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主人のブログをのぞいたら・・・・連休のディズニーランド行きの事が書かれていた。思わず吹き出した。とにかく、この世的な部分での意見はまったく合わない、正反対の夫婦なのだ。よく中3の娘にも、「仲がいいのか悪いのか、訳がわかんない夫婦」とからかわれる。基本的には仲良しなのだが、この世的な部分では意見が合わず衝突する。出身地の違いなのか、食べる物の好みも違うし、趣味も違う。氣の世界に対する思いはバッチリ合うのだけれど・・・。それなのに、なぜ結婚したのか?答えは、過去世からの縁からで、必然だったとしかいいようがない。結婚前に、札幌から東京へ用事があって出てきた私を、一日主人が東京を案内しましょうと誘ってくれた事がある。行先は浅草の花やしき。遊園地はレトロな感じでそれはそれで楽しかったのだけれど、関東在住の友人に、「若い女の子(まだそのころ私は20代だった)を案内するなら普通はディズニーランドに連れて行くよね。花やしきに連れて行かれたって事は、札幌の人をガイジンさんだと思ってるんじゃないの?」と言われた。「ふーん、本州の人の感覚ってそんなものかなあ、外国の友だちを連れて行くのは浅草なのか。花やしきに案内された私って何???」とキョーレツな印象が残った。とにかく主人は人混みがダメ。買い物に行こうものなら、用事を済ませサッサと帰りましょうの人。私は時間が許すなら、「用事以外の場所も見て歩きましょう、何か楽しいことがあるかも、ワクワク。」の人。娘たちが年頃になり、渋谷に行きたい・原宿に行ってみたいといっても、主人が同行することはなく、いつも氣氣とお留守番。原宿なんかで、ショップの前で辛抱強く、大きな紙袋を持ち、奥さんと娘さんを待っているパパ族を見ると、「ウチの主人ならきっと無理」と思って感心する。娘たちも「ウチのお父さんなら買い物に絶対来ないよね、原宿に来たらきっと死んじゃうね」と笑う。結婚とは、互いの違いを認め合うことと悟りの境地、相手を認めると言うのは私にとって大変な修業である。よく18年続いたものだ。ゴールデンウィークのディズニーランド行き。主人にとっても大変な修業であるに違いない。
2010.04.29
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昨日「とくダネ!」を見ていて、初めて「トイレの神様」という曲の事を知った。とても素敵な曲だった。歌っている方の澄んだ美しい声と、素敵な歌詞。ボロボロ朝から泣いた。私の祖母は交通事故で亡くなった。大好きだった。子どもの頃一時期同居していて、祖母や祖父と過ごす日々は私にとって幸せな時代だった。祖父母と同居したのは、確か幼稚園の年長から小3まで。別居を始めても、同じ札幌市内だったのでよく遊びにいった。小六の時、急性の腎盂炎で2カ月ほど私は入院した。塩分を控えた味気ない病院の食事。9月のある日、祖母はお見舞いに来てくれた。なんと大根とおろし金と焼きたてのサンマを一匹抱えて。看護婦さんに内緒で、祖母は病室で大根をおろし金でおろし、まだほんのり温かいサンマにたっぷりお醤油をかけて私は食べた。久々の味のある食事だった。銀行に勤めていたころ、行員やその家族は通用口を利用し、通用口には守衛さんがいた。秋のある日、守衛さんから連絡があった。祖母が通用口に来ていると言う。何事かと慌てて行くと、祖母が何やら包みをカバンから大事そうに出して私に手渡した。お赤飯だった。その日は私の誕生日。祖母は私のために私の大好きな甘納豆をいっぱい入れてお赤飯を炊いて、わざわざ届けてくれた。銀行に勤め、お金が自由に使える余裕ができて、車の免許も取って、私は祖母を誘ってあちこちドライブに行った。近場では小樽や積丹。泊りがけで層雲峡や函館、道東にも足をのばしおばあちゃん孝行らしきものがちょっぴりできるようになり嬉しかった。とても信心深い人で、私が免許をとり、積丹に誘った時、車に乗り込むなり塩を車内に巻いた。