全272件 (272件中 1-50件目)

【2016年1月31日(日)】 悪天候で二度にわたって延期していた三重へのお墓まいりに家族で行ってきました。延期して大正解でした。天気もよく、暖かかったです。 往きは10時半に出て、途中の甲南SAでお世話になっている方々への手土産を買い、亀山SAで昼食。渋滞なく順調に運転して、芸濃インターで降り、近くのスーパーでお花とお供えを買い物後、お墓参り。 お正月ですので、宗祖廟所、義祖母の納骨堂、阿弥陀堂、御影堂にもお参り。氏神様にも遅い初詣。実家の空気入れ替えとお仏壇でのお勤め。お正月で神棚のお詣り。 その後。土地を借りてくださっている中古車ディーラーへ新年の挨拶へ。しかし、お休み。電話したところ、特別に昨日、今日とお休みとのこと。契約更新が近いので、後日電話をいただくことになりました。以前土地を売却してもらえないかとの話があったので、そんな話がまたあるのではないかと思います。私としては賃貸を続けたいのですが・・・ 駐車場の除草剤で枯れた草を、刈り取って袋詰め。前回含め3分の2が終わりました。新しく緑の草が生え始めていました。やはり今年も除草剤を撒き続ける必要があるかもしれません。 午後4時に、約束していた商工会のNさんに来ていただきました。1月中旬にあった地元行事で、2日間だけ空き店舗を手づくり市にお貸ししていました。鍵を返却いただきました。ささやかですが、こういうかたちでお役に立ててうれしいです。 最後にお隣さんに今年初めてのいあいさつ。京都の手土産を渡しましたが、2、3日前に近所の婦人会で京都に旅行に行ったとかで、逆に京都土産をいただき、野菜もいただいちゃいました。 午後4時半頃出て、途中高速の渋滞を避けるため、部分的に下道を走りましたが、6時過ぎには自宅に戻ることができました。 実家の処分のこと、そろそろ行動を起こさないといけません。やりたいこと、やらねばならないこと、バランス感覚が大切です。 少々疲れました。明日はまたのんびりとします。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #11昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-7】風俗画家たち風俗画、というとオランダ絵画を浮かべることが多いのではないでしょうか。数々の名作が残るオランダ絵画の人気分野の一つで、代表的な画家を多く輩出した分野でもあります。ヨハネス・フェルメール、ヤン・ステーン、ピーテル・デ・ホーホなど、世界的に有名な画家の目を通して、当時の日常生活を垣間見ることができます。また、風俗画には実際の生活場面を描いているように見えて、オランダの格言や教訓を伝えている作品も多く存在するといわれています。作品を読み解く面白さが味わえる分野です。●作品40 エサイアス・ファン・デ・フェルデ《庭園の宴会》 1615年 アムステルダム国立美術館広い緑地で、豪華で色鮮やかな服装をしたカップルたちが宴会を楽しんでいます。テーブルの端で給仕の少年がピューター製のピッチャーを使って注いでいる様子、画面右側の男性が背中を向けている女性の服をつかんで誘いをかけている姿など、華やかに賑わっている雰囲気が伝わってきます。【エサイアス・ファン・デ・フェルデ】《庭園の宴会》を描いたエサイアス・ファン・デ・フェルデは、1/18に紹介した《砂丘風景》の作者でもあります。彼は、風景画、戦闘画、そして屋外の饗宴画などの主題を描き、同時に素描、エッチングも制作しました。●作品41 ルドルフ・デ・ヨング《ヴァージナルを弾く女性》 1651年 ロッテルダム美術館一見すると肖像画のようですが、若い女性が美しい音楽を演奏し、バラの花を手に鑑賞者を誘惑するように見つめ、恋人が現れるのを待っている「若く美しい女性を主題」とする非常に魅惑的な作品です。【ルドルフ・デ・ヨング】《ヴァージナルを弾く女性》を描いたルドルフ・デ・ヨングは多才な画家で、肖像画や居酒屋の場面、狩猟の場面から都市景観まで描いています。若い女性が音楽を演奏し、鑑賞者を誘惑するという主題は彼独特のものです。●作品42 ヘラルト・テル・ボルフ(2世)《好奇心》 1660-62年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨーク若い女性たちが机を囲み、椅子に腰掛けた中央の女性は熱心に書き物をしています。机の上には開封された封筒があり、彼女は手紙(おそらくラブレター)の返信を書いているのでしょう。背後から覗き込む若い女性の行動は、この作品のタイトル通りの「好奇心」の強さを示しています。【ヘラルト・テル・ボルフ(2世)】テル・ボルフはオランダ黄金時代において最も才能のある画家のひとりです。彼は、豪華な室内にいる男女の衣服を表現する際、驚くべき筆遣いを見せました。美しい人々の集いを見れば、絹の衣擦れの音が聞こえてくるようです。テル・ボルフは、当時ヨーロッパ中で名を馳せていました。 ●作品43 ヤン・ステーン《恋の病》 1660年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨークこの作品は、鑑賞者に若い女性の病の性質を伝えるためのヒントが数多く組み込まれています。たとえばドアの上にはクピドのシルエットが見えますが、クピドは娘に向かって「愛の矢」を射ようとしています。また奥の方では、つがいの犬が入口で交尾しています。●作品44 ヤン・ステーン《女将と戯れる老人とバックギャモンに興じる ふたりの男のいる酒場の室内、通称「二種類の遊び」》 1660-79年頃 アムステルダム国立美術館酒場にいる人々が生き生きと描かれています。大きな暖炉の正面でバックギャモンに興じているふたりの男。そのうちひとりは動揺しており、上着とシャツを緩めて、つい先ほどまで座っていた腰掛けをひっくり返して立ち上がったようです。このゲームの行方を見守る男や女給仕を触ってたしなめられている老人など。この宿屋ではみな快楽に溺れて、道徳心はすっかり忘れ去られています。【ヤン・ステーン】ステーンはさまざまな主題を扱いましたが、焦点があてられるトピックは限られています。それは家庭生活と青少年の教育であり、恋愛の愚かしさ、そしてさまざまな誘惑─飲酒、金銭の浪費、怒りや欲望に自制心を失う人々の姿です(別の紹介文)◆ヤン・ステーン(1626-1679) 1626年にライデンで穀物業、ビール醸造業を営む家に生まれ、ユトレヒトとハールレムで学んだことが知られています。1640年代後半にライデン出身の風景画家ヤン・ファン・ホイエンに師事し、1648年にライデンの聖ルカ組合の創立者の一人となりました。1656年には各地を転々としています。家族の度重なる死のあと、ステーンはライデンに戻り画家としての活動をつづけ、1679年に53歳で亡くなりました。ユーモアに満ちた愉快な風俗画で知られますが、肖像画、風景画、歴史画も描いていました。彼の作品には、社会に対する鋭くウィットに富んだ批評性があり、彼が当時の喜劇、大衆文学、そしてネーデルラントの古今の芸術を深く理解していたことを示しています。 (続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/31
コメント(0)

【2016年1月31日(日)】 今日は、二度延期したお墓参りで三重のほうに行ってきました。サービスエリア2箇所、スーパーでの買い物、お墓参り、実家、駐車場草刈りなどなど、予想よりたくさん歩いて約7500歩でした。 写真は、先日(2016年1月28日撮影)の冬の「ユキヤナギ(雪柳)」@ご近所散歩。 バラ科シモツケ属の落葉低木。花期日は3~5月。中国原産という説もありますが、日本原産であると考えられています。 その花の様子が雪のように見え、また枝や葉の形が柳のような形に見えることからこの名がつけられたといいます。その春の姿はおなじみですね。冬はこのように、来るべき春に備えて準備しています。「みんなの花図鑑」サイトでユキヤナギであることを確かめさせていただきました。チイ君さんkayu-さんmiyacyannさんよっちゃん×3さん274とデージーさん秀さんだよさんリンゴちゃんさんオレちゃんさんさきっちさんsazankaさんはまなすさんken0さんLADYBIRDさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/31
コメント(0)

2016年01月30日 京都新聞HP アサヒビール初代社長・山本爲三郎の没後50年と開館20周年に合わせた企画展「三國荘展」が、大山崎町大山崎のアサヒビール大山崎山荘美術館で開かれている。民芸運動黎明(れいめい)期に多くの文化人が集った三國荘ゆかりの陶磁器や調度品など約120点が並び、来館者の目を楽しませている。 思想家柳宗悦らは、1928(昭和3)年に東京で開催された「御大礼記念国産振興東京博覧会」に、民芸運動の理念を住空間として表したパビリオン「民藝館」を出品。博覧会終了後、山本は同館を大阪の三国にあった自邸に移築し、初期民芸運動の拠点として使用された。 本館では、河井寛次郎や濱田庄司らが手がけた鉢や瓶など同美術館の所蔵品を展示している。湯豆腐用の特別な器やゆで卵入れなど、三國荘の暮らしぶりをうかがわせるような作品も並ぶ。 山手館では、三國荘の応接室と主人室が再現されている。和洋折衷の室内装飾が独特の雰囲気を演出しており、同美術館は「多くの芸術家たちが、自作の器を並べて民芸運動の明日を語り合った場所。当時に思いをはせてほしい」としている。 3月13日まで。入館料900円(高大生500円、中学生以下無料)。2月20日には講演会「三國荘と日本民藝館」を開く。参加者を募集している(無料、要申し込み)。問い合わせはアサヒビール大山崎山荘美術館TEL075(957)3123。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/31
コメント(0)

2016年01月30日 京都新聞HP 京都府南丹市美山町北のかやぶきの里を、雪で作った灯籠の明かりなどで照らす「美山かやぶきの里 雪灯廊(とうろう)」が30日始まった。山あいの集落に無数の明かりが揺らめき、訪れた人たちが幻想的な光景に見入っていた。 地元の保存会や観光関連業者でつくる実行委員会が主催し、12回目。2月6日までの午後5時~8時に、雪灯籠や竹灯籠など計900基以上を点灯する。18戸のかやぶき民家もライトアップする。 今冬は雪がまばらな状態で本番を迎えた。訪れた人たちは例年と違う情趣を堪能し、近年急増している台湾の観光客は珍しい雪に触れて満面の笑みを見せていた。 期間中は雪灯籠作りを無料で体験できるほか、温かいぼたん汁や鹿バーガーなどの屋台が出る。最終日の午後6時半からは花火を打ち上げる。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/31
コメント(0)

2016年01月30日 京都新聞HP 日本舞踊の担い手が流派を越えて集う公演「輝く日本の舞と踊(おどり)」が30日、京都市左京区のロームシアター京都で開かれた。約700人の観客が、色とりどりの舞踊の世界を楽しんだ。 同シアターのオープニング事業で、京舞井上流家元の井上八千代さんがプロデュースした。京都が拠点の若柳壽延(じゅえん)さんや若柳吉蔵さんをはじめ、花柳、西川、中村など、各流派の家元や名手が顔をそろえた。 幕開けの「三番叟(さんばそう)」では上方舞山村流の山村友五郎さん、尾上流の尾上菊之丞さん、松本流の松本錦升(きんしょう)(市川染五郎)さんがそろい踏みし、新たな劇場の船出をことほいだ。力感あふれる「龍虎」や、幻想的な「鷺娘(さぎむすめ)」など、多彩な演目が続き、最後に京滋の舞踊家による「京の会」が「鴨川名所綴(つづり)」を披露。京の名所や祭礼を踊りで描き、華やかに締めくくった。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/31
コメント(2)

【2016年1月31日(日)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術が提案されました。色々考え、大阪府立成人病センターと東京国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けることにしました。 まず、東京の国立がん研究センターでのセカンドオピニオンを受けましたが、「根治を狙わず、抗がん剤治療を続けて、延命治療をするのがベストでしょう。」という思わぬ結果でショックを受けて帰ってきました。翌日も気持ちが沈んだままでした。 そんななか京都検定の結果が届きました。私は予想どおり1級不合格でした。2015年1月31日の日記からです。================================================【2015年1月31日】■気持ちが沈んだまま・・・・ 東京国立がん研究センター(以下Kセンター)のセカンドオピニオンの結果で気持ちが沈み、落ち着きません。夜はなんとか、眠りに入れたのですが、今朝6時頃トイレで目覚めた後、色々思い悩んで眠れませんでした。その後、気持ちが次第に落ち着いたのか、少し眠ることができました。 結局起きたのは9時頃。昨日の東京往復の疲れもあったのでしょう。発覚したときに抗癌剤治療しても短命である可能性が大きいと言われていたのに、抗癌剤治療で腫瘍が小さくなったこと、体調も良好なこと、途中で病巣だけ取り除くというチョイスもあるかもしれないと言われたことなどで、余計な期待をしていました。発覚時の状態に戻っただけです。究極の選択をしなければなりません。今日は、一日こんな気持ちで過ごしてしまいました。私の弱いところがでています。 余命短くて、私が亡くなるとすると、特に家内のことが心配です。物理的には、お葬式のこと、相続のこと、整理できていない実家のこと、色んなことが心配です。生きているうちに、私ができるところは、その辺のこともしっかりやっていかねばなりませんし、娘たちに伝えたり、お願いしたりしていかねばなりません。沈んでいる場合ではないはずです。 京都検定の結果がようやく届きました。1月末までに到着とのことでしたが、1月末ぎりぎりでした。答え合わせの結果どおり、私は1級またも不合格(6回目)。150点満点で66点(答え合わせの予想68点)で、合格ラインの120点(8割)に遠く手が届きませんでした。平均点が55点、合格率4.0%で今までで一番難しかったと思いますが、6回目のチャレンジでこの点数は恥ずかしいです。また今年の12月に私は1級に再チャレンジしようと思います。そのためにも、長生きしなければ。 私の試験結果通知です。以上 2015年1月31日(土)の日記でした。================================================よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/31
コメント(0)

