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現在ハワイ時間の29日の真夜中近く。日本時間では30日の夜7時ぐらいのハズ。あと9時間で日本へ向けて帰国の便に乗る。結局エンバシー・スイーツホテルの部屋からネットにアクセスできなかった。メールもだめ。せっかくマウスまで持ってきたというのに、むなしい。ホテルにはビジネスセンターというところがあり、そこに日本語対応のコンピュータが1台だけあった。が、ここでは写真の取り込みなどやる気にならず、結局ハワイからのブログ更新は見送ることに。出発前、文句タラタラだった旅行社の電話での対応だが、旅行が始まってみると、案外ちゃんとしていた。たとえば・・・Mizumizu;飛行機の席は事前に窓際を指定することはできませんか?オバ;できません! 当日成田では朝7時から弊社の窓口が開いていますので、どうしてもという場合は、早く来ていただくしかありません!なんで午後7時の出発なのに、朝7時からいかにゃならんの…それに、24時間あるいは48時間前に、Eチケットでネットで予約されたら、そっちの人たちのほうが早いワケだし。ところがJALのカウンターに行ってみると・・・窓際でお取りしています。帰りの便も窓際でお取りしてありますが…なんだ、リクエスト出してくれてたんだ。JALのほうで押さえてくれたのかもしれないけど、ラッキー。そういうことにしてくれるなら、もうちょっと言い方があるだろうに。 パンフレットには、リムジン送迎サービス、と書いてあって白いリムジンの写真があったのだが、その下に小さな文字で写真はイメージ。送迎車は3人まではセダン、4人以上はバンになりますと書いてあった。なんで、バンなんか使うのに、りむじん などと書くのよ、詐欺だ!と腹を立てたのだが・・・実際ハワイに着いたら、本当にちゃんとした白いリムジンが待っていた。2人で長いリムジンに乗り込み、細長い窓からハワイのまっさおな空をみて、快適にホテルまで着いた。個人で頼むとリムジンは140ドル、タクシーだと40ドルぐらいだとか。また、ホテルに着くのは朝9時だから、チェックイン12時までは部屋に入れない、とパンフにあったのだが・・・実際は、すぐに入れた。とまあ、パンフや担当者の説明よりずっと待遇がよかったのだ。では、旅行の詳細はまた日本から。そうそう、JALのハワイ行きは、ビジネスクラスまでほとんどいっぱいだった。まだまだお金持ちじゃん、日本人。See you!
2008.09.29
成田空港へ着いた。サクララウンジ(JAL利用者で特定の条件をクリアした顧客が使えるラウンジ)でタダでパソを使って、現在書き込み中。成田空港の旅行社のカウンターで航空券をもらうことになっていたので行ってみると、なんとEチケットだった。なんだ! それならメールで送ってくれよぉ。Eチケットにできないのか、と旅行社に聞いたときは、「そのようなものは、できません」なんて、オバちゃんが言っていたのに(苦笑)…メールでもらっておけば、わざわざ早め(出発の2時間前)に旅行社のカウンターに行くこともなかった。だいたい、今回の旅行社は担当が3-4人いて、いつも人が変わるのだが、全員オバちゃんで、ヨコの連絡も非常に悪かった。最初に手配してもらったのが、4泊6日。それを帰りの便だけを早めて3泊に変更したのだが、「はじめからやりなのすので、便が取れるかどうかはまだわからない」と言われた。2週間ほど待っても連絡がないので、こちらからすると、「まだ手配中」との答え。ところが数日後、別の担当者が、「お申し込みがまだですが」と言ってきた。はあ? だって手配ができてないから申し込めなかっただけじゃん、と思い、そう言うと、「帰り便の変更だけですので、すでに手配はできております」って、最初の担当とぜんぜん別のことを言う。2人で行くのだが、1人は実家の母なので、「スケジュール表などは別々にそれぞれの住所に送ります」と言っていたのに、実際には見事にウチにまとめて2人分着いた。しかたないので、電話して別住所に送るよう頼んだ。行きが夕方から夜の3便のうちの1便、帰りが朝から昼の3便のうちの1便になる、と聞いたので、「どの便になるか決まりましたか」と聞いたら、「あら? お客様、便をご指定されたんですか? ご指定されるなら1万円増しでしたが」とトンチンカンな答えが切り口上で返ってくる。指定じゃなくて、どの便になったか聞きたかっただけじゃ……どうも、仕事の内容をちゃんと理解してないオバちゃんが時間制で交替してやってるらしい。電話の受け答えもトーシロっぽくて、とても年齢にみあった経験があるとは思えない。だめだこりゃ。と、行く前からすでにこの旅行社との付き合いは今回で終わりにしようと心に決めたのだった。以前もツアー(今回は添乗員なしだが、以前は添乗員つきの)で何度か利用したが、いつもスケジュールどおりに進まず、どたんばで予定が変更になるなど、満足したことがない。あとから考えれば、立ててるスケジュールに無理があった。大手なのだが、だめだなぁ。いつも航空券(たまにホテルも)の手配を頼んでいる、女性1人で切り盛りしてる小さな旅行社のほうがずっと仕事をわかってる。閑話休題。成田空港のサクララウンジはかなり広い。ダイニングスペースでは特製カレー、サラダ、パン、スープなどがタダで食べれて、味もよい。飲み物も充実している。タダで10分のクイックマッサージも受けられる。これだけのスペース取って、これだけのサービスを維持するのは大変だろうな、とJALの割高気質の一端を見たように思った。
2008.09.27
明日からハワイです。こんなにユーロ高になる前は、バカンスは常にヨーロッパ。なので、なんとハワイは今回初めて。3泊5日の短い休暇…… のつもりが、完全OFFはまたも夢と消え、パソコン持って旅立ちます。テキは時差なり。マイナス19時間というのがさっぱりピンと来ず。今日も例によってあまりに忙しく、とうとうハワイの下調べはほとんどできなかった……ようやく仕事が終わったのが夜9時。心身ともにぐったり。しかし一度でいいから…まったく仕事なしのバカンスというのを取ってみたい!↑心の叫び航空会社はJALウェイズ、ホテルはエンバシー・スイーツ。航空券とホテル代がセットになったパッケージツアーのようなもの。感覚としては、個人旅行の航空料金でホテル代3泊分がついてきた、というカンジ。ちなみに料金は……基本旅費(ビジネスクラス+ホテル3泊) 218000海外出入国税 6400(これは微妙に高い気がするなぁ)サーチャージ 40000国内空港施設使用料 2040合計266440円でした。明日は移動。ハワイで時間があったらライブ中継しますので、お楽しみに。早くパッキングしなくちゃ。まだ何もやっていないのだった。
2008.09.26

『マストロヤンニ自伝』(小学館、押場靖志訳)で、マストロヤンニがわざわざ1章を割いて解説し、「本当に見事」「映画のお手本」「傑作とはこういう映画のこと」と言っている作品がある。マストロヤンニ主演映画の中では案外地味な『特別な一日』がそれだ。マストロヤンニが重要な場面として挙げたのは、これまた作品の中でもかなりさりげない「電話のシーン」。ここについてマストロヤンニが何を語ったか聞いてみよう。「私の役はホモセクシャルで、明らかに自分の彼氏と話しているのです」「私は彼(=監督のエットレ・スコラ)に言いました。『ぼくにだって多少の慎みがあるから言うのだけどね、このシーンは全部背中から撮ったらよいと思うんだ。うなじの後ろからカメラで近づいてくれないかな。ぼくの台詞があまりに刺激的になっても困るだろ。お客さんに不快な思いをさせるわけにはゆかないからね』。スコラは納得してくれました。その結果このシーンは、映画の中でも特に素晴らしい場面の1つになったのです」(『マストロヤンニ自伝』)このマストロヤンニの発言には、かなり虚をつかれた。『特別な一日』は過去に見ていたが、マストロヤンニ演じるガブリエレがソフィア・ローレン演じる人妻アントニエッタに出会い、その日のうちに密かに関係をもつというストーリーで、ガブリエレは反ファシストだった記憶はあったが、ホモセクシャルだったという印象がほとんどなかったからだ。そこでさっそく再観賞してみた。マストロヤンニの自伝を読まなければ、2度見てもわからなかったかもしれない――これは確かに、ファシスト政権による性的マイノリティ弾圧のさまを描いた映画だった。重要な「性的マイノリティ」という概念を見落としてしまったのは、1つにはイタリアの事情、つまりファスシト政権のもとで、同性愛者がサルデーニャに島流しになっていたという事実を日本人ゆえに知らなかったせいもある。イタリア人ならある程度わかっていることだから、ことさら説明的に描写する必要はないのだろう。だが、こちらにはピンとこないので、映画のタイトルの『特別な一日』というのが、ガブリエレにとっては、島流しになる前の最後の一日だったのだということを最初に観たときは見逃してしまっていた。『特別な一日』には歴史的な意味もある。映画冒頭で語られるイタリアにとっての特別な一日。それは、ヒットラー総統がムッソリーニ政権下のイタリアを訪問するということだ。この――当時のイタリアの一般人にとって――特別におめでたい日を祝おうと、市民がこぞって出かけていく。アントニエッタの家族も全員外出する。1人残り、家事に追われるアントニエッタ。髪は乱れ、化粧っけもない。生活に疲れた主婦そのもののアントニエッタ。だがこの日彼女は、ガブリエレに出会い、特別な関係をもつ。彼女にとっては、長らく忘れていた女性としての自分を取り戻す一日になる――それがアントニエッタにとっての「特別な一日」。彼女はガブリエレが島流しになることを知らない。また会えると思っている。彼が「自分は男色家」と言っても、その本当の意味、その運命を最後まで理解していない。彼女はファシスト政権についても、それが悪だとか、間違いだとかは思っていない。時の権力の頂点に立つ男にたまたま会ったときの感激を、ガブリエレに素直に語ったりしている。長いものに巻かれている当時の普通のイタリア人女性なのだ。彼女の誤解が、そのままMizumizuの誤解になってしまった。マストロヤンニと同性愛者というイメージがあまりにかけ離れていることもある。また、その描き方が非常に「慎み」深かったせいもある。ガブリエレの「彼氏」もまったく出てこないし、彼がアントニエッタに向かって「自分は同性愛者だ」と叫ぶシーンも、単に、「感情的になって、露悪的なことをオーバーに言っている」ように見えたのだ。だが、そうではなかった。よくよく観ると、映画の冒頭ガブリエレは自殺をしようとしていた。迷っているところに、アントニエッタがたまたま訪ねてきたので、救われたのだ。それをガブリエレは電話で「彼氏」にさりげなく話している。しかも、その「愚行」はその日が初めてではない。何度か自殺を考えたことがあるのだ。そう、彼は絶望し、追い詰められている。明日島流しになるからだ。だが、その事実を電話の向こうの彼氏には黙っている。彼を守るためだ。だが、もう明日になったら2人は話すこともままならない。だから、ガブリエレは思わず、彼氏に「何かしゃべってくれよ! 何でもいいから! 今日はぼくの特別な一日なんだ」と言っている。今日が最後だと告げられぬまま、(恐らくは「会おうか」と電話の向こうで申し出ている彼氏に)「今2人で会うのは危険だ」と押しとどめ、「(逮捕されても)すぐ釈放になるから」と安心させている。「映画の中でも特に素晴らしい場面の1つ」とマストロヤンニが自伝で述べた電話のシーン。同性愛は悪。ファシスト政権下で差別と弾圧の対象にされた性的マイノリティ。会おうとする「彼氏」を制止するガブリエレ。最初に見たときは、反ファシストの同志との会話だと勝手に思い込んでいた。次第に昂ぶってくるガブリエレ。「このシーンは背中から撮って」とマストロヤンニがリクエストした。確かに、これは「同志」への問いかけではない。マストロヤンニが言うように「彼氏」との会話なのだ。この言葉は今のガブリエレの心情でもあるが、明日からサルデーニャでガブリエレが想うことでもある。入ってきたアントニエッタに電話の会話を聞かれて、慌てて取り繕うガブリエレ。だが、すぐ釈放されないことはガブリエレはよく知っているのだ。それはアントニエッタに語った「島流しになった友人の話」からわかる。「チビタベッキアの港に友人を見送りに行った。彼は戻ってこない」と話している。それは明日の彼の運命なのだ、アントニエッタが知らないだけで。アントニエッタが知らない彼の運命を、観客は最後の最後にガブリエレを迎えに来た男たちとの会話で知ることになる。これもとてもさりげないフレーズだ。ガブリエレは、男たちに「出航はいつ?」と聞いている。やはり彼は、これからサルデーニャに流されるのだ。壁にかけた絵を取り外し――それはおそらく、彼氏であるマルコとの思い出の品なのだろう――包んで抱え、男たちに連れられて出て行くガブリエレの姿を、アントニエッタは自宅の窓から見かける。観客には、もうこの2人がこれっきりであることはわかっている。だが、アントニエッタは最後まで知らずにいる。彼女が真実を知るのはいつだろう? 2人が結ばれたあと、「また来週会える?」と彼女は聞いた。ガブリエレは何も答えなかった。彼女からガブリエレの表情は見えない。だが、観客には見えていた。それは硬直した、表情のない表情だった。彼女はガブリエレの沈黙を暗黙の了解と受け止めたのだろう。だが、来週、彼はもうアントニエッタの手の届く場所にはいない。彼は、たとえ女性と「できた」としても、自分が同性愛者だということは変わらないと言う。だがこうも言っている。「特別な一日に、女性とこうした素晴らしい経験をもった。それがぼくにとっては重要なんだ」。彼のセクシャリティをより細かく、正確に記述するなら、「男性の肉体をもちながら、性愛の対象として男性を指向する単性愛者」ということになるだろう。彼はそうした自分から逃れたいと思ったこともあるはずだ。アントニエッタにことさら近づいたのも、そうした願望の表われともとれる。「世間一般の男性」と同じになってみたい――あるいは少なくとも、そのフリだけはしてみたい。だが、同性を指向する単性愛者であるというのは彼の宿命であり、自分で変えることはできないのだ。屋上の物干し場で2人が肉体的に接近するシーンは、表向きは男女の情事を予感させる場面だが、結末を知ったとき、自分から逃れたい男と日常から逃れたい女の願望は、実際には決して1つに溶け合うことはないという哀しさを秘めていたことに気づかされる。この特殊な男性を表現するために、確かにマストロヤンニは細かい「工夫」をしている。たとえば指にはめた大きな指輪。ヘンにオシャレだ。それに、アントニエッタと踊るときのガブリエレの腰つき。微妙にクネっている。どれもわざとらしくならない程度に、微妙に「それ風の感じ」を出している。彼女は出会ったばかりのガブリエレが、わざわざ彼女の家に本をもってきてくれたとき、「自分に気がある?」と誤解した。観客もこのときはそう思ったはずだ。だが、最後になってわかるのだ。あれは「明日はここからいなくなる運命の人間」が、近所の感じのよい奥さんに、自分がいなくなっても自分を思い出してくれればと思ってやった、下心とはまったく無縁の切ない行為だったのだと。自分とあまりにかけ離れた世界のことはアントニエッタには理解できない。最後まで誤解したまま、だが、女性としての喜びや自信を見出した彼女の姿もまた切なく、美しい。ある特殊な世間のムードの中で、いかに少数派がさげすまれ、虐げられるか――ファシズム批判でありながら、また、まったく違った精神世界に住む男女の出会いとつかの間の情事をとおして、彼と彼女が垣間見た儚くも切ない夢を日常的な情景の中に描き出した、確かに傑作中の傑作。
2008.09.25

<きのうから続く>友人の死という現実から逃れるために、マルチェロはひとときの快楽に身をやつすが、その果てに見たものは……腐敗を始めた肉塊……彼とコミュニケーションを取ろうとする娘が現れるのだが、彼にはその心の声が聞えない。この水辺のシーンは、マストロヤンニの最晩年の傑作『みんな元気』に出てくる海水浴のシーンと似ている。名優マストロヤンニの若き日の名作『甘い生活』に対する、オマージュ的な意味合いがあったのかもしれない。つながることのできない人々の孤独やむなしい妄想や虚飾を描きながら、しかし、フェリーニの作品には、常にどこか不思議な明るさがある。『甘い生活』に関しては、主役を演じたマストロヤンニという人が初めからもっている、雑草のような生命力がその印象に寄与したかもしれない。フェリーニのファンでもあるアメリカ人監督マーティン・スコセッシは、そうしたフェリーニ作品の魅力について、「フェリーニは観る者に、『ぼくを信じて! さあ、ぼくの映画の中へ入っておいで』と語りかけている」と表現した。つまり、ここに妄想と創作の違いがある。フェリーニの登場人物たちが――あるいはそれが一般人であっても――抱く妄想は、それ自体は他者を必要としない。妄想はあくまで自分の欲望に奉仕すればいい。妄想は百人百様であり、第三者からの共感なぞ関係ない、他者の眼はむしろ邪魔なのだ。だが、創作は違う。創作というのは他者へのメッセージなのだ。だから、他者がたとえ存在しないとしても、創作は常に楽しい。自分のメッセージを受け取ってくれる人が、この世のどこかに、たとえ1人でも存在するかもしれない……そう思うことが、期待であり、希望であり、意欲になるからだ。フェリーニという人は本能的に、その楽しさを知っている。だから、どんなにエキセントリックな世界を描いても、たとえ古代ローマの最高に退廃的な倒錯の世界が舞台でも、どこかに突き抜けた視線があり、ヒューマニズムがある。きわめて独りよがりな人々を描きながら、決して独りよがりにならない――だから、スコセッシのように強くメッセージを受け取る若者が現れる。暗く狭い世界で、他者を拒否することで得る、むなしい快楽だけに惑溺しない大きさがあるのが、フェリーニが巨匠と呼ばれるゆえんだろう。実際、『甘い生活』の6ヶ月の撮影は、非常に楽しいものだったとマストロヤンニは自伝で語っている。「彼(=フェリーニ)にとって映画とは、いつだって遊びであり、お祭りであり、それもいつまでも終わらないお祭りだったのです」(『マストロヤンニ自伝』より)マストロヤンニはあまりに楽しかった撮影の日々が、たった6ヶ月で終わってしまったのが残念だったという。さらに6年ぐらい続いてほしかったと思うぐらいに。それはマストロヤンニにとって、俳優としてだけではなく、人間としても人生のなかでもっとも素晴らしい時間だったのだ。フェリーニ作品と切っても切れない俳優になったマストロヤンニは、監督フェリーニを「長い旅を一緒にした」親友だと言っている。その旅の果てに、親友が快復の見込みのない病に倒れたとき、マストロヤンニは目立たないようひそかに彼の病室を見舞い、そこで幻覚に悩まされていると言うフェリーニの話をつぶさに聞く。聞き終わったあと、マストロヤンニは、「それでオープニングシーンは決まりじゃないか」と、フェリーニの幻覚を、2人で次に撮る映画のテーマに――という夢に変えて話している。「そこから撮りはじめるとして、ラストシーンは君の故郷のリミニの海岸というのはどうかな。あっちこっちにスピーカーを置いてさ。君の映画音楽を流すんだ。ニーノ・ロータの音楽をね。すべてがリミニの海岸にとけこんでいくとき、ニーノの見事な旋律が流れてくる――フェデリコ、きっと素晴らしい映画になるよ」観客のいない病室で2人だけで交わした会話、そこに混ざり込む2人の現実と夢……つまりは長い旅である人生そのもの――20世紀を代表する名監督と名俳優が最後に作りあげた、最高の「友情のシーン」だろう。
2008.09.24

ルキーノ・ヴィスコンティ監督、マリア・シェル+ジャン・マレー共演の『白夜』で、ナストロ・ダルジェント賞を獲得し、10年間におよぶ映画界での下積み生活から脱出したマルチェロ・マストロヤンニ。その彼が、さらに大きな飛躍を遂げることになったのが、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)。社会風刺に富んだ鋭い切り口と、誰にも真似できない独特の幻想的な映像美で世界中に衝撃を与え、賞を総ナメにしたイタリア映画の金字塔だ。マストロヤンニはヴィスコンティによって見出され、育てられたといってもいい(ヴィスコンティとの出会いについてのエピソードは3/19のエントリー参照)が、彼を世界的な大スターにしたのはフェリーニのほう。相性でいっても、ヴィスコンティより明らかにフェリーニのほうがいい。音楽家のニーノ・ロータも最初はヴィスコンティと組んでいたが、やがてヴィスコンティとは離れ、フェリーニ作品とより深く結びつく。フェリーニ監督の『甘い生活』は、1950年代後半の国際都市ローマが舞台だが、その退廃と倦怠、将来に対する不安、個人ではどうにもならない閉塞感は、まるで今の日本のようでもある。ほぼ50年たって、アジアで最初に近代化を成功させた国家の国民の精神が、ヨーロッパの爛熟に近づいてきたのだろうか。『甘い生活』の主人公マルチェロは、作家になるという夢をかなえられず、ゴシップ記事の記者として自堕落な生活を送っている。監督のフェリーニがマストロヤンニにこの役をもちかけてきたときのエピソードは、『マストロヤンニ自伝』(小学館、押場靖志訳)に詳しいが、最初プロデューサーはポール・ニューマンを呼ぼうとしていたらしい。主役にはマストロヤンニを、と考えていたフェリーニは彼を呼び出し、「確かにニューマンは偉大な俳優さ。スターだよな。でも、彼じゃ大物すぎる。ぼくに必要なのは、どこにでもある顔なんだ」と言った。まったくの初対面でのこの失礼な言い方にも全然傷つかないのが、マストロヤンニのいいところ。さっそく、「それならおまかせください。どこにでもある顔といわれたら、ぼくしかいませんよ」と返している。フェリーニ映画に出たかった若きマストロヤンニは、そのあとちょっとだけ格好をつけて、でもできるだけ控えめに、「台本をざっと見せていただければ嬉しいのですが」と、プロの役者なら、まあ当然のことを要求した。すると、フェリーニは、「もちろん」といいながら、台本ではなく自分の描いた卑猥な絵を見せた。マストロヤンニは、一瞬、――からかわれてる?と戸惑うが、ここでカッとしないのが、また彼のいいところ。「とてもおもしろいですね。で、どこにサインすればよろしいんでしょう?」と契約を申し出た。これでマストロヤンニは、――この人には、台本を見せろと言っちゃいけないわけねと悟る。癇癪持ちのヴィスコンティの下で10年以上もやってきたマストロヤンニは、難しい監督ともうまくやっていく術を身につけていたのだ。それ以来、フェリーニから仕事の依頼があると、マストロヤンニは台本を読まずに承諾するという流儀を貫いたという。さて、『甘い生活』といえば、やはりトレビの泉。噴水に浸かった美女に呼ばれて、言われるままに近づく主人公マルチェロは……常に空虚な焦燥感を漂わせている。「舞台で大切なのは声の演技、映画で大事なのは目の演技」と言っていたマストロヤンニだが、『甘い生活』で見せる視線の孤独な虚無感は、確かに『白夜』にはなかった。彼を取り巻く女性も、外見だけは華やかだが、常に満たされない欲望をかかえている。衝動的に語られる「おいしいもの」への妄想。明るい瞳が、返って異様。こちらの彼女がとらわれているのは……愛の名を借りた肉欲と独占欲。娼婦に……という妄想で自らを慰めている。空虚なマルチェロの心の支えは、地に足をつけた生活をしている(ように見えた)友人。彼への憧れと尊敬を隠さないマルチェロ。だが、彼も内面には、解決できない悩みを抱えていた。子供2人を殺しての自殺――マルチェロの幻想を打ち砕く最悪の結末。身内同士で殺しあう……これこそ、まさに今日本で頻繁に起こっていること。さらに、夫と子供の悲劇を知らずに戻ってきた妻に、むらがるカメラマン。パパラッチというイタリア語は、この映画で世界中に広まった。無言でシャッターを切るパパラッチに、最初は笑顔で「なぜ?」と尋ねていた妻も、次第に尋常でないことが起こったと悟り、取り乱し始める。何も言わずに、ただフラッシュをたき、シャッターを切るカメラマンたち。人の不幸さえ食い物にするマスコミのおぞましい行為は、近代的なビルが建っているだけの、殺伐とした風景の中で続けられる。「無言」が、せめてもの、パパラッチたちの良心か、それとも……だが、1人がシャッターを切れば、負けじともう1人がまたシャッターを切り、その乾いた連続音が、観る者の怒りとやるせなさをいやがうえにも高めていく。<続く>
