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主治医のこと。 病気持ちの私の人生に、結婚なんてありえないと思っていた20歳代。 夫と出会って結婚することにはなったけど、子どもが産めるだけの管理は私にはできないから、私の人生に子どもが居る暮らしはありえないと思っていた30歳代。 2004年1月からのブログを振り返っても、分かるように、 私は この先生に守り抜いて貰って我が子を授かり、今の幸せな日々への道を付けて貰いました。 この先生に巡り会えていなければ、私は決して子どもを産めていなかったし、 夫と宝良くんと3人の、ささやかでも幸せな今の日々もなかったと言い切れます。 主治医がこの病院へ赴任して1年目くらいに私の担当医になり、もう10年以上。 恐い先生・厳しい先生と怒り嫌う患者さんも居るけれど、 私たちにとっては、心の底からあったかい、本当の意味で優しい主治医です。 2型DMは1型DMと違い、 「不可抗力ではないのに、意志の弱いダメ人間だから自業自得で、医療保険制度上の存在悪」とされる中、 誰もがその人なりに幸福に生きるべきなんだから、いいんだよ、と 最大限の援助をいつも差し伸べてくれる先生です。 先生はこの秋、とうとうこの総合病院を退職し、独立開業することになっていて、もちろん私もそちらの病院へ移るのですが、 通院専門のクリニックで入院設備は作らない予定なので、大きな手術を伴う入院が必要になったときは、紹介でまたこの今までの総合病院へ入ることになります。 でも、今回、 目指した第3段階(かなり余裕のある安全地帯状態)まで改善しないまま退院を決めたとき、 「仕方ない、うちの病院に泊まるときは、院長室を明け渡そう。そのかわり、自炊してよ。(笑)」と。 (^L^) 今回の入院中も、いつも、 「子ども、まだ大丈夫?」 「宝良くんの様子はどう?」と気に掛けてくれていて…、 幸せに生きるために協力してくれているのだから、 病気だけを見てるんじゃなくて、 「家族との在り方も含めた私という人」が今どうするのが一番ベターか、という視点で判断してくれるんです。 先生がこの病院に赴任してきた頃、 ここの病院は、地域の開業医さんのところで、どうにもならなくなって回されてきた、かなり合併症の程度が厳しいDM患者の吹き溜まりと言われていて、 先生は、 なるべくそんな風にQOLが辛くならずに生涯が全うできるように、 そうでなくても、少しでも先送りにできるように、と そのために、 要所要所で先手を打って、私と私の家族の将来を守って、私を入院させてきました。 今回もそう。 私と、私の家族の将来のQOLを守って、幸せであるために、 合併症の程度が厳しくなった未来になってから入院するのではなく、 子どもは小さくて、まだ理屈で事訳が理解できる歳ではなく、母から離したらとても辛いだろう今だけど、 それでも、今のタイミングで入院して、引き戻しておこう、と。 週末の外泊から病院へ戻り、少し息子の気持ちが持ち直したかなといった時期のとき、 回診でまた 「宝良くん大丈夫そう?」ときいてくれて、 「週末ベッタリいっしょに居たので、先日よりちょっとマシみたい」と答えると、 「ヨシッ、じゃぁもうちょっと宝良くんに頑張って貰おう。 宝良くんがもう少し大きくなって色々分かる小学生くらいになったら、 『小さいとき、君に寂しい思いをさせたのはおじちゃんなんだ、ごめんな』って僕が謝っておくよ」と言う先生。 多分、実際に宝良くんが小学生になったときには、先生はこの会話は忘れているんだろうけど(笑)と思いながら、 本当にいい先生だな、 ありがたいな、と、 カサカサの気持ちに、太陽やお水が満ちてきた気がしました。
2008.05.29
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2008.05.29
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あっという間に入院後3週間たちました。 先々週末は、お舅さんの一周忌法要のため、病院から外泊。 慌ただしいけれど、宝良くんは、いっぱい私とベッタリ過ごす時間が持てて、ちょっと気持ちを建て直すことができ、日曜日の夜には、私を病院へ送ってくれました。 でも、もちろん平気だったわけではありません。 そして、更に1週間我慢した次の週末ということで、また、病院から外泊。 なぜなら先週末は子どもの運動会だったのでした。 今住んでいる地域は、つながりが強い地域。 公立の小学校と幼稚園、保育所が密集して建っていて交流もあり、 毎年春の運動会は、小学校・幼稚園・保育所の合同になります。 今年は、微妙な天気の中、強行突破で運動会決行! 去年は保育所単独の秋の運動会がなかったので、1年振りの運動会。会場となった小学校の運動場をレインコートで仲良しの友達と子犬のように走り回る宝良くん。 ときどき小雨が降る状況で、短縮プログラムになり、徒競走が無くなって、保育所2歳児さんたちは、親子ダンスだけの参加になりました。 