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昨日の金曜日は全国的に大荒れの天気でした。全国的に強風が吹き荒れ、気温もぐんと下がりました。この地方はまだ小雪でしたが、北国のほうでは大雪が真横になって吹雪いていました。ただ次の日の予定とかいろいろあって、私はこんな日に洗濯をして、しかも外に干していました。午後からは雪が強まるけど、午前中は小雪の予報で空もまだ薄雲の状態だったので。大丈夫です。ちゃんと私なりに計算していました。この強風です。気温が低いから雨雲は雪になるので、これだけ強風なら小雪程度なら吹き飛ばしてくれると予想しました。結果、3時間外に出した洗濯物は風でかなり乾きました。強風で洗濯物に着雪もほとんどなく、少し着雪した雪も溶けて水になって濡れることもなく、バッ、バッ、と払えば雪はすぐに落ちました。戦国モノのドラマなんかで戦を仕掛けるタイミングを計る武将や軍師が「この風を待っていたのだ」なんてセリフもありますが、まあそんな感じでしょうか。もちろんこれで完璧には乾きませんから、その後でコインランドリーに行き、100円分回して綺麗に乾きました。ただこんな日に外干ししている家はどこにもありません。ご近所さんから「あそこの家の人、アタマ大丈夫か?」なんて思われたか・・・。ま、気にしないことにして。画像は、愛知県犬山市にある明治村の 帝国ホテル 中央玄関 昨年の10月にこの場所で、陸上自衛隊 第10師団(名古屋市守山区)に所属する第10音楽隊の演奏会があり( こちら )、そのときに撮ってきたものです。旧暦9月9日(今年は10月25日)は『重陽の節句』ということで、このような飾りが帝国ホテルの中にありました。訪れる人は皆デジカメやスマホで、いろいろなアングルからこれを撮っていました。全体像はこんなふうになっています。玄関側を建物内から見る、帝国ホテルで私のいちばん好きなアングルです。説明によると、重陽の節句の頃は菊が美しく咲く時期で、菊の香りや気品が邪気を払い、寿命が延びると信じられていたので、無病息災を願う行事になったそうです。思いがけず珍しいものを見ることができました。せっかく明治村の年間パスポートがあるから、また時折は覗こうかな。
January 30, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回はラストで、明智十兵衛光秀@長谷川博己さんと織田信長@染谷将太さんの、お二人の白熱した演技に見入りました。信長が自分に逆らう光秀に怒り狂い、光秀を扇子で打ちすえる場面があるのですが、その前のやりとりから信長@染谷さんがずっと涙目なのですよね。怒りとともに寂しさや悲しみや不安定を表すような。そして同時に光秀の愚直なまでの不器用さ。これが貧しい百姓の出で、おそらく生きるためになんでもしてきたであろう秀吉ならサラリと嘘を言うでしょう。でも越前で貧乏暮らしをしたとはいえ武士としての誇りを失うことなくきた光秀だから、その場を切り抜けるための必死の嘘が言えないのです。まあカンが鋭い信長にはすぐ見破られるかもですが。そして今回ドラマ全体にあったのが、信長に関わる人たち(羽柴秀吉、宣教師)は信長を絶対的な存在に置こうとし、光秀に関わる人たちで帝と徳川家康は信長に警戒心を抱き、将軍・足利義昭は信長がいなければと、それぞれが光秀に心の内を語っているのだけど、それが光秀の信長に対する違和感と一致していきます。まあ人は同じ話を聞いても、自分の心の中のフィルターを通して自分の聞きたいように聞くものです。でもドラマのこの流れでは、光秀が自分が感じる違和感が周りの皆が言うことと合致する、自分の考えは正しい、そう思っても仕方がない、そんな印象でした。(かく言う私も自分のフィルターを通して見てますから)各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正6年(1578)秋、摂津の有岡城城主の荒木村重(松角洋平さん)が織田信長を裏切って城に立てこもり、荒木を説得するために明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)と羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)が有岡城に赴きました。秀吉の恫喝的な言い方にもひるまない荒木に、光秀は何が不満なのかを尋ねました。荒木には、信長が摂津の国に過酷な税を課すので国衆や寺社が自分を恨んでいる、恩のある将軍・足利義昭をみじめな形で京から追い出したのは許せない、毛利は将軍・義昭を再び京に戻して政を行うというので自分もそれに従いたい、という思いがありました。全ての争いが将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)につながっているのをなんとかしたいと思う光秀は、陣に秀吉がいない間にと備後の鞆にいのところにやってきました。義昭に従う渡辺民部に釣竿を渡された光秀は海にいる義昭のもとへ行き、一緒に釣竿を海にたらしながら荒木のことや毛利の動きを義昭に語りますが、義昭は毛利が自分を都合よく使っていることをちゃんとわかっていて、この鞆の地に留まっていたのでした。