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法難の続く世の中に有って 大衆のための信仰への糧となられました此処暫く【法然上人さん】の威徳を偲んで、更新してみます。 銀閣寺から岡崎・円山そして清水寺に亘っての足跡が遺されています。特に清水寺では、釈迦堂と並んで阿弥陀堂があり、その場所で法然上人が念仏道場として初めて開かれたとされて上人像も祀られています。現在平成大修理中です。【法然院】 浄土宗 開基 万無 山号 善気山 左京区「安楽寺」を更に北へ歩きますと、茅葺(かやぶき)の優雅な門が見当たります。明日安楽寺ご紹介します。 参道 此処でも法然上人が住蓮・安楽坊と念仏を唱えた道場で、須弥壇(しゅみだん)には、四季折々の生花25組が飾られ、彩りしています。阿弥陀如来御来迎の三尊の外に、眷属25菩薩を表現しているそうです。 本堂には、恵心僧都(えしんそうず)作と伝えられる「阿弥陀如来坐像」と「法然上人」自作の木像が安置されています。 境内 境内 境内 萱葺の内から撮った門 椿の名所でもあり、墓地には「谷崎潤一郎」「河上肇」が眠っています。 かくして鹿ガ谷は、「法難の地」でもあり、「哲学の道」も西田幾多郎博士が、考えを深くして、歩まれた道で、歴史的にも過去を振り返る場所でもありました。 昨年の哲学の道の桜次回はそのすぐ横にある安楽寺に参ります
2017.03.31
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昔からのわらべ歌のセットのひとつに 南禅寺 永観堂 真如堂 くろだにさんと続きます 【金戒光明寺】 浄土宗 通称 【くろ谷さん】左京区法然上人さん43歳の年 比叡山の修行を終えて この地で 念仏をされた時紫雲が全山にたなびき 光明があたりを照らしたとありここを念仏道場の最初の地と定められました御影堂 少し前まで現存していた 熊谷直実の 鎧掛けの松名木も 松くい虫の被害で昨年10月枯れて撤去されたとのことです現在 三尊石だけで 跡形もなくなってしまいました残念です庭園の もみじは 僅かになってしまいました 阿弥陀堂本堂になります 【阿弥陀堂】豊臣秀頼の再建で、この寺院で最も古い建物で、本尊の阿弥陀如来像は、 「恵心僧都」の最終の作で胎内に「のみ等器具」が納めてあり、「おとめの如来」または「ノミ納めの如来」とも云われています。 山門 【山門】額縁に「後小松天皇」(一休さんの父君)宸翰で何故か【浄土真宗最初門】勅額 が掲げてあります。それは、浄土真宗の意味でなく、法然上人が説かれた、浄土経の真の教え を始めた最初の門の意味だそうです。法然上人は、比叡山から降りて、最初に真如堂の阿弥陀如来にお参りされた後、此処黒谷に草庵を持たれたそうです。浄土真宗の開祖親鸞上人も「真如堂」の阿弥陀如来にお参りされたと云われています。【吉備観音】(きびかんのん) 中国から持ち帰ったもので、栴檀香木(せんだんこうぼく)で造られた観音像で、御影堂内に安置されているようです。徳川秀忠の妻 【江】 (ごう) の供養塔 初めてです春日局が家光を巡っての 確執がありましたが江 の遺髪を治めて弔ったと言われます春日局の思い遣りが伝わりそうです江 の墓地は東京に 仲良く 夫婦並んで 眠っています港区 芝公園 道上寺 浄土宗 東京タワーのそば 日本三文殊の三重塔知恵がさずかりますように 京都守護職 会津藩主 松平容保 (まつだいら・かたもり) 本陣の旧跡孝明天皇 崩御の直前 容保に守護職を全うするように頼むと仰せられ容保も感涙して、会津に帰ることを 思いとどまります 時の流れは 徳川家が 朝敵扱いで 会津藩もその立場に成りました 殉難された藩士また婦人の方が此処 くろ谷の 墓地で 埋葬されています会津藩墓地の守護の 【西雲院】 会津藩が鳥羽伏見の戦いで 賊軍の汚名を受け殉難した戦死者及び婦人の遺体が路上に放置されており容保に恩義を感じていた200余名が 迫害も恐れず収容し近くの寺院で荼毘に付し 回向供養したとあり黒谷会津藩殉死の墓地を弔い守ったとのことです会津藩墓地参道会津藩殉難者墓地鳥羽伏見の戦いの 殉難者墓地故郷 会津に帰れなくって京都で葬られた墓地会津藩墓地の由来がかかげてあります御霊の安らかにあれと 手を合わせるばかりです次回は、哲学の道沿いの寺社に参ります