31個目のコースは「Echo Hills Golf Course」。・1949年オープン・Public・18ホール・自宅から北へ約15km Piquaという一つ北の隣町の外れにありました。1949年オープンと歴史のあるコースです。スコアカード宣伝満載ロゴボール ありませんでした。田舎のゴルフ場はないこともありました。Web Site 見つかりませんでした。地図https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%9245356+Ohio,+Piqua,+%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9/@40.0953651,-84.2289246,12z/data=!4m2!3m1!1s0x883f9ffe3d0eab1d:0xa532a3d03f2c1d56コース航空写真 Out(西側)が吹きさらしの池の多いコース、In(東側)が林に囲まれたコースと前半、後半で全く雰囲気が異なりました。前半すごい強風の中でプレーしたのに、後半はあまり風が気にせずにプレーした記憶があります。スコア記録よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21
2016/01/31
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月24日の記事≫ 悪性リンパ腫と診断された奈良県のAYさん(68)は2005年末、県内の総合病院に入院し、分子標的薬と抗がん剤などを組み合わせた「R―CHOP(アール チョップ)療法」を受け始めた。新年は自宅で迎え、1月3日に病院に戻って、翌日、医師の診察を受けた。 首とわきの下のリンパ節の腫れは引いているという。治療開始から10日足らず。「こんなにすぐ効果が出るのか」と驚いた。ただ、採血の結果、抗がん剤の影響で白血球の減少がみられた。感染症にかかりやすいため、かぜなどを引かないよう注意が必要だと説明された。 治療開始から約2週間後、シャワーを浴びている時に、髪の毛がゴソッと抜けた。臭いに敏感になり、ムカムカと吐き気がした。食事もほとんど食べられない。約1カ月間の入院で、体重が10キロほど落ちた。 退院後は約3週間ごとに、治療を受ける時だけ1泊2日で入院した。治療の回数を重ねるごとに副作用の苦痛は増した。口内炎ができ、味覚障害も出た。足がむくんでパンパンになったり、指先にしびれが出たりもした。体力を付けようとたまに近所を散歩したが、坂道を歩くのもきつかった。 2006年5月、半年間に及ぶ治療が終わった。点滴や採血で腕の血管や周りの筋肉に何度も針を刺したため、硬くなって刺せなくなっていた。手の甲や足の血管に針を刺して採血した。 6月下旬に受けたCTとPET検査の結果、「がん細胞の活動はどこにも見られない」との説明を受けた。ただ、「この病気は今後再発の恐れがあり、長期間の定期観察を受ける必要がある」とも言われた。 AYさんのがんは、悪性リンパ腫の中では悪性度の低い「ろほう性リンパ腫」というタイプだった。だが、悪性度の高いタイプに変化することもあるという。「ずっと付き合っていく病気なんだな」。改めて、そう感じた。 とはいえ、治療が終わり、「とりあえずはひと安心」。心配をかけた妻や、3人の子どもたちが喜んでくれたことが、何よりうれしかった。この年の夏、約半年ぶりに職場復帰を果たした。腕に針が刺せなくなり、手の甲の血管も使って採血した AHさん、まずは職場復帰できたよかったです。 抗がん剤の影響が書かれています。私の場合と比較してみましょう。>首とわきの下のリンパ節の腫れは引いているという。>治療開始から10日足らず。>「こんなにすぐ効果が出るのか」と驚いた。 私は後腹膜脂肪肉腫で抗がん剤治療を受けました。薬剤はそのがんとして標準のイホマイドとドキソルビシン。 風邪の症状がない微熱が続いて医者に行って、がんが発覚したのですが、それから解熱剤で熱を抑えてました。CRP値(炎症反応)も異常に高かったです。しかし、抗がん剤治療の第1クール直後の血液検査でCRP値が大きく下がり、解熱剤を止めても平年が保てるようになりました。抗がん剤が効いているのではないかと直感で思いました。 第2クール後にCTをとったところ、11センチあった腫瘍が7センチまで小さくなっていました。 >抗がん剤の影響で白血球の減少がみられた。>感染症にかかりやすいため、かぜなどを引かないよう注意が必要だと説明された。 私は白血球と赤血球が減少しました。血小板はほとんど正常域内でした。白血球、赤血球とも最悪時で正常値下限の半分まで下がりました。 これらのうちより注意しなければならないのが白血球なのですが、正常値下限の半分くらいであれば、それほど重篤ではないとのことでした。ただし、やはりできるだけ人ごみを避けるように、外出するときはマスクをするように言われました。うがいを励行し、手洗いも消毒液を使っていました。またトイレも家族と分けました。幸い、抗がん剤治療中に風邪やその他感染症にかかることはありませんでした。>治療開始から約2週間後、シャワーを浴びている時に、>髪の毛がゴソッと抜けた 私は治療開始から、3週間くらいで髪の毛が多く抜け始めました。しかし、しばらくするとまた抜けなくなり、次の治療の3週間くらい後にたくさん抜けるという繰り返しでした。 ですので、かなり寂しくはなりましたが、そこそこ残ってました。もともと薄かったせいもあって、お見舞いにきた人は「髪の毛かわってませんね。」と言ってました。>臭いに敏感になり、ムカムカと吐き気がした。>食事もほとんど食べられない。>約1カ月間の入院で、体重が10キロほど落ちた。 抗がん剤治療中は食欲が落ち、味の薄い(いや、ないと言ったほうが近い)病院食は食べられない日もありましたが、お茶漬けや外から持ち込んだものは食べることができました。 自宅療養中は、吐き気がするときもありましたが、ほとんど問題なく、体重も普段と変わることはありませんでした。>治療の回数を重ねるごとに副作用の苦痛は増した。>口内炎ができ、味覚障害も出た。>足がむくんでパンパンになったり、指先にしびれが出たりもした。>体力を付けようとたまに近所を散歩したが、坂道を歩くのもきつかった。 私も治療を重ねるに連れ、副作用の苦痛は増しました。しかし、逆に慣れもしましたし、工夫して対処もできるようになりました。口内炎もなく、自宅療養中は味覚障害もほとんどありませんでした。抗がん剤治療中は、点滴液がたくさん体内に入るので、足がむくみましたが、自宅療養中はたいしたことはありませんでした。足に軽いしびれが起こりましたが、生活に支障があるレベルではありませんでした。自宅療養中は、散歩は問題なくできました。>点滴や採血で腕の血管や周りの筋肉に何度も針を刺したため、>硬くなって刺せなくなっていた。手の甲や足の血管に針を刺して採血した。 私は最初の抗がん剤治療が始まる前に、CVポートと呼ばれるものを、鎖骨近くに埋め込む手術をしてもらって、そこから点滴を入れてもらいましたので、このような苦労はせずに済みましたし、両手が自由に使えてストレスの少ない入院生活を送ることができました。 このように、抗がん剤治療の影響は抗がん剤の種類により大きく違うようですし、個人差も大きいと聞きます。自宅療養中も含め症状を記録しておき、それを診察のとき主治医に見せて、客観的な情報に基づいて対処してもらうことが必要だと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/31
コメント(0)

【2016年1月30日(土)】 どんよりと曇った一日でした。放射冷却で冷え込まなかったためか気温はそれほど下がらなかったようです。 もともとは1月24日(日)にお墓参りを予定でしたいましたが、天気予報で大雪が心配されたため、今日に延期していました。しかし、今度は雨の予報だったので、昨日時点で明日に延期しました。 ということで、散歩以外は外出せず、また超のーんびりした一日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #10昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-6】肖像画家たち(続き)●作品36 イサーク・リュティックハイス 《男性の肖像(ピーテル・デ・ランゲ》 1655年 ロッテルダム美術館(エラスムス財団より貸与)●作品37 イサーク・リュティックハイス《女性の肖像(エリザベス・ファン・ドッベン)》 1655年 ロッテルダム美術館(エラスムス財団より貸与)●作品38 フェルディナント・ボル《ルーロフ・ミューレナールの肖像》 1650年 アムステルダム国立美術館モデルのルーロフ・ミューレナールはアムステルダムからアントワープへの郵送事業の責任者でした。当時最高級のファッションだったタッセルのついた白いシャツと黒いダマスク織りの衣装に身を包み、その肖像からはエリートとしての自信も感じます。彼は人気の画家・ボルに依頼できるほど経済的余裕がある富裕層でした。●作品39 フェルディナント・ボル《アリア・レイの肖像》 1650年 アムステルダム国立美術館≪ルーロフ・ミューレナールの肖像≫同様、本作に描かれているマリア・レイも最高級のファッションに身を包み、右手に美しく装飾された扇子を持っています。彼らの背後の樹木と柱や欄干は、アムステルダムの大富裕層が所持した郊外の邸宅と緑地を示しています。これらの肖像画はミューレナールと10歳年下のマリア・レイの結婚を機に描かれたものといわれています。【フェルディナント・ボル】作品38,39を描いたフェルディナント・ボルは、20歳になる頃アムステルダムでレンブラント工房に入りました。レンブラントの芸術は、ボルの作品に深い影響を及ぼしたと考えられています。1642年以前には独立しましたが、初期の肖像画はレンブラント様式に依拠しており、誤ってレンブラントに帰属されることもありました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/30
コメント(0)

【2016年1月30日(土)】 雨こそ降りませんでしたが、どんよりと曇った一日でした。3千歩くらい二人散歩し、さらにワンちゃんの散歩をして合計5千5百歩でした。 写真は、2015年8月15日撮影の「ペチュニア」@ご近所散歩。以下は、Wikipediaの情報から編集。 ナス科ペチュニア属に属する草本の総称。また、同属の種のひとつ。園芸植物として花が観賞されます。属名のPetuniaは、ブラジル先住民の言語で「たばこ」の意味。ペチュニア属が同じナス科のタバコ属(Nicotiana)と近縁であることによります。 原産地は南アメリカ。品種改良により、花の大きさは大輪、中輪、小輪、花の色は赤、赤紫、紫、青紫、白、白黄、白青、桃など多彩で、八重咲きのものも作出されるなど、花容がバラエティに富むものになりました。花期は4月~10月。 日本には「ツクバネアサガオ」の名称で渡来しました。雨で育成不良や、枯れる事が多々あることから人気は今ひとつだったのですが、サントリーが日本の気候に適応できるよう、品種改良した「サフィニア」を出してから、人気が高まり、園芸各社で品種改良の競争が進み、一層の多様性を深めています。現在では、特に日本において、品種改良の競争がもっとも激しいと言われる種です。 こんなところでサントリーが活躍しているんですね。「みんなの花図鑑」でこの花の名前を教えていただきました。kayu-さんよっちゃん×3さん秀さんだよさんken0さんsazankaさんhiroさんさきっちさんリンゴちゃんさんチイ君さんMAYU的さん274とデージーさんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/30
コメント(0)

2016年01月29日 京都新聞HP 明治から大正時代に活躍した京都出身の女性実業家広岡浅子(1849~1919年)の生家「出水三井家(後の小石川三井家)」の邸宅跡に建つホテルルビノ京都堀川(京都市上京区)が、女性たちの注目を集めている。浅子がモデルとなったNHK連続テレビ小説「あさが来た」のゆかりの地として広く知られたためで、2月1日からはロビーでパネル展を始める。 油小路通出水上ル周辺にあった旧三井邸は、浅子が17歳で大坂の豪商・加島屋に嫁ぐまで過ごした。戦後の財閥解体などを経て1972年にルビノが建った。 旧三井邸は大きな邸宅で油小路通側に門があり、庭も広く、昭和初期まで建っていたようだ。現在もホテルの駐車場の一角には、旧三井邸の庭園で使ったと推定される高さ1・5メートルの石灯籠やつくばい、庭石が残っている。 パネル展「明治・大正の府庁界隈(かいわい)など-近代の黎明(れいめい)『あさが来た』の時代~大正大礼」では、京都府立総合資料館所蔵の史料14点を公開する。旧三井邸が描かれている古地図「京都市明細図」、1915年に京都で行った大正天皇の即位の礼と街の状況を撮った写真が並ぶ。その折に京都府庁で開かれた閣議の写真には首相・大隈重信の姿がある。 また、浅子が設立に携わった大同生命保険の協力で、浅子の足跡を振り返るパネルも展示する。 ルビノ京都堀川の辰已喜則副支配人は「ドラマ放映後からガイド本を見て訪れる女性が増えた。時代背景とともにもっと深く広岡浅子を知ってもらうため、ぜひ展示を見てほしい」と話している。4月6日まで。無料。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/30
コメント(0)

2016年01月29日 京都新聞HP 京都府宇治市は29日、京都市の無料公衆無線LAN「KYOTO Wi-Fi」を平等院などの観光地で導入する。宇治市内ではこれまで、府の無料公衆無線LANしか使えず、京都市方式を利用していた観光客は設定を変えなければならなかった。今回の整備でその必要がなくなり利便性が高まる。 京都市以外の地域で同方式が導入されるのは初めて。昨年12月に京都市と締結した観光振興に関する連携協定に基づく取り組み。 利用できるスポットは、宇治橋通り商店街、平等院表参道商店会、宇治源氏タウン銘店会の各店のほか、平等院ミュージアム鳳翔館、市観光センター、JR宇治駅前観光案内所など計33カ所。日本語、英語、中国語(文字は2種類)、韓国語の4カ国語に対応する。 宇治市では外国人観光客誘致の一環として、2015年4月に府の無料公衆無線LAN「Japan.Free Wi-Fi KYOTO」を導入した。だが、外国人観光客の増加とともに、「京都市の公衆無線LANは使えないのか」との問い合わせが相次いでいた。 アクセスポイントとなる場所に専用ステッカーを取り付けるほか、本年度は設置希望者に整備費の半額を補助するという。市商工観光課は「外国人観光客の利便性を高めるため、市内の施設に協力を呼び掛け、アクセスポイントを増やしていきたい」としている。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/30
コメント(0)

30個目のコースは「Carlton Oaks Golf Club」。・1958年オープン・Public・18ホール・San Diego 自宅から西南西へ約3000kmWeb Sitehttp://www.carltonoaksgolf.com/南国っていう感じのゴルフ場です 自宅から一番離れた場所でのラウンドです。西海岸のメキシコ国境の町、サンディエゴのゴルフ場。私の勤務していた会社のお客様がメキシコに多くの拠点を持っていたため、サンディエゴによく出張しました。私の会社の営業事務所もサンディエゴにありました。 一度西海岸でゴルフをしてみたいと言っていたら、営業のメンバーが出張の際にアレンジしてくれました。金曜日に仕事を終え、もう一泊して土曜日にセットしてもらいました。営業メンバーYKさん、YGさん、FTさんとラウンドしました。YKさんは私大のゴルフ部出身で、すごいスコアを出すのかと思っていましたが103でした。「なんちゃってゴルフ部」だったのかもしれません。地図https://www.google.co.jp/maps/place/Carlton+Oaks+Country+Club+%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB/@34.2873781,-102.9417729,5z/data=!4m2!3m1!1s0x80dbfd67f67f8e6b:0x327ab24151728227 ゴルフクラブはレンタルしたのか、誰かがもう1セット持ってきてくれたのかは記憶にありません。2月でしたが、常夏の地なので、半袖ポロシャツで行ったところ、思いのほか肌寒くて、あわててプロショップでウインドブレーカーを買うはめになりました。でもゴルフ場ロゴが入っていて、いいお土産になりました。ロゴ入りウィンドブレーカー ゴルフが終わった後、日本にいたとき同じ部門だったYGさんの自宅に招いてもらって、シャワーを浴びお茶をして、夕食は「タジマ」という日本食レストランにYGさん夫妻と、YKさんと行きました。 YGさんの奥さんも日本にいるとき、私と同じ部門で、久しぶりの再会でした。私の住んでいたオハイオは冬になると暗い天気が多いのですが、太陽をいっぱい浴びてリフレッシュした一日でした。 その晩の夜行便でオハイオに帰りました。8時間くらいのフライトですが、時差が3時間ありますので早朝に着きます。寝不足で目が充血するから「レッドアイ・フライト」と呼ばれていました。スコアカードロゴボールコース航空写真スコア記録よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21
2016/01/30
コメント(0)

