、とにかく、まったく、徹頭徹尾ばかばかしいこと! そして、それをフランスを代表する名優たちが大真面目に演じていること。『ファントマ』はおかしい。でも、下ネタや悪口で人を笑わせるのではない。ジューヴ警部役のルイ・ド・フュネスの職人技のような言葉のギャクと身振りの滑稽さで笑わせるのだ。まさしく上質の喜劇。喜劇の王道。フュネスを見れば、喜劇役者がどうあるべきかわかるというもの。フランスの生んだ世紀の大悪党ファントマは、いくつもの顔をもつ。しかも、そのほとんどをジャン・マレーが演じているのだ。これってマレー? いや違う? と思って見ているだけでも飽きない。しかも、ファントマを追う新聞記者ファンドールを演じているのもマレーだから、話はややこしい。ファンドールの恋人を演じるのはミレーヌ・ドモンジョ。ドモンジョはとびきりセクシー。でも、脱がない女優なのだ。お風呂(笑)に入ったり、シャワーを浴びたりといったありきたりのお色気サービスシーンもないし、過激なラブシーンもない。そこがイイ。そのかわり(1作目だけだったけど)、ノーブラ! ドモンジョのノーブラはハッキリ言ってすごい! ヌードより萌えること間違いなし。ジャン・マレー、ルイ・ド・フュネス、ミレーヌ・ドモンジョのケミストリー(共演することで生まれる一種の化学反応)がとても楽しい。そこに、60年代ならではの体当たりのアクション(まさに「活劇」)とキッチュな(ときにちゃちい)メカがからんでくる。『ファントマ』の影響力はスゴイ。たとえばこのマスク。フランスでは、ブルーグレーの大きな瞳とコーディネートしたカラーだったが……↓その後極秘来日して、日本の誇る美白エステを施し、犬神佐清(いぬがみ すけきよ)となったというのは、すでに疑う余地のない歴史的事実。ちなみに、マレー版ファントマはその後、亡霊となってアメリカに上陸。時を経て『ハンニバル』で蘇ったことも、レクター教授(アンソニー・ホプキンス)の立ち振る舞いを見ればほとんど間違いないだろう。まるでファントマがのりうつったかのようだった。ジャン・コクトーはマレーの演技の影響力の強さをすでに解放直後のパリで感じていた。「皆が君の演技を真似している」と志願兵となって演劇界を離れたマレーに書き送っている。ただし、ジャン・マレー自身は絶対に、レクター教授のような反社会的なサイコパスの役はやらなかっただろうけれど。ジューヴ警部↓が『ルパン3世』の銭形警部のモデルだというのは、まことしやかにささやかれる噂の域を出ないが……ジューヴ警部のDNAは『タクシー』(リュック・ベッソン監督)の署長に受け継がれているというのは、すでにMizumizuの信念となっている。『タクシー5』は作られるのか否か、個人的には今、それが問題だったりしてる。『タクシー4』での悪者のクルマはレンジローバーだった。次なる悪人の車種も気になるところ。もちろんドモンジョは、『ヤッターマン』のドロンジョの名前の由来であることは、もはや説明するまでもないハズ。『ファントマ』の第一作は、パリのヴァンドーム広場の宝飾店にロールスロイスが乗りつけるところから始まる。ロールスロイスというのが『オルフェ』の冒頭のよう…… と思っていると、クルマから出てきたのは、とても身なりがよく、上品でちょい神経質そうな老紳士。この紳士は思いっきり高価な宝石をたくさん買って出て行く。ところが、その直後、彼がファントマだとわかる。映画が公開された1960年代半ば、日本ではファントマをジャン・マレーが演じる、という話は伝わっていた。で、上の老紳士を見て、「あの美男俳優のマレーがここまで老けたか!」とショックを受ける人が続出したとか(若き日のファントマ&ファンドール役ジャン・マレーの美貌ぶりについては4/10のエントリーを参照)。彼らの中には、実はそれがマレーの老けメイクで、素のマレーはファンドール記者役をやっていると気づかなかった人もいたという。↑これが50歳前後の素のジャン・マレー(左は恋人役のドモンジョ)。上の老紳士と同一人物だとは、にわかには信じられない。だが、マレーは老け役が得意だったのだ。そのルーツは40代で舞台で演じた『シーザーとクレオパトラ』にある。シーザー役の話をもって来たとき、劇場サイドは美男俳優に気を遣っていた。「老ける必要はないよ。ジャン・マレーと契約するのは、君を醜く老けさせるためではないからね」それに対してマレーは、「シーザーのものは、シーザーに返す必要がありますよ」と答えた。マレー自身は年齢より老けられるこの役に情熱をかきたてられたという。頭髪を薄くし、鷲鼻にし、さらには声も変えて舞台に立った。初日、シーザーを演じる自分を最前列で見ていた客が、こう言うのが舞台上のマレーに聞えてきた。「演じてるのは、ジャン・マレーじゃないな」この無意識に出た客の言葉を、「私の経歴の中でもっとも尊重すべき賛辞だと私は思う」とマレーは自伝で書いている。つまり、『ファントマ』でマレーが見せた老けメイクは、その前にパリの舞台で演じたシーザー役の応用なのだ。さて、『ファントマ』は日本でDVDにもなっているが、ファントマ役を「?」としている。確かに、変装したファントマを全部マレーがやっているわけではない。ジューヴ警部に変装したファントマはもちろん、フュネスがやっている。だが、ほとんどはマレーが変装メイクで演じているのだ。禿げ頭にしたり、ひげをつけたり、めがねをかけたりしているが、だいたい眼を見ればわかる。だが、やはりというべきか、気づかない人も多いようだ。ネット上の『ファントマ』の感想文の中に、以下のような記述があるのを見つけた。「(ファントマ役は)ノークレジットだけど、誰なのかな?」マレーの言う「尊重すべき賛辞」が、未来の日本からも送られたわけだ。余談だが、ファンドールがいったん気を失い、別の場所で目覚めるというのは、明らかにジャン・マレーの代表作『オルフェ』をパロったもの。人里離れた奇妙な場所に車が突然置かれるい場面も、たぶんに『オルフェ』を思わせる。そしてファントマのアジトには、マレーのアトリビュートである大きな鏡もちゃんとあるという粋な配慮。(追記)ファントマ第一作のオープニングでは、ロールスロイスがパリの中心部を走る。↓http://jp.youtube.com/watch?v=FoVeYCe8GWE&feature=relatedこのクルマのルートがわかるあなたはパリ通。答えは、ヴァンドーム広場を背にしてカスティリオーネ通りを南下→ルーブルを背にしてリヴォリ通りを北西へ→コンコルド広場に出て(背後にマドレーヌ寺院)→シャンゼリゼへ(背後にコンコルド広場のオベリスク)→凱旋門からフォッシュ大通りへ(実はこのフォッシュ通りだけはチョイ自信がない)つまり、のっけから、もっとも華やかなパリらしい道を走ってパリ案内をしてくれているというわけ。これを見てるだけで、グッとくる。パリというのは行ってみると案外素っ気ない、そして疲れる街なのだが、離れていると妙にまた行きたくなる磁石のような魅力がある。毎日毎日東京で締め切りに追われ、休暇を取るヒマもない身となれば、なおさら。<明日もファントマについてです>
2008.05.12

ジャック・ドゥミー監督の『ロバと王女』(1970年)。これは『美女と野獣』を見ていないとオモシロさがわからない。ペローの童話「ロバの皮」を原作にしたこのステキな作品は、『美女と野獣』、そしてジャン・マレー主演の過去の名作へのオマージュなのだ。『美女と野獣』と同じく大人の観賞に耐えるファンタジーコメディであり、かつ主演のカトリーヌ・ドヌーブが最高に美しい時期に撮られているということも重要なポイント。『美女と野獣』のベル風の冠を髪に立てているのが若き日のドヌーブ。召使の顔が青く塗られているのは、彼女が青の王国の王女だから(?)。ドヌーブの父、国王を演じるのは50代も後半に入ったジャン・マレー。部屋の調度品は『美女と野獣』風に目の動く生きた彫像などがさりげなくおいてある。玉座は野獣カワイイ系?? なぜかマレー国王のお世話をするのは美青年ばっかり。部屋には青年しかいないのだ。晩年のマレーはこの手のギャグ(?)を明らかに意図的にやっている。最後の出演作品となったベルナルド・ベルトルッチの『魅せられて』(1996年)でも、レストランで若い兵士に「一緒に帰りませんか?」と誘われて、喜んで一緒に出て行き、同席していた別の青年が意味深に笑っている場面がある。このときのマレー、御年81歳。さて、マレーといえば、「小さな人々」との共演も忘れられない。『悲恋(永劫回帰)』でのアシールだけなく、『ルイ・ブラス』でも小人症の役者との印象的な場面がある。なので、当然……『ロバと王女』の小さな人々は、大変に幸せそうにちょこまかと働いている!国王は最愛の王妃を亡くして悲しみのどん底。亡き王妃の面影を映す王女を見るのが辛くなる。だからって……こんな素直な言い方はヒドイんじゃないですか?。(ま、ジャン・マレーだし)。 ところが傷心の日々を送るうち、国王は家臣から「王女は亡き王妃以上に美しくなられました」という一言を聞く。亡き妃から「再婚するなら私より美しい女性にしてください」と言われていた国王は、「では、余の再婚相手は娘か?」と思い至る。(へ、変な展開……)。 国王は国一番の賢者の意見を聞きに。なぜかそのために螺旋階段をのぼっていく。明らかにこれは『悲恋(永劫回帰)』の一場面(4/12のエントリー参照)。賢者に意見を求めると、「私なら娘と結婚します」といい加減な結論(笑)。そこで国王は、「王女と結婚するぞ」と宣言する。運命に導かれる深刻なギリシア悲劇を得意とした役者が、大真面目にズレまくった宣言をするのが、本当におかしい。娘にプロポーズし、詩を読んで聞かせるロマンチックな国王。でも、その詩って……え? オルフェ? コクトーの詩だ! 