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命みじかい輝きを 睦月19日雪二題260206 日めくり暦で旧暦睦月19日朝。窓の外はわずかな新雪。梢に見事、「天華(てんげ/てんけ)=仏教では雪を花と捉え、天上界に咲く美しい花という意の意」現象が(写真)。 いずれヒマな日々。日の出直後に掲載の写真を撮影。 しばし見つめて、緑茶を一服。京都東山・銀閣の風情を一念、落雁をそえて、もう一服。 古詞に申すでは・・・・・・。 「春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山やまぎは、すこし明あかりて」 「夏は、夜よる。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多おほく飛とびちがひたる」 「秋は、夕暮。夕日ひのさして、山の端と近ちかうなりたるに」 「冬は、つとめて。雪の降りたるは、言べきにもあらず。霜のいと白も」。 しばしば「つとめて」が話題に。 「つとめて」は漢字で「夙めて」と書き、「朝早くに」、と。 時日、太陽が輝きはじめ、天華・天花はたちまち、無辺。 平安貴族の「束の間の繁栄」とも見え、「輝くモノ、久からず」とも。読み過ぎであろうか。
2026年01月31日
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奥蝦夷地=メナシ千島アイヌ生活圏中心 ぶぶる20th260201「おまけ」で、もう一題。26年2月1日開催 ぶぶる 釧路を歩く20thで展開「アイヌ人と日本人(座学)」のテーマに、事寄せて。 中華思想には、中心・近隣・周辺・異域の区分がある。この区分に従って北海道島・国後・択捉の地域区分を提案する、と。 奥蝦夷地は襟裳岬に近い「ビタタヌンケ」以東を示す。この点を記載したのは松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』。 えいも町と広尾町の境から、国後・択捉までを指す。 途中、旧大楽毛川(現 阿寒川河口)‐阿寒川―網走川をむすぶエリアが、「奥蝦夷地=メナシ千島アイヌ生活圏中心地」となるのだ。 奥蝦夷地のうちでも、旧大楽毛川(現 阿寒川河口)‐阿寒川―網走川以西は「奥蝦夷地=メナシ千島アイヌ生活圏近隣」 口蝦夷地とされる現八雲町~えりも町は「口蝦夷地」で、こちらは「奥蝦夷地=メナシ千島アイヌ生活圏近隣」。 渡島半島の現八雲町から津軽海峡を経て熊石町に至る旧松前大名家経営エリアは、「松前家支配地=メナシ千島アイヌ生活圏異域」に。 以上は、つぎの史料3点から解釈した考え方。 1643年 「一六四三年アイヌ社会探訪記 −フリース船隊航海記録−」 北構保男 雄山閣出版 昭和58.8.20 1731年成立 「津軽一統志』(弘前市立図書館) 1781年‐1790年 「蝦夷地一件』(内閣文庫)。 中華思想について「中国はなぜ自らを「中華」、周辺を「外夷」と呼んだのか」。 背景に「漢字の意味体系や儒教の価値観」、「数千年続く中国独自の世界観」と。 https://news.yahoo.co.jp/articles/fb20e6ec396dd1a646c6bce43f9cd7ba4d2d3818
2026年01月30日
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小野有五 沖縄 日本 北海道 年表=「新しいアイヌ学」(藤原書店 2022年) ぶぶる21th260201 「アイヌと日本人について(座学)」と題して開催の、「学ぶ・遊ぶ・褒める 釧路を歩く20th」での配布資料。 そのP10に、「中国・朝鮮半島・日本史略年表」が紹介されていた。 久慈力著『蝦夷・アテルイの戦い 大和朝廷を震撼させた 遙かなる縄文の風景2』(批評社 2002年)の引用ではないか。 話題の柱の一つ、「アイヌ民族の起源説紹介」を説明する内容。この略年表を見たとき、そうだ小野有五氏の試みに「琉球・日本・北海道」の年表があった、はず。 帰宅して「小野有五 沖縄 日本 北海道 年表」のキーワードで検索に取り組んだ。 すると、小野氏の著書は『 国立民族学博物館編集・発行『月刊 みんぱく 2022年2月号』2-9pにも、佐々木高明氏の「日本列島における新しい年表–日本列島の文化の多様性」が掲載されている、と知る。 結論を急ぐ。 佐々木氏はあきらかに、アイヌ民族の起源=縄文人説に依拠しているように読める。 沖縄から北海道まで広く、長く縄文文化の時代があった。そこに徹と水田をともなう文赤が伝わり、弥生人に。 鎌倉時代には非稲作地帯の縄文人が<擦り紋の土器を用いる擦文人>に転じた。 次の時代には稲作を受け入れてはいないが、鉄器を取り入れて土器を手放す<アイヌ文化>に。 土器を手放し鉄器が軸に。その時期は配布の年表で「鎌倉」と「南北朝」の移行期。 東北から北海道の大部分を占める民族文化を「蝦夷=エミシ」「蕃=エビス」「狄=テキ」「蝦夷=エゾ」と、多様に呼称される分岐点の時期となるようだ。 因みに席上、釧路市立博物館の先史時代展示。 そこでは、今から5000ー6000年前に標高18メートル地点に見られる縄文前期=東釧路貝塚を指し、縄文人はアイヌ民族の祖先と考える。 そのように整理させてもらった、ところであるも。
