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2007.02.16
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~筑摩書房、2005年~

 原著は、Michel Pastoureau, Bleu. Histoire d'une couleur , Seuil, 2000です。英訳の Blue. The History of a Color (translated by Markus I. Cruse), Princeton, 2001は、ちょうど二年ほど前に読了して簡単な感想を書いていますが( こちら です)、あらためて邦訳を読みました。特に、染色の材料などは、英和辞典では調べきれない部分もありましたから、邦訳は安心して読めました(日本語での言い方がわかっても、もの自体が分からないものもけっこうありますが…)。
 目次は、以下の通りです。

 まえがき 色と歴史家
 第一章 控えめな色―起源から12世紀まで

 第三章 道徳的な色―15-17世紀
 第四章 お気に入りの色―18-20世紀
 結論 今日の青―中立の色?

 簡単にまとめていきましょう。
 まえがきは、色の歴史を研究する際の問題点、方法論を述べています。ここでは割愛します。
 第一章は、12世紀以前は、青はほとんど用いられないか、否定的な意味合いを帯びていたことを論じています。古代ローマ人にとって、青はとくに蛮族、すなわちケルト人とゲルマン人の色だったといいます。カエサルとタキトゥスも、こうした民族が敵を怖がらせるために体を青く塗ることを習慣としていたことを伝えてくれているそうです。また、ローマでは、青い服を着ることは、信用を落としてしまう突飛な行為か、喪のしるしであったとか。
 ところで、パストゥローの論文を紹介してきた中で幾度かふれていますが、初期中世の色彩体系は、白・赤・黒の三色が基本でした(参考: 『図柄と色彩』論文紹介リンク のうち、特に<人間と色>の部)。この三色体系は、12世紀頃、すなわち青が台頭してくると崩壊することになります。
 では、何色が好まれていたのでしょうか。簡単に整理すると、カロリング期の皇帝、有力者は赤、白、緋色を優先し、教会にとっては白が最も権威的な色だったということです。
 第二章は、11-14世紀に次第に青が有力になる過程を論じます。青が有力になってきた背景として、図像において、聖母マリアの服が青くされたこと、フランス王が次第に青を用いるようになったこと(フランス国王の紋章は、青地の金色の百合の花の散らし模様です)が挙げられています。が、なぜ聖母に青が結びつけられるか、フランス王が青を採用するようになったかということは、はっきりと論証されていなかったように思います。とまれ、12世紀頃には聖母マリア崇拝が盛り上がった時期なので、聖母マリアの服=青という観念も広がりやすかったようです。さらに、この頃から紋章も登場し、増加しますが、その中でも青の使用の頻度が増加していくといいます(参考: 「次に青がきた」 )。
「中世の象徴」 )。この例でいえば、三日と九ヶ月は、いずれも待機と誕生(あるいは復活)の観念を著しています。三日は、キリストの死と復活に、九ヶ月は、子供の誕生にあわせた数字なのです。
 第一章のところでも少しふれましたが、11世紀末から、白・黒・赤の三色体系は崩壊し、六つの基本色が登場します。それは、白、赤、黒、青、緑、黄です。パストゥローは、この図式の変更を説明していませんが、関連して少し身分論についてふれておきます。
 中世ヨーロッパの身分論も、11-13世紀頃に変容します。初期中世には、祈る者・戦う者・働く者、あるいは、聖職者・修道士・俗人、処女・寡婦・既婚者など、ともかく三身分論が主流でした。ところが、11-13世紀に商業が活発になり、市民が増加し、職業も増えていきます。そうした時代の中で、こうした従来の三身分論にとらわれない、多様な社会的身分の観念がうまれてきます(たとえば、社会的身分ごとに説教の質を変えるべきだという考えから、「身分別説教集」が生まれます。また、信徒の告解を聞くときも、その告解者の社会的身分を考慮すべきだという手引き書が生まれてきます)。宮松先生は、三身分論を紹介するときに、白・赤・黒の三色体系に言及しているのですが、逆に考えると、三身分論の図式が崩壊するのと同じ時期に、三色体系が崩壊するというのも、とても興味深いことだと私は考えています。
 では、話をもどしましょう。 第三章は、その標題通り、青が道徳的な色になっていく過程を論じています。ここでは、黒の歴史も強調されます。 14世紀頃から、奢侈法が制定されるようになります。ぜいたく禁止法ですね。服飾での派手な赤、青の使用が禁じられると、質素とみなされてきた黒が用いられるようになります。都市貴族たちも黒を身につけるようになりますが、彼らは裕福です。そこで、彼らは魅力的な色調の黒を求めるようになり、染色業者もがんばります。そこで、黒が流行することになるといいます。
 16世紀に宗教改革が起こりますが、プロテスタントも質素さを求め、派手な色は好みませんでした。彼らは、質素な色(黒、白、灰色など)を用います。やはり、(白は別ですが)暗色の服の流行ですね。その中で、青は認められ、良いキリスト教徒にふさわしい色とされたといいます。

