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「最強日本女子」を徹底的にコケにするような度重なるルール改正と偏向採点。これを打破すべく、日本スケ連が動き出した・・・かのような動きが新聞で伝えられ、浅田選手のファンには、「ようやく・・・」と好意的に受け止められているようだ。フィギュアスケートの女子ショートプログラム(SP)で必須となっているダブルアクセル(2回転半)をトリプルアクセル(3回転半)でも認められるようにするルール変更を、日本スケート連盟が6月の国際スケート連盟(ISU)総会(バルセロナ)で提案することが29日までに分かった。現在、女子でただ一人トリプルアクセルを跳ぶ浅田真央(中京大)に有利に働く可能性がある。 日本連盟の吉岡伸彦フィギュア強化部長は「(3回転半が)できる選手がいる以上、認めるべきだ。(得点が上がる)可能性が広がる」と話した。男子SPでは、アクセルジャンプは「2回転半か3回転半」と選択が可能になっている。 世界選手権で2年ぶりに優勝した浅田は、SPでは連続ジャンプの中でトリプルアクセルを跳んだ。ルール変更が認められれば、ジャンプの選択の幅が広がることになる。この変更が浅田選手にとってどう有利になるのかわからない方のために、一応説明しておくと、現在浅田選手のショートプログラムは、(1)トリプルアクセル+ダブルトゥループ(2)ステップからのトリプルフリップ(3)ダブルアクセルで基礎点の合計は、18.5点になっている。この(3)の部分を「ダブルアクセルもしくはトリプルアクセル」と男子並みにすると、浅田選手のジャンプの選択肢は以下のように広がってくる。(1)トリプルフリップ+トリプルループ(もしくはトリプルトゥループ)(2)ステップからのトリプルルッツ(3)トリプルアクセルもちろん、ジャンプの順番は任意。これによって基礎点は24.7点もしくは23.7点に上がる。浅田選手には非常に有利、に見えるかもしれない。日本スケート連盟が提出するという改正案がこれだけなのかどうかよくわからないのだが、もしこの改正案を最重要と考えて活動するというなら、実にヘタクソな戦略だ。ルール改正を提案するときには、2つの視点が必要だ。(1)その改正が、選手全体のためになり、フィギュアの技術向上のきっかけとなりうるか。(2)自国の選手に不利にならないか。(1)はルール策定をするうえで、なにより大切なものだ。実際には(2)の思惑と絡み合っているが、「すべての選手のため」「フィギュアの将来のため」という理論武装ができなければ、単に「自国の選手を有利にしようとして、ルールを改正しようとしている」と、攻撃されることになる。ショートに2Aだけでなく3Aも、という改正案は(1)の面で少し弱いように思う。高難度ジャンプへの挑戦を奨励し、男子並みのレベルに揃えるという意味では、筋はとおっているのだが、世界の女子を眺めると、3Aを安定して跳べるのは浅田選手だけ。浅田選手の3Aが安定してきたこの時期に、日本がこの改正案を出したら、「浅田選手に勝たせようとしてルール改正を提案しているエゴイスチックな国」だと(特に韓国あたりから)クレームがつきそうだ。こうした「攻撃」に日本人は非常に弱く、理論武装して粘る根性と精神力に欠けている。反論されると、すぐにひるんでしまう。現状、ショートでキム選手と浅田選手がめいっぱいの演技をして、それで点差が5点だ7点だとつくから、基礎点をあげて対抗しようとしているのなら、それは過去に書いたように愚かなことだ。浅田選手が基礎点を上げれば上げるほど、キム選手の加点と演技構成点はインフレする。それが過去の流れではないか。だから、たとえ基礎点が5~6点上がったとしても、加点および演技構成点で操作可能な今の採点の流れから言うと、すべてのジャンプを降りたとしても、加点がもらえない、演技構成点が低く抑えられるなどのもろもろの「採点操作テクニック」で、キム選手を含む他の選手に差をつけることができなくなる可能性のほうが高い。それは、男子のショートの点の出具合を見れば予想がつくことだ。高橋選手にあるのは3F+3Tだけ(しかも、最近はセカンドジャンプの流れがやたら止まって・・・ゴホゴホゴホ)。少し前までは、ショートで4T+3Tを決めてくる選手の上にはいけなかった。ところがオリンピックでああした採点(他のエレメンツに対して、質のよいものを積極的に評価する)がなされ、世界選手権では、ショートで4+3を決めたジュベールの上に来た。ジャンプの加点も難しいジャンプになればなるほど付きにくくなり、失敗したときの減点割合も大きく設定されているから、ジャンパーにとってはプレッシャーも大きく、それだけのリスクをしょって、世界でもほとんど跳べる人のいないコンビネーションを跳んでも報われなくなっている。そうした状況のなかで、高難度ジャンプを入れられるようにルール改正することに、どれほどの意味があるのか。ルールの根源的な問題点はそこにはないし、実際になされる採点上の問題に目をつぶっている限り、また加点や演技構成点をいじって、「それでも勝てないように操作」されることは十分にありえる。そして、ちょっと詳しいファンなら「おかしい」とわかる点を鵜呑みにしたメディアが、選手の欠点をクローズアップして叩き、選手を傷つけ、自信を失わせるという悪循環に陥る。もう1つ、これが一番重要なことだが、ショートでの単独3Aの選択肢が浅田選手にとっても、必ずしも「有利には働かない」かもしれないということ。浅田選手が個人的にかかえる課題は何だろう? ルッツのエッジとセカンドにもってくる3回転ジャンプの回転不足だ。もしこの2つの問題がなければ、そもそも今でさえ、ショートにトリプルアクセルを入れる構成にする必要はない。トリプルフリップ+トリプルループトリプルルッツダブルアクセルこちらのほうが、基礎点は20点で、今の浅田選手のショートより点数が高いのだ。今季セカンドに3回転を入れず、ルッツも入れなかった浅田選手は、これからこの課題に取り組むことになる。どちらも簡単なようでいて、簡単ではない。もっと言ってしまえば、今季浅田選手がショートで安定して跳べたジャンプはダブルアクセルだけなのだ。そこに「ダブルアクセルではなくトリプルアクセルでもいい」というオプションが加われば、浅田選手はまちがいなくトリプルアクセルに挑戦するだろう。決まれば難なく決めているように見える浅田選手の3Aだが、そもそもフィギュア女子の歴史においても、この大技を安定して跳べた選手はほとんどいないのだ。これから20歳を超えてくる浅田選手がいつまで3Aを安定して跳べるかわからない。トリノ五輪の直前に浅田選手が颯爽とシニアにデビューしたとき、Mizumizuは、あのコマのように速く細い回転軸で回る浅田選手のジャンプのタイプを見て、「4年後、身体が大きくなったら跳べなくなるのでは」と思っていたのだ。それを浅田選手は徹底したウエイトコントロールと訓練で乗り越えた。あの驚異的にすらりとしたスタイルを保っているからこそ、あれだけ背が伸びても、トリプルアクセルを跳べている。本人の栄養管理もあるだろうけれど、体形というのは自分で選べない。あの妖精のようなスタイルも、浅田真央が神様から与えられた贈り物だ。しかも、3Aという大技をジュニアのころからやり続けて大きなケガもない。これだけで奇跡と言っていい。それでもトリプルアクセルをコンスタントに試合で決めるのが容易なことでなかったのは、今シーズン初めの大不調を見ればわかるだろうと思う。安定して跳べているダブルアクセルを捨ててトリプルアクセルを入れ、さらにルッツのエッジ矯正をして、セカンドにもってくる3回転の回転不足を克服するなど、またも狂気の沙汰だ。なぜそんな「十字架」を浅田真央に背負わせる必要があるのか。今回トリプルアクセル+ダブルトゥループを2つとも、ダブルアクセル+ダブルトゥループの基礎点にされながらも、世界一の点数を出した選手だ。浅田選手の強みは、今はジャンプではないのだ。あまりに美しいポジションのスパイラルやスピン。動的で華麗で迫力あふれるステップ。そして、誰より過酷なスケジュールであっても、長いフリーを滑り切ってしまう驚異のスタミナなのだ。ジャンプはむしろ、年齢とともにややほころびが見えてきている。浅田選手はずっとショートが弱い。連続ジャンプを連続ジャンプにできず、リカバリーもできないというパターンが多い。これが浅田真央の大きな欠点だ。それを克服することが一番大切なことで、ショートでまたもリスクの高い大技に挑戦することには到底賛成できない。むしろ、ショートは「失敗しない」だけでいい。なんといっても浅田選手は、ショートでの自爆が多すぎる。そしてフリーがあれほど強いのだから、トリプルアクセルも1つでいいのだ。そのかわりルッツは絶対に入れる。たとえワンシーズンを棒に振っても。今季ルッツを外すという選択は、浅田選手の現状と不可解な判定(特定の選手には甘く、特定の選手には辛い・・・ように見える)を考えると、結果として十分に理性的なものであり、かつ最後に世界女王奪還という素晴らしい果実を手にしたのだから何も言うことはないが、やはりルッツを入れずにトリプルアクセルを2つというのは、順番が間違っているし、それゆえリスクも高くなる。日本のファンは基本的に賢い。浅田選手の本当の強みも弱点も、メディアの「洗脳報道」にもかかわらず、きちんと理解していると思う。派手な大技だけに注目するのではなく、足元の小さな欠点の克服を。それがさらに浅田真央を輝かしいスケーターにすると思う。
2010.03.31
<続き>それがルール運用の変更によって、武器どころか、バクチ技になってしまった。浅田選手は今季セカンドから3ループをはずしたが、安藤選手はオリンピックで入れてきた。なぜそれまで徹底した回避策で2ループを確実に決めることでミスを防いだ安藤選手がオリンピックでいきなりセカンドの3ループに挑戦したのか? 不確実なことをやらずに結果を残してきたモロゾフが安藤選手に挑戦を許可したのはなぜ?安藤選手は、オリンピックのインタビューで「今回はニコライが(安藤選手の判断に)まかせてくれた」と言っていた。直前の練習では必ずしもセカンドの3ループの調子はよくなかった。安藤選手が世界女王になったときは、ショートではこのセカンドの3ループが鉄壁といってよく、シーズンを通して高い確率で決めていたのだ(当時は、今のようにダウングレードが暴走、もとい厳密化されていなかった)。オリンピックの大舞台で、バクチとも言える3ループに安藤陣営(決めたのが本人であっても、あえて「陣営」と書くが)が挑戦したのは、その前に滑った浅田選手の出来もあると思う。つまり、こういうことだ。すでに書いたが安藤選手の演技構成点は昨シーズンあたりから、変に上がったり下がったりする。今季のグランプリファイナルではキム選手に迫った。だが、安藤選手が「上がる」のは、必ずといっていいほど、日本での1番手である浅田選手がショートで自爆するか、あるいは出場していない場合に限られている・・・ように見えるのだ。1番手仕分けの選手が自爆する(あるいはいない)場合、2番手仕分けの選手が上がってくる。逆に言えば、1番手の選手がいい演技をしてしまえば、「メダルは1国1名様限定」の思惑によって、2番手の選手は点が出ない。オリンピックのショートでは、メダル仕分けのキム・ロシェット・浅田の3選手がそろっていい演技をした。ということは、たとえ安藤選手が3回転+2回転(つまりそれは、ロシェット選手と同じレベルのジャンプ構成ということだ)をきれいに決めても、メダル圏内には入れないのだ。実際、安藤選手のジャンプには「驚くほど加点がつかない」のだ。これが質の悪いジャンプというならわかる。だが、安藤選手はいわゆる「ディレイド回転(跳びあがる前から回転するのではなく、しっかり跳びあがってから回転を始める)」の質のいいジャンプなのだ。キム選手ほど大きさはないかもしれないが、放物線を描く高さと飛距離のバランスの取れたいいジャンプだ。ところが、加点を見ると、1点以上プラスになったジャンプがほとんどない。せいぜい基礎点の低いダブルアクセルかトルプルトゥループに1点以上つくかどうか。世界選手権で、解説の八木沼さんが、「安藤選手のジャンプは質がよかったので、加点1点以上つく」と話していた(常識的にはそう思うのが当たり前だ)が、オリンピックでの安藤選手のジャンプへの「加点抑え」が頭にあったMizumizuは、それを聞いて、プッとなってしまった。こちらがワールドフリーのプロトコル。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_FS_Scores.pdf案の定、安藤選手のジャンプの加点はとっても少ない。ハア? なんで?↑これがまあ、普通の感覚だと思う。だが、普通の感覚がまったくとおらないのが今のジャッジが出してくる加点・減点なのだ。もちろん、例によってあとから辻褄合わせをすることはできる。「ちょっと着氷のあとの流れがなかったですからね~」とか、「スピードがなかったですかね~」とか、「回り方が強引ですかね~」とか、「安藤選手は着氷時に前傾姿勢になってしまうんですよね~」とか。「安藤選手のジャンプに加点がつかない」ことに八木沼さんは、まだ完全に気づいていないらしい。気づいたら、どんな苦し紛れの言い訳・・・もとい、解説をすることやら。結局、こういう状態だと、選手は基礎点の高いジャンプで勝負に出るしかなくなるのだ。メダルを獲るという意志があるのなら。オリンピックのショートでは、安藤選手はセカンドジャンプをできるだけ遠くにもってきて、回りきろうとしていた。実際には回りきっていたようにも見えたが、降りたあと詰まってしまい、ダウングレード。しかも、このときに流れが止まったので、スピードが出ず、続くフリップもうまくいかなかった。最初の連続ジャンプでなにかアクシデントがあり、流れがとまると、スピードが出ずに次のジャンプを失敗しやすい。しかも、安藤選手の次の単独3回転は、エッジ矯正をしたフリップだ。エッジ矯正というのは、本当の意味では、ある程度の年齢以降に完全に矯正するのは不可能なのかもしれない。安藤選手はフリップでエッジ違反こそ取られないが、回りきれずに少し着氷が乱れることが非常に多い。すでに2年がかりでルッツを矯正したというロシェット選手も、やや不安定だし、キム選手のフリップも、世界選手権ではやはり完全に中立だった(Eマークのつくwrong edgeだとまでは思わないが、!マークのアテンションもつかないというのは疑問だ。ファンが騒ぐまではエッジ違反を取らない気なのか?)うえに、回りきれなかった。オリンピックのキム選手のフリップも中立に入っていたように見えた。浅田選手は今季ルッツを避けている。安藤選手の3ルッツ+3ループに話を戻すと、オリンピックでセカンドの3ループが不完全だった安藤選手は、ワールドで今度こそ決めようとしたのだと思う。気になっているのは、ルッツではない。セカンドの3ループだ。するとどうなるか?浅田選手の後半の3フリップからの連続ジャンプでしばしば起こる失敗と同じことだ。過去の試合で、セカンドのジャンプが足りなくて失敗した場合、選手は次の試合ではファーストのジャンプを多少セーブして、セカンドジャンプを跳ぼうとする。すると、元来単独では問題ないはずのファーストジャンプが回転不足のまま降りてきてしまうことになる。オリンピックで4+3をつけられなかったジュベールが急きょルッツを連続ジャンプにしようとして、ルッツそのものを失敗してしまったのも、同じ理由。「なんとかセカンドを」と思うと、ファーストをセーブし、結果失敗になる。安藤選手の1つの失敗は、シーズンからの流れである程度、説明ができる。ジャンプはあくまでも確率なのだ。過去の試合の確率はどうかで、起こるであろう失敗はだいたいが予測できる。そして今回のワールドのショートで、安藤選手の点が思いのほか出なかったのは、「(限りなく)恣意的に抑えられた(ように見える)」部分と「ルール上、当然そうなる」部分とがからみあっているのだ。
2010.03.30
オリンピック、その直後の世界選手権で、「フィギュアはオリンピックイヤーにしか見ない」ファンにも現行採点(あえて、ルールとは言わないでおく)の異常さが認知されたことは、基本的に好ましいことだと思っている。人間のやることに絶対はない。主観の入る採点競技が誰にとっても公平に思える結果になることもない。だが、だからといって無批判に結果を鵜呑みにしていては、どんどん採点が腐ってくる。今回の世界選手権で、どんな素人でも鵜呑みにできないほど、非常識な点が女子シングルの銀メダリストに与えられたことは、採点の問題点が明確に顕在化したという点においては、よかったのだ。もちろん競技としてはまったくよろしくない。今回のキム・ヨナ選手の演技は銀メダルにはふさわしくない。2位という順位は完全に間違っている。素人の感覚は非常に素直で、逆に的を射る場合も多い。スゴイものは誰が見てもスゴイ。その単純さこそが、すべての「感動」の出発点だ。逆もまた真なり。ショート、フリーともミスが目立ち、演技の流れが何度も止まってしまった選手がなぜ2位なのか。以下の中国メディアが伝えたという論評が、一番素人にも納得しやすいのではないか。中国新聞網は「キム・ヨナの銀メダルは意外だった」とし、ジャンプの転倒と回転不足があったにもかかわらず、ほぼノーミスの浅田真央選手(129・50点)より高い130.39点という全選手中最高の得点を獲得したことに疑問を呈した。続けて記事では、「完璧な演技を見せた浅田真央選手の点数がキム・ヨナ選手よりも低かったとき、会場からはため息が聞こえた」とし、表彰台でキム・ヨナ選手に送られた拍手は、金メダルを獲得した浅田真央選手はおろか、銅メダルのラウラ・レピスト選手よりもずっと少なかったと報じた。また、キム・ヨナ選手が獲得した点数に対し、記事では「ジャッジから何らかの配慮があったのは明らかだ」と指摘し、「フィギュアスケートにおける悲哀と言わざるを得ない」と報道。さらに、「ジャッジが見せた『えこひいき』はフィギュアスケートというスポーツの公平性をさらに失わせることとなった」とし、今回のような事件が今後のスポーツ競技で起きないことを希望するばかりであると報じた。キム選手に対する点数が発狂していることは、別に浅田選手のファンでなくとも、ここ数年の採点の動きを見ている、普通のファン(つまりキム選手ならどんな高得点でも「妥当」に見える大のファンとか、ジャッジと交友関係や利害関係のある人間ではないという意味)ならわかっている。キム選手が全部ジャンプを(そこそこ)決めれば、バカげた高得点も「演技がよかったから」で納得させられないわけでもない・・・というだけのことだ。それが今回の世界選手権のように、エレメンツそのものが抜けてしまったり、激しい転倒で演技が止まったり、あからさまなジャンプのパンクがあったりすると、「それでも、ほとんどの選手の自己ベストを上回る点? おかしいだろう」ということが明確にわかるというだけのことだ。ただ、キム選手のことはさておき、オリンピックで初めて採点の異常さに気づいたウルトラ・ニワカのファンの皆さんには、採点について物申す前にほんの少しルールについて勉強をしてください、と言いたい。技術審判による回転不足・エッジ・レベル判定の疑わしさ、演技審判の「勝たせたい選手にはつけ、勝たせなくない選手にはつけない」GOE(ジャンプ・ステップ・スピンなどのエレメンツの質を評価する演技審判による加点・減点)のデタラメぶり、さらにダメ押しとなる(演技審判による)演技構成点の「カラスの勝手でしょ」の点付け。どうにもならないフランケンシュタイン採点には違いないが、それとは別に客観的基準として設けられたジャンプの基礎点から点の低さを説明できる部分もある。つまり失敗したジャンプが基礎点の高いジャンプだったか低いジャンプだったか。それによって減点も違ってくるので、一概に「転倒したのに点が高い」「転倒したにしても点が低すぎる」と糾弾するのはファンのほうの知識不足だ。たとえば、安藤選手のショート。転倒は1度だけだが、この転倒はショートではもっとも「痛い」部分での転倒だった。安藤選手は女子で唯一、トルプルルッツ+トリプルループが跳べる選手だ。これはキム選手のトルプルルッツ+トリプルトゥループより難しく、基礎点も高い。だが、今回安藤選手は、トリプルルッツでコケてしまい、もう1つの三回転をつけることができなかった。しかも、トリプルルッツが回転不足のまま転倒したと見なされ(この判断自体は間違っていないと思う。問題はほかにも回転不足のまま転倒したとしか見えない選手がいるのに、その選手に対してはダウングレードがなされなかったこと。これは安藤選手への採点とはまた別問題)、ダウングレードで基礎点がダブルルッツのものになってしまった。トリプルルッツの基礎点は6点、ダブルルッツの基礎点は1.9点。このダングレードで安藤選手は4.1点を失う。さらにGOEですべてマイナス3となり、このジャンプの点は0.9点(2回転ジャンプのGOEはジャッジがマイナス3とつけても、そのままマイナス3点になるわけではない。基礎点がそもそも1.9点しかないのだから。ダブルアクセル以上のジャンプとはGOEの反映割合が違い、過小な割合になる)。さらに、転倒ということで、最後にマイナス1点を引かれて、実際にはマイナス0.1点。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_SP_Scores.pdfつまり、3ルッツを回転不足のまま転倒してしまうと、実際の点はマイナス点になる。意味不明のルールだが、この条件は他の選手も同じだ(だからMizumizuは以前から、転倒ジャンプは一律に0点とすべきと主張している。同じ転倒なのに、点になったり、マイナス点になったりするのは不合理だ)。さらに安藤選手の次の3フリップは、着氷時にエッジがグルッと回ってしまい(ジャンプが足りないときに起こる現象だ)、これでGOEがマイナスに。5.5点の基礎点に対して4.7点の得点にしかならなかった。本当のことを言ってしまうと、このジャンプ、ダングレードされなくてよかった。もし、回転不足と判定されていたら、2フリップの基礎点1.7点になってしまい、そこからまたGOEで引かれると点がなくなってしまう。もしあれがダウングレードだったら安藤選手のショートには3回転ジャンプがないことになり、点にならない。あとはダブルアクセル。基礎点は3.5点と低いので、加点1点を得ても4.5点にしかならなかった。逆に、ダブルアクセルで転倒に近い失敗をしたレピスト選手は、3トゥループ+3トゥループと3ループの3つの3回転を入れ、加点も得たために、点が下がらなかった。また、何も知らないファンには、転倒と同様に見えたかもしれないが、採点上は転倒ではないので、最後のマイナス1がなく、GOEだけの減点に留まっている。ジャンプの難度は、アクセル→ルッツ→フリップ→ループ→サルコウ→トゥループの順。3ルッツ+3ループ+3フリップを跳べる安藤選手は、もっているジャンプの基礎点はレピスト選手より高いが、ルッツで失敗して、ループを入れることができず、しかもフリップが不完全だったために、ルッツとフリップを入れることのできない(したがって安藤選手よりもっているジャンプの基礎点が低い)レピスト選手以下の点しか取ることができなかったのだ。さらに、安藤選手が「なぜルッツで失敗したか」も、今シーズンの試合の流れから説明できる。ジャンプというのは確率。過去で安定して跳べているジャンプは、調子が多少悪くても跳べる。安藤選手はシーズン前半、苛烈なダウングレード判定を受けないために、徹底してセカンドジャンプを2ループにする、いわゆる「回避策」を取ってきた。心ないファンやメディアが、例によって、「なんで3ループに挑戦しないんだ」などと煽ったが、異様に厳しいダウングレード判定を受けてしまえば、最初から2ループをきれいに跳んでおいたほうがGOEプラスがもらえる分、点になるからだ。セカンドの3ループについては、ダウングレード判定に容赦はない。セカンドの3トゥループは甘く感じることもあるが、世界のトップ選手のうち安藤・浅田・フラットしかやらない3ループに関しては、認定(ダウングレードしないこと)は非常に狭き門だ。たまに安藤選手が認定されたら、キム選手のコーチのオーサーが、大クレームをつけてきた(これについても過去に書いているので、興味のある方は読んでください。証拠の動画はもう削除されたかもしれないが)。セカンドに3ループをもってきて、「完全に回りきる」のは非常に難しいと思う。今シーズン浅田選手はセカンドに3ループを跳んでいない。フラット選手は3トゥループに切り替えている。今回のワールドでは、フラット選手はセカンドに3トゥループを跳ばなかった(オリンピックでは入れていた)。これは日本女子およびアメリカ女子にとっては「天敵」とも言える天野真がスペシャリストだったため、ダウングレードを警戒して回避したのだと思う。実際に、国別対抗でのアメリカ女子選手に対する天野真(をスペシャリストにおいた技術審判団)のダウングレードは信じられないほど厳しかった。こちらが当時の技術審判の顔ぶれ。こちらがショートのプロトコル。http://www.isuresults.com/results/wtt2009/wtt09_Ladies_SP_Scores.pdf<マークがダングレードで、ジャン選手とフラット選手が出場したが、2人ともセカンドの3回転がダウングレード。解説の荒川静香が、「こちらからは回っているように見えた」と言ったジャンプもダウングレードだった。セカンドに3ループをつけるのは、3トゥループをつけるより(通常は)難しい。だが、その難しい3回転+3回転をやっても、わずかにブレードがグルッと回ってしまったら、もうセカンドの3ループは2ループ扱いになってしまい、基礎点が5点から1.5点になり、一挙に3.5点失うことになる。それでは簡単なトゥループに替えればいい、と思うかもしれないが、それが天才ジャンパー安藤美姫の、ジャンプに関してはほとんどない弱点の1つ。つまり、セカンドにループをつけるのは得意だが、トゥループをつけるのは得意ではないのだ。この傾向は浅田選手にも言えることだ。もっとも安藤選手はダブルアクセル+3トゥループを決めたこともあり、絶対にセカンドに3トゥループをつけられないわけではない。だが、ルッツに3トゥループをつけることは、無理だったようで、試合では一度も使っていない。これは仕方のない面もある。昔から練習していればできたかもしれないが、ダングレード判定が「厳密化」される前は、トゥループより基礎点の高いループをセカンドにつけられる安藤選手や浅田選手は、わざわざトゥループをつける必要はなかったのだ。ループを確実に入れられるように(そもそもセカンドにループをつけるためには、一度ジャンプの回転を止めなければならない。ファーストジャンプの勢いを一度消す分、跳躍力が必要になり、難しいのだ)、集中して磨いてきた。ループは単独でも苦手で、セカンドにつけるなどもってのほかのキム選手に対して、セカンドに3ループを入れることのできる安藤・浅田選手は、絶対的に有利だったのだ。ダングレード判定が暴走、もとい厳密化する前までは。<続く>
