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2016年8月1日の週の案内です。お盆の行事、「京の七夕」、五条坂陶器まつりなどが行われます。●8月1日(月)・如法写経会(~8/3)/鞍馬寺・うら盆法話(~8/5)/清水寺・縁蔭法話(~8/3)/永観望・夕涼み 浴衣の茶会(~8/17*期開申の金土日のみ開催)/高台寺・夏の夜間特別拝観(~8/18)/高台寺・八朔/五花街・暁天講座(~8/2)/智積院●8月2日(火)・安楽寺くさの地蔵縁日/安楽寺●8月3日(水)・開山忌/萬福寺●8月5日(金)・提醐寺万灯会/醍醐寺●8月6日(土)・矢取神事/下鴨神社・盂蘭盆施餓鬼会/妙満寺・四ノ庚申/八坂庚申堂・梅小路公園手づくリ市/梅小路公園・伏見万灯流し/寺田屋浜・京の七夕(~8/12)/堀川会場・鴨川会場●8月7日(日)・お精霊迎え(~8/15)/千本ゑんま堂・夏休み禅寺体験教室/大仙院・ガラクタ市・手作り市/東寺・七夕祭/八坂神社・宇治神社・お精霊迎え「六道まいり」(~8/10)/六道珍皇寺・若宮八幡宮祭(~8/10)/若宮八幡宮・五条坂陶器まつリ(~8/10)/五条通(東大路~五条大橋)五条坂陶器まつリ出典:http://tokotokoto.com/?p=1298◆醍醐寺万灯会 (8/5 18:30~21:00) 醍醐寺 先祖や精霊を供養する万灯会。金堂では「精霊供養法要」が、金堂前では「施餓鬼供養」 が執り行われる。当日は金堂や五垂塔が特別にライトアップされる。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/31
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【2016年7月31日(日)】 一昨日のゴルフラウンド、昨日の鞍馬・貴船山歩きと、炎天下のハードな外出が続きましたので、身体がバテ気味です。早朝の体温が、普通は36.6度以下ですが、今朝は36.8度あり、夏風邪かもと思いました。 明後日ゴルフラウンド、その翌日がシニアガイド会の入会式と続くので、今日は、予定どおり、ルーティーンの一日で、、夕刻の散歩以外は外出なしでした。今日も、朝から暑かったですが、何とかエアコンなしで過ごせました。老人は我慢しないほうがいいんですがね。このごろエアコンも省エネで、電気代もさほどではなそうですし。 でも、夕刻も体温は上がっておらず、36.8度(夏場の夕刻なら普通の体温)で、夏風邪ではなさそうです。6月27日撮影の、「ハンゲショウ(半夏生、半化粧)」@ご近所散歩です。6月14日に「半夏生」で有名な建仁寺塔頭の両足院を訪問したことを投稿しました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606140003/この「半夏生」、私の住む住宅地の散歩では過去見かけたことがなかったのですが、この6月14日の散歩で発見しました。ひと株だけポツンと咲いていたので、ご近所の方が最近植えられたのかもしれません。ひと株だけでも、存在感があり、美しいです。ドクダミ科 ハンゲショウ属。原産は日本、中国、フィリピン。花期は6~8月。「半夏生」とは、「1年の真ん中」、夏至から数えて11日目の日。「7月2日」のことが多いですが、「7月1日」のこともあります。今年は7月1日でした。この頃に花が咲くので「半夏生」と呼ばれます。「半夏生」は、花期に葉が白くなって半分化粧したように見えるので、「半化粧」とも書かれ、「片白草(かたしろぐさ)」とも呼ばれます。花期に葉が白くなるのは、虫媒花であるために虫を誘う必要からといわれています。花が咲き終わって夏の盛りの頃になると、白い葉の白い部分は色落ちして、ふつうの緑色っぽくなります。もともと「半夏生」は「半夏(烏柄杓)」という薬草が生える頃という意味。この「半夏(鳥柄杓)」は、全く違う草花です。半夏(鳥柄杓(からすびしゃく)) 出典:http://www.hana300.com/karabi.htmlよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/31
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「京都市内全寺社巡り」2016年7月27日(水)山科区第13日の第1回(2016/9/8加筆 赤字部分)◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607270003/◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。https://drive.google.com/open?id=1MoOqYBgZk5sF5srdqHZ1RpL0zKM&usp=sharing===============================それでは第1回です。午前9時半に自宅を出て、地下鉄五条駅までバスで行き、そこから地下鉄で御陵駅へ。地下鉄御陵駅から、午前10時40分スタートです。駅を出て、三条通に沿って東に向かいます。三条通りの北側に3つの碑があります。●粟田口名号碑 木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんしょうあしょうにん)は、江戸時代中期の木食上人の一人。木食とは、草根木皮の生食のみで生きる、難行中の難行を云います。 当時の京都には、十一か所の無常所があり、いずれも刑場に近いので、僧属一般に敬遠されがちでした。しかし、上人は敢えて寒夜を選んで念仏回向にまわり、享保2年(1717)7月、永代供養のため、各所に名号碑を建立しました。なかでも、粟田口は京都最大の刑場なので、一尺三寸(約4メートル)の特大にしたとのことです。 もと九条山周辺にありましたが、明治の廃仏思想の折、人為的に切断されて道路の溝蓋などに流用されてしまいました。そのときの痛ましい傷痕が、今も判然と残っています。1933(昭和8)年に国道改修工事が行われた際、上半部分が出土し、道路改修で動かされて、現在地に復元されました。●日ノ岡宝塔 上記にも出てくる粟田口の刑場では一万五千人以上の罪人が処刑されたといわれています。処刑された罪人たちのために、各仏教諸宗によって1,000人に1基ずつ15基の供養塔が建てられたと伝えられています。 しかし、これらの供養塔は、明治時代になって粟田口刑場が廃止された後、仏教寺院の既得権益を取り上げるなどを行った廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、破壊されてしまいました。 