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ニースのオバちゃんタクシードライバーで懲りたので、ヴィルフランシュまではバスで行った。 ホテルからバスターミナル(Gare Routie're)まで行き、バスターミナルからマントン行きのバスに乗ってOctroi(ヴィルフランシュのバス停)で下車。2人で計4ユーロで来た。バス停のあるOctroiから海沿いのホテル(Hotel Welcome)までは、直線距離にすれば300メートルほどなのだが、急な坂を下りなければならず、荷物を引きずって歩くのは難しい。なので、直線距離にして300メートル、急カーブの道を走ったときの総距離にしたって500メートルぐらいの間だけ、タクシーに乗ることにした。南仏のタクシーってのは、タクシー溜りに車だけ置いて、ドライバーが長々とどこかに行ってしまっていることも多い。ヴィルフランシュでも、バス停のすぐわきに、メルセデスのタクシーが停まっていたが、ドライバーがいない。しばらく待っていたのだが戻ってこないので、仕方なく近く店に入って別のタクシーを呼んでもらおうとしたところに、人相の悪い男のドライバーが帰って来た。行き先を告げると後ろのトランクを開けてくれた。荷物はソフトケースが2つに、それよりさらに小さなキャリーバックが1つ。キャリーバックをMizumizuがトランクに入れようとすると、車体の一部を指差して、「当たった」みたいなことを言っている。指差してるところを見たが、別にキズをつけたわけでもない。奮発してメルセデスを買ったもんで神経質になってるのか? えらく感じ悪いオッサンだとは思ったが、まぁ、女2人だとこうやってナメる輩は世界中にいっぱいいるし、こっちも別にキズつけてもいないのに謝る必要もないので黙っていた。乗り込んで、走り出したところでメーターを確認しようとしたのだが・・・あれ? メーターがこっちを向いていない。しげしげ見ると、ドライバーがメーターを自分のほうに向けていた(あんなふうに回転するとは知らんかった)。一応2.9ユーロになっている。急な坂をくだったところで、もうホテルの看板が見え、あっという間に到着。んで、Mizumizu+Mizumizu母が降りたら、荷物を降ろしたあと、人相の悪いドライバーったら、「15ユーロ、プリーズ」と言うではないか!はああああ? 15ユーロ!? ほんの数分、乗っただけだぞ。「10ユーロでいいんじゃない?(←冷静に考えれば、10ユーロだって相当高いと思うのだが)」と一応交渉(?)したが、「メーターで10ユーロ。荷物が3つもあるから5ユーロ。だから15ユーロだ」などと言い出す。はあ? メーターがもう10ユーロに上がったって? ありえんわ!と思ってみると、なんとなんと、ドライバーの奴、メーターを自分のほうに向けてこっちが見てない間に、こっそり操作して10ユーロに上げたらしく、赤字数字できっちり10と表示されている。メーターのウラ操作! まるで昔の香港じゃないの!でもって、座席の前に、荷物1.3ユーロ・・・と書いてある紙を指差して、いかにも「規定どおり」というような顔をする悪質ドライバー。1.3ユーロに3をかけたって5ユーロにはならないんだけど、ほかはチップというアタマらしい。Mizumizu+Mizumizu母と抗議したが、譲らないので、仕方なく投げつけるようにしていい値を払うと、「サンキュー、ハバグッデイ」などと急に変に丁寧に挨拶始めたドライバー。こちらはもう顔を見る気もしない悪徳ドライバーを押しのけるようにして、日本語で、「ドロボウ!」と悪態をつき(ついでにツバ吐きのマネでもするかと思ったが、それじゃキム・ヨナだと自制した・笑)、思いっきり怒った態度でホテルに入ろうとしたら・・・「そっちじゃない、向こう」と、ご丁寧に指差すドライバー。悪質ドライバーの常だが、ホテルのまん前ではなく、ちょっと手前につけていたというワケ。声を出せない典型的日本人のMizumizu母も全身で怒りを表現して、つんつん立ち去った。後ろでまだ挨拶してるドライバー。なぜかこういうボッタクリに限って、最後は「丸くおさまったフリ」をしたがるのだ。15ユーロったら、日本円で2000円ですよ。乗ってた時間って、2分? それとも3分?ニースに近づくにつれて、タクシーはこんなになった。遠いカルカッソンヌでは、メーターが6.1ユーロになったら、「6ユーロでいいよ」とドライバーが言ってくれて、ちょうど20セント硬貨があったので、「いえいえ、これをどうぞ」とあげて、「メルシィ」とお互い気持ちよく別れたのだ。エクスアンプロバンスではタクシーを呼ぶと、最初からメーターが押された状態で来たが、それでも街中だったら8ユーロぐらい。ちょっと遠くのTGV駅行きの長距離バス停まで、街はずれのホテルから行ってもらってメーターで14ユーロちょっと。それを切り上げて15ユーロ払った。もちろんそのときは荷物代などとは言われなかった。ニース近郊のカーニュのルノワールの家から、(バスの便が悪いので)タクシーを呼んで、そのとき初めて、「10ユーロでいい?」と聞かれた。同じバス停から行きはタクシー8ユーロで来たが、呼んでもらうのだし、2ユーロぐらいの上乗せは別にいいと思い、OKした。このくらいまでは、特に気分が悪いということはなかったのだ。ところがニースに入ったら、これ。1回乗せて10ユーロぐらい欲しいという気持ちはわかるが、それなら何のためにメーターがあるのやら。ニースの遠回り+2ユーロ切り上げのオバさんで怒っていたら、ヴィルフランシュのベンツ野郎は、こそこそメーターを隠し、操作までして「正当性を偽装」してきた。どこまで外国人観光客をバカにしているのやら。ケチなフランス人(というか、たいがいは豊かでないのだ。だから極力安くすませようとする)は、はなっからタクシーなんかには乗らず、バスを活用する。タクシーのお客は当然、トラムやバスの活用方法を知らず、言葉も地理もわからない外国人観光客が中心。どうせ一度限りの客だし、ニースまで来て遊べるくらい金持ちなのだから、多少吹っかけたってどうってことないだろう(と、タクシードライバーはおそらく思っている)。こうやってタクシーは評判を落とし、ますます客が乗らなくなる。客が減るから、たまの客にはここぞとばかり吹っかけるようになる。自分たちで自分たちの首をしめているとも知らずに。ニースから隣町のヴィルフランシュまで2人で500円ちょいで来たのに、タクシーにちょっと乗ったら、いきなり「荷物代プラスアルファ」などと言って2000円取られる。これが観光大国フランスの実態だ。南仏だけなのか、全国的にそうなのかは知らないが、荷物預けのない駅が多いなど、外国人の個人旅行客には実に不親切。街中でトイレが少ないのは、皆さんもうご承知だと思う。そのうえタクシーでの、メーター無用の「ぼったくり」。日本人がだんだん行かなくなるのも、当然だろう。しかも、バス(ニースはトラムもだが)の料金支払いシステムが、実にいい加減。ハッキリ言って、タダ乗りし放題だと思う。バスの切符は運転手から買えるのだが、そのあと機械に突っ込んでバリデーション(刻印)しなければいけない。この刻印をしなければ、買った切符は次でも使える。たいてい運転手が、「バリデーションして」と言うのだが、混んでいると目が届かなくなる。切符がなくても乗れてしまうのはいうまでもない。たぶん検札官が乗ってきて乗客の切符をチェックする制度なのだろうけど、イタリアでは頻繁に来た検札官、ニースおよびその近郊では一度も来なかった。これでは事実上の「放任」だと思う。バスやトラムはたった1ユーロだし、その不正を発見するために検札回数を増やしたら、人を使う分おそらくそっちのほうがコスト高になるのだろうと思う。しかし、それは「ちゃんと払っている人間」に対して不公平ではないか。こうした「アンフェアなお目こぼし」は、日本人には非常に気になるのだ。モノを知らない観光客は水にしろ、タクシーにしろ、やたらめったら割高な料金を払わなければいけない「仕組み」になっていることも含めて。フランスと比べると、日本は実に「公平さ」にこだわる国だということがよくわかる。それが結果として本当に皆に公平になっているか、人にやさしくなっているかどうかはともかくとして。たとえば日本のホテルでは、チェックインの前には客をなにがなんでも部屋に入れないところが多い。チェックインが「3時」という規則だったら、その規則は誰に対しても公平に適用される。規定の時前に来た客だけ先に入れてしまったら、「不公平」になるからだ。ヨーロッパでは、そういうホテルもあるが、部屋の掃除が出来ていれば、たいていは早い時間に来ても入れてくれる。疲れている旅行者にはそのほうが「やさしい」し、荷物をいったんフロントに預けたりしなくてすむ分、ホテルのスタッフにとっても「仕事が減る」というメリットもある。さてさて・・・帰りは鉄道を利用するつもりだったので、ヴィルフランシュのホテルでタクシー代について聞いたら、「鉄道駅まで500メートルぐらいで、歩いても5分。タクシー呼んだらたぶん10ユーロから。荷物によっては15ユーロかかる」と言われた。長距離バスのバス停までの道は坂なので、歩くのは大変だが、鉄道駅までは平坦な道。ただ、「狭い歩道」「段差」「石畳」の3点セットで荷物は引きずりにくい。だが、また2000円もふんだくられたうえ、鉄道駅のホームに上がる長く急な階段(これが荷物を運搬する個人客のヴィルフランシュ鉄道駅での最大の難所wwwになっている。エレベータなんて気の利いたものはない)は自分たちで荷物を上げなければいけなくなりそうだし、シニア世代のMizumizu母が、タクシー運転手の悪辣ぶりにいたく立腹して、「歩く!」と宣言しているので、ニース方面へ向かう帰りは、ホテルから荷物を引きずって歩いた。手ぶらなら5分だという道、20分ぐらいかかったのだが。ヴィルフランシュ駅へ向かう道。ちぐはぐな舗装の歩道は、この先で途切れ、やがてまたさらに狭くなって始まるのだが、いちいちある段差が荷物をひきずる女の身にはきつい。最後にして最大の難所(笑)、ヴィルフランシュ駅のホームへの階段。 こういう悪質なタクシーを避けるためには、どうしたらいいだろう?残念ながら、フランス語のできない、いたいけな日本人観光客には事前に防ぐ手立てはないと思う。メーターを使ったって、ニースの街中は、いくらでも遠回りができる。やはり「タクシーは、なるたけ使わない」しか手はない。だからこそ、事前に情報をゲットして自己防衛しよう。 (明日簡単な主なバス・トラムの使い方を説明します)
