全25件 (25件中 1-25件目)
1
昭和のランドマークで異なる景色 釧路仏舎利塔に詣で260712 みなさん、お疲れ様でした。写真もありがとうございます😊 日枝神社が駐車場になってるのにはびっくりしました…。 仏舎利塔は、子供の頃から何度も行っていた場所ではありますが、間近でレリーフを観るのは今回が初めてです。貴重な体験だったと思います。 14・15日のどちらか出勤前に少しでも空襲慰霊の集いに寄れたら良いなと思っています。本日はありがとうございました🙇(女性) 0時仏舎利塔に集まり 資料いただきました。塔の上の水晶🔮が 光る事があると聞き 見ていると火が灯ったように光りました。 オレンジ色に光っているように見えますね、小林さんが言っていた 言い伝えのオレンジ色の光のように見えます(驚く)。(女性) みんなで仏舎利塔に登り、順番に朗読しました。『尼の抄』5ページのうち3 ページをみんなで 順番に読み上げました。 残りの2ページは時間切れのため現地で読むことはできませんでしたが 、各自で家で読むことを約束して 解散 終了いたしました。 私は今日明日中に読んでみます、 続きが楽しみです。 中村水産は、醤油粉も作っていて、軍需工場として国に認められていた話など、興味深く聞きました。(女性) 仏舎利塔を建てた目的は、平和や漁業の安全祈願という事は知られているようですが、陰に隠れてるような気もする、娘さんを想う気持ちが「尼の抄」から伝わってきました。 佐藤よさんの仏舎利塔の歴史の資料も本当にありがとうございました!守り続けるって大変で素晴らしいと思い、これから先の事が少し気になったので、これからは仏舎利塔のことを注目していこうと思いました。(女性)
2026年06月30日
コメント(0)
自身鍛え愉しみ”創造の近代&虚構の装置に身を委ね愉しむ”経済力の現代 地球への負荷は?260712 「海上安全」「大漁祈願」「安定操業」では若者を吸引できなくなった、神社仕舞いの今。 浦浜の砂場を掘削して建設したTDL.一大テーマパーク出現で、長い時間をかけて育てられた漁田&前浜漁村集落は肩身の狭い思い。 「消失」の現在なのかも。 耳にするのは「このマチには愉しめる所が、ない!!」。 TDLやUSJが揃ってなければ、「魅力あるマチ」では、ないらしい。 スピード感やスリル、爽快感が魅力的なのは、「神経化学的な要因=脳内で「ドーパミン」と呼ばれる神経伝達物質が分泌する」から、と。 https://www.homemate-research-theme-park.com/useful/13250_tour_042/ 「ジェットコースターが好きな人」。 神社仕舞跡地に立って、見つめ&思い巡らした点。 浄財をそそぎ祈り、めぐみに謝した、自身鍛え愉しみ”創造することのできた近代。 虚構の装置に身を委ね、激しいスピード感・スリル・爽快感に身を委ねて愉しむ”経済力の現代 「爪の垢に火を灯す商い」で蓄財して生計たてた近代。アルバイトの日当一時間分の経費で出来合い弁当を買い、昼食を呑み込む現代の生き方。 包装資材の廃棄を含めて地球への負荷は?。
2026年06月29日
コメント(0)
海水温上昇が指摘されている時代に「お守りの人材つながらず」 神社仕舞のその後=(左)25年9月、(右)26年7月 ぶぶる21th260712。 「案内するサイドは一つのポイントに6つの物語を考えておきましょう」。 道々、そうしたコトを語りながら、「そろそろ、写真左の目的地では?」。 歩いていた人たちが東に向かっての歩みを南に転じたとき、視野に納まったのは写真右の姿であった。 「社のお守りをする後継者が居なくなって」。話を耳に思いめぐらした。 気象予報が精緻を獲得、漁船も大型化・堅牢化した今、「海上安全祈願」では、なくなったか。 魚群を追って魚群探知機で魚群を追跡するときに、「豊漁祈祷」でも、確かにないわ。 しかし。そうは言いながらも・・・・・。
2026年06月28日
コメント(0)
海水温上昇が指摘されている時代に「お守りの人材つながらず」 神社仕舞のその後=(左)25年9月、(右)26年7月 ぶぶる21th260712。 「案内するサイドは一つのポイントに6つの物語を考えておきましょう」。 道々、そうしたコトを語りながら、「そろそろ、写真左の目的地では?」。 歩いていた人たちが東に向かっての歩みを南に転じたとき、視野に納まったのは写真右の姿であった。 「社のお守りをする後継者が居なくなって」。話を耳に思いめぐらした。 気象予報が精緻を獲得、漁船も大型化・堅牢化した今、「海上安全祈願」では、なくなったか。 魚群を追って魚群探知機で魚群を追跡するときに、「豊漁祈祷」でも、確かにないわ。 しかし。そうは言いながらも・・・・・。
