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「家族の一員のように、永く」 イッピン・選選「しなりを生かし優しさをつなぐ 〜宮崎 木工品〜」 初回放送日: 2021年9月21日 真に<しなやか>な飫肥の杉材。特有のデザインは、「杉再生プロジェクト」で誕生した。 手の中に収まる小さな木製のハサミや、柔らかく体を支えるベンチ。 木工が盛んな宮崎で、豊かな森に寄り添う人々が作る優しい製品の秘密を、田丸麻紀さんがひもとく。 子どもの手にぴったり収まる、木製のハサミ。 紙は切れるが安全な優しい製品は、温暖で木の生育に適した宮崎生まれのイッピン。 県南部で育ち、独特のしなやかさを持つ“飫肥(おび)杉”で作られた、柔らかく体を支えるベンチ。 しなりと木目を生かした、シンプルなトレイ。豊かな森に寄りそう職人たちが、木の特徴を見極めて手作りする現場を、田丸麻紀さんがリサーチ 家具製作者「家族のような一生の相棒」 宮崎・木工製造者。 真に<しなやか>な飫肥の杉材。特有のデザインは、「杉再生プロジェクト」で誕生した。 「宮崎(県産)スギ」と「飫肥(おび)スギ」はどう違うのと、質問を受けることがあります。 宮崎(県産)スギは、当然のことながら宮崎県内で生産されたスギです。 一方、飫肥スギは、旧飫肥藩領(飫肥林業地域)で生産されたスギです。 旧飫肥藩領は、宮崎県の南東部、現在の日南市や宮崎市の一部などに当たります。 この飫肥林業の特色として、船用木材(弁甲材)生産やさし木による造林などが挙げられます。 https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/kankyo/mokuzai/wurc/mametisiki/sugi/sugi.html 「家族のような一生の相棒」 飫肥(おび)スギ家具・宮崎「イッピン 宮崎・家具」NHKBS3 元気な森を残す-森林の役割- たくさんの日光を浴びて育つ「みやざきスギ」は、油分を多く含み、虫がつきにくいのが特徴で主に建築資材として使われます。 また、水を弾きやすく、軽量で弾力性に富み、加工しやすいことから生活素材にも適しています。 木の温もりや優しい香り、安全性や耐久性の高さから学校やオフィスの内装材にも使われます。 木が育ち、収穫できるようになるには最低でもスギであれば35年、ヒノキは40年が必要です。 先代、先々代が山に植えた木を手入れしながら長い年月をかけて市場に送り出します。 そこで、木材を伐採した後は、次世代に向けて植林し、除伐・枝打ち・間伐など森林を育てる作業がとても大切になります。 一方で、輸入材に圧され価格が下落した上に、林業の担い手減少・高齢化などによって手入れがままならず、良質な木材を育てられていないだけでなく、森林資源が循環するサイクルが維持できず、土砂流出のおそれなど山が荒れていくことが懸念されています。 生活に潤いと温もりを加える自然素材 森林が国土の6割を超えるのは、世界でも日本とスウェーデン、フィンランドの3か国だけです。資源に乏しい我が国において、森林資源は貴重な財産です。その中でも宮崎の木材は良質で加工しやすいと言われ、住宅建築などでは欠かせない素材です。また、木材は温かみのある素材として、安らぎと落ちつきを与えてくれます。こうした木材を生活の中にも取り入れてはhttps://www.m-tokusan.or.jp/main-products/wood/「家族のような一生の相棒」 飫肥(おび)スギ家具・宮崎「イッピン 宮崎・家具」NHKBS3
2021年09月21日
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「山を神とあがめ、神を怒らせぬ」 緑樹も山容も護る石見銀山210721NHKBS3石見国沖泊。この湊を通じて16世紀中頃、本邦で灰吹法による、銀の精錬技術で国際的に評価の高い良質な銀を産出した。豊富な銀を宿した山を、湊に近づいた商人が詠いあげた、と。「海をわたり 南山をのぞむに かく然たる光あり」山の全容から発する「銀」の輝きにあふれていた。そうしたことなのだ。『石見銀山鉱山図解』本書に山中に坑道を掘る図が描写される。少ない酸素に耐えるため<わずかな小灯>を手がかりに作業はすすむ。<不自然な姿勢><漆黒の地中に鉱脈のみを掘る><世界的にみても高い水準の技術>。<破壊は最小限><精錬は樹木を伐採しない最先端の灰吹技術を採用する>。それゆえ、技術者の犠牲は少なくなかった。世界自然遺産に含まれる『五百羅漢像』。それが、自然破壊を免れた代償。ポトシ銀山 ボリビア国。映像はボリビア国のポトシ銀山に切り替わる。赤岩がむき出しになり、樹木のない<裸の山>。「手当たり次第に岩石を掘り出し、火薬をつかいながら山を大きく破壊」「精錬で木を<根こそぎ>伐りだして燃料にあてた」。緑樹が豊かに覆われた石見銀山(日本)。破壊の姿が500年後も回復しないポトシ銀山(ボリビア国)。 我が国で最初に「世界自然遺産に登録」の石見銀山。分岐点に文化の背景を読んでおきたい。「日本の世界遺産 シルバーラッシュ 世界遺産石見銀山」210721NHKBS3