【2016年1月30日(土)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術が提案されました。色々考え、大阪府立成人病センターと東京国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けることにしました。 この日は、東京の国立がん研究センターでのセカンドオピニオンで東京往復しました。「根治を狙わず、抗がん剤治療を続けて、延命治療をするのがベストでしょう。」という思わぬ結果でショックを受けて帰ってきました。2015年1月30日の日記からです。================================================【2015年1月30日】■東京国立がん研究センターのセカンドオピニオン。ショック!!!! 今日は2つのセカンドオピニオンのうち、東京の国立がん研究センター(以下Kセンター)の面談の日。病気発覚時も面談していただいたところ。今回、前に受け付け対応していただいた方が、また迅速に対応いただき、短時間で前と同じHM先生に面談いただけることになりました。また前回同様診察というかたちで対応いただくことになりました。保険が効くので助かります。 東京なので京都からは新幹線で往復。発覚時の去年7月には家族同伴でしたが、今回は、私が体調面では大きな心配がないこともあり、私一人だけの寂しい道中になりました。 家を出発する直前に、昨日、手術と透析をできないかと電話で質問していた近くのK病院から電話がありました。相談担当の看護師さんから、泌尿器科の部長さんに聞いていただいたのですが、「透析がいっぱいで空きがない、先生も多く変わり、システムも変わるので、受け入れむつかしい。」とのことでした。多分、ややこしい患者は受け入れたくないということでしょう。失敗したなと思いました。やはりM病院のY先生に相談して、紹介状をもらってから進めるべきでした。いずれにしても、今日、どこかでM病院にはこの件で相談するつもりでしたので、とにかく出発することに。 品川で新幹線を降り、浜松町で地下鉄に乗り換えて現地へ。午後3時からの診察で、午後2時までには受け付けしてくださいということだったのですが、自宅からのバスがちょうどいいのがなかったので、早めに着き、1時過ぎに現地到着。受け付けを済ませ、乳腺・腫瘍科の窓口へ。受付の方から3時半頃になるとのこと。止むをえません。 昼食をとった後、M病院に電話しました。他病院での手術の可能性を併行して確認していきたいので、できたらY先生に次の月曜日に面談させていただきたいと申し入れ。私は4時頃には診察が終わるのでまた電話しますと伝えました。しかし、待てど暮らせど私の番がきません。4時半を回ったので、M病院に電話。まだY先生とは相談されておらず、受け付け担当の方も交替されていたので、再度趣旨を説明し、Y先生と話していただくことに。 そうこうしているうちに、4時45分くらいだったでしょうか、私の呼び出しがありました。もう待合室には他の担当医の患者さんも含め、誰もおらず私が最後でした。恐らく、時間がとれるように最後に設定していただいたのだと思います。 H先生と話し始めたところへ、M病院から電話。先生に断って電話に出ました。「それでは、Kセンター、大阪府立成人病センター両方のセカンドオピニオンが終わっている、2月6日、水曜日でどうですか。」もともとは2月9日だったので、実質1日早くなるだけです。セカンドオピニオンとは併行に進めたかったですけれど、M病院としては順番にさせてほしいということなのでしょう。「では、それでお願いします。」 H先生は、前回同様、話をよく聞いてくださり、懇切丁寧に説明してくださいました。少なくとも、抗癌剤の知識とか、高分化とか脱分化の話しは、M病院より格段に信頼がおけると思いました。 結論だけを書きますと、・腎臓ごと摘出しても再発リスクは非常に高い。半年で再発してもおかしくない。 透析でQOL(生活の質)も落ちるし、透析による他のリスクもある。 再発したときに、抗癌剤治療ができない。 だから、手術での切除は薦められない。・抗癌剤治療(ドキソルビシン、イホマイド)での治療継続が薦められる方法。・まだ抗癌剤は効いていえるので、何もせずに経過観察し、 増悪(腫瘍が再度大きくなったとき)に抗癌剤治療をするというのが、 もう一つの方法。・ただ、抗癌剤はあくまで延命であって、治るものではない。 余命半年、1年という可能性も高い。・上記は私の見解だが、他の診療科にも相談したうえで、後日、最終結論は 電話連絡をさせていただく。そのうえで、所見をM病院に郵送させていただく。 ガガガガーン。私としては、がん発覚時、2つのセカンドオピニオンどちらもM病院とほぼ同じ結論だったので、今回も、どこも同じだろうと思っていました。むしろ、同じであってほしいと思いました。それであれば、QOLが下がっても、迷わず「透析+残っている腎臓ごとの切除」を選択できたのですが。 予想外でした。それと短命宣言。家族も、手術にはどちらかというと反対なので、これからまた思い悩まなければなりません。究極の選択です。 金曜日なので、帰りの東京駅は混雑してました。帰宅が遅くなるので、東京駅で駅弁とおつまみとビールを買って、すぐではなく10分くらい後に出発する「のぞみ」に乗り込みました。ポータブルDVDを持っていっていたので、視れてなかったDVDを往復とも堪能しました。気持ちは、落ち込んではいたのですが。帰宅したのは、夜の10時頃。家族に今日の話をしました。 しばらく、究極の選択に迷うことになりそうです。===========================================以上 2015年1月30日(金)の日記でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/30
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月23日の記事≫ 血液がんの一種「悪性リンパ腫」と診断された奈良県のAYさん(68)は2005年12月、自宅近くの総合病院に入院して治療を受けることになった。リンパ腫の広がりなどから判定する1~4の病期は3期だった。 大手メーカーに入社して以来、仕事優先で働きづめだった。当時は定年退職が見えてきたころで、仕事を任せられる部下もいた。治療を優先させたいと思った。 会社に電話をし、「悪性リンパ腫の中でも進行が遅いタイプです。それほど治療を急ぐ状態ではないけれど、自分としては早く治療をしたい」と状況を伝えた。 入院後、改めて詳細な検査を受けた。尿・便・採血検査のほか、CT、腹部・胸部のX線、エコー。骨髄にがん細胞が広がっていないかを調べるため、骨髄の抜き取り検査もした。 12月27日、本格的な治療が始まった。「R―CHOP(アール チョップ)療法」と呼ばれる治療法で、「R」は分子標的薬「リツキシマブ(販売名リツキサン)」の頭文字。それと抗がん剤による治療を、2~3週間ごとに計6~8回ほど、約半年かけて繰り返す。 リツキシマブは01年に保険適用された当時まだ新しい薬。この薬の登場で、悪性リンパ腫の治療成績はかなり向上したと言われる。 1クールは5日間。はじめの2日間は点滴治療で、少し胸のあたりにむかつきを感じたが、体調の変化はそれほどなかった。錠剤だけを服用する日もあった。 妻(68)が、腫れ物を治す神様として知られる神社に通い、何度もお百度参りをしてくれた。その妻がもらってきてくれたお守りを、入院中は寝間着のポケットにいつも入れていた。 治療開始から5日目。大みそかにいったん自宅に戻ることができた。帰省した長女や次女、長男、孫たちと一緒に過ごした。 新年を迎え、「人生最大の岐路にいる」と感じた。好きな言葉は、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。大学受験も就職も、人生の局面を振り返っても、未来を正確に予測できたためしはない。人生はその繰り返しだ。 「とにかく目の前の治療に専念するしかない」。そう覚悟を決めた。妻は、腫れ物を治す神様として知られる石切剣箭(いしきりつるぎや)神社でお百度参りを繰り返した=大阪府東大阪市>腫れ物を治す神様として知られる石切剣箭(いしきりつるぎや)神社でお百度参りを繰り返した 私も関西在住ですので、石切神社はよく知ってましたが、腫れ物を治す神様であることはしりませんでした。 がんに罹ったことが分かったとき、老齢の義父が「石切さんでお守り買ってこようと思うけど」と言ってくれたことがあり、それで石切さんがそういうものを治す神様として有名なことを知りました。義母が足があまり丈夫ではないので、石切りさんの往復はしんどいだろうと思い、気持ちだけ受け取りました。 私は神様の霊験を信じることはありませんが、神様にお詣りするとか、お守りをいただくことで、神様に守られているとか、神様が助けてくださるのだから自分もがんばらないとという気持ちが湧き、治癒にプラスに作用するということがあるのだと思います。それで今でも病気のときの神社信仰が根強いのだと思います。 大病をして、寺社をお参りするときの気持ちも少し変化したように思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/30
コメント(0)

【2016年1月29日(金)】 久しぶりの雨。しかも本格的な降りかた。朝、車を出すとき6度でしたので、寒くはありませんでした。 雨なので散歩も行かなかったので、朝の車での送り以外は、ずっと在宅でした。 超のーんびりした一日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #9昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-6】肖像画家たち17世紀オランダで隆盛した肖像画。多くは注文のもとに描かれました。夫婦が描かれた対の肖像画も多くあり、都市の裕福な市民たちの組合員が描かれた大規模な集団肖像画も流行しました。中流階級からの注文に応じた型にはまった様式が多い中、労働者階級などを生き生きとのびやかに描いた画家もいました。●作品32 フランス・ハルス 《ひだ襟をつけた男の肖像画》 1625年 メトロポリタン美術館 ニューヨーク人物が楕円の枠組みの中に描かれていることで、彫られた石の窓越しにモデルを見ているかのような印象を受けます。また、人物の手の形はエネルギッシュに繰り返される筆遣いのうちに溶け入っており、あたかも手を動かしているかのように見えます。 ●作品33 フランス・ハルス 《男性の肖像画(聖職者)》 1657-60年頃 アムステルダム国立美術館肌のトーンやハイライトで強調されたふくよかな唇、頭髪や髭、そして何より重ねられた手が大まかなタッチで描かれていますが、それらは信じがたいほど説得力のある表現を生み出しています。人物像をつくり上げるこの革新的な方法は後世の絵画史に影響を与えることとなりました。【フランス・ハルス】《ひだ襟をつけた男の肖像》《男性の肖像(聖職者)》を描いたフランス・ハルスの肖像画は、間違いようがない特徴を備えています。モデルのまなざしと身振り、印象的な筆法と光と影の活き活きした戯れによって活気を与えられた彼の作品は、17世紀の肖像画において最も感嘆に値し、最も陽気なもののひとつです。 ●作品34 ヘラルト・ファン・ホントホルスト《画家の肖像》 1655年 アムステルダム国立美術館テーブルの端に掛けられたメダルには、スウェーデン女王クリスティーナの像と“Christina” の銘が表されており、この画家がスウェーデン女王に雇われていたことを暗示しています。 ●作品35 ヘラルト・ファン・ホントホルスト《女性の肖像》 1655年 アムステルダム国立美術館作品34の《画家の肖像》と対のこの絵は、画家の妻ソフィア・コープマンスの肖像と考えられてきましたが、実際のところははっきりとしません。この作品にも描かれているスパニエルは、オランダ黄金時代の肖像画と風俗画によく登場する愛玩犬です。【ヘラルト・ファン・ホントホルスト】《画家の肖像》《女性の肖像》 を描いたホントホルストは、30代のうちに25人もの弟子をかかえるほどの成功を収めました。オランダ総督フレデリック・ヘンドリックの宮廷やイングランドの収集家であるアランデル卿から注文を受け、また1628年にホワイトホール宮殿のバンケティング・ハウスのためにチャールズ1世から招きを受けたことにより、彼の国際的な名声は不動のものとなりました。この時代において、国際的に最も人気の高いオランダ人画家でした。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/29
コメント(2)

【2016年1月29日(金)】 今日は朝から本格的な雨。朝、車を出すとき、気温は6度と暖かったです。今午後4時前ですが、いまだに、じゃじゃぶりだし、歩数も蓄えがあるので、本日はご近所散歩はなしです。 写真は、2015年7月25日撮影の「キカラスウウリ(黄烏瓜)」@ご近所散歩。 ウリ科カラスウリ属。つる性の多年草。花期は7〜9月。原産地は日本、中国 日没後から開花し、翌日午前中から午後まで開花し続けます。散歩の時間は日没前なので、ちょうど花が閉じているときなのでしょう。 カラスウリの名前の由来は、鳥のカラスとは違うようです。「唐朱」と呼ばれる唐から伝来した朱墨が語源だとのことです。鮮やかな実の色がそ「唐朱」の色に似ていることから「唐朱瓜」と呼ばれ、それがいつのまにか「カラシュウリ」>>>「カラスウウリ」>>>「烏瓜」となったようです。 そのうえで、この品種は実が黄色いので「キララスウリ(黄烏瓜)」となったのでしょう。「みんなの花図鑑」でこの花の名前を教えていただきました。kayu-さん秀さんだよさんken0さんさきっちさんリンゴちゃんさん274とデージーさんMAYU的さんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/29
コメント(0)

2016年2月です。節分祭そして初午など行事が目白押しです。●1日(月)・湯立神事(2/1 ・2/3)/石清水八幡宮●2日(火)・節分祭(~2/4)/吉田神社・壬生寺・節分祭(~2/3)/須賀神社 ・節分会(~2/4)/壬生寺・ゑんま堂強運節分会(~2/3)/千本ゑんま堂 ・安楽寺くさの地蔵緑日/安楽寺吉田神社節分祭●3日(水)・節分祭/宇治神社・北野天満宮・五條天神社・神泉苑・誓願寺・狸谷山不動院・智積院 ・平等寺・松ケ崎大黒天・廬山寺など ・不動堂開扉法要[秘仏石不動明王ご開帳]/金閣寺・追儺式/知恩院 ・開山忌/萬福寺 ・節分祭並並追儺式/藤森神社 ・十二支まつリ/霊山観音●6日(土)・初午大祭/伏見稲荷大社・梅小路公園手づくリ市/梅小路公園●7日(日)・朔幣式と灌縄式/八瀬天満宮・開山降誕会/妙心寺 ・ガラクタ市・手作り市/東寺・小町手づ<リ市/隨心院・北山クラフトガーデン/京都府白陶板名画の庭・京都市役所前フリーマーケット/京都市役所前◆節分祭 (2/2~2/3 9:00~20:00) 須賀神社烏帽子をかぶり、目だけを残して白覆面をした神職による懸想文売りが有名。授与された懸想文を鏡台やダンスに入れておくと、より美しくなり、衣装が増え、さらに良縁に恵まれるとされているので、女性の参拝者が多く訪れる。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/29
コメント(0)

2016年01月28日 京都新聞 国土交通省は27日、新たな地域活性化の取り組みを国が後押しする重点「道の駅」に、京都府京丹後市の「丹後王国 食のみやこ」など31道府県の38カ所を選定した。施設整備や運営面で、通常の道の駅より手厚い支援が受けられるようになる。 全国の自治体から地場産業振興や地方移住の促進、交通拠点の機能強化といった提案を募集。有識者会議が優れた取り組みを選んだ。 「丹後王国 食のみやこ」は、高校生が開発した地元食材を生かしたメニューをレストランで提供するなどして、観光客の誘致を図る。 京都・滋賀関係はこのほか、「南山城村(仮称)」、長浜市の「浅井三姉妹の郷」と竜王町の「竜王かがみの里・アグリパーク竜王」が選ばれた。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/29
コメント(0)

29個目のコース「Hidden Lake Golf Course」の各ホールの印象、バック9です。 9番が終わるとクラブハウスの前を通って、池を横に見ながら(といっても堤防で水面は見えないのですが)、とぼとぼと10番へ。10番:やや打ち上げのパー4。 出だしはオープンですが、グリーン近くは両側木立ち(赤矢印)。トボトボ歩いて11番へ。11番:やや打ち下ろしのパー3。グリーン手前に池。これがやっかい。 「失敗談」で池ポチャを繰り返して、ボールがなくなり、途中で切り上げて 帰ったというのはこのホール。 そのときの失敗談: http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201511060009/12番:右ドッグレッグ、やや打ち上げのパー4。 右側は少し谷になっていて、最後グリーンが見えないのですが、ティーショットが 右側に行ったらそのまま真っすぐ打つということも可能だったと記憶しています。13番:やや打ち下ろしのパー4。グリーン手前にクリーク(青矢印) 木々がスタイミー(白矢印)トボトボと14番へ。14番:真っすぐのパー5。 グリーン手前に池(青矢印)15番:真っすぐなパー4。16番:真っすぐなパー5。 オープンなように見えますが、白矢印部分は当時草むらだったと思うので、 ティーショットはどちらかというと右狙いだったと記憶しています。 17番:185ヤードと長いオープンなパー3。トボトボと18番へ。18番:458ヤードと長いパー4。 高さの高い砲台型グリーンだったと記憶しています。 田舎丸出しの、気楽に回れるコースでした。閉鎖になったのは残念です。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ____________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21
2016/01/29
コメント(0)

