全5件 (5件中 1-5件目)
1
愛知県犬山市にある 博物館明治村 のご紹介です。先日、 海上保安庁 からのお知らせで、11月1日が「灯台記念日」なので明治村の3丁目にある品川燈台でイベントが行われるとのことでした。私の場合、ちょうど年間パスポートの更新もあったので、久しぶりに明治村に行ってきました。( ↑ ここ数年は年パスを使う回数がホントに少なくてちょっともったいない感じだけど、やっぱり更新しています)この品川燈台はふだんは中に入れなくて、隣の資料館だけ見学することになってます。 ⇒ ⇒ こちら でも年に一度、灯台記念日前後の週末だけは燈台の中を見学できることになっているようです。なかなかない機会なので私も見学してきました。 ⇒ ⇒ こちら 私は昨日の金曜日に行ってきました。時期的に遠足のシーズンということもあり、村内はいろいろな学校の学生たちで混雑していました。でもこちらの燈台に興味がある学生はあまりいませんでした。燈台は一人ずつの見学なので皆さん並んで待っています。私の順番が次なので、前に人がいないうちにまず全体をパシャリお天気は快晴で、青空に万国旗が映えてラッキーでした。品川燈台の内部は、このように人が一人やっと通れる幅です。燈台のてっぺんのガラス部から外を眺めています。明治村の、この日だけの特別なアングルです。真っ黒な海に光を遠くまで届けるレンズ部です。これがどのような光を出していたのか、ちょっと気になります。内部を見学して下りてきたら、私の次に順番を待っていたどこかの学生たちが、記念撮影をしていました。カメラマンをしているのは先生です(とても若い)この後、常設展示の資料館を見学しました。カーテンで仕切られた暗い部屋に入ると、人感センサーでレンズが回転を始めます。説明には「水銀槽式回転機械」とあり、昭和2年に神島灯台に設置されたものです。30秒ごとに3回光がきらめく回転灯とあります。資料館の外では海上保安庁の皆さんがペーパークラフトやバッジを用意していて、今日の記念にくださるとのことでした。私もペーパークラフトをいくつかとバッジと海上保安庁のパンフをいただきました。
October 30, 2021
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。人の価値観は、生まれ育ちと大人になってからの人生で大きく変わるものだと、岩崎弥太郎(中村芝翫さん)の登場で実感した回でした。裕福な農家育ちの渋沢栄一(吉沢 亮さん)と、そこそこの武家の出である井上 馨(福士誠治さん)は、もちろん親のまっすぐに生きよという教育もあるでしょうが、ドラマの中では自分の意見を大事にできる立場が多いようです。対照的に岩崎弥太郎は下級武士出身ゆえか、人に頭を下げて下げて生きてきて、自分の主義主張よりも金を儲けて権力を持つことの重要性を優先して、都合がいい話には機を逃さず乗じて、富と権力を作っているように思えました。そしてもう一つ、私が興味をそそられたのが「筆算vs算盤の対決」でした。筆算では、てっきり5・6段をまとめて計算するかと思ったけど、あれは2つずつ計算を進めていくのでしょうか?また算盤では、ドラマの中では読み手がいましたが、算盤を習った人ならたいてい、左手で伝票をめくりながら計算するのを練習しているから、読み手はいなくてもできるものかと思っていました。算盤は計算の答えが珠の形ででているのがいいですね。また算盤もふつうの計算も同じですが、何度も繰り返し練習すると、例えば「5+8=13」のように計算を記憶してしまい、それが計算の速さにもつながります。なんにせよ昔の人が言う「読み・書き・そろばん」は学問の基礎であることに変わりないと思っています。大河ドラマ館も2か所でオープンしています。※埼玉県深谷市 こちら ※東京都北区 こちら ※こちらも盛り上がっています ⇒ #青天を衝け ドラマ内のことが解説されてます #青天ナビ 明治6年(1873)5月、渋沢栄一(吉沢 亮さん)は井上 馨とともに官を辞しました。栄一は自分を引き留める三条実美(金井勇太さん)や玉乃世履(高木 渉さん)に、「役人が偉くて商人が卑しいという考えこそなくしたい。