国王いわく「リラの精の贈り物だ」。うそ~、コクトーの詩だよぉ。ピカソに捧げた詩の一説でしょ。リラの精は細身のブロンド美人。『去年マリエンバートで』主演のデルフィーヌ・セイリグ。彼女、どうやら国王との間に「過去」があるようで…………だから、国王につらく当たるのだそうな。王女に向かって父との結婚なんてとんでもないと諭し、(以下のセクシーな語り歌をお聞きください。最後にチラッと見えるセイリグの脚の美しさには思わず目が釘付け??)http://jp.youtube.com/watch?v=nfdDn1qdSb8&feature=related国王を困らせる難題を次々考えて、王女に入れ知恵する。それでも国王の決意が変わらないとみるや、「魔法の箱」(実はマレー主演の『ルイ・ブラス』で出てきた小道具)を王女に与え、城から逃げ出す手配を整えてあげる。つまり、このリラの精は王女をマレー国王のそばから追い払いたいのだ。なにせ、コクトーだから……(笑)ロバの皮をかぶって変装し、城から逃げた王女はある村へ……あ、スローモーションだ! ベル(美女)が走っている! ドアが自動で開くのは『美女と野獣』と同じ。このあともコクトー得意のフィルム逆回しがやたら多用されたりして、完全に懐かしきコクトー・ワールド。そのころ国王はいなくなった王女を心配している。この鏡も『美女と野獣』。そして、王女は赤の国の王子様に出会う。王子役は若き日のジャック・ペラン。もっと渋くなってから、『ニューシネマパラダイス』のサルバトーレ役を演じた。バラをつもうとする王子。『美女と野獣』でバラをつむのは、ベルの父親だった。王女のいる小屋へ近づこうとして見えない壁に阻まれる王子。これは『オルフェ』から。あれっ、今度は『美女と野獣』のアヴナンになってる。王子の夢枕に立つ王女。これは『オルフェ』でマリア・カザレス演じる死神の行為。最後には王女と王子は結ばれてハッピーエンド。じゃ、国王はどうなったかというと……なぜかファントマ(マレー主演の娯楽映画)風にヘリで結婚式に現れる。ロケ地は『美女と野獣』のロケもやったロワール川沿い。しかも、今回は豪華にシャンボール城!なんと、ちゃっかり国王はリラの精と結婚していた! 人間と妖精の禁断の恋!? とはいえ、確かにリラの精も超美人。ちらちら見える脚は悩殺的セクシーさ。これなら亡き王妃も許してくれるでしょう(?)。おまけにリラの精はコクトーだし(やるなぁ、ジャック・ドゥミー監督!)。この成り行きになぜか、王女もまったく驚いていない(苦笑)。国王もなにごともなかったかのように「娘よ、また一緒に暮らそう」とにこやかに挨拶。幸せそうな国王とリラの精。リラの精のポーズは微妙に『去年マリエンバートで』風。ここで皆が白い衣装を着てるのは、青の国+赤の国=白…… つまりはフランス国旗ってワケ。この飛び切り楽しいオマージュ作品には、『美女と野獣』で駆け出しのメイクアップアーチストとしてメイク助手を務めたアレクサンドル・マルキュスがメイクの大御所として参加している。マルキュスは『ルイ・ブラス』でもマレーのメイクを担当した。[DVDソフト] ロバと王女 デジタルニューマスター版
2008.05.11

<きのうから続く>野獣クンのときに獰猛で、ときに重々しく、ときにファンキーで、ときに哀しい演技やベルの豪奢な衣装や美しい仕草は確かに『美女と野獣』の魅力だが、ラストで王子が登場すると、おそらくほとんどの女性はその姿に眼を奪われて、映画を見終わったときにはこの王子のことしか憶えていないのではないだろうか。コクトーはのちに俳優ジャン・マレーについて、「あらゆる特権が害となるように、彼にとっては美貌が災いだった」と書いている。つまり、その美貌があまりに際立っているために、観客はマレーにそればかりを求め、彼のもつ美貌以外の長所に眼が行かなくなってしまうということだ。『美女と野獣』の最後に登場する王子の姿を見ると、このコクトーのジャン・マレー論の一節をいつも思い出す。さて、王子の衣装についてだが、最初の衣装合わせのときにコクトーは、「完全なペロースタイルだが、まだ豪華さに欠ける」と注文を出している。ペローとは17世紀に『ペロー童話集』を書いたシャルル・ペローのこと。「眠りの森の美女」や「シンデレラ」、それに後にジャック・ドゥミー監督が『美女と野獣』へのオマージュとして制作した「ロバの皮(映画邦題は『ロバと王女』)」もペローの童話集におさめられている。コクトーの指摘に合わせてメゾンのお針子たちが改善を加えた王子の衣装は、撮影の終盤になってできあがってきた。ちょうど別映画『王妃の首飾り事件』の撮影が同じ現場で始まったところだった。王子の衣装をつけて、マレーが食堂に入っていくと、たまたま『王妃の首飾り事件』関係のスタッフが大勢いて、「センセーションが起こった」(ジャン・コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』より)という。大騒ぎの食堂の隅で、フランス一の人気俳優になった「王子」を見つめている1人の初老の映画監督がいた。同じ現場で『王妃の首飾り事件』を撮っていたマルセル・レルビエ。10年前、無名だったマレーにセクハラまがいのことをした監督だ。(マレーとレルビエについてのエピソードは3月18日のエントリー参照)ところで王子様に扮するにあたって、マレーにはかつらが用意されていた。だが、マレーがかつらを好まず、ちょうどディアーヌ(アヴナンを射る月の女神)のヘアスタイルが決まらなかったことから、王子様用に作ったかつらをディアーヌにつけさせ、マレーのほうは髪を染めて巻き毛にしたのだという。そうしてできあがったシャルマン(魅力的な)王子。↓コクトーも撮影日記で、この「シャルマン王子に扮したマレーの冠絶した優雅さ」に眼を見張っている。ジャン・マレーの美貌は彫刻的だとよく言われるが、それ以上にこの人を魅力的にしているのは、おそらく健康的な体躯とそれに相反するような陰影のある顔立ち、特に狂気をはらんだような眼ではないかと思う。悲劇性と喜劇性、健全さと狂気、優しさと冷淡さ、奔放さと従順、明るさと暗さ。そういった双極的な要素をあわせもっていたことが、マレーを20世紀のフランスを代表する俳優にしたのかもしれない。映画『美女と野獣』以降、マレーは1作品で2役をやることも多くなるが、まったく違う性格を非常にうまく表現する卓越した演技力を見せている。そんな文字通りシャルマンな王子への変身(メタモルフォーゼ)。だが、コクトー自身はそれ以上にこだわっていたメタモルフォーゼがあった。ちょっと意外にも思えるのだが、それは矢を射られたアヴナン(マレー)が野獣に変わっていくシーン。「このトリックを最後にとっておいたのは、ポンテ(注:野獣の仮面を作ったかつら屋)のマスクを2つ駄目にしなければならないから。難しいのは、マレーの表情が恐怖をうかべたままで、位置が1ミリでも動いてはならないこと。額や顎から毛を引き抜きながら、少しずつ少しずつ撮影することになる。眼にメイクし、牙もうえつけるだろう」「滅多打ちにあっているような、または天変地異をうけているようなこの変貌の過程をなんとしても手に入れたい」(前掲書)実際にできあがった映像は一種のモンタージュ。役者にしてみれば、たしかにあの大きく眼を見開いた表情を保つのは大変だっただろうと思う。「これにはマレーは3時間身じろぎひとつせず、じっとメイクを進行させていく必要がある。1ミリの4分の1動いても撮影は失敗する」(前掲書)本当に原始的なやり方だったわけね。3時間…… ほとんど禅の修行僧の世界……撮影自体はうまくいったものの、なかなかイメージどおりに編集できなかったようで、モンタージュ作成中の日記にコクトーは、「ぼくはまだ不満」と書いている。だが、最終的には納得のいく映像になったらしく、映画が完成したあと、マレーへ手紙で、「アヴナンから野獣に変身する君は本当に素晴らしい」と書いている。日本にもメタモルフォーゼにこだわった天才がいる。「ぼくがもっとも色気を感じるのはメタモルフォーゼ」(手塚治虫)なにに色気を感じるかというのは、表現者の方向性を決める大切な要素だ。あまりに残酷なものや反社会的なものに色気を感じてしまうと、その人は不幸。犯罪者になってしまう。だが、普通の人が感じないようなものに色気を感じる感性があれば、芸術家としては大きな武器になる。アーク灯の紫外線で痛めつけられ、さまざまな病気を併発してほとんど死にかけたコクトー。撮影終了後マレーが、「君がこんなひどいことになるんなら、一緒に映画を撮るのはもう無理だよね」と聞くと、コクトーはこんなふうに答えている。「君の顔や手を拷問にかけてしまったんだ。ぼくが罰を受けるのは当然さ。それにね、ぼくは病気になって幸せだったんだよ。君たちのような友をもてたのも病気になったおかげだからね。明日から現場に行って、『よう! 将軍』なんて声をかけてもらえなくなるかと思うと、さみしくてしょうがないよ」そんなコクトーについてマレーは、「ジャンは人との交流に情熱を傾けていた。すべてを分かち合いたがった」(ジャン・マレー著『私のジャン・コクトー』)と書いている。<5/17のエントリーへ続く>
2008.05.10

