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列車は東へ下り「厚床 あっとこ」駅 標津線、厳密には標津線厚床支線と呼ばれる根室市厚床と中標津町をむすぶ路線。 平成元年かに廃止された。今も「昭和8年製作」と記載のある、鉄橋跡が残る。 ここで、廃線跡をたどるツアーの紹介。厚床~中標津間40キロをまず、草刈りすることから、着手。毎年10月の「体育の日」に「廃線跡をたどるFoot Pass」を開催。 草刈りは、有志というか目的に賛同の酪農経営者が、両地点から刈り始め<真ん中>で落ち合った、と。「もう感度して、抱きつく者もいた」という最初の年。 熱意は周囲を動かした。 「北棟 奥行臼駅逓」。国の重要文化財。 それを軸に近隣に位置する旧「奥行臼」駅構内を町営公園に発展させる案も。そのあたり、史跡・文化財に「意味の史跡・文化財」と「形の史跡・文化財」が、ある。 そう、感じている。「達人」を訪ねるシリーズ、この駅の達人は、廃線跡ガイド。単なるガイドにとどめず、跡地保存の草刈りに、汗ながす。 「<路線跡40キロ草刈り> 旧駅公園化に公共動」 nhk4K「ニッポンぶらり鉄道旅 厚床・廃線跡フットパス」 【ニッポンぶらり鉄道旅】 BS4K 毎週木曜 午後7時30分 | 再放送 毎週土曜 午前7時45分 | 再放送 毎週木曜 午後0時30分
2021年08月30日
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多摩川べりを散歩する愛好者に 「多摩川水害と『岸辺のアルバム』」210902。 9月2日です。いかがお過ごしですか。 今朝はNHKBS3「アナザーストーリー 多摩川水害と『岸辺のアルバム』」を視聴していましたですよ。 多摩川の宿河原堰堤近くの狛江市行政区域内で、住宅12戸が流失して住民は家屋も、家族の生活も失うという被害が発生してようで。 この災害を結末に、平凡な核家族一家が財産も人生の設計も変更をよぎなくされるなかで、「本当の幸せとはなにか」「家族が失った大切な物とはなにか」。 そうしたことを問う、山田太一著『岸辺のアルバム』の小説主題になった事件のようです。 『岸辺のアルバム』は当時、『北海道新聞』朝刊にも掲載されていましたが、読んだことはないです。 『東京新聞』にも掲載され、北海道内でも配信されていた新聞小説だったようで。 高度経済成長。今まで出来なかったことが、できるようになった。 1)大学へ行くが珍しくなくなった、2)アメリカへの渡航も自由になった、3)誰でも戸建ての家をもつことが出来るようになった。 こうしたプラスの面の陰で、失われていったことがらは、なにか。 4)貞淑な妻が不倫を演ずる、5)娘がこっそりアメリカの青年と交際、6)夫は仕事人間で家に帰らない。 一本の電話、不審に思った息子が母の後をつける、ブラックボックスで隠された事柄が明るみに。円満して不都合のなかった家族が崩壊する。 1974年9月を遡る6年前。 台風で氾濫した多摩川の小河岸堤が崩壊していた。その小河岸堤とより強固にみえた本河岸堤に守られた地に、こぞってマイホームを建てた。 よもやの洪水が二つの堤をやぶって宅地を削りとり、住宅が漂流をし始める。国土行政の不備ではないか。二人の弁護士が立ち上がる。 住民が撮影して保存していた100枚超の写真が、意味をもつことに。奔流の状態、堤防決壊の過程、波及する被害。時系列で推移を明確にできた。 住民の証言もモノをいった。6年前の堤防決壊経験があるにもかかわらず、また堰堤破壊の決断が遅れたために。司法は国の瑕疵を認定する。 今、「パワースポットに、ふさわしい物語りを6個つくる」。これをマチ中で呼びかけています。 NHKBS3「アナーザーストリー 多摩川と水害と『岸辺のアルバム』」。 散歩の途次に、思いめぐらしつつお歩きくださいませ。いかがでしょうか。6物語に三個の話題提供。 暑い中、日差しに気をつけて、歩みつづけてくださいませ。
2021年08月28日