2010.04.30
ニースを中心に、コートダジュールの村を訪ねたいと思う方は多いと思うのだが・・・その際は、大いにバスを活用しよう!今回ニースに行って驚いたのは、路線バスの安さとタクシーの悪質さ。まずカーニュ・シュル・メールという町からニースに行くのに、「バスなら1ユーロ」と聞いて、はっ? そんなに安いの?とビックリ。カーニュ(Cagnes)からニースまではバスで30分かかるのに、1ユーロですむとは。しかし、しかし。ニースからエズ村に行っても、ニースからマントンに行っても(ニースからマントンまでバスだと、渋滞もあって正味1時間半ぐらいかかってしまうのだが)、やっぱり1ユーロだった。ニースのバスターミナルは、鉄道駅とは離れたところにあるが・・・http://www.lignedazur.com/ftp/plans_FR/Nice%20Centre%202010prot.pdf↑こちらの地図参照。SNCFが鉄道駅、赤いぶっとい線がトラム。下の囲みの拡大図のGare Routie'reが近郊の町へ行くバスターミナル。逆に言うと、感じのよいホテルが立ち並んでいる海岸沿いのプロムナードザングレからなら、東行きならだいたいどのバスに乗ってもバスターミナルの中(長距離バス)、あるいはそのすぐそば(市内バス)まで行くので、とても便利なのだ。海を眺められるプロムナードザングレにホテルを取り、バスを活用して近郊の町を回る・・・というのがMizumizuのお奨め。なんなら、大きな荷物をニースのホテルに預けて(ホテルのランクによるかもしれないが、ふつうは別に何日預けようとタダ)、1泊分の荷物だけもった身軽なカラダで、ひなびた町の感じのよさそうなホテルに1泊してきてもいい。ニース市内を走るバスはミニバスが多いが、近郊の町まで行くバスはとっても立派。問題は本数。ほぼ20分に1本と、非常に頻繁にある路線(ニースからマントン行き、あるいはニースからヴァンス行きなど。ヴァンス行きに乗れば、ルノアールの家のあるカーニュやサンポールなどの村へも行ける)と、1時間~2時間に1本とあまり便のないバス(ニースからエズ、あるいはカーニュのルノアールの家を通る市内バス)の差が激しいこと。逆に空港行きのバスや在来線の駅とTGV駅を結ぶバスなどは割高。通勤などの生活路線は安く、旅行に使う路線は割高ということか。実に徹底している。カーニュの村では無料の循環ミニバスまであった(こういうバスは観光名所のルノアールの家には行かない)。しかし・・・1駅乗っても70分(だったかな? 基本は)乗っても、バスが1ユーロというのは、いくらなんでも受益負担の面で不公平だと思うのだが。通勤などに使われる生活路線のバスを1ユーロに抑えるというのは、一種のセーフティネット、つまり社会保障の一部という考え方なのかもしれないが、あんな豪華なバスに乗客を1ユーロで1時間も乗せたら、利益なんてモチロン、当然、はなっから出るわけない。こうした住民サービスは当然税金でまかなわれる。杉並区にも「すぎまる」という短い路線の循環ミニバスがあるが、これだって一応100円を取ってる(もちろん、それで利益が出るワケはないのだが)。ニースの住民向けバスのサービスは杉並なんてもんじゃなく手厚い。で? バス運行会社の労働者がまた「賃金上げろ」とストをやってゴネたら、その希望をかなえるためには、結局はさらに税金を突っ込まないといけなくなると思うのだが? フランスのバス会社は、鉄道ほどには運営形態が複雑ではないかもしれず、経営母体がスリムなら、「やりくり」はある程度可能なのかもしれないが、それにしたって、乗る側が、「1ユーロで乗せろ(どうもニースのバス・トラムの初乗り運賃は1ユーロに「値下げ」されたらしいのだ。1駅でも1ユーロ超と考えると、確かに高い)」、働く側が、「もっと賃金よこせ」とお互いにエゴったら、行き着く先は税金での穴埋めしかないワケで、そうなるとこうした住民サービスにかかる費用はどんどん上がる。フランスの行政がどういう打ち出の小槌を持っているのか知らないが、国民の税負担と住民サービスのバランスをどうやって取るのか、これからも取り続けることができるのか。選挙で政権交代させてから、1年もたたないうちに国の借金が7兆も8兆も(もしかして、もう9兆いってますか?)増えてしまったアホな国の人間が心配するのもおこがましいが、フランスの社会保障政策には、どうもある部分で行き過ぎ感があり(そのわりには、猛暑でお年よりがバタバタ亡くなるのをどうにもできなかったことなど、日本人からすれば「なんですぐにエアコン入れることさえできなかったの? 本気になればエアコン設置工事なんて数時間で済むじゃん」と思う部分も多いが)、「大丈夫か? 一体、こんなこといつまで続けられるの?」と疑問をもたずにはいられない。フランス人と日本人は考え方や価値観が180度近く違うので、社会のコンセンサスの作り方も国の運営の仕方もまるで違うのだが、国民が「そこそこの暮らしができている」という部分では共通している。だが、増大するばかりの対住民サービスの財源をどうやって持続的にまかなっていくつもりなのか。どちらの国の現状も、古代ローマ帝国末期のようだ。国の財政を見ると、先進国で日本ほど悲惨な国は少ないが、日本の場合は、まだ国民のほうはお金をもっている。貧困層が増大しているといったって、まだまだ世界的に見ても日本は貧富の差は少ない国だ。日本では、フランスのプラスの面ばかりを強調してメディアが伝える傾向があるが、頻発するストで蒙る一般市民の迷惑を考えたって、日本のほうがマシな部分も多いのだ。日曜日に店の多くが開かない不便さを、そもそも日本人が我慢できるだろうか? 今日もテレビで、現政権の子供手当てに対する日本国内での批判をかわすためなのか、出生率を回復させたというフランスの子供手当て政策のプロパガンダ番組をやっていた。「3人産めば、仕事をしなくてもいいくらいの手当てが国からもらえる」というフランスの現行政策を聞いて、「それはちょっとおかしいんじゃないの?」と思わないとしたら、実にどうかしている。こういう政策を取ったらどうなるか? 子供をせっせと産んで、さらにせっせと働いて税金を納める? もちろん、そういう真っ当な親もいるだろう。だが、「子供たくさん産めば、手当てが増えて働かなくてもよくなるじゃん」と考える輩だって出てくるハズだ。子供は親の背中を見て育つ。こういう親が育てた子供がどうなるか。フランス人だって批判している人は多い。子供を産めない人だっている。ただ、日本のメディアがこの政策による負の側面や反対意見を伝えないだけで。出生率が上がったからといって、国にタカる人間を増やしてしまえば、そのツケはあとから社会全体が払うことになる。そんなことさえ予想できないのか?とにかくフランス人は、つまらないことでもやたら自慢する傾向がある。10%のインテリが作り上げた文化大国フランスのイメージに惑って、フランス人になろうとしたって、無理ってものだ。日本人は日本人。それ以上でも以下でもない。フランス人も日本人も気位が高いが、プライドの持ち方が正反対といってもいいくらい違っている。彼らと同じ価値観を持てといっても無理だし、そんなことをする必要などないのだ。ニースで思ったのは、この安すぎるバスがタクシーのような民業への圧迫になっているのでは、ということだ。ニースのタクシーの悪質さには、心底たまげた。http://4travel.jp/overseas/area/europe/france/qa/16772/↑こちらの、「タクシーはメーターがテープで隠されていたりするので、バスで行きたい」という日本人観光客のコメントを読んで、「はて? なんのことじゃ?」と思ったのだが、行ってみて納得。とにかく、ニースでタクシーは使いたくない。どこでもバスで行きたいし、実際にほとんどどこでもトラムとバスで行ける。Mizumizuがニースでタクシーに乗ったのが1度、ニースの隣町のヴィルフランシュ・シュル・メールで乗ったのが1度。どちらもトンデモだった。まずはニース。夕方Masse'na広場の北のギャラリー・ラファイエットで買い物して、Mizumizu母が疲れていたようなので、プロムナードザングレのホテル(ウェストミンスター)まで、距離にしたら500メートルちょっとぐらいなのだが、軽い気持ちでタクシーに乗った。それまでもタクシーは使っていたが、メーターは2.9ユーロから始まって、日本に比べると割安感があった。ニースでは距離も近いから、せいぜい6ユーロぐらいですむだろうと思ったのだ。タクシー溜まりで乗ったタクシーの運転手は女性で、英語を話し、結構お調子がいい。メーターを動かし始めてから、「日本人?」かなんか聞き、さらにゆっくりしたモーションで(笑)エンジンをかけて、ようやく発車。あとから地図で見たら、ホテルまでの最短ルートは、Liberte通りからBuffa通りを直進し、一通のCongre's通りでプロムナードに出て、西へ行く。これならホテルの目の前にすぐつけられるのだが、オバちゃんの取ったルートは、Liberte通りからBuffa通りを直進、ホテルのあるブロックを過ぎて、一通のRivoli通りからプロムナードに出、わざわざホテルとは反対車線の東行きの道を走り、ホテルを過ぎたところで、ユーターンするという実に無駄なルート。反対車線からユーターンするだけで、待っている時間が長いのでメーターが1ユーロ分ぐらい動いた。その間も、「お母さんに、着いたら左側のドアを開けないように言って。とても危険だから」と、変に繰り返す。それでもホテルの前に着けたとき、メーターは8ユーロだったのだが、「10ユーロ、プリーズ」と平然と言う。は? メーターは8ユーロじゃん。「ミニマム、10ユーロ」と、これまた当然のごどく言い放つオバちゃん。おいおいおい、タクシーのミニマムレートは2.9ユーロでしょ。遠回りしたあげく、2ユーロ切り上げるとは、なんつーコスい奴や。これですっかりウンザリし、ニースではタクシーに乗らないと心に決めた。ニースのあとは、ヴィルフランシュまで荷物を全部持って移動しなければならない。ヴィルフランシュのホテル(ウェルカム)のパンフには、「ニースからタクシーで40ユーロ(ただし荷物による)」と書いてあったのだが、ニースの道は混むし、こんな様子じゃ、ヘタしたら60ユーロぐらい取られるかもしれない。よし、ヴィルフランシュまでバスで行き、バス停からちょっとだけタクシーを使ってホテルに行こう――そう話し合ったMizumizuとMizumizu母。だがだが、ヴィルフランシュのタクシードライバーは、さらに悪質だったのだ!