2010.03.29
フィギュアの現行採点の非常識さを世界に知らしめたバンクーバーから1ヶ月。他のバンクーバーメダリストと違い、年が明けてから4大陸のあった浅田真央にとっては、心身ともにきつかった試合だったと思うが、土壇場でまたも、その女子のレベルを超えたタフネスさを見せ付けた。今では女子では彼女しか試合に入れることのできない大技トリプルアクセルを3度も入れるという過酷なプログラムを、シーズン最後にきてミスなく滑るなど、並みの精神力・体力ではない。トリプルアクセルは着氷するだけでも難しいのだ。それを1つの試合で3度もやって、年明け以降は一度も転倒がない。素晴らしいことだ。フランケンシュタイン度を増すデタラメ採点のなか、トリプルアクセルが2つダウングレード、つまりそこで基礎点だけでマイナス4.7点X2つ=9.4点を失うという大幅減点をくらいながらも、世界一になってしまう。そこが浅田真央の凄さだ。2度目の世界女王――これはジャンプの天才・伊藤みどりも滑りの超優等生・佐藤有香も成し遂げられなかった快挙だ。今回は特にスピンの美しさに見惚れた。なんとまあ、すらりと長く、美しく、天に向かって伸びる脚であることか。他人がどうあれ、採点がどうあれ、自分のやるべきこと、できることに集中して、クリーンな最高の演技をする。それを今回浅田選手はやりきった。だが一体、ここまでファンに呆れられる採点をして、ISUとジャッジは今後どうするつもりなのか。これではあまりに選手が気の毒。考えてみよう。トリノ・オリンピック当時の採点。あのときも新採点システムだった。プルシェンコが他の選手に大差をつけて圧勝したときに、今のようなルール&ジャッジ批判があっただろうか? 大きな点差に素人が納得できたのは、誰にもできないと誰が見てもわかる高難度の連続ジャンプをショート、フリーともに成功させたのが、プルシェンコだけだったからだ。今回の世界選手権女子の「仕分け先にありき」の演技構成点を見て、「これでは試合をやる意味がない」と何度もMizumizuが指摘してきたことが、だいぶ実感として一般のファンにも浸透してきたのではないかと思う。今回の女子のダングレード判定を行った技術審判は、「例の」カナダ在住日本人スペシャリスト天野真氏を筆頭とする3人だが、同じ選手に対してすら、回りきっているとしか思えないのにダウングレードしたり、足りていないように見えるのにダウングレードしなかったり、判定の不可解さを露呈していた(あえてどのジャンプとは、ここでは書かないが)。あるいは単に天野氏がスペシャリストとして未熟なだけかもしれないが、それにしてもオリンピックとあまりに基準が違いすぎる。「4分の1以上足りなければダウングレード」のはずが、肉眼で見ても足りていない典型的回転不足がダウングレードされなかったり、演技審判の多くが回転不足と思っていない(らしく、GOE減点していないのに)のにダウングレードされたりと、こうした甘辛自在の判定を続ければ、さらにファンの不信を招く。今のファンは審判があまりに信頼できないため、回転不足判定に特に目を光らせている人も多いのだ。「見る角度によって違って見えるから」などと解説者が苦肉の策で言っているが、そもそもそんな曖昧な主観で、ここまで点を落とすのは公平性の面からも妥当ではない。今季、ダウングレード判定を演技審判に知らせず、GOEを各演技審判に委ねた結果、ダウングレードされているのに、GOEでプラスをつけるジャッジがかなりいるということがわかった。そこまでわかりにくい多少の回転不足で、点をその下のジャンプの基礎点に落としてしまうなど、むしろ暴挙ではないか。そのうえ、判定そのものも一貫性がなく、解説者を困らせている。「回転不足を厳しく取るジャッジ」と「厳しく取らないジャッジがいる」とファンのほうが気を利かせて(?)辻褄合わせをしているが、それがそもそもおかしい話だ、。スペシャリストの判断をそのまま是とせず、他のスペシャリストも参加して、過去の試合のダウングレード判定を検証する場を設ける必要があるのではないか。それが無理なら、今大会のトップ選手のジャンプ、特に転倒しながらダウングレードされたなかったジャンプだけでもきっちり検証すべき。なぜなら、転倒というのは「回り切れていないから」起こることが多いからだ。今回は回りきれずに転倒したようにしか見えないジャンプがダウングレードされていない。ちぐはぐな判定は誰かがそれを指摘しなければ、いつまでたっても是正されない。ファンの方は、Mizumizuが過去に、「足りなくなってきている」と指摘した誰かの後半の単独ジャンプに注目してスローを再度見て欲しい。ダウングレードを取られるか取られないかによって、「スペシャリストの勝手でしょ」では許されないくらい点が違ってきてしまうのだから、そのくらいの努力をするのが選手に対する礼儀ではないか。このまま「中間点」を設けてお茶を濁し、スペシャリストによって、また試合によってバラバラな基準でダウングレードを続ければ、それは「特定の選手を落とすため」だと思われるのが関の山。ルールには理屈が何より大事だが、中間点のジャンプというのは筋がとおらない。仮に中間点という新しい概念を作ったとして、そのジャンプの質をGOEでどう評価するのか?3回転の回転不足は、「質の悪い3回転」なのだ。「2回転と3回転の間のジャンプ」ではない。だったら、3回転ジャンプの基礎点からGOEで減点すればいいことだ。GOEはジャンプの質を評価するものなのだから。今回トリノの観客はだいぶ採点にブーイングを浴びせていた。イタリアというのはああいう国で、イタリア人はオペラでも気に入らないとすぐにブーイングを浴びせる傾向がある。ルールと採点について知識がないのもあるかもしれないが、それゆえ、彼らは素直な目で演技を見ている。一般の素人の常識的な感覚をないがしろにしては、スポーツはなりたっていかない。それと、匿名の演技審判のGOEと演技構成点の出し方のデタラメぶり。GOEでは、着氷が乱れた質の悪いジャンプに加点「2」をつけるジャッジがいる。何度もいっているように、一見客観的に見える加点・減点要件がズラズラ細かく並んでいるから、逆にどうつけようと、後から辻褄が合わせられるようになってしまった。それが問題なのだ。演技構成点の5コンポーネンツにしても、実際に演技を見てるのか疑いたくなるような、「事前の仕分け感」ありありの採点だから、いざ総合得点が出てきたとき、明らかに出来のよくない選手が出来のよかった選手の上に来たり、あるいは点差がほとんどなかったりして、素直に演技を見ているファンが驚くことになるのだ。こんな採点をしておきながら、「目の肥えたジャッジが出した点だから信頼しろ」などという無茶を、いつまで言い続けるつもりなのか。とても目のある人間が出しているとは思えない点が出てくるから、ファンは怒っている。こんな当たり前のことが理解できないようなら、ジャッジはプロフェッショナルとはいえない。報酬をもらって仕事をするプロは、あくまで結果がすべて。結果で皆を(内輪のおえらいさんではなく)納得させられなければ、容赦なく残酷な非難が浴びせられる。逆にコツコツときちんと仕事を続けていれば、(内輪からだけではなく)必ず評価してもらえる。そんなことは、普通の「プロ」ならわかっているはずだ。ルールに大鉈が振るわれることはほぼ確定している。採点競技に誰もが100%納得できる結果はないにしろ、今季いろいろと問題が噴出した点をきちんと検証して、多少なりとも公平になるように、ルール策定者は皆で努力してほしい。
2010.03.28
ようやく、高橋大輔選手がその才能にふさわしいタイトルを手にした。世界選手権優勝。日本男子初。オリンピックの金・銀メダリスト、それに4位・6位が出なかったのだから、高橋選手は優勝候補の筆頭。だが、そうした状況になればなるほど、ニッポン男子の得意技「ジャンプの自爆」が出てきやすい。オリンピック以降体重も2キロ増え、モチベーションも上がらず、トリノに入ってもトリプルアクセルの調子が悪かったと伝えられるなか、あれだけ演技をまとめたのは凄い。ジャッジのデタラメ採点はハッキリ言って相変わらず。だが、高橋選手の優勝は文句なし。この順位に間違いはない。高橋選手が他の選手と違うのは、卓越したスケート技術と表現力もあるが、なんといってもトリプルアクセルの力だ。現行ルールで勝敗を決めるのは最高難度の4回転ができるかできないかではない。トリプルアクセルをショートで1度、フリーで2度決められるかどうか。これが一番モノをいうのだ。織田選手と小塚選手は、4回転に挑戦しはじめてから、トリプルアクセルがどうしても安定してくれない。これは、ごくわずかな例外的選手をのぞけば、世界の男子トップ選手に蔓延している「怪現象」なのだ。つまり、4回転が試合で決まりはじめると、トリプルアクセルが乱れる。4回転はそもそも難しい技なので、なかなか安定しない。跳べたり、跳べなかったり。そして同時に、これまでは跳べていたトリプルアクセルがダメになる。1度ならなんとか入る(今回のフリーで小塚選手は1度も入らないという最悪のシナリオになってしまったが)。だが2度は決まらない。このパターンにはまる選手の例は枚挙に暇がない。ベルネル選手、ウィアー選手、ライザチェック選手、織田選手、小塚選手。ひろい意味では、大きな試合では4回転を入れていないものの、今季プログラムに入れようとしてもともと不安定だったトリプルアクセルがさらにダメダメになったチャン選手もこのパターンに入れることができるだろう。ジュベール選手は今回、4回転2度、トリプルアクセル1度にして、ミスはなかったが、そうなるとルッツ(トリプルアクセルの次に難しいジャンプ)で失敗するというパターンが待っていて、またこれにはまってしまった。高橋選手の勝利を確定づけたのは、4回転フリップで転倒しなかったことも大きいが、なんといっても後半にもってくるトリプルアクセルを見事に決めたこと。フィギュアスケートのジャッジというのは、基本的に頭がよくないのか、滑稽なほどわかりやすい「辻褄合わせ」をする。オリンピックで批判と疑惑の対象となったキム選手のジャンプに対する加点「2」。これをあとから辻褄合わせをするなら、高橋選手のトリプルアクセルだろうとMizumizuが書いたら(3月1日のエントリー参照)、ヤッパリ。フリーの後半にクリーンに決めたトリプルアクセルが9.02点(トリプルアクセルの基礎点は8.2点なのだが、後半にもってくると1割増しとなる)に加点「2」がつき、11.02点という大量点を稼いだ。オリンピックでも同様にクリーンに決めたのだが、加点は「1.8」点で「2」までは行かなかった。チャン選手との最終的な点差が10.48点だったから、このトリプルアクセルで回転不足のまま(つまりダブルアクセルの基礎点のまま)転倒したりしていたら、演技構成点にも影響が出て、金メダルは、あの「怪奇現象上げ」のパトリック・チャンに行っていたかもしれない。ふざけた話だ。つまり、チャン選手に対して、これをオリンピックでやろうとしていたということ。それがチャン選手がショートでトリプルアクセル(基礎点が高いジャンプなので、これを1つ失敗すると大きく点を失う)を失敗し、フリーでも失敗したためにできなかったのだ。おまけに、オリンピックでは高橋選手に金をやるつもりはなかったのか、後半の単独ルッツのエッジ判定で「!」(アテンションマークのこと。これがつくのは、踏み切り時に間違ったエッジに入った時間が短かった場合、もしくは中立だったとみなされた場合)がつくと、ここぞとばかりにGOE減点したのに、今回はGOEで減点したジャッジ、加点したジャッジ、0にしたジャッジが入り混じり、最終的に基礎点そのままの6.6点(オリンピックでは6.6点に対し、GOE減点で6点になった)。プッ。失礼。しかし、思わず噴き出したくなるほど露骨だ。もちろん、GOEの点付けは不正行為ではない。「!」マークの場合は、減点MUSTではない。たとえ「!」がついても他にそのマイナス要素を補うだけのプラス要素があると見なせば加点してもいいし、減点しない(加点もしない)こともできる。そのあたりはGOEをつける演技審判の自由裁量に委ねられている。高橋選手のフリーのスピンとステップのレベル認定がすべて最高難度の「レベル4」というのも・・・まあ、日本人としては有り難いが、はっきりいって相当に萎える。高橋選手に対するスピンとステップの認定は、今シーズン初めはやたらめったら厳しかったのだ。ステップもレベル2が多かったし、スピンも・・・(以下、自粛)。それが、プルシェンコがステップでもスピンでもレベルを安定して取ってくる、ジャンプも決まるとわかったシーズン後半、つまりオリンピックでは・・・(以下、自粛)。高橋選手がそこまでレベルを上げてきたということですね、はいはい。スピンの回転数、足りていたんですか・・・いたんですね、はいはい。フォアアウトで回ると軸がだいぶ広がって・・・いえ、気のせいでしょう。フォアアウトのスピンは難しいですし。最後の連続ジャンプもオリンピックでは3ルッツ+2トゥループ(基礎点8.03点)だったのをダブルアクセル+2トゥループ(基礎点5.28点)に替えて、だいぶラクに・・・いえ、ルッツでエッジ違反を取られて減点されるのを防いだってことですね。なんといってもトータルバランスですから。フリーの総加点もオリンピックでは、たったの3.2点だったのが、今回7.8点にまで増えたのは、女子の誰かの爆加点への多少の辻褄合わせ・・・ではなくて、高橋選手のエレメンツの質が急に上がったせいなのですね。オリンピック後で疲労していたにもかかわらず、たいしたものです。どちらにしろフリーの総加点が17.4点などというのがいかに異常か、男子トップ選手に対する加点を見ればわかろうというもの。この高橋大輔優遇政策は、キム選手の謎の爆加点や発狂演技構成点に不満を募らせている日本人ファンを黙らせるためでしょうかね?もっともそれは、高橋選手には何の責任もないし、彼が金メダルにふさわしい演技をしたのは確かだ。あえて自国の選手のことを書いたが、チャン選手への採点は、ハッキリ言ってもっと、相当に酷い。あれを来季も見せられるとしたら、Mizumizuは憤死するかもしれない。そもそも来季Mizumizuがフィギュアスケートを見るかどうかもわからないが、日本人選手にこれだけ素晴らしい才能がそろっている時代に、完全にフィギュアに背を向けるのも難しい。今回の2位の選手は、明らかに彼ではない。オリンピックの5位だって、彼ではなかった。チャン選手のスケート技術は確かに世界屈指だが、決してアナウンサーが安直に請合うように、「間違いなく世界トップ」ではありえない。小塚選手もチャン選手に引けをとらないスケート技術をもっているし、単にエッジ捌きというなら、チャン選手よりも上だと思う。それはストイコも言っている。「タカヒコのエッジは世界トップ」だと。ところがところが、フリーのスケート技術の点は、チャン選手が8.35点、小塚選手が7.5点と0.85点「もの」差がある。いい加減にしてほしいわ、まったく。チャン選手はワンストロークでトップスピードにのる技術は世界トップだし、確かに難しいことをしている。だがモーションがあまりにパターン化していて、繰り返しが多すぎるのだ。確かにスピードを落とさずに、難しいターンや回転動作をするのは素晴らしいが、リピートばかりなので、平板な印象になる。メリハリのきいたスケート技術の多彩さでは、高橋選手にはまったく及ばない。だから、チャン選手に対する解説者の賞賛も常にワンパターンだ。その1.スケートの伸びが他の選手と違う。ひとかきでトップスピードにのる。その2・ 簡単そうに見えて難しいステップを踏んでいる。しかもスピードが落ちない。終わり以上。<本文は続きます>
2010.03.26
<続き> 今回の小塚選手のショートは素晴らしかった。彼がショートでは1位だったと思う。3回転+3回転のセカンドジャンプで例によって若干流れが止まった高橋選手ではなく。小塚選手とアボット選手のショートはテイストが似ている。佐藤有香が振付師とコーチとしてかかわっているので、彼女の趣味なのかもしれない。どちらもモダンで非常に洗練されたプログラム。シーズン初めは、アボット選手の表現力のほうがはるかに成熟して勝っている印象だったのが、ここにきて、小塚選手が追い抜いた感がある。難度の高いプログラムをシーズンかけて徐々に完成していく――これがフィギュアの王道だし、それを小塚選手はやってのけた。なのに、点数は・・・(以下、自粛)。今回はショートの点の出方を見ても、「金メダルはチャンか高橋にしか、やらないもんね」採点だったと思う。ショートの点の出方でMizumizuが泣きたくなったのは、アボット選手のトリプルアクセルに対するGOE評価。確かに着氷時に前傾姿勢になってしまったが、あのターン&ステップからのトリプルアクセルの入り方は非常に難しいのだ。世界トップ選手といえど、助走をほとんど取らないあの入り方でトリプルアクセルを跳べるのはアボット選手だけなのだ。着氷したあとも一瞬エッジをピタッと止めて、すぐにこぶしを握り締めての回転動作に入る。一瞬、「オーバーターン?」と思わせるような演出だ。モーションでありながら、感情表現も含めた、インテリジェンスと独創性にあふれた出方。ジャンプも幅はそれほどではないが、高さと幅のバランスは文句がないと思う。それなのに、着氷が若干前傾姿勢になったためなのか、ほかにマイナス要素があると見なされたためなのか、加点したのはたったの1人。それも「1」。逆にマイナス1をつけたジャッジも1人いて、あとは「0」。だから、基礎点そのままの8.2点。「金メダル仕分け」されているチャン選手の幅跳びトリプルアクセルは気前よく加点がついて9.2点に。これでは、難しいことをしている選手が報われない。逆にアボット選手のほうが、フリーのダブルアクセル(同様の難しい入り方・出方)で転倒してしまい、点が伸びなかった。見ているほうは、「なんでダブルアクセルなんかでコケるの?」と思うかもしれないが、非常にリスキーな難しい跳び方をしているからだ。誰にもできないジャンプのエントリーを見せても報われない。これでは、こうした高度なことをやってくれる選手がいなくなってしまう。とりあえず遠くに跳んで、流れのある着氷をしたほうが点が出るというなら、皆そうするだろう。個性を評価せず、1つのパターンにあてはまったエレメンツばかりに点を出す。こうやってどんどん「その選手にしか出せないスポーツの美しさ」がなくなっていく。アボット選手のフリーのトランジション(技と技のつなぎのフットワーク)は、どの選手よりも高度なものだ。見ていただければわかると思うが、常に腕を含めた上体を動かし、しかも深いエッジにのって(つまり、上体が傾いた上体で)、スピードを均一にして滑っていく。ゆったりした滑りだから、逆にスピードを一定にしてポジションをキープするのが難しい。ジャンプのための助走もほとんどない。ジャンプきりぎりまでモーションを入れる。かつてのランビエールの「ポエタ」を彷彿させるような構成だ。ここまで難しいことをしているのに、演技構成点の5コンポーネンツの「トランジション」はさっぱり上がってこない。「金メダル仕分け」された高橋選手とチャン選手の5コンポーネンツが軒並み8点台なのに対して、アボット選手のトランジションは7.45点。もし、仮にジャッジがマトモに採点しているなら、たとえジャンプの2度の転倒があったにしろ、あれだけ高度な構成にしたアボット選手のトランジジョンだけは、高橋・チャン選手同様の点を出すはずだ。ところが演技構成点の5つのコンポーネンツは、ただの「最初に結論ありきの振り分け」。トランジションは他のコンポーネンツより多少低くつけているだけ。点が出ないと、「ジャンプを跳ぶために、つなぎを単純にしたから」と後付けで説明しているライターもいるが、実際には、つなぎはかなり単純でもトランジションが変に高い選手もいる。つなぎを濃くすることで点がもらえている選手もいるが、もらえない選手もいる。アボット選手が今回、後者の典型だ。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Men_FS_Scores.pdf上のプロトコルを見ても、演技構成点で、高橋選手・チャン選手の演技構成点は軒並み8点台。3位に入ったジュベール選手がそれに準じ(でも2人を上回ることはない)、この3人が総演技構成点で80点台。それ以下の選手との仕分けラインがくっきりだ。