出番を待つ野放しフリーな時間、子どもたちはのびのびと走り回りはしゃいでいました。0歳から毎日兄弟のように過ごしてきた友達だから、それはそれは仲良し。 漫画で描いたらハートマークが飛んでいるに違いないほど。 でも、また週末が終わり私が病院へ戻ると、 「(病院へ行かないで)ここに居て」と言うようになり、それでも私が病院へ戻ると、「宝良ちゃんも(いっしょに、病院へ)行く(病院でいっしょに寝る)」と言ったりしだしました。 今回の入院では、3段階くらいの改善を目指していて、 主治医からの入院治療計画では、取り敢えず最低限改善したい第1段階で1ヵ月くらいの入院見込み、最終的には3ヵ月くらい予定と言われていたのだけど…。 宝良くんの我慢の限界かなというような、そんな様子のとき、ちょうど、 最終的な退院処方の4倍量のインスリン指示で頑固な糖毒性が切れてきて、やっと血糖値が動いてくれるようになりり、 100台まで下がりだしてくれるようになってきました。 これで11.9%だったHbA1cも、取り敢えず7%台にはなるだろうと、最低限改善したい第1段階の調整が付きだしたのでした。 (目標ライン甘過ぎ?!って叫んでる人、目丸くしてるよね。 いや、飽くまでも「最低限改善したい第1段階の調整」ですから。(-_-; ) 主治医が、 「宝良くんの様子はどう?」 と言うので、 「うーん、限界近し…」と返事。 「もうちょっと下げた状態を維持できる状況を作ってから退院にした方がいいんだけど…、 悩ましいところだけど…、 取り敢えずここで退院するかな…」と、 退院に向けて、退院処方を決める調整を始めてくれ、最短で、「じゃ金曜日退院できるようにしよう」ということになりました。 (^.^)b というわけで、その話をしたおとといの夜から、 「あと3回寝たら、ママもう病院へ行かないで、ずっとお家へ帰ってくるからね。」昨日の夜も、「あと2回寝たら、ママ~~~ね」と話しています。 息子くん、どのくらいはっきりと日にちの感覚が掴めているのかは不明だけど、とにかく、ママが帰ってくる見通しがついたということは理解したようで、 表情が良くなりました。 私も、後一晩、もうたった今晩一晩のことなのに、明日の退院が待ち遠しくて、待ち遠しくて、待ち遠しくて、仕方ないです。 我が子と離れるのって、寂しいね。そして、我が子と添い寝するのって、ホント~に幸せだよね。 宝良くん、LOVE LOVE LOVE (^ε^)-☆Chu!! あぁ、早く明日になぁ~れ。(^O^)/
2008.05.29
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今日の写真は、寝ぼけて、ふてくされている宝良くんです。(^_^;) おととい、泣きそうなでも泣かない顔で、「居て欲しい」「いっしょにねんねしたい」と言った宝良くんだったけど、それでも、病院まで夫と一緒に車で送ってきて、「頑張る」っと言って帰った。 でも、昨日の晩は、病院に戻る時間になると「行かない」と言い、送ってくると、「一緒に(病室へ)行く」といい、そして、とうとう、チャイルドシートに座ったまま、「さみしい。」「さみしい。」「さみしい。」と言いながら、涙がツーーーーーと。いつもなら、「頑張れる?」ときくと、「うん。頑張れる」と答えることの多い宝良くんだけど、そのときは、「ママね、あと3回ねんねしたら、外泊するから、お家でいっしょにねんねできるよ。それまで、頑張れる?」ときくと、「頑張れない。」と答えて、また涙がツルツルツルツルと流れる。 どうしようーーーと思ったけど、取り敢えずは、戻り時間だったので、「今日はもう行くね。ごめんね。」と、車を降りて、病棟に戻ったのでした。 どうしたものだろう。このままじゃいけないよなぁ。でも、お舅さんが他界して一年、今週の土曜日に一周忌の法事をお寺さんと近くの料理屋さんですることになっていて、準備もあるので、前夜(金曜日)から外泊させてもらうことにしている。あまり、外泊ばかり非常識なのは、主治医にも迷惑かけるしね……、とか、考えていた今日。 回診で回ってきた(?)主治医が、話を聞いて、「今日はとにかく外泊しておいで。入院、短期決戦って訳にいかないんだから、子どものサインにはすぐに対応してあげながら、やって行かなきゃ。」と言ってくれた。で、急遽、今晩外泊で、自宅に居ます。みんな寝ちゃったから、PCの前にいる私。 保育所に寄って、子どもをピックアップしてから、病院へ回ってきてくれた夫。電話で、主治医との話を伝えていたので、病室まで子どもと一緒に上がってきた。(いつもは、私が降りてくるのを駐車場で待っていることが多い。)で、病棟の廊下で看護婦さんが「ママをお迎えに来たの?」と声をかけてくれているのが私に聞こえてきたので廊下へ出た私を、見つけた宝良くん。駆け寄ってきた宝良くんに、抱っこしながら、「今日ね、ママ、このままお家に帰って、お家で宝良くんといっしょにねんねできるよ。今晩は、病院に戻らなくても良いって、宝良くんといっしょに居てあげてねって、先生が言ってくれたからね。」と伝えると、パァーーーっと、ものすごく嬉しそうな顔になって、はしゃいで、家へ帰りました。 今晩は、いつも2冊の寝る前絵本を、おまけで、3冊読みました。そして、いっしょに並んで寝ました。(^_^)v 私はトイレに起きたついでに、24日(土)の宝良くん運動会に用意して欲しいと言われたピンクのバンダナを、ネットでポチるため、PC開けてます。そしてブログいじってます…。早く寝なくちゃね。ははは。 そうそう、宝良くんのトイレトレーニングのお供、頑張ったねシールは、で~す。これ、トミカのミニカーおたくな宝良くんには、ヒットでした。(^_-)