2010.04.29

アイルランド火山噴火だけではない。今回のフランス旅行には、最初から最後まで「鉄道のスト」がつきまとった。しかも、ちょうどMizumizuがフランスに来る直前から始まり、8日間の予定が延期になり(苦笑)、移動する日は全部ストにかぶるという不運に見舞われてしまった。さらにさらに、こんなときに限って、北のパリから南のニース、さらには南西部のカルカッソンヌまで訪問予定地に入れていたのだからたまらない。悪名高きヨーロッパの鉄道ストだが、ここまで完全に巻き込まれたのは生まれて初めて。「1日まるまる動かなくなる」ということはないのだが、「間引き運転」になり、結果、どの列車も乗車率100%をはるかに超えたうえ、(乗り降りにその分時間を取られるためか)時間も遅れ遅れになる。朝7時のパリ・リヨン駅。すでにこんなに人でごった返している。まだストと知らず、「平日なのに、ずいぶん南へ行く人が多いんだな~」などとノンキに構えていたMizumizu。目指すは、カルカッソンヌ。TGVでモンペリエまで行き、そこから乗り換え。ところが、モンペリエで降りたら、乗り換えるはずの電車の案内がない。インフォメーションで聞いて、電車が間引かれたことを知り、はじめて、「これって、スト?」と気づく。モンペリエでおもいのほか時間ができてしまい、しかたなく急きょ市内観光などして過ごし、やっと来たカルカッソンヌ行きの列車に乗ったら・・・中はこんな状態。前の電車は座席は指定してあったのだが(もちろん座席指定料金を払って)、当然パーに。いや、もちろん再度指定することはできたかもしれないが、なにせモンペリエ駅の切符売り場には半端じゃない行列ができている(しかも、ストなので、開いてる窓口が1つだけだった)。並んだところで、もう席はないかもしれないので、席料は捨て、当然Mizumizu+Mizumizu母もモンペリエからカルカッソンヌまで通路に座った(車両内の通路には絨毯が敷いてあるので、座りやすい?)。別の日のマルセイユ駅の外。カルカッソンヌからエクスアンプロバンスに来て、エクスから直接ニース方面(のカーニュ・シュル・メールという小さな町)に行く予定が、TGVが遅れたうえ、行き先が変更になりニースのはるか手前、マルセイユ止まりになってしまった。モンペリエやエクスアンプロバンス・センター駅にはなんと荷物預けが駅になかった(どこまでふざけてるのだ、南仏!)。マルセイユ駅にはあったのだが、なんとなんと1回8ユーロ!(つまり1000円以上)。こんなに高いから、だれも預けない。係員もえらくヒマそう(係員のいる荷物預けね)。間引き運転されて待ちぼうけをくらってる客は、駅の外の大階段に荷物ともども腰を降ろしている。やっとこさ、ニース行きのTGVが来るというのでホームに集まった乗客。長いホームの先まで、人でいっぱい。当然・・・フランスの誇る新幹線TGVも、難民輸送列車に。TGVで感心するのは、荷物入れが多いこと。頭上にも、席の間にも、車両の端や真ん中にも荷物を入れることができる。いくらでも入る感じ。でも、やっぱりここまで乗客が多いとどうにもならない荷物が人とともに通路に。フランス人って、なんだか日本人なら海外旅行にも持って行かないような大荷物をもって国内移動している人が多い。どこに行くんだ?ニースからパリへ帰る日。ニース駅の構内も難民避難所状態に。切符売り場にも長蛇の列。このときばかりは、先に切符を買っておいてよかったと胸をなでおろした。ストは最後まで終わらなかった。Mizumizuたちの旅の後半では、飛行機が飛んでいなかったから、鉄道で移動したい人も多かっただろうに、「それはそれ」。飛行機が動かないから、困ってる人たちに配慮してストやめて鉄道を動かしてあげよう、なんて考える人は皆無のようで、逆に当初8日間の予定だったストが延期された模様。しかし、フランスのスト。「間引き運転」だったから、到着がいちいち4時間ぐらい遅れるものの、目的地には一応その日のうちに行けるようになっていた。これだと、労働者が経営者に圧力をかけてることになりにくいと思うのだが?つまり、経営側にとっては、間引き運転というのは、乗車率がハネ上がる分、利益率から見れば、「もうかる」はずなのだ。列車を増発するのは大変だが、間引くのはある意味コストカットするのと同じ。ガラガラで運行する電車がなくなるというのは、経営側にとっても必ずしもデメリットにはならない。つまり払い戻しや予定キャンセルなどで総売上は減るにせよ、乗車率がハネ上がることで利益率は上がっている。ビジネス経営にとって大事なのは、実は総売上よりも粗利(利益率)のほうだ。1台車両を動かして(つまりそれがコスト)、どれだけ人を乗せられるか。その割合が増えれば増えるほどコストに対する利益が増える。徹頭徹尾損をするのは、駅でえんえんと待たされる乗客だけ。車で行ける人間は鉄道キャンセルすればいいのだから、割を食うのは、むしろ「鉄道以外に移動手段のない」一般市民ということになる。どの国も、ある程度国民は洗脳されて、あるいはお互いに洗脳に手を貸して、社会の秩序や習慣を守っている。日本では「時間遵守」がなによりの美徳だ。むしろ強迫観念に近いと言ってもいい。鉄道も含め、キチキチのきついスケジュールを組み、その時間を守るために命さえかけてる。電車が遅れたりすると、だれも彼も「どうしよう」「困った」とイライラする。よくよく考えれば、絶対に延ばせない予定など、そうはないハズなのに。こういう国ではストは一般市民の理解を得にくい。「他の多くの人たちにかける迷惑」と「自分の主義主張を通すこと」をはかりにかけて、後者を選択する人に世間の目は冷たい。日本というのは基本的に昔からそういう社会で、このメンタリティはそう簡単には変わらない。そうやって日本という国は社会的秩序を保ってきた。一方のフランス。フランス革命から続く、「労働者が自ら働きかけて、権利を勝ち取ってきた」という広く信じられている「常識」。この社会的コンセンサスがあるからこそ、一般人はデモやストに寛容なのだ。だが・・・日本人であるMizumizuから見ると、この常識も一種の洗脳に近いように思う。「フランス革命は、まだ完全に成就していない」と言う人がいる。つまり、フランス社会に根深い「階級差」は、革命後200年を経ても完全に解消されたとは言えず、さらに近年は移民から生じた社会問題(移民してきた外国人がフランス社会に馴染めず、低賃金ゆえに教育の機会も得られず、社会の貧困層として再生産されている状態)もあいまって、逆に深刻化しつつある。もし、フランス人が信じるように、デモやストによって労働者の地位や所得が上がっていったとすれば、デモやストが社会的に嫌われる日本人労働者以上に、フランス人労働者は豊かなはずだ。フランス人労働者は日本人労働者より豊かだろうか? ある意味で豊かかもしれない。休暇の取りやすさという観点から見れば、間違いなくフランス人のほうが恵まれている。社会保障についても、少なくとも表面的にはフランスのほうが手厚いようにも見える。だが、経済的には? フランスの地方の一般人の暮らしなどを見ると、Mizumizuにはどうしてもフランス人が日本人以上に豊かで、日本人以上に活発な消費活動を楽しんでいるようには見えない。家でさえ、日本の地方の一般人の家のほうが、フランスの田舎の古い石造り(で窓の小さい)の家より立派に見える。世界中で一番よく見るヨーロッパ人はドイツ人で、ドイツは確かに経済大国なのだろうと思うが、フランス人に対してそうした印象はない。「別の国にいかなくても、いいものは全部フランスにある」などとフランス人は言うが、それこそやせ我慢というものだ。リッチになれば、海外に行って遊びたいと、誰だって思うもの。そして、労働者が自分たちの権利を主張するためにやっているはずの鉄道スト。完全に鉄道を止めるのではなく、間引き運転するというのは、一般市民への配慮なのかもしれないが、Mizumizuが経営者なら、むしろ内心、「コストカットになるから、どんどんやってくれ。主要路線の乗車率が1週間にもわたって100%超えるなんて、ある意味結構なことじゃないか」と思うのではないか。これが労働者と経営者のなぁなぁの出来レースなのか、国をあげての壮大な勘違いなのか、よくわからないのだが、一番割りを食ってる乗客、つまり一般市民が、これだけ「大人しく」我慢しているというのは、社会をあげての一種の「洗脳」がなければありえない。「フランスは10%の超エリートと90%のバカでなりなっている国」という説もある。フランスを動かしているのは、10%の超インテリ層。彼らが優秀だからフランスは世界の一等国として認められているという話。それは本当かもしれない、と内心かなりMizumizuは思っている。「デモとストで労働者は自ら社会的地位を向上させ、権利を勝ち取ってきた。フランスはそうした開かれた平等な社会」と一般に信じ込ませ、労働者には休暇を与え、ある程度の保障も担保しつつ、経済的にはさほど豊かにさせない。デモもストも資本家は自分たちが痛手をなるたけ蒙らないように暗にコントロールし、そのうえで労働者側に少しずつ譲歩したフリをする・・・超インテリのエリートが考えそうなシナリオだ。余談だが、Mizumizuはフランスの核実験反対のデモに参加したことがある。そのときもフランス大使館へのデモに対し、大使館側が、「今日はパーティがあるから、あまり近づかないで」と事前にデモ隊に「要望」してきたのだ。もちろん、平和的なデモなので、デモ隊のリーダーも大使館側の要望に「配慮」した。苦笑・・・
2010.04.28
長~い南仏での休暇のあとゆえ、馬車馬のごとく働いております。
2010.04.26
25日に帰国された方からの情報ですと、なんと・・・!一転して、空港はガラガラだったとか。とりあえず、よかったですね。
2010.04.25