プルシェンコが指摘したように、誰にでもわかる、そして習得の難しい高難度ジャンプを重視せず、「トータルパッケージ」という、どうにでも解釈できる、したがってファンにはさっぱり理解不能な(実際には元トップ選手のような目のあるプロにも理解不能)主観部分に重きをおけば、ジャッジ(実際には彼らをコントールしているISU)が勝たせたい選手が勝つようになり、完全に競技会はショー化する。いや、もうほとんどそうなっている。ジャッジに愛されている(これはキム選手を表現したオーサーの言葉だが)高橋選手にとっては好ましい状況だが、他の日本人選手にとってははなはだしく不公平だ。Mizumizuがジャッジをもう少し信頼できれば、高橋選手への高評価は素直に嬉しいと思っただろう。実際に、高橋選手ほどスケーターに求められるすべての能力を高いレベルで兼ね備えた選手は稀有だからだ。「表現力」は曖昧で、嗜好にも左右されるが、スケート技術に関しては、ある程度客観的に説明できると思う。高橋選手が素晴らしいのは、まずはスケートの伸び。単に滑っているとき、特にバッククロスで滑り始めたときの、スピードと姿勢(頭の先までピシッとモノサシでも入れたように伸びている)は卓越したものがある。それにエッジ遣い。ステップ時のメリハリのきいたシャープかつ素早いエッジ捌きはすでに定評があるが、深いエッジにのって大きくゆったりとしたモーションを見せるときの身体の使い方も文句のつけようがない。身体を回転させる動作1つとっても、しっかりエッジにのったゆっくりした回転でも、ゆっくり回転に入ってそのあとスピードを突如上げたりでも、最初から超速のモーションでクルッと回ったりでも、とにかくバリエーションが豊富で、自在なパターンを見せてくれる。その間に首のモーションを入れることもある。頭を動かすと方向感覚を一瞬失うので、バランスを保つのが難しいのに、身体の軸がまったくブレない。回転動作が全部ワンパタなチャン選手とは雲泥の差だ。表現力に定評がある他の選手でも、スケート技術に関しては、少し物申したい部分がある。たとえば日本女性に大人気のランビエール選手は、よく見ればストロークがさほど伸びない。だから素早いターン&ステップで、別の技術を見せてその欠点を補うようにしている。エッジ遣いも高橋選手ほど深くない。ウィアー選手もライザチェック選手も、スケートがあまり伸びず、氷をエッジでつかむ能力が低いのか、ステップが速くなるとブレードが安定しない。アボット選手のように深いエッジと上半身の動きがピッタリ一致したモーションができず、足が動かずに上体だけが動いている。ウィアー選手とライザチェック選手はスケートの技術に関して同様の欠点をもっているが、ウィアー選手は華麗な身体のラインと腕の動作で、ライザチェック選手は長い腕を大きく使うダイナミックな動きで、その欠点を観客に気付かせないようにしている。高橋選手の滑りに関しては、欠点を見つけるほうが難しい。これほど全方位で欠点のないスケート技術をもつ選手は、長くフィギュアを見てるMizumizuもちょっと記憶にないくらいだ。そして、ジャンプ力。特にもっとも大事なトリプルアクセルの地力、これが何度も高橋選手を救っている(だが、相変わらず3回転+3回転のセカンドがまずい・・・)。4回転フリップ挑戦に関しては、本人も言っているように、「無謀」。ダウングレードされてGOEでも減点(マイナス1が3人、マイナス2が4人、マイナス3が2人)でなので、点は3.9点。点から考えれば、単純なトリプルトゥループ(3回転の中でももっとも基礎点の低いもの)をやっておいたほうがマシというような点だが、ただ転倒しなかったのがよかった。こうしたあからさまな仕分け採点がいつまで続くのかはわからないが、選手にできることは自爆しないこと。自分の世界を精一杯表現することだ。今回まさかの自爆になってしまった織田選手も、気持ちを切り替えて来季に向かってほしい。長い競技生活の中で、そういうこともありますよ。多くの場合、こういう大自爆の原因は1つではありえない。コップに少しずつ水がたまり、最後の一滴でとうとう水が溢れてしまうようなものだ。今回ワールドに背を向けたジョニー・ウィアー選手が、インタビューで冷静かつ率直に、今の「政治的採点」について語っている動画がある。http://www.nicovideo.jp/watch/sm9857947Mizumizuがこれまで書いたこととまったく同じことを言っている。要するに、現場の選手はこうしたことはすべてわかっているということだ。ウィアー選手が偉大なのは、金を獲ったライザチェック選手を称えつつ、自分のアピールも嫌味にならない程度にしっかりと怠らず、プルシェンコ選手のジャッジング批判も、「あれは(ライザチェック批判ではなく)ルール批判。意見は聞くべき」と理解を示し、自分にメダルが来ないことはわかっていたとしながらも、「観客を旅に連れて行きたかった」と表現者としての本質を見失なわない発言をしていること。そしてなにより、彼のできる最大限のレベルでオリンピックの舞台でそれをやりきったことだ。高橋選手もトリノでそれをやりきった。しかも、イタリア人ニーノ・ロータの曲、イタリア人監督フェリーニの映画、イタリア人カメレンゴの振付。今季なかなかまとまらなかった「道」だが、最後の大舞台で感動のフィナーレを迎えることができた。すべてはフィギュアの神様の粋な計らいということにしておこう。
2010.03.26

ガイドさんにもらったフルーツでこれまで食べたことがないものがあった。それは「サラク」。おにぎりのような形だが、皮は硬く、ヘビの鱗のような模様に覆われている。皮は案外簡単に剥ける。実(み)はまるっきり、「デカいにんにく」。だが味はにんにくとは似てもにつかない。ま、フルーツだから当たり前だけど。歯ごたえは少し水分の少ない林檎のよう。噛むとあまりパンチのない酸っぱさと甘さが口の中にひろがる。若干苦みもあるよう。不思議な味だったが、MizumizuもMizumizu連れ合いも大いに気に入る。特に東南アジアのフルーツ大好き人間のMizumizu連れ合いは、大絶賛。翌日の朝、ホテルの朝食のフルーツコーナーで、同じものがおいてあるのに気づいた。同じは同じだが、縮こまったように少しサイズが小さい。しかも、食べてみたら、あーーら、不思議。おいしくないではないか!もともと水分がいっぱいのフルーツではないようだが、さらに乾いた歯ごたえで、味も抜けたような感じ。苦みが強いようにも思う。よかった。ホテルで最初に食べたら、「サラクってまずい」のレッテルを貼るところだった。しかし、なんでマズいわけ? サイズも小さいし。さては規格外の売れ残りを安く仕入れたな――と、ますますホテルへの不信感を募らせるMizumizu。しかし、後日、ホテルから至近の「バリ・コレクション」というショッピングセンターのスーパーで、「ジャワ島産サラク」と「バリ島産サラク」が売られているのを見て、試食させてもらって謎が解けた。この2つは味がかなり違う。ジャワ島産のほうがみずみずしく、美味しい。ガイドさんにもらって食べたのは明らかにジャワ島産のものだったと気づく。バリ島産のものは、もっと原始的な味。つまり、これがホテルの朝食で出たものだったのだ。な~んだ。ガイド氏もそう言ってくれればいいのに。知らずにバリ島産のサラクだけを自分で買っていたら、「あら、さすがにガイドさんのくれたものは美味しかった。いいもの売ってる場所を知ってるのかな」などと尊敬してしまうところだった。バリ・コレクションは、ヌサドゥア・リゾートに泊まったゲストには一番行きやすいショッピングセンター。ホテルから無料の送迎バスも出ている。のだが・・・これまた、本当につまらない、モロ観光客向けお土産屋の集合体。スーパーが一番おもしろい。バリ島でのショッピングにはダメ出しをしたMizumizuだが、ここで決定打のホームランを打たれた気分。そうそう、バリ島で気づいたのだが、お店によってはカードのサインを2枚しないといけない。一瞬「2回サインさせて2重に取るつもり?」と疑ったのだが、そうではなく、店用のレシートと銀行用のレシートがあり、別々にサインを求められるというだけ。Mizumizuと同様の疑念をもったのか、スーパーでレシート2枚にサインをするのを拒否している白人がいて、お店の人を困らせていた(笑)。横からMizumizuが、「ここでは2回サインしないといけないの」と教えてあげたら、納得したようにサインしていた。バリ・コレクションには(観光客向けの)レストランもたくさん入っている。ホテルのレストランにそうとう飽きていたので、1度入ってみることに。入り口でメニュー見ながら迷っていると、案内役の男の子が、「15%割引きだから」と営業をかけてきた(笑)。しかし、例によってサービス料だかタックスだかが21%と書いてある。「これは?」と聞くと、「このあたりの店は全部そうだから」という答え。確かにそれは嘘ではないと思う。しかし、サービス料だかタックスだかを21%取って、15%割引とは、これいかに?なんだかよくわからないが、「食事のあと無料でホテルに送るから」とまで言われ、そっかそれなら時間の決まっている送迎バスを待つこともないなと店に入る。Mizumizuはだいたい招き猫体質。Mizumizuが店に入るとあとから客が増えてくることが多いし、店でなにか買っていても、不思議とあとから人が入ってくることも。このレストランも、Mizumizuがテーブルにつくと間もなく、次々白人客が入ってきて、ガラガラだった店がいっぱいになった。お客は圧倒的にロシア人。お店はガンガンに生演奏を流していて、うるさいのなんの。しかもスピーカーの真下の席という不運・・・しかし、周囲を見回しても、うるさそうな顔をしているゲストは皆無。みんなこの超うるさい生演奏を楽しんでいるのか? だとしたら、ボリューム絞ってとは言いにくい・・・と、必死にしばらく我慢していたものの、とうとう鼓膜が悲鳴をあげ、ボーイに「音を少し小さくして」と頼んだ。すると、すぐにスピーカーの音量を落としてくれ、事なきを得た。ホッ。Mizumizuが一番よく行くイタリアじゃ、なかなかこうはいかない。辛抱強く2度、3度と頼む根性が必要。それに慣れているので、言えばすぐにやってくれるというだけで感動できる体質になりました。イタリアのみなさん、ありがとう。Mizumizu連れ合いはロシア人相手の貿易をやっていた人。聞いてみると、だいたいこういう賑やかなレストランが好きなのだとか。へ~。ホテルのレストランも夜、ステージでがなっていて、大変にうるさかったっけ。あれはマジョリティであるロシア人のためだったのだな。インドネシア料理で食べたいものがなかったMizumizとMizumizu連れ合い。Mizumizu連れ合いの頼んだトルコ料理(かな?)。Mizumizuは春巻き。一品の量が多いのは、みんなでシェアして食べるため? それとも白人のスタンダードに合わせてる?とにかく、なんでもかんでも料理の量が多いのに閉口。だがジャワティー(インドネシア紅茶)は普通に美味しかった。紅茶やコーヒーが美味しいのは嬉しい。レストランの会計は、確かに15%引いたあと21%が足されていた。???そんなら、なんで最初っから値段を安くしておかないのだろう?もしかして、これは入るのをしぶっている客を説得するために特別に用意してある割引で、案内役がすばやくボーイに、「コイツらは安くするって言って引き入れた客だから」と秘密の暗号を送り、割引する客としない客に分けているのか?そんなマメなことするかなあ?食べ終わって案内役だった男の子に送迎を頼むと、すぐに手配してくれた。一応、料理はそこそこだったので、「おいしかった、ありがとう」とお礼を言ったのだが、「オ~、ハハハ」照れてるのか、そっけないのか、はたまた内心「たけー料理食べてウマイなんて言って、外人ってバカだな」と思っているのか、どうとでも取れそうな、曖昧かつ意味不明の反応。こういう反応もちょっと日本人に似ている気がする。「ありがとう」と言われると、「どういたしまして」のような「定型返答」が照れくさくてできず、思わず意味不明のお世辞笑いと曖昧な返答をするところ。
2010.03.23

結論から先に言ってしまうと、インドネシア料理はタイ料理ほど好きになれなかったMizumizu+Mizumizu連れ合い。本当はワルンという大衆食堂に行ってみたかったのだが、なにぶん孤立した高級リゾート難民施設にいたので、町に出るのも面倒くさい。ワルンなら人気店でもナシゴレン(インドネシアのチャーハン)が100円ちょっとで食べられるということだったのだが、そのためにわざわざタクシーをチャーターしていくのもタルいし、そもそも日中は仕事もあるしで、結局ほとんどのランチはホテルのレストランですませた。野趣溢れる熱帯の植物群を越えて、海沿いのレストランへ。ロケーションは抜群。遠浅のせいか、波はかなり沖で砕ける。一瞬、ツナミ? とビビってしまったのはナイショ。これぞ南の島のリゾート♪ と、最初のうちはご満悦だったMizumizu。しかし、料理が運ばれてくると、突撃してくるハエの多さにヘキエキ・・・なんでこんなにハエだらけなわけよ。食料の管理がずさんなのかな。しかし、周囲を見回すと、ハエにイラついているゲストはどうやら我々ばかりなり。みなさん、なんで気にならんの?インドネシアでもっとも気に入った・・・というか、もっと率直に言うと、唯一気に入った料理、ナシゴレン。チキンを選んだのだが・・・シーフードのナシゴレンのほうが断然美味しかった。朝の食事はひどかったものの、このシーフードナシゴレンには大満足。ただし、値段はサービス料なしで1300円。量が多いので、2人でシェアしてちょうどぐらいだが、それにしても高い。こちらは連れ合いが期待して注文したミゴレン。こういう料理はタイでも大いに気に入っていたので、インドネシアでも同様かと思いきや・・・「冷えてのびたヤキソバ(しかも味にパンチなし)」としか・・・ しかもホテル料金でこれまた1300円。たけーよ。バイキングの店でもミゴレンはダメだったので、この2つだけで「ミゴレンはダメ」の烙印を押しました(インドネシアのみなさん、すいません)。別の日にカレー星人のMizumizuが頼んだインドネシア風カレー。薬膳カレーのような体によさそうな風味なのだが、これまたカレーなのにあまりスパイシーでなく、なんといってもジンジャーが強すぎる。なんでもショウガを入れるのは、バリの伝統なのだろうか。コーヒーにもジンジャー入りがあったし。ちなみにこちらのカレーも、1度で結構でございます。これは何かについていた付け合わせ。これまた体によさそうで、それなりに複雑な風味なのだが、これまたパンチがない。・・・と、ここでハタと気付いた。バリ島が日本人に早くから人気になったのは、もしかして食べ物の味付けが、タイ料理みたいに強烈でないせいなのかも。このぐらい優しい味なら、エスニックの苦手な日本人でもたぶん食べられると思う(気に入るかどうかはともかく)。しかし、タイ料理大好きカップルのMizumizu+Mizumizu連れ合いには、インドネシア料理は物足りないのだった。デザートはほとんど頼まなかったのだが、1度だけチョコレート風味のクレームブリュレを。サービス料なしで600円。ある日のランチ代は・・・サンペリグノ 75ml 65,000ルピアナシゴレン 130,000ルピアクレームブリュレ 60,000ルピア小計 255,000ルピアタックス 28,050 ルピア合計 308,550ルピア(日本円で3085円)焼き飯とプリンと水で3000円・・・やっぱ、物価高いわ、バリ。いくら5つ星のホテルとはいえ、東南アジアに来て、「東京のが安くてウマい」と思うとは、時代も変わったもの。あまりきれいでない海を見つめ、ああ、安ウマのタイが懐かしい・・・と嘆息するMizumizuだった。でも、コーヒーは最高。タイはなぜあんなにもコーヒーがまずいかったのだろう。インドネシアと違って、欧米列強の植民地にならなかったから?
2010.03.19

バリ島でもっとも観光客に人気のあるショッピングストリート、それがウブドのモンキー・フォレスト通り。文字通りサルのいる森の公園もあるということだったのだが、時間の関係でモンキー・フォレスト通りだけに絞って歩くことに。全長2キロほどの自動車道路に、めんめんと店が連なっている。真新しい店もあるが、古びた建物も多い。中華風の建物も。すがすがしい緑と一体になったこちらの店は、道路に面した間口が完全オープンの、地震に弱そうな造り。インテリアに赤が多いということは、華僑の店だろうか?モンキー・フォレスト通りはまっすぐな自動車道ではなく、うねったり、折れたり、そしてアップダウンもある。いつも思うことだが、こんなふうに曲がったり、高低差があったりする道のほうが、歩いていて楽しい。だが、店自体は案外つまらない。同じような粗悪品の山。ちょっと高級そうなものは、ホテルのブティックとおんなじ・・・たまにこんなふうに・・・個性的なクラフトを置いている店もあるのだが、キノコとか龍とか、残念ながら趣味に合わない。メインストリートを歩きながら、またもや内心、「これなら、吉祥寺のほうが歩いてオモシロイぞ。個性的な店があるし、店の数だって多いし・・・」と思ってしまうMizumizu。自宅からすぐの吉祥寺に、さほど有難味は感じていなかったが、バリ島に来て逆に、吉祥寺が若者に人気で、住みたい街の上位にランクされているの理由がわかった気がする。吉祥寺って、やっぱいい街なんだな。↑モンキー・フォレスト通りでの一番の感想がコレ・・・とはいえ、モンキー・フォレスト通りでは、吉祥寺では絶対に出会えない風景に会える。メインストリートのすぐ裏に、こんなふうに田んぼが広がっていたりする。あるいはこんな狭い路地が、メインストリートからどこかに通じていたりする。ムカデの足のように、メインストリートから伸びたたくさんの路地。少し広い路地だと、やはりびっしり店が並んでいる。素朴な家屋の店は雰囲気があるのだが、例によって、置いてるモノは同じで、ちょっと見てると、「安いよ」「いくらなら買う?」「ディスカウント」とワンパタの売り込みが寄ってくる。疲れる。「何か買った?」とガイド氏に聞かれ、思わず、「何も。店はつまらなかった」と言ってしまったら、勝ち誇ったように、「だ・か・ら、言ったでしょ。こういうところの店はダメだから」確かに、売っているモノだったらガイド氏が連れて行ってくれた雑貨店のがいい。質のいい日本人好みのものが全部揃っている。けど、そういうベルトコンベア式ショッピングだけでは、まったくおもしろくないってことを、ガイド氏は理解しているのかな。「どこも置いてるもの同じじゃん」などと悪態つきつつ、それでもどこかに気に入る店はないかと、ブラブラ宝探しして歩く楽しみもなくっちゃね。
2010.03.18

<2月14日のエントリーから続く>1ヶ月ぶりに再開します。終わってなかったバリ島の旅行ネタ。キンタマーニ高原からウブドの町へ向かう途中で、ガイド氏に連れて行ってもらった。ヒンドゥー教寺院「ティルタ・エンプル」(拝観料:6,000ルピー、60円)。湧き水を聖水として崇めているらしい。こうした聖水信仰は日本にもあるが、ヨーロッパのケルト民族にも見られる。フランスのシャルトル大聖堂は、ケルト人の聖水信仰の地に築かれている。ヨーロッパに根強いアニミズム偏見はおそらく、一神教のキリスト教徒が征服し、駆逐したケルト民族がアニミズム信仰の民であったことと無縁ではないと思う。熱帯の島らしい、緑したたる巨木とバリ・ヒンドゥーを象徴する割れ門。天気は悪かったのだが、しっとりとした霧めいた空気が、「観光の島・バリ」が元来もっていた神秘的な魅力を返って露わにしてくれるようだった。南ヨーロッパのシチリアも花があまりにきれいだったけれど、バリ島も、花と思いっきり広がった緑の葉の取り合わせに、何度となく心を奪われた。この島の主役はやはり植物と鳥かもしれない。バティック染め(たぶん)の民族服でゆかしく歩く土地の人々。男性も女性も長い布を腰に巻いて。その後ろ姿がたとえようもなく美しい。大木の下にはお供え物。いわゆる巨木信仰――もちろん、日本と共通している。女性器と男性器が対になったご神体。これもあまりに日本と同じで驚く。日本にもかつては性器をご神体として拝む神社が数多くあった。西洋化とともに、多くが隠されてしまった(野蛮だ、卑猥だと、あいつらウルサイからね)が、バリ島では、一般人が堂々と拝んでいる。お供えものを置く人々。バリ島の人は、本当にまめにお供えをする。地面に置かれているのもあるので、よい子の観光客の皆さんは、踏まないように気をつけましょうね。これは、現地語で「クルクル」。クルクルとは「鐘」のことだとか。日本語の擬音語はインドネシア語からきたという説もある。また、古事記の海洋神話のルーツはインドネシアにあるとも。そういえば、沖縄料理の「チャンプルー」も、ほぼ同じ発音の同じような料理がインドネシアにある。海伝いに文化が伝来したのは十分ありえる話だが、インドネシアと日本の間にあるフィリピンには、そうしたものがあまり残っていないというのも不思議だ。実際、フィリピンに行って日本の風俗・風習に似たものがあると感じたことはないのだが、バリ島ではビンビンに感じた。小さな島ゆえに、原始的なものが残ったのかもしれない。地べたにベタンと座る風習も、実は日本も昔そうだった。古い絵巻物などには、町角で地面に腰を降ろして話し込んでいる町人やら武士やらの姿が、しばしば描かれている。こういう風習が嫌われるようになったのは、いつぐらいからなのかな? やはりカネで「名誉白人」の地位を買って、それで白人と同等になったと喜んでいた時代ぐらいから?とすると、最近の若者が地べたにベタンと座ってしゃべっているのは、案外由緒正しき先祖帰りかもしれないな(笑)。こちらがお寺のハイライト、湧き水の出る池・・・しかぁし。雨だったせいか、さっぱりきれいじゃない。「晴れているととてもキレイです」と、ガイド氏が残念そうにフォローする横でMizumizuが内心思っていたのは・・・「弁天池と変わらんじゃん!」ということ。これが、その弁天池。弁天池を知らないであろう多くの日本人のために説明しておくと、それは山口県美祢郡にある別府厳島神社(←九州の名所と広島の名所をパクったとしか思えないお名前)にある湧き水の出る池のこと。こちらのサイトをどうぞ。あらためてこのサイトを見ると・・・ティルタ・エンプルと別府厳島神社って、ソックリじゃあ、ありまへんか?弁天池はMizumizuの実家からスグ。ティルタ・エンプルまでは、日本から飛行機に7時間半乗り、ガイドを1日90ドルで雇ってホテルからはるばる・・・とはいえ、この沐浴が見られたのは興味深かった。湧き水の出る池のすぐ下で、体を清める人々。「禊ぎ」の宗教的イメージとはほど遠い。どっちかというと、家族みんなでシャワー替わりに入っている・・・って空気。聖なる水のはずが、池にペッとツバ吐いてるオジさんまで。オイオイ。オバさんが、「ほら、早く洗っちゃいなさいよ」なんつってる雰囲気。バリの人たちの信仰には深刻さがない。ここでも、体きれいにして、ついでにご利益もあったらいいな・・・とチャッカリしている感がある。宗教行事を身内同士のイベントにしてしまう庶民のいいかげんさとしたたかさ――これも、ちょうど日本人が年始に1度だけ、家族や友人とご利益もらいに神社に初詣に出かける、そのノリに似ている。日本人は全然信心深くないのに、あの初詣だけはなくならない(それも、キリスト教徒でもなんでもないのに、クリスマスだなんだと騒いだすぐあと)。本当に不思議な民族だ。バリ島の人々も信仰や風習をとても大切にしているのだが、どこか緩くて、適当な部分がある。それが極東の島国の住人と、変に共通しているのがおもしろい。ガイド氏も、「私はバリ島生まれだから、ヒンドゥー教徒です」と言いながら、「でも、牛食べちゃいます」「断食は・・・おなかペコペコになるから、食べちゃいます」とのこと。そういえば、「神さん構うな、仏さんほっとけ」と昔、そこらのオッサンが言っていたが・・・それが一番平和で賢いかもしれない。