商人こそ志が必要。産業が発展しなければ国に金が生まれない。自分はその民の魁となりたい。」と迷うことなく考えを述べ、政府を去りました。その後、栄一は民間資本による日本初の銀行となる第一国立銀行の総監役に就任し、出納は従来の帳面ではなく西洋式の簿記を習得するよう皆に言います。授業に先立ち、簿記を教える紙幣頭附属書記官のアラン・シャンド(リカルド・バリツァリさん)は、西洋数学には筆算があるから算盤は必要ないと言って皆から算盤を没収しようとしますが、栄一はそれに反論し佐々木勇之助(長村航希さん)が代表で出てシャンドと計算の対決をすることになりました。結果は算盤の勝ちで、シャンドは算盤を使うことを渋々認めました。栄一が総監役となった銀行は開業しましたが、まだまだ問題が山積みでした。まずは働く者たちが銀行というものをわかっていない、株主も貸出先も三井と小野の関連ばかり、三井と小野が双方で張り合って揉め事が絶えないというありさま。栄一は、思い起こせばパリでも話が合わない人たちの仲介ばかりしていたと、栄一を訪ねてきた五代友厚に愚痴をもらしました。そんな栄一を五代友厚(ディーン・フジオカさん)は、そうやって手を結ばせることがカンパニーだと励まし、自分も今は西でカンパニーをしていると語ります。そして栄一が、五代が途中で投げ出した政府の仕事を自分はやれる限りやってきた自負があると言うと、五代は「先に民に下った自分からアドバイスがある。商いは魑魅魍魎が跋扈している。」と栄一に伝えました。井上と栄一は政府を去ったときに、新聞社を通じて政府の内情を暴露する投稿をしていて、このことを三菱商会の岩崎弥太郎(中村芝翫さん)「(いくら正論でも)元いた場所をけなすのは一文の得もない。」と批判しました。そして井上と渋沢が辞めた後の大蔵省にこれから自分が行ってやると不敵に笑いました。冬になり、栄一の母・ゑい(和久井映見さん)が体調をひどく崩したので、東京の良い医者に診てもらおうと栄一は母を呼び寄せました。栄一の妾のくに(仁村紗和さん)とその子の存在を栄一の姉のなか(村川絵梨さん)は快く思っていませんでしたが、ゑいにとっては栄一の子であることに変わりなく、孫のふみを愛おしく感じていました。しかしゑいは、ただ栄一の妻の千代(橋本 愛さん)にだけは、妾のくにのことを含めいろいろ申し訳ないと思っていました。そんなころ渋沢喜作(高良健吾さん)がイタリアから帰国し、栄一を訪ねてきました。喜作は、今の政府は西郷隆盛と江藤新平が出ていって岩倉具視と大久保利通が牛耳る状態で面白くない、自分も辞めて出ていく、横浜で生糸の商いをすると言います。折しも、従兄弟の尾高惇忠が監督を務める富岡製糸場で作った生糸がウィーンの万国博覧会で二等進歩賞を受賞し、製糸業が盛んになりつつありました。 ⇒ こちら 栄一は忙しいけど富岡と徳川慶喜のいる静岡に行ってくると言い、喜作を誘いますが、喜作は慶喜に合わせる顔がないと言って栄一の誘いを断りました。母・ゑいは栄一が役人の仕事を辞めたことを案じていましたが、栄一は商人の今の仕事のほうがよほどやりがいがあると母に答え、そして今進めている銀行の券を母に見せて、これを今はアメリカに頼んでいるがいずれは日本で作りたい、紙幣・切手・土地の証書などの元になる洋紙が日本で作れれば「みんなが便利になる」と母に語りました。世の中が良くなる夢を語る栄一にゑいは一言だけ「近くにいる者を大事にするのを忘れてはいけないよ」と念を押しました。栄一の娘・うたが学校から帰宅し、皇后様が蚕に手ずから桑の葉を与えているという話になり、皆でお蚕さまの歌を歌っていました。その歌声は離れた部屋にいるくににも聞こえてきました。妾という立場ではあっても、栄一の世話を受けることができて生活は安泰。本妻の千代は自分に辛く当たったりしないどころか、むしろ優しい。それでも、自分はあの声の輪の中に入ってはいけない。いつも一歩控えてそれで十分だけど、どこか寂しさを感じたときでした。そして、ゑいの最期のときがきました。医師が家族を皆集めるように言ったとき、千代は別室のくに母娘も連れてきました。