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原稿執筆上の必要がありまして、19世紀アメリカの思想家・エッセイストのラルフ・ウォルドー・エマソンって人のことを調べているのですけれども、私、分かりました。この人の神髄が。 要するにね、この人の何がスゴイかっていうとね、この人は「名言家」なの。そういう言葉があるかどうかわからないけど。 この人のエッセイって、トータルで見ると何言っているのかよく分からないところもあるんだけど、そのエッセイの中に、綺羅星のごとく名言が散りばめられているわけ。で、その名言がすごい。質・量ともにすごい。 で、ただ「いいとこ突いているなあ」とか、「確かにそうだよなあ、うまいこと言うなあ」っていうだけじゃないんだなあ、これが。そういう部分も勿論あるんだけど、それだけじゃないんですわ。 なんというか、名言が一つの「詩」になっているんだよね! その言い回しのセンスがすごい。 例えばさあ、 The only way to have a friend is to be one. (友達が欲しいと思ったら、自分が友達になればいい) 簡潔だけど、深いねえ・・・。 Our best thoughts come from others. (自分が思いつくようなことは、既に人が思いついている) 言い回しがめちゃうまい。 Every wall is a door. (すべての障壁は、突破口でもある) うまいねえ。これなんかも、一つの詩じゃね? Common sense is genius dressed in its working cloths. (常識とは、作業着を纏った天才だ) はあ~、なるほど! Fiction reveals truth that reality obscures. (現実が隠す真実を、物語が暴く) ひょえ~! We aim above the mark to hit the mark. (目標に到達するためには、目標の更に上を目指せ) 分かりました、先生! Happy is the hearing man, unhappy the speaking man. (幸福とは無口なこと、不幸とは饒舌のこと) その通り! Truth is beautiful, without doubt: but so are lies. (真実は美しい、それは間違いない。だが、それを言ったらウソも美しい) ああ! そうか! Money costs too much. (お金があり過ぎると、苦労する) 言い得て妙! The sky is the daily bread of the eyes. (空は目にとっての日々の糧だ) そう思って、毎日空を見上げることにいたしやす! The earth laughs in flowers. (大地は花々の中で微笑む) What is a farm but a mute gospel? (畠とは、物言わぬ福音である) もう、これらは詩だよ! ってな感じで、名言に継ぐ名言。名言の嵐。こんな名言が100も200も300も、無尽蔵にあるのよ、この人。人って、こんなに口をついて名言をひねり出せるものだっけ? 結局、エマソンがアメリカ人の心を去らないのは、これが理由だよね、多分。ふとした拍子に、「ああ、そういえばエマソンがそんなこと言ってたっけ」っていう名言を、誰もが一つや二つ、いや十個も二十個も持っているわけだから。 というわけで、アメリカ文学研究にたずさわって30年。ようやくここへきてエマソンの何が偉大なのかってことが分かった私なのでありました、とさ。
August 31, 2016
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今日も一日原稿書き。 原稿書きもさあ、着地点っていうか、ゴール地点が見えるところまで行くと楽なんだけどねえ・・・。今の状況から言うと、ちょうど最終コーナーの手前、あと少しでカーブ地点に差し掛かるって感じかなあ。そのコーナーを回ってしまえば、ゴールが見えるんだけど・・・ってところ。 もちろん、ずーーーーっとパソコンの前に坐って原稿打っているんだけど、それが一定時間続くと、頭が重くなってくる。エンジンが焼き切れたような、っていうとちょっとオーバーだけど、なんだか酸欠っていうか、脳味噌に乳酸たまった~、みたいな感じになってくるわけ。 そうなると、もうダメだ―って感じになって、何か原稿とはまったく関係ないことに注意を向ける必要が出てくるわけよ。 そんな時、私が今やっているのは、次の愛車選びね。 今乗っているシトロエンC4、もうすぐ9万キロということもあり、また前回の1年点検の時に「次、車検取る時は50万円コースね」ってディーラーに言われてしまったこともあったりして、来年3月の車検は通さないつもりなのよ。 となると、あと半年くらいの内に、次の愛車を選ばなくてはならない・・・。 そう考えると、楽しい! 今はね、そういう原稿以外の楽しいことが、私には必要なのだ! で、部屋にうず高く積まれているクルマ雑誌のバックナンバーなんかひっくり返して、次はどうするか、なんて考えるわけ。まさに、それが現実逃避のための恰好の手段なのよ。 でも、まじ、どうしようかな、次。 クルマ関係の雑誌すべてが異口同音に言うのは、「クルマってのは、フォルクスワーゲンのゴルフ7さえ買っておけば間違いない」ということ。これ、どんな人も言うね。よっぽど今のゴルフ7ってのは、完成したクルマなんでしょうな。 確かに、それ買えば、正解なんだろうね。 だけど、それでいいのか? 出来の良いクルマさえ買えば、それでいいのか、おい? そう問いかける天邪鬼な奴が、私の中に居る。 しかし、天邪鬼な私が、天邪鬼なクルマを買ったら、逆につまんなくね? 天邪鬼な奴が、王道のクルマを買う、おや、こりゃまたビックリーって言う方が、おもしろくね? 逆に? それ言ったら、もうゴルフどころか、プリウスとか買って、周りをどひゃーーーって言わせたろか! どうでもいいか・・・。 それより、まず原稿だ。原稿仕上げなきゃ。 それじゃ、この辺でちょっと深夜の茶会を催して、その後またちょっと書きマース。
August 30, 2016
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世間では、もうすぐ台風10号が東北地方初上陸だとかなんとか騒いでおりますが・・・ 我が家ではもう既に、大型で強い勢力を保った台風が上陸してるよっ!! いやあ、締切から逆算して、そろそろ後が無くなってきた私、今日あたりはもう疾風怒濤、髪の毛を振り乱して原稿書きだよ。パソコンデスクの回りは、資料やら執筆メモやらページを開いたままの本やら、そんなものが散乱し、うず高く積み上がって、台風の通り過ぎた後みたい・・・。いや、台風というより竜巻の通った跡か・・・。 とにかく、この一両日中に書き上げちまおうってんだから、スケジュール的には無理無理だ。だけど、その無理無理の横車を押すのが「原稿書き」の最終段階でね。 というわけで、こんなことしてるヒマもない。とにかく、頑張ります!
August 29, 2016
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相変らず原稿執筆の一日。進行しているんだか、停滞しているんだか、自分でもよく分かりませんが、とにかくパソコンの前に陣取って、なにやら書き続けていることは確か。まあ、とにかくしばらくこのまま頑張って、どうなるものか、様子を見ましょう。 ところで、こういう状況だと、私自身、身動きもとれませんので、ブログでご報告すべき新規の体験とかもないのですけれども、こういう時の私のストレス解消法をご紹介しましょうか。 それはずばり、ネットでプリンスの映像を見ること。私にとって、これに勝るストレス解消法ってないんですよね。 ということで、最近私が執筆の合間に見ている(いや、「見とれている」というべきか)プリンス関係の映像を一つご紹介します。これはね、1990年にプリンスが日本ツアーをした時の、リハーサル風景らしいのですが、そこでプリンスが何気なくピアノを弾く、その姿が美しいのよ。 プリンスというとどうしてもギター演奏の映像が多くなるのですけれども、彼はピアノも素晴らしかった。27もの楽器を自在に操ったと言われるプリンスですが、どうしてこう、神は一人の人間に数多くの才能をそそぎこんだりするのでしょうか。 とにかく、神の気まぐれとしか思えない、プリンスの音楽的才能の一部をご覧ください。これこれ! ↓プリンスのピアノ演奏
August 28, 2016
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前にもこのブログで愚痴ったと思いますが、二十年以上に亘って大学の校費で購入してきた本が、ちゃんと私の研究室にあるかどうかをチェックする、という「所在調査」の作業を行なっておりまして。 前には、校費で買った本を古本屋にすぐ転売して不正に金を儲けるようなことするはずないんだから、くだらない作業に時間をとらせるんじゃねえ! と怒っていた私。しかし、お上には逆らえないので、ようやく今年の6月位から重い腰を上げてその作業に取り掛かったわけですよ(本当は昨年末までに作業終了を命じられていたけどね! ささやかな抵抗さ!)。 でも、何でもそうですけれども、何か仕事をやり始めると、案外、その仕事に夢中になってしまうということもありまして。 で、私も一旦作業を始めたら、案外、面白くなりだして、随分時間が掛かりましたけれども、現在までのところ、99.9%位まで本の確認が終りました。 で、この作業に実際に取り組むまでは、何せ分量がすごいものですから、紛失してしまった本も相当数あるだろうと思っていたんですけど、これが案外そうでもないんですな。自分でも意外なことに、ほとんどの本がちゃんと手元にあった。 で、それはめでたいことではあるのですけれども、やはり、二千冊を軽々越えるような冊数の本となると、何冊かは行方不明になっているんですわ。しかし、ここまで来ると、そのわずか数冊の行方不明本のことが残念でね。聖書で言うところの「さまよえる子羊」ちゃんのことが気になって、気になって。 ところで、一体、どういう本が行方不明になると思います? あのね、毎年、山のように本を買うとなると、中には、買ったはいいけれど、結局、ほとんど中身を読まないうちにお蔵入りしてしまう本も若干は出てくるわけ。だから、本をチェックしていると「ひゃー、こんな本、買ったんだっけ、自分?」みたいな感じの本が結構沢山でてくる。 だけど、ここが面白いところなんですけれど、そういう本って、案外、行方不明にならないのよね・・・。 逆に、買った後よく使った本、内容が面白い本の方が、行方不明になる確率が高いっていう。 おそらく、「この本は、面白いし役に立つ」ということが分かっている本ほど、学生に勧めるんだと思うのですよ。「この本、面白いから読んでみ」とか、「この本、お前の卒論のテーマにちょっと関わるから、とりあえず手元に置いておき」とか、そんな感じで気前よく貸し与える。 で、もちろん大半の学生は読んだ後でちゃんと返してくれるのですけれども、中には、返し忘れたまま卒業しちゃう子とかもいるのではないかと。私も「貸出ノート」的なものを作って管理すればいいのですけど、どうもそういうのが苦手なもので、テキトーに貸してやったまま、誰に貸したか忘れちゃうしね。 だから、今現在、行方が分からなくなっている本の中には、私自身、愛着のある本が多いのよ。 例えば亀井俊介先生の『アメリカン・ヒーローの系譜』とかね。この本、すごく面いので、よく学生に貸して読ませるんですけど、それが災いしてか、目下行方不明中。 あと、恥ずかしながら、自分が執筆に一部係わった本なんかも一応校費で買って研究室に備え付けているのですが、それも二冊ほど行方不明中。あーあ。こっぱずかしい! というわけで、校費購入本の所在調査、ほぼ完了はしたのですけれども、行方不明の数冊の本が気になって、まだ完了の届け出が出来ない私。ここはもう少し粘って、もうちょい心当たりを探してみたいと思っている今日この頃なのでございます。まったく、どこ行っちゃったのかなあ・・・。 【中古】 アメリカン・ヒーローの系譜 /亀井俊介【著】 【中古】afb価格:748円(税込、送料別) (2016/8/27時点)
August 27, 2016