2021年09月21日
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「家族の一員のように、永く」イッピン・選 選「しなりを生かし優しさをつなぐ 〜宮崎 木工品〜」 初回放送日: 2021年9月21日手の中に収まる小さな木製のハサミや、柔らかく体を支えるベンチ。木工が盛んな宮崎で、豊かな森に寄り添う人々が作る優しい製品の秘密を、田丸麻紀さんがひもとく。子どもの手にぴったり収まる、木製のハサミ。紙は切れるが安全な優しい製品は、温暖で木の生育に適した宮崎生まれのイッピン。県南部で育ち、独特のしなやかさを持つ“飫肥(おび)杉”で作られた、柔らかく体を支えるベンチ。しなりと木目を生かした、シンプルなトレイ。豊かな森に寄りそう職人たちが、木の特徴を見極めて手作りする現場を、田丸麻紀さんがリサーチ.家具製作者「家族のような一生の相棒」 宮崎・木工製造者。「宮崎(県産)スギ」と「飫肥(おび)スギ」はどう違うのと、質問を受けることがあります。宮崎(県産)スギは、当然のことながら宮崎県内で生産されたスギです。一方、飫肥スギは、旧飫肥藩領(飫肥林業地域)で生産されたスギです。旧飫肥藩領は、宮崎県の南東部、現在の日南市や宮崎市の一部などに当たります。この飫肥林業の特色として、船用木材(弁甲材)生産やさし木による造林などが挙げられます。 https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/kankyo/mokuzai/wurc/mametisiki/sugi/sugi.html「家族のような一生の相棒」 飫肥(おび)スギ家具・宮崎「イッピン 宮崎・家具」NHKBS3元気な森を残す-森林の役割-たくさんの日光を浴びて育つ「みやざきスギ」は、油分を多く含み、虫がつきにくいのが特徴で主に建築資材として使われます。また、水を弾きやすく、軽量で弾力性に富み、加工しやすいことから生活素材にも適しています。木の温もりや優しい香り、安全性や耐久性の高さから学校やオフィスの内装材にも使われます。 木が育ち、収穫できるようになるには最低でもスギであれば35年、ヒノキは40年が必要です。 先代、先々代が山に植えた木を手入れしながら長い年月をかけて市場に送り出します。 そこで、木材を伐採した後は、次世代に向けて植林し、除伐・枝打ち・間伐など森林を育てる作業がとても大切になります。 一方で、輸入材に圧され価格が下落した上に、林業の担い手減少・高齢化などによって手入れがままならず、良質な木材を育てられていないだけでなく、森林資源が循環するサイクルが維持できず、土砂流出のおそれなど山が荒れていくことが懸念されています。 生活に潤いと温もりを加える自然素材 森林が国土の6割を超えるのは、世界でも日本とスウェーデン、フィンランドの3か国だけです。資源に乏しい我が国において、森林資源は貴重な財産です。その中でも宮崎の木材は良質で加工しやすいと言われ、住宅建築などでは欠かせない素材です。また、木材は温かみのある素材として、安らぎと落ちつきを与えてくれます。こうした木材を生活の中にも取り入れてはいかがでしょうか。https://www.m-tokusan.or.jp/main-products/wood/「家族のような一生の相棒」 飫肥(おび)スギ家具・宮崎「イッピン 宮崎・家具」NHKBS3
2021年09月20日