ジャン・コクトーは1945年10月16日の撮影日記に書いている。「誇る気持ちはまったくないが、ぼくが現在苦しんでいるようなものに苦しみつつ、ぼくが現在やっているような仕事をする人間が、果たしているだろうか」。コクトーが「手仕事」と呼んだ映画『美女と野獣』の撮影。物不足、電力不足、資金不足の三重苦に加え(いや、だからこそ?)、主要スタッフを次々襲った体調不良。豊かな今の時代からすると信じられないような悪条件。撮影日記を読むと、印象的だったシーンも、想像以上に原始的な手法で撮られているのがわかる。たとえば、Mizumizuが個人的に大好きな「ベルとの散歩の会話中に、野獣が(好物の獲物である)鹿の気配を感じて思わずピクッとする」シーン。http://www.youtube.com/watch?v=HFNvKNzNMmE↑この動画の6:30のあたり。耳(なぜか丸くてカワイイ!)がピンと立って、ピクピクッと前後に動き、眼がキョロッとする。それから思わず鹿の方向に首を向けてしまう野獣。で、自分との会話中に、突然あさっての方向に気をとられた野獣が気に入らなかったらしく(苦笑)、ベルが妙に高慢な一言。「このアタクシが……」このときの野獣の耳はどうやって動かしたのかと思いきや、なんと、技術顧問を務めたルネ・クレマンが野獣役のジャン・マレーのコルレット(ギザギザつきよだれかけを逆さにしたような、あの大げさで、微妙にファニーな襞襟)の後ろに隠れ、枝の叉(!)で耳を動かしたのだという。ベルというのは、結構ヒドイ女なのだ。食事の席で、ベルの椅子に跪いた野獣の頭を撫ぜるのだが、その手つきが動物を撫でるようだと野獣がクレーム(苦笑)する。すると、「だって、あなた……」あっさり言われてしまい、「えっ?」というようにベルを見やり、小刻みに震えながら顔を伏せるマレーの短い演技が、野獣クンの「悲劇性と喜劇性」を端的に示す。すぐに威厳を取り戻して、重々しく話し始めるのも、この双極性を際立たせている。また、散歩のときに、「誰かお前に結婚を申し込んだ男がいるのか?」と野獣に尋ねられ、「ウィ」と答えるベル。「若い男か?」「ええ」「ハンサムか?」「ええ」「名前は?」「アヴナン」。さらさら言われて野獣は、それこそ胸にケモノの牙でも突き刺さったように苦悩し(オーバーじゃ!・笑)、突然駆け去る! それを見てベルが一言。って……。傷ついているんだよ、ボクは(by 野獣)。上のシーンは、http://www.youtube.com/watch?v=ni32a1MPGxY&feature=relatedの0:20と1:30あたりから。このシーンがそんなに危険だったの? というのもある。1)アヴナンが月の女神(ディアーヌ)の矢に射られるシーン。http://www.youtube.com/watch?v=EY9tHc-Ea6oの5:30あたりこのシーン、実際にアヴナン(ジャン・マレー)がベルの兄役に両手をつかまれ、空中にぶらさがっている状態で撮られた。マレーは背中のケープの下にコルク板を鎖で身体に巻きつけて入れていた。カメラクレーンに乗った射手が本当の矢をそこに放つという段取り。一矢で殺すわけだから、なるたけ首に近いところを狙う必要があった。ところがぶらさがっているマレーとカメラクレーンの位置関係は、射手にとってはやりにくいものだった。事故を恐れた射手が、「上から狙って、下向きに射っていいですか? でないと首か頭に当たりそうだ」と尋ねる。即座にダメ出ししたのは、ぶらさがっているマレー。「ディアーヌは下にいるのに、矢が上から刺さったら変だろう。そのまま射ってくれ」まっすぐに矢が放たれる。すると、矢先がコルク板で跳ねてしまい、布地をすべって、マレーの首筋をかすめた。現場のスタッフ全員が凍りつく。一番怖気づいたのは射手だった。「やばいですよ。首筋を射抜くところだった。ダメだ。できません」「もうやめておこう」中断しようとするコクトー。だが、マレーはやめようとしない。「身体の方向を変えてみる。それでどうか見てくれ」ぶらさがったまま、腕で身体を支えて動かし、背中を少し横にするようなポーズをとった。「これなら大丈夫そうです」射手が矢を放つ。うまく下から刺さったように撮れた。現場のスタッフはマレーの腕の力の強さに驚嘆した。2)最後の王子とベルの飛翔シーン。ベルの代役の女性と王子役のマレーが4メートル(! とコクトーは書いているが、いくらなんでもそこまで高くなかったのではないかと思う)の高さのセットから空中に飛び出し、下の草地の上に飛び降りる。それをスローモーションの逆回しで飛翔しているように見せるという手法。ところが、実際に上にのぼったところで、スタント役の女性がおびえて「できない」と言い出す。フィルムだけがいたずらに高速で回る。マレーが説得し、彼女に恐怖感を与えないように、抱えるようにして後ろ向きに飛び出し、背中を下にして跳んだ(き、危険すぎませんか!?)。だが、落ちかたがまずく、脚が下になってしまった。「もう一度、お願いします」と、コクトー。「嫌です。こわすぎます」拒否する女性。マレーがまた説き伏せる役目(イイ男はつらいよ)。やっと彼女は心を決めて、跳んでくれた。それが彼女の限界。この2回の無鉄砲すぎるスタントを編集したのがラストの飛翔シーンというワケ。やれやれ、よく誰も怪我をしなかったなぁ……(苦笑)。<続く>
2008.05.09

<きのうから続く>『美女と野獣』というタイトルが示すとおり、この映画のもう1つの大きな魅力はベル(美女)の美しさを際立たせる、豪奢で華麗な衣装だろう。衣装についてコクトーは、「ギリシア風ではなく、どの特定の時代のものでもないもの。ドレスであってドレスでないもの」という注文を出している。そしてコクトーが最大限の賛辞を捧げているのは、実際に衣装を縫ってくれたお針子(といっても皆お婆さんだったらしいが)だった。その入念さや仕事への責任感は並外れたもので、「おそらくこの伝統は、彼女たちがいなくなれば滅びる」とコクトーは言っている。おもしろいと思うのは、コクトーはこの映画に入る前にヴィヴィアン・リー主演の『風と共に去りぬ』を見ており、それに触発されて、「『美女と野獣』にも思いがけない色彩をもちこみたい。たとえば空色のドレスとか」と『占領下日記』に書いていることだ。一部カラーを入れるという構想は実現しなかったが、「空色のドレス」はのちにジャック・ドゥミー監督が『美女と野獣』へのオマージュとして制作した『ロバと王女』で、カトリーヌ・ドゥヌーブに着せている。これが『ロバと王女』の空色のドレス。「父上と結婚なんて大きな間違い」と一見まっとうなことを諭している左の妖精は、実はコクトーの化身(!)。そしてドヌーブ演じる王女が「いっそ結婚してしまおうかしら」と思っている父上を演じているのは60歳近くなったジャン・マレー。こちらは本家『美女と野獣』。http://www.youtube.com/watch?v=Isy43UcKPOw&feature=related↑このYou TUBEの動画制作者は、ベラール案による人の手のローソク立てや、スローモーションで走っていくベル(美女)のポーズや衣装の襞の美しさに感動しているようだ。ハリウッド映画のような資本力は皆無のフランス映画界。それでも、『美女と野獣』の衣装に見る卓越した美意識は、コクトーのフランス人としてのプライドを感じさせる。1945年、ようやくドイツが降伏したものの、フランス人同士がまだ醜い内ゲバを演じ、殺伐としていた時期にあえてコクトーがこのおとぎ話を撮ったのは、決して偶然ではなく、現実逃避でもない。『美女と野獣』のころ、コクトーは言っている。「戦ってはならない。フランスにはアナーキーという伝統がある。占領したければすればいい。フランスはこの伝統で必ず支配者を征服する」。コクトーの映画はまったく政治的ではない。いずれかの体制を批判したり、賛美したりするニュアンスはいっさいない。どこの時代なのかどの国なのかわからない、だがどこからどう見ても真にフランス的な世界を華麗に構築することで、コクトーは「フランス人の力」を示そうとしたのだ。もう1つコクトーをインスパイヤーしたのは、ジャン・マレーという男性のもつ「野獣性」だった。『悲恋(永劫回帰)』では、コクトーはマレーの中にある「騎士的な性格」に注目した。だが、あるとき、それがいつなのかはわからないが、コクトーはマレーには「飼いならせない野獣」の面もあることに気づいたのだろう。演劇界を牛耳っていた実力者のロブローを殴り倒し、その報復として『アンドロマック』が途方もない広がりを見せ、マスコミからの非難を一身に受けていたときのマレーを見て、コクトーは日記に「彼には野獣がもつ孤独と優雅がある」と書いている。48歳と23歳で2人が出会ったとき、ジャン・マレーは信じられないくらいウブな演劇青年だった。10代のころから不純異性&同性交遊(笑)で名をはせたコクトーとはまったく違う。マレーの最愛の人は母親で、23歳まで彼に「恋人」と呼べる存在はまったくいなかったのだ(あんなにハンサムなのに)。マレーは母からコクトーとの交際を反対され、なんとか認めてもらおうと真剣だった。コクトーはそんなマレーの気持ちをうけて、マレーの母親に「あなたの息子さんはこの地上でぼくがいちばんに愛し、大切に思っているものです。ですから、ぼくたちの仕事がときにあなたからジャン(=マレー)を取り上げることになっても、私をあまり悪く思わないでいただきたいのです。ジャンがあなたを思う気持ちはほんとうに可憐で、私が彼のことを素晴らしく思う第一の理由になっています」(『ジャン・マレーへの手紙』に掲載)と書き送っている。そんな可憐な超マザコン青年は、だが、ただコクトー好みの美貌とたくましい肉体をもっているというだけではなかったのだ。もし、コクトーが単にマレーの外見を愛しただけだったら、2人の関係はそんなに長くは続かなかっただろう。ジャン・マレーという男性は、その精神と生き方、そして俳優としての才能でコクトーを魅了しつづける。まさにコクトーの詩神(ミューズ)であり、インスピレーションの源だったのだ。2人が出会って1年ぐらいたったころ、世間なみの恋人同士のようにコクトーはマレーと別れるかどうかで悩んだ時期があった。