仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.10.06
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カテゴリ: 仙台
つい二、三十年前までは(おだずま注:後掲するこの出典は昭和57年発行)狼のクボエ(仙台方言で遠吠えのこと)を実際に聞いたという年寄りが少なくなかった。医学部構内のもとの新坂通りに狼坂があり、木ノ下国分寺の西裏にオーカメ(狼)横丁の地名が残っているから昔は市内にも出没していたことがわかる。仙台周辺で狼の生息地として知られていたのは、中山ニュータウンのある中山峠、最近自然保護で問題になっている仙台城背後のお裏林であった。

中山は藩政時代の伊達家猟場の一つだった所で、享保から安永まで、5代吉村、6代宗村、7代重村の3代60年間に17回巻狩りが行われ、獲物の最多記録は享保19年12月9日の、鹿134頭、猪50頭。狼は獲物として足しにならないが、タマには「内に狼アリ」としるした記録もある。

中山が狼の生息地になったのは近くに七北田刑場というエサ場があったからであろう。昔は月に数回死刑囚をためておいて処刑したので、夜間狼は群れをなして刑場に取り捨てた死体を食いに現れたことは、刑場の北側片カケ山のふもと七北田川右岸に狼河原の地名を、陸測図5万分の1の地図に残したことでもわかる。また、仙台の北山町から中山峠を越えて根白石に通じる中山街道は狼の出没する名所であった。

根白石の実沢、朴沢、福岡から炭薪を仙台市中に売りに来る行商人の駄んこ馬は毎日何十頭という数で、それらの人々は狼の襲来を警戒して、夕方北山の定宿に集まり、人馬一団となって村へ帰るならわしであったが、月急(がっき)坂を過ぎると、「もうそろそろござッぞ」と言ったという。

狼は利口で一行をやり過ごして最後の馬を襲う習性があるため、しんがりの者は地面にモトチ(荷縄)を引きずって行くことになっていた。狼はナガムシ(蛇)が嫌いだからだと言われる。根白石では荷ナワのことを、一名狼除けと称した。も一つ狼が嫌いなのは赤ベコだといい、牛飼いが野宿するときは赤ベコを側に置くと絶対安全と言われた。

昔の中山峠は夜になると、そっちからもこっちからも狼のクボエが聞こえてものすごかったという。狼は人を襲う前に何度か人間の頭上を飛び越えると言い伝えられるが、明治の初め頃、実沢の永沢善吉という人が中山街道で提灯の火が消えたので灯そうとしたトタンに頭上をサッとはね越えたものがある。見ると狼で三度まで飛び越えたが事なきを得たという。

昔実沢では嫁が夜間実家に逃げ出すときは幾つかこっそり握り飯を用意しておき、道で狼が間近く吠えると、握り飯を投げ急いで通過したという。昭和20年に実沢の旧家永沢家の75歳の老母の話を聞いたが、18歳で嫁に来た頃は夜間よくクボエを聞いたし、岩崖などに毛が混じった狼のカエシ(糞)をよく見かけたと言っていた。

明治35、6年頃まで台所のヨゴミをあさりに来ることもあったが、いつということなく自然と絶えたと言うが、全国的に日本狼が絶滅した時期と合っている。

■三原良吉『郷土史仙臺耳ぶくろ』宝文堂、1982年


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最終更新日  2011.10.06 23:06:45
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