2026年06月28日
コメント(0)
ニューディール・ブロック経済・ファッシズム Warへの道=世界恐慌後 260712ぶぶる21th 26年7月12日催行の、遊ぶ・学ぶ・褒めるの末期<るるぶ in 釧路市北大通22th>は栄町平和公園に集合。 定刻に戦災復興碑に敬意を表して、ここでは、次の点を。 1929年の世界恐慌。復興策は三つのブロックに対応が、分かれた、と。最近の「高校世界史講座」の内容を元に。 .そこは教科書でおなじみ、USAはニューディール政策を実行し公共投資で雇用造成。 .英仏の植民地保有国は、被保有国との間でブロック経済を構成し、富の域外流出を最小限に。 .のち「枢軸国」と呼ばれた独・伊・日は、ファッシズムに転換と。 当時、国内では世界的不況を背景に、都市と農村の格差が拡大。 東北の男性は応召し、ある役場では女性に「娘、鬱なら相談に乗ります」掲示物も。 市内では失業対策事業=春採湖の埋立&掘削、釧路川埋立用土に採取跡を「市営グラウンド」とした。 しかし戦火は拡大。簡単に始まった戦争は15年を経て、最後の最後まで「終わることができなかった」。 その記憶の再構築。9時20分。戦災復興碑を後に。
2026年06月27日
コメント(0)
仏舎利塔と位置図、城山空襲、城山ミニ史=配布資料ぶぶる22th 260712午前催行、遊ぶ・学ぶ・褒める末尾語3字をあつめて<ぶぶる in 釧路市北大通22th>。 掲載写真のように好天にめぐまれました。配布された資料のリスト。 その三章。「仏舎利塔関係資料」「城山空襲」「城山ミニ地域史」。 「釧路仏舎利塔」は地域で配布の釧路観光協会発行『くしろ』から。竣工にむけた工事写真も一葉。建立発願の『中村水産(株)』社史に、『釧路市住宅明細図』から国指定史跡モシリヤチャシ跡の周辺図も。新聞記事三題。 「六年の苦節、實る 仏舎利塔近く完成」「塔の頂上にコダ 仏舎利塔」(590714&22)、「無事佛舎利を安置 盛大に仏舎利塔落慶式」(0822)。 7月14、15日釧路空襲の縁日が近づいているにあわせて「城山空襲」記録も。 『城山協和会創立50周年記念誌』に掲載、6名の回想録も。『釧路空襲』掲載文から島村勝さんが引用された、ようで。 坂本ミネ、山元、小林、野中、鈴木、慶伊さんに、島村さんの引用後記も。 参加されたお方も、積極的に紀行文を。栄町平和公園―旭町日枝神社跡―釧路仏舎利塔めぐる<ぶぶる22th>。
2026年06月26日
コメント(0)
宮沢賢治18歳のとき、特に心大きく揺すぶられたと言う、法華経無量寿品の一節。 『漢和対照妙法蓮華経』で、『法華経 無量寿品』の一節を読み、激しく心を動かされたのは「我常在 娑婆世界」。以下、ナレーターは伝える。 賢治は「すでに涅槃に去ったと思われていた釈迦が、実は現世の娑婆の世界にとどまっていて、人々を救うとしていると、書かれていた」。 「法華経の説く救いが、あの世のみならず、人々が苦しみの中で生きる現世にこそあると知り、これが人生の一大転機の中で生き、法華経へ信仰を深めてゆきました」。 掲載図で明示の「阿僧祇劫 自従是來 我常在此 娑婆世界 説法教化 亦於余処。百千万億」。 「阿僧祇劫」は、「無数ともいえるほど途方もなく長い時間」を表す仏教用語。そこを特に「三阿僧祇劫」とすれば、「仏が成仏に至るまで修行を続ける想像を絶する長さの期間」ということに。 以下、「自従是來 我常在此 娑婆世界 説法教化 亦於余処。百千万那由他 阿僧祇国。導利衆生」を。 「是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」。「亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても衆生を導利す」、と。 娑婆世界で人々救う 現世=親鸞「地獄一定すみかぞかし」、日蓮「極楽」解釈 NHK教育テレビジョン7月6日(月)午後10:50放送「ファンタジーに秘められた宗教 (4)『銀河鉄道の夜』」。
2026年06月25日
コメント(0)