千代はくにに部屋の中に入るよう勧めますが、くには遠慮して廊下に座りました。朦朧とする意識の中でゑいは「栄一、寒くないか?、ごはんは食べたか?」とすっかり立派にな大人になった息子の身を案じ、嫁の千代には「ありがとうね」と言葉を残して息をひきとり、あの世に旅立っていきました。年が明けた明治7年(1874)1月、岩倉具視(山内圭哉さん)は西郷隆盛を慕う不平士族に襲撃され、岩倉の命は助かりましたが、その後も江藤新平が佐賀で乱を起こすなど西日本の各地で不平士族たちが不穏な動きを見せていました。大久保利通は士族たちの不満をそらすために台湾出兵を考えていました。しか出兵となると人員や物資を運ぶ輸送手段が必要となります。アメリカの海運会社は中立を理由に拒否、三井は返事をはぐらかして動かず。業を煮やした大久保利通(石丸幹二さん)と大隈重信(大倉孝二さん)は、政府の言うことを素直に聞く商人を求め、三菱商会の岩崎弥太郎に兵と物資の輸送を命じました。これを好機ととらえた岩崎は政府の命令を快諾すると同時に、三井と小野のこれまでの優遇をやめるよう大隈に進言し、放漫経営の小野が危機に陥りました。これは小野に大金を貸し付けている第一国立銀行が破産する危機でもありました。
October 26, 2021
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。今回は最初にまず、渋沢成一郎(高良健吾さん)が釈放されて、名前を喜作に戻して復帰しました。私はこの作品では高良健吾さんがすごく目に留まっていたので、喜作が髪も短く断髪して明治の男となって出てきたのは嬉しかったですね。また尾高惇忠(田辺誠一さん)の官営富岡製糸場では、工場の操業までにさまざまな苦労がありました。長さの単位やレンガの作り方や地元の人々の反発など、そしてトンデモナイ悪い噂など想定外も含め、本当にいろいろなことがあったとドラマを通じて知りました。そして吉沢 亮さん演じる渋沢栄一の心情の変化。現代でもよく子供が親の、あるいは組織で部下が上司のやり方に反発を覚えつつ渋々従っていて、でも歳とってその立場になったときに、気が付いたらあのときの親/上司と同じことをしていた、というのがあると思います。問題はその先で、気が付いた時点からどうするのか。安泰のために仕方のないことと同じことを繰り返すのか、あるいはこれではいけないと方向転換するのか。渋沢栄一氏は英断できたけど、凡人にはなかなか簡単にできない難しいことだと思います。さて、毎度の地図のゼンリンさんの地図資料です。第一国立銀行は、1873年日本橋兜町に設立されました ⇒ ⇒ こちら 三野村利左衛門さんのお宅は深川、現在の #江東区清澄 にありました ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館も2か所でオープンしています。※埼玉県深谷市 こちら ※東京都北区 こちら ※こちらも盛り上がっています ⇒ #青天を衝け ドラマ内のことが解説されてます #青天ナビ 明治4年(1871)の晩秋に渋沢栄一(吉沢 亮さん)の父・市郎右衛門が他界、血洗島の実家は従兄弟の須永才三郎が妹・ていの婿となって継ぐことになって一安心でしたが、栄一の身には思いもよらぬことが進展していました。大阪に出張した折に、情にほだされて手を出してしまった女中のくに(仁村紗和さん)に子ができていたのです。栄一は身よりのないくにを東京に呼び寄せ、千代(橋本 愛さん)に土下座して詫びます。放っておいてもどのみち栄一が他の場所で囲うだけだし、千代はくにに「ここで一緒に暮らせばよい」と伝え、やりきれぬ思いを必死で抑えていました。函館戦争(1869)の後に投獄されていた渋沢成一郎(高良健吾さん)は、栄一が身元引受人となって釈放され、喜作と名を戻して栄一の家に来ていました。この数年間で大きく道が違ってしまった二人。戦争で地獄を見た喜作は新政府の官僚となって出世した栄一に嫌味を言いますが、幼い頃より共に過ごしてきた栄一は遠慮なく喜作に言い返し、喜作もまた言い返します。