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☆ 明日、声楽の発表会です。前回、第九の本番の夜にお腹を壊して以来、風邪もあって、調子悪い日々が続いています。お腹壊して、トイレの住人と化し、何とかピークを過ぎて布団へ戻る。正露丸飲んで、気が付くと、普通に暮らせる時間が来て、お腹も空くし、食べると美味しい。(*^_^*)で、この季節、大好きな柿がこれまた美味しい。夕飯後のデザートに柿を剥き、あむあむあむ。うふっ、幸せ……と思っていたら、お腹がシクシクし始めて、またトイレの住人となる。 何回かそんなことを繰り返し、夫に、「そう言う時って、一日くらい絶食して、完全に治してからだよね」と、アホな子どもを諭すように、言われてしまう。(^^;) 先日、だいぶんマシになったと思って、もういいかなと柿いただきましたの。美味しかったわぁ~。 そして、激腹痛の復活。急に寒くなったここ数日の初日でしたので、夜中2時くらいまでトイレの住人だった私、情けないやら、お腹痛いやら、どうしようもないやら……。何とか落ち着くまでトイレに居るしかなく、便座に電気を通して温かくしようと考えてくれた人に、どれほど感謝したか。これで、便座が冷たかったら、もう、自分の馬鹿さ加減に、夜中情けなさ倍増だったことでしょう。 さて、そんなこんなで、お腹の具合も落ち着かないけれど、風邪も治らず、喉が痛くて鼻が詰まっています。 なのに、声楽の発表会がとうとうやってきます。 東京にいたとき、一度だけ発表会でソロに出させて貰ったことがあり、ラッシャキオピアンガを歌わせていただきました。で、そのときに着た、「そこそこの服」、捨ててはいない筈なのに、見つかりません。 上手な人の中で歌わせて貰う際、精神安定の観点から、「そこそこの服」というのは、私にとっては大事なんです。 いわゆるリサイタルの主役のような「発表会ドレス」を着るには、実力負けしていて、実力負けを気にする分、無駄にオドオドしてしまうので、更に悪い結果を招くし、かといって、ジーパンにトレーナーで出て行くには、却って下手さをアピールしてしまうので、「結婚式の二次会よりは少しフォーマルでありつつ、上品で少し華やか」というのが、こんな場合、一番目立たず気配を消して居られる訳です。その分、余計な緊張を招かず、下手は下手なりに、そのときの実力は何とか出し切れる精神状態になれるかと。だから、「そこそこの服」は大事。なのに、見つからなーーーーーいよぉ! 東京だと、大きいサイズの服でも、それなりに各用途の物が結構すぐ手に入るのだけど、田舎はそうはいきません。大きいサイズの洋服を扱っているお店はあっても、そういう中途半端な用途の、あまり売れなさそうな商品はラインナップされていないんだよね。 と言うわけで、結局、社交ダンスとかカラオケとかを趣味とする中高年のオバチャンが、衣装を調達するときの御用達お店を教えて貰い、その中ではまだおとなしい方ですが、でも、曲と合わず、実力とも合わず、多分場の雰囲気にも合わないような、かなーーーーーーり、ケバイ(死語?)服を緊急調達。 コレしか、サイズ的に入らなかったっていうのもある。 歌うのは、ジャンニ・スキッキの「私のお父さん」。だけど、服は、カルメンのハバネラって感じ。黒地にくすんだ赤い大輪のバラが全体を埋め尽くし、足下までの長さで、裾はムッチャ拡がっております。 ちなみに、同じ教室から出る主婦の方は、シックな黒のスリムなロングドレスにコサージュをつけるそうです。(えーーーーん。アチキもそういうのが着たい) お店には、もう一つの選択肢として、シルバーのそれっぽいドレスが一着、サイズ的には何とか着られそうでしたが、お値段がウン万円でしたので、断念。 プログラムには、参加者がそれぞれひと言コメントを入れるそうで、先生に書いて出すようにいわれたので、思わず、「かーちゃんの道楽、周囲の顰蹙省みず」と。 