義昭に将軍として京にもどらないかと光秀が尋ねると義昭は、以前兄・義輝が三好一党の誘いで京に戻ったが政治の実権もなくしまいには殺された、信長がいる京には戻らない、光秀一人の京なら考えると答えました。そんな話をしていたら光秀の竿に鯛がかかり、二人は夢中で大鯛を引き上げていました。光秀の顔を見て久しぶりに胸の内を語れた義昭には、大和で政とは無縁の僧として民衆に施しをしていた時のあの優しい笑顔が戻っていました。数日後に光秀が摂津の陣に戻ると秀吉が先に戻っていて、光秀を問い詰めました。荒木をどうしたらいいか信長に判断を仰ぎに行っていて正当性のある秀吉に対し、鞆に行ったとしか言えない光秀は分が悪いので、このときはこれから荒木の説得に一人で行くと言って勢いで秀吉を黙らせて立ち去りました。ただ鞆と言えば秀吉もすぐピンとくるし、この口喧嘩に勝った状態は、出世して光秀とほぼ対等の立場となった秀吉に禍根を残すことになったでしょうね。光秀の説得は荒木には通じず荒木は籠城を続け、荒木の嫡男・村次に嫁いでいた光秀の長女の岸(天野菜月さん)は離縁され、父・光秀の元に戻ってきていました。自分の至らなさを父娘は互いに詫び合います。明智左馬助(間宮祥太朗さん)は岸が生まれたときからずっと傍で成長を見守ってきた分、岸が不憫でなりませんでした。(この後、有岡城にいた者たちは全て悲惨な最期となるので離縁されて追い出されてまだよかったし、後に岸はこの左馬助と再縁して山崎の戦いの後に結局は死ぬことになりますが、自分を大事にしてくれる夫・左馬助の手で最期を遂げることができてよかったと思います)寝返った荒木にもう容赦はしないと織田信長(染谷将太さん)は家臣たちに非情な命令を下しますが、光秀の表情に何か言いたげなのを見て信長は問いました。光秀は、織田は今、毛利、本願寺、赤井、波多野、東に武田勝頼と一つの輪になった敵に囲まれているから荒木とは争うべきでないと主張します。しかし信長は、毛利と本願寺は朝廷を通じて和議を結ぶ、東は徳川家康が始末をつけると強気で、毛利と本願寺の和議は確かではないと佐久間信盛が進言しても信長は聞き入れず、逆に佐久間の働きの悪さを万座の中で叱り飛ばすだけでした。天正6年(1578)末、織田信長は荒木村重のこもる有岡城を力攻めにしましたが、城の守りは堅くて1年にわたる持久戦となりました。そんな頃(1579)、忍びの菊丸を通じて密かに徳川家康(風間俊介さん)と会うことになった光秀は、摂津沖に浮かぶ家康の船の中にいました。家康は正妻の築山殿と嫡男の信康を斬れと信長から命令される難題を抱えていて、その相談に幼い頃から知っていて和歌の師匠・三条西もよく知る光秀を頼ってきたのです。家康は、たとえ信長の命であってもあまりに理不尽なことには従わないと決めています。後日、光秀が京の二条の館にいる信長の元に行くと、信長が庇護する宣教師(マンスル・ファーケルさん)たちがいて、信長に西洋の話をしていました。宣教師が「我らをここに遣わしたのは逆らえぬ力、我らの神の力です」と語る話を信長は気に入っていたようでした。織田方の九鬼水軍が毛利水軍を破り、毛利の援護がなくなって本願寺がやっと弱ってきたので信長は上機嫌でした。そこへ光秀が徳川家のことを出して徳川家への対応を考えるよう進言しますが、自信にあふれる信長は白黒はっきりさせたいのだと聞く耳を持ちません。家康は、もし我が息子に不始末があれば自分が処断する、他家から指図はされない、三河にも誇りがあるという自負心がありました。そして信長の徳川との同盟に疑念を抱く家臣の中には、信長がわずかな供周りのときなら「今なら討てる」と考える者もいると光秀に話していました。光秀にとっては信長を思えばこその進言でしたが、今や自分を讃える者ばかりに囲まれ自分を否定する者などいない信長なので、光秀の反論は煩わしいものでした。しかも光秀は自分に内緒で帝と会っていて、そのときにどんな話があったのかをいくら訊いても光秀は一切言わないので、強い腹立ちのあまり光秀を扇子で打ちすえました。信長は親の愛が薄く、妻の帰蝶を心の支えにしてきたのに帰蝶は自分から去っていき、表向きは順風満帆でも精神的に不安定だったでのしょうか。信長は光秀が自分から離れるのが恐かったのか、怒りながらもずっと涙目でした。信長は怒りを爆発させた後で少し落ち着いたかと思ったら、今度は「帝を変えよう」と言いだし、光秀には1年以内に丹波を平定せよと命じて退出していきました。信長の変貌ぶりに悔しさや怒りを抱えながら光秀が京の館に戻ると、細川家に嫁いだ次女たまとの約束で薬湯を作って駒(門脇 麦さん)が待っていました。将軍・足利義昭の思い人である駒は義昭から文を受け取っていて、文には鯛釣りのことを、そして十兵衛(光秀)となら麒麟が呼んでこれるやも、とあったと語りました。
January 26, 2021