宮沢賢治18歳のとき、特に心大きく揺すぶられたと言う、法華経無量寿品の一節。 『漢和対照妙法蓮華経』で、『法華経 無量寿品』の一節を読み、激しく心を動かされたのは「我常在 娑婆世界」。以下、ナレーターは伝える。 賢治は「すでに涅槃に去ったと思われていた釈迦が、実は現世の娑婆の世界にとどまっていて、人々を救うとしていると、書かれていた」。 「法華経の説く救いが、あの世のみならず、人々が苦しみの中で生きる現世にこそあると知り、これが人生の一大転機の中で生き、法華経へ信仰を深めてゆきました」。 掲載図で明示の「阿僧祇劫 自従是來 我常在此 娑婆世界 説法教化 亦於余処。百千万億」。 「阿僧祇劫」は、「無数ともいえるほど途方もなく長い時間」を表す仏教用語。そこを特に「三阿僧祇劫」とすれば、「仏が成仏に至るまで修行を続ける想像を絶する長さの期間」ということに。 以下、「自従是來 我常在此 娑婆世界 説法教化 亦於余処。百千万那由他 阿僧祇国。導利衆生」を。 「是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」。「亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても衆生を導利す」、と。 娑婆世界で人々救う 現世=親鸞「地獄一定すみかぞかし」、日蓮「極楽」解釈 NHK教育テレビジョン7月6日(月)午後10:50放送「ファンタジーに秘められた宗教 (4)『銀河鉄道の夜』」。
2026年06月25日
コメント(0)
時の流れ、絹街道東端、建立の汗 釧路仏舎利塔 自然と人類の線引き‐終- 釈迦在世2500年。仏典結集、あまたの師釋を経て、法灯点。 西蕃・月支、東夏・日域を経てこの地に、伝統を録す。 人心結集し、宝塔輝き、自然と人類に線引きせず。
2026年06月24日
コメント(0)
曹洞宗檀家総代家宗家庭で育ち、唱題法尼の道 自然と人類の線引き‐6- 「医者がなおせぬ業病」「街ゆく修行僧との出会い」「父に背いて出家」。 吉田仁麿著『炎の人 中村小三治一代記』の第16話は「尼の抄 あまのしょう ―行浄法尼聞きがき―」。 1959年8月24日 午前10時を期して、猛烈<五段雷>の爆発音。 「どうだ、眠気が覚めたろう!!」。「仏舎利塔開眼法要」の幕開け」。 戦後、急増のモルタル木造校舎の教室に、200メートル内外の地点で打ち上げられた 教室では一学年対象「国語 古典」授業が、始まったばかりであった。 「第16話 尼の抄」には、「行浄法尼聞き書き」の副題がある。節が七個、20ページを宛てる。 「医者がなおせぬ業病」 「街ゆく修行僧との出会い」 「スパイ容疑で憲兵に 中谷行一上人」 「シラミわく僧衣煮る」 「尼にだけはなるな」 「父に背いて出家」 「哀れ一生一度の号泣」 時、流れて2013年5月。隣接地に所在のキャンパスに学ぶ若者10名で妙本山釧路道場を訪れた。 第二世の庵主さんが法話をしてくださって、若者は、妙に納得。 うち二人が、「私たちが願っても居ないところで、願って居てくださる」。省みて、我が生い立ちを、深く<内省>することに。 むすびのに「釧路仏舎利塔の位置」。 1)「聖地・聖蹟」、 2)「洋上からの原風景=昭和のランドマーク」、 3)「インド発、シルクロードの東方到達点」 むすびのに有田秀穂著「聖地はなぜ、癒やすのか」。 4)うつ病の背景にセレトニン神経の弱体化、 5)セレトニン神経には歩行、深呼吸、よく咀嚼で、活性化される特性、 6)聖地巡礼には五個の効果=掲載図記載。 <遊ぶ・学ぶ・褒める>の「ぶぶる in 釧路市北大通22th」。 そこでは日曜日 午前10時から吉田仁麿著『炎の人 中村小三治一代記』の「第16話 尼の抄―行浄法尼聞きがき―」を、奉納してみる予定。
2026年06月23日
コメント(0)
篤信の真宗家庭育ち、25歳法華経帰依 自然と人類の線引き‐5- 賢治は真宗学者・島地大等著『漢和対照妙法蓮華経』の解説を読んだこと。 大等の「大乗起信論」講義で法華経に開眼すうるも、その理解には二人の間に相違がある(田村公子著「島地大等が宮沢賢治に与えた影響」 『琉球大学リポジトリ―』)。 親鸞は現世を地獄ととらえ、日蓮はこの世を浄土にしようと南無妙法蓮華経を唱えながら現世を改革。 父・宮沢正次郎は手継ぎの真宗大谷派寺院の総代を務める。 当代の一流真宗学者の講座に出席する篤信の人で、清沢満之、暁烏敏、島地大等らの名がある。 賢治も幼いときから『正信偈』『和讃』『白骨の章』を読む日々であった、と。 幼い日から強く影響を受けて来た家庭の宗教教育。 長ずるに当面した学校教育を通じた科学教育。自身、 科学者として生きる身に、影を残すことになったか、幼き日からの宗教教育。 日蓮宗妙本山釧路道場が懇念かけて建設の釧路仏舎利塔に敬意を表することに。 西洋思想のなかで慣れ親しむ市民が、東洋思想のメッカを訪ねる。 そこを「自然と人類の線引き」で、端的に問うことになるも、宮沢賢治にとって、わ。 宮沢にとっては「自然と人類の線引き」に先立ち、「宗教と科学の線引き」があったのかも。