あぁ、本当に、今かなり、周囲の顰蹙を買っております。 今日、ピアノ伴奏の方の合わせがあり、先生宅へ伺いました。私の都合で、遅い時間の方へ参加させて貰ったら、周囲はすっげー上手い人ばかり。先生のところは、ご夫婦とも声楽家なので、お生徒さんは基本的にその道へ進みたい人たちなんですね、なので、カルチャー教室での生徒っていうのが、参加者の中では少数派。 皆さんいらっしゃる中で一人歌うわけで、びびりまくって、挙動不審な私。その上、今までのレッスンで、良くなったといっていただいたときのレベルから、かなりひどくなっている今。自業自得っすね。 こうなったら、睡眠不足が一番、声が出なくなる要因なので、もう、四の五の言う前に、しっかり寝るしかないのです。今の段階で一番優先させるべきは、睡眠。なのに、なのに、遠足前の子どものように、なかなか眠れず、そして、何度も目が覚めてしまい、結局、起き出して、ブログなんかを書いております。馬鹿の極みでしょう……。(トホホ)さて、もう一度布団へ戻ってみよう。この曲、まだずっと毎週レッスンに通っていた時代だったので、自分の結婚式で友達のサプライズ企画で、急に振られて歌った、私としては大事な曲で、尚かつ、今レッスンで持っている曲の中では、一番無理が少ない曲だったので、これを発表会にかけることにしたんだ。だから、少しでもいい状態で歌いたかったんだけどなぁ。 おまけ。 先日、添い寝をしていて、宝良くんを寝かしつけようとしていたとき、あまりにも、いつまでの寝てくれないので、母は狸寝入りをしておりました。 ずっと一人で、適当なことを喋ったり歌ったりしていた宝良くん。「むすんでひらいて」のメロディーで替え歌を歌い出しました。「マーマが好き、マーマが好き、パーパも好き、パーパが好き。パーパはママが怒ったとき好き、マーマはパパが怒ったとき好き~♪」 思わず笑ってしまい、体がひくひくと揺れて、狸寝入りがバレバレ。私の声を殺した爆笑に気づいた宝良が、ウケたと思って調子に乗り、更に元気づいて、大声で笑って、もっと目が冴えたのは、言うまでもありませんでした。チャンチャン………(^^;) 苦笑するきゃない母でした。
2008.11.21
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☆ 七五三のお参りに行って来ました。 午前中、他の予定が少しあったのだけど、何だか家族中疲れているようで、宝良もなかなか起きたがらなかったので、腹をくくって欠席連絡をして、家族3人、全員で二度寝の贅沢な(?)朝~。二度寝、二度寝、二度寝~、ららららら~♪ お昼前に起き出して、近所のJA(農協)のイベントへ。仮面ライダーキバのショーがあり、先日のゴーオンジャー神経質母の一件で、少し反省した母は、颯爽(?)と三輪車で息子を連れて行きました。 家から3分くらいのところが会場で、そのJAを越えたところがいつも通っている保育所です。ってことは、この仮面ライダーキバのショーに合わせて、保育所のお友達が結構来ているだろうと思い、それもお目当てでした。 やっぱり、仲のいいお友達を発見。ショーは、それほどの食いつきでは無かったのですが、終わってから、仲のいいお友達と、バザーのうどんを食べたり、そのあたりを走り回って、それがとっても嬉しかったようです。 そして、帰宅。ちょっと昼寝させておかないと、と思ったけれど、結局寝てくれず、それから着替えて、七五三のお参りに行きました。 有名どころの神社ではなくて、今住んでいる地区の氏神さんにあたる地元の神社へ。ちゃんとまっすぐ立っている写真も何とか写せたけれど、最後は、ふざけて、UPした写真のように、お宮さんの前で座り込んでしまい、いただいた千歳飴の袋をぶら下げて、何だか、酔っぱらいのオヤジがお土産買ってぶら下げて転んでいる新橋駅前状態~(笑)この千歳飴の袋、結構なふくらみがあって、飴だけではない感じ。やっぱ、お土産ぶら下げてるぞ~。 