「ぼくにはぼくを愛してくれる青年も、女性もいるのだから、ぼくらは別々の道を行ったほうがいいのかもしれないと思った」などとマレーに書いている。だが、翌年にはもう離れられない運命にあることを悟る。「ぼくのジャン(=マレー)、愛ゆえに狂った男に寛容さを示してほしい。ぼくは決めた。この狂気からぼくは醒めない。決して正気には戻らない」(『ジャン・マレーへの手紙』より)その言葉どおり、コクトーのマレーへの狂気のような愛は本当に、生涯醒めない。『美女と野獣』でも、コクトーとマレーは主と従というような関係ではなかった。「今日の午後、すっかり頭が混乱してしまった。もうどうやってイメージをまとめていいかわからなくなっていた。ジャン・マレーがぼくを窮地から救ってくれる。ぼくに助け舟を出してくれ、驚くべき根気と勘のよさでぼくのもつれを解きほぐしてくれたのだ」(ジャン・コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』より)マレーのほうも、ほとんど瀕死の状態になりながらも映画を撮り、かつ周囲への思いやりを忘れないコクトーへの尊敬の念を隠さない。「ジャン(=コクトー)は死を恐れなかった。それどころか一緒にすむ女友達のように死を考えていた。(映画を撮り終えて)彼の最初の気遣いは、裏方や照明係、スタッフ全員にまず映画を見せることだった。こういう配慮をする演出家や作者を、私はあまり知らない」(ジャン・マレー『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』より)<続く>
2008.05.08
<きのうから続く>ジャン・コクトーはこの映画の撮影日記を残している。『美女と野獣 ある映画の日記』(秋山和夫訳、筑摩書房)。この本を読めばあの美しい映画のシーンが、どのような気持ちをこめて、どんなふうに撮られたかよくわかる。だが、それはほとんど凄惨といっていい記録だ。途中からは監督コクトーを襲った病魔のため、まるで闘病日記のようになっている。見る者をチマチマした現実から解き放ち、夢幻の世界に誘うおとぎ話を映像化するために、大げさではなくコクトーは死ぬ一歩手前のところまで行っていた。撮影日記の最初は、だが、コクトーの昂揚感と期待感に満ちて始まる。「1年間のさまざまな準備と障害のあと、やっと1つの夢に体ごとぶつかってゆくときが来た」「倹約のこの時代が課してくる多くの制限のもとで映画を撮らなければならない」「しかし、それはおそらく、豊かさに触れればただちに眠り込んでしまう想像力をかきたてる手段ともなるはずだ」最初の悪い予兆は、ミラ(ベルの意地悪な長姉フェリシー役。背が高いほうの姉)の落馬事故。棹立ちになった馬から投げ出され、強く地面に叩きつけられた。コクトーは一瞬ミラが死んだのではないかと思ったほど。彼らはロワール川流域の古城で撮影をしていたが、すぐにミラをトゥールの病院へ運ぶ。幸い骨折はなかったが、ミラはそのまま入院。病院から撮影現場に通うことになった。次にマレー(アヴナン、野獣、王子役)の腿の内側に大きな腫れ物ができた。コクトーも2箇所に腫れ物ができていた。また病院へ。マレーの腫れ物には針が刺され、「24時間安静に」と言いわたされる。というわけでマレーも入院。腫れ物は膿を出しただけでは、結局治らず、手術することになった。手術前のマレーの様子をコクトーは、「痛みで苛立ち、ひどく不機嫌」と書いている。マレーは手術を終えたが、棹立ちになる乗馬シーンの撮影中に縫った傷が開いてきてしまった。コクトーは吹き替えのスタントマンを使うことにする。これにマレーはひどく抵抗している。『カルメン』でも、危険なシーンのスタントをすべて自分でこなしたのだ。マレーは乗馬には自信があった。「ジャン、傷が治るまで少し待ってくれないか。あと数日だけ。もう一度やらせて欲しい」と、コクトーに頼むマレー。「いや、ジャノ。映画ではトリックがときに真実以上に大事になるんだよ。事実を事実として撮ると平板になってしまうこともある。事実かどうかが問題じゃないんだ。単なるスタントだったら、軽業師のほうが役者よりうまい。そうだろう?」「棹立ちになるだけじゃないか。替え玉を使ったら引いて撮らないといけなくなる。迫力に欠けないか」「このシーンはそれで十分だよ。編集でカットするかもしれないし。君はとにかく傷を治さないと」マレーを説得するコクトー。しかも、往診に来た医師が気になることをマレーとコクトーに告げた。「マレー君の耳の裏に、また腫瘍ができかけている」耳の裏に違和感は感じていたが、この診断はマレーにはショックだった。「先生、こんな大きな腫れ物が首にできたら困るんですが」「疲労を避けて安静にしてくれたまえ。悪化するかどうかは、君の抵抗力にかかっているからね」コクトーは覚悟を決めて、マレーに言った。「ジャノ、君がもし出演できなくなったら、ぼくらのこの闘いは終わりにしよう。君なしではこの映画は撮れないからね」幸いにもマレーの耳の腫瘍は悪化せずにすんだ。だが、ミラのほうは怪我のあと、気管支炎を患い、高熱が出た。体調不良を押して撮影現場にくるミラは精神が不安定になり、すぐに泣き出す。それをマレーが一所懸命なぐさめた。ミラを車で病院に送るのもマレー。そのマレーのほうも、野獣メイクに苦労する。昨日も書いたように、この特殊メイクは一種のかつらをパーツに分けて顔に糊で貼るという原始的なもの。顔に3時間、両手に1時間ずつかかった。「メイクアップに明らかに苛立っているマレーはそんな自分を怒っている。俳優としての心構えで彼が最も大切にしている、平然とありたいという意志がそうさせているのだ」「マレーはメイクがすみ、手もできたが爪がなかなかしっかり付かないのに癇癪を起こし、ぼくらと一緒にならずに楽屋に閉じこもる」(コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』より)糊で貼っているのだから、当然はがすときは非常に痛い。「昨日はマスクをはがすとき彼は顔を蒼白にした。糊でむれてしまうのだ。映画へのこうした闘いは残酷でしかない。いっそ止めてしまおうかとも思う」(前掲書)この肉食獣は、メイクの崩れを気にして(笑)、ビスケットとかスープの類しか食べなかった。必要のない食事療法を強いられたマレーはだんだんにやつれていった。ある日、コクトーはマスクをはがしたマレーの顔色が悪いことに気づく。咳も出ている。また病院へ。「医師の検査ではジャノは思わしくない。やつれた顔を毛と糊のあのメイクで隠して野獣を演じする姿を見ることになるのが心配でならない」(前掲書)コクトーも急激に体調を崩していく。撮影に使う強いアーク灯にやられ、ほとんどありとあらゆる皮膚病にかかり、髭剃りもできなくなった。持病で、一度は治ったと自分で思っていた糖尿病が再発。そこに神経痛、気管支炎、歯痛、風邪もひいたら治らなくなった。朝目覚めると、まず感じるのは体のどこかの痛み、あるいは痒み。「マレーの顔や手に余りに過酷な甲皮を鎧わせて、そのうえ、はずすときに拷問のような手当てと同じ苦しみを味わわせてしまった。だから、ぼくの顔が自壊し、腫れ上がり、裂け、傷だらけ、無精ひげがのび放題となったのも、ぼくの方針なのではあるまいか」「この映画の最後でマレーを射抜く矢(注:マレー演じるアヴナンがディアーヌの矢で死ぬことを言っている)は、ぼくには投光器のアーク灯の光であり、ぼくの眼や額や顎を傷つけ、少しよくなったかと思うと、また同じ場所を攻撃している。今夜は実に耐え難い」(前掲書)秋も深まったある日、マレーのところにコクトーの主治医から電話が入る。「ジャノ、とにかくジャンを説得して、入院させてほしい。でないと命の保証はできない。いや、2日以内に血毒で死ぬよ」この映画に賭けるコクトーの情熱を誰よりも知っていたマレーは苦悩する。だが、医師にそこまで言われて、撮影を続行させることはできなかった。マレーはコクトーに告げる。「ジャン、明日入院してほしい。ぼくたちが連れて行くから」マレーのきっぱりとした態度に、コクトーは涙を流して同意した。「顔の激痛が耐え難い。診察の時間までもつかどうかと思われるほど苦しい。仕事を中断するのはどんなに辛いことか。だがもう限界を超えてしまった。もうできない。気が狂いそう」(前掲書)撮影は一時中断となる。入院したコクトーのベッドにはガラス張りの囲い。リンパ管炎、首筋には結合組織炎、体中の皮膚炎…… 当時フランスにはペニシリンはなく、ニューヨークから取り寄せたものがコクトーに試用された。3時間ごとの注射。コクトーは死からは免れた。だが、回復はしなかった。これ以降、コクトーが以前のような身体に戻ることはなかった。マレーは自分の体調不良を押して、そんなコクトーの看病もしている。「自分も病気なのに、ぼくの面倒を見てくれ、ぼくにインシュリンの注射をさせるジャン・マレー。彼の献身と魂からの好意がなければ、ぼくはどうなってしまうことか」(前掲書)2週間後、コクトーは撮影現場に戻る。現場の雰囲気は非常によかった。全員が一丸となってお互いを助け合っていた。コクトーはライトの強烈な光を避けるため、眼だけ穴をあけた黒い紙の帽子をかぶった異様な姿だったが、俳優全員に対し丁寧で礼儀正しい態度で演出し、冗談も飛ばした。スタッフは皆コクトーを「わが将軍」と呼んで慕っていた。技術顧問としてコクトーを助けたルネ・クレマンは、「こんな和気藹々とした現場は初めて」と眼を丸くしている。だが、過酷なメイクで痛めつけられたマレーは相変わらず状態が悪い。コクトーは野獣役に代役を立てることも考えている。「(代役に)声を変えさせ、沈んだ声の真似をさせようと考えてみた。やってみて到底不可能とわかる。マレーがこの役にあてている声の異様さは誰にも真似できない。たとえ正確に彼の演技を真似たとしても、あの催眠状態的な効果は生まれない」(前掲書)Mizumizuも、この映画の最大の魅力は、やはり野獣の演技にあると思っている。奇妙で異様な声のトーン。大げさで貴族的な台詞。歌舞伎に想を得たとも言われる独特の芝居がかった動き。ベル(美女)のつれない言葉に、いちいちショックを受け、ヨロヨロよろめいたり、がっくり後退したり、胸をかきむしったり、ダッシュで走り去ったりする孤独な野獣の悲劇性と喜劇性。<映画の話は明日へ続く><ジャン・マレーとジャン・コクトーの私生活については5月29日のエントリーへ続く>