今週のはじめでしたが、私にとって本当にびっくりするニュースが飛び込んできました。2年後の2023年のNHK大河ドラマが『どうする家康』というドラマで、その主役がナント!!松本 潤さん(嵐)だというのです。私は最初にこの報道をネットで見たとき、「えっ、えっ?」というつぶやきとともに、記事の題をマジ二度見しました。大野君が休養に入って、相葉君と櫻井君とニノはそれぞれバラエティー番組や映画で活躍を見ることができます。でも松潤は今どうしているのか・・。松潤担当のファンを中心に嵐ファンがそんな心配をしていた矢先、いきなり、大河ドラマの主役にドーン!でした。1年間のドラマで彼を見ていられるのです。そしてこの衝撃は嵐ファンだけでなく、この発表があった瞬間から、もうあちらこちらで話題がもちきりとなってます。SNSでは、徳川四天王を嵐のメンバーでやってほしいとか、いや、嵐のメンバーは他の武将で、とか。また家康の生誕地である愛知県岡崎市では、となると松潤が岡崎に来るのか?とか、岡崎が全国から注目されると嬉しい、といった期待の声が上がっています。まだ2020年の『麒麟がくる』も終わっていないのに・・今年の大河ドラマもまだ始まっていないのに・・。2年先の話に飛んでしまっているのです。私としては、まず『麒麟がくる』の結末を見届け、歴史の中でも好きな近現代史の 『青天を衝け』 を楽しむつもりです。主役の渋沢栄一を演じる吉沢亮さん、朝ドラの『なつぞら』で見ていたときは、それほど印象はありませんでした。でも『青天を衝け』の公式サイトを見たら、世の中で大きな仕事をした人にふさわしい、実に男っぽい顔ではないですか。そして2022年の 『鎌倉殿の13人』 。こちらはもう『真田丸』でさらに名を挙げた三谷幸喜さんが脚本だから、『真田丸』クラスタがうずうずしています。三谷さんのドラマでおなじみの役者さんたちが勢ぞろいで、これまた楽しみです。まあ今年の『晴天を衝け』は少しインパクトが弱いから仕方ないとして、ついこの前までは『鎌倉殿の13人』のほうが話題が先行していました。それが今や、2年後の『どうする家康』で話題ばかりです。うーん。。スゴイぞ、松潤、やっぱスゴイよ、嵐。1983年生まれの彼は、2023年にはちょうど40歳。家康を演ずるには良い年齢だと思います。ただ・・こんなにも素敵な家康がいていいのだろうか。松潤に見惚れてストーリーが頭に入らないのでは・・私としては『どうする家康』で草刈正雄さんに何か重要な役でご登場いただきたいですね。松潤との年代を超えたイケメン対決 とかあったら、・・なーんて勝手に想像していますが。さすがにこちらはまだ公式のサイトができていないので、記事のご紹介となります。 ⇒ こちら美しさやカッコ良さは、やはり価値がありますね。フィギュアスケートの羽生君でもそうなのですが、美しき男たちのファンになったお婆ちゃんたちが情報を得ようとパソコンの使い方を覚え、毎日イキイキしていて見た目も脳内も急に若返ったという話はいくらでも聞きます。だから松潤が見たくて、あと3年は絶対に元気に生きる!と心に決めた女性は老若問わずいっぱいいるかと。松潤のイメージカラーは紫なので、紫の和風の画像があったらよかったのですが、和の紫が手持ちになかったので、これをUPしました。
January 23, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回、印象に残った場面は、前半では菊丸でした。明智光秀の館にいるとき羽柴秀吉に姿を見られ、菊丸が危ない感じた光秀が菊丸を訪ね早く逃げよと言いますが、そこで菊丸が心情を語ります。三河の家族は戦乱で死に絶え自分は独りである。今は忍びとして殿の徳川家康に仕えているけど、役目のために駿府の頃から見知っている駒のところに来て、駒の傍で生きる楽しさを知った。もう忍びの御役目は返上して、一人の男として駒を生き甲斐にしてここで暮らしたい、と。そう恋心を光秀に語りつつも、だからこそ自分がここにいてはいけないと我に返り、菊丸が刺客に追われながら京を出ていく場面は心に残りました。そして後半、帝(正親町天皇)が美しい月を眺めながら光秀に桂男の話を絡めて織田信長を批判し、それが近頃感じていた光秀の思いと一致していきます。強大な力を持った信長には、今や誰も本当のことが言えないし、ましてや諫言なんてできないのです。天下人としての信長の在り方を憂う帝に「信長をしかと見届けよ」と命じられた光秀は、自分は帝の代弁者であるという思いから、この信長には自分しか諫言できないと強い行動に出ていくのでしょうか。 「朕は数多の武士たちがあの月へのぼるのを見てきたが」まさに戦国の世の真っ只中に生まれて世の中を見てきた正親町天皇(1517~1593)の言葉ですね。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正5年(1577)10月、松永久秀が信貴山城で自刃した後、織田信長についたものの信長から離反する者も出始めていました。そして京を追われ備後(広島県福山市)の鞆に下っていた足利義昭(滝藤賢一さん)は、諸国の大名に向け「信長を倒すべし」と文を送り続けていました。信長から丹波攻略を命じられていた明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)でしたが、丹波の土豪や国衆は反信長の勢力が強く光秀は苦戦を強いられ、ようやく勝利しました。