2026年01月29日
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文字もたぬ時代に視線が海へ、あいまい混沌の「クニの形 地域像」 ぶぶる21th260201 志賀島で発見、「漢委奴國王印」。そのレプリカ展示品を観たのは1991年、福岡市博物館でのことであった。 そのレプリカ金印を含めて、「文字もたぬ時代、あいまい混沌の<クニの形 地域像>」を議論してみることになった。 機会は2026年2月1日、「学ぶ・遊ぶ・褒める 釧路を歩く20th」でのことなのであるが。 小林よしのり著『ゴーマニズム宣言』のワンカットでの紹介は、なにを物語るのか。 参加者が集まったてーまが「アイヌ人と日本人(座学)」で、配布のペーパーには掲載図と難解な用語がいっぱい。 「北狄 東夷 南蛮 西戎」「漢委奴國王印」「中華思想=華夷秩序」「冊封体制」「易姓革命」「朝貢外交」。 まず「北狄 東夷 南蛮 西戎」=北狄(ほくてき); 東夷(とうい)、 西戎(せいじゅう); 南蛮(なんばん)で、《漢民族が呼んでいた東西南北の周辺異民族の蔑称. 》。 「漢委奴國王印」=「かんのわのなのこくおう」と読むこと。金印は「中国の歴史書『後漢書』東夷伝を根拠に、皇帝光武が西暦57年(弥生時代後期)に「倭奴国王」に贈ったものであると考え、これが現在も金印を理解する定説」(福岡市博物館)。 「中華思想=華夷秩序」or 「中華蛮夷思想」= 「漢民族は自国を世界の中心に」「周辺の異民族に優越すると考えていた」。「冊封体制」= 「さくほうたいせい」と読み、そのような言辞はなかったが、西嶋定生氏は「国内の王・侯に対する爵位授与を意味するものであるが、その形式が周辺諸国に対する中国王朝の統属形式に用いられた」とする。「冊」は皇帝の勅書のこと。 「易姓革命」=昔の中国、朝鮮半島で「王朝が交代することを正当化する理論」 「朝貢外交」=「皇帝に周辺諸国(朝貢国)が貢物を献上し、皇帝側は恩恵として返礼品をもたせて帰国させで外交秩序を築く」。 頭が痛くなりそう。 世界史で「B.C=before Christ」(英語)」から「A.D=Anno Domini(ラテン語)」と転ずる年代。 当時、文字をもたぬ日本で、各地に地方勢力があるものの、その、動静を記録することのない、あいまい&混沌の世がつづく。 つまり「クニの形」「地方の動向」が記録されないなかで、視線が海に向けられた。 陸に閉じ込められるのではなく、この先に、なにかが。 政治権力の正当性を国内比較から、隣邦の担保で主張。 「権力の正当性を国内比較から、隣邦の担保で」の記号としての印。 いち早く文字を駆使して『古事記』『日本書紀』を記した政権は、その正当性を記録に残した。 政権につながらなかった族は、あいまい&混沌の「クニの形」「地方の動静」のなかに帰依ている。
2026年01月28日
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「暗記不要、暗記事項はどこかに記載」=高校&大学の歴史授業、その差異 ぶぶる21th260201「アイヌと日本人について(座学)」の題材で、担当者のお方から発表が60分。 内容は大きくわけて、二点に大別。 1)に「アイヌ民族の起源説紹介」、2)に「日本人の起源と日本文化の地域性&多様性」の紹介となりました。 発表を承けて、特に1)の要約が行われたのち、参加された一同のフリートーキングに。 冒頭、司会の方から表明があった点。 それは、「ちょっとサー、朝早い時間帯だけど、高校生むけの歴史講座が、とてもわかりやすい」。 この発言があったところで、次の整理が展開された。教育テレビの番組で水曜、木曜、金曜日の午前5時50分~同6時10分までの20分間。 水曜日=「世界史探求」、木曜日=「日本史」、金曜日=「歴史総合」のことかと。 毎週水曜日の午前10時台は、20分宛、それぞれの講座の定番放送となっているよで。 話題となった「高校生むけの歴史講座が、とてもわかりやすい」には、筆者も同館であった。 戦後歴史学の第一期というか、1,960年を前後する内容とはまったく違う説明が展開されている。 世界史で「四大文明」は重視されず、「大航海時代」については「大西洋の英仏と新大陸、英仏蘭とアジア&アフリカ、日本&中国と印度=三角貿易} また歴史総合では、世界大恐慌後のUSA=ニューディール政策の協調を超えて、英仏のブロック経済圏+日独の国内軍備増強など。 1960年前後はまだ、未解明の領域が今日、教材化されている印象で、現在の方がむしろ新鮮。確かに判りやすく、時代画期に至る道筋が説明つくされている、との思い。 身近なところでも「高校時代、日本史の試験では赤点ながら、通信教育のレポートでは優をもらった」との話題も。 普通高校の歴史授業は受験対応で網羅的になりすぎ、どうしても史実の暗記に傾斜することが多かった、ものか。 ただ学部で歴史教育を受け始めたとき、担当の日本史教員は厳かに申した。「暗記することは、まったく不要」「暗記するようなことは必ず、どこかに調べられて、書いてある」。
2026年01月27日