2008.05.07

<きのうから続く>『美女と野獣』はなかなか撮影に入れなかった。最初に契約を交わしたゴーモン社は、パリ解放にともなう急激な物価の上昇(物価はあっという間に3倍になった)などを背景とする資金難を理由に、映画は作れないとコクトーに通告してくる(裏にはコクトーの対独協力をゴーモン社が疑ったためという話もある)。コクトーはボールヴェに再度掛け合う。だが、最初監督コクトーに難色を示したポールヴェは今度は、「ジャノが野獣に扮して客が呼べるのか?」と言い出す。「ジャノのファンの女の子は、ジャノの顔を見に来るんだよ。あのハンサムな顔を、なんでわざわざ醜い野獣の仮面で隠すんだ」「ジャノは、アヴナン役もやるから、最初から顔は見えるよ」「でも、シナリオ読むとさ、アヴナンはすぐ暴力ふるう荒っぽい性格だろ。ベルの姉にまで平手打ちくらわしたりさ。あんな役をジャノがやるのか?」「ぴったりだろう」「ま、ロブロー張り倒した奴だからねぇ……」「だろう? 観客はきっとあの事件を思い出して笑うよ。考えてもみてくれ。あの時代にロブローを張り倒す勇気があったフランス人は、ジャン・マレーだけだ」「まあ、それは認める」「それに、アヴナンにはアヴナンの魅力がある。アヴナンはただの悪者ではないんだ。ベルとアヴナンは本当は愛し合っているんだよ」「でも、最後にアヴナンが野獣になって死ぬんだろ? で、野獣がシャルマン(魅力的な)王子になるって? 意味わからないよ、俺には」「それには『慣れないと』って、ベルも最後に言うようにさ、これはおとぎ話だから」「アヴナンと王子が同じ顔じゃ、変だろ」「いや、似てるけど違う顔になるよ。王子はアヴナンよりずっと気品があって美しくなる」「同じ人間がやるのにか?」「ジャノならできる。似ているけど違う性格。違うけれど同じ人間なんだ」「……とにかくさ。こんなストーリーじゃ、俺は興行に自信がもてないよ」「じゃあ、テストシーンを撮ろう。それを君に見てもらって決めよう。どうだ?」ポールヴェは承諾する。コクトーがマレーに相談すると、マレーは、「よし。それなら、一番感動的なヤマ場のシーンを撮ろう」と提案する。野獣のイメージについてだが、マレー自身は立派な鹿の角のある野獣になりたいと夢想していた。鹿の角の美しさしか頭になかった。だが美術担当のベラールが、草食動物ではダメだと説明する。「ジャノ、野獣は肉食動物でないと。角があったら、たとえそれがどんなに立派でも、お笑いになってしまうよ」実はベラールがマレーに説明した野獣のイメージは、もともとはパニョルがコクトーにアドバイスしたことだった。「角」というのは、フランス語では「寝取られ亭主」につながるイメージもあった。マレーは納得する。そして有名なかつら屋のポンテのところへ行き、自分の飼い犬のムールークの毛並みを見せて、その自然な色艶の変化を見本にしてくれるよう頼む。できあがった「仮面」は、仮面というよりまさに「顔につけるかつら」で、1本1本の毛がチュールに植込まれた3つのパーツからなっていて、それを糊(!)で顔に貼りあわすのだった。歯は何本か黒ニスで塗りつぶし、気難しさを表現した。犬歯には、金の留めがねでできた牙をはめこんだ。こうしてできあがった野獣は、真に迫る悲劇的様相を呈した。だが、このメイクアップには非常に時間がかかった。顔だけで3時間。両手に1時間ずつ。この大変な作業が、撮影に入った後、マレーの精神と肉体に過重ともいえる負担を強いることになる。テストシーンを作り、試写。幸運なことに、それを見たプロデューサー夫人が泣いた。ついに映画化が認められた。だが、撮影は『悲恋(永劫回帰)』以上に困難を極めた。電力不足のために、送電中の夜間のみの撮影を強いられ、フィルムも入手困難。おまけにコクトー、マレー、ミラに呪いのような災難が降りかかった。<明日へ続く>
2008.05.06
<きのうから続く>ジャン・マレーが出征したのが1944年9月の初め。その約1ヶ月後のコクトーからマレーへの手紙に、次のような一節がある。1944年10月8日 つい先ほど、ミラが電話をしてきた。彼女は君が召集されたことを知らなかったよ。そう伝えると、長い沈黙が返ってきた。あの人は君を愛している。そしてぼくは、君を愛してくれる彼女を愛している。(ジャン・コクトー『ジャン・マレーへの手紙』三好郁朗訳、東京創元社)ミラとは女優のミラ・パレリイのこと。ミラとマレーは『カルメン』の直前に撮った『天蓋つきベッド』(1942年)で共演して親密になった。だが、そのあとすぐにマレーは9ヶ月イタリアに行ってしまい、帰国後も2人はほとんど連絡を取っていなかった。『天蓋つきベッド』では、マレーはまだそれほどブレイクしていなかったが、『カルメン』『悲恋(永劫回帰)』で一挙に人気が爆発し、映画雑誌の人気投票でもぶっち切りの一位に選ばれるスターにのしあがった。こうなると積極的に動くのは世の女性の常。マレーのほうは、コクトーの手紙でミラが自分のことを思ってくれていることを知り、まんざらでもない。ミラ自身からも戦場に手紙が届いた。マレーには休暇の特権がなく、映画の打ち合わせができずにコクトーやベラールからせっつかれていた。そんな折、結婚すれば4日間の休暇が与えられるという話が耳に入った。マレーは半分冗談、半分本気で、ミラに手紙を書く。「結婚すれば休暇がもらえるんだ。もしよかったら、ぼくと結婚してもらえませんか。もちろん、結婚直後に離婚してもかまわないから」この手紙を受け取ったパリのミラの様子は、コクトーからマレーに宛てた手紙に克明に(笑)記されている。1945年2月9日 ポール(=コクトーのマネージャー)が昨日、ミラに会った。君を呼び戻すためなら、今すぐきみと結婚してもいい、あとは自由にしてあげるからと、そう言っているよう。でも、ぼくは勧めない。デルリュー(=マレーの上官)と(パリに)戻ってきてくれたら、ずっと簡単だった。この次は、君から頼まれるのを待たずに、一緒に君に来るよう君に命令しなさいと、彼にはそう言っておいたよ。マレーのところにもミラから手紙が届く。「ジャノ、あなたとの結婚、心から望んでいます。あなたさえその気なら、私のほうは離婚なんてもちろんするつもりはありません」予想もしなかったミラの真剣モードにマレーはビックリ。――どうしよう?――とりあえず、ほっとこう。パリではミラがマレーからの返事を待っていた。1945年2月19日のコクトーからマレーへの手紙。「ミラは、君が彼女と結婚するものと決めているようだ。考えてみればそう悪い考えではないかもしれないね。彼女が言っていたよ。『早く答えがほしいわ。生き方を変えなきゃならないもの』(ひどくまじめな調子だったよ)」しかも、コクトーのコワイところは、「ミラとの結婚は悪くないんじゃないか」と言っている同じ手紙に、かつてのお気に入り俳優ジャン・ピエール・オーモンと会った話を意味深に書いているところだ。「ジャン・ピエールに会って君の話をする。それがぼくにとってどういうことだったか、わかってくれるね?」ジャン・ピエール・オーモンはコクトーがマレーに出会う前、「君こそ(ぼくの思い描く)オイディプスだ」と口説いて自作の戯曲に出演させた俳優。コクトーと出会ったマレーは初めのうち、オーモンを非常に意識していた(3/19のエントリー参照)。コクトーはオーモン以上に自分のオイディプスにぴったりのマレーに出会ってからは、オーモンとは疎遠になっていた。オーモンはユダヤ人だったため、戦争中はフランスを出てハリウッドに進出し、成功をおさめていたが、戦争末期にフランスに帰ってきて戦線に参加、そこで同業者のマレーと対談などしている。ミラに対するマレーの態度はさっぱりハッキリしない。ミラの苛立ちがコクトーのマレーへの手紙からもうかがえる。1945年3月3日 昨日バレエでポールとミラと一緒だったけれど、ミラは相変わらず裏のある物言いで、ポールが変な目で見ると文句をつける。根も葉もないことで、ポールは怒っている。君があのひとをどうするつもりなのか、まだ話してくれないね。結局マレーは、部隊がパリへ行軍した折に、ミラの家で数日間を過ごし、「もし、これが結婚というものなら、もうその話はよそう」と言って、駐屯地へ戻った。その理由について、マレーは自伝では「タバコを買いに行くにも1人で行けなくなったから」だと煙に巻いている。「タバコも1人で買いにいけない」は普通、2人のアツアツぶりを示す言葉。「そうなったから結婚しない」というのは明らかに変だ。これはミラへの配慮だろう。ミラはマレーの自伝が発表されたときは、すでに別の人と結婚(マレーとの結婚話から2-3年後にレーサーと結婚した)して外国にいた。マレーの自伝は特に名前を出す女性については相当配慮している。だが、コクトーがマレーへ書き送った手紙が自伝から遅れて出版されたため、マレーが自伝で語らなかった事情がかなりわかってしまった。ま、出征を知らせてないって時点で、結論は出てるワナ。さて、コクトーのほうにも、マレーの留守中にちょっとしたことがあった。それは『美女と野獣』でヒロインのベル役を演じたジョゼット・デイ。もともと彼女はコクトーの友人である小説家・映画監督のマルセル・パニョルの恋人で、パニョルがコクトーに使ってほしいと頼んできた女優だった。