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帯広「豚丼」。 帯広の豚丼は、タレの味の吟味に、ストレスのない豚の肉。 「タレの味」の特質は聞き逃すも、豚の飼育は独自の農場で展開。 2002年から開業。 23歳でアメリカ牧場体験。そこでの学びをもとに「東京ドーム6個分」の「豚牧場」で、1000頭の飼育。 「ストレスがない人生、肉になるまではその生涯を<堪能>してもらいたい」。 弁を聴いて、複雑でもあったが。 幕別「アイヌ文化伝承」。次の下車駅は、幕別。 アイヌ民族の女性がお二人。「母から習った、アイヌ文様の刺繍」。 「子どもの頃は、差別があったのでアイヌと言うこと、口にしなかった」。「しかし実は母が、刺繍の達人であたっと知って」。 週に一度の刺繍教室。 習うヒトが数名。尊いと思うは、自身を鍛えるために困難にむかって、学習する姿勢。 鉄道沿線でワザと知恵を発揮の「各地の達人」。「好きなヒトが作ると良い、私、難しいことしないワ」。 世は消費するヒト、作る人の分断が進んでいまいか。 「他にもネ、音楽や料理を伝えています」。案内されたのは公共施設の料理場。 「オオウバユリは、まず、『少しだけわけて下さい』とカムイにお祈りをするの」。 ウバユリの球根採取にあたり、まずはカムイノミ。ウバユリを調理する過程が紹介される。そこは貴重な映像。 球根をスリつぶして白玉粉でこねて団子をつくる。 次にコンブを練り上げて団子を包む。出演者は団子をかみしめてみて、「はじめにコンブの味がして、後で確かにウバユリの旨みが口のなかに広がる」。 伝承者は「アイヌはネー、コンブをよく料理につかうよ」。 そうだ、コンブはアイヌ語に語源があり、それが日本の商品名になっている。そう聞いている。 伝承者は申す。 「なにより伝承って大事です」。文化は伝書する達人によって育てられている、のだ。 それ故、聴いていて思った。「そのうえで、伝承しようという人が自身でやってみて、出来るところまで自らを鍛える」点。 場面は釧路駅に。 鶴居村在住で旅館業を営む方が「タンチョウ案内人」。 中学生のときタンチョウの色合い、大きさ、その優美な姿に触発され、「スゲー鳥が、身近な所に」。以来、病みつきとなった。 毎朝、撮影に出かけてこれまで5000枚の写真を、と。 圧巻は「16へクタールの森を購入したこと」。 「経費は車一台分の経費を投入」「山林を開発する声があがり、守るためには購入した方がよかった」。「森が切られてしまうと、泥炭湿地の乾燥化がすすむ」。 「伝承って大事です」 nhk4K「ニッポンぶらり鉄道旅 幕別:アイヌ民族文化伝承事業」 【ニッポンぶらり鉄道旅】 BS4K 毎週木曜 午後7時30分 | 再放送 毎週土曜 午前7時45分 | 再放送 毎週木曜 午後0時30分
2021年08月28日
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瑞士 (国名)スエズ 柴棍 (都市名)サイゴン 錫蘭島 (地名)セイロン島 嘉永3 1850年生まれの正名にとって「数え年」21歳は明治2年。仏国留学を命じられ、香港-スエズ経由ー仏蘭西マルセイユに向かった。 途次での見聞。フランス マルセイユで考えた点。「第五の驚歎」。「元来天然の防波堤と云ふべきもの有せず」「普通の平海岸に人工を施せるに過ぎず」。「而かも数千百の大小船が安穏に碇泊することを得るは、全く人力の結果にして、日本の港あることなし」。「乗客に対して、危険を感ぜしむるものは港にして」「その完成と否とは国家の利害非常の影響を及ぼすや論なし」「国の開拓には、まづその動脈たる道路の完備を先とせざるべからず」「帝国の設備なく、国家の恥辱、国家の損失、これよりは大なるはなし」「だいいちはに政府は其の方針と奨励法とを誤まり」「形式と口とを先にして、最も大切なる手足の働きを後にせり」 建設港湾急務を説く 「文明諸国の設備に驚く」正名20歳 (「第七章 文明諸国の設備に驚く」 『前田正名自叙伝 下巻』1937年)
2021年08月20日