神様に上げていたお塩で、無事故を願い清めの塩に使ったのだ。免許取り立ての孫娘に誘われ、嬉しいやら怖いやらの複雑な心境だったのかもしれない。祖母へのおばあちゃん孝行は、まだまだエンドレスで続くはずだった。秋の紅葉の頃に、祖母と母と私の3人で京都に行こうと思っていた。今年の紅葉の頃には京都に・・と思っていたその年の9月、祖母は帰らぬ人となった。なぜ信心深い祖母が、あんなに優しかった祖母が、なぜ交通事故に合わなければいけなかったのか。神も仏もないものなのかと私は泣くことしかできなかった。祖母の事故の知らせを受け、祖母の家に駆けつけた。台所には、お煮しめが入った鍋。おばあちゃんが作った最後の手料理を、みんなで泣きながら食べた。懐かしい味だった。食べるのがもったいないくらいの、とてもとても美味しい祖母の味だった。「トイレの神様」を聞きながら、今はもうあちらの世界にいる祖母や祖父、母の事が思い出され、今の私は育ててもらった事の恩返しができているだろうかと考えさせられた。大好きなおばあちゃん、おじいちゃん。そしてお母さん。恥ずかしくない生き方をしなければと思った。
2010.04.22
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今日は長女の誕生日。15歳。自分の娘が15歳になるなんて、月日のたつのは本当に早いものだ。長女が15歳と言うことは、私も母親業15周年。お腹の中に子どもがいた時も、母親業はやっていたわけだから、約16周年というところだろうか。主人と結婚したのは気功が縁だった。「真氣光」に出会い私の運命は大きく変わった。交通事故のムチ打ちで、何をやっても症状が改善せずに辛い日々だった。当時銀行員だった私は、日常の事務仕事も辛く、月末や決算の繁忙期にはもう仕事を続けられないというほど体調に悩まされていた。そんな時、母から聞いた真氣光の移動体験会。何か怪しげな雰囲気もしないわけではなかったけれど、藁にもすがる思いで参加を決めた。氣を受けて、私はムチ打ち症状は一発で改善した。治らないと思って諦めていた病気が治ったのだ。自分の体験がどれほどすごいことなのか、私はたった一度の氣の体験で確信した。そして決めた。真氣光の氣光師になり、私と同じように病で悩む人を救おうと。たった一度の氣の体験で、私の人生は変わった。不思議な力に導かれるようにここまで来た。氣を受けてから、自分の身の回りで起こる数々の不思議な体験、研ぎ澄まされていく自分の感覚。へんてこな出来事や現象にもたくさん出会ったが、不思議な事に怖いと感じたことはなかった。私は導かれている、必要があって様々な体験をしていると素直に思えた。真氣光の合宿に参加し、主人と出会い、銀行員を辞め結婚をした。氣光の会社で働かせていただき、たくさんの方との出会いがあった。オーストラリアやバハマでイルカとのコミュニケーションを体験したことで、素敵なご縁ができ、三人の子供は水中出産で産むことができた。私にとっても主人にとっても「氣」を抜きにした生活は考えられない。すべての源であり、私たちにとってなくてはならないもの、それが「氣」。生まれてくる子どもたちにも「氣」の字を使う名前しか考えられなかった。氣子・氣恵・氣歩。氣の子ども、気に恵まれる、氣とともに歩む。親として、幸せになってほしいと願いを込めて、自然と思い浮かんだ名前だった。真氣光に出会えたことに感謝。
2010.04.20
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アニマルコミュニケーションの野外授業、上野動物園が実習場所だった。久々の好天、絶好の実習日和である。実は・・・上野動物園は二十数年ぶりである。近いのに、中々行く機会がなかった。子どもが小さい頃は、川越に住んでいたので、動物園と言えば、智光山公園か高坂の子ども動物公園。アニマルの授業では、井の頭やズーラシア、夢見が崎などが実習場所でなかなか上野に行く機会はなかった。もっと混んでいるイメージだったのだが、園内の通路が広いのでそんなに窮屈な感じはしない。