ところが、その後パニョルとデイは破局し、パニョルは30歳年下(ちなみにデイは20歳年下だった)の新たな恋人を作ってしまう。するとデイがコクトーに急接近。「あなたの子供が欲しい」と言い出したらしい。コクトーは「家族」や「子供」に対する憧れが強く、年を重ねるごとにその気持ちは強まっている。コクトーは『占領下日記』に、「息子。ジョゼットがぼくの子供が欲しいと言った。もし神の恵みがあれば、これが次のぼくの作品」と書き、すぐに線を引いて削除し、ことに「息子」のところは強く消されている。この積極的なモーションが効を奏したのかどうか定かではないが、デイは『美女と野獣』のあと、同じコクトーの監督した『恐るべき親たち』でもマレーの相手役のヒロインを務め、南仏で撮ったコクトーのプライベート映像にもマレーたちと共に出ている。また、デイがコクトーに花を贈ったり、レストランの席を予約したりしていたことは、コクトーの占領下日記にも、マレーの自伝にも出てくる。ちなみに、デイはコクトーの子供を産むことはなく、その後裕福なビジネスマンと結婚し、映画界から引退している。さて、『美女と野獣』の撮影を始めたいコクトーは、ツテを頼って必死に動き、とうとうルクレルク将軍から、マレーをパリに特別配属させる許可をもらう。マレーが毎週パリ滞在証明書にサインするのが条件だった。こうしてまさに「役者はそろった」のだが、『美女と野獣』にはまたもや障害が立ちふさがった。<続く>
2008.05.05
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<きのうから続く>『美女と野獣』(ジャン・コクトー監督)は戦後日本で初めて公開されたフランス映画。当時の日本人に与えたカルチャーショックは大きかった。まさしくフランス映画にしかない美と気品。淀川長治は、「よくわからないままに、フランスワインに酔うようにコクトーの世界に酔った」と話している。のちの世界中のファンタスティック映画に、計り知れない影響を与えた不朽の名作だが、個人的体験でいえば、15~6歳のころ初めて見て、そのときは作品の素晴らしさがさっぱり理解できなかった。20歳を超えた人はみなオジサン・オバサンに見える年頃だったせいもある。この映画の価値がわかったのはオトナになってからだ。子供のころにはわからなかった良さが大人になるとわかる。それも人生の楽しさだろう。この映画をコクトーが構想したのはパリ解放直前の1944年1月。実はその前にコクトーは『双頭の鷲』を脱稿していた。ところが、この『双頭の鷲』、できあがってもまだタイトルが決まっていなかった。コクトーは最初この物語に『美女と野獣』というタイトルをつけようとする。それを聞いたジャン・マレー(ジャノ)が、「ジャン、それはダメだよ。むしろ『美女と野獣』という名前で別の話を書いて」と言ったのだ。そこでコクトーはボーモン夫人の同名のこのおとぎ話を読む。原作に感銘を受けたコクトーは、日記に「素晴らしい物語。読めば読むほど映画のアイディアがひたすら雲のように沸いてくる」と書き、映画化を進めようと決心した。ちょうどマレーがアンドロマック上演でごたごたしていたころだ。コクトーは『悲恋(永劫回帰)』のプロデューサー、ポールヴェに企画を話す。コクトー脚本の『悲恋(永劫回帰)』が大当たりをとってホクホクのポールヴェは、「やりましょう、やりましょう」とコクトーをプッシュ。コクトーの条件は自分が監督をするということだった。ドラノワ監督の『悲恋(永劫回帰)』を見たコクトーは、脚本執筆中に自分の描いていたイメージと実際の映像との齟齬がどうしても気になったのだ。「ジャノをキャスティングした映画を自ら書き、自ら撮る」――それがコクトーの夢になった。ところが、コクトーが台本を書き始めると、ポールヴェがなんだかんだと横槍を入れ始める。「ジャン、実は社の重役会議でさ、君が監督をやりたいって話が問題視されちゃってね。君に脚本を書いてもらうのはもちろんとしても、監督は別の人間にやらせてはどうかな?」「いや、これに関しては監督は他人には譲れない。ぼくは自分で撮るつもりだよ」「君は確かに偉大な詩人だよ。ただね、映画の監督となるとまた別だろう。餅は餅屋にまかせてはどうかな」「ぼくはもう『詩人の血』を撮っているよ」「あれは芸術作品だろう? ジャノを使うとなったら、興行のことも考えないと。難しいアートじゃ、ジャノのファンはついてこないだろう」「『美女と野獣』はおとぎ話だよ。徹頭徹尾おとぎ話として書くつもり。監督もぼく自身がやる」「そんなに監督にこだわるのか?」「こだわるさ。最後までこだわる。これに関しては譲れないよ」「だけど、君がそう言い張ると、企画そのものが流れるかもしれない」「頼む。他のみんなを説得してみてくれ。もし、君の会社で作ってくれないとなると、ぼくは他をあたるしかなくなる」実はポールヴェの当時の会社ディシナ社は別監督を用意していた。今では想像しにくい話だが、コクトーの映画監督としての力量は信頼されていなかったのだ。そこでコクトーは別のゴーモン社と接触し、映画化の約束と支援をとりつけた。3月の終わりに脚本が出来上がる。脱稿したときの気持ちをコクトーは、「おとぎ話の初々しさを徹頭徹尾保てたのできわめて誇らしい気分。素敵なトリックをいろいろ考えつく。まったく単純だが、眼を見張る効果を発揮するだろう。語るのは最低限に抑えているが、筋は明快だし、展開も速やかだ」と日記に晴れやかに書いている。美術担当は、コクトーの親友クリスチャン・ベラール(通称ベベ)。マレーとコクトーが出会ったころ、よくコクトーのホテルに遊びに来て、コクトーと即興芝居を演じ、マレーを爆笑させていた美術家だ(3月26日のエントリー参照)。ベラールはコクトーの映画にはなくてはならない存在だった。生きた腕を蝋燭立てに使うなどのアイディアは、ベラールが考えたもの。ベラールについてコクトーは「お金をかけずに、至上の豪華さを表現できる。これは、まさに精神の豪華さ」と厚い信頼を寄せていた。ベラールは『オルフェ』(1949年)の撮影直前に亡くなるが、これがコクトーには取り返しのつかない痛手となる。同時期に撮影した『恐るべき子供たち』の時代設定が現代に変更されたのも、1920年代の雰囲気を再現できる美術家ベラールがいなくなったためだ。『オルフェ』が大ヒットししたにもかかわらず、それ以降、遺作となる『オルフェの遺言』までコクトーが映画らしい映画を撮らなくなったのはベラールを失ったことが非常に大きいということを、コクトー自身が認めている。1944年4月にいったんゴーモン社と契約にこぎつけたものの、その後のパリ解放にともなう混乱で話が進まなくなる。1つにはコクトーの対独協力への疑惑がゴーモン社の中で指摘されたという話もある。1944年9月にマレーが戦場に発ったあと、コクトーはベラールとともに映画の装置作りに励んでいる。物価が急激に上昇し、装置は簡素化を迫られていたが、コクトーもベラールも工夫をするのを楽しんでいた。「フェルメールの雰囲気の素敵なセットになりそうだ」とコクトーは戦地のマレーに書き送っている。フェルメールの雰囲気!?確かに、言われてみればそうだ。ヒロインのベルの家の市松模様の床や、シャンデリアの形。それにベルはフェルメールの有名な画の少女のようにターバンを巻いていたっけ。↓http://www.youtube.com/watch?v=DaG3zns3fqA&feature=related『美女と野獣』が具体化するにつれ、コクトーにとっての大問題は、「ジャノをどうやって呼び戻すか」ということになってきた。映画撮影のために休暇を取ることなど、もちろんできない。そもそも休暇そのものがなかなか認めてもらえなかった。マレーは困惑し、「戦争が長引くようなら、別の俳優をキャスティングして撮ってくれてもいい」とコクトーに書き送り、コクトーが、「何を言っているんだ、ぼくのジャノ。あれは君のために書いたものだし、そもそも君以外に野獣をやれる俳優はいない。君のような眼が備わっているのは君しかいない。野獣の孤独と誇り高さを演じられるのも君しかいない」と返している。そんなとき、「どうやら結婚すれば、休暇がもらえるらしい」という話が関係者の耳に入ってくる。<続く>
2008.05.04