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支配人2.5、帳役・通詞2、小頭1.5、平番人1 漁業出稼の取り分210920。 江戸時代後期、北海道の太平洋岸に東北からの漁業出稼ぎが広くみられた。 記載が残る、蝦夷地アッケシの事例。 1)「支配人拾五両其外八両六両雇方八両」 2)「支配人番人は出高六分三厘を被下、雇方は右割合無し」 3)「支配人は四十五両程帳役二十六七両のよし」。 4)「但し割合支配人は番人二人半帳役通詞二人小頭壱人半平番人壱人前」 出来高が年々歳々、異なる漁業。 獲れ高というより取引価格も。そこで上記は、次のように解するべきか。 5)支配人、番人には「固定給」相当額があって、その額が支配人は十五両。それ以外の赴任者は一人が8両もしくは6両。つまり1)の解釈項目だ。 6)「会所三役」は「支配人、帳役、通詞」をさす。「帳役、通詞」は「八両」で、「(小頭・中番人)・番人」、それに「雇方」=見習いは六両。 7)「会所三役」と「(小頭・中番人)・番人 ばんにん」には、「割合」と記載の歩合給が加わる。「雇方 やといかた」、つまり「見習い」「嘱託、臨時職、新人」には歩合給が認められていない。 そこで「割合」とされる歩合給、 及び3)の「支配人は四十五両程」の意味を考察する。 8)「割合」=歩合給の役職と一人あたりの計算方式が、2)に示されている。計算の基礎は「出高六分三厘を被下」による。 9)計算はニシン粕+コンブ+秋サケほかの年間総出来高を漁業経営者37%、稼ぎ人63%で分けるの意味が「出高六分三厘を被下」ではないか。 10)の「出高六分三厘を被下」を「支配人+帳役+通詞+番人総数」の人数で除す。これに4)の「但し」を加算する。 改めて3)「支配人は四十五両程帳役二十六七両のよし」とは、 11)1)の固定給+3)&4)の「割合」を合算した記録時=文化6(1809)年前後の年間受取額の標準ということになると考えられる。 12)記載が1)~4)で通じるのは、背景に当時の漁業慣行が関係者には周知のことで、詳細を語らずとも不文律で通じる枠組みがあった。そう考えておきたい。 13)申すまでもなく、漁業経営者は松前政権に「漁場請負金 ぎょばうけおいきん」とする、經営独占権行使料を支払う。アッケシ場所では当時600両ほどであった。 14)稼ぎ人は受領した3)「支配人は四十五両程帳役二十六七両のよし」の内より、「支度金+生活費」を「前借」している。借り入れ額に貸与期間の利息が差し引きされる枠組み。 15)時により交換相場は異なるも、一両=米一石=現在の10万円相当として、支配人で450万円、帳役・通詞=260~270万円、雇方では年収80万円。 この記載を 読んだのは、26歳の時であった。 身近に大正・昭和戦前期の漁業慣行に詳しい方がおいでになったので、照会すると済むことであった。しかし、江戸期の慣行と大正・昭和戦前期のそれは別モノと決め込んでいた節がある。 思えば残念なことをしたものである。しかし、資料を読み重ねてみると、蓋然性が浮かびあかってきたように思う。次回では隣場所の記載を検討してみることにする。 資料の解読時、「年収80万円」もしくは「80万円+120万円」の年収額は「低い」。そう思わざるをえなかった。 そもそも江戸時代の下層漁民の生活が困窮であった点は、前回の記載に示されている。東北の一漁村で、母郷に残る家族が営む農業に、危険を冒して<北の海への出漁>。 その額としては、多いとみるべきや、少ないとみるべきや。ともかく蝦夷地漁業出稼ぎは、宝暦年間から営々と続いた。
2021年09月19日
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昔、一文銭の目方3.75gは重さの基準でした。 「一文銭の目方」という意味で「文目(もんめ)」と呼ばれ「匁」と書くようになりました。 今でも5円玉は3.75g=1匁です。 手間取り職人、なかでも比較的収入のよいとされる大工の生活。栗原柳庵筆『文政年間漫録』記載事項。 まず、収入の子細 「大工の手間賃は飯米料とも一日銀五匁四分」 1年354日として、これより「正月・節句などの物日や、風雨の激しい日には休むとしてそれが六十日ほど」、 「残り二百九十四日の収入は銀一貫百六十七匁六分となる」。 (銭に換算すれば、約百六十七貫文、月平均約十四貫文になる)。 支出の概要。 「夫婦と子供一人の飯米が三石五斗四升、この代銀が三百五十四匁」「店賃百二十匁(これで四畳半二間ぐらいの店賃である)」 「塩・味噌・醤油・薪炭代七百匁」「道具・家具代百二十匁」「交際費に百二十匁」「合計一貫五百十四文となり残りは七十三匁六分」。 そこで、収支の差。 「もし子供が二人あるか、ほかに厄介がいれば、もうこれでは足りない」。 「大工職のような者でも、手間取り職人の場合には、ほとんど余裕のないその日暮らしの生活で」 「少しましな生活をするには、請負い仕事のできる棟梁にならなければならなかった」 (西山松之助・竹内誠編『江戸三百年ー2 江戸っ子の生態ー』 講談社 1975年 105-06p) 「余裕のないその日暮らし」=江戸、下層民の生活 池上彰彦著「下層町人の生活」を読む210920。<
