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★☆ 目先の利益で失う高度な産業技術情報と危機管理 ★☆ Bad case where only technology was stolen by China~ 蓄積された技術を狙う隣国にはご注意を! ~ REALISTは、4月24日、久しぶりJR西日本『 新幹線 』に乗った。乗った車両は、午前6時36分小倉発で午前6時53分着の「こだま851号」で、この車両は、『 700系 』新幹線を改良した時速300km以上も走行可能な『 N700系 』と呼ばれる車両だ。 車両に乗る直前、偶然に到着したRAIL STAR(レイル・スター)『 700系 』や他のホームに停車中の『 500系 』新幹線を見かけたので撮影した。 隣接するホームに「博多駅」方面から進行してきて、まさに「小倉駅」に停車しようとするRAIL STAR(レイル・スター)の『 700系 』新幹線。この同型車両をJR東海が台湾高速鉄道で購入受注し、台湾でも走行している。 目の前に到着した、RAIL STAR(レイル・スター)の『 700系 』新幹線。 2つ先の新幹線ホームをよく観ると、キオスクの店舗で先端が見えないが、時速300kmの営業運転速度を誇った『 500系 』の車両が見えた。その前部の側面に『カンセンジャー』という文字とロボットの絵が描かれていた。 これが、JR西日本の『 500系 』新幹線の完全な前部の姿。列車に見えない宇宙船の様な未来的で斬新なスタイルだ。 これは、REALISTが乗る「こだま851号」と同形の『 N700系 』車両。『 700系 』のコストパフォーマンスに加え、加速能力や速度向上を達成した改良版だ。 早朝午前6時20分ごろの「小倉駅」の「博多駅」方面下りホーム、朝早いこともあり、人の姿はまばらだった。大半の人はもう乗り込んでいる。 まさに、乗車直前に撮影。この車両は一両だけがグリーン席で他は全て自由席だった。 車内は、スカイブルーを基調としたシートと壁面は落ち着きのあるホワイト、とても明るく清潔感のある雰囲気で、前席との間隔もゆったりしている。 電光掲示板なども以前に比べ大きめサイズになっている。列車の車内というより、旅客飛行機内の様な感じだった。走行中の音は、発車時に「キーン」というかすかな金属音の他は・・・空気を切る様なわずかな音しか聞こえない静粛性は、素晴らしい。車両停車時のショックもほとんどないソフトなものだった。 日本の新幹線技術は、世界に誇れる素晴らしいものだと改めて感じた。 この写真は、今回のJR西日本とは関係のないJR東日本で営業運行している『 E2系 』の新幹線車両だ。この車両は、2003年に速度向上試験に使用、時速362kmを記録した。この写真をここにあげた理由は、次の写真と関連する話題展開のためだ。 これは、中国が誇る”自称「国産」と主張する”『 CRH2形 』高速車両。・・・実は、日本の新幹線『 E2系 』のコピーに過ぎない。 巨大市場に目がくらみ中国に技術だけを盗まれた悪い事例 この車両と上の日本の『 E2系 』と比較すると、まったく同じ車両だ。独特の流線形の凹凸部の車体フォルム、2本のワイパーの位置や形状、車両前部の特徴ある先端部、運転席最上部にある特徴あるヘッドライト、”何から何までコピー”そのものと言ってよいだろう。異なるのは、「和諧号」の漢字の文字と車両の塗装部分だけ。中国は、これは「自力開発した国産車だ!」と豪語して、アメリカなどに売り込みにかかり、アメリカに国際特許申請までしたというから、抱腹絶倒だ。 実は、日本の川崎重工業が中国の巨大市場に目がくらみ騙(だま)されたあげく、日本の数十年にわたる新幹線技術をまんまと盗み取られたというのが真相だ。完成品の『 E2系 』の3編成24両、部品輸出が6両編成48両にとどまり、中国はこれら車両をすべて分解し、すべてをコピーしてその技術情報を盗み、その技術情報を使った生産体制を中国側メーカーが完了した時点で・・・、川崎重工業は不要となり、用済みとなったわけである。 要するに、大商談成立かと思いきや・・その高度な技術だけ盗まれたという話だ。中国で生産する場合、「すべての技術情報を中国に開示しなければならない」という制度がある。したがって、中国では、欲しい先端技術情報は、産業スパイを使って苦労しなくとも、中国のその有利な国内制度で合法的に堂々と中国の技術陣が手に入れることが可能になるわけだ。したがって、中国で生産する場合の外国企業はノウハウもブラックボックスも一切なく、すべて盗まれてコピーされてしまえば、その時点で用済みになるという仕掛けだ。 これと同様なことは、中国の戦闘機の大半がロシアの戦闘機のコピー機というのも一目瞭然だ。わずか数機だけの最新戦闘機をロシアから購入し、新幹線同様にすべて分解し、部品単位で同じものをコピーして組み立てる。そして、国産戦闘機と称して中国名の名称で生産している。このことは、ロシアでも問題となり、先の習近平がロシアを訪問、プーチンとの間で最新戦闘機の購入を求めたが、ロシアは中国の過去の数々のコピー機製造に懲(こ)りており、数機の要望を蹴(け)り、大量機購入の商談を成立させている。 