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バカな息子を持つと、母親も苦労するねえ・・・。 ま、それはともかく、今朝の新聞でフランスのヌーヴォー・ロマンの旗手、ミシェル・ビュトール氏が亡くなったことを知りました。享年89。 いや、私、別にビュトールに詳しいってわけじゃないのよ。だけど、彼の死については、ちょっとだけ感慨があるんです。 というのはね、大学の時、第二外国語でフランス語をとっていて、たまたま私が振り分けられたフランス語の授業の先生が、ビュトール狂だったんですな。 ま、私が学生の頃と言いますと、まだ結構フランス文学なんてものが大手を振っておりまして、やれサルトルだ、カミュだ、実存主義だ、なんてね、そんなことがそれなりに熱く語られていたのよ。 で、そのフランス語の先生は、いかにもフランスかぶれっぽい感じの人で、帽子なんかかぶって授業に現われる。眼鏡にはかなり強い褐色の色が入っていてね。その出で立ちからして「歩くフランス文学」みたいな。 それで、語学の授業なのに、使っていたのがビュトールのエッセイか何かなの。 ビュトールの文章ってのは、割と難解なんですな。難解というのか、詩的というのか、とにかく平明な文章ではなくて、ちょっとひねってあるわけ。だから、語学のテキストとしてそれを使うのはどうなのかっていうね。そういう疑問は、学生の立場からして強くありました。 ところが、なにせその先生はビュトール狂だから、「この人の言っていることは素晴らしい!」っていう前提なの。もう、自分でその文章読んで酔っちゃってる。で、たまに難解な文が出てきたりすると、先生もどうやらあまり意味がよく取れてないらしいのに、そこは適当にごまかしながら、「どうだ、この喚起力に満ちた文章は!」とか言って、とにかくビュトールを絶賛して終わるという。 思うに、あの先生は絶対に非常勤講師の先生ですな。本当はフランス文学を教えたいのに、大学では正規のポジションがなくて、差し当たり今は語学の非常勤講師やってます、みたいな。 で、そんな調子ですから、学生からはすごく人気がない。もう一人、別な先生の授業もあったのですが、こちらは純粋に言語としてのフランス語が好きでフランス語を教えているので、教え方もすごく上手で人気があった。その意味で、この二人の先生は、非常に対象的でありました。 だ・け・ど。 私は、あの人気のない先生のこと、割といつまでも印象に残っているんですよね。 だって、そんなにビュトールのことが好きって、素晴らしいじゃない? あんまり好き過ぎて、語学の時間なのにそれ読んじゃうっていう。自分の評判なんかどうでもいいくらい、ある文学者のことが好きで、尊敬しているなんて、今ではそうあることではないのではないかと。 それに、そんなことがあったからこそ、私のようなものですら「ミシェル・ビュトール」っていうフランスの文学者の名前を知っているわけですから。あれから三十年も経ったのに。 だからね、「あの」ビュトールが死んだってことが、なんとなく、私には感慨深いわけ。 それにしても、「あの」ビュトール狂の先生、どうしているのかな。まだご健在だったら、今、何歳くらいになられたのでしょう。70代半ばくらいでしょうか。あれから、どこかの大学に勤められ、晴れて「文学」としてビュトールのことを教えられたのでしょうか。それとも非常勤だけで食いつなぐ苦しい生活を続けられて、最後まで学生に人気のないまま、それでもビュトールの偉大さを伝えようと頑張ったのでしょうか。 そんなことを考えると、これもまた文学だよな、って感じがしてきます。 というわけで、とりあえず一人の日本人をあんなに虜にしたミシェル・ビュトール氏の御冥福を、あの先生と共に、お祈りすることにいたしましょう。合掌。
August 26, 2016
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読売新聞に、定期的に著名人の半自叙伝みたいな連載が載るんですけれども、今は、毒蝮三太夫さんの連載でありまして、これがね、結構面白いのよ。 昨日は、先輩の俳優・小林桂樹さんの逸話が紹介されたのですが、小林桂樹さんってのは、人間としても一本筋の通ったところのある人だったみたいね。 昔、小林さんと毒蝮さんが森繁久弥さんと映画で共演することがあったそうなんですが、そういう時、森繁さんがしばしば撮影に遅刻してくる。ま、大物ですからね。だけど、遅刻して人に迷惑をかけているのに、特に悪びれた様子もなく、「悪いねえ、僕は忙しくてね」みたいな、口先だけの挨拶で済ませてしまう。 で、そんなある時、小林さんは、いつものように「忙しくって」と言いながら遅刻してきた先輩の森繁さんに面と向って「しげさん、そのうち、暇になりますよ」って言ってのけたんだとか。 つまり、「あんまり大きな顔をしていると、仕事を干されますよ」と、痛烈に批判したんですな。えらくなりすぎて、誰も注意できなくなった森繁久弥に、小林さんはバシッと言ったわけですよ。で、それを見ていた毒蝮さんが、小林桂樹って人に一層ホレるわけ。それで毒蝮さんは、自分が結婚する時、小林さんに仲人になってもらったんですな。 なかなか面白いでしょ? で、今日は毒蝮さんが奥さんと出会って、プロポーズして、結婚するまでのいきさつが語られていたのですけど、このエピソードも良かった。奥さん(になる人)にプロポーズして、1週間後、喫茶店のアマンドでOKの答えをもらった時、喫茶店を出た途端、「バンザーイ!」って飛び跳ねたって話。可愛いじゃない? 私はね、夫婦仲のいい人、奥さんを大事にする人が好きなのよ。 というわけで、毒蝮さんの自叙伝、教授のおすすめ!です。読売新聞とってない方は、図書館か何かでちら読みされてはいかが? ところで、今日はまた一つ、仕事を請け負うことになっちゃった。来年10月に出版予定の本の一章分の執筆なのですが。 いやあ・・・。たびたびこのブログでも公言しておりますが、私は基本的に頼まれ仕事はしない主義なんですけど、今回はまたどうしても断れない筋からの依頼であったことと、仕事の筋として割とやりやすい方面の原稿だったもので、結局引き受けちゃった。 結局結局って、いつもそうやって最終的には引き受けちゃうんだから、そもそも「頼まれ仕事はしない」の看板は一体何なんだって話ですよね・・・。でも、まあ、今回は超ド専門の依頼だからなあ。断るのもアレだし・・・。 というわけで、またもや自らの尻に自ら火を点けるようなことをやらかしてしまった私なのであります。バカだね~。
August 25, 2016
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ひゃー、名古屋に戻って参りました。新東名が延伸してから、東京の実家から名古屋の自宅まで片道3時間半くらいで行けるようになって快適、快適。だけど夜中の12時を越してから高速を降りると2000円位高速料金が安くなるので、途中、長篠設楽SAで敢えて30分ほど時間調整。 そしたらこの長篠設楽SAってのが割と面白かったのよ。刃物の名産地・関の包丁とか爪切りとか売っていたりね。その他、地元の名産品があれこれ並んでいて、小さなSAの割に、結構楽しく時間つぶしすることができました。 で、一夜明けて今日の話。 昨夜、私が関の刃物に見とれてしまったことに嫉妬したのか、ここ数年愛用していた電気シェーバーが昇天され、フル充電しているはずなのに、まったく動かなくなってしまいました。ま、前兆はあったので、驚いたというより、「やっぱりな、最近調子悪かったしな」って感じですけれども。 これ買ったの、いつだったっけ? たしかもう4年か5年くらい前だったような。この間、毎日のように使ったのだから、寿命ですかね。パナソニックの製品だったのですが、割と気に入っていたので、次もパナソニックにしようかな。 というわけで、今日は早速、近くの大型家電品のお店に行って、新しいシェーバーを買ってきました。毎朝使うものなので、しばらく無くてもいいや、ってものでもないのでね。 で、やっぱり今回もパナソニックにしたんですけど、今回はね、噂の「ラムダッシュ」にしました。前から「ラムダッシュ、いいよ」という噂を友人から聞いていたもので。友人曰く、「ラムダッシュは、深剃りが半端ない」と。 で、ラムダッシュにしてもピンキリで、「5枚刃」とか、そういうお高いのもあるのですけど、私の個人的な好みとして、ヘッドの部分があんまり分厚いのは好きじゃないのよ。だから今回も「3枚刃」シリーズからの選択。そして選んだのが、コレ。【送料無料】 パナソニック ≪国内・海外兼用≫[AC100-240V] シェーバー 「ラムダッシュ」(3枚刃) ES-ST6N-A 青[ESST6NA]価格:9480円(税込、送料無料) (2016/8/24時点) どう? なかなかカッチョいいでしょ? というわけで、買ってきてから早速チラッと試し剃りしてみたのですが、メチャクチャいいやん、コレ! 「プーン!」と蚊の立てる羽音のような軽い高周波な音を立てながら、その軽い音と同じくらい軽い剃り心地でどんどん剃れる。しかも剃り上りはお肌ツルッツル! いい感じです。 なんか、毎日使うものが性能いいと、気分いいよね! ということで、パナソニック・ラムダッシュ、教授のおすすめ!です。 ところでさ、家電品店のシェーバーのコーナーを見て廻ってちょっと驚いたんだけど、最近のシェーバー関係すごいね。 何が凄いって、髭剃りだけじゃなく、ありとあらゆる体毛剃り関係の製品がずらり、よ。 まず髪の毛をカットする系の製品ね。ほら、最近の若い連中って、側面をすごく短く刈り上げていたりするじゃん? あの状態をキープするために、自宅で頭髪をカットするための製品が結構色々な種類売っていたりする。 それから、胸毛とか、腋毛とか、すね毛とか、そういうのを短くするためのものとかね。中には「ビキニラインを整える」用のものとかまである。うーむ、男もそういう時代ですか・・・。 体操の内村航平選手みたいに、「腋毛ボワ!」をチャームポイントにしちゃう人もいる反面、今時の若い男連中の中には、女性同様、体毛ケアを気にするわけね。 というわけで、家電品店に行っても、世間の動きってのは分かるもんだなと。そんなことを思った次第。 ・・・じゃ、私も長島茂雄ばりの胸毛を、ちょっと剃ってみたりしようかな。(ウソつけぃ!!)
August 24, 2016
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さてさて、今日は夜から名古屋に戻るのですけれども、帰る日の定番として、今日のお昼は両親と外食をして参りました。 向った先は新百合ケ丘のホテル・モリノの中にある「梅の花」。豆腐料理のお店でございます。 で、今日頂いたコース、どの品も美味しかったのですけれども、コース料理の最後にご飯(鰻飯)が来て、それに漬け物がついていた。 で、その漬け物の中にキュウリのぬか漬けがあったのですが、何の気なしにポリポリッとそのぬか漬けを食べた瞬間、おっ、と思ったわけ。旨いな、と。 思い返すと、この夏、割とキュウリを食べた記憶がある。というのは、姉が知り合いからもらったというキュウリを大量に実家に持ち込んでいたため、毎日ノルマのように食べていたから。 で、それらのキュウリをどうやって食べたかと言えば、基本、サラダとして食べた。生のキュウリにドレッシングをかけて食べたわけですよ。 あるいは、キュウリを軽く叩いて砕いたものに梅干し&昆布の塩漬けを混ぜ入れて、即席の一夜漬け的にして食べたり。あ、あと千切りにして冷やし中華に入れたり。 まあ、キュウリなんてものはサクサクとした歯ごたえと瑞々しさを楽しむようなものだから、食べ方と言ってもそんなもんですよね? だけど、こう言ってはなんですが、こんな食べ方ばっかりしていると、じきに飽きるというか。あれば食べるけど、無くてもいいかな、みたいな感じになってくる。 だから、今日、ご飯に添えられてきたキュウリを見ても、さほど期待はしてなかったわけ。 ところが、そのぬか漬けのキュウリが実に旨かった。 そうか、うっかり忘れていたけれども、そう言えばキュウリにはぬか漬けっていう手があったよな、みたいな。 で、思ったのですけれども、このぬか漬けの味ってものは、実に実に日本的だなと。それは日本的な深みがある、という意味ですが。 漬け物といっても、決してふにゃふにゃではなく、キュウリ本来のパリッとした歯ごたえ、歯触りは明確に残っているのだけど、しかし、生のキュウリの青臭さのとがったところはいい具合に抜けて、そこに発酵によって醸し出されたかすかな酸味としたたかな旨味が入り込んでいる。その絶妙な加減、その繊細な味わいたるや、何とも言えない。 この味わいは、キュウリにどんなドレッシングをかけても出せないもの。単純な足し算ではないのよ。もちろん、人間の側が質の高いキュウリを提供するというのは基本だけれど、それを丹精こめて作り上げた「糠床」に「一つ、よろしく頼みます」って感じで託すわけですな。それで、あとは微生物という生きものの力を借りる。もちろん、その後、どのタイミングで取り出すかっていう、その塩梅もあります。そういう、自力本願と他力本願のあわいの、微妙な一本の筋をたどって行って、ようやくあの素晴らしい風味が出てくる。 しかも、この味わいに加えて、さらに「思い出」っていうエッセンスも出て来るわけだ。「そういえば、昔、田舎のおばあちゃんが作って出してくれたキュウリのぬか漬け、あれは旨かったなあ。あの味を思い出すなあ・・・」っていうね。 そんなことも含め、つまるところ「キュウリのぬか漬け」ってものは、もはやこれは料理ではなく詩だよ! あるいは、人間と植物と微生物と時間が創り出すジャズだ! いや、これはもはや一つの小宇宙だ! 日本料理では、小皿の上に小宇宙があるんだっ。 ハア、ハア、ハア・・・。す、すみません、つい興奮してしまって。 というわけで、コース料理のその先の、ほんの小皿一つの上に載っていたキュウリのぬか漬けに、妙な感動をしてしまった私なのでした。これ、ひょっとして、去り行く夏への思い入れが私に幻視させた、何かの幻だったのかな・・・。
August 23, 2016