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後輩たちの敬意 大正9年釧路川洪水と治水210818 「洪水後の9月4日には内務省決定、直ちに大蔵査定に持ち込むという電光石火の早業をなした」「技術者の準備があったからである」(「計画と予算案の決定」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 214p) 「(機械工場の規模は)釧路鉄道工場を除き、之に匹敵するmのなし」(「事業執行体制」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 219p) 「大正13年、治水事務所鳥取工場はエキスカ1台を直営で製作、同15年には機関車を製作した。この一事を見ても、新釧路川治水工事の技術レベルの高さを誇れる」。(「工事概略」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 214p)※エキスカベーター: 「歴史の不思議な巡り合わせを感じざるを得ない」(「釧網線全通式」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 223p)「釧路川流域開拓の骨格が固まったことになった」「新釧路川を見る度に、堤防沿いの岩保木水門まで足を伸ばす度に、かかる大工事を完成させた先人達に敬意と驚きを感じる」(「通水式」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 224p)
2021年08月18日
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後輩たちの敬意 大正9年釧路川洪水と治水210816 「(釧路川洪水の発生)被害発生の因に一般論ではあるが、流域全体で展開してきた森林伐採がいわれるも、もう一つは釧路川治水の遅れを指摘する向がある」((「大正9年釧路川洪水」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 205p)。 「家が水びたしになった上、魚粕がすっかりやられた。木材のことが大きく言われたが、魚粕の被害も大きかった」(「水産関係事業」 『前掲書』 211p) 「阿寒川はここ(註 現釧路市山花)から、第一分水溝に転流した」。 「第一分水溝の設計は、この転流を予期したものではなかったろうが、結果として阿寒川の性情をよく見たうえでの分水溝であった」(「阿寒川現河道の誕生」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 213p)。
2021年08月17日
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佐賀段階 さがだんかい 1)水稲10a当り平年収量では96年現在も全国で6位(518kg)と高い水準。 2)1935年前後に電気灌漑などをとり入れ水稲の生産性が大幅に上がった事象 3)ダムの完成(1957)で佐賀平野の水害・干害が緩和, 4)60年代には集団栽培が効を奏し、65&66年と連続して10a当り米収量日本一を実現→〈新佐賀段階〉で脚光。 https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%B3%80%E6%AE%B5%E9%9A%8E-1323554 【筑紫平野】より 筑紫平野は九州一の農業地域であるが,佐賀平野と筑後平野は異なった特色 佐賀平野は日本屈指の米作地帯 1935年前後には品種改良や農業技術の進歩により反当り収量が全国一=〈佐賀段階〉 第2次大戦後の停滞期ののち,1965年,66年と再び反収全国一に。 70年代以後の政府の休耕転作奨励により〈うまい米〉づくりに転換。反収は減少,また一部ではれんこんなどへの転作も。 https://suido-ishizue.jp/nihon/11/06.html 江戸期を通じて、佐賀平野に目立った百姓一揆の記録はない。 旱魃[かんばつ]と水害が繰り返される地域で一揆が起こらなかったというのも珍しい ウンカの被害も大きかった 享保の飢饉[ききん](1732)では、人口のほぼ二割に相当する8万人が餓死。 しかし、「暴動もなく、一団は整然と長崎や大阪の奉行所へ訴えた」 成富兵庫茂安の業績で最大は「水をめぐる社会秩序の形成」。 増収、減反、旨み実績 佐賀段階&新佐賀段階210816