初めてのお宮参りのときも、ここの神社で、食器やでんでん太鼓などをいただいたのですが、今回帰宅後、千歳飴の袋を開けてみたら、千歳飴と、お守りと、小冊子(絵本)と、紙風船と、ぴゅーっと息を吹くと巻いてある紙が伸びる笛と、縄跳びが、入っていました。3歳の子と5歳の子と7歳の子の誰が来ても、ひとつは喜ばれるようにとセレクトしてくださったんだなぁと感じられる詰め合わせで、あったかい気持ちを感じる神社さんでした。 おじいちゃま、おばあちゃま、ばーばんと、夫、私、宝良の6人で、夕飯。晴れ姿のスーツは、食事前に脱がせました。煮魚大好きな宝良のために、ぶりの煮付けをメインで、夕飯を用意してくれていました。いつもありがとうございます。(*^_^*) おばあちゃまにお風呂に入れて貰って、長い一日もそろそろ終わりです。 実家から帰るとき、いつもバイバイの儀式があるのです。まず、おじいちゃまのところへバイバイを言いに行くのですが、そのときにハグをして、数を数えます。(何だか、入浴の数かぞえみたいでしょ。肩まで浸かって○まで数えましょうみたいな感じ。)初めの頃は、毎回30まで数えて、それからハイタッチして、で、「ありがとうございました~。お休みなさい、バイバ~イ。」と言ってから帰って居ました。 これを、おじいちゃま、おばあちゃま、ばーばん、と3人に繰り返してから、靴を履いて、さあ、帰ろう~となっていたのだけど、いつのころからか、バナナのたたき売りのように、値切り始めた宝良くん。値切るというか、ケチるというか。「今日は、20まで」って、30までは言ってあげないとか言って駆け引きを楽しむのです。最近は、「20まで」が多かったのですが、ときどき、「40まで」とか、気前のいい日も稀にあったり。 そして、この日は、珍しく、出血大サービス(?) 「50まで」でした。あははは。今日はよっぽど楽しい一日だったんだね。 ご機嫌さんで、車に乗って、いざ出発するのを家の前で見送ってくれていたおばあちゃまに、「おばあちゃま、大好き~。ばーばんも、おじいちゃまも、大好きって、伝えといてね~」と、伝言まで(?!)頼んでおりました。 穏やかな、いい一日だったなぁ。感謝です。(^^)/
2008.11.09
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☆ かあちゃんがヘタレなので、今日の公文、サボってしまったよ。 6月に、もうすぐ2歳9ヶ月というところで入会して以来4ヶ月、6月の初めの頃、一日の内のどこで公文の宿題をするように持っていっていいのか試行錯誤していて、上手くいかず、今日はもう宿題しないままで…という日が2日ほどあったけれど、それ以来、公文の教室(2回/週)へ行くか家で宿題をするか、いずれかを、一日たりとも欠かしたことが無かったの。 保育所へ行く日は、帰ってからすぐに宿題を済ませる。保育所がお休みの日は、朝一番に宿題を済ませてから、後の一日を好きなことをして過ごす。そういうサイクルにしてきて、習慣化を目的として始めた公文だから、それはそれでいいんだ。 でも、まだまだ、お勉強って内容には、重きを置かず、遊びの延長で、毎日ちょっとだけやって、習慣化するだけでいいと思っているのだけど、教室の方針とずれているみたい。 私からすれば、宿題の量が多いんだよね。学ぶことを楽しいと思って欲しいし、苦しんで修行をこなせって感じで勉強をしてほしくない、せめて小さい内は……。 だから、私の感じる適正量は、国語(読み1枚・ずんずん1枚)2枚算数(数唱1枚)合計3枚のプリント程度が、一日あたりの宿題で丁度良い感じに思える。 でも、先生は、国語(5A親が読んでからついて言う5枚・ずんずん5枚)10枚算数(5A数唱5枚・4A数字書き5枚)10枚の、合計20枚とことわざか俳句カードの暗唱1回が、毎日の宿題と考えていらっしゃって、 数字の書き(4A)を先生が追加されて、子どもが負担に感じ嫌がってきた頃、疲れが見えるなら、それに合わせて量を減らしたいと申し出たら、数字書き(4A)を5枚から3枚にしてくれたけれど、暫くしたら、出来るようになってきましたねぇ~と、また1枚ずつじわりじわりと増えて、結局、元の量に戻ってしまった。 