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信任で良いのか、統計操作で高い支持”演出を真似る政治家、許してよい?260201外は厳寒。新暦2月の朔日。古お読みの上の節分・立春を前に、日めくり暦を一枚、めくると。 「旧暦 12月14日」と。この日掲載の格言欄には「学問に近道なし」。ハイハイ。 転じてネットの掲載タイトル。31日20時45分発で、以下の題名。 「“働いても働いても”…抜け出せない過酷な貧困 非正規雇用890万人 30年で広がった格差社会 政治の責任は?【報道特集】 1/31(土) 20:45配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f6836605d4591b2e93d43ee3c27c0f0763e6f9c5?page=1 掲載写真の文面冒頭には、次の記載。そして昨日市内配布紙には「実績を比べて選んで 候補は走る‐下‐」。 「働いても働いても、貧困から抜け出すことができない非正規雇用の人たちが増え、格差が広がっている」。 「政治は、貧困と格差の解消に正面から向き合ってきたのか。その過酷な実態を取材」と。 立候補者の、本音。それを聴かせてもらって、投票所に行きたいもの。
2026年01月26日
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標高の1357=『ひとみな幸福』『ひとみな合格』と読む物語 日本最高地点神社が21 世に開創260130女性セブンプラス 『鉄道最高地点神社』(長野県南佐久郡)=ご神体は「標柱や車輪が設置」なのだ。 JR小梅線。山梨県北杜市かと長野県小諸市を結ぶ路線(掲載 地理院図)で、図中「+」地点は標高1360メートル地点。 ご神体はそれよりも高い標高1375メートル地点に置かれた。周囲には木製の標柱、石碑も並ぶ、と。 神社の特徴は、鉄道にまつわるものをそのまま活かしている点。 「ご神体は小海線のレールで、鳥居は枕木を活用して作られました。かつて実際に使われたSLの車輪が寄贈されていて、境内に納められています」 加えて、「1375が『ひとみな幸福』や『ひとみな合格』と読める。そこを転じて「幸運を願う人や受験生も足を運んでくれるようになり」。『第一志望に合格しました』『鉄道関係の会社に就職できました』と書かれた絵馬。当事者は「それを見つけたときは嬉しかったです」とも。事前の祈願が大切かも知れないが、結果を報告。その働きに謝する点に着目しておきたい。昇進・昇任・栄転のたびに、繰り返してくれことも、期待しよう。<物語創設の力量>。換言するに水俣市民が到達。「調べる力と考える力が不足すると・・・・・」。 その帰着点は「創造する力の衰退」であった。傾聴しておきたい。
2026年01月25日
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鳥居良四郎名誉教授と釧路短期大学260125-1-by 佐藤宥紹●鳥居良四郎先生は1984年4月から19年間、釧路短大で。 鳥居先生は第一に釧路短期大学を地域文化の拠点に育てました。 先生は市立釧路図書館長職を定年一年前に辞し、釧路短期大学生活科学科助教授に。併せて附属図書館長に発令を承け、翌年教授に。 教養教育で文学。専門教育で文書実務・組織を中心にした秘書養成コースの講義を担当します。●先生は本道図書館界の重鎮、標茶町立図書館長に。 日本の公共図書館界で鳥居先生は、昭和38年刊行の『中小都市における公共図書館の運営』(日本図書館協会刊、世に『中小レポート』と)で、全国から36人選ばれた現地調査員の一人です。 標茶町立図書館の初代館長は同町出身の阿部吾郎北海道教育委員会教育長が務めたのち、先生が就任します。 昭和63年4月、釧路短大は生涯教育センターを設け、先生は初代センター長に推されます。退任までセンター長を務め、図書館長職を荒田悦郎助教授に委ね、短大の教育資源や研究業績の地域開放に専念します。●その生涯教育センター年報に「標茶町との提携を中心とした」とありますが。 生涯教育センターには3本の柱が。一に第1講座から第13講座まで、学内教員の総動員を目指しました。講座は90分一コマの講義を3回ずつ開設。内容も暮らしと衣食住、パソコン、地域史、レクレーション、自然・野外観察など。幅広いニーズに研究職が応じ学内教員を世に送りました。 二に各講座は担当者に、まずTextを執筆させ配布します。NHKETV市民大学、のちの放送大学の講義形態を導入したユニークな取り組みです。 三番目の柱が「標茶町との提携を中心とした」講座開設です。高等教育機関少なく社会教育専門職が少数の標茶町で、町民の学習支援に取り組みました。 自身は『万葉集』講義を開設、受講者を奈良県などまで引率。短大教育を地域文化の拠点に引き上げ、町民にも町当局にも幅広い信頼と支持を獲得します。
2026年01月24日