2021年08月16日
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評判よろしからず「なみせん 波銭 浪銭」210830辞書に申す。「〘名〙 江戸時代発行の銭貨で裏面に波紋のある寛永通宝四文銭(真鍮・鉄)および文久永宝銭(銅)のこと」「寛永の波銭は明和五年(一七六八)に二十一波紋のものが作られ、翌年から十一波紋に変えられた」。「二十一波のものは十一波のものよりやや少なく、世人から珍重された」「鉄の四文銭は万延元年(一八六〇)から、文久銭は文久三年(一八六三)から発行」「同じ銅の四文通用のものであるがやや小型になっている」。「波真鍮」とも、と。落首に申す。「ちかき頃 青海波といふあく鳥出る、もとは田の沼より出る、亀井戸辺より多く生ず。町中飛びあるき、民家へゆけば早々おひ出す。毛黄にして、うしろに青海波をおふ、なくこゑ四文四文」(32p 「落書」 西山松之助+竹内誠編『江戸三百年(二)江戸ッ子の生態』講談社 1980年)両高銭安「金一両=銭四貫の定めがあったが、明和年間(1764~72年)の末には一両が五貫文台になり、慶応末にはさらに十貫文にまで下落」(前掲書 31p)。 小学生のころか、「寛永通宝」と記憶する銭貨を見た記憶。たしかに裏面に「波」の彫刻があった。その波の数が二種あるとは。どちらか、家人にとっても思い入れることがあったとは、思えない。貨幣価値の低下を物語る。
2021年08月12日
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* { margin: 0; font-size: 13px; font-family: 'MS Pゴシック', sans-serif;}a { color: #0064c8; text-decoration: none;}a:hover { color: #0057af; text-decoration: underline;}a:active { color: #004c98;} 次世代継承 立山の山小屋で210827。 親が子を同伴して登山。 苦しい修羅場には細心の留意。その真剣な取り組みが、子に重要なメッセージ。 さらに重要は「愉しいそうに、山に挑む」。自ずと「(子は)将来は、一人で自分も登ってみよう」。 nhk「新日本風土記」 「地獄・極楽 立山」の番組から。 みくりが池。「地獄の位置づけ」と。 「標高2,405mに位置する立山火山の火山湖で室堂を代表する風景」 「6月まではすっぽりと雪で覆われていますが、7月から10月はその美しい紺碧の水面に立山の姿を映し、それを見に来る観光客は絶えません」。そう紹介。 「室堂(むろどう)」がおなじみ、見学の拠点。2003年9月、この地に足を記し、みくりが池の水面を眺めて息を呑んだことも。
2021年08月11日
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「『戦争』を知る世代がひとりもいなくなる日」 報道1930 210813一次的継承 「自ら体験を語る」二次的継承 「体験を聞き取り語り継ぐ」三次的継承 「体験を自身と切り離して『歴史化』する」。半藤一利、なかにし・れい、保坂康孝、立花隆の「戦時・戦中」への向き合い方。「歴史化」するの意味について、保坂は。「客観化」すること。「体験は部分的に語られている」「そこのところを一歩すすめて、体験を普遍化する」「なぜなら戦時・戦中を語っている部分の多くが、昭和19年11月以降のことだから」 一方で「体験から歴史へ」には。 「『教訓の継承』という点がある」と。戦後、豊富に創設された戦時資料館や空襲記念館が閉鎖と資料散失の危機にある。その要因を本邦では、記憶を残していく文化に欠け、努力をするよりも不都合を忘れさせる働きかけがあるのでは。https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/8519「俺、書こうかな」。祖父・半藤一利から孫娘の編集者に託された一枚の企画書「戦争」を知る世代が ひとりもいなくなる日 半藤・なかにし・立花 最後に託した“遺言”「戦争体験を客体化せよ」 “三次的”継承とは散逸する戦争資料 中国の影ゲスト保阪正康(ノンフィクション作家)北村淳子(PHP研究所 編集者)