2026年06月22日
コメント(0)
沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(2) 自然と人類の線引き‐4- 大漁祈願&海上安全。祈願の時は過去に。海況を育て、安穏確立の報恩謝徳で、地球温暖化&気候変動に心するを「自信&教人信」。 さて実は前後するのだが、その手繰網漁業は新潟県北蒲原郡と西蒲原郡からの入り稼ぎで拡大した。北蒲原郡の次第浜・藤塚浜の漁村から来釧している。その時期は、明治30年に始まる。 新潟では相次ぐ大火、加地川分水の開削、前浜漁場の資源停滞。そうした要因のもと新潟―函館―噴火湾、そして襟裳岬を超えて釧路に。 次第浜には守り神社の日枝神社があり、来釧者のなかから鳥居の寄進が行われる。 「昭和15年 釧路市入舟町 田村友太郎」「昭和16年 釧路市川上町 高橋長一郎」とあるそうで、寄進者の刻まれた鳥居が「釧路と次第浜の<深いつながり>」を物語る。 さて、本市旭町に祀られた「川上日枝神社」(写真)は昭和2年の建立。次第浜の出身者が中心になり勧請した、と。 「次第浜の人たちと一緒に私も、神社で<お籠り 一夜かけて祈る>するの。 二代目・平岩一さんに釧路市立博物館に「川崎船を手がけ、納品」していただいた昭和58年、婦人が話してくださった。 時、流れて2021年。「旭町日枝神社を、春に、仕舞う」。 師走の一夜、新潟県人会で話をさせていただいた。懇親会の席で、田村友太郎翁の子孫の方が申された。「後継者がいない」。お世話するお方が高齢化。代わって、そのお気持ちを、継承してくれる方が居ない、と。 跡地は今も、そのママの状態。さて、そこに、いかなる物語、創設することが急がれる、哉。因みに「自信教人信」は、「みずからも信じ、人をして信じせしめる」。鎌倉仏教の師が遺す。
2026年06月21日
コメント(0)
沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(1) 自然と人類の線引き‐3- 「手繰 てぐり」はトロール船漁業の先駆的漁法。沖合で腕力に頼り、深海から海面へ網をタグリヨセル。 、帆に風をうける帆走力で漁船を操る川崎船は1)遠距離漁場と岸辺との時間を短縮、2)沖合で腕力にかわって漁網を牽引、3)船体も大型化し乗員を増やし、漁獲輸送量を拡大する、一大変化。 岡手繰は南部型漁船、すなわち三枚ハギの胴海船で二人乗り、帆走力もなく沖合の漁場に出ることのない漁業。 対して沖手繰は、越後新潟から川崎船を導入した。川崎船は帆走力があり、多少遠い漁場にも出ることができる。 明治38年、その沖手繰りが意味を持つ統計。それが鰊=54%+昆布=25.5%に続き、「第三位 底魚15.4%」という内訳け。 越後新潟から持ち込まれた川崎船は、「帆打瀬 ほうたせ」と言って風を帆に受けた力で漁網を牽引することができ、それも水深の深いところでも網をひくことができる利点。 船が大型化して乗組員も多くなり、帆走距離も伸び、牽引力も高まり、漁獲物の積載量も増加。 そのうえ、川崎船をつくる造船所が新潟から釧路に進出し、地域の海洋環境に合わせた「改良型川崎船」が可能となった。 造船所は明治40年に平岩初太郎翁が新潟県・松ヶ浜から移った、平岩家は来船の何人目かの船大工ながら、三代にわたり旭町で活躍。 ここに本格的な川崎船が、沖手繰発展の有力な支えとなった。 通年で同じ海域に生息する「底魚 そこさかな」を漁獲する沖手繰りこそ、釧路漁業の中心となる。 (布施正著「水産業」 『新釧路市史 第二巻』 釧路市 1973年 236~238p) ※関連 https://ameblo.jp/pacific0035/entry-12928884723.html (釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』 250909配信)
2026年06月20日
コメント(0)