2008.09.23

アンドレ・ユヌベル監督という人は、なぜかジャン・マレーの胸をいたぶることが好きで……宿敵リナルドとの一対一での決闘でも、ド・カペスタン(マレー)は胸を切られている。『ファントマ 危機脱出』でも、ジャン・マレー演じるファントマが……こんな台詞を吐きながら、これまたマレー演じるファンドールの胸に……自分の名前の頭文字Fの焼印を押すというシーンがある。まるっきり『O嬢の物語』(O嬢? 悪い本を読んでるなあ……)で、しかもやるほうもやられるほうもジャン・マレーという1人SM状態。『ファントマ 危機脱出』では、このあとマレーの得意技「失神」も入れるというサービス(?)ぶり。さて、『怪傑キャピタン』の続きを見ると、胸やら腕やらを切られつつも、ド・カペスタンは城の上へ上へとリナルドを追い詰め、お決まりの結末に。このときのマレーの表情は、ゾクッとするほど冷たく美しい。ジャン・マレーという人は、いくつになっても、ときどき思いがけないシーンで、思いもかけない色気を発散させる不思議な役者だ。演技が巧みなのはもちろんとして、こういう「雰囲気」をいつまでも失わなかったことが、マレーが長く第一線で活躍できた理由なのだろう。ジャン・コクトーは、マレーが一時多く撮っていたメロドラマにはわりあい批判的で、「今、XX(=プロデューサー)が撮らせている映画は、君にふさわしくありません」とマレーに書き送ったりしているのだが、この1960年前後の一連の剣豪モノは、そもそも自分が『ルイ・ブラス』でマレーに与えた役だったせいか、非常に気に入っていて、城塞の決闘:「せむしはあの瘤に、ラガルデールの巻き毛と同じくらいの夢を入れて運んでいます。君は2倍素晴らしかった」怪傑キャピタン:「観るのを楽しみにしています」カピテーヌ・フラカス:「いとしいカピテーヌ・フラカス、ぼくは君を愛しています」とマレーへの手紙で、常に関心を寄せていることを示している。そうこうしてるうちに、城内では、フランス人形が……親友のリボンの騎士をかばって死んでしまった。ああ、これじゃ、もうド・カペスタンにはリボンしか選択の余地がなくなった(あ、最初からリボン一本だったっけ?)……しかし、リボンの騎士は実は、ルイ少年王のブルボン家と並ぶ銘菓ババロア、いや名家ヴァロア家の血を引く高貴な貴族の出で、ド・カペスタンは、結果、ルイ少年王のお墨付きで逆玉に乗ることになるのだ(王の友情と高貴な姫の愛を両方手に入れる騎士カペスタン、ホント都合がいいなあ……)。ド・カペスタンが、切られた胸を最後まで押さえてるのがみょ~に気なったりして。ルイ少年王は水戸黄門なみの口上で最後をまとめるのだが……もうちょっと華のある役者はいなんだか?? そう、ユヌベル監督作品で唯一足りないもの、それは「若いイケメン男子」なのだ。エキストラにさえ美少年をずらりとそろえた『ルイ・ブラス』とはえらい違い。主役のジャン・マレーがくわれるのを避けたのか、あるはヘタにイケメンを共演させてマレーのお手つきとなってしまうのを恐れたのか、はたまたユヌベル監督が若い美男子にはまったく興味がなかったのか? ローティーンの女の子にもアピールするような王子様タイプがいないのが気になるところ。『ファントマ』もそうだが、ユヌベル監督というのは、基本的に、どちらかといえば「男性向け」の映画作りをする人かもしれない。それでも、やはりこの監督はベテランのプロ中のプロだと思う。難しいゲイジュツ作品ではない、刺激的なシーンや過激なシーンはゼロの家族で楽しめるハッピーな大人のお伽噺。ストレスの多い現実社会を生きている一般庶民は、結局、こういうたわいもないハッピーエンドの夢物語に救いを求める――そのことを監督も主演俳優もよくわかっている。さて、ここまで読んで「どうして、ド・カペスタンの話なのに、タイトルはキャピタンなんだ?」と思った方。このどうでもいい大いなる謎を解きたければDVDをご覧ください。◆新品DVD★ 0922PUP2 【080918_dvd】 【080925_dvd】 『怪傑キャピタン』
2008.09.22

アンドレ・ユヌベルという監督が、ジャン・マレー主演のコクトー作品を好きだったことは間違いない。『怪傑キャピタン』がそもそも、『ルイ・ブラス』をさらにわかりやすく大衆的にした作品といえるもので、似たシーンも多くある。まんまコピーした、綱につかまっての振り子移動に関しては、5月24日のエントリー(『ルイ・ブラス』)と8月27日のエントリー(『怪傑キャピタン』)参照のこと。『ルイ・ブラス』では、この危険なスタントをみずからやりたがるマレーと替え玉を使うつもりだった監督の間で1時間以上言い争いになった。そして、昨日紹介したように、『悲恋(永劫回帰)』とそっくりなショットが急に入ってきたりする。さらには、なんと、ピエラルも登場するではないか。ピエラルは『悲恋(永劫回帰)』では、マレー演じるパトリスに屈折した感情を抱くアシール役を演じた。表面的には悪役ながら、哀しさもあるキャラクターで、パトリスを死へと導く水先案内人でもあった(詳しくは4/12のエントリー参照)。『怪傑キャピタン』でピエラルが扮するのはタダの悪人、天才錬金術師。肉体的なハンディのある人にこういう役をやらせるのは、今では難しいかもしれないが、ピエラルは生き生きと、楽しげにこの超悪役を演じている。この悪人に毒を盛られた馬が暴走し、ルイ少年王(15世)は川に馬ごと落ちてあわや溺死というハメに。それを救うのが、またしても……相当な高さから飛び込むド・カペスタン。ルイ少年王が落ちるシーンでは、馬だけ草と一緒に落として役者は落っこっていなかったゾ――なんて突っ込みはともかく、見事な飛び込みブリに思わず「北京オリンピックに出場?」と思ってしまった(あ、もうジャン・マレーはお墓の中か)。スタントマンかと思いきや、水中に飛び込んで出てきた顔は間違いなくジャン・マレーだった。崖から飛び込こむところから入水、そして顔を出すまでを長いワンカットで撮ってるから間違いない。自伝では「冷水は大嫌い」と言っていたのだが……。これでルイ少年王のハートをがっちりつかんだド・カペスタンは、「余の友となってくれ」と全幅の信頼を得て……とルーブル宮殿の王の居室でご挨拶。ルーブル宮殿は、空間をすべて装飾で埋め尽くす豪華さ。これぞまさしくフランス式。一方、(自称)詩人と愛犬フランスのまさお君はといえば、宮廷に出入りするようになってゴージャスなお食事に目を奪われる。これは「テーブルの下に隠れろ!」と命令されたまさお君が……ご馳走ののったテーブルから離れられないお姿。一応前脚で顔を隠してご主人の命令にしたがってるつもり。こちらは隠れ家での食事シーン。運ばれてきたスープにちぎれそうなほど尻尾を振るまさお君。ルックスでは本家日本のまさお君にはチト負けるが、性格ベクトルは同じ方向を向いている。さて、ド・カペスタンは姿を消したリボンの騎士と対面。ところが、リボンの騎士一派は、悪人の宰相ともどもルイ少年王も廃位に追い込むべきだと考えていた。宰相を排除することには諸手を挙げて賛成のド・カペスタンだが、ルイ少年王は守るべきだと主張してリボン一派と対立。すると愛するリボンの騎士は……「……私たちは二度と会えない。意味はおわかりになるわね?」と思いつめた顔。王か、私か――愛する美女から選択を迫られても、「王には背けない」と、きびすを返すド・カペスタン。う~ん、サムライのようだ。騎士道原則その3:なによりも主君への忠義を優先させるべし。決して、ジャン・マレーだから美女より少年を選んだ、ってワケではない(だろう)。こうしてリボンの騎士と気まず~く別れてしまったド・カペスタン。そこへ金髪の美女がやって来て……泣いてる……やっぱり、こっちでもイイんじゃ…… などと外野が余計なことを考えてるうちに、ド・カペスタンはフランス人形とともにリボン一派の城を訪れ、と説得。あっけなく説得されたリボン一派のところに悪人宰相の手下がなだれ込んできて……始まりました! テキは赤いからわかりやすい!祝! 太田雄貴選手! 北京オリンピック、フェンシング男子フルーレ銀メダル!!フルーレっていまだにナニかわかりませんが……(苦笑)。<続く>
2008.09.21

この映画の売りであるフェンシングでの格闘シーンは、律儀なことに、ほぼ25分に一度は行われる。「体育会系ジャン・マレー」の魅力が炸裂する場面。コクトーやヴィスコンティ作品では重きをなしていなかったが、ジャン・マレーという人がもっている溌剌とした陽性の魅力を、飛んだり跳ねたり走ったりといったアクションシーンで引き出したのは、ユヌベルのような純粋な大衆向け娯楽作品を得意とする監督だろうと思う。マレー自身も自伝の中で、初期の『カルメン』(1945年)のクリスチャン・ジャック監督は、マレーの中に冒険を好む気質があるのを見抜き、それを利用した、と書いている。クリスチャン・ジャックとマレーは、ずっと後の1966年にも1本映画を撮っている。さて、騎士が恋する姫のために、悪者と戦っているというのに、巻き込まれたくない詩人のほうは……言ってることはハムレットだが、要するに馬の足に細工して走れなくし、戦闘が終わったあとに登場しようという魂胆。リボンの騎士のほうも、自分を救うべく闘ってくれた騎士にお礼も言わずに行ってしまったうえ、今度は城に幽閉されてしまう。逃げられても追いかけるド・カペスタン。幽閉された彼女の救出に(頼まれもしないのに)やってくる。城に着いた騎士とその友・詩人(自称)。時間は、…って言ってますが……どっからどう見ても晴天の真昼間ですが?このあと湖を泳いでわたり、この城壁をよじのぼってリボンの騎士を救出するド・カペスタン。どうもジャン・マレーという人は、もともと「高いところによじ登る」のが大好きだったらしい。戦争中、非常に高い鐘楼の上での見張り役をやっていたマレーに、ジャン・コクトーは手紙で、「なにがあろうと、鐘楼の十字架によじ登るような無意味な勇ましさを見せようとしないで。ぼくが君だけに生きていることを忘れないでほしい。お願いだから、ぼくの苦悩を君の生来の好奇心やむこうみずで倍加しないで」と書き送っているのだが、コクトーの懇願は、このシーンを見る限り……無視されたと思う。キャロル・ヴェズヴェレールも「マレーが俳優連合の余興で、酔っ払い に扮して街灯によじのぼって、てっぺんで体を揺すってみせたとき、コクトーは真っ青になって今にも倒れそうな様子で見守っていた」と言っている。最愛の人に「やめて」と泣きつかれても、サッパリやめないジャン・マレー、あんたはエライ! コクトーがいみじくも言い当てたように「生来」なんでしょう、この人のswashbuckling(むこうみず)は。映像の合成技術が発達した今なら、こうしたシーンで役者が実際に城壁に張り付く必要もないだろうが、この当時の映像を見ると、合成された画面(たとえば走る車の中と流れていく外の景色)などは、とてもチープ。やはり、ジャン・マレーが実際に城壁に張り付いて、ロッククライミングよろしく、ある程度実際に登っているのは間違いない。このあと、高い窓からロープでぶら下って左右に振られたりしてる。イマドキの映画と違って、ワンカットが長く、マルチカメラでアングルを変えて撮ったカットをつないだりもしない(カメラはせいぜい上に1つ、下に1つ)ので、観客はまったりと「危険なシーンを体当たりで撮ってる役者」の姿を追うことになる。このクラシカルでシンプルな映像には、逆に、「これは相当アブナイ撮影だったでしょ」と思わせる、現実的な臨場感がある。さて、そんな危険をおかして忍び込んだ城内。リボンの騎士を捜してると、向こうから悪者たちの足音が……!で、こんなふうに身を隠すド・カペスタン。40代半ばで赤いタイツとは、おフランスの伊達男はやることが違う。頭上にこんな目立つ色のタイツを履いた脚があるというのに……何も気づかずに通り過ぎる悪者たち。無事リボンの騎士を救出し、隠れ家に連れてくるド・カペスタン。ヨーロッパ中の美女をお姫様抱っこしてきたジャン・マレー。当然、エルザ・マルティネリも……マルティネリのカワイイこと、カワイイこと。ド・カペスタンの腕の中でつぶらな瞳をパチパチ。このころのマルティネリのコケティッシュな美しさは最高。思わず巻き戻してじっくり観賞……(笑)。で、このあとは、もちろん……こうなるワケで(なんて、わかりやすいベタな展開だろう、時代劇はこれでなくっちゃね)。2人は結ばれました、メデタシメデタシにはちょっと時間が早かった。それを観客に予感させるのが、このあとのシーン。隠れ家が映し出され、太陽の位置が変わっていくのを早回しで写して、時間の経過を暗示してる。これは明らかに、ジャン・マレーの出世作『悲恋(永劫回帰)』で、マレー演じるパトリスと駆け落ちしたヒロインのナタリーが、2人が暮らしていた小屋から姿を消してしまうシーンで使われたショット(『悲恋(永劫回帰)』のこの場面については、4月16日のエントリーを参照)明らかに過去のジャン・マレー作品へのオマージュなのだが、案の定、隠れ家にド・カペスタンが戻ってくると……置き手紙を残して、またもリボンの騎士は消えるのであった。<続く>
2008.09.20
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1950年代末から1960年代の初めにかけてフランス映画界で巻き起こった時代劇ブーム。騎士道華やかなりしルイ王朝時代のロマン活劇を、ジャン・マレーは3年の間に4本も撮っている。そのうちの3本の監督を務めたのが、アンドレ・ユヌベル。時代劇ブームが去り、スパイ映画が流行ると、今度は再びジャン・マレーと組んで『ファントマ』3部作を撮り、これもヒットさせた。『怪傑キャピタン』はアンドレ・ユヌベルがジャン・マレーをキャスティングした騎士道活劇の2本目(1本目は『城塞の決闘(Le Bossu)』)で、日本でもDVD化されている。◆新品DVD★ 0922PUP2 【080918_dvd】 【080925_dvd】 ユヌベル作品のよいところ――好みによっては、物足りないところにもなるかもしれないが――は、過剰なお色気がない、残酷なシーンがない、娯楽に徹していて深刻でないことだ。ジャン・マレー主演作品に関して言えば、ジャン・マレー+喜劇役者+美女をセットにしたことが映画がヒットした最大の理由だと思う。ファントマで共演したルイ・ ド・フュネスは、騎士道モノでもマレーと組んでいるが、彼のおもしろさは、なんといっても弾丸のようなそのしゃべり。一方、 『怪傑キャピタン』のブールヴィルは「間」のおもしろさが絶妙の喜劇役者。そしてブールヴィルは外見からは想像もつかない(?)美声の歌手。『怪傑キャピタン』でも、ブールヴィルはハッピーな歌を存分に披露してくれ、結果、作品にミュージカルのような楽しさが加わった。下の写真は王妃(イタリアのメディチ家から来たマリー・ド・メディシス)付きの侍女との間に、恋が芽生えるシーン。聞きおわったあとすぐ口ずさみたくなるようなキュートなメロディにのせて、楽しげに侍女の周りを踊るブールヴィル。ブールヴィルはどうみても大道芸人なのだが、自称「詩人」。だからって、この歌詞…………ジャン・コクトーへのイヤミですか?(笑)コクトーはジャン・マレーへの手紙で、「君の『怪傑キャピタン』と『クレーヴの奥方』を観るのを楽しみにしています」と書いている。『クレーヴの奥方』はコクトーの脚色、大御所ジャン・ドラノワ監督だったのだが、現在の日本では観ることはほぼ不可能。封切り当時も『怪傑キャピタン』のほうがヒットした。騎士道物語の原則は、日本の時代劇と同じく勧善懲悪であること。なので悪役は……「完全超悪」なワルモン面。リナルドという名前といい、巻き舌でRを発音するところといい、明らかにイタリア人。今じゃ、こんな差別的な設定は難しいだろう。『ファントマ』でジャン・マレーの恋人役だったのは、コケティッシュでセクシーながら、「脱がない美女」だったミレーヌ・ドモンジョ。ユヌベル監督というのは、この手の過剰でない媚態を発散させる美女をキャスティングするのが得意。そして、しばしば「もう1人のタイプの違った美女」も登場させる、とっても視覚にウレシイ監督なのだ。それでいて、007シリーズのように、入浴シーンだのベッドシーンだののような露骨なお色気シーンがない。この「慎み」もMizumizuがこの監督が好きな理由だ。1960年代のフランス映画ならではの、洒落た大人の演出という気がする。ハリウッドでもルイ王朝時代の騎士道モノは作られるが、どうしてもアメリカンな俳優がフランスの時代劇の主役を演じると違和感がある。そこへいくと『怪傑キャピタン』は衣装といい、景色といい、役者の表情や立ち振る舞いといい、フランスそのもの。フランスの香り、という気取った言葉よりむしろ、土着の匂いと言ったほうがふさわしいかのもしれない。そう、ルイ王朝時代の騎士道物語というのは、必ずしも絢爛豪華なだけではない、そこはかとない「ローカルさ」もただよっているのが魅力なのだ。『怪傑キャピタン』のヒロインはイタリア人のエルザ・マルティネリ。ちょっと離れ気味のつぶらな瞳がなんともチャーミングな美女。初登場シーンは……なぜか男装!? ストーリー的にはあんまり意味のない男装。コスプレの原点かもしれない。彼女は勇敢にも、ピストル一発でジャン・マレー演じるド・カペスタンの危機を救う。彼女の名はジゼル。緑の羽飾りをなびかせた「リボンの騎士」といったところ。とにかく麗しいの一言。さっそく一目惚れしたド・カペスタンは、「私につかまって!」とかけよったリボンの騎士の背中に……早くもジワジワ~と腕を回し、つかまるというより、ほとんどすでに抱きしめている。騎士道原則その1:気に入った美女には、すばやくストレートにモーションをかけるべしでもって、傷ついた自分を手当てしてくれるリボンの騎士に、ド・カペスタンは……またジワジワ~と腕をなぜたりして、わかりやす~いアッピール。ところが、いつの間にかリボンの騎士が、フランス人形に変わってる!?こ、こっちでもイイのでは? と思わせる金髪碧眼の美女。さてさて、ブールヴィル演じる大道芸人のコゴランは、「まさお君」をさらにダメにしたようなワンちゃんを連れて旅をしている。左、フランスのまさお君。右、コゴランの芸を楽しんでみてるド・カペスタン。コゴランは得意の美声を披露。ところが! コゴランは旅の途中で、強盗に襲われ身ぐるみ剥がれてしまう。主人の大ピンチだっていうのに……馬車で「お座り」して見物してるまさお君(右)。全然役に立たない…(笑)。さらに、ご主人がこんなになっちゃったというのに、まさお君は……明らかに足元でノンビリしてる。そこへ、都合よくド・カペスタン登場。2人はともに旅することに。しかし、コゴランのこの↓台詞には驚いた、というか笑った。道で動物を使った芸を見せてコインを投げてもらっていたので、旅の大道芸人と思いきや……え? 詩人だったの?ジャン・コクトーに対抗してるだけでは?ちなみに、コゴランは映画中歌は歌うが、詩を披露することは一度もない。歌う詩人ということなのだろうか。詳細は映画公開から50年たった今も不明……「旅する騎士の友になってくれ」とド・カペスタンに言われ、喜んで承知するコゴラン。「あなたの恋人たちのために、(詩人の私が)愛の詩を作りましょう」とまるでシラノ・ド・ベルジュラック気取り。そんな詩人に騎士は、「恋人は……」と純な台詞。騎士道原則その2:騎士は一途であるべしそこへなんと、消えてしまったリボンの騎士が、貴婦人になって登場。喜んで声をかけるド・カペスタン。ああ、なのに……貴婦人になったリボンの騎士は、こんなにもつれないのであった。ガ~ンとなるド・カペスタン(左)。「これは何かある」とふんだ騎士は詩人に、「彼女の使用人に酒を飲ませて、彼女の名前を聞きだせ」と軍資金を渡すのだが、夜酒盛りをした詩人は自分のほうが酔っ払ってしまい、相手から情報を聞き出すどころか……ド・カペスタンのことをベラベラ。さすがにまさお君の主人だ。「何か聞き出したか?」というド・カペスタンに……って……。詩人って役に立たないなあ。翌朝、リボンの騎士はパリに発ってしまい、恋する騎士は後を追いかける。美女は途中、山賊に襲われ……そこへ、ド・カペスタンがマントをひるがえしてカッコよく登場!もうもうと上がる土煙、カーブを描いた道を疾走する馬、馬上で大きくサーベルを引き抜く騎士、たなびくマントと帽子の羽飾り――すべてが完璧。ことに衣装に使われている赤が非常に印象的で、かつ美しい。これぞまさしく、騎士道映画の王道を行く場面。<続く>
2008.09.19