【2016年1月29日(金)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術が提案されました。 色々考え、大阪府立成人病センターと東京国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けることにしました。この日は、大阪府立成人病センターにセカンドオピニオンの予約に行きました。広範切除手術する場合に、近くの病院でできないかとの思いから、K病院にも電話して確認してみました。2015年1月29日の日記からです。================================================【2015年1月29日】■大阪府立世人病センターセカンドオピニオン申し込み 今日は、大阪府立世人病センター(以下Oセンター)にセカンドオピニオンを申し込みに行きました。バスとJRで行きました。半年ぶりのOセンターです。あのとき(がん発覚直後)は、家族といっしょでしたが、今回は私一人です。 10時50分に現地に着いてセカンドオピニオン受付へ。電話で応対してもらったOさんが11時になったら出勤してくるので、それまで待ってくださいとのこと。Oさん出勤後、申し込み手続き。M病院Y先生の紹介状、データ以外に、血液検査結果、それを私がグラフにプロットしたもの、昨日のY先生へのレターも渡しました。このレターに対してのY先生の回答も送って欲しいとのことで、すでに作成しかかっているので、帰宅してから提出することに。前のときもそうだったのですが、この医療機関ではそこの「先生」にものすごく気を遣っているように思いました。やはり、先生方と一般職員の方々の間には、大きな壁があるようです。 2月9日に次のM病院での診察があるので、それまでに受けたいとお願いしたのですが、「先生のご都合でどうなるか分からない」とのことでした。とにかく申し込んで帰ってきました。 帰宅してから、Oセンターから指示された、Y先生とのやりとりのメモを完成させメールで送信。係のOさんはメールをあまり使ったことがないので受け取れるかどうかわからないとのことでしたが、「受け取れました。」との連絡。ほどなく、Oさんから電話があり、「前セカンドオピニオンを受けていただいた整形外科のJ先生の時間が、2月4日にとれました。午後1時に来れますか?」「行けます。」「J先生から泌尿器科の先生にも事前に確認はしてもらいますが、整形外科の先生なので、今回の腎臓ごとの摘出手術についての質問については答えられないです。抗癌剤についての質問にはお答えできます。それでいいですか?」「結構です。」すべてをカバーできないようですが、抗癌剤についても色々聞きたいことがあるので、受けることにしました。 これで、セカンドオピニオン受診は、東京国立がん研究センターが明日1月30日、Oセンターが2月4日になりました。2月9日のM病院での次回診察には間に合うことになりました。 もう一つの懸案は、広範切除して透析する場合、透析だけではなく、切除も近くの病院でできないかということ。もともとM病院のY先生は、そのほうがいいともおっしゃっていました。それを私が「慣れたこの病院で手術を受けたほうが心理的には安心できる。」と言ったので、今はM病院での手術で話が進んでいます。 しかし、M病院の手術となると、・手術3週間の長帳場、家族になかなか来てもらえない・手術後も再発・転移の経過観察で遠くのM病院に通わなければならない などの問題があります。 それで、近くの評判の高いK病院に電話して今回のような手術が可能かどうか確認してみました。しかし、口頭の話しだけでは何とも返事がしようがないので、M病院の紹介状を持って診察のかたちで来てくださいとのこと。明日、M病院に電話して対応をお願いしてみます。 私の体調のほうは朝の起きにくさ以外は、良好、お通じも今日は快調でした。Oセンター往復、帰途のイオンモールの歩き回り、ワンちゃん散歩同伴だけで5500歩けたし、帰宅後忙しかったのでウォーキングはなしです。 明日は、東京往復です。================================================よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/29
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月22日の記事≫ 奈良県のAYさん(68)は以前から右の脇腹がキリキリ痛むのが気になっていた。会社員だった10年前、2005年秋のことだ。「筋肉痛かな」とも思ったが、どうもおかしい。地元の病院で、腹部のエコー検査を受けることにした。 結果を聞く予定日の数日前、病院から電話がかかってきた。「予定より早く来てもらえますか」 不安を抱えつつ受診をすると、医師から言われた。 「おなかのあたりのリンパ節が、腫れています」 「リンパ節の腫れ」と言われても、ピンと来なかった。脇腹の痛みとは関係ないが、PET検査で詳しく調べる必要があるという。PETが、がんを調べる時に使う検査であることは知っていた。 「ひょっとしたら……」という思いがよぎった。 12月初め、結果を聞きに行くと、医師から「悪性リンパ腫と思われます」と告げられた。 聞いたこともない病名だった。血液の悪性腫瘍(しゅよう)の一つで、診断のためにはリンパ節などの一部を切除して病理検査する「生検」を受ける必要があるという。 「こんなに大きくなっているのに、分かりませんでしたか」 紹介先の大学病院で、医師はリンパ節のある首や脇、足の付け根を触りながらそう言った。自分では気づかなかった。 生検では左首の付け根のリンパ節を調べることになった。局所麻酔で意識があるまま、首もとを切られるのは恐ろしかった。 12月下旬、生検の結果が出た。悪性リンパ腫の中でも「ろほう性リンパ腫」というタイプと診断された。 「大変なことになってしまった」 診断結果を聞いて動揺した。 悪性リンパ腫は、低・中・高の3段階の悪性度に分けられる。悪性度が高いと月単位で進行するが、穐鹿さんが診断された「ろほう性リンパ腫」は、年単位でゆっくり進行する「低悪性度」だった。「点滴で行う抗がん剤治療で効果があります」 医師の説明を聞くうちに、「治る病気なんだ」と感じ、気持ちの落ち着きを取り戻した。医師から受けた説明などをつづったノート>「点滴で行う抗がん剤治療で効果があります」 私が後腹膜脂肪肉腫(軟部組織腫瘍の一種)で抗がん剤治療を受けるとき、抗がん剤が効きやすいがん、効きにくいがんを調べたことがあります。 残念ながら私の軟部組織腫瘍は「あまり効かないがん」に分類されていましたが、この悪性リンパ腫は「よく効くがん」に分類されていました。 もう一度調べてみました。抗がん剤薬剤感受性分類 がん診療レジデントマニュアル(国立がんセンター内科レジデント)より・よく効くがん 急性骨髄性白血病 急性リンパ性白血病 ホジキン病(悪性リンパ腫) 非ホジキンリンパ腫(中高悪性度リンパ腫) 胚細胞腫瘍 絨毛がん・比較的よく効くがん 乳がん 卵巣がん 小細胞肺がん 多発性骨髄腫 非ホジキンリンパ腫(低悪性度・悪性リンパ腫) 慢性骨髄性白血病 骨肉腫・大腸がん 悪性黒色腫 ・あまり効かないがん 軟部組織腫瘍 頭頸部がん 食道がん 子宮がん 非小細胞肺がん 胃がん 胆道がん 膀胱がん 肝臓がん 前立腺がん 脳腫瘍 膵臓がん 腎臓がん・ほとんどきかないがん 甲状腺がん 私は「あまり効かない」とされましたが、11センチあったものが6センチまでは小さくなり、けっこう効きました。ただし、それ以上は小さくなる期待はできず、透析を前提としての残っている腎臓ごとの切除手術(片方の腎臓は、腎盂癌ですでに切除しているので)を提案されました。その後、セカンドオピニオンで示唆された、粒子線治療で腎臓を温存する治療を行い、現在は経過観察の状態です。 軟部組織腫瘍にも色々な顔があります。私の場合、3ヵ月の間にゼロから11センチに成長するなど悪性度が高かったので、よく効いたようです。抗がん剤で完治には至らなかったものの、腫瘍の急激な成長を押さえるだけでなく、目に見えて小さくすることができ、粒子線治療の対象となる大きさにもなりました。 照射する粒子線量も少なくできているはずなので、腎臓にも一部照射されることによる腎不全の副作用のリスクも最小限に抑えることができたと思います。 「抗がん剤治療で完治することは稀で、体を痛めるだけなので、抗がん剤治療は絶対に受けるな」との意見もよく見られますが、私のように抗がん剤治療で完治しないとしても、腫瘍を小さくできたことによって、次の治療の選択肢が広がる、あるいは次の治療が有利に進められるということがあります。抗がん剤治療が効きにくいがんだとしても、抗がん剤治療を頭から否定しないようにしないといけないと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/29
コメント(0)

【2016年1月28日(木)】 どんよりとした曇りの一日でした。今日も散歩以外は外出なしで、のんびりしました。現役時代には考えられなかった生活です。いいものです。こういう生活が耐えられないという定年退職者も多いようですが、私は真逆の人間のようです。 ブログ件数を減らしたので、ブログ、三味線練習に加え、京都検定勉強、年末年始でしばらくできていなかった貯金、株式などの現状確認に昨日からとりかかることができました。 そして、今日は去年12月に受検した、京都検定の結果が郵送で届きました。推定通り、私は1級7回目の不合格でした。 詳しくは、http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201601280005/*********************************************フェルメールとレンブラント展 #8昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-5】静物画家たち鈍く光る銀の食器、ワインが半分つがれたガラスの杯、色とりどりの瑞々しい果物や野菜…オランダ絵画の神髄、静物画には様々なものが写実的に、細密に描かれています。これらの作品には漆器や陶磁器などの珍しい贅沢品も描かれ、当時、オランダには世界の遠方から珍しい物資が集まっていたことを反映しています。実物と見紛うほどの貝、器、皮をむかれた果物などを堪能できます。●作品27 フローリス・ファン・スホーテン《果物のある静物》 1628年 個人蔵 本作のように、さまざまな種類の果物が強烈で鮮やかな色彩で描かれるのは、初期静物画の特徴です。メロンや外国産のブドウのような異国の果物が描かれていることから、オランダの生活水準の豊かさ見てとれます。【フローリス・ファン・スホーテン】《果物のある静物》を描いたフローリス・ファン・スホーテンは、静物画のみならず、さまざまな野菜が並び、召使いのいる台所画でも成功を収めました。●作品28 ウィレム・カルフ《貝類と杯のある静物》 1675年 財団美術館、オーフェルエイセル (オランダ)ここにはエキゾティックな品々が満ち溢れています。中央には貝殻の杯、その周りには異国の貝殻、サンゴ、東洋の織物、そしてアジアからもたらされた黒い漆塗りの箱などが置かれています。これらは東インド会社によってアジアからオランダにもたらされたものであり、17世紀オランダに莫大な富をもたらしました。【ウィレム・カルフ】初期のパリでの活動期に描いた「つつましやかな静物画」と、後期の「豪華な静物画」でその名が知られています。●作品29 ピーテル・クラースゾーン《銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物》 1660年 個人蔵作者のピーテル・クラースゾーンがこの世を去った年に描かれました。この作品は生涯最後に制作された作品のひとつであり、もしかしたら絶筆かもしれません。銀やガラス、錫、パンにレモンというさまざまな材質が非常に効果的に表現され、ほとんど筆跡が見えないために、我々が目にしているのが絵画だということを忘れさせるほどです。また、銀製やガラス製の品々の表面には実に素晴らしい光の反射を表現しています。【ピーテル・クラースゾーン】《銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物》を描いたピーテル・クラースゾーンは、は、アントワープ近郊のベルヒェムで生まれました。17世紀、彼が生み出した静物画は「宴卓画」と呼ばれ、料理で埋めつくされたテーブルが描かれました。●作品30 アブラハム・ファン・ベイエレン《果物とエビ、ワイングラスのある静物》 1650-60年頃 個人蔵狭い空間に描かれた品々は、絵の隅々にまで充満するかのようで、濃縮された構図が静物の豊饒さを際立たせています。このように高価な食材や食器が描かれた「豪華な静物画」は、所有者が己の富を誇示できる静物画として喜ばれました。【アブラハム・ファン・ベイエレン】《果物とエビ、ワイングラスのある静物》を描いたアブラハム・ファン・ベイエレンが専門とした絵画は、海洋画、魚をモティーフとする静物画、そして豪華な静物画の3種類です。「豪華な静物画」により、彼はオランダ静物画の最も重要な代表的画家のひとりとなりました。●作品31 ウィレム・ファン・アールスト《狩りの静物》 1670-80年 個人蔵死んだ雄鶏が、鉄の鉤に脚を結びつけ吊り下げられています。雄鶏の隣に置かれているのはヤマウズラです。この作品は羽の一枚一枚が最新の注意を払って描き分けられており、翼の柔らかな感触を感じ取れそうなほどです。【ウィレム・ファン・アールスト】《狩りの静物》を描いたウィレム・ファン・アールストは若いうちにパリやフィレンツェに移り住み、画家として成功を収めていきました。1657年にはアムステルダムに戻りましたが、作品にはファーストネームをイタリア式に変えた“Guillermo”と署名していました。彼はイタリア時代にメディチ家に仕え成功を収めたことを誇りに思っていたのでしょう。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/28
コメント(0)

【2016年1月28日(木)】 今日、去年12月に受検した京都検定1級の試験結果が到着しました。答え合わせの投稿で書いたように、もちろん不合格。得点は96点で合格ライン(150点満点で120点)に24点も足りませんでしたが、推定は92点でしたので、それよりは4点多かったです。 驚くべきは、合格率が1.8%と過去最低だったのです。しかも、過去の最低が4.0%ですから、それの半分以下です。去年が超難しかったので、今年は少しは易しくなるだろうと思っていたのですが、甘かったです。平均点は58.2点と前回の55点より上がっているにも関わらず、合格率が低かったのは、簡単な問題が多くて、難しい問題が超難しかったということなのかもしれません。 私の得点と平均点との差は37.8点と過去最高で、前回の11点から大幅アップですので、勉強の効果はかなりあったということですが、努力不足だったということですね。今年も勉強法を見なおしたうえで、できるだけ早く勉強に着手して、今年こそ合格です。試験結果は合計点だけではなく、問題ごとの点数も分かります。答え合わせのときの推定と、実際の得点を示します。 推定 実際問題1 15 16 (+1)問題2 14 14問題3 11 11問題4 12 12問題5 12 12問題6 4 4問題7 6 6 問題8 8 9 (+1)問題9 6 8 (+2)問題10 4 4合計 92 96(+4)どこが推定と違ったか見てみました。あくまでも推定ですが。【問題1】(10) 伏見港は長く京都と大阪を結ぶ舟運の拠点であったが、大正末期の築堤工 事によって宇治川との船の通航ができなくなったため、昭和4年(1929)に 宇治川と濠川の合流点にパナマ運河と同じ仕組みで船を通航させる施設が建 設された。この施設は何か。 【私の解答】三栖こう門 【正解】 三栖閘門 「閘門」が一部漢字で書いてないので1点としましたが、「閘門」は固有名詞 ではないため、平仮名でも満点となったのでしょう。【問題8】松尾大社について150字以上200字以内の文章で書きなさい。 (「大宝元年(701)に社殿を造営したとされる人物」、「王城鎮護の神として賀茂社と並び称 されるときに使われる表現」、「本殿の建築様式」、「境内に湧く名水」、「境外摂社の一つ」を 必ず含むこと) 「社殿を造営したとされる人物」として、 【私の解答】 秦寸都里 【正解】 秦忌寸都里 0点と推定しましたが、一字欠けているだけで、姓の「秦」は合っているので、1点が もらえたのだと思います。【問題9】小堀遠州について150字以上200字以内の文章で書きなさい。 (「江戸幕府における役職」、「遠州が師事した茶人」、「遠州が主張した好みといわれる茶風」、 「作と伝わる国宝の茶室」、「龍光院内に建てた子院」は必ず含むこと) 「江戸幕府における役職」として 【私の解答】 二条城の改修や拡張工事の責任者など。作庭家でもあった。 【正解】 作事奉行、伏見奉行 0点と推定しましたが、役職の内容が合っているので、満点の2点になったと思われます。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村__________________________________「京都検定過去問」カテゴリー一覧表http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28「京都検定出題傾向分析」カテゴリー一覧表http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=30「京都検定勉強」カテゴリー一覧表http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=31
2016/01/28
コメント(0)