霊送りの儀式―人間界に贈られた仔熊、育て霊返す<折り合いの世界> 自然と人類の線引き‐2‐ 1)自然と人間、別な関係ではなく両者に線引きしない。3)未来永劫に循環の続く世界。 そして2)には、霊送りの事例を話して、「折り合いの哲学」。 いつぞや紹介したことがある。2017年6月26日のことだが、阿寒湖畔のコタンを拠点に活動されている、音楽家の豊岡征則氏の、お話。 https://plaza.rakuten.co.jp/pacific0035/diary/2xxx-xxx-xxxxx/ その「2)折り合いの哲学」を、氏の説明にそって眺めると、掲載図のようになるのでわ。 地球が誕生して現在は、46億年と考えられているのであろうか。 そこに現生人類は、アフリカで約20万年前に誕生したと。地球を自然界の環境として、そこに遅れて人類が発生。 そもそも、自然と人類は一帯と言うことに。そこに直立二足歩行の人類が、さまざまなことを行い、また、はかり知れない思考を生み出し、繰り返している。 東洋に「生きとし生くるもの、すべてが」の思想がある。その源泉をたどり、豊岡さんの一言にたどりつく。 1)自然と人間、別な関係ではなく。2)折り合いの哲学、3)未来永劫に持続。アイヌ民族の源泉縄文文化で1.5万~1万年前の起源として、人類20万年の歴史のなかでは5%の歴史。その視点で見つめるに、仏教=1.5%、キリスト教=1%、鎌倉仏教=0.4%の時間。「万能」とされる科学は。西洋中世の発祥とするに、宗教改革とルネサンスの時期=15~16世紀なら0.35%でわ。「経済動物は人間に食われるため、人間が育てる」=西洋。「人間が生きるために命を頂く」=東洋。病気にかかった患部に、さあ手術、放射線、投薬の西洋医学&医食同源+未病の段階で巧みにつきあい+体全体を生活習慣と漢方薬の投与の東洋医学。
2026年06月19日
コメント(0)
<食べる>で育てられる家畜、生きるに<命頂く>鯨 自然と人類の線引き‐1‐若いころ、鯖田豊之著『肉食の思想』を奨められて読んだ。当時、記憶に残っているのは一つ。それは日本米の主食としの優秀性であった。惣菜なくとも米だけ食べられる。それなりに栄養を確保できる。そこそこ<腹もち>が、良い。どうやら米不足を補う外米=がいまい や、不足補完のため大豆・エンドウ・ジャガイモの米飯=混ぜ飯から解放された時期だけに、記載内容が身にしみたのだ。しかし、タイトルが「肉食 にくじき」というのだから、主題は経済動物を屠殺 とさつ して肉を主食とする思想にある、のだ。鯨の捕獲漁法に和式漁法と西洋式捕獲漁法がある。イワシなどの小魚を追って陸に近付きすぎ、腹がつかえて動けなくなった生体を攻撃して獲物とする和式。大洋を遊泳する生体に、モリ=銛などの武器で捕獲する西洋式。わが国でも近代捕鯨とされるは、後者の西洋式捕鯨。国際団体が日本の商業捕鯨を指して残酷、漁獲を認めぬと抗議活動を繰り広げた。本邦は「資源確保」のための「間引き」と主張するも、理解はされない。他方で「なぜビフテキを食べるため牛豚を平気で殺しながら、資源確保の捕鯨に対し、なぜに風当たりがつよい?」。首をかしげる。「可愛い牛豚を食べる西洋人の方が、むしろ残酷」。ウラミブシもつぶやかれる。答えはこうだ、多分。「経済動物は人間に食われるため、人間が育てる」。返すことばで「クジラは自身の力で子を産み、育てる、日本人は自然の恵みを<タダ獲り>するだけ」。背景に「自然と人類」、言葉をかえると「自然は、それを克服して生きる優秀な人類」とする<線引き>思想。対極には、「自然と人類に優劣はない」「<命を頂く>ことがなければ、人類は生き延びることができない」。そうした思い、あり。そうではないだろうか。
2026年06月18日
コメント(0)
暦年1021、26配役は抽選 當麻寺護念院「練供養」「おねり」「當麻れんぞ」と親しむ260705 7月5日朝「新日本風土記 奈良 菩薩が来た道」は、當麻寺護念院の「聖衆来迎練供養会式 しょうじゅらいこうねりくようえしき」。 西暦1005年に始まり、毎年4月14日。中将姫が當麻曼陀羅を織り上げた後、29歳で生身のまま極楽浄土へ往生した、と。 その様相を再現するのが、この練供養なのだそうだ。 中将姫は「藤原鎌足の曾孫にあたる豊成卿の娘として生まれた」とする。 金色の面に、きらびやかな装束をまとった菩薩たちが、境内に模した橋を練り歩く姿は圧巻。 演ずるのは「菩薩 ぼさつ 講」と呼ばれる地元の人たち。