2021年09月18日
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永年の勘「北西&南東の風をまつ」 帆引き網漁業=北浦・茨城県210919。 「新日本紀行」 昭和55年放送。 1960年前後 600隻と紹介のあった霞ヶ浦北浦の「帆引き網漁業」。放送時には「33~34隻」。以来、40年を経た再放送時には4世帯。 放送時に話題になっていた「トロール化」の意向。 「キツイ、苦しい、耐えられない」の「帆の操作」。「42歳の夫妻は若手」。「50歳代、60歳代が占める經営層」。「トロール化をすすめた霞ヶ浦では、ワカサギが居なくなった」。 北浦 きたうら 茨城県南東部,霞ヶ浦の東側で行方 (なめかた) ,鹿島両台地にはさまれ,北西から南東に細長く横たわる湖。 面積 35.2km2,周囲 64km。北部と南部が浅く,最大水深は 10m。淡水の富栄養湖。 巴川に鉾田川が合流して北端で流入し,南は外浪逆浦 (そとなさかうら) に続く。湖岸には鉾田をはじめ多くの集落が発達し,沖積地には水田が開ける。 漁業はイサザ,フナ,ワカサギが多く,コイの養殖も行われる。江戸時代から水上交通路として知られ, 東北地方から江戸への物資の輸送路や鹿島・香取神宮参拝の通路として利用された。 鹿島臨海工業地域の工業用水,上水道用水源としても利用され,中部の武井に揚水機場を設けて工場に給水。 満潮時の海水逆流防止を目的とした常陸川水門の建設によって淡水湖となる。 南端を JR鹿島線,国道 51号線が通る。水郷筑波国定公園に属する。 霞ヶ浦北浦の水産業 帆引き漁業 霞ヶ浦北浦は、ワカサギ、シラウオ、エビ等の水産資源に恵まれ、古くから多種多様な漁業が盛んに行われています。 令和元年の漁獲量は729トン(漁業・養殖業生産統計)で、全国湖沼漁獲量の約6.2パーセントを占めています。 なお、全国湖沼の漁獲量は、比較的重量のある貝類(シジミ等)が全体の約72パーセントを占めていますが、 本湖は魚類およびエビ類が主体の漁獲となっていることに特徴があります。 トロール化への転換 わかさぎ・しらうおひき網漁業(トロール)での網揚げの様子 現在、霞ヶ浦北浦では、動力漁船で網を曳く、わかさぎ・しらうおひき網漁業(通称:トロール)を中心に、いさざ・ごろひき網漁業(通称:横ひき)、 さし網漁業や湖岸付近では漁具を固定する張網漁業(定置網)などが行われています。
2021年09月16日
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「心震えた宿敵・本橋麻里代表の言葉」 カーリング五輪代表決定戦210912。 「止まった!!」。 アナウンサーの実況が、伝えた。8-6.ロコ・ソラ-レが2連敗のうけて3連勝。代表の座を射止めた瞬間。 劇的な幕切れ。 7-6と1点リードで迎えた第10エンド。「赤」の北海道銀行は第一と第二のストーンを獲得した段階で、後攻ロコ・ソラ-レの最後のワンショットの局面。 のちにスキップは語る。 「時間の余裕を十分に残してくれていた」。ここで、第一ストーンの位置に置かぬと、北海道銀行が2点を獲得、7-8で逆転勝利の場面。 勝負は決着。 黄色のストーンが第一ストーンに。歓喜のあまり泣き崩れたロコ・ソラ-レ。なかに座り込んでしまった、選手も。 他方、逆転のならなかった北海道銀行。一列に並び、深々と一礼。競技場では涙もそこそこに、引き上げる姿。 一人、ひとりハグ 道銀選手たちを一人、ひとりハグした本橋麻里ロコ・ソラ-レ代表。放送はその映像を流していたが。 (『日刊スポーツ』配信) ひときわ長くハグをつづけた本橋代表。そのときの会話が、『日刊スポーツ』のネットで示された。 「北海道銀行のスキップ吉村紗也香の心が震えた」。 「ロコ・ソラーレを運営する本橋麻里代表から、試合後にハグされ」、「『ライバルチームがいなかったらここまで強くなれなかった』」と。 「言葉をかけられ、涙を拭った。悔しさの中に、胸を張れた」。.(写真も)https://www.nikkansports.com/sports/news/202109120001409.html 210913 am04:30.
