韓国同居暮らしと日本語教師

韓国同居暮らしと日本語教師

2005年03月16日
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テーマ: 韓国!(17333)
カテゴリ: 韓国と韓国生活
 昨日姑が義弟の病院から帰ってきたけど、


 途中秘密日記の方へ移動しました。



 姑が義弟の病院に何日も行っていたものだから、
不謹慎にも姑がいないことでかなり私は開放感に
浸っていた。

 でも姑が戻ってきて、やっぱり精神的にかなり
ショックだったのか、姑に冷蔵庫の整理の仕方に



 キムチなどの保存食は食べるとどんどん
なくなっていくけど、
「なくなっていくごとになんで
 小さいタッパーに入れ替えないんだ!
 いったいいつになったらキムチをかき混ぜて
 内容物ぴったりのタッパーに移し変えるように
 なるんだ」
と。

 どうも物をグチャグチャとかき混ぜるという
習慣がなく、なんでもぴったりじゃないと
という考えがもともとなく、キムチに関心のない私は、


 私の母はビビンパを混ぜないでワラビはワラビ、
御飯は御飯って食べた人なんだよ。

 韓国では子供に食べさせる時、必ずと言っていいほど
スープに御飯を入れて食べさせるけど、
日本でそれをやったら、すごく母に嫌な顔をされた。


姑は皿に山盛り、ギリギリまで盛り付ける。

 私はというとお皿の縁に余裕を持たせて
盛り付ける。大き目のお皿に余裕を持って
ちょこんと飾る。
 これが美しいと思っているから。
 日本だけじゃなく、西洋料理もそうだよね。

 それで私が盛り付けてもいっつも
目の前で直される。結構傷つく。

 水キムチ やっと見つけました!!アッサリとして後を引かない!!この切れと清涼感がたまりません。キムチ漬... も器の97%くらいまで入れないと
気が済まないらしい。

 私が90%の量を盛り付けても、
さらに足す。

「シオナゲ(さっぱりしてておいしそうに)
この位盛らないと」
と言う。

 ギリギリまで入ってないとさっぱりして
おいしそうに見えないそうだ。

 姑はどうしてもビッチリ入っているって
状態じゃないと許せないようである。

 もう許せないと言うほどの脅迫的感情。



 でも私もそのことを知らないわけではない。

 しかし「知ってる」ということと「気が付く」と
いうことにはかなりの距離があるものだ。


 私もいつもいつも空の器に少しのおかずを
とっておくわけではない。

 姑チェックが入りそうな時は緊張して
対応しているし、少しはそういう感覚が
身についてきたと思う。

 きっと日本に帰ったら帰ったで、
「なんでこんなに皿がでかいんだ。
もっとギリギリまで盛れ」
って感じるだろう。

 でも私の潜在意識の中には
「器は余裕を持って、皿の縁の柄を生かすように
 盛る、それが美しい」
とか
「グチャグチャ混ぜるのは不衛生だ」
という観念がこびりついているので、

 姑の怖さ>自分の考え

の時は気をつけて実行するけど、
喉もと過ぎれば熱さ忘れるで、

 姑の怖さ<自分の考え

になるとつい本能的に自分のやり方に戻って
しまうのだ。

 戻ってしまうのも意識的というよりは、
無意識的に。
 自分のやり方に特別こだわったり、
姑に反発してわざと我を通すとかそんなのでもなく。

 本当に水が高い所から低い所に自然に流れるように、
気が付くと姑のやり方から離れてしまっている
という感じだ。


 いつになったら・・・と言われたけど、
三十年弱日本で暮らして三十年かけて身についたものだがら、
やはりそれを変えるには三十年かかるのではないか。

 今度「いつになったら?」って聞かれたら、
韓国に来て五年経ったから、その五年を引いて
「25年くらい後」
って答えようか?


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Last updated  2005年04月04日 15時10分30秒
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