おまけに横にいた男性が(コイツは、途中割り込み臭い)、「急いで日本に帰るの?」なんつって、英語でヘラヘラ韓国人に話しかけているので、「いや、彼らは日本人じゃない。彼らは韓国人。彼らはずっと後ろにいたのに、黙って他の人を抜かしてここに来た。日本人はこういうアンフェアなことはしない」と言い放っておいた。一緒にされたら迷惑だわ、まったく。「お~」などと言って黙る、割り込み臭いオッサン。韓国人は無言。思いっきりにらみつけたので、Mizumizuの先に行くことはしなかったが、にらまれても、「こいつら韓国人。日本人はこんなアンフェアなことはしない」とまで言われても、女性のほうも平然としている。本当に英語がまったくわからないのか?若いのに、どこまでふてぶてしいのやら。カウンターエリア内に入ったところで、別の係員が来て、「10時半出発の方はあちらに」と誘導しはじめた。10時半出発といっても、もう時計の針は11時半をすぎている。どうやら遅れてるのは本当のよう。さっそくその係員に、予約シートを見せて、「11時半の便はどっち?」と聞くと、「あっち」と指差される。「あっち」へ走ると、こんどは別の係員が出てきた。予約シートを見せると、今度は一転して、「もう搭乗口は閉まった。出発時間の10分前には閉まるから。あっちのカウンターに行って次の便を予約しろ」などと言い出す!はあ? だって、乗れるって言ったじゃん。抗議すると、しれっとした態度で、「待ってるのは皆同じ。ミスフライトはミスフライト。私はコンピュータじゃない。あっちのカウンターでコンピュータに聞け」などと言う。ゲロゲロ~。やっぱり乗り遅れたのか。絶望的な気分で、別の係員に聞いたら、またも同じことを言う。「明日の便のチケットをあそこで予約しろ」と。心底ガッカリして、翌日の便の予約をするつもりでカウンターの前に並んでいたら、日本人の若者が5人くらい固まってやってきた。聞けば同じ11時半の出発で、午前8時から待っていたという。Mizumizuたちより1時間も前。それなのに、最終的にカウンター前に来たのは同じ時間になってしまった。どうやらミスフライトになってしまったらしいと話すと、知らなかったらしく驚いている。「ミスフライトで明日になるんですか? あ~あ、でも、こういう状況じゃ、しょうがないですよね。8時じゃ、ちょっと遅かったんですかね~。これを教訓にしないと」3時間半前に来て並んだあげく乗れないと直前に言われたにもかかわらず、とても冷静に、状況を素直に受け入れている。すっかり、明日以降の便の予約をするつもりになっていたMizumizuと日本人の若者グループ。ところが・・・!カウンターの向こうで、「JAL?」と聞いてくるではないか。荷物をここに載せろと指差していて、いかにもチェックインできそうな様子だ。エールフランスとの共同運航便なのだが、MizumizuはJALとして予約した。8時から来て待っていたという日本人の若者を当然先に行かせるべきだと思って、「JAL?」と聞くと、「いや、ぼくたちはエールフランス」だという。なので、先に搭乗手続きをして、「乗れるの?」と聞くと、窓口の向こうで頷いている。エールフランスで予約したという日本人若者たちは、まだ待っている。彼らが乗れるのかどうか、気になったのだが、とにかくもう出発時間を1時間すぎているので、搭乗券をにぎりしめて、「じゃあ、お先に行きます」と言ってその場を離れた。「あ、よかったですね」と最後まで礼儀正しい日本人の若者。しかし、エールフランスの機材を使って飛ぶのに、JAL予約客のほうが優先とは驚いた。あとで別の日本人のおっさんに聞いたら、エールフランスはしばしばオーバーブッキングをしているので、JALのほうが確実なのだという(本当かどうか、わからないが・・・)。セキュリティの前に行くと、またここでも長蛇の列。通常なら、係員が誘導してくれるような状況だと思うのだが、今回はだれもいない。完全なる自己責任。荷物が飛行機に来てるのに、あまりに長い時間乗客のほうが来ないと、テロ扱いで、荷物まで降ろされて飛行機が飛んでしまうかもしれない。係員に11時半のチケットを見せると、「割り込め」と指を差す。ところが、Mizumizu母を呼びに行っている間に係員は向こうに行ってしまった。並んでいるのは日本人の団体客。なので、「すいません、時間がないので、割り込ませてください」と日本語で叫んだ。ところが、日本人団体客の中のオヤジが、「ダメだ、ダメだ。並んでいるのは皆同じ」などとにらみつけてくる。あのさ~、こういう状況のときは、時間のない客を先に行かせるのが、むしろ常識なんだけど。団体旅行しかできないオヤジに言っても仕方ないので、「11時半の便なんです。もう出ちゃうから」とひたすらアピール。「私たちも同じよ」と言ってくる団体客の中のオバさん。え? そうなの。こんなに団体客が待ってるなら、大丈夫でしょう。「あ、同じですか11時半ですね」「11時半?」と何度も聞くと、別のオバさんが、「え? 11時半? 私たちは12時半」と、最初のオバさんが間違っていたことに気づいた。ヤッパリ!!団体ツアー客には個人客とはカウンターが違い、チェックインはマトモに並ばなくてもできるシステムになっているのだ。ツアー客に対しては当然そうするに決まっている。なので個人客の苦労がわからないのだ。「11時半はもうすぎてるわよ」「出ちゃったんじゃないの?」とオバさん。「いえ、たった今、チケットもらったんです。2時間以上並んでやっと。で、まだ出てないから、急いでいるんです」ここまで話すと、オバさんのほうが物分りがいい。「ええ~? 2時間も並んだの?」「じゃ、入んなさいよ」と先にしてもらった。どうもありがとうございます。ついでに言うと、あなたたちの便も12時半には出ないと思います、ハイ。割り込みさせてもらってセキュリティを通ると、なんと・・・!さっきのふてぶて韓国人がいるではないか!Mizumizuの姿を見ると、コソコソ向こうへ行ってしまった。その卑怯な後ろ姿を見て、心底腹立たしい気分になるMizumizu。だってこの韓国人は9時より遅くきたのだ。ところがスルスル順番を抜かして、Mizumizuの後ろにつけた。怒鳴られたので、Mizumizuを抜かすことができなかっただけだ。それがもうここにいるということは、セキュリティの行列も抜かしたとしか考えられない。しかも、8時からちゃんと並んで待っていた日本人の若者のほうは、カウンターで足止めされ、(おそらく)ミスフライト扱いで、「次」もしくは「翌日」になってしまった人が出ているのだ。日本の若者が予約したエールフランスがオーバーブッキングをしていたのかもしれないが、1時間も前に来てちゃんと順番を守っていた日本人が乗り遅れで、遅く来て順番抜かしをした韓国人がすでに搭乗口エリアにいるなんて・・・こんなアンフェアがまかりとおっていいものか。いや、実際にはまかりとおってばかりなのだ、世界中で。走って飛行機に乗り込むと、ほとんど最後の客だった。「まだ来られるお客様がいらっしゃいます」と乗務員が言っていたので、あの待たされていた日本人の若者が来るかな、と思って見ていたが、わからなかった。しかも、ビジネスもエコノミーも満席だったので、ファーストクラスにアップグレードしてもらわないかぎり、乗れたとは思えない。日本に着いて、荷物をピックアップするときに、団体客らしいオッサンが、「満席でしたね~」などとノンキに言っていた。当たり前じゃ~! こんな状況で、空席アリで飛んだら怒るわ。ドゴール空港がいつ本当に「正常化」するのかわからないが、個人客はこんな不条理な状況に置かれている。近日中に帰国予定の方、くれぐれも「早め」に行ってください。
2010.04.24

4.21、成田へのフライト前日。シャルル・ドゴール空港が再開されたということで・・・パリ市内から空を見ると、飛行機が澄んだ青のキャンバスにひっきりなしに白の線画を描いていた。これなら飛ぶでしょ、とホッとするMizumizu。日本のMizumizu連れ合いからのメールでも、翌日Mizumizuが乗るはずの便(JALとAFの共同運航便)は、この日はほぼ定刻どおりに出発したらしい。しかし、パリで確認しようにも、JALフランスの電話は何度かけてもつながらない。どちらにしろ、飛行場に行かなきゃわからないので、翌日は早めに出ようと、今回一緒にフランスに来たMizumizu母と相談。ホテルはパリのリヨン駅の近く。空港行きのバスは朝6時半から30分間隔で運行しているらしい。でもね、ホテルの朝飯が午前7時半からなのよね。しかも、事前予約で、朝食つきのプランを安め設定ですでにカード決済していたのだ。朝食代は捨てて、「食べないで行く」という選択肢もあったのだが、ホテルの食事は(フランスにしては)案外おいしかった(笑)し、朝抜きで行って空港で何が食べられるのかわからない。Mizumizu母はことに、フランスの立って食べられるような軽食(フランスパンにチーズやハムをはさんだものだとか、甘いような菓子パンだとか)が、まったくもって口に合わない。Mizumizuもあの手のフランスの軽食にはウンザリしていた。なので、ちょっとだけ食べていこうということになり、7時30分に朝食会場にダッシュし、10分で食事を終えた(笑)。すぐにチェックアウトし、荷物を引きずって、近くの空港行きのバス停へ。今回リヨン駅のそばにホテルを取ったのは、旅の目的が南仏で、南仏行きの列車の出るリヨン駅を選んだのだが、ハッキリ言って、個人旅行者にとってはリヨン駅周辺のホテルはパリで一番便利な場所じゃないだろうか。個人旅行で大変なのが荷物の運搬。あまり大きくないコロつきのソフトケースで来るのが定番なのだが、パリという街は、「石畳」「段差」「狭い歩道」「渡りにくい大きな車道もしくはロータリー」が荷物を引きずる個人旅行者にとっては大敵。空港からバスで来て、オペラ座のそばで降りるにしろ、凱旋門の近くで降りるにしろ、「石畳」「段差」「狭い歩道」「渡りにくい大きな車道もしくはロータリー」がすぐに待ち構えている。ところがところが、リヨン駅は、とても旅人にやさしい道のつくりになっていた。駅まではゆるいスロープがついていて、横断歩道は短く、車道に降りるときの段差もスロープでバリアフリー化している。空港行きのバスは駅の「たもと」から出るので、リヨン駅の前のホテルから逆に近い(駅からだと迷うかもしれない)。パリの真ん中のいい場所のホテルだと、水を買うのにも店がなくて苦労するが、リヨン駅のホテルにそばには、果物が店先に並んだ小さな食料品店があって、ちょっとしたものが安く買える。小さなペットボトルの水が、売ってる場所によって1ユーロ(つまり130円)も違うなんて、日本人には信じられない話だが、駅や観光客向けの店のペットボトルの水は、ふつうの食料品店の値段とは段違いなのだ。しかも、ホテルもよかったのだ! これについてはまた後日に譲るが、なんということもない中級のホテルが居心地最高。南仏で泊まった最高ランクのルレ・エ・シャトーは・・・ ハッキリ言って、フランスの最高級ホテルって最低。インテリアや備品は最高だが、サービスは「ニコニコ顔の挨拶」以上のものは特段ないといっていいし、水回りはオシャレなだけで使いにくいし、朝食は高いだけで、味はたいしたことがない。食器だけは虚ろなくらい最高級だが。