2017.03.30
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退院しました暁に多くの方々のご祝詞戴き有難うございました励みになりました充分無理せずに望みたいと思っています今後ともよろしくお願いいたします 京都大学に最も近い観光寺院の【真如堂】です。旧三校の校歌 くれないもゆる に出てくる「吉田山」に位置します。金戒光明寺に隣接し、奥に存在する「会津藩の殉死の墓地」を通り抜けますと、「三井家の墓地」から真如堂に通じています。 法然上人さんが、比叡山からの辿られた寺院です 応仁の乱を免れた阿弥陀如来さんを祀る 三重塔【真如堂】 (しんにょどう) 左京区【眞正極楽寺】(しんしょうごくらくじ) 天台宗山門派 開基戒算山号 鈴声山(れいしょうざん) 銀閣寺庭園の小高き枯山水の滝組の道から望める前方に見えます「吉田山」 (旧三高の校歌で有名)を一名【神楽岡】(かぐらおか)とも言われます。即ち「山号」として「鈴声山」で「仏法有縁真正極楽の霊地とされていました。その岡の南の方に「真如堂」が建てられています。 本尊阿弥陀如来像は、 【頷ずき弥陀】 (うなづき)と呼ばれ、作者は、慈覚大師円仁(天台第三世座主)が比叡山で彫り終えられたとき、 「修行者の本尊に成って下さい」 と問いかけられると弥陀は頭を三回横に振られ否定されたそうで、「それでは都に降りて一切衆生、特に女性をお救い給え」 と念じられましたら、弥陀は三度うなずかれたそうです。比叡山常行堂に安置されていましたが、後に開山戒算上人が「真如堂」の本尊としてお招きされました。ひととき女性と言う事で「一条天皇の母君」「藤原詮子」離宮に安置されたともいわれています。「来迎の阿弥陀像としては、最古で、応仁の乱でも逃れておられます。 向井去来の歌碑法然上人・親鸞上人も比叡山から悟りを開いて先ず此処の阿弥陀さんに礼讃されたことで、向井去来も詩を残しています。 涼しさの 野山に満つる 念仏かな 去来そして、去来の大きい墓が境内・塔頭に有ります。嵯峨野落柿舎にも小さい墓がありましね。【日本三如来】 信濃善光寺の阿弥陀如来・嵯峨清涼寺の釈迦如来・真如堂の阿弥陀如来 左端が大文字です。8月16日送り火が灯されます。 涅槃の庭 ねはん背景大文字如意ケ嶽 涅槃の庭 ねはん背景大文字如意ケ嶽 涅槃の庭の別庭に近代感覚の石庭 重森美玲【涅槃の庭】 (ねはんのにわ)大文字「如意ケ嶽」東山を借景として、石組みで釈迦の横たわれた姿が見られます。別に【涅槃図】も掛け軸として存在し、珍しく猫くんが神妙に画かれています。何故ならお釈迦さまが中毒で、お母さんの摩耶(マヤ)夫人が天より、薬袋を投薬されましたが、周りに「沙羅双樹」が有り。その樹の枝に引っかかって届かず、(絵にもあります)ねずみくんが、登って取りに行こうとしたときに、猫くんが阻んで、お釈迦さまに届かなかった次第。猫くん「ご免なさいと反省しきり」借景の東山も、大文字山(如意ケ岳)がお釈迦さんの頭として寝て居られる姿が見えます。 春日局の桜【春日局の桜】 本堂の横に「春日局のお手植えの桜」家光の乳母で父上の「斉藤利三」の菩提を弔うために植えられました。其の側に「利三の墓地」が又恩人の絵師「海北友松」(かいほうゆうしょう)その外「落柿舎の住人」芭蕉門下十哲「向井去来」の墓も有り眠っています。奥には「三井家の墓」が広々と有りました。 境内に去来の寺がありました。わらべ唄にもうなづき阿弥陀さまの庶民の暮らしへの思い遣りが伺えるようです。 ああ 真如堂(しんど) めし黒谷さん(くったか) ここらで一ぷく永観堂(ええやろう) お茶漬さらさら南禅寺(何杯や)何れも、最近アップしました関連のお寺が当時から数え歌として民衆の人々に親しまれた寺院であることが、伺えそうです。紅葉の真如堂本堂ともみじ本堂の横のもみじ三重塔 次回はわらべうたに従い黒谷さん金戒光明寺へ向かいます