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ルキーノ・ヴィスコンティ『夏の嵐』(1954年)に将校役で出演したハリウッドの美男俳優ファーリー・グレンジャー。彼は2007年に自伝"Include Me Out: My Life from Goldwyn to Broadway"をアメリカで出版している(邦訳はない)のだが、この中にジャン・マレーとの短い出会いが綴られている。『夏の嵐』の撮影の最中、グレンジャーはヴィスコンティから、気分転換にパリで週末をはさんだ数日間の休暇を取ってはどうかと勧められる。シャンゼリゼ大通りにあるこじんまりとした高級ホテルを紹介されたグレンジャーは、すぐにこの提案に飛びつき、パリへ。ホテルに着いたグレンジャーは、さっそく自分の友達に電話をするのだが、通じない。――シマッタ、イタリアからかければよかった。と後悔するグレンジャー。――このまま連絡取れなかったら、パリで、1人でどーすりゃいいんだ、オレ?多少途方に暮れながら、荷解きを始めたところに、ドアをノックする音。グレンジャーはドアを開けて、驚きのあまり立ち尽くす。そこに立っていたのは、当時フランスでもっとも人気があった俳優、ジャン・マレーだったのだ。「入ってもいいですか?」ジェスチャー交じりにマレーに言われて、ドアから飛びのき、「あ、もちろんです」と、慌ててマレーを招き入れるグレンジャー。握手をして、グレンジャーが自己紹介をすると、マレーは笑って、「ファリー、君のことはよく知ってる。ヒッチコックの『見知らぬ乗客』も観たよ。君はすばらしい役者だね」と10歳以上年下の後輩俳優に、フレンドリーに話しかけた。おかしいのは、グレンジャーが「彼の英語はひどかったし、私のフランス語も同じようなもの」で、会話は相当ハチャメチャだったと書いていること。このころのマレーはすでにアメリカ人のバレエ・ダンサー、ジョルジュ・ライヒと一緒に暮らしていた。アメリカ人といてもさっぱり英語は上達しなかったようだ。「ルキーノから連絡もらって、君のパリ滞在が楽しいものになるように手助けすると約束させられたんだ」と、マレー。「パリで何かしたいことあるかい?」――ルキーノが声をかけたのか……!納得するグレンジャー。ジャン・マレーとルキーノ・ヴィスコンティが知人であることを、彼はこのとき初めて知ったのだ。だが、同時に、グレンジャーの心に多少の警戒心が芽生えたようでもある。なにしろ相手はグレンジャーとはお仲間のバイセクシャル……否、名うてのヴィスコンティとこれまた名うてのマレー。「どの程度の知人か」をはかりかねたのだろう。それに、――パリの休暇まで、ルキーノの『演出』で動くわけ?と思うと、多少ウンザリしないでもなかった。だが、ジャン・マレーの好意を無にするのも悪い。長いこと沈黙して考えたグレンジャーは、憧れのバレエ・ダンサー「ジジ・ジャンメール」の名前を出す。ジジ・ジャンメールは、言うまでもなくローラン・プティの妻であり、かつミューズであったバレエ界の大スター。自分はジャンメールのファンで、もしできたら会いたいと言うグレンジャーにマレーは、「ぼくは個人的には知らないんだけど、連絡先を聞いてくるから、荷解きしながらちょっと待っていて。1時間ぐらいで戻るよ」と言って出て行く。残ったグレンジャーはグレンジャーで、――ルキーノは、どんな魂胆があって俺とジャン・マレーを引き合わせたんだろう?などと考えている。マレーは約束どおり戻ってきて、なんとそのまますぐにグレンジャーをジャンメールのアパルトマンに案内してくれた。ジャンメール自身が2人を熱烈に迎え、楽しい午後の時間がスタートした。ジャンメールのヘルプもあり、それにワインも入ったことで、マレーとグレンジャーの言葉の壁はなくなった。夜はジャンメールが2人を小さなしゃれたクラブに誘い、そこで3人は遅くまで盛り上がった。そして……「翌朝、私はコーヒーとクロワッサンの暖かな匂いで眼を覚ました。昼になっていた。ジャン(=マレー)がベッドのわきにコーヒーを置き、カーテンを開けた。それで私は、ここがセーヌ川に浮かんだジャンの豪華なハウスボートだということを思い出した。前の晩のことは詳しくは憶えていない。だが、ジャンが気遣いのあるやさしい人だとわかったのは確かだ。ルキーノの演出に協力したのではない。ジャンと一緒に過ごすと決めたのは私だった」 (ファーリー・グレンジャー自伝”Include Me Out”より)このあと、グレンジャーはハウスボートのメインキャビンで、コーヒーを片手にマレーと数時間歓談している。マレーはグレンジャーに、パリの社交界の閉鎖的な雰囲気が嫌いでこうしてハウスボートに住んでいること、ここならプライバシーが守られることなどを話す。そして、ジャン・マレーといえば、ジャン・コクトー。マレーは後輩の美男俳優に、自分の初期のキャリアについて、尋ねられるままに答えている。コクトーと出会う前の自分に来る仕事は、容姿を見込まれたものばかりで、それが嫌だったこと。コクトーと出会い、私生活でも、また仕事の面でも関わるようになってようやく自分の才能に目覚め、成功できたこと。ルックスのいい役者というのは、往々にして自己防衛本能から、自分で壁を作ってその向こうに隠れがちになるものだが、監督としてのコクトーは、マレーにもあったそうした壁を、苦労のすえに打ち砕いてくれたこと。こうして、マレーのハウスボートで午後を過ごしたグレンジャーは、その後ようやく電話の通じた友人とその夜会うことにする。ジャン・マレーとランチをした話をすると友人は驚き、「夜一緒に連れてきて! 『美女と野獣』を見て以来、ジャン・マレーのファンなんだから」とせがんできた。仕方なくグレンジャーがマレーに打診すると、夜は別の約束があるのでダメだと断わられた。そのまま、グレンジャーは友人とパリの数日の休暇を満喫し、イタリアでの撮影に戻るべくホテルで荷造りをしていると、そこへジャン・マレーがさよならの挨拶をしにやって来た。「ルキーノに電話して、君を彼の映画にキャスティングできたのはすごくラッキーなことだと言っておいたよ」と、グレンジャーにとっては怖い存在であるヴィスコンティとまるっきり対等の口をきいているふうのマレー。2人は連絡を取り合う約束をして別れた。ヴェネチアに戻ったグレンジャーのすっかりリラックスした様子に、ヴィスコンティも喜ぶ。グレンジャーは素晴らしいホテルを紹介してくれたことに礼を述べ、パリの休暇を大いに楽しんだと話した。「ジャン(=マレー)のことは、ルキーノが名前を出せば話そうと思った。だが、彼は何も聞かなかったので、私もあえて話すことはしなかった」(”Include Me Out”)これが、ジャン・マレーによるファーリー・グレンジャーお持ち帰り事件(事件か? そもそも)の全容なのだが、著者とお相手が「名うて」だったせいか、”Include Me Out”出版以降、アメリカではジャン・マレーはファーリー・グレンジャーのmale loverだったという話になってしまった(ちなみにマレーの自伝にグレンジャーの名はない)。このmale lover説は、例によってネットで広まっている。ジャン・マレーのmale loverというなら、お相手は間違いなく、10年も生活を共にしたジョルジュ・ライヒ(ジョージ・レーク)だろうに、彼のことはみんな忘れたようだ。摩訶不思議也。名作洋画DVD 「見知らぬ乗客」 日本語吹替&字幕版
2008.09.18
ジャン・マレーの自伝には触れられていなくても、マレーとの出会いについて自らの自伝に書いている著名人も少なくない。そのうちの1人が『ロミオとジュリエット』『ブラザーサン、シスタームーン』などの映画の監督として、また著名なオペラ演出家――日本では新国立劇場での『アイーダ』やウィーン・フィルの引越公演『ドン・ジョバンニ』(小澤指揮)などの豪華な舞台装置が印象に残っている――としても知られるフランコ・ゼッフィレッリ。『ゼッフィレッリ自伝』(創元ライブラリ、木村博江訳)によるとゼッフィレッリが初めてマレーに会ったのは1949年の夏。このときのゼッフィレッリはルキーノ・ヴィスコンティの助手をしていたものの、まったく無名の存在。一方マレーは「当時フランスで最も人気のあった」(『ゼッフィレッリ自伝』より)スター。ヴィスコンティが企画していた仏・伊合作映画『貧しい恋人たち』――結局この企画はお流れとなるのだが――のための若手のフランス人俳優を探しに来たのだ。ヴィスコンティは紹介状を兼ねた手紙を3通書いてゼッフィレッリにわたしたのだが、その相手がココ・シャネル、ジャン・コクトー、ジャン・マレーだった。ゼッフィレッリはまずジャン・マレーに電話をして、ヴィスコンティの紹介で会いたいと伝える。「彼は連日の撮影の合い間を縫い、最高の美男子を伴って素晴らしいスポーツカーでやって来た。別れ際に彼は言った。『明日の夜、ぼくらはリドの新しいショーの初日に行く。テーブルの予約はしてあるから、一緒に来ないかい?』 私はパリについてあまり知識はなかったが、リドの初日がそのシーズンの目玉であることは知っていた」(『ゼッフィレッリ自伝』より)マレーが連れていた「最高の美男子」の名前は書かれていない。拙ブログの読者なら、「ジョルジュ・ライヒ?」と思うかもしれない。だが、おそらくジョルジュではない。マレーの自伝のよれば、彼とジョルジュが出会ったのは、映画『オルフェ』公開(フランスでは1950年の3月)のあと。1950年初めにはまだジョルジュ・ライヒはアメリカにいて、ブロードウェイの舞台に立っている。さて、マレーに誘われたゼッフィレッリは、タキシードやイブニングドレスで着飾った人々の集うリドに1人でやってくる。20代半ばを過ぎたばかりの「ヴィスコンティの子飼い」の無名青年が身につけていたのは地味な紺の上着にネクタイ。当時はリドが最も格式が高かった時代で、ドアマンは安っぽい服装の若造をぞんざいに扱う。だが、「ジャン・マレーに招かれた」と言ったとたん、態度は急変し、すぐに中に招き入れられ、チーフウエイターが出てきて、うやうやしく舞台正面の最上の席に案内された。「ムッシュー・マレーからお電話がありまして、少し遅くなられるそうです」とマレーからの伝言を伝えるチーフウエイター。場違いな服装で場違いな席に1人でいる若造は、周囲の好奇の眼にさらされる。ショーが始まっても、マレーも彼の友人も現れない。「あいつはどういう人間だ? どうやってあのテーブルを予約できたんだろう?」ひそひそ声が聞えてきた。やがてチーフウエイターが戻ってきて、マレーは仕事が終わらないので今夜は来られないと告げた。「でも、あなた様は、ムッシュー・マレーのお客様としてゆっくりなさってくださいとのことです。明日お電話をお待ちしているとおっしゃっていました」そこで、贅沢なショーをたった1人で(ムリヤリ)楽しむゼッフィレッリ。自伝で本人が書いているのだから間違いないだろうと思うのだが、若いころのゼッフィレッリは金髪・碧眼のイケメンで、それゆえ遠くから憧れていたイタリア演劇界の重鎮ヴィスコンティに気に入られ、その後仕事を手伝ううちに親密になって、ローマのヴィスコンティ邸にいわば「囲われる」ようになったという。若いころのゼッフィレッリの写真は見たことがないので、残念ながら、みずから狙ったヴィスコンティを見事落とした美貌がどんなだったのか、わからない。だが、ハリウッドから役者としてのオファーが来たこともあったというから、それなりだったのだろう。最上の席にいるそんな若者に、踊り子は身を乗り出して誘うように微笑みかけた。若者のほうもシャンパングラス越しに、応えるような表情を作って見せた。ところが、このあととんでもない事件が起こる。それについて、興味のある方は、ゼッフィレッリの自伝を読んでいただくとして、ジャン・マレーとのその後についてだけ書くと、後日彼はマレーと再会し、マレーはリドに行けなかったことを丁寧に詫びてきた。「彼は驚くほどやさしかった」(『ゼッフィレッリ自伝』より)気取りがなく、非常にやさしいというのは、マレーと出会った多くの人々が異口同音に言っている。おかしいのはココ・シャネル。ヴィスコンティは隠していた――家に囲っていることがバレないように、ヴィスコンティは同じ仕事場に行くにも、ゼッフィレッリと一緒には出かけなかった――とはいえ、どう見たって愛人であることは一目瞭然のゼッフィレッリに、「昔愛した人のことはいつまでも忘れられない。たとえ、裏切られても。愛が憎しみに変わるなんて嘘。怨みや怒りに変わるのよ。でも一度愛したら永久にその想いは消えないわ。相手のせいではなく、自分自身の、人生のその瞬間のせいでね。相手が誰だったのかはあまり関係なく、その瞬間はいつまでも残るの」などと、いかにもヴィスコンティに未練たらたらのような名台詞を吐いては、彼から「ヴィスコンティ情報」をあれこれ引き出そうとする。一方で、マレーやコクトーについてはケチョンケチョン。「マレーなんかと付き合っちゃダメ。彼はどうしようもないヤツ」「相手に才能があるとわかったら、彼(=コクトー)は何も忠告なんかしてくれない。彼に忠告を受けたら、そのときこそ心配すべきね」あたかもコクトーやマレーにゼッフィレッリを近づけまいとするようなこの口の悪さは、キャロル・ヴェズヴェレールの証言とも一致する。陰では悪口を言いながら、シャネルはマレーに、「あなたのハウスボートに行きたい。食事に招待して」と言って、いわば押しかけ訪問しているし(このハウスボートを「私が高く売ってあげる」とマレーに持ちかけたこともある)、1950年からコクトーが南仏に滞在するようになると、自分も訪ねて行って、フランシーヌ・ヴェズヴェレールというヨーロッパでも有数の富豪夫人をクライアントとしてゲットしている。ゼッフィレッリに話を戻すと、彼はその後もう一度、今度はヴィスコンティとともにパリを訪れ、ジャン・マレーに会っている。そのときはココ・シャネル、イブ・モンタン、シモーヌ・シニョレも加わって、マルセル・セルダンを飛行機事故で亡くしたばかりのエディット・ピアフのコンサートに行くなど、フランスの有名人との華やかな交流を楽しんだ。マレーに会ったころのゼッフィレッリは、「ルキーノ(=ヴィスコンティ)の愛を疑っていなかった」ので幸せだったと書いている。だが、その後2人の関係は暗転。ゼッフィレッリの心にヴィスコンティへの不信感が芽生え、それはやがて破滅的なものとなる。そして、とうとう『夏の嵐』の撮影時に、ゼッフィレッリはヴィスコンティとプライベートでの関係を解消することに決め、仕事面でも徐々に離れていき、ついには完全に独立する。そのせいか、ヴィスコンティと親しかったジャン・マレーとゼッフィレッリが仕事をすることはなかったようだ。ゼッフィレッリとヴィスコンティの愛憎劇は、不思議なことにココ・シャネルの「一度愛したら永久にその想いは消えない」という言葉がすべてを表わしているようでもある。ゼッフィレッリが耐えられなくなったのは、ヴィスコンティの傲慢な鈍感さだった。それだけではおさまらず、自分のもとを離れようとするゼッフィレッリに、ヴィスコンティはときには非常に汚い手を使って、あれこれと妨害をしかけてきた。ゼッフィレッリは長い間、ヴィスコンティのこうした残酷な仕打ちを苦々しく思ってきた。だが、自分が仕事で大成功をおさめるにつれ、ゼッフィレッリの心境にも変化が起こる。「大ヴィスコンティがそこまで罰しようとした自分も、たいしたものじゃないか」と、むしろ名誉に思うようになったのだ。演出家として映画監督として、華々しい成功を収めたゼッフィレッリだったが、その礎を築いたのがヴィスコンティのもとであったことはまぎれもない事実だったし、自分が仕事に突っ走ってきたのも、とどのつまりは、「ルキーノのようになりたい。彼のような生活がしたい」という憧れだったことに気づく。また一方、自身の名声がどれほど高まろうと、ゼッフィレッリはどこかで、「同時代人の中で、ヴィスコンティほど英雄の高みにまで達した演出家はいない」と誰よりもヴィスコンティの偉大さを理解していた。実は私生活での財政だけを見ると、明らかに成功をおさめたのはゼッフィレッリであり、彼は主に映画で巨万の富を築くのだが、ヴィスコンティのほうは逆に、予算を超えた大判振る舞いのために、結果としては祖先から受け継いだ遺産をかなり手放している。収支としてはマイナスだったのだ。『ルートヴィヒ』で倒れ、車椅子生活に入ったヴィスコンティは、姉にロールスロイスを買ってくれるよう懇願したという。自分自身で買う余力はすでになかったのだ。姉は、「メルセデスではダメなの?」と困惑するのだが、結局は「ルキーノ・ヴィスコンティはいまだ健在だ」と世間に印象づけたいという弟の希望をかなえるために、銀のロールスロイスを買い与えている。この前に、ゼッフィレッリのほうが一度、瀕死の重傷を負う大事故に遭っているのだが、ヴィスコンティはわざわざ見舞いに来た。ゼッフィレッリも車椅子生活に入ったヴィスコンティ邸を、息子として遇していた若い青年をともなって見舞っている。ヴィスコンティが亡くなったときは、ゼッフィレッリは葬儀にかけつけ、棺のそばで涙にくれた。だが、もっとも端的なゼッフィレッリの「ヴィスコンティへの愛の証し」となるエピソードは、ヴィスコンティが愛用した香水にまつわるものだろう。ヴィスコンティはロンドンのペンハリゴンという老舗が特別な客のためだけに調合した「ハマム・ブーケ」という香水を愛用していた。ヴィスコンティと会ってまだ2度目のとき、この香りに魅せられたゼッフィレッリは、香水の名前をヴィスコンティに聞いている。その思い出はずっとゼッフィレッリの中に残り、ヴィスコンティとの親密な関係を解消したあとも、ロンドンに行くと、ヴィスコンティのためにこの香水をお土産に買って帰っている。1970年代の初めに「ヴィスコンティの香り」を作っていた職人が引退を決め、ペンハリゴンも一度消えかかったことがあった。それを経済的に支援して存続させたのがゼッフィレッリだったのだ。ココ・シャネルの言った「いつまでも残るその瞬間」――ゼッフィレッリにとっては、ヴィスコンティのつけたハマム・ブーケの魅惑の香りを嗅いだ瞬間が、それだったのだろう。そして、ゼッフィレッリは自伝の冒頭にも「人生の最大の師」の1人として、ヴィスコンティの名前を挙げ、その思い出に本を捧げている。
2008.09.17

「カルティエのトリニティリングは、コクトーが制作を依頼してラディゲに贈った」説がいかにアヤシイ話かおわかりいただけたと思うが、この手のネット上の情報のデタラメぶりは枚挙にいとまがない。だが、プロの著述家の書いたものなら、一般人はごく普通に、正しいと信じてしまうだろう。一般的には、日本ではジャン・コクトー関連の出版物はかなり充実しており、かつ総じて質も高い。だが、驚くような事実誤認を堂々と垂れ流している「プロ」もいる。グーグル検索で「ジャン・コクトー ジャン・マレー」と入力したところ、わりあい上の方に出てきた「松岡正剛 千夜千冊『白書』ジャン・コクトー」というエントリー。フランシーヌ・ヴェズヴェレールやジャン・マレーに関する部分だけ読んでも、間違いのオンパレード、正直ここまでヒドイのは素人のブログでも珍しい。別に著者のメンツをつぶすつもりは毛頭ないのだが、こうしたサイトに限ってコメントもトラックバックも受け付けていない。しかも、どうやらこの千夜千冊という連載は、本にまでなってしまったらしい。印刷物になる時点で誤りが訂正されていればいいのだが、もしそのままだとしたら、これは由々しき問題だろう。ごく短い文章の中にどれだけ事実誤認があるか、以下に列挙してみよう(青文字が同エントリーからの引用。赤文字が端的な間違い)ブラジル生まれのフランシーヌ・ヴェスヴェレールは、『恐るべき子供たち』のエリザベート役をあてがわれていたとき、スタジオでコクトーに見染められている。拙ブログを読んでいる方、もしくは映画『恐るべき子供たち』をご覧になった方ならすぐわかると思うが、フランシーヌがエリザベート役をやってるワケがない。正解はフランシーヌの親戚のニコル・ステファーヌだ。それが『地獄の機械』舞台化のためにしたオーディションで、ギリシア彫像かとも目の眩むジャン・マレーを“発見”したことだった。さっそく『円卓の騎士』が書かれ、マレーにはココ・シャネルの金と純白の衣裳があてがわれた。『地獄の機械』はジャン・ピエール・オーモンが主役を演じた1934年の戯曲。コクトーとマレーの出会いは1937年、『オイディプス王』のオーディションだ。『地獄の機械』もオイディプスの話だし、拙ブログでもさんざん書いたように、マレーは『地獄の機械』を非常に気に入っていて、後年何度も再演したので混同したのかもしれない。また、『円卓の騎士(たち)』はマレーのためにコクトーが書いたものではない。オーモンが初演する予定だったのだが、映画の契約があってできなくなった。そこでコクトーがジャン・マレーに「君が演ってみないか」と声をかけてきた(新潮社『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』P63ページより)。衣装については、「ココ・シャネル担当」と書かれた資料も確かにある。だが、マレーの自伝によれば、衣装をデザインしたのはジャン・コクトーだった。シャネルは生地を提供したらしいのだが、縫製はどこでやったのかははっきりしない。ハクづけのためにシャネルの名前を借りた可能性はあるが、実際のところシャネルがどれほどかかわったのかは不明。少なくともハッキリしているのは、マレーにあてがわれた衣装をデザインしたのはコクトーだということ。『円卓の騎士(たち)』のためのコクトーのデッサン。マレーの自伝によれば、コクトーはツーロンで、この衣装デザインを練ったというコクトー原案の衣装をつけた『円卓の騎士(たち)』でのマレーのスチールこれ以降、マレーはコクトーが没するまで恋人でありつづけた。どちらも「ジャン!」と呼び合えばすぐ融ける仲だった。ぼくは『ジャン・マレーへの手紙』と『私のジャン・コクトー』(東京創元社)を読んで、ほとんど蒸しタオルを全身にあてられたような気分になったものである『ジャン・マレーへの手紙』のどのページでもいい、一瞬でも開いてみれば、コクトーがジャン・マレーを「ジャノ」と読んでいたことは誰でもわかる。ジャンと呼び合っていたのはなく、「ジャン」と「ジャノ」と呼び合っていたのだ。ここから先のコクトーは、1963年に74歳でパレロワイヤルの寝室で死ぬまで、ジャン・マレーをはじめとする男たちと(最後にジェラール・フィリップが加わった)コクトーが亡くなったのは、パリ郊外のミリィ(ミイ)・ラ・フォレの家。発作に襲われたのはサロンだということだ。コクトーがパリのパレロワイヤル庭園に面したアパルトマン(正確に言えば、モンパンシエ通り36番地)を1940年から亡くなるまで借りていたのは事実だが、パレロワイヤルで死んだわけではない。最後にジェラール・フィリップが加わった――というのも、よくわからない。確かにコクトーはフィリップを評価していたし、ロケを見に行ったりしている。だが、たいした交流はない。フィリップはマレーから申し込まれたコクトーの映画『オルフェ』への出演を断わっている。コクトーとの関わりの深さにおいて、フィリップとマレーとを比べられるものではないし、それにフィリップは別に「最後」ではない。フィリップと知り合ったあとに、もっと若いアラン・ドロンがコクトーのもとにみずから売り込みに来ている。ラディゲに関してもヘンな記述がある。1919年、16歳の邪悪な天使、レイモン・ラディゲが登場する。それからコクトーはラディゲを精神嬰児のように体中でもペニスでも偏愛しつづけた。それがどういうものであったかは本書『白書』の中のスケッチを見てもらうのがいい。本書というのは、求龍堂から出ている『白書』のことだが、訳者である山上晶子氏が書いているように、ここに挿入されたエロティックなスケッチは、『白書』(1928年)のためにコクトーが描いたものではなく、1946年にジュネの『ブレストの乱暴者』たちのためにコクトーが療養先で描いたものやコクトーが1940年にモンパンシエ通りに移って以降に描いた未発表の素描を、コクトー没後に編集者が集めて入れたもの。『白書』執筆時とこのスケッチを描いた時期は相当に離れており、かつ直接的には何の関係もない。だから、『白書』の挿絵をラディゲと結びつけるのは無理がある。ただし、『白書』に描かれたHと私との関係が、1923年に亡くなったラディゲとコクトーの関係を強く想起させるものであることは確か。コクトーとマリー=ロール・ド・ノアイユおよびナタリー・パレとの関係にも誤解と混乱がある。マリー(ロール・ド・ノアイユ)が紹介したナタリー・パレは、そのとき27歳。婦人服デザイナーのリュシアン・ルロンの妻だったが、やはり血が凄かった。父親はロシア皇帝アレクサンドル3世の弟だ。しかも皇帝と弟(ナタリの父)はともにボルシェビキによって暗殺されていた。高貴な家柄が没落して美しい。コクトーはこういう条件には、もう、なにがなんでも目がなかった。マリーは絶世の美女で、肌が透き通っていた。コクトーは夢中になり、たちまち妊娠させ、堕ろさせた。コクトーはナタリーのことを「輝くシャンデリアを必要とする驚くべき植物だ」と書いている。その植物の花芯に灼かれたのだ。赤文字のマリーはナタリーの単純ミス。コクトーの子を妊娠した(と少なくともコクトーが信じた)のはナタリー・パレのほう。また、コクトーが堕ろさせたのではなく、ナタリーのほうが「(ロシア王朝の)ロマノフとコクトーの血が混ざるのが怖い」と言ってスイスで堕胎してしまった。コクトーはこのことにひどく傷つき、10年後に書いた『占領下日記』でそのときの苦悩を吐露している(詳しくは拙ブログ4/19のエントリー参照)。これを読めばコクトーが堕ろさせたのではないことは明らか。
2008.09.16