【2016年1月28日(木)】 今日は一人散歩でした。曇っていましたが、気温はさほど低くはなく、体は冷えませんでした。帰ってきたら、ワンちゃんの散歩は済んだということなので、今日はそれで終了。5千歩でした。 写真は、今日撮影の「ユリノキ(百合の木)」@ご近所散歩です。手書きで木名を書いた名札がかかっていました。 落葉樹で葉は全部落ちていますが、実が花のように開いていて特徴的です。 モクレン科ユリノキ属の落葉高木。花期は5月~6月。 花の形がユリに似ているのでこの名前がありますが、ユリと言うよりはチューリップに似ています。日本へは明治時代の初期に渡来しましたが、当時は、チューリップが日本では珍しかったため、「ユリ」になったようです。 別名にハンテンボク(半纏木; 葉の形が半纏に似ることから)、レンゲボク(蓮華木; 花が蓮の花を思わせることから)、チューリップツリーなどとも呼ばれます。 北アメリカ中部原産で日本へは明治時代初期に渡来しました。東京国立博物館本館前庭の巨木に添えられた銘板に、次のように記されています。 「明治8、9年頃渡来した30粒の種から育った一本の苗木から明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。東京国立博物館は”ユリノキの博物館"、"ユリノキの館"などといわれる。」よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/28
コメント(0)

29個目のコース「Hidden Lake Golf Course」の各ホールの印象を思い出し出し書いてみます。 農地をゴルフ場に改修したものだと思われ、全体的にフラットで直線的です。水はけが悪いためか、ほとんどが砲台型のグリーンで、前半はウォーターハザードが厳しいところにあり、これらがフラットな割に難しいコースにしていました。 昨日書いたように、すでに閉鎖になっており、航空写真でも整地や工事が始まっており、グリーンやティーグラウンドの位置が分かりにくなっていたり、池もなくなっていたりしますので、位置についてはアバウトです。まずフロント9。1番:真っすぐでオープンなパー42番:打ち下ろしのパー3。 手前に池(青矢印)があり、やっかい。3番:やや打ち上げの真っすぐなパー5。4番:真っすぐでオープンなパー45番:池越えのパー4。 当時は赤矢印のところに池があり、手前に林もあり、 私の飛距離では池に入れることが多かったです。6番:白矢印のところに池があり、回り込むようにグリーンを 狙う必要があるパー57番:オープンなパー38番:第一打が打ち上げのパー4。 落下点が見えないので、ボール探しに一苦労。 ティーショットは赤矢印のように両側に木があり、少しでも曲げると 木と喧嘩することに。9番:左ドッグレッグのパー4。グリーンは三方が池に囲まれていて 私は2打で乗せるのはむつかしく刻んでいました。 6番と7番の間は何か工事しているように見えます。グーグルアースで立体視してみたら、地面が掘られているようです。鉱物資源でも採掘しようとしているのでしょうか。それともゴミの埋め立て地にでもするのでしょうか。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ____________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21
2016/01/28
コメント(0)

2016年01月27日 京都新聞HP 文化財防火デーの26日、京都市下京区の西本願寺で消防訓練が行われた。消火活動のほか、避難誘導や仏像などの宝物を運び出す手順を確認した。 市内には国宝の19%と重要文化財の14%があり、26日前後の文化財防火運動(23~29日)に合わせて各地で訓練をしている。 この日は、下京消防署や西本願寺自衛消防隊、下京消防団などの約70人が参加した。国宝の阿弥陀堂の床下から出火し、隣接する国宝の御影堂にも延焼する恐れがある、との想定で行われた。 職員らが初期消火や参拝者の避難誘導をし、模擬仏像と巻物を運び出し、駆けつけたはしご車などが阿弥陀堂前で一斉放水した。 浄土真宗本願寺派の石上智康総長(79)は「先人から脈々と受け継がれてきたものを守り伝えていくため、一層、気を引き締めたい」と話した。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/28
コメント(0)

【2016年1月28日(木)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術が提案されました。大阪府立成人病センターに加え、東京国立がん研究センターでもセカンドオピニオンを受けることを決心し、前日に予約を入れました。そのうえで予定していたM病院での2回目の面談に臨みました。2箇所にセカンドオピニオンを聞きに行きたい旨はM病院に電話で伝えてありました。2015年1月28日の日記からです。================================================【2015年1月28日】■セカンドオピニオン用の紹介状・データを受け取る 8:00起床。もっと早く目覚めてはいるけど、疲れているのと、ベッドの暖かさが心地よいのと、一人で起きても寂しいので、結局8時まで寝ていました。 今日は、6クール完了後の2回目のM病院泌尿器科Y先生との面談です。もともとは1回目に示していただいた今後の治療方針について私の決心を伝える日でした。しかし、再発のリスクが高いにもかかわらず、残った腎臓を切除して透析生活に入るということに決心がつきませんでした。ネットで調べた結果も含め、色々質問させて欲しいということと、発覚時にも聞きに行った東京と大阪の医療機関にセカンドオピニオンを聞きにいきたいということを事前に伝えてあります。昨日アップしたレターを今朝見直して修正して持っていきました。 途中で大阪府立成人病センターと連絡がとれました。受付の方が整形外科のJ先生(前にセカンドオピニオンは担当いただいた先生)とコンタクトがとれたとのこと。後腹膜腫瘍なので、手術のことはよく分からないが、それ以外のことはお答えできる。データをもらったら、泌尿器科の先生とも相談して、面談可能かどうか検討するとのことです。とりあえず明日、紹介状、データを持っていくことにしました。 Y先生に昨日アップした私のレターを見てもらいながら色々やりとりしました。次がそのやりとりの結果です。 この前と同じく、抗癌剤治療はここで止め、透析の準備をして、腎臓ごと切除という推奨です。辺縁切除、抗癌剤継続は避けるべきという意見です。 すでに、紹介状やデータは2つ準備いただいていました。最初のセカンドオピニオン以降K医大により詳細な病理検査をやってもらっているので、そのレポートも付けてもらいました。 M病院には、とりあえず次回2月9日に面談予約を入れてもらいました。尿酸値やCRP値が前回測定されていないので、次は項目数の多いメニューでの血液検査にしてもらいました。 遅い時間になりましたが、最寄駅の「駅そば」を食べて帰ってきました。今日は公共交通機関で往復したので、結構歩いたし、雪が降り出したので、ウォーキングはなしです。 来月で60歳になるので、企業年金の第2年金の案内が来ました。65歳まで据え置きという選択もありますが、このままいくと現役引退で、給与所得がなくなるので、60歳からにします。受給期間は、5年、10年、15年、20年、5年前厚20年から選択できます。私が早くこの世を去っても、家内に引き継げるので、あわててもらう必要はないでしょう。5年前厚(最初の5年間が多い)20年間であれば、65歳でフルに厚生年金をもらうときに、ほぼフラットにできる(企業年金と厚生年金の合計が65歳になったとき、ほぼ増減がない)ので、これにしようかと思います。================================================以上 2015年1月28日(水)の日記でした。 データと紹介状をいただいたので、これから2箇所のセカンドオピニオンに臨むことになります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん剤治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/28
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月19日の記事≫ 脳腫瘍(しゅよう)は頭蓋骨(ずがいこつ)の中に生じる腫瘍の総称だ。脳や脳を包む膜自体から生じる「原発性脳腫瘍」と、ほかの場所で生じたがんが原因になる「転移性脳腫瘍」がある。 「原発性」の発生率は年間で3万人に1人程度。国立がん研究センターは、今年新たに原発性脳腫瘍になる患者数は5100人と推計している。 腫瘍があると、頭蓋骨内の圧力が高まり、慢性の頭痛や吐き気などが起きる。また、腫瘍の場所によって、その部位が担当している「読み書き」「聴力」「視力」などの機能に障害が出る。 連載で紹介したピアノ教師の女性は、脳腫瘍の中でも「グリオーマ」と診断された。脳そのものは、神経細胞と、神経細胞に栄養を与える役割などがある「グリア細胞」でできている。グリア細胞から生じる腫瘍がグリオーマだ。「神経膠腫(こうしゅ)」とも呼ばれ、原発性の約3割を占める。 グリオーマは一般に悪性とされ、多くの種類がある。脳内にしみこむように広がり、腫瘍と正常組織との境界があいまいで、手術で取るのが難しい。 一方、脳を包む髄膜や下垂体などに生じる腫瘍は、良性のものが多い。腫瘍と正常な部分の境がはっきりしていて、切除しやすく、手術で治しやすい。 グリオーマなど悪性の脳腫瘍は、手術でできる限り腫瘍を取り、残った腫瘍を放射線治療や化学療法でたたくのが通常の治療方法だ。 ただ、脳腫瘍は患者数が少ない半面、種類が多い。このため、それぞれの種類ごとの標準治療が確立されていない。現在、日本脳腫瘍学会が診断や治療のガイドラインを作成中だ。 脳は薬剤が到達しにくい性質があるため、治療薬の開発を難しくしている。ほかの臓器のがんに有効な抗がん剤の転用も難しい。 慶応義塾大の佐谷秀行(さやひでゆき)教授(腫瘍生物学)は「一人一人の症状や進行は違うので、ほかの患者さんの例を自分に当てはめて、あきらめたり、楽観したりするべきではない」という。また医師によって治療法をめぐる見解が異なることも多く、「セカンドオピニオン」で主治医以外の意見を聞くことも重要だ。脳腫瘍の主な症状>脳腫瘍は患者数が少ない半面、種類が多い。>このため、それぞれの種類ごとの標準治療が確立されていない。 私の罹った軟部肉腫は、10万人に2人の発生率なので、脳腫瘍よりも低い発生率です。種類は多く、30種類以上あるようです。平滑筋肉腫、悪性線維性組織球腫、脂肪肉腫の発生率が高く、他に横紋筋肉腫、皮膚線維肉腫、血管肉腫、悪性末梢神経鞘腫瘍、線維肉腫などがあります。私はこのうち脂肪肉腫でした。>脳は薬剤が到達しにくい性質があるため、治療薬の開発を難しくしている。>ほかの臓器のがんに有効な抗がん剤の転用も難しい 脳の特殊性なのですね。 私は、イホマイドとドキソルビシンの組み合わせが標準の抗がん剤で、その治療を受けました。しかし軟部肉腫は、発生率が低いため、専用に開発されたもので、もともとは他の臓器のがんに使われていたもののようです。それでも、標準の抗がん剤があるというのはありがたいことです。>「一人一人の症状や進行は違うので、ほかの患者さんの例を自分に当てはめて、>あきらめたり、楽観したりするべきではない」>また医師によって治療法をめぐる見解が異なることも多く、>「セカンドオピニオン」で主治医以外の意見を聞くことも重要だ。 全くそのとおりだと思いますね。私の場合は、抗がん剤治療のあと、セカンドオピニオンで提案があった粒子線治療を受けました。セカンドオピニオンで腎臓を残したままの治療ができました。主治医は粒子線治療が適用できる可能性があるということも認識がなかったようです。単に「見解が異なる」というだけでなく、ある治療法が選択肢として考慮されていない場合もあります。セカンドオピニオンは重要です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/28
コメント(0)

【2016年1月27日(水)】 今朝、車を出すとき、外気温はプラス3度でした。昨日はマイナス3度でしたから、だいぶ気温が上がりました。景気にも影響するので冬は寒くなってもらわないと困りますが、たまに寒くなるくらいでいいですね。勝手なこと言って、北国の方には申し訳ありませんが。散歩以外外出なしで、のんびりしています。 これから社会復帰をしていきます。といってもすぐに仕事をするわけではありませんが、京都歩きを再開したりとか、ゴルフに復帰したりとか。始めたいと思っていた津軽三味線も始めました。社会復帰するためには、時間確保が必要です。あれもこれもできません。ブログの投稿件数を減らすことにしました。 京都に関する新聞記事を多くアップしていますが、京都検定の試験に出そうな記事のみに限定することにしました。来年末には今のペースでいくと100万アクセス達成かと思っていましたが、投稿件数を減らすので再来年末くらいでしょうか。 昨晩のサッカー五輪予選、見事でした。ロスタイムで2対1で勝って、五輪切符を手に入れました。ドーハの悲劇では、ロスタイムに点を入れられて、ワールドカップに行けませんでしたが、今回はそのリベンジのようにも見えました。ここまでくれば、是非アジアトップになって欲しいものです。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #7昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。 【2】オランダ黄金時代(続き)2-4 海洋画家たち世界を相手に貿易を行っていた海洋貿易王国、オランダ。海はオランダの発展や日々の生活に大事な役割を担っていました。港には大きな貿易船が停泊し、活況を呈していたことでしょう。オランダの海洋画では財力と国力を誇るかのような立派な貿易船や軍艦を描いた作品から、生活の糧として河口で釣りをする漁船を光に満ちた落ち着いた雰囲気で描いた作品まで、幅広い水辺の風景画があります。●作品23 コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン《港町の近くにて》 1615-20年頃 ロッテルダム海洋博物館本作はオランダ経済にとって重要な役割を担った17世紀初頭の船舶の様子を鮮明に伝えています。実在の船と画中の船の同定ができないことなどから、歴史的事件を主題としたのではなく、一般的な海洋画と考えれます。【コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン】《港町の近くにて》を描いたコルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲンは、伝記作家によると水夫の経験があったようです。そのため船の細部について熟知していました。彼は船の専門画家として成功し、いくつかの重要な注文も受けたそうです。●作品24 シモン・デ・フリーヘル《海上のニシン船》 1649-50年頃 ロッテルダム海洋博物館ニシンはオランダの人々にとって食糧であると同時に、輸出や商業にとっても重要な資源でした。多くの魚が網にかかっているところを見ると、どうやら大漁のようですね。穏やかな波上に漂う船と、はるか遠景の船をのみこむ霞んだ大気まで見事に表現されています。【シモン・デ・フリーヘル】《海上のニシン船》を描いたシモン・デ・フリーヘルは、17世紀における最も重要な海洋画家のひとりです。彼は後代の印象派を先取りするような海の景色を描いています。●作品25 ウィレム・ファン・デ・フェルデ2世 《ロイヤルプリンス号の拿捕》 1670年頃 アムステルダム国立美術館戦火から昇る煙の上には雲が立ち込め、前景の海面には淡い影が落ちています。ぼろぼろになった帆があらゆる方向になびいている様子から、ロイヤル・プリンス号が座礁しているのがわかります。トゲルンマスト[一番上のマスト]には、白旗を引き下ろそうと、ひとりの男が登っているところが描かれています。【ウィレム・ファン・デ・フェルデ(2世)】《ロイヤル・プリンス号の拿捕》を描いたウィレム・ファン・デ・フェルデ(2世)は、海洋画家ウィレム・ファン・デ・フェルデ(1世)を父親に持ち、同じく海洋画家であるシモン・デ・フリーヘルのもとで学びました。画家として早熟な才能を発揮し、精緻な船舶が描かれ、静謐な趣をたたえる作品の多くを20代の頃に制作しましたが、後に静謐さを打ち破るように、嵐や難破といった主題を好んで描くようになりました。●作品26 リーフェ・フェアシュフイエール《河口の風景》 1660-70年頃 個人蔵ひとりの男が漁船を漕ぎ、別の男が漁の成果を確かめようとして網をのぞき込んでいます。右側の盛り上がった岸辺には2艘のボートが引き揚げられており、ふたりの男が立って水面を見つめています。本作での波の描き方はきわめて独特で、大量の小さな波が、ほとんどパターン化されながら重なり合っています。【リーフェ・フェアシュフイエール】《河口の風景》を描いたリーフェ・フェアシュフイエールは一般的に海洋画家として知られています。彼は彫刻師として船飾りを手がけていたため、船の外観について熟知していました。木彫・石彫彫刻家組合長をつとめていたこともわかっています。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/27
コメント(2)

【2016年1月27日(水)】 昨日よりは気温が上がったようです。一人でご近所散歩。ワンちゃんの散歩と合わせて、5500歩でした。昨日と同じようにネックウォーマーをしていきましたが、家に戻ったとき汗ばむくらいでした。 写真は、2015年8月15日撮影の「スペアミント」@ご近所散歩。野生だと思います。 シソ科ハッカ属。花期は7月~9月。古くからハーブとして用いられています。別名「オランダハッカ」。原産地は地中海沿岸。 葉の先端が尖っていることから「槍」という意味の「スペア」の名が付きました。ペパーミントも同じような花を咲かせるようですが、葉のかたちからスペアミントと同定しました。「みんなの花図鑑」サイトでこの花の名前を教えていただきました。スペアミントという名前は知っていても、その花までは知りませんでした。モッチャンさんkayu-さんよっちゃん×3さんする家紋は割り抱き萩さん秀さんだよさんHANAさんken0さんれんげしょうまさんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/27
コメント(0)