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鳥居良四郎名誉教授と釧路短期大学260125-2-●地方公共団体の一自治体=標茶町との提携は、全国的にも高い注目を集めます。文芸評論家の先生は短期高等教育機関で教育者・研究者に転じ、精力的に動きました。 標茶町との提携を中心とした生涯教育事業の展開は、私学振興・共済事業団から高く評価され、短期大学の経常経費補助額にも一定額が算定されたほどです。 鳥居先生、釧路短大での功績の第二は学生の潜在能力を引き出した点が高く評価されます。先生は教育・研究で「学生をその気にさせる、学生から引き出す」点に秀でておられました。 平成7年=1995年、先生は釧路短大の生活科学科生活科学専攻に、道東初の図書館司書養成課程を開設します。国家資格取得のため図書館実習を必修単位に、また「図書館経営論」講義は、最後まで他者に譲りませんでした。 「学生の主題専門性」の力量不足を気にされ、卒業論文を書かせます。そこに往時、原田康子さんや桜木紫乃さんに接した姿が重なります。●今、説明の主題専門性は「特定の領域ごとに深い知識、見識、経験を有する」こと。 鳥居先生は実に巧みに著作の深化・豊富化に誘導します。 私も短大生涯教育センター講座用Textで『釧路川文化論』を任せられます。「釧路川の歴史を書いた本は一杯あるの」「私が頼むのは、釧路川の『文化論』だからネ、これはネ―、キミなら書ける」。書く人をその気にさせる、<相手を乗せる>に巧みです。 学生を励まし、まがりなりにも「作業仮説」。すなわち「自身が生涯かけて学びつづけるため必要な調査指針」を形にする。この営為を賢明に学生たちに奨励されました。ゼミ生の数も文学の卒論も多い、大人気です。
2026年01月23日
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鳥居良四郎名誉教授と釧路短期大学260125-3- 「260125 鳥居省三生誕百年記念講演&座談会 H.Sato」●鳥居先生は昭和63年に『釧路空襲』の編集者代表を務められます。 釧路短大と鳥居先生。第三は戦塵に散り戦火に斃れた人の分までと、次世代育成に務めました。 実は鳥居先生=大正14年生まれ、同15年の布施正氏=地域史研究、菅原弌也師=本行寺住職。分野違うも深い交流がありました。そこに私の学部の指導教官=昭和2年を含め、共通して語る点は「私は生きていた、多くの犠牲者のためにも」の強い使命感です。故に『鳥居省三書誌』には、先生の1500点を超える著作が集められています。 若い編集者の指摘に、私には鳥居先生のお働きが浮かんできました。一に鳥居先生の戦友への思いから情報を引出した力量、二に原田さんや桜木さんを輩出した風土=風の情報力と、土のぬくもり。この二つが背景にあると、今も考えています。市民の総力を引揚げたのです。●釧路短期大学は「名誉教授」号を贈ります。 鳥居良四郎先生にとっての釧路短期大学。 評論家から教育者・研究者に転じ、半生を通じ蓄積した市民との信頼関係をバックに短期高等教育の発展に尽くされました。 標茶町民からも学生からも、そして釧路市民からも尊くも、深く親しまれました存在です。 ここに3点に絞るも釧路短期大学で、教育と研究に精力的に取り組まれたご貢献に対し、退職時に「名誉教授」号を贈り、釧路短期大学は敬意を申しあげた。そう受け止めています。
2026年01月22日
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睡眠&排泄の空閑 半年航海の買い積船、弁財型和船の航海事情260127 加賀の温泉郷は北前船主が育てた、と。その代表は山中・山代・片山津温泉か。 山中温泉に伝承の山中節。由来について「北前船の船頭衆が松前追分を湯の中で唄い、それを浴衣娘(ゆかたべ)たちが山中なまりで真似たのが始まりとされて」いる、と。 北前船は大坂を出湊。瀬戸内‐関門―日本海を航行し、北海道の松前・箱館から、母港の加賀に戻る。 その間、乗組員の朝昼晩。湊についても、大型船ゆえに沖合にとどまり、上陸は限られる。どのように寝て、かつ排泄をするのか。 研究はあるようだ。「弁財 厠 雪隠」の語で、日本下水文化研究会の会員記載がヒット。 「船の絵図面において(幕末から明治の中期頃までの日本の船や外国船には)便所・風呂(シャワー)の位置がほとんど明示されていない」。 そこから推測。「船は限定されたスペースにできるだけ多くの必要な物質(食料・水・燃料)と人員を積載する必要」から,と。 ある意味当然。それ故にどうなっていたのか、思案。その答えは目下。 「便所や風呂(シャワー)は無駄なスペースと考えられたのではないか」。 3尺幅、21枚の布帆に風うけて走る弁財型和船は、それでも乗り組員を減らしていた。 移動するに漕ぎ手の頭数が少なくてよかった。それでも21反布の弁財型和船は10-15人が乗る。 シモの始末は必至。「お供の人々の便所については示されていない」。 「これらの船から出るし尿は,水面に直接廃棄することが合理的であると,考えたのでは」、「船との関わりを持つ人々は,いまでもこの考え方は変わっていない」。 「風呂(シャワー)については,海上では真水は大変貴重なもので,風呂は,<甲板に海水をくみ上げ使用した>と推測して見た。 文献のみあたらないところにも歴史は存在。 一艘で億円単位の利益があがった北前船。商品が第一。人間はその次、とは言わないまでも。 半年の航海。終わって湯に浸るは、「半年の汚れ」を落とすのかも。
2026年01月21日