何よりも動物さんが、スレていないと言うか全体的にゆったりしていて、非常に素直な印象。コミュニケーションのモデルにも積極的になって下さった感がある。混んでいてキュウキュウで、シンドイ実習になったらどうしようなんて杞憂に終わった。午前中。私は大カンガルーの担当だったのだが、なんともほのぼの、ほほえましい。リーダーのロッキー君はがぜん「やる時はやります!」のタイプなのだが、お腹がいっぱいのせいかしぐさはとってもユニーク。お腹を見せてくれたりポリポリ身体をかく姿は、まるでのんびり休日を過ごす、くつろぐお父さんそのもの!。群れの女の子チームとの微妙な距離感?も妙に人間ぽくって、私は飽きることなくカンガルーさんたちと春の陽だまりの中、素敵な時間を過ごしました。生徒さんたちは五感を駆使し、動物さんたちを観察・解析・コミュニケーションのホップステップジャンプで次々と動物さんたちとの距離を縮めて行く。生徒さんたちは昨秋からアニマルコミュニケーションを学び、日頃からエネルギーワークを行い、その結果、磨き・伸ばしてきた五感。斬新な切り口に、自分が生徒だった時とは比べものにならないレベルの高さを感じる。スタッフも頑張らないといけませんねー。午後は色鉛筆を手に持ち、オーラのワークへ。動物さんたちが隠れる場所、人間から見えない死角があるという事は、動物さんたちにとってとっても良いことなのだけれど、短時間でオーラを描く側からするとちょっとイタイ。おうちにいるネコちゃんワンちゃんならゆっくりオーラを描けるのだけど、動物園は短期決戦。みんなホントに頑張りました。もっともっとオーラを描きたい、もっともっとコミュニケーションしたい。なんかそんな気分のオハラダです。フェリシモの500色の色鉛筆を頑張る自分のご褒美に買うことにしました。自分へのご褒美は、先日の自己探求のセミナーで高江洲代表からのアドバイス。500色の色鉛筆に囲まれ、素晴らしいエネルギー・素晴らしいオーラに触れ、ひたすら色鉛筆を動かし描く・・・至福の時となるか、苦行の時となるか。私の頑張り次第ですね、きっと。
2010.04.18
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私はヒーリングセンターに勤めている。セッション(過去世リーディングやライフリーディングなど)のスタッフとして、またカレッジ(ヒーリングカレッジ&アニマルコミュニケーションカレッジ)の講師として、その他には経理事務なども担当させていただき日々充実している。先日朝のミーティングで、高江洲代表からヒーリングに関してのレクチャーがあった。ヒーリングカレッジも先日開講し、生徒さんにこれからヒーリングの授業も徐々に受けていただくわけだが、ヒーリングの手法も毎年違う。日々進化するのがアルケミスト流なのだ。代表にヒーリングのデモをしていただいた。「極楽」としか言いようのない心地良さだった。代表のヒーリングを受けたその日は、体が軽く仕事もはかどり、快適な一日となった。帰宅しベッドにもぐりこみ、私は今まで体験したことのない状態となりビックリ!!ヒーリングのすごさをまざまざと実感した。その日はとても寒い日で、ベッドに入り猫ちゃんのように背中を丸め、眠りにつくはずだった。ところが、布団に入り背中をくるりんと丸めようとしても丸まらないのだ!背中を丸めるどころか、エビぞり状態!背中がそったような感覚なのである。実は私は姿勢が悪い。猫背の極みである。代表にヒーリングしていただいた時にも背中に関しアドバイスがあり、ヒーリング時にはふわっとしたエネルギーを感じ、昼間は鏡に全身を映すと背中はしゃんとしていて、この姿勢がずーっと保てればなあと思った。布団の中でエビぞり状態で、一瞬何が起こったか分からなかったが、代表のヒーリングのおかげと氣づき一安心。いつもの丸まった猫ちゃん姿勢でなくエビぞり状態の姿勢でで深い眠りについた。「エビぞり」と感じたが、普段猫背のために、まっすぐな姿勢が反ったように感じたのであろう。どれだけ普段、前屈みなのか実感した。ヒーリングから3日たった。姿勢はまだ、まっすぐな状態が続いている。もう「エビぞり」とは感じず、まっすぐな姿勢というのは、これほど気持ちいいのかと思う日々である。エネルギーってすごいな。ヒーリングっていいな。百聞は一見にしかずというが、実体験に勝るものはないとホントに思った。この素晴らしい癒しのエネルギーを一人でも多くの方に体験していただきたい。アルケミストをみなさんに知っていただくために、スタッフの一人として頑張るのみ。