29個目のコースは「Hidden Lake Golf Course」。・1988年オープン・Public・18ホール・自宅から南東へ約15km 自宅のある町の一つ南のTipp Cityという町の東にありました。いかにも農場がゴルフ場をやりだしたという感じの、田舎感あふれるゴルフ場でした。近いし、安く、空いていたので、よく行きました。4番目に多くラウンドしたゴルフ場です。 とここまで書いて、航空写真を見たら、コースの様子が変です。駐車場も空です。よく見ると、マークに「閉鎖」と書いてあります。当時空いていたということは、やはりやっていけなかったのでしょうね。もし、アメリカを再訪問してゴルフをするなら、ここでも是非プレーしてみたいと思っていたので残念です。スコアカードロゴボール田舎のゴルフ場のためか、ありませんでした。Web Site 閉鎖しているのでありませんが、田舎のゴルフ場なので、営業しているときからなかったのかもしれません。閉鎖についての新聞記事がないかと探してみましたが、見つかりませんでした。地図https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%92%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9/@40.0011885,-84.1933055,12z/data=!4m2!3m1!1s0x883f7b2b7f4344db:0x6938fd08fa5381ceコース航空写真閉鎖していますが、コースの残骸は写っています。Hidden Lake(隠れされた湖)という名前は、中央付近に写っている池からきているのだと思います。ストリートビューでは営業当時の写真でした。いかにも農場の建物を改造したという感じのクラブハウスです。スコア記録 すべて一人でのラウンドです。安いですが、整備がよいとはいえず、グリーンもほとんどすべてが砲台型で(多分水はけが悪いから)、コースも変化に富むものではなかったから誰も行きたがらなかったのだと思います。 一度100切りを達成しています。 回数行ったので、それぞれのホールともよく憶えています。次回投稿で、各ホールの印象を綴ります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21
2016/01/27
コメント(0)

2016年01月26日 京都新聞HP 京都府南丹市美山町河内谷の住民らが、ニシンと聖護院だいこんを漬け込んだ越冬の保存食を商品化し、2月上旬までの期間限定で販売している。地名にちなみ「かわったん(河内谷)漬け」と名付け、「地域伝統の冬の味覚をぜひ味わって」と広くPRしている。 かわったん漬けは聖護院だいこんとニシン、麹(こうじ)を合わせて1カ月ほど漬け込んで作る。ニシンのうま味と大根の酸味がよく合い、美山では冬の貴重なたんぱく源として親しまれてきた。 河内谷では聖護院だいこんの栽培から漬け込み、発送作業まで全てを住民らが手がけ、2年前から販売してきた。1月下旬には今冬最後の樽(たる)出し作業があり、名古靖子さん(72)は「今冬は最高の味に仕上がった。多くの方に楽しんでもらいたい」と笑顔を見せていた。 1パック400円で、同町の道の駅や、31日からかやぶきの里(同町北)で始まる「雪灯廊」でも販売する。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/27
コメント(0)

2016年01月26日 京都新聞HP 平安京の最東端の道だった「東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)」の変遷が京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査で26日までに分かった。平安時代から小さい道路幅で整備され、鎌倉時代からさらに狭くなったことが分かり、「大路」とは名ばかりの小さな道路だったことが確認された。 平安京の「大路」の幅は朱雀大路(現在の千本通あたり)の約85メートルをはじめ、おおむね24メートル以上の大きな道を指す。文献の「延喜式」では、東京極大路も30メートル級の道とされていた。 埋文研が中京区御幸町通竹屋町上ルで実施した調査では、石を敷き詰めて土を盛り、平らにならして整備した東京極大路の遺構が9世紀前半ごろから積み重なって残っていた。 道路幅は造営当初は7・7メートル以上あったが、10世紀前半ごろには4・5メートルに縮小されていた。平安京の左京の開発が進んだ10世紀後半には大規模に再造成され、路面幅は拡幅されていたが、8・0メートルと大路としては狭かった。また、鎌倉時代から室町時代には5・5メートルに再度縮小され、平安京の「小路」(約12メートル)よりも小さい道だった。安土桃山時代には豊臣秀吉の京都改造でなくなっている。 文献では、東京極大路の東側では平安時代中期以降、藤原道長による法成寺が建設され、東京極大路と鴨川の間に「東朱雀大路」という新しい大路を設けたとされる。また、平安京の西端の「西京極大路」も発掘調査では10メートル前後の小さな道と確認されている。都の両端の道路はさほど重視されていなかったようで、埋文研は「大きな東朱雀大路があったことから、東京極大路は『大路』として使われず、あまり大きさは必要なかったのではないか」とみている。 調査地では「海老錠(えびじょう)」と呼ばれる錠前も出土した。銅製で全面に鍍金(ときん)が施され、宝相華(ほうそうげ)の美しい文様が彫られていた。仏壇などに付けたとみられ、精巧な作りから、東京極大路の脇には高い身分の貴族の邸宅があったと考えられる。発掘はすでに終了した。 東京極大路の遺構の写真パネル、海老錠や土器など出土物は上京区の市考古資料館で展示している。2月28日まで。無料。東京極大路の道路の断面層。石を敷き詰め、土で平らに整地した面が重なって見られた(2014年、京都市中京区)調査地から出土した銅製の「海老錠」(上京区・市考古資料館)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/27
コメント(0)

2016年01月26日 京都新聞HP 江戸中期に活躍した奇想の画家伊藤若冲(1716~1800年)ゆかりの宝蔵寺(京都市中京区)でこのほど、劣化が進んでいた伊藤家の墓石の保存修理が完了した。2月7日午後2時に関係者を招いて完成式を営む。 宝蔵寺は伊藤家の菩提(ぼだい)寺で、境内の墓地に父母や弟白歳の墓など4基があった。いずれも建立から250年ほどたって表面の文字の剝離が進んでいたため、小島英裕住職(48)が若冲生誕300年に向けて一昨年から寄付を募っていた。 約200人の若冲ファンからの寄付金に府の補助金を加えた約400万円を費やし、洗浄、崩落した破片の接合、剝離を防ぐための樹脂注入などを施した。修復を終え、墓石に刻まれた「伊藤若冲建」や、生家の屋号「ますや」の文字が鮮やかによみがえった。 修理を機に4基は本堂前に移動され、自由に参拝できるようになった。小島住職は「父母や家族を大切にした若冲の思いを形として残すことができた」と話している。 同寺では若冲生誕の2月8日を記念して、5~8日に若冲筆「髑髏(どくろ)図」「竹に雄鶏(ゆうけい)図」、白歳筆「羅漢図」など寺宝15点を特別公開する。午前10時~午後4時(8日は午後2時半まで)。有料。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/27
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月18日の記事≫ 右の脳に腫瘍(しゅよう)が見つかった東京都のピアノ教師の女性(54)は2009年11月、脳の機能保持を最優先して病理検査に必要な少量だけ腫瘍を取る手術を受けた。 手術後、女性は夫(57)から言葉を話せない患者を見かけた、と聞いた。「大きな手術の痕があった。大きく取ったせいで障害が出たんだと思う」。夫が根拠のない推測を言うのは珍しいと驚いた。 「機能を残す方法を選んでよかったと確信するため、これからも私たちは様々なこじつけを考えていくのだろう」。そう思った。 検査の結果、腫瘍には抗がん剤が効きやすい遺伝子の特徴があった。女性は「脳腫瘍を野放しにせず、闘える」とほっとした。 化学療法を10年の年明けから11年4月まで続け、腫瘍の拡大はいったん止まった。13年、腫瘍が再び広がり始めているとわかった。腫瘍は脳の左側にも達していた。 左側には会話や読み書きの機能がある。自分の経験を書きつづって、医師やほかの患者に伝えたいという思いが強くなっていた。「一番やりたいことを奪われる」と、強いショックを受けた。 再開した化学療法は効果がみられず、「強度変調放射線治療」という治療に切り替えた。放射線の強さを細かく調整でき、脳の機能を守るのに適していたからだ。今年3月から4月に計28回の治療を受けた。約1カ月後のMRI検査で、左脳まで広がった腫瘍が右側に後退していた。 見た目は正常でも、物を落としたり、足がもつれたりするおそれがあり、こもりがちになった。救いは、11年に入会した患者団体「脳腫瘍ネットワーク」だ。 病気に詳しい患者や家族が助け舟を出してくれるので、会合に参加しやすい。団体の田川尚登(たがわひさと)副理事長(58)は「勉強熱心で医師との会話などを克明にメモしている」と感心する。 この6年間、抗がん剤の点滴で激しい痛みに襲われたり、起き上がれなかったりして苦しんだこともあった。でも、手術の後遺症はなく、望んだ通り、ピアノの指導も続けている。「考え抜き、先生方にも十分手を尽くしていただいたのだから、何があっても自分の決断には後悔しない」と、思っている。患者団体「脳腫瘍ネットワーク」の勉強会で質問する女性(写真中央)=東京都新宿区 この方は、とにかくピアノの指導を続けたいという希望が実現できてよかったですね。根治中心ではなく、生活の質を中心に考えてうまくいった一例だと思います。一方で、逆にうまくいかない場合も多くあると思います。 でも、よく調べ、よく考えたうえの結論なら、どうなっても後悔しないのではないかと思います。周りから非難されることはあるかもしれませんが、自分の気持ちが納得できるかどうかが一番大切だと思います。>「機能を残す方法を選んでよかったと確信するため、>これからも私たちは様々なこじつけを考えていくのだろう」 この気持ち分かります。私は後腹膜脂肪肉腫で、透析が前提となる残った腎臓ごとの切除ではなく、腎臓が温存できる粒子線治療を選択しました。 再発のリスクは切除より高く、結局腎不全になるリスクもあります。再発や腎不全になったら、きっと「こじつけ」を考えるんだと思います。しかし、「こじつけ」でも納得できればいいと思います。後悔するよりは。>「勉強熱心で医師との会話などを克明にメモしている」 これも大切ですね。話されることは、そのときは憶えていても忘れることも多いです。それと、メモをとることで、医師側にも緊張感が生じます。患者にとって医師はマンツーマンですが、医師にとって患者はワンオブゼムでしかありません。 それはどんなに優秀な医者でも、患者に真摯な医者でもそうです。人間なんですから仕方のないことです。自分がワンオブゼムの中でも、少しでも注目度の高い患者に位置付けてもらう努力も必要です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/27
コメント(0)

【2020年1月27日(月)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。2015年1月27日の日記からです。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術が提案されました。大阪府立成人病センターに加え、東京国立がん研究センターでもセカンドオピニオンを受けることを決心し、この日はそれぞれに電話して受診を申し込みました。両者とも患者の立場に立って、真摯に対応いただきましたが、システムが両機関で大きく異なります。================================================【2015年1月27日】■セカンドオピニオン申し込み 今日も朝早くトイレに起きた後は、眠ることができませんでしたが、疲れていてベッドから起きたのは8時少し前でした。 今日は、セカンドオピニオンについて電話で問い合わせました。 まず、東京国立癌センターに電話。ホームページによると診療科によって、電話かFAXか申し込み方法が違うので、どの診療科に申し込めばいいか問い合わせました。 セカンドオピニオンの受付に繋いでいただき、去年の7月に一度セカンドオピニオンを聞きに行かせてもらったこととその後のM病院での治療の経過を伝えました。 すぐに前に見ていただいたHM先生に相談くださり、前に窓口になっていただいた希少癌センターのご担当の方にも連絡いただき、1月30日に予約を入れてくださいました。去年の7月に相談したときもそうだったですが、親身になって話を聞いてくださり、かつ迅速に対応くださいました。まさか今週中に受診が設定できるとは思いませんでした。前回は診察というかたちで緊急対応いただいたので、今回も診察で対応いただけるとのこと。保険がきくのでラッキーです。国立の機関ですが、迅速で臨機応変な対応です。 次に大阪府立成人病センター。ここは少しシステムが違います。まず主治医からのデータを持って、申し込みに行かねばなりません。それを見たうえで、対応いただく診療科、先生、日時が設定されます。 以前いったときのデータが残っていて、持っていくデータはそれ以降のデータだけでいいかというのを問い合わせたくて電話しました。しかし、ここもすぐに前対応いただいたJ先生に問い合わせしてくださいました。ただ、今日は手術で忙しいので、連絡は明日になるかもしれないとのことでした。結局今日は連絡はありませんでした。明日の連絡待ちです。 次にM病院に電話して、作成した先日のY先生の説明の纏めと質問リストを前もってFAXで送っておいて事前に見ていただくことは可能なのか問い合わせました。重要な情報なのでFAXで受け取ることは避けたいので、明日の診察時に持参くださいとのこと。せっかく急いで準備したのに少し残念です。しかし、上記二つの機関にセカンドオピニオンを聞きにいくつもりであることは事前に伝えることができました。 下記が事前に準備したレターです。事前送付は受け付けられないとのことでしたので、明日持参して説明することになります。 長女が今日の午後名古屋に帰りました。また寂しくなりそうです。 以上 2015年1月27日(火)の日記でした。================================================よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/27
コメント(0)

