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さらにフォビアの話に戻る。女にもレズフォビアがあるのは言った。特に日本ではそれは酷い。よく日本は同性愛者差別がひどいといいそれはなぜか男性のせいにされるが男性同性者は普通に存在が認知されてるしテレビなどにもタレントととして出てくる。ところがレズビアン(なんちゃってじゃなくて)が出てくることは滅多にない。なんのことはない、女のレズフォビアが同性愛者差別として批判されないだけである。 例えば、アメリカで流行って日本でも流行った「セックスアンドシティ」というドラマがある。あれは基本的に異性愛の話だ。ところがそれのちょっと後くらいにそれと同じくらい流行ったドラマ「the word of L」(日本語訳だと題名はちょっと違って「Lの世界」)は日本では全く流行らなかった。このLの世界はまさしくレズビアンのドラマで複数の脚本家もレズビアンで10人程の女性主人公たちの女同士の恋愛と生活を描くドラマだ。当然その恋愛は肉体関係ありでそういう描写も結構ある。といってもセックスアンドシティと同じようなレベルでである。アメリカでは相当ヒットした。ところが日本では話題にすることすら避けていた。輸入はされてたが。マスコミもほとんど取り上げたり持ち上げたりしなかった。(セックスアンドシティの時にはしまくってたのに)文化の違いで流行らなかったのは言い訳にならない。何故ならセックスアンドシティは日本では成功したからだ。要は日本社会と日本の女にはレズフォビア、自分と同性の同性愛の性表現に対する偏見や嫌悪感が世界に比べて強く存在するのである。さっきもいったが同性愛に対する理解というのは自分と同性の同性愛に対してひかないということに意味がある。 セックスアンドシティもザ ワードオブ Lもどちらも女性向けドラマである。つまり日本には女によるレズのセックスに対するレズフォビアがあるということである。 自分たちはレズの性表現にひいてるくせに、男性が女が書いた酷い同性愛の性表現にひいたら同性愛差別とかふざけてるのか。つまり自分ら女は不快なレズの性的表現または少女のレズの性的表現を拒否する権利を持ちつつ、タブー化させて避けておいて男性はそういう表現を拒否すれば「同性愛差別だ!」という不均衡こそ男性にだけ性的に不快な表現に我慢しろというのは明確な男性差別である。さらにそもそも同性愛者の人権を考えたり理解することと同性愛の性表現を嫌悪感や不快さを感じずに見るというのは別問題である。 同性愛者の人権を考えるというのは子供を持つことがなかなか難しい彼らがどうやったら養子をとったりできるかとか結局男性と同じブルーカラー労働問題とかである。 まさに同じようなことを女はレズビアンの女に対してやっている。決してレズビアンの性的な描写、セックスの生々しい描写をたくさん見ることが同性愛者の理解などとはいわない。セックスとか性欲へのポルノ的理解が中心ではなく生き方とか人生である。てめえの性欲の対象として同性の同性愛者では出来ないような性的表現のポルノを書いて不快に感じる異性愛の男性に無理やり見せることじゃない。それこそまさに男性の性に対する女性による暴力である。 つまり繰り返すが結局女による男性の同性愛者や異性愛者を使ったポルノ表現は同性愛者の人権の何の関係もない、むしろ彼らをもて遊んでいる男性の性に対する性差別、性暴力表現である。それらを見たくない男性の目につく場に見せるのは明確なセクシャルハラスメントで規制すべきである。 男性同性愛者向けのポルノは普通に存在するしこれからも存在すればいい。今もあるし、きちんと18歳規制もしている。これは同性愛者の人権に関わるものだろう。すみわけもきちっとできてるし男性同性愛者が異性愛者が不快に思うことを無理やり見せるなんてことはほとんどい。問題は加害者女によるそういう男性を使ったポルノが全く規制されておらず多くの男性が目につき不快な思いをするということである。これらは明確な人権侵害できちっとポルノとして規制されるべきである。今まで書いてきたようにきちっと同性愛フォビア問題(特にレズフォビア)に触れたうえで規制の声をあげていかなければならない。