廃仏毀釈から約70年ほどが経過した昭和14年(1939年)。法華倶楽部創設者の小島愛之助によって、処刑者の霊の冥福を祈るために供養塔が建てられました。●京津国道改良工事竣工紀念碑 京都市の蹴上と大津市の札の辻を結ぶ京津国道は,昭和6(1931)年から昭和8年にかけて,内務省大阪土木出張所京津国道改良事務所により拡幅舗装が施工されました。この碑は工事竣工を記念して建てられたもので,3段の基壇には三条街道車石の廃材が使われているます。また碑本体には竪に溝が走っていて,車の通行で溝ができた橋材を再利用したものと考えられています。●車石広場 江戸時代に京都周辺の街道に車石と呼ばれる敷石が整備されていました。米などを運ぶ牛車が通りやすいように道に敷いた石で、車輪が通る部分にあるすり減ったへこみが特徴です。東海道や竹田街道、鳥羽街道では今でも名残をみることができます。 ここ日ノ岡峠の九条山付近にもその一つ、京都市が2004年に整備した車石広場があります。三条通をさきほど記念碑からさらに東進し、京都市中に向かって左側にあります。平成9年に地下鉄東西線の開業に伴って廃線となった京阪京津線の軌道敷を利用して作られました。牛車の実物大の見本や実際の車道を見学できますが、「実際の牛車とは形が違い、車輪の幅も狭い。車石の敷き方も資料と違うので間違った情報として認識される可能性がある」と指摘する向きもあるようです。●日ノ岡丸彫り地蔵 この近辺には石仏が多く残っています。これはその一つです。 三条通と東山ドライブウェイが交差する少し手前、京都市中に向かって右側にあります。 花崗岩製の2m近い丸彫り地蔵。宝珠と錫杖を持ちます。風化があまり進んでいないので、比較的新しいのでしょう。やさしいお顔です。三条通を右入り、急な坂道を日向大神宮に向かいます。●日向大神宮 清和天皇の勅願4により、天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後応仁の乱で焼亡しましたが、寛永年間(1624-44)に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝えます。 内宮・外宮は京都市の登録有形文化財で、市内では例の少ない神明造本殿として貴重です。御門と板垣で敷地を区画する社殿構成が古式を伝えています。「京のお伊勢さん」と親しまれています。 神官にご朱印をいただくとき、外宮・内宮の造りの違いを教えていただきました。・外宮屋根の千木(ちぎ)が外削ぎで、堅魚木(かつおぎ)が内宮より1本少ない7本。外削ぎは男性の神様を表します。主神は天津彦火瓊々杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)・内宮千木は内削ぎで、堅魚木は8本。内削ぎは女性の神様を表します。主神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)・祭石 影向岩・天岩戸 戸隠神社 昨今、注目のパワースポットになっているようです。 この岩穴のトンネルは通り抜けられるようになっています。途中で直角に曲がり、その曲がるポイントには天手力男(あめのたじからおのみこと)を祀る戸隠神社があります。天手力男は、日本神話で天岩戸に隠れた天照大神を外に出すために重い天岩戸を手で開けたという力の強い神様として知られています。この前の道を東に向かうと、山道ですが、南禅寺や大文字山に繋がっています。・カキツバタ 境内の池に一輪だけひっそりと咲いていました。 (花弁の根元の色からカキツバタと思いますが、葉の中央の葉脈がはっきとしているので、ハナショウブかもしれません)(2016/9/8加筆)・拝殿 拝殿越しに外宮を眺めます。正面の鳥居の下に戻ると、伊勢神宮遙拝所の案内があったので、行ってみました。前に来たときは気が付きませんでした。急な坂道や階段を10分くらい登ります。・伊勢神宮遙拝所伊勢神宮の方向を向いていると思いますが、木が茂っていて見通しはよくありませんでした。もう一度鳥居の下に戻ると、もうひとつ遙拝所のようなものがありました。何も説明はなかったですが、遙拝所まで行くのが困難な人のための遙拝所かもしれません。参道を下っていきます。(続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/31
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2016年7月30日 京都新聞ホームページから 「継承の美」をテーマに、能楽観世流シテ方の片山家が所蔵する品々を公開する「能装束・能面展」が29日、京都市中京区の京都文化博物館で始まった。 片山家能楽・京舞保存財団の主催で、毎年、虫干しを行う盛夏に開いている。20回目を迎えた今回は、きらびやかな装束や面、扇をはじめ、京舞井上流の舞扇など、約70点を展示している。 代々伝わる装束とともに、実用のために古い装束を復元した「写し」の品もある。同じ装束をもとに、オリジナルの色調の再現を試みた現代の写しと、復元当時の色の流行も取り入れた大正期の復元品も並べられ、考え方の変遷も感じさせる。 31日まで。午前10時~午後6時(最終日は5時)。無料。当主の片山九郎右衛門さんによる解説が随時行われるほか、30日午後2時からは、九郎右衛門さんらによる能装束にまつわるトークもある。片山九郎右衛門さんの解説で、能装束に見入る来場者たち(京都市中京区・京都文化博物館)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/31