<きのうから続く>マレーとコクトーは戦場とパリに分かれても、一種の共同作業を行い、戦場の兵士の待遇向上に貢献している。きっかけはマレーがコクトーに書いた手紙だった。マレーは休暇でパリに戻った彼の戦友が、パリで軒並み冷遇され、嫌悪感さえいだいて戻ってくることを伝えた。「休暇中の兵士や傷痍軍人が映画を見るのに、列の最後尾に並ばなければならないなんて、間違っていると思う。以前の映画館は兵士優先だったはずだ。映画委員会で話す機会があったら、ぜひ言ってもらえないかな。それに以前は、戦場の兵士のために編み物をしようという女性がたくさんいたよね。今はほとんどいない。戦友たちが求めているのは皆の暖かさなんだ。フランス国民は兵士たちに何もしてくれないけれど、アメリカ人は、フランスの兵隊にまで人生を楽しく過ごさせるための工夫をあれこれ凝らしてくれているよ。それなのにマギー(注:2人の友人)ときたら、兵士相手のレストランで商売している」コクトーはさっそく顔の広さを生かし、女性誌に「編み物をする女性を求む」という広告を出させる。また、映画委員会に掛け合い、物資不足の兵士のための奉仕箱制度を作らせた。さらに友人のマギーを「きつく戒めた」ため、彼女はマレーと戦友に、お詫びとして上等のブランデーを1ケース送った。もちろん、自ら戦場に赴いたマレーの行動を悪く言う人間も、特に同業者には多かった。「1人でいいカッコしやがって」「あぶない任務にはつかないように、裏で頼んでるらしいぜ」だが、一般市民の間では当然ながらマレーは尊敬されていた。マレーが戦地でスープを食べている写真が雑誌に掲載されると、女性たちは我先にと奪い合った。コクトーはそんなマレーを誇りに思っていたが、知人が戦死したり、重傷を負ったりといったニュースが次々と届くと、しだいに不安にかられ、いたたまれない気分になってくる。やはり、無理にでも引き止めるべきだった。そう思うと「気が狂いそうになる」と戦場のマレーに書き送っている。「ジャノへの心配が、ぼくには肉体的苦痛。できるかぎり1人にならないように、多すぎるくらい人と会っている。1人になると、幾多の耐え難い光景をさまざまに想像してしまい、打ちのめされた気分になってしまう」「心配がぼくの体内で病気に変化し、ぼくを麻痺させ、荒廃させ、生殺しにすることをジャノは知らなかった。彼が負傷しはしないか、戦死してしまうのではないかと、ぼくは常に心配のし通しだ」(『占領下日記』より)そんなコクトーをさらに震え上がらせる知らせが届く。マレーの部隊がアルザスに向かったのだ。アルザスは、マレーと知り合う前にコクトーともっとも親密だった彼の秘書、マルセル・キルが1940年に戦死したところだった。マルセル・キルは1936年、つまりマレーとコクトーが出会う前年に、コクトーについて日本にも来たこともある。ちなみにキルについてのちにマレーは、「彼には優しさと烈しさ、純粋さと狂気といった、今ではアラン・ドロンのもとでしかお目にかかれないような無限の魅力があった」と回想している(つまり、やっぱりイイ男だったてことですね、コクトー先生)。キルはコクトーがマレーと親密になるにつれ、なんとなくコクトーから遠ざかり、画家の女性と結婚していた。そんな因縁の地で、だが、マレーは逆に戦功十字章を授与されるという名誉に浴している。もっとも、マレー自身によれば、叙勲されたのは「ジャムを食べていたから」だという。1944年の冬、アルザスでは、すでに一般の人々は疎開していて空家が多かった。フランス軍もドイツ軍も空家に押し入り、めぼしいものはすべて略奪していった。マレーは盗みに加わることはなかったが、ジャムの誘惑にだけは勝てなかった。マレーの祖母はアルザス出身で、空家に残されたジャムがあまりに祖母の味そのものだったからだ。そこで、「これは捨てられたモノ」と自分に言い訳をし、ジャムをせっせと自分のトラックに積んで貯めこんでいた。ある日、雪に埋もれたマルコシャイムで、マレーの属する部隊は味方の軍から分断された。ドイツ軍に包囲され、四方八方から攻撃される。そんななか、マレーの眼にパンクし、立ち往生している救急車が映った。「ロシャンベル」と呼ばれた従軍看護婦が乗った救急車だった。――助けなきゃ。当然のこととして、マレーはトラックで彼女たちの救出に向かった。砲弾はまだはるか遠くに落ちていた。トラックを降り、看護婦の乗った救急車のパンクを修理した。すると砲弾が近くに落ち始めた。「伏せて!」看護婦の1人が叫んだ。――雪の中で腹ばいになるなんて、軍服濡れて嫌だなあ。一瞬、躊躇するマレー――いや、でも立ってると虚勢を張ってると思われるかな?思いなおして、伏せるマレー。その鈍い動作に看護婦の女性が慌てた。身を投げ出して、マレーと砲弾の間に入り、全身で彼を守ろうとする。――これじゃ反対だろ。マレーにとっては非常にバツの悪い体勢になってしまった。「すいません、マドモアゼル」マレーは律儀に謝って立ち上がり、救急車の反対側に移動して、今度はしっかりと身を伏せた。雪の上に腹ばいになってマレーが思ったのは、――さ、寒いぞ。ということだった。凍傷になったらヤバい。しばらく砲弾をやりすごして、自分のトラックに戻る。身体を温めようとエンジンをかけ、積んであったさくらんぼのジャムを食べ始めた。まだ砲弾が止まないなかで、トラックのエンジンをかけているバカを遠くから仲間の兵士が見つけて青くなった。「引火したらどうする! 早くトラックを降りろ!」味方の叫び声は、運転席のマレーには聞こえなかった。さくらんぼジャムはまさしくアルザス出身の祖母の味。種を吐き出しながら食べ続けた。「気を失っているんじゃないか?」心配した戦友たちは匍匐前進しながら、マレーを救出に来た。決死の思いでトラックのところまで来た彼らが見たのは、トラックの中でせっせとジャムを食べているマレーと、雪面に散らばったさくらんぼの種だった。隊に戻ると意外なことを聞かされた。その日出されていた公式命令は、エンジンをかけたままトラックから離れるなということだったのだ。そこで、その命令に忠実だったマレーに戦功十字章が与えられることになった。隊長から叙勲を知らされ、すっかり面食らうマレー。もちろん隊長には、トラックでジャムを食べていた話はいっていた。「ジャン・マレー個人としては、大変に嬉しいお話ですが、隊長。実際には私は、軍功章に値するようなことは何もしてないと思われませんか?」「ま、多少はね」「は? 多少?」「しかし、君には受ける資格があると我々は判断したわけだな。看護婦を救った行為も英雄的だ」「パンク修理しただけですが」「砲弾の嵐の中でだろう。実に立派だ」「いや、まだ遠くに落ちてると思ったもんで」「まあ、とにかくそういうことだ。おめでとう! 私も誇らしいよ」というわけで、マレーには戦功十字章が与えられた。ちなみに、砲火らしい砲火を戦地でマレーが見たのは、その日だけだったという(笑)。<続く>
2008.05.03
<きのうから続く>志願兵となることを決意したマレーは、ルクレルク師団の中隊長を務めている友人に頼み込む。当然、友人は最初は断ってきた。「ジャノ、戦場では君は一兵卒だよ。君には君にしかできない素晴らしい仕事があるじゃないか。それを続けるべきだ」「芝居ができる状態じゃないってことは君にもわかるだろう? このままパリにいたら、ゆすりたかりの手先にならないといけない。頼む。すぐにでも発ちたいんだ」「でも、すぐに戦車に乗るってわけにもいかないぜ。なんとかするにしても、せいぜい補給部隊の運転手とか、その程度の仕事になる」「かまわないよ」「本気なんだな?」「本気だよ」「じゃあ、なんとかしよう」コクトーは何と言うだろう? もちろん反対するに違いない。だが、マレーはもう心に決めていた。その日の夜、自室でコクトーに打ち明けるマレー。マレーのベッドに腰掛け、案の定コクトーは説得にかかった。「志願兵になるなんて、どうかしたんじゃないのか、ジャノ。この戦争でどれだけ友達が死んだか、考えてみてほしい」「もう決めたんだ。こっちから無理に頼み込んだんだよ」「君は確かに舞台や映画ではヒーローを演じる。でもまさか現実にヒーローになりたくて志願するわけじゃないだろうね。だとしたら、とんでもないことだよ」コクトーの真剣な顔に、マレーは笑った。「さすがに、そこまでバカじゃないよ」マレーの部屋の下には、その夜も少女たちがたむろしていた。「ジュリエットがぁ、ロミオの部屋によじのぼらないといけないのよね~」窓ガラス越しに誰かの素っ頓狂な声が聞こえた。少女たちが一斉に笑い声をあげる。「ぼくがいなくなればさ……」窓を見やって、マレーは続けた。「彼女たちもいなくなるよ。そうしたら、ずいぶんここも静かになる。今のぼくらの生活は終日監視状態だ。君は全然仕事に集中できないだろう?」それは事実だった。鳴り止まない呼び鈴に電話。コクトーはしばしば執筆に集中するためにホテルに部屋を取っていた。「ぼくがいないのを逆手にとって、何か長いものを書いてくれたら嬉しいんだけど。帰ったら読めるように」コクトーは、はっとしてマレーを見つめた。占領下時代のコクトーは、マレーへの強い気持ちから、映画や戯曲の仕事ばかりしていた。戦争の心労と世間からの侮辱にさらされていた4年間は、彼からまとまった本を書くだけの気力を奪いつつあり、彼自身もそれを自覚していた。「すべてを見通しているジャノから言われた。ぼくに書く力が残っているのかどうか。内に秘めた苦悩が、内奥の機械を狂わせ、さび付かせ、駄目にしているのではと(ジャノは)感じている」「本を書く必要がある」(ジャン・コクトー『占領下日記』より)「いずれ書くよ。約束する。ただ、書くにしても……」コクトーは額に手を当て、首をふった。「今のぼくに、君以外のことを考えろなんて、そんな難題はふっかけないでほしいよ、ジャノ」マレーは黙ってコクトーの手に自分の手を重ねた。コクトーは思った。自分たちを取り巻く状況は、確かに最悪だと。パリは無秩序が支配する荒廃した空気に満ちていた。外に出れば毎日のように見せられる悲惨な光景。多くの犯罪者が大手を振って闊歩している一方、有名な男優や女優が派手に逮捕されては、ドランシー収容所に送られている。若く純粋なマレーが窒息寸前であることは十分に理解できた。醜悪な悪意と不安と不協和音の街から離れることは、マレーにとって必要なことなのかもしれない。この4年間、コクトーはマレーが楽しそうに笑うのを、ほとんどまったく見ていなかった。戦争が始まる直前、2人はバカンス先のサントロペにいた。マレーは今ほど有名ではなく、したがって街でサインぜめにあうこともなく、2人はずっと自由だった。あのときの一番の不満は、夜遅くまで街に流れる流行歌の騒音だった。友人のツテで静かな環境のホテルを見つけてもらった。朝の遅いコクトーをマレーが起こしに来る。目覚めるとマレーの笑顔と笑窪があった。マレーの笑窪をコクトーは心から愛していた。あのときの溌剌とした笑顔を取り戻すために、パリから距離を置き、戦地に赴く必要があるとしたら、自分が止めてはならないのではないか?こうしてマレーのルクレルク師団への入隊が決まった。出発の前日、マレーとコクトーは一緒に外出した。9月になったというのに暑い日だった。