信憑性の薄い神話がまことしやかに語られるのは、歴史上の人物になった有名人にはありがちだが、「カルティエのトリニティリングはジャン・コクトーがレイモン・ラディゲに贈るためにデザインした(あるいは、デザインさせた)」という逸話は、その最たるものだろう。このエピソードがあたかも既成事実のように書かれているサイトがもっとも多いのは実は日本語サイト。フランス語や英語のサイトでは、あまり見ない。主にカルティエのトリニティリングを扱うショップサイトで、表現に多少の違いはあれど、「トリニティリングは、ジャン・コクトーがレーモン・ラディゲ(「愛する人」とぼやかしているサイトも多い)に贈るために、『この世に存在しないリングを』と注文を出してカルティエに制作させた」というように書かれている。ちょっと前までは「コクトーがデザインした」という話が多く流布されていたのだが、それはさすがにありえないとわかってきたらしく、最近では「ラディゲのために、コクトーがカルティエに制作させた」説が幅を利かせている。さらにそれを見た(のだろう)、素人のブログでも、この逸話は爆発的に広まっている。カルティエのトリニティリングといえば、「コクトーが恋人のラディゲに贈るために作らせたんですって! 知ってました?」「コクトーがラディゲに贈ったもので、若くして亡くなったらラディゲの分も合わせて2つ、晩年まで肌身離さずつけていたのは有名な話ですよね!」などと書いてあるブログもある。「有名な話ですよね」なんて言われると、よく知らなくてもついつい、「そうそう、知ってる知ってる」などと相槌を打ちたくなってしまうようなものだが、このエピソード自体、Mizumizuはそもそも「ほとんどありえない話」だと思っている。ブランドにまつわる話は、もちろんそのブランドの公式サイトを読むのがいい。カルティエ社はトリニティリングの誕生についてどう説明しているのだろう?www.cartier.com/en/Creation,B4038800,,Trinity%20de%20Cartier-Rings ↑ここの英語の説明を読んでみると、プラチナ+レッドゴールド+イエローゴールドからなる3連のリングに関する最初の資料があるのが1924年。3色ゴールド(「3色」としか書いていないが、つまりプラチナのかわりにホワイトゴールドを使ったということだろう)の3連リングについての記録が残っているのが1925年。ジャン・コクトーがはめていたことは書かれている(もちろん、それは事実だからだ)。コクトーという人が1920年代の時代の寵児であったこと、彼がトリニティリングのフォルムを非常に気に入ったこと、そしてコクトーといえばトリニティリングというイメージが広まったこと、それによってこの指輪のカルト的な人気が高まったことなども紹介されている。だが、「コクトーが制作を依頼した」なんてことは一言も書かれていない。そもそもラディゲが亡くなったのが1923年。トリニティリングの発表が1924年。もし、日本のネット上にはびこる神話が事実だとしたら、1923年以前にコクトーがカルティエに制作を依頼し、できあがったのがラディゲの死の翌年だったということになる。ナルホド、まあそれはあるかもしれない。だが、それならば、コクトーは1924年からこのトリニティリングを、贈れなかったラディゲの分も含めて2人分はめていなくてはおかしい。だが、若いころのコクトーの写真を見ると、トリニティリングと組み合わせて小指にはめているのは、別のリングなのだ。ネットでは見にくいかもしれないが、これが若いころのコクトーのはめていた指輪で、ボリュームのある平べったいリング、その上にトリニティリングを1つ組み合わせてはめている。若いころはほとんどこのコンビネーションだ。これはジャン・マレーと暮らし始めて間もないころの写真だが、上の写真と同じく、平べったいリングの上にトリニティリングを1つ計2つはめている。しかも、この写真では右手の小指。では、コクトーがいつもいつも指輪をはめていたのかというと、そうではない。これは同じくジャン・マレーととったスナップだが、この写真では指輪はなし。コクトーがいつも指輪をしていたわけではないことは、この写真からも明らかだが、他の動画をみてもコクトーはわりあい「作業をするとき」は指輪をはめていない。指輪をするのは、外出するとき、ある程度構えた写真を撮るときなのだ。上のマレーとの2つの写真の違いは、指輪をはめたほうは写真の構図の緊張感、くっきりしたライティングから判断して、プロの写真家による撮影、指輪のないほうは、日常のスナップに近いということだろう。ラゲィゲの分と合わせて2つのトリニティリングを小指にはめていた、という伝説が真実なら、亡くなってからそれほど時間のたっていない若い時期になぜ「別の指輪」をはめているのか説明がつかない。コクトーはトリニティリングを取ったりはずしたりしていたし、つけるのも必ずしも左手ではなく、右手のこともあったのだ。こうしたことから考えると、小指の指輪はあくまでオシャレ用だった、というのが普通の結論だろう。コクトーが2つのトリニティリングを小指にはめていたのは、髪の毛が白くなってから、つまり晩年なのだ。これが晩年のコクトーが小指にダブルではめていたトリニティリング。www.youtube.com/watch?v=tlEcnuvMHiI↑この動画のしょっぱなにも最晩年のコクトーがトリニティリングをダブルではめている様子が映っている。コクトーの素描には、トリニティリングをはめた自身の指を描いたものも確かにあるが、たとえば1924年のドローイングでは…このように指には何もない。この絵は「鳥刺しジャックの神秘」という一連の自画像のうちの1枚だが、これをコクトーが描いたのは、1924年の秋、11月ぐらいだ。もし、トリニティリングがラディゲのためにコクトーがわざわざ注文して制作されたものだったのなら、できたてホヤホヤのリングをこの自画像に描き入れたってよさそうなものだ。こちらは1955年にベルナール・ビュッフェが描いたコクトー像の部分。これをみると左手の小指に1つだけトリニティリングが描かれているのがわかる。つまり、コクトーがトリニティリングをはめたのは、1924年のこのリングの発表直後ということは考えにくく、かつはめ始めてからも、相当長い時期「1つだけ」しかつけていなかったということなのだ。「最晩年のコクトー」がしばしば2つのトリニティリングをはめていたのは事実だが、やはり指輪をしていない写真もある。この写真や、その他の(YOU TUBEにある)動画からも、2つのトリニティリングをはめ始めた晩年も、作業中ははずしていることが多く、必ずしも「肌身離さず」つけていたわけではないことがわかる。もう1つ、Mizumizuが「ラディゲのためのリングなわけないでしょ」と思うのは、リングのサイズだ。コクトーは常に小指にトリニティリングをはめており、2つともコクトーの小指にぴったりだ。きついぐらいぴっちりとはまっている。めったにないぐらいヤセヤセのあのコクトーの、しかも小指ですよ。ラディゲの写真を見ると、コクトーほどには際立った痩身ではない。コクトーの小指にピッタリのリングがラディゲにはまるとは思えないし、そもそも、コクトー自身は小指にはめるのが好きだったにしても、愛する人に贈るのになんで自分の小指用にしかならない、相手にとっては明らかに小さすぎるリングを贈るのだ?あの極細コクトーの小指にピッタリのリングをはめることのできる男性なんて…… それこそ『ロバと王女』のお姫様探しのごとし、だろう。指輪を贈ろうとした相手がラディゲではなく、1932年にコクトーと交際し、妊娠した(と少なくともコクトーが信じた)ナタリー・パレのような女性だったとしても、サイズが果たしてあれで合うのか、なぜ上に挙げたマレーと出会って以降(1937年~)の写真で1つしかはめていないのか、といった疑問はやはり解けない。さらに言えば、もしコクトーがラディゲに指輪のような通俗的なプレゼントをしていたのだとしたら、コクトーは後の最愛の人マレーにも同様のモノを何か贈っていてもおかしくない。ところが、コクトーがマレーに贈ったのは、マレーのために書いた自身のオリジナルの戯曲、自身の詩(これは第三者が読むことを前提としない、マレーのためだけに書いたラブレター的なものもあるし、『火災』のようにマレーに献上するつもりで書いたものもある)、晩年は「君の誕生日に何かプレゼントしたい。『存在困難』の原稿を贈らせてもらえますか」――つまり、コクトーは大量生産が可能な「モノ」ではなく、常に世界中で自分にしか贈れないたった1つのものを愛する人に捧げようとした人だったのだ。マレーのほうは、初期のころの手袋屋の看板に始まり(このエピソードについてはの3月26日のエントリー参照)、スイス製の時計だとか、あるいは花だとか、とても「男の子らしい」プレゼントをコクトーにしている。現存している写真から考えても、コクトーの性格から推測しても、トリニティリングはコクトーがラディゲのために作らせた、なんていうのは、とっても眉唾な話なのだ。それがあたかも事実のように日本語のサイトに大量に書かれている。コクトーが、ルイ・カルティエに「愛する人のために、この世に存在しないリングを」(このフレーズは、Bunkamuraでのコクトー展での晩年の写真に添えられたものだったらしい)と言ったなんて、「講釈師、見てきたような嘘を言い」の典型だろう。では、なぜ最晩年のコクトーがトリニティリングをダブルでつけていたのだろう?むろん立証は不可能だが、取ったりはめたりを繰り返していたことを考えると…ある日のコクトー「あれっ? トリニティリングが見当たらない?」しばらく捜して「やっぱないな~。失くしたかな。仕方ない、もう1つ買おうっと」買った後に「あ、見つかった」それじゃってことで「2つ一緒にはめちゃおうっと」と、案外この程度の話だったのかもしれない。ちなみに、コクトーは1955年にアカデミー・フランセーズ会員に選出された際、会員の正装の一部である剣を、自らデザインし、カルティエに制作させている。これは神話や伝説ではない事実。(追記)コクトー作品は、Bunkamuraザ・ミュージアム発行のカタログLe Monde de JEAN COCTEAUから拝借しました。
2008.09.15

(10)ジャン・コクトー 「白書」求龍堂1928年にコクトーが匿名で秘密裏に出版した、魂の告白。マレーと出会うほぼ10年前の著作だが、コクトーがどんなタイプに致命的に弱く、どんなタイプとは共に生きていけなかったかが手に取るようにわかる。それはすなわち、コクトーがジャン・マレーのような肉体と精神の持ち主をどれほど待ち焦がれていたかの裏返しのようにも読める。常に恋した人とのどろどろの愛憎劇や死別という暗い運命につきまとわれていた「私」は、10年後にマレーという純粋で健康的な青年に会うことで、「白書」に描かれた闇の精神世界から解放されたとも言えるのではなかろうか。また、「鏡」「手袋」などその後のコクトー作品(特に映像作品)で重要な意味をもつアイテムが出てくるのも興味深い。以上が、この連載を書くにあたって参考とさせていただいた主な資料だが、ジャン・マレーに関する評伝は、本国フランスでは相当の数が出ている。2000年代になって出版されたものも多い。これは1999年にパリで開催されたジャン・マレー回顧展から。ジャン・マレーっておじいさん……と思っていたパリの若者が、若いころのマレーの写真を見て驚愕したという話もある。確かに…… 『悲恋(永劫回帰)』を見たときは、Mizumizuも驚いた。晩年のマレーは南仏で陶器制作を始めるのだが、その師匠になったジョー&ニニ・パスカリ夫妻による評伝『素顔のジャン・マレー』。パスカリ夫妻とマレーは本当に(本当に、というのは、実際にはたいして親しくなかった人たちがマレーの評伝を多く書いているからだ)仲がよかったらしく、マレーの『私のジャン・コクトー』にも2人との楽しい食事の思い出などが綴られている。鬼籍に入ってしまった友人が多い中で、ニニ・パスカリは長生きだったこともあって、生前のマレーを知る貴重な友人の1人として、頻繁にマレーに関するインタビューに答えている。ご存知、マレーの「妹」キャロル・ヴェズベレールその他による『熱愛されしひと、ジャン・マレー』。マレーと実際に交流のあった人々の思い出集といったところ。この表紙の写真は、映画『ルイ・ブラス』から。マレーの作品の中では、比較的地味な『ルイ・ブラス』のカットを使っているのは、この映画でのドン・セザール役が本来のマレーがもっていた「おおらかな明るさ」を全面に出したキャラクターだったからかもしれない。マレーのその他のコクトー作品での役柄は、どこか暗く、陰のあるものが多かった。同じ時期、『ルイ・ブラス』の撮影セットでレイモン・ヴォワンケルが撮ったコクトーの写真がこれ。「ムッシュー・コクトーはとてもおしゃれで、服装はいつもパーフェクトだった」と言っていたキャロルの言葉を裏づけるダンディぶり。この不思議な扉は『ルイ・ブラス』の王妃の居室に使われた(映画でどう使われたかは、5月23日のエントリー参照)。『ルイ・ブラス』はヴェネチアで撮影が行われ、コクトーはマレーに同行していたのだが、個人的な関係でいえば、1930年代の後半から1940年代の後半のこのころまでが2人の蜜月時代。2人で過ごしたヴェネチアをコクトーはいつまでも忘れず、後にマレーが1人でヴェネチアに撮影に行けば、「君と一緒に行きたい」、自分がフランシーヌやドゥードゥーとヴェネチアに旅行すれば、「ぼくは君と一緒にヴァポレットに乗っています」と書き送っている。いろいろなライターが出してるジャン・マレー関連の本。なぜあなたがジャン・マレーの評伝書いてるの? の代表ジル・ドゥリューの『ジャン・マレー』ドゥリューは俳優でもあり、ライターでもあるのだが、マレーと一緒に仕事をしたことはほとんどないと思う。とはいえ、俳優ジャン・マレーが好きだったことは間違いないらしく、マレーの最大の魅力は、「ギリシア彫刻のような男性美にあふれた完璧な肉体」だと言っている(一番はカラダですか、フムフム)。この人もよくわからない、ジャン・ジャック・ジュロブラン。俳優でもあり、ライターでもあり、プロデューサーでもある多才な才能の持ち主ジュロブランは、スターの評伝が多い。ダスティン・ホフマンだとか、ブールヴィル(『怪傑キャピタン』などでマレーとも共演した喜劇俳優&歌手)についての著作もある。内容は……知りません。ジャン・マレーとのプライベートな接点は、それほどはないはず。「なぜあなたが書いてるの?」本は、マレーの没後に出版されているのが特徴。2006年にはジャン・マレーのDVDも出ている。その名も『赤と金の痛み』。ここに挙げた評伝はごく一部。俳優ジャン・マレーの得意技、かぶりモノによるメタモルフォーゼ(変身)を分析した書籍もあるし、南仏の芸術家としての晩年の暮らしにスポットを当てたものもある。本国フランスで、ジャン・マレーの映画で今でも人気があるのは、実は必ずしもジャン・コクトー作品ではない。『城塞の決斗』『怪傑キャピタン』『ファントマ』といったお気楽娯楽劇のほうが、今でもリバイバルされてそれなりに客を集めている。実際、この手のたわいもない話を一緒になって盛り上げるフランス人観客のユーモアセンスはたいしたもの。映画館ではそれこそ『寅さん』映画で盛り上がる東京の下町っ子よろしく、ギャグに大受けして笑い、不当な行為にはブーイングを浴びせ、美女が救出される場面では喝采が起こる。ああいった姿を見ていると、「あ~、ラテンの国や」と思うのだ。日本ではジャン・コクトー作品と結びついた美青年で時間が止まってしまった感のあるジャン・マレーだが、80歳を超えるまでコンスタントに舞台に立ち続ける一方、80本を超える映画に出た多才な俳優について、それはあまりに無知というものだろう。ジャン・マレー自身は自伝の中で、「もし美貌が要求される役ならば、美しく見せようと最大限の努力はする。醜い役なら穢く作ろうと努めるのと同じ意味だ」と書いている。つまり彼は、なにより演じることを生業とする職業人であり、自分なりの手法でその道を究めようとしたプロだったのだ。どうも日本人は、特に欧米の俳優に関しては、顔しか見ない傾向がある。若い美人やハンサムなら夢中になって過剰なほど持ち上げるが、年をとったら見向きもしない。言葉の壁があるとはいえ、ずいぶんと失礼な話だ。自分が年齢や見かけだけで判断されたら、不愉快な思いをするだろうに。
2008.09.14

5)ジャン・コクトー 「ジャン・マレエ」 出帆社コクトーの公式な俳優ジャン・マレー論なのだが、1950年代初めと、書かれた時期が比較的早いせいか、はたまた翻訳がよくないのか、あんまり面白くない(笑)。『ジャン・マレーへの手紙』を読むと、「友人だからよく書いたと思われないように」客観的に冷静な評論にすべく苦心しながら書いている様子がうかがわれ、そっちのほうがむしろ人間臭くて真に迫ってきたりして……私たちは最晩年までのジャン・マレーの作品をすでに観ているのに対し、1950年代初めの俳優マレーはまだそれほど、彼の能力のすべてを発揮していなかったというのも、このジャン・マレエ論と私たちの抱くフランスの大俳優ジャン・マレーのイメージとの齟齬につながっているのかもしれない。初期のジャン・マレーは、コクトーの愛人、美貌のスターというイメージだったかもしれないが、長いキャリアを通して、コメディやアクションなどの娯楽作品でも、重厚な歴史大作でも存在感を発揮できる多才な名優になっていったのだ。6)ジャン・コクトー 「美女と野獣 ある映画の日記」 筑摩書房こまかく訳注を入れるなど、翻訳者の探究心の深さに感動できる一冊。映画の日記の翻訳なのに、ほとんど研究書レベルの緻密さで作業している訳者には脱帽。ふんだんに入った映画のスチール写真も美しい。筑摩書房って質の高い翻訳本出していたんだなぁ…… 偉い出版社だ。コクトー関連本では、東京創元社もよいものを出版していると思うが、筑摩書房の本は緻密な作りこみに日本出版社の志の高さを感じることができる(あくまで、コクトー本に関して、ね)。この本でのマレーとの関係に関して言えば、コクトーが非常にマレーの機嫌を気にしているのがわかる。メイクがうまくいかずに癇癪を起こしたり、思うように撮影が進まず不機嫌になったりしているのを、コクトーは(かなりびくびくしながら)見ていたようだ。コクトーを含めて、スタッフの健康問題に悩まされた撮影だが、不思議なことに、主演女優のデイはあまり体調の面で問題がなかったよう。贅沢な女性だったので、ロケ先で泊まるホテルには大いに不満だったらしいが、撮影での苦労というのが彼女に関してはほとんど書かれていない。あの重たげな衣装とエクステンションをつけての凝ったヘアメイクを見ても、準備は大変だっただろうと推測できるが、不満やグチを言っていたようすもない。『美女と野獣』の成功はデイのプロ意識にも大いに助けられたのかもしれない。あとはコクトーの病気。マレーの自伝とあわせて読むと、いかにこの撮影がコクトーの健康を完膚なきまでに破壊したかが手に取るようにわかる。またコクトーの病院嫌いも、このときの入院がトラウマになったのかもしれない。友人たちが帰ってしまった夜、他の病人の苦しげな声を聞きながら、コクトーが恐怖心にさいなまされている様子が克明に描かれている。もともと身体の弱かったコクトーだったが、『ジャン・マレーへの手紙』を読むと、マレーがそばにいてくれることで心身ともに安定し、闘病の勇気がわくことを認めつつも、「君をぼくの看護人にするつもりはない。ぼくの望みは君が幸福でいてくれること」と書き続けた。7)ジャン・マレー 「私のジャン・コクトー」 東京創元社マレーが80歳直前に書いたコクトーとの思い出。コクトーが亡くなって30年(!)後の著作ということもあってか、マレーの中ではコクトーという存在は一種の形而上的愛の対象に昇華してしまっているようだ。若いころのオイタは忘れ、ひたすらコクトーを人生の師として崇めている。同時に、実像を離れて誤解がひろまっているコクトーを徹底的に擁護するという確固たる意思も感じられる。ただ、自伝で明かしていなかった事実について触れた部分もある。それは出会う以前のコクトーへの想い。実はマレーはコクトーに強烈に憧れていた。『地獄の機械』を見たときは、コクトーが自分に語りかけているとすら思い、「どんな犠牲を払ってもこの人に接近しなければ」と考えている。つまり、コクトーはマレーが演りたいと思う戯曲を書く作家であり、彼と出会えば自分の役者としての才能が開花するかもしれないことを、マレーはどこかで予感していたのだ。自伝ではそこまで書いていなかったので、なぜコクトーと聞いて、自発的にオーディションに行く気になったのか、ちょっと曖昧な部分もあった。つまりコクトーとの出会いは完全な偶然ではなく、マレーがある程度、「どうしても会いたい」という意志を持って会ったのだということが、この本で明らかになっている。最晩年のマレーは、コクトーが自分の演技を認め、賞賛してくれたことに誇りを感じながらも、「いろいろな役を演じたい」という自分の仕事への情熱がときに2人の時間を奪ったことに苦さも感じている。マレー自身によれば、自分はコクトーが言うようなよき天使などではなく、成功のための条件を整えようとする出世主義者だった。晩年のマレーのコクトーに対するほとんど宗教的ともいえる尊敬と愛慕の念は、そんな自分を無償の愛で常にやさしくつつんでくれたコクトーに、本来自分はもっと慎ましく仕えるべきだったという後悔の念ともあいまって、ますます強まっているようにも見える。8)桜井哲夫 「占領下パリの思想家たち」 平凡社新書タイトルどおり、占領下のパリの作家の政治的な立場を概観した研究書。コクトーと、彼の愛人としてのマレーにも触れられている。コクトーに関しては、ジュネを擁護したことで、「ジュネはコクトーの愛人(そりゃないって…。コクトーは面食いなのだ)」などと対独協力派新聞から醜聞を書きたてられたこと、それでいながら解放後、自分を攻撃した対独協力派の助命嘆願に尽力するなどコクトーの人道主義的な一面についても触れられている。このエピソードは、マレーが繰り返し主張した、「憎しみを知らず、愛することを愛した人」というコクトー像を側面から裏づけるものともいえる。9)キャロル・ヴェズヴェレール 「ムッシュー・コクトー」 東京創元社13年の長きにわたってコクトーの一大パトロンヌだったフランシーヌ・ヴェズヴェレールの一人娘のキャロルが書いた、思い出の中の父・ジャン・コクトーのプライベートな実像。キャロルはマレーに寄せるコクトーの真摯な想いを、少女らしい曇りのない眼で常に感動をもって見つめいてた。コクトーが最初の心筋梗塞で倒れたとき、マレーはアメリカにいたが、すぐに飛んで戻ってきて、コクトーの枕元から離れなかった。それを見てキャロルは初めて大スター、マレーの素顔に触れたと思う。実はキャロルは知らなかったが、コクトーの生命が有限であることをはっきり自覚したこのときから、確かにマレーはコクトーに回帰し始めたのだ。マレーはこれ以前にできていた2人の間の距離を埋めようとした。それが一方では、ジョルジュとの訣別につながっていく。コクトーの深刻な病気は、キャロルとマレーの距離も近づけた。以来、彼女は母がコクトーと絶交しても、常にコクトーのよき娘、マレーの賢い妹であり続けた。本業は映画のプロデューサーだが、マレー没後は彼の評伝も書くなど、ライターとしても知られている。この本の最後には、キャロルへのコクトーの私信も収められているが、泣いてばかりのマレーへの手紙とはうってかわって、ふざけてばかりでおもしろい。「地理のテストでびりだった君なら知ってるだろうが、ドイツって長靴の形の半島で、その先にコルシカ島という別の小さな島のある国だ」などとデタラメばっかりを教える見事な教育者ぶり(笑)。ちなみに、ドゥードゥーことエドゥアール・デルミットが、コクトーについてもマレーについても何も書いていないのが、奇妙な感じを受ける。キャロルの言うように、寝てばかりの怠け者だったせいか、まったく文才というものがなかったのか、控えめな性格ゆえなのか、ドゥードゥーの見たコクトー、あるいはマレーについては何も残っていない。ドゥードゥーは一応画家ということになっているが、今はその作品を見る機会は皆無に近い。マレーもラディゲについてはよく言及するものの、ドゥードゥーについてはほとんど何も触れていない。自伝には会話1つさえない。ドゥードゥーはコクトーの死後、すぐに結婚し、あっという間に2児の父となり(そのうちの1人の名づけ親はマレー)、フランシーヌとも和解してサント・ソスピール荘に再び出入りするようになった。スーパーエゴの持ち主ともいえるコクトーやマレーと違って、彼は平凡な、「色のない」タイプだったのだろう。個性の強いキャラクターのそばに長く留まれるのは、案外こういう人なのだ。ドゥードゥーは一時、明らかにコクトーとマレーを隔てる原因の1つにもなったが、実のところこの非凡な2人の緩衝材のような役割も果たしていたのかもしれない。ドゥードゥーは晩年は、マレーとコクトーが買い、のちにコクトーがマレーの持ち分を買い取ったミリィに住み、年上のマレーより早く亡くなっている。アメリカ人バレエ・ダンサーのジョルジュ・ライヒは、1960年に入る前にマレーとの関係を解消し、その後ベルギーの映画などに端役として出た後にフランスを去り、1960年代の半ばにはカナダやアメリカで振付師として活躍していた。1985年ぐらいまではショービジネスにかかわっていたらしいが、その後の消息は不明。生きているのか死んでいるのかもわからない。生きていれば今年82歳。映像は、プティ振り付けのバレエ映画『ブラックタイツ』のクリスチャン役ぐらいしか残っていない。昨日紹介した、マレー作・画『赤毛のギャバン*6つの愛の物語』(TBSブリタニカ)から「ミラ」の物語の挿絵。棹立ちになった馬にまたがる王女。この場面の描写は非常に美しく、そのまま映画のワンシーンになりそうなほど「猫の王さま」の物語の挿絵。昔(1939年)コクトーとマレーが一緒に過ごしたル・ピゲの町を2人で再訪したときに、「ジャン・コクトーがしてくれた話」だという。再訪したのがいつかは不明<明日は、意外と多くてビックリ、フランスで出版されたジャン・マレー評伝をご紹介します>