2010.03.17
未開封の新品ピローケース(西川)をオークションに出しましたので、たまたまタイミングよく「そろそろ枕カバーかえるべか?」とお思いの方がいらしたら、入札ください。オークションはこちらです。こちらの商品の色違いかと。特にレアものでもなんでもありません。開封していないのですが、袋越しに見た感じでは、織り目が細かく、軽やかな布地のよう。西川のピローケースには、粗い織り目の厚手のものもありますが、これはどちらかというと夏に気持ちのよいサラッとしたタイプではないかと(経験にもとづく予想なので、はずれたらすいません)。ヨーロッパの高級ブランドが出している、プリントは美しいものの、すぐに布が薄切れてくるピローケースと違って、西川製のピローケースは丈夫で寿命が長い気がしますね。全般的に質はいいと思います。オークションでの不用品処分は、買うほう(落札者)にとっては、どうしても「送料」がネックですね。今回も1つから入札できるようにしてありますが、1つでも2つでも送料は同じなので、正直2つご入用の方でないと、コスト的なメリットがあまりありません。で、楽天オークションの場合は、金銭のやりとりに楽天が間に入ってくれるのは安心感があっていいのですが、出品者にとってネックになるのは、システム使用料のほかに、「振り込み手数料」が出品者もちになるということ。数百円の不用品処分では、楽天に払う諸費用を考えると手数ばっかりかかってモトが取れないのですね。ヤフーオークションのほうが自由度が高いので、取引が活発なのも頷けるというもの。ただまあ、安心感では楽天オークションかな・・・という気もしてますが。
2010.03.16
<続き> この映画がひどく政治的である理由のもう1つは、原作者のヴェルコールがメルヴィル監督に、レジスタンス活動家による「検閲」を映画化の条件としたためだ。完成した作品を見て、レジスタンス活動家の1人でもNGを出せば、公開はさせない--このやり口は、まるで旧ソ連の共産党政権下での言論統制のようだ。原作者とレジスタンス活動家に配慮したのか、映画の最後には、「この小説はナチス占領下の1942年、愛国者によって出版された」という文言がわざわざ入る。ドイツ人将校ヴェルナーがパリの街を歩いているときも、アウステルリッツの戦いの勝利を称える凱旋門の石碑だの、ジャンヌ・ダルクの彫像だの、フランス人の愛国心を煽るようなモニュメントがさかんに出てくる(それを見て、ヴェルナーのほうは、自分の理想が幻想に過ぎないことに目覚めていく)。自由の希求を謳ったはずの作品が、逆の意味で非常に不自由な条件のもとで制作されたという事実。この作品を見るときには、鑑賞者はこうした背景を含んでおくべきだろう。だが、ジャン・コクトーがメルヴィル監督を気に入った理由を、この作品に色濃い「フランス愛国主義」に求めるのは、完全なる間違いだと思う。占領時代、ジャン・コクトーは確かに対独協力派からの猛烈な攻撃を受けた。それは主に俳優のジャン・マレーとの「不道徳な関係」が原因であって、コクトーの政治的立場とは直接関係がない。個人的な友情を何より重んじるコクトーは、対独協力派フランス人どころか、ヒットラーの側近である彫刻家アルノ・ブレーカーとの交流を続けていた。この態度がのちに、コクトー自身対独協力派だったのではないかというあらぬ疑いをかけられる原因にもなる。また、コクトーはフランスが世界に冠たる文化国家であることを誇りにしていたが、フランス政府や一般人の態度についてはかなり批判的だ。フランスを偉大にしたのは誰か? ヴィヨンであり、ランボーであり、ヴェルレーヌであり、ボードレールだ。このお歴々が皆、留置場に押し込められた。人々は彼らをフランスから追放しようとした。病院で死ぬにまかせた。(ジャン・マレー著「私のジャン・コクトー」岩崎力訳、東京創元社)コクトーのこの言葉は、フランスの名声を世界に高めた詩人がいかにフランスに冷遇されたかを皮肉ったものだ。どうみても、いわゆる愛国主義者の言葉ではない。また、コクトーは占領時に以下のような、彼なりの「抵抗論」を書いている。戦ってはならない。フランスはアナーキーの伝統という秘密兵器をもっている。それは強大な民族をも戸惑わせる力をもっている。戦ってはならない。侵入したければするがいい。フランスはあなたがたを打ち負かし、最後にはあなたがたを支配するだろう。(前掲書より)レジスタンス活動家とは一線を画した思考のもち主だったコクトーが、では、なぜこの作品を気に入ったのか。その秘密を解く鍵は、老人と青年将校の「関係性」にあると思う。小説『海の沈黙』では、老人の姪の心理にスポットが当てられている。フランス贔屓のヴェルナーは姪に惹かれているが、姪のほうも紳士的なヴェルナーに次第に惹かれていく。そうした心理的葛藤の後、去り行くヴェルナーに、「アデュー」と一言告げるのが小説のハイライトだ。ところが、映画『海の沈黙』では、監督のメルヴィルの関心はむしろ、老人が青年将校に抱く不思議な共感にあるように見える。ヒロインは存在感が薄く、脇に追いやられている。もともとメルヴィルとは、『白ゲイ』、じゃなくて、『白鯨』の作者ハーマン・メルヴィルから取ったもの。監督自身、「男による男だけの世界」に引き寄せられる体質だったことがよくわかる。映画は、老人のナレーションと青年将校のモノローグで進行していく。老人は青年の心理にぴったり寄り添い、その想いを代弁する。たとえば、激しい雨の晩、外出先から戻ったヴェルナーは老人と姪がくつろぐサロンに直接入ってくるのではなく、自分の部屋に戻って、服装を正してから挨拶に来る。それが、「威厳を損なうような格好を見せないため」であることを、老人は理解している。礼節を重んじるヴェルナーに対して、シカトを続けるのは、「つらい」と老人は感じている。彼が姪に惹かれていることも察している。沈黙を続けながら、老人は常に青年の心を思っている。非常に印象的なのは、老人の青年を見つめる「まなざし」だ。老人とは思えない強く、鋭い、強烈な意志を感じさせる。それもそのはず、老人役の俳優ロバンは、撮影当時は30代半ば。実際には老人ではなかったのだ。ヴェルナー役のヴェルノンが1914年7月生まれ、ロバンは1913年12月生まれ。つまり2人はほとんど同い年といってもいい。ヴェルナーを見つめる老人の射抜くような視線は、表向きは激しい抵抗の意思を示したものとして描かれているが、それだけではない「何か」が漂っている。たとえば、老人がドイツ軍本部に出向いて、そこでヴェルナーと視線を交わす場面。ヴェルナーは鏡に映った老人の視線に気づいて、一瞬たじろぐ。そして、鏡から視線をはずし、老人と眼を合わせ、何か話しかけようとしたあと、そっと頭を下げる。その遠慮がちの態度は、猛禽類に狙われた、いたいけな小動物めいている。ラスト近くでも、2人の視線が絡み合う。パリで上官や長年の親友の無慈悲な態度を見てナチスドイツに絶望し、自ら前線への配置転換を願い出たヴェルナーが、老人と姪の暮らす家から出ていこうとする場面。戸口のそばに置かれた本を開くと、そこには、切り抜かれたアナトール・フランスの言葉。それを読んだヴェルナーがはっとしたように振り返ると、そこにはまた、部屋の隅から自分を見つめる老人の燃えるような視線がある。そこで音楽が急に、切なく激しく盛り上がり、ここが映画のハイライトであることを強く示唆する。老人がわざわざ青年に読ませたアナトール・フランスのメッセージは謎めいている。「罪深き命令に従わぬ兵士は素晴らしい」。この解釈は幾通りにも可能だ。それは見るものに委ねられている。昨今の「説明しすぎ」の映画にはない態度だ。Mizumizuには、老人が青年に「(前線なんかに)行くな」と言っているように思えた。そう解釈した理由の1つは、パリで会った親友の変貌ぶりに絶望したヴェルナーの涙ながらの独白を聞いたときの老人の態度。これまでかたくなに沈黙を保っていた老人が、ヴェルナーに何か言おうとするのだ。それもかなり勢いこんで。ところが、それをヴェルナーが止める。「私と話してはいけない。あなたはあなたの抵抗を貫くべきだ」と言わんばかりに。そこで老人は再び沈黙し、前線に復帰するというヴェルナーの決意を聞く。彼と彼の間にある、越えられない境界線。最初ヴェルナーは、フランスへの共感と未来への明るい希望を言葉にすることで、その境界線を越えようとした。だが、やがてそれが許されざる宿命だと悟り、自ら去ることを決意する。最後の最後に、アナトール・フランスの言葉に託して老人は、「もう一度境界線を越えてこちらに来い」と言ったのではないか。フランスの文学を愛し、支配者ではなく友人として自分たちと接しようとした心清きドイツ人将校。むざむざ命を捨てるような前線に、老人は青年を行かせなくなかったのではないか。彼ほど彼の心情を理解した人間は他にいなかったのだから。ヴェルナーも姪のいる家に未練があった。出発の手伝いをするために部下が部屋をノックしたとき、彼が彼女の来訪を期待していたことは明らかだ。ヴェルナーがメッセージを読み、老人と視線を交わしたあと、部下がやってきて、出発の準備ができたとヴェルナーに告げる。そこでしばらく沈黙が流れ、ヴェルナーの「Ich komme(今、行く)」という台詞が来る。このときヴェルナーは部下も老人も見ていない。「私は行く」--これは、部下への返事という以上に、老人への返答のように聞こえた。これがヴェルナーの最後の台詞だ。そのままカメラは老人の視線となり、戸口から出て行く青年のたくましい後姿を追う。彼はドイツ人らしく、規律に殉じることを選んだのだ。その内面の苦悩を誰よりも理解したのは、敵として存在するほかないフランス人の老人だった。『海の沈黙』が愛国と反ナチ勢力に取り巻かれつつも、凡百のプロパガンダ映画で終わらなかった理由も、触れ合うことを許されない魂の間に生じた微妙な電流を、陰影に富んだ独特の映像美で描出できたことにある。老人は立ち尽くし、青年が開けたまま出て行ったドアの方向を見つめ続ける。外の見える開いた戸口、老人――このショットが3度も繰り返され、最後に老人が眼を伏せ、肩を落とす。ああ、彼は行ってしまった――声にならない老人の声が聞こえてくる。哀しくも美しい、2人の人生の別れ。老人の留まる部屋は暗く、青年が出て行った戸口の外は明るい。だが、彼が向かったのは、この世でもっとも暗い地獄なのだ。ジャン・コクトーが『恐るべき子供たち』をメルヴィルに撮らせたいと思ったのは、この老人が青年にむけたプラトン的視線ゆえだと思う。『恐るべき子供たち』で核になるのも、ダルジュロスとポールの関係性。ダルジュロスの出番は少ないが、ポールは常にダルジュロスに支配され、彼に導かれるままに死の世界へ旅立つ。もう1つ理由があるとすれば、青年将校役のスイス人俳優ハワード・ヴェルノンが完全に「ジャン・マレー風」の演技を披露していることだろう。この映画が撮影された当時、マレーはフランス一の人気イケメン俳優だったから、その演技スタイルの影響を受けたとしても不思議ではない。『美女と野獣』の話題も出てくる。話題にするのは映画ではなくて小説のほうだが、『海の沈黙』の撮影の前年にコクトーの映画『美女と野獣』が封切になっている。コクトーは、自分の映画の影響を、ヴェルナー役に見たのかもしれない。それにしても・・・岩波ホールは、シニア世代でいっぱいだった。20代はほぼ皆無。戦争あるいは戦後の混乱期を体験した世代は、若いころはレジスタンス活動に対して気真面目なシンパシーをもっていたのではないかと想像するのだが、年齢を重ねた彼らが今、この映画をどう見たのか聞きたい気がした。
2010.03.15

岩波ホールに『海と沈黙』を見に行った。ジャン・ピエール・メルヴィル監督の処女作で、この作品を見て感銘を受けたジャン・コクトーが、それまで誰にも許諾しなかった『恐るべき子供たち』の映画化をメルヴィルに託すことになった。原作は、レジスタンス文学の傑作とされるヴェルコールの小説。第二次大戦下、自宅をナチスドイツに接収されたフランス人家族(といっても叔父と姪)が、「沈黙」で支配者であるドイツ人将校に抵抗するという物語。だが・・・日本ではほとんど触れられない事実がある。ジャン・ピエール・メルヴィル監督の本名は、ジャン・ピエール・グルームバッハ。苗字が明らかにドイツ系なのはアルザス出身だからで、しかも、彼はユダヤ人。そして、ヒロインを演じた女優、ニコール・ステファーヌ。彼女の本名はニコール・ド・ロスチャイルド。言うまでもなく、大銀行家ロスチャイルド家のおぜふ様なのだ。もちろん生活のために女優なんぞをやる必要はない。と言っても、勉強熱心なユダヤ人の例にもれず、彼女も真剣に演劇の勉強をしているし、出演した作品ではそれなりの存在感と演技力を見せている。のちにイスラエル建国にもジャーナリストの立場から尽力している。メルヴィル監督は低予算で苦労して映画を作った--というような美談ばかりが喧伝されているが、それは少しおかしいと思う。資金援助をしたのは、当然ニコールの実家で、だからこそ彼女が主役を務めた。世界有数の資本家なのだから、映画作りのカネくらい、出そうと思えば、もっと出せたはず。それが「低」予算だったのは、つまり、大富豪のロスチャイルド家が「渋かった」ためだ。『恐るべき子供たち』でもニコールの従姉妹のヴェズベレール夫人が資金提供をして映画化が実現した。もちろんユダヤ人だ。コクトーはお金持ちで、何不自由なく好きな芸術活動を思い切りできた・・・などという誤解が広まっているが、実際のコクトーは何をやるにもスポンサー探しに苦労している。南仏の教会の壁画を描くための資金を集めるのに大変な思いをしたのに、それを取材に来たテレビ局の番組の予算が、自分が作品を描くためにかき集めた資金より上だったと聞いて、ジャン・マレーに怒りをぶちまけている。『恐るべき子供たち』で生じたユダヤ人との友情をコクトーは生涯大事にし、サインに添える星をダビデの六角形の星に変えている。だが、ヴェズベレール夫人がイスラエル国籍を取得したことは長い間伏せていた。ユダヤ資本の映画への進出がいつごろから本格的になったのかは知らないが、この『海の沈黙』は、フランス人のレジスタンス活動に相乗りした、ユダヤ人による反ナチプロパガンダ映画の「はしり」のような側面をもつ作品なのだ。2007年だったか、ロスチャイルド家の当主が東京に居を構えたとかいう噂が流れた(その後すぐパリで死亡が伝えられた)、ここにきてユダヤ人監督がロスチャイルド家のお嬢様をキャスティングした大昔の作品が映画館で公開(しかも劇場初公開)になるってのは・・・単なる偶然でしょうかね?ポスターもロスチャイルド家のお嬢様のアップ・・・ 演技は別に悪くはないのだが、これだけ台詞が少なく、しかもドイツ将校に想いを寄せられる役なのだから、もうちょっと容姿に華がある女優が演じるべきではなかったかとチラリと思う。映画作りにはこうした裏事情が付きまとい、わかりやすい商業化がさなれればなされるほど、スポンサーのプロパガンダ精神がいかんなく発揮されることになる。当然と言えば当然のことだ。アカデミー賞なんて、それの最たるものじゃないだろうか? 所詮はアメリカ人のご都合主義の価値観と政治的思惑によって決まる受賞作品を、日本人がいつまでたってもやたらとありがたがって見に行く姿は、多少滑稽ですらある。反ナチプロパガンダ映画は、常に紋切り型の絶対悪としてナチスドイツを描く。それは、ある意味でラクな選択だ。ナチスを美化するわけにはいかない。絶対悪として描けば、どこからもとりあえずクレームはこない。だが、こうしたプロパガンダ映画に共通して欠落した視点は、「なぜドイツ――世界でもっとも民主的な選挙制度をいち早く築いた国――の人々が、ナチスを支持したのか」「なぜユダヤ人迫害を、ヨーロッパの多くの人々が見て見ぬ振りをしたのか」という点だ。こうした点を避けて、ナチ=問答無用の絶対悪として断罪しているだけでは、結局は、違った絶対悪が世界の密かにどこかで台頭してきたときに、歴史はそのストップ役を果たさない。実際、イスラエルがパレスチナでやっていることは? 自分たちの革命――それは最初暴動から始まった――やレジスタンスを美化したフランス人が、アルジェリアでやったことは? あるいはタヒチの暴動の際に取った態度は? 「ホロコースト」と「レジスタンス」をさかんに世界に吹聴して回った2つの国が、今はむしろ告発されるべき立場にあり、それをさまざまな手段ではぐらかしているという現状はあまりに皮肉だ。『海と沈黙』でも、きわめてわかりやすいナチ=絶対悪の図式が展開される。たとえば、フランス人家族(叔父と姪)の家を接収したドイツ人将校は、基本的に純粋な性格だ。彼がパリに行き、絶対悪に染まった上司やかつての友人と会話してその罪深さに衝撃を受けるシーン。上官は、フランスの文化・精神を破壊しなければいけないと主人公にまくしたてる。主人公の青年将校は音楽家だが、フランスの文化、ことに文学に憧れをもっていた。「文学ならフランス。でも音楽ならドイツ。我々は戦争をしたけれど、これからは結婚すべき。この2つの国が融合すれば、どれほど偉大な国になることか」と、彼は自分を無視して沈黙を守るフランス人の老人(叔父)とその姪に熱く語っていた。つまり、それは一種の「ヘレニズム的理想」だったのだ。ヘレニズムとは、アレクサンダー大王の東方遠征により、オリエント文化とギリシア文化が融合して生まれた文化を指す。その概念を提唱したのは、19世紀のドイツ人歴史家だ。彼らの根底にあるのは、結局のところ東洋に対して常に文化的・倫理的に優位にたつ西洋が、遅れた東洋を啓蒙したという考え。これは軍事力による支配を正当化する理由付けとして、今日に至るまでしばしば利用される。そのくせ、モンゴルによるヨーロッパ侵攻は、あくまで野蛮な侵略と強奪であって、そこには何らの文化的意義も認めようとしない。純粋なドイツ人将校の「文学の国・フランスの音楽の国・ドイツの結婚」という空想も、結局は支配者の手前勝手な押し付けにすぎない。老人と姪は沈黙をもって、この押し付けを拒否する。青年将校は、パリで上官と会話することで、自分の理想が単なる絵空事だったと知る。そして、上官から聞いた戦慄すべき事実。それはアウシュビッツの話だ。「今は1日500人殺している。やがて1日2000人殺せる装置ができる」。むしろ得意気に話す上官の姿に観客は、ナチスドイツの非人道的思考を激しく嫌悪することになる。のだが・・・冷静に考えてみよう。1日500人殺しただけでも、その死体の処理は大変だ。それが2000人に増えたら? もちろん殺すのも大変だろうが、2000人の遺体処理・・・ どれほどの焼却設備が必要になることか。ドイツ人がいかに働き者でも、想像を絶する作業ではないだろうか?「1日2000人殺すつもり」――この数字に裏づけがあるのかないのかについて、Mizumizuは論じるほどの知識はもたない。常識的には考えにくい数字だと思うだけだ。だが、裏づけがあろうとなかろうと、映画で残忍そうな軍人が得々と話せば、ナチスの残虐性が一瞬で強く印象づけられることになる。非常に有効なプロパガンダだ。もう1つ、こちらのほうがMizumizuにとっては不愉快だったのだが、この映画に色濃い、「ドイツ人、悪いでしょう」の図式だ。青年将校は、「自分はドイツ女性が怖い」などと言う。いやしくもドイツの軍人がフランス人女性の前で、自分の国の女を悪く言うなんて設定がそもそも信じられないのだが、彼によれば、結婚するはずだった女性が森で虫に刺されたとき、「罰してやらなきゃ」と言いながら、虫の脚を1本1本むしったのを見て嫌悪感を覚え、結婚話を反故にしたのだという。ゲシュタポによるレジスタンス活動家への拷問が凄惨を極めたことは、多くの証言から疑う余地はない。それを彷彿させるようなエピソードなのだが、見ていて気分が悪いのは、ドイツ人は普通の女性でさえ、そうした残虐性をもっていると印象づけようとする意図が感じられることだ。かつての西部劇ではインディアン(ネイティブ・アメリカン)が徹底して悪者だった。インディアンならどれほど野蛮で残虐に描いてもオッケー、という時代が長く続いた。『海と沈黙』でのドイツ女性のこのエピソードは、昔の西部劇でのインディアンの描き方に共通する、それこそ「野蛮な」悪意がある。そこにいくと、ルキーノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』でマルティンを通じて描かれたナチスの戦慄すべき悪の姿は素晴らしい。マルティンは、エッセンベック財閥の1人息子で、母親の退廃を見てナチスに傾倒していく。母親は一族の内紛に勝利するためナチスを利用するのだが、やがて息子に裏切られ、自殺に追いやられる。最初はうまく利用するつもりだっただけのナチスに息子を取り込まれ、破滅する母。その母の遺体に向かって、敬礼する軍服のマルティンは、怖いぐらい冷たく、美しい。人間的な情を完全に喪失したマルティンの顔が美しければ美しいほど、ナチスという悪が1人の内面を占拠し、魂をとことん蝕んだ現実が否応なしに突きつけられる。これこそがナチスの真実ではないだろうか? あるいは、あらゆる「カルト」の? マルティンは最初から悪人だったわけではない。むしろ権力欲に取りつかれ、親族殺しさえ厭わない母の度を越した悪行を目の当たりにして、若者らしい憤怒に駆られたという側面もある。歪んだ正義感がこころの中で暴走した結果、彼は、さらに大きな悪の下僕となってしまった。そこに単に「ナチス=悪」を超えた、普遍的な人間の業に対する警告をMizumizuは見るのだ。<続く>
2010.03.14
追記:先日のリレハンメル・オリンピックのビデオオークションは、早期終了いたしました。あまり値段がつりあがってしまうのは本意ではありませんので・・・たくさんの入札、ありがとうございました。
2010.03.12