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今朝、胃カメラを飲む予定の父を病院に送って行ったのですけれども、そのタイミングで台風9号に直撃されてしまった私。何せ足下不如意な父がゆっくりとクルマに乗り降りするのにつきあって傘を差し掛けたりなんかしていたもので、私は上から下までずぶ濡れよ。まあ、えらい目にあったものでございます。 しかもね、私の実家のある町では、避難勧告までは出ませんでしたけれども、避難準備の勧告までは出たりなんかして。そういうのが発令されると、スマホで通知が来るんですよね。地震予知の時みたいに、いきなりスマホが「フワーーーッ!」と鳴るの。最初なんのことか分からず、ちょっとビビった。 ま、うちは崖の傍にあるわけでもないので、アレですけど、とにかく、久しぶりに台風を実感したのでした。でも、こういうのがあったりすると、そろそろ夏も終るのかなって感じがしますね。オリンピックも、甲子園も終っちゃったし。それに日が落ちるのも大分早くなりましたし。もう、このごろでは夜7時というと大分暗いもんね。 そう、それで私の実家での夏休みも終るんです。明日は名古屋に戻らなくちゃ。 今年の実家での夏休みは、イベントが少なかったような。やっぱり、年齢のせいで父が長距離の移動に耐えられなくなったこともあり、家族で旅行するとか、どこかにドライブに行くとか、そういうのが無くなっちゃったのが大きいですな。それに今回は私が仕事を抱えていたせいもあって、常にそれが念頭にあり、思う存分羽を伸ばすという感じがなかったこともありますし。 それでもね、まだ両親が健在で、甥っ子姪っ子も含めて姉の一家とも顔を合わせられたんだから、それだけでも幸せだよね。 あーそれにしても、早く原稿を仕上げちまいたいなあ。そしたら、ちょっと遊びたいわ。 ということで、これからまたちょっと仕事にかかります。明日もギリギリまで頑張ろうっと。
August 22, 2016
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文章を書くことを商売にしているようなところがありながら、いざ何か原稿を書くということになると、なかなか本格的に書き始められない超スロースターターの私。でも、あらゆる原稿には「締め切り」って奴がございまして、そいつの顔がチラッ、チラッと目につくようになりますと、さしもの私も仕事に取りかからなくてはならなくなる。 というわけで、いよいよ今日から私も筆を執ることにいたしましたよ。仕方ない。 もちろん、そのための準備ってものは積み重ねて参りましたから、後は書けばいいだけなんですけれども、原稿書きというのは川の流れのようなものでして、書き始めはちょろちょろとした小川よ。 それが段々勢いがついてきて、わーっと流れることもある。 だけど、途端に川幅の広いところに出てしまって、停滞に継ぐ停滞。ゆっくりとした渦を巻くばかりでちっとも前に進まない。充分に調べたつもりが、調べ足りないところがあることに気づいて、追加で調べものをしなくてはならなくなったりね。 でも、そこで散々逡巡しても、いずれはどこかに突破口が見つかって、ふいにまた流れ出したり。そういうことの繰り返しでございます。 それで私の場合、わーっと文章が流れ出る時ほど、何だかいたたまれなくなって、原稿をほったらかして部屋の中を歩き回りたくなっちゃうの。時には部屋を出て、家のあちこちをウロウロしたりね。キッチンに行って、用もないのに冷蔵庫を開けてみたりして。あるいは、ちょっと雑誌を読んでみたりして。 で、また原稿に戻ると。 今日はそんなことの繰り返し。今日のところはまだあまり前には進みませんでしたが、それでも書き始めたってことが重要でね。 これで、原稿も半ばを過ぎ、着地点が見える頃になると大分楽になるのですけれども、今のところはまだまだ先が見えません。まだまだ1週間くらいは、こういう状態が続くことでございましょう。 とりあえず、今日ももうちょい頑張ります。台風が近づいているようですが、私もまた原稿執筆のシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)時代、低気圧に比例して、気持をアゲアゲにしていきましょうかね。
August 21, 2016
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いやあ、今日の男子400メートルリレー、凄かったですな。あれ、ジャマイカ・チームにボルトが居なかったとしたら、ひょっとしたらひょっとしていたんじゃないかって位、すごかった。お見事、お見事。個人レベルでは負けてもチームワークで勝つ。日本らしい勝負の仕方でございました。朝からいいものを見せてもらったって感じですね。 さてさて、今日の私は午後から旧友と会って3時間ほどおしゃべりをして参りました。ま、おしゃべりと言っても、ほぼ、9割は相手がしゃべって、私が聞き役だったのですが。 それもそのはず、旧友君は今、おふくろさんの介護で大変でね。 どう大変なのかってことは、ここでは省きますが、話を聞くだに、それはキツいなあと、その大変さが目に見えるくらい。 でね、旧友君曰く、老人介護には3つの段階があると。 一つ目はね、「驚き」なんですと。「え? どうしちゃったの?」っていう。 それで二つ目は、「怒り」なんですって。「なんでそうなんだよ!」と。 で、「驚き」と「怒り」の段階を踏まえた後で、第三の段階「あきらめ」がくる。「仕方がないんだ、歳を取るってことはそういうことなんだ」と。 そしてこの3つの段階っていうのは、たとえばガン患者のそれと同じなんですって。「え? ウソだろ? 俺がガン?」という驚きの段階、「何で俺がガンなんだよ、ふざけんなよ!」という怒りの段階、そして来るべき死を迎える覚悟が定まる『あきらめ』の段階というね。 ふーむ。なるほど。 で、旧友君は今は「あきらめ」の段階まで行ったそうですけど、第二段階がかなり長く続いて、それがものすごいストレスになったと語っておりました。 で、そういった話をずーっと聞いていて思ったのですけど、私のような第三者から見ると、彼のおふくろさんの状況は、最早、旧友君が対処できるレベルの話ではないわけ。つまり、専門の施設に入所させる以外、手の打ちようがないんですな。ちなみに、旧友君には妹さんが居るのですが、その妹さんも私と同じ意見で、このままじゃ、共倒れになっちゃうよと。 でね、それは我が旧友君もよく分かっているんです。少なくとも、頭では。 にもかかわらず、旧友曰く、「それが難しいんだよ」と。 「だってさあ、おふくろを施設に入れるって、それは「姥捨て山」ってことだろ? 捨てるってことだろ? 妹はそんなこと割り切ってるみたいだけど、それが男の俺にはどうしてもできないっていうか、抵抗があるんだよな・・・」。 おお。そうか。さすが我が心の友。お前って、ホントいい奴だな。いい奴だから、苦しいんだよな。 とはいえ、そう思いながらも、おふくろさんからあまりに理不尽なことを言われたりされたりすると、突発的に手を上げそうになることもあるのだとか。そして、一度手を上げてしまったら、理性では止まらなくなってしまいそうな気もすると。それで自分も死んじまった方がよっぽど楽なんじゃないかと思うこともあるそうで。 うーむ。それも分かる。 というわけで、今、旧友君は、自分の気持のことも含めて、どうすることが最善の対処法なのか、それを模索中のようですが、友人の私としては、それが落ち着くところに落ち着いて欲しいと、ただそう願うことしか出来ません。出来ないからこそ、その代わりに、今日みたいに彼の愚痴を聞いてやりたいんですけどね。 ま、もちろん今日の話は決して他人事では済まされない。明日は我が身かも知れないわけですから。 ということで、旧友と色々語らいながら、色々なことを考えさせられた一日となったのでした。
August 20, 2016
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朝起きて、スマホ開いて、吉田沙保里選手の敗戦を知って、ガックリした人、手挙げて! (はーい! はーい!) 私もその一人。 もう、今日はテレビ、見られんなあ。可哀想過ぎて・・・。 私、格闘技関係詳しいので、吉田選手だって負けることはあると思うわけ。相手はめちゃくちゃ研究して吉田選手の得意ワザを封じてくるわけだし。柔道もそうだけど、たとえ実力が上でも一瞬のスキで負けることはあるからね。 だけど、世間はそうは思わないと思うんですよね・・・。 たとえば我が父上とか。 昨日までは「吉田は絶対勝つ。また金メダルが増えるぞ〜」とか言っていたのに、今朝になったら「やっぱり年齢か。昨日見た試合も圧倒的に強そうには見えなかったしな。調子に乗ってテレビCMとか出ているからじゃないのか? CMなんか出ている間に、練習しなくちゃダメだったんじゃないのか?」とか、すっかりお見限り。 いや、たまたま今回は負けたけど、それは年齢のせいじゃないよ。33歳の今でも吉田は圧倒的に強い。それにCMの撮影なんてせいぜい一日で終るので、練習不足なんてことはありえないよ。 ・・・と、そんな風にいくら私が弁解したところで、「吉田はもう歳なんだ。それにCMやテレビに出てばっかりで、あんまり練習しなかったに違いない。もう彼女はダメだね」という父の確信はまったく揺るがず。 父がそう思うということは、同じように思う人が日本中に何万人と居るのだろうと思うんですよね。それで沙保里ンは、そういう悔しい「見限り」にこれからずっと耐えていかなくちゃならないわけだ。しかも、雪辱をはらすための東京五輪はあまりにも遠い。 勝つことを期待され続けることって、裏返せばそういうことなんだろうな。 その想像を絶する辛さを思うと、私は今日、沙保里ン関連の報道なんかとても見られない・・・。伊調は4連覇したのに、という明暗がまたね、何ともアレで。 でもまあ、ともかく、沙保里ンよ、お前さんが空前絶後の驚異的に偉大なレスラーだってことを1000%分かっている人もまた大勢居るんだから、涙を拭いて顔をあげて、伊調選手と肩組んで堂々と帰っておいで。 さてさて、このところ時間がある時に読んでいた森本あんりさんの『反知性主義』、ようやく読み終わりましたので、ちょっとだけ心覚えをつけておきましょう。 「アメリカの反知性主義」っていうと、「そうそう、アメリカ人って馬鹿っぽいよね。まだ進化論信じないで、聖書に書いてある通り、人間は神が直接作ったので、サルから進化したんじゃないって考えている人が大勢居るんでしょ?」的な理解をしてしまう人って多いと思うんですよね。つまり、アメリカ人は基本馬鹿で、だから逆に頭のいい奴とかエリートなんかが嫌いだと。 そんな感じの「反知性主義」理解ってのは、半分くらい当たっているところもあるけれど、残りの半分は誤解であるーーじゃあ、それがどうして誤解なのか、それを説明したのが本書でございます。 アメリカはキリスト教国家。それはそうなんだけれど、宗教ってものは、それが根付いた土地によって土俗化し、固有のものとなるわけですよ。で、アメリカの場合、カトリック、あるいはその亜流たる英国教会の腐敗を糺さんとして派生したプロテスタント国家として誕生する。 プロテスタントだから、教会の権威とかは認めないのだけれど、そのため逆に一般キリスト教徒がしっかりしなきゃいけない、ということになり、一般信徒に要求される知的レベルのハードルが上がると。 教会の司祭が教会を取り仕切ってりゃそれでいい、っていうのは、ある意味、楽なのよ。司祭だって、毎週決まりきったラテン語のお念仏を十年一日のごとく唱えているだけでいいんなら楽なもんだし、それを聞いたフリしてりゃいいってんなら、信徒だって超楽。 だけど、そういう形式的な礼拝ではなく、毎週、牧師が自分の言葉で信徒たちに語りかけ、聖書の文句を詳しく解説しなきゃいけないとなったら、プロテスタントの牧師は勉強が大変だし、その牧師の長口舌を何時間も聞いて理解しなきゃいけないとなったら、信徒もきつい、きつい。 で、アメリカの場合、プロテスタントの牧師にはそういう義務が課せられたからもう大変、牧師になるのも大変で、その養成機関としてハーバード大学やイエール大学、プリンストン大学などが作られた。これらの大学がアメリカで国家自体よりも長い歴史を持っているのは、植民地時代、牧師の養成が焦眉の急だったからですな。 で、植民地時代のアメリカは、こんな感じで、牧師も信徒も超知的な社会だったのだけど、やがて時の進行と共に植民地人も二代目、三代目となると、色々不都合も生じて来る。 当時、「回心」を経験し、信念をもってキリスト教徒となった人だけが正式な教会員として社会的な認知を受ける(だから政治運営にも携われる)システムだったのだけど、植民二代目、三代目ともなると、自分がちゃんと回心したんだろうか、神の恩寵を実感として感じたことはあるんだろうか、って部分に自信が持てなくなってくると。オレ、ちゃんとしたクリスチャンなんだろうか? という疑問に悩まされるわけですな。 そこへ登場したのが、「リバイバル(信仰復興運動)」って奴ね。時代は18世紀半ば、立役者はジョナサン・エドワーズと、イギリスからやってきたジョージ・ホイットフィールド。特に後者の平易な言葉による情熱的な説教が、アメリカ人の「俺も早く回心しなくちゃ!」という焦りとの相乗効果で集団ヒステリーを生み出し、通常の教会活動の外部において宗教的熱狂を煽ることとなる。このホイットフィールドの説教には、かのベンジャミン・フランクリンもすっかり当てられたというのだから、すごいもの。もちろん、ちゃんとした教会はこうした事態を由々しきものと考え、ホイットフィールドには教会を使わせるなとか、意地悪をする。だから仕方がないからホイットフィールドは日曜以外の曜日に、屋外で説教したりするんだけど、庶民はホイットフィールドの説教の方が面白いから、みんなむしろそっちの方に聞きに行ってしまう。 これよ、これ。ハーバード出のインテリが語る知的な聖書講義より、庶民派ホイットフィールドの平易な言葉の方が、民衆の心を捉えるという現象。これが、いわば、「反知性主義」の萌芽でございます。 