捕らえた国衆たちを前にした光秀は「二度と城を築かぬこと、戦で荒れた領地を急ぎ回復させること」と約束させ、国衆たちに力を貸してほしいと頼み、彼らを国に返しました。そしてこの時、ここの国衆たちは足利将軍から恩顧を受けていて、将軍が助けを求めているから抵抗するという話を荒木(菅原永二さん)から聞きました。光秀の館で薬のことで菊丸(岡村隆史さん)が庭で侍女と話をしていたら、羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)が播磨に出陣する前に挨拶をと明智家に来ました。秀吉は明智家家臣の案内を振り切って勝手に館内をズカズカと歩き回ります。おそらく秀吉は、どこでもこうやって内部の情報をさりげなく探っているのでしょうね。そして出世した秀吉は菊丸に対する態度も、駿府の頃とは全く違っていました。秀吉は光秀に平身低頭で挨拶をし、二人ははじめは世辞を言い合っていました。しかし光秀が平蜘蛛の釜の件で、秀吉が信長に悪意のある伝え方をしたことを光秀から追及され、探りを入れていた弟・辰吾郎の名まで言われて秀吉は言い逃れができなくなり、秀吉は土下座して光秀に詫びを入れました。(このドラマでは、秀吉のおっ母があまりにも軽い人の設定で、ちょっと複雑な思いが)そして辰吾郎はこの後、秀吉の命を受けた家臣によって闇に葬られました。秀吉が光秀の館から帰るときに菊丸のことを言いだしたのが気になった光秀は、東庵のところにいる菊丸に会いに行きました。二人ははじめは最近の信長の京での評判が市中でも公家衆の中でも良くないこと、果ては信長が帝に譲位を勧めようとしていることも、世間話的に互いに情報交換をしました。しかし光秀が、菊丸が三河の徳川家康の忍びであることを知っている、秀吉に命を狙われているから早く帰郷せよと言うと菊丸は、密かに駒を慕いながらここに居たいといいます。とはいえ自分が早く出ないと駒や東庵を巻き込むからと、菊丸は戻る決心をしました。そしてこの後すぐ、案の定でしたが菊丸は刺客に襲われかろうじて逃げ切りました。そのころ完成間近の安土城には近衛前久(本郷奏多さん)が織田信長(染谷将太さん)に招かれて登城していて、信長と共に鼓に興じていました。その前久は信長の頼みで、本願寺を裏から支える毛利を抑えるために九州の大名たちと和議を図るのを目的に九州に下っていて、この春に京に戻ってきていました。しかし前久が京にいない間に関白・二条晴良がさらに勢力を強めていて前久はいまだに京に入れず、信長も二条には強く言えないと前久は不満をもらしていました。信長は前久を天守を案内させる形で体よく追い払い、光秀との話に入りました。信長は帝の譲位の件など口先ばかりで役に立たない二条を見限っていて代わりに前久を関白にするつもりだとか、二条は都での評判が悪いと光秀に言います。しかし信長が「政を行う者は世間の聞こえが大事だと思う」と言うのを聞いたとき光秀は今の信長には誰も真実を伝えていないのだと感じて控えめに諫言しますが、自分の考えはなんでも通す自信のある信長には、光秀の物言いが癇に障るだけでした。そんなやり取りの後で光秀は、持参した平蜘蛛の釜を信長に差し出します。しかし信長にしたら、自分が欲したときにすぐに手に入らず、さらに光秀が釜を持つ者の心得などあれこれ注釈をつけ、安土城を絡めて自分を批判し説教していることがたまらなく不快になり、この釜をいずれ売り払うと言って退室していきました。(信長自身もこれまで、相手に喜んでもらおうと母・父・帝と送りものをして、そのたびにかえって悲しい思いをしてきた人ですから、力を持った今はこうなるでしょうね)世を平らかにするという志よりも己の権力欲や支配欲が勝ってしまっている今の信長に光秀は深く失望しつつ、戦が終わったら帝に密かに拝謁する約束もあって、光秀は三条西実澄(石橋蓮司さん)のところに来ていました。光秀が「王維」の漢詩を手にとって見ていたので、三条西は光秀の気持ちを推測して語りつつ、実は帝も近頃の信長の不遜な態度に気分を害している、信長は自分の権力で朝廷を変えようとしているようだと不安を伝えました。夜の闇に紛れて光秀は帝(正親町天皇;坂東玉三郎さん)の元に参内します。帝は光秀に、月に住むという桂男の話を知っているかと問い、光秀が不老不死の花を独り占めしようとして神の怒りに触れたと聞いていると答えます。帝は、先帝から月は遠くから眺めるのがよいと教わったけど力ある者は皆あの月に駆け上がろうとする、と物憂げに語ります。帝は、自分は数多の武士たちがあの月へのぼるのを見てきたが誰も下界に帰ってこなかったと光秀に言い、さらに「信長はどうか」と問います。そして「この後、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」と光秀に命じます。光秀は、近頃の信長に対して感じていた違和感を帝も同じように感じていた、そして帝から信長のことを看過してはいけないと命じられ、自分の感覚は間違っていなかったのだという自信になって、この先のことにつながっていくのでしょうか。
January 19, 2021