日本の企業も、中国でのビジネス展開もこのことを念頭に産業技術の危機管理上の対応をしなければ、技術だけまんまと盗まれ何の利益もなく、大変な国益を失うことを覚悟しなければならないだろう。その挙句に、その技術を国際特許申請までされるという二重の被害を受けることになる。 中国は、ある意味で北朝鮮と酷似しており、独裁的軍国主義国家であり、国家的な犯罪国家とも言える点が共通している。これは、尖閣で中国政府の船を日本の領海に進入させる挑発を繰り返したり、日本やアメリカの産業中枢部にサイバー攻撃で侵入し高度な技術情報を盗むなど、これが悪辣な中国共産党の実態を示す良い例だと言えよう。 こういうことこそ、日本のマスコミが国民にもっとわかりやすく説明すべきことだが、NHK等のテレビをはじめ、朝日新聞などのマスゴミは、この点についても、何故か、国民に知らせようとしない情報の遮断をしている。いったい、マスゴミの裏にはどんな不可解な仕組みがあるのだろうか?、国民に知らせない目的は何なのか?言論権力機関による何かの策動があるのだろうか?また、これについての、批判的なコメンテーターも少ないのも異常としか思えない。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/26
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★☆ 『 20歳若く見えるために私が実践している100の習慣 』 ★☆ Instruction book for rejuvenation~ 現役医師の「南雲 吉則」の著作品 ~ 「 若くありたい 」という気持ちは、古代でも近代でも、一部の例外を除き、大半の誰もが望む欲望だろう。「人間は、生まれたその瞬間から限りなく死に向かっている」と言われる様に、美人でも金持ちでも権力者でも誰もが絶対に逃れられない生物的な運命がある。しかし、それでも人間の欲望はとどまることはない。大昔の逸話に、ある国の絶大な権力を誇る王様が「不死の薬草」を求めて、世界中に特使を派遣して求めたという史実があるくらいである。 今回ご紹介する本は、その表題にあるとおり、死は免れないまでも、「20歳は若く見えるため」の現役医師が自ら実践してそれを実現している指南書だ。ただし、この方法を実際に実戦できればの話でそれは当然に楽な方法ではないが、試してみる価値はあるだろう。現在56歳なのに「脳年齢38歳、骨年齢28歳、血管年齢26歳」である著者が実践している、驚異のアンチエイジング法を解説。「寝るときはカーテンを閉めるな」「痩せたい人間はスポーツをするな」「免疫力を高めるな」など、これまでの常識を覆す数々の健康法を指南している。「激しいスポーツは体に毒、早死にの原因」、「一日一食で健康になる」、「体臭は野菜中心の生活で抑えられる」、「ゴボウは若返り薬」、「夜更かしは老化する、午後10時~午前2時の睡眠のゴールデンタイムに寝る習慣」・・・などが印象的だった。 【 主な内容 】スポーツは早死の原因。「一日一食」で健康になる。体臭は野菜中心の生活で抑えられる。冷え症は「水シャワー」でなおす。南雲流「心・美・体」で人生100年計画を達成する方法をわかりやすく解説している。【 著者情報 】 南雲吉則(ナグモヨシノリ)ナグモクリニック総院長。乳腺専門医、医学博士。東京慈恵会医科大学・近畿大学非常勤講師、韓国東亜医科大学・中国大連医科大学客員教授。1955年生まれ。父は日本の美容外科のパイオニア吉和氏。東京慈恵会医科大学卒業後、東京女子医大で形成外科を、癌研究会付属病院外科で癌治療を学び、東京慈恵会医科大学第一外科乳腺外来医長を経て、乳房専門のナグモクリニックを開業。東京・名古屋・大阪・福岡の4院で癌手術、乳房手術を行う。乳癌学会、形成外科学会、美容外科学会では毎回セミナー講師を担当【送料無料】20歳若く見えるために私が実践している100の習慣 [ 南雲吉則 ]価格:1,365円(税込、送料込)『 ゴボウ茶を飲むと20歳若返る! Dr.ナグモの奇跡の若返り術 』この本で食品で特に強調していたのが、「リンゴの皮つきのままの食事」や「ゴボウ茶のすすめ」だった。ゴボウ茶は薬局などでも市販されているが、ゴボウを薄切りにして天日で干すなどのゴボウ茶の簡単な作り方も紹介されている。ゴボウには、特殊な成分が含まれており、継続して摂取することで高脂血症の改善やダイエットにも優れた効果があるそうだ。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/24