さて、その後、アメリカでは長老派などの主流教会の他に、バプテストとか、メソジストとか、クエーカーとか、色々な宗派が栄えるようになるのですが、そうなるとそこに主流派対分派の争いが起るようになる。で、もちろん主流派が分派を弾圧する形になるのですけれども、そこで第三代大統領ジェファソンとか、第四代大統領マディソンなんかが登場。彼等は熱心なクリスチャンじゃなかったけれども、自由とか平等とか、そういったものの熱心な信者ではあったので、主流派とはいえどもいじめはゆるさーん! とか言って、政教分離しちゃった。これによって、それまで地域の税金で賄われてきた主流派教会は、その税金収入を失うわけ。その意味では、主流派も分派も「平等」になっちゃったと。 ところが、政教分離すると、教会は力を失う・・・わけでは全然ないんですな。もちろん、当初、主流派教会は苦労したと思いますよ。だけど、税金が当てにならないなら、自主的に信者の心をつかまなくてはならない。だから、主流派も分派も、同じように熱心に信徒の獲得に動くことになる。政教分離したからこそ、逆にアメリカはめちゃくちゃ宗教的な国家になっていくというね。 それはともかく、こうした流れの中で、今まである意味威張っていた主流派教会は、こうした動きの中で威張れなくなっちゃった。「宗教的権威」が一敗地にまみれたわけですけど、これもまた「反知性主義」の顕われでございます。とにかく、「権威」をやっつけるってのが、アメリカの国是みたいになってくるわけ。 同じことが政治の世界にも起ります。それまでアメリカの大統領って、ワシントンにしてもアダムズにしてもジェファソンにしてもマディソンにしても、いいとこの坊ちゃんばかり。よく考えれば意外なんだけど、この時代までは貴族的なジェントルマンがリーダーとしてアメリカを仕切ってきたし、庶民もそれを望んでいた。 ところが19世紀前半、アンドリュー・ジャクソンがアダムズ(ジョン・クインシーの方)の再選を阻止して大統領になるんですけど、このジャクソンが庶民出身の超悪ガキだった。後のリンカーン、「丸太小屋からホワイトハウスへ」のリンカーンの先を行って、庶民派大統領の誕生です。これもまた、「エリートなんか糞食らえ」の反知性主義の一つの実例。そしてジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれる、叩き上げ重視、庶民パワー重視の時代がやって来る。口八丁手八丁、知性よりも腕力、みたいな時代ですな。もっとも19世紀末になると、再び専門家の出番となるので、こういう非エリートが縦横に活躍する時代というのは案外短いのですけれども、それだけにこの時代は「アメリカの青春時代」と言うこともできましょう。 で、この時代に第二回目の「リバイバル」がやってきます。このときの立役者はチャールズ・フィニー、そしてドワイト・ムーディー。特にムーディーは、相棒の歌手サンキーを伴い、サンキーの提供する「音楽」という武器でもって人心を惹き付けることに成功。 ところで、フィニーやムーディーの説教の運営方法自体がすごくビジネスライクだということも含め、彼等の説教のキモは、信心深くあることが現世での利益につながるよ、ということで、それがまた多くのアメリカ人を惹き付けることになるんですな。トクヴィルも指摘するように、アメリカの宗教の顕著な特徴として、信仰が現世利益に密接に結びついていたと。ま、もともとアメリカのプロテスタンティズムには、「信仰するから、色々恵んでください」という二方向の契約を想定しているという特徴があったのだけど、それがここへ来てその性格がより明確になったと。そしてまたそれは「自助」と「天助」は二つで一つだ、という考え方にもつながって来るんですな。一生懸命やったものを、神が助けてくれるっていう。 そいでもって、二十世紀に入って、もう一人、強烈に個性的な説教師が登場する。それがビリー・サンデーでございます。 孤児院育ち、プロ野球選手を経て説教師へという型破りな生い立ちのサンデー、これまた無知無教養ではあるのだけれども、神を信じることにかけては人後に落ちず、情熱とショーアップされた説教一本槍でガンガン人を回心させてしまい、大統領からも一目を置かれるほどの時代の寵児となっていくという。二十世紀に入ってもまだ、彼のようなタイプが伸して行くスペースがアメリカにはあったのでしょう。 とまあ、こんな感じでアメリカの歴史を振り返ってみると、要所要所でこの種の「反知性主義」の事例が噴出してくる。 で、じゃあ、この反知性主義ってのは何なのかと言いますと、その基本は、アメリカ人の骨身に徹した「平等主義」だと、森本さんは指摘されています。学問のあるなし、金のあるなし、身分のあるなし、それは色々ある。だけど、神の前ではみな平等なのであって、だから学問も金も身分も何にもなくたって、そういうものを持っている人たちと同じように活躍できるという信念。そしてこの信念が最も発揮されるのは、学問や金や身分が「権威」という衣を纏った時。 つまりね、学問があるのはいいことなんです。反知性主義は、学問の価値はちゃんと認めるわけ。だけど、学問をもった人だけが政治を牛耳る、社会で発言権を持つ、そういうのはダメなんですな。同じように、金を持っている奴が金にあかせて権力を握ろうとしたり、貴族的な人がその貴族的であることを笠に着て、庶民を牛耳ろうとしたりしたら、それには猛烈に反対する。 そういう意味で、アメリカにおける反知性主義というのは、特権的なものが特権を得ようとした時に、それを阻む方向で動く。そういうものなんですな。ここが間違っちゃいけないところで、「馬鹿な奴が馬鹿な奴を支持する」というのとは全然違う。そうではなくて、それは社会を健全な方向に引き戻すための力、なんです。 ま、これが森本さんのご著書の言わんとしているところでございます。 でもそうやって考えてみると、色々分かることもあるかなと。例えば昨今のアメリカ大統領選。エスタブリッシュメントを代表するヒラリー・クリントンがなぜトランプみたいなアホに苦戦するかというと、そこに反知性主義があるからなんでしょうな。だから、反知性主義というレンズで見ると、アメリカの理解できない動きというのが理解出来るようになるところがある。 そういうことに加えて、アメリカの宗教派閥についての基礎知識とか、本書を読んで勉強になったことは沢山あります。ま、そういう意味では面白い本でございました。 ただ、何だろう、この本、普通なんですよね。 なんか突出的に面白いとかそういうところがなくて、普通なの。普通に良い本。だからね、本書の帯にあるように「朝日、読売、毎日、日経・・・各紙で絶賛の嵐!」とか書かれると、うー、そうかなーーって思います。普通だよ、普通。絶賛ってのは、もっと他の本にとっておいた方がいい賛辞じゃないかな。 でも、普通に良い本ですよ。だから普通に、教授のおすすめ!としておきましょう。 反知性主義 [ 森本あんり ]価格:1404円(税込、送料無料) (2016/8/19時点)
August 19, 2016
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今日は、私、いわゆる「取材」ってのを受けましたよ。カッコいいでしょ? と言っても、私自身がどうこうということではなく、私の師匠である大橋吉之輔先生のことについて尋ねられたのですけどね。 今日お会いしたのは、現在『新潮45』誌において「江藤淳は甦える」という連載を続けておられる平山周吉さんとおっしゃる方。今日出たばかりの最新号(9月号)にもちらっと大橋先生のお名前が出るのですけど、江藤淳氏と大橋先生の間にはいろいろと縁があり、その辺のことについての取材だったのですが。 で、その内容についてはさておき。 むしろね、今日は私の方が平山さんを取材しちゃいましたよ。というのは、これだけ力のこもった連載を続けておられること自体、興味津々ですし、プロが一つのことを調べ上げて行く過程に強い興味があったもので。 で、色々お話を伺って思ったのですが、やっぱりすごいね、プロは。昭和を代表する評論家の一人である江藤淳という大物をターゲットにして、平山さんはその実像に迫るべく色々調べ挙げておられるのですが、「そこまで調べるのか・・・」と、驚かされることばかり。 いやあ、アメリカ文学研究者、負けているんじゃないの? 我々も、平山さんくらいの気迫で対象に迫らないと! あと、一つ驚いたのは、平山さんの書き方ね。 調べて、調べて、調べて、取材して、取材して、取材して、考えて、考えて、考えて、ずーーーーーーっと考えを巡らせて、一気に書く。そのスピードが何と二日で30枚と。 二日で30枚。すごいわ、それ。 で、今後の執筆予定なんかもちらっと伺ったのですが、現在平山さんが計画している腹案の構成も見事なものでした。あ、なるほど、そこに山場を持って来るのね、納得、って感じ。 ってなわけで、今日はプロの仕事を垣間みさせていただきました。いやあ、いい勉強をさせていただきました。 ということで、平山さんのお仕事、『新潮45』の「江藤淳は甦える」の連載、教授のおすすめ!です。
August 18, 2016
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今朝早く、姉一家が帰ってしまったので、我が家は父母と私の三人だけとなり、ついこの間まで八人居たことを考えると、急に寂しくなりました。こうしてみると、大家族状態ってのも、なかなか賑やかでいいもんですな。 さて、私は相変わらず調べものをしたり、本を読んだりという生活ですけれども、一昨日あたりから読み始めた森本あんりさんの『反知性主義』を読み進めております。 でね、森本さんってのは、案外映画が好きなのか、本のところどころで映画の話が出てくるわけ。例えばアメリカにおける詐欺師(コンマン)の伝統、みたいな話の流れで『ペーパームーン』が引用されたり、宗教的リバイバルの話の中で『エルマー・ガントリー』が出てきたり。 で、その中の一つとして、『River Runs Through It』のことも話題に上がったと。 ま、アメリカでは大自然の崇高みたいなものが宗教的な崇拝の対象にもなり得る、という話の流れで出てきたのですけど、この映画のタイトルが出た瞬間、ああ、と思いましてね。 つまり、前々からずっとこの小説を読もう、この映画を見ようと思いながらずっとチャンスを失い続けていたんだよな、ってことを思い出したわけ。 『River Runs Through It』、直訳すれば『川はそれを通じて流れる』ってことですけど、これじゃ意味をなさないということで、邦訳はたしか『マクリーンの川』となっていたような。マクリーンというのは、この小説の著者で、登場人物でもある人。でも、『マクリーンの川』でもあんまり意味は通じないですよね・・・。 マクリーンさんは、シカゴ大学の英文学の教授なんですけど、それが晩年、この小説を書いたんですな。ところが、あんまり地味過ぎるということでどこの出版社も、出版を引受けてくれなかった。そこで仕方なく、シカゴ大学出版局から出したのですけど、それが話題になって、ロバート・レッドフォードの目に留まり、映画化されることになったと。 で、なんでこの小説/映画に思い入れがあるかと言いますと、私の師匠がこの小説を高く評価していたから。 私の師匠は、シカゴ大学に留学していたので、マクリーンさんのことも知っていたし、マクリーンさんのことをよく知っている人のことも大勢知っていたわけ。そういうこともあって、この小説が出た時は、直ぐに読まれて、すごくいいとおっしゃっていた。それで、それなら私も読もうと思ったのですが、どういうわけか、それが今日までのびのびになってしまったわけですよ。 だから、この本の中にこの映画の話が出てきた時に、「あーー、しまったーーー! 宿題忘れてたーー!」っていう気がしちゃってね。すぐ読まなきゃ、そしてすぐ見なきゃ、と。 これ、若き日のブラッド・ピットが出ているんですよね。それも興味があるし。 『River Runs Through It』の「It」ってのは一体何なのか、ということについても、我が師匠は語っていたのですけど、師匠の見解についてはすっかり忘れちゃった。でも、私自身がこの小説を読んで、映画を見て、それで「It」ってのが何なのか、よーく考えれば、師匠の言ったことも思い出すかも知れません。 ま、とりあえず名古屋に戻ったら、この遅れに遅れた宿題に、真っ先に取り組もうかな。【中古】 マクリーンの川 / ノーマン マクリーン / 集英社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】価格:210円(税込、送料別) (2016/8/17時点)リバー・ランズ・スルー・イット [ ブラッド・ピット ]価格:1000円(税込、送料無料) (2016/8/18時点)
August 17, 2016