宿題イヤだって言うことがあっても、ほとんどの場合、なんとか気持ちを乗せて付き合ってやると、遊び感覚でささっと済ませられるのだけど、一度、すごく嫌がった日があって、大泣きしたことがある。多分、数字の書き(4A)が加わった頃だったと思う。 そのとき、子どもの気持ちを押しつぶしてはいけないと、息子と話をした。「宿題、したくないの?」「うん」「頑張れる?」「頑張れない。僕、3歳になって、お兄ちゃんになったけど、まだ小さいお兄ちゃんなんだもん。」 保育所で0歳から生活しているから、実際の家庭では一人っ子なんだけど、居残りの時間に0歳クラスの子や1歳クラスの子とも接するし、3.4.5歳児のお兄ちゃんお姉ちゃんが、下の子たちへ接する様子も見て育って来て、まだたった3歳、保育所で言えば2歳児クラスの子どもなのに、自分をお兄ちゃんとして頑張らなくちゃって、思っている。でも、「まだ小さいお兄ちゃんだもん」と、ちゃんとこれ以上頑張りたくないってことを、こんな言葉で伝えてくれて、私はとっても切なかった。 思い切って、先生にまた、宿題を減らしたいとお願いしたら、先生は、減らさない方がいいとのお返事。親が手伝って、上から鉛筆持って書いてあげてでも、(自力で全部、一人でこなせなくてもいいから)とにかく、毎日やり遂げてきたという自信を積み重ねていってあげた方がいいと。「これから何度も、親子共々泣くときが出てきますよ」「子どもは易きに流れるものです。一旦そう言う風にすると、どんどんそんな子になっていって、大きくなっても、ずっとそんなままになる。うちに来ている子どもたちも、大きく分かれていくんです。」と。 どーーーーーーっと、気が重くなりました。 でも、実際、先生の仰るとおり、負担に感じていたところが出来るようになってくると、そこの山を越えた感じで、1.2日くらいですぐにそれほど苦痛っぽくなく、笑いながら話しながら、いっしょにプリントを進められる日がすぐにやってきて、振り返れば、スランプなしんどいときって、瞬間のことなんだなぁと思ったりしたのですが。 最近また、数字を見つけて線でつないでいくと絵が出来てくるって感じの問題になってきたら、まだ3歳2ヶ月だもの、そんなに集中力も続かず、まだまだ、ひとりで離れた位置にある小さな数字を探すなんて、「集中力」が無理。で、ほとんど、私が少しとんでいる場所にある数字は「ほら、ここにあるね」とか、次の行き先を言って(手助けだらけで)宿題プリントをこなして…。 最近、私が第九の練習で連れ歩いたりして、土日も結構忙しかったこともあり、家でゆっくり自分のペースで遊んでいるってことがあまり無かったこともあり、私の体調も厳しいけれど、息子も(熱を出したりするわけじゃないけれど)、プリント学習を楽しめるような余裕の元気さじゃないと、親としては見ていて、本当は、色々な予定を休ませて、家でゆっくり、好きな乗り物集まれ系のDVDをみたり、ミニカーで遊んだり、遊び疲れてそのまま昼寝しちゃったり……、みたいな日を作ってあげたいと思っているの。 保育所で過ごす時間以外は、多分そこそこ遊んでいると思う。私は、保育所での時間も、お勉強系ではなく、質のいい遊びの時間を過ごさせて貰っていると思っているので、それも良しと思っている。で、息子が毎日公文の宿題プリントに取られている数十分の時間は、何の時間が喰われているかというと、多分、TV(DVDを含む)の時間だな。平日は、朝から寝るまで、ほとんどTVは見ていない。寝るまでの自由時間、好きに遊んで良いよということにしているので、トミカで遊んだり、絵本読んでもらったり、ゴーオンジャーの塗り絵をしてみたり、レゴのレッカー車シリーズとかで遊ぶ時間になっているから。