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ブルターニュのガレット、ガレット・ブルトンヌには目のないMizumizu。ブルターニュのメーカーでも、「パレット」や「サブレ」、「クッキー」といった名称で売られているものではなく、断然「ガレット」が好きだ。メーカーによって味が少しずつ違うのも楽しい。最近気に入ったのは、ラ・メール・プーラーの塩キャラメルガレット。日本で見つけたのだが、本来Mizumizuが苦手なキャラメルのねっとりした感じがなく、サクッとした食感が気に入った。ラ・メール・プーラーはチョコレート入りのガレットも好きだ。フランスに行ったら探そうと思っていたのだが、行く先々で立ち寄ったスーパーやデパートの食品売り場で見つけることはできなかった。ラ・メール・プーラーのものだと、今回はやたらとサブレが目についた。南仏ではサブレが売れ筋なのか?そのかわりと言っては何なのだが、TGVで売られていたガレット・ブルトンヌに美味しいものを発見。ブルターニュのポンタヴァン(Pont-Aven)のガレット。ガレットはもともと薄手だが、そのガレットの中でもかなり薄いほうだと思う。味はベーシックなバター風味ふんだんで、塩が少し効いている。バターにアクセントの塩、まさにブルターニュだ。パリッとした食感で、Mizumizu母も大いに気に入る。こちらはスーパーで見つかったので、大量に買ってお土産にも活用した。ガレットはシャルル・ドゴール空港にも、有名メーカーのおしゃれな缶入りのものが売られているが、そういうガレットは逆に案外平凡な味。ポンタヴァンのガレット、日本で探してみたが、見つからない。輸入されていないのか・・・残念。フランス モンサンミッシェル島♪老舗のレストランのお菓子◆ラ・メール・プーラー(ガレット)100g 【あす楽対応_東北】【あす楽対応_関東】【あす楽対応_甲信越】【あす楽対応_北陸】【あす楽対応_東海】【あす楽対応_近畿】【あす楽対応_中国】【あす楽対応_四国】 ★kitchen0628★
2010.06.29

ギャルリー・ヴィヴィエンヌを歩いていたら、いかにも老舗の古本屋があった。店先では古い絵葉書を売っている。その中に30代半ばぐらいのジャン・コクトーのポートレートが。知的で繊細でお洒落で、そしてやや病弱で孤独そうなコクトーの雰囲気がよく出ている。構図も背景の「小道具」もバッチリだ。いい写真だと思って裏を見たら、写真家はマン・レイだった。なるほど。コクトーのそばに、またもオスカー・ワイルドが。そういえば、ワイルドの墓って、パリにあるのだっけ。ファンも多いだろうから写真も売れるのかもしれない。が、ワイルド氏のポートレートはコクトーの若いころほど視覚的な魅力がないので(婉曲表現? 直接表現?)、買うのは見送る。追記:ワイルドの墓の写真は、実際に行かれたというこちらのブログをどうぞ。こちらはもう少し年を取ったジャン・コクトー(左)。右にはコクトーの永遠のミューズ、ジャン・マレー。ダンディな2人の男性にはさまれたワンちゃんは、マレーの愛犬ムールーク。映画『悲恋』にも出ている。この写真のそばに、なぜかダライ・ラマの絵葉書もあった。シュールな並びだ・・・そして、もう1つマン・レイの作品。Nusch et Sonia Mosse' 1936とあったのだが・・・どなたで?誰だか知らないが、絵的に大変気に入ったのでお買い上げ。老舗古本屋のご主人は、20セントのお釣りも、「結構ですよ」と言ったMizumizuに、「ノン、ノン」と言いながら、ちゃんと返してよこした。南仏の雲助とはえらい違いだ。で、こちらの写真・・・ カクンと首を折った上の女性のポーズは、自然なようでいて、実はかなり計算されている。すぐに思い出したのは、北斎のこの美人画。この首の折り方は、現実には不可能なくらい無理がある。だが一見すると自然に見える。この北斎のたおやかで妖艶な女性美に対する感覚・手法と似たものを、Mizumizuはマン・レイの写真に感じた。甘えるように見上げている下の女性の表情もいい。姉妹のようでもありながら、微妙に恋人のニュアンスもある。信頼とやすらぎに満ちた空間。顔の表情から推察される性格はかなり違う印象だが、髪の毛の色や質感はそっくりで、ほとんど溶け合っている。こうした極めて近似した肉体に異なる精神性が宿っている図に、Mizumizuはエロスを感じる。これがダンスなら、なおいい。こうした雰囲気を男女のカップルで出すのは難しいから、Mizumizuがエロスを感じるのは、男性+男性、もしくは女性+女性の組み合わせに限られてくる。こうした組み合わせに、こうした感覚をもつ人も、ときどき世の中にはいるらしい。上のマン・レイ写真から漂ってくるそこはかとないレズレズしい空気もそうだが、たとえば、ベルトルッチの映画『暗殺の森』では、こんな女性同士のダンスシーンがある。ブロンドのフランス人妻と黒髪のイタリア人妻がそれぞれの夫の前で踊る。誘いかけるのはブロンド妻のほうで、演じるドミニク・サンダのクールな美貌は、整いすぎてどこか男性的ですらある。彼女はきわめてフランス女性らしい奔放かつ退廃的な性格。ここでは妻のほうと踊り、別の場面では彼女の脚を愛撫するなど、レズレズしいムードを醸し出すのだが、彼女の知らないところでは、夫のほうにも誘いをかけている。一方のステファニア・サンドレッリ演じる黒髪妻は、これまた典型的なイタリア女性。夫のダークな面にはあえて触れず、かわいい妻としてそばに寄り添い続ける。夫以外の人間にコナかけたりもしない。平凡な性格だが、平凡さゆえの強さもある。男性同士のダンスといえば、テクニック的に望みうる最高のものを見せてくれるのが、映画『ヴァレンチノ』のこちらのシーン。これはヤバイくらいうまい。見入ってしまうなあ・・・それもそのはず、踊っているのはルドルフ・ヌレエフ(ルドルフ・ヴァレンチノ役)とアンソニー・ダウエル(ニジンスキー役)。最後に1人で踊るのがダウエル。2人とも素晴らしいタンゴを披露しているが、よくよく見るとヌレエフのほうが先生っぽい(つまり、テクニックが確かで、この2人のタンゴダンスをリードしているということ)。同じモーションも多いが、ヌレエフのほうがピシッとポーズが決まり、脚の動きも大きく、速いので、よりたくましく男性的。ダウエルのほうがやや動作中に身体の軸が不安的になるように見え、それが繊細な印象になっている。言っておくが、あくまでヌレエフと一緒に踊った場合にそう見えるという話であって、アンソニー・ダウエルだってイギリス舞踏史に残るバレエダンサーだ。サーの称号ももっている。そもそもヴァレンチノがニジンスキーとタンゴを踊るなんて、ありえない話だし、ヴァレンチノがこんなにバレエの基礎を叩き込んだダンサーだったなんて話もない。ニジンスキーよりヴァレンチノのほうが踊りがうまいという時点で、すでに「どうなってんだ」のファンタジーになっているが、とにかくこのダンスシーンは傑作。2人の体格に差がないのが、またいい。ヌレエフとコクトーつながりで思い出したが、ローラン・プティの創作ダンス『モレルとサン・ルーあるいは天使たちの闘い』(動画はこちら)は、まさしく、惹かれあう極めて近似した肉体に、対照的な精神が宿ったときに起こる衝突と軋轢をエロティックに表現したものだ。詳しい解釈はサン・ルーを演じたマチュー・ガニオのインタビュー(こちら)にあるが、かいつまんで説明すると、舞台の右側から出てくるのがモレル。いったん近づいたあと後ずさるのがサン・ルー。ダンサー2人に体格差はほとんどないが、情緒的でしなやかな動きをするサン・ルーに対して、クールできっぱりとした動きをするモレル。精神性が対照的だということはすぐわかる。モレルは逃げようとするサン・ルーの肩に手をかけて誘いかけるのだが、そのあとは股に足をつっこんだり、倒さんばかりに胸に手を押し当てたり、非常に残酷だ。セックスそのものを連想させるポーズもある。ガニオによれば、苦悩の表情をさかんに浮かべるサン・ルーがモレルに対して抱いている感情はLove(愛)。残酷で即物的な振る舞いをするモレルがサン・ルーに対して抱いている感情はLust(欲望)。愛と欲望が鏡合わせであるように、モレルとサン・ルーも鏡像のような動きをする。だが、相手に求めているものはまったく違う。そのすれ違いに、モレルは苛立ち、サン・ルーは打ちひしがれている。モレルの残酷さはコクトーの不実な天使、「君なんて死んでも平気。僕は自分が生きたいよ」と言いながら、決して詩人を自由にしてくれない天使のイメージと通じるものがある。若いころのプティはコクトーの大ファンだったし、こうしたたくましい肉体をもった天使のイメージにコクトーの影響を見るのもあながち間違いではないかもしれない。また、プティにも離れがたい残酷な天使がいた。それこそがヌレエフ。こちらのエントリーでも紹介したが、最初にプティに近づいてきたのはヌレエフのほうだった。しばらく後に再会すると、2人はすぐに離れがたくなり、ほとんど寝食をともにするようになる。だが、ヌレエフは私生活の乱れっぷりでプティを呆れさせ、仕事を次々入れてプティとの仕事の時間をないがしろにし、ヌレエフにとって一番の振付師でありたいと密かに願っているプティの前で、別の振付師をベタ褒めしてプティをウンザリさせる。「別のダンサーに躍らせろよ。僕なら1週間もあればできるけどね」(←プティとの創作バレエをキャンセルするときのヌレエフの捨て台詞)「言っておくけど、僕は君の『フランス的』バレエになんか、興味はないからね。僕はクラシックバレエのダンサーなんだ」(←やっと発表にこぎつけた創作バレエの公演が終わったあと、ヌレエフの踊りをプティが気に入っていないと人づてに聞いて、プティの気持ちを誤解したヌレエフがヘソを曲げて叩いた憎まれ口。このあとさらに汚い言葉を公衆の面前で吐いて、2人は絶交状態に)。プティによれば、ヌレエフは天性の誘惑者で、「僕のこと好きになってくれる?」と相手の瞳を覗き込み、微笑みかけ、首尾よく相手がその気になったときには、もう彼の関心は次の獲物に移っていたという。ヌレエフは死んだあとでさえ、プティを完全に解放してはくれなかった。ヌレエフの死後何年もたってプティが見た夢は、振付師とバレエダンサーとしての2人ではない。ヌレエフに誘われて踊り出し、人々に囲まれながら、いつまでも踊っている2人の夢だ。コクトーの提示した青年の肉体をもった天使、誘惑者ヌレエフに対して抱いた愛と痛みの感覚・・・そうした体験が、プティの『モレルとサン・ルーあるいは天使たちの闘い』に移植されているようにも思う。
2010.06.26