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あー、本を読めば読むほど、読まなくちゃならない本がさらに増える。砂漠の蜃気楼みたいだ。近づけばゴールがさらに遠のくという。 今の仕事にちょっと関連があるかなと思って、森本あんりさんの書いた『反知性主義』という本を読み始めたのですけど、この本、ちょっと前に評判になりましたよね? 結構あちこちの新聞の書評欄に取り上げられていたような。 で、そういう書評を流し読みしていた時、「森本あんり」というのは女性名だと勝手に思い込んでいたのよ、ワタクシ。だって、ぽいじゃん? で、「森本あんり」という名前から勝手に想像して、おそらく東大系の研究者じゃないだろうなと。慶応系でもない。早稲田では絶対ない。筑波、お茶大・・・でもない。京大? うーん、あり得る。同志社? あり得る。学部同志社で、大学院で京大、そこからイエール大に留学して、帰ってきてから立教あたりで教えております、みたいな。多分そんな感じの人だろうと思い込んでいたわけ。年齢はねえ、そう、46歳とか。 で、実際に本の著書紹介欄みたら、私よりよっぽど年上の、ちょっと髪の毛が足りないおっさんだった! 何だよ、「あんり」って、女性じゃないのかよ! 経歴は学部ICU出て、東京神学大の大学院出て、プリンストンに留学して、今は母校ICUの先生だって。 だけど、経歴の予想はかなり当たっていたじゃない。キリスト教系の大学、アメリカの一流大学に留学、さらにキリスト教系の大学に奉職という道筋。 ま、どうでもいいけど。 内容については・・・まだ読み始めたばっかりなので、また今度ね。 それより、今、ワタクシにとって問題なのは、我が愛する iPhone ちゃんの体力問題。夏バテなのか、すぐにバッテリーが減るんですよね〜。どうしたもんでしょ。 で、そういうことに詳しい甥っ子に聞いたら、「バッテリーがもうダメなんじゃね?」と。 そうなの? 我が愛する iPhone は、「5」なんですけど、買ってから、どの位が経ちましたかねえ? 2年? 3年? そうか、スマホって、その程度でバッテリーが瀕死になるんだ・・・。 で、甥っ子曰く、電池交換も出来るけれど、結構高いので、むしろ機種変した方がいいんじゃないかと。 iPhone 5 にすっかり満足していたワタクシ、機種を替えるなんてこと考えたこともなかったのですが、そう言われてネットで見ると、もうそろそろ「 iPhone 7 」の登場が待たれているのだとか。ふーん。 だけど、あんまりカッコ良くないね、7の予想図。 それだったら、むしろ現行の「SE」かな。「SE」は、姿形は「5」にそっくりだし。 ということで、もし本当にバッテリーが逝かれちゃったのだったら、SEへの変更もあり得るかな。 なーんてことを考え始めた私なのであります。ま、もうちょっと様子見ですけどね〜。
August 16, 2016
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最近話題の『ベターッと開脚』本、気にならない? 正確には『どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法』という本。著者はEikoさんという人だそうですが、これ、現在27万部でしょ。1,400円の本だから、印税1冊140円として、いくらよ? 3,780万円か! 仮に税金で半分持ってかれたとしても、2,000万円は儲かったな。 で、我が家でも雑談の中でこの本のことが話題になって、4週間で誰でも180度開脚ができるようになるってんなら、一つ、この本買って試してみるか?! みたいな話に。 だけど調べてみると、アマゾン・レビューなんかだと、結構ボロクソに言われておりますな。開脚練習のノウハウは10ページくらいで、あとは必要もない小説が書いてあるとか。 だけど、如何にボロクソに言われようと、27万部売れて2,000万円儲かったら、文句ないよね! で、私はこの本の著者の Eikoさんという人は天才じゃないかと思うわけ。 だってさ、日本中にベターッと開脚出来る人って、一体何人くらいいると思う? 仮に100人に1人くらいの割合で開脚ができるとしたら、日本中に100万人居るということになる。用心深く200人に1人としたって、50万人はいる計算です。 その50万人の人の中で、「ベターッと開脚出来ることには2,000万円の価値がある、かも知れない」と考えた人って、Eikoさん唯一人なわけじゃん? だとしたら、それは天才のなせるワザだよね。大したもんだ。 「英語が話せるようになる本を書いたら、儲かるんじゃないか」と思う人は星の数ほど居るだろうけど、「ベターッと開脚出来るようになる本を書いたら、儲かるんじゃないか」と思うってのは、すごいセンスだと思うな。 でも、それを言ったら、「ベターッと開脚」と同等の、「そんなこと出来たからってどうってことないけど・・・もし出来たらちょっと嬉しいし、人に自慢できるかも・・・」的なことって、他にもあるのかも知れませんな。それは一体何なのか。 それがパッと思い浮かぶようなら、私もあくせく働いたりしないで済むんですけどね・・・。 あ! 「誰でも、スパーーッと切れるように包丁を研げる本」ってのはどうだ?! それなら、ワシにも書けそうだけど?? やっぱダメか・・・。どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法 [ Eiko ]価格:1404円(税込、送料無料) (2016/8/15時点) 閑話休題。 さてさて、P・T・バーナムが書いた『富を築く技術』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 P・T・バーナムって、誰かご存知? そう19世紀に活躍したアメリカの天才興行師ね。有名な「リングリング・サーカス」の生みの親と言えば通りがいいか。その人が1880年に蓄財のコツを語った本を出しておりまして、その本の翻訳がこれ。 ま、私としては、「野心の時代」とか「金メッキ時代」と呼ばれたアメリカ19世紀末、あの有名な興行師までもが時流に乗ってその種の本を出しとったのか!という興味がありまして、それでこの本を読んでみたんですけど、実際に読んでみると、これがまためちゃくちゃまともな本だったのよ。かなりインチキ臭いこともやっていたバーナムの書くものだから、この本もテキトーぶっこいているのかと思ったら、さにあらず。堅実一本槍の蓄財ノウハウを語った本だったので、逆に驚いたっていうね。 例えば、この本には「金持ちになるためのルール」ってのが20個ほど挙げられているんですけど、それらを見ると、例えば「職業の選択を誤るな」とか「借金をするな」、「けっしてあきらめるな」「何をするにも全力であたれ」「運に頼るな、自ら努力せよ」「希望は持て、ただし夢は見すぎるな」「一度に一つのことだけに集中せよ」「何ごともシステマティックにせよ」「新聞を読め」「うかつに保証人になるな」「常に誠実であれ」・・・みたいな感じですからね。要するに、真面目に一生懸命に、賢くやれば金持ちになれる、ってことで、これはもはや金持ちになるとかどうとか言う前に、真っ当な人生訓ですな、単なる。 ただ一つ、さすがに天才興行師だなと思ったのは、「ルール16 宣伝せよ」という項目があったこと。 バーナム曰く、客に提供するものは、それが商品であれ、サービスであれ、最高のものでなければならない。ただし、最高の商品、最高のサービスであっても、それがそこにあるということが人々に知られなかったら、何の意味もない。だから、「宣伝する」ということは非常に重要であると。 で、宣伝するにも賢いやり方ってのがあって、効果的な宣伝をするにはやっぱり頭を使うことが必要、というような話になっていくのですが、そこでバーナムが「たとえば・・・」と例を出す、その例がすごく面白い。 例えばチラシを作るにしても「このチラシの裏面は見ないで下さい」とデカデカと書く。 そう書かれていたら、大概の人は絶対に裏面をしっかり見るはずだと。だから、チラシの表面に細々と能書きを垂れるよりも、よほど効果的な宣伝になる。 なるほどね。 こんなのはまだ序の口で、バーナムが挙げた次の例はもっと面白いよ。 ある帽子屋の男が、ニューヨークの某オークションに参加して、有名歌手ジェニー・リンドのコンサートの初回分のプレミアチケットを大金で競り落としたと。そのオークションには、ニューヨークのセレブたちも数多く参加していたので、彼等を差し置いてチケットをゲットしたのは一体誰なのか?という話題で持ち切り。それが帽子屋のジョン・ゲニンだと分かると、一体、そのゲニンって男は誰なんだ? そいつが高額なチケットを競り落としたということは、その帽子屋というのは、よほど儲かっているのか? ・・・ってな感じで、もうニューヨーク中がその帽子屋の話題で持ち切りになり、多くの人が彼の店に詰めかけるように。実際、彼の店で扱う帽子は質が良かったので、以後、彼の店は大繁盛した・・・。 バーナム曰く、これが頭を使った効果的な宣伝法だよ、と。 ううむ、さすが天才興行師! おそらくバーナムって男は、この帽子屋同様、こういう所に頭を使ったんでしょうな。 ってなわけで、ちょっと面白い具体的な例を挙げながら、金持ちになるためのルールを20個、解説してくれるこの本、バーナムの面目躍如って感じですかね。 ちなみに、自己啓発本の常として本書には様々な引用がなされるのですが、珍しくエマソンからの引用が無かったですな。その代わり、聖書(特にソロモンの箴言)やシェイクスピア、ディケンズ(の小説の登場人物、例えばミコーバー氏とか)、ベンジャミン・フランクリンなんかが引用されておりました。あと、金持ちのコツは金持ちに聞け、みたいな感じで、アメリカ初の億万長者アスターの逸話とか、そういうのもちらほら。そういうことも含め、この本は「逸話系自己啓発本」に分類すべきものですな。 それにしても、いつも不思議に思うんだけど、アメリカのちょっと古い自己啓発本って、たいてい「余ったお金は銀行に預金して、金利を稼げ、そうすればお金は寝ている間にどんどん増える」的なことが書いてあって、この本にもそういうフレーズがあるんだけど、19世紀末とかのアメリカの預金金利って、そんなに良かったのかなあ? 今、超低金利の日本に住んでいると、預金の金利なんてジョークでしかないけど。その辺、一度調べないとね。富を築く技術 [ フィニアス・テイラー・バーナム ]価格:1296円(税込、送料無料) (2016/8/15時点)
August 15, 2016
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今日は家内が一足先に名古屋に戻るので、新横浜まで送ってきました。 で、いつものように途中の町田でランチをしようということになったのですが、今日、まず我々が狙ったのは「atri」というイタリアンのお店。ネットによると「町田でナンバーワンのイタリアン!」だそうですから。 で、町田駅北口から徒歩7分ほどの場所にあるその店に行ってみたのですが、これが司法書士とか会計事務所とか、その手の事務所がびっしり入ったビルの上階にあって、入り口のメニュー看板以外、店の存在を窺わせるものがないという。ひゃー、これはまた穴場っぽい感じですなあ。ますます期待高まる〜! が! なんと今日は予約客で一杯で、ふりの客はお断りとのこと。あーら、まあ、残念。ま、仕方がない。次回に期待ということで。 で、プランBは特になかったのですが、ここへ来る道すがら「とろとろハンバーグ」なる看板が出ている店があったなあ、と思い出し、とりあえずそこへ行ってみることに。行ってみたら「ペダラーダ」というお店でした。 ということで、まったく無計画に入ったお店だったんですけど、このペダラーダというお店、結構良かったかも。大体、コスパが良かった。150グラムのハンバーグが1,000円だもんね。家内はそれを選び、私は200グラムのハンバーグ(1,300円)を注文。ちなみにここはメインの料理以外は全部セルフサービスなの。だからサラダもライスもスープも飲み物も全部セルフ。それでこの値段はお得じゃなあい? 名古屋の言葉づかいで言えば「お値打ち!」って奴。 で、味も結構おいしかったのよ。この「ふわふわハンバーグ」という奴、つなぎに卵とか小麦粉とか使ってないの。で、レア状態で運ばれて来るので、テーブル上でお好みで更に焼くという感じ。 ってなわけで、「アトリ」には行けなかったけど、その代わり「ペダラーダ」というお店を発見出来たので、良かったということにいたしましょう。 さて、それで無事、家内を新横浜まで見送れたのですけど、今日はたまたま横浜スタジアムで「ももくろ」のコンサートかなにかがあるらしく、駅はそのファンの方々でごったがえしておりました。5レンジャーみたいな恰好をした老若男女がこれだけ集まると、一種異様よ。 日本って、平和でいいな。 そして新横浜からの帰り道、再度町田のタワレコに寄って何かジャズのCDでも買おうかなと思ったら、店の片隅のちっちゃなスペースに押し込められたジャズの棚でデニー・ザイトリンの『カセクシス』を発見。あら〜、しかも1,000円じゃないの。このCD、前から欲しかったんだけど、日本では絶版で、アメリカ行った時も向うのCDショップで随分探したのに無くて、半ば諦めていたのよね〜。 かくして喜び勇んでゲット! そして家に帰って早速掛けてみたんだけど、これがなかなかよろしい。 ザイトリンって、人種的にはユダヤ人で、顔なんかもうJ・D・サリンジャーそっくりっていう。もともと精神科医で、だからこのアルバム・タイトルの「カセクシス」って言葉も精神分析の用語(愛情を何かに注ぎ続ける、精神的エネルギーを特定の対象に貯留する、という意味)なんだけど、ジャズ・ピアニストとしては、セミプロというか、バリバリのジャズマンではないわけね。だから、演奏にもちょっとセミプロ的な甘さがある。 だけど、ジャズってのは、ただ演奏が上手けりゃいいってもんじゃないからね。むしろ、そういう甘さが味わいになるということもある。 ザイトリンの場合、やはり精神科医としての知的な部分というのがあって、それが独特の格調の高さを生み出しております。感じとしてはドン・フリードマンにちょっとだけチック・コリアのスパイスをふりかけたような感じと言いましょうか。だからね、系統としては「きれい」系。決してしたたる汗が飛んで来るような演奏ではござんせん。 こんな素敵なCDが1,000円で買えたら文句ないでしょ、ってことで、教授のおすすめ! にしておきましょうかね。カセクシス +2 [ デニー・ザイトリン ]価格:1080円(税込、送料無料) (2016/8/14時点)