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。 なかにし礼さんの最初の「がん」治療のときの古い記事です。その後、再発され、すでに復帰されています。≪2014年6月26日の記事≫ [作家・作詩家 なかにし礼さん]食道がん(4)赤くただれた腫瘍 転移も 激しい心臓発作で、死ぬと思ったが、生き返ることが出来た。これを機に、人生でやり残していた「作家」になることを決意した。 書いてみたいことが、たくさんあった。「まず、満州(現中国東北部)体験。100万人を超える満州からの引き揚げ者がいたのに、その実情を伝える本格的な小説はほとんどなかった」 しかし、作詩家から作家への転身は、簡単ではなかった。「100メートル走のランナーがマラソンを走る感じ。7年ほど世間との連絡を絶ち、多くの小説を読み直して懸命に勉強しました」 2作目の「長崎ぶらぶら節」が、2000年に直木賞を受賞。翌年には満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」を出版した。「満州の語り部」ならではの作品だった。 心臓病の方は、信頼できる医師とも巡り合えて、大きな発作はなかった。しかし、12年2月、のどの不快感と、むかつき、嘔吐おうと感に悩まされるようになった。 胃カメラ検査の結果、食道がんが見つかった。4センチぐらいの赤くただれた腫瘍で、初期ではなく、ステージ2の後半と診断された。食道近くのリンパ節への転移が始まっていた。 自覚症状はあった。2、3か月前からの、のどの違和感に加え、口臭や声のかすれを感じることがあった。「自分だけは、がんにならないと思っていたが……」 「死」が頭をよぎった。>激しい心臓発作で、死ぬと思ったが、生き返ることが出来た。>これを機に、人生でやり残していた「作家」になることを決意した。 私は後腹膜軟部肉腫で、抗がん剤治療をした後、粒子線治療に出会い、粒子線治療を受けました。主治医からは透析をしたうえ、片方しかない腎臓ごと摘出する提案がありましたが、粒子線治療であれば腎臓が残せます。普通の生活が送れる可能性があるので、治療後、職場にも戻れそうだったのですが、気持はそうなりませんでした。「人生でやり残していた」というような大げさなものでしゃないですが、現役を退いたらやりたいと思っていたことに、早めに挑戦したいと思うようになりました。 粒子線治療を決めたとき、1年ごとの雇用契約更新が近づいてきていたので、更新をせずに会社を辞めようと、内心決意しました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/31
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【2016年7月30日(土)】 今日は、再就職したN社の同時期中途入社のメンバーとの懇親日帰り旅行会でした。私がN社を辞めてからも続いています。 振り返ってみます。 第1回 2014年2月 北陸 山代温泉 第2回 2014年4月 京都 岡崎近辺(花見) 私の病気で中断。 第3回 2015年5月 京都 東山 第4回 2015年11月 京都 洛北(紅葉) 第5回 2016年4月 京都 醍醐寺(花見) そして今回、 第6回 2016年7月 京都 鞍馬・貴船(川床料理) 第2回以降は、私が幹事を仰せつかっての京都での開催となっています。 メンバーは、いつもの柴さん、丸さん、山さん。 午前10:45出町柳集合で、叡山電鉄で鞍馬へ。鞍馬寺から木の根道を通って、貴船に抜けました。 今日の京都の最高気温は35.5度。鞍馬・貴船は京都市内より、2、3度気温が低いはずですが、やはり蒸し暑く、鞍馬寺本堂へはケーブルカーを使ったものの、貴船への山越えは、相当堪えました。 貴船到着後、貴船神社を参拝しましたが、ひどく混んでいて、参拝の列に10分ほど並びました。鞍馬山や貴船神社も外国人観光客が多かったです。京都市中だけでなく、こんな山奥にも外国人観光客が押し寄せています。 午後2時に予約してあった「左源太」というお店へ。より下流にある「右源太」と同じ経営ですが、左源太のほうが上流にあり(確か一番上流)、新しいので「左源太」の方を予約してありました。当日になってみないと、どちらになるか分からないとのことでしたが、希望通り「左源太」でした。 お店の写真http://a2o.shiga-saku.net/e1073997.html 私も含め4人とも川床は初めて。 川床の様子です。 靴下を脱いで足を川に浸けてみました。冷たくて、せせらぎの音と相まって何ともいえない気持ちよさでした。 まずは、生ビールで喉を潤しました。山道を汗をかきかき歩いた後でしたので、がすごく美味しかったです。 そして料理が、次々と出てきました。 先附け 湯葉 前菜 じゅんさい、山くらげ、若桃など 吸物 出汁が美味しかったです。 お造り 鮎の塩焼き。 残念ながらちょっと小ぶりです。 素麺 細い素麺で美味しかったです。 揚げ物 ここにも小鮎 酢の物? ちりめん山椒入りご飯と味噌汁(写真撮り忘れ) デザート 黒蜜わらび餅とグレープフルーツゼリー この季節、慣れないアルバイトの人も多く、食材をを聞いても答えられず、献立表を懐から出して答えようとしていました。すかさず、正規の仲居さんが飛んできて答えてくださいましたが。まぁ、これくらいは、この季節やむを得ないでしょう。 一度、和装の外国人の男性が料理を運んできたときがあったので色々聞いてみたら、ウクライナから来て3年、京都大学で学んでいるとのこと。 料理は、税込で11,178円。この季節の土日は最低でもこの価格。料理の内容に対しては、ちょっと高いですが、味はそこそこよかったし、お腹もいっぱいになりましたし、サービスも合格点。そして、清流の流れる涼やかな空間で、ヒグラシの鳴き声を聞きながら、仲間と談笑しながらの2時間弱。そんなことも考えると決して高くはないなぁと思いました。皆さんも満足していただけたようです。清少納言の歌が書かれています。 N社の動向を少し教えてもらいました。四津寺の事務所も、新大阪に引っ越しだそうです。山さんはすでに新大阪勤務ですが、柴さん、丸さんは、来週月曜日から新大阪勤務となります。今日、机などを業者に移動してもらって、明日日曜日、出勤して事務所を立ち上げるようです。こういう大変な時期に、今日参加してもらって感謝です。 柴さんの内臓関係の病気は完全に快復したようです。よかったです。生中も今回は2杯飲んでおられました。 貴船神社の奥宮を参拝した後、店のマイクロバスで貴船口まで送ってもらって、叡山電車で帰りました。 京都市中で飲み直してから解散ということも考えていましたが、明日、山さん、柴さんは出勤なので、出町柳駅で解散としました。 次回は、紅葉の時期に、嵐山方面でということになりました。また幹事を務めさせていただきます。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/30
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6月27日撮影の、「ネムノキ(合歓木)」@ご近所散歩です。 マメ科 ネムノキ属。原産地:日本、南アジア。開花時期:6~8月。 ネムノキの名は、夜になると小葉が閉じて垂れ下がり、眠っているように見えることから付けられました。 漢字名の「合歓木」の「合歓」は、男女が共寝すること、喜びを共にすることをます言葉です。「合歓」が用いられた理由は、葉がピッタリとくっつき、男女が共寝する姿に似るためといわれています。 不機嫌になった夫にネムの花を酒に入れて飲ませると、機嫌が良くなるという中国の伝説から、家族が仲良くなる、喜びを共にするという意味で「合歓」が用いられたという説もあります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/30