なかから26人が選ばれ、抽選で配役が決まる。 選ばれた<菩さつ役>は稽古を繰り返し重ね、表現を極めていく。 見守る先輩たちの励まし。実態は「叱咤激励」に近くもあるが、そこは敬愛と愛情をこめて。 そこが違う。北海道人ととして思う点は、大の男が参加、長い練習の時間をものともせずに、名誉ある大役を継承する点。 因みに、當麻寺 たいまでら は推古天皇20年=西暦612年、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王 まろこしんのう により河内国山田郷=現 奈良県葛城市に創建された寺院 創建時の詳細は不詳とされ、現在は、高野山真言宗・浄土宗に属する。 そもそも「南都六宗」ながら、平安・鎌倉を経て「北嶺仏教」に継承と、言うことか。 1966年2月、訪問した記憶はあるも、その全体像に今回、初めて接した。大の男、長時間練習で名誉の大役 當麻寺護念院260705nhk
2026年06月17日
コメント(0)
産地無策「棒たら煮」 会津若松・越後街道・棒たら煮・北前船260703 NHKBS4Kで「只見線 もういちど、日本」を見ていて「ウ~ン、産地無策」。 「会津若松・越後街道・棒たら煮・北前船」で検索したら、新潟・山形・福島・京都。 掲載写真のように、あいつぎ生地がヒット。 相当前に、京都の鯖街道に関連して、棒たら煮の記事を本欄に投稿した思い出があるも、北陸・東北にも北前船交易の恩恵が。 おもわず、唸る。今、思い浮かぶキーワードは「産地の無策」。 棒たらを木槌で叩いて、マヨネーズ。これを肴に焼酎をあける御仁。 煮物に仕上げた、それも特に「海老芋と棒たら」の「炊き合わせ」煮物には、銘酒。 大吟醸の「盃一杯」が、応えられないのでは。
2026年06月16日
コメント(0)
暦年1021、26配役は抽選 當麻寺護念院「練供養」「おねり」「當麻れんぞ」と親しむ260705 7月5日朝「新日本風土記 奈良 菩薩が来た道」は、當麻寺護念院の「聖衆来迎練供養会式 しょうじゅらいこうねりくようえしき」。 西暦1005年に始まり、毎年4月14日。中将姫が當麻曼陀羅を織り上げた後、29歳で生身のまま極楽浄土へ往生した、と。 その様相を再現するのが、この練供養なのだそうだ。 中将姫は「藤原鎌足の曾孫にあたる豊成卿の娘として生まれた」とする。 金色の面に、きらびやかな装束をまとった菩薩たちが、境内に模した橋を練り歩く姿は圧巻。 演ずるのは「菩薩 ぼさつ 講」と呼ばれる地元の人たち。なかから26人が選ばれ、抽選で配役が決まる。 選ばれた<菩さつ役>は稽古を繰り返し重ね、表現を極めていく。 見守る先輩たちの励まし。実態は「叱咤激励」に近くもあるが、そこは敬愛と愛情をこめて。 そこが違う。北海道人ととして思う点は、大の男が参加、長い練習の時間をものともせずに、名誉ある大役を継承する点。 因みに、當麻寺 たいまでら は推古天皇20年=西暦612年、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王 まろこしんのう により河内国山田郷=現 奈良県葛城市に創建された寺院 創建時の詳細は不詳とされ、現在は、高野山真言宗・浄土宗に属する。 そもそも「南都六宗」ながら、平安・鎌倉を経て「北嶺仏教」に継承と、言うことか。 1966年2月、訪問した記憶はあるも、その全体像に今回、初めて接した。 暦年1021、26配役は抽選 當麻寺護念院「練供養」「おねり」「當麻れんぞ」と親しむ260705 7月5日朝「新日本風土記 奈良 菩薩が来た道」は、當麻寺護念院の「聖衆来迎練供養会式 しょうじゅらいこうねりくようえしき」。 西暦1005年に始まり、毎年4月14日。中将姫が當麻曼陀羅を織り上げた後、29歳で生身のまま極楽浄土へ往生した、と。 その様相を再現するのが、この練供養なのだそうだ。 中将姫は「藤原鎌足の曾孫にあたる豊成卿の娘として生まれた」とする。 金色の面に、きらびやかな装束をまとった菩薩たちが、境内に模した橋を練り歩く姿は圧巻。 演ずるのは「菩薩 ぼさつ 講」と呼ばれる地元の人たち。なかから26人が選ばれ、抽選で配役が決まる。 選ばれた<菩さつ役>は稽古を繰り返し重ね、表現を極めていく。 見守る先輩たちの励まし。実態は「叱咤激励」に近くもあるが、そこは敬愛と愛情をこめて。 そこが違う。北海道人ととして思う点は、大の男が参加、長い練習の時間をものともせずに、名誉ある大役を継承する点。 因みに、當麻寺 たいまでら は推古天皇20年=西暦612年、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王 まろこしんのう により河内国山田郷=現 奈良県葛城市に創建された寺院 創建時の詳細は不詳とされ、現在は、高野山真言宗・浄土宗に属する。 そもそも「南都六宗」ながら、平安・鎌倉を経て「北嶺仏教」に継承と、言うことか。 1966年2月、訪問した記憶はあるも、その全体像に今回、初めて接した。 大の男、長時間練習で名誉の大役 當麻寺護念院260705nhk