戦争で味わった辛い思いを涙ながらに腹の底からぶちまける喜作に栄一は「死なないでよかった。生きていればこうして文句も言い合える」と。そう言われて喜作は「うるせぇ。」と言いつつも心はわだかまりがとけて、互いに再び昔からの一番の友に戻りました。その後で喜作は妻のよしとも再会し、互いの無事を喜び合いました。岩倉使節団が外遊に出た後、井上 馨(福士誠治さん)は今のうちに経済と税制を立て直そうとし、井上の下で働く栄一も奔走していました。抜け目のない大久保利通は「使節団派遣の間は新規の改正をするべからず」と言い渡していきましたが、栄一はそれを「廃藩置県のためのことなら大いにやれ」と解釈し、今後の日本の経済の発展のためにバンクの設立を強く訴えていました。ある夜、大隈重信(大倉孝二さん)の屋敷に集ったときに、栄一がなぜ大隈が使節団に加わらなかったのかを訊ねたら、大隈の性格が大久保に疎まれていて、その部分は親友の五代友厚からも忠告された、とのことでした。上記リンクの#青天ナビによると、 ⇒ ⇒ こちら 日本初の国立銀行の設立に向けて動き出した栄一は、商人の力をもっと大きくするためにも三井組と小野組が協力して合本でやるように言います。しかし三野村利左衛門(イッセー尾形さん)も小野善右衛門(小倉久寛さん)もどちらも自分たちが一番にと譲らず、話がまとまりません。そこで栄一は、「この話が遅れれば国の損失となる、できないなら三井組と小野組の官金取り扱いをやめる」と言い渡し、三井と小野を強引に動かしました。栄一の推薦で明治政府で働くことになった喜作は、官営工場として稼働に向けて動いている富岡製糸場に派遣され、すでに日本側の責任者として働いている従兄弟の尾高惇忠(田辺誠一さん)や指導にあたるフランス人のブリュナ(マッシモ・ビオンディさん)たちの仕事ぶりを間近で見ていました。喜作はこの場所にこんな立派な工場ができることに驚き、かつて攘夷を唱えていた惇忠が異人と一緒に働いていることに驚き、世の中の変貌を実感していました。そして喜作はつい惇忠に、栄一の変わりようと栄一との境遇の差をぼやきますが、惇忠は「生き残った以上、自分たちも前に進もう」と喜作を鼓舞しました。明治5年(1872)夏、東京の兜町に清水喜助が設計施工した三井組ハウスが完成し、洋風建築の洒落た建物を井上 馨は大いに気に入りました。初めは井上を歓待した三野村でしたが、井上が「ここが日本初の銀行となる。両替店ではもったいない」と言ったことで、三野村は慌てて事の真相を確かめました。すると三井組ハウスを合同銀行にしようとしているのは、井上の意をくんで動く栄一だったことがわかり、栄一は三野村に「今から合同銀行を新規に普請しても、時も費用ももったいない。三井一門は政府を敵にしても断るのか。」と強気な態度に出ます。しかし若造の官僚にそう言われてまでおとなしく引き下がる三野村ではなく、承知したと伝えた去り際に「(栄一が)あれほど『商人の力』と言ってても、しょせん商人はお上の顔色をうかがって地面に這いつくばるのみ。徳川の世と変わらない」と栄一に残します。この言葉は栄一が血洗島で百姓だった頃のことを思い出させ、栄一の胸に刺さりました。富岡製糸場の建設が進み建物は完成したものの、若い娘の生き血をとるとかの悪いでまかせが村々で噂として流れ、いくら説得しても工女が一人も集まりませんでした。そこで尾高惇忠は娘のゆう(畑 芽育さん)に伝習工女になってほしいと頼みます。どうしたらと迷うゆうに一緒に話を聞いていた祖母のやへ(手塚理美さん)が「今まで惇忠をはじめ男たちは考えや外での行動を何も言わなかった。でも今、惇忠が娘に頭を下げて助けてくれと頼んでいる。うれしいじゃないか。行っておやりよ。」と。祖母・やへの口添えもあり、ゆうは父の下で富岡製糸場の伝習工女となりました。ゆうの決心のおかげで悪い噂は消えて近代化された工場には工女たちが次々と集まり、翌年には工女は500人を越え、富岡製糸場は女性の社会進出の先駆けとなりました。ちなみに、明治時代の製糸工場というと『女工哀史』にあるような、劣悪な環境の中で貧しい少女たちが長時間労働させられる姿を想像してしまうのですが、官営のこの富岡製糸場では恵まれた労働環境だったそうです。 ⇒ ⇒ こちら 製糸工場で生き生きと働く女子たちを見た喜作は、工女たちを「国を支える立派な富岡工女だ」と讃え、自分ももっと気張らねばと言います。そんな喜作は、政府の募集に応じてイタリアで製糸の商いを学んでくると言い、そこには若い頃に自分と切磋琢磨しあった喜作の姿があって、栄一は嬉しくなりました。この頃、予算を握る大蔵省と各省の間で対立が激しくなり、議論をしても堂々巡りで西郷隆盛(博多華丸さん)は嫌気がさし、ふらりと栄一の家を訪ねてきました。西郷は「今までこの国が良くなるよう無我夢中で働いてきたが、あれでよかったのか」と語り、栄一も実は自分も同じ思いだと答えます。さらに西郷は「あんな時分に将軍になった慶喜公は、重荷をものともせずに徳川を立て直した化け物だった。自分と大久保はそれが恐くて必死で潰した。今のままでは慶喜公に申し訳が立たん。」と本音を語ります。そして栄一に「いろんな道がある。後悔せんように」と言い、今の自分の位置が自分に合っていないと感じる栄一は、妻の千代に大蔵省を辞めると告げました。
October 19, 2021
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。今回の見どころは、「実は一大事だった廃藩置県」でした。「1871年、廃藩置県、全国の藩を廃止して国直轄の県としたこと」といった具合に、学校の歴史の教科書では暗記事項として年号と語句とざっくりした内容だけを覚えました。でも実は、明治天皇が廃藩置県の詔を出すまでにこんなにも大変なことがあって、これを成し遂げたことが欧米諸国では日本の無血革命とニュースで伝えられるほどの一大事だったなんて、今日まで知りませんでした。この先も文明開化で次々と変革が成されていく明治時代。次回はいよいよ富岡製糸場が出てくるし、こうしてドラマでその中身を知ることができると、より面白いですよね。それにしても主役の渋沢栄一を演じる吉沢 亮さん。新政府の役人となり洋装になってからカッコ良さにますます磨きがかかったようで、つい見惚れてしまいます。年齢的にもご自身が27歳で、演じる渋沢栄一はアラサー。ちょうど同じ年代での活躍だから、より自然ですよね。でもこの時代の方々は、20代30代で国を動かし、この国を発展させて強くすることを考え、国の行く末を決める大きな決断を幾度もしていて、今の時代から見ると本当にすごいことをやってたのだと思うばかりです。大河ドラマ館も2か所でオープンしています。※埼玉県深谷市 こちら ※東京都北区 こちら ※こちらも盛り上がっています ⇒ #青天を衝け ドラマ内のことが解説されてます #青天ナビ 明治維新の後、渋沢栄一(吉沢 亮さん)が統率する改正掛は一丸となって目覚ましい働きをしていましたが新政府の首脳部は一丸となれず、軍を束ねる西郷隆盛の力を必要としていました。明治4年(1871)栄一は大阪の造幣局に出張していて、そこで幕末期にフランスで苦汁をなめさせられた五代友厚(ディーン・フジオカさん)と再会します。栄一の思いを知らない五代ですが、皆との雑談の中で「国のためを思うならまちっと大きな目で仲良くやらなければ」と考えを述べました。その夜は三井組番頭の三野村利左衛門が主催する宴があり、栄一も参加しました。宴の途中で中座したとき五代から声をかけられ、二人だけで話をしました。共に渡欧して先進国を見てきたもの同士の話が進む中で元幕臣の栄一は、徳川はパリの博覧会で五代の策略ですでに負けていたと恨み言のように言います。しかしそれを聞いた五代は自分の働きをわかってくれて嬉しいと、さらに日本も変わらなければならないのに進まない、自分は日本にカンパニーを作って商業の基礎を作りたいと言い、栄一もその考えには賛同でした。料亭の女中の大内くに(仁村紗和さん)は栄一を一目見た瞬間から、戊辰戦争に駆り出されたまま帰ってこない夫によく似ていると気になっていました。栄一も戦争で家も失ったというくにがどことなく気になり、くにが栄一の繕い物を部屋に持ってきたときについ・・というか、栄一、魔がさした瞬間でした。