だから、24時間拷問のようにプリントをさせているとは思っていないし、私はどちらかというとTVやゲームはそれほど好きではないので、その時間が公文のプリントになっている程度の分には、他の遊びがないとか、「お勉強か、生きる力か」とかいう、無茶な二者択一の不毛で無意味な言い争いに参加するつもりもないんだけど…、ただ、子どもに負荷がかかる程度をどう考えるか、なんだよね。 歯磨き習慣をつけさせるとき、泣いてもわめいても、押さえつけてでも、習慣にさせてしまったら、後は、苦痛じゃなくその子の将来に渡るギフトになるでしょ。それと同程度に、無自覚な頃から、学習の習慣というか、学習が組み込まれた生活ペースを身につけておくようにして上げておきたいだけなんだよね。 小学校へ上がって、その習慣がつけられる家庭も当然いっぱいあると思うけれど、そのタイミングで、学習習慣がつかないと、結構あとが辛い気がして、でも、小学校へ上がった年に、私がそこまで付き合ってあげられるゆとりのある生活をしているかどうか、分からないしね。今年、少し時間があるから、今年なら、その習慣づけのお手伝いを、ママはしてあげられるだろうと思って、公文始めたんだよね。 さて、 今日、私の体調がしんどくて、とても、公文の教室へ付いていって、ここのところちょっとイヤな気分になっていて愚図るであろう息子に、押したり引いたり持ち上げたり叱ったりしながらプリント学習させる気に、私がならず、欠席させてしまいました。 私、甘い、と言われればそうかもしれない。 息子はまだ小さい。更に、自分が考えているペースよりも、教室でのペースが速い。それでも、多くの子どもたちを何十年も見て来られた先生が見通している先の姿は、結構、経験に裏打ちされていて、親業若葉マークの私のオタオタぶりとは違う。実際、こんなに泣いてかわいそうと思った翌日や翌々日には、確かに子どもはけろっと笑っていて、その部分を乗り越え、クリアして、いつの間にか出来るようになっていて、そして、楽しんで笑いながら話しながら楽しんで、次の日のプリントをこなしていたりすることが実際にあった。 それでも、今日はお休みにしちゃったよ。私も体調しんどいし、子どもも私も、お休みが必要だよと思ったの。結局、私って人が、その程度の甘さの人間なんだよね。今回は変則で、今日明日と2日続けて教室があるんだ。今日は丸々一日お休みで、また明日から仕切り直し、それでいいと思ったんだよね。 私、中学生の時の忘れられない思い出がある。 放課後、仲のいい友人二人と私の3人で、何となく別に急いで帰ることもないし…と、勉強してた。宿題とか済ませてから、各自、自分の机でそれぞれが自分のやるべきこととして、復習とか予習とか問題集とかを適当にやってたんだけど、私が一番に飽きて、「私、もう終わりにする。」と言って席を立った。そしたら、一人の友達が、「イヤになって、止めたくなったときに、そこでもう一踏ん張りして、もうちょっと更にやってから、終わりにするんだよぉ。イヤになってから、もう少し頑張らないと~」と声をかけてくれた。 中学生の私は、すごくびっくりしたというか、衝撃だったなぁ。それから、30分くらい、多分、一人の子が電車通学だったから、その電車の時間に合わせてだだったと思うけれど、友人2人は飽きちゃった私に惑わされることなく、自分のペースで勉強を続けたと思う。 自分が甘いなぁと思うとき、頑張りがきかないなぁと思うとき、大人になった今でも、あの教室でのシーンをときどき思い出すことがある。やっぱり、基本的に、甘いんだろうなぁ、私。「でも、いいじゃん」って、思って、今日はお休み。 夕飯の準備だけして、夫に電話して保育所のお迎えを頼み、公文もお休みする連絡をしたからと伝えて、二階の寝室で電気もつけずに横になっていました。 パパと帰宅した息子が、寝ている私のところへ来て、「ママ、大丈夫?」