またもレア物ビデオのオークション出品のお知らせです。アメリカで販売された(当然日本未発売)、1994年リレハンメルオリンピックのフィギュアスケート競技のダイジェストとエキシビションがそれぞれ1本ずつ、2本1セット(65分x2本)になったビデオ(DVDではありません)を楽天オークションに出品しました。こちらです。http://auction.item.rakuten.co.jp/10896449/a/10000008興味のある方は、入札ください。アメリカではオリンピック後にフィギュアスケート関連ビデオが発売になるのが恒例だったのですね。当然字幕はありませんが・・・まあ、たいしたことはしゃべってません。残念ながらアメリカ選手中心の作りで、日本選手はまったく登場せず。佐藤有香がショートの連続ジャンプで失敗しなければ、あるいは彼女が入ってきたかもしれませんが、エキシビションのほうにも、入っているのは1つ上の順位だったスルヤ・ボナリーまで。<競技のダイジェスト>ナンシー・ケリガン殴打事件があった直後のオリンピックなので、トーニャ・ハーディングとケリガンの練習風景を追いかけた、貴重な映像・・・というか、余計なお世話ショットが入っています。競技はほとんどダイジェストで、比較的長く録ってくれている選手と、本当にジャンプ1つだけしか入っていない選手と、大きな差があり。男子:金メダリストになった若きウルマノフの衣装と奇妙なクラシック音楽の編集にビックリ。衣装はたっぷりとしたスリーブ、両肩にタッセル(色のインパクトではピンクのジョニーには負けるものの、2つくっついてるところで勝ってるな)、首もとにフリル、胸にフリル、手首にフリル・・・すごい・・・ミスター・フリルと呼んであげましょう。今ここまでのコスチュームを着たら、返ってお笑いかと。音楽の編集は・・・なんなんだろう、これ? つながりがサッパリわからない。「これでいいのか? ロシア!」と思わず突っ込みたくなるプログラム構成。いや、よかったんでしょう、当時はこれで。エキシビションのペトレンコ(←バンクーバーでジョニーの隣りに座っていたロシア人のおじさんね)の音楽編集も、ひどいものひどくシュールだった。銀メダリストになったのは、今やカナダの良心と化した(?)エルビス・ストイコ。なんと、「この1週間で初めて見た」と解説者が驚いたトリプルアクセルのパンクを演じてしまったあと、ジャンプ構成を替えて、トリプルアクセル+トルプルトゥループ、後半に単独トリプルアクセルを決めたところが、さすが。銅メダリストになったフランスのキャンデロロのフリー演技「ゴッドファーザー」は、かなり長く収録されている。技術的には、この人は、たいしたことはやっていないのだが・・・たいしたことやっていないにもかかわらず、非常に雰囲気があり、華がある。2度のトリプルアクセルは、最後の最後にもってきた単独が大失敗。トリプルアクセル2度は、本当に男子でも大変なのだなあ・・・途中、「お休み」しながらのよくわからないポーズには、アナウンサーも、「アッハッハ」。そのほか、プロからアマチュアに復帰して参戦したカート・ブラウニング、ヴィクトール・ペトレンコ、ブライアン・ボイタノが次々にジャンプで失敗するシーンが・・・特にカートのインタビューでの涙、「どうしてオリンピックは、ぼくを好きになってくれないんだろう」には、しんみり。カートのショートプログラムは、小塚選手が今年演じたプログラムの源流のような現代的で洒落た作品。解説のスコット・ハミルトンも、「ぼくの意見では、このショートがベスト」と言っていた力作だったのに、難しい連続ジャンプを決めたあと、フリップジャンプでコケ、ダブルアクセルがパンクするという信じられない連鎖ミス。ボイタノもイーグルのあと、すぐに片手をあげてトリプルルッツを跳ぶという難しいエントリーのジャンプを決めたあとに、ジャンプミス・・・ しかし、この人の男性的な力強さは凄い。女子:金メダルはオクサナ・バイウル。なんと公式練習でドイツのシェフチェンコ選手と激突して、脚を縫うケガを負ったのだが、その衝突直後の流血映像が入っている。アクシデントにもめげずに、まとまった演技を披露して金メダリストに。ジョニー・ウィアー選手が感銘を受けたという、バレエ的な表現はさすが。これだけバレリーナに迫る腕の表現ができる選手は、その後ほとんど見た憶えがない・・・ コーチのガリーナさんも映っている。さほど今と変わらないような?ついさきごろ、バンクーバーでジョニーとの2ショットを見たあとなので、16年も前のオリンピックのビデオにも映っているというのが、不思議な感覚。ナンシー・ケリガン。バンクーバーの直前に、親族の事件がニュースになってしまった人。この選手は・・・スケートの基礎は非常にしっかりしています。ジャンプもクリーンに降りて、しっかり「キメ」のポーズ入れてます。ますが、しかし・・・おもしろくもなんともない演技。これでショート1位、総合でも銀メダルまで行ってしまうのだから、フィギュアというのは評判と国力が昔からモノを言う世界だったのだな。銅メダリストはルー・チェン(陳露)。ほんのちょっとしか出ず。アジア系はどうでもいいって扱い(アメリカ恒例)。カタリナ・ビットも一瞬映っている。音楽はロビン・フットのよう。バンクーバーではランビエールがショートで使った。ペア金メダルはゴルデーワ&グリンコフ。演技に出て行く前に、ゴルデーワさんの髪を直してあげているグリンコフの姿に感動。愛が溢れていますね。ああ、それなのに・・・(以下、自粛)。演技が始まる前の2人の見詰め合いだけで、もうあてられっぱなし。誰も入れませんね~。誰も勝てませんね~。本当に2人だけの世界です。ああ、それなのに・・・(以下、自粛)。フリーの演技のあと、ゴルデーワが何か言っているのは、ジャンプミスが気になってグリンコフに確かめていたそうな(これは後にゴルデーワ選手自身が話していた)。でも、グリンコフの手を優しくにぎって話しかけている様子は、とてもそんなテクニカルな話をしているように見えない。本当に容姿端麗な理想のカップル。ああ、それなのに・・・(以下、自粛)。ミシュクチョノク&ドミトリエフなんとなんと試合の前の練習で、リフトを失敗し、ミシュクチョノクが臀部をしたたか打つというアクシデントがあったとか。コーチのタマラさん(バンクーバーで川口ペアのコーチだったロシア人女性)がインタビューで、「もう大丈夫、彼らの準備はできたわ」と答えてるシーンが入っている。タマラさん、ガリーナさん、そしてもちろん我らがタチアナ・タラソワ・・・ロシアの女性コーチは、本当に長くフィギュアスケートの世界に貢献している。追記:先ほど入ってきたニュースでは、ドミトリエフの息子さんがジュニア世界選手権で7位に入ったとか。1位は羽生選手。銅メダルはカナダのブラスール&アイスラー。アクロバチックな演技が素晴らしい迫力。ただ・・・やっぱりペアはロシアでしょう、滑りの美しさが格段に違います。アイスダンス一番の目玉は、アマチュア復帰したトービル&ディーン。絶大な人気を誇ったイギリスの最強ダンスペアに挑んだのは、ロシアの(当時)若手グリシュク&プラトフ。タラソワが出ないかな、と思って見ていたのだが、残念ながら姿なし。この2組の採点については・・・トービル&ディーンに反則技があったことになってしまった。あれはロシアの陰謀だったのか?(←冗談ですよ)。<エキシビション>こちらのビデオは、エキシビション演技がかなりちゃんと入っている。今ほどショー化しておらず、照明も明るいので、見やすい。リレハンメルのエキシビションを、これだけまとめてきちんと見られる機会は、もうほとんどないと思う。その意味で、このビデオは貴重。キャンデロロ・・・なぜか氷上で上半身裸に・・・技術的にたいしたことやってない、意味不明のパフォーマンスにもかかわらず、何をやっても会場は大ウケ。こういうスケーターが新採点システムになってからいなくなったなぁ・・・ペトレンコ・・・ううう、このペトレンコは・・・ややメタボになりかけている。さらに、いったんプロになってエンターテイメント性を取り入れたのか、明るいダンスを披露しているのだが・・・なんというか、変な動き。氷上のニワトリと言うべきか? プルシェンコの奇妙な動きを少しスローにして重たくしたというべきか・・・ウルマノフ・・・ううう、なぜにこの袖?? まるでウミウシを腕にくっつけて踊っているよう。ヴェルディからムソルグスキーまでゴタ混ぜの、変な音楽編集は競技と変わらず、いや競技以上。シャンプーハットを首に巻いてるのも・・・中世の貴族のイメージでせふか? このおそろしく時代がかったロシアン・センスと、モダンでシャープなブラウニングやボイタノが一緒に競技したってのが、本当にシュールな大会だ・・・どうやってアーティスティック・インプレッションに順位をつけるの? いや、幸いなことに、この大会ではジャンプのクリーンさが重視されたので、採点に特に不公平感はなかったのだ。「勝つために確率の悪い大技は跳ばない」なんて選択肢は、誰も考えていなかった時代。バイウル・・・サンサーンスの「白鳥」は、素晴らしい。彼女はこのころが人生でも、演技の面でもピークだった。アメリカでのその後の生活は・・・(以下、自粛)。ケリガン・・・これが銀メダリストかあ・・・きれいに滑ってはいるものの、あまりに単調。ジャンプも決まらない(試合で力を使い果たした?)。ワンパタなポーズを何度も繰り返すのは、バンクーバーのあの選手やこの選手のよう・・・トービル&ディーン・・・なんと名作「ボレロ」を披露している。ミシュクチョノク&ドミトリエフ・・・ペアなのに、アイスダンスのよう。独創的な世界観には、見ているこちらも完全陶酔。デススパイラルに入るときのミシュクチョノクの神秘的な表情にも目が釘付けに・・・ペアとしては、ミシュクチョノクがややオーバーウエイト気味なのだが、独創的な音楽使いといい、ムーブメントといい、芸術性が抜きん出て光るエキシビションナンバー。まさしく永久保存するにふさわしい傑作。ドミトリエフはこのあと、パートナーを若くスリムなカザコワに換えて、長野で金を獲った。技術的には長野での演技のほうがキズの少ない正確な演技だったけれど、作り出す雰囲気でミシュクチョノク時代を凌ぐことはなかった。カザコワ&ドミトリエフは「ペア練習用模範演技」のようだった。ゴルデーワ&グリンコフ・・・何も言えません。ベストオブベスト。ペアに3回転ジャンプ、要らないでしょ。この人たちを見ていると、シングルでやればいいそういう技は、ペアにはむしろ邪魔に思えてくる。氷の上に瓢箪形のトレースを描きながら、2人が交差したり離れたりする場面がある。このスケーティング、バンクーバーの金メダルペアもフリーでやっていたのだが・・・ハッキリ言います、雲泥の差。ブラスール&アイスラー・・・ペアのアスレチックな魅力を存分に味わわせてくれる。ブラスールの思いっきりのいいパンツのラインも・・・ゴホゴホ・・・
2010.03.11
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Be soulスター選手そのものをクローズアップした商品も。Bungee Price DVD TVドラマその他高橋大輔 (フィギュアスケート) / 高橋大輔 【DVD】こちらの商品、高橋選手の銅メダルで注文が殺到したとか? さすがにオリンピックの宣伝効果はすごい。 浅田真央、18歳こちらは、何歳まで続けるのでしょうか(笑)。浅田選手は、写真集も・・・MAO立て続けに写真集2冊とは、アイドル並み。彼女の美しさや才能を考えれば、それも当然かと。だが、オリンピック前に写真集発売やら取材インタビューやら、競技者としては少し忙しすぎたようにも思うのだが・・・【送料無料】浅田真央オルゴール MAO Music Box -3A×2/Dec.13,2008-【ドリームメーカー】こっ、これはいったい・・・誰に売るつもりの商品で? 確か、「トリプルアクセル2度記念」とかなんとかいうキャッチフレーズで去年売り出されていたものだったような。まあ、確かに女子選手でフリーに2度トリプルアクセルを入れて決めたのは快挙には違いない。にしても、よくわからないタイアップ商品だ。 安藤選手は自伝ですか? ちょっと早すぎるような・・・空に向かってなんと、漫画まで・・・安藤美姫物語ふだんはキス&クライにいるモロゾフも・・・キス&クライから愛をこめて(Side:kiss)あっ、間違った(わざと)。こっちこっち。キス・アンド・クライフィギュアスケート熱とオリンピックに便乗・・・もとい、タイミングを合わせた商品は、それぞれ工夫があるし、これで人々の関心の裾野が広がり、その結果選手の懐が潤えば、それはそれでいいことだと思う。こういう刹那の金儲けには、とっても目ざとい日本のメディア。だが、目の前で起こってる「異常現象」に何の疑問ももたず、優れた才能を盛り立てようとせず、消費だけを続けるなら、結局は「氷上の花たち」はただ疲弊し、ちょうど今のロシアのように、才能不毛時代に突入してしまうことは、ほぼ間違いないだろうと思う。
2010.03.10
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今は昔・・・久々に世界でトップ争いできそうな日本男子フィギュアスケーターが出てきたと聞いて、横浜(だったか?)に全日本フィギュアスケート選手権を見に行った。ブルーのコスチューム(確か)で、音楽はバッハの「トッカータとフーガ」(確か)で、理想的な放物線を描く、素晴らしいジャンプを跳ぶ少年--それが、本田武史だった。あのころは、全日本フィギュアスケート選手権なんてものは地味も地味だった。観客収容人数も少ないリンクで、それでも観客席には空きが目立った。テレビも4時台のTBSで30分ばかり放映する程度。試合自体がショー化して、テレビ局にとって都合のよい夜に演技が行われるようになったのは、いつぐらいからなのだろう?この傾向は、基本的には好ましいと思っている。人気が出て、ファンが増えれば、直接的あるいは間接的なビジネスチャンスが生まれ、それで潤う人が増える。フィギュアスケートという競技は選手生命も短く、競技生活を続けるためには莫大な資金を必要とする。リンクの使用料、コーチや振付師への報酬(有名なコーチや振付師につけば、それだけ多額の報酬を支払わなければならなくなる)、衣装や道具代、遠征費用・・・そのわりにはこれまで、あまりに選手や彼らを支えるスタッフに「見返り」が少なかった。いや、見返りどころが、選手の家族に金銭的な犠牲(それも多額の)を強いてばかりいる競技だった。「年間2000万かかる」など、アマチュアスポーツとは言えない。今も大半の選手にとっては、状況は好転したとは言えないかもしれない。だが、少なくとも、トップに上り詰めれば、いろいろな人生の可能性が開けてくるようになったことは、フィギュアスケート人気の高まりのもたらした、もっとも輝かしい側面だろう。バンクーバーオリンピックを控えて売り出された「選手関連商品」の多さにも、いまさらながら驚かされる。その中心にいるのは、もちろん浅田真央・高橋大輔・安藤美姫。この3人はやはり特別だな、と思う。もちろん彼らの後輩には有望株もいるが、彼らほどのスターになれるかどうか・・・つまりこの3人を凌ぐほどの「華」のあるスケーターが今後出てくるかどうか。Mizumizuはかなり懐疑的だ。やはり今が日本のフィギュアスケートの黄金期で、浅田選手・高橋選手が引退したら、この「フィギュア熱」も沈静化に向かう、向かわざるを得ないだろうという予感がある。だが、スター選手をダシにした商売には熱心でも、日本のメディアがここまでイカれたルールと採点に、まったく批判的視点をもたない(もてない)ことには、呆れるほかはない。「浅田真央とキム・ヨナの点差は、GOEの差だった」などと、ちょっとしたファンならとっくに知っていて、その信憑性に疑いの目を向けていることを、いまさら一般紙が大々的に書いて、無批判に肯定している。キム選手に与えられるGOEが他の世界トップ選手と比べて、いかに突出していて異常か。プロトコルは公表されているのだから、検証してみようという気にならないのだろうか。それが、いつから始まったのか。昨シーズンのグランプリファイナル(浅田選手が、「まさかのトリプルアクセルフリーで2度」を成功させてしまった試合だ)ぐらいまでさかのぼって、その後の試合のプロトコルを検証すれば、その尋常ならざる得点の暴走ぶりがよくわかるはずだ。「ルールに適応した指導法」などというオーサーの自慢話を真に受けて、バカ正直に紙面を割いてリピートしているだけ。「いったいなぜ特定の選手だけが、そうもルールに適応し、理解不能・検証不能の加点をどんどん積み上げているのか」に疑念をもたないというのが、「権威」と「プロパガンダ」に弱い今の日本の現状をよく示している。今のフィギュアスケートの採点の最大の問題点は、GOE加点・減点および演技構成点において、主観による「大幅な得点操作」が可能になってしまったこと。その歯止めがなくなってしまったことだ。その結果、オリンピックのメダルは見事に分配され、日本=男女1個ずつ(ただし金はなし)北米=アメリカは男子金、ただし女子はメダルなし、カナダは女子銅、ただし男子はメダルなし。ヨーロッパ=男子銀、女子メダルなしという、いい塩梅の結果になった。強豪国の2番手選手は、ショートで1番手の選手が自爆しなければ、点は上がってこない。3番手に仕分けされた選手は、何をやっても低得点。日本にはストイコもサーシャもいない。「キム・ヨナの採点はおかしいだろう」と突っ込むキャンデロロもいない。そんな日本のメディアだが、スター選手の「商品化」には、どんな国より熱心だ。ちょっとアイディアだな・・・と思ったのは、フィギュアスケートの演技に使われる楽曲をまとめてCD(DVD)化したもの。浅田舞&真央選手が今シーズン使用する楽曲を全曲収録。 バンクーバ五輪 SP曲『仮面舞踏会』フリー曲『鐘』収録浅田真央&舞スケーティング・ミュージック2009-10(DVD付) [CD+DVD]バンクーバー・オリンピックいよいよ開催!浅田真央をはじめとした、今注目されているフィギュアスケート選手の曲目をCD2枚に全32曲収録!!【バンクーバ五輪開催記念】フィギュアスケート・クラシックCD全32曲(CD2枚組)●"高橋大輔~フェイヴァリット・ミュージック~"CD(2010/2/3)フィギュアスケートの楽曲にはすぐれた作品が多いし、こうした商品が売れることで、知られざる名曲が認知されていくのは、音楽関係者にとっても朗報だと思う。特に高橋大輔のオールジャパンプログラム、「eye」は、音楽・振付・パフォーマーともに世界トップレベルの芸術性を備えた、画期的なものだった。ああいうプログラムは、モロゾフには作れない(もちろん、タラソワにも)。そういえば、こちらの記事の高橋選手の写真、フォトグラファーは日本人のようだが、モダンで都会的なセンスには光るものがある。特に、Born in Kurashiki, Okayama・・・というキャプションのついた写真は秀逸。このまま銀製リングの宣伝写真にもなりそう(笑)。オープンカラー(カラーとは色ではなくて、襟のこと)の黒いシャツと黒いトラウザーのシンプルな装いに、膝を抱えた物憂げなポーズ。高橋大輔という人のもつ、ナルシスティックで浪漫的(で、ちょいカルそう・・・)な雰囲気がよく出ている。<後へ続く>
2010.03.09
<続き> プルシェンコ選手に対するカナダからの中傷めいた攻撃はひどいものだった。北米に行くと、ロシア選手はいつも冷遇され、ときにあからさまな攻撃の対象になる。これが日本人選手ならとっくに試合前に精神的につぶれている。それでも、彼は失敗のない演技を披露し、「何様、オレ様、プルシェンコ様」のスタイルを貫いた。プルシェンコは真に偉大なアスリートだ。天才のなかの天才。ベストオブベスト。あの至高ともいえる身体能力、ひるむことを知らない強靭な精神力・・・・・・今回プルシェンコとジャンプで競ってくれるだろうと期待されていた、ジュベールやランビエールは次々4回転で崩れた。今の採点が、さまざまな方法で「操作」されているのは、(日本人以外の)有名コーチや選手があちこちでもはや公然と批判している。「ジャンパーには勝たせないぞ」ルールであることも、ジャンプに特別な才能をもった選手であればなおのこと実感しているはずだ。4回転を降りるのがどれほど難しいか、4回転は3回転とは全然違うのだ。4回転を跳べるのは「神に選ばれた」選手だけ。それを完成させるためには、膨大な時間と努力を要する。優れたジャンパーであればあるだけ、その「価値」の希少さがわかっている。今回の五輪のショート、4+3を跳ぶプルシェンコ選手と3+3しかないライザチェック選手と高橋選手が、ありえないほどの僅差。こうした「異変」が起こったとき、選手のこころに起こることは? 高橋選手やライザチェック選手は自信をもってフリーに行ける。トリノで優勝候補のスルツカヤ・コーエン両選手に迫る点をもらった荒川静香と同じだ。一方の「抑えられた」と感じた選手のほうは、不信感や憤りを自分の中でコントロールするのが大変になってしまう。スルツカヤはその負の感情を制御できず、トリノでジャンプをミスした、だがプルシェンコはそれでも乱れなかったのだ。傲然たる態度の裏で、凡人にははかり知れない努力をし、しかもそれを毛ほども見せない。まさにプルシェンコの前にプルシェンコなし、プルシェンコの後にプルシェンコなし。これほどのアスリートはめったに出ないし、ルールで高難度ジャンプへの挑戦を罰しているようなルールを続けているフィギュアでは、もう出ないかもしれない。ルールと採点を動かすことで、トリノ以降、数年であっという間に4回転ジャンプの価値が弱められてしまった。ダイアモンドがガラスになってしまったようなものだ。プルシェンコは試合後、「4回転はもう無価値にされた」と言い、ストイコは、「フィギュアは殺された」と憤った(こちらの記事参照)。しかし・・・やっぱりプルシェンコのプログラムは好きになれない(笑)。ショートの曲、なんでアランフェスなんでしょうか、プル様? アランフェスである必要性を感じませんが・・・? 音のない映像をみたら、「なぜに、この音楽でこの動き・・・?」とボーゼンとしてしまったのですよ。だが、個人的な好き嫌いでプルシェンコが負けたことを喜ぶ気にはなれない。4回転ばかりを重視する風潮は嫌いだが、ルールで認められている以上、この世界最高難度の技を完成させた選手は高く評価されるべきだ。プルシェンコはスピンやステップのレベルもシーズン最初からかなりピタリと揃えてきた。これだけルールが変わったにもかかわらず。そうしたら、シーズン後半になって、ステップにレベル4が出始めた。レベル4を取ると、ステップは加点の反映割合が増え、点がかさ上げできる。これがMizumizuの目には、プルシェンコ対策に見えたのだ。ステップのレベル取りはシーズン初めはかなり難しく、高橋選手もなかなかレベル3を揃えられなかった。ところが五輪では、ライザチェックやチャンや高橋選手など、プルシェンコと競えると「仕分け」された選手には、気前よくステップのレベル4がつき、気前よく加点2がついたのだ。チャン選手や高橋選手のステップが高評価なのは問題ないと思うが、ライザチェックが彼らと同レベルの評価・・・? 狂ってるわ。「質がいいものをどんどん評価しようという流れになった」と平松氏は五輪のあと加点のつけ方について説明したようだが、それなら、男子のジャンプに加点「2」がつかないのはなぜだろう? キム選手があれほどもらったジャンプでの加点「2」が、男子選手に見当たらないのはなぜ? もちろん、「女子と男子とではジャッジ団が違うから判断が違うのは当たり前」と辻褄合わせで言うこともできる。だが、基本的に現在の採点は絶対評価。それがこんなに試合によって上下したり、「ある種の傾向がある」ほうがおかしいのだ。まさに、「無理が通れば道理がひっこむ」採点。1つ1つは筋が通っているといえば言えるのだが、他選手と比較したり、これまで点の出方を勘案すると、異常としか言えない現象があちこちに起こっている。絶対評価というのは理想的すぎ、そのむなしい理想主義が思惑に利用され、公平になるはずのものが、逆に不公平になっていく。理想主義というのは、常にこうした側面をもつ。男子で気前のいい加点が出たのは、ジャンプではなくステップだ。どうも「安藤・浅田には勝たせないぞルール」と同じニオイを感じるのだ。そのぐらいしか、プルシェンコ独走を阻む点を技術点で与えるマジックはないからだ。ステップのレベルが3か4かで加点の反映割合が変わってくる。4で加点をもらえば点が伸びる。ステップでレベル4はめったに出なかったのだが、五輪では急に、かなり出た。もちろん、ステップで世界最高レベルのテクニックをもつ高橋選手は、この「恩恵(?)」に浴している。高橋選手のように全方位で欠点の少ないスケーターは、ルールがどうあろうと有利。ストイコは、今回の五輪でもっとも印象に残った選手として、高橋選手を挙げ、その「トータルの力」を賞賛している(4回転へのチャレンジもジャンパーの彼は高く評価)。余談だが、ストイコは小塚選手のことも褒めている(タケヒコと呼んでいたのは、本田タケシと混ざってるのか?・笑)。まったく同感。シーズン後半にきて、あの難しく、洗練されたフリープログラムを、あそこまで完成させてきたのは印象的だった。なのに、あの点・・・ 高橋選手を評価する眼があるハズのジャッジが、小塚選手が出てくると突然眼が悪くなるのは・・・(また同じ話になるのでよそう)。こちらにストイコとコーエンの「総括トーク」がある。ストイコは本田武史つながりもあるのかもしれないが、本当に日本男子選手贔屓だ。ジャンパーのイメージが強い彼だが、カナダ選手というのは、「滑ることの技術」そのものを非常に重視するし、ストイコが高橋・小塚選手を好むのは、この2人の日本人のスケート技術が世界トップだからだ。