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★☆ 鎌倉幕府の平家追討を逃れ隠れ住んだ落人たちの悲劇 ★☆ Heike's fugitive legend ~ 平家の落人伝説~ 山口県下関市大字高畑 『 平家塚 』 ~ REALISTは、3月25日午前、下関市大字高畑の『 霊鷲山(りょうじゅせん:標高288m)』登頂を目指すと途中、その高畑の地に壇之浦の合戦(1185年)で滅亡した平家の落人(おちうど)が隠れ住んでいた部落があった地に『 平家塚 』と呼ばれる平家の墓や平家の落人の霊が祀(まつ)られていたという『 霊神社 』を訪れた。 平家の落人伝説は、日本中に存在するがここは間違いなく実在した地だ。 県道246号沿いの『 霊鷲山(りょうじゅせん) 』と『 平家塚 』入口を示す案内表示板。ここからは、平家の里、高畑部落への入口でもある。 REALISTは、関門海峡の壇之浦沿いの国道9号線から高畑方面に向け、住宅街を北進、県道246号線に出た。壇ノ浦の戦いがあった早鞆の瀬戸から直線距離で約2kmしか離れていない谷間の集落。あまりに近すぎたため追手に気づかれなかったと言い伝えられている。平家塚と呼ばれる場所に五輪塔などがある。 車で通るにはやや狭い一本道をしばらく進むと・・・その部分だけ広くなった道に到着、そこに、この『 平家塚 』の石碑があった。 石碑の裏の丘に登る道を歩くと、間もなく『 平家塚 』がある。 『 平家塚 』の説明文。平家の落人が隠れ住んだ部落は、時が流れ・・・「平家やぶ」と呼ばれ、近づくと「たたり」があるとしばらくの間は恐れられていたようだ。しかし、最近になって、整備され、地元の婦人たちの手で清掃やお香が手向けられているとある。これが、平家の五輪塔のお墓だ。2基が寄り添うようにたたずんでいた。夫婦だったのだろうか? この様な五輪塔の形状は、平安期、鎌倉期の特徴だ。 鎌倉幕府の平家追討軍が平家の落ち武者や落人を必死に探していたようだが、命からがら逃げのびて隠れ住むのも大変だったに違いない。 地元の婦人たちの手でよく手入れがされている。 『 平家塚 』から、さらに奥の道を進んだ。こうした竹藪(やぶ)の道が続く。 平家の落人は800年前から、こんな竹藪で生活していたのだろうか?まもなく・・・目の前に『霊神社』、『旗かけの松跡』とある標示板が現れた。何だろう?と・・・左折して『旗かけの松跡』に向かった。 すると、開けた広場に出たが、平家の末裔の墓だろうか?沢山ある。正面の奥に何やら説明文のある看板がある。 近づくと・・『旗かけの松跡』とある石碑と説明文のある看板があった。右の木が松の木。 「壇之浦の合戦で傷ついた落ち武者がここまで辿(たど)りついて平家の赤旗をそばの松の木に立てかけて休んだ」・・・とある。 来た道を戻り、次は『霊神社』方向に再び竹藪(やぶ)の中を奥に進んだ。 一番奥に至ると、 『霊神社』の鳥居が現れた。こんな竹藪の奥に神社があるとは・・・ 『霊神社』の説明板。平家の落人の霊を祀(まつ)った『霊神社』は、元々は、『平家塚』のあった付近にあったが、明治時代に大火に遭い、この地に移されたとあった。 焼けた建物は再建されていないが、狛(こま)犬や祠(ほこら)、灯篭等が設置されて当時を偲(しの)ばせる雰囲気があった。 なんとも静寂で厳粛なミニ神社だったが、平家滅亡に伴い京都の生活から、落人はこんな不自由な山奥での生活を強いられたという歴史の悲劇を感じた。 ここを守る狛(こま)犬の表情は、威厳のある力強さを感じた。 この辺りを歩くと、いたるところに、この種の石垣が多数残っている。平家の住んだ居宅の基礎だったのだろうか?石垣の上の平地はどこも雑草や木々が茂り、人々が住んでいた当時を想像するしかない。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/22
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★☆ その名のとおり山頂に「門司城跡」がある『古城山』 ★☆ Old castle mountain~ 福岡県北九州市門司区和布刈公園内「古城山」 ~ REALISTは、3月25日、古い城があったとされる門司区の和布刈公園内にある『 古城山 』を目指した。標高はわずか175mの低山で、公園として整備され、道もほとんど舗装済みのわかりやすい道を登るため、冒険気分もなく物足らなさを感じたが、それでも、遥か昔に平家が山頂に建てた城があったという『 門司城跡 』の記録に魅力を感じ、是非、山頂から観る下界の眺望を体験したいと思い登頂した。 山口県下関側から観た関門海峡越しの対岸に見える福岡県北九州市門司区和布刈(めかり)側にある『 古城山 』だ。 和布刈(めかり)神社付近から和布刈公園内を登って行くと、5分程度で、この案内表示板が見えてくる。この地点から約1kmを登ると入口だ。 こんな感じの舗装された車道と一体型の歩道側を歩いて行く。これは、登山というよりも散歩だ。車でも行けるけど、歩くことに意味がある。 20分程度で、『 門司城跡 』入口に到着。ここから左に登って行くことになる。道は狭くなるが舗装されている。 すぐに、この『 門司城 』の解説碑文がある。・・・それによると、「門司城」は、当初、源氏との決戦に備えて、平家の平知盛が築城させた。 1244年、平家残党狩りを鎌倉幕府から命ぜられた下総前司親房がこの地に到着、間もなくその子孫が「門司氏」を称し、「門司城」を本城に、周囲に5つの支城を構え約350年間にわたり、北九州を治めた。南北朝時代は、門司氏の北朝方の居城となった。室町時代末期になると、この城をめぐって、大友氏、大内氏、毛利氏の争奪戦の戦場となった。特に永禄年間の大友氏と毛利氏による門司城合戦は壮絶を極めた。