(でなければ連中は同性愛者人権やフォビアを盾に規制を逃げ回る)結局男性の性を女性の性より軽んじてるからこそ、このような表現が規制されないのである。女による男性同性愛者を使った性暴力の漫画はいたるところで18禁規制されることなく普通の本棚に並び社会生活の中で男性は自らの性が虐げられているのを目にし不快な思いをする。何度もいうがこれは男性同性愛者が性処理に使うポルノとは全く別ものである。それらは同じように18禁規制されてるしすみわけもされている。つまり、これらで男性に迷惑をかけているのは男性同性愛者ではなくて、クズ性犯罪者予備軍の女なのである。しかもレズビアンでは同じことができないレズフォビア同性愛者差別者、そして男性差別者なのでる。 当然これらを子供が読めば男性だけ、または男児だけが性暴力表現の被害者されても許される、男性は性暴力表現の対象とされても許されると間違った性の認識を持ちかねないし、18歳未満の女はレズビアンはいけないが、男性はどんなに性暴力表現にさらしても良いと考え、性暴力表現の加害者になる可能性が大きい。そして当然男女平等の観点からもおかしい。よって確実に女による性暴力表現もポルノであるという認識をもたせ、他のポルノと同じように規制しなければならない。それを進めていくことが必要だ。忘れてはいけない。女によるポルノを規制しないということは女はどんな性暴力表現を書こうがポルノと認識されず、男性の性と人権を軽んじてるのである。
Dec 20, 2009
女による男性同性愛者を使ったポルノ漫画は男性差別 女が男性同性愛者を使って書くポルノのジャンルに不快な思いをしている男性は多いだろう。当然だ。あれは男性の性を「女が」商品化して弄んでいるポルノで男性差別だからである。 しかし多くの男性がそれに怒りの声をあげない。いや、あげられていない。何故ならあれらの女による男性への性的虐待表現に反対すると「ホモフォビア」(つまり同性愛恐怖症)のレッテルを貼られるからだ。同性愛者の男性に対して差別意識をもっていない男性にとってはこれは頭にくる。だが、異性愛者の男性がああいう同性愛の性表現に嫌悪感をもつのは当然である。しかもそれが女による男性の人権を無視したような表現であった場合。(実は女もそうなのである。)それと同性愛者の人権を重んじないことと性的表現に嫌悪感をもつことは次元が違う。 なのにも関わらず、男性たちは同性愛者差別者にされるのを恐れてあのようなへどの出るような不快な女による男性差別表現に泣き寝入りしている。女により無理やり「男性の性を使った」ポルノや同性愛性表現を男性に見せるのは明確なセクシャルハラスメントでありそして男性差別である。 あのような表現を規制せず垂れ流しにし多くの男性が不快な思いをするのは許されない。(しかしこの問題はしっかりと丁寧に理論武装して同性愛者差別を正当化することと区別しないとてめえの性欲をみたしたいだけの女に反論する隙をあたえてしまう。)少なくとも男性側のレズポルノは規制されているのだ。女が不快に思うから。そのために、大事なのはレズポルノ、または百合っていうのか創作物の場合、つまり女性同性愛の性的表現も比較して理論に組み込まねばならない。まず異性愛者の男性に不快に思うようなそのような表現を見せるのはセクハラである。しかし勘違いしてはいけないのが同性愛者の男性はそういうことをあまりやらない。(性犯罪者や予備軍を除いて。)同性愛者にも当然異性愛者の男性と同じ割合0.1%くらいはそういう犯罪者がいる。) 相手が不快だということは理解できるし不快に思うことはやめようという配慮があるから。しかしそういうセクハラ行為をやるのは大抵が女なのである。特に一部の。つまりこれらの加害性は決して同性愛者の男性ではなく加害性はそういう女だということを認識しなければならない。つまりこれらは女による男への性的暴力だと認識しなければならない。 そしてこれらが男性への性暴力であり男性差別という根拠はレズポルノや百合(レズの創作物)と対比し常に浮かび上がってくる。まずこのような性暴力ポルノを書く女はまさしくこれが同性愛者の人権を考えているようなことをぬかすがそれらは自分らの薄汚い性的欲望を正当化するための全くの嘘っぱちである。何故なら連中はあのような同性愛性的表現をレズビアンでは全くといっていいほどやらないからだ。