さてさて・・・空港行きのバス停の前には、もうだいぶ人が溜まっていて、「30分以上は待っている」と、イライラした様子。やっと来たバス(モンパルナス駅から来るのだが)には、すでに乗客がいっぱいで、バスの下の荷物入れも満杯の状態だった。こんな朝早くから・・・みんな、考えることは同じ、「なるたけ早く空港に行こう」ってことなのね。空港に着いたのが、8時半すぎ。TAX FREEのスタンプを押してもらって、ポストがどこにあるのかわからずウロウロしてしまい、出発カウンターのほうへ行くのが9時ちょっと前になってしまった。出発カウンター以外は、たいして混んでいなかったシャルル・ドゴール空港だが、カウンター近くに行ってみて、仰天!人、人、人・・・で、とんでもないことになっている。対面するようにカウンターが並んでいるのだが、その間のエリアには人があふれ、カウンターエリアの外にまで長い行列が伸びて、どこが最後尾やらわからないほど。なんとか最後尾を見つけて並び、横のオジサンに聞いたら、「午後2時のフライト」「午後3時のフライト」だと言っている。早く来すぎじゃないの~? こっちは午前11時半のフライト。いや、やっぱり、ウチラが来るのが遅すぎたのか。しかし、何人も立っている係員にいちいち聞いたが、全員、「大丈夫。飛行機は遅れるから。ここで並んでいれば乗れる」と変に自信たっぷりに太鼓判を押す。本当か~? 確かに空席のまま飛ぶことはなさそうだけど、オーバーブッキングしてた場合はどうなるわけよ? 絶対に「予約したのに乗れない人」だって出ると思うのだが。だが、係員は全員、「落ち着いて。飛行機はすべての乗客が乗るまで待ってるから」と繰り返すのみ。しかしね~、それだったら、なんで「来た順」に並ばせるのよ。せめて午前の便の客のカウンターは別にするなり、方法があると思うのだが。どう考えたって自己責任で早めに来ていなければ、乗り遅れ客が出るとしか思えない。しかも、人垣の隙間からのぞくと、開いてるカウンターは案外少なく、「例によって」仕事がのろい。そこらをうろうろ歩いて、「大丈夫、乗れるから列に並んで待っていて」と同じ台詞を繰り返すだけの係員はやたら多いのに、なんでカウンター業務をやっている人間があんなにも少ないのだ?今から考えれば、あのうろうろ係員は、待ってる乗客にパニックやヒステリーを起こさせないために、空手形を切っていただけだと思う。しかも・・・!行列に「割り込む」人がやたら多いのだ。カウンターエリア内に入るところが「割り込みポイント」になっていて(ちょうど動き出すし、並んでる客はどこのカウンターに行けばいいのか迷って前のほうを見るので、割り込みに注意がいかなくなる)、ちゃんと並んでいる人間が、さっぱりエリア内に入れないという事態になっている。それに気づいたのは、「列(キー)」に厳しいイギリス人。さかんに英語で係員に、「割り込みが多すぎる。あそこに立ってチェックしろ」とクレームしてるのだが、なんつーか、完全に「のれんに腕押し」というか「カエルの面にナンタラ」というのか・・・「まあまあ・・・」というような仕草をして、頷くだけで何もしないウロウロ係員。そこらに立ったり、散歩したりしてるだけなのだ。何人もの英語圏の乗客が、割り込みに腹を立てて係員に訴えている。とうとうMizumizuの斜め後ろにいたフランス人のオジサンも、猛烈にフランス語で係員にクレームしはじめた。もちろん対応は同じ、「まあまあ・・・」という態度でクレームしてる乗客をなだめて、あとは無対策。Mizumizuが英語で、そのオジサンに、「あなたの気持ちはよくわかる。これはとてもアンフェア。私たちはノーマルに待っているのに、割り込んでくる人が多すぎる」と話しかけたら、そのオジサンはきれいな英語で、「まったくだ。これがフランスだよ。ぼくはフランス人だけど、本当に腹立たしい。だれもルールを尊重しない。勝手にやりたい放題だ」とまくしたてた。「君は日本人? 日本だったらこんなことはないでしょう?」「うーん、まあ。人間はだいたいどこも同じだけど、これほど悪くはないと思う」「日本人はパーフェクトだよね。日本人はいつもパーフェクト。忍耐強くて、静かで、ルールを守るよね。韓国人は最低。今日の朝ナイジェリアから来たんだけど、韓国人はいつも怒鳴っていて、ぼくも巻き込まれた。あっちに行けばって言ってやったけどね」韓国人というのは、世界中で評判が悪い。あっちでもこっちでも韓国人の悪口を聞くのだ。最初はMizumizuが日本人なので、あえて言っているのかな? と思っていたのだが、海外経験の豊富な人に聞いても、だいたい同じことを言う(韓国人が現地で評判が悪いということ)ので、実際にそうなのだろう。さもありなん。イタリアで目撃した、「列車が3時間遅れたから100%払い戻せ」と、ちゃんと目的地に来たのに、インフォメーションで怒鳴ってる韓国人カップルやら、空港の免税店でわれ先にと人を押しのけてレジに殺到し、あげく、「お金が足りずに買えない」という事態に陥り、レジで「じゃあ、これは買わない」とその場でより分けてる韓国人のオッサンやら。かつては、日本にも「農協ツアー」とかいう、世界中に日本人の悪評を広めた団体がいたやに聞くが、ヨーロッパで見る韓国人のヒステリックでエゴイスチックな振る舞いには、ホント、何度となく唖然とした。日韓開催のワールドカップのサッカーの試合のあとは、イタリア人の若者に韓国人と間違えられて、遠くから、「コリア! べ~!」などと野次まで飛ばされたのだ。トホホ。日本では、「なぜか」日本人が世界で評判が悪いことになっているが、Mizumizuの実感とは大いに違う。日本人は世界中で信頼されている。「東京って中国だっけ?」というレベルの人も多いが、この英語を話すフランス人オジサンのように、日本と日本人を大いに(多少、過剰気味に)評価してくれる人もだいぶ増えたように思う。そして、この英語を話すフランス人オジサンの「韓国人は最低」という言葉は実に正しかったのだ。オジサンはMizumizuの後ろにいたのだが、そのはるか後方に、大学生ぐらいの韓国人3人組(男2人、女1人)が並んでいた。ところがところが、カウンターエリアに入ったところでふと見ると、なんと、その英語を話すフランス人オジサンはさらに後ろに後退してしまい、もともとはもっと後ろにいたこの韓国人3人組がスルスルと順番抜かしして、Mizumizuの直後につけているではないか。彼らの手口は、1人がさりげなく先に進み、スキをみて他の2人がくっついて間に入ってくるというもの。さらに列が動き出したところで、横からMizumizuの前に出ようとする韓国人男。当然、Mizumizuは大声で英語で注意。「あなたたちは、後ろにいたでしょ! ここじゃなくて、そっち!」思いっきり激しく怒鳴ったのだが、なんとまあ、この韓国人大学生のあつかましいこと。ヘラヘラしながら、「まあまあ、どうぞどうぞ」というような仕草をして、どくわけでも、下がるわけでもない。英語が一切しゃべれないのか、わからないフリをしているのか不明だが、悪びれた様子は一切なし。さらにスキをみて、またもMizumizuの前に出ようとする。再び大声で注意するMizumizu。すると同じようにヘラヘラし、後ろの別の男は笑い出してごまかそうとしている。どこまで根性腐ってるんや?
2010.04.24
日本に無事帰って来ました。1時間半遅れの出発で、1時間遅れの到着ですんだので、結果オーライ・・・でしたが、シャルル・ドゴール空港の混雑は半端じゃなかった!明日にでも、また詳しく書きますが、ハッキリ言って乗れたのが奇跡。ほとんど最後の乗客でした。朝から、夕方発の便の乗客も含めて、すべての客が窓口に殺到し、長蛇なんてもんじゃない行列ができています。せめて午前発・午後発で乗客を分ければいいものを、全部自己責任で並ばせ、しかも途中までは、「大丈夫。飛行機は遅れる。すべての乗客を乗せてから出るのでここに並んで」とウソを言って安心させ、いざ窓口が近くなると、「ミスフライト。もう搭乗口は閉まってしまった。次の便になる」「明日の便を予約しろ」と言い出します。しかも、それもウソだったりします(つまり、乗れてしまう場合もある)。パリから日本に帰る予定の個人客でインターネットチェックインができない方、各種優待券種でない方は、空港が正常化したとは言っても、こんな空港のコントロールの悪さでは予約があっても乗れない人が絶対に出ています。「次」とか「明日」とか言われても、信用できるかどうか(つまり席があるのか、あったとしてもちゃんと乗れるのか)わかりません。最初に予約した便に意地でも乗れるよう午前の便ならとにかく、朝一番に行くこと。午後の便であっても、5時間前(できればもっと早く)空港に行くことをお奨めします。今のMizumizuなら、たとえ夕方の便でも、たぶん朝イチ(午前6時)のバスで行くことを選択したでしょう。団体客は大丈夫。チェックインは個人枠とは別にできるので、ちゃんと乗れます。ただ、待たされるとは思いますが。ヨーロッパの主要空港はどこも同じような状況かと。近日中にヨーロッパの空港から個人で帰国予定の友人・知人がいらっしゃる方は、「早すぎるくらい早く空港に行って、とにかくチェックインしろ」と、アドバイスしてあげてくださいまし。パリでは、午前11時半の便を予約していて、午前8時に来たのに、どうやら乗れなかったらしき人もいました(これについてはまた明日にでも、詳しく)。旅行中で、しかも今回はパソコンをもっていかず、ネットも見てない浦島太郎状態だったので、読者の皆様からの情報が大変役立ちました。GAULOISES1111さん、プロフェッショナルらしいタイムリーかつ適切な情報とアドバイスをありがとうございました。おかげで帰って来れたようなものです。shoukoさん、ご家族は無事帰国されましたか? 南回りでは、死ぬほど疲れたと思います。いや~、お互い大変でしたね。その他、ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。阿鼻叫喚のドゴール空港ネタは、また改めて。
2010.04.23
KYOU NO PARI NO SORA WA TOKOTON BLUE.HIKOUKI GA TOBIKATTE ITE HIKOUKIGUMO GA IPPAI.MIZUMIZU NO KIKOKU WA ASU.DOYARA YOTEI DORI NI HIKOUKI WA TOBISOU.LUCKY!
2010.04.21
will i be able to fly back to japan?