先週末から臨時の仕事が短期間だけどいただけて、今週はなにかとバタバタしておりました。このご時世、風邪をひいただけでも仕事先から嫌がられるので、週に1度はスーパー銭湯で疲れをとって体調を整え、風邪をひかぬよう細心の注意を払っていました。忙しくなっても収入があるというのは有難いことです。とはいえ、ひと段落着いた今日の午後、気が張ってたのが緩んで疲れが一気にでたのでしょう。別の用事で出かけた先で待ち合わせまで時間があり、数年ぶりにコメダ珈琲店に入りました。そしてあの店特有の大き目の椅子に座ってたら、食後にウトウトと20分ほど寝てしまってました。お水の追加でテーブルを廻ってた店員さんは、私を起こさないでいてくれたのね。ありがとうこんなときはやはり、我が家のペット連が癒し担当です。先日ですが、今1歳半のスモモちゃんが退屈を我慢できず、15歳半の小太郎兄さんに可愛い闘いを挑んでいきました。久々に『親ばか御免!』シリーズでUPです小太郎(茶トラ)は優しい子なので、喧嘩を売ってこなければ犬でも猫でも、ほとんどの四つ足組は受け入れます。スモモちゃんも小太郎兄ちゃんが大好きです。とはいえスモモちゃんは人間でいうなら、まだ20歳くらいで元気いっぱいです。時には暴れたいので、小太郎兄ちゃんに挑んでいきました。スモモちゃん、興奮してきてやることがだんだん大きくなってきました。とはいえ小太郎は人間でいうなら、もう70代のおじいちゃんです。スモモに「うるさい!」ってパンチを入れました。(優しくだけど)しかしスモモちゃんは気が強い子なので、小太郎兄ちゃんに反撃にでました。スモモちゃん、なんか凄いことになっちゃってます(笑)小太郎は世間知らずのお坊ちゃんだけど、本気で喧嘩すればもっとやると思います。でも面倒くさいのか、もうやめてしまいました。スモモちゃん、最後にガブンチョしていきました。優しい小太郎兄ちゃんが手加減してくれていること、ちゃんとわかっているよね。ひとしきり暴れて気が済んだスモモちゃん、日向ぼっこしてお昼寝になりました。可愛いみんにゃを見ていると嫌なことも疲れも忘れます。嗚呼、親ばか也
January 16, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回の前半は、松永久秀を演じた吉田鋼太郎さんが存分に見せ場を作ってくれました。今までの戦国ドラマでは、松永久秀という人物にはさほど出番はなく、意地で爆死してインパクト!ぐらいでした。しかしこのドラマでは、吉田鋼太郎さんが見る側にどこか親しみやすい、いなくなると寂しさを感じさせる松永を演じていて、最後もふつうの武将らしい最期でした。そしてその松永が遺した平蜘蛛の釜は、近頃の信長に対し徐々に違和感が高じていた明智十兵衛光秀と、一番身近で心のよりどころだった妻・帰蝶が自分から離れて精神的に不安定になっていた織田信長との間に、本人たちもまだ気が付かない亀裂を生むくさびになっていました。明智十兵衛光秀@長谷川博己さんのラストで平蜘蛛の釜を前にした、何かにとりつかれたような表情は、歴史を知る後世の者からしたら、狂気が高じていく信長を止めるには同等の狂気がいる、そんなことを感じる演技でした。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正5年(1577)夏、織田信長は7年余りも本願寺を中心とする毛利・上杉などの反信長勢力と戦っていましたが、その戦いのさなかに織田方の武将である松永久秀(吉田鋼太郎さん)が突如、陣を離脱して信貴山城に立てこもってしまいました。内密の話があるということで明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)が伊呂波太夫の指定した場所に行ってみると、そこには先客で三条西実澄(石橋蓮司さん)がいました。挨拶の後で実澄は、帝が信長のことで十兵衛と話をしたがっている、と密かに伝言を残し去っていきました。建物の中には伊呂波太夫(尾野真千子さん)と松永久秀がいました。勝手に戦線離脱をすれば切腹になる重罪、しかし松永は近頃の信長のやり方が不満で我慢できなくなり、寝返って本願寺につくことを決めたのでした。そして松永はこの後は敵となる十兵衛に、若い頃から可愛がってきた十兵衛とは敵対したくないが自分にも意地がある、この平蜘蛛の茶釜は信長に渡したくない、だから一旦は太夫に渡して戦いの後に自分か十兵衛がこれを持とう、と言って互いに涙の別盃を交わしました。そして松永は本願寺や越後の上杉と呼応して信貴山城で秋に挙兵しました。これに対して信長は嫡男の信忠を総大将にして大軍を大和に送りこみ、佐久間信盛(金子ノブアキさん)には、松永が持つ茶道具一切を無傷で回収するよう命じていました。佐久間よりの伝言を聞いた後、細川藤孝(眞島秀和さん)と忠興(望月 歩さん)父子が十兵衛のところに挨拶にきました。先日の片岡城(信貴山城より南南西に約10km)での戦いを十兵衛に褒めてもらえて嬉しい忠興は、次の信貴山城攻めの先陣を願い出ました。天正5年(1577)10月10日、信貴山城攻めが開始され、織田の大軍に勝ち目がないと悟った松永は信長が欲しがっている茶道具全てに油をかけて火を放ち、「げに何事も一炊の夢、南無三宝!」と言葉を残し自刃して果てました。