【2016年1月26日(火)】 今日も冷え込みました。朝、車を出したとき、外気はマイナス3度でした。駅ではマイナス1度だったので、やはり私の住んでいる山沿いは2度ほど気温が低くなるようです。それでも、昼間は太陽が出て暖めてくれて、風もなかったので、夕刻は8度とそれほど低気温ではありませんでした。 昨日、有償ボランティアを辞めたという証明書を書いてほしいとお願いしていた小学校の方から電話がありました。退職証明書を書いていただいたとのこと。取りに来てほしいというので、午後車で行ってきました。小学校の職員室なるものに50年ぶりくらいに入りました。不思議な感覚でした。これで、健康保険切り替えのための必要な証明書で、ややこしかったのが一件落着です。小学校の方にはお手数おかけしました。感謝です。 その足でハローワーク西陣へ。2月3日が初回の失業給付認定日なのですが、それまでに2回の求職活動が必要です。1回はこの前の説明会でOKです。もう1回必要ですので、職業面談に行ってきました。 以前は、ハローワークの端末で求人情報を閲覧するだけでよかったのですが、少し前からそれでは認められず、係の人と面談しなれけばいけないようになりました。といっても、しばらく就職するつもりがなければ、求人情報を検索した結果をプリントアウトして持っていき、「求人情報を検索したけれど、条件に合うのが今回はありませんでした。引き続き探します。」と係の人にいえばそれで求職活動1回にカウントされるとのこと。私も今回この方法で面談して、求職活動1回と認めてもらいました。 帰りに、厚生年金受給申請用の証明書類を市役所支所にもらいに行くつもりでしたが、前述の小学校に向かうのが遅くなったため、市役所支所到着が閉庁時間ギリギリになってしまいそうだったので、今日はあきらめました。 錦織選手、やはりジョコビッチに完敗でしたね。ビッグ4と呼ばれる選手とは、格の違いが歴全です。でも、第7シードでベスト8。最低限のところまでは勝ち上がりました。 今からサッカーのオリンピック予選の準決勝。勝てば五輪出場決定です。ガンバレ、ニッポン!!!!*********************************************フェルメールとレンブラント展 #6昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)II-3 建築画家たちオランダで発達したユニークな分野のひとつが教会建築内部の絵画。建築画を得意とした画家たちは、様々な都市に建てられた教会の白い壁のシンプルな内部を、遠近法を用いて細やかな描写で描きました。この分野を得意とした画家にはピーテル・サーンレダムが有名で、本展でもその作品が紹介されています。●作品19 ピーテル・サーンレダム《聖ラウレンス教会礼拝堂》 1635年 カタレイネ修道院美術館、ユトレヒト身廊と礼拝堂が交差する、この教会の複雑な建築構造を把握できる位置が、鑑賞者の視点として選ばれています。画面はとても低い視点から捉えられており、そのために床がほとんど視界に入らず、鑑賞者はあたかも自分が教会のなかを歩いているかのような錯覚に陥ります。●作品20 ピーテル・サーンレダム《マリア教会の翼部》 1637年 アムステルダム国立美術館プロテスタントの教義にのっとり、教会内部が質素に描かれています。下絵段階では描かれていた装飾付の内陣障壁が、最終段階で消されていることがわかっています。他にも中央の基柱と南側廊のアーチを飾っていた模造タペストリーが完成作では金箔ごと塗りつぶされるなど、意図的にその簡素さを強調したことが伺えます。 《聖ラウレンス教会礼拝堂》と《マリア教会の翼廊》を描いたサーンレダムの作品の特徴は、建築構造の細部にわたる丹念な描写にあります。その制作準備も実に周到であり、精確な平面図に加えて、測量をもとにした縮尺立面図を作成するというものでした。「実在する教会の精確な記録」という新分野を生み出したことにより、彼の作品の値段は大きくはね上がりました。●作品21 エマニュエル・デ・ウィッテ《ゴシック様式のプロテスタント教会》 168-85年 アムステルダム国立美術館架空の教会です。ここに描き出されているのは、17世紀における社交場としての教会であり、多くの人物が歩き回り、また会話を楽しんでいます。画面中央にはじゃれあう2匹の犬が描かれていますが、こうした光景も、実際には珍しいものではなかったようです。エマニュエル・デ・ウィッテ《ゴシック様式のプロテスタント教会》を描いたデ・ウィッテは17世紀における最も卓越した教会建築の画家の一人です。サーンレダムとは対照的に、デ・ヴィッテは実在する教会内部の忠実な再現を描くのではなく、アムステルダムの主要な教会や市庁舎の諸要素を組み合わせたような想像上の建物を描きました。●作品22 ヤン・ファン・デル・ヘイデン《跳ね橋》 1660-72年 アムステルダム国立美術館3本の運河が交差する複雑な構図の作品です。前景に置かれたふたつのひき臼が主役の跳ね橋と同じくらいに目を引きますね。町の往来の真ん中にこのようなひき臼が置かれているのは違和感がありますが、この作品の舞台であろうアムステルダムの港付近には、このような石を扱う市場が存在していたそうです。ヤン・ファン・デル・ヘイデン《跳ね橋》を描いたヤン・ファン・デル・ヘイデンは、画家としてだけでなく、発明家、技術者、そして市の公職者として成功した人物です。彼が立案し施工に移したアムステルダムの道路照明設計は約170年にわたって採用されました。また、兄のニコラースとの共作による、ポンプ駆動式消火機器は、消火活動の効率を劇的に向上させました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/26
コメント(0)

【2016年1月26日(火)】 今日も寒い一日でしたが、太陽いっぱいで、風もなかったので、ハローワークに職業相談に行ってきました。少し遠めの100円パークに止めて歩きましたが、それだけでは3500歩しかいきませんでした。帰りがけに家の近くのスーパーに寄って、付近を散歩してから買い物。あとワンちゃんの散歩があるので、4500歩で帰ってきました。 しかし、帰ってきたらワンちゃんの散歩はもう行ったというので、止むなくワンちゃんの散歩コースを一人でぐるりと一周。これで5000歩でした。 写真は、2015年8月15日のご近所散歩で撮影したユリですが、「タカサゴユリ(高砂百合)」か「テッポウユリ(鉄砲ゆり)」か悩ましいところです。 葉の太さ(タカサゴユリのほうが細い)から、タカサゴユリだと思います。ただし、交雑種もあり、見分けるのは非常にむつかしいようです。 ここでは「タカサゴユリ(高砂百合)」@ご近所散歩(2015年8月15日)とさせていただきました。 ユリ科ユリ属。原産地は台湾。「タカサゴユリ」の名前は、沖縄方言などで台湾を指す言葉「タカサング」に由来すると言われています。原産地の台湾では「台湾百合」「高砂百合」と呼ばれています。テッポウユリとの類似性から日本では「ホソバテッポウユリ」と呼ばれる場合もあります。 テッポウユリの花期が6月頃、タカサゴユリが8月頃という記事もありましたので、やはり「タカサゴユリ」だと思います。「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して、この花の名前を教えていただきましたが、大多数の方は「テッポウユリ」でした。一部の方が「タカサゴユリ」。一部の方は、断定せずに「テッポウ」か「タカサゴ」かそれらの交雑種のどれかという方もいらっしゃいました。花華さんきゃっとはうすさんチイ君さんkayu-さんtama425さんよっちゃん×3さん家紋は割り抱き萩さんリンゴちゃんさん秀さんだよさんHANAさんken0さんsazankaさんMAYU的さんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/26
コメント(0)

2016年01月25日 京都新聞HP 梅の花がほころぶ北野天満宮(京都市上京区)で25日、今年最初の縁日「初天神」があった。うっすらと雪化粧した境内に合格を祈願する受験生をはじめ、多くの参拝者が訪れた。 祭神・菅原道真の誕生日と命日にちなんで毎月25日に開かれる「天神さん」は、年始と年末は特ににぎわい、約15万人が訪れる。 寒波の影響で市内はこの冬一番の寒さとなり、朝方には境内が白く雪で彩られた。とはいえ、年末年始の暖かさで例年より早く梅の花が咲き始め、梅苑は一足早く開苑している。 社殿の前では学問の神様に願いを託し、学生らが列を作って祈願した。絵馬掛所にも多くの新しい絵馬が飾られた。沖縄県から修学旅行で訪れた久米島西中の女子生徒(14)は「京都はとても寒い。勉強を頑張って、いい年になるようにお願いしました」と話した。境内には骨董(こっとう)品や古着などの露店が軒を連ね、店主たちが「今年もよろしく」と買い物する人たちに明るく声をかけていた。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/26
コメント(0)

28個目のコースは「Reid Memorial Park Golf Course」。・1967年オープン・Public・36ホール・自宅から南へ約 25kmSpringfieldという町の外れにあります。Web Sitehttps://www.golfreidpark.com//a>地図https://www.google.co.jp/maps/place/Reid+Park+Golf+Course/@39.9412744,-83.9688213,11z/data=!4m2!3m1!1s0x883f50b056263d3f:0x3b858c37e082a6eb コース航空写真スコアカードロゴボールスコア記録1回ラウンドしただけなので、コースの印象は残っていません。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21b
2016/01/26
コメント(0)

【2016年1月26日(火)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。2015年1月26日の日記からです。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術が提案されました。大阪府立成人病センターに加え、東京国立がん研究センターでもセカンドオピニオンを受けることを決心しました。================================================【2015年1月26日】■セカンドオピニオン2箇所受けることを決心 6:00時にトイレに起きた後、やはりあれこれ考えて眠れず、7:00に起床。先週金曜日の主治医からの説明をまとめ、ネットで調べたことも含め質問をリストアップしました。1月28日が次回診察ですので、明日27日にM病院に電話して、事前にこの書面をFAXで受け取ってくれるかどうか確認します。 セカンドオピニオンは発覚時と同じく、東京国立癌センター、大阪府立成人病センター両方に聞きに行くことにしました。発覚時、東京国立癌センターに最初行って抗がん剤治療を決心したつもりでしたが、結局踏ん切りがつかず、大阪府立成人病センターにも聞きに行きました。両方ともほぼ同様の所見でM病院の提案の抗がん剤治療が現時点ではベストとのことだったので、踏ん切りをつけたうえで、M病院での治療に臨むことができました。セカンドオピニオンのためにお金が結構かかりましたが、たとえ同じ所見でも、迷いなく治療に臨むことができ、心理的メリットが大きかったように思います。 雨が降りそうなので、今日は午前中にウォーキング。5000歩。ちようど帰ってきたころ雨が降り出したので、タイミングばっちりでした。 4人揃っての今回最後の夕食でした。しばらくまた寂しくなるので、いつもより少ししんみりとした夕食になりました。================================================よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/26
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月17日の記事≫ 右の脳に腫瘍(しゅよう)が見つかった東京都のピアノ教師の女性(54)は2009年11月、主治医(56)から手術の方法について、説明を受けた。 生命維持に関わる部分などにある腫瘍は取れないので、手術で切除できるのは最大でも全体の6、7割という。それでは腫瘍が多く残ってしまい、手術による延命効果は小さい現実が見えてきた。しかも、腫瘍が大きいので6割でも失われる脳の機能は多いだろう。 残された時間、周りの人たちといろいろなことに感動しながら生きたい。文章を書き、ピアノを弾き続けたい。延命効果に大差ないなら機能を優先したい。ずっと考えてきた希望を口にした。 「豊かな気持ちで暮らせるよう、できるだけ脳の機能を残してほしいのですが」 女性の気持ちをくみ取った主治医は「切除は病理検査に必要な最小限にとどめ、残りの腫瘍は抗がん剤で治療していきましょうか」と提案した。 「その方法でお願いします」。女性は一呼吸おき、そう答えた。 「少しでも延命効果の高い方法を選ぶべきなのでは?」と批判する親戚に、夫(57)は「本人の決断を理解してほしい」と手紙を書き、説得した。 11月の手術の直前、長く米国の大学で内科教授を務めた伯父(85)からメールが来た。 「医者としてではなく、ただあなたを深く愛する親類の一人として、少しでも治癒の可能性のある治療法を選んでほしい」。機能の保持を優先するため、余命を縮めても腫瘍の切除を最小限に抑えるという女性の決断に、反対する内容だった。 決心は揺らがなかったが、自分を気遣ってくれる伯父の気持ちを思い、涙がにじんだ。 11月中旬、7時間の手術を受けた。全身麻酔をかけて頭を開き、最初に決めた通り、検査に必要な最小限だけ腫瘍を切除した。 手術室で目を覚ますと、医師らが視界に入った。名前を呼びながら「ありがとうございました」と声をかけた。かすれ声を出すのがやっとだったが、「感謝できる心が、手術で失われずに残っていてよかった」と思った。けいれんなどの症状にいつ襲われるか分からないので、いつも薬を持ち歩いている>手術で切除できるのは最大でも全体の6、7割。>腫瘍が多く残ってしまい、手術による延命効果は小さい。>しかも、腫瘍が大きいので6割でも失われる脳の機能は多いだろう。>延命効果に大差ないなら機能を優先したい。 私の場合は、後腹膜脂肪肉腫で、抗がん剤治療後、残っている腎臓(すでに腎盂癌で片方の腎臓は切除済み)ごとの切除(透析が前提)か、粒子線治療(腎臓が温存できる)かの選択になりました。ただこの方と決定的に違うのは、切除は腫瘍をすべて取り去る、粒子線は腫瘍をすべてやっつけるというどちらも完治を目指したものでした。 そして、切除も粒子線も再発率は大差がない(やや粒子線のほうが不利かなという程度)とのこと。それなら保険がきかないので高額にはなるが、透析を回避できる方法ということで、粒子線を選択しました。 昔は延命が最優先のようなところもありましたが、生活の質で選択するということも選択肢の一つだと思います。そのほうが生活に潤いがでて、かえって延命できるというようなこともあるのではないかと思っています。 ただ、私がこの方と同じ状況になったらどうでしょうか。私は年齢60歳。第一線は退いています。それでも、この方のように、機能優先と踏ん切りをつけることはできないかもしれません。長生きしたいという人間の本性がどこかにあるんでしょうね。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/26
コメント(0)

【2016年1月25日(月)】 この冬一番の冷え込み。朝は積雪は1センチくらいで、この前の積雪よりは少なかったのですが、明らかに路面が凍っていたので、朝は送りの車は出せませんでした。太陽は出ていたので、雪は融けて午後には車は通れる状態にはなりましたが、温度はさほど上がらなったのではないでしょうか。ハローワークでの求職活動に行くことも考えていたのですが止めました。天気はよかったので二人散歩には行きましたが、それ以外は、家でじっとしていました。 N社を辞めた後、協会健保の任意継続健康保険に入っています。この2月で61歳になり、特別支給厚生年金の受給資格が得られますが、そうなると以前勤めていたM社健康保険組合の退職者用健康保険に入ることができます。ちょっと前に計算してみたところ、私の場合このM社退職者保険のほうが保険料が安くなります。また高額医療の限度額もこの退職者保険のほうが大幅に低額になります。それで、3月には協会健保任意継続保険からM社退職者保険に切り替えるよう、必要書類を準備してきました。 今日、どこにもでかけず時間があったので、書類を書き始めました。 まず現在の協会健保の任意保険が2月分の支払いでいつまで有効かを、協会健保の京都支部に電話して聞いてみました。ときどきこの京都支部に電話することがあり、いつもは丁寧に対応していただけるのですが、今日電話に出た方は、高飛車というかなんというか、プチンと切れかかるのをがまんしないといけないくらいでした。今はハローワークでもこんな人いませんよ。とりあえず、3月10日まで有効だというのが分かりました。 次に、M社健康保険に電話。家内を扶養家族にするのですが、もらってきた非課税証明書は26年度の収入が書いてあるものです。そのころ家内は有償ボランティア的なものをやっていて、少しだけ報酬をいただいていたのですが、私が発病して以降中断したかっこうになっています。そのときの報酬がごくわずか(年間数万円)入っていました。申請書には、これからの見込み収入を書くことになっているのですが、家内は働いていないし、その予定もないので、これはゼロです。収入ありから収入なしに変化するわけです。このことを質問しました。「仕事を辞めれば、その会社なりから届いた源泉徴収票にいついつ退職と書いてあるはずだから、それを添付していただけばいいですよ。」とのこと。源泉徴収票を見ると、退職した日は書かれていません。長期に休んだ恰好になっているからです。「では今はその仕事はしていないことを証明できる書類を何らかのかたちで添付していただければいいです。」 ややこしくなってきました。止むなく家内がお世話になっていた小学校のボランティアグループに電話して事情説明。何らかの証明を書いていただけませんかとお願いしました。相談して回答しますとのこと。 厚生年金の受給申請もあります。確定申告もあります。これからしばらく、こんなことに時間を多く費やすことになりそうです。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #5昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代II-2 イタリア的風景画家たち当時、イタリアに旅し学んだオランダ出身の画家は多く、彼らはその影響を色濃く残した作品を制作しています。明るい陽光、朽ちた古代の遺跡、新鮮な青い空──オランダ風景画とは一風異なるエキゾチックな風景が描かれたイタリア風の風景画は、オランダで人気のある分野だったため、イタリアを訪れたことのない画家も様式を真似て描いていました。●作品15 ピーテル・ファン・ラール《イノシシ狩り》 1640-42年頃 個人蔵太陽の光が降り注ぐイタリアの風景の中で、狩人たちがイノシシを狩りに夢中になっています。前景にはすでに仕留められた2頭が横たわっています。そして、犬に襲われた3頭目が騎手によって間もなく仕留められようとしている瞬間です。【ピーテル・ファン・ラール】《イノシシ狩り》を描いたピーテル・ファン・ラールは若くしてローマを訪れ、長期間滞在しました。そこで彼は多くのオランダ人画家に大きな影響を与えました。彼の追随者にはオランダ人だけでなくイタリア人も含まれ、彼のあだ名である「バンボッチョ」にちなんで「バンボッチャンティ」と呼ばれていました。●作品16 ヤン・パブティスト・ウェニークス《地中海の港》 1650年頃 個人蔵イタリア沿岸の架空の景観を描いたものです。着飾った美しい女性、買い求めたばかりのワインの味を楽しむロバに乗った男性、遠くの方には海で泳いでいる人の姿が見えますね。画面右側には、ここがイタリアであることを鑑賞者に思い起こさせるかのように、古代ローマの建造物群が描かれています。【ヤン・バプティスト・ウェーニクス】《地中海の港》を描いたヤン・バプティスト・ウェーニクスは18歳で結婚し、その後1642年から4年間をイタリアで過ごしました。ローマではネーデルラント出身画家たちで構成されたグループ「群鳥」の一員となりましたが、「おしゃべり」という愛称で呼ばれたそうです。理由は、彼が大変なおしゃべりでしかも早口だったから、とされています。●作品17 フィリップス・ワウウェルマン《川辺の野営》 1650-55年頃 個人蔵白馬にまたがった兵士に何かを売りつけようとしている女性、そのそばでは自分の馬に赤い布をかけている兵士。その他、用を足している犬や太鼓のそばで眠る3人の兵士などが描かれています。17世紀、多くの兵士は集団で国を越え、戦場に召集されるのを待ちながら放浪していました。この時代にはありふれた光景だったのでしょう。●作品18 フィリップス・ワウウェルマン《川辺にいる馬乗りたち》 1650-55年頃 個人蔵水の中で横向きに転倒しかかっている馬が一頭。馬乗りはひどく驚いていますが、川岸にいる3人の馬乗りの顔を注意深く観察してみると、楽しんでいるのが明らかです。登場する馬がそれぞれ違う角度から、異なった姿勢で描かれていることに注目してください。馬の描写に長けたワウウェルマンならの作品です。【フィリップス・ワウウェルマン】《川辺の野営》と《川辺にいる馬乗りたち》を描いたワウウェルマンは、17世紀において馬の描写に関して最も優れた画家でした。馬の専門家によると、解剖学的に正確に描いているそうです。彼は18世紀に特に高く評価され、各国で彼の作品が大量に収集されました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/25
コメント(0)