パッサーシュ・デ・パノラマを出たあとは、パレロワイヤル公園方面に南下。「回廊通り」の名の通り、回廊をめぐらした通り。狭い裏通りだが、カフェやレストランは人々で賑わい、活気があった。パリの街は、以前にくらべるとずっとキレイになった。以前はパリのシンボルだった(?)、路上にころがる犬の糞も相当減ったように思う。しかし、清潔になるにつれ、あちこち整備されるにつれ、パリにしかなかったハズの魅力がなくなったと感じるのはMizumizuだけだろうか? 街もそうだが、人も。以前のパリジャンやパリジェンヌはとてもお洒落だったのだ。最初にパリに来たときは冬で、大判の四角いスカーフを個性的に巻いて、端を長く後ろに垂らしているフランス人男性を多く見かけた。別に高そうなスカーフではないのだが、抜群にお洒落に見えた。今パリの道を歩いているフランス人男性は、NYやミラノ、東京の男性と比べて、特にファッショナブルということもない。返って小柄なアジアの青年が、気合を入れた(笑)かわいい格好で歩いているのが目立ったりする。なんだか、発見のない、つまらない街になったなあ、パリ。パリで一番美しいと言われるギャルリー・ヴィヴィエンヌ。エレガントで洒落た店も多い。エッフェル塔グッズが・・・ここにも。こちらにも。注:礼儀正しい日本人のみなさま、お店の写真を撮るときは、必ずお店の方に許可を取りましょうネ。ヴェルレーヌとランボーゆかりのパッサージュ・ショワズールは、今は日中韓の料理屋がひしめく。ラーメンのダシの匂いやニンニクの香りが屋根つき空間の一角に充満している・・・うう~ん、これはフランス人にはかなり耐え難い匂いかも。そのせいかアジア人が多いパッサージュ。かつてここをヴェルレーヌは、「昔の香り漂うパッサージュ」と評し、そこではオレンジや珍しい羊皮紙や手袋を売る店があったと書いている。今はすっかりアジアンなパッサージュ。古ぼけた雰囲気は、「昔の香り漂う」というより、一応修理はしたものの、そのまま寂れてしまった感じといったほうが的確か。吉祥寺のアーケード街のよう(苦笑)。パレロワイヤル公園。去年の冬にも来た場所だが(そのときのエントリーはこちら)、すっかり緑で衣替え。まったく別の場所のよう。並木の端整な刈り込み方に、フランスを感じる。パレロワイヤルから地下鉄に乗って、ジョルジュサンク駅(シャンゼリゼ)へ。ショーウィンドウは季節のマカロン、ミュゲ(すずらん)一色。シャンゼリゼのラデュレは、平日だというのに、マカロンコーナーに大行列が出来ていてビックリ。冬に来たときは、ガラガラだったのに・・・日本人はあまり並んでいない。お客はほとんどが白人。みなどこから来た観光客なのか・・・しかし、それにしてもおそるべし、フランスの老舗店の宣伝力。ここのマカロンがいつの間にか、こんなに大人気になっているとは知らなかった。銀座に上陸したときは、すごい行列だったが、今はだいぶ落ち着いている。パリのシャンゼリゼ店の行列は、一時の銀座店を彷彿させた。もちろんMizumizuもお買い上げ。Mizumizu母はオランジェットも買っていた(あとで少し食べてみたが、値段ほどには感動のないオランジェットだった)。マカロンはやはり、日本で食べるより美味しい。口当たりが、さらにはかなくソフトで、フレーバーの主張は強い。しかし・・・「ミュゲ(すずらん)」のフレーバーは、個人的には好みではない。ローズは好きなのだけど・・・ ローズのほうが自然な香りに感じるのは、ただ単に慣れの問題なのか?
2010.06.25

エッフェル塔に登るとパリの街は魅力的に見えない。なぜならエッフェル塔が見えないから――という人がいる。そんな意見に同意する人にお奨めなのが、セーヌ川の観光船バトー・ムッシュ。なんのことはない。エッフェル塔とシテ島の間を往復するだけだが、所要1時間15分と、時間も手ごろで(食事つきのコースだともっと時間を取られる)、1人5ユーロと値段もお手ごろ。大きな船なので、予約なしに行っても問題なく乗れる。パリには15回ぐらい来ているMizumizuだが、いつも美術館やら有名レストランやらに時間を取られ、乗ったのは今回が初めてだった。さほど期待していなかったのだが、案外よかった。とくにエッフェル塔がいろいろな角度からバッチリ見えるのが素晴らしい。船着場は地下鉄駅Alma Marceau(3号線)からすぐで、個人でも簡単に行ける。船着場でお土産店に入ったら、メイドインチャイナの香り高いお土産物がゴロゴロ。そして、船に乗ると今度はお客の90%近くが中国人。昔、日本人が海外に行くと、お土産がほとんどメイドインジャパンだった・・・というような話があったようだが、今はそれが中国になっている。白人の観光客はあまりデジカメを持っていないのだが、中国人はほぼ全員携帯していて、バンバン撮っている。そして、一般の女性がモデルのように身体をひねってポーズを取って写真におさまるのも共通している。日本人はみな「ピース」だが、あれが中国では「モデルポーズ」になるみたいだ。前に座っていた痩せたチョン・テセみたいな青年と長い髪をきれいに巻いてお洒落をした中国美人のカップルに、写真を撮ってくれと言われてシャッターを押した(ちゃんと撮れていたかしらん?)。「中国のどこから来たんですか?」と英語で聞いたら、「○▲◎▽■~」と聞いたこともない中国の地名。漢字で書いてもらえばもしかして見当ぐらいはつくのかもしれないが、音だけでは全然わからない。首をひねると、「北京の北で、ナンタラナンタラ」と、うまいとはいえない英語で熱心に説明してくれた。こういうとき、中国人の男の子はとても積極的で外交的だ。日本人の男の子の内向的で自信なげな態度とは対照的。「パリは初めて?」とか「気に入った?」などと、話が少し盛り上がった。 エッフェル塔が見えてきた。アイスランド火山噴火の影響で空港が長い間閉鎖され、ようやくフライトが再開された当日だったせいか、飛行機がすごい勢いで飛んでいく。遮るもののない快晴の空を切り裂く飛行機雲が、あちらにもこちらにも。こんなパリの空を見たのは初めて。エッフェル塔だけではなく、もちろんアンヴァリッドやグランパレ、ルーブル(上の写真左)や、コンシェルジェリーやノートルダム(下の写真)などが次々見られるのだが・・・セーヌ河岸から遠かったり、建物の周囲の塀が邪魔をしたりして、案外よく見えない。そこへいくと、セーヌ川ぎりぎりに建てられたエッフェル塔の眺めは迫力がある。ちょうど間近で仰ぎ見るようになるので、高さと建造物としての力強さが強調される。そして、船の動きにあわせて、あっという間に遠ざかる。風景の一部に溶け込んだエッフェル塔もいい。最後はちょっと飽きたのだが、思った以上に楽しい気分になって船を降り、地下鉄で1本のGrands Boulevardsに行き、パッサージュ・パノラマ(下の写真)に入り、ここの一角にあるパッサージュ53で、ランチを取って大満足した。パッサージュ・パノラマも賑やかで、歩いて楽しいアーケードだった。この午前中バトー・ムッシュ→ランチパッサージュ53というコースは、ルートも簡単なので、お奨め。ランチのあとはギャルリー・ヴィヴィエンヌやランボーやヴェルレーヌゆかりのルメール書店のあるパッサージュ・ショワズールを見てパレロワイヤルへ南下し、そこからシャンゼリゼへ出たのだった。
2010.06.24

今回パリで泊まったのは、リヨン駅至近のホリデイ・イン パリ バスティーユ。これがなんとなんと、かなり良質のアタリホテルだったのだ。なんのことはない中級ホテルだが、フランスの最高級ホテルは、ホテルの格に見合わない一部の素人っぽいスタッフが高級感を見事にブチ壊すので、それがない分、値段にも納得できる。個人旅行者のニーズをいろいろな面で満たしている。最大のメリットは、値段がリーズナブルなこと。リヨン駅はパリの中心ではないし、南仏に行く旅行者以外にはメリットがないと考えられがちのせいか、値段がかなり良心的だった。フロントはビジネスライクで、ポーターもいないのは、返ってチップの心配がいらず、日本人には気楽だと思う。ホテルは広くもないし、エレベータにのって、指定の階でおり、まっすぐな廊下を歩いて番号を見ながら部屋に行くだけだから、ポーターなんていらない。部屋の内装はこぎれい(改装してそれほど時間がたっていないよう)で、バスルームも清潔で設備も新しく、したがって使いやすい。テレビは壁かけなので場所を取らず、机が広く使える。机が広いのが個人的には一番嬉しかった。早期予約をすれば、予約変更ができないという条件付きだが、安いプランもある(しかし、今回のアイルランド火山爆発のようなことがあったらどうなるんだろう? 予約したとたん「予約変更不可」の条件で決済されてしまい、それはデポジットではないので、天変地異でどうしても行けなくなったらすべてパーかも?)。ちなみに2010年4月の料金は1)2人1部屋(ツイン)で、129ユーロ(朝食なし)2)2人1部屋(ツイン)で151ユーロ(朝食付き)の2種類だった。宿泊時期が違うと部屋代も違うので、朝食が22ユーロということではない。部屋でコンピュータは使わなかったが、フロントに2台、宿泊客なら無料で使えるパソコンがあり、プリンターもついていて、印刷も無料で可。ただし・・・ フランスのキーボードって、アルファベット配置が日本のものと違う。これは知らなかった。細かいことだが、ブラインドタッチが当たり前の人間には、しょっちゅう打ち間違いをしてしまうので、イライラ・・・リヨン駅というのは、実はパリの中心から地下鉄で戻ってくるのにも便利だったのだ。パリの地下鉄で面倒なのは「乗り換え」。乗り換え駅でえらく歩かされることが多い。階段も多く、一駅分歩いているんでは? というような乗り換え駅も・・・ そこに行くと、シャンゼリゼ通りまで1本で行けるリヨン駅は、距離のわりには地下鉄での移動が疲れない。ターミナル駅周辺は猥雑で治安の悪そうな場所が多いのだが、リヨン通りにはそうした雰囲気があまりない。これはリヨン駅からホテルのあるリヨン通りを見たところ。道の奥にはバスティーユ広場の塔が見える。こちらは逆にリヨン通りからリヨン駅を見たところ。リヨン駅のシンボル、時計塔が美しい。リヨン通りの建物も瀟洒な雰囲気。ドゴール空港から来るバスはこのリヨン通りを通って、駅前で左折した先にあるバス停に着く(つまりホテルに行くには、バス停を降りて、進行方向とは逆に戻ることになる)。ドゴール空港に行くときも同じバス停から乗るので便利。バスは30分おきと、オペラ座から空港へ行くバスほど頻繁ではなく、値段も割高なのが玉にキズか・・・だが、バス停からホテルまでは、ほぼ歩道がバリアフリーになっているので、荷物を引きずって歩く旅行者には有難い。個人旅行者にとって大敵なのが、「段差」と「石畳」なので。大きな荷物をもって、階段の多い地下鉄で移動するのは、特に女性は避けたほうがいい。そして、朝食も(バイキングだが)かなり普通に美味しかったのだ。「普通に美味しい」朝食を出してくれるところがフランスではえらく少ない。スクランブルエッグがちゃんと黄身の色をしていることにちょい感激するMizumizu+Mizumizu母。南仏の観光ホテルのバイキングでは、スクランブルエッグは白身ばかりで黄身ちょっぴり・・・というような色をしていたのだ。お菓子に卵黄をたくさん使うので、その残りの卵白を朝食に回した・・・という感じ。生野菜に緑色と赤色があり、そこにかけるのが日本にも馴染みのあるフレンチドレッシング味というのも、妙に有難かった(笑)。どうもヨーロッパを旅行していると野菜不足になる。朝食レストランも日本人好み。モダンでお洒落だが寒々しく居心地の悪い空間ではなく、すっきりしていて清潔。テーブルの間も歩きやすい。クラシカルでもデコラティブでもないが、これで十分でしょう。パリの中心に泊まってしまうと、ボトルの水を買うのにも苦労するが、ここはホテルの数軒先に中国人がやっている小さな食料品店があるので、すぐに水やちょっとした食料が買える。もちろんリヨン駅構内の売店で買うより安い。というわけで、実は今回のフランス旅行で一番気に入ったホテルがこのホリデイ・イン パリ バスティーユ。コートダジュールの高級ホテルは、もちろん思い出作りに1度ぐらい泊まるのはいいが、さりとてリピートしたいというほどのクオリティはない。ホリデイ・イン パリ バスティーユなら、パリの常宿にしてもいいくらいだ。しかし・・・ こんなチェーン店が常宿にしてもいいホテルとは・・・フランスのサービス業が、いかにお寒いかということだ。2011年8月の追記:ここのデラックスルームとスタンダードルームに宿泊された読者の方から情報をいただきました。デラックスルームは、部屋は広く、コーヒーメーカーやクッキーがあるものの、屋根裏部屋のように天井が傾斜していて、何度か頭をぶつけそうになったとのこと。また、7階で廊下が狭く、廊下の壁もほかの階のようにきれいではなかったそういです。スタンダードルームはコーヒーメーカーもお菓子もないけれど、天井が高く内装もきれいで、十分に快適だったそう。朝食もおいしかったとのことです。常宿にしてもいいと思われたとか。M.Mさん貴重な情報をありがとうございました。
2010.06.23