松永との戦いの後、十兵衛は信長の新しい城である安土城に登城しました。久々に顔を見た帰蝶(川口春奈さん)から出た言葉は「この頃は殿(信長)の気持ちがよくわからない、殿は大きくなり過ぎた、戦のたびに親しい者が消えていく、私は少々疲れた、この城を下りて美濃に帰る」と。十兵衛と帰蝶がそんな話をしていたら、奥から織田信長(染谷将太さん)が出てきて、「帰蝶が鷺山に帰ると昨日突然言い出した(=自分は心の準備がまだできていない)、何かあったとき今後は十兵衛に相談をと言われた」と信長は寂しそうに語ります。そして十兵衛は「弱りましたな、殿も私も」と返しましたが、これは十兵衛と信長の間を取り持つ最後の切り札がなくなる、という意味でしょうか。そして信長はご執心だった平蜘蛛の茶釜のことを十兵衛に問いました。平蜘蛛の釜の行方は知らないと十兵衛は嘘を言いますが、さらに信長は、十兵衛が松永と会っていたことも忍びから聞いていると言います。それに対して十兵衛は「上杉に寝返るなと松永に話した、あとは・・」と一瞬言葉が詰まった後に「昔話をした」と答えました。信長は「松永も帰蝶も帝も皆自分を裏切る」と怒りと悲しみの混じった愚痴を言いつつ、十兵衛の表情と言葉の迷いを見逃さず、十兵衛も自分から離れたと怒りに変わりました。十兵衛は信長からは丹波攻略の続きと共に、次女のたま(芦田愛菜さん)を細川忠興に嫁がせるよう命じられ、坂本城に戻っても複雑な思いでした。まだ何も知らないたまは駒から教わったという薬湯作りの稽古に夢中で、そんなたまを見ていると妻・熙子は亡き今は十兵衛にとってひとときのやすらぎでした。そして松永との約束どおり、伊呂波太夫が平蜘蛛の釜を持ってきました。松永が平蜘蛛の釜に込めた意味。それは単に敵となった信長に渡したくないということだけでなく、後でこの釜のありかを信長が必ず十兵衛に訊いてくるから、そのとき自分はどう動くのかという謎かけでした。そしてあのとき信長にとっさに嘘をついた十兵衛は、自分はまだ気が付いていないけど、違和感を感じつつ仕えていた信長から本能的に離れた瞬間でした。そう、この茶釜は信長と十兵衛の間に松永が仕込んでいったくさびだったのでした。
January 12, 2021
一昨日あたりから予報が出ていた強烈な寒波は本当に、昨日・今日と全国に強烈な寒さをもたらしています。昨日は秋田県が、今日は北陸地方の降雪が酷いです。山間部の一般道がそこらじゅうで通行止めだし、高速道路も北陸自動車道が、福井・石川・新潟は断続的に、富山県内全域で通行止めになっています。SNSには大雪によるいろんな画像が上がってきます。駐車場に停めてあった車が雪にすっぽりとまぁるく覆われている画像とか、富山県内のコンビニに荷物が届かなくて商品の棚が空っぽの画像とか、屋根に高く積もった雪がドサドサッと一気になだれ落ちてくる動画などなど。「#大雪」で調べたら、さらにいろいろありました。 ⇒ ⇒ #大雪 太平洋側の都市部に住んでいると、雪の苦労や恐さが感覚的にわかりません。それを気象庁気象研究家の荒木健太郎さんが、雪の重みによる恐ろしさを解説されてます。 ⇒ ⇒ こちら 他には、家の1階が雪で埋まっている状態を室内から撮ったツイートでは、「かまくら状態になって、すきま風がなくてかえってあたたかい」というコメントも。ふむふむ、そうなのですね。ちなみにこちら濃尾平野では、平野の北部と西部にある山々に雪が当たって、今回は山(主に伊吹山)を越えてこちらまで来ないので、昨日も今日も晴れていました。また温暖でふだん雪がめったに降らない、福岡、佐賀、長崎、鹿児島、愛媛、高知などの県からは、珍しいという思いで次々と雪の便りがUPされてました。さらに沖縄にいたっては、さすがに雪は降らないけど【海で寒過ぎて仮死状態になって浮いた魚が拾える】という話もありました。 ⇒ ⇒ こちら そうですか、沖縄の海の魚は10℃で。これは島の皆さんがやっているようで、島民の方にとって寒すぎる日の魚は「拾うもの」のようです。ただやはり、大雪は難儀なものであります。今この瞬間も、車が立ち往生して困っている方々や、雪で寸断されたライフラインの復旧のために零下の寒い戸外で働いている方々もあります。ご苦労様です。早く元通りになって業務が終わって、ご自宅に戻って休息できますように。こんな寒い日はモフモフ組に癒してもらうのがいいですね。我が家のモフモフたちです昨年の晩秋の頃のフクちゃん。一時期ですが、この小さな箱に入るのが好きでした。昨年の暮れ、いよいよ寒くなってきてホットカーペットが気持ちよくてウトウト。フクちゃんは両手をクロスするクセがあります。末っ子のスモモちゃん(1歳半)。小太郎兄ちゃんは優しいので、よく傍にいます。(部屋が散らかっているのはご容赦を)でもまだ1歳半だから、とにかくじっとしていられません。お兄ちゃんにちょっかいを出します。スモモがあんまりしつこいと、小太郎も反撃します。小太郎ももう15歳半だから、スモモがうるさいんでしょうね。ただ反撃といっても小太郎は優しいので、本気では怒りません。仲の悪いリリーさん(左)とスモモ(右)だけど、小太郎を間に挟めばOKです。今はいちばん寒い時期なので、みんなホットカーペットやオイルヒーターなど暖房器具にへばりついています。