その後の門司城の城主は入れ替わり続いたが、細川忠興の豊前入国後の1615年に「一国一城の令」により、およそ400年続いた歴史を閉じた。 こんな感じの登り道がしばらく続く。 突然、山腹側に小さな鳥居が出現!鳥居の上にある文字は「山の神」とある。 奥へ進むと石製の頑丈な祭壇が合った。とりあえず、登山安全を祈願する。 再び登山道を進んで行く。犬と散歩中の人と出会いご挨拶。 先を見ると・・・石垣の様な物が見える。 間もなく、巨大なレンガ造りの頑丈な入口のある構造物発見!入口は閉鎖されて中に入ることはできない。奥行きはかなりある大きな施設だが・・・・これは、対岸の下関側にも同様のものが残っている戦争中の対空砲陣地の跡で、火薬庫や兵員室を備えた施設の跡だ。 それから、すぐに山頂となる。 山頂に到着!・・・そこの中央にあるこのセメントの構造物は、戦争中の対空砲陣地の台座の跡だ。ここに対空砲が据え付けられ、戦時中は、アメリカ軍機が接近すると、直ちに兵士が駆けつけ、ここから360度回転する対空砲により対空射撃をしていた。 これが、山頂にある『 門司城跡 』の石碑だ。周囲を見渡したが、城跡を示すような遺物は見当たらなかった。ここから、下界を見ると、関門海峡が見渡せる。『 古城山(門司城跡)山頂(175m)から関門海峡を観る』 REALISTが、山頂から観える関門海峡を撮影した。ここに城があった当時は、ここからいつも下界を見ていたのだろう。 山頂から関門海峡をパノラマ撮影。 同様に関門海峡を少しだけ望遠撮影。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/18
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★☆ 春を喜ぶ元気な花たちに出会いました ★☆ Flowers who are pleased with spring!~ もの言わぬ花たちでも喜びがわかる ~ REALISTは、この春先になり、近場の里山を歩く道すがら、様々な花々に出会いました。知識不足で花の名や種類はわかりませんが、美しいので撮影しました。 花たちは、人間の様にしゃべることができませんが、カメラを向けて撮影しながら観察していると、まるで春を喜び『 嬉(うれ)しい! 』と満面の笑みを浮かべて幸せそうな表情を感じることができます。その明るい表情を観ていると、こちらまで元気やパワーがもらえそうです。 白い星の様な特徴のある形状の花びら・・・小ぶりで可愛い花たちが、「ようこそ!」と笑顔で迎えてくれました! こちらは、綺麗なイエローの花たち・・・いたずらっぽい笑顔の幼子たちが群れています! 仲の良い二人が寄り添っている様な感じで、こちらに向かって笑顔で「こんにちは!」とご挨拶してくれました。 「ワーイ!お日様いっぱい浴びれるから嬉(うれ)しいな~!」と風で揺(ゆ)れながらはしゃいでいるようです。 「春はやっぱりいいわね!」と声をかけられたので撮影!と赤く色づいた花たちが生き生きしています。 花の直径が1cmにも満たない小さな花たち、よく注意しないと見落としてしまいそうですが、青白い小さな花びらで必死に生きている姿はとても美しいものです。 この風変わりな形状の花は、直径5cm程度のもの・・花全体が笑顔の表情に見えてしまいます。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/17
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★☆ 『 山歩きはなぜ体にいいのか~大切な仲間に教えたくなる山の効用 』 ★☆ Effect on health of a climbing mountain~ 山岳フリーランスライター「柏 澄子」の著作品 ~ REALISTが登山をはじめて2年余りとなったが、そのきっかけは、まず第一に運動不足解消のための健康のためを意識して指向していることだった。続けているうちに、筋力が増加し、基礎代謝が増えることでダイエット効果があること、心拍数も増えることで身体の循環器系も改善されること、山に登るために余暇は必然的に室内にいる時間よりも外出時間が増えることで精神衛生上も良い効果があること、趣味の写真撮影も登山と並行して一石二鳥で同時に楽しめること、山好きな交友関係の輪も少しづつできること、自然の高山植物や珍しい動物、昔の遺跡や城跡などを自分の目で実際に見て学ぶことができること、コンパスや地図の見方を学び、サバイバル的な技術も高まること、楽しい割には他のレジャーに比べ、比較的安価な費用で楽しめること・・・・など、数えたら良いことばかりだ。 最近、山岳関係の図書にも興味が増えつつあるが、今回の本は、特に登山が与える様々な健康への効用を著者の経験を土台に、健康に関する様々なデータや客観的統計資料などを加味してとてもわかりやすく解説している。登山経験者ばかりでなく初心者でも、「なるほど!」と共感できる内容だ。余計に登山したくなる気分になるはずだ。 山歩きは体によい、心にもよい。しかし、具体的にどのような点が魅力であり、どのように体によいのか? 山歩きが健康的な体を作る理由、病気の予防につながる要素、心に与える影響などを説明している。 