August 14, 2016
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ノーマン・カズンズという人の書いた『笑いと治癒力』という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 ノーマン・カズンズというのはアメリカの有名な評論誌『サタデー・レビュー』誌の編集長を長く務めた人。だから、アメリカ文学とかやっている人には割と親しみのある名前なんですけど、あともう一つこの人が有名なのは、原爆でケロイド状の火傷を負った日本人女性をアメリカに呼んで、その治療に尽力したこと。そういう意味では、日本人としては親しみを持たざるを得ないところがありますな。 で、この本なんですけど、これは一種の闘病記でね。 1964年、ソ連を旅したカズンズは帰国直後、体調不良を覚えるんですな。で、調べてみたら深刻な膠原病であったと。しかも、このレベルの病状から回復した患者というのは、過去、500例に1例程度の割合でしかない。カズンズは、当然、死の恐怖に陥ります。 が、そこからがカズンズの独壇場というか。天性のポジティヴ志向から、よーし、それなら一つ、自分がその500例の中の1例になったろやないか! と思うわけ。 で、そこはジャーナリストですから、医学雑誌を含め、膠原病の治療例を扱った様々な記事をかき集め、独自に研究を始めるんですな。で、まずビタミンCがこの種の病気に有効なんじゃないかと思い、自分の判断でビタミンCの大量投与を開始! さらに「笑い」が免疫を高めると聞いて、マルクス兄弟のドタバタ喜劇の映画を取り寄せて病室で上映、さらにE・B・ホワイトだとか、ジェイムズ・サーバーだとか、ベネット・サーフだとか、アメリカの有名なユーモア作家のジョーク集なんかを取り寄せて読み、毎夜、爆笑しながら過すことに。 また、当時の病院の入院環境自体が病人をさらに病気にするんじゃないかと判断し、病院ではなくホテルに入居することにしたところ、かえってその方が入院費よりも安くついたと。 幸いなことに、彼の主治医が理解のある人で、カズンズの場合、下手に通常の治療を施すより、カズンズのやりたいようにさせて、カズンズ自身の生きることへの欲望を活かした方がいいと考えてくれたんですな。だからカズンズは、思う様、自分で自分を治療できた。 そしたら、ほんとに奇跡的に膠原病が治ったと。「ビタミンC」と「笑い」でカズンズは難病をやっつけてしまったんです。これが彼の闘病の顛末。 もちろん、カズンズはアホじゃないので、自分の体験を通じて、現代医学を全否定したりはしません。それに「ビタミンC」や「笑い」が本当に効いたかどうかについても、自ら疑うところもある。結局、「生きたい」という彼の生命力が病の勝っただけで、その意味ではビタミンCを投与しなくても、笑わなくても、治ったかもしれないと思うところもあるわけ。つまり、ビタミンCや笑いは単なるプラシーボの役割を果たしただけなのではないかと。 だけど、やっぱり自分で体験してみて、現代医学の方にも反省すべき点は多々あるのではないか、というのが、この本を通じてカズンズが言おうとしていることなんですな。 例えば「薬」への過信とか。もともとある病気を治すためだけに作用する薬なんてあるわけはなく、ある症状の改善にはつながっても、副作用によって健康な身体を害することもある。しかし、そういうことを医者は患者に伝えないので、患者は「薬を出してくれる医者は良い医者」と考え、患者自身も薬に依存するようになってしまう。 また様々な最新医療機器の発達によって、医者は患者を直接診る時間が少なくなったということもある。もっともこれは患者を診る時間がなくなったから、機械に頼らざる得ないという側面もあるので、どっちが先でどっちが後ということもないのですが、とにかく、患者と医者が親しく接して、親身になってその人の具合の悪いところを聞く、なんてことが少なくなってしまった。 カズンズは、こういった一連の治療現場のあり方に、異を唱えるんですな。医療で本当に必要なのは、自分の具合の悪さを本当に理解していて、自分と一緒に闘ってくれる、信頼に足る同志としての医者なのであって、この信頼感こそが、本当に役に立つ医術なのではないかと。 で、このカズンズの闘病記は、その後医学雑誌に発表され、当時の医学界に大きな波紋を投げ掛けることになるわけ。そして、カズンズはその後、話題となった自分の闘病記を補完すべく、医療と人間というテーマのエッセイを書き続け、それをまとめたのが本書なんですな。 ですから、本書冒頭のその闘病記に続いて、同じテーマを扱った幾つかのエッセイが並んでいるんですけど、そのどれもが結構面白い。 例えば自分の病気の治癒が、プラシーボ効果の賜物であったのではないか、ということから、プラシーボ効果について色々と調べ上げたエッセイとか。 あるいは、「生きる意欲」こそが人の健康にとって重要なのではないかという自身の体験から、老齢に至っても有意義な仕事をし続けた人に取材したエッセイなんかも面白かった。何しろその取材した相手は、アルベルト・シュバイツァー博士と、チェリストのバブロ・カザルスですからね。実際、カザルスの言葉「人はみな自分の内部に根本的な道理の観念を持っています。その観念の告げることに耳を傾け、その通りに行動すれば、その人は世界が一番必要とすることを大きく果たしているのです。それは別にこみいったことではないが、勇気が要ります。人が自分自身の善性に耳を傾け、それに従って行動するのには勇気が要ります。われわれは自分自身になり切る気があるかどうか。これが大切な問題です」(67頁)は、それこそ昨日読んだ「トランスパーソナル心理学」の主張をそっくり先取りしています。 あとね、ランバレーネのシュバイツァー博士が、現地の呪術的医師の役割を決して軽視していなかった、という話なんかも、実に興味深い。現代医学とは別のアプローチがあり得るということを、アフリカの呪術師の治療の中に、ちゃんと見て取っていたんですな、博士は。 それから、現代アメリカでは「鎮痛剤」が万能薬のように用いられ、「痛み」を忌避する風潮が強いけれども、本来痛みというのは、人間にとって非常に有意義なものなのだ、ということを、ハンセン氏病の治療に活躍されたポール・ブランド博士の体験から説き起したエッセイも面白かった。 そして、最後の最後、ニューヨークの街角で、かつて自分に死の宣告をしたある医者とカズンズが偶然出くわす場面で本書は終るんですけど、この場面が良いんだ! すごく良い。迫力あるよ! そこで何が起ったか・・・それは実際に本書を手に取って読んでみて下さいな。 自己啓発思想というのは、思考の持ち方によって病気も治すことが出来る、というのが大きな主張になっていて、その科学的後楯が「プラシーボ効果」という現象なんですが、私が本書を読んだのは、本書がまさに「プラシーボ効果」についての有名なエッセイだから。しかし、そういったことを除いたとしても、面白く読める本ですし、私は結構感銘を受けながら読みましたね。仮に私が難病にかかったとしたら、多分、カズンズと同じような行動を取るだろう、という感じもして、何となく親近感が持てますし。というわけで、この本、教授のおすすめ、と言っておきましょう。笑いと治癒力 [ ノーマン・カズンズ ]価格:1058円(税込、送料無料) (2016/8/13時点)
August 13, 2016
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諸富祥彦という人の書いた『トランスパーソナル心理学入門』という本を読んだので、心覚えを付けておきましょう。 なんでこの本を読んだかと申しますと、やっぱり自己啓発本研究との絡みでありまして、心理学が追求する「人間、いかに生くべきか」的なモノってのは、もともと自己啓発の思想と重なる部分があるし、アブラハム・マズローの「人間性心理学」なんてのは、直接、自己啓発思想に包含されてしまうところもある。となると、その「人間性心理学」の延長線上にある「トランスパーソナル心理学」のことも、多少は知識として知っておいた方がいいんじゃないかなあと思い、差し当たり入門書でも読んでおこうと、本書を手にしたという次第。 で、この本読んでみたら、大体、トランスパーソナル心理学の何たるかってのは、なんとなく掴めました。 かいつまんで言いますと、人間ってのは、常に「本当の自分」を探しているわけね。本当の自分の幸福というものを掴みたいと。で、従来の心理学は、「それなら、自己実現しなさい」ってな回答を出していたわけ。だけど、じゃあ、自己実現すればそれで幸せになれんのかっていうと、意外にそうでもなかったと。自己実現ってのは、どこかにエゴイスティックな部分があるので、それを実現しちゃった後、「自分だけが幸せになれば、それでいいのか」的な疑問が生じてきたりして、結局、別の悩みを招いてしまったりする。パーソナルな幸福が実現しても、最終的には幸福になれないという矛盾があると。 じゃあ、どうすればいいかとなった時に、もっと広い視野をとればいいと。宇宙的な視点ね。 自分が存在しているのは、宇宙空間のただ一点、しかも長い時間の流れの中のただ一点なわけですよ。人間ってのは、宇宙の悠久の摂理の中の一つの構成要素、しかも絶対に欠くことのできない要素だと。 だから、自分という個人には、宇宙の摂理の中でまかせられたある「使命」があるはずだと。だから、その使命を果たすことこそ、自分の生きる道だと考えればいい。 そういう、自分を越えたもの、すなわち、「トランスパーソナル」なものに、自分の存在意義を委せるという視点。これが、トランスパーソナル心理学が、我々に提示しようとしているもの、らしいんです。諸富さんの言葉を直接引用するならば、「私たちの人生に働いている、私たち自身の意図を越えた力を自覚的に生きる」(191頁)ということ。 また別な言い方をすれば、「私」が生きているのではなく、「いのちの働き」が先にあって、それがたまたま今は「私」の身体を通じて顕現しているのであって、そのことに気づくことこそ、今生の悩みから脱却する道であると。 もうね、この前提は自己啓発思想そのものですよ。 トランスパーソナル心理学もそうだし、チクセントミハイの唱導する「フロー」概念とかも完全に自己啓発。だって、「フロー」に乗った生き方をすれば、シンクロニシティの能力を高めることができるので、例えば会社を首になったその日に、別な会社からヘッドハントされるというようなことも頻繁に起るようになる、みたいなことを言っているらしいのですけど、これなんか、まさに自己啓発思想で言うところの「引き寄せの法則」とまるで変わらないじゃん? しかもフローでは、「クリントン大統領もフローを使っているらしい」的な言説を弄ぶらしいのですが、そういう実在の人物をいい加減な形で引き合いに出すあたりも、自己啓発そっくり。 ま、とにかく、どうやらトランスパーソナル心理学ってのは、かなり明確に自己啓発系なんだ、ってことが分かったことが、私にとっては第一の収穫というか。 その他、この本を読んで、アメリカでは特定の宗教を離れる人が多く、そういう人たちは、かといって唯物的に生きているわけでもなく、スピリチュアルに依存する傾向にあること、そしてその「スピリチュアル・レヴォリューション」は3つの波を経て進化していくのだけど、その第1の波が1960年代の「ヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメント」(アブラハム・マズローとか、エサレン研究所とかが関係してくる)、第2の波が1980年代の「ニューエイジ・ムーヴメント」(チャネリングとかヒーリングとか、シャーリー・マクレーンが関係してくる)、そして第3の波が1990年代の「魂ブーム」(トーマス・ムーアとかジェイムズ・ヒルマンあたりが立役者)だったのだけど、このいずれのレベルにおいても、トランスパーソナル心理学が、その最も信頼できるバックボーンとして存在していたということ、なんてことも教わりました。 あとね、トランスパーソナル心理学は、人間性心理学を母体として生まれるのだけど、そもそもその人間性心理学を生み出したアブラハム・マズローがどうやって、そういう方向に向ったか、なんてことも教わりました。それによると、従来の心理学が、精神に異常を来した人の研究を出発点にしているのに対し、マズローは、そうじゃなくて、むしろ自己実現をした幸福な人の精神状況ってのはどうなんだ?という、幸福の研究からスタートしたと。そしてその結果、自己実現をする人間に共通する特質というのは見えてきたのだけれど、マズローはそれだけで満足できず、そういう自己実現を既にしてしまった人がさらなる人間的成長を求めていったら、どこへ行き着くんだ?という疑問を抱いてさらに探求を続け、そうして個々人の枠を超えたところに自己の存在意義を求める心理学、すなわちトランスパーソナル心理学に行き着いたということ。また、そういうマズローの到達点から振り返ってみると、彼がLSDなどを使って志高体験を得させることを目指したエサレン研究所と関わったことの意味も分かってくるし、ウィリアム・ジェイムズあたりが、マズロー以前に「トランスパーソナル」とよく似た概念のことを言っているよね、的なことも分かってくると。 さらにトランスパーソナル心理学の一番の大物は、ケン・ウィルバーと言う人だということ、日本でも話題になった『葉っぱのフレディ』なんて絵本は、このトランスパーソナル心理学の主概念を非常によく体現しているモノであると言うこと、さらに、トランスパーソナル心理学と隣接する様々なカウンセリングの手法(例えばフォーカシングとか、プロセス指向とか、ワールドワークとか、ハコミセラピーとか、そういう奴)も、その概要だけは何となく理解できましたかね。 ってなわけで、この本、新書判の簡単に読めるものではあるのですが、結構な収穫はあったかな。 ちなみに本書の著者である諸富さんという人、私と同い年のようですが、アマゾンとかで見るとめちゃめちゃ著書が多い。こういう系の心理学の畑の人って、特に諸富さんみたいにカウンセリングをする人ともなると、書こうと思えばいくらでも書けるみたいね。まあ、宇宙がらみの使命感をもって自己実現しちゃっているから当然か・・・。 とにかく、私としては非常に勉強になりました。自己啓発について勉強している人は、読んでおいて損はないかもよ。トランスパーソナル心理学入門価格:821円(税込、送料別) (2016/8/12時点)