パリのリヨン駅構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」。絢爛豪華な内装で有名で、映画『ニキータ』や『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』 にも出てくる。「内装は一見の価値ありだが、料理はマズい」が日本での固定評。それでも今回は南仏からパリに戻ってきた夜、ディナーを食べに行ってみた。予約しなくても余裕で入れる。席はいったいいくつあるのか・・・ とにかく広い。お客さんはほとんど外国人観光客で、めかしこんだ人が多い。テーブルとテーブルの距離がやたら狭く、とにかくどんどん客を詰め込むぞという意思を明確に示している。ガラスの向こうはホーム。南仏行きのTGVはここから出る。隣りに座っていたのは、ドイツ人の見るからに上流階級の家族。ここだけ急にヴィスコンティの『ベニスに死す』の時代になったようで、デジカメをパチパチやるのは非常にはばかられた。なので、こっそり写す・・・ といっても隣りのドイツ上流夫人とは目があってしまい、ニッコリとご挨拶。どうせだから話しかければよかったかな・・・ 日本人がドイツ語を話すと、案外めずらしがられて話が弾むのだが(話が弾みだすと困る・・・ ドイツ語はかなり忘れているので・笑)。連れているローティーンのお嬢様は2人は超ウルトラ美形で、なんとまあモノを食うというのに、薄手で大判のスカーフを胸のところにきれいにドレープをつけて巻いている。スンゲー、お洒落・・・ よっぽど綺麗に食べる自信がなくては無理だ。おまけにドイツ上流夫人もその旦那さんも、ウエイター相手には、ちゃんとフランス語を話している。と、通路のほうを見ると、これまたモダンなドレスに身を包んだスタイル抜群の黒人女性がさっそうと(たぶんトイレに)歩いていった。南仏はバカンス客が多かったので、ミシュランの星つきレストランといえど、案外カジュアルな服装の人が多かったのだが、さすが花の都・パリ。ここまで気合を入れてめかしこんだおのぼりさんが集結するレストランがあるとは・・・しかし、天井の装飾のゴテゴテぶりは、聞きしに勝る。フレスコ画もギリシア神話の女神みたいなモチーフから、旅情を誘う(?)南仏の海から、本当にごちゃごちゃのめちゃくちゃ・・・ 壁も天井も柱も装飾しつくされている。空白が怖いんですかね? ここまで来ると一種の神経症だ。とは言え、思ったより装飾品は埃っぽく、壁の絵は色もくすんで、レストランの大空間は暗かった。ウェブサイトでは、キンキラ金のイメージなのに、案外ゴールド感がないのだ。イメージ写真とずいぶん違う。バリ島のホテル並みだ。これじゃ一種のダマシでは?しかし、なんざんしょ、このド派手なシャンデリアは・・・ 隅々まで行き届いた貴族風成金趣味に呆れてしまった。料理は期待しないほうがいいと言われていたので、ハズレの少なそうなものを頼むことに。まずは、イタリアンなら何とか食べられるであろうMizumizu母のためにフェットチーネ。テーブルの上に置かれたとたんに食欲減退。これまでに見た幾多のパスタ料理の盛り付けの中でも栄えあるワーストワンを進呈したい。Mizumizu母は、一口食べて顔をしかめる。「味がない」パリのパスタ料理は味をつけないのか?? 塩をかけたら、多少味がついた(塩の)。しかも、驚いたことに、このフェットチーネはちゃんと手打ち(つまり自家製)のようなのだ。自家製パスタでここまでマズイものを作れるとは・・・ さすがフランス人、芸術的です。同じくハズレが少ないであろう、ホワイトアスパラを頼んだMizumizuだったのだが・・・これまた運ばれてきたとたん、「失敗」の二文字が目の前に浮かんだ。茹ですぎなのか、単に古いのか、アスパラに張りがなく、色も悪い。さらにマヨネーズ風ソースが最悪。「味がない」またも、塩をかけて塩味で食べるMizumizu。これならキューピーマヨネーズのほうが断然ウマイわ。ちゃんと自家製で作ってるフレッシュなマヨネーズに見えるのだが、ここまでボンヤリした味って、シェフは味覚異常なのか?これまた生涯最悪のホワイトアスパラの称号を進呈。東京のツム・アインホルンのホワイトアスパラは、これに比べるとなんと美味しいことか。ソースの深く上品な味わいは職人技だ。隣のドイツ上流家族もホワイトアスパラを食べていた。これじゃ、ドイツで食べたほうがマシなんじゃ・・・?もうこれ以上、ここの料理は口に入れたくないので、「もう終わり? カフェは?」と、なんとか飲み物をオーダーさせようとするギャルソンを押し切って、支払いを終え、さっさと退場した。しかし、不思議なことに、ウエイターの態度は悪くなかったのだ。これだけ食べただけで、カードで回ってきた請求額は6,600円。たけーよ。「値段は高めなのでコースがオトク」などと宣伝しているサイトも多いが、パスタとアスパラでここまで芸術的にマズイんじゃ、コースにしたらどうなるのか想像もしたくない。バーがあるので、コーヒー一杯にしておいたほうが無難です。バーといっても、広いレストラン内のわりあい中央にカウンターテーブルがあってそこで飲むので、内装は十分に堪能できるはず。しかし、ご自慢の内装も・・・ もうちょっと掃除したらどうなんだろう。ここまでゴテゴテじゃ、埃を払うのも難しいのか。お客に日本人がいないのも頷ける。こういうおのぼりさん相手で高いばかりの店をありがたがる時代は日本では終わっている。客にドイツ人・アメリカ人が多いというのも・・・この味じゃさもありなん。『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』 では、ここでMr.ビーンが口に入れた生牡蠣を吐き出したりする、見ようによっては相当に失礼な場面がある。魚介が苦手なのに、フランス語がよくわからず頼んでしまい困ったので、食べるふりをしてこっそり口から出して捨てている・・・ というふうに映画を見たときは解釈したのだが、もしかしてアレ、このレストランの料理が食えんほどマズいってことを暗に皮肉ったのか? レストランの外に出たときは、そんな気さえしてきたのだった。[枚数限定]Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!/ローワン・アトキンソン[DVD]【返品種別A】 【中古】DVD ニキータ/アクション
2010.06.21

<きのうから続く>ヴィルフランシュのサン・ピエール礼拝堂壁画のなかで、Mizumizuがことに心惹かれるのは、この天使だ。天空を自由奔放に駆け回る天使たちの多くには目も鼻も口もないが、地上でつんとポーズを取るこの立像の天使は、冷めた視線を横たわる聖人に向けている。この表情を見て、直感的に思い出したのが、ジャン・コクトーの詩の一節。「君なんて死んでも平気、僕は自分が生きたいよ」こんな不実を詩人に言うのも、彼の天使(=詩神)なのだ。「彼(=詩人)」が「彼(=詩神)」から遠ざかろうとするや、引き戻しにかかり、すぐに突き放し、彼を深い夜の静寂(しじま)に落としこめる残酷な天使。その無垢な残酷性を絵で表現すれば、こんなふうになるのだろう。さらに、このヴィルフランシュの残酷な天使に極めて似た人物像が、コクトーの過去のドローイングの中にある。それは、1949年にジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』の挿絵のために描いた水兵の習作のうちの1枚。コクトー先生、お尻がリアルにエロすぎます。その頭部のアップがこちら。横顔の輪郭の描き方はそっくりだし、身体のポーズにも連動性がある。ほぼ、お尻の向きを逆にし、腕の位置を変えただけだと言える。上半身を覆うタンクトップがなくなり、かわりにむき出しの臀部が布で覆われる。そこにマサカリのような翼が追加される。こうして水兵から天使へのメタモルフォーゼが行われたのだ。同じモデルを使った水兵のドローイングで、ヴィルフランシュの残酷な天使と目玉の描き方がそっくりなものもある。ヴィルフランシュの残酷な天使は、横顔の輪郭は上の作品、目の描き方は下の作品というように、2枚のドローイングを合成させたものだ。俗世そのものである帽子や髪の毛は水兵が天使へと昇華する時点で消滅している。コクトーは『ブレストの乱暴者』の挿絵にかこつけて、あられもない姿の水兵のドローイングを多く描いている。あえて「かこつけて」と書くのは、過激でエロチックなこうしたドローイングの多くを、コクトー自身は世に出すつもりは毛頭なく、死後になって「発見」されたものであること、それに、もともと水兵というのはコクトーにとって、極めて性的な存在であったことが、『白書』を読むと明らかだからだ。『白書』に登場するのは、南仏の港町ツーロンの水兵。彼らは「秋波には微笑で答え、愛の申し出を決して拒まない」魅惑のソドムの住人だ。「君なんて死んでも平気、僕は自分が生きたいよ」こんなことを平気で言って詩人を苦しめる残酷な天使は、同時に、詩人を性的に誘惑する恋の相手でもある。横たわる聖人をシニカルな横目で見やっている天使の原型が、描き手にとって極めてセクシャルな存在であった若き水兵だったとしても不思議はない。そして詩神(ミューズ)とは、表現芸術への渇望の象徴でもある。それは、特定の人間にとっては、宿命でもあり、やむにやまれぬ行為だ。詩神の虜にならなくてすむ者、詩神の誘惑から逃れていられる者は幸いかもしれない。天使とともに描く壮大な浪漫はなくても、深い闇に何度も落とされる精神的危機もない。
2010.06.18