【 主な内容 】1 心と体を見つめ直そう/2 山歩きで健康な体を手に入れる/3 病気の予防につながる山歩き/4 “脳トレ”効果もある山歩き/5 ストレス解消で心も健やか/6 体によい山歩きを実現するために【 著者情報 】柏澄子(カシワスミコ)1967年、千葉県生まれ。フリーランスライター。登山全般のほか、ヒマラヤ山岳地帯やチベット文化圏に住む民族の暮らし・文化をテーマに、山岳雑誌、新聞、書籍などに執筆する。高校、大学時代に山岳部で登山を学び、2000年ヨセミテでのクライミング、02年チョ・オユー(ヒマラヤ・8201m)登頂、04年牛心山(中国・4942m)南東稜登攀、05年スンメル・アルプス(ノルウェー)でのテレマークスキー滑降などのほか、毎年、ヒマラヤ地域でのトレッキング、ラフティング、旅を繰り返す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)【送料無料】山歩きはなぜ体にいいのか [ 柏澄子 ]価格:1,000円(税込、送料込)『 登山靴 紐の結び方 』 山登りで大切なのが、登山靴の問題だ。長距離を険しい悪路を歩く前提で、しっかりとした紐(ひも)の結び方も重要なポイントであり、初心者は参考にすべきだろう。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/15
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★☆ 壇之浦合戦(1185年3月)の陶製壁画 (めかり公園第2展望台) ★☆ Battle of Dan-no-ura (March, AD 1185)~ 高さ3m、長さ44mにわたる有田焼製の歴史大絵巻パノラマ ~ REALISTは、3月25日、山口県下関側から『 関門トンネル人道 』徒歩で渡り、北九州市門司区の『 和布刈(めかり)公園 』を散策した。その公園内の『 門司城跡 』が山頂に残る『 古城山(標高175m) 』を目指す途中に立ち寄ったのが、 壇之浦合戦のパノラマ歴史絵巻を有田焼の陶板1400枚で再現した『 壇之浦合戦壁画 』のある『 和布刈(めかり)公園第2展望台 』だ。 第2展望台の案内表示板。和布刈神社から徒歩で20分程度かかる。 この階段を登ると第2展望台! 展望台に到着、眼下に広がるのは門司港だ。明治以降から戦前まで国際貿易港として賑(にぎ)わい、1922年、アインシュタインも夫婦で訪れた。 下関側に目を向けると、高速道路と関門大橋が目に入る。向こう側の黒づくめの若い女性軍団がキャツキャツとはしゃいでいた。 『 壇之浦合戦の想定図 』。白が源氏側船団、赤が平家側船団、図の右側の上から下に、そして左側の上から下の順に説明がある。最初は、潮の流れに乗り圧倒的に優勢な平家側の攻撃で源氏側は防戦一方だった。しかし、潮の流れが逆流すると、次第に源氏側の攻勢が強まり、源義経の指示で兵士よりも船の漕ぎ手や水夫、舵取りに矢などで集中攻撃する作戦が功を奏し、平家側軍船が行動不能となり、形勢逆転!一挙に平家の敗戦、滅亡となる。 『壇之浦合戦のゆかりの地』の案内板だ。左上が『赤間神宮(下関市阿弥陀時町)』、右上が『みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)』、左下が小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の小説で有名な『耳なし芳一像(赤間神宮内)』、右下が平家ゆかりの『御所神社(門司区大里)』 『 源平最後の決戦の地 』の解説案内板。図の右から左に・・『一の谷の戦い(1184年2月7日)』、『屋島の戦い(1185年2月19日)』、そして、最後の『壇之浦の戦い(1185年3月24日)』だ。 展望台にある広々とした木製デッキ型施設。背景には、『 壇之浦合戦壁画 』の様子が見える。大き過ぎて全体が撮影できない。 、『 壇之浦合戦壁画 』の案内板。壁画は、赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)所蔵の『安徳天皇縁起図』から「壇之浦合戦」の模様を有田焼の陶板で再現!源義経、平教経、二位の尼(平時子)、安徳天皇、建礼門院(平徳子)などが描かれている。 『源平壇之浦合戦絵巻』の説明文。『 おごれる人は久しからず、唯春の夜の夢のごとし 』・・と『平家物語』の一節が書かれている。史上まれにみる海戦で、平家は白色の旗印、平家は赤色の旗印をなびかせ、実に両軍合わせて4000隻以上の軍船が最後の戦いを合いまみれた。 長刀(なぎなた)に刀の源氏と平家の若武者の一騎打ち。 陸上待機の源氏軍の軍勢。 右上の海中に身を投じたのは、安徳天皇の母である建礼門院(平清盛の娘・平徳子)で、源氏の兵士が引き揚げて助かった建礼門院は、出家して京都大原寂光院の尼僧として過ごした。写真右下の船の中央屋根の下にいる白服の女性が建礼門院の母で平清盛の正室の二位の尼(平時子)で、その左隣が安徳天皇だ。二位の尼は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、壇ノ浦の急流に身を投じた。