2012年03月07日
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勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟を幕末三舟、というが、この作品の主人公鉄舟はそのうちのひとり。清水の次郎長や明治天皇が弟子だった、とか、江戸城無血開城の仕掛け人だったとか、いろんなエピソードを持っている人物だ。次郎長が官軍の見守る中、幕府軍の死体を海から救い供養したという話があるが、それも鉄舟の指示を受けてのことだったと言う。なお、次郎長は鉄舟より15歳も年長だが、その人柄に惚れ終生兄事している。
  以前から興味があった人物だが、だいたい二つの側面で語られることが多い。ひとつは、無刀流に開眼した剣術者としての側面、もうひとつは維新の功労者としての側面である。
 鉄舟の功績として有名なのは、江戸城無血開城だが、かなりのちのちまで、この話は海舟と西郷の二人でやったものとされていた。特に、西南戦争で西郷が口を閉じてからは、その真相を語る者はほとんどいなくなったからである。
 鉄舟の面白いところは、その功績が歴史の影に隠れて長い間評価されていないということだろう。歴史の光が海舟に当たって、鉄舟はその影に回っていたともいえる。自分を語らないし語ることを恥と思うのは、日本人の美徳だが、さらに、周りにそれをしっかりと伝える人物がいなければどうしようもない。こういう人物は、日本史の中には結構いる。戦国の直江兼続しかり明治期の児玉源太郎しかりである。
  坂本竜馬もそうだったが、彼が世界の交易事業に憧れそれを実現するために幕府を潰そうと画策したように、鉄舟にとって幕末における功労も一剣士、一武術家としての実践のひとつに過ぎなかったようなところがある。だからこそ、自らなした功績について誇ることもないし、社会的な栄達も求めない。
 無血開城の当事者、西郷隆盛が「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末に困る」と言っているのはまさに鉄舟のことである。西郷は立場も社会も違う鉄舟をひとり心の友として認めていたらしい。西郷下野のおり、鉄舟は遠く薩摩に西郷を訪れ、何ごとも言わず、共に温泉に浸かっただけで東京に帰った。男の友情というものは、そうであろうと思う。
  一方、勝海舟も「始末に困る」というのは鉄舟のことだと、はっきりと認めている。その勝海舟は頭脳派であり、どことなく海舟という人物を自ら演じたようなところがあるが、鉄舟はあくまでも肉体派であって、極貧の中、武術家としての生き方になんの迷いなく春風のように涼やかに自分をまっとうしている。





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最終更新日  2012年03月07日 15時11分01秒
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