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。なかにし礼さんの最初の「がん」治療のときの古い記事です。その後、再発され、すでに復帰されています。≪2014年6月19日の記事≫ [作家・作詩家 なかにし礼さん]食道がん(3)誤診に遭い心筋梗塞に 27歳の心臓発作には、原因があった。「これからの人生をどうはばたいていくか、悩んでいたのです」。歌謡曲の作詩を始めようとしていたが、妻は夫が翻訳家や大学教授への道に進むことを希望した。この溝は離婚に発展していった。 45日間入院した病院で誤診にあった。「若者が心臓発作を起こすはずがない。これは自律神経失調症だ」と。心臓の薬は与えられず、効かない薬ばかり飲まされた。その結果、後でわかったが左心室が壊死(えし)し、心筋梗塞になってしまった。 作詩家としてデビューし「知りたくないの」「恋のフーガ」などヒット曲を連発した。しかし、心臓発作が続き、何度も救急車で運ばれた。 ようやく、心臓病の主治医が見つかった。しかし、ヒットメーカーの弟を食い物にする兄の借金の肩代わりに、何度も苦しめられた。評判を落とし、再起不能とまで言われた。そのたびに心臓の薬をなめながら、「時には娼婦しょうふのように」など起死回生の名曲を発表していった。 人生の恩師、石原裕次郎さんの生前最後の歌「わが人生に悔いなし」など、訳詞を含め約4000曲を作詩。だが、昭和が終わると作詩への意欲が消えた。 1992年(平成4年)、54歳で再び大きな心臓発作に襲われた。意識を失い、目覚めるまでの8時間に臨死体験もした。「がん」発症の前の「前ふり」記事が3日連続です。きっと、患者の個性や体質・病歴によって、最適な治療法を考えないといけないということを伝えたいのだと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/30
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2016年7月29日 京都新聞ホームページから 江戸時代の俳人で画家の与謝蕪村の生誕300年を記念した特別展「蕪村屏風(びょうぶ)をのべてまつ」が、京都府与謝野町金屋の江山文庫で開かれている。蕪村が丹後滞在時に描いた屏風や掛け軸が展示されている。 丹後は蕪村の母親の故郷で、39歳の時に見性寺(宮津市)を訪れて3年ほど滞在し、数多くの絵画を創作したとされる。 特別展では田植えや脱穀などを行う農民の動きや表情が生き生きと描かれた屏風「四季耕作図」や12面それぞれに中国の仙人を描いた屏風「十二神仙図」、静御前を描いた余白に句を配した初期の俳画「白拍子自画賛」などを展示。蕪村にちなんで詠まれた句も紹介している。 竹下浩二学芸員は「地域ゆかりの蕪村が丹後で描いた作品を通して思いをはせてもらいたい」と話している。 9月4日まで。月曜休館。入館料が必要。江山文庫TEL0772(43)2180。農作業をする農民の様子が生き生きと描かれた「四季耕作図」(与謝野町金屋・江山文庫)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/30
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【2016年7月29日(金)】 今日は「がん」治療復帰後、第10回目のゴルフラウンドでした。 日本に帰ってきてからは通算113回目となります。 ゴルフ場はデイリー信楽。今回で通算12回目。コースは前半柳生、後半甲賀。前回レギュラーティー(青)でしたが、今回はフロントティー(白)でした。 今日のメンバーは復帰後初めて2パーティー。同組は佐明さん、前さん、別組が谷さん、中さん、永さん。私も入れて合計6人。 日本各地で35度を超える猛暑日だったようです。熱中症も心配しましたが、標高が高いところにあり、風も吹いていたため、それほど暑いとは感じませんでした。 さて、スコアは前半56、後半58で、合計114。パット前半17、後半21合計38。ストローク前半39、後半37、合計76。 前回とほぼ同じような構成のスコアで、また110を切れませんでしたが、いくつか収穫があったように思います。 パットは、40を超すことはなくなったようです。1打目が結構近くに寄せられるので、3パットが少なくなりました。しかし、OKに近い距離を1つ外したり、ほぼ入るだろうと思われる距離を、ことごとく外したりということで、まだまだ精度が戻っていません。ただ、イップスで外している感じではありません。ハンドファーストを続けます。膝は少し柔らかくしてほうがいいように思います。 アプローチは、バックスイング左足荷重で柔らかく、怖がらずに打てるようになり、ピンそばに寄せられるようになりました。 ドライバー、フェアウエイウッド、ユーティリティー、アイアンも、バックスイング左足荷重で、そこそこいい感じでした。ただ、左足が開いて動いてしまい、前足にちゃんと体重が移動していないことも多いようです。そういうときにトップしたり、左に打ちだしたりしています。これが今の最大の課題でしょうか。左肩を開かず、ボールを見て、頭を残すような打ち方が必要なのかもしれません。要研究です。 印象に残ったホールは、前半、柳生コースの最終ホール。右ドッグレッグ、打ち下ろし、グリーン直前池のパー5、誰もが手こずるホールで、パーが取れました。 第3打が左足下がりの残り160ヤード池越えでしたが、スコアもよくなかったので、左に逃げずに、思い切ってフェアウェイウッドで直接狙いました。すごくいい当たりで、グリーンに乗りそうそうでしたが、手前の斜面に止まりました。そこから寄せで2メートルにつけて、1パットでした。 復帰後10回の最高が107、最低が123、平均114と真っ暗闇に突入してしまった感がありますが、少し光が見えてきたような気がします。【スコア】【プレー費用】 昼食付き ¥5,550 (いつもは\6,850ですが、メンバーさん紹介の優待価格でまず6,050円。さらに500円割引券) 高速代 \1,150×2 今回、永さん、佐明さんと初めてラウンドさせていただきました。中さんも久しぶりです。私の「がん」についても話題になりました。私も含めて6人のうち、永さんがす膵臓がん、佐明さんが胃がん、前さんが前立腺がん、私が軟部肉腫と、4人が「がん」経験者です。日本人の2人に1人は「がん」に罹ると言われていますが、それを感じさせるエピソードです。 いつものように「山本園」で「あさみや金時」を食べて帰りました。 今日は次女が大学での派遣の仕事の最終日でしたが、仕事が残っているので、引き続き1週間、アルバイトで来て欲しいとのころで、1週間延長して、8月5日まで勤務することになったそうです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/29