安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。敗戦が迫ると、他の多くの女官や武将なども次々に海中に没した。 山口県の日本海側の長門市沿岸に『 二位の浜 』という海岸がある。その名前は、安徳天皇と共に海中に没した二位の尼(平時子)の遺体が漂着したことが由来の地名である。 関門海峡から日本海側まで、かなりの距離だが、潮流は早く、かなり以前に関門海峡で入水自殺した若い女性の遺体が、二位の尼同様に付近に漂着した事実があったことからも、これが不自然でないことはREALISTは容易に理解した。 『 めかり公園側から関門海峡の潮の流れを観る 』 合戦が終わったのが午後4時ころ、同じ時間帯にREALIST撮影! 平家の猛将「平教経(のりつね)」に追われ、「八艘飛び」で逃げきる源義経 。 当時の屋根付きの軍船の形などがわかり、興味深い。 両軍の旗印は、長い長方形の形状の布張りだ。平家の女官たちが目を押さえて泣いている。 手前右に注目!イルカの群れだ。この日の合戦当日、イルカの群れが現れたと伝わっている。現在ではイルカは見れない。 展望台から門司側の海峡をパノラマ撮影。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/14
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★☆ 日本を夢見る海外クリエーターが作ったアニメビデオが大反響! ★☆ Our Dreamland - Japan ~ 日本を『夢の国』とイメージした作者は、まだ来日経験なし ~ 『Our Dreamland - Japan (私たちの夢の国ー日本) 』と題したYOUTUBEに投稿された動画は、美しいアニメや実写とバックミュージックが見事に結合している。美しい日本を見事に凝縮したイメージの映像として多くの海外ネットユーザーからも「美しい……ただただ美しい!、美しい映像だ!、これを見ていると、日本に行きたくなる!・・」などと大反響になっているそうだ。REALISTも鑑賞したところ、短時間の作品だが、日本特有の文化や伝統もうまく結合した質の良い「美しい」仕上がりを感じた。 作者であるこの海外クリエーターは、その作品について、・・・「私は日本に行ったことが一度もありません。でも “夢の国” への旅行は今でも私の夢です。この動画では、その日本についての夢を描きました」・・・と解説している。『 Our Dreamland - Japan 』これを観ると、日本に対する外国人の視点からのイメージがよくわかる。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/11
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★☆ 関門海峡直下を徒歩で山口と福岡を往復しました! ★☆ I walked in the submarine tunnel. ~ 山口県下関市みもすそ川町『 関門トンネル人道 』 ~ REALISTは、3月25日、『 みもすそ川公園 』前の国道をはさんだ向かい側にある『 関門トンネル人道 』の山口県下関側入口から、エレベーターで関門海峡の下まで降り、人道のトンネルを歩いて、福岡県門司側の和布刈(めかり)側までを往復した。海峡を渡る交通路には、関門トンネル車道や鉄道、関門大橋の高速道路や連絡船など様々あるが、関門トンネル人道と他の交通路との決定的な違いは、人道で徒歩の場合は通行料は無料であり、他の交通路はすべて有料だということだ。 「海底トンネル」と言っていい、このユニークな施設の様子は、普段なかなか見ることができないので、写真撮影した。 下関側の『 関門トンネル人道入口 』がある施設の標示看板。英語と韓国(ハングル)文字でも表示されている。 写真手前は、『みもすそ川公園』、その先には下関側海峡沿いの国道9号線、車道先の左側の高い建物が『関門トンネル人道入口』がある施設、右側が付属施設、トンネル施設の前には無料駐車場がある。REALISTも駐車してトンネルを利用した。一見、施設は古く見えないが、人道が開通した昭和30年代に立てられた建物だ。開通直後は話題となり、修学旅行や学校の遠足で多くの学生が歩いたことだろう。トンネルに入る前に付属施設にある『関門プラザ』に立ち寄った。トンネルに関する歴史や写真資料、開通工事の模様などを展示。入場は無料。自動ドアの正面は、下関のシンボルで有名な「河豚(ふぐ)」の絵。 部屋の中は明るく、エアコンも常時動いていて快適だ。ここで、トンネルの勉強ができる。 「年譜」を見ると、トンネル工事は昭和12年に始まり、途中戦災を受け、昭和33年に開通まで、20年以上を要している。トンネルの構造は、上が「車道」で下が「人道」という構造だ。 相和30年代のトンネル工事中の模様と断面の状況がわかる写真。 この図を見ると、トンネル部分の総延長は3461m、そのうちの海底部分は780m、水抜きとあるが、海水の水漏れがあり常時ポンプで排出しているのだ。 