2021年08月10日
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「そこへ、家屋が倒壊」 450714釧路空襲。 7日土曜日の朝、ドラマ『あぐり』の冒頭は「庭に防空壕をつくる場面」。 それをみていて思い出した。 「釧路空襲で自分は、指示通り庭の防空壕に逃げ込んだ」「待避中に家が焼け落ちてきて、私は壕の中で『蒸し焼き』状態に」。 1973年の聴き取り時点。表情には往時の火傷痕が、実になまなましく残っていた女性。 都市の平地で、空襲対策のため防空壕を用意せよとは『戦時画報』というニュース誌で、1947年ころ特集されていたと、記憶。 民家では、指示にそってその作業をすすめた。 ドラマの場面は寡婦となったヒロインを助けて、亡夫の友人が壕を掘るシナリオ。 米軍の本土空襲。本邦では備えて3点の訓練が、実施されていたはず。 1)家屋焼失に備えた消火、2)上陸に備えて竹やり、3)防空壕避難。 以上3つの訓練。 「語り部の女性」は、3)防空壕避難の指示通り行動するも、予期しなかったのは自分の家が倒れて、逃げ場を失いの事態。 数年前。隣国から太平洋上に発射されたミサイルが、襟裳岬を通過したことがあった。 政府は「国難、この危機を救えるのはわが党」。総選挙に打って出て、勝利した。 ミサイル発射の報に、「国民は十分に注意を」。そう声高に叫んでしたが。実は、そう申しただけではなかったか。 叫びを聞きつつ、昭和20年7月14日の釧路空襲で、被災した女性の談話を思いかえしていた。 「どう、注意すればよいのか」。政権は外交交渉で、「発射抑止」を具体化することが使命では。 その隣国との外交。 総選挙の前も、後も。相手国との交渉すらアメリカ合衆国頼みではないか。
2021年08月08日
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8月8日になりました。この16日で日本製紙釧路工場は機械をとめるそうですよ。 新聞購読部数の低迷. 催事中止でリーフやプログラム、パンフレットの印刷受注減.これを「需要蒸発」というのだそうですよ。 広告宣伝のリーフ。 それももせいぜいA3判で。A2判は激減です。A0判の広告など、みかけなくなりました。 そうそう某電器器具量販店が、厚生労働省の役人にはたらきかけましてね。 障がい者むけ郵便物として格安で郵便局に持ち込み、大量に送り付けていたことがありました、ですよ。 それが摘発されて。 ほら女性の局長が地検に逮捕され、裁判で電子データを検事が捏造していた事件があったではないですかー。 その点、王子製紙さんの段ボール原紙製造は好調です。 コロナ下で宅配分が増え、個人宅からの荷物託送にダンボール箱がつかわれているようですよ。 一時期は不振をきわめたことがありますが。さて、暑さのおさまらぬ夕刻。残暑のきつさに思い馳せつつ。お見舞い申しあげます。
2021年08月08日
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「時間と手間・暇をかけ」 多彩な器 茨城・笠間焼210808nhkBS3. 「笠間には『土』がある」。 若い男性の陶芸家は、四角の器、その四面に横線を引き、斜めに土を削り取って、意匠をほどこす。 横線の下。それぞれの面の基部には押し穴をほどこして、体裁を整える。 乾燥したところで、硫黄の溶融水をくぐらせて、各面に濃く吸いこむ領域と淡くのらせる工夫を織り込んでいる。 こうして焼きあげてみると、色合いの風味が加わった出来上がりに。 どのような用途の作品か。 