2008.05.14
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2008.05.12
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今年のゴールデンウィークは、4.5.6と3日間の休みが取れた夫。 頑張って初日の4日に、片道2時間強かけて高速で、白くまピースで有名な動物園へ。 が、しかし動物たちにはそれ程反応せず、一番喜んだのが、駐車場から入り口をつなぐシャトルバス! ええ、何たって、いわゆるライオンバスでしたから。 その次が、高速道路上で見た、道路巡回車・高速パトカー・道路標識車(サインカー?)テレビ中継車などなどでした。 そうです。トミカおたくなんです。 という訳で、残りの2日間は家でのんびり過ごし、唯一したことと言えば、 カレンダーの裏紙にクレヨンで枠を2つ書いて、トイレの壁に貼り、トイレでおしっこできたら、「やったねシール」をおしっこ枠に1枚、うんちができたら、うんち枠に2枚貼る というゲームを始めたこと。 もちろんシールはトミカの車たちのシールです。 おそるべしトミカ。 それまでは、トイレに誘っても面倒くさがって行こうとしなかったのに、あっと言う間に、おしっこ枠には2日間で10数枚のシールが。 でも、連休が済んで私が入院し、ブームは去った模様。それからは1枚もシールは増えていなかったし、うんち枠は真っ白のままでした。うんちはどうしてもオムツじゃないと踏張れないみたいで、断固トイレ拒否。先は長そうだなぁと、トミカシールを追加注文したのでした。 それが、今晩、 保育所から帰りに私を病院からピックアップして、家族3人、スーパーで買い物をして、 超特急で夕飯を食べさせながら、洗濯機を回しながら、お風呂のお湯を入れながら、保育所の翌日の荷物の準備をしていたら、 いきなり宝良くんが「トイレでうんちしたら、シール2枚やね。」と言うので、 「そうだよ。トミカのシール、2枚だよ。行ってみる?」と返事をしたら、 何とトイレへ。 うんち、大成功!! その後の入浴でも、 シャンプーも顔を石鹸で洗うのも泣かずにできるよ。と言って頑張る。 そして、お風呂から出てドライヤーして、洗濯物を室内干ししたら、タイムリミット。 病院へ戻る時間です。 「ママここに居て。」 「宝良ちゃん、いっしょにねんねしたい。」と…。 泣かずに、自分がどうしたいかと、言葉で言える成長を驚き喜ぶ一方、私が喜びそうなことをいっぱい頑張って見せて、そういわれると、うーん、切ないなぁ。 病院まで送ってきてくれて、病室までいっしょにあがると言う。 遅い時間に子どもの声は病棟に響いて迷惑だから、駐車場でバイバイね。 (寝る前にママに読んでもらう)絵本を忘れて来たとも言うので、 今までは、寝る前は1日に2冊までと決めていたけど、ママが退院したら、3冊ずつ読んであげるから、待っててね、と返事した。 (今、特にお気に入りなのが、「ピン・ポン・バス」と「うみにいくピン・ポン・バス」と「がんばれ!ピポくん」「しょうぼうじどうしゃジプタ」などなど。 毎晩、2冊に絞るのが大変な宝良くんです。) 早く病院でたいな。
2008.05.12
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2008.05.08
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宝良くん、5月5日に2才8ヵ月になりました。元気です! さて、宝良くんの出産以来バタバタと走り続けて、ここのところ、HbA1cが11.9%という状態。去年夏から、入院して管理の立て直しを、と主治医に言われていたのですが、タイミング的に今しか無いだろうということで、今日から入院しました。トホホです。 ほぼ毎日、夕飯後~消灯時間までの外出を許可してもらいました。 宝良くん、「寝る前の絵本と添い寝・朝の準備時間の抱っこ」はできないけれど、夕方からの時間をいっしょに過ごすことで、大丈夫かなぁ…。 やってみないと分からないけど、宝良くんが大人になるまで、それなりの体調で生きていたいからね。 とりあえず、頑張ってみようと思う。 一歩、踏み出しました。 ムンっ! W(`0`)W ファイトォ!!
2008.05.08
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