と言うので、ハグハグして、(昨日までの宿題は済んでいるから、手元に無いしね)「今日は、宿題しなくていいよ。さっさと夕飯食べて、あとは好きなだけ遊んでいいよ。」と伝えました。 電気をつけずに寝ていたので、息子の顔はよく見えず、表情は分からなかったけれどね。 明日は保育所もお休みさせるつもりです。 うちの職場の子どもたち数名が、明日は、我が家のすぐ近所の畑でお芋掘りの予定なのです。(雨だと来週へ延期だけど)遠足とかの行事の関係で、ちょっと遅い時期のお芋掘り。で、息子も連れていていいってことになったので、保育所をお休みさせて、あとはのんびり過ごさせてやりたいなぁと思っています。 今日の宝良くん語録。夕飯後、パパと遊んでいたと思ったら、二階で寝ている私のところへやってきて、「ママ、風邪こんこん、大丈夫?明日、いっしょに耳鼻科行こうか?明日、耳鼻科行くから、それまで我慢しててね。」というので、「うん、我慢して寝てるね」と返事すると、「明日、耳鼻科行くから、それまで我慢して、頑張ろう。頑張って、下へ行って、いっしょに遊ぼう。」あははは。結局、いっしょに遊んで欲しいので、「起こしてあげるから」と、「(「大きなかぶ」の節で、)うんとこしょ~どっこいしょ~」と言いながら、私の腕を引っ張り……、母、根負けして、起きて階下へ。(笑) まぁ、色々ありながら、毎日楽しい時間を過ごさせて貰っている私。家族の存在って、本当に奇跡のようにありがたいなぁって思いますね。(今日の写真は、9月に撮した七五三用の写真……、紙に焼かれているものを写メで載せたので、ボケボケですけど。 苦笑)
2008.11.06
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☆ 今回の写真は、前回のブログに書いた須磨海浜水族園の帰り、須磨の浜べで遊ぶ息子です。 さてさてさて、 第九、本番終わりました。ああ、楽しかったなぁ。全てのものに感謝したい気持ちになっています~。 (笑) 11月2日(日) 朝から親子三人で、市民プールの「親子水遊び教室」に参加。それから、公園のアスレチックで少し遊んで、うどんが食べられる近くの神社で(さすが、さぬきうどんの地。どこでもうどんを食べられる!?)うどんの昼食。 七五三の時期なので、たくさんの家族連れが。その中に、ヤマハの(2回/月)赤リンゴコースで一緒の男の子家族が偶然いて、前日の土曜日に、ヤマハが在ったことが判明。 そう言えば、11月以降のヤマハ、スケジュールが渡されていなかったな。というわけで、8人のクラスなのに、3名しか参加が無くて、「『欠席の連絡も入っていないので、もしかしたら皆さん今日あるってこと、知らないのかもね。』って言ってたところだったのよ。」と。その通り~。知らなかったよ。 さて、七五三。お父さんはスーツだったけど、お母さんもお着物。息子君も、羽織袴。 それを見て、「宝良も、(来週の七五三詣)お着物で行く~」と言い始めた。うちは、9月のお誕生日に一緒に七五三の衣装でもお写真を撮ってあって、実際の七五三詣はスーツで行くつもりだったのに。どうしたものかなぁ。 その後、地元の少年少女合唱団の演奏会へ。思いの外、元気系の私好みの上手さで、うるっと来て、宝良が行っても良いと言ったら、何年後かもう少し大きくなったら、練習場の見学に行きたいなぁと思ったわ。 さて、その後、15時から翌日の第九、リハーサル。体操、発声練習、合唱指導の先生からの合唱練習。そして、指揮者を迎えての合唱練習。オケとソリスト込みでの、リハーサル。合計3時間。 疲れ果てて、夕飯は、マックのドライブスルー。(ごめんね、 → 宝良くん&パパ) そして、そして、ついに迎えた 11月3日(文化の日)、第九本番。 朝、衣装などを揃えて、9時までに会場入り。9時半からコンニャク体操舞台の出入り練習発声練習指揮者、飯守泰次郎先生からの合唱指導オケ、ソリストといっしょにゲネプロ昼食着替え集合ここの第九は、22年目。