January 9, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回は内容的には信長と本願寺との戦いがメインだったかもしれませんが、印象としては木村文乃さん演じる十兵衛の妻・熙子のシーンがとても素敵でした。お百度のときやラストの十兵衛と二人で庭にいるときに挟まれた回想シーンは、思い起こせばいいシーンでした。特に温石は、そういえばこれがあったか、十兵衛はまだこれを持っていたのかと、感動のアイテムでした。妻木の館で出会ったときに花びらと共に現れ、ラストは十兵衛の腕の中で花びらと共にこの世を去る。熙子という人物への美しい演出でした。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正3年(1575)、織田信長は反信長勢力との戦いに明け暮れていました。浄土真宗本願寺の宗主・顕如は宗徒に呼びかけ宗徒は激しく抵抗し、この戦いは反信長勢力が本願寺を裏から援護していることもあり、5年にわたって続いていました。一方で朝廷は織田信長(染谷将太さん)に対して、権大納言右大将と異例とも言える高い官職を授けたものの信長は任官の挨拶もせず京を離れ岐阜に戻っていました。三条西実澄(石橋蓮司さん)はそのことで苦情を言うためにわざわざ岐阜まで来たけど、信長は自分は戦に忙しい、今後は京のことは家督を譲った嫡子・信忠(井上瑞稀さん)に任せると言い、さらに帝に差し上げた蘭奢待を帝が敵方の毛利に譲ったことで帝への思いが遠くなったと信長は反論し、三条西は何も言えなくなりました。天正4年(1576)、石山本願寺の南に位置する天王寺で激戦となり山城と大和の守護である原田直政が討ち死に、兵力の差で織田軍が身動きがとれなくなっているところに信長が到着しました。信長は攻めるのに気合が足りないと原田の家臣たちを激しく罵倒するので明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)ら家臣が信長を制しますが、攻撃に動かぬ家臣らに腹を立てた信長は甲冑もつけずに敵の銃口の前に出ていきました。ひるむ家臣をよそ目に敵前に飛び出していった信長でしたがやはり銃で撃たれ、十兵衛が「殿の命は殿お一人のものではない」と中に戻るよう説得しました。絶え間なく銃弾が飛んでくる中、十兵衛の家臣の斎藤利三(須賀貴匡さん)が盾で弾を防ぎながら藤田伝吾(徳重 聡 さん)が信長を担いで退却していきました。信長を安全な場所に移した後、今度は十兵衛が戦の傷と疲労から倒れてしまいました。大坂では医者たちが仏罰だと手当てを拒むので、やむなく京の十兵衛の館まで家臣たちが搬送してきました。(板の上の身体をちゃんと布で固定してあります)瀕死の夫の身を案ずる煕子(木村文乃さん)は望月東庵(堺 正章さん)のところに自ら駆け込み、必死に頼み込んで東庵を連れてきました。ただこのシーンだけは、個人的に突っ込ませていただきます。1、明智家の奥方が夜着のまま一人で屋敷を飛び出すなんて夜盗の格好の餌食になる(=当主が死にそうなときに奥方でもめごとが増える)2、無理やり手を引いて年寄を走らせるのは危ない(堺さん、今74歳)3、なのでここは体格のいい家臣2人を行かせ東庵を負ぶってくるほうが自然だと思う熙子の祈りが天に通じて十兵衛は回復し、そこに主君の信長が見舞いに訪れました。明智家=他人の家の中で勝手に先立って案内してくる羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)笑信長が来た目的は、本願寺に補給を続ける毛利を攻撃するために九鬼水軍を使うことと、戦死した原田の代わりに大和の守護を筒井順慶にすることの相談でした。十兵衛が筒井を守護にすると松永と戦になると進言すると、横から秀吉が「お二人以外の他の方に大和を・・例えばこの秀吉を」と立候補?。しかし信長からは出自を理由にあっさりと否定されました。(秀吉はこういうことの積み重ねで、後に天下人になったときに関白の位に執着したのでしょうね)そんな話の最中に十兵衛の次女たま(芦田愛菜さん)がお茶と菓子を運んできました。信長はたまがとても気に入った様子で、たまに嫁入り先を自分が探してやるとか、安土に城ができたら見せてやると言い、たまの対応も良かったので上機嫌でした。(十兵衛さんは愛娘の結婚話で複雑な表情)しかし信長は帰り際、大和はやはり筒井に任せると言い、反論で信長に食い下がろうとする十兵衛を秀吉が制します。秀吉はうまく二人の調整役をやっているようです。天正4年(1576)秋、三河では徳川家康(風間俊介さん) の嫡男・信康に姫が誕生し、城内は築山殿(小野ゆり子さん)を除いてめでたい空気に包まれていました。しかし家康は、前年に長篠で戦った武田勝頼のその後のことや信長の様子が気にかかり、忍びを放って情報を得ていました。そして京の様子を探っていた忍びの菊丸からは、松永の動きが気になる、織田家の中も古参の家臣と新参の家臣でまとまっていない、信長は今造っている安土城のことで頭がいっぱいで徳川家のことは頭にない、信ずるに足るは十兵衛、という報告を受けました。