番組をながめていると、それは「植木鉢」であった。 ネットに登場の類似製品。 その価格を調べていると、たとえば、「単価 2800円」の設定価格。 合成樹脂の植木鉢。量販店で300~400円の品があふれる、身のまわり。 汗する、職人を育てることのできる地域あらば、それを「贅沢」と言いくるめる観点もありそう。 (写真は拝借、画像と本文はなんの関係もありません) 桂文珍の枕。 「コロナで握手の仕方がかわりましたナー」「グータッチや肘をふれあって、代替」。 「『青天を衝け』をみおりましたら、か。パリで澁澤が握手を求められ、『なんと慣れ慣れしいっ』」 「そこへ行くと日本古来のあいさつは」「距離を置いて、相手の目をみつめあい、ニッコリ笑って済ませるポーズ」。 「なんとも、コロナの始まる前から、コロナが来ても大丈夫」「そういうことで、ありますなー」。「おあとがよろしいようで!!}。|
2021年08月07日
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デバイスに問題が発生。「再起動します」210805 15:50 3rd.今回は再起動するに至りませんでした。NEC LAVIE EXCEPTIONの記載。 WORD使用後の終了時に動作が働いた。強制終了してのち15分置き、再起動してみるも。 調べてみると、「リカバリー」が必要なようで。 まずはソフトやデータが維持できる程度の初期設定をしてみたが。 ところが210807 10時30分 4thが発生。 こんどは自動的に再起動して「なにごとも、なかったような状態」に。 さて、次は。こんどは全データを消す初期化をしみなければなるまいに。
2021年08月06日
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東京五輪も残り2日。土曜日の朝、この記載をアップすることに。 前回の東京五輪1964年。 「五輪開催の翌年度に戦後初の赤字国債を発行」 「以降、社会保障費の増加や繰り返される景気対策などの影響で、債務残高は主要国で最も高い水準」。 つまり借金王国への方向転換であった。 前回の東京五輪1964年。 「東洋の魔女、その感動は・・・・・」。 国の総理大臣。求められないのに発言して、求められた答えに答弁をしないで、済ませていたが。 入場料収入の落ち込み900億円。桁は「億円」ですぞ。 家計簿とちがって。この補填、どのように埋めますかー。 丼勘定で税金を投入した巨額な支払い、入ってくるスポンサー料は限定、不足はもちろん税金でしょうよ。 中止主唱は「反日勢力」。そう言いたげな元首相。 国民は思う。「中止」に力点をおかずに、「できる条件をどこまで整備しました?」。 「患者は減らずに、急激に増加しているではないですかー」。 スポーツ。 「考えることをさせない」「熱中させて、冷静な判断を奪う」。「考えない、若がモノが増えてくれる」。 「金メダル戦略のコスト、感染症基礎研究の経費をうばった」とまでは申さぬも。選手強化費、ためにシワ寄せの部分も。
2021年08月05日
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「小さな声を聴く」 「どんな生き物も声を出している。それぞれが体の中にちっちゃい声を抱えていて、ひたすら命をつくり続けている」。 2020年5月、記者は広島市在住の詩人アーサー・ビナードさんと平和公園を歩いた。このときビナードさんが言葉が忘れられない、と。。 「原爆の絵」 広島市民が体験を基に描いた「原爆の絵」には動物たちも出てくる。 男性と馬が橋で息絶えている一枚。作者によれば男性は愛馬の苦痛を和らげようと一切のバグを外した後、倒れたという。(210804 「小さな声を聴く」 『ほか軌道新聞』夕刊1面「今日の話題」欄)。 「どんな生き物も声を出している」 広島で「小さな声を聴く」210803 『北海道新聞』夕刊 広島市原爆資料館のデータベースで、紹介の絵画を見ることができる。 15歳の少年が描いた、一枚。同館の解説によると、 「橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人」が絵の内容。 「平成14年度収集」ということで、紹介は著作権使用申請をしないと不可能。 そこで、「今日の一点」は題材の舞台に焦点。 「横川橋」。 天満川が旧大田川に合流する地点に架橋された橋。広島市西区に所在と。橋は旧「出雲石見街道」に架る。