2010.04.19

東京でもっとも典雅な桜の棲家、千鳥ヶ淵。抹茶色の水と、水面に散らばった青のボートと、桜色としか言えない花の饗宴。年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず劉廷芝の詩の「花」は桃の花を指すが、Mizumizuにとっては桜。毎年桜の花を見ると、ふだんは忘れているこの一節が口をついて出る。つまり、千鳥ヶ淵の花は、昔――Mizumizuにとっての――から、いつも同じように絢爛たるさまだから。自分は年を取り、変わったと思うのに、ここの桜は変わらないように見えるから。花の時期にいつでも行くわけではない。思い出したように行くと、そこにあるのは「同じとき」を巻き戻したような風景。世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし盛りの桜を見ようと繰り出す人の多さを目の当たりにすると、必ず頭に浮かんでくるのが、在原業平のこの和歌。もう咲いたか、満開か、散ってはいないかと、桜の季節ごとに、みなヤキモキする。いっそ桜なんてなければ、こんなに心を乱されることもないのに。ソメイヨシノの寿命は100年ないと聞いたことがあるのだが、千鳥ヶ淵の桜は、永遠に絢爛と咲き続けるようにすら思う。「永遠」なんて幻想でしかないのに。だって、人はいつもいつもいつも、美しいだけでなく、どこか不気味でもある花ざかりの枝が差し出す世界へ、漕ぎ出してみたい誘惑に駆られるのじゃないかしら。そうやってボートに乗る人は、「歳歳年年、同じからず」なのに。遠くに見えるビル群とタワーは、桜が植えられはじめた明治のころにはなかっただろうけれど。あのビルがもっと高くなっても、あるいは消えてしまっても、この絢爛たる花の宴のほうは、「永遠」なのだと思う。満開になると同時に、散り始める桜。どんなに人が惜しんでも。だから桜は、華やかさと同時に、どうしようもない儚さと死のイメージをまとっている。そして、風に舞う桜の花びらを見るときに浮かんでくるのは、漢詩でも和歌でもない、ある少女漫画のワンシーン。それは、木原敏江の『摩利と新吾』。音もなく桜が散る ためいきのように散る 見たくないか? 摩利・・・摩利と新吾は幼馴染の親友で、共に日本で成長し、欧州に留学して第一次世界大戦までを異国で過ごす。戦争が終わり、大人になったとき、2人の活躍の場は欧州と日本に分かれることになる。欧州に残ることを決めた親友の摩利に、日本に戻った新吾が桜を見ながら心でささやきかけたのがこの言葉だ。もう日本へは戻ってこないかもしれない親友に、「戻ってきてくれ」と間接的に訴えかけたとも取れる。『摩利と新吾』は、非常に好きな漫画なのだが、少女時代に引っかかったのは、なぜ、作者がこの少年たちの物語を青春群像で終わらせず、あえて、2人が「おじさん」になって第二次世界大戦で命を落とすところまでを描いたのかということだった。少女向けの漫画には、そのエンディングは似つかわしくない。『摩利と新吾』というからには2人の少年(摩利とは男性)の関係が物語の軸であり、それならば2人が物理的に離れたころ、つまりは社会人になったところあたりで、ロマンチックな終焉をもってくることもできたはずだ。読者である少女にとっては、あまりに設定年齢のスパンが長すぎるこの展開が、少女漫画としての人気にはマイナスの影響を与えたことは想像に難くない。実際に、新吾に対して恋愛感情をいだき、肉体的にも結ばれることを望んでいる摩利と、摩利は自分にとって「命を投げ出しても惜しくない」運命の相手だと思いながらも、肉体的には摩利の要求にこたえられない新吾との関係が、摩利が「愛する相手の望まないことなら」と譲歩するかたちで、冗長に続いていくのは、読んでいてもかなり違和感があった。2人だけの関係に注目すれば、この持続性はあきらかに理想的すぎ、感情移入が難しい。いかに少女漫画とはいえ、相当に無理がある。『摩利と新吾』の結びは、「かれらは至福の時代を生きたのだった」になっている。つまり木原敏江は、大正から第二次世界大戦で日本が惨敗する前までを、「(日本にとって)至福の時代だった」と書いたのだ。最後のあたりになって、GHQの日本占領政策、特に教育政策に対する批判めいた場面が登場する。摩利と新吾の少年期をはぐくんだのは私立の全寮制高校で、寮を舞台にしたエピソードがストーリーの大きなウエイトを占めているのだが、その全寮制高校は、占領軍によって「思想的に害あり」とされ、廃止されてしまう。2人の主人公が死に、旧制高校が姿を消す。そして、「至福の時代」が幕を下ろす。至福の時代の主人公だった摩利と新吾は、第二次世界大戦後を生きてはいけなかったのだ。木原敏江はそう考えている。実際に、木原敏江自身が対談で後に語っていることだが、『摩利と新吾』で一番書きたかったのは、この結びの言葉だったという。戦前の日本と戦後の日本を語るときに、日本人は奇妙な自己矛盾に陥る。勝ち目のない無謀な戦いに国民をなだれ込ませた、戦前の全体主義的な国家体制を悪とする見方には多くの人が共感する一方で、言論の自由・男女平等・民主主義などが「輸入」されたあとの日本人は、明らかに徐々に徐々に、品位と高潔さを失っていったのではないかという思いも、多くの人の胸から去らない。そもそも今の日本人は、アメリカ人のいう「自由」がなかった時代より、 幸せなのだろうか? 敗戦によって、日本人にとって大切な美しい「何か」が、完膚なきまでに断ち切られたという思いは、木原敏江だけでなく三島由紀夫のような作家も抱いている。ジャン・コクトーは戦前の日本を、「あらゆる邪悪から守られている島だった」と言っていた。かつて戦前の日本を写したというカラーの記録映像を見て、Mizumizuはそのあまりの美しさに衝撃を受けたことがある。木陰で微笑む、可憐な柄を散らした着物姿の若い女性。結い上げた日本髪は、まさに烏の濡羽色。緑に覆われた土手の下をきよらかな水が流れ、その流れに乗って、小舟を操る船頭は思索にふける哲学者めいている。撮影は日本人によるものだったらしいが、カメラアングルも秀逸だった。したたるような自然美にいだかれた、かつてあった美しい国。今の日本の風俗・風景とは似ても似つかない。今桜の下を歩いているのは、手ごろな価格のラクな服を、誰も彼も同じように着た人の列だ。ドブで煮しめたような色は、コンクリートで覆われた都会の景色を、さらに陰鬱なものにしている。戦前をまったく知らない、完全無欠の「戦争を知らない子供」であるMizumizuには、戦前と戦後を比べて何かを結論づけることはできないが、ただ現実には、自由の国・アメリカに行って、自分が自由だと感じることはほとんどないのだ。むしろ、目に見えない網の目のように張り巡らされたルールによって、常に行動を規制されているように思う。アメリカを動かしているのが一般の市民だという「神話」も、信じることはできない。アメリカを動かしているのは資本の力だ。言論の自由さえ、完全に保証されているとは思えない。イラク戦争開始前にアメリカのメディアの見せたヒステリックな偏向ぶりには、「戦前の日本がどうのとか、アンタラにいえるの?」と突っ込みたくなった。男女平等の先輩国であるはずの欧米の女性のほとんどは、Mizumizuにはさっぱり幸せそうに見えない。日本の女性のほうが、よっぽど「うまく」生きている。にもかかわらず、日本のマスコミが諸外国のポジティブな一面だけを変にクローズアップして過大評価し、日本がさも遅れた悪い国であるかのように喧伝するのには、心底ウンザリしている。問題は多くあるにせよ、平和で物理的にも豊かで、かつまだまだ安全な日本は、世界的に見てもかなりいい国だ。敗戦後の占領国による政策によって、何か大切なものがなくなってしまったにしても、日本人が醜く変わってしまったにしても、9世紀の在原業平の歌に込められた感情が、今と変わらないことを発見すると、やはり日本人は日本人であり、断ち切られずに受け継がれていく美意識もあるのだと、少しばかり無責任に、「アタシラこんなになっちゃいましたけど、こうやって明治の人の植えた桜を見てみんなめいっぱい感動してますし、まあ、そんなに嘆かないでくださいな」と、先達たちに言ってあげたくもなるのだ。
2010.04.05
現在のジャッジングシステムで、ファンが強く反発しているのは、演技審判の匿名性だ。もちろん、参加した演技審判の名前は公表されてはいるが、誰がどんなGOEおよび演技構成点をつけたのかわからないようになっている。プロトコルを見ると、明らかにおかしなGOEをつけているジャッジがいる。これは誰なのか。公開されないのは不当だし、この匿名性がジャッジの裏取引を助長しているのではないか。ファンの不満は、おおむねこのように集約できると思う。逆にISUとすれば、匿名にすることで、圧力に関係なくジャッジが仕事ができ、かつ時に暴走するファンからの過激な批判からジャッジを守ることになると考えているのだと思う(たぶん)。基本的にMizumizuは、演技審判がどんな点を出したかを秘匿にしてしまうなどナンセンスだと思うし、こうして隠してしまうことで仕事がいい加減になり、かつファンの不信感を増長させていると思っている。だが、匿名性の廃止を率先してやるべきだと考えているかと問われれば、答えはノーだ。それは、むしろ後から議論してもいい。優先順位から考えれば、もっと深刻な問題がある。それは「ランダム抽出」。演技審判は最大12人が参加することになっていたが、コストカットのために人数が減らされ、現在では格式の高い試合でも、演技審判として9人が参加するだけになっている。そこで、最高点と最低点がカットされ(いわゆる、上下カット)、さらにランダムに2人の審判の点がはじかれることになっている。つまり、実質5人の点で順位が決まることになる。ハッキリ言って、これは相当にまずい。ヒューマンエラーや、ジャッジ間の裏取引を防ぐために多人数でジャッジングをするのが新採点システムの理念でもあった。このジャッジ人数を減らす案がチンクワンタ会長の口から出たとき、旧採点システム時代にオリンピックのジャッジを務めた経験をもつソニア・ビアンケッティさんは、強烈に反発していた。彼女の主張は、「ジャッジの人数を減らしてはいけない。ランダムカットはやめるべき。匿名性は即刻廃止。ジャッジ間での点の調整をしたり、後からジャッジによるジャッジ評価をしてはいけない(そのかわり名前を出して、責任をもってやるべき)」だということだった。実際に、ジャッジの人数が減ってから、採点は変に「投げやり」になってきた。信じられないような大差がついても平気。試合によって上げ下げがあっても知らんふり。GOEや演技構成点は、試合を見ずに実績を見て出してるのでは? と思えるような出方。それと露骨な「ホーム・アウェイ方式」。たとえば試合開催地がヨーロッパなら、たぶんメダルは1つはヨーロッパ選手に行くだろう・・・と思ったら、ちゃんとジュベールとレピストに行った。もちろん彼らがいい演技で期待(?)に応えたのは事実だが、レピスト選手のフリーには、なんとなんと3回転がトゥループ(2回)とルッツしか入っていない。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_FS_Scores.pdf「ジャンプの難度を落として、ミスなくきれいにまとめれば、(そこで勝たせたい選手が)メダル」というMizumizuが昨年のロス選手権で予想したことが、ヨーロッパでまた現実になってしまった。