絶対にやらないのである。数は圧倒的に少ない。もしあれらを書くことが同性愛者の人権を理解するとかならば女はレズビアンのことは何も考えていないことになるのか?まさか!要は女にも男と同じようにレズフォビアがあり、あのような男性を使ってする性的表現を女同士、レズで同じようにやるのは不快なのである。女にもレズ差別女性同性愛の性的表現にフォビアがあるのだ。 例えば女の作者が書いているレズものに「マリア様が見てる」とかがあるがこれは確か小説、あれも読者の多くが女であるのだが驚くほど性表現が少ない。男性を使った同性愛表現なら驚くほどヘドが出るような虐待まがいの性表現やえげつない表現をするのにいざ自分たちの性を使った同性愛者表現は性表現はキスくらいまで。どういうことか。病的にセックスの描写を書くことを恐れてるのだ。間違っても男性を使ってするような面白半分での性的暴力表現をレズでは書かない、不快だからである。 つまり女は自分らが男性を使ってしているような同性愛の性表現を自分たちの性を使ってやるのには嫌悪感やフォビアがあるのである。 逆にいえば自分たちの性を使えば不快になるような表現を男性を無理やり使ってニヤニヤしてるのだ。これこそ男性に対しての性的暴力以外なんでもない。 またそれらを無理やり男性に見せて嫌がる男性には「おまえは同性愛に偏見を持っているのか」などと抜かして男性の見たくない自由を奪うのも明確な男性差別である。 何故なら自分たち女はもろにレズフォビアを持っておりそれを拒否しているからである。 例をだそう。自分が5年ほど前たまたま恋愛のバラエティ番組を見たときだ。その番組にはカップルが来て悩みを相談するような番組だった。例によって観覧してるのは女ばかりである。そこであるカップルの女が自分は浮気をしているという告白をした。 「でも男としてるわけじゃないんです。」冗談半分で女のタレントが「じゃあ女としてるの?」 「そうです」 すると回りの女達(一般の観覧の女たち)が一転 「え~」 と非難、まさにドン引きという感じの声をあげた。浮気をしているっていっていた時にはある種、歓喜のえーだったのに本当に引いているえーであった。 あげくの果てにその女タレントが「その女の子と肉体関係はあるの?」という信じられないという調子で質問する。 その相談者があると答えるとまたしても一段階大きいドン引きと非難の観覧の客の女たちのえーという声だった。このとき男のタレントは驚いてはいたが引いてはいなかった。引いていたのは女だった。つまり女には明確な女性同性愛恐怖症がある。特にセックスに。 考えてみてほしい。もしこの相談者が男性でゲイであるという告白をしたとき女はこのような反応になるだろうか?ほとんどが同性愛に理解あるよ、みたいな明るい反応になるのではないか?女どもは「うんうん、わかるよ」みたいな自分は同性愛に理解あるよみたいな態度をとるだろう。間違ってもさっきの同性愛者の女性に対するドン引きの態度はとらないだろう。こんなものは同性愛に理解があるとはいわない。要は女は女の同性愛(肉体関係あり)に対して引かないではじめて同性愛に理解があるといえるのだ。 異性の同性愛者にひかないのは当たり前だ。男性向けポルノだってレズビアンものは一つのジャンルとして確立するくらい大きい。男はレズ(女性同性愛)に対して全く引かない。同性愛に理解があるというのは自分と同性の同性愛に理解があるということである。 つまり女が男性同性愛者を使ってポルノを書くのは全く同性愛理解でもなんでもない。それと同じことをレズビアン、女同士で嫌悪感をもたず楽しく性描写が書けてはじめて同性愛に理解があるという権利がある。女同士での性描写を同じ調子で書くと不快だったり女性の性を軽んじてると感じる?しかしてめーはその表現を男性の同性愛者を使ってやってるわけだ。 しかもそこに出てくるのは同性愛者の男性だけでなく異性愛者の男性も出てくる。つまり全く同じ表現を女性同性愛者を使ってできないのならばその表現は全ての男性の人権を省みない性暴力表現に他ならない。(その2に続く)
Dec 20, 2009
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