ジャン・コクトーは「天使」のイメージについて、以下のように述べている。「天使は人間性と非人間性のちょうど真中に位置している。それは潜水夫の力強い動作と、千の野鳩のすさまじい羽音に似て、見える世界から見えない世界に飛んでいく、輝かしい、可愛らしい、力強く、若々しい動物だ」「天使にとっては、死は不可解である。彼は生きている者を圧し殺す。そして、魂を平気で奪い取る。彼には拳闘家と帆前船の性分があるに違いない、と僕は想像する」「僕達はここで、合掌し、金と百合の翼を持ち、星を戴いた、砂糖製の両性神(エルマフロディット)からは遠く離れている。<鷲のように天から飛びかかってくる>猛々しい天使、ドラクロアの描いた天使、翼を規則正しく描かなかったために教会から罰せられたグレコの天使たちを見たまえ。僕達は皆、天使たちの墜落や、その子孫である巨人たちの誕生、またリュシフェルの罪などに関する、すべての聖書に欠けているページ、完全なキリスト教神話にノスタルジーを感じる。……無私無欲、エゴイズム、やさしい憐憫、残酷、交際嫌い、放蕩のなかの純真、地上の快楽にたいする激しい好みと、それにたいする侮辱の混合、無邪気な背徳。諸君、間違えてはいけない、これらにこそ僕達が天使性といっているものの印がある」(職業の秘密)」詩人はここで自身の描く天使の身体的イメージと精神性について書いているのだが、コクトーにとっての天使は、シュガーメイドの両性具有的な存在ではない。天使たちはどこまでも強靭で雄々しい男性的な肉体をもっている。そして、人間性と非人間性の中間に位置するがゆえに、「死」を理解せず、結果無邪気に人間の魂を奪い去ってしまう。無私でありながらエゴイスティックで、やさしくも残酷で、孤独でありながらも放蕩児・・・・・・そうした分解不可能な純粋精神、「無邪気な背徳」のなかにコクトーは天使性を見ている。こうした「ジャン・コクトーの天使性」を線と色で表現したのが、ヴィルフランシュにあるサン・ピエール礼拝堂壁画だ。これは、サン・ピエール礼拝堂で売られている絵葉書をスキャンしたもの。現地は内部撮影は禁止。壁面を飛び回る天使は、たくましい四肢をもった成熟した青年の肉体をしている。右側の天使たちは、高速で天空を自由に移動している雰囲気が実によく出ている。「鳥獣戯画」の国の人間から見ると、西洋画家の描く「線」には、無機的な印象を受けることが多いが、コクトーの「線」には、のびのびとした生気がある。あたかも、一気呵成に仕上げたように見えるが、実際には1つのイメージを作るのに、下絵を100枚近く描いては捨てることもあったという。だが、コクトーの「線」はどこまでも自由で、そうした努力をほとんど観る者に気づかせない。衣の襞や、とげだらけのサボテンの乾いた質感、草のしなる風情など、よく描けている。ヴィルフランシュの風俗を取り入れつつ、人物像の目が魚の形になっているなど、マンガチックともいえる発想の面白さも光る。この人物像は、漁師が使う網を衣のように羽織っているのだが、背中を出したその網のはだけ方がなまめかしい。耳飾りをつけているというのも、奇妙なほど今風にセクシーだ。 横たわる髭の人物像(聖ペトロ、つまりはサン・ピエール)を基点にして、天使たちの翼が渦巻きを構成するように配置されいてる。色彩を極力抑えることで、淡い黄色のトーンが生きている。この空中での渦巻き構成は、15世紀の傑作、マルティン・ショーンガウワーの「聖アントニウスの誘惑」(聖アントニウスを邪悪な悪魔が誘惑する図)のアンチテーゼに違いない。しかし、この礼拝堂・・・ご覧のように、ホテル・ウェルカムとは文字通り目と鼻の先の距離にある。ところが、開館時間をホテルのフロントに聞いたところ、「季節によって違う。ドアのところに張り出してあるから見て」と言われたのだ。「普通は10時からなの? 昼休みは2時間?」と聞くと、微妙な表情でなにやら曖昧なことを言っている。こんなに近くの、しかもコクトー壁画の観光スポットの開館時間をコクトーゆかりのホテルが知らないなんてワケはないはずだ。また、何かあるんじゃ・・・そして、それは現場に行って初めて明かされるんじゃ・・・フランス人お得意の「ギリギリまで教えない、こちらにとっては不利な現状」があるのでは、と思って礼拝堂に行ったら、案の定だった。10時から開館にはなっていたのだが、なんとなんと!中がモロに修復中だったのだ!!しかも一部修復なんてもんじゃない。足場が礼拝堂内部のほぼ全体にわたって組まれ、はっきり言ってほとんど見えない状態。「雨漏りが原因」とかなんとか、受付のおばさんが言っていた。これで、2.5ユーロ取って見せるか? 閉めて修復に集中して、それがちゃんと完了してから開館すべきレベルだ。しかも、「修復には、XXXXユーロかかるので寄付を」と、入場料を払った上に、ほとんど壁画を見られないハメに陥る観光客にさらにタカろうとしている!これでホテルのフロントの曖昧な態度も合点がいった。「修復中です」その一言を言いたくないのだ。もちろん彼らは知っている。ほとんど見られない状態であることも。だが、事前にそれを知らせて、文句を言われたくないのだ。こういうことはフランスではしばしば起こる。行ってみたら美術館が開いていない。修復のために閉館という情報が、ホームページをみてもすぐにわからないことが多い。どこかに書いてあるのかもしれないが、それがすぐわかる場所にはない。行ってみて初めて知るということになる。頭にきたので、足場の裏に回って、なんとか見ようとすると、さっそく受付のおばさんが、「そっちはダメ」というようなことをフランス語で注意してきた。「わかんないわよ!」と英語で怒鳴ると、うるさい客の相手はしたくないとばかりに下を向いてしまった。さすがのフランス人も、多少は後ろめたく思っているようだ。あのさ~、ジャン・コクトーの壁画は、フランスのれっきとした文化遺産だと思うよ。これを見るために、はるか東洋の小島から観光客がやってくるのだ。それほど集客力のある文化財の修復ぐらい予算を回しなさいよ。3人子供を産めば働かなくてもいいぐらいの手当てを出すなど、愚民量産政策にバラまく予算があるんなら、貴重な文化財の修復にお金を回すべきだろう。寄付に頼るというのは、アメリカ式のやり方だが、アメリカとフランスでは「文化事業への寄付」に対する土壌が違う。まったく・・・アメリカが嫌いなくせに、都合のいいところだけはちゃっかりマネしている。フランス(イタリアもそうだが)は、かつては美術館の入館料も安く、文化大国の余裕を感じたものだが、今は文化財は徹底的に観光ビジネスに利用し、観光客からは遠慮なくできるかぎりぶったくるシステムになっている。寄付を募っているということは、修復予算のメドが立っていないということかもしれない。ということは、このひどい状態のまま、のんべんだらりと中途半端に修復しつつ公開を続けるのかもしれない。なんて気の毒なジャン・コクトー!コクトーはフランスを偉大な国にした文化人に対する自国民の薄情さを、常に批判してきたが、まさに的を射ている。この礼拝堂は、ヴィルフランシュの漁民に捧げたもので、「コクトーの誕生日には、ここで礼拝を行う」などと美談ばかり流布されているが、実はコクトーは、ジャン・マレーへの手紙で、地元民に対する不満をぶちまけている。コクトーがサン・ピエール礼拝堂の壁画装飾を仕上げたのは1956年のことだが、その翌年の手紙。1957年8月14日 ふたたび梯子に登ってみたものの、自分の仕事が本当にやるだけの価値があるかどうか、不安の頂点にいます。(中略)こうした悩みをますます強めているのが、ヴィルフランシュの漁師たちからこうむった悲しみと失望です。彼らはぼくが贈ったチャペルで豊かになった(入場者2万5000人)というのに、ぼくのことをまるで最悪の敵のように扱います。ぼくにはわけがわからない。ぼくが自由に人を連れて入れないよう、ドアに南京錠をかけることまでするのです。(「ジャン・マレーへの手紙」より)この敵対的態度の裏には、どうやら礼拝堂装飾に借り出された職人に対する賃金不払いのトラブルがあったようで、誰が最終的に報酬を支払うのかをきちんと関係者と取り決めないまま、コクトーが仕事を進めたのがことの発端かもしれない。だが、詩人にとっては、この不払いトラブルは、「誰もかれも、ぼくの贈り物をタダで手に入れようとしている」状況に他ならなかった。自分が精魂かたむけて完成させた壁画で現地の人々が潤ったにもかかわらず、こうした態度を取られたことで、コクトーは制作意欲を削がれてウツになったのだ。「自分の仕事が本当にやるだけの価値があるかどうか、不安の頂点にいる」というのは、そんなコクトーの精神状態を端的に表している(そして、泣きつく先はジャン・マレー)。<明日に続く>
2010.06.17
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【中古】DVD アジアンタムブルー「アジアンタムブルー」という映画がある。「イケメン+不治の病+南仏」3点セットの典型的な若い女の子向けメロドラマだが、この作品中にヴィルフランシュのホテル・ウェルカムとサンピエール礼拝堂、それに海辺の遊歩道が出てくる。山崎隆二(阿部寛)が最初に仕事で南仏を訪れたときに、ホテルのベランダで物思いに沈むシーンがあるのだが、そこがホテル・ウェルカムのベランダ。そして、ヒロインの続木葉子(松下奈緒)が山崎と南仏を訪れ、サンピエール礼拝堂のコクトーの壁画を見たあと、海辺の道を歩くシーンもヴィルフランシュだ。そこで葉子が、ジャン・コクトーとラディゲ、それにジャン・マレー(名前は挙げずに、「美女と野獣」に出ていた人、と言ってるが)の話をする。ホテル・ウェルカムのベランダからの港の景色は、臨場感に溢れている。ニースのプロムナードデサングレよりずっと、海の響きを間近に感じることができる。時間によって変化するのもいい。とりわけ黄昏のころが素晴らしい。山は光の首飾りをまとい、港にも煌きがともる。夜もロマンチックだ。ヴィルフランシュは治安がいいのか、真夜中近くになっても、海の見えるホテルのバーで人々がくつろぎ、遊歩道をそぞろ歩いていた。小さな村なので、都会のようないかがわしさもない。海を背に路地を入るとすぐに坂になっている、ここがヴィルフランシュの旧市街。中世の面影が残り、明るく開けた海の情景とは対照的な暗く狭い空間の連鎖となる。そのコントラストがいい。「オルフェの遺言」のロケにも使われた旧市街のオブスキュール通り(Rue Obscure)。ここには昼もなく、夜もない。この路は、日本で言えば、黄泉の国へ向かう「黄泉比良坂(よもつひらさか)」だ。生と死が隣り合っているように、光と影が切り離せないように、オブスキュール通りは、きらきらした海のすぐ近く、人々の生活が行き交う旧市街の一角に、ひそやかに、だが確固として存在している。港で思索にふける銅像のジャン・コクトー。活発さと陰鬱さが隣り合う、ヴィルフランシュは確かに、詩人を魅了するに足るポエティックかつフォトジェニックな町。山と落ち着いたパステルカラーの町並みは、どこかイタリア的な明るさがある。チンクテ・テッレもこんな町だったっけ。街灯の配置が、リズミカルに調和する瞬間。朝の風景。逆光の中に浮かび上がった3艘の舟は、海に浮かんだオブジェ。泳げそうな海岸も少し。波のくだける音は、むしろ思索を誘うのだが。ヴィルフランシュは鉄道駅のホームからも、潮騒のざわめきに心を浸すことができる。
2010.06.14

ヴィルフランシュにあるホテル・ウェルカムは、ジャン・コクトーの常宿として有名。位置関係は、このヴィルフランシュの地図で左上の印がバス停(ニースとマントンの間)、海沿いにホテルがあり、右端が鉄道駅。ホテルの全景。ジャン・コクトーは向かって左端にある22号室と23号室を常宿にしていた。予約時に「ジャン・コクトーの大ファンなので」と押しまくり、23号室を手配してくれるように頼んだ(22号室のほうが広いので高くなる)。フランスという国は、とにかく最後の最後までハッキリしたことを言わない。ホテルの部屋指定さえ。「押さえるように全力を尽くす」とメールで返事が来た。希望がないならその時点で押さえて、あとからリクエストがきても先約ありで断ればいいことなのに・・・ 部屋指定でここまでもったいぶる理由がわからない。わからないが、たぶん、何かの手配ミスでダブルブッキングなどしてしまった場合に備えて、そういう言い方をしているのではないかと思う。とまれ・・・ホテルに着いて、再度確認すると、無事23号室が手配されていた。ホテルのエントランスには、ホテルゆかりの文化人・著名人の名前を浮き彫りにしたオブジェが立っている。コクトーの名前のすぐうえに、オスカー・ワイルドの名があるのは・・・(苦笑)。入り口にはジャン・コクトー風のモザイクタイル。フランシーヌとデルミットと一緒に写ったコクトー晩年の写真。こちらはピカソとコクトー。ホテルが唯一所有しているという、コクトーのオリジナルドローイング。他はすべて複製の類いということだ。バーのこの照明もコクトー作品の模写。エレベーターの絵は、近くのサンピエール礼拝堂のコクトーの壁画を模写したもの。エレベーターの扉の絵柄は各階、全部違っている。闘牛士とか・・・竪琴と一緒に描かれているので、これはオルフェ? ちょい、情けない・・・ここまで徹底的にパクって、権利関係はどうなっているんだろう? いくらコクトーが常宿にしていたホテルとはいえ、ここまでやっていいんだろうか??23号室は、レモンイエローで統一された清々しい空間だった。内装はずいぶんと新しい。リニューアルしたばかりではないだろうか。渦巻き型のギボシに、コクトーの筆跡を真似た文字、それにコクトーのポスター。大きな窓を開けると、すぐそばに海。一瞬、潮騒のさざめきが聞こえ、すぐにそれは、目の前の車道を走るクルマのエンジン音にかき消された。ベッドは大きい。というか、部屋が狭い。ベッドサイドの照明は、コクトーのマークの星形。本当に、徹底的にコクトー風のインテリアにしている。ホテルの説明書きの紙の扉も、ホテル所蔵のコクトーのオリジナルドローイングのコピー。ジャン・コクトーには「公式」の部屋と「非公式」の部屋があった。狭い23号室が「非公式」の部屋で、実際にはこちらに宿泊。広い「公式」の部屋22号室は、警察の手入れがあったときのためのもの。つまり・・・23号室でアヘンを吸い、警察の調査が入るときは、何もない22号室に彼らを迎入れた、というわけ。たまたま22号室も空いているということで、中を見せてくれた。こちらのインテリアは赤で統一されており、「美女と野獣」の写真が飾ってあった。角部屋なので23号室より広く、二方にベランダがある。だが、内装は真新しく、コクトーが泊まっていた時代をイメージすることは不可能だった。ホテルのスタッフは非常に感じがよく、シェーブル・ドールとは雲泥の差だった。あとでわかったのだが、このホテル、アンケートがあって客が従業員の評価をするシステムになっている。以前もリヨンで、妙にウエイターやウエトレスが感じのよいレストランだと思ったら、あとからアンケートが回ってきて、なるほど、と謎が解けたことがある。つまり、感じの悪い態度を取れば、チクられる可能性があるというわけ。こういうシステムのもとだと、フランス人もわりあい感じよく働く。フロントのお兄さんが、コクトーとホテルの逸話を話してくれた。「コクトーは、ラディゲを失って絶望していたんだ。とても彼を愛していたからね。このホテルに来たのは、そんなときだ。ここでは誰もコクトーを知らなくて、彼に構わなかった。それでコクトーは、自由にここでものを書くことができたんだよ」。当時はきっと、もっとずっと質素なホテルだったんだろう。クルマも通らなかっただろうし、バカンス客もこんなにいなかっただろう。それでも、コクトーの部屋からは今も、海の響きに混じって、働く漁師たちの声がすぐ下から聞こえてくる。網を直し、舟を出し、やがて魚を積んで戻ってくる。釣った魚はすぐにその場で売られる。こんなにも海と生活の匂いを近くに感じられるホテルも珍しい。どんどん観光地化の進むコートダジュールではもう、ここぐらいしかないかもしれない。朝食は11ユーロ。海のすぐ近くのホテルのバーで。値段のわりに美味しいといえる。これもコートダジュールでは珍しいかもしれない。
2010.06.12