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「巨樹 鳥居 祠 支柱」で樹齢1200年 にっぽん巨樹の旅ミニ (4)260124NHKBS4K「巨樹 鳥居 祠 支柱」で樹齢1200年。 番組案内「にっぽん巨樹の旅ミニ (4)「神様の木に会う 志々島の大クス」(5分)」には、次の記載。 「瀬戸内海の小さな島に立つ樹齢1200年、志々島の大クス。近年大人気!」。 番組では、枝がくびれわずかなツナガリで生き延びている「志々島の大クス」。 鳥居のみならず祠が設けられ、樹木医が定期的に健康診断。そのうえで、治療の手をくわえているらしい。 鳥居と祠の存在は、オオクスの巨樹を「ご神体」と解する不文律があり、神を悲しませ、怒らせ、あわせて人間のオゴリ&思いあがりに警鐘を添えている。 塩飽諸島の一島嶼(とうしょ)たる「志々島 ししじま」。 「未来のシマ 共創会議2025年」基礎資料によると、「面積 0.74 ㎢」「周囲 3.8 」「標高 109 m」「住民基本台帳」人口 21人(令和5年6月)。 「江戸時代後期から漁業の島として栄え、戦後は除虫菊や唐辛子などの栽培」とある。 案ずるに江戸時代後期、渡島した漁業者が、漁場を護り続けるために林相の景観+山崩れの治山+洪水防止の治水。 その象徴としてオオクスを《伐らず、傷めず、損なわず、の象徴》として崇めることになった、のかと。 自然保護思想。その起源を調べている。 産業革命、また普仏戦争を経て、荒廃した英仏独を軸に《失敗の軌跡>を教科書&教訓に、産まれた自然再生の理念かも。 最近の市内配布紙。記者コラム「余塵 よじん」欄に、「治療にまさる予防」とあった、が。
2026年01月20日
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1)地域文化の拠点に育てた。 ・スタッフを総動員、地方公共団体と提携、事前に印刷教材配布で営む市民講座を実施。 2)若者の潜在能力を引き出し、主題専門性に強い図書館司書をめざした。 ・自身も気がつかない自身の可能性を引き出し、原田・桜木に接した姿を若者にも。 3)自身に投資、戦没者の分まで、次世代を育てねば。 ・投資で自身を変え、「選んでもらえる人になる」をめざしつつ、次世代の育成に生涯を。
2026年01月18日
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評論家の生誕百周年、短期高等教育機関での20年を5分で260125 1)地域文化の拠点に育てた。 ・スタッフを総動員、地方公共団体と提携、事前に印刷教材配布で営む市民講座を実施。 2)若者の潜在能力を引き出し、主題専門性に強い図書館司書をめざした。 ・自身も気がつかない自身の可能性を引き出し、原田・桜木に接した姿を若者にも。 3)自身に投資、戦没者の分まで、次世代を育てねば。 ・投資で自身を変え、「選んでもらえる人になる」をめざしつつ、次世代の育成に生涯を。
2026年01月18日
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「本をどう読むか」の答えは「人生は『自らが経営者』 丹羽宇一郎さん死去の報に260109 思い起こすは『文藝春秋』2007年4月号に掲載の座談会記事。 題名は「経営者よ、朝四時に目を覚ませ」。 「スポーツ新聞や週刊誌しか読まない人間を経営者にしてはいけない」と断言。 「私はサラリーマン、本を読まなくても、スポーツ新聞や週刊誌を読んでいれば」。 そこに対する答えは二つ。一に、「自分のなかに拠り所となる太い幹を作ろう」。 その二に、「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者」の結論。 これまでに氏の生家は書店であった、と承知。訃報の記事に接し、下記の記載が念頭に。 第3話の紹介です。「本をどう読むか」の答えは「人生は『自らが経営者』」とする丹羽宇一郎氏の弁。 2007年、「(座談会)経営者よ、朝四時に目を覚ませ」を読みました。伊藤忠商事 会長の発言。「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」との結論です。 「本を読むということは、経営者にとってきわめて重要なことだと思いますよ」。 「もっと言えば、スポーツ新聞や週刊誌しか読まない人間を経営者にしてはいけな い」。そこまで、申しています。なぜでしょう。 「経営はきわめて論理的なものだから、感性だけで出来るものではありません」。 第3話は本の読み方の紹介。「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」は自己の主人公になる読書。 丹羽宇一郎氏は述べます。「自分のなかに拠り所となる太い幹を作ろうと思うなら、たえず考えながら本を読まなければならない」。 「これを二十年くらい続けていると、歴然とした差が出てきます」。「(略)本というのは、他者の経験や体系化された考えを文字を追うだけで会得できるわけで、これほど楽なことはありません」。(文藝春秋』2007年4月号)。 (佐藤宥紹「図書館と生活」 『生活科学基礎演習03』2020年4月27日)
2026年01月17日