渋沢栄一氏にお妾さんがいたという史実をこの大河ドラマではどう扱うのか・描くのかと思っていたら、「呼び止めて、部屋から手だけが出てきて、部屋に引っ張り込む。そして音楽が止まる」~~こういうのもあるのですね。明治4年(1871)7月、政府の首脳部は相変わらずまとまりがなくて方針も定まらず、業を煮やした西郷隆盛は「戦じゃ!」と言って一人退席していきました。西郷の言葉の真意を計りかねる栄一と杉浦 譲に井上 馨(福士誠治さん)が内密で、あれは戦覚悟で廃藩置県をやれということだと話してくれました。しかし藩をなくすと士族たちは禄を失い暴動が起こる、各藩の負債や藩札はどうなる、各藩の藩札の価値の違いはどうしたら、無駄な争いを避けるために金のことは明確にしなければと栄一は進言します。それを聞いた井上は大いに納得し、その手筈を改正掛がつけるよう栄一に命じました。栄一の進言は認められたものの、全国の藩札の相場・発行高、負債の総額を調べ上げ、租税の方法や種々の事業の後始末などの全ての算段をつけるということは全くもって容易なことではありませんでした。しかもそれをあと4日でやれと言う井上。栄一はあまりにも無理だと反論しましたが、井上は、内密に支度して布告するにはそれしかない、やはり無理なのかと嘆きました。しかし言いたいことを言ったら闘志がわいてきたのか、栄一はやってやろうという気になり、皆に呼びかけます。「あと4日でこの作業を終えることができなければ、日本は必ずまた戦になる。」それを聞いた杉浦 譲(志尊 淳さん)が「逆に終わることができれば、明治になって初めて新政府の基礎ができるんだな?」と問うと、「真に強い日本をつくるためだ!やるしかねぇ!」と栄一は力強く返答しました。そして玉乃世履(高木 渉さん)も「やり遂げよう!」と続き、皆も賛同してここに改正掛は一致団結してこの大仕事に取り掛かっていきました。改正掛はここから4日間、寝る間も休む間もなく働きに働きました。藩札をなくするにあたり人々が生活を維持するためには、いくら保証すればよいかーー全ての藩について洗い出しました。そして明治4年(1871)7月14日、明治天皇より廃藩置県の詔が出されました。全国に260あった藩は廃止され、かわって府と県が置かれると周知されました。この廃藩置県は世界に類を見ない無血革命として、驚きをもって伝えられました。「諸藩の藩主がログインしました」「オンライン廃藩置県」「ZOOM廃藩置県」etc..今の時代ならではの画面に視聴者のコメントがいっぱいありました。私はそれよりも、16×16=256 の画像を見て、256人の俳優さんを集めてカツラを付けて撮ったとは思えず、小さい画面の方は着物と背景を変えて兼任しているのでは?と思ってしまいました。活躍が認められ、栄一は大蔵大丞に出世しました。改正掛の仕事場に大久保利通(石丸幹二さん)がやってきて、廃藩置県によって税が入るから、陸軍の歳費を800万円、海軍の歳費を250万円に定むことになったがどう思うか?と栄一に問います。栄一は「国にまだ金がない中で巨額な支出を決めるのは甚だ危険。民の税は打ち出の小槌と同じにされては困る。せめて1年後の国の歳入額がわかってから」と訴えます。栄一の反論が気に食わなかったのか、大久保は改正掛の解散を命じました。そして大久保は、自分たちも西洋を直に見て学ぶ必要があると岩倉具視に進言し、その年の11月に岩倉使節団はアメリカに向けて出発しました。岩倉使節団が日本を出てしばらくして、栄一の元に血洗島にいる父・渋沢市郎右衛門(小林 薫さん)が病で危篤との知らせをうけ、栄一は急ぎ駆け付けました。少し持ち直した市郎右衛門は栄一が来たことに気が付き、身体を起こして家のことを栄一にいろいろ話しました。そして「もう心残りはない。俺はこの渋沢栄一の父だ。こんな田舎で生まれ育った己の息子が天子様の朝臣になると誰が思うもんか。お前を誇りに思っている。ありがとう。」絶え絶えな息で市郎右衛門は栄一に全ての思いを伝えました。その2日後、市郎右衛門は家族に看取られながら息をひきとりました。働き者で村の発展に尽力した市郎右衛門の野辺送りには多くの村人が集まり、皆で静かに手を合わせて棺を見送りました。父の葬儀が終わって家に戻った栄一は、父が懸命に働いてきた証の「藍玉通」の帳面を眺めながら、厳しかったけど優しかった父との思い出を偲んでいました。「なんと美しい生き方だ」ーー父は栄一の誇りでした。うまい役者さんは相手にその感情を出させると言うけど、父・市郎右衛門との最後の会話で栄一役の吉沢 亮さんが「役者人生で初めて無意識で 涙が出てきた」と語るほど、小林 薫さんのとっさまはお見事でした。