2021年09月12日
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地方経済の貧困 本州経済の補完地210912 1)素材を安価で提供、製品搬入で高価格負担。 2)政策導入で特定産品の大量安定供給、金融とメーカーに利益集積、経営は競争下で負債堆積 3)本州で経営後継者が高所得、求職の次・三男低所得。北海道は後継者貧乏、組合職員の次・三男裕福。 人間にとって貧困とは何か(’19) Poverty and Humanity ('19) 主任講師名:西澤 晃彦(神戸大学大学院教授)【講義概要】貧困に対して、社会学的にアプローチする。 貧困は、いつも、単なる低い生活水準以上の意味をもって貧者に体験されている。彼ら彼女らは、貧困によって関係とアイデンティティを不確かなものにしている。 そのことこそ、貧困体験の中核的要素とさえいえる。そうした認識のもと、今日的な状況を踏まえつつ、貧困体験を社会的・制度的・経済的・歴史的な要因と関連付けながら理解していきたい。 第10回 貧困と老い 高齢社会における貧困問題について概観するとともに、貧しさの中での老い、そして死について考えてみたい。社会的孤立はここでもキーワードになるだろう。 【キーワード】老い、死、高齢者の貧困、社会的孤立 第11回 グローバリゼーションと貧困(1)~階級・階層構造と社会変動~ 高度経済成長期後のグローバル経済への深い参入による、階層構造の変動、貧困層の新たな形成について述べる。【キーワード】グローバリゼーション、脱産業化、非正規雇用、社会的分極化、アンダークラス 第12回 グローバリゼーションと貧困(2)~誰が排除されているのか~ 経済グローバリゼーション下での社会的排除について、女性、外国人、若年貧困層を取り上げながらカテゴ リーごとにその排除のメカニズムについて論じる。【キーワード】 社会的排除、女性、外国人、若年貧困層 第13回 グローバリゼーションと貧困(3) ~空間構造の変動~経済グローバリゼーションがもたらした、人々と空間の結びつきの変容について考える。その議論を踏まえ、空間的・地理的に今日の貧困を捉える。 【キーワード】 フローの空間と場所の空間、旅行者と放浪者、グローバル・エリート、派遣労働者。 放送大学教養学部 生活と福祉コース 導入科目
2021年09月11日
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* { margin: 0; font-size: 13px; font-family: 'MS Pゴシック', sans-serif;}a { color: #0064c8; text-decoration: none;}a:hover { color: #0057af; text-decoration: underline;}a:active { color: #004c98;} 210910 あばれ多摩川発見紀行 1)吉宗から家斉時代の多摩川のようすを紀行文にした『調布日記』の著者。 2)60歳の時、幕命で4ヶ月、多摩川の治水状況を見て歩く。 3)多摩川は76年間に21回もの大洪水に見舞われ、幼児や女たちまでが復旧工事に動員された。 4)多摩川洪水被害の大きさはもとより、当時の多摩川ぞいに生きる詳細を記す。 5)多摩川の両岸には同じ地名がいくつもある。 布田 等々力 大洪水で流路を変えた多摩川が村を分断 瀬田 6)16世紀末に起こった大洪水=多摩川は現在に近い流路になった https://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/tama/use/panph/kyusan/index.htm 「あばれ多摩川発見紀行」210910am8:00 「大田南畝は、多摩川の水害監視などにあたった旗本」(西山松之助・竹内誠著『江戸三百年 江戸っ子の生態』 講談社 1975年12月 71p)に記載の一節に触発される。 それまでの「狂句・戯作作家」とは異なる一面を示す。 多摩川沿いの散歩の一助に、散歩が有意味をもつストリーではないだろうか。 西山・竹内著は「(南畝が)彼の遊歴に、取引きの札差が関与している例がある」と紹介するのであるが(同 71p). 多摩川の河道に積み重ねられたストリー 「洪水監視の旗本」大田南畝210910。