【2016年1月25日(月)】 今年一番の冷え込みらしく、寒い一日でした。午後から道路の雪もほぼ消えたので、二人散歩に出かけました。風がなかったので、歩いているうちに体は温まってきましたが、手は冷たくなりました。ワンちゃんの散歩も含め5000歩でした。 写真は、2015年8月13日撮影、「ヤブジラミ(藪虱)」@ご近所散歩 セリ科ヤブジラミ属。原産地は日本・中国~アジア北部・ヨーロッパ・アフリカ北部。花期は5月~7月。 和名の由来は、藪に生え、鉤状に曲がった刺毛によって果実が衣服につきやすいようすをシラミにたとえたもの。 よく似た品種に「オヤブジラミ(雄藪虱)」があり、過去下記にアップしました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201507230010/ オヤブジラミに比べヤブジラミに比べ花や実が密集してつきます。また花柄がオヤブジラミが2-4個なのに対して、ヤブジラミは4-10個と多くなります。これらのことから今回のものは「ヤブジラミ」だと思います。「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して、この花の名前を教えていただきました。オレちゃんさんkayu-さんよっちゃん×3さん4家紋は割り抱き萩さんリンゴちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/01/25
コメント(0)

27個目のコースは「Kittyhawk Golf Center」。・1962年オープン・Public・54ホール・自宅から南へ約 25km 私がラウンドした中で、最も多いホール数のゴルフ場です。デイトン市立ですが、地図にも示したようんに、ライトパターソン空軍基地の近くにあり、私が前任者からもらった近隣ゴルフ場所在地図では軍の人しか利用できないと書いてあったような記憶があります。ゴルフ場の名前からしてそれっぽいです。今は誰でも利用できます。 Web Sitehttp://golf-dayton.com/kittyhawk-golf-center/地図https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%AD%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC/@39.9192055,-84.0805677,11z/data=!4m2!3m1!1s0x88408240844e9bdf:0x6bb18603851ab5ddコース航空写真フラットなコースです。スコアカードFalcon、Hawk、Eagle Courseと3つありますが、そのうちのEagle Courseのものです。ロゴボールデートンは航空機発祥の地で、ライト兄弟の家や、兄弟が操業していた自転車店が残っています。それで、このデザインになっていると思われます。スコア記録 4回目に100切りを実現したので、それ以降はこのゴルフ場には行きませんでした。フラットなコースなので、各ホールの様子はあまり印象に残っていませんが、どのコースを回るかを決めるのが他のゴルフ場と違っていたことが印象に残っています。普通はフロントで指示されるのですが、ここでは、下の写真の丸印の係員がいる詰所に行って、そこで「あなた、ここからスタートしてください。」と指示されます。ここで各コースの混雑具合を把握していたようです。(お詫び)スコア集計表の項目行で合計のところで、In、Outと書いていましたが、Out、Inの間違いでした。数字はOut、Inの順に並んでいて正しかったのですが、タイトル行が間違っていました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3「アメリカ出張」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=9「ワルディ流日米国情比較」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=21
2016/01/25
コメント(0)

2016年01月24日 京都新聞HP 京都府南丹市美山町島で23日、しょうゆ搾り体験会があった。NPO法人美山里山舎のスタッフが管理したもろみを搾り、参加者はできたてを味わった。 同法人と兵庫県丹波市で活動する「みんなの家」の共催。綾部市でしょうゆ搾り師をしている斉藤聖也さん(32)を講師に招き、南丹市と丹波市を中心に、約20人が参加した。 しょうゆの元となるもろみは、小麦と大豆で作った。保管場所によって味が変化するといい、この日は1年前に仕込み「里山舎」と「みんなの家」で別々に保管した物をそれぞれ搾った。 「しょうゆ搾り舟」という木で作った箱に搾り袋に入れたもろみを並べ、圧搾機を使うとしょうゆが少しずつ流れ出てきた。参加者は搾りたてを味見し、その後に火入れした物を、餅や卵かけご飯に使って味わった。 里山舎のものは日当たりの良い場所だったといい、みんなの家の物よりもやや濃い口に。京都市左京区の小田桂子さん(39)は「うまみがすごい。搾る過程でも味が変化して面白い」と興味深そうに話していた。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/25
コメント(0)

2016年01月24日 京都新聞HP 京都府の丹波地域が、映画やテレビのロケ地として業界関係者の注目を集めつつある。田園風景を生かして古くから時代劇が撮られてきたが、近年はバラエティーの収録も増えている。高速道路網の整備が完了し、京都、大阪から近くなったことが最大の追い風だ。時代劇の撮影に活用できる公園整備も始まっており、ロケを地域活性化につなげようという機運が高まっている。 昨年11月、亀岡市千歳町の築300年を超す建物を生かした和食店「へき亭」の門前。藤沢周平原作の時代劇「三屋清左衛門残日録」(2月6日、BSフジ放送)が撮影された。 スタッフが持参した落ち葉を敷き詰め、台本通りに野良作業できるよう、むしる草を壁際に仮植えした。撮影本番で、白髪の交じったまげ姿の北大路欣也さんが姿を現し、草むしりする男性に声をかける。瞬時に江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。 へき亭近くの丹波国分寺跡では、放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公あさ(波瑠さん)と夫の新次郎(玉木宏さん)が雨の中、寺の軒下で自分の思いを素直に語り合う印象的なシーンが撮影された。市内の桂川河川敷でも新次郎が歩くシーンをはじめ、前々作の「マッサン」や映画「超高速!参勤交代」などが撮影されている。 南丹市美山町の美山かやぶき美術館・郷土資料館では、仲代達矢さん主演の時代劇「果(はた)し合い」(2月7日、時代劇専門チャンネル放送)のオープンセットが組まれた。在阪テレビ局によるバラエティーの撮影も増えている。最近は、亀岡市ではAKB48の横山由依さんが天然砥石(といし)の採掘体験する情報番組や、やくみつるさんが武将明智光秀ゆかりの地を巡るといった歴史番組が収録された。■公園整備計画 亀岡市観光協会によると、2013年の京都第二外環状道路(にそと)の全線開通以降、テレビ局などからロケ地に関する相談が増えたという。同協会は「移動時間が短縮され、日帰り撮影のスケジュールが立てやすくなった」と分析する。 時代劇の撮影に活用できる公園整備は京丹波町に計画されている。2004年に鳥インフルエンザが発生した約4・7ヘクタールの養鶏場跡地を、ロケができる森林公園にする方針だ。東映太秦映画村(京都市右京区)のようなオープンセットを建てるめどは立っていないが、周囲の山林や田園風景を生かしてもらうという。 東映京都撮影所製作部の高橋剣次長(51)は「京都縦貫自動車道で移動しやすく、合戦シーンなど大がかりな撮影ができるのは魅力的だ。大作とうまくめぐり合ってほしい」と注目している。■ バスツアーも この動きを観光に生かそうと、京都府や丹波・洛西地域の自治体、バス会社などで構成する「京都・西の観光推進協議会」は昨春、丹波2市で計2回のロケ地巡りのバスツアーを試行した。 案内役を務めたのは、「水戸黄門」のご老公一行にふんした俳優たち。社寺などで小道具や写真パネルを使って撮影の裏話などを説明した。参加者は、俳優による再現シーンを間近で見たり、自ら立ち回りを即興で演じたりして時代劇の雰囲気を満喫していた。 同協議会事務局の府観光連盟は「旅行会社のツアー企画につなげたい。ロケ地と別のテーマの味覚と連動させるなど今後も提案していきたい」としている。ロケ地巡りツアーで撮影の裏話などを披露する「ご老公一行」にふんした俳優たち(亀岡市千歳町・丹波国分寺跡)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/25
コメント(0)

【2016年1月25日(月)】 後腹膜脂肪肉腫に罹り、抗がん剤治療に続き粒子線治療を受けました。現在、経過観察中です。ちょうど1年前の今頃は、6クールの抗がん剤治療後の次の治療にいて方針を決める時期でした。2015年1月25日の日記からです。 M病院での診察で、次の治療のステップとして、透析をしたうえでの残った腎臓ごとの切除が提案されました。自分自身でもよく考えたうえで判断するために、ネットで後腹膜軟部肉腫や透析のことについて調べました。後腹膜軟部肉腫のことは、発病時にも調べていますが、さらに突っ込んで調べてみました。透析もその前から可能性があるとのことだったので、前から調べてはいましたが、実際にやる方向になってきたので、こちらもより突っ込んで調べだしました。================================================【2015年1月25日(日)】■後腹膜脂肪肉腫や透析について色々調べる 7:30起床。6:30頃トイレに起きた後、眠れませんでした。やはりこの前の診察結果について色々考えるので、もう一度眠れません。単に昔の睡眠時間に戻っただけですが。 朝、家内から、「あなた元気ないよ。」と言われました。やはり色々悩んでいるのが顔や態度に出るようです。家族の負担にならないよう、顔に出ないように意識しないと駄目だなぁ。 ネットで後腹膜肉腫のことや透析のことを調べました。 透析していてもゴルフを楽しんでおられる方は多いようです。シャントに打撃を与えないことに注意すればいいようです。ゴルフくらいの腕の使い方なら、シャントへのダメージは気にしなくてもいいようです。あとは疲れやすくなるので、体調とよく相談しないといけないです。夏とかは控えたほうがいいかも。 後腹膜肉腫の文献もいくつか読みました。まだ整理できていなくて間違っているかもしれませんが・・・・。高分化型なら患部のみ切除して様子を見ることが多い。高分化型なら再発率が低く、脱分化型なら再発率が高い。高分化型でも再発すると、より悪性度の高い脱分化になる可能性が高い。脱分化型には抗癌剤はききやすいが、高分化型には効きにくいこと。 生検の病理診断の結果、高分化型だが脱分化型が混在の可能性もありとのことでした。抗がん剤治療の最初の2クールで急激に大きさが小さくなりました。ということは、やはり脱分化型があって、その部分が抗癌剤で小さくあるいは壊死した。ということは脱分化型部分が残っている可能性があり、縁辺切除では再発のリスクが高く、広範切除が必要。広範切除しても脱分化なので、再発リスクが高い。そのような理解をしました。 一度、これらをまとめて、質問も含めて、Y先生に事前にFAXを送っておいて、水曜日の面談に臨みたいと思います。大阪成人病センターでのセカンドオピニオンも受けたいことも言っておきます。 体調は・・・今日は快便でした。でも最後は粘便。ちっと下痢気味くらいにならないと快便にはならないようです。ウォーキング4900歩。昨日、そろそろ脱毛が止まりはじめるかも、ということを書きましたが、以前、M病院でもらった冊子をみると、再び生え始めるまで半年くらいはかかるとのことです。脱毛が止まるのも時間がかかるのかもしれません。 家内のワンちゃんの散歩に私も同行しました。 夕食はギフトブックで選んだ「豚しゃぶ鍋」。今日の配達で頼んでいたのですが、本当に今日着くか少々不安でした。買い物にあまり行くことがないので、これが着かないと今日の夕食の食材がありません。、これが着かなかったら・・・・ 昼過ぎ、「ピンポ~ン。宅急便です。」ほっ。豚が庄内産で、付けタレがトビウオからとった絶妙の出汁で、めちゃ美味しかったです。================================================よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/25
コメント(0)

朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月16日の記事≫ 激しいけいれん発作に見舞われた東京都に住むピアノ教師の女性(54)は2009年9月、病院で脳に腫瘍(しゅよう)があると指摘された。 腫瘍は右前頭葉にあり、脳腫瘍の一種である「グリオーマ」の可能性が高いという。前頭葉は脳の前半を占め、意欲や行動などに関わる脳の司令塔だ。 夫(57)は腎臓病とリウマチをわずらっていて、母もがんの手術を受けたばかりだった。もし病名を聞いたら、夫や母親がどれほどショックを受けるだろう――。そう感じた女性は「家族には、良性腫瘍ということにしていただけませんか」と入院先の病院の主治医(56)にお願いした。 だが、医師は「一生つきあっていかなければいけない病気です。ご家族の支えが、どうしても必要です」と答えた。「治らないという意味なのか」と、怖くて聞き返せなかった。 入院から9日目、家族も交えて主治医から詳しい説明を受けた。 MRIの画像を見て、女性は息をのんだ。「大きい」。腫瘍は7センチで、右の脳にはっきりと白く見えた。まだ、意識にかすみがかかったようで、ひとごとのように現実感がない感じがした。 主治医は「砂地にインクを落としたように広がっていくタイプの腫瘍です」と説明した。腫瘍は、脳の中心部にある視床下部まで広がっているという。 そして、言いにくそうにこう続けた。「視床下部は、体温やホルモンの調節など身体の大切な機能を維持している部分なので、切除はできません」 ペンを持つ手が止まり、思わず、夫を見た。ほおが紅潮しているのが分かった。 手術で切り取れるのは、腫瘍全体の6~7割という。できる限り切除し、さらに抗がん剤の治療を受けるよう勧められた。 「できる限り取った場合、どんな後遺症が残りますか?」 女性の質問に、医師は「人格が変わったり、意欲がなくなったりして、社会生活に影響が出る場合もあります」と答えた。 人格が変わったらこれまで築き上げてきた人間関係はどうなるのだろう。自分が自分でなくなってしまう――。そんな不安が、頭をよぎった。医師とのやりとりを記録したメモや病気に関する資料を保管している 腫瘍が脳の中で7センチ。大きいですね。それでもなかなか「がん」だとは気付かないのが「がん」なんですね。 私の場合は、発見したとき、腎臓の後ろに11センチの大きさの腫瘍でした。腎臓の長さが約12センチですから、それに匹敵する大きさ。微熱が続いて夏風邪かなと思った程度の自覚症状しかありませんでした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/25
コメント(0)
全272件 (272件中 1-50件目)