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座談会「蓬髪のあの人 鳥居省三氏のなつかし話」 釧路文学館26年1月25日 25年11月から開催「生誕百年記念『鳥居省三』記念展」の最終日。 二部構成の講演会が釧路文学館で開かれる。 第一部講演会「評論家としての鳥居省三」。釧路工業高等専門学校名誉教授 小田島本有先生が務めてくださる。 第一部の演題は「評論家としての鳥居省三」 第二部座談会「蓬髪のあの人 鳥居省三氏のなつかし話」。 招かれているのは、敬称略ながら6氏。 北畠立朴(釧路啄木会会長) 佐藤宥紹(城山モシリヤ学コミッション調査役) 羽生 輝(創画会画家) 藤田民子(釧路文学団体協議会副会長) 西村奈津子(鳥居氏ご息女) 星 光二(釧路演劇団体協議会顧問) 座談会の司会は小田島先生が担当される。
2026年01月15日
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海岸線地形+漁場&加工地近接+ヤマの栄養一気に海へ エチゼンガニのウマサ3点「にっぽん百低山 蠑螺ヶ岳・福井」NHKBS4K260113 エチゼンガニ=旨さ要因の一は、日本海の地形。 蠑螺ヶ岳 さざえがだけ 側で隆起が起きた一方、日本海側が深く沈降(掲載図 上)。 深い海底にはカニが好む泥が堆積、お好みのプランクトンやバクテリアが豊富に生息、と。 エチゼンガニ=旨さ要因の二は、カニの生息地と可耕地が近接。 つまり最圃場と水揚げ地が近く、カニを捕って気きて新鮮なまま水揚げできる(掲載図 下)。 エチゼンガニ=旨さ要因の三は、多くの山の栄養分が一気に日本海に注ぎ、旨いカニが育つ。 蠑螺ヶ岳は標高が685.5メートル。その登山道には「ウォータースライダー」と呼ぶ水路がいくつも観られた。 麓の海岸線はリアス式。山の栄養は一気に日本海のピールと呼ばれる、カニ生息地に注ぐ。 出演の吉田類は、嘆息。「つながっているんですね、山と海は」。 「カニの棲みか」「山の栄養」「漁場の近さ」が、見事につながる。そこに注目。 (以下、出演者と大学教授の会話) 先生「水がウォータースライダー」のところを、さっと流れ落ちる」 先生「多くの山の養分が一気にプールへ」 吉田「栄養が全部(海へ)流れていくと」 吉田「つながっているんですね、山と海は」 先生「(海岸近くに漁場=採捕場ある)だからカニをとってきて新鮮なまま、すぐに水揚げできる」。 26年1月13日放送「にっぽn百低山 蠑螺ヶ岳・福井」NHKBS4K.
2026年01月14日
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10年、20年のキャリア 作品公開、モノつくりの付加価値示す Colorful Marche Jan.2026 月に一度。そこが目標で釧路市内の22団体が一同に。 沖縄三線の演奏者は10年。 ガラス工芸のチェコガラスアクセサリーの作者は20年の研さん、と。 出店の組み合わせもユニーク ハンドメイドブースに13テンポ。 樹脂粘土、布小物、犬服猫小物、ビーズアクセサリーに、かわったところで骨格診断。 ワークショップのコーナーに、リラクゼーション。 とどの詰まりは、占いコーナー。 百聞は一見に如かず。 会場に脚を運んでみてわ。 本日18日は15時まで。次回催行日は・・・・・・・。 2月1日 午前10時。釧路市生涯学習センターで。
2026年01月13日
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「(もうちょっと生かしておく)今、なんとかせー!!」 「能登の“プレハブ住職」260118NHK「過疎化、高齢化、被災避難」「もう、どうにも、できん」。 プレハブの仮設住宅に本尊遷座。「真宗大谷派 往還寺」の看板が、辛うじて健在。 2xxx-xxx-xxxxxの地震で、命からがら、生き延びることができた。 そもそも財政基盤が脆弱とされた、門徒寺院は基盤を農村にもっていた分、存続の危機が指摘されている。 「(被災のご門徒に寄せる)責任感」。娘の「ヒトも居ないのに、どうするの?」。 九死に一生。「本来なら、死んでいたわが身」。本尊の傍らで録音カセットを、奏する。 流れてくるのは、本願寺派寺族であった植木等の「ワカッチャいるけどやめられない」。 「聞いていると、妙にわかる」。そう申しながらも「九死に一生を得た身」。 ご本尊が「(もうちょっと生かしておく)今、なんとかせー!!」。 今日も、被災のご門徒と向き合う日時が。 NHK【Dearにっぽん】能登の“プレハブ住職”〜石川・珠洲 宝立町〜 副題に「往還寺と能登半島地震の“再建の灯”──松下文映はなぜ墓じまい進む町に残るのか|。2026年1月18日の放送。
2026年01月12日
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「西」=単なる方位ならず、「羽、休める鳥巣」 260116 15分の話の中で提示。「西方浄土」「西の岸」と申すも、東西南北上下うなかで、なぜ、西方が注目されるか、と。 「頭北西面 ずほくさいめん」が「もっとも楽な、寝方」と示される、とも。 それは「西の字」=横棒の一こそ、鳥が羽を広げて休む意味、縦棒二本は鳥の脚にして、口の字は鳥の胴体、でわないか。 なるほど。手近なところで二冊の漢和辞典を開いてる、に。 「字源」「字解」の項に、次の二題。なかなか、味わいが・・・・・。。●『新明解 漢和辞典』=「巣の上に鳥が休んでいる姿」「鳥がねぐらに帰りつくところは日が西に沈むときだから、西の意をあらわす」(51p 長澤規矩也ほか編 三省堂 1986年)。●『学研 漢和辞典』=「ざる・かごを描いた象形文字で、栖(セイ ざる状の鳥の巣)に、その原義がのこる」「ざるに水をいれるとさらさらと流れ去って、ざるが後に残ることから、日の光や昼間の陽気がざるの目から抜けるように流れさる方向、つまり『西』を意味することとなった」 「洒=サンズイ+西 さらさらと流しさる)」。「遷(セン 形を残して中身がうつり去る)と同系のことな」(1190p 藤堂明保編 学習研究社 1980年)。