2021年09月09日
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ワイズスペンディング 「将来的に利益・利便性を生み出す選択的財政支出」210909 新聞のコラム投稿に「ワイズスペンデング」。 こうした用語を使われるから、「先生のコラムは、難解」。主婦層からはそうした悲鳴。 「ケインズの原典を翻訳した」。そうしたお方の示されるコラム欄。明確な概念規定があるはずながら。調べてみると。以下の記載。なるほどネー。 「『賢い支出』という意味の英語。経済学者のケインズの言葉。不況対策として財政支出を行う際は、将来的に利益・利便性を生み出すことが見込まれる事業・分野に対して選択的に行うことが望ましい、という意味で用いられる」。 「ワイズユース」「ワイズスペンでイング」・・・・・・・・。
2021年09月08日
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「孤独のなかに置き去りにしない」 ビハーラ運動9th in 厚岸町210904。 『苦が聞かせる言葉たち』のタイトルで、2時間強の講座 看護師にして、のち本願寺派僧侶に度した方の講演。 あそか花屋町クリニックで理念としている「ビハーラ運動」の、今回は新しい切り口。 それが、「孤独のなかに置き去りにしない」。 これまでは、 「患者の生活の質、生きがいを全うさせるケアやキュア、そのプログラムと体制」。 そういうことであったと、思う。 事実、講演の途中で参会者に、質問が発せられたので、「第8次までの講座の主唱点は、そういうことと受け止めている」ところであるが。 ほかにも、「診療所施設に僧侶が常駐する体制って、『少ない』とおもいますが」とも。 そこは同診療所が「皆様の心に寄り添える話しやすいクリニックとして邁進」の主唱点と重なる点ではあるが。 未病 「診療所施設に僧侶が常駐する体制」について講演のなかで、「未病」という概念を示された。 医師・看護師・薬剤師・理学療法士などの職種は、西洋医学の「病気になっているから、薬物・手術・放射線」と対応する。 しかし、東洋医学は「病気にならないように、病気になる前の過程で、食事・漢方薬・生活習慣から始める」。 つまり「医食同源」「薬食同根」「身土不二」の理念によって、「寄り添える話しやすい」に基づくスタッフの配置と、整理できるのであろう。 詠歌三首 和泉式部 子は死して たどりゆくらん死出の旅 道しれずとて帰りこよかし とどめおきて だれをあわれと思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり 夢の世に あだにはかなき身をしれと 教えて還る子は知識なり 和泉式部は疫病で、娘・小式部をあっけなく失う。 娘を失い孤独に陥ったハズの式部が、詠歌を通じ「孤独から解きはなたれる」。三首目「教えて還る子は知識なり」 最後の三首目は、「無常観」を詠じている受け止め方もあるであろうが、むしろそれが一般的である。 しかし、三種を並べてみると、初めの二首は「往相」を歌うようであり、最後の首は「還相」の働きを示しているようにも、受け止められないか。(以下、東洋医学の四字熟語) 医食同源・・・食事は医療の根本。病気を治す薬と健康を増進する食事とは、本来根本は一緒。日常の食生活に留意することが大切だとする東洋医学の考え方。 薬食同根・・・薬食同根 もしくは 薬食同源 が中国的な表現。 身土不二・・・季節にできる作物は、その季節に食べるといいもの。土地でできる作物は、その土地の人にあったもの。 同物同治・・・体の中の不調な部分を治すには、調子の悪い場所と同じものを食べるのがいい、という考え方。肝臓の悪いときには、牛、豚、鶏などの肝臓(レバー)。胃の病気のときは胃(ガツ)。心臓が悪いときは心臓(ハツ)。腎臓疾患のときは腎臓(マメ)。それらを食べると、回復に役立つということです。中国では、副生物が精肉以上に大事にされ、値段も高いといいますが、それにはこうした健康に対する考え方も、大きく関係している。 最高位の医師は「食医」=王の食事の調理・管理を任されていた。 食医に次ぐランクは「疾医=で今の内科医系医師。 次は「瘍医=今の外科系医師。ともに食事が治療の重要な位置占めていた。 ちなみに4番目のランク=獣医。