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以前、ゴウダソウ(合田草)の花を投稿しました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605130006/そのゴウダソウ(合田草)の実、6月14日撮影@ご近所散歩 です。ちょっと花の姿からは想像できないような実の姿です。ゴウダソウはアブラナ科、ゴウダソウ属。原産地は欧州中央・南部。花期は3~5月。和名は、1901年に、教授の合田清(ごうだ きよし)さんがフランスから日本へ持ち帰って普及させたことに由来します。別名を「ルナリア(Lunaria)」といいます。 実の形が「luna(月)」に似ていることから命名されました。実の形から「大判草(おおばんそう)」 「銀扇草(ぎんせんそう)」「銀貨草(ぎんかそう)」とも呼ばれます。オオバンソウ(大判草)よく似た名前で、コバンソウ(小判草)、ヒメコバンソウ(ヒメコバンソウ)がありますが、これらはイネ科で姿かたちはだいぶ違います。コバンソウhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607170007/ヒメコバンソウhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606100009/よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/29
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。なかにし礼さんの最初の「がん」治療のときの古い記事です。その後、再発され、すでに復帰されています。≪2014年6月12日の記事≫ [作家・作詩家 なかにし礼さん]食道がん(2)27歳で激しい心臓発作 母、姉と恐怖の逃避行。行けども行けども、日本人の死体が転がっていた。終戦後の1年余、ハルビンで物売りをして暮らした。 再会した父はソ連軍に連行され、2か月後に帰ってきた時は健康を害し、間もなく死亡。満州(現中国東北部)で資産家だった父の全てを失い、1946年(昭和21年)秋、引き揚げ船で帰国した。 北海道・小樽の父の実家で、新しい生活を始めた。学徒出陣して戦死したと思われていた兄が、復員。次々と無鉄砲なことを始め、一家を何度も混乱させる。 兄は借金してニシン漁に手を出し、失敗。担保の実家を失った。この悲しい体験は、後に作詩した「石狩挽歌」の元となる。 親類を頼って青森市に移り住んだ。小学校では「満州、満州」といじめられた。7年後、兄の住む東京に。しかし、兄とけんかして家を飛び出し、アルバイトをして食いつないだ。 19歳の時、シャンソン喫茶で働いた。フランスの流行歌が好きになり、フランス語学校に通い、歌手に頼まれて訳詞を始めた。 4年遅れで大学に入り、最初の結婚。新婚旅行先のホテルで偶然、声をかけられた俳優の石原裕次郎さんから、人生を変えるアドバイスを受けた。「日本の歌を書きなよ」 2年後、27歳で作詩家活動に入る矢先、突然の激しい心臓発作に襲われた。 なかにし礼さんは、心臓に病をかかえていたため、その後、食道がんになったとき、医者から奨められた手術を拒み続け、陽子線治療を選択されました。27歳のときですから、ずいぶん若いときから心臓が弱かったのですね。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/29
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【2016年7月28日()】 昨日は炎天下の京都歩き、明日はこれも炎天下が予想されるゴルフラウンド、明後日がN社時代の友人との鞍馬・貴船歩きですので、今日は完全なルーティーン日でした。夕刻に散歩は行きましたが、雨に降られてしまいました。夕方になって天気が不安定になりました。これから、久しぶりの一人だけの夕食です。6月14日撮影の、「ホタルブクロ(蛍袋)」別名「ツリガネソウ(釣鐘草)」@ご近所散歩 です。キキョウ科 ホタルブクロ属。原産地は、東北アジア、朝鮮半島、日本。花期は5~7月。花色には赤紫のものと白とがあり、関東では赤紫が、関西では白が多いそうです。名前の由来は、花の中に蛍を閉じ込めると、その明かりが外へ透けて見える」ところから。また、提灯の古名を「火垂(ほたる)」といい、その提灯に似ているので「ほたる」、それが「蛍」になったともいいます。「ホタルブクロ(蛍袋)」であることを「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して確認しました。全員一致で「ホタルブクロ」でした。オレちゃんさんkayu-さんたぁくんさん寒がりたー坊さんkurumatabisky(車旅好)さんこだっくさん秀さんだよさんはまなすさんsazankaさんMAYU的さんhirokoさんリンゴちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/28