2008.09.13
連載中、読者の方から問い合わせが多かったジャン・コクトー&ジャン・マレー関連の参考文献。日本では、コクトー関連の書籍の翻訳は非常に充実している。ただ、同時期の作品や日記でも、日本で翻訳された時期、出版社、訳者がばらばらなため、「これ1冊を読めば2人のすべてがわかる」というものはない。数冊の本を縦横に読むことで、2人の実生活が見えてくる。Mizumizuが参照したのは、以下。1) 「ジャン・マレー自伝 美しき野獣」 新潮社私小説的なおもしろさに富む自伝。総括すれば、コクトー追慕の書なのだが、実はコクトーに出会う前の「何者でもなかったジャンという少年」の逸話に、心理学的なおもしろさがある。たとえば、天使の顔をしながら、ダルジュロス顔負けの超悪ガキだった少年時代のエピソード。本人は乱暴な粗忽者だったにもかかわらず、その美貌から母の愛人や寄宿舎の監督官から性的な対象と見られていたこと――そして、ときにそうした彼らの行為を逆に利用したこと。一方で異常なほど熱愛していた母の前では本当の天使のようにふるまっていたこと。その母が窃盗狂だと知ったときの衝撃。恋をした美しい女の子へのおずおずとしたアプローチもある(結果は、不成功)。あるいは、眼が悪いので人の顔がよく見えず、ある夜、「お兄さん遊んでかない」と声をかけてくる街娼にくっついて行って気づいたら、とんでもないオバさんだったという笑い話も(オバさんは、ラッキーだよな、めったにないくらいのイケメンが引っかかって。さぞやハッスルしただろう)。成長してからは、アメリカから来た(どうもアメリカ人好きは生涯変わらないご様子…)ネイティブ・インディアンの青年に対してほとんど一方的に寄せた恋情に近いような友愛。この彼が「自分を捜さないように」とマレーに手紙を残して一方的に去ってしまい、手紙を受け取ったマレーが慌てて夜明けのパリの街を彼のアパートに向かうエピソードは、青春映画のワンシーンのように切ない。また、マレーに誠心誠意尽くしてくれる職場の先輩の微妙な視線と彼の気持ちを半ば知りながら、それ以上関係を深めようとしない自分自身への葛藤。神経症とルミナール依存症それに女性関係で人生をダメにした兄への献身など。だが、残念なことに、この本、翻訳のスキルが相当低い。文体がかたく、全体的に非常に読みにくい。何度も読まないと意味がわからない文章も多い(し、読んでもわからない、たぶん誤訳と思われる箇所も散見される)。人名のカタカナ表記は、はっきり言ってハチャメチャ。1977年と古い出版で、今ほど固有名詞の確認が容易ではなかった時代とはいえ、Girardotを「ジェラルド」などと書いてしまっては、フランス語の翻訳者としてはダメダメでしょう。内容に関して言えば、マレーの自伝は、名前を出した有名人に対して非常に配慮があるのも、他の俳優・女優の自伝にはあまり見られない、心地のよい長所。ゴシップ的な話はほとんどない。たとえば、マレーがルキーノ・ヴィスコンティと初めて会ったのは、「ヴォーグの写真家の家」としか書いていない。これはホルスト・P・ホルストの家で、マレーはホルストのモデルにもなっているから、当然事情は知っていたと思うが、ヴィスコンティはココ・シャネルと(多分にシャネルの一方的な)恋愛関係にあり、この2人がモメたのはヴィスコンティに魅せられたホルスト・P・ホルストが間に割り込んできたため。フランコ・ゼッフィレッリの自伝では、このゴシップをあからさまにしている(でもゼッフィリッレは自分とヴィスコンティの関係についてはイマイチあからさまにしていないところがある)。ゼッフィレッリ自身が後年ホルスト・P・ホルストに会ったときに、「やはり魅力的な男で、シャネルが嫉妬したのもわかる」とまで書いている。ホルスト自身も、「ヴィスコンティの態度が曖昧で、自分たちの関係は(自分の希望したようには)発展しなかった」と回想している。マレーの自伝にはその手の話は一切ない。イヴォンヌ・ド・ブレとヴィオレット、クリスチャン・ベラールとボリス・コクノといった「カップル」も、すべて「XXの友人」で終わり。また、『ジャン・マレーへの手紙』を読むと、この自伝、エピソードの時系列が事実と違う部分もあるということがわかった。記憶が曖昧だった部分もあるかもしれないが、どうも意図的に「そのことが自分の身に起こった時期」をぼやかしている部分もあるようだ。ことにジョルジュ・ライヒと別れについてそれを感じる。2)ジャン・コクトー 「ジャン・マレーへの手紙」 東京創元社おそらく人類の歴史上、もっとも純粋で美しい愛の書簡集の1つ。とにかくどのページをめくっても「愛しています」「ぼくは泣いています」「手紙をください」のオンパレード。これだけ読んでいるとコクトーという人は、マレーを思って一生涯泣きっぱなしだったみたいに思えてくる(笑)。だが、よく考えてみれば、ドゥードゥーを息子として遇しはじめたのも、人の奥さんの別荘に入り浸りになったのも、コクトー自身なのだ。多情さと一途さ、華やかな人々との交流と圧倒的な孤独が矛盾なく内在しているのが、コクトーだということだろう。ただ、この本も、これだけで読むと、何が起こっているのかさっぱりわからない。自伝(および戦争時代のエピソードについては『占領下日記』)と一緒に読んで初めて、その手紙の書かれた背景がわかってくる。その意味では、案外読み解くのが難しい資料。だが、ある意味、自伝ではではぼやかされていたプレイベートな「事件」が、より生々しく露わになった部分もある。特にジョルジュとの別れがマレーにとってどれほど打撃だったのか、コクトーの狼狽ぶりがそれを如実に示している。一緒に暮らした時間だけで考えれば、戦争や長期ロケをはさんでいたコクトーとの生活よりもジョルジュとのそれのほうが長い。ジャン・マレーが一番長く1つ屋根の下で暮らしたのは、コクトーではなくジョルジュだったのだ。それでも、この私信を公けにしたのは、自分が死んでしまったあとに、この650通におよぶ膨大な詩人からの私信が「発見」され、勝手な注釈をつけて流布されることをジャン・マレーが恐れたからだ。自伝から十数年遅れて出版されたこの本のおかげで、自伝の人名表記の誤りがだいぶ確認できた。翻訳者の腕も自伝の訳者よりかなり上で、フランス語がしっかり読めているのがわかる。訳者も気づいているが、ジャン・マレー自身による注はかなり恣意的。つまり、はっきり読者にわからせたい部分には注を入れているが、曖昧なまま「わからせたくない」部分は明らかに意図的に無視している。また、『オルフェの遺言』公開より前に書かれた手紙での「ぼくたちの映画」というコクトーの言及について、「これはオルフェの遺言のこと」と書くなど、不備のある(マレーの勘違いか、コクトーの手紙の日付の間違いか)注もある。さらに、この膨大な手紙は、それが全部でないことも明らか。隠された手紙もあるかもしれないし、紛失したもの、マレーに届かなかったものもだいぶあるようだ。自伝にはあるのに、この本には掲載されていない手紙もある。『占領下日記』を読むと、イタリアに『カルメン』の長期ロケに出たマレーに、コクトーはさかんに手紙を書いていたことがわかるが、この長期ロケ時代の手紙はわずかしか収録されていない。特に戦争中と占領下時代は、当時の郵便事情からか、コクトーの手紙がしばしば行方不明になってしまっていたらしいことは、コクトーの手紙の文面からもわかる。また、コクトーは自分の私信が横取りされ、売り飛ばされることを警戒して、封筒に署名はせずに星マークをつけていた。私信とはいえ、誰かに盗み見られる可能性のあることはよく自覚していて、ロケ先や戦地のマレーへ送った手紙には感情の抑制が見られる。対して、2人が一緒に暮らしていたころ、口に出せない気持ちを文章にして同じ屋根の下のマレーに渡した手紙は、ストレートで相当に生々しい。3)ジャン・コクトー 「占領下日記」 筑摩書房翻訳の質もよく、詩人の世界観を読み解く意味でも、マレーを始めとする友人たちへの想いを知る意味でも、一級の資料。『ジャン・マレーへの手紙』のようなプライベートな私信と違って、公開されることを前提として書いた日記なので、マレーに対する想いには若干「構えた」部分があるが、それでも、たとえばマレーが志願兵として戦地に赴いた際には、最初のうち冷静に受け止めていたはずが、だんだんに心配がつのり、ついには「ジャノへの心配が肉体的苦痛」にまでなって取り乱していく様子が赤裸々に綴られている。この本だけを読むと、公開を前提とした「ジャン・マレー論」と「私人としてのジャノへの想い」がときにごちゃごちゃになっており、コクトーにとってのマレー像を曖昧にした恨みもあるのだが、あわせて『ジャン・マレーへの手紙』を読むと、コクトーの公けの顔と私生活の顔がどう違うのかわかって興味深い。『悲恋(永劫回帰)』の台本執筆から、当時大手の映画製作会社が囲い込もうとしていたマレーの身柄を取り戻すまでの苦労、電力不足と予算不足で難航する撮影の様子、映画が公開されるや「映画館の入り口がこわされるほど」の熱狂的な大成功をおさめるまでがリアルタイムで実況中継されているのも貴重。一方で、マレーを大スターにするという目論見が達せられたあとに、コクトーとマレーに襲い掛かった誹謗中傷の嵐や嘲りに満ちた好奇の眼にコクトーが次第に追い詰められ、自分の存在が俳優マレーにとっては、害になっているのではないかと思い悩む様子も胸に迫ってくる。少なくとも、コクトーとマレー、それぞれの著述を読む限り、自分たちの関係により深く悩んでいたのは、明らかにコクトーのほう。マレーの書いたものからは、2人が愛し合うことへの罪悪感や苦悩はほとんど、というかまったく感じられない。マレーがやや後ろめたく思っている部分があったとすれば、それは自分がコクトーの熱烈な想いに十分に応えられない部分があること、コクトーに自己犠牲や忍耐を強いていることを自覚していることだろう。『占領下日記』は、マレーとの関係をのぞいても、時を越えた読者へのメッセージ性が強く、一読の価値のある日記。コクトーは常に、この本をいつかどこかで読むであろう「未来の若者」に理解してほしいと願いをこめて、自分のモラルや生き方を示した。4)ジャン・マレー 「6つの愛の物語*赤毛のギャバン」 TBSブリタニカなんとジャン・マレー作の児童書。イラストもジャン・マレー。ことに「第一部 ミラ」が興味深い。ミラとはもちろん、マレーが(休暇目当てとはいえ)生涯一度だけプロポーズした女性の名前。ミラという王女に寄せる「歌えない王子」の献身的な愛の物語で、病気のミラの枕元に跪き、「ぼくの力と健康があなたに乗り移りますように。あなたなしではぼくは生きていたくない」とささやく王子の姿は、ジャン・コクトーが病に倒れたときのジャン・マレーの心情が反映されている。亡き王妃の忘れ形見である美しい王女を熱愛し、一度は王子を王女から遠ざけようとしながら、結局は2人を祝福する王の心情は、「愛は独占することはではく、愛する人の幸福を願うこと」と自分の欲望を犠牲にしたコクトーのマレーに対するそれのようでもある。ほかにも、「ジャン・コクトーがぼくにしてくれた話を君たちにもしてあげよう」という書き出しで、コクトーと行ったバカンスの思い出を混ぜるなど、天国のコクトーとの共著という色彩も濃いように思う。<明日も参考資料をご紹介します>
2008.09.12
1933年、19歳のジャン・マレーはルノー工場で見習工として働いていた。棒磁石の検査が仕事で、1日中同じ作業をするのが苦痛でならなかった。工場は嫌いだった。子供のころからの夢は役者になることだった。だが、何からどう始めていいのかもわからないでいた。ある日、職場の友人に誘われてビストロに行った。店に入るとすぐ、壁に貼ってあるデッサンが目についた。そこには、簡素で生き生きとした、独特のラインで描かれた青年の姿があった。マレーはそのデッサンから――あるいは青年から――眼が離せなくなった。近づいてしげしげと眺めた。「なんか、お前に似てない?」仲間の1人がマレーが思ったことをそのまま口に出した。吊りあがった大きな眼、寄せたような眉と眉間のシワ、横一文字に結んだ薄い唇、しっかりした顎……確かに、奇妙なほど自分に似ていた。「これって、誰の絵?」マレーは何も知らなかった。「ジャン・コクトーだろ、どう見ても」誰かが答えた。「画家なのか?」「画家っていうか――おい、ジャノ、お前ってジャン・コクトーも知らないのかよ」「知らないけど、有名人?」工場の仲間たちは顔を見合わせた。「有名だよなあ」「普通知ってるよ」「10代のパリジャンで『恐るべき子供たち』を読んでないヤツがいるとはね」口々に言われて、マレーは自分の無教養が恥ずかしくなった。「ジャン・コクトーは詩人よ」ビストロの女主人が助け舟を出してきた。「でも、素描も描くし、小説も書くし、評論も書くわ」「この絵、本物なんですか?」無知な青年が尋ねると、女主人は笑った。「まさか、複製よ。でもステキでしょ」マレーは頷き、仲間たちのテーブルに戻った。酒と料理を注文し、みんなと飲んだり食べたりしても、この空間にはもう、自分とあの人の描いた青年しか存在しなかった。マレーは自分の心の声を聞いた。――いつか、金持ちになったら、あの人のデッサンを自分にプレゼントしよう……1934年、20歳になったマレーは、シャルル・デュラン座で端役をもらいながら、デュランの演劇レッスンを受けていた。とはいっても、先はまったく見えなかった。コンセンバトワールへの入学試験には落ちていたし、映画製作会社に写真と履歴書を送っても何の連絡ももらえなかった。4月になったある日、コメディ・デ・シャンゼリゼ劇場の前を通りかかると、再び「あの人」のものに違いないデッサンが眼に入った。劇場で上演される新作戯曲『地獄の機械』のポスターだった。――ジャン・コクトー思わず立ち止まり、ポスターの右下に入ったイタリックのサインを指でなぞった。サインの下には星のマークが書き添えてあった。この人のすべてを知りたいという欲求が、抑えがたく湧き上がってきた。友人に教えてもらった『恐るべき子供たち』をマレーは読んでいた。読み始めると、たちまち熱に浮かされたようになり、何度も読み返す結果となった。天上から放たれた矢が、まっすぐ心臓に命中したようだった。マレーは劇場の裏にまわった。運命のように、ボックスオフィスの窓口が開いているのが見えた。そのまま引き寄せられるようにして、初日のチケットを買った。4月10日――それは明日だった。1937年、47歳のジャン・コクトーは、レイモン・ルーローの演劇クラスに通う若い役者の卵たちのために、自作の戯曲『オイディプス王』の演出を引き受けていた。5月のある日、ヴェーカー・スタジオでオーディションを行った。4時開始の予定だったが、自分が1時間近く遅刻してしまった。役を希望する若者がすでに大勢集まっていた。1時間半以上かけてひととおり見終わり、役者の名前と演技の印象をメモしたノートを閉じ、帰ろうとすると、1人の若い娘が近寄ってきた。「コクトー先生、ちょっと待ってください」「ん?」確か、ディナ――と名乗った娘だった。「もう1人、男の子が来るんです。いえ、本当は一度4時に来て待ってたんですけれど、先生が遅れたので……」とコクトーの顔色を見ながら、「いったん授業を受けに帰ったんです。ルーロー先生のクラスじゃなくて、デュラン先生のところの生徒なんだけど、今まで一度もサボったことがないからって」「それは……熱心な生徒さんなんだね」「そう、とても熱心で、いつも準備は完璧だって私たちの間では有名なんです。感じがよくて、飛び切りハンサムな男の子なの。7時には戻るって言っていました。お願いです。もうちょっとだけ、彼のために待ってあげていただけませんか?」「君がよそのクラスから引っ張ってきたの?」「ええ……はい、そうなんです」コクトーは時計を見た。もうすぐ7時だった。「かまわないよ。遅れて申し訳なかったのはぼくのほうだ。待させていただくよ」コクトーの礼儀正しい言い方に、ディナはほっとした表情を浮かべた。コクトーは窓際の椅子に座った。開け放した窓からは、通りのマロニエの木が、葉の中に白い花をつけているのが見えた。生い茂った緑、開きすぎた花が、窓のすぐそばまで迫っていた。屹立したオシベが花糸を伸ばし、サフラン色の葯をこちらに差し向けている。あと何度この花が咲くのを見るのだろう――コクトーは外を見ながら、ぼんやりと考えた。彼は人生をすでに半分以上生きたと思っていた。もうこれ以上は、生きたくもなかった。だが、5月の空はどこまでも澄んだ水色で、夏の予感を不可視のまましたたらせていた。――ハートのエースが出なければ、君の負けだ!急にどこからか声が聞えた。確かに声がした。コクトーは周囲を見わたした。いや、それが人の声でないことはコクトーにはよくわかっていた。かつて、ピカソの家を訪ねたときに、エレベータの中で天使ウルトビースの啓示を受けたときと同じ感覚だったのだ。天から霊感が降りてくるのは、しばしばではないにしろ、詩人にとってそれほど珍しいことではなかった。「君――」ディナは戸口に立って、「その彼」を今か今かと待ち受けていた。「はい?」「これから来る人は、名前は何ていうの?」「ジャン・マレー君です。名前は先生と同じ。マレーは沼地のmarais……」「ありがとう」コクトーはノートにその名を書きつけた。「あ! 来ました」ディナが廊下の向こうに手を振って、合図をしている。「マレー君、早く!」コクトーは立ち上がった。一陣の初々しい風が、窓から吹き込んできた。1985年4月、東京の青山にある草月会館に、フランスから1人の名優がやって来た。「COCTEAU/MARAIS コクトー芸術の化身・ジャン・マレーが独り演ずる ―― 偉大なる詩人の肖像 」(原題:”Cocteau Marais”)と銘打った、2時間に及ぶ1人芝居を上演するためだった。台本の台詞はすべてジャン・コクトーの言葉から取って俳優自身が構成し、詩人の生涯を彼になりかわって辿ろうという試みだった。俳優の名はジャン・マレー。すでに70歳を越え、主催者は「最後の来日公演」と銘打っていた。幕が上がったとき、まず観客が見たのは、舞台の右端に置かれた墓石に横たわる彫像のような俳優の姿だった。それは彼が最初に世界的成功を収めた映画『悲恋(永劫回帰)』のラストシーンからの続きのようにも見えた。彼は――あるいは彼の声を借りた詩人は――語り始めた。「奇跡――それはこの大きな謎を前にして、2重の生を生きること、しかもひとつでしかないこと。それこそがぼくたちの秘密だ……」呪術的な響きのある、しわがれ声だった。「詩人が死んだ。詩人万歳。さらば、ぼくは溶け始める。ぼくたちの顔立ちが織り合わされる……」やがて彼が身を起こすと、その髪が檸檬色に近い金色であることに観客は気づいた。モノトーンの衣装と舞台装置の中で、一筋のライトに照らされて明るく輝く髪の毛の色の効果は絶大だった。「もうひとりのジャンが、ぼくにかわって姿を現わす。君はぼくだ。ぼくは君だ。マレーがその魂でぼくを照らし、ジャン・コクトーになりかわる」2008年、フランスが生んだ世界的名優ジャン・マレーが没してから10年が過ぎた。この年の4月、モンマルトルのテルトル広場とサン・ピエール教会の間にある小さな広場が、「ジャン・マレー広場」と命名された。
2008.09.11
<きのうから続く>コクトーは、自分の誕生日にミリィに戻ることに決めた。ちょうどそのすぐあとにマレーはちょっとしたイベントでパリを離れる仕事が入っていた。7月に入ってすぐ、マレーの耳にオテル・ド・カスティーユが大々的な全面改装を行うという話が入ってきた。このホテルは、コクトーがマレーと暮らし始める前に住んでいたホテルで、2人には思い出の場所だった。コクトーにその話をすると、残念がった。その翌日、コクトーはマレーにマドレーヌ広場19番地に2人で行ってみたいと言い出した。オテル・ド・カスティーユを出て、コクトーとマレーが初めて一緒に暮らしたアパルトマンがある場所だ。マレーはとまどった。サン・クルー公園から自分たちに向けられたカメラを思い出したのだ。だが、結局、コクトーをクルマに乗せてみずからハンドルを握り、パリの中心部に向かった。マドレーヌ寺院の西にあるその場所は、昔のままだった。道に面して、赤みがかった灰色の石のポータルがあり、そこをくぐると小さな中庭のようなちょっとした空間が開ける。マレーは病み上がりのコクトーを支えるようにしてアーチ型のポータルを抜けた。アパルトマンは中庭を取り囲むように建っていた。その1室をコクトーとマレーは並んで見上げた。懐かしさでマレーの胸は熱くなった。「ここのサロンは、モンパンシエよりずっと広かったね」とマレーが言った。戦争が始まると、経済的に逼迫したコクトーはこのアパルトマン全体を暖房する費用すら捻出できなくなった。それでもっと狭いモンパンシエ通りのアパルトマンに移らざるをえなくなったのだ。「そうだね」「ダイニングもあったけど、結局一度も使わなかった……」「最初は家具もなかったね」「初めて2人で買ったのが、ベッド用のスプリングとマットレス2組だったっけ」「イヴォンヌとガブリエル(=ガブリエル・ドルジア)が掛け布団とシーツと枕を持ってきてくれた」「イヴォンヌはアンリ・バタイユ(=イヴォンヌ・ド・ブレの最初の夫)の遺した仕事机もくれたよ」「ああ、そうだった」そのイヴォンヌ・ド・ブレもすでにこの世を去ってしまった。「ランプやテーブルは蚤の市で買ったし……」「君はテーブルを白く塗って、ぼくの彩色デッサンを敷いてガラスをのせたっけ」「ぼくらには椅子もなくて、君がどっかから見つけてきた椅子はひどかったよね、すわり心地最低」「そしたら、ジャノ、君がシャンゼリゼ公園に探しに行くと言い張って、公園から鉄製の椅子を2つも頭にかざして運んできた。あのとき巡査が見ていたのに気づいていた?」「もちろん。街娼もそばにいたよ」「よく黙って見ていたよな」「今じゃ、考えられない」「そう、今では考えられない……」「椅子におくクッションはぼくが作った――それから少しずつ家具が増えて…… 値の張るものは何もなかったけど、ここは他のどことも似ていない場所だった。本当に独特で、自由な雰囲気で……」コクトーはマレーの手をきつく握り締めた。マレーは思わず周囲に眼を配ったが、幸い誰もいなかった。石壁の向こうからはひっきりなしに行きかうクルマの音が聞えてくる。道路も駐車場のようになってしまった。昔と大きく変わったといえば、そのことだっただろう。コクトーは黙ってアパルトマンを見つめたまま、なかなか動こうとしなかった。確かにこの場所から、2人のすべてが始まったのだ。「……ジャン、行こうか」とうとうマレーが言った。コクトーは頷き、なおもアパルトマンから視線をはずさないまま、ほとんど独り言のような小さな声で言った。「ジャノ、ここは……ここだけは、ぼくたちだけの場所だ」マレーは不吉な予感がよぎるのを感じた。コクトーはもう歩き出していた。マレーは慌てて後を追った。1963年7月5日――コクトーはドゥードゥーに付き添われ、救急車でミリィへ戻った。マレーは並木道の向こうに救急車が見えなくなるまで見送った。コクトーが行ってしまうと、マレーはマルヌの家の門の壁にもたれ、頭をそらし、眼をつぶって、自分の両腕を抱えた。極限まで痩せてしまったコクトーの身体、蒼白な顔、常に薬と注射を必要とする毎日…… 私は死に、君は生きる、と思うと眼が醒める! これほどの恐怖が他にあろうか いつの日か、私の耳近くにもはや聞えなくなる 君の呼吸と君の鼓動がコクトーの詩が思わず口をついて出た。コクトーが重病に陥って以来、マレーはこの詩を何度となく諳んじて、そこに描かれた恐ろしい情景を自分が体験することのないよう、神に祈り続けてきた。