2人は自転車でシャンゼリゼ通りを走り、エトワール広場(現在のシャルル・ド・ゴール広場)にさしかかった。広場では、捕虜たちが脚を縛られ、跳びはねながら連行されていくのが見えた。2人は思わず自転車を止めた。いきりたった群集がついて歩き、野次を飛ばしていた。捕虜の1人が跳ねた拍子に、ポケットから写真入れが飛び出して地面に落ちた。男はそれを拾い上げようとする。皆が足で邪魔をする。「妻だ、妻と子供の写真なんだ」男が必死に叫ぶ。誰かが写真入れを遠くに蹴り飛ばした。捕虜と群集は行ってしまった。コクトーが写真入れを拾う。「まだ若いね」写真に写った親子を見て、コクトーが言った。「ジャノ、想像できるかい? あの青年は、母親の胎内に宿り、この世に生まれて、あやされ、育てられ、大事にされ、大きくなって、そしてあの恐ろしい瞬間を迎えたんだ」「ジャン……」「ぼくはドイツ軍がやったことを知っている。あいつらはデボルト(注:小説家。コクトーのかつての愛人)を拷問して、眼をえぐり出して、地面に叩きつけて、靴で踏みにじった。ハンマーで歯を叩き割った。だからみんな、『眼には眼を、歯に歯を』だというんだろう。でも、同調してはいけない。同調しちゃいけないんだよ、ぼくのジャノ。ドイツ軍のやったことは大きな教訓として考えるべきなんだ」「ジャン、行こう」マレーはコクトーをうながした。マレーはコクトーの寛大さをよく知っていた。それが心からのものであることも。だが、同時にこうしたコクトーの態度は、普通の人々の理解を超えたものであり、したがって誤解を招くということもわかっていた。「過去を忘れてはいけない。それは犯罪だ」コクトーと対立する詩人エリュアールのこうした言葉が、喝采をもって受け入れられる世の中だったのだ。マルソー大通りをセーヌに向かって自転車で走りながら、マレーはコクトーに言った。「ジャン、君がさっき言ったこと、ぼくは手本にするよ。でも、ぼくが戦場に行ったら、君を守ることができない。またいつかのような事件(注:デモ隊に暴行を受けたことを言っている)に巻き込まれないように、本当に注意をしてほしいんだ」「彼らはぼくを殴ったんじゃない。世間ででっち上げられたぼくの幻影を殴ったんだよ」「だから心配なんだよ。君は言葉に抵抗できないんだ。だから、口に出してしまう。誰についても、何についてもね。そして、そこでしゃべったことが、歪曲されて繰り返される。それが君を苦しめている。ぼくは君が口が堅い人だってことをよく知ってるよ。ぼくがロザリー(注:マレーの母)の過去を打ち明けたのは君だけだけど(注:母親の窃盗癖と刑務所を出たり入ったりしていた過去を言っている)、君は誰にも口外しなかったよね。でも、君を口の軽い奴だと誤解してる人間もたくさんいる。それがぼくには許せないんだ」こうしたマレーの忠告に対して、コクトーは感謝と尊敬の念を日記に記している。「ぼくを見守り、変え、コントロールしてくれる、厳しいがきわめて優しいこの我が子に感謝の気持ちでいっぱい。しかもぼくがこうありたいという姿を自分の手本にしようとしているのだ。だが悲しいかな、手本を示してくれているのは彼のほうだ。彼の反応はどれを取っても高貴で深遠なのだ」翌日、マレーは笑顔で発った。「大きらいな戦争に行ってくるよ」<続く>
2008.05.02
<きのうから続く>1944年8月23日、解放の日を目の前にして、パリの治安は返って悪化していた。追い詰められた反レジスタンス兵が建物の屋根に隠れ、絶望的な反撃の機会をうかがっていた。ジャン・マレーとジャン・コクトーは夕食を取りに外出した。オペラ通りを横切り、カサノヴァ通りへ。人気のない道には紙くずや新聞紙が散乱していた。アラン・ロブローがその権勢をふるった新聞『ジュ・スイ・パルトゥー』紙の社屋のそばを通る。連合軍がパリに迫ると新聞は休刊、社屋は閉鎖され、『ジュ・スイ・パルティー(私は逃亡した)』とあだ名されていた。マレーはこんな状況下でも、髪は長めに整え、ライトブルーのツイードのスーツを着ていた。オシャレな身なりを崩さないことが彼なりの抵抗だったのだ。オペラ通りと斜めに交差するプティジャン通りから1人の男性がマレーとコクトーのほうに向かって歩いてきた。そして3人がすれ違った瞬間、銃声がとどろき、見知らぬ男性の背中から血が噴き出した。驚いて立ちすくむマレーとコクトー。男は一度立ち上がったと思うと、また倒れ、明らかに、死んだ。――狙われたのは、ぼくだ。マレーは確信した。もはや屋根に潜んだ民兵に明日はない。彼らは死ぬ運命にあるし、彼らもそれを知っていた。そんな彼らにとって、仕立てのいい服を着て派手な髪形をした男は、それだけで侮辱なのだ。8月25日、ついにパリは解放された。ルクレルク師団が市内で勝利の行進を敢行した。民兵や逃げ遅れたドイツ兵が屋根から撃ってくる。遠い戦地で激しい戦闘をくぐりぬけてきた兵士が、英雄として凱旋したパリで、家族の目の前で撃たれて死ぬ。歓声が一挙に恐怖の叫び声に変わる。あちこちで散発的な銃撃戦が起こった。パレ・ロワイヤルの上からも銃撃があり、コクトーとマレーのアパルトマンにも弾が飛び込んできた。マレーとコクトーはクリヨン・ホテルへ移動し、そこからルクレルク師団の入場行進を見物することに。だが、そこも安全ではなかった。屋根の上から狙撃手が撃ってきたのだ。ホテルの前に整列していた戦車が、ちょうどコクトーとマレーのいる建物に向かって応射を始めた。コクトーがくわえていたタバコが半分吹き飛んだ。あわてて床に伏せるコクトー。マレーは、窓ににじりより、外を覗いている。「ジャノ! 何やってるんだ!」「こんな光景めったに見られないだろ」「危ない! 伏せろ、伏せろったら!」窓際のマレーを狙撃手と間違えて、戦車が撃ってくる。大砲の口がマレーの眼に入る。砲門が火を噴き、部屋の円柱が倒れた。マレーは石膏のかすを身体に浴びながら、奇妙な昂ぶりを覚えていた。「大砲ってのも、悪くないな!」「ジャノ、窓から離れろって!」腹ばいのまま必死に叫ぶコクトー。マレーのほうはこの「幻想的な光景」を見逃すまいと窓から離れない。マレーが窓にへばりつけばつくほど、戦車からの砲撃は激しくなった。実は反レジスタンスの民兵もマレーのいる部屋のすぐ上にいて、応戦していたのだ。やがて、上からの銃声が聞こえなくなった。「頭を丸坊主に刈られた全裸の女性たちが、首を鎖でつながれて引かれていく。人々が口々に罵り、打ち据えている。彼女たちを叩く女性たちはおそらくもっと残酷なことをしているのかもしれないのだ。寒気のする光景」(ジャン・コクトー『占領下日記』より)パリ解放は戦争の終わりではなかった。先の見えない不安感でパリの人々の心はすさんでいく。みなまだ心の中ではドイツ軍が巻き返し、パリへ戻ってくるのではないかという恐怖心をぬぐいきれずにいた。パリではさまざまな粛清委員会がリストを公開し、どんどん人が逮捕されていった。俳優や作家がドランシー(ドイツがユダヤ人を収容していたところ)に拘留されていく。誰もが「フランス国内軍」の腕章をつけた。マレーも軍組織に組み入れられ、対独協力派への報復に協力するよう迫られた。対独協力派から集中砲火を浴びていたマレーは、一部からはレジスタンスの殉教者のように祭り上げられていたのだ。ある日、組織の上司がマレーを呼び出した。「マレー君、ルネ・ロシェに逮捕状が出た。君をさんざんこき下ろした天敵だろう? 行ってくれるね」「ぼくが彼を逮捕なんかしたら、個人的な復讐になりかねませんよ」「だから好都合じゃないか。恨みを晴らすいいチャンスだ」「逮捕して恨みを晴らそうなんて思っちゃいませんよ。そもそもぼくは俳優です。誰かを逮捕する権限なんて、ありません」「いまは軍の組織の一員だよ。それに俳優ならなおのことお手の物だろう。役に徹してくれたまえ」「ぼくが俳優になったわけをご存知ですか?」「いや」「人生で芝居を演じたくないからですよ。舞台の上でなら与えられた役を演じますよ。それがぼくの仕事です。でも誰かを逮捕するなんて、しかも個人的に敵だった人間を逮捕するなんて、ぼくにはできません。それこそサル芝居じゃないですか」「しかし、君はレジスタンス運動の英雄じゃないか」「ぼくはレジスタンス運動なんてやっていないですよ。芝居小屋で芝居をしていただけ」一度断っても、こうした「任務」からは逃れられそうになかった。「マレー君、ピエール・フレネに罰金命令が出た。君が伝令に行ってくれたまえ。フレネと君は敵対はしていないね?」「敵対どころか、フレネはいい奴ですよ」「なら個人的な復讐だとは誰も思わないわけだな。やりたまえ」「フレネは立派な人間ですよ。なぜ罰金を科すんです?」「そんなことは君の知ったことじゃないだろう。上からの命令だ」「お断りします。彼が罰金を払う理由なんて、ないと思いますしね」「拘束の中であれほど自由だったぼくたちの仲間が、自由の中で拘束されている」「憎悪が醜悪で危機的な状況をもたらし、パリの人々は互いに対立しあい、スターたちの抹殺を狙っている」(『占領下日記』より)権力によって強烈に抑圧されていた感情が解き放たれたとき、人々は常軌を逸した行動に走る。矛先はスターたちだけではなかった。ある日マレーが街を歩いていると、全裸の女性が手足を広げられて縛られている姿が眼に入った。大通りの真ん中だった。人々からこずき回され、顔に唾を吐きかけられ、体中が青あざだらけになっている。首に「私は夫を銃殺させました」と札をかけられていた。――またか……眼を伏せてその場を離れるマレー。こうした光景がめずらしくない――解放直後のパリはそんな状況だった。マレーはルクレルク師団に志願し、パリを離れて戦場に身を置くことを決心する。<続く>
2008.05.01
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