 さて、1666年、ニュートンによって色のスペクトルが発見されます。その中で、赤、青、黄色が、他の色よりも優位にたつことになります(三原色ですね)。
 初期中世からの主要な色彩の体系を整理すると、次のようになります。

初期中世:白・黒・赤
盛期中世(11世紀末頃から):白、赤、黒、青、緑、黄
17世紀以降:赤、青、黄

 第四章では、18世紀以降、いかに青がお気に入りの色であるかを論じています。たとえば、ゲーテは『若きウェルテルの悩み』の一節で、ウェルテルが青い服を着ているシーンを描写しています。それは、当時(1770年代)青がドイツで流行していたからですが、ゲーテの小説が成功したため、その流行がヨーロッパ全土に広がり、青の使用も単なる服飾の分野から絵画、版画などの領域にも拡大したというのですね。
 フランスの三色旗は、青、白、赤です。それぞれの象徴性も多少ふれられてはいますがここでは割愛し、三色旗に関して興味深い指摘があったのでそこを紹介したいと思います。
 赤、青、白の三色は、アメリカ合衆国の旗に認められます。それはなぜか。独立するために戦った英国の旗にも、この三色は認められます。アメリカの国旗は英国の国旗と図柄は異なりますが、色は同じ。これは、「対立の旗」を意味するといいます。フランスはアメリカ独立戦争の際にアメリカ側についたので、その影響を受けたと考えられるわけですね。ところで、英国のユニオンジャックは、17世紀初頭から、青・白・赤でした。1603年、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となった際、スコットランドの旗の色である白と青と、イングランドの旗の白と赤を三色旗のかたちに融合したのでした。そうすると、ジェームズ6世がイングランド王も兼位することがなければ、アメリカの国旗の三色も、フランスの三色旗もなかったかもしれない、というのです。歴史にifはないといいますが、「もしもこうだったらこうなりえた」と(単に雰囲気からではなく根拠を挙げて)考えられることが、歴史を勉強していて身につけられる力なのかもしれません。私には身についていない力ですが……。
 とまれ、その他、ブルースというジャンルもあるように、青とメランコリーの結びつきが認められるようになること、ジーンズ誕生の裏話など、興味深い話題も多かったです。最後の方では、地域によって色の見方が異なること(西アフリカのある民族は、茶色に関する語彙が豊富で、さらに、その語彙は男女それぞれに相違があること;日本人にとって、白にもいろいろな白があることなど…)が指摘されており、民族学的・あるいは人類学的な観点も、色彩の歴史を研究する上で忘れてはいけないとパストゥローは強調しています。
 色彩という観点からみて人間の歴史を概観すると、通常の歴史叙述ではみえない部分が見えてきて、とても興味深かったです。なにより、読み物としても面白いのが、パストゥローの著作の魅力だといえるでしょう(それはパストゥローに限らず、ル・ゴフ、ル・ロワ・ラデュリなどのアナール学派の代表者の著作にもいえることですが…)。

   *   *   *

 本書は、史料として、文学作品、図像資料(絵画、紋章など)に加え、染め物業者の手引き書、色彩に関する「科学的」文献を手広く検討しているほか、染色料にまつわる歴史的経緯などもきちんと言及しており、その点も興味深かったです。ただ、問題提起に終わっている部分も多々あるほか(染め物業者に関する研究が少ないなど)、マリアに青が結びつけられるにしても、それはどういう経緯だったのか、といった部分は十分に説明されていなかったように思います(そんなことが分かるのか、という気もしますが…)。上の感想でもいくつか書きましたが、仮説はとても面白かったのですが、「こうだからこうだ!」という鋭い論があまりなかったような気もします。そして、「青の歴史」を見ることで、なにが分かるのか。たしかに、色彩は社会的現象であり、ある色の使用や色への観念が歴史的に変遷するというダイナミズムは読んでいてとても面白いです。もっと、色彩の歴史を見ることでこんなことが分かる、もっと大きな問題が見えてくる、というようなことがないものかというスタンスで読んだのですが、ちょっとそこまではなかったような気がします。本書の中であえていえば、初期の工業製品の色がほとんど限られていたことを、プロテスタントの倫理と結びつけて論じた箇所でしょうか。
 それでも、人間の生活の諸側面を見ること、それらを明らかにすることも十分に意義があると思います。政治体制や社会体制の変化はたしかに面白いですが、人間の生活はそれだけではありませんから。

(参考文献)
・宮松浩憲『金持ちの誕生―中世ヨーロッパの人と心性―』刀水書房、2004年





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Last updated  2008.07.12 19:06:34
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