コクトーは快復期にあるのだと、再び強く自分に言い聞かせた。一方、みずから望んでミリィに戻ったコクトーだったが、いざマレーから離れるとすぐに寂しさが募り、さっそく手紙を書いている。「1963年7月21日 君は遠く離れているし、永遠と思ってきたフランシーヌとの17年(注:本当はこの時点でほぼ14年)が、あとに廃虚しか残さぬというこの事態は、ぼくの心を、底の底からからっぽにし、ぼくを幽霊のようにしています。戻ったらすぐ電話をください。君にくちづけたい」「ぼくのジャノ、22日に戻るはずでしたね、早く連絡をください。かわいそうな君のジャン」マレーもできるかぎりミリィに足を運び、コクトーに会っていた。夏になると、コクトーは南仏のフレジュに向かう。壁画制作のためだった。キャロルも南仏で夏を過ごしたが、サント・ソスピール荘に長居する気になれず、カマルグに小さな小屋を借り、そこで乗馬に興じたり、村祭りで騒いだりした。20歳を過ぎたばかりの娘は、母から離れた放埓な夏の休暇を謳歌した。キャロルの小屋はいつも同世代の友人でいっぱいで、朝眼が覚めると、行きずりの友人の誰が土間で雑魚寝をしているかわからない始末だった。キャロルの小屋には電話がなかった。彼女は郵便局まで行って、フレジュのもう1人の兄、ドゥードゥーに電話をかけ、コクトーの様子を聞いていた。「発作から完全に回復したとはいえないよ」と、ドゥードゥー。「すごく疲れやすいんだ。でも手を使って仕事をしている限り退屈しないんだって言ってるよ」コクトーは9月に南仏からミリィに戻る。マレーのほうはちょうど9月にカンヌで数日のバカンスをセルジュと過ごした。セルジュは正式にマレーの養子となっていた。たまたまそこで会った知人に、「息子のセルジュ」と紹介すると、知人は「君に息子がいたなんて知らなかったよ!」と驚く。その会話を近くで張っていた新聞記者が聞きつけ、取材を申し込まれて受けたところ、「ジャン・マレーの息子」の存在が写真入りで一面トップで伝えられた。初めのうち記者たちは、セルジュをマレーの隠し子だと勘違いしていた。母親は誰かと聞かれ、マレーは、「彼女は結婚したばかりなので答えられない。いずれ全部わかるよ」とだけ答えた。その話を聞いたコクトーが送った手紙が、マレーへの最後の手紙となった。「ミリィ 1963年9月6日 ぼくのジャノ 君が陽光のもとにいるのを知って嬉しい。君が新聞記者たちにあのように言ったのは正しいと思います」「フレジュの新しい家の間取りは気に入っています。建つまでのあいだ、別の家を借ります。転地して空気を変え、そのあと、雪のあるところに行くのがいいと思っています。こうした大騒ぎもすべて、魂をなくした世界のためというより、はるかに、君のため、ドゥードゥーのためなのです。君の秘書が電話をくれました。気分がよくなって、めまいが消え、両眼のジグザグがなくなったらこちらから連絡します。ぼくはカンヌをよく知っています。ですから、今も君たちと一緒にあそこを歩いています。眼を閉じて、行きたいところへ行って暮らすのが、ぼくは大好きです。息子さんによろしく、ぼくのかわりに君にキスするよう頼んでください。君のジャン」(『ジャン・マレーへの手紙』より)この手紙からほぼ1ヶ月後の10月11日朝、ミリィのコクトーの家では、電話が鳴り止まなかった。エディット・ピアフの死をうけて、コメントを求める記者たちからだった。家政婦はピアフの死を隠そうとするが、あまりに鳴り続ける電話に疑問をもったコクトーが自ら受話器を取ってしまう。そこで思わぬ訃報に接したコクトーは大きな衝撃を受け、午後のインタビューを記者に約束する。だが、昼過ぎにサロンで急に息切れの発作に襲われ、そのまま帰らぬ人となったのだ。コクトーがマレーへの最後の手紙で「君たち――つまりマレーと養子のセルジュ――と一緒に歩いている」と書いたカンヌ。奇しくもそのカンヌで、1998年11月8日(その日はアラン・ドロンの誕生日でもある)に、ジャン・マレーは亡くなった。
2008.09.10

<きのうから続く>「そうだった……?」「ムッシュー・コクトーは、あなたに何も言わなかった?」「どうだったかな、言われたかも」「気にしてないのね」「そういうわけじゃあ、ないんだけどね」「……私がこんなふうに、あなたと友達になれたのも、ママンとムッシュー・コクトーの友情があったからよね。――ムッシュー・コクトーがサント・ソスピールの私の寝室に描いてくれた素敵な壁画を初めて見た日の感動は忘れらない。犬と一緒に眠っている美青年の絵で、ママンはそれがディオニソスだと説明してくれたけど、私はモデルはあなただとすぐわかったわ。――ムッシュー・コクトーは自分が幸せであることを求めない、なのに、彼の絵は人を幸せにするのね。私は毎晩犬と眠るディオニソス……いえ、あなたと一緒に、幸せな気持ちで眠りについたものよ。――それからサント・ソスピールには、いろんなスターがやって来た。グレタ・ガルボもマレーネ・ディートリッヒも。ジェラール・フィリップと食事をしたこともある。アラン・ドロンが『恐るべき親たち』の役をやりたいって売り込みにきたときは、彼は今ほど有名じゃなかったけど、星のような美青年だった。彼はムッシュー・コクトーにコートをもらって、ものすごく感激した様子だったわ。――こんな体験ができた女の子は、私以外にそうはいないと思う。――でも、13年たって、ママンはジャン・コクトーに反発し始めた。ママンは結局、天才といても平凡な女性でしかなかった。それ以上でも以下でもなかったの。ママンの中の平凡さがムッシュー・コクトーの天才に反発したのよ」「プリンセス、ねえ、もうその話はやめよう」「でも、私はあなたに聞いてほしい」キャロルは一途な眼でマレーを見つめた。「誰かに聞いてもらわなきゃ、私が押しつぶされてしまいそうなの」声を震わせている妹に、マレーは何も言えなかった。黙ってキャロルの肩を抱き寄せると、キャロルは話し続けた。「平凡な人間の武器は『冷淡さ』なのよ。ママンはそれまで崇めたてまつっていた天才に背を向けて、あらゆる関心を失ってみせることで、自分の大きさを彼に認めさせようとしたの。――でも、同時にママンは、私が崇めたてまつっていた女神の台座からも転げ落ちてしまった。私は子供のころから、ずっとママンを崇拝してた……パパは退屈な人だと思っていたわ。ただね、パパとムッシュー・コクトーは全然別の世界に住んでいたけど、お互いを認め合っていたのよ。ムッシュー・コクトーもパパの話に合わせるのに努力してくれた。パパが競走馬をもっていると知ったら、競馬が好きなふりさえしたわ。――パパとママンはもともと、ムッシュー・コクトーが現れる前からずっと疎遠で、パパは外に女性がいたの」「プリンセス、そんな……」「いいの。私はパパの女性のことは昔から知ってる。パパを悪く思ってもいないわ。パパは立派な紳士だった。一度も彼女を家に入れたことはないのよ。家でママンといるときは、いつもよき夫を演じていたし、ムッシュー・コクトーが家に来れば、ママンをはさんで2人で座る。――誤解しないでね。パパとムッシュー・コクトーの間にはまったく嫉妬はなかったわ。でも、ママンとムッシュー・コクトーがこんなことになって、私は生まれて初めてパパと真剣な話をしたの。パパはイギリス式の完璧な紳士教育を受けてきた人よ。彼は自分の感情を表に出すには、あまりに慎み深い性格だけど、そのとき私に打ち明けたの。ムッシュー・コクトーとママンがいくら一緒にいようと、それはまったくかまわない。だけど、娘の私が、まるで本当の父親のようにムッシュー・コクトーを慕っている姿には、大変に苦しんだんだって……」マレーは虚をつかれた。「アレックが……?」キャロルはこっくりと頷いた。両眼から涙があふれ出ていた。「ムッシュー・コクトーは、私にとっては父親以上の存在、彼は本物の教育者だった。本当にいろいろなことを教えてくれたわ。私はもう映画の世界で生きることしか考えれらないけど、それもムッシュー・コクトーの『オルフェの遺言』の撮影現場をつぶさに見たせいだと思う。――でも、パパに言われて、私は気づいたの。誰かと誰かの愛は、別の誰かを傷つけることもあるんだって……」マレーの脳裏に再び、去ってしまったジョルジュの怒りを含んだ表情が浮かんだ。――君はアレックが、彼らを本当に許してると思ってるの? 偽りの家族は、きっといつか崩壊するよ……ジョルジュがほとんど憎しみを込めて非難した、フランシーヌとコクトーを中心にした擬似家族は、確かに崩壊してしまった。マレーにはコクトーの悲しみと苦悩が痛いほどわかった。フランシーヌとキャロル、そしてドゥードゥーとその家族が良好な関係を保つために、ジャンはどれほど心を砕いてきただろう!「でもね、私とムッシュー・コクトーには共通点がある。それは『愛することをやめない』ってことよ。ムッシュー・コクトーはいろいろな友人に裏切られてきたわ。彼に世話になった人たちが彼を悪く言うたびに、ムッシュー・コクトーはただ悲しんでいた。私もそれを見て悲しかったわ。――でもムッシュー・コクトーは、友情を交わすことをやめようとしない。むしろ、きっと、愛を交わすほうが、ずっと簡単で楽なのに、彼はひたすら友情に生きようとする。――私は、そんな彼がたまらなく好きなの。だから……だから、こうやって私がムッシュー・コクトーのところに来ることで、たとえパパを傷つけることになったとしても、私はムッシュー・コクトーを愛することをやめない。私はもう決して、彼のそばから離れられないの」「キャロル、わかるよ」初めてマレーはキャロルを名前で呼んだ。2人はいつの間にか、外部の共通の敵から身を守り、支え合う同志のように身を寄せ合っていた。キャロルは、20歳の若さでしかもちえないような純粋さで、マレーの瞳をまっすぐに覗き込んだ。「ムッシュー・コクトーはあなたを誰より愛してる。――だから、お願い。あなたと彼の愛がたとえ誰かを傷つけても、たとえ友人すべてが彼のもとを去っても……あなただけは、天使ウルトビーズのままで、詩人の行く道に松明を灯し続けてほしいの……」マレーは黙って、強くキャロルを抱きしめた。キャロルはだらんと腕をさげ、半ば麻痺したようにマレーに身体をあずけていたが、次第に甘い、しびれるような感覚が自分の内に湧き上がってくるのを感じた。乾いた煙草に深いトワレの香りが交じり合う、大人の男性の匂いをかいだ。それはキャロルの心に、これまで経験したことのない安らぎをもたらした。2人は緑の庭に面したサロンのソファで、長い間影絵のように寄り添ったままでいた。体力が回復してきたコクトーは、執筆を始めた。主治医は体力を消耗させる戯曲や小説ではなく、校閲か脚色などの比較的軽い仕事から始めるとよいとマレーに言った。そこで、マレーはバーナード・ショーの『悪魔の弟子』の脚色をコクトーに頼む。コクトーは苦もなく仕事に取りかかり、マレーを安堵させた。6月の終わりのある日、できあがった『悪魔の弟子』の台本をマレーにわたすと、コクトーはそろそろミリィ・ラ・フォレに戻ろうかと思うと言った。「サント・ソスピールのぼくの荷物を送ってもらうことになっているんだ。その整理をしないと」「ここに送ってもらえばいいじゃないか」「いや、ぼくのジャノ。そんなことで君の使用人に迷惑はかけられないよ。ミリィで自分で少しずつ整理したい。――やることがあれば、ぼくの気持ちも少しは奮い立つかもしれないしね」「そうか……」「ミリィに食事に来ておくれ。よければ、セルジュも一緒に」セルジュは兵役に出ていた。秋には戻る予定だった。ミリィ・ラ・フォレにはコクトーの誕生日に戻ることに決めた。「救急車を頼むよ」とコクトーは笑いながら言った。マレーはコクトーの顔色が依然として蒼白なのが、気にかかっていた。コクトーがいつまでの自分の家にいてくれればと願っていた。若いころ、「仕事」と称してデパートに盗みに出かける母に付き添って行ったとき、自分だけが彼女を守れると思っていた。同様に、コクトーの病魔を追い払うことができるのは、自分だけのような気がしたのだ。だが、マレーはその想いを振り払った。コクトーはずいぶん快復した。それは間違いない。南仏のフレジュでの壁画の仕事も残っていた。以前どおりの仕事に戻ることが、今のコクトーには一番なのだろうと自分に言い聞かせた。キャロル・ヴェズヴェレールは、この時期の2人の様子をこんなふうに書いている。「ムッシュー・コクトーはやっとの思いで体力を回復していった。ジャン・マレーはコクトーが自宅にいる気がするよう、愛情と献身を込めて彼の看病をした。私がコクトーの最後の幸せそうな姿を見たのも、そこでだった」(キャロル・ヴェズヴェレール『ムッシュー・コクトー』東京創元社、花岡敬造訳)<追記>キャロルが「モデルはジャン・マレー」と思った眠るディオニソスの壁画は、以下の動画で見ることができる。http://jp.youtube.com/watch?v=l1muKBMMCiE約1分後に犬と眠るディオニソスの画が紹介されている。コクトーのこの画に影響を与えたと考えられるのは、レイモン・ヴォワンケルが1938年に撮った(貴重な)ジャン・マレーのヌード。前景に汗をかいた巨大な蘭の花を配し、背景は人工的な煌きを見せる布のドレープで覆っている。ミケランジェロのダビデを彷彿とさせる裸体の上半身に強いライトをあて、モデル(ジャン・マレー)は眼がくらんでいるようなポーズ。こわばった全身は筋肉美を強調するとともに、羞恥に耐えないとでも言っているような、モデルの倒錯した心情をも垣間見せる、一種扇情的なムードの写真。こちらはくつろいで眠る青年(ジャン・マレー)。完璧な横顔の輪郭をあえて全部あらわにせず、額においた指を青年の頭部を覆う冠のようなイメージに変化させている。閉じられた眼はどこかナルシスティック。顔を支配する光と影の強烈なコントラストは、モデルの美青年の顔をもっとつぶさに見たいという欲求とそれに伴う――見たくても見えないという――飢餓感を見る者に起こさせる。背中は闇に沈んで台座と一体化し、あたかも土から掘り出されたギリシア彫刻のよう。間違いなく、キアロスクーロの名手レイモン・ヴォワンケルの最高傑作の1つ。
2008.09.09
<きのうから続く>やがてコクトーは起き上がれる状態にまで快復した。マレーは約束どおり、コクトーの腕を支えながら、庭の散歩の手助けをした。そんな2人の様子を、マルヌに頻繁に来るようになったキャロル・ヴェズヴェレールが見守っていた。「コクトーはジャノに支えられて、そろそろと庭を散歩していた。いつも彼の着ていた白いタオル地のガウンが緑の芝生をバックに浮かび上がり、私にはそんな2人が人類のために何かをたくらんでいる天使のように思えた!」(キャロル・ヴェズヴェレール『ムッシュー・コクトー』東京創元社、花岡敬造訳)だが、天使たちを見ていたのは、キャロルの暖かな眼だけではなかった。ある日、いつものようにコクトーと庭を散歩していると、隣接するサン・クルー公園の木の間から大きなカメラをこちらに向けている人影があるのにマレーは気づいた。――なんて、下品で破廉恥な連中だ!マレーは死ぬほど腹を立てながら、コクトーが彼らに気づかないうちに家に連れ戻す。コクトーは依然として重病には変わりない。盗み撮りされていないことを祈ったが、望遠レンズで撮られた写真は結局勝手に公表されてしまった。コットンの浴用ガウンは白いビロードの部屋着ということになっていた。マルヌに来る途中、盗み撮りされた写真の掲載された雑誌を街頭で見たキャロルも心を痛めた。「ジャン・コクトーとジャン・マレーと聞くと、みんな放っておいてくれないのね」「キャロル、写真のことは、ジャンには言わないでね」「もちろんよ。――サン・ジャンのサント・ソスピールはおかげさまで、死んだように静かになったわ。電話も鳴らないし、以前はムッシュー・コクトーあての郵便が山のように積まれていたサロンのテーブルにも、今はもう何も置かれていないわ」「フランシーヌは元気なの? こないだ会ったときは、咳をしていたけど」「咳は治らないわ。病気はもうママンの第二の天性よ」「そうか……」「――それにしても、ジャノ、あなたの献身ぶりには、私本当に頭が下がるな」「よしてよ、キャロル」「今度の看護婦はどう?」「よくやってくれているよ。2人で交替しながら、24時間態勢で看てくれてる」「それはよかった。最初の発作のときは――ほら、あのときもムッシュー・コクトーが病院を嫌がったから、うちで面倒を看たでしょう? 夜勤の看護婦を雇ったんだけど、彼女に夕食のあとコーヒーを勧めたら、まじめな顔で、『コーヒーを飲むと夜眠れなくなりますから』って言ったのよ」マレーは思わず笑った。キャロルも笑いながら、「そのときの看護婦の口真似をしてみせたら、ムッシュー・コクトーは大受けしちゃって…… ベッドの中で引きつけを起こすんじゃないかと思うぐらい笑いっぱなし」「ジャンは、笑うにしても、泣くにしても極端だからね。――昔、『椿姫』を観にいったときのこと、話したっけ?」「いいえ……?」「ジャンはそのときとても落ち込んでいた。ちょうどグレタ・ガルボの『椿姫』をやってるときだったから、一緒に観にいこうと誘ったんだ。映画館で悲劇に浸って、ひとしきり泣けばきっと心が晴れると思ったんだよ。――ところが、『椿姫』を観終わったあと、ジャンは泣きっぱなし。帰りのタクシーの中でも、レストランの中でも泣いていた」「人目もはばからず?」「まったくはばかる意思はなかったね。ぼくは一所懸命彼を慰めたんだけど、そしたら、周りは罪人を見るような眼でぼくらを見るし……恥ずかしかったな、あのときは」「ムッシュー・コクトーは、子供のようなところがあるわね」「そうなんだ。それは昔からなんだけど――最近もね……」「どうしたの?」「最近、ジャンはぼくに隠れて煙草を吸い始めたんだ」「あなたに隠れて?」「うん」「だって、阿片は吸ってるのに?」「それは許可をもらったつもりでいるからね」「煙草はダメなわけ?」「煙草を吸うとぼくにまた怒られると思ってるみたいだね。バレバレなんだけど、一所懸命隠そうとしてるのを見ると、どうしたもんかと……」「それって、怒るべき? それとも笑うべき?」「それをどっちにすべきか、君に意見を聞こうと思ってさ」2人はまた一緒に笑った。「……よくなってるってこと、よね?」「それはそうだよ。ずっとよくなった。きっともう少しで仕事を再開できるよ」キャロルは、心からほっとした。マレーを「ぼくの善良な天使」と呼ぶコクトーは正しいのだと思った。マレーからは、抗しがたい健康さと生命力が漂ってきた。それこそがコクトーを、1人で放っておくと閉じこもりがちになる密室の雰囲気から解放してくれる力であり、輝きなのだろう。「私が初めてあなたの素顔に触れたのも、ムッシュー・コクトーが最初に心筋梗塞で倒れたときのような気がする……」キャロルは思い出したように言った。「あのとき、あなたはハリウッドにいたのに、ドゥードゥーの電報ですぐに飛んで帰ってきたでしょう?」だが、キャロルの言葉はマレーに苦い情景を運んできた。ハリウッドから空港へ向かう道。クルマの中。運転席のジョルジュの沈んだ声。――君は大西洋の真ん中でロケをしてる。ぼくはアメリカ、ジャン・コクトーはフランスにいる。ぼくとジャンが同時に瀕死の事故に遭ったら、君はどっちに行くの?あのときに自分はジョルジュの何かを失ったのだ。ジョルジュはマレーより先に、答えを出してしまった。あるいは彼は、知っていたのかもしれない。敬虔なピューリタンが神と自分の間に何者の存在も許さず、神を愛するためには他の全欲求を放棄しなければいけないと考えるように、ジョルジュはマレーと自分の間に誰もいないことを望んだのだ。彼にとっては、それが愛であり、それ以外は受け入れがたい偽善だった。一方、マレーはあれかこれかの選択はしなかったし、別の誰かにその選択を求めたこともなかった。マレーは神を信じていた。その宗教的信念に揺るぎはなかったが、同時に自分が罪深い生活をしていることも自覚していた。自分が罪を犯さなくなるとも思えなかったが、それでも神に祈りを捧げることはやめたことがない。そして、そうした行為を偽善だと思ったこともなかった。何も知らないキャロルは話し続けた「ムッシュー・コクトーは、あなたの顔を見たとたん眼に見えて元気になった。あなたが来る前は、このまま快復しないんじゃないかと思うような状態だったのよ」「……」「――あなたは、ムッシュー・コクトーの枕元を離れなかった。あのとき私は、彼がどうしてあなたのことを『金の延べ棒みたいなハートの持ち主だ』って言っていたのか、わかった気がしたの」「プリンセス、ぼくはジャンのそばにいたかったから、いただけだよ。離れたくなかったのは、ぼくのほうなんだ」キャロルは頷いた。「それまで、私はムッシュー・コクトーとあなたのことをよく知らなかった。――あなたはスターだったし、ママンは少しあなたを怖がっていたもの」「フランシーヌがぼくを? なぜ?」「たぶん、ママンはあなたに影響力を及ぼすことができなかったからよ」「影響力?」「そう。ママンは美人だけど、あなたは映画や舞台でもっと美人の女優さんと一緒にいるし、ムッシュー・コクトーはある程度ママンの経済力を必要としたけど、あなたのほうはお金持ちで、ママンの力を必要としなかったからよ」「……」「ムッシュー・コクトーは、よくあなたの話をしてた。――それはなんだか、自立していく息子に対する母親の態度みたいで、何でもかんでも心配のタネになるらしかったわ。あなたが俳優としてのキャリアをダメにしないか、危険なロケで怪我をしないか、どうして自分の劇に出てくれないのか……」悪気のないキャロルの言葉に、マレーはギクリとした。「あなたが、ムッシュー・コクトーがあなたのために書いた『バッカス』の出演を拒んだとき、彼はすごく傷ついて、苦しんでいた。――ママンは私にこっそり言ったのよ。あなたは今アメリカ人のバレエ・ダンサーと恋愛中だから、ジャン・コクトーから離れたがっているのよって……」「プリンセス、それは違うよ、『バッカス』はね……」「いいの……」言い訳しようとするマレーをキャロルは制した。「ママンが何と言おうと、世間がなんと噂しようと、私は私の眼であなたとムッシュー・コクトーを見てきたつもり。――ムッシュー・コクトーはあなたが何をしても、誰といても、決してあなたを愛することをやめなかった。彼の愛は私の気持ちを熱くしたわ。だって、それが本当の愛でしょう? 愛は見返りを求めないものよ。――いつだったか、あなたが俳優連合の余興で、酔っ払いに扮して街灯によじのぼって、てっぺんで体を揺すってみせたとき、ムッシュー・コクトーは私の横にいたけど、真っ青になって、それこそ心臓発作寸前といったふうにあなたを見つめていたわ……本当に倒れるんじゃないかとこっちが心配したくらいよ」<明日へ続く>
2008.09.08