2017.03.29
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阿弥陀さんの慈悲深さ後ろを振り向いてまで思い遣りのみ心が有り難いです アクセスの多いお寺です南禅寺を北へ少し進みますと永観堂に着きます 【永観堂】 浄土宗西山禅林寺派本山 開基 弘法大師の弟子真紹僧都三門前のみかへり阿弥陀如来石塔 境内広場 観光堂内玄関 パックに多宝塔(開山の御廟所)法然上人八百回遠忌 内庭 勅使門の市松模様の砂紋人生山あり谷ありそして平地もある姿です 龍が巻き付く唐灯篭 四百年前のもの 臥龍廊下 多宝塔通路に繋がる。 仏像は撮影禁止のため、イメージとしてボスターで 【見返り阿弥陀】 全国でも珍しく、阿弥陀さんのお顔が後ろを振り向かれた形の仏像が安置されています。「永観律師(ようかんりっし)」が念仏を唱えつつ歩んで居られる時、本尊の阿弥陀さんが永観の先に立ち、共に念仏行道をされ始められましたので、その不思議さにたたずんでしまいました。そこで阿弥陀さんが永観の様子を温かく見守られて「永観よ遅いよ」と見返られたという伝説があります。「先導する者(リーダー)・目上の者・強き者達は、時には、後ろに続く者に振り向いて、想い遣りの心で優しく手を差し伸べる事も大切なことを教えておられるようにも感じられます。【永観堂の七不思議】. 抜け雀 火除け阿弥陀 念仏蛙 人影の無い「御影堂」で木魚の音が絶えなかった。ふと覗くと「蛙が木魚の側で念仏を唱えて居たとか。 三鈷の松(さんこのまつ)松の葉が三本ある木があり、其の葉を持ち帰ると「三つの幸せ」がもたらされるという。「臥龍の廊下」廊下は、龍涙を流される観音菩薩像。.本尊「見返り阿弥陀如来像」 境内の春の池楼閣への階段 一番奥に阿弥陀堂があります。此の階段を杖を付いて登りました 多宝塔 多宝塔からの京都の街登り甲斐がありましたお寺の境内の広さにびつくりぼんです 永観堂境内展望 【みかえり阿弥陀と永観律師】 広い寺院の境内で高所の奥に「阿弥陀堂」があり、そのみかえり阿弥陀像の前に、お寺さんの手書きで素晴しい,ことばが書かれていました。 このみかえり阿弥陀如来のお姿勢を現代に問うならば 「遅れる者たちを待つ姿勢」 「自らの位置をかえりみる姿勢」 「愛や情けをかける姿勢」 「思い遣り深く周囲をみつめる姿勢」 「衆生とともに正しく前へ進むリーダーの把握のふりむき 真正面から おびただしい人びとのことを案じて 横を みかえる事には しばられない姿勢」 これがこの仏さまの み心ではないでしょうか。と 紅葉のころ永観堂の出口ここはでぐちです屋根越しに楓 旗をもって団体さん、観光バスが着きました空が曇って来ました矢張り青空の元撮りたいです 境内にある永観堂幼稚園児のために思い遣り 次回は真如堂に参ります
2017.03.28
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皆さんに大変ご心配お掛けして申し訳ありません少し退院予定が遅れましたが本日退院してきました皆様の絶大なる励ましとお祈りの賜物と厚く感謝いたします今後はぼちぼちとは続けて行きたいとおもいますのでよろしく健康 は一番幸せを呼びますちょっとした油断で 怪我は生涯苦しめそうです皆様も充分にご健康にご留意願います稀勢の里が奇跡的な新横綱初優勝を飾りました涙の優勝です僅か3秒で大怪我した時は 日本全国相撲ファンは心配しました少しで根性を学びたいです山科川 宇治川に合流 新六地蔵橋橋の向こうが六地蔵病院桜はまだです
2017.03.27
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