これだけ高橋選手や小塚選手の長所を理解してくれ、頼まれたわけでもないのに褒めてくれる元一流選手も珍しい。先輩一流スケーターをコケにするようなチャンの呆れた発言を、空手チョップ並みの苦言で諌めてくれる、カナダのフィギュア界では珍しく「あたり前の感覚」を失っていない人(こちらの記事を参照)。長野の銀メダリストでもある。こういう人は大切にして、もしストイコがショーに復帰する意思があるなら日本に呼ぶなど、関係を作っておいたほうがいい。小塚選手の「抑えられた順位」に関して、チャンと同国人のストイコがこれほど、「もっと上であるべき」と言ってくれているのに、日本で同じことを言う関係者が誰もいないとは、本当に信じられない。ここまで見ザル、言わザルになるのは、一体なぜなのか。Mizumizuは高橋選手の才能は誰よりも評価しているし、銅メダルの快挙は、本当に、心から素晴らしいと思っている。個人的な主観で言えば、演技構成点はもっと高くてもいいとすら思う。だが、五輪でどうしてもひっかかるのは、フリーで3F+3Tがクリーンに決まらなかったことだ。ショートのほうも、完璧ではなかったが、あれについては目をつぶってもいい。だがフリーのほうは誰の目にも明らか、完全に詰まってしまった。ダウングレード判定が適切か不適切かという話ではなく、3+3がクリーンに決まらない五輪メダリストというのは、他に同等以上のジャンプを降りて完璧にプログラムをまとめ、それでも順位が上がらなかった選手がいるのを見るとなおさら、高橋選手は日本選手の中で一番フリーの技術点が低かったということも含めて、もうひとつスッキリしないのだ。プルシェンコに話を戻そう。最初は「つなぎ」の悪さを根拠に、プルシェンコを演技構成点で落とそうとしたフシがある「ある勢力」。だが、それはロシアからのクレームと、アメリカ人ジャッジの「工作」をフランス紙がバラしたことでできにくくなった。確かに本田武史の言うとおり、バンクーバーのプルシェンコのジャンプは、「彼らしからぬジャンプだった」かもしれない。だが、ジャンプは降りてナンボのはずだ。回転不足もなく、軸が傾いても、ピタッと降りてくる。あのジャンプはやはり超絶。これほど長い期間にわたって(8年間転倒なし? 人間ですか? まったく・・・ 日本男子は毎回毎回コケたり、グラッとしたりしたりしてるのに)4回転を跳び続けた選手はプルシェンコ以外にいない。プルシェンコに回転不足があるだろうか? エッジ違反があるだろうか? スピンの回転も速く(ポジションは個人的にはきれいだとは思わないのだが)、ステップでも点を(落としたくても)「落とせない」。ステップは、レベル3を取れば十分だったのだ。五輪前までの「傾向」で言えば。追記:「8年間転倒なし」はアナウンサーの勘違いで、2005年のワールドで転倒があるようです。チャン選手が今回力を出せなかったのは、プルシェンコの復帰を受けて、できもしない4回転をプログラムに入れようとしてケガをしたせいだ。本当は今回の五輪王者は、4回転なしでトリプルアクセル2度を決めれば十分で(実際、そういう選手がプルシェンコを破ったが)、それを考えればチャン選手に行っていた可能性が高い。というか、そのつもりでお膳立ては着々となされていた。プルシェンコと同じ土俵にのってしまったら、ほとんど必ずその選手の肉体は破壊されてしまう。いや、プルシェンコ自身の体もいつまでもつかわからない。あれだけ長期にわたって4回転をあの確率で跳び続けた選手など、いないのだから。そして、肉体全体から発散されるエネルギーの凄さ。ジャンパーが勝てなくなって以来、男子フィギュアから消えつつある男性的な魅力が氷上で炸裂する。いくら滑りのきれいでステップが巧みな選手が正確なエッジワークで演技をしたとしても、一瞬にしてその印象を吹き飛ばすような迫力がある。こういう天才を出さないようにするルールを思惑だけで続行させれば、ただでさえ下がりっぱなしのフィギュア人気はさらにどん底に落ちるだろう。プルシェンコは確かに滑りの面では難点がある。だが、そんなものは帳消しにする超絶なるスケーターではないか? 一流選手になればなるほど、それがよくわかっている。高橋選手も、「あの人はもう、違うというか、何と言うか・・・」とその凄さを認めていた。単独でさえ習得が難しい4回転をあれほどの確率で跳ぶ。世界のトップスケーターがいかに努力してもできない4+3を100%の確率で試合で決める。やはりバンクーバー・オリンピックの男子の金はプルシェンコに行くべきだった。ロシアはそう言い続けるだろうし、Mizumizuもそう言い続ける。
2010.03.08
<続き>キム選手に対してだけ甘かったわけではないが、今回なぜ突然回転不足がここまで甘くなり、女子に関してエッジ違反が甘くなったのか・・・まったく、ミステリーだ(いや、邪推なら可能だが)。これまで、あれほどキチガイじみたダウングレードで、特に女子選手には回転不足に意識を集中させながら、五輪だけ突然甘くなるとは、一体どういうわけなのか。女子のショートが始まったとき、解説の八木沼さんと担当のアナウンサーが、「降りたかどうかより、問題は回りきったかどうかですね」と浅田選手のトリプルアクセルに対するダウングレードを心配し、他の選手のジャンプがスローで出るたびに、「う~ん、これは取られたかも・・・」「あ、大丈夫ですね」「う~ん、これはどうでしょう」とチェックしていた。そのうちに、今回はダウングレード判定が妙に甘いと気づいた八木沼さんは、「今回はどうもジャッジの判定が読めず・・・」と口に出した。ダウングレードについて知らないファンは、彼らが何をあんなに真剣に検討しているのか、さっぱりわからなかっただろう。回転不足判定によるダウングレード(4分の1回転以上不足しているとスペシャリストを含む技術審判3人が判断したジャンプは、基礎点を1回転下のジャンプのものに落とすこと)が、女子では命取りと書いたMizumizuも拍子抜け。いや、実際これまではそうだったから、アナウンサーまで意識をもって説明していたのだろうけれど(担当のアナウンサーは、よくルールを勉強していたと思う)。ダウングレード自体は、今回ぐらいがマトモだと思うが、それでは、マトモではないほどにダウングレード判定が暴走したのは、一体なぜ? 厳しすぎるダウングレード判定で、日本女子がどれほど苦しんだことか。忘れもしない、昨シーズン2008年のNHK杯。カナダ在住の日本人スペシャリスト天野氏がアシスタントテクニカルスペシャリストを務めた大会で、浅田真央の見た目に何も問題なくきれいに降りている、解説の荒川静香も何度も見て、「大丈夫」と言っていたセカンドの3ループがショートでダウングレードされ、ファンに衝撃を与えたのだ。続く韓国でのファイナルでも、同じように見た目問題なく降りた浅田選手のショートの3ループはダウングレード。キム選手の3F+3Tにはまだエッジ違反がついておらず、加点をもらって11.5点。基礎点の高い3F+3Loを跳んだ浅田選手はダウングレードでループの基礎点を3回転から2回転の点に落とされたうえにGOEマイナスの減点(←これが悪名高い「ダウングレードによる二重減点」だ。あまりにやりすぎたため、「回りきっての転倒より、わずかな回転不足のほうが点が低いなどおかしい」と、当然のことをあちこちから批判され、今季ルールを慌てて改正。スペシャリストたちによるダウングレード判定を演技審判に伝えず、演技審判が自分の眼で見てGOEを勝手につけるという、筋の通らない、わけのわからない改正がなされた)。5.2点にしかならず、会場のファンにはお互い成功しているようにしか見えない連続ジャンプで、6.3点もの差がついた。続く2008年12月の全日本。それまでなかなかうまく行かず、ついにフリーに入れた3F+3Loの3ループも同じようにダウングレード。見た目は何も問題のないジャンプ(肉眼では、「ちょっと詰まったかも」程度)で、会場が「おおっ」と沸いたほどなのだ。このときも天野氏が、今度はテクニカルスペシャリストを務めていた。もちろん、スローで見れば、降りたあとにブレードが回っていたのはわかる。別に不当な判定ではない。だが、あそこまで降りてダウングレードされるのでは、セカンドの3ループはもう武器にはならない。しかも、同時期に、微妙に足りなく見える怪しいセカンドの3トゥループを決してダウングレードされない選手がどこか遠くにいたというのに(その怪しい3トゥループがついにダウングレードされたのは、つい先ごろ東京であったグランプリファイナル。実際には、あのショートのセカンド3トゥループは、彼女としてはかなりよかったほうの着氷だったのに。つまり、2009年12月までは、間違いなくダウングレード判定は「厳しい方向で統一」されつつあったのだ)。浅田選手は今季、3A+2Tより基礎点の高い3F+3Loをプログラムから外した。当然だろう。昨シーズン認定されたのは世界選手権でのたった1回だけ。こんなにいつもいつもダウングレードされるジャンプは使えない。今回の五輪のような「疑わしきは罰せず」の路線であっても、あの3ループをやはりダウングレードしたのだろうか? バンクーバーでは、明らかに回転が足りずに軸が傾き、ブレードがグルッとなっていたフラット選手のルッツさえ認定された。それでは、バンクーバーに向けて、ジャンプ構成を固めていかなければいけないプレシーズンに、あまりに厳しいダウングレード判定でジャンプを3回転から2回転に落とさざるをえなくなったり、シーケンスへの組み替えを余儀なくされたりした選手はどうなるのだろう?まったく酷い話だ。エッジ違反も、つい先ごろあった全米でさえ「!」のついた長洲選手のルッツも(五輪のプロトコルはこれまでとスタイルが違ってはっきりわからないのだが)、加点があるということは・・・?。今シーズン最初は、鈴木選手のルッツにEがつくなど、むしろwrong edgeは厳しく見られていたのに、4大陸から鈴木選手からエッジ違反が消えた。本人が克服したのかもしれないが、グランプリファイナルまでは、微妙でもルッツに「!」がついていたではないか。2010年に入ってからのヨーロッパ選手権でも回転不足が甘かったし、どうもこのあたりから「疑わしきは罰せず」の方向にジャッジの指針が流れたような気がする。しかも、その情報は、まったく日本選手には伝わっていた気配がない。浅田選手は直前までダウングレード対策をしていたというし、安藤選手もフリーでは徹底した回転不足対策のジャンプ構成だった。今後基準をどうするのか、明確にしなければ、選手やコーチが振り回されて大変だ。いや、基準は「4分の1」と明確なのだ。問題はジャッジの判断が甘かったり辛かったりすること。今回は甘めで統一されて、試合の中ではさほどの不公平感はなかった(ほかに誰も跳ばない安藤選手のセカンドの3ループはダウングレードされ、「やっぱりね」とは思ったが)が、また厳しく取られたら、見てるほうは、「特定の選手を落とすために、微妙なジャンプを回転不足判定にしたり、微妙なエッジにアテンションをつけている」とも思えてしまう。こんないい加減な判定をやっているジャッジのもとで、「中間点」など作ったら、よけいにややこしく、さらに採点が不透明になるだけだと思うが、どうか。そもそも、今回のカナダでのフィギュア。チャン選手のライバルである小塚選手の最後の音、「ジャーン!」と響くはずが、音量を絞って途中で切られたように聞こえた。ヨーロッパ2番手のレピスト選手の音楽の最初が、ちゃんと始まらず、演技をやり直すことになった。秒単位で集中している選手に、あれはつらい。偶然なのか、わざとなのか--ジャッジのつけた点数も含めてだが、どうも後味の悪い大会だ。だが、女王になったキム・ヨナ選手の演技が素晴らしかったのは何度強調しても強調しすぎることはない。ルールでお膳立てされたとはいえ、フリーとショートでセカンドに3回転を計3度入れるという難度の高いジャンプをあれだけの確率で決められる選手はめったにいない(微妙な回転不足はまた別の問題。ジャンプはあくまで基本は、降りてナンボなのだ)。キム選手がジュニア時代からあのジャンプ構成で来たからといって、ジュニア「でも」できるジャンプをやっている、などという誤解が一部で広まっているようだが、そこまで無知な人はハッキリ言って手に負えない。同じジャンプを同じように跳ぶ訓練を徹底して繰り返さなければ、あの確率の高さはない。何度滑っても同じことができるように、練習を繰り返す。その忍耐力と精神力は賞賛に値する。あれこれいろいろなものに挑戦するのではなく、自分のもっているものを徹底的に固める。それは、勉学でもスポーツでも、何かを究めるためには、もっとも大切な姿勢だ。伊藤みどりをアルベールビルで破ったクリスティ・ヤマグチ選手の本番の演技を見て、解説の五十嵐さんが言った言葉、「本当に、練習どおりにできますね。何度滑っても同じようにできるんじゃないでしょうか」。五輪で勝つのはこういう選手だ。男子のライザチェック選手も、また「世界一練習する選手」(コーチの弁)。努力を惜しまず、これまで長い間心血を注いできた4回転を「勝つために」捨てた。ライザチェック選手はほんの少し前まではむしろ、「4回転が決まれば強い」選手だったのだ。4回転を捨てて、他のジャンプを全部まとめる--それはそれで退路を断った勇気ある決断だったと思う。五輪王者にふわさしいスケート技術やジャンプ力や表現力をもっていたかどうか、ということについては、率直に言って認めがたい部分もある。ライザチェックとウィアーに対するジャッジの「態度の違い」には憤りも感じる。だが、それを言い始めると、結局は好みの入った印象論を自己肯定するだけになってしまう。ライザチェック選手が、プレッシャーのかかる場面で、キズのない、完成度の高い演技をやりきったのは事実。素晴らしいことだと思う。だが、やはり男子で傑出していたのはプルシェンコだ。さまざまな減点ポイントをものともせず、用意してきたジャンプを全部決める--プルシェンコはそれを五輪でやった。回転不足もエッジ違反も取られなかった。そのうえで、世界で誰もできない4回転+3回転を2度も決め、トリプルアクセルを2度決めた。だからこそ、ルールや採点がおかしいと批判できる。Mizumizuが「男子で五輪王者になるのに4回転が必要か? そうかもしれないが、そうでないかもしれない」と書いたのは、現行のルールが「ジャンパー罰ゲーム」で、大技を跳ぶ選手にあまりに不利なこともあったが、実際に試合をしてみたら、ロシア大会でプルシェンコの出したフリーの点より、4回転なしで他のエレメンツをきれいにまとめてきた織田選手のシーズン初戦のフリーの点のほうが高く出たせいだ。プルシェンコも、「大技でちょっとでもミスったらとんでもなく点を失う」というジャンパー包囲網のルールを突破するために、「彼としては」ジャンプ構成を落とした「安全策」できた。プルシェンコのメインのジャンプは前半に偏っている(つまり後半のボーナス点がつくところに難度の高いジャンプをもってきていなかった)。レベル認定の要件が厳しい現行ルールでは、スピンやステップに使う神経と体力も半端ではない。プルシェンコの不安は、やはり体力。4回転+3回転に、2つのトリプルアクセル。これだけ入れて、フリーの最後まで体力をもたせるのは、まったくもって至難の業。ブランクがあったプルシェンコにとって、課題は特にフリー後半で、自分がいかに疲れているかを見せないことだったと思う。そのために、後半に難度の高いジャンプを入れるのを避けたのだ。プルシェンコは「4回転の土俵」にみなを誘いこもうとした。だが男子選手は、プルシェンコと同じ土俵で戦ってはダメなのだ。同じ土俵にのったら、あれほどの身体能力をもった「怪物」には絶対に勝てない。今季チャン選手が怪我をして調整が遅れたのは、プルシェンコの復帰を受けて、できもしない4回転を入れようとしたためだ。あれで日本選手は助かった。そのプルシェンコでさえ、反ロシア意識の強い北米開催のオリンピックでは、4回転をはずしてすべての要素をきれいにまとめるという努力を、ほぼ1年半にわたってしてきたアメリカの優等生に勝てなかった。<続く>
2010.03.07
書いていて我ながらウンザリしてきたので、ここらでちょっとブレイク。 主観点による操作ばかりがアリアリの現行のフランケンシュタイン・ルールだが、もともとの理念は、「ジャンプばかりが重視され、滑りがおろそかになっている風潮を見直そう」というものだった。だがその結果、ジャンプの技術はあっという間に低下。ストイコは、男子の五輪王者に対して、「ブライアン・ボイタノ時代まで逆戻りした」と酷評した。「滑り」に関して言えば、確かに往年のトップ・スケーターのほうが基本に忠実でクリーンかもしれない。そんなフィギュアの原点を鑑賞できる超レア物ビデオを楽天オークションに出したので、興味のあるかたは入札してください。出品者と落札者の個人情報をお互いに開示しないですむ「匿名発送」にしてあります。再生には問題ありませんが、古いビデオなので、多少画面がユレて見えることも・・・ 神経質な方にはお奨めしません。追記:あまり値段がつりあがってしまうのは本意ではないので、こちらのオークションは早期終了としました。入札してくださった皆様、ありがとうございました。「ブライアン・ボイタノ&フレンズ」ビデオはアメリカで買ったもの。1995年発売だが、80年代のアイスショーでの映像も入っている。もちろん日本未発売。今となっては入手も不可能。出演しているのは、そうそうたるメンバーだ。まずは、ブライアン・ボイタノ。ストイコのコメントは的を射ている。ハッキリ言って・・・ライザチェックよりずっとうまい(あ~、言ってしまった)。スケートはしっかり氷をとらえて伸びるし、エッジは深いし、ジャンプは高く力強く、軸もしっかりしている。「ボイタノといえばイーグル」だが、これまたちょ~素晴らしい。微動だにしないポーズに男性美が溢れている。いや~、このカリスマ性は、今のルール適合型の超優等生男子選手にはないものだ。この時代以下の五輪王者って、一体何?(あ~、言ってしまった)ボイタノの手から炎が出るような演出は・・・「???」 そして、ペアのベストオブベスト、ゴルデーワ&グリンコフ。2人のユニゾンを見ると、「これがペアでしょ」と言いたくなる。「今のペアの滑りって汚い」とも。最初に出た世界ジュニアが5位だったというだけで、あとは出場した試合すべて1位か2位という奇跡のゴールデンカップル。グリンコフが若くして亡くなるという、悲劇的な結末がこのペアを永遠の伝説にした(そして、ゴルデーワさんが、これまたロシアの生んだイケメン金メダリスト、イリヤ・クーリックと再婚したことで、麗しき伝説をぶち壊されたファンから大ブーイングを浴び、人気も地に落ちた。実際、ゴルデーワ&クーリックのペア・パフォーマンスはびっくりするほどヒドかった)。中国勢の台頭で、ツイストリフトやスロージャンプなどの投げ技、単独ジャンプのテクニックは向上したと思うが(ゴルデーワは3回転ジャンプがまったく跳べない人だった)、基本的な滑りの部分では、もしかしたらこのペアの時代から比べると、後退しているかもしれない。 リレハンメルでゴルデーワ&グリンコフと金メダルを争うことになる、ミシュクチョノフ&ドミトリエフも出ているが、相当若いらしく、スケートはかなり粗い。ここからゴルデーワ&グリンコフと世界1位を争うまでレベルを上げたということに、逆に驚く。ドミトリエフはパートナーを替えて、長野五輪でも金を獲った選手。 伊藤みどりも登場!若き日の伊藤みどり(何歳だろう? 10代であることは間違いないと思うのだが)。大きく明確な放物線を描く、「飛距離と高さが奇跡的に素晴らしい」ジャンプ。サルコウ・ジャンプでも飛距離が出てるってのには改めて驚いた。たぶんブレードにバネ仕込んでるな(笑)。こういうサルコウを跳ぶ選手は、今は皆無。現行ルールで伊藤みどりがいたら敵なし? いえいえ、伊藤みどりがいれば、ジャンプの質をできるだけ過小に評価するルールができるだけです。そして、軽々と跳ぶ3トゥループ+3トゥループ。セカンドジャンプを降りたあと急にあさっての方向に曲がっていってしまうなんて誰かのような疑わしさはない。ピタッと降りて、すぅーと自然な曲線で流れていく。完璧に回りきって降りてくるというのは、こういうことでしょう。 エリザベス・マンリーこの人はブロンドの佐藤有香。とにかく、なにからなにまで基本に忠実。フィギュアスケートを実際にやっている人には、こういう滑りが何よりお手本になるのではないか。 おまけに、ペトレンコもいるではないか。バンクーバーで薔薇の王冠を戴いたジョニー・ウィアー選手の左側に座っていた、ロシアのおじさん。若いころの彼は別人です、ハイ。「めちゃくちゃ痩せている!」長いなが~い脚を氷と水平になるまで上げてのスピンには、クラクラ。氷の上をただ回ってるだけで、あそこまで貴族的な雰囲気を出せるとは・・・ ランビエールも高貴な雰囲気をたたえた選手だが、堂々たるカリスマ性ではペトレンコのほうが上かもしれない。つまり・・・本当に、今は「昔のスケーターのほうが滑りもうまくて、カリスマ性があってよかった」状態になっているのだ。あれこれ規定を細かく定めた現行ルールに適応している優等生たちは、だいたい皆同じようなことをするので、過去の名スケーターのような個性や、「大輪の花の風情」がない。おまけに難度の高いジャンプはリスクがあるので跳ばない。スケートの基本である滑る力を重視するルールとはいっても、これではファン離れが進むのも当然だろう。ストイコやプルシェンコが激怒するのもわかる。ビデオには他に、ライバルのケリガン選手に対する暴力事件(知人を介して殴打させた)で、フィギュアスケート史に悪名を残したトーニャ・ハーディングの演技も入っている。まだ若く、悪者になっていない時代。彼女は、スケーティングはたいしたことなし。 あとは、カタリナ・ビットとの「カルメン対決」で知られるデビ・トーマス。国家をあげて強化され、金メダル獲得後は高額な契約金を得てプロに転向したビットと違い、トーマスはプロのフィギュアスケーターになるつもりはなかった人。現役引退後は、医学部に進んで医師となったハズ。スピンの軸など非常にしっかりして、基礎のできているスケーターだということがわかる。 <明日はきのうの記事の続きに戻ります>
2010.03.06