2026年06月11日
コメント(0)
造林業経営者「人間が植えた木は、最後まで手を加えないと」 「次の百年 木と山と ~奈良県 十津川村~」260621nhkG <村面積の95パーセントが森林>とされる、紀伊半島の十津川村。 江戸期は江戸の復興&大坂の繁栄を支えた林業の地域。2011紀伊半島豪雨では激しい洪水に見舞われ、各所に<山崩れ>が発生した。 親から造林業を引き継いだ40歳の若手経営者。ナレーターを間伐作業の現場に案内し語る。 「一度、人間が植えた木は、最後まで手を加えないとちゃんと成長しな」。 「造林の大切な仕事、何年もかけて手入れしていかなくてはならない」。 最近、一次産業が縮小。 自身の代に植樹して、幾代も育樹、汗をながさぬ後世代が恩恵を被る林業。生半可なことではない、点を。 他面、投資するこtなく開発途上国から、ひたすら買い続ける船員国の経済。 木を伐りすぎて、平均気温上昇。しかし、「我が事」=「当事者意識」は、持ちにくいようで。
2026年06月10日
コメント(0)
朝日を浴び深緑愉しむ 街路樹260620。 早朝6時、ベランダに出て、朝日を愉しむ。近隣の社から時を告げる太鼓が新鮮な空気を揺する。 毎朝の日課、暮らしのリズム、生活習慣。 今朝は写真の深緑に、視線が集中。 なんとも言えぬ質量観、夏至までほどなく、5月の深緑は水無月の深緑に転じ、おもわず微笑。 その健気さに勇気、授かったワ。昨夜、ZOOMの会合も120分。20時開始の会議は気がつくと、22時過ぎ。 用意してあった北海道産ハチミツを一サジ。朝まで就寝。寝覚めの良さが、深緑の質量感に直結かも。
2026年06月08日
コメント(0)
包丁・和食・日本酒で探した「世界 注目 評価 日本産品」2606171)包丁●日本の包丁に世界が注目!世界が認めた品質と技術力 貝印株式会社 2016/6/14 https://www.kai-group.com/news/id/534/●ルーツは日本刀? 日本の包丁が世界一と言われる5つの理由 2018/11/25 https://www.lifehacker.jp/article/amazon-tojiro-factory-event/ 新潟:包丁メーカー藤次郎 「切れ味、耐久性、使いやすさ」の特性 ←1)工程数が多い、2)日本の包丁のルーツは日本刀、3)職人が手作業で行なう。 4)4. オーダーメイド品は10年の修行が必要、 5)複合材を使える●“日本の和包丁、世界で注目” MUSASHI JAPAN、欧米豪7カ国 2026/2/20 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/xxx-xxx-xxxxx.xxx-xxx-xxxxx.html TAIMATSU株式会社包丁が世界に評価され、グローバル化したのは西暦2000年頃から、か。政府広報は記載(「世界に広がる日本の包丁」)。 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201611/201611_08_jp.html 「貝印は近年、包丁のグローバル展開に力を入れている」。「海外向けの主力商品は高級包丁ブランド「旬」である」。 「旬」は2000年以来、現在まで60か国以上で販売され、累計出荷本数は世界で500万丁以上に上る。 一般の家庭から、世界を代表するレストランまで幅広く使われており、世界のナイフ業界で最高峰の賞といわれるアメリカの「ナイフ・オブ・ザ・イヤー」を10回受賞している。
2026年06月07日
コメント(0)