どうせだからと、テラスレストランLe rempartsでランチをしてからニースに戻ることにした。 ランチにはコースメニューがあるというので、それにしたのだが・・・ 前菜の肉は、切り方がザツでMizumizuを怒らせる。厚かったり、薄かったり、素人の切り方だわ、これ。どんな包丁を使ってるだろう?前菜の魚。これまたカルパッチョなのに、このヘタクソな切り方とベチャッとした並べ方はなんぞや? おまけに生臭い。オリーブオイルで臭みを消して食べないといけない。メインの牛肉。これは赤身の美味しさをバルサミコを使ったソースが引き立てていて、マル。赤ワインは、グラスで頼んだらMinutyというシャトーワインを持ってきてくれた。知らないメーカーだったが、昨晩のワインと打って変わった軽やかでフルーティなワイン。これはこれでメインとよく合い、大満足。肉とワインで、いろいろなマリアージュが楽しめる。この多彩さがフランス料理の魅力だ。しかし、この肉の塊で1人前・・・ 「とても軽いランチ」と言っていたのに・・・メインの魚の品評会も、食べる前から量と盛り付けにウンザリ。付け合わせのポンフリは、到底食べきれず、お持ち帰りにしてもらった(冷えたら、ひどい味になった)。デザートは、生クリームと果物の使い方がどことなくイタリア風。この手のデザートはMizumizuは好み。ただし、特に感激するほどでもない。昨晩のマントンのレモンは衝撃だったのに、えらい違いだ。これまた普通すぎるミニャルディーズ。フランスのガレットって、本来もっと美味しいと思うんだが・・・ エスプレッソも7ユーロも取るわりには、まったく何の感動もなかった。家庭で飲んでるものと変わらない。ハーフボトルのガス入りの水、グラスワイン1杯、エスプレッソ1杯にコース2人前で143.5ユーロ。味のわりには、ハッキリ言って高いと思う。ディナーとは味にえらい落差がある。眺望代と考えるべきだろう。というわけで、ここのランチ、コースはあまりオススメできないが、といってアラカルトなら美味しいかどうか・・・? そして、もうひとつ。シェーブル・ドールはサービスがあまりよくない。全体に素人っぽく、スタッフには、お客をもてなす精神的余裕とフレキシビリティが足りない。決められたことならできるが、それ以上は望めない。夏だけ開くホテルだから、ほとんどが季節労働者(笑)なのか。特にランチのサービスをしたオバさんウエトレスはひどかった。値段のないメニューを2つ持ってきて、フォークとナイフの場所を左右あべこべにし、デザートは置いたとたん、ガタッと倒れてしまった(もちろん、謝りもせず、さっさとばっくれていたが)。フロントのオジさんは、フロントマンよりガードマンが似合うような目つきの悪さ(笑)。こちらが入っていくと、一瞬、ジロッとにらむ(本人は意識してないのかもしれないが)。宿泊客のほうが、先に挨拶するって、おかしくないですか? 別に不親切ということではなく、あまり客あしらいに慣れていない感じなのだ(それでいいのか? フロントだぞ)。早めにチェックインして、部屋つきのベランダで座っていたら、下からバーのボーイに、「そこで何をしてるの?」なとど聞かれた(苦笑)。もちろん普通に、「私たちの部屋に座っているの」と答えたが。宿泊客以外も入ってきてしまうような作りなので、警戒しているのかもしれないし、昨今の中国人・韓国人の度外れた厚かましさを見ると、ある程度無理もないと思わないでもないが、小さなホテルなんだから、不審に思ったのなら、いきなりぶしつけな質問などしなくても、ちょっとフロントに確認すればすむ話だ。ディナーのときは、スタッフの数が余っているせいか、やたらとフロアをウロウロし、こちらを見る。なんとなく居心地が悪く感じて、「監視されてるみたいね~」と日本語でMizumizu母と話していたら、こちらの気分を察したのか、ジロジロ見るのはやめてくれたが。ここまでサービスが素人っぽいミシュラン星つきレストランは、初めて。最高級ホテルなのに、スタッフの質はデニーズ並み・・・ お客が外国人ばかりというのは東南アジアのようだし、スタッフの働き方は旧共産圏の国のよう。ド・ビルパンが、26歳以下の若者を2年以内の雇用なら理由なく解雇できるという法案を通そうとしたのは、労働者のヤル気をもう少し引き出そうとしたのだろう。だが、それも首を切られたくないボンクラな労働者の反対で引っ込めざるをえなくなった。働く人間がもう少し危機感をもって仕事を覚えようとしたら、もっとフランスのサービス業の質はよくなるはずだ。歴史と伝統、それにロケーションと備品は最高なのに、今のフランスはサービス業に携わる労働者が全員それに胡坐をかき、変な権利意識と間違ったプライドを振り回している。さらに、このシェーブル・ドールというホテルは、宿泊予約をしたとたん、1泊分をデボジットとして取ってしまう。レストランの予約をしたら、「予約したのにレストランに来ない場合は、100ユーロ申し受けます」などと注意書きを書いてよこした。いくらなんでも、100ユーロはちょっと酷すぎませんか?予約したとたんに1泊分の料金取るというのは、アメリカの人気ホテルが始めたことではないかと思うが、ヨーロッパの高級ホテルは、ずいぶん長くそんなガツガツしたことはしなかったのだ。だが、今やアメリカ以上に、ガッチリしているフランス。しかも、世界中の高級ホテルが、バトラーサービスのような「おもてなし」で、差別化を図っているというのに、フランスでは、まったくサービスという中身がともなわない。インテリアや食器の豪華さが、ますますフランスのホテルの「高級感」を虚ろなものにしている。
2010.06.11

シェーブル・ドールに泊まる客の目的は、ミシュラン星つきレストランでのディナー。レストラン La che'vre d'Orは三方がガラス張り。暮れ行く海辺の景色を見ながら、美味しい料理が味わえる。まずはグラスのシャンパンがサービスされた。お皿には銀のヤギ。バターは無塩と有塩の2種。アミューズはドデカイ皿に一口サイズの白身魚。トマトソースというのがイタリア風。もしや、またシェフはイタリア人なんだろうか? しかし、例によって少し生臭い。今回フランスで、まったく生臭くない魚を食べさせてくれたのは、Passage 53だけだった。Mizumizu母はたいして気にならないというので、これはあくまで個人的な嗜好なのだろう。今回はなんとかデザートまでたどり着きたかったので、前菜、メインとも1皿を2つに分けてくれるように頼んだ。メインまでシェアと聞いて、若干シブイ顔をするウエトレス。「量が少ないから」と言うのだが、アンタらの「量が少ない」は信用できへん。Mizumizu母はそもそも量を食べられない典型的日本人なのだ。それで、「いいから」と押し切る。前菜は、イタリアン好きのMizumizu母に合わせてニョッキ。星つきレストランで食べるようなものかいな? と思いつつ頼んだのだが、これが大・大・大正解。写真はピンボケのうえ、さっぱり美味しそうに写っていないのだが、これが絶品の極上の味。ふわりとしたとろけそうな口当たりのニョッキに、モリーユ(キノコ)のしっとり&しゃっきりした食感が衝撃的ともいえるコントラストになっている。チーズとハーブのアクセントもケチのつけようがない。ニョッキって、こんな洗練された逸品になるのね。まさしく生涯最高のニョッキだった。いやあ、凄いわ。これならシェアではなく一皿まるまる頼んでもよかった。メインはミルク飼育の子羊。ミルク飼育の子牛には目がないMizumizu(こちらの記事参照)だが、ミルク飼育の子羊は初めて食べる。写真の一皿がシェアしたもの、つまり半人前。実際、これくらいで十分だ。付け合わせはシンプルにアンティチョーク。この子羊も最高だった。柔らかい肉を噛むと、本当にぎゅっとミルクの風味が広がる! 外はこんがり、食べ進むにつれて、骨の近くではゼラチンめいた肉質が楽しめる。いや~、素晴らしいでしょう。ワインはグラスで頼んだ。「ローカルなものを」とリクエストしたら、シャトーヌフ・デュ・パプの赤をもってきた。アビニオンのワインというイメージだが、コートダジュールも含まれるということか。黒葡萄を思わせる深い色合い。ほんの少し花めいた香りがあり、力強い果実の落ち着いた酸味と渋み、そこにほのかに土の香りが混ざる(←これが大事)。うう~ん、これは大好きな味。もしや、ラングドックのワインにも多いグルナッシュ系なのか? と思ってセパージュを聞いたら、やはりそうで、グルナッシュ中心に、ムールヴェードルとシラーが少しだとか。キュベ・ジャン・マレーもそうだったが、Mizumizuはこの系統の渋い赤ワイン、だ~い好きなのだ。日本人には、あまり好まないような気がする。色味が嫌いなのかな?デザートはMizumizuはバニラのスフレに。これは・・・いや、味といい焼きかたといい、テクニックは最高でしょう。全体にふんわりしながら、表面はパリリと締まり、中はしっとりとクリームめいた食感も残っている。伝統的なデザートをここまで完璧に作ってくるシェフの腕には、まさに脱帽。なのだが・・・なんといってもデカすぎる。甘みが脳天まで来て、最後はちょい苦しかった(笑)。デザートでは、こちらに軍配をあげましょう。Mizumizu母が選んだ、「マントンのレモンのミルフィーユ」。レモンで有名な近隣の町、マントンの名を冠しているところもいい。これはオリジナリティ溢れる、極上のデザート。ハーブ使いとレモンの風味が限りなく洗練されている。甘すぎるものも酸っぱすぎるものも苦手なMizumizu母も、「美味しい」と大満足。レモンのシャーベットは少しきつかったようだが。ミニャルディースも美味しいのだが、ハッキリ言ってスフレでとっくに甘み限界だった。それでもまだまだ続く、甘み攻撃。うやうやしい木の箱に入った、宝石のようなチョコレートを見せらせ、おもわず取ってしまった。もちろん、普通に美味しいチョコレート。グラスシャンパン2杯、グラスワイン1杯、ガス入りの水ハーフボトルも入れて、全部で240ユーロ。食事を2皿ともシェアにしたせいか、案外安かった。レストランから出たら、夜のエズ村は無人。「鷲巣村テーマパークは、本日は閉店しました」。夜は何もやることがないエズ村。ゆっくり食事をしたら、あとはゆっくりお風呂に入り、寝るだけだ。こんなところに何泊もしたら、退屈でしょうがないだろう。朝のシェーブル・ドールはとても静か。景色は同じだが、光が違う。天空のテラスにいるようだ。ジュースと温かい飲み物、それにフロマージュ・ブランとパン。これで1人28ユーロって、高すぎ(笑)。特注のカワイイお皿の使用代と眺望代という感じだ。バターにはヤギさんマークが型押しで入っている。しかし、フロマージュ・ブランは最高。簡単に言えば、乳臭いヨーグルトだが、Mizumizuはフロマージュ・ブランには目がないのだ。「味がない~」と、食べつけないMizumizu母。だから、ジャムとどうぞ。それにしても、このリモージュの特製の食器はカワイイ。Mizumizu母も大いに気に入り、中央の小さなお皿を2つご購入。1つ24ユーロ。ゆったり朝食を取り、またゆったりとエズの村を歩いてみた。が・・・テーマパークに深みはない。いつまでも散策していたくなるような味わいはゼロ。泊まるとしても、本当に一晩で十分だろう。
2010.06.10