2026年01月11日
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“無形資産”=誰でもが語れ&「次世代の楽しみ方発掘」 種市観光学の意図と方法06 240512 種市佐改(1923-91年)さんが半生掛けてたどりついた到達点。 それは、「“無形資産”=誰でもが語れ&<次世代の楽しみ方発掘>」とする。 それが、「“種市観光学”の意図と方法」とする4章の結語部分。 道東&阿寒・摩周に無限の愛情を注いだ。 地域に知的財産をを残し、観光基盤の強靭化をめざした。 その試みは後世に、水俣地元学にも結節する普遍性をもつ構想が、1980年代初頭に提示されていた、のだ。 24年5月12日、釧路市立博物館で開いた講座には、種市氏のご息男も姿を見せ、催事途中で参会者に挨拶されていた。 主宰者からは「梢に神宿る 前田正名“観る森”思想の水脈と源流」を求められるも、復刻本の短講演につき、著者紹介を担当。 出席のご子息からは「いつも本質に迫る、話」と受け止めていただいた。
2026年01月10日
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結 道東=釧路鉄道管理局エリアに通年・滞在型観光を誘因 種市観光学の意図と方法05 240512 種市佐改(1923-91年)さんがライフワークに位置づけた北海道東部観光への業績。 結果、産み出した点。それは季節・通過・観覧型観光を、通年・滞在・体験型観光に誘引した点であり、市民自身が学び<魂を揺るがす出会いともてなし>をめざす視点であった。 「種市観光学」の帰結で、体現された軌跡を3点に。 釧路新書に登載の『雑学・道東の旅と観光』は種市観光学の総集編。 阿寒摩周国立公園に深い愛情を寄せ、田村・永山・近藤に深い敬意。 多数の著作を通じて、地域に知的財産。のち<類例みない産業公害のマチ=水俣地元学とも重なる提案>。
2026年01月08日
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転 観光=事業はヒトでつながる 種市観光学の意図と方法04 240512 種市佐改(1923-91年)さんが現役での見聞をもとに非現用の時間をそそいだ<北海道東部に観光客を迎え、地元はなにを用意しておく>のか。 「種市観光学」の展開で、納得された世界を明示してみるに、4点。 ・他人を変えること出来ず、たいへんな努力の果てにも、「サー?観光」と首かしげる周囲の意識は不変。 ・自身に投資&開発能力蓄積し、「自分で調べて初めて理解」できる、と。 ・無形資産=学界・田村、技術・永山、行政・近藤の人脈発見を誘因し、観光=事業はヒトでつながる、のだ。 ・結果、『阿寒国立公園三恩人』ほか多くの著作を残し、国立公園指定の本質的価値提示することに。 種市観光学の意図とは、自身が変わる=物語創設の軌跡と到達点。
2026年01月07日
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承 観光とは=受入基盤拡充&深化+おもてなし人材 種市観光学の意図と方法03 240512 種市佐改(1923-91年)さんが生涯かけて読み取った<北海道東部に観光客を迎え、地元はなにを用意しておく>のか。 「種市観光学」の到達点として求められる意味を「語り部+物語創設」と読み取って、みることに3点。 そして種市さんの思いに浮かんだ、一つの構想。それは後に「地域資源マップ=絵地図」につながる取り組みであった。 発想の当時。このマチには、小説『挽歌』をたどり訪問客が急増していた。 氏は急行「まりも」から降りる旅行客の受け入れ窓口として、奔走。 しかし、客人や上司から聞かされることは・・・・・・。 『阿寒国立公園の三恩人』の著者は、気がつく。 マチは観光客を「財布からシッカリ、儲けさせてもらおう」「客に、なにを聞かれても『サー?」と、首かしげる地元民」。 『サー?」と、首かしげる地元民。実はこれぞ、種市観光学の原点なのだ。
2026年01月06日
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承 観光とは=受入基盤拡充&深化+おもてなし人材 種市観光学の意図と方法03 240512 種市佐改(1923-91年)さんが生涯かけて読み取った<北海道東部に観光客を迎え、地元はなにを用意しておく>のか。 「種市観光学」の到達点として求められる意味を「語り部+物語創設」と読み取って、みることに3点。 そして種市さんの思いに浮かんだ、一つの構想。それは後に「地域資源マップ=絵地図」につながる取り組みであった。 発想の当時。このマチには、小説『挽歌』をたどり訪問客が急増していた。 氏は急行「まりも」から降りる旅行客の受け入れ窓口として、奔走。 しかし、客人や上司から聞かされることは・・・・・・。 『阿寒国立公園の三恩人』の著者は、気がつく。 マチは観光客を「財布からシッカリ、儲けさせてもらおう」「客に、なにを聞かれても『サー?」と、首かしげる地元民」。 『サー?」と、首かしげる地元民。実はこれぞ、種市観光学の原点なのだ。