秋も深まり十兵衛の病が全快した頃、今度は妻の熙子が病に伏せるようになりました。そんな熙子に明智左馬助(間宮祥太朗さん)と駒(門脇 麦さん)が闘病平癒の祈願のために一座の者を呼んでくれて、庭で鬼やらいがありました。ここで左馬助に踊りの手ほどきをしている岸(天野菜月さん)ですが、岸は今は荒木家に嫁いでいるけど、離縁された後はこの左馬助と一緒になるのですね。(そういえば少し前に、岸が左馬助から書を教わっているシーンが)宴がお開きになった夜、久々に楽しむことができた熙子はまだ余韻にひたっていたくて、床から起きて一人で庭を眺めていました。熙子を案じる十兵衛が傍に寄ると、二人には温石のこと、越前での暮らし、坂本城のことなど出会ってからの様々なことが思い起こされました。そして熙子は、いつになれば戦が終わるのか、麒麟を呼ぶ人が十兵衛であったなら・・、そう語っているうちに眠くなり、十兵衛の腕の中でそのまま最期の時を迎えました。
January 5, 2021
2021年になりました。皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。新年を迎えた昨日の朝、私はコンビニに走りました目的は、一昨日の大晦日で活動を一旦休止することにした “ 嵐 ” のことが載った新聞を買うためです。12月終わりのフィギュアスケートの後でも特に買わなかったスポーツ紙を、嵐のために買いに走りました。私と同じ考えの人が多かったのでしょうか。いつもなら午後でもたくさん残っているスポーツ紙が、あと1・2部しかない状態でした。コンビニを2箇所廻って3紙を手に入れました。日刊スポーツ(上)とスポーツ報知(下)の、1面見開き状態です。日刊スポーツ(上)とスポーツ報知(下)の見開きを裏返した状態です。日刊スポーツの中央の「感激カンゲキ愛嵐」文字は、嵐のアルバムや曲目等で文字をつくるという気合の入れようです。こちらはスポーツニッポンの28・29面(上)と、1面の見開き(下)です。28・29面が1枚の見開きになっていないのがちょっと残念です。スポーツニッポンの1面見開きの裏側も、嵐の軌跡を載せています。でも何より「嵐にまた会える!!」のメッセージが嬉しいですね。今SNSの中で、街中で、ありとあらゆるところで嵐活動休止の影響が出ています。熱烈ファンの嘆きもそうだし、街中のいたるところにあった嵐がCMででていた看板が、メンバー個人のものでもすでに外されてしまっているようです。そういえば、毎年お正月にくる年賀状についてきた日本郵便からのハガキも、今年は嵐5人が入っていない味気ないものでした。毎年あれを楽しみにしていた私もガッカリです。でも、これも仕方がないことでしょう。昨年の1月に嵐が活動休止を発表したとき、私は「えーっ!そんなぁ・・」と思いつつも、まあそれも有りうるかなと思っていました。誰でも、入社した若い頃は何もわからず周りの人たちから教えてもらいながら、ひたすら言うことを聞いて無我夢中で働いてきます。でも組織の中でのキャリアが上がって仕事もできるようになってくれば、自分の考えが強く出てきてそれを実現させたいと思うこともあるでしょう。30代後半の男が、自分はこの先どうやって生きるのか、何をしたいのかを考えるのはふつうのことですよ。昨年1月に嵐が活動休止の会見を行ったとき、この彼らは本当にすごい人たちだなあと私は思いました。どんな質問にも丁寧に真摯に答える。どの質問だったか、大野君が思わず答えにつまったとき、櫻井君かニノが出て滑らかにそつなく答えました。答えにくい質問には、言葉選びに頭の回転が速い櫻井君とニノが言質を取られることなく答えるのです。今までどんなことでも、誰かが苦手なことは「ここは俺が受け持つ」と誰かが出る、おそらくこんな時間をずっと過ごしてきたであろう、見事なチームワークを見ました。嵐はこの休止のままもう終わってしまうのか?私は全くそうは思ってません。たぶん2年くらいは大野君も精神的に充電したいだろうし、逆に他の4人は30代後半の男として、“嵐”という母体を離れた自分がソロの力でどこまでできるのかを試したいであろうと想像しています。でも2年くらいたったら、また5人でやりたい、5人でなければできない世界を作りたい、そんな思いに駆られるのではないかと思います。だから今は離れて、それぞれの道を歩いていればいいと。そして再び “嵐” になったときは、離れていた時間が糧となって、よりパワーアップして深みを増した5人の世界がそこにある、と私は信じています。ところで嵐の公式サイトが5人からの素敵なメッセージをUPしてくれてます。英訳付きです。 ⇒ こちら 嵐の熱狂的なファンではない私だけど、嵐の曲は好きなのがたくさんあります。好きな曲は車の中でホント何度も何度も聴いてます。音楽性が合うのかな?我が家のペット連のリーダーである茶トラの小太郎は皆に優しい子です。今は若いスモモが小太郎にくっついてるけど、この白猫リリーちゃんも仔猫でここに来たときは小太郎にべったりで、今でもスモモがいないと小太郎に甘えてます。
January 2, 2021
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