ホテルで一休みしたあと、エズ村を歩いた。生活感のまったくない「中世の小道」。確かに雰囲気はあるが、いかんせん整いすぎている。旅人を迎えるのではなく、観光客相手に商売するだけの鷲巣村。まさにテーマパークだ。エズ村には特産物は何もないが、狭い路地はフランス中から高級お土産品店を集めたようなショッピングストリートになっている。素朴なしっくい壁におしゃれにディスプレイしている。こうした「見せ方」が、フランス人は非常にうまい。ゴブラン織りのカバンを売る店。思わず買いたくなった。よく考えればパリにだってこの手の店はあるのだが。おかしいのは、バリ島のウブド郊外で見たガラスモザイクを使った工芸品が売られていたこと。エズの店一店まるまるに、派手なガラスモザイクの鏡や写真立て、それにランプになった仏像まで置いてある。一見すると東洋趣味のここらのアーティストの作品のように見えなくもない。どこで作っていることにして売っているんだろう? はるばるバリ島から南仏まで運んできて、こんな絶壁の村まで引っ張り上げるとはご苦労なことだ。元来エズとはなにも関係のないバリ島産の工芸品が、さも南仏ゆかりの品のようにして売られている。これもグローバル化の産物か。こういうダマシが、旅をますますつまらないものにしている。なにもここで買う必要は全然ないのだが、思わず買ってしまったGien社のプレート。ホテルで休んだら、買い物パワーが沸いてしまった(笑)。プロバンスから来たばかりなのに、なぜかここ、コートダジュールのエズでMizumizu母が買ったプロバンスファブリック。地味な緑の色合いとオリーブの木や実を象ったデザインが気に入ったよう。Mizumizuも以前、リモージュでこのプロバンスファブリックを買ったことがある。そして、今回はエズでリモージュボックスに目が留まった。リモージュに行ったときは、逆にこうしたものは目に入らなかった。不思議な話だ。観光地エズに合わせた絵柄になっているものも多い。「シャート・デズ」と架空のエズ産シャトーワインのボトルを作ったアイディアが気に入って、即座に購入決定。いくつか同じ形のものがあったのだが、絵付けが全部微妙に違う。こうやって留め金をあけて中にアクセサリーや薬などを入れる。中は職人のサイン入り。値段は128ユーロで、安くはないが、エズのイメージに合わせた、ありきたりではないお土産品をリモージュの職人に作ってもらうという発想がいい。こういうお土産なら「ほかでは買えない」という希少価値もある。日本も観光地と伝統工芸の職人が協力して、こういうお土産を開発したらいいのではないだろうか。大量生産の手ごろなお土産品ばかりを売ろうとしても、みなもうそういうモノには飽きている。数ははけなくても、アイディアとクオリティを気に入ってお金を出してくれる客もいるはずだ。エズ村のてっぺんにはサボテン公園がある。入園料は5ユーロ(本当に、いちいち高い)。サボテンはたいしたことないが、エズでもっとも高い場所にあるので、360度の眺望が楽しめる。サンジャンカップフェラ方向を見下ろしたところ。シェーブル・ドールから眺めがほうがずっと迫力があるが・・・こちらはイタリア方面。山側、つまり村の入り口のバス停付近。ゴテゴテしたサボテンと彫像の向こうに、地中海が広がっている。ホテルに宿泊しない人は、このサボテン公園から海を眺めなければエズに来た甲斐はないというものだ。つまり旅人、もとい観光客はタダでは帰れない。ちゃんと5ユーロ徴収されるようになっているというわけ。リモージュボックス「バラのつぼみ」リモージュボックス「ブックエンド」【送料無料】リモージュボックス 開いた本とフライパン フランス製 Limoge Box【10P11May09】【rich】【25%OFF】ジアン ミルフルール デザートプレート21.8cmジアン ミルフルール シリアルボウルUS
2010.06.09

シェーブル・ドールは崖にはりつくようにして建てられたホテルだが、狭い敷地の中は紺碧の海を借景にした美しさに満ちている。こちらが入り口。右がフロントで左がバー。テラスレストランやバーを利用したいようなら、右のフロントで聞いてみるといい。奥に見える扉の向こうは宿泊客専用空間で、外部の人間は立ち入り禁止。こちらが扉を抜けたところにある中庭。中庭から一段下がったところにテラスレストラン兼バーのLes rempartsがある。右側のパラソルの広がっているエリアがレストランで、左側がバー。中庭から見上げたMizumizuたちの部屋。部屋のカテゴリーはかなり細かく分かれている。Mizumizuが今回選んだのは海の見えるChambre Lux(部屋代は560ユーロ)。タックスが2人で3ユーロ、朝食代は別。部屋のインテリアは、同じカテゴリーでもそれぞれ違うよう。部屋についたベランダからの眺望。目の高さまで海。ここの滞在は天気に左右されると思う。晴れなければ魅力は半減。下は中庭。ランチの時間はテラスレストランにご馳走を運ぶウエイターが上から見えて、「落ち着かないかな?」と思ったのだが、下からこちらは見えないし、人の動きが見えるこの部屋のロケーションも案外珍しくていいな、と途中で考えが変わった。部屋の窓を開けると、ホテルのシンボルである黄金のヤギ(シェーブル・ドール)と紺碧の地中海。サンジャンカップフェラが遠くに見える。Mizumizuたちの部屋は、入ってすぐがリビングになっていた。狭い廊下でバスルームとベッドルームがつながっている。カーテンは赤と黄色の明るいプロバンスカラーのストライプ。生地そのものは高級ではないが、南仏ではこの洒脱さが映える。ドアにはピンクと薄緑のペインティングが施されている。ベッドルームの棚も同じ意匠。どちらかというと素朴な塗りで可愛いのだが、子どもっぽくも安っぽくもならないのは、さすがにフランス。気持ちのよいベッドルーム。ベッドカバーにはさりげなく、極上のファブリックを使っている。しかも、色は白。エクスのVilla Galliciの部屋のテーブルクロスもそうだったのだが、フランスの高級ホテルは、カバーファブリックに惜しみなくピュアなホワイトカラーを使う。部屋でコーヒーだのお茶だの飲んで欲しくない気持ち、よくわかる。部屋は清潔で快適そのもの。少し休むと、また歩き回る元気が沸いてくる。テラスレストランをさらに下るとまた庭があった。海とヨットが借景。どこも絵になる。秘密めいた通路は、むしろ海へそのまま続いているよう。Mizumizuがこのホテルでもっとも気に入ったのが、この狭く暗いパッサージュ。階段を右に折れて、パッサージュに入ったとたん、白い帆を浮かべた青い海原がぱっと目に入ってくる。ここは完全にプライベート空間。宿泊客以外は通らない。観光客でごったがえすエズの小道とは別世界の静謐がある。やはりフランスも純然たる階級社会だ。ニースから1ユーロのバスで往復でき、何も買わずに「中世風」の小道を歩けば、安くエズを楽しめるが、隠された場所に本当の贅沢がある。そして、そこはバカ高いお金を払った客だけにそっと公開される。この一瞬の豪奢は、フランスでは特に高くつく。
2010.06.08

中世の鷲巣村、エズ――うねうねした細い路地の続く、ひなびた小さな古い村を想像してニースからバスで出かけたMizumizuだったが、そのイメージは実際にエズ村に足を踏み入れてみて見事に覆された。村の入り口まで2車線の広い道路が通っている。大型路線バスで運ばれてきた観光客が吐き出されて向かうのは、要は石畳の路地と石造りの建物の並ぶ中世の村をきれいに修復してテーマパーク化した、高級ショッピングストリート。おみやげ物屋とちょっとしたレストラン、観光客向けのサボテン公園、エズ村にあるのは、それだけだ。住んでいる人さえいないかもしれない。店のマダムに話を聞いたら、なんのことはない。彼女もニースから通ってきているという。そんなエズだが、おそらくはコードタジュールで最高の景色を堪能できる場所がある。ただし、そこは公共の場ではない。シェーブル・ドールというホテルのテラスレストラン兼バーLes remparts。日曜日は予約をしないと席の確保は難しそうだが、平日ならホテルのフロントに聞けば、宿泊客でなくても利用できると思う。ガラス張りのミシュラン星つきレストラン、その名もホテルと同じLa Che'vre d'Orもあるが、肌で絶景を感じられるのはLes rempartsのほう。予約をするなら間違えないように。ただし、Les rempartsはLa Che'vre d'Orより味はグッと落ちる。宿泊客だったMizumizu+Mizumizu母は、まずはバーで水分補給。ひたすら酸っぱいレモン水を飲んだ。天気がよくてよかった。絶壁を見下ろすこの眺めは、イタリアのソレント半島を思い出させる。岬であるサンジャンカップフェラが島のように見える。Les rempartsからの眺望は、今回のコートダジュールの旅のなかでも最高だったし、シチリア・タオルミーナの名門ホテル、サン・ドメニコ、あるいはポジターノの豪華ホテル、イル・サンピエトロにも匹敵する、地中海でも指折りの絶景ポイントと言っていいだろうと思う。エズの道を歩くのも、この手の中世の町がはじめてなら楽しいかもしれない。だが、暖かい季節の天気のよい日に来て、シェーブル・ドールのテラスレストランに座る。そこで初めてエズの魅力は最大限輝くはず。
2010.06.07

マントンからニースに帰って来たときは、もう日が暮れかけていた。バスターミナルはちょうど旧市街の近く。旧市街にはレストランが多い。やはり、ニースに来たからには、一度ぐらい旧市街のレストランで食べてみたい。ということで、道をわたって旧市街に入った。野菜好きのMizumizu母にはラタトゥイユ(野菜のトマトソース煮込み)などいいのではないかと思い、南仏の家庭料理を食べさせてくれるようなレストランを探したのだが、そういう店はそもそもあまりニースにはないようだ。いや、あるのかもしれないが、観光客が何も知らずにウロウロしてすぐに見つかる場所にはないということ。ラタトゥイユなんて、ニースあたりならどのレストランでもあるんじゃないか、などと考えていたのだが、とんだ見込み違いだった。旧市街に入って、賑わっているカジュアルなレストランをのぞいても、またもピザだのパスタだのを出すイタリアンの店。フランスでイタリアンはできれば避けたい。ふと見ると、その横に、エスニック風の店がある。メニューを見ていると、東洋人がかった白人というのか、白人っぽい東洋人というのか、不思議にミステリアスな初老のウエイターが出てきて、「どうぞ」と愛想よく誘う。プロムナードデザングレのホテル、ウエストエンドで食べたエスニック風のスープも地中海的アレンジが面白かったし、よし、じゃあ、ここにしてみようと入ることにした。ウエイターはとても親切で、東洋的なサービス精神を感じた。メニューは何がなんだかよくわからいのだが、カレーつきの子牛のケバブと野菜スープ、それにハーフサイズの赤ワイン(ボルドーのメルロー+カルベネソーヴィニヨン)を頼んだ。これは、ごくごく普通の爽やか系。以前は、フランスは日本に比べてワインは格段に安くて美味しいという印象だったが、今は日本にも南米あたりの安くてそこそこのワインが多く入ってきているせいか、レストランで普通のワインを頼む分には、フランスのほうが安いとも美味しいとも思わなくなってしまった。ヤレヤレ。デイリーワインを生産しているフランスのワイン製造業者が、最近こうした第三国の安いワインに押されて商売が苦しくなってきているというのも頷ける。で、料理はと言えば・・・結果として、かなりアタリのレストランだった。子牛は柔らかくクセがない。カレーソースも野菜たっぷりでマイルドな酸味が上品。サラサラした長米に非常によく合う。米にはラタトゥイユ風に料理した野菜と干し葡萄がのっていた。さらに、カッテージチーズをまぜたほうれん草のソテー(手前)とすりおろしたリンゴ(奥)、それに生野菜が添えられ、実に健康的なプレートになっている。野菜のスープも、エスニックというよりアラビックと呼びたい逸品。煮込んだ豆の食感とヨーグルトの風味が新鮮。どこか懐かしいようでいて、これまで食べたことのない味だ。「どう?」と聞いてきたウエイターに、「素晴らしい」と褒めちぎるMizumizu。「シェフはフランス人なの?」と聞くと、「ノー、アフガン」だという答え。そして、「私も、半分フランス人、半分中国・ベトナム人だ」とのこと。へ~~~~そう言われて周囲を見ると、お客も白人にまじってアラブ系らしい人も多い。なんともインターナショナルな、不思議空間だった。料理に大満足したので、デザートも追加で取ってみた。「カルダモン風味のミルクプリン」ということだったのだが・・・これはカルダモンをふった甘いミルクをゼラチンで固め、アーモンドを散らしただけ・・というシロモノだった。しかもゼラチンの量が多すぎて、固まりすぎやあ。デザートは素人臭かったけれど、全体としては非常に満足。値段は41ユーロ(5244円)。めずらしくチップをテーブルのうえに置いてきた。向こうは全然気づいていないようだったけれど。フランスのレストランはカード決済のときにチップを書き込む方式でないのがいい。あの書き込み方式、Mizumizuはどうにも信用できない。レストランのチップは元来給料の安いウエイターへの心づけだ。いや、それだって基本的に変な話だと思う。アメリカあたりでは、この「習慣」あるいは「洗脳」は社会の隅々まで行きわたっていて、誰もかれも、チップを払うのは、「あの人たち(ウエイター)は給料が安いから」だと口を揃える。この件に関しては、みな同じことを言うのだ。どれだけその理屈がアメリカ人に刷り込まれているか、よくわかる。だが、よく考えてみて欲しい。決まった価格でサービスを客に提供する、そのためのスタッフに適正な給与を支払うのは経営者の義務なのだ。もし売上げが少なくて給料を十分に払えないというのなら、スタッフを少なくするか、経営の取り分を少なくするか、あるいは値段を上げるのが筋だ。客から正規の料金を取り、そのくせ労働者の給料をめいっぱい安くして、その埋め合わせを客にさらに負わせるなど理屈が違うだろう。チップではなくサービス料として一括に客から徴収するほうがよほど透明で公正だ。実際に、アメリカでもNYのような都会ではレストランはそうなってきているが、それでもサービス料を15%だの17%だの取った上に、できればチップもよこせ、という店も多い。チップを直接ウエイターにわたすならともかく、上乗せ料金をカードに書き込んでしまったら、経営側に売上げの一部として入ってしまい、肝心の「給料の安い」ウエイターにちゃんと行く保証がなくなってしまう。実際に、寿司を売り物にしているアメリカの高級和食レストランでは、チップをマネージャーや寿司職人に多く振り分けていたとして、ウエイターから訴訟を起こされた。こうしたレストランのチップはとっくにチップでなくなっているのだ。バンコクのオリエンタルホテルでは、宿泊客がレストランで食事をすると、チップ上乗せをしない請求書が部屋に回ってくる。ところが宿泊しない客がレストランで食事をしてカードで払おうとすると、ちゃっかりチップを客が書き込む方式になっている。宿泊客と非宿泊客で請求方法を変えているというわけだ(苦笑)。イタリアでは、チップ書き込み式している観光客相手のレストランもあるが、老舗のレストランに行くと、常連客がウエイターのポケットにお金を突っ込んでいるのを見かけることもある。ああいうのが、本当の「チップ」だろう。店を出ると、あたりはすっかり夜で、ライトアップされた旧市街の古い建物が美しかった。マセナ広場からプロムナードデザングレを通ってホテルまでは徒歩でも、10分ほどだし、特に危険な道でもないのだが、できれば近くまでバスで行きたいと、サン・ミッシェル通りのバス停(バスターミナルではない)で、若い黒人のお兄さんに、「ホテル・ネグレスコのほうに行くバスはあるか」と聞いてみた。ネグレスコの名前を出せば、知らない人はまずいないはずだ。すると、驚いたように、「すぐそこだよ。歩いて2分」などと言い、熱心に身振り手振りで、「まっすぐ行って、海に出たら右に行って・・・」と教えてくれる。おかしいのは、その仕草がすでにラップダンスになっているということ。いや、カモシカのようななが~い足のキミには歩いて2分かもしれないけどね、我々が歩いたら15分はかかるわ。親切な天然ラッパーの黒人のお兄さんをやりすごして、バスの運転手に聞くと、「XX番のバスが近くまで行く」と教えてくれた。教えられたバスに乗り、「ホテル・ネグレスコのそばに来たら教えて」と頼み、例によって忘れられないように、運転席のそばに座った。バスはプロムナードデザングレではなく、2本入ったBuffa通りを西に走る路線だった。だいたいのところで、「降りるのは次?」と聞くと、「そうだ」と言われ、次で降りた。結局プロムナードに出るのに、2ブロック歩き、そこからまた2ブロックほど歩いたので、たいしてラクにはならなかったのだが。
2010.06.05