<きのうから続く>ジャン・コクトーは、救急車でマルヌのジャン・マレー邸へやって来た。「救急車ってのは、実に豪華で快適な乗り物だね」コクトーは笑いながらマレーに言った。「ベントレーよりかい?」マレーも笑いながら答えた。フランシーヌといるときは、コクトーはベントレーに乗っていたのだ。運転手はドゥードゥーだった。「ベントレーにはベッドはないからね。――ぼくはもうこれからは、救急車でしか旅行しないことにするよ」コクトーが来たことで、マレーは自分の家が初めて存在価値のあるものになった気がした。コクトーは銀の針をかざし、アルコールランプで阿片をこね合わせる。23歳でコクトーと過ごしたオテル・ド・カスティーユ、24歳でコクトーと行ったモンダルジのホテル・ド・ラ・ポスト、初めて一緒に住んだマドレーヌ広場19番地――マレーがコクトーと未来しか見ていなかった、まぶしい青春の日々が蘇った。今になってマレーにはわかるのだ。あのころ自分は、歓びや希望や不安がすべて凝縮した、人生でもっとも濃密な時間を過ごしていたのだと。マレーは阿片を吸うコクトーのベッドのそばで床に座り込み『円卓の騎士たち』を読み返す。オテル・ド・カスティーユではベッドに横たわってコクトーが自作の『円卓の騎士たち』を朗読し、マレーは枕元に座ってそれを聞いていた。25年の歳月ののち、マレーは再びあの場所に戻ろうとしていた。――人はいつか必ず、魂のふるさとに帰ろうとするものだ7歳年上のヴィスコンティの言葉が脳裏に浮かんだ。マレーにもそのときが来たのかもしれなかった。「ジャノ、ぼくがまた吸い出したこと、君は怒っているんじゃないのかい」ベッドに横たわって阿片を吸いながら、コクトーはまだ気にしているようだった。「ジャン、ぼくはずっと前から知ってたよ。君にあえて話さなかったのは、誰かが告げ口したんじゃないかと君が気に病むかもしれないと思ったからさ。――これまで君が同居を拒んできたのは、阿片が原因だったんだね」「……そうなんだ」「まったくぼくときたら、鈍感だね、自分でも嫌になるよ。君がそんなに気にしてるなんて、思いもしなかった」「ぼくの中毒を治そうとあんなに一所懸命になってくれた君の努力を、ぼくは無にしてしまった……」「ジャン、ぼくにとって大事なものは1つしかない――君の命だよ。今は阿片をやめるときじゃない。解毒状態はあまりに危険で、返って命にかかわるよ」「……うん」「ねえ、ジャン、ぼくはね――」「うん?」「ぼくはこれまで、好きなことしかやってこなかった、自分の人生で何も犠牲にしたものはない――そう思ってきたけれど…… だけど、たった1つ犠牲にしてきたものがある」「ジャノ……?」「それは、君との時間だ。あまりに大きな犠牲をぼくは払ってきたのかもしれない。――自分のキャリアを気にかけたり、はかない成功を望んだり――そんな幻想を夢中になって追いかけるより、どうしてぼくは君のそばにいなかったんだろうね。もっとささやかな人生があったはずなのに…… 愛と友情に比べたら、成功だとか栄光なんてものの数ではないよ。それは昔君が手紙に書いてくれたことだ。でもぼくは、若くて、愚かで、その意味がわからなかった。今ならわかる――ぼくは、君のそばを離れるべきじゃなかったんだ」「ジャノ、ぼくはいつも君のそばにいたよ。身体は離れていても、魂は離れたことはなかった……」「23歳だった――運命に盲目なまま、ぼくは君に出会った。――24歳で交差した人生が、結局は1つに溶け合うなんて、知らなかった。あのころのぼくは、大役が欲しいだけのチンピラ役者で、ジャン・コクトーに愛されている自分が自慢だった。――ジャン、ぼくは後悔している……ぼくの人生は君に捧げるべきだった。もう一度やり直せるなら、もう君を離れないのに」マレーは本を投げ出し、膝をかかえてうつむき、ほとんど涙声になっていた。「哀しいことを言わないでくれ、ぼくのジャノ……」コクトーはやさしく、諌めるように言った。「君に最初に『オイディプス王』のコロスの役を頼んだとき、ぼくは自分自身を極限まで追い詰める君の能力に気づいていなかった。あのころのぼくは、君への愛と欲望でいっぱいで、そんな自分から逃げ回っていた。――でも、いつか気づいたんだ。君の宝は世界のあらゆる人たちのもので、ぼくが守銭奴のようにそれを独占しようとするのは間違いだってね…… そう思わなければ、あの輝かしいパトリスから、『ブリタニキュス』の恐るべきネロンや鷲鼻で禿げ頭で耳の不自由なシーザーまで……努力のあとをぬぐい消す君の凄まじい努力を観る歓びは与えられなかっただろう」「ジャン、ぼくはね……君がぼくのやることを好ましく思ってくれればそれでよかったんだ。君に褒められると、ぼくはもう何も、誰も怖くなくなった」「ぼくは何も後悔していないよ、ジャノ。こんなボロキレのようなぼくのそばにいることに何の意味がある。ぼくたちは結局、離れていても一体でしかないんだよ。サン・ジャンにいても、ミリィにいても、夜になるとぼくはよくパリの君の寝室の扉の前に立っていた。眼を閉じればぼくは好きなところに行くことができる……時間や肉体なんてものは、相対的なものでしかないんだよ」マレーの献身的な介護を受けて、コクトーは徐々に体力を回復していった。モーリス・シュバリエやジャン・ロスタンなど、コクトーを慕う友人もさかんに見舞いに来るようになった。キャロルもしばしば顔を見せた。看護婦や医師は友人となった。友好的で充実した日々だった。それがいつまでも続くことをマレーは祈らずにはいられなかった。<明日へ続く>
2008.09.07
<きのうから続く>「私が最初に本格的な舞台演劇を観たといえるのは、あなたの『地獄の機械』なのよ」と、キャロル。「その前は、子供向けのプチ・モンド座のお芝居を観たことがあるだけだったもの。――『地獄の機械』は悲しい結末だった。なんとかハッピーエンドになってくれないかと祈ったものよ。――あなたが、『イオカステ(ジョカスト)は死んだ』と言って、金のブローチで眼を突き刺すシーンでは凍りついた…… 私は『やめて』って心の中で叫びながら見ていたわ。ライトに照らされて光る金のブローチと、白い腰布を巻いたあなたが眼から流す赤い血は、本当に恐ろしくて。――でも、多分一生忘れられないと思うほど、ぞっとするほど、美しかった……あの場面には、どうにもならないくらい惹きつけられたの。きっと私はあのときから、『赤と金の痛み』にとりつかれてしまったのね……」これまでキャロルは、マレーの芝居について感想を述べたことなどほとんどなかった。コクトーとフランシーヌと一緒に楽屋には来たことはあったが、たいていはフランシーヌのスカートの後ろに隠れているだけだったのだ。「ママンと一緒でないときでも、1人で観に行っていたのよ、あなたの舞台。――そう、サラ・ベルナール座の『シーザーとクレオパトラ』も凄かった。舞台の上のシーザーがあなただって、どうしても信じられなかったもの。顔も歩き方も声も、普段と全然違った。あのとき私は、演劇ってものがどういうものかを教えられた気がしたの」「プリンセス、君は……君が、そんなにぼくの芝居を気に入ってくれていたなんて、知らなかったよ。――君は若いし、あんな大人の芝居、フランシーヌに連れられて、半分ぐらいはいやいや観に来ているんだと思っていた」「とんでもないわ。あなたの楽屋を訪ねるのは、私の10代の思い出の中でも、飛び切りの大いなる瞬間だったのよ。――サラ・ベルナール座では、あなたは赤いガウンを着てた」「ガウンの色まで、よく憶えているね」「やっぱり赤が、あなたに一番似合うって思ったわ。――ブッフ座の『ピグマリン』のときは、若いコからおばさんまで、あんまりいろんな世代の女性ファンが楽屋に押しかけるから、ママンと私は入り込むのが大変だった……」「でも君は、ぼくにサイン1つねだらなかったじゃない」「サインであなたがいつも大変な思いをしてるのを見てたもの。――いつだったか、楽屋で山のような写真にサインさせられて、あなたがグチをこぼすと……」「ジャンにお説教をくらった」「ああいうときのムッシュー・コクトーは厳しいわよね。『ジャノ、それはある意味、栄光の代償なんだから』――」キャロルの口真似が、あまりにコクトーにそっくりだったので、マレーは吹き出した。「それに、ね……」「それに?」「たぶん私は、あなたにやたらと花やらチョコレートやらを贈りつけて、結婚してくれなきゃ死ぬ……みたいな手紙を書いてくるファンと同じだと、思われたくなかったのね……」キャロルは少し、しんみりと言った。「そんなことを気にしていたの?」「ハイティーンの女の子っていうのは、どうでもいいことにでも気を回すのよ」「そうか、それじゃ……これからは、よく心得ておくよ」2人は声を立てて笑った。それでコクトーを起こしてしまったのではないかと、急に心配になったマレーはコクトーの部屋をのぞいた。コクトーは横たわったまま、こちらを見ていた。「ジャン、ごめん――起こしちゃったかい?」「君たちの笑い声が聞えるなんて、天国にいるのかと思ったよ」マレーとキャロルは、コクトーの部屋に入っていった。「ムッシュー・コクトー、私もたった今、天にも昇る心地になったところよ」と、キャロル。「どうしたの?」コクトーは眼をパチパチさせた。「ジャノがね、私の誕生日にディオールのクチュールをプレゼントしてくれるんですって」「赤と金がご所望だそうだよ」マレーがキャロルの肩越しにコクトーをのぞき込む。「ジャノ、一緒に行ってくれるの?」「もちろんだよ。ミンクの襟もつけよう。きっと君に似合うよ」「友達に自慢できるわ! ジャン・マレーに見立ててもらうなんて」「やーれやれ」いつの間にか、隣室で寝ていたはずのドゥードゥーが扉のところに立っていた。「キャロル、ジャノとそんな目立つ店に行ったらどうなるかわかってる? 絶対店に入ったところか出たところで写真を撮られるぜ。で、翌日には君らは婚約者だ」「じゃ、ますます自慢できるわね!」再び明るい笑い声が上がった。コクトーはベッドの中で、たとえようもなく幸せそうな表情を浮かて言った。「ぼくの3人の子供たちが一緒に笑っている。――これ以上何が望めるだろう? ぼくは、世界一の果報者だ……」そう、コクトーは家族がほしかった。常に多くの友人と交流しながら、その実、常に孤独だった詩人の憧れは家族にあり、その傾向は晩年になるとますます強くなっていた。マレーも年齢を重ねるにつれ、コクトーの気持ちがわかるようになってきた。マレーは自分が決して結婚しないとわかっていたが、息子をもちたい――自分に与えられたものを、自分も与えたい――という願望はもはや抑えがたくなっていた。今、マレーはふとしたことで出会ったジプシーの青年セルジュを養子にすべく手続きを進めている。母親とは疎遠で、父親は誰なのかわからないというセルジュの出生に、マレーは運命的なものを感じた。寄る辺ない生活の中で自分の道を探そうとしている真っ直ぐな姿は、若いころの自分を見ているようでもあった。だが、たとえセルジュを息子として迎えても、たとえこれから別の愛に出会ったとしても、決して消すことのできない存在がいる。まだ若く、何者でもなかった24歳のジャン・マレーに、赤と金の痛みを、愛と栄光の苦しみを、教えた詩人だった。マレーはコクトーの手を両手で握りしめた。「ジャン、マルヌに行けばきっと君も治るよ。看護婦は交替制で2人来てもらうことにした。ドゥードゥーも一緒だし、キャロルも来る。――もう少しよくなったら、一緒に『ジャン・コクトー通り』(=マレー邸の庭の並木道)を散歩しよう。ぼくが手を貸す」「ジャノ……」――きっと治る……むしろ自分に言い聞かせていた。コクトーが倒れて以来、ドゥードゥーもキャロルも眼に見えて苦しんでいた。だから、「長男」のマレーは、彼らの前では、常におおらかな楽観主義者を装った。だが、実のところ、コクトーに万が一のことが起こったら、一番打ちのめされるのは自分だということをマレーは知っていた。ドゥードゥーやキャロルには、マレーにはない若さがあった。彼らは人生を分け合う相手を、これから見つけるのだろう。だが、コクトーとマレーの人生は、あまりにも長く、あまりにも強く、結びついてしまっていた。コクトーが死ねば、自分も死んでしまう――マレーは何とか、その恐怖から逃れようとしていた。
2008.09.06
マレーがコクトーに、阿片のことは知っている、何も気にしなくていいと伝えると、コクトーは一瞬罰を恐れる子供のような眼をしたが、すぐにほっとしたようにマルヌのジャン・マレー邸に移ることを承知した。マレーはコクトーを迎えるために、自宅を私設病院に変えるべく準備にかかった。フランシーヌは一度見舞いに来ただけだったが、娘のキャロルはコクトーにできる限り付き添った。ある日、いつものようにマレーがやって来て、そっとコクトーの部屋の扉を開けると、キャロルがマレーの腕に飛び込んできた。「ムッシュー・コクトーが、ムッシュー・コクトーが……」マレーはキャロルをやさしく抱きとめた。彼女は泣いていた。「プリンセス……」映画のヒロインのように彼女を呼ぶ。それはキャロルが子供のころからの習慣だった。「どうしたの」「寝ながら、ときどき喘ぎ出すの。それから息が弱まって、長いこと呼吸が止まってしまうのよ」マレーは眠っているコクトーの顔の上にかがみこんだ。「大丈夫だよ」安心させるように言う。「普通に息をしている」キャロルはマレーに抱えられるようにしながら、サロンに出た。「ドゥードゥーは?」「部屋で寝てるわ。まったく彼ときたら、眠りの森の美男よね。よくこんなときに延々と寝ていられること」「君は? ちゃんと寝てる?」「とても無理よ…… だって、ムッシュー・コクトーがこんなことになったのは、ママンのせいでしょう」「まさか。仕事のせいだよ。――テレビのインタビューの仕事で、ジャンはひどく疲れてた」「だって、1ヶ月ちょっとよ、ムッシュー・コクトーがサント・ソスピールを出てから。ママンがここまで彼を追い詰めたのよ」「プリンセス、絶対にそんなことはないよ。お母さんを責めちゃだめだ」「私とママンはこれまで何度も、ムッシュー・コクトーが友達だと思っていた人に裏切られるのを見てきた。そのたびに彼が苦しむのを見てきたのよ。それなのに、あろうことか、私のママンが同じことをするなんて……」「……」「年をとった女は惨めよね。昔のママンは、そりゃ輝いていた。――私の女神だったのよ。痩せてスタイルがよくて、美人で、少女のように純粋で……たくさんのハンサムな若者が、お金持ちの紳士が、才能のある男がママンに言い寄ってきたわ。それなのに、今はどう? 作家とは名ばかりのジゴロに夢中になって、これまでムッシュー・コクトーがママンに与えてくれた素敵なものを、全部捨ててしまったわ。あんな男と長続きするわけない――そして、次にママンに言い寄ってくる男はきっと、もっと醜くて、もっと貧乏で、もっと仕事のできない男なのよ」キャロルは長い間胸にたまった思いをぶちまけた。「パリに来る前に、サント・ソスピールに寄ったら、ママンの部屋に新しい天蓋つきのベッドが入っていた。天蓋の布はムッシュー・コクトーがママンのために描いた牧童の天井画を完全に覆ってしまっていたわ…… それを見たときの私のみじめな気持ちがわかる? 私はあの画が好きだった。やさしくママンを見守る牧童の眼は、それはそれは素晴らしいものだった。ママンは世界でたった1つしかないムッシュー・コクトーの芸術を犠牲にして、お金さえ出せば誰でも買える寝床を選んだのよ。あんまり愚かで、悲しくなるわ」20歳そこそこの娘の激しい口調に、マレーはたじろいだ。マレーはキャロルが10歳になるかならないかのころから知っていた。南仏の別荘の庭を、犬と駆け回っていた天真爛漫な小さな女の子は、いつの間にかすっかり大人になっていた。そしてキャロルはマレーの知らない話を始めた。「今度のことは、マドモワゼル(=シャネルのこと)も一枚噛んでいるのよ」「ココが?」「私はね、本当を言うとマドワゼルの意地悪さが昔から嫌いだった。マドモワゼルはサント・ソスピールに来て、あらゆる人をこき下ろしていたわ。誰だって容赦しなかった。あんまり口汚くて、私は最初ひどくショックを受けたけど、ムッシュー・コクトーは大目に見てた。マドモワゼルの才能に敬意を払っていたからよ。――それなのに、彼女は、ママとムッシューが仲たがいをはじめたと知ったとたん、ママンにあることないこと吹き込み始めたのよ」「……」「去年だったか、私がママンを捜しに、カンボン通りのシャネルのブティックに行ったとき、彼女は私にまで毒々しい話をしたの。マドモワゼルは言ったわ――『あなたの年ではわからないことを教えてあげる。フランシーヌはジャン・コクトーの犠牲者なのよ。彼の手から逃げられるように、お母さんを助けてあげなけりゃダメ』って……それから、彼女はレイモン・ラディゲやジャン・デボルトやマルセル・キルといった名前をもちだして、私がまったく知らないような昔話をしたの。――彼らは全員ジャン・コクトーの犠牲者だって」マレーはため息をついた。「やれやれ、何を話したか知らないが――ココにも困ったものだね」「でも、私は信じなかった。邪悪なカラボス妖精の昔話なんて。だって、あなたがいるもの。ムッシュー・コクトーは誰よりあなたを愛してる――あなたがサント・ソスピールに来ると、いつも彼は子供のように大はしゃぎだったわね――そして、あなたは栄光につつまれて、健康そのもので、誰の犠牲にもなっていないもの」「そうだよ。ラディゲやデボルトやキルが――かつてジャンが愛した人々が、若くして不幸な死を遂げたのは事実さ。でも、それは偶然だよ。時代のせいだ。ジャンのせいじゃない」「恩知らずなのはマドモワゼルのほうよ。ヴェズヴェレール夫人がココ・シャネルの顧客になったのは誰の紹介だと思っているの。ママンはあのブティックで、1年で家が1軒建つぐらい買い物をしたわ。それなのに、自分を紹介してくれた人の悪口を並べて、2人の仲を裂いて喜んでいる」「プリンセス、ココはそういう悪趣味なところがあるんだよ。でも口が悪いだけだ。あれが、ココのストレス解消のようなものなんだよ。本気で聞くことはない」「そうね。でも私は、もう絶対にココ・シャネルでは服は作らないわ」「ディオールに行くといいよ。君に似合う服を仕立ててくれるさ。今度の君の誕生日にぼくがプレゼントしよう」「じゃあ、赤と金の素敵なクチュールにして」「赤と金?」「そう、ジャン・マレーの色。――私を夢中にさせた、あなたの『痛み』の色よ……」キャロルはマレーにいたずらっぽく微笑んだ。<明日へ続く>
2008.09.05
<きのうから続く>マレーがモンパンシエ通りのアパルトマンに着くと、コクトーは以前マレーが使っていた部屋のベッドに身動きできない状態で横たわっていた。動かせるのは眼だけだった。マレーは枕元にひざまずいた。コクトーはマレーを見つめた。マレーがたじろぐほどの深い情愛に満ちた瞳で、まるで彼を祝福しているかのようだった。マレーはコクトーの手に自分の手を重ねた。コクトーは何か話そうとしたが、マレーが押しとどめた。――ジャン、ぼくは君を愛しているマレーは心に呟いた。――君を癒すこともできず、君にぼくの命、ぼくの健康、ぼくの年齢をあげられない自分が嫌になるほど、君を愛している……マレーは自分の瞳がうるんでくるのを感じた。マレーの考えていることが、コクトーにはわかっているようだった。2人は手と手を重ねたまま、見つめあい、いつまでもそのままでいた。コクトーのかかりつけの医師は、最初の発作のときと同じくモルヒネを処方した。だが、通常期待できる効果があがらない。マレーがそばに呼ばれた。医師は理解できないふりをしていたが、マレーはなぜ自分が呼ばれたかわかっていた。コクトーは麻薬に耐性がある――マレーは医師には、コクトーが阿片を吸っていることを話さなければならないと思った。モルヒネの量が増やされた。病院嫌いのコクトーが入院を拒否したため、アパルトマンはかかりつけの医師が常駐させた別の医師、看護婦、マレー、ドゥードゥー、キャロル、家政婦のマドレーヌでいっぱいになった。どう考えてもこの家は狭すぎた。少し容態が落ち着いたところを見はからって、マレーはコクトーにマルヌの自分の家で療養しないかと申し出た。今度は拒否される理由はないはずだった。ところが、コクトーはこれまでと同様に、自分はマルヌに住むことはできないと言い張った。マレーは狼狽し、断わられたことに半ば腹を立てながら、説得にかかった。「ジャン、マルヌの家は平屋だし、庭もある。日当たりもいいし、ずっと静かだ。ここはカーテンを開ければ外から覗かれるし、人が通れば足音もうるさい。何より狭すぎるよ。ね、お願いだ。マルヌに来てくれ」「ぼくは君の家に住む資格はないよ。ここで十分だ」「資格も何も…… どうして君はいつもそうやって、ぼくの家に住むのを嫌がるんだ?」「嫌がっているわけじゃあないよ、ぼくのジャノ。ぼくは君を愛している。いつでも一緒にいたい」「だったら……」「――でも、マルヌにはぼくは行かない。ぼくみたいな卑しい人間には、君の家に住む権利はないんだ」まったく理屈にならないことを言いつのったあと、コクトーは眼をつむり、すぐに半ば眠ったようになった。コクトーの枕元でマレーは困り果てていた。と――そこへ、思いもかけない訪問客が現れた。絶交したはずのフランシーヌだった。「フランシーヌ!」マレーは立ち上がり、彼女を抱きしめた。「来てくれたんだね。ありがとう」コクトーは眼を開けない。気づいていないようだった。マレーは部屋を出て、コクトーとフランシーヌを2人だけにした。このときの様子をコクトーは、後にフランシーヌの娘のキャロルにこう書き送っている。「君のお母さんがぼくを抱擁しにパレロワイヤルにやって来たとき、昏睡状態のぼくは夢を見ているような気がして、ぼくのかわりにぼくたちの諍いが死んだような気がしたんだ。ぼくはもう回復できないだろうけど、そのことを心に留めておいてほしい。ぼくへの愛を失わないで。ジャン」フランシーヌがコクトーの部屋から出てきた。小さなサロンで待っていたマレーの向かいに座る。「ジャンは?」「また眠ったみたい」「そう……」「――なぜだか、教えましょうか」「え?」「ジャンがあなたの家に住めないと言う理由――私知ってるわ」「聞いてたの」「聞えたのよ」「……なぜなの?」「――また阿片を吸い始めたこと、あなたに知られたくないのよ」思いもかけない理由に、マレーは絶句した。そんなことはとっくに知っていた。サント・ソスピール荘、ミリィ・ラ・フォレ、そしてモンパンシエ通りのアパルトマンのコクトーの部屋に残る独特の香り。あえてコクトーに言わなかっただけで、むしろマレーは2人の間の暗黙の了解だと思っていたのだ。「ジャンはあなたの前では吸わなかったでしょう?」「それは……それは、そうだけど。彼はぼくにバレてないと思っているの?」「そうよ。だからサント・ソスピール荘でも、あなたがいるときは吸わなかったのよ、無理をして」「理由がそんなことなら、問題はなにもないよ」これまでコクトーに何度も同居をもちかけては断わられ、マレーはどこかでひどく傷ついていた。最初にアパルトマンを出たのが自分である以上、深く追究できなかったのだ。「ねえ、フランシーヌ……」マレーはフランシーヌとコクトーの問題にも知らんふりはできないと思った。遠慮がちに、コクトーはフランシーヌとの和解を心から望んでいると言った。フランシーヌの表情をこわばらせた。「誤解しないでね」肩をすくめて言う。「私は、私がいないときなら、いつでもサント・ソスピール荘を使っていいとジャンに言ったのよ。なのに、彼は出て行ってしまった。――出て行ったのはジャンなのよ。私が追い出したわけじゃない」「それは、もちろんそうだけど……」「あそこは私の別荘よ。私が誰を呼ぼうと、私の自由じゃないかしら」「それも、そうだけど……」「自分で言うのも何だけど、私はとても寛大だったつもり。ジャンに対しても、ジャンのお友達に対しても、ね」「もちろん君には感謝してるよ。ぼくも含めてジャンの友人はみんな、ね」「でも、ダメね。13年の年月が、私たちをなあなあにさせてしまったわ。私たちはもともと縁もゆかりもない他人なのよ。私はジャンを尊敬していたし、最大限尊重してきたわ。――でも、だんだんに気づいたの。ジャンには私を尊重する気がないのよ。私はいつも彼の母親、よき遊び相手、そして崇拝者でいなければならなかった。ジャンがそれを要求したのよ」フランシーヌの不敬な物言いにマレーはカチンと来た。隣室でコクトーが寝ていなければ、相手が女性とはいえ、大きな声を出したかもしれない。「ジャンがそんな態度を要求するなんて、ぼくには信じられないよ。ジャンは愛することを愛する人だ。それ以外、何も求めない人だ」できるだけ小さな声で、穏やかに言った。「あなたにはね」フランシーヌは投げやりな表情を浮かべた。「ジャン・コクトーの中には男と女がいるのよ。それはあなたが、一番よくわかってると思うけど?」「……」「ジャンの中の『女』は、あなたのような男性には、ひたすらひれ伏すのよ」「――確かに、ジャンの中には男と女がいるかもしれない。でも、それは彼が詩人であることの証明なんだよ。いや、詩に限らない。創作活動というのは、常に一種の単為生殖なんだ」「私は芸術の話をしてるんじゃないの」フランシーヌはぴしゃりと言った。「これはとても生理的な話。――いつのころからか、ドゥードゥーが養子になったあとも、ジャンにとってあなたはまったく別の、特別な存在だってわかったわ。ジャンはあなたを太陽だって言うわね。彼は太陽のように、あなたからすべてを期待してる。――私たちと一緒にヴェネチアに行っても、サン・モリッツで過ごしても、サント・ソスピールで大勢の招待客に囲まれても、彼の心はいつの間にか、ジャン・コクトー通りを駆けていって、あなたにキスするのよ……まるで乙女のようにね。彼は生理的にあなたを必要としてる――なのにあなたがつれないから、寂しがり屋の彼は、別のもので埋め合わせようとしたんだわ……」まるでマレーに原因があるとでも言いたげな口調だった。マレーはジョルジュを思い出した。マレーへの気持ちが冷め始めたとき――少なくとも、マレーの猜疑心はそう思っていた――ジョルジュはコクトーを持ち出して、責任をコクトーにかぶせた。「……最初は微笑ましいと思ったことも、時間がたつとむなしくなってくる。いつまでたっても自分を心の中心においてくれない人と一緒にいるのは、苦痛なの。――もう十分だと思うわ。私はジャンに対してできる限りの献身をしたつもり。非難される理由はこれっぽちもないでしょ。これからは私の手で、自分の人生にもう一花咲かせたいのよ」こうした状況でマレーが口を挟むのは、火に油を注ぐようなものだろう。マレーは黙って聞くしかなかった。「13年は長すぎたわ――」フランシーヌは、視線をはずし、遠くを見た。「何だったのかしらね、私たちの13年は…… でもはっきりしてよかったと思うべきね。破綻する関係は、結局破綻する運命なのよ――そういえば、あなたは、このごろジョルジュと全然一緒にいないわね」「……」「ジョルジュはあなたの家に、何年いたの?」「……10年だよ」「そう。私とジャンとの年月とあなたとジョルジュとの年月って、不思議と重なるわね。――そう言えば、最近はもっとずっと若い男の子といるそうね。ハンサムなんでしょう?」明らかにあてこすりだったし、むしろ挑発に近かった。マレーは怒りを感じた。今や2人は一触即発といってよかった。そこへ、奇跡のように呼び鈴が鳴った。マレーはほっとして立ち上がり、玄関を開けた。天使が舞い降りたように、マドレーヌ・ロバンソンがそこに立っていた。「マドレーヌ、君か」「あなたがこっちだって聞いて来たわ。ジャンの具合はどう?」マドレーヌはサラ・ベルナール座で『恐るべき親たち』の上演を企画していた。もちろんマレーが父親ジョルジュ役、マドレーヌがその妻イヴォンヌ役だった。その打ち合わせもしなければならなかった。「じゃあ、私はこれで……」フランシーヌが立ち上がった。マレーは何とか、また来てもらえると嬉しい、と言うことができた。フランシーヌは頷き、マドレーヌに会釈して、出て行った。ほっそりとした優美な後姿をマレーとマドレーヌが見送った。階段をおりるとき、咳をしているのが聞えた。胸の奥から吐き出されるような、たちの悪い咳だった。マレーがそっとコクトーの部屋のドアを開けると、コクトーはまだ眠っていた。<明日へ続く>