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浅田真央奇跡の軌跡<続き>プルシェンコの演技構成点を落とせなかったのは、「研修DVD工作」に対するクレームを始めとする「ロシアからの圧力」があったせいだろう。ジャンプ中心なので「つなぎ」が悪いといっても、それで点を落とせるのは演技構成点の5つのコンポーネンツのうちの1つだけ(「つなぎのステップ」とNHKで言っているトランジションの部分)。観客はプルシェンコの演技に沸いていた。あれだけのエネルギーにあふれた演技を披露し、レベル認定にもさほどスキがなく、ジャンプも最高難度の大技を100%決める選手を他のコンポーネンツでは落としにくい。このいかれた採点を一番に糾弾したのもプルシェンコ。ロシアも国をあげてプルシェンコを後押ししている。糾弾するにふさわしい演技をプルシェンコはしたと思う。だが、男子シングルが終わったとき、日本で「金メダルにふさわしいのはプルシェンコ」と言い切った関係者やファンがいただろうか? どちらかというと、傲慢な絶対王者が負けたことで溜飲を下げた日本人が多かったと思う。ところが、浅田選手がトリプルアクセル2つを決めてもキム選手ほどの点が出ないのを見て、またパニックを起こしている人がいる。だが、浅田選手にはルッツがないのだ(そしてサルコウも)。トリプルアクセルがないから、4回転2度に頼らなければいけないランビーエル選手と同じなのだ。キム選手がフリーで2度入れる、セカンドが3回転の連続ジャンプもない。以前はあったセカンドの3ループが使えないから、基礎点でキム選手を圧倒することができなくなった。だったら、加点をもらえる(度重なるルール変更で、同じことをしていてもさらに加点がつくようになった)キム選手が、明らかに、はるかに有利だ。ランビエール選手は4回転がきれいに決まらずメダルを逃した。浅田選手はきれいに決めてメダルを手にした。しかも、格下の試合でなかなか決まらなかった大技をここ一番で決めるとは、勝負師・浅田真央でなくてはできない芸当だ。後半にミスが出て、ジャンプの点を失い、全体の印象は下がってしまう結果になったが、失敗したら即座に台落ちになってしまう危険もあったのに、銀メダルを獲った。立派ではないか。だが、トリプルアクセルのことはいいにしても、そのほかのジャンプにほころびが見えるのは、採点のおかしさがどうのを脇においておいても、非常に気になるところだ。鉄壁だったフリップもあやうくなっているように見える。連続ジャンプの偏り、ルッツ・サルコウ(ルッツが入れば、3Aのある浅田選手にサルコウはいらないかもしれないが)・セカンドの3トゥループがない(セカンドは何がなんでも3ループ、と固執するのは返ってマイナスだと思う。一般には簡単なはずのトゥループができなければ)・・・といった、今のジャンプ構成は、五輪仕様としては仕方のなかった部分もあるし、実際ルッツもセカンドの3回転もなしに、銀メダルまで来てしまうところが浅田真央の凄さだが、今シーズンが終わったら、順当な順番での課題克服に取り組んでほしい。エッジの矯正が並大抵でないことは、世界のトップ選手を見てもわかるから、ファンも「常勝・浅田真央」を求めて、一戦一戦での勝ち負けに一喜一憂せずに、長い眼で浅田選手を応援してあげてほしいし、Mizumizuのところに来るメールを読むと、ファンもそのあたりはもう十分にわかっているように思う。何度も言うが、明らかに特定の選手に利するための偏ったルールと異常な採点を肯定するわけではない。だが、これだけ突っ込みどころ満載の異様なプロトコルを見ても、後付けの理屈をつけて、当の日本人が肯定しているようでは、選手もコーチもどうにもできないではないか。それは選手が抱える個人的な克服課題とはまた別の問題だ。以前にも指摘したが、加点がついたダブルアクセルが3段階上の3ループと同等の価値をもつなど、常識的に考えておかしいだろう。「すぐれた高さもしくは距離」ではなく「十分な高さと距離」で加点がつくというルール改正は、それはそれで表面的な理屈は通っている。だが、浅田選手のようなタイプのジャンプを跳ぶ選手には不利だし(つけられないわけではないと思う。それは解釈の問題)、飛距離が出にくいループに加点がつきにくくなるという傾向にも拍車がかかる。なぜこうした、明らかに意図的なルール改正を止められなかったのか。おめおめとルールの包囲網を作られ、「いや~、完全に負けました」「浅田真央は絶対ではなくなった」「選手はルールに対応しないと」などと言っているようでは、ソチでまたどんな包囲網を誰に作られるか、わかったものではない。すでに書いたように、今回の五輪の女子の1位と2位については間違いがない。だが、昨シーズンのロス世界選手権以前だったら「ありえない」点差が、ここまで短期でつくようになった理由は何か、それについてまったく知りもしないのに、3Aを3度という世界の女子で誰もできない高難度の技を決めた浅田選手を日本人自身が評価してあげないのは、情けない話だと思う。去年からますます、なりふりかまわず露骨になってきた、「浅田真央はキム・ヨナに勝てない」採点について、「流れはキム・ヨナ選手。(でも)トリプルアクセル2つ決めても勝てないなんて、おかしい」とまがりなりにもテレビで発言したのは伊藤みどりだけだ。セカンドの3ループ。これは安藤選手を世界女王にしたジャンプであり、浅田選手がキム選手に基礎点で有利に立てる礎だったのだ。トップ選手でこれができるのは、安藤・浅田・フラット選手だけだった。それが「厳しいダウングレード判定」で使えなくなってしまった。ところが一般のファンにも「判定の不公平感」がバレてYou Tubeにさかんに「疑惑の判定」ビデオがアップされるようになると、肝心の五輪で急に全体のダウングレード判定を緩くし、「疑わしくは罰せず」にしてルールに詳しい(そしてダウングレード判定に眼を光らせている)ファンからの批判を最初から回避するとは、汚すぎる。中野選手が世界選手権を辞退し、引退という報道にも、なんとも言えない寂しさを感じた。今回の五輪への鈴木選手派遣については間違いはなかったと思っている。だが、前回のトリノ五輪選考では、明らかにスポンサーの力学(表向きは昨シーズンを含めたポイント制)で、シーズン絶好調だったのに代表入りをさせてもらえなかった中野選手への理不尽な扱いは、忘れることができない。2季前の世界選手権では、ヨーロッパの観客がスタオベで演技を称えたのに、ダウングレードと「低め固定」の演技構成点で台にのれなかった(それについては、こちらの記事参照)。国内のショーやどうでもいいイベント試合には借り出され、まったく無意味なジャパン・オープンで亜脱臼のケガ。Mizumizuは常々、「国別」だの「オープン戦」など、意味のないイベント試合はすべきでないと主張してきたが、オリンピックを控えてのこの2つの無意味な試合は、明らかに日本選手にとって悪いほうに出てしまった。来季の世界選手権は東京、佐藤信夫コーチの殿堂入りのセレモニーもある。ずっと佐藤コーチを信じてついてきた中野選手がそこで有終の美を飾ってくれたら、こんなに嬉しいことはなかったのだが、本人がここで引退と決断したことなら、ファンとしては、「ゆかりん、長い間、ありがとう」としか言いようがない。浅田選手に話を戻すと、今回の五輪の露骨に「仕分け最初にありき」の採点がどうあれ、間近に迫ったトリノの世界選手権に出るなら個人としてまだできることがあるはずだ。ここで気持ちを折らないようにすること。個人的には、キム選手の「目を惹くポーズ」中心の躍動感に欠けるフリーよりも、浅田選手の荘厳なフリーのほうが、依然としてはるかに芸術性が高いと思っている。スピンやスパイラルは、さらに美しくなったと思うが、どうだろう? あの天に向かってすらりと伸びる脚のなんと華麗なこと!以前、伊藤みどりが、「キム選手は、ポーズはカッコイイと思うんですけど、技術的に見るとちょっともの足りない」と本当のことをポロリと言ったことがあった。キム選手の表現力をバカ上げする今の風潮の中では、もうそういうホンネは誰も口に出せないかもしれないが、この伊藤みどりのキム・ヨナ評は本質をついていると思うし、キム選手は今も基本的に変わっていない。「妖艶」と「可憐」にパターン分けできるあの表現は、「一度見るだけならインパクトがあって楽しめる」アメリカ映画のようだが、どこか生気がない。一方の浅田選手の演技は、動作の中に華麗さがあり、見れば見るほど良さがわかってくる。今季はとにかく、ロシア的な芸術性は徹底的に否定され、淡白でも伸びやかさのある滑りばかりが持ち上げられている。そのトレンドに合わなかったからと言って、Mizumizuは自分の眼で見て感じた審美性を、ジャッジの意味不明の「点差」を見て放棄するつもりは毛頭ない。浅田選手は、気持ちの入った、ミスのない演技をすることだ。彼女にとっての完成でいいと思う。誰かに勝つためではなく、自分の「鐘」を完成させるために。ジャッジの「仕分け」が適切か適切じゃないかなどということは誰にも証明できないし、今さらどうにもできないが、自分でやれることがある限りは、やれることを精一杯やるべきだ。とにかく、音楽の世界に入ること。フリーの最後、地の底からわきあがってくる何かを、天空に向かって解放するような、あの迫力あるポーズをもう一度見れられる、そう思うと、Mizumizuはまた心が躍ってくる。今回、点差をつけられたのを見て、急にまた「あのプログラムはだめ」などと言い出す人たちの冷たい視線にひるんではいけない。「私は、この曲を表現したい。自分にできると思うからやります」という言葉を、絶対に忘れないで、自信をもって、丁寧にこれまで練習してきた成果を見せてほしい。そういう意味では、長洲選手が素晴らしかった。「誰がどういう点を出して、どういう演技をしようと関係ない。これは私のオリンピック」。名言ではないか。こういう図太さが日本選手にも必要だと思う。日本選手はいい子でいないとすぐ叩かれるものだから、自分を自ら殻に閉じ込めすぎるけらいがある。Mizumizuは、日本女子はショートのジャンプをすべて鉄壁で行って欲しかったのだが、それができたのは日本女子では浅田選手だけだった。五輪でのキム選手のジャンプの着氷は素晴らしかった。あのまとめ方ができた選手はほかにいない。キム選手の個人演技史の中でも最高の出来。ショートもフリーも完璧。微妙に回転不足気味のジャンプはあり、フリップもエッジが中立からややアウト気味だったと思うが、それらは些細なキズだ。もともとわずかな回転不足や中立気味のエッジなど、微小な微小な問題のはずだ。<続く>
2010.03.05
<続き>ジャッジの見つけた「透明で客観的なシステムの穴」とは何か? 結局はこういうことだ。主観点である加点と演技構成点で勝たせるようにする。エレメンツの加点は少しずつ積み重ねることで大きな差にできるから、勝たせたい選手にたとえ1つぐらいミスが出ても、保険になる。演技構成点の「揺れ」は、エレメンツの完成度を高めようとしている選手の努力を一瞬で水泡に帰すことができるほどの「幅」をもたせることができるのだ。それをヨーロッパ選手権の直後ではなく、わざわざ反ロシア感情の強い北米のバンクーバーに来て、さらにIOC副会長という政治的後ろ盾を確かなものにしたところで言う。完全にドイツ陣営の「作戦」だと思う。ロシアを落としたがっているのはわかっている。ロシアペアのコーチは誰あろう、ソルトレイクで悪者にされたロシアのペア、ベレズナヤ・シハルリドゼ組のコーチだったタマラ・モスクビナ。あのときのロシアペアに対する北米メディアのネガティブキャンペーンは、すさまじかった。ジャンプの着氷でグラッとする映像だけを切り取って繰り返し流し、「ミスがあったのに1位。サレー・ペルティエ組(カナダ)はノーミスなのに2位。不正だ」と騒ぎ立てた。だから、タマラコーチが、フリーを鉄壁ノーミスで行かせるために、川口・スミルノフに4回転スロージャンプの回避を指示したのは当然の判断だと思う。五輪で大事なのは、なにがなんでもノーミスでクリーンに演技をすること。反ロシア感情の強い北米では、ただでさえロシア選手は不利。だから、「下げる」理由をジャッジに与えないことが大切なのだ。それは川口選手も理屈ではわかっていたはずだ。だが、Mizumizuが以前指摘した選手のこころの問題。川口選手は「4回転を跳びたくて、投げてもらえるペアに転向した」とまで言っていた。なぜ日本選手がここまでジャンプにこだわるのか、恐らくロシア人コーチには理解できないだろう。本番前の朝の公式練習では4回転を降りていたという。選手にとっては回避する理由はないのだ。結果は悪いほうに出てしまった。つまり、回避してレベルを落としたハズのスロージャンプで失敗。次でも失敗。2位にいたドイツペアにもミスはあったのだが、こちらのほうがメダル圏内におさまって銅メダル。ロシアペアは総合で4位に落ちた。試合後の川口選手のインタビューには、4回転ジャンプを回避したことに対する抑え切れない無念さがにじんでいた。演技に入る前も、なかなかコーチのそばを離れなかった川口選手は、必死に気持ちを切り替えようとしていたのだろう。だが、安全策でいったはずのところでミスが出て、さらに「取り返さなければいけない次」でミスをする。これが一番悪いパターンだ。回避して失敗し、さらにメダルを逃す。「失敗してしまった自分」と「本当は挑戦したかった自分」の折り合いがつかず、選手は長く苦しむことになる。五輪での3位と4位の最終順位自体に間違いはなかったように思う。ドイツペアにもミスはあったが、ロシアペアのミスのほうが演技の流れを止めてしまう深刻なものだった。川口選手が一瞬、手首を押さえるシーンもあった。だが、驚くのはフリーの演技構成点。この2組の直前のヨーロッパ選手権と五輪の点を比べてみると・・・ショート (左の数字が技術点、右の数字が演技構成点)ロシアペア ヨーロッパ:41.44+32.48=73.92 五輪 40.92+33.24=74.16 ドイツペア ヨーロッパ:40.92+33.2=74.12 五輪:42.24+33.72=75.96と、まるで、ヨーロッパ選手権の点をそのままスライドしたような出し方だ。ところが・・・フリーロシアペア ヨーロッパ:69.31+69.92=139.23 五輪 57.13+64.48(転倒によるマイナス1)=120.61ドイツペア ヨーロッパ:66.88+70.72=137.60 五輪:65.08+70.56(マイナス1)=134.64フリーでの川口ペアは技術点の低下の「ついで」に、ドイツペアより6点以上も低い点をつけられた。ドイツペアと同等レベルの演技構成点をもらっていたヨーロッパ選手権に比べると5点以上下がってしまったことになる。これで川口ペアはフリーだけの順位は7位まで落ちてしまった。そんなに悪かったか? 信じられない。ジャンプの失敗があったから? だが、そのほかのエレメンツ、たとえば優勝の中国ペアにミスの出たソロスピンなどは、川口ペアは素晴らしかったのだ。「これぞペアのソロスピンの王道かつ見本」の例を見せよう。どちらもロシアペア。1994年のリレハンメルオリンピックだ。1位になった ゴルデーワ&グリンコフ2位になった ミシュクチョノク&ドミトリエフ(コーチはタマラさん)1位のペアは、もう最初の滑り出しからユニゾンが奇跡。ここまでピタリとすべてのモーションを合わせられるペアは、彼ら以降見たことがない。絵に描いたような美男美女だから、機械仕掛けの人形が見えないレールの上を滑っているようにさえ見える。ここではスピンの話なので、1:42あたりから始まるスピンを見て欲しい。実はこのペアはここで失敗している。回っている間にタイミングがずれてしまい、1:48あたりで2人の回転がバラバラになった。ところが1:53あたりでスピンから出るときには、タイミングを合わせてきれいに同時にスケーティングに戻っている。つまり、これがペアのスピンの技術なのだ。回転速度がズレでミスが出ても、途中から合わせてくる。そして、最後にはピタリ。だが、途中回転速度がズレたというのはミスであることには違いはない。ミシュクチョノク&ドミトリエフのスピンはゴルデーワ組のようなミスはない。1:37ぐらいから始まるのだが、2人の距離が狭く、軸足を替えたあとで、さらに距離を縮めている。ゴルデーワ&グリンコフのようなミスもなかった。解説の五十嵐さんも演技が終わったあとにこのスピンを褒めている。彼の解説がすべてを語っているので、追加することはない。川口選手は、このペアのソロスピンの王道をしっかりと継承している。ビデオをとった方は見て欲しいのだが、さかんにパートナーのほうを見て、回転を彼女のほうが合わせようとしているのがわかる。なのに点を見ると、こうしたロシアペアの努力はほとんど評価されていないのだ。バンクーバーでの川口ペアと申雪・趙宏博ペアのフリーのソロスピンの点を見ると、点差はほとんどない。わずか0.3点。エレメンツで明白なミスをしたペアと完璧にこなしたペアの点差が、これだけとは・・・このエレメンツの得点を見て、Mizumizuは心底ガッカリしたのだ。エレメンツでミスしてもなぜかたいして点が下がらない(GOEで減点されない)選手がいる・・・この「不思議な現象」は、シングルでも顕著だと思う(誰のどんなエレメンツかは、あえて言わないが)。だから、あとから各選手のエレメンツの「出来栄え」を見て、それに与えられた点を見比べると、明らかに劣っているのに点が高かったり、悪くないのに低かったりといった矛盾が見えてくる。「なんで、申雪・趙宏博ペアのスピンに加点なわけ?」 ↑この疑問(ときには憤り)は、シングルでも特定の選手のGOEに顕著だ。だが、それが意図的なのか、あるいは人間が見る以上起こりうるものなのか、明確にはわからないのだ。そこにあるのは、「限りなく恣意的に見える得点」だけ。加点や演技構成点には、こうした「疑い」が付きまとう。だからこそ、加点割合をもっと抑制するなり、演技構成点を5つのコンポーネンツでなく3つにするなり、主観による操作をできる限りしにくいよう抑制するべきだのだ。客観性を柱にした新採点システムを続けるならそれしかない。逆に、ジャッジの主観を重んじるなら、こんなわけわからない点を「匿名」の裏で積み増しして、結果意味不明の銀河点が出てくるようなシステムではなく、ジャッジの顔が見える旧採点システムに戻すべきだ。ペアの採点に話を戻すと、1位の中国ペアの演技構成点が72.4点なのに対し、ロシアペアは64.48点。「例によって」8点近くの差をつけられている。そして、最終順位の点数を見ると1位 216.57点 (中国)2位 213.31点 (中国)3位 210.60点 (ドイツ)4位 194.77点 (ロシア)5位 193.34点と3位と4位の間にクッキリ「仕分け」ラインがある。その下はまた、団子状態。解説のカナダ在住日本人スペシャリスト天野氏は、ロシアペアの点が低かったことについて、「(4回転を回避したことで)攻め切れなかった」と説明した。要するに後付けの辻褄合わせだ。技術点が下がると、演技構成点も下がるという傾向は以前はあった。だが、それはどの選手に対してもだった。今は、フリーでコケようがミスろうが、高い演技構成点をキープして出してもらえる選手と、ミスると待ってましたとばかりに演技構成点も下げられてしまう選手がいる。前者のタイプの側にはつまり、ジャッジが「ついていて」、後者のタイプの側にはジャッジが「いない」のだ。ジャッジは五輪ペアでは明らかにロシア側におらず、ドイツ側にいたのだ。こうしてロシアは、メダルなしに終わり、最強の伝統を誇ったペア王国は崩壊した。アイスダンスもそうだ。ロシアのカップルは、なんだかんだ足を引っ張られ、粗探しをされ、結局銅メダル。金と銀を北米で分け合うという出来すぎの結果。<続く>
2010.03.04
<続き>ステップのレベル認定緩和(?)の前哨戦はカナダの国内大会だったと思う。なんとチャンのステップ全部にレベル4とすんげ~(笑)加点。すると、ジャンプがダメな選手でも、かなり点をかさ上げできることがわかった。その一方で、4回転2種類を決めたレイノルズ選手は、フリーの演技構成点で、チャンに27.68点もの差(繰り返しますが、演技構成点だけの差ですよ)をつけられて総合3位に落ち、オリンピックにいけなかったのだ。http://www.skatecanada.ca/en/events_results/events/cdns10/results/sd2.pdfフリーで演技構成点が1位と2位の選手で27.68点。これは「異常」に見えないだろうか? Mizumizuにはそう見える。だが、別に「不当」ではない。「不当」の根拠はどこにもないからだ。慣習的な感覚から見れば、まったく異常に見えるが、それだってちゃんとルールにのっとって出された点。ファンや関係者が、それぞれの主観で「妥当だ」とか「この点は出すぎ(あるいはこの点は低すぎ)」などと主張しても、ただの水掛け論になってしまうのは、明確な基準が何もないからだ。感覚的な「妥当」感は、これまでの点で出方からの推測とその選手に対する自分の好みが加味され、自分の主観で納得できる範囲の点なら「妥当」、それを逸脱した点なら「不当」になる。点が高いか低いかの議論がかみ合わないのは、当然のことだ。こうやって今シーズン、どんどん演技構成点は発狂していった。そのきっかけになったのは、明らかにロスのキム選手の演技構成点だ。このカナダの国内大会のあまりの採点に噛み付いたのも、ストイコだった。そのとおりだと思う。自国の国内大会の採点を元選手が批判するなど、普通はありえない。同等の技術点を取っても、スケートの技術と表現力を評価する演技構成点で25点だ30点だと差をつけられるのなら、試合などやる必要はない。やらなくても勝負は決まっているのではないか?ロシアも同様の手段で対抗した。プルシェンコの国内大会の点は、これまた発狂花火と言っていい。あっちこっちでやりたい放題。勝たせたい選手をどこまでも上げる。エゴ丸出し。新採点システムの柱だった、「客観性」は一体どこに行ったのか。オリンピックでも、基本的にこの手法は使われたと思う。「これでは競技会でなくて、リサイタル」、ストイコはそう切り捨てた。それはペアの試合でもう明らかだった。優勝したのは、中国の申雪・趙宏博ペア。中国ペア史上最初にして最高のペア(だとMizumizuは思っている)だが、これまで厚いロシアの壁に阻まれ金メダルがない。長く活躍した悲運のペアに金メダルを・・・というムードは、もうショートからアリアリだった。滑走順が早かったのにもかかわらず、素晴らしい演技をして歴代最高得点。旧採点時代ほどではないにせよ、「絶対評価」の今でも滑走順が早いと点が出にくいという、これまでなんとなくあった慣習的な傾向をあっさりと覆す。これも事前「仕分け」の効果だろう。断っておくが、申雪・趙宏博ペアのショートの演技は、このうえないほど素晴らしいものだった。さて、問題のフリー。申雪・趙宏博ペアの「アダージョ」は例によってカナダのローリ・ニコルの振付。しっとりとした雰囲気は素晴らしく、芸術性の高いプログラムだった。投げ技も目を見張る凄さだし、独創的なデススパイラルも見せるが、なんといっても滑りの美しさが際立っていた。だが、ミスも目立った。非常に悪かったのはソロスピン(ペアが離れて行うスピン)の回転が途中、2人で相当バラバラになってしまったこと(軸も流れてしまっていた)、それにリフトの途中でバランスを崩し、途中で降りてきてしまったことだ。ペアの華であるスピンとリフトでの失敗は、はっきり言って相当に痛い。だが、例によって演技構成点が高く出て、そのまま逃げ切った。逆に総合2位になった(同じく)中国ペアはエレメンツは完璧にこなしたのに、ショートで(完璧なできだったにもかかわらず)点をおさえられて1位と約5点点差をつけられ、4位と出遅れたのが響いて逆転できなかった。ミスのないペアが勝つという競技会の基本からするとこの結果はどうかと思うし、申雪・趙宏博ペアのようにスピンがあれほど乱れて、リフトが途中で崩壊してしまうなど、五輪王者にはふさわしくない演技だ。もちろん2人の滑りはなめらかで、独特な世界を醸し出していたのは確かだ。表現力では、2位のペアを寄せ付けないものがあったと思う。だが、「滑りがきれい」で「独特の世界」を楽しむなら、それこそまさにアイスダンスを見ればいい。そもそも新採点システムが導入されるきっかけになったのは、ノーミスだったカナダペアを、ジャンプの着氷で少しガタッとなったロシアペアが破り、それが「裏取引によるものだ」という告発がなされたからだった(後にそう言い出したフランス審判は自分の発言を撤回したにもかかわらず、真相解明はなされないまま、メディアの報道で「不正があった」ことになってしまった)。ところがその結果、導入された採点システムでは何が起こっているのか? ノーミス(に見える)選手が明らかなミスをした選手に勝てない。「表現力とエレメンツの質の評価」が、勝敗にあまりに大きく影響する。それでは、まさに「リサイタル」ではないだろうか?さらに悪いのは、旧採点法ならば、ショートで2位以下でも、フリーの出来次第で逆転が可能だったのが、今の事前仕分けによる採点では、「ショートで点差をつけて、フリーが悪くても逃げ切り」のパターンがあまりに増えてしまったことがある。旧採点システムでもショートは大事だった。