ニースからマントンへは、豪華1ユーロ路線バス(笑)で日帰りした。ニースのバスターミナル。マントン行きは頻繁に出ている。海の際を走る路線バスからの眺めは素晴らしい。海岸沿いの小さな町を抜けて走る。海に散らばるヨット。バスはこのあとモナコを抜けてマントンに着く。マントンの鉄道駅まで行かずに、海の近くのカジノの前で降りた。前回マントンに来たのは、たぶん10年以上前なのだが、町の変わりようにびっくりした。海沿いには、新しいホテルがこれでもかというくらい立ち並んでいる。「こんなにホテルあったっけ?」とMizumizuが聞けば、「なかったわよ~。レストランもなくて困ったぐらいだったじゃない」とMizumizu母。そうだ。記憶の中のマントンは素朴な漁村の名残りを感じさせる小さな町だった。たぶん次回訪れても、どのホテルに泊まったかすぐわかるだろうと思うほど、ホテルもレストランも本当に少なかった。今はニースよろしく、海沿いのプロムナードに布のかかったレストランのテーブルが並んでいる。完全に観光地化し、町から生活の臭いが消えている。また何やら建設するらしく、工事現場を木材の壁が囲っている。そこにちゃっかりジャン・コクトーの写真。マントンは生前のジャン・コクトーとさほど深いつながりのある町ではない。ジャン・コクトーが一番南仏で一番時間を過ごした場所は、サンジャンカップフェラだ。エクスアンプロバンスの老舗カフェもそうだが、なんだかあっちでもこっちでもジャン・コクトーゆかりの場所が沸いてきているようで、若干気味が悪い。10年以上前にマントンを訪れたときは、ジャン・コクトーはむしろ、フランスではかなり忘れられた存在だったのに。キャロル・ヴェズヴェレールは、著書「ムッシュー・コクトー」の中で、コクトーの映画「オルフェ」は、フランスでは入りが悪かったと書いている。「オルフェの遺言」(キャロルの母親が資金援助をした)も興行的には失敗で、「コクトーの映画は、しばしばフランスでは評価されなかった」と。恐らく「オルフェ」は、日本ではコクトー映画でもっとも高く評価されていると思うのだが、本国ではあまり好まれなかったというのも意外な話だ。こうやって町興しにジャン・コクトーを利用しているフランス人って、本当にジャン・コクトーの作品を愛しているんだろうか? 詩も読まない、映画も見たことない、でもどうも世界的に人気があるみたいだから、ジャン・コクトーと言っておこう、そんなところじゃないだろうか。ジャン・コクトー美術館の周囲も賑やかにひらけ、港にはレジャー用とおぼしきヨットが無数に係留されている。以前は片田舎の辺鄙な場所にひっそりと立っている、孤独な美術館という雰囲気だったのに。コクトーが生きているころは、この防塞周辺は廃墟同然だったというのに。美術館の前のカフェもコクトー一色(呆)。「ジャン・コクトーを利用しようとする人が多すぎる」と、ジャン・マレーは著作で憤っているが、その気持ち、よくわかる。美術館の入り口。「ノー・トイレット」と書かれている。またか~ 有料の美術館なんだから、トイレぐらい作れって。それとも目の前のカフェとの談合なのか?とはいえ、ジャン・コクトーのモザイクは、どこまでもカワイイ。写真撮影可なのは周囲だけ。美術館の中は、撮影禁止。小さな窓越しに海が見え、そこにコクトーの陶器や油彩画を飾っている。小さいがセンスあふれる美術館だ。コクトー作品のコレクションがもっと充実していれば言うことないのだが・・・ 便利な場所ではないにもかかわらず、心地よい程度のお客さんが入っていた。ジャン・コクトー人気の根強さがわかる。売店には、ジャン・コクトー研究書、コクトーの著作、絵葉書、アクセサリーなど充実している。絵葉書や小物に加えて、分厚い本を3冊も買いあさるMizumizu。それを見て、さらに「この本もいいわよ」と4冊目を売りつけようする売店のマダム・・・重いっちゅーの。全部自分で日本まで運ぶんだから、そんなに持てんっちゅーの。そのときに買ったジャン・コクトーのマグネット。左はコクトーのお好みのモチーフ「牧神」。右はいかにもパリなエッフェル塔。エスプレッソカップも買いました。マントンで残念だったのは、市庁舎の「結婚の間」のコクトー壁画が見られなかったこと。土曜日だったせいだ。土・日・祭日は市庁舎が開かないからということらしい。Mizumizuが持っていたガイドブックには書いてなかったのだが、日本に帰って別のガイドブックを見たら、確かにそう書いてあった。過去に1度見ているので諦めたが、「結婚の間」も入ったとたん、のびのびとした線画の自由さに心が浮き立つような場所。再訪して、どんな化学変化が自分の中に起こるのか観察したかった。コクトーの壁画は、なぜか人を幸福感で満たしてくれる。ウツっぽい人はコクトーの描いた壁画のある空間に身をおくといいんじゃないだろうか――Mizumizuは半ば本気で、そう考えている。マントンからニースへもバスで帰った。カジノの周辺でバス停を探したのだが、見つからない。そこでカジノの人に聞こうと建物の中に入っていったら、ちょうど出てきた老婦人が、カジノのおじさんと話しているMizumizuの声を聞いて、「ニースへ行くバス? 知ってるから案内してあげる」と言ってくれた。フランス人らしからぬきれいな英語だと思ったら、今度はカジノの出口で向こうからやってきた友人らしき人たちとイタリア語で会話している。マントンはイタリア国境に近い。イタリア人なのかと思って、イタリア語でそう聞いてみた。すると、イタリア系アメリカ人で、サンフランシスコから来たという。「姉がイタリアに住んでるから、遊びに来たけど、今年は寒くて、天気も悪いし、それにイタリアや南仏って何でもかんでも高いのよね」カジノから駅方面に北上するヴェルダン(Verdun)通りを歩きながら、そんな話をしてくれた。リビエラはあまり気に入らなかった様子。やっぱりアメリカ人から見ても、物価高いのよね。そりゃそうか。ニース行きのバス停は、ヴェルダン通りを左に折れたティエール通りにあった。カジノの前は通らないでニースに戻るということだ。これはわかりにくい。案内してくれる人に会ってラッキーだった。バスは10分ほど待ってやってきた。ニースまでの道は渋滞して、1時間半ぐらいかかってしまったが、1ユーロで戻ってこれたことは言うまでもない。ただ、時間を考えると、鉄道のほうが速いから、往復バスではなく、行きはバス、帰りは鉄道にしてもよかったかもしれない。
2010.06.04

ニースにはいくつか美術館があるが、なかでも行く価値大なのが、マチス美術館とシャガール美術館。行き方はマセナ広場の北から東にのびるGioffredo通りから15番あるいは22番のバスで(さらに詳しい情報は、こちらのエントリーの真ん中あたりを参照)。こちらがマチス美術館。海外旅行をする日本人はめっきり減ったようで、街で日本人を見ることが少なくなったが、やはりこの手の文化施設には必ず日本人が来ている。マチス美術館の前庭は、オリーブ林になっている。もちろん、オリーブ林それ自体なら、カーニュのルノワールの家のほうがずっと見事だが。内部の展示は、大規模なマチス企画展などを見慣れた感覚で入ると、やや期待を裏切られるかもしれない。それでも下にくりぬいたような中央展示ホールの吹き抜けのある大きな空間や、切り絵が効果的に鑑賞できるよう配列された展示室などは見ごたえがある。実は仕事場のロールカーテンをマチス風のブルーにしたぐらい、マチスの色彩がかなり好きなMizumizu。さっそく「いかにもマチス」なマグネットをお買い上げ。絵葉書も・・・切り絵のカードもお買い上げ。シャガール美術館は、モダンで近代的な建物。油絵のほかに、タベストリー、ステンドグラス(ただ残念なことに、ステンドグラス展示ホールは入ることができず、遠くから眺めるだけ)、モザイク(これは外にあるのだが、室内から細長いガラス越しに眺めるだけだった。うっかりすると見逃すので、どこにあるのかわからない場合は、係員に聞こう)もあった。しかも、日本語解説のあるトランシーバーを無料で貸し出している。しかし、その内容を聞いて、裏事情がハッキリわかった。ナレーションはもっぱらユダヤ教の聖書物語と、ユダヤ人受難の歴史解説に終始している。つまり、ユダヤ資本による旧約聖書とユダヤ人迫害のプロパガンダなのだ。こうした解説のスクリプトを書き、さらにそれを日本語にまで翻訳して、日本人に吹き込みをさせるなど、かなりの資金が必要だ。誰がわざわざそこまでの資金を提供したのか。火を見るより明らかだろう。シャガールの絵に、民族的・政治的なニュアンスを感じる日本人はむしろ少数派だと思うのだが、ナレーションはひたすらそうした側面を強調して解説していた。シャガールの芸術世界は普遍的な魅力を備えおり、単なる宗教画、政治画には留まらない夢幻のロマンチシズムが多くの日本人を魅了しているが、それらはユダヤ人という特異な民族性抜きでは成立しえなかったということがよくわかった。そして、芸術は、常にプロパガンダ的側面をもつという現実も。絵画であれ、文学であれ、音楽であれ、なぜ多くのユダヤ人芸術家が世界的名声を獲得するのか? 彼らに才能があり、彼らの作品に人々の心を捉えるパワーがあるのはもちろんだが、それだけでは必ずしも、世に出る理由にはならない。ユダヤ人ネットワークによる宣伝力(つまりそれは資本力だが)が、ユダヤ人芸術家の価値を作り出し、高めているのだ。ダイヤモンドが高値で取引される理由と、根本的には大差ない。人は芸術をほとんど自分の眼で見る能力はない。評判は宣伝で作られる。評判が人々の感動を誘う。それが商業主義に利用され、マチス、シャガールといった確立されたブランドネームをもつ作品は、バカげた高値で市場取引されるようになるというわけだ。いったい優れた芸術作品は、1億円が適正価格なのか? 10億が適正価格なのか? 誰にも証明できない。誰も正しい値段がわからないものを、かつて日本人はバブル時代に主にヨーロッパの画商から破格の高値で買いあさり、バブルが崩壊すると、今度は足元を見られて高値で買ったものをこれまた主にヨーロッパの画商に安く買い叩かれた。つまり彼らは、信じられないような高い値段で、絵画作品を数年間日本に「リース」したというわけだ。すぐれたものに対する価値を自分たちで創造できず、見極めもできず、ユダヤ人や白人の作った「価値という虚構」に振り回されて、石ころをダイヤだと思い込み、ダイヤでも石ころだと信じ込んでしまう日本人は、もうあまり、こうした芸術の商業主義的世界には足を踏み入れないほうが無難かもしれない。
2010.06.03