October 12, 2021
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。今回は渋沢栄一(吉沢 亮さん)が取りまとめになって「改正掛」が発足し、いよいよ明治新政府による数々の改革が始まりました。学校の歴史の教科書に出てくる版籍奉還・廃藩置県、五箇条の御誓文・五榜の掲示、徴兵令、地租改正といったものの他にも、改正掛での日本が統一国家になるために急ぎ整備しなければいけないことの意見交換では、租税・貨幣・測量・駅逓・戸籍・殖産興業・電信といった言葉が次々と出てきて熱い議論が交わされました。先を行く西洋諸国に追いつくために日本は新しく生まれ変わらなければならず、当時の人々が「自分は〇〇の父となる!」と志を持って粉骨砕身していたのかと思うと、胸が熱くなるものでした。今回は特に大きな感動の場面はなかったものの、改正掛の役者さんたちの演技のエネルギーに引き込まれました。さて、今回のゼンリンさんの地図資料です。明治2年当時の栄一邸を、文献から推定してみました ⇒ ⇒ こちら 明治4年 郵便制度発足 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館も2か所でオープンしています。※埼玉県深谷市 こちら ※東京都北区 こちら ※こちらも盛り上がっています ⇒ #青天を衝け ドラマ内のことが解説されてます #青天ナビ 明治2年(1869)11月、これからの日本に必要な物事を考え決定事項をすぐに実行できる組織が要ると考えた渋沢栄一(吉沢 亮さん)は、大隈重信や伊藤博文の賛同を得て「改正掛」を発足させました。各方面から人材が集まり、日本が統一国家になるために急ぎ入用なものの意見交換では、租税・貨幣・測量・駅逓・戸籍・殖産興業・電信など、それぞれが第一と考える意見が次々と出て、活発な議論がなされました。しかし中には旧倒幕側の玉乃世履(高木 渉さん)のように、改正掛を取りまとめるのが旧幕臣の栄一であることに強く不満を抱く者もあり、玉乃たちは栄一の下で働きたくないと大隈重信(大倉孝二さん)にかけあっていました。そういった声は栄一の耳にも届いていましたが、新しい国をつくるためにやることが山ほどある栄一は玉乃たちを気にすることなく仕事を進めていました。藩札・測量・鉄道そして改正掛の仕事部屋の件を大隈から太政官に進言してもらうよう頼んで、忙し過ぎる栄一は足早にその場を去っていきました。栄一は東京で元旗本の屋敷を譲り受けて住まいとし、改正掛では皆のアイデアを次々と立案して実行していきました。改正掛の皆はそれぞれが自分の仕事に邁進し、栄一だけでなく誰もが「時が足りん!」と思うほど忙しく、その働きぶりに大隈も大満足でした。改正掛の皆は夜は築地の大隈邸に集まり、ここでも意見交換をしました。大隈が、日本の生糸の品質が諸外国に評判が悪い、早く日本にも製糸工場をつくるよう催促されていると話をしたとき、大隈も杉浦 譲(志尊 淳さん)も、生糸がどのようにしてつくられるのかを知らないことに栄一は驚きました。そこで栄一が「お蚕様」のこと一から説明するとその話を皆も耳を傾けて聞き、大隈の妻の綾子にいたっては小さな虫からこのように美しいものがと感心していました。そして養蚕に関することは栄一に任されることになりました。幕末に西洋の進んだ技術をしっかり見聞きして勉強してきた旧幕臣たちの働きぶりは目覚ましいもので、改正掛に旧幕臣たちを登用したことに大隈は満足していました。しかしそこに大隈の上役の大久保利通(石丸幹二さん)が入ってきて、改正掛の一連の改革が太政官に十分な説明がなされていない、改正掛が出過ぎたまねをして政府の和を乱していると怒り心頭でした。