ライラック 260607開花に気がつき若松町で撮影 =モクセイ科ハシドイ属に分類される落葉低木。学名:Syringa vulgaris 「Syringa(シリンガ)」が属名、「vulgaris(ブルガリス)」が種小名とされる。 札幌の初夏を代表する花として親しまれている(札幌公園緑化協会) コデマリ 260614開花、熟すを見込み一枚 =春に咲くバラ科シモツケ属の落葉性低木。学名:Spiraea cantoniensis。 中国(中南部)原産で[2]、日本では帰化植物。庭や庭園に植えられる、と言うことだ。 日本では、よく庭木として植えられている、とも。 フジ =マメ科フジ属 (落葉つる性) 学名:Wisteria floribunda、別名: ノダフジ・ 日本固有種で本州、四国、九州から。 古代に蔓から藤布や縄、籠を作ったことから、布織り作業の「経(タテイト)を打つ」、 つまり経(フ)打(ウ)ちとなり、それが「フジ」に変化したと推測される。 5月サクラ、リラ・コテマリ&フジの6月 マチなかに「花暦 はなこよみ」読む散歩道260614
2026年06月05日
コメント(0)
計算美・嗜みの整備・自然体・無作為の作為・飛泉障り=日本庭園の奥義 村雨さんと日本庭園たしなみ巡りnhk 計算された美しさ・・・・・・・・・・・・「計算美」 それとなく整理の手が行き届いている・・・「そこはかの嗜み」 自然のままでありたい・・・・・・・・・・「自然体」 枝落とし太陽光にあて、芽を出させる・・・「無作為の作為」 飛泉障り(ひせんさわり)の景・・・・・・「滝全体がむき出しに見えぬよう、人為的に滝の前にさしかけたモミジなどの樹木の枝を滝の近くに配する」 総じて<我が事として取り組まないと持続しない>。 加賀百万石の城下町で兼六園。最後に訪問は2003年9月のことか。
2026年06月03日
コメント(0)
東京・小石川後楽園を訪問したのは2008年10月であったか。2泊3日の缶詰になった調査が終わり、時間延長を見越して追宿した後の、ホッとした気持ちの時であった。 最近、「村雨さんと日本庭園たしなみ巡り」は、7話、放送されたようでだが、視聴の記憶があるのは。次の4庭園。 荏原 畠山美術館 =東京、港区の荏原畠山美術館に「壮麗な日本庭園」 小石川後楽園 =スウェーデン出身の庭師・村雨さんと日本庭園をめぐる第1回放送。 清澄庭園 =「名石の庭」と言われる東京・清澄庭園。三菱財閥の岩崎家。 有楽苑 =愛知・犬山の有楽苑で茶室の庭「露地」のたしなみ巡り ただ、ネットによると、小石川後楽園に続き、次の六庭園も。 妙心寺 退蔵院 =砂などだけで作られた庭園「枯山水」。「全宇宙を表現」とは、砂の模様に隠された意味?。 三千院 =紅葉で名高く、息呑むほど美しい苔の絨毯。大原の環境がないとあの苔は見られず、苔育む条件とは。 三溪園 =「横浜・みなとみらい」に近い広大な庭園は誰が何のために造る? 二条城(京都) =大政奉還の間だけではない!。徳川幕府の思惑満載の庭。 兼六園 =紅葉真っ只中。雪吊り、誰もが写真を撮る「ことじ灯籠」。 無鄰菴 =日本有数の豪邸街たる京都・南禅寺界隈別荘群にある"近代日本庭園。明治の元勲、山縣有朋の別荘とは、良く知られる。 計算された美と心くばり 「村雨さんと日本庭園たしなみ巡り」nhkBS
2026年06月02日
コメント(0)
印度哲学に興味 中村元&増谷文雄読む 東京大学教養時代 前川喜平・平和教育・辺野古260527『東京新聞』のYouTube情報に「前川喜平 辺野古 平和学習」の配信。 元前川喜平氏を新聞社本社に招き、望月衣塑子記者が尋ねる内容。 42歳で文化庁文化局宗務課長&62歳で文部科学事務次官を歴任した評論に、なぜ?、の思い。 一に、「名は体をあらわす」ではなきいが、「教義など団体の実体に変化がないと名前は変えられない」の、行政センス。 二に、「官僚と政治との間合い」感覚。 三に、忖度なきスタンス。 その略歴には、以下の記載も。 「第二外国語でロシア語選択」「原始仏教、インド哲学に興味を持ち」「中村元、増谷文雄の著書をよく読んだ 」、と。 記載の出典は辻田 真佐憲「前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー」。 中村元、増田文雄ともにサンスクリット語を解する立場にあった。 中村は東大で印度哲学を担当。増谷は東京外語大で『法句経 ほっくきょう』など原始仏教の釈書が多く、新制大学の教養時代に読んだことがある。 二者択一の立場をとらずに「折り合い」、しかし、形と意味を、常に厳密に問うことに。
2026年06月01日
コメント(0)
全25件 (25件中 1-25件目)
1

![]()