香川方式ということで、演奏途中に、最も有名な部分を観客と一緒に歌う。その観客への事前説明ということで、開演前に、合唱80名が事前に会場の観客といっしょに543小節~560小節のMの部分を歌う。ということで、一旦ステージへ。引っ込んで、開演を待つ。関西フィルの ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」序曲で幕を開け、第九へ。地下の階段や通路へ整列して待つ。2楽章が終わった段階で合唱はステージへ。300名強の合唱。約200名が地元、約100名が各地から駆け付けてくれた人たち。栃木、埼玉、神奈川、東京、愛知、三重、大阪、兵庫、岡山、高知、徳島、愛媛、福岡。すごいなぁ、何万円もかけて、飛行機でやってきて2泊して、前日のリハから参加。ありがたいし、嬉しいし、初めてあって楽屋で少し話すだけでも、ああ、これが「第九、Freunde」なんだよなぁ、としみじみ。この時点で、もう、かなり疲れ果てている。前日にも数回歌ったし、当日にも、既に2回以上通しで歌ってるし、前座? があっての、本番。立ちっぱなしで、それも疲れてるしね。 でも、ここでへたばるわけにはいかない。 私は学生時代以来の20数年ぶりの第九で、ここの第九には初めて参加させてもらうので、これまでとの比較というのは分からないのだけど、小学生からシニアまでが練習に参加していて、まして1/3は各地から駆け付けてきてくれた人たちなのに、この合唱としてまとめるのは難しい集団を、飯守先生は、「これぞ第九、庶民の『全人類は兄弟となる』喜びの歌」と仰って、「私、今年は何だか本当に、天上とか神とかを感じながら歌えている気がするの」とかいう会話が、聞こえてきたりする。少なくとも、私を含めて、第九を歌う人たちは、趣味で歌う素人の集まりなのだけど、素人なりに、素敵な合唱だった。 第三楽章から、ステージで立っていて、合唱が歌い出す第四楽章までは、待っているだけなんだけれど、こんなに近いところでオケを見て聴いて、ああ、贅沢~。 練習の時とは違って、指揮の飯守先生もオケの方々も、ステージ用の服装で、眩しいほどのライトを背中から浴びて指揮を振る飯守先生のかっこいいこと~。 ふっさふっさの銀髪が、合唱団から見れば逆光になるライトに輝いて……、それに、指揮がとってもチャーミングなんです。 合唱が歌っているときも、上手く歌えたところは歌をのせるように親指を‘ぐぅー’に立てて合唱団にサインを送ってくださったりするのだけれど、第三楽章は合唱はお休みで気持ちにゆとりがあるので、飯守先生がオケにどうやって振っているのかって気持ちで見ていられて、それに呼応する関西フィルの方々と、飯守先生と、テニスのボールが行き来するように音のキャッチボールを目で追いながら耳で追いながら……。ああ、本当に贅沢ぅ~。「うわぁ、のだめの世界がここに~」って思ったのは私だけでしょうか。 指導のときに、口で説明するより聞いた方がわかりやすいときなど、飯守先生がぱっとピアノのところへ行って、いきなり弾いてくださったりすることがあり、うはぁ~(はぁと)、今のお人柄からはそうは思わないけれど、格好良さとか才能とか、みーはーなド素人の私、もしかして、千秋くんは若い頃の飯守先生? とか、思っちゃいましたぁ~。 飯守先生の第九の指導が、私はとても好きでした。解釈やこだわりや、周囲への優しさや、ベートーヴェンへの敬意や。そして、合唱練習の植田先生の毎回の指導も、日野先生のピアノも、大好きでした。 ああ、楽しかったなぁ。下手くそなりに、私自身としては、本番が一番歌えた気がする。それって、すごくありがたいことで、本当に感謝! フィナーレのティンパニーが華々しく鳴り終わり、ああ、終わったぁ、と思ったところまでは、全く疲れを感じなかったけれど、その後の、拍手やカーテンコールあたりから、どっと疲れてきて、それから、観客席で最初から最後までちゃんと二人揃って鑑賞していた県知事と市長を交えて、解団式がそのままステージ上で行われた。