2021年08月03日
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「長い時間の投資」「オンリーワンの機能」「日本三大名都」 幣舞橋界わい210828。 釧路川に架橋された幣舞橋。現在の橋は五台目にあたる。1890年に架橋されて久しい。 1)130年をかけて構築された機能。経済・文化・観光の機能が圧倒的に集中する空間。 2)阿寒の麗峯、釧路湿原、蛇行しながら中心街に流入する釧路川に、架橋の名橋・幣舞橋。 橋がむすぶ大通の配置。銀行建築家の手になる中央銀行支店のたたずまい。それらを丘陵から眼下に見下ろすことができる。 3)今や「日本三大名都論の構成要素」にして、「北海道東部の金融・経済・文化・観光の中枢」。 如何にして景観は構築された、か。 4)愛北橋 「地域間結節の大動脈」にして「産業支援地&民生供給地の経済を結合」。 5)昭和7年「釧路市市街図」 幣舞橋界わいに経済機能が集積、北海道東部の金融中枢。 6)日本銀行旧釧路支店の誘致 「日本三大名都論」の構成要素。 「記憶文化財」の概念=「中央銀行支店誘致の戦略と方策」「北海道三大名橋」「世界三大夕日~幣舞橋の夕映え~」。 210828 13時30分~ 釧路短期大学附属図書館講座。
2021年08月03日
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「味噌醸造」「鵜飼い&宴」「小鹿田 おんた 焼き」「豊後の祇園祭」 「滔々たる水郷’すいきょう)」210730nhkBS3 豊後国大分。その日田領は代官所のあった要衝・ 湧水が多く、江戸時代から木材と米の集荷地で繁栄。豊富な水量を、私財を投じて水路を育ててきた。 住民はあえて「水郷 すいきょう」と呼ぶのだそうで。 最初は「味噌醸造の老舗」。 天保14年の創業。蔵で製造、表の店舗で小売り販売。 「米・麦・麹」。「それだけですが、名水を得て独特な旨みが加わる」と。 創業以来の種麹をそそぎ、「水が生命です」と感嘆。(番組案内)選 「滔々(とうとう)たる水郷(すいきょう)〜大分県 日田市〜」大分県日田市は、山々から幾筋もの川が注ぐ水の恵み豊かな町。古くから伏流水を生かし、みそ作りや鵜飼い、陶器が受け継がれてきました。伝統を大切に生きる人々の物語。味噌醸造
2021年08月02日
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「長い時間の投資」「オンリーワンの機能」「日本三大名都」 幣舞橋界わい210828。 釧路川に架橋された幣舞橋。現在の橋は五台目にあたる。1890年に架橋されて久しい。 1)130年をかけて構築された機能。経済・文化・観光の機能が圧倒的に集中する空間。 2)阿寒の麗峯、釧路湿原、蛇行しながら中心街に流入する釧路川に、架橋の名橋・幣舞橋。 橋がむすぶ大通の配置。銀行建築家の手になる中央銀行支店のたたずまい。それらを丘陵から眼下に見下ろすことができる。 3)今や「日本三大名都論の構成要素」にして、「北海道東部の金融・経済・文化・観光の中枢」。 如何にして景観は構築された、か。 4)愛北橋 「地域間結節の大動脈」にして「産業支援地&民生供給地の経済を結合」。 5)昭和7年「釧路市市街図」 幣舞橋界わいに経済機能が集積、北海道東部の金融中枢。 6)日本銀行旧釧路支店の誘致 「日本三大名都論」の構成要素。 「記憶文化財」の概念=「中央銀行支店誘致の戦略と方策」「北海道三大名橋」「世界三大夕日~幣舞橋の夕映え~」。210828 13時30分~ 釧路短期大学附属図書館講座。
2021年08月01日
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