ヨーロッパではフィギュアの人気はすでに風前の灯火なのだ。ISUとしては、なんとか「スター選手」を作って盛り上げたいのだろう。オリンピックのフリーでレピスト選手がいい演技をした「実績点」で、メダル仕分けはヨーロッパ選手権女王のコストナーではなく、レピスト選手のほうに行ったのかもしれない。レピスト選手の強みは、トリプルトゥループ+トリプルトゥループ。なかなか決まらないのが玉にキズだが、今回はホームのヨーロッパ。メダルのチャンスがあるとわかっていて張り切ったのか、きっちりきれいに決めて、ショートでは加点1.6点をもらい9.6点という点をい稼いだ。苦手のルッツやフリップはショートからはずしている。一方で、長洲選手は非常に難しいトリプルルッツ+トリプルトゥループを跳んだのに、お約束のダウングレードで基礎点が10点から7.3点に減らされ、さらにGOEでも減点されて6.7点にしかならなかった。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_SP_Scores.pdf3回転を2種類しか入れないのに、メダルまで来てしまうなど、旧採点システムの後期にはなかったことだし、これはやはり、好ましいことではないと思う。それもこれも苛烈なダウングレード判定が影にある。ほとんどちゃんと降りても、回転不足とスペシャリストが判断すれば、2回転のほうがマシな点になってしまう。それならば、苦手な3回転ははずして、2回転で無難にまとめたほうがいい。実際には、無難にまとめても点が出ないこともある。だが、「ホーム」なら出る。それがわかっているのか、ヨーロッパ選手は北米・アジアでは露骨に力の入っていない試合をする。「どうせ頑張ったって、ここでは私の点は出ないでしょ」といわんばかりだ。ダウングレード判定は、このようにジャンプの完成度を高めるのに役立つどころか、選手に苦手なジャンプを避けさせ、バランスよくジャンプを跳ぶ力を劣化させることにせっせと貢献しているのだ。これはどのジャッジがどんなGOEをつけるかなどということよりもずっと深刻な問題だ。匿名性は廃止すべきだが、それは最優先の課題ではない。もしやるとしたらランダムカットを中止するほうが先だ。ある選手に対して、7.5点の点をつけたジャッジの点が拾われるか、8.5点の点をつけたジャッジの点が拾われるかで、順位が変わってしまう・・・というようなこともありえる。多くのファンは上位選手しか見ていないが、中位から下位選手の間では、実際にそういう「運」による順位差は、すでに当然出ていると思う。これでは競技会なのかギャンブルなのか、わからない。対して、匿名性はルールの根幹にかかわるほどの案件ではない。GOEで基礎点をないがしろにできるような加点がつく、あるいはちょっと失敗すると高難度のジャンプを跳んでも意味がなくなってしまうような減点をされる、という本末転倒な現象を、ダブルアクセル以上のジャンプのGOEの加点・減点割合を抑制することで防いでしまえば、誰がどんなGOEをつけたかなどということは、たいした問題ではなくなるはずだ。トリプルアクセル以上のジャンプの基礎点を、2回転ジャンプの基礎点と一緒に上げる。そしてジャンプのGOEの反映割合を過小に抑える。これが、ダウングレード判定に次いで重要なこと。どちらも、すべての選手のためになり、バランスのよいジャンプ力の向上にもつながり、十分に理論武装ができる。同時にジャンプ以外のエレメンツの基礎点を上げれば、ジャンプ大会になることも(おそらく、ある程度は)防げるはずだ。トリプルアクセルをショートに入れられるようにするとか、ボーナス点をつけるとか、そんなエゴイスティック――にしか見えないうえに、浅田選手に本当に有利になるかどうかわからないような改正案を持ち込むより、よっぽど優先して各国に働きかけるべき事柄だと思う。世界選手権でジュニア、シニアとも完全制覇という偉業をなしとげた国だからこそ、ルール全体を見渡して、「バランスのよいジャンプを跳ぶ力」をつけるよう選手をうながす改定を行い(ダウングレード判定の廃止もしくは緩和――2分の1以上の回転不足、つまり途中で回転が終わってしまったような明らかな回転不足ジャンプにのみ適用するというように)、「高難度ジャンプへの挑戦」を過度にリスキーなものにしている現状を変え(ダブルアクセル以上のGOEの反映割合を過小にする)、同時に基礎点狙いの無謀な挑戦は防ぎ(4Tを回り切って転倒すれば3Tと同等の点になるなど意味不明だ。ジャンプは立ってナンボなのだ。転倒は回りきっていようがいまいが0点。ややこしい減点をする必要はない)、「ヒューマンエラーや恣意的採点」がなるたけ点数に影響しないよう、客観的で公平で、かつわかりやすいルールを再構築していくという強い意志を示すことが大事だ。そして、むしろ・・・ジャッジの問題は、実は「ジャッジの待遇に悪さ」に原因があるのでは、というのがMizumizuの考えだ。多少理想論になるが、ここまで難しい判定や、こまかな採点をさせる以上、本当ならもっと厚遇すべきなのだ。ところが今は、ジャッジは派遣社員扱い。誰が実際に試合のジャッジングをするのかも、くじ引きで決まり、権威のカケラもない。ボランティア同然の安い報酬でやっているのだから、ファンはジャッジを尊敬しろ、などと言う人がいるが、それこそ本末転倒だ。報酬も安く、地位も低いからこそ、力のある誰かの意向にそって「えこひいき」をしたり、実際の競技をロクに見ずに、無難な実績点をトレースしたりするのではないだろうか? そう取るのが、むしろ世間の常識だと思うが。
2010.04.04
<続き> 演技構成点での「上げ」「下げ」は、ルールで規制するのは難しい。だが、1ついえることは、9点が妥当か8点が妥当かという話ではなく、「選手間にあまり差をつけるのは、妥当ではない」ということだ。つまり、世界トップの選手に対して、9.5点をつけようと9点をつけようと、そのこと自体に問題はない。問題は2位以下の選手に対して、どのくらいの差をつけるか。一番よい選手に9.5点出したジャッジが、次に9.25点、次に9点と出すのなら、さほど問題はないのだ。むしろ、一番に9点をつけ、次に8.5点、次に7.75点とつけるジャッジのほうが問題がある。基本的にジャッジができるのは、選手間の優劣をつけることだけなのだ。それを点数化することにそもそも矛盾があるが、そこで「理由のない差」を広げていくことで、採点は恣意性が高まってしまう。現在0.25点刻みの演技構成点を0.1点刻みにして、かつ上位10人程度(人数はもう少し増やしてもかまわない。フリーの2つのグループに相当する数でもいい)の選手間にジャッジがつけられる「点差」を、もう少し狭く規定するという手もあるかもしれない。そうすれば、ジャッジは0.1点刻みで、「差」はつけられるが、「大差」をつけられない。もう1つ、諸悪の根源、ダングレード判定。これについては、撤廃の方向で動く必要がある。ダウングレード判定の問題は2つ。点数が下がりすぎること。それと、判定に甘い辛いがあり、見逃しも起こりがちだということ。人間が判定する以上、間違いは起こるが、女子の場合、ダウングレード判定があるなしで勝負が決まってしまうこともある。それだけ責任の重い判定であるにもかかわらず、試合によって、ジャッジによって、判定があまりに違いすぎる。しょせん、4分の1以上の回転不足かどうかを、人間が判定するのは無理だったのだ。回転不足は多いに考慮すべきだ。だが、それはGOEでやればいい。そもそも回転不足は、「質のわるいジャンプ」なのだから。中間点などという新しい概念を持ち込むのは、まったく不合理だ。3回転ジャンプの回転不足が2回転と3回転の中間のジャンプだというのなら、その質は一体どう判断するのか。GOEの意味がなくなってしまう。回転不足は質の悪いジャンプ、だからGOEで減点する。このシンプルかつ当然な原則に立ち返るよう、時間をかけてもISUを説得すべき。説得するためには、現状のスペシャリストの回転不足の判断が、いかにばらばらか、きっちり試合後に検討する時間を設けるべきだ。トップ選手のフリーだけでもいい。今回のワールドだったら、浅田・キム・レピスト・安藤・コストナー・長洲選手あたりだけでもいい。回転不足が見逃されていないか。逆に足りていると認定していいジャンプが落とされていないか。それは、公平性を担保し、向上させることにもなる。もし、すぐに撤廃できないのなら、「4分の1」という現在の規定を、途中で回転が終わってしまったような、誰にでもわかる回転不足、すなわち「2分の1」にまずは改定するという手もある。この「2分の1以上」規定はすでにコーチからも一案として出されている。中間点など筋のとおらない新しい概念を導入しては、ダメだ。ダングレード判定の問題については、とっくにこちらのエントリーで指摘したが、広く認知されたのは昨シーズンのNHK杯で、浅田選手のほぼ問題なく見えるトリプルアクセルがダウングレードされたときかもしれない。これも昨日や今日起こった問題ではない。時間をかけて徐々に暴走し、今や歯止めがかからなくなっている状態なのだ。一番まずいのは、女子の3回転というのがそもそもギリギリにやりやすく、それゆえ、微妙なものを取ったり取らなかったりすることで、落としたい選手の点を落とし、落としたくない選手の点を落とさないようにしているように見えることだ。そもそもジャッジとは裁判官だ。一定の基準を遵守すべきジャッジの判定が、こうも試合によって違い、同じ試合でもジャンプによって違うのに、「今回は厳しいジャッジでしたね」で済ませられるセンスがわからない。女子の場合は特に、ダウングレード判定は、勝敗にも大きくかかわってくるのに、こんないい加減なことで、なぜ内部の人間は気分が悪くないのか。誰かをつるし上げるためではなく、より公平なジャッジングがなされるよう促すという意味でも、ダウングレード判定に対する検証は、必ず行うべきだと思う。恣意的操作があるかどうかは問題ではない。あるにせよ、ないにせよ、できにくくするルールにする必要がある。浅田真央を勝たせるためのルールなんか、提案しなくて結構だ。マトモに試合をすれば、浅田選手に勝てる女子などいないのだ。浅田選手は最初に世界女王になったときは、3Aで転倒している。今回は3Aは1度だけの認定。あとの2つはダブルアクセル扱いだ。それでも世界一の点を取った。加点で基礎点がないがしろにされるような主観的な点付けではなく、あくまで難度に応じた客観点を柱にし、そこに質の評価を「加味」する。これこそ日本が提案すべき、ルールの基本方針だと思う。基本的に日本人は、「自国の選手が勝てば満足する」国民ではない。あるボクシングの試合で、自国で自国の選手が判定勝ちしたときに、多くのファンは公平さに欠けていると憤ったではないか。今、フィギュアファンが採点に対して怒っているのは、自国の選手が負けているからといより、採点があまりに不公平で、特定の選手を勝たせるために、無理矢理操作しているように見えるからだ。さまざまな「採点テクニック」で長洲選手が落とされているのを見るのは、実に気分が悪い。同時に、なにかしらの思惑で、高橋選手が上がってきているように思えるプロトコルを見せられるのも、不快そのものだ。別にバンクーバーオリンピックの金メダリストを上回る今季最高点をいただかなくたって、今回のワールドで高橋選手ほど王者にふわさしい演技をした選手は他にいないのだから、それだけでもう十分だ。長洲選手は、浅田選手に匹敵する能力をもった選手だ。ローリー・ニコルの振付に、あれほどの若々しいダイナミズムを持ち込むのは、浅田選手にだってできなかった。もちろん、浅田選手には浅田選手にしか表現できないものがある。この2人は、もっと競い合ってしかるべき選手だ。誰もが公平に感じる試合というのは難しいかもしれないが、ある程度、客観性が担保された基準のもとで、たとえ浅田選手が長洲選手に負けたって、誰も今ほどのストレスは感じないはずだ。