2026年01月06日
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起 めざした「観光=“地域まるごと博物館”構想」 種市観光学の意図と方法01 240512 種市佐改(1923-91年)さんが生涯かけて構築した、北海道東部の観光資源可視化の努力。 その集大成となる「種市観光学」の意図を、「“すき間”学の試み」として、5点。 その方法を、「観光=“地域まるごと博物館”」と解して、可視化資源に見学動線を、引いてみる。そこに到達した、と。 種市さんは、多数の市民が、地域を知ること。 自身で調べてみないと何もわからないこと。 結果、多くの市民は「生活学芸員」として、「知らない」を言わず。 なかに意図的、計画的、組織的に学ぶことで、<地域創造に貢献可能な<市民学芸員>の層が拡充深化し、物語創出可能な人材>が、輩出するを意図。 成果として展示動線を絵地図上に記し、物語創出のプログラム豊富化を意図したと、受け止めることができる。
2026年01月05日
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尾道青年会議所建立「約1kmの遊歩道沿い 自然の巨石にゆかりの作家・詩人の作品刻む25基」市民、次世代に残す”を考え続けねば260109 わがマチが長崎・金沢とともに「観光立国ショーケース」に指定されたのは2016年1月。 長崎&金沢が指定対象となるのは<理解できる>として、どうして?。 その思いが消えなかった。答えは日経新聞電子版「訪日客の地方誘致のモデル都市」の見出しがあった。 隣邦からの「訪日客」が、都市人口との比で、すこぶる高い比率にあるからだ、そうだ。 年間の観光客入込数が540万人とも、570万人とも公表。 が、散文、詩歌、ポピュラー音楽。作品をどれほどの人が残してくれていることか。 https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL29HD8_Z20C16A1000000/ 「尾道 ゆかりの作家 25人」。この検索ワードでヒットする「尾道 文学のこみち」 「千光寺山ロープウェイ山頂駅横~鼓岩付近」の約1kmに25の作品碑が並ぶと。 「全長約1kmに25基の文学石碑が点在」「1965年と1969年の2期にわたって尾道青年会議所が整備」 「尾道を訪れた文人墨客の詩歌を頂上一帯の松蔭に苔むす自然の岩に刻んだ文学の散歩道、自然歩道」に。 並ぶ文人。 1)徳富蘇峰、2)前田曙山、3)正岡子規、4)物外、5)十返舎一九、 6)金田一京助、7)江見水蔭、8)志賀直哉、9)林芙美子、10)緒方洪庵、 11)巌谷小波、12)山口玄洞、13)山口誓子、14)柳原白蓮、15)河東碧梧桐、 16)竹田・竹下・伯秀、17)松尾芭蕉、18)中村憲吉、19)俚謡、20)吉井勇、 21)古歌、22)小杉放庵、23)菅茶山、24)陣幕久五郎,、25)頼山陽(敬称略) わがマチ。「誰かが書いてくれる」を待っていては、おぼつかない。 一に、これまでの作品・作家を体系化、 二に「書くことできる人」を育て、支援。 三に、モニュメントを作る投資力量を蓄積する。 「来い、来い、来てくれ」。さて、見せるモノありや。自然の造形物?。どこのポイントで、何を、どう、見て欲しい。 サインがあるや。「いつから?」ではない、思いついた、今からだ。
2026年01月02日
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質量豊富、装置化され、受け皿明快な「尾道 文学のこみち」 「ほっこりの旅 尾道巡りめぐり」NHKBSS4K260107Point1:作品蓄積が薄く、潜在情報に気がついていない。Point2:「行ってみたら」と進められても、現地では「何を見たらよいのか不明」 Point3:潜在情報が可視化されていないため、限られたヒトしか潜在情報に気がついていない。 NHKBS4K 羽田美智子の「<ほっこり>を探す旅」は東京都内を抜け出し、横浜の次は広島県。 広島県でも福山・鞆の浦に続いては「尾道巡りめぐり」へ展開。 「尾道 文豪」のキーワードで検索するに、あるわ、あるわ。 以下、その一例を。1)「文学のこみち」、2)「文学の館」、3)「西国三十三所観音」 4)「本と歩く尾道」etc.Point4:作品、作家、多様にして質量ともに豊富。Point5:チマタのサイン計画が、意図的・計画的・組織的に投資され、結果、群として整備。Point6:結果、「魂を揺すぶる出会い&おもてなし」を、豊富に創出できる。 図示の写真は、番組「尾道巡りめぐり」から、港の岸壁に装置されたレリーフと原画。 そこを一例として、アップ。
2026年01月01日
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