おしゃれ手紙

2010.04.26
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テーマ: 愛しき人へ(903)
カテゴリ: 父の麦わら帽子

銀の滴(しずく)降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに・・・。

そう歌いながら、文字を持たないアイヌは、口伝えに伝説や神話を残した。

右手の不自由だった父も、書くということはしないで、もっぱら、しゃべって、いろんなことを伝えた。

「ワシのお父(とう)は男ばかりの3人兄弟じゃった。
お父(とう)には、弟がいて、名前は健三郎と言ったんじゃ」
と父は話し始めた。

父が生まれるずーっと前の明治も30年代か40年代の頃の話である

健三郎の妻・タマノは、二人目の子供が生まれると産後の肥立ちが悪く、寝付いてしまい、とうとう命が危ないというところまで衰弱してしまった。

父の叔父、健三郎は「タマノが病気。すぐ来て欲しい」とタマノの実家にハガキを書いた。

タマノの実家は、同じ岡山県内とはいえ、嫁ぎ先から、歩いて半日の、「あらがたに」というにあった。


しかし タマノの父親は、文字を読むことが出来なかった。

誰かに読んでもらおう・・・。
タマノの父親は、そう思って、ハガキを懐に入れていた。
そして、一週間ほどが過ぎていた。

タマノの父親は、近所にもらい湯に行った。
着物を脱ごうとして、はらりとハガキが落ちた。


その場にいた人が、拾って読んで、ビックリして言った。

「おじい、タマノが病気じゃあ。
早よう、見舞いに、行かにゃあ!!」

タマノの父親はビックリして、翌朝、すぐ、タマノの元へと出発した。

しかし、駆けつけた時には、すでにタマノの死んでいて葬式も終わっていた。




あるときは、楽しく、あるときは、悲しく、父の話は続いた。

父の父、私にとっての祖父は、明治10年生まれ。
健三郎が若い頃、明治45年生まれの父は、まだ生まれていなかった。
しかし、その場に居合わせたかのようにしゃべった。

先日、娘たちと母の見舞いに行った時、ふと、タマノとその父親のことを思い出した。


生きている間にタマノに会えただろうにとタマノの父親の、無念を思った。
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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2020年4月日 **
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Last updated  2010.06.27 10:01:21
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