August 12, 2016
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今日は毎年この時期に東急東横店で行なわれる「渋谷大古本市」に参戦して参りました。毎年、冬は新宿京王百貨店の古書市、夏は渋谷東急東横店の古書市に行くのを楽しみにしていたんですけど、ここ数年、冬の京王の古書市が開催されなくなって、寂しい限り。せめて夏の渋谷の古書市だけでも欠かさず行こうと思いまして。 が、その前に腹こしらえ。このところ渋谷で何か食べるというと、「ヒカリエ」にある牛タンの店「利久」で食べるのが定番になりつつあるのですが、今日もやっぱりここへ向います。たまたま甥っ子が渋谷の近くに住んでいるもので、ついでだから彼も呼んで、家内と三人で牛タンの昼飯と相成った次第。それにしても利久の牛タン、いつもながら旨いね。 さて、それで甥っ子は友だちと遊びに行き、家内はヒカリエ内をぶらぶらするというので、私一人、東急東横店催事場へ。 ところで、いつも思うのですけど、どうしてこう、古本市に集まるマニアたちって、変人ばっかりなんだろう。何事かをぶつぶつ呟いている人、架空の誰かと話をしている人、目つきのへんな人、臭い人、棚の下に潜り込んで本を探している人、そんなんばっかり。そういうところに参加しているワシ、大丈夫か? ワシも他人から見たら同類かねえ? ま、それはともかく、今日は割と収穫があったんじゃないかな。初日だったしね。 まず見つけたのが『ポパイの時代』という本。あの時代を劃する雑誌『ポパイ』創刊の裏話とか、そういうの満載の本。まずまずの美本。 そして高橋康成さんの対談集『アリスの国の言葉たち』。高橋康成さんと彼を囲む文学者・詩人たちとの対話篇。高橋康成さんの息子さんは私の友人なのでね。 それからアンディ・ウォーホルの『ぼくの哲学』。なにせ私の一番好きな、そして自分のものとしている死生観ってのは、ウォーホルの言ったという「人間が死ぬなんてことはないだろ? ただデパートに買い物に行くだけだろ?」というものですからね。 そしてアメリカ文学者で翻訳家の青山南さんの映画論『レイトショーのしあわせな夜』。青山さんの書くものって割と好きなんですけど、これは文学の話じゃなくて、映画の話なのでね。青山さんがどんな風に映画を語るのか、読んでみたいと思って。それに、ちらっと中を見ると、結構文学の話も混ざっているみたいだし。 それから私の池田満寿夫コレクションに加えるべき何点かの本や雑誌。たとえば『私の調書』の新風舎文庫版とか、詩画集『女と男』(角川文庫)の美本とか。前者は単行本は持っているのだけど、新風舎文庫版は持っていなかったので。後者も既に持っているのだけど、こちらの方がきれいな美本だったので。あと、『本の本』という雑誌の1976年1月号で、池田満寿夫の「豆本」特集をしているのを見つけたので買っちゃった。私の池田満寿夫コレクションの、おそらく最後のピースとなるのはこの豆本だと思うのですが、私はまだその実物を数点しか見たことがなく、他にどんなのがあるのだろうという興味があったので。 ってなわけで、合計4,500円分くらい買っちゃったけど、調べてみると、まあ、相場程度の値段で、格別の掘り出し物ってのはなかったかな。でも、それほど馬鹿な買い物でもなかったとは思うので、まずまずの成果だったのではないかと。 というわけで、私にとっては「恒例・夏のお楽しみ」の第一弾、充分に楽しんで参ったのでした。今日も、いい日だ!【中古】 ぼくの哲学 /アンディウォーホル(著者),落石八月月(訳者) 【中古】afb価格:948円(税込、送料別) (2016/8/11時点)「ポパイ」の時代 [ 赤田祐一 ]価格:2700円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)レイトショ-のしあわせな夜 [ 青山南 ]価格:1728円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)
August 11, 2016
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帰省二日目。今日は父の米寿の誕生日だったので、昼はそのお祝い。お祝いの品として作った父の写真俳句の本は既に送ってあったので、授与式はありませんでしたが、とにかく喜んでもらったようで、良かった。 で、後は普通に、仕事をして過したのですが、あまり仕事の本ばかり読んでも飽きるので、最近入手した又吉直樹さんのエッセイ集『夜を乗り越える』をちらっと読んでみた。 前に読んだ『第二図書係補佐』も面白かったですが、この本もなかなか面白くて。 この本の冒頭、彼の幼少期から小学校時代、中学校時代の話が出てきて、何故に又吉さんが本好きになっていったのか、その経緯が語られるのですけれども、これが実体験に基づく非常に説得力のある、また喚起力のある文章でありまして、子ども時代、「本当の自分」と、周囲から押し付けられたり期待されたりして作り上げた「演じている自分」の乖離に悩み、そういう状態を彼に押し付けたり、それに悩んでいる彼のことが理解できない大人に対して強い不信を抱くと同時に、太宰治や芥川龍之介の小説の中に自分と同じ悩みを抱えた主人公たちを見出し、激しく共感することで、本の世界に没入していった経験を、実に生き生きと、説得力をもって綴ってある。こういう文章というのは、普通の人には書けない・・・つまり、小説家的な才能がないと書けないのじゃないかと思いますねえ。だから、彼が小説家であることは、こういうものを読んでも納得よ。 で、さらに思うに、この本の何がすごいかというと、又吉さんの自己分析の深さね。 人間って、誰でもある程度は自己分析をすると思うのですが、それがまたくせ者で、分析自体が浅かったり、自分に都合のいいように分析していたり、とにかく詰めが甘いところがある。むしろ詰めの甘い自己分析こそが、普通人のやる普通なことで、それが悪いというものではない。それが普通よ。 ところが、中には徹底した自己分析をしてしまう人というのがいる。多分、又吉さんというのは、そういうタイプの人なんですな。 それはつまり、「カッコ悪い自分」というものを直視することが出来る人、という意味でもある。それはなかなか、出来るようで出来ないことでね。逆に、よほど自己愛が強くないと出来ないことかも知れないし。でも、そういう風に自分の奥の奥まで見つめないとさ、小説なんて書けないでしょ。 ま、とにかく、この本を読んでいると、そういう又吉さんの自己との対話、自己理解というものがよく分かる。その意味で、大したもんだなと。 ということで、又吉さんのこの本、教授のおすすめ! ということにしておきましょうかね。夜を乗り越える [ 又吉直樹 ]価格:885円(税込、送料無料) (2016/8/10時点)
August 10, 2016
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は〜、東京の実家に戻って参りました〜。 お盆には少し早いし、平日だし、新東名が出来たし、別に渋滞とかないだろうな、と半ば期待していたんですけど、やっぱりある程度は混むもんですなあ。 で、足柄SAで夕食をとろうと計画していたのですが、「空」の表示が出ている方向に行ったのに、駐車スペースが空いてなくて、結局、押し出されるように本線に戻ってしまったという。 もうね、東名/新東名とも、新しいサービスエリアの駐車場の設計がひど過ぎる。昔みたいに、ただだだっ広いだけの駐車場にしておいてくれればいくらでもスペースはあるのに、変に一方通行みたいにしちゃうから、歩行者とクルマ、出るクルマと入るクルマが交錯して、ガイドさんが常駐していないとダメな上、ガイドがいてもダメなんだからどうしようもない。 ま、とにかく、仕方なく次の小さな鮎沢パーキング・エリアへ向った我ら。 ところがこの鮎沢PAがまたものすごいことになっておりまして。 この世にこんなに沢山の大型トラックがあったのか、という位、大型トラックが駐車場の至るところに停めているわけ。もちろん、駐車スペースを示す線なんて完全に無視して、縦に横に斜めに停めている。そして路肩にも全部止まっていて、それどころか合流車線までびっしり。一度にあれほど沢山の大型トラックが並んでいるの、見たこと無い。ほとんどハリウッド映画のCGか?っていう位、アポカリプス的な光景でありました。あんまりトラックがあり過ぎて、どの方向に肝心のお店やトイレがあるのか、分からないんだもの。 もちろん、我々もクルマを止めるところがなく、仕方ないので、生まれて初めて合流車線に向う道の路肩にクルマ停めちゃった。その先に渋滞があったので、トイレを済ませておきたかったものでね。 というわけで、帰省するのも結構苦労しちゃった。 ま、ともかく、今日からしばらくは東京からのお気楽日記。お付き合いのほど、ヨロピクピクゥ!
August 10, 2016
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元同僚で、私の「叔父貴分」だったO先生が、藤田保健衛生大学に入院中ということで、アニキことK教授と一緒にお見舞いに行ってきました。何しろO先生とアニキと私は、かつて「助教授~ず」(のちに「ミルクプリンズ」、さらに「教授~ず」に改名)というユニットを組んでいた仲なもので。 O先生、何で入院中かと申しますと、今年の3月末に転んで背中をしたたかに打ったからで、最初、単なる打ち身と診断されたものの、いつまでも引かない痛みに精密検査を受けたところ、腰椎が一つ、潰れていたと。 で、最初はコンクリートを注入する、という簡易手術を受ける予定だったのですが、さらに調べたところ、O先生の骨が丈夫過ぎて、それでは上手く行かないだろうということになり、結局、大きく背中を開いて、潰れた腰椎にチタン製のボルトを4本入れて、というような、聞くだに怖ろしい手術をすることになったのだと。 で、若い人だと、いずれ骨がくっつけばそのボルトを抜くらしいのですけど、叔父貴くらいの歳だと、もうそのまま放っておくらしいので、叔父貴が亡くなって焼き場で焼くと、お骨の中にそのボルトが出てくるのだとか。わー、ステキ。サイボーグみたい。 で、手術は無事成功、別に内臓疾患ではないので、普通に物も食べられるし、暇をもてあましていると。 ちなみに、まだシャワーは浴びれないそうですが、その代わり、可愛い26歳の看護婦さんが身体を拭いてくれるので、それが楽しみなんだってさ。そうですか、そうですか。そりゃ、良かったねえ。 ということで、思っていたより元気そうな叔父貴の姿を見て一安心。むしろ、現在の勤め先大学のありようについてのグチ大会になってしまい、逆に我々の方が叔父貴に慰められるという。 それにしても、ある程度、歳をとってから転ぶと、思わぬ大事になってしまうんですな。私は日頃柔術である程度鍛えているし、さすがにまだそこまで衰えていないとは思いますが、注意するに越したことはない。せいぜい、転ばないようにしようっと。
August 8, 2016
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いよいよ始まりましたね、リオ・オリンピック。 柔道好きの我が家、やっぱり柔道は見逃せません。昨夜も遅くまでつい応援しちゃった。 で、高藤。私は技のデパート的な彼の柔道は大好きで、調子も良さそうに見えたのですけど、ある意味、調子が良過ぎましたかね。落ち着いて行けば絶対勝てる相手に不覚。それでも、その後持ち直して銅メダルを獲ったのは立派。女子の近藤もメダル獲得は立派です。 一方、水泳400メートル個人メドレーの萩野・瀬戸両選手、これも頑張った。特に「水の王者」となった萩野選手は良かった。巨神兵のように見える大柄な外国人選手の中では小柄にすら見える二人が、こういう好成績を取ったことは、次世代の選手たちにもいい刺激になるのではないでしょうか。 それから、お父さんと二人三脚で頑張ってきた女子重量挙げの三宅宏美選手も、二大会連続のメダル、お見事でございます。 それにしても、やはり国別対抗のオリンピックになると、どうしても愛国的になりますね! そして今日。 柔道では前回のロンドン大会で共に悔しい思いをした海老沼と中村美里の出番。今日は何としても二人に金メダルを獲ってもらいたい! さて、またちょっとテレビにかじりついて、応援してきますかね!