さすがに世界的保養地だけあって、ニースのショッピングエリアは充実している。マセナ広場をはさんで、東側が赤に、西側が緑に色分けされているが、赤が贅沢品、緑がカジュアルな品物を扱うエリアということらしい。マセナ広場の北から西に延びるマセナ通りとパラディス通りには洒落た店がずらりで、華やかな都会的な雰囲気ふんだん。そんなマセナ通りで、ボヘミアンなお兄さんと彼のワンちゃんに出会った。ワンちゃん、ストリートミュージシャンのご主人のお小遣い稼ぎには眼もくれず・・・どこかを一心に見ている。視線の先には美女が。でも・・・人間の女性の色香より、お目当ては彼女の食べているスイーツのよう。ワンちゃんの前に立ちふさがってみたが(←イジワル)、まん前に立つと横に移動し、またまん前に立つと逆に移動して、おとなしくも期待に満ちた熱い視線を美女に送りつづけるワンちゃん。たぶん脳内イマジネーションの中では、いつかお姉さんが近寄ってきて、自分の口にスイーツを近づけてくれると夢見ているのだろう。犬にとってスイーツは禁断の味らしい。芦ノ湖スカイラインで見かけたワンちゃんも、このニースのワンちゃんと、まったく同じ眼をして、同じ態度だった(こちらのエントリー参照)。ニースのワンちゃんのほうが、哀れっぽい声を出さないだけオトナかもしれない(オトナか?)。パラディス通りで、ラリックのショーウィンドウに飾られたペンダントトップがきれいだったので、思わず衝動買いをしてしまった。お店の売り子は年配の女性。接客態度は親切で、非常に感じがよかった。免税手続きをしてもらえるのかと聞いたら、大丈夫だという。値段は、195ユーロで、TVA(フランスの付加価値税。日本の消費税にあたる)が31.95ユーロ。そのうちRefund額(戻ってくるお金)が25.35ユーロだった。ペンダントトップの値段は163.05ユーロで、プラス31.95ユーロが付加価値税ということだ。 付加価値税19.6%の重みを感じた。日本の消費税一律5%は、日常必需品に対しては高いと思うが、贅沢品に対しては安すぎる。こんな軽い税負担で、国が赤字国債を発行しまくっているなんて、あまりにいびつだ。フランスも大衆に媚びて、やるべき改革ができずにいるが、日本はまったく別の理屈でポピュリズムの袋小路に迷い込み、にっちもさっちもいかないところまで国全体で突っ走ろうとしている。日本の国の財政状況は、フランスの比でなく悪いのだ。間もなく日本では、「消費税をあげなければ社会保障がもたない」キャンペーンが始まるはずだ。日本国の最重要課題は、「財政再建」「財政再建」「財政再建」なのだ。それなのに、高級官僚が天下りで多額の報酬を得ているのはズルい、貧乏な自分たちにも分け前よこせとばかりに、子ども手当てなんていう天下の愚策をありがたかっている庶民は、なんと先が見えていないことか。こんなわずかなアメをもらって財政をさらに逼迫させたら、待っているのは大幅な増税。それしかないではないか? 借金してお手当て配るなんて、根本的に間違っている。案の定、少子化対策のためのはずの子ども手当てをもらって、母親たちは、「ディスニーランドに行きたい」「旅行に行きたい」などと言っている。こうした遊興手当てをバラまくことのどこが「少子化対策」になり、「子どもは社会で育てるもの」という理念(そもそもこの理念は危険で、間違っていると思うが)に通じるのか。まったくバカげている。「消費税アップやむなし」の論調が幅をきかせ始めると、必ず例に挙げられるのがヨーロッパの高い付加価値税。だが、ヨーロッパ諸国の付加価値税は一律ではない。その話をナイナイにしておいて、「ヨーロッパの付加価値税は高い」と都合のいい部分だけの宣伝が始まったら、注意が必要だろう。ところで、このラリックのペンダントトップ、買ったときのレートは127円で、195ユーロ=24,771円だったのだが、タックスリファンドはカード口座への入金にしてもらって、25.35ユーロが日本円で2,646円にしかならなかった。旅行中のユーロは124円ぐらいの仲値で、その後急激にユーロ安になり、今の為替レートの仲値が111円ぐらいになってしまったということもあるが、それにしてもなんだかんだ手数料が高い。こちらは日本に帰ってきてすぐ、日本橋三越の催事場(笑)のジュエリーフェアで衝動買いした碌山(ろくざん)というブランドのペンダントトップ。フェアの目玉商品でチェーンつきで10,500円だと、激しい売り込みをかけられた(笑)。ペンダントとして買ったのだが、ブローチにもできる。その発想、いかにも日本人的だ。「お安いですよ~」と店員さんが太鼓判を押していたが、たしかに、ブルートパーズがつき、シードパールとマルカジットを丁寧にはめ込んだ細工の細かさを見ると、その値段はかなり安いと思う。マルカジットとシードバールについての説明は、こちら。素材と手間を考えれば、ラリックに比べてずいぶん割安だ。あとはデザインをどう考えるかだろう。碌山というブランドは知らなかったのだが、デパートの催事場に並んでいる品はどれも素晴らしかった。アンティーク復刻調のデザインで、その繊細さは日本人によく似合う。長く使える、1つもっていて損はしないアクセサリーだと思った。宣伝によるイメージアップに力を入れ、値段を高く設定することでブランド価値と高い利鞘を維持しようとするフランス。利鞘を圧縮してなるたけ買いやすい値段設定にし、価格以上の価値を間接的にアピールしようとする日本。この対照的な戦略傾向は、日仏のどんな分野のブランドにも指摘できるように思う。丁寧な創りで雰囲気バツグンのアンティーク馬車再入荷!碌山 シルバー ケシパール おとぎの国の馬車チャーム実りのブドウモチーフ碌山(A&M) シルバー 淡水パール マルカジット ブドウモチーフ ブローチ 【tokai1106sale】ちょっと大振りカットのきれいなオニキスブローチこれも一点限りの新入荷!碌山 シルバー オニキス マルカジット ブローチ
2010.06.02

お昼どきにホテルを出て、とりあえず腹ごしらえを・・・と思ったのだが、結局宿泊してるウェストミンスターの隣のホテル、ウエストエンドの赤を基調としたテラス席の明るい雰囲気に惹かれて入ってしまった。あまりたくさんは食べられないので、「前菜2品」とスパークリングウォーターだけを注文。フランスのスープは美味しい。フランス料理が口に合わないMizumizu母も、スープなら大丈夫だし、そもそもスープとパンでかなりお腹がいっぱいになってしまう。日本のレストランでは、スープといえば固形ブイヨンを溶いて野菜を切ってつっこんだだけの単なる添え物扱いが多いが、本来スープというは、手がかかる、難しい料理なのだ。ホテル・ウエストエンドではフェンネルのポタージュが出た。フェンネルと聞くとエスニックな響きがあり、実際パンチのない(←出た! 決まり文句)エスニック風ポタージュだった。バターと生クリームのぽってり感もあり、あえて名付けるなら、フレンチとインドの不思議なフュージョンといったふう。ピリピリした刺激はないが、これはこれで不思議と美味しい。こういうエスニック風地中海料理って、実はフランス以外では食べられない。そんなに何度も食べたくなる味でもないが、一期一会の楽しい味覚体験だった。こちらは鴨のパイ。くずした鴨肉を薄いパイでくるんで焼いたもの。鴨肉が思った以上に野性味があった。悪く言えば臭みが強く、それが野菜めいたソースとからんで、インパクトの強い味になっている。絶品ではないが、個性的でオリジナリティを感じさせる料理だった。お値段はトータルで21ユーロ(2667円)。ウエイター&ウエトレスの感じもよく、雰囲気もよく、味もなかなかで、とても満足。そのままぷらぷらとプロムナードデザングレを歩く。広いプロムナードの歩道からのぞくと、海辺では水色のパラソルがどこまでもオシャレ。だが・・・この砂利の海岸がどうしてもいただけない。結局のところ、南仏というのは、パリとかロンドンとか、ヨーロッパの北の都市に住んでる人たちが保養にやってきて、南国気分を味わうところなのだ。国内に沖縄のような亜熱帯の島がある日本人が、ありがたがるビーチではない。プロムナードデザングレにはインフォメーションがある。そこでバスの時刻表などをゲットしたついでに、旧市街の丘に登るトラムがあると聞いた。乗り場はインフォメーションの近く。ニースには市内をぐるりと一周する2階建てバスも走っているのだが、このバスはえらい高かった(20ユーロだったかな?)。それに全部回るとなるとかなり時間を取られる。この30分おきの旧市街を回る無軌道トレインは7ユーロで、40分ほど。プロムナードデザングレを出たトラムは、まずはマセナ広場へ噴水と赤茶の後期バロック様式の建物。明るくオープンな広場に続く、瞑想を誘うポルティコ(回廊)。この街づくりはどう見たってイタリア。かつてこの街はサヴォイア公国に属していた。公国の首都だったトリノとニースは、双子のように似ている。ただしこの双子は、育った場所が違った。トリノはアルプスに抱かれ、ニースは地中海に抱かれて。それから別々の国に属することになった。そして時間の経過とともに違った性質を帯びて、今存在している。それでもニースを歩いていると、トリノが顔を出す。新しく塗られた壁の奥から、掘りこまれた通りの名前の着色がはげた町角の石のプレートから。街に残る古い記憶が、そこここで、「ここはイタリアだ」と言っている。そういえば、イタリア統一戦争で有名なガリバルディはニースの出身。シチリアまで遠征して、この南の島をイタリアに組み入れることに功績をあげた英雄の生まれ故郷がイタリアではないというのは、皮肉な話だ。のちのちイタリアのお荷物になるシチリアなんて放っておいて、こっちを死守すべきだったんじゃないでしょうか、ガリバルディさん。メセナ広場から旧市街へ入り、そこから港へ無軌道トレインは走る。港からコルシカ島とサルデーニャ島へ向かう大きなフェリーが出航するのを見た。旧市街の丘(上の地図では、ニース港の左の緑がかった楕円の部分)を登ると、山と海の間に開けた大都会ニースの全貌が見わたせる。素晴らしい海岸線。赤い屋根の建築群も美しい。日本の観光地のような乱開発の無秩序さのない、統一のとれた景観だ。丘のあとは海沿いのプロムナードに戻る。青い穏やかな海、沖を走るヨット。地形が少し似ている熱海ももう少しうまくやれすれば、プチニースになれたかもしれないのに。目先の商売だけしか頭にない、街全体の景観や自然との調和などまったく考えない自分勝手な開発によって、熱海はニースとは似ても似つかない下品で安っぽいイメージの街になってしまった。そうした例は日本では枚挙に暇がない。
2010.06.01
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