2008.09.04
1962年、ジャン・コクトーとフランシーヌ・ヴェズヴェレール夫人の友情に亀裂が入り始める。2人の仲たがいについては、当事者が長い間いっさい口を閉ざしていたため、何があったのか謎だった。だが、フランシーヌの一人娘キャロルが1996年に出版した『ムッシュー・コクトー』(東京創元社、花岡敬造訳)で、ある程度当時の事情を明らかにした。「美しく魅力的なフランシーヌも今では45歳、自分の誘惑の力に不安を感じたのか、『伊達男』と渾名された二流作家に口説かれた。この作家はママを通して、コクトーに取り入ろうとしたが、ママはその罠にはまり、彼を家族に押しつけようとした。ムッシュー・コクトーはその男がサント・ソスピールに住みつくことに反対した。すると『伊達男』はコクトーへの復讐を誓ったのだ。ヴェスタの巫女は神殿に独裁的に君臨しようとした。ゲームの規則を破ったのは、フランシーヌのほうだった」早い話がフランシーヌに愛人ができた。そして、新たな「家族」として彼をサント・ソスピール荘に入れようとした。ところがコクトーは彼を拒否し、それがもとでフランシーヌはコクトーが煙たくなったということだ。「彼女(=フランシーヌ)は生きたかった、そして愛したかった。彼女は自分自身の力で存在したかったのだ。コクトーがそんな彼女の邪魔をしているとママは信じた」コクトーのほうは、フランシーヌとドゥードゥー(=デルミット)の3人でサント・ソスピール荘で1年の大半を過ごし始めた1950年の10月に、ジャン・マレーにフランシーヌとの関係について、こんなふうな手紙を送って説明していた。「君のため、ドゥードゥーのためだけに生きていたい、そういう思いがますますつのります。ぼくがフランシーヌを愛しているのも、あの人の願いがただ1つ、このぼくの愛する人たちが幸せでいるのを見ることだからです」(『ジャン・マレーへの手紙』より)だが、12年たって、フランシーヌはジャン・コクトーを自分の別荘の闖入者と見なし始めた。かつてコクトーが「フランシーヌは天使です」とマレーへの手紙で書いた裕福で寛容なパトロンヌは、明らかにコクトーに従順であることに疲れ、コクトーの友人たちをもてなすことに多大な時間をさいてきた自分の人生に懐疑的になり、45歳という年齢にあせりを感じ始めていたのだ。新しい男性とこれまでとは違った自分自身の人生を生きたいと考え始めたフランシーヌ…… コクトーとの間に言い争いが多くなり、それはコクトーと父と慕うキャロルの心を深く傷つけた。キャロルは仲裁に入ろうとするが、自分が原因で母子の間にまで亀裂が入ることを恐れたコクトーが、キャロルをたしなめ、思いとどまらせる。1963年に入ると2人の訣別は決定的になっていく。サント・ソスピール荘を出る出ないでフランシーヌともめているときのコクトーのマレーへの手紙。「1963年2月18日 ぼくのジャノ ずっと手紙を書かずにいました。そうしないと、君にまでぼくの悲しみを押しつけてしまいそうでした」「サント・ソスピールから引っ越すなんて、どんなことになるか、思ってもみてください。ぼくの人生はあそこと1つでした。家財道具を持ち出すどころか、あそこに自分の人生を残していかねばならないでしょう。あの家をフランシーヌが留守になったら出かけていく便利なホテルなみには、どうしても考えられません。彼女の家を自分の家のように思えばこそ、あそこで暮らしてきたのでした」「運のいいことに、フレジュで小さな別荘が提供されました(注:この時期、コクトーはフレジュのチャペルの壁画制作を依頼された)。チャペルの仕事をする間はあちらで過ごせます。気に入るようだったら、ミリィとともに、あちらも郵便のあて先にすることを考えています。そうなれば、君がコート・ダジュールで仕事中にも、あまり離れずにすみます」「いささか陰気な手紙になってしまいました。君だっていろいろ大変なことが多いのに、こんなことで心を痛めさせて、本当に恥ずかしく思います」「ぼくのジャノ、ほんの数行でいい、手紙をください。もう何日も隠れたきりの太陽の代わりに、君の太陽があらわれてほしい」男女のケンカで、かたくななのはいつの時代も、常に女…… フランシーヌは、コクトーとの対話すら拒否するようになる。結局コクトーは3月14日に、ドゥードゥーとともにサント・ソスピールを引き払った。キャロル・ヴェズヴェレールはそのときの悲しみを、『ムッシュー・コクトー』で次のように書いている。「ムッシュー・コクトーとドゥードゥーがあたかも解雇された使用人のようにサント・ソスピールを去らなければいけないという考えは、私には耐えられないものだった」「私にとってもコクトーにとっても、サント・ソスピール荘はママのものではなく、コクトーのものだったのだ」一方、ジャン・マレーも、フランシーヌとの訣別がコクトーを深く傷つけ、体まで蝕んでいく様子を間近に見て、なんとか元気づけようしていた。ときにセルジュとともにコクトーの家を頻繁に訪ね、一緒に食事をして話を聞くなど、できるだけコクトーと時間を過ごすよう心を砕いていたマレーは、4月も半ばを過ぎたある晩、不思議な夢を見る。昔住んでいた家の母の部屋で、ジャン・コクトーが死んだのだ。マレーはコクトーを両腕で抱き上げ、階下のサロンへおりていき、子供のころ使っていたサラマンドル・ストーブの前にコクトーを横たえて、その両足をマッサージしたところ、コクトーが生き返る――あまりに生々しい夢だった。衣装係とメイク係に話すと、マレーを安心させたい彼女たちは、「親しい人の死ぬ夢を見ると、その人の寿命を10年延ばすんですよ」と言ってくれた。ところが数日後、マレーが恐れていた事態が起こる。パリに戻っていたコクトーが、モンパンシエ通りのアパルトマンで、再び心臓発作に襲われたのだ。
2008.09.03

庭に出ると、犬が数匹駆け寄ってきた。ヴィスコンティは椅子に座り、そのうちの一匹をそばに呼んで背中を撫ぜ始めた。他の犬はマレーのそばに寄ってきて、遊んでくれといわんばかりに勢いよく尻尾を振った。マレーはさっそくじゃれ始めた。犬たちは大喜びだった。犬と触れ合うと、マレーはたちまちはつらつと、子供のようになる。その姿をヴィスコンティは静かに、じっと見ていた。「君が『カルメン』の撮影でローマに来たときのことを思い出すよ」と、ヴィスコンティ。「まるでご婦人が毛皮のマフラーをまくように、君はムールークを首と肩でかかえて歩いていたね」「あのときは、本当に君がいて助かったよ、ルキーノ。ホテルから宿泊拒否されたからね。君の友人がアパートを提供してくれなかったら、軍隊時代みたいに野営するところだった」ちょうどヴィスコンティが処女作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』を撮ろうとしていたときだった。あのときから2人は、ずいぶんと長い旅をしてきた。ルキーノ・ヴィスコンティもジャン・マレーも人に知られた存在となったが、歩む道は最初からずいぶんと違っていた。時に2人の世界は近づいたこともあった。だが、今はまた、だんだんに遠ざかりつつあるようだった。映画で2人の道が交差するのは、『白夜』だけになるかもしれない――マレーは思った。人間の隠れた欲望や忘れかけた記憶まで容赦なく突き詰め、白日のもとにさらしてしまうヴィスコンティの残酷な洞察力。画壇のピカソがそうであるように、ヴィスコンティもヨーロッパ映画界に君臨しつつあった。『白夜』でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞、『若者のすべて』で同審査員特別賞受賞。ヴィスコンティは着実に階段をのぼりつめている。一方マレーは、生来の屈強さと運動神経を生かし、フランス伝統の娯楽活劇の分野で圧倒的な大衆人気を博していた。2人は相変わらず友人だったが、2人それぞれがもうすでにまったく違う世界の中心にいて、境界を越えて交わるのは難しいかもしれなかった。平和な鳥のさえずりが聞えてくる。サロンと同じように、庭のテーブルでも短く切った白いアネモネがかしいでいた。それはこの「儀式」すべてが、ヴィスコンティの演出どおりに進んだことを示していた。だが、「儀式」がすべて終わり、カップとソーサーをさげにやって来たカメリエーレが、マレーの前にわざわざひざまずくようにして発した台詞は、ヴィスコンティのシナリオにはないものだった。「シニョール・マライス、あなたからお借りしたシャツやズボン、お返ししなくても、本当にいいんですか? 」マレーはぽかんとして相手を見つめた。黒く澄んだ瞳が、すぐ近くで自分を見上げていた。「あ……!」ようやく、忘れかけていた記憶が蘇った。いつかヴェンテミリアでカー・ストップをかけてきた男。ローマまで乗せて、ホテルのロビーで『オルフェ』のウルトビーズよろしく消えてしまった男だった。(このときのエピソードは7月13日のエントリー参照)ブロンドだった髪は濃い栗色になっていた。あのときは痩せこけていたが、今はがっしりとたくましい体形になっている。「君は……」「やっと、思い出していただけましたか」マレーは立ち上がり、『小海老のカクテルの男』と握手を交わした。「知り合いか?」驚いたふうでもなくヴィスコンティが言った。こんなときですら、平静を装うヴィスコンティがマレーにはおかしかった。「前に一度だけ会ったことがあるんだ。なあ?」「あのときは、お世話になりました」「確かに、リビエラの小海老のカクテルはうまかったね」「もう一度お会いできるなんて、思ってもいませんでした」「それはこっちの台詞だよ」「すごく、嬉しいです」男の頬は紅潮し、眼は輝いていた。給仕をしているときとは違う、それはまさしく、生の人間の喜びの表情だった。ふいにヴィスコンティが立ち上がった。「よければ、2人で話したらどうだ」「――君は?」マレーが尋ねると、「書斎にいるよ。仕事をしなくちゃならん。――マルコ、少し庭を案内してやってくれ」あくまで仕切っているのは自分だと言わんばかりの指示を出し、「ロッコ!」と犬の名を呼んだ。――ロッコ……?それは、『若者のすべて』でアラン・ドロンが演じた主人公の名前だった。一匹だけヴィスコンティの寵愛を受けていた犬がつき従い、主人とともに屋敷の中へ入っていた。他の犬は庭に寝そべったまま、それを見送った。ヴィスコンティの姿が中へ消えると、2人は歩き出した。「ロッコはルキーノのお気に入りなんだね」「ええ。あの犬しか家の中へ入ることは許されていないんです」「何だって? そんなことまで決まっているのか?」「……みたいですね」「君は、ここで働いて長いのかい?」「いや実は……ぼくは、臨時で雇われたんですよ。いつもは街のリストランテで給仕をしています。ここの料理人は――ヴィスコンティ伯爵に引き抜かれたんだけど――以前ぼくと同じ店で働いていて、ぼくたちは仲がよかったんです。それで特別なお客様が来るときは、ときどきぼくに声がかかるってわけです。いつも伯爵に給仕をしてるのは、執事ですよ」「ああ、あの、部屋に案内してくれた……」「そう。でも、お客が来るのに、案内係と給仕係が同じではダメみたいですね。伯爵の感覚では」「だから、君は他のルキーノの使用人とちょっと雰囲気が違ったんだ」「違いましたか?」「――だって…… なんでみんな、あんなに無口なんだ?」「しゃべるなと言われているからですよ」「は?」「伯爵は、自分の前で使用人が余計なおしゃべりをするのが嫌いなんだそうです」「……」「だから、コックは料理のメニューも毎日手で書いておいて、気に入らないと伯爵が書き直してよこすんだとか」「へえぇ…… イタリアの貴族ってのは、そういうものなのか」「たぶん、特別だと思いますけどね。――飾る花もいつも伯爵がじきじきに庭師に指示するんです。今日テーブルに置いたアネモネ・シベリウスは、庭になくて……花屋に届けさせたそうですよ。赤い普通のアネモネなら咲いているのに、伯爵がどうしても白にしろって聞かなかったって……」「それも庭師に手紙で指示したのか?」「さあ、あいにくそこまでは……今度、庭師に聞いておきますよ、手紙でね」2人は笑った。最初はしのび笑いだったが、だんだん抑えられなくなり、大笑いになった。たしかに、ヴィスコンティ家の食事は、あまりに儀式めいて堅苦しく、芝居がかっていた。同時にあまりにヴィスコンティらしかった。『白夜』と『2人のブランコ』でヴィスコンティの演出を受けたとき、マレーは彼の厳密さ、その徹底した細部へのこだわりに驚嘆したのだ。「君がふだん働いている店はどこなんだい?」「ナヴォーナ広場の近くです」「それじゃあ、今度行くよ」「本当ですか!? 本気にしますよ」「もちろん本気だよ」「夢みたいだ……」男は本当に嬉しそうだった。「君、名前は?」「マルコ・トゥルッチです」「今はずいぶん幸せそうだね」「ええ、幸せですよ――あれから結婚して……息子が1人います」「そうか、それはよかった」「あなたの映画は、全部見てます」「へえ?」「でもやっぱり、伯爵の『白夜』が最高ですね」「そうかい?」2人は美しく刈り込まれた植栽の小道を歩いた。ソケイ、カルミヤ、白丁花、昼顔、バラは白っぽい花をつけていた。だから谷空木のピンク、そして何よりアネモネの血のような赤が、5月の水色の空の下でことさら鮮やかに見えた。マレーがふと眼を上げると、2階の窓辺にヴィスコンティが立ち、こちらを見ているのに気づいた。足元にはロッコがいる。「そろそろ、戻ろうか……」と、マレー。「君の店の名前、書いてくれよ」「わかりました。小海老のカクテルを食べるなら、月曜日と木曜日がいいですよ」「チビタベッキアでの水揚げは、週2回なんだね」「そういうことです」ローマで行きつけの店が新たに1軒できそうだと、マレーは思った。この後パリに帰ったマレーは、バーで出会った19歳のジプシーの青年セルジュ・アヤラを養子として迎える。ヴィスコンティは、2年後の1963年に、没落するシチリアの大貴族を描いた『山猫』でカンヌ映画祭のパルム・ドールを獲得。その後はより退廃的な世界へと傾倒していく。究極の少年美を描いて一世を風靡した『ベニスに死す』を発表するのは、1971年。<明日へ続く>
2008.09.02
<きのうから続く>ヴィスコンティは続けた。「ぼくは、若いころ、自分の育った世界から、もっとも遠いところに行こうとした。ミラノには、ぼくの家系にまつわるモニュメントや歴史的な建造物がありすぎる……ぼくは血の重さに押しつぶされそうだった。――だが、今は戻ろうとしている。ぼくの魂のふるさとにね。――君の出会った少年もそうならないと、どうして言える? 君が得意なオイディプス王は、父親を殺す。オイディプスの2人の息子は、互いに殺し合う。そして、オイディプスに従った心やさしい娘アンティゴネーは、やがて叔父と対峙して殺される……」「君の話は、すごく難解だけど……」マレーは、打ちのめされた気分で言った。「つまり、あの少年がいずれ、父親を殺すことになるかもしれないと、そう言いたいのか?」「……そうだ」「母親の復讐のために?」「――父親が母親を殺した動機にも、よるだろうけれどね」「シチリアでは、今でもあるのか? 肉親同士で血で血を洗うなんて、そんなテーバイの悲劇が?」「シチリアでは常に悲劇が生まれる。それは常に、ギリシア的悲劇だ」「そんな伝統を受け継いでいるのか? 今でも?」「歴史や伝統や習慣というのは、ジャノ、あまりに重く、あまりに根深い。決して軽んじてはいけない。それは、長く強く個人を支配する。まったく違う世界から来た1人の人間のヒロイズムで、太刀打ちできるものじゃない」「だから、君は『揺れる大地』の続編を撮るのをやめたのか?」「もちろん、映画を撮らなかったのは、第一義的には資金の問題だ。だが……あるいは……」ヴィスコンティは表情を変えなかった。だが、声は深い水底から響いてくるようにくぐもっていた。「……そうかもしれない」「もう一度だけ、あの子に会うのは、どう思う?」「会いたいのか? なぜ?」「だって……気になるから。すごく痩せて、すごく病弱そうだった」「痩せて、病弱?」「口では強がっていたけどね。きっと内心は不安だったに違いないよ。――せめて一度、暖かい食事だけでも……そう思うのは、いけないことか?」「痩せて、病弱、か……」第二の皿が運ばれてきた。カメリエーレが立ち去るまでのヴィスコンティの沈黙が、マレーには耐え難いほど長かった。「じゃあ、ジャン・コクトー風に言おう――君は、きのう少年をクルマに乗せたとき、アルバノで降ろして、何か食べさせ、風呂に入れて、そのまま家に泊めることもできた。違うか?」「それは、そうだけど……」「だが、君はそうしなかった」「いきなり、知らない子供を家に泊めるなんて、変だろ」「そうか?」「そうかって……」「そして少年は、君が有名人だと知っても、連絡先を教えなかった。そうだろう?」「それは……ぼくが彼を気に入った理由でもあるよ、たぶん。――ぼくの名前を聞いたとたんに、愛想がよくなる人間と違う」「だから、それがジャン・コクトーの言う、『運命』の出した答えだ」「……」「ジャノ、ぼくは最初に君に会って、イタリアでの仕事を申し込んで断わられたとき考えた。――君がジャン・コクトーではなくて、ジャン・ルノワール(注:ヴィスコンティは当時ルノワールの助監督だった)のオーディションに先に来ていたら、どうなっていただろうかとね」「たぶん、オーディションで落としたさ。ぼくみたいな大根役者」マレーはおどけて言ったが、ヴィスコンティの声は真剣だった。「――たった半年の違いだ。たった半年遅れただけで……ぼくと会ったとき、君の運命はもうジャン・コクトーに定められていた」「ルキーノ……?」「だが、そのおかげで、今も君とこうして食事をしている。あのとき、君がイタリアに来ていたら、むしろぼくたちは、もう――」何かしら息苦しいような雰囲気が2人をつつみ始めた。カメリエーレがワインを注ぎにこちらに来るのを見て、マレーはむしろほっとした。再び2人になったとき、空気はほんの少し変わったようだった。「だから、ぼくは……ぼくと君の運命には感謝している。――実のところぼくは、君ほど長く付き合った友人というのは、ほとんどいないんだ」「そんな……冗談だろう?」「いや、本当だ――」ヴィスコンティは一瞬沈黙し、それから、言い聞かせるような強い口調で言った。「――君は彼に会っちゃいけない。それが運命の声なんだ」「君は反対なんだね?」「そうだ」「捜すことにも?」「そうだ」「運命に逆らうなと?」「……ずいぶん粘るね」そう言われて、急に恥ずかしくなった。教養と自制心のかたまりのようなヴィスコンティにこんな話をした自分は、バカだったかもしれない。名も知らぬ南の国から来た少年に固執するなど、きっと呆れているのだろう――マレーはうつむいた。「いや、その……そんなつもりじゃないけど」「じゃあ、もっと別の言い方をしよう。――少年は危険だ。彼にとっても、君にとってもね」「ルキーノ、だから、ぼくにはそんな趣味は……」顔を上げたとたん、ヴィスコンティの鋭い視線と眼が合った。マレーははっとした。人の心の奥底まで見抜くような洞察力を備えた眼。やはり、それはピカソと共通していた。同時に、少年時代のある記憶が脳裏に蘇ってきた。普段は忘れている記憶――それは、ウジェーヌ・ウーダイユの次に母の愛人になったジャックという男にまつわるものだった。ジャックは、世の父親以上に優しかった。「君は女の子みたいにかわいいね」とマレーに言った。ふだん荒っぽい悪戯ばかりしていた腕白坊主は、「女の子みたい」と言われて妙な気分だった。だが、「母さんにそっくりだ」という言葉には、素直に喜んだ。ジャックは寄宿舎に入ったマレーに会いに来てくれ、遊びに連れ出し、お菓子をたくさんくれた。母が長い旅に出て――実際には刑務所に入っていたのだが――不在だったある日、ジャックはマレーを映画に連れて行った。無声映画時代末期の『ベン・ハー』で、マレーはすぐに古代ローマの世界に夢中になったが、ジャックはマレーの顔ばかり見ていた。途中でマレーが、なぜ映画を観ないのかと尋ねると、「君の顔を見てると筋がわかるんだよ」と、暗闇の中から囁いた。映画のあとで、ジャックはホテルに行った。そこに忘れ物があると言って。ホテルの部屋に入るとジャックは、マレーをベッドに座らせ、何度か頬や髪にキスしたあと、手をとり、導き、彼自身の快楽の手伝いをさせた。少年だったマレーには初めての体験だった。そして、行為が終わると、ジャックはマレーを見つめ、髪を撫でながら、マレーが泣いたり、嫌がったり、恐がったりしていないのを確かめた。マレーはただ当惑し、身体をかたくしていた。ジャックは後始末をし、最後に愛情のこもったキスをマレーの頬にして、「お母さんにも、誰にも、このことは言ってはいけないよ」と口止めをした。ヴィスコンティは、マレーがジャックと同じ類いの人間だと言っているのだろうか?だが、彼が、「……ことに自分が若さを失いつつあると気づいたときにね――少年ほど危険なものはない」と言ったとき、それはまるでマレーも誰も存在しない場所での、ヴィスコンティだけの独白のようだった。それから、ヴィスコンティは再びマレーを正面から見つめ、結論づけるように言った。「養子を取ることに反対はしない。だが、少なくとも、ジャン・マレーの養子になることの意味を、自分で理解できる年齢の子にするべきだ。――12歳の少年には、幸運の重さは理解できない」カメリエーレが第2の皿を片付けにやって来た。それから、フルーツとデザートを載せたワゴンがうやうやしく運ばれてきた。食事のあとのエスプレッソは庭で、とヴィスコンティはマレーに言った。そして、カメリエーレを呼んで、テラスの日除けの傘を広げるように指示をした。
2008.09.01
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