August 7, 2016
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以前の指導院生が、某大学の教員募集に応募したいというので、私に推薦状を書いてくれるよう頼んできまして、まあ、私としても少しでも役に立てばいいなと思いつつ、その依頼を引き受けたわけ。 ちょっとしたことですけれども、こういうのも人生経験ですからね。そういうのを頼まれるというのも、ある意味名誉なことですし、推薦状の書き方だって、一度経験を積めば、次からは応用が効きますから。 ということで、以前、私が係わった教員採用人事の古い書類の中から、色々な方が書かれた推薦状を取り出し、それらを参考にしながら、どうにかこうにか一通の推薦状をでっち上げたと。 ところで、推薦状には当然、それを書いた人の署名が必要なわけですけれども、私が参考にした何通かの推薦状を見ると、その署名の仕方がまちまちでして。 例えば本文と同じくワープロで署名までしているものがあるかと思えば、ワープロによる署名の後に印鑑を押してあるものもある。また本文はワープロだけど、署名だけ自筆にしているもの。さらに、その自筆の署名の後に印鑑を押してあるものなど、人によってやり方は様々。 で、私はどうしようかなと悩んだ挙句、やっぱり本文はワープロでも署名は自筆だろう、と思い、その方向で作成することに。 で、いざ、署名となったのですけど、そこでハタと手が止まりまして。 何の気なしにボールペンで署名しようとしたんですけど、あれ? こういう時にボールペンじゃあ、あまりにも事務的過ぎてアレかなと。 うーん、ここはやっぱり万年筆・・・だろうな。 そう思って、机の中を引っ掻き回して万年筆を見つけ、いざ書こうとすると、アレ、インクが・・・。たまにしか使わないから、カートリッジ式のインクが完全に乾いちゃっているよ! こりゃマズイと思って、他の万年筆もあたってみたのですが、どれもこれもみんなダメ。インクがカラカラ・・・。 ううむ、典型的な万年筆あるある・・・。たまに使おうとすると、インクがダメになっているという奴。 どうしよ、どうしよと思ってさらに机を引っ掻き回していたら、これぞ天の助け、ずーいぶん前に買ったパイロットの「Vペン」が出てきたじゃないの。これは・・・どうなんだ・・・? 使えるのか? で、試し書きをしてみたら、ひゃー! 見事に使えるじゃないの! ラッキー!! といういことで、今回の推薦状作成、「Vペン」のおかげで、墨痕淋漓(って、万年筆でも使うのか?)、いかにもそれっぽい署名をすることができたのであります。 それにしても、他の万年筆のインクが全部カラカラになってしまったのに、「Vペン」だけはまったくその兆候を見せないってすごいね。蓋のシールドが完璧なのか、それとも使っているインクが非揮発性なのか。とにかく、思わぬところでこの1本200円の簡易万年筆の実力を思い知らされたのでした。これで200円なんて、信じられないようなコスパですな。パイロット Vペン 細字 ブラック SVP-20NS-B
August 6, 2016
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私はこの10年ほど、某学会の資料室というのを担当しておりまして、学会員が出版した本をお預かりし、記録に残す仕事をしてきたのですけど、ついにその10年の年季が明けまして、次の資料室担当さんに仕事を引き継ぐこととなりました。で、今日は新しい資料室担当さんに大学に御足労いただき、この10年の間に溜まりに溜まった本を大方引き取っていただいたという。 この暑さの中、二人でダンボールに詰めた本を、何往復もしてクルマに積み込む作業をしたので、もう二人共汗みずく。作業が終った段階で、脱水症状になりかけ、なにはともあれ、近くの喫茶店に飛び込み、特大アイスコーヒーを注文、コーヒーが届くのも待ちかねて、お冷を立て続けに2杯、飲み干しましたよ。 資料室は、あまり頻繁に動かすと、本をどこに寄贈していいか分からなくなるので、任期が10年と長いんですな。特に初代の方が二期20年を勤められこともあり、半世紀を超える学会の歴史の中で、資料室幹事は私でわずかに三代目Jソウル・ブラザース。ですから、今日は三代目と四代目の引き継ぎ作業であったわけですな。 10年間。結構長かった・・・。自分の人生の5分の1ですからね。 で、その間に溜まった本を四代目に引き継ぎ、カラーンとなった本棚を見たら、何だかホッとしましたねえ。引き渡した大量の本の重さの分、気分が軽くなったと言いますか。 それもあって、喫茶店で飲んだ特大アイスコーヒーの旨かったこと! 私からバトンを受け継ぐ四代目は、私よりはるかに有能かつ責任感のある人なので、任せて安心って感じ。学会としても、むしろホッとしているのではないでしょうか。 というわけで、夏休み前最後の日、私の心もすっかりかーるくなったのでした。今日も、いい日だ!
August 5, 2016
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英語科の緊急会議があるというので何かと思ったら、これがまたくだらない話で。 今度小学校で英語が5年生から正規の授業となり、その導入が3年生から始まると。で、そうなると、小学校で英語を教えられる人がいないから、そのための免許を出さなければならないわけ。 だから、現在、小学校にお勤めの現職の先生に、土日などを使って大学に来て10単位分の英語関連の学習をさせる。その10単位さえ取れば、小学校で英語を教えるのもバッチリだろう、というのが文科省のハラで、その10単位分の授業をやってくれ、という要請がきた。それに対して、どう対処するか、というのが議題だったんです。 いや~、どうして文科省って、こういう付け焼刃みたいな案を出すかね。たった10単位で、英語を教える能力がつくくらいなら、誰も苦労しないだろうって、どうして思わないのかな。 でまた、仮にこの要請を受けた場合ですよ、私らが現職の先生相手に授業をしなくちゃならないわけ。 だけど、その現職の先生方ってのは、英語が専門の人じゃないからね。体育とか音楽とか、そういうのが一応専門の先生かも知れない。もともと英語に縁がない人が大多数なのよ。 その人たちに一体何を教えればいいと? そもそも、英語学習ってどうすればいいか、その根本的なことすら分かってないのに。 特に私のような文学を専門とする人間が、小学校で教鞭をとる人たちのために、何を教えればいいのよ。アメリカ文学の面白さなんて語ったところで、小学校英語には関係がないだろうし。 まったく、バカな文科省のおかげで、我々もそうだけど、現場の先生方は苦労させられるねえ・・・。
August 5, 2016
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たまたま「春風新聞」という、出版業界の新聞を読んでいたら、朝日新聞で言えば『天声人語』にあたるようなその新聞の編集後記的なコラム『春風接人』というところにこんなことが書いてありまして。 このごろ巷ではシロウトが席巻している。芸能界然り。独断で恐縮ながら、精進を惜しまぬひとの芸は、歌でも笑いでも演技でも、何度聴いても見ても飽きず楽しいけれど、ちょこっとの個性がたまたまウケ流行り、いつの間にか廃れてゆくものは四度で飽きる。学界また然り。一冊たまたま売れるとタレントまがい、これでもかというぐらいにつぎつぎ新書を出しつづけ、学者だか何だか見分けがつかなくなる人がいる。(後略) うーん。言いたいことは全体としては分かるけれども、このこと自体、ちょっと固定的な見方じゃないのかなあ。 だってさ、「一冊たまたま売れるとタレントまがい、これでもかというぐらいにつぎつぎ新書を出し続け」るって大変よ。 一冊たまたま売れる本を書くことだって大変だし、そのあとつぎつぎに親書を出し続けることだってそうそう出来ることじゃない。私なんか、むしろそれを目指しているのに、どうしてもそれができないでいるんだから。 大体、それに成功している人って、誰よ。この日本に何人いるのよ。学者は何万人といるだろうけど、その中で本が売れてタレントまがいになれる学者って何人いるのよ。それ考えたら、タレントまがいになれる学者なんて、その時点ですごいと思う。私はね。 だから、内田樹だって、斎藤孝だって、大したもんだって思ってますよ、私は。 一冊でもいいから万の単位で売れる本が書きたいと切に思っている私からすると、春風接人氏のご高説にはどうしても首肯できないな。
August 4, 2016
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仕事の都合もあってベンジャミン・フランクリン著『フランクリン自伝』を再読しているのですが、これがまた何度読んでも面白くてね。本当に知恵のある人だなと。知恵があるっていうか、人間通というか。 例えばこんなことがある。1737年のこと、フランクリンが州会議員の二期目を勤める段になって、ある議員が別な候補を立てて反対したことがあったんですな。この時は結局フランクリンが当選したものの、彼の再選に反対した議員は、財産も教養もあり、先々有望な議員だったため、その人に反対されたことがフランクリンとしてはちょっとカチンときた。 しかし、といって彼にお追従の一つも言って取り入るのが嫌だったフランクリンは、一つ、策略を立てるんです。 その議員が、ある珍しい書籍を蔵書として持っていると聞いたフランクリンは、彼に一通の手紙を書いて、その蔵書を貸して欲しいと頼むんですな。すると、その議員は快く、それを貸してくれたので、フランクリンも1週間ほどしてから、丁寧な礼とともにその本を返した。 すると、その本の貸し借り以来、その議員は、何かにつけてフランクリンの味方になってくれ、ことある毎に好意的な態度を示してくれたと。 どういうことか分かります? つまりね、「一度面倒を見てくれた人は、進んでまた面倒を見てくれる」ということなんですな。そのことをフランクリンはよく知っていたので、「本を貸す」という面倒をまず彼に押しつけたわけ。うーん、賢い! そして続けてフランクリン曰く、「こっちが恩を施した相手は、そうはいかない」と。これもまた深いね! だから、ある人を自分の味方につけようとするなら、こちらからその人に何か恩を売るのではダメなんですな。「俺は昔、あいつに恩を売ったことがあるんだから、アイツは俺の味方になってくれるはず」なんて思うのは甘いと。そうじゃなくて、味方に付けたい相手に、逆に世話になりに行って、その人に「俺はあいつの面倒をみてやったことがある」と思わせる。そうなればその後、何度でも世話になることができると。 確かに、私だって、もしゼミ生が私に何かを頼んできたら、断れないもんね。「卒論の面倒を見た以上、俺はコイツの面倒を最後まで見る責任がある」っていう気持があるからね。 いやあ、深い! フランクリンは深いわ~。 この他、ページをめくる度に、なるほど~と思わせられることばかり。『フランクリン自伝』はやっぱり、史上最初にして最高の自己啓発本かもね。フランクリン自伝改版 [ ベンジャミン・フランクリン ]価格:972円(税込、送料無料) (2016/8/2時点)
August 2, 2016
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大学はようやく期末試験週間となり、私も今日は専門の授業の期末試験をやってきたのですが、この蒸し暑い中、風邪が流行っているのか、試験時間中のシーンと静まり返った中、あちこちでくしゃみの音、鼻をすする音などが。夏風邪かあ、辛そうだなあ。 と! その時、教室に轟く凄まじい音! なんと、一人の女子学生が、ものすごい音を立てて洟をかんだのでした。ええ?! マジ? それが、一回や二回じゃないのよ。その子、5分おきくらいに盛大に「ブーーーーーーー!!!」という大音声を教室中に鳴り響かせて洟をかむわけ。 ううむ、あんまり気になって、気になって、ある時など、こちらの予期していたドンピシャリのタイミングで「ブーーーーーーー!!」が響き渡った瞬間、私は思わず、アハハと笑ってしまった。 いやあ、それにしても、ちょっと珍しい。花も恥じらう妙齢の女子よ。普通なら皆の前で洟なんてかみたくないだろうし、どうしても必要があるとしても、なるべく無音に抑えようとしないか? それを、あそこまで響かせて、高らかにやるとは。 ひょっとして帰国子女? 欧米人って、人前で洟をかむことにまったく抵抗ないからね。 ま、そこは分りませんが、とにかく、洟も恥じらわない女子学生の定期的な「ブーーーーーーー!!」に、いささかやられてしまった今日のワタクシなのであります。・・・ハ、ハ、ハックション! あれ? うつされたかな? ブーーーーーー!
August 2, 2016
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