2021年09月08日
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成道会まで不眠不休の修行 臘八会(ろうはちえ)12月1-8日 史跡国泰寺跡 そこに伝来する『日鑑記 にっかんき』には、師走の朔日に「臘八会」の記載。臨済宗末寺で勤修された。 曰く「臘八会」。 「毎年12月8日に行われ」「灌仏会,涅槃会とともに〈三仏会〉と称し,釈迦の三大法会として重んじられる」。 「禅宗の大寺では12月1日から8日の朝まで7日間不眠不休の座禅が行われるが,これを臘八会(ろうはちえ∥ろうはつえ)または成道会と称し」,「臘八接心(せつしん)ともいう」。「臘八とは臘月(12月)8日の意」。 「臘月」。 世に「旧臘」とは申すではないか。 臘月=師走・極月などとともに、臘月は旧暦12月の異称。 年末のことを臘尾といったり、年が明けて前年となった12月のことを旧臘といったりする。 臘というのは、冬至後の第三の戌の日の中国の祭のことで、猟の獲物が神や祖先にまつられる。 この臘が転じて、年の暮や旧暦一二月が臘月と呼ばれるようになった。 新暦では冬至は12月22日頃だが、旧暦では11月中にあたる。戌の日は12日ごとにめぐってくるので、第三の戌の日は旧暦12月の中旬から下旬となるのである。日ごとにめぐってくるので、第三の戌の日は旧暦12月の中旬から下旬となるのである。【出典】 吉岡安之著『暦の雑学事典』(日本実業出版社)
2021年09月07日
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古今亭菊之丞の落語「悋気の火の玉」210905花川戸に橘屋さんという鼻緒問屋があっ 花川戸に橘屋さんという鼻緒問屋があった。 「悋気(りんき)」とはやきもちのこと。立花屋の旦那は堅いので評判だったのだが、仲間に連れられ吉原に行って以来すっかり遊びにはまってしまう。 ついに、なじみの女を身請けして根岸に妾宅を構えることにした。これが本妻にばれてしまったのでたいへんなことに…・・・・。
2021年09月07日
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尾幌原野開拓の顕彰 「村林君紀功碑」170518。厚岸町尾幌322番地 大厚食堂隣接地。(碑文)(篆額)村林君紀功碑君名謙吉、安政五年生於、江戸幕府麾下之士也.弱冠受業於岡鹿門・草場舩山等諸儒者.又修法律學、資性温恭而俊敏、其接人也.如春風、其臨事似電霆.少荘、歴遊四方.致力于政界盡瘁.多年具嘗酸辛.明治三十二年至北海道、蹶然挺身.欲開發尾幌原野、濺心血.而當難局、推至誠而統人心拮据經營二十餘年、終完成一大農場、士民皆頼其惠.其間又選厚岸町長、治績學矣.大正六年十一月得病不起.享年六十、遠近痛悼、村葬具禮送其棺.今次、欲立石録君行事傳于後世.余之叙、其梗概繋、以銘銘曰. 真摯奉公 精誠致躬 成務開物 財足歳豊 一片桓碑 高摩雲天 洋洋厥徳 千古可傳 昭和三年六月 元衆議院議員 平島 松尾 撰 文学博士 小西 重直 篆額 加藤 旭嶺 書(裏面) 尾幌畜産改良會 沖万別畜産奨励會 建之 彫刻士 石工 小山藤治郎(註1)平島松尾 ひらしま-まつお 1855*-1939 幕末-大正時代の武士,政治家。嘉永(かえい)7年11月17日生まれ。陸奥(むつ)二本松藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争に従軍。維新後は自由民権運動で活躍し,県令三島通庸の弾圧による福島事件で河野広中らとともに入獄。明治27年衆議院議員(当選7回,憲政会)。昭和14年8月13日死去。86歳。名は正瞭。号は柳渓。(註2)加藤 旭嶺 かとう きょくれい 1870-1960年山形の人。名は登太郎、字は升卿、号を旭嶺・坦齋・翠竹などと称した。漢学を後藤種親、漢詩を柴田節堂に学び、中林梧竹の門弟を名乗った。各地の学校に奉職して書道教育に従事し、昭和三年には朝鮮総督府より第七回朝鮮美術展審査員を委嘱され、また平安書道会の創立に参加して、その幹事や理事を歴任した。また、戦前、古梅園の京都支店が出版した『和漢朗詠集抄』(昭和9年)、『集字李靖碑(王知敬書)』(昭和13年)の両書の編輯を担当した。