2010.04.15
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家族5人で主人の実家・三重県鈴鹿市に帰省した。わずか1泊。主人の99歳になる祖母に会いに行くのが目的の帰省。体調が悪く、車いすではなくベット寝たきりになってしまったと聞いて、卒業旅行で大阪に行く・ディズニーランドに行くと言っていた次女が、三重の大きなおばあちゃんのところに行くと言ってくれた。他の二人もディズニーランドで遊ぶよりも三重に行きたいと賛成してくれた。手前味噌かもしれないけれど、優しい心に育ってくれて本当にうれしいし、そんな子どもたちを誇りに思う。思えば私の札幌の母が目が見えなく不自由だった時も、その母が晩年脳こうそくで寝たきりになってしまった時も、札幌に帰省し病院へお見舞に通う毎日でも文句も言わず、待合室や面会室で折り紙をおったりお絵かきをしておばあちゃんにプレゼントといって、小さい三人が協力しながら遊んでくれて、私も心おきなく、病室の母を見舞うことができた。お年寄りの多い病院のため、札幌でも三重でも、遠い所をよく来たねと病院のスタッフの方々や入院患者さんにいつも声をかけてもらい、嬉しそうにしていた三人。大きくなってもお見舞いが苦になることなく育ってくれた。特に三女の氣歩は、妙に好かれ、知らないおばあちゃんに可愛い可愛いと言われ、手を握られ、一向に手を握って離してくれない状態の時があった。たぶん認知症の方だったのだと思う。お正月もお盆も、自分の家に帰ることなく施設で過ごすお年寄り。さまざまな事情があり、様々な人生がある。氣歩の手を握り「可愛いなあ可愛いなあ」という姿に私は泣けてきた。同じ言葉を繰り返し、童女のような澄んだ瞳で氣歩を見つめる。氣歩は嫌がることなく、見ず知らずのおばあちゃんに自分の手を預け、ニコニコしている。ああ優しい子に育ってくれた、幸せだと心底思った。学校の勉強は苦手だし、部屋は散らかし放題でいつも私のカミナリが落ちる氣歩だけど、この子はこの優しさがあればいいのかなと思う瞬間だった。施設のスタッフの方が二人の様子に気づき、上手にそのおばあちゃんの手を離させ、「お姉ちゃん有難う」と声をかけて下さった。氣歩は照れくさそうに笑っていた。大きなおばあちゃんは99歳。100歳まで生きてほしいとつい思ってしまうけど、来年の2月のお誕生日まで命のともしびが続くのか、私たちには分からない。今回お見舞いに行き、静かに自分の命と向き合う姿に、なにか神々しいオーラを感じた。話しながらスーッと目を閉じ眠りにつき、またゆっくりと目を開け、私たちの声にうなずく。おばあちゃんの時間は私たちの時間とはまったく違うスピードで進んでいるようだ。よく人は「ぽっくり死にたい」という。朝家族が気がついたら、布団で冷たくなっていたというような死に方を希望する人も多くいるだろう。家族に迷惑かけたくないというけれど、私はおばあちゃんや札幌の母が、周りの者がゆっくりと死を受け入れるような時間を入院と言う形で作ってくれた事に感謝している。夏休みに帰省した時におばあちゃんに会えるかどうか分からない。でもそれは今生きている私たちにも当てはまる事であり、人生の終わりがどのような形になるか予測不可能。今生きていることに感謝。そして今生きているかけがえのない時間を大切に。そんなことを考えさせられる二日間だった。おばあちゃんありがとう。私たちは貴方の生きざまに触れることができて幸せです。
2010.04.01
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