『関門トンネル人道』の構造が模型で示されている。上がエレベーターで、下部分はトンネルに接続する状況がわかる。 関門海峡を結ぶ7つの交通路が表示されている。1.関門鉄道トンネル、2.関門トんネル車道部、3.関門トンネル人道部、4.関門大橋、5.新幹線新関門トンネル、6.関門連絡船、7.関門海峡フェリー トンネル工事の方法や状況が20分の1スケールで再現されている。 まるでプラモデルやプラモのフィギュアだ。 なるほど、文字で説明するよりも、ディオラマの方がわかりやすい。 人道口エレベーター前に設置された通行可能時間や注意書きのある掲示板。 海底トンネルに降下するエレベーターに乗車する。 エレベーターを降りると、目の前に下関側ホールがあるが、意外と広い。 いよいよここから先が海底の下となる。 トンネル内での現在位置を示す表示板。 海底部分が780mということがわかる。 まだまだ先は長い・・トンネル内はヒンヤリとしていた。 ここは、海峡の真ん中だ!ここが半分の県境地点! 15分後にようやく、門司側のホールが見えた。 このエレベーターに乗って門司側の地上に出る。 この建物が門司側の「和布刈(めかり)公園」内にある『 関門トンネル人道 』門司側出入口の建物だ。REALISTは、わずか15分で海峡を歩いて渡り、門司側でゆっくり楽しみ、再び、帰りもトンネルを歩いて下関に向かった。 門司側、下関側でも人道口近辺の住民には、毎日のトンネル内の散歩で健康的に楽しんでいる人が多くいるそうだ。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/09
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★☆ 山口県下関側からのビューポイント「みもすそ川公園」 ★☆ Scenery of history of Japan~ 山口県下関市みもすそ川町「みもすそ川公園」 ~ REALISTは、3月25日、日本の平安期末期の最後の源平の合戦となった『壇ノ浦の合戦(寿永4年:西暦1185年)』が繰り広げられた関門海峡、また、日本の近代の夜明けを迎える前、江戸幕府の「外国船打払令」を受けた長州藩による攘夷(じょうい)のための英米蘭仏(イギリス・アメリカ・オランダ・フランス)四国連合艦隊との砲撃戦(文久3年:西暦1863年)繰り広げた地で有名な古戦場の下関側のビューポイントとなる「みもすそ川公園」を散策した。 「壇ノ浦の合戦」で船と船の間を次から次と鎧甲冑姿で身軽に飛び移ったという伝説の「義経の八艘飛び」を表現した源 義経(1159~1189)像 REALIST作成の源氏の指揮官級クラスの兜(かぶと)(作品は源 義家のもの)長い「鍬形(くわがた)」と呼ばれる角(つの)部分が特徴で、 両側部分には、「毘沙門天(びしゃもんてん)」像が描かれている。『 源 義経(Minamoto no Yoshitsune) 』義経(幼少時:牛若丸)の生涯が簡単にまとめられた動画 『 みもすそ川公園 』は、国道9号線沿い関門大橋の下関側橋脚付近に位置し、道路の向かい側には、「関門トンネル人道口」がある。 「みもすそ川」とは、元々はこの様な漢字で表現された。この辺りに存在していた川の名称が、そのまま町名となっている。 関門海峡(壇ノ浦)、関門大橋、門司側の和布刈の古城山を背景にした「壇ノ浦古戦場跡」の記念碑、REALISTは、この日、あの古城山(門司城跡)にも訪れた。 源氏の義経(左)と平家の知盛(右)の像と関門大橋 義経、知盛像の前にある関門海峡の歴史説明文 源 義経は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で、仮名は九郎、実名は義経である。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平家打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となったが、その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平家との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。 平知盛(たいらのとももり)(1152-1185) は、平安末期の武将で、平 清盛の四男。以仁王(もちひとおう)・源頼政の挙兵を宇治で鎮圧、源行家を尾張・美濃で破った。壇ノ浦の合戦で平家側の敗戦を前にして、「見るべき程の事は見つ」と鎧二領をつけ、碇(いかり)を身に付けて海に入水自害した。平家屈指の勇将であった。 2005年のNHK大河ドラマ「義経」の主演の義経役だった「滝沢 秀明」の手形 2005年のNHK大河ドラマ「義経」の建礼門院徳子役だった「中越 典子」の手形 2005年のNHK大河ドラマ「義経」の平 資盛役だった「小泉孝太郎」の手形 この石碑にあるのは、祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたと伝えられるが、そのとき二位尼の辞世の句だ。 長州藩が英米蘭仏四国連合艦隊との砲撃戦で使用した「天保長州砲」のレプリカ展示物。 「天保長州砲」のレプリカが安置された歴史的経緯の説明文。 「長州砲」に関する性能データ。 150年前の当時を再現した迫力ある「長州砲」レプリカ群。 史実では、四国連合艦隊と砲撃戦をした「長州砲」は、戦利品として連合軍が本国に持ち帰った。 公園内では、観光ボランティアが観光客相手に「高杉晋作」の紙芝居を無料で熱心に演じていた。 公園向かい側の関門トンネル人道口付近にある下関市の観光案内図。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/05