2021年09月05日
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* { margin: 0; font-size: 13px; font-family: 'MS Pゴシック', sans-serif;}a { color: #0064c8; text-decoration: none;}a:hover { color: #0057af; text-decoration: underline;}a:active { color: #004c98;} 「期待された時代の地方都市~景観とその意味を訪ねて~」 マチなかフットパス試案210905 1)会員さんの交流促進を目的とした会で、 2)散策がてら歴史のお話をお伺いしたく 3)釧路という町の発祥と産業の移り変わりについて学ぶ機会を設けたい そこで、次の10点にポイントを設定し、学習内容をMEMOします。 ※釧路市生涯学習センター“まなぼっと幣舞”旧気象台跡駐車場に集合車両を駐車 “まなぼっと幣舞”2Fロビー →「旧釧路支庁跡(明治30年)」「旧釧路公会堂跡(大正天皇皇太子時代行在所) “まなぼっと幣舞”10F展望ロビー →「釧路川河口に形成の重要港湾」「釧路川河道に面し形成された20万都市の中心街」「幣舞橋河畔に形成の北海道東部経済・文化・観光の中枢拠点の確認」 幣舞公園に移動 →「松浦武四郎蝦夷地探検像前で『東蝦夷日誌』一部を読む (「資源を水系輸送で搬出&富国一大繁殖地」記載部分=1985年迄の本市開発軸記載相当) →「旧釧路郡役所跡地」「旧釧路警察署跡地」「旧北海道警察釧路方面本部跡地」 →「測量史跡公園」「原田康子『挽歌」文学碑」「ヌササン(幣棚)跡地」 日本銀行釧路支店旧営業所 →「記憶文化財 中央銀行支店誘致のプロジェクト」 →「北海道東部金融の中枢拠点」「景気観測気象台跡地」「旧営業所ライトアップ事業」 道東経済センタービル、旧釧路新聞社、カモメホール「水揚げ日本一支えた冷凍施設」(遙覧) 五代目幣舞橋 →「北海道三大名橋継承」「札幌県&根室県 県庁所在地結節路」「世界三大夕日展望橋」 「釧路魚河岸発祥の地」碑 →「海陸輸送結節のシンボル市場」「釧路市漁協&釧路機船漁協 生産者市場開設地」「MOO-海港ターミナルビル(港湾遊覧航路起終点+土産物設備)」 「三十番倉庫群」 →「北海道東部流通拠点港シンボル施設」「十勝・北網産圏雑穀保存設備」「選穀場・保育園・失業対策事務所隣接地」「原田御殿」隣接地 釧路市交流プラザさいわい前庭→「釧路停車場」「北海道東部鉄道起点」「啄木『浪淘沙』碑」 三ツ輪運輸株式会社錦町ビル→「栗林=室蘭・三上=十勝・大津・豊島=釧路港回漕店出資会社」「戦中一港一社政策で統合」「北海道東部経済に大きな影響」 ※マイカーによる参集のケースでは、ここからタクシーで生涯学習センターに戻る。(例年であれば9F レストラン舞鶴で喫茶しながら総括集会=足労の褒美) ※土曜日につき、公共交通路線バス「一日フリー券 600円税込み)」使用なら、三ツ輪ビル内「醍醐」で総括集会=足労の褒美)」。本年は省略の公算。 ※総括集会に代えて「今回の所見 行程で『初めての知見』3点と『今時の催行意義=今後の地域創出に活かすことのできそうな点』を自身の言葉で記載した電子データ」を、提出しブログor 掲示板に公開して成果公表に代えては如何が。 ※歩行距離2キロメートルと概算、所要時間90~120分、MOO or 三ツ輪ビル休憩(要トイレ者)→「道東経済センタービル・旧釧路新聞社(第2次)・かもめホール」&「三十番倉庫」は遙覧=現地まで足をのばさず、日銀跡地、MOO岸壁&幸町6丁目から眺望する方法で、催行の場合。
2021年09月01日
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