ただそう言われて黙っている栄一ではなく、政府に金がないのは事実、建武の中興のようにならないよう自分たちは粉骨砕身していると、大久保に反論しました。明治3年(1870)春、血洗島から栄一の父・渋沢市郎右衛門(小林 薫さん)と母・ゑい(和久井映見さん)が、東京の栄一の家を訪ねてきました。信じられないほど大きな屋敷を構え、新政府の仕事を担うという自分にはもう手の届かないところまで大出世した息子に、百姓の自分が今まで通りの物言いをしてはいけないと考えた市郎右衛門は、嫁の千代(橋本 愛さん)を奥様と、栄一を殿様と呼びました。自分に敬語を使う父に落ち着かないながらも栄一は父から、従兄弟の尾高惇忠が生糸で国を富ませたいと志をもち、研究を重ねている話を聞きました。改正掛の仕事は多難の中で着々と進み、前島 密(三浦誠己さん) は飛脚便制度の案がまとまって皆に公表しました。政府は東京ー京都間の信書のやりとりのために飛脚問屋に大金を支払っているが、この金額を費やせば東京ー大阪間に、毎日一定の時刻に各一便の政府の飛脚便を仕立てることができ、さらに一般の通信も取り扱えば送達料を取ることができる。浮いた金はそのまま他の線路を拡張する基金に回すことができ、やがて日本中に配達の道を広げられる、というものでした。前島の案は建議書となって出され、岩倉具視は快く思いませんでしたが、大隈が「西洋では政府が飛脚の権を持っている」とうまく補足し、その案は承認されました。栄一らはこれを実現させるための方法を考え、新事業の名前を「郵便」とつけました。前島が「私は日本の郵便の父になる!」と立ち上がって叫ぶと、「なら私は戸籍の父になる!」「私は測量の父だ!」「造船の父!」「海軍だ!」と次々と宣言し、日本を西洋に負けない国にしようと意気込む皆の士気はますます高まっていきました。しかしその数日後に前島は鐡道借款の処理を命じられてイギリスに渡ることになり、郵便事業のことは杉浦に託しました。さらに、これまで改正掛のことを擁護してくれていた大隈が民部省から追い出され、後ろ盾がなくなった栄一は今後の活動に不安を感じました。そんなある日、栄一が帰宅すると尾高惇忠(田辺誠一さん)が家に来ていました。知識も人の上に立つ才覚もある惇忠に栄一は新政府への出仕を求めますが、新政府に弟の平九郎を無残に殺された惇忠には受け入れられない話でした。そんな惇忠に栄一は、自分たちだって異人を焼き殺そうとした、戦は人を狂気にする、新しい世をつくるんだ、己の手で国を救えるならなんだってやると思いを伝えました。そして年が明けた明治4年(1871)、いよいよ郵便事業が動き出しました。東京郵便役所に集められた書状の行き先を調べ、貼られた切手に検印の版を押します。うまく行けば3日後に弟から返事が来る杉浦はその時を心待ちにしていました。果たして杉浦の元には弟からの返事が届き、切手もはがれずにちゃんと届いた手紙を見て、改正掛の皆は歓喜にわきました。そして一つの事業の成功は、次の事業を進める意欲となっていきました。ある日、栄一のところに玉乃が怒鳴りこむようにやってきました。何事かと思ったら「認めたくはないが」と話を切り出して、栄一に対し「貴公は仕事の早さにしろ気概にしろ、実に得難い徳川秘蔵の臣だ。今までの無礼を謝りに来た」と。そして「これからは力を合わせたい」と気持ちよく申し出たと思ったら「貴公の親族である尾高殿も才も学もあり、登用するにふさわしいお方」と言い、玉乃が視線を向けた先には惇忠がいました。惇忠は新政府へのわだかまりを捨て、新しい国をつくる一員となることを選びました。富岡製糸場顧問のポール・ブリュナ(マッシモ・ビオンディさん)を栄一に紹介され、ブリュナから握手を求められたときに少しためらいましたが固い握手を交わしました。一方、静岡にいる徳川慶喜のところには栄一からの手紙が届き、そこには日本を新しく生まれ変わらせるために粉骨砕身するという、栄一の決意がしたためられていました。
October 6, 2021
全5件 (5件中 1-5件目)
1