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2016年7月21日(木)「京都市内全寺社巡り」山科区第12日の第4回(最終回)です。◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607210007/◆その地図へのプロットは下記です。https://drive.google.com/open?id=12eNlB8ebLm_Mp_OYXlJ93cwAwFI&usp=sharing=============================== それでは第4回(最終回)です。 本圀寺を後にし、琵琶湖疏水沿いに少し西進すると、永興寺があります。 アーチ型の橋を渡ります。●山の谷橋(黒岩橋)琵琶湖疏水の第10号橋。後から紹介するように、より下流の第3トンネル入口手前に「日本最初の鉄筋コンクリート橋」と云われる第11号橋がありますが、本格的という意味では、こちらのほうが日本最初とのことです。琵琶湖疏水の史跡に指定されている12ヶ所の1つです。●永興寺(曹洞宗)「ようこうじ」と読むようです。曹洞宗の開祖である道元禅師のゆかりの寺です。道元禅師は京都で生まれ、五十四歳の時、京都の建仁寺の東山、円山公園音楽堂南側にてお亡くなりになりました。その後、弟子の詮彗和尚が、同所に永興庵と云う庵を結び、道元禅師の偉徳を広めようとしましたが、新宗派の台頭を善しとしない比叡山徒の焼き討ちに遭い、永興庵は京都市内各地を転々として、現在に至りました。・龍尻尾本堂に現代の日本画家の安藤康行作とても迫力のある「大間天井龍図」が描かれており、この石のオブジェは、天井龍図の尾だそうです。●山科豊川稲荷永興寺の隣にあります。「愛知県豊川稲荷社の分霊で、”豊川ダキ尼真天(トヨカワダキニシンテン)”をおまつりしています。愛知県豊川市にある本体の豊川稲荷社は、”円福山・豊川閣・妙厳寺(えんぷくざん・ほうせんかく・みょうごんじ)”なる曹洞宗の仏教寺院で、嘉吉元(1441)年に開創されています。明治維新の神仏分離、廃仏毀釈をくぐり抜けたものの、神道を国教にして戦意高揚に利用した明治維新以後の天皇制国家の施策もあって、名称と外見上は神道に見せかける方が運用上、経営上も好都合だったらしく、豊川稲荷と称しているようです。その分霊だから山科豊川稲荷社も神様でなく永興寺と同じ曹洞宗の仏様なのだそうです。現地に落着いたのは大正8(1919)年で、東山区円山公園音楽堂のある辺りから移転してきたとのこと。●琵琶湖疏水第二トンネル入口黒岩橋の少し下流にあります。第二トンネルは長さ124m。トンネル入り口の扁額井上馨「仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ)」(仁者は知識を尊び,知者は水の流れをみて心の糧とする)。●栗原邸琵琶湖疏水沿いの道から少し下りたところに、レトロな造りの洋館を発見。よく耳にした国の登録有形文化財「栗原邸」でした。旧京都工芸繊維大学の校長鶴巻氏宅。設計の本野精吾氏は同大学の教授でもありました。 DOCOMOMO JAPAN150選に選ばれています。山科方面にあるのは知っていましたが、こんなところで遭遇するとは思いませんでした。時々一般公開されているようですので、また訪れたいと思います。 この辺りは、日ノ岡堤谷須恵器窯跡があるところで、何かそれを表す石碑でも見つかるかなと思ってウロウロしましたが、何も見つかりませんでした。 再び、琵琶湖疎水に戻ります。●琵琶湖疏水第二トンネル出口扁額は「隨山到水源(やまにしたがいすいげんにいたる)」西郷従道 筆山にそって行くと水源にたどりつく●琵琶湖疏水第三トンネル入口第三トンネルの長さは850メートル。扁額は「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」松方正義 筆時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・盧綸の詩) ●日本初の鉄筋コンクリート橋第11号橋が、第三トンネル入口の手前にあり、「日本初の鉄筋コンクリート橋」と言われています。ところが「琵琶湖疏水の100年叙述編」という本に、「この橋を造るにあたってはまだ専用の鉄筋はなかったので疏水工事で使ったトロッコのレールを代用した。ところがこの橋自体は国産セメントの試験用というべきもので実用性は乏しかった。ここからさらに東へ行った、翌明治37年に作られた黒岩橋こそ日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋なのである。」とあるそうです。しかし、「日本初」の石碑や「本邦初鉄筋混凝土橋」の碑もここにあります。●日本最初の鉄筋コンクリート橋石碑[南]日本最初の鉄筋コンクリート橋[北]昭和五十二年八月 京都洛東ライオンズクラブ寄贈●「本邦初鉄筋混凝土橋」石碑[南]本邦最初鉄筋混凝土橋[北]明治三十六年七月 竣工 米蘭式鉄筋混凝土橋桁 工学博士田辺朔郎書之昭和7年建立。 琵琶湖疏水は850メートルのトンネルに入り、疏水沿いの道もここで途切れますので、三条通に向かいます。 途中、コンビニも食堂もまく、昼食をとってなかったので、三条通沿いのコンビニで、「おにぎり」とお茶を買い、行儀悪いですが、歩きながら食べました。 今日中に山科区を終えるのは不可能なので、旧東海道沿いの石碑を訪ねて終わることにしました。 この辺り、旧東海道は三条通の少し南を走っていますが、山の中腹を走っています。急な道を上がって旧東海道を東に向かいます。●旧東海道[南]旧東海道[北]昭和六十三年五月 京都洛東ライオンズクラブ建之●古民家旧東海道沿いの改装された古民家。「150 years house」として、旅行者に一棟貸しされているようです。地下鉄御陵駅から帰途に就きました。これで、山科区#12終わりです。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/28
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2016年7月27日 京都新聞ホームページから 世界遺産・二条城(京都市中京区)を積極的に活用した観光振興や文化発信を考える市の有識者会議が27日、方策を盛り込んだ提言案をまとめた。江戸時代に存在した天守閣の復元や歴史的な行事の再現、国宝・二の丸御殿を用いた国際会議や学会、イベントといった「MICE」の誘致促進を求める。8月にも門川大作市長へ提出する。 二条城の天守閣(5層)は1626年、伏見城から移築されたが、1750年に落雷で焼失した。これまで再建されたことはなく、現在は土台の天守台しか残っていない。提言案は中長期的な取り組みとして復元の必要性を訴え、100億円規模とみられる費用を賄うためにCGによる天守閣などの再現イベントを仕掛け、募金を集めることも提案している。 歴史的行事の再現は、後水尾天皇を迎えた寛永の行幸行列(1626年)や、将軍が天皇に政権を返上して武家政治に幕を下ろした大政奉還を例に挙げる。 MICE誘致では、二の丸、本丸の両御殿を会場として使うためのルールや、雨天時にも飲食を伴うイベントができる施設を整備するよう要請する。京都に移転する文化庁の長官や京都市長が入洛した国公賓らをもてなす迎賓機能を、二条城が備えることも促している。 提言案はこの日、二条城で開いた「二条城の価値を活かし未来を創造する会」の会合で示され、おおむね了承されたが、委員からは「提案にかかる費用や増加が見込まれる収入など数字を掲げる必要がある」などと数値目標に基づく工程管理を求める声も出た。 市は提言を受けた後、本年度内に実行計画をまとめる方針。天守閣のあった跡地。復元構想が持ち上がった(京都市中京区・二条城)ワルディーのコメントMICE(マイス)は、Meeting(会議・研修)、Incentive(招待旅行、travel, tour)、Conference(国際会議・学術会議)またはConvention、Exhibition(展示会)またはEventの4つの頭文字を合わせた言葉。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/28