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★☆ 源氏と平家の最後の決戦、壇ノ浦古戦場跡に観る桜の花 ★☆ Cherry blossoms seen in platform bay old battlefield mark~ 福岡県北九州市門司区和布刈(めかり)公園 ~ REALISTは、3月25日(月)、山口県下関側から関門トンネル人道を徒歩で福岡県北九州市門司区の和布刈(めかり)側に渡った。関門大橋の和布刈側でもある付近は「和布刈(めかり)公園」として整備されている。 この付近の関門海峡は、「壇ノ浦(だんのうら)」と古くから呼ばれ、REALISTが訪れたまさに前日に当たる、寿永4年(西暦1185年)3月24日、源 義経(みなもとよしつね)をはじめとする源氏勢が、平家一門と最後の戦いを繰り広げた決戦場の『 壇ノ浦古戦場跡 』だった。REALISTは、海岸付近から観る海峡の激しい流れを観ながら過去の歴史を感じ、桜を眺(なが)めて楽しんだ。 海峡の海岸付近に咲く白い大きな桜の花がどれも美しくまぶしく感じた。春の訪れを教えてくれる汚れのない純白の花たちを眺めていると、心が洗われるようだった。 さくら by ケツメイシ もう懐かしい曲になったケツメイシの”サクラ”この時期になると聴きたくなる曲です。公園内を海岸に沿って歩くと、関門大橋の門司側の橋脚(きょうきゃく)付近にたどり着く。これは、門司側から関門海峡をはさみ下関側に向けて橋の下付近から撮影したもの。こうして観ると、意外と海峡が狭く感じた。ここで、関門大橋については・・・関門海峡の最狭部である山口県下関市壇之浦と福岡県北九州市門司区門司(和布刈地区)を結ぶ。1973年に開通。橋長1068m、最大支間長712mは、若戸大橋(橋長627m、最大支間長367m)をしのぎ、開通時点では日本および東洋最長の橋となった(1983年開通の因島大橋が関門橋を上回る規模の橋として完成し、その後もより大規模な橋梁が複数架設されている)。 壇ノ浦の古戦場だったこの海峡の潮の流れは早いことで有名だ。海面を観ていると・・・白く激しい波が大きく渦(うず)を巻いて激しく音を立てながら流れていた。こうして、平家一門の滅亡となった海戦では、どれだけ多くの人々が亡くなったのだろうか。祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。このとき安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。敗戦がいよいよ迫ると、船に乗船していた他の多くの女官や武将なども次々に海中に没したそうだが・・・・3月の海はまだ水温が低い。しかも、この急流の海の中に飛び込めば、まず助からないだろう。公園の海岸付近は、以前に比べかなり近代的な整備が進められており、一部は、まだ工事中のフェンスや縄張りの部分があった。「平家の一杯水」これは、下関側にも海岸に自然な石組のようなものが存在するが、ここはどんなものなんだろう?・・・と興味をあったので先を進んだ。 桜の花に観取れて・・・ついつい海峡をバックにパチリと撮影した。 さて、たどり着いたのが・・・これ!ウウムッ・・・これが・・!「平家の一杯水!」・・だが、中を見ることができない!入口が閉鎖して近づくこともできないうえに、周囲を完全に分厚いコンクリートで遮蔽(しゃへい)している。「な~んだ!これじゃあの案内表示板の意味はないではないか!」・・・なぜなら、「平家の一杯水」自体を何も確認できないからだ。北九州市は訪れる人々の目線で公園整備にもっと工夫をすべきだろう。「平家の一杯水」の説明内容が書かれているので、一応はその意味だけは理解できたが・・・・ ここ和布刈(めかり)に古くからあるのが由緒ある「和布刈神社」だ。REALISTは、幼稚園の修学旅行で和布刈公園を訪れた際にここにも母と同伴で立ち寄っていた。 「和布刈神社」を訪れ、神社なら必ずある境内の手水で身を清めるための「手水舎(ちょうずや・てみずや)」を撮影した。 公園内で見晴らしの良い「第2展望台」を目指して歩くと、あちらこちらに満開の桜が咲き誇っていた。 葉桜も咲き乱れていた。 関門港と関門大橋が綺麗に観えるビューポイントは、和布刈公園内の第2展望台だろう。ここから関門大橋を撮影してみた。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/01
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