(多分途中で抜けるんだろうなって、穿って思っていたら、ちゃんと鑑賞して、Mの部分も『大学時代以来のドイツ語で懐かしい』と歌ったそうで、ちょっとばかり、知事と市長に好感を覚えた私だった。) 指揮の飯守先生も、ソリストの方も、素敵だったなぁ。ソリストの方が、「飯守先生のもと、ここのホールが確かにドイツになっていましたね」と仰っていて、嬉しかったなぁ。オケと歌えるなんて、第九くらいしか素人には無いわけで、夢のような一日でした。 打ち上げで、みんな飯守先生やソリストの方々など、それぞれにお目当ての方にお声を掛けさせてもらって、いっしょに写真を撮ったりサインしてもらったりしていたのだけど、いい年のおばさんのくせに、こういうところで小心者の私。どうしよう、どうしようと、思いつつ、とうとう最後まで言い出せなくて、誰にもサインを貰えなかった。 うーん、残念。 やっぱり、私にとっては、ポップスの歌手の方々よりも、ここにいらっしゃる指揮の飯守泰次郎先生や、ソリストの方々や合唱指導の先生やピアノの先生方の方が、もう、見果てぬ夢の憧れを体現する人として、ドキドキするくらい憧れちゃうから、初恋の中学生みたいに、声をかけられなくなっちゃうんだよね。 それにしても、日々超おデブな体型で過ごしている私なので、腰回りより三段腹回りの方がデカイ。日常のパンツのベルトは、楽チンゆるゆるで留めてあるのだけれど、さすがに第九のソプラノを歌うには、かなり真剣に腹筋背筋その他を意識して息を支えないと、私には無理。太股から外へねじり上げ、おケツを閉めるようにヒップは持ち上がり、下腹も背筋も肩胛骨の後ろの筋肉も、肺から下は、気が弛む暇はない。その分、肺から上は力まずニュートラルを保つように意識して……、って歌っていたら、楽チンベルトのパンツが下がってくる!歌ってるときは、ベルトの穴が2つは縮めないといけなくなる。 日常生活、いつもこれで居ればいいのにね。プロは日常から姿勢がいい。この落差の大きさが、私が「アマ中のアマ、下手中の下手」であることよのぅ~と、自分で可笑しくなった。 ハイパーテンションで終わった第九本番。打ち上げが済んで、帰宅後、子どもにパジャマを着させた段階で、疲れが襲ってきて、ダウン。横になっていてもどんどん壊れていく。家族が寝静まってから布団を出て、トイレへ。吐きそう……、気持ち悪い。見事な水様の下痢(汚くてゴメンなさい)と、咳き込みと頭痛。 「ああ、本番が終わった後で良かった。タイミングを心得ている壊れ方で、私の体ったら、Good Job! だわ~。」とか、アホなことを思いつつ、夜中を耐える。朝になっても、壊れたままで、何とか子どもと夫を送り出して、再度、トイレの住人になり、ちょっとマシになってから、布団に入り直した。 20数年前、学生の頃第九を歌わせて貰ったときも、終わった後こんなに疲れが出たんだったっけなぁ?もう忘れちゃった。多分、疲れただろうけれど、ここまでボロボロにはならなかったような気がする。もう若くないんだよ。でも、遠方から駆け付けてくださったシニアの方々、お疲れ出ないかしら。みなさん、ゆっくり休めて、疲れを取ってくださいね~、なんて、思いを「Freunde」なみなさんに馳せながら、伏せっておりました。 昼過ぎにやっと復活。今日しないといけない仕事があったので、出かけたけれど、家では、溜まりに溜まった洗濯物が、まだ溢れた状態です。 でも、洗濯より前に、この感想を書いて置きたかったので、久しぶりにPCの前に座りました。 とにかく、とにかく、家族を含めて、関わってくださった全ての方に、ありがとうを言いたい気持ちです。m(_ _)m (*^_^*) (*^_^*) (*^_^*) (*^_^*)
2008.11.03
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