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2016年7月27日 京都新聞ホームページから 京都市とチェコ・プラハ市の姉妹都市提携20周年を記念する狂言会「プラハの夕べ」が30日、下京区の京都駅ビル室町小路広場で開かれる。プラハのグループ「なごみ狂言会チェコ」が来日し、狂言師・茂山七五三さん(68)の指導のもと、本番に向けて京都で稽古に励んでいる。 なごみ狂言会は、京都とプラハが姉妹都市になった1996年の記念事業で、茂山千五郎家がプラハで催した公演をきっかけにプラハ市民が現地で発足させた。チェコ語でいくつもの演目を完成させた同団体の技量は高く、これまで京都を含め700回以上の公演を重ねている。6月に門川大作市長らが20周年記念事業でプラハを訪れた際は、茂山家と一緒に現地での記念公演を成功に導いた。 今回の京都公演に向けてチェコから8人の会員が来日、今週から伏見区内で稽古を始めた。会員たちはチェコ語と日本語を交え、所作やせりふの確認に精を出す。20年間、狂言の指導を通じてチェコとの懸け橋になってきた七五三さんは「まさかここまで交流が続くとは思っていなかった。チェコの人たちは古典や伝統をとても大事にしていて、情熱を持って現地で狂言を根付かせてくれて感慨深い」と話している。 当日はなごみ狂言会と茂山宗彦さんが出演し、「濯(すす)ぎ川」や「呼声」などの演目を披露する。なごみ狂言会のヒーブル・オンジェイさん(39)は「外国で翻訳されても動作や台本は素晴らしく、もともとの良さが伝わる狂言の力はすごい。京都では狂言を見に行ける会場も多い。今回の公演も、ぜひ来てもらって京都市民にもっと狂言に親しんでもらいたい」と来場を呼びかけている。午後7時開演。観覧無料。 31日午前11時~午後5時半にも、なごみ狂言会も出演する「七五三の会」が上京区の金剛能楽堂である。無料。本番に向けて茂山七五三さん(右から3人目)の指導を受けながら稽古に励む「なごみ狂言会チェコ」の会員(京都市伏見区・向島学生センター)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/28
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2016年7月27日 京都新聞ホームページから 京都府無形民俗文化財に指定されている「丹後の藤織り」の保存と継承を担う「丹後藤織り保存会」(京都府宮津市上世屋)会員の作品展が26日、京都市左京区鹿ケ谷桜谷町のギャラリー「花いろ」で始まった。 フジの繊維で作る糸と織物の素朴な魅力を広く伝えると同時に会員の技術向上も図ろうと、今後年1回のペースで定期的に作品展を開催する。今回が初回で、京都や滋賀などに住む会員13人が46点を出品した。 丁寧に績(う)んだフジの糸を緯(よこ)糸に、絹糸を経(たて)糸に使ったきゃしゃなタペストリーから、糸を績む時に出るくずをより合わせた太い糸で編んだセーターまで、会員が丹精込めた作品が会場に並び、奥深い藤織りの世界を堪能できる。実行委員長を務めた長谷川陶子さん(62)は「簡単にはできないからこそ夢中になってしまう」と話している。31日まで。無料。会員が丹精込めた藤織りの作品(京都市左京区・ギャラリー花いろ)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/28
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2016年7月27日 京都新聞ホームページから 丹後地域の仏像や絵画、工芸品を紹介する特集陳列「丹後の仏教美術」が26日、京都市東山区の京都国立博物館で始まった。縁城寺(京都府京丹後市)の秘仏の千手観音立像(重要文化財)をはじめ、約40点の貴重な史料を公開している。 縁城寺の本尊である千手観音は通常は非公開とされており、寺外での公開は初めてとなる。10世紀末ごろの作品で、平安前期の力強さと後期の穏やかさを併せ持った過渡期ならではの作りが見受けられる。宝冠をかぶる千手観音の数少ない事例となっている。 金剛心院(宮津市)の木造地蔵菩薩(ぼさつ)立像(府指定文化財)は13世紀の作品で、CTスキャンを使った調査を実施した結果、体内に扇や横笛、銅銭、刀子、巻子などが納入されていたことが分かり、内部の写真と一緒に展示されている。 ほかにも本願寺(京丹後市)の鮮やかな「当麻曼荼羅図(たいままんだらず)」などの美術品や籠(この)神社(宮津市)の祭礼道具などもあり、古代から中世まで幅広い年代の作品を鑑賞できる。 9月11日まで。午前9時半~午後5時。月曜休館。有料。重要文化財の縁城寺の千手観音立像(京都市東山区・京都国立博物館)横笛や扇など体内の納入品がCTスキャンで確認された金剛心院の地蔵菩薩像(右)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/28