ショートで4位と出遅れると、自力の優勝がなくなり、自分がフリーで1位をとっても、ショート1位が3位まで落ちなければ優勝できない。だが少なくともショートで2位の選手は、フリーで自分が1位になれば逆転できた。ショートでメダル候補を「仕分け」して、優勝候補にあからさまに高得点を与え、フリーではミスが出ても演技構成点を高くして順位をキープさせる今季のやり方では、旧採点のような「誰の目にもわかりやすい」逆転優勝劇が非常に出にくくなった。その分、ショートに強くフリーでミスが出やすい選手(キム選手も高橋選手も、基本的にはこのタイプ)には有利だ。フリーの演技構成点で救ってもらえることがほぼわかっているなら、余裕をもって演技もできる。ショート2位の選手がフリーで1位になっても、ショートの点差で逃げ切られてしまうという試合が目に見えて増えてきたのはここ最近だ。逆に勝たせたい(とジャッジが思っているであろう)選手が2位にいて(だいたいその場合は、トップとの点差はわずかだ)、フリーで多少ミスが出ても、演技構成点をより高く出すことで、逆転させることもできる。これはまともに客観性(基礎点)を重視していた数年前では考えられないことだ。以前はフリーの点が大きい分、基礎点の高いジャンプを組んだ選手が大逆転をすることもあったが、上位の選手間では、今はそういうエキサイティングな大逆転は起こらない。同じシステムなのに、ここまで操作性を高め、元来の目的を歪めてしまったのは、本当に信じられないことだ。結局のところ、主観のからむ採点競技での絶対評価というシステムは、理想主義的すぎた。ジャッジには思惑がある。それを一切廃して(あるものをないことにして)、選手間の比較ではなく、絶対評価で点をつけるなど不可能なのだ。明確な「完成形」のモデルがどこにもないのに、「完成度」が高ければ加点をしたり、演技構成点を高くしてもいいという話は、そもそも矛盾している。さらに演技審判がどんな点をつけたのかを秘匿としたこと(「ジャッジの匿名性」という話がこれだ。参加したジャッジの名前は公表されているが、誰が誰にどんな点をつけたのかは秘密になっている)が、さらにファンからの信頼を失わせる結果になったと思う。 ペアの採点では、もう1つ「異変」があった。それは3位に入ったドイツペアと4位に落ちたロシアペア(女性が日本人の川口選手)。この2組のペアは直前のヨーロッパ選手権では、順位が逆だった。 技術で優れている中国ペアとヨーロッパ勢がどういうふうにメダルを分け合うことになるのか? バンクーバー五輪が開催中に、ドイツペアはヨーロッパ選手権でのジャッジングを批判することで、ロシアに圧力をかけてきた。同じドイツ人がIOCの副会長に再選された日(2010年2月13日 。 国際オリンピック委員会(IOC)は12日、バンクーバーで総会を開き、ドイツのトーマス・バッハ副会長と南アフリカのサム・ラムザミー理事を再選した)を見はからって出された、ドイツペアとそのコーチの発言記事。http://de.eurosport.yahoo.com/12022010/30/steuer-kritisiert-preisrichter-laquo-schlupfloecher-raquo.htmlSteuer kritisiert Preisrichter: «Schlupflöcher»シュトイヤー(ドイツペアのコーチ)、ジャッジの採点には「穴」があると批判Dennoch finden die Preisrichter nach Steuers Ansicht Wege, «den einen oder anderen zu bevorteilen». Bei der Europameisterschaft in Tallinn, als sein Chemnitzer Paar nur Silber hinter den Russen Yuko Kawaguchi/Alexander Smirnow gewonnen hatte, «waren sie nicht auf unserer Seite». Bei der Europameisterschaft in Tallinn, als sein Chemnitzer Paar nur Silber hinter den Russen Yuko Kawaguchi/Alexander Smirnow gewonnen hatte, «waren sie nicht auf unserer Seite».(透明で客観性の高い採点システムにしようと改正を繰り返してきたにも)かかわらず、シュトイヤーによれば、ジャッジは、「誰か、あるいは別の誰かを有利にする」方法を見つけたという。タリンでのヨーロッパ選手権で、ドイツペアがロシアペアに負けたとき、「(ジャッジは)我々の側にいなかった」<続く>
2010.03.03
<続き> 高橋選手の演技構成点が高いのは、彼が優れているからだとしても、それを見抜く目のあるはずのジャッジがなぜ、一流のスケーターがこぞって賞賛する小塚選手のスケート技術(カナダのブラウニングもストイコも、小塚選手のスケート技術は世界トップだと褒めまくっている)に異様に低い点を与えるのか理解できない。あるいは、あれほど深く、激しく、スピードのあるエッジ遣いで、ビビッドな踊りを披露し、観客を魅了できる鈴木選手が何度試合をしても、演技構成点が(他の選手に比べて)低いのかも理解できない。出てきた低い点をみて、「鈴木選手は去年の世界での実績がないから演技構成点が出てこない」と辻褄合わせをする人もいるが、それだったら、高橋選手は? 昨シーズンはケガで実績ゼロ。2季前はワールド4位。3期前のワールド銀メダリスト。フィギュアの世界で3季前の実績がモノを言うというのは、聞いたことがない。プログラムの良し悪しで点が決まるという人もいる。だが、それだったらウィアー選手はキム選手と似たテイストのプログラムを作ったのに、演技構成点が伸びてこないのはなぜなのか? この2人のショートは「娼」性を前面に出しているという意味で共通しているし、キム選手のフリーは「ヨナ自身(振付のウィルソン)」だというが、ウィアーのフリーの「無性の堕天使」だって、ジョニー自身ではないか? ウィルソンは、キム・ヨナ方式で、ジョニー・ウィアーのプログラムを作ったのだ。よく見れば運動量の少ない躍動感に欠けるプログラムだが、キメのポーズの美しさや、全身を大きく使ったしなやかな動き(あまり速くはないが)など、共通する点が多い。ウィアー選手は高橋選手のようには踊れないかもしれないが、それを言うなら、キム選手も鈴木選手のように生き生きと跳ねるような踊りができる選手ではない。EXを見たが、滑りのなめらかさとストロークの気持ちのよい伸び、ところどころで入る腕の動きは、一瞬ハッを胸を突かれるような美しさがあるのだが、動的な躍動感に欠けるため、すぐに飽きがきてしまう。滑りは確かにきれいだが、エッジ遣いでもっと見せることのできるハズのフィギュアスケートの表現としては、多少物足りないものがあるのも確かだ。これはチャン選手にも通ずる欠点で、チャン選手の動きも、難しいことをしなやかにやってしまう点は素晴らしいのだが、それがパターン化している。2人とも氷上表現の「繰り返し」および「1つのモーションあるいはポージングの派生パターン」が多いのだ。キム選手を好まない人は、たいてい、「彼女の動きは、いつも同じに見える」という。それはそれで的を射ている。キム選手・高橋選手の表現力の評価が高く、ウィアー選手・鈴木選手の表現力の評価は低い理由には、まったく一貫性が感じられない。だから、ジャッジが正しく選手の能力を判断しているとは、とても思えないのだ。ただ、小塚選手・鈴木選手・ウィアー選手は強豪国の3番手に「仕分けされている」から演技構成点が出ないと考えれば、妙にスッキリ理解できる。ジャンプ構成を落としてきれいにまとめる。皆がこの路線で来ると、基礎点が横並びになり、結局はジャッジ団が勝たせたい選手を勝たせるように主観点で恣意的な順位操作がより容易にできるようになる。トリプルアクセル2つに、トリプルルッツ2つと同レベルのジャンプ構成できて、すべてきれいに着氷しながら、五輪王者になったライザェック選手と6位に沈んだウィアー選手の結果の違いを見れば、それがよくわかるではないか?五輪では、ジャンプをすべてクリーンに降りられる選手はほとんどいない。ウィアー選手は、ジャンプをほぼすべてクリーンに降りたと言ってもいい。個性にあった魅力的なプログラムも作った。なのにジャッジは、ほぼ同じことをやったライザチェックに五輪王者の座を与え、ウィアーにはメダルを与えなかった。これは列強による「ポーランド分割計画」ならぬ、ISUによる「メダル分配計画」の結果のように見える。北米・ヨーロッパ・日本にメダルは1つずつ。「打倒プルシェンコの一番手」に祀り上げられていたチャンが沈んだ分、ライザチェックはトクをしたかもしれない。あるいは女子にロシェットがいる分、何かしらの力学が働いたのかもしれない。女子のほうは、キム・ヨナ、ロシェット、浅田真央(浅田選手がショートで自爆したら、安藤美姫のフリーのエレメンツの加点や演技構成点を少し上げればいい)。こうした構図が透けて見えたのは、ウィアー選手が4回転で自爆しなかったせいだ。ショートで同じジャンプをやっても点がのびない場合、選手もコーチも高難度のジャンプで勝負をかけたがる。だが、ガリーナコーチは冷静だった。ウィアー選手は4回転ができないわけではないが、回転不足のまま降りてきてしまいがちだ。タフなほうではないので、大技を入れると後半のジャンプでミスが連鎖することが多い。なので、「五輪ではクリーンなジャンプを降りた選手が勝つ」という従来のセオリーにしたがった。ウィアー選手は見事にそれをやり遂げた。それなのに・・・だが、それだからこそ、コーエンやストイコが声をあげてくれたのだ。チャンにまで抜かれるという低い点に本人が誰より不本意だったと思うが、ウィアー選手は微笑みながら、ファンに落ち着くよう仕草で語りかけた。だいたいこうなることを予想していたのだと思う。それでも不満そうな顔をしないところが、立派ではないか。逆のことをやって、問題の所在をわかりにくくしているのが小塚選手だ。4回転を降りたのは快挙だ。だが、点は? 小塚選手の転倒はトリプルアクセル1回。チャン選手は2回(4回転はなし)。なのに、10点も差をつけられた。ありえないと思うのだが? ジャンプで転倒すると、印象が悪くなり演技構成点も下がるという人もいる。だが本当のことろ何が問題なのか、小塚選手が毎回毎回ジャンプで律儀に自爆する限り見えてこない。プルシェンコのコーチ・ミーシンは、五輪前に「歴代の五輪王者は天上にいる。今のジャッジは地の底に悪魔とともにいる」という意味の発言をした。実に素晴らしい詩人ではないか。アイロニーに富んだこの表現は、日本女子にとっても当てはまる言葉だ。それを誰も言わないだけで。「プルシェンコには金メダルをやらないぞ」工作も実に露骨だったと思う。Mizumizuはかねがね、この操作感アリアリになっていく採点の裏にあるのは、「ジャッジの研修会」だと思っていた。今のルールは明らかに、ある特定のトップ選手がもっている強さを過大に評価し、その弱さを過小に評価するようにできている。キム選手が研修会で「お手本」として使われたと、韓国紙が自慢したことがあったが、現役の選手の演技をお手本としてジャッジの研修会に使うなど不適切だと思う。過去の優れた選手の演技をお手本にすべきだろう。今回の男子の試合後に出た記事。 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/02/20/19.html今大会では開幕前から「休んでいた選手がいきなり優勝していいのか」というムードが漂い「演技点を出し過ぎた悪い例」という審判の研修用DVDには当初、トリノ五輪でのプルシェンコの映像が入っていた。ロシア側の抗議で最終的には削除されたが、この日の演技点は82・80点。ライサチェクと同じで日本の高橋(84・50点)を下回っている数字に、ロシア側は違和感を抱いた。 「演技点を出しすぎた例」がトリノのプルシェンコとは笑わせる。それを言うなら、ロスのキム選手の演技構成点だろう。今季の「わけわからない高得点」の原点は、あの試合なのだから。しかも、文句を言われるとすぐ引っ込める。なんとポリシーなきジャッジ研修であることか。 プルシェンコとライザチェックの演技構成点に差をつけられなかったのは、事前の「プルシェンコは演技構成点で落とすぞ」計画が、ロシア側からのクレームで阻まれたせいだろう。こういうことをしておいて、プルシェンコの演技構成点を低くしたら、ロシアはこのDVDを根拠にまちがいなく噛み付いてくる。プルシェンコの演技はジャンプ中心なので、「つなぎ」がよくない。それに対するカナダ側からのバッシングは感情的で、目を覆いたくなるような酷さだった。現役選手や元選手が、この偉大なスケーターをあからさまに誹謗する。プルシェンコの評判を、できるかぎり事前に落とそうというわけだ。すると不思議なことに、プルシェンコ全盛期には聞かれもしなかった悪評を、一般人まで口にし始めた。今回負けたことでさらに悪口はひどくなった。以前Mizumizuが、「ヤグディンのスケートのほうが、プルシェンコよりはるかに優れている」などと言っても、誰も耳をかさないほど、プルシェンコ信仰はゆるぎないものだったのに。 これはちょうど、浅田選手が成績を出せないと、急にファンや関係者が浅田選手をけなし始めるのと同じ現象だ。Mizumizuブログを過去から読んでいる方なら、実はMizumizuがヤグディン贔屓(もちろん本田選手も)で、プルシェンコのスケートが必ずしも好きでなかったことをご存知だと思う。あの伸びない、エッジも浅い、直線的なスケーティングや強引な動きなど、今でもプルシェンコは、スケーターとしては必ずしも好きなタイプではない。だが、オリンピックに向けてあれだけウエイトを落とし、実際には練習では転倒もしているというジャンプを決して人前で失敗しない。レベル認定の要件がこれだけ変わったにもかかわらず、スピンやステップのレベルをピシッと揃えてくる。「1日8時間から9時間練習した」と言っていたが、すでにありあまる栄光を手にして、復帰する個人的な理由はほとんどないにもかかわらず(ヘタをしたら全盛期と比べて嘲笑されるだけの結果になる危険性だってある)、あえて復帰をして、しかも強さを見せ付けた。 プルシェンコが復帰してきた第一戦、解説の佐野さんは、「だいぶルールが変わりましたから・・・」と言っていた。ステップやスピンのレベルを取れるのか、ということだと思う。だが、元王者は、そこにも死角を見せなかったのだ。日本のエース、高橋選手がステップでレベルを落としたり、スピンでレベルが取れないうえにGOE減点されたりしているときに、だ。 すると、不思議なことに、年が明けてからあれほどレベル4が出にくかったステップにレベル4が出始める。だかこの傾向はまだ顕在化しておらず、ヨーロッパ選手権でのステップのレベル認定は、むしろ厳しかったのだ。これまで「3」を取っていた選手が「2」しか取れない。レベル認定も、厳しかったりゆるかったり、本当にわからない。<続く>
2010.03.02
<続き>キム選手のジャンプの加点に男子でもつかなかった「2」がついたことについて、「流れがいいから」「男子並みだから」といった説明がされるのは、一般の人に質のよさをわかりやすく伝えたいからなのだろうけれど、実際にはGOE加点の要件は一見「客観的に」定められている。1) 予想外の / 独創的な / 難しい入り2) 明確ではっきりとしたステップ/フリー・スケーティング動作から直ちにジャンプに入る3) 空中での姿勢変形 / ディレイド回転のジャンプ4) 高さおよび距離が十分5) (四肢を)十分に伸ばした着氷姿勢 / 独創的な出方6) 入りから出までの流れが十分(ジャンプ・コンビネーション/シークェンスを含む)7) 開始から終了まで無駄な力が全く無い8) 音楽構造に要素が合っている+1は、上の要件のうち 2 項目 に当てはまればよく、+2は 4 項目、 +3は6 項目またはそれ以上。だが、よく読むとわかるように、「音楽との調和」など、かなりどうにでも判断できる要件も盛り込まれている。何にせよ、加点要件に当てはまるかどうかの判断は、結局は主観で決まるのだ。キム選手のジャンプに「2」がついたのは、要は上の項目の4項目に当てはまると演技審判(おそらく全員)が判断した、というだけのことだ。ジャッジ団の総意があれば、こういう点が出てくる。「キム選手のジャンプは飛距離があって流れがあるから加点が出るって聞きました。じゃ、真央ちゃんももっと遠くに跳んで着氷後に流れるようなジャンプをするようにすればいいのに!」などという短絡的な意見には、口がアングリとなってしまう。浅田選手のジャンプはああいう跳び方なのだ。高くあがり、細い軸で、クルクルッと速く回る。コーエン選手もこのタイプだった。抜群の高さと飛距離で滞空時間を稼いでトリプルアクセルを回っていた伊藤みどりと違い、浅田選手はコマのような速い回転力で回る選手。ああいったジャンプを跳ぶ選手は、リピンスキー選手もそうだったが、ローティーンのころはジャンプが得意でも、成長するにしたがって跳べなくなることが多い。浅田選手は19歳の今も、トリプルアクセルを跳んでいる。あの驚異的にすらりとした体形を保っているからこそだと思う。それだけで奇跡なのだ。「加点要件」に当てはまるか当てはまらないかは、結局はジャッジの主観の問題。浅田選手だって、加点がつくように入り方を工夫するなど、対策を立てている。加点条件1つか2つに当てはめるためにジャンプそのものを作りかえるなど本末転倒な話だし、そもそも不可能だ(こんなアホな説明に、行を割きたくないわ、まったく)。だが、直せる部分もあると思う。実際に、セカンドにつけるループは、ここにきてだいぶよくなってきた(本番では、心配したとおりの悪い結果になってしまったが。まあ、そういうこともあらぁな)。ルッツはやはり、矯正してほしいと思う。たとえワンシーズンを棒に振っても。トリプルアクセルを跳ばない世界女王・五輪女王は別に不思議ではないが、ルッツを跳ばない女王というのは、(突然のルール改正という汚いやり方はあったにせよ、それを割り引いても)やはり個人的には好ましくないと思っている。ルッツを跳んでこそトリプルアクセルが、トリプルアクセルを跳んでこそ4回転が、「水戸黄門の印籠」になる。高橋選手のトリプルアクセルに、たとえば1.8点という加点がついたとしたら、それは上の要件の2から3項目にあてはまるから「1」、4から5項目に当てはまるから「2」とつけたジャッジがバラついて(もちろん、「0」にしたジャッジもいるかもしれないが)、計算上1.8点になった、ということ。だから、「2」という加点が「妥当か・妥当でないか」などという議論も、まったく不毛なのだ。ただ、男子にすらつかない加点を、いきなり(たぶん全員の)ジャッジがこれだけたくさんのジャンプにつけてきたというのは、普通ではないことだと思う。加点というのは、だいたい格式の高い試合になればなるほど、抑制される傾向があったからだ。加点要件が増えたとはいえ、男子のジャンプへの加点は昨シーズンと比べても、さほどついていない。むしろ、1点以下におさまるようにシーズン中の試合以上に抑制されているように見える。だから、キム選手への加点には、そこになんらかの意識合わせがあったとは思うが、だからと言ってそれが不正とは言えない。シーズン中からキム選手のジャンプに対する加点は、昨シーズン以上に高くなっていたと思うし、今回のキム選手のジャンプは平均して、「2」を取るに値する高い質のものだったからこそ、そういう加点が出た、とも言える。それが納得できるかどうかは、またまた主観の問題になってしまう。だが、「男子並みの流れがあるから、加点2がつく」「高さと距離が素晴らしいから、加点2がつく」という説明は、おかしいと思う。前者が要件の(6)番、後者が(4)番に当てはまることは事実だが、どんなに流れのスムースネスが際立っていても、また距離や高さが凄くても、そのこと自体では当てはまる要件の数は増えないからだ。個人的には、ジャンプの質を判断するGOEは、基礎点をないがしろにするものであってはならないと思っている。だから、もう少しダブルアクセル以上のジャンプの加点・減点の反映割合を少なくするべきだ。そうすれば、ジャッジのさじ加減、もとい主観による判断で大きく点差が開くことはなくなる。もちろん逆の考えもある。質のいいジャンプこそ、回転数が上のジャンプ以上の価値をもつというもの。キム選手に気前よく与えられる加点は、どちらかといえば、こちらの考えに沿ったものだと解釈もできる。もちろん、それもアリだと思う。だが、個人的には、2回転と3回転は、その考えで行ってもいいが、世界でも跳ぶ人の限られるトリプルアクセルと4回転に関しては、もっとそのジャンプの価値が評価されるべきだと思っている。現行のルールではむしろ逆で、2回転はどんなに質がよくても3回転以下の価値しかもたず、逆にトリプルアクセルや4回転はリスクが高すぎるものになってしまって、ちょっとでもミスるとやらなかったほうがマシというような点になる。「質」重視で行くにしても、現状のこの点はスポーツの精神に反していると思う。ロスの世界選手権のあともそうだったが、キム選手の演技構成点が「発狂」したあと、辻褄を合わせるように、男子のほうでも、理解不能の花火が上がりだした。今、「男子につかないような加点がキム選手のGOEについた」ことが異常に見えても、男子のほうにも「2」がついてくれば、「異常が常態化し、異常ではなくなる」のだ。加点に話を戻すと、高橋選手の単独トリプルアクセルや単独トリプルルッツ(特にショートの)などは、「2」がついてもおかしくない質のものだと思う(2、3、4、6に当てはまっていると思う。7を入れてもいいかもしれない。もちろん失敗しなければだが)。彼の欠点は連続ジャンプにしたときのセカンドのジャンプ。飛距離が出ず、小さくなりがちだ。高橋選手の場合は、やはりジャンプミスをしないようにして技術点での減点をなくせば、世界トップに仕分けされた「表現力」と単独ジャンプやステップへの加点で、もっと点が出ると思う。五輪をみても、技術点で足を引っ張っているのは、明らかに4回転。皆は、「高橋選手が4回転を決めれば、堂々とプルシェンコを破れる」と思っていると思う。それはそうだが、現状ではそれはかなり難しい。というか、今シーズン4回転に固執することで、高橋選手は点を失い続けているというのが本当のところだ。シーズン中よりはよかったが、五輪でも後半体力がもたなかった(あれで笑顔で滑っていられるのが凄い・・・)。スケーティングで気になったのは、後半の3+3のジャンプに入る前の滑り。あそこで曲のテンポが速くなる。そこで得意のスムーズな加速で盛り上げて・・・と思ったところが、アリッ?いつものような気持ちのいいスケーティングの伸びがなく、音楽に遅れていた。スピードにのれなかったことが、連続ジャンプのミスを招いたと思う。高橋選手のジャンプミスは、今季常に4回転を入れることによる体力消耗とリンクしている。キム選手への点数の与え方から見ても、「スケーティング技術」「ジャンプ」「表現力」に偏りや欠点の少ない高橋選手が非常に有利で、キム選手への加点を正当化しようとしてジャッジが男子にも「2」をつけるなら、その対象にまっさきになりそうなのは、やはり高橋選手の単独ジャンプではないかと思う。<続く>しかし・・・こんな個人ブログに1日12万件(1万2000ではなく、12万件・・・)のアクセスとは。みなさん、一体どこからいらっしゃるので?
2010.03.01
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