2010.04.03
オリンピックでトリプルアクセルや4回転の基礎点の低さがクローズアップされ、そこだけに注目が集まっている感があるが、実際には、トリプルアクセル以上のジャンプの基礎点は、一度引き上げられている。http://www.geocities.jp/judging_system/↑こちらに詳しいジャンプの配点が書いてあるが、2008年度以降3A 基礎点 7.2点→8.2点4T 基礎点 9点→9.8点だが、よく見ていただくと、同時に非常に「嫌らしい改定」もなされているのがわかると思う。それは、GOEの加点・減点の反映割合。それまで減点・加点はジャッジがマイナス3からプラス3までつけたものが、そのまま反映されていたのに、基礎点が引き上げられると同時に、減点の反映割合が増やされている。つまり、たとえば4Tの場合、ジャッジがマイナス1とつけた場合はマイナス1.6点減点になるというように、失敗したときのリスクを大きくしたということなのだ。トリプルアクセル以上の超高難度ジャンプには、それだけで転倒→ケガの危険性がつきまとう。高難度のジャンプに挑むということは、それだけで身体的リスクを背負うということ。それだけで選手にはプレッシャーだ。にもかかわらず、減点されれば、過剰に反映され大幅に点が下がってしまう。高難度ジャンプへの挑戦を逆にはばむ改正と言っていい。実際に、基礎点が上がって以降、逆にジャンパーはどんどん勝てなくなってきているのだ。今回のバンクーバー五輪で、それが決定的になった。それは一言で言えば、主観点である加点・減点および演技構成点のマジック。GOEの加点を積極的につけるというのは、ジャンプ以外の要素では、基本的に好ましいと思っている。以前ジャン選手のパールスピンが、キム選手のレイバックスピンとたった0.5点差しかついていないことに疑問を呈したことがあるが、ジャン選手、それに長洲選手の見せるパールスピンなどの独創的な技は、もっと評価されていいし、次第にそうなってきている。http://www.geocities.jp/judging_system/↑こちらにスピンやステップなどの配点もあるが、レベル4を取らなければ、加点でたとえ「3」をジャッジがつけても、3点として反映されない。レベル3ならば、ジャッジが加点で3をつけても実際には1.5点プラスにしかならないのだ。ジャンプ以外の要素を重視したトータルパッケージでの評価を・・・と、言いながらレベル認定で4を取らなければ加点割合が過小なままというのは、まだかなりハードルの高い設定だ。今シーズンはステップのレベル認定に不可解さを感じた。最初はステップのレベル4はほとんど出なかったのが、年明け以降はかなり出た。レベル3とレベル4で加点の反映割合が違う現状では、微妙な判定によってずいぶん点が違うということで、好ましくないように思う。もし、ジャンプ以外の要素を重視するというなら、ステップやスピンなどのレベル認定が3でも、反映割合をレベル4並みにするという手もあるが、むしろ基礎点をあげて(レベル3と4を近い点にし、かつどちらでも3回転ジャンプ1つ分になる程度に)、レベル4のGOE反映割合を抑え、同時に3回転ジャンプのGOE反映割合を抑えるほうが整合性があるのかな、とも思う。つまり、スペシャリストの判断で、あまり極端な差がつかないように設定するということだ。ジャンプ以外のエレメンツの得点の出し方にはいろいろ考え方があり、どれをとっても、そもそも数が少ないので大差はないのだが、むしろ今問題なのは、ダブルアクセル以上のジャンプの基礎点に対する加点の反映割合が、その他の要素の反映割合に比べると過剰であるということだと思う。たとえば、キム選手はフリーでダブルアクセルを3つ入れ、苦手のトリプルループを入れていない。ダブルアクセルで「なぜか」気前のいい加点をもらえるので、点数はトリプルループに近い得点を得てしまう。ダブルアクセルは基礎点も高く、加点の反映割合も過小におさえられている2回転ジャンプと違い、3回転ジャンプ並みになっている。http://www.geocities.jp/judging_system/↑こちらの「ジャンプの配点」を再度参照ください。にもかかわらず、フリーでは3度入れることができる。3回転ジャンプ並みの扱いなのだから、挿入回数は2度に抑えるほうが適当だし、それによって、ジャンプの偏りがなくなり、バランスよく多種類のジャンプをフリーに挿入するよう選手にうながす効果もあるはずだ。トリプルアクセル+ダブルトゥループがトリプルルッツ+トリプルループよりも基礎点が低いことに対して、海外の解説者が疑問を投げかけていたが、それは連続ジャンプが単純な足し算であることに原因がある。しかも、連続ジャンプでセカンドに2回転を入れた場合、その基礎点が2トゥループなら1.3点しかないのに、GOEでもし減点されるとなると、マイナス2がつけば、そのままの反映割合となり(連続ジャンプなので、3回転以上の反映割合が適応される)、逆に2トゥループをつけないほうがよかったような点になってしまうこともある。つまり、連続ジャンプの失敗は多くの場合、セカンドがまずいために起こるのに、2回転のセカンドの失敗に対して、3回転以上のジャンプの失敗の減点割合が反映されてしまうということだ。こうした矛盾は、連続ジャンプを単純な足し算とせず、なにかしらの調整を加えることでも解決できるが、むしろ、2回転ジャンプとトリプルアアクセル以上のジャンプの基礎点を少しあげ、かつ加点・減点の反映割合をダブルアクセル以上のジャンプでも、もう少し過小にすることで解決できるように思う。今の採点の問題点は、加点・減点によって、客観的基準として定めたジャンプの基礎点がないがしろになってしまっている点。そこに「操作」が可能である点にある。トリプルアクセル以上のジャンプの基礎点のことばかり言われるが、今の現状では、2回転ジャンプの基礎点が非常に低く、加点をもらっても3回転以上のジャンプの点にならないため、レベルの低い選手が、無理に3回転を跳ぼうとすることが多い。たとえばダブルルッツにジャッジが加点3をつけたとしても、1.9点の基礎点に1.5点の加点が反映されるだけで、3.4点にしかならない。これがトリプルトゥループだと4点もらえる。そうなると、踏み切りのエッジを含めて、ジャンプの跳び方を固めるべき時期に、無理に3回転ジャンプに挑戦しようとばかりして、基礎がおろそかになる可能性が高い。ルールは、すべての選手の基礎力のアップに貢献しなければいけない。むしろ2回転ジャンプの基礎点を少し上げて、加点がもらえれば3回転ジャンプに「近い点」がでるようにし、同時にトリプルアクセル以上の、「世界でもトップクラスの選手しか跳べない」技に関しても基礎点をあげ、かつ3回転以上のジャンプの加点・減点の「反映割合」を2回転ジャンプ並みか、それより少し反映割合が多い程度に抑制して、基礎点で上のジャンプをあまり凌駕することのないように設定する。こうすれば、たとえジャッジが、恣意的な理由で加点を大判振る舞いしても、ジャンプの点がむやみにインフレすることはなくなる。質は大いに評価すべきだが、その反映割合を今よりも過小にする。そのことで、高難度ジャンプへの挑戦も自然にうながされることになり、かつジャンプの得点の客観性も担保されることになるはずだ。ある少数のジャッジが失敗ジャンプに加点「2」をつけても、その反映割合が抑制されて「1点」にしかならないということであれば、ジャッジの恣意的操作を、防ぐことはできないにしても、点数上抑制させる効果をもつ。同時に、トリプルアクセル以上のジャンプの減点の過剰な反映割合も、過小に変更すべきだ。高難度ジャンプへの挑戦を奨励し、ジャンプの技術を向上させる方向に行くなら、今のようなジャンパー罰ゲームは好ましくない。そうすると、やたらとトリプルアクセルに挑戦する選手が出てくる・・・という人がいるかもしれない。だが、トリプルアクセル以上のジャンプは、転倒せずに降りることさえ難しい。今の採点の問題点は、認定されてしまえば、転倒ジャンプであっても、点になったり、逆にマイナス点になったりすることだ。認定するかしないかではなく、転倒ジャンプは一律に0点とする。そうすれば、無謀なトリプルアクセル挑戦で基礎点を稼ごうとする選手はいなくなるはずだ。そもそも今、基礎点狙いで3Aや4Tに挑戦している選手はいないだろう。みな、自分の限界に挑戦している。トリプルアクセル以上の高難度ジャンプはそうした技だ。むしろ、レベルの低い選手が、基礎点狙いで3回転を跳ぶほうが問題だ。日本スケート連盟も、トリプルアクセルの基礎点アップとかボーナス点とか、「浅田選手1人のためにルールを変えようとしている」と突っ込まれることがわかっているような手法ではなく、もっと理論武装のできる、かつ選手全体のためになる改定案を出すべきだ。数の多いヨーロッパ諸国の選手にとっては、キム選手が強かろうが浅田選手が強かろうが、自分たちに勝ち目がないことでは同じ。「浅田選手が、あれほど難しいことをして勝てないのはおかしい」(オリンピック後の強化部長の言葉)は、そのとおりだが、ルールは政治、政治は数、多くの国が不満に思っていることをすくい上げなければ、数は集まらない。世界選手権で、世界中を呆れさせたキム選手の高得点は、どこから来ているのか? 成功ジャンプへの過剰な加点と高めに設定された演技構成点からだ。これについては、アメリカ女子も不満をもっているはずだ。そこをすくいあげて、賛同してくれる国を増やすべきであって、現状女子では浅田選手しか跳べないトリプルアクセルばかりをクローズアップしてルール改正を提案するのは、厳に慎むべきことだ。キム選手はエレメンツの完成度が高いから高得点だという話は、ショートでエレメンツそのものが抜けてしまっても、エレメンツをきちんとこなしたフラット選手とほぼ同じ点が出たことで説得性を欠くことになった。フリーでは、ジャンプの転倒とパンクで演技の流れとが止まり、見た目の印象が悪かったにもかかわらずフリーだけでは1位という点が出て、「全体の完成度が高得点につながる」という説明も、結局後付けの辻褄合わせだということが逆に素人目にもわかってしまった。ファンに対して、「あなたは素人。ジャッジはプロ。採点の批判なんかせず、気楽に楽しみなさいよ」などと言っても、採点競技でそれは無理というもの。黒を白と言い含めようとしつづけたことが、今回のブーイングが飛び交うワールド(しかも、日本のテレビでは、ブーイングの音が抑えられていた)につながったということを、ジャッジもISU幹部も真摯に受け止めるべきだ。
2010.04.02
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