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。なかにし礼さんの最初の「がん」治療のときの古い記事です。その後、再発され、すでに復帰されています。≪2014年6月5日の記事≫ [作家・作詩家 なかにし礼さん]食道がん(1)満州からの逃避「自分で生きる」 「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」。レコード大賞を3回受賞した売れっ子の作詩家だった。 作家に転身して直木賞を受賞。執筆やコメンテーターとしての活躍を続ける。根底には、浮き沈みの激しい過酷な人生体験があった。その苦労から、心臓は発作を繰り返す。食道がんが見つかると、心臓の負担を考え、手術をしないで治す選択をして病魔と闘った。 満州(現中国東北部)の旧ソ連国境に近い牡丹江で1938年(昭和13年)に生まれた。北海道・小樽から4年前に渡ってきた一家は造り酒屋を始め、裕福になっていた。「中国語やロシア語なども使って、他国の子供たちと遊んでいました。日本とは違って、軍国少年にはならなかった」 45年8月、ソ連軍の侵攻で、生活は一変。母、姉との逃避行が始まった。現地を出る最後の軍用列車にまぎれ込んだが、ソ連戦闘機が迫ってきた。 家族で逃げようとすると、母は「ここに隠れていなさい」と座席の下に潜り込ませ、自分は別に逃げた。列車は機銃掃射に襲われ、車内で多数の軍人が死んだ。戻ってきた母は惨状を見て、幼い息子に「これからは母さんの言うことも信じてはいけない。自分で逃げ、生きなさい」と諭した。 「母のあの言葉に目覚めて以来、自分で考え、決断していくようになった。今も変わりありません」 なかにし礼さんは、最初の「がん」になったとき、粒子線治療の一種である陽子線治療を受け復帰され、話題になりました。この記事は2014年6月の記事で、私が「がん」発病を知る前、身体に変調が出ていた時期の記事です。読売新聞を購読していましたが、当時「がん」に切迫感がなかったため、この記事は読んでいませんでした。 もし、この記事が、もう1ヵ月遅くて、私が発病した後だったら、粒子線治療の知識を持ち、展開が違っていたかも知れません。でも知っていなかったのが、かえってよかったのかも知れません。もし、抗がん剤治療の後、「残っている腎臓ごと切除します。」と言われたとき、「粒子線治療はどうですか?」と聞いて、もし「あれはダメですよ。切除が確実です。」と言われたかもしれません。そうなると、セカンドオピニオンで、「主治医は、粒子線治療には否定的です。」と言っていたでしょう。セカンドオピニオンの先生も、「粒子線治療は選択肢の一つになる可能性はありますが、主治医のおっしゃっていることは正しいです。」とおっしゃって、粒子線治療は選択しなかったかも知れません。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/28
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【2016年7月27日(水)】 朝は天気があまりよくなかったですが、午後から晴れてきそうだし、降水確率も10%と低かったので、京都市内全寺社巡りに出かけました。 今日は、山科区の最後でした。一部東山区も歩きました。13日間で山科区踏破です。今日、見つけられなかった石碑が二つあるので、ネットで調べておいて、東山区を歩くときに、もう一度トライします。【本日の行程】自宅を出たのは午前9時30分。五条通経由のバスと地下鉄で、地下鉄御陵駅からスタート。清閑寺山ノ内町からバスで四条河原町に出て、「王将」で遅い昼食を軽くとって、阪急とバスで帰りました。自宅着は、午後5時でした。下記がオリジナルhttps://drive.google.com/open?id=1MoOqYBgZk5sF5srdqHZ1RpL0zKM&usp=sharing◆歩行データ・歩行距離 山科区の歩き部分(地図上計測) 10.3km *全歩行距離 14.2km・歩数(全歩数)20,000歩 ・歩行時間 3時間10分。 *は自宅からの往復の歩数計データ昼食を摂る場所は途中全くなく、止むなく四条河原町にバスで戻ってから、午後4時ごろ、まいどの王将で、軽く野菜炒めとビールで済ませました。本当に暑くて湿度の高い一日でした。幸い熱中症にはなりませんでしたが、アップダウンも多かったので、かなり疲れました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/27
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6月14日撮影の、「ゼンテイカ(禅庭花)」別名「ニッコウキスゲ(日光黄菅)」@ご近所散歩 です。ユリ科 ワスレグサ属。原産地は 日本、中国、朝鮮半島、東シベリア 。開花時期 5~8月。正式な和名は禅庭花(ゼンテイカ)ですが、栃木県日光地方(戦場ヶ原や霧降高原)に多く自生していることから日光黄菅(ニッコウキスゲ)の別名が広く知られています。この花は日光地方の固有種ではなく、日本各地に分布し、尾瀬ヶ原や長野県霧ヶ峰の群落も有名です。禅庭花(ゼンテイカ)の名前は、この花が自生する戦場ヶ原を中禅寺の庭に見立てたことにちなむという説があります。「ゼンテイカ(ニッコウキスゲ)」であることを「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して確認しました。全員一致で「ニッコウキスゲ」でした。オレちゃんさんkayu-さんスズメちゃんさん寒がりたー坊さんこだっくさん秀さんだよさんsazankaさんはまなすさんpuramuroiyaruさんリンゴちゃんさんMAYU的さんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/27
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2016年7月26日 京都新聞ホームページから 京都御所(京都市上京区)で26日、申し込み手続きを必要としない通年の一般公開が始まった。雨空の下、観光客が続々と訪れ、古都を代表する宮廷のたたずまいに見入った。 政府の観光振興策の一環で、これまで春と秋の一般公開以外は必要だった事前申し込みを廃止し、土日祝日も参観可能になった。 この日は朝から清所(せいしょ)門前に約50人が並び、午前9時の開門と同時に御所の中に入った。訪れた人たちは、サルスベリの花が彩りを添える回遊式庭園の御池(おいけ)庭や、重要な儀式を行う紫宸(ししん)殿、天皇の日常生活に使用された清涼殿などを見て回った。 さいたま市から家族4人で訪れた福田定則さん(63)は「いつでも見られるのは観光客にとってありがたい。また季節の良い時に見に来たい」と話していた。 公開は午前9時~午後5時(入場は午後4時20分まで)、無料。月曜と年末年始、行事がある日は休み。京都市内の仙洞御所、桂離宮、修学院離宮では8月10日から、従来の事前申し込みに加え、当日受け付け枠(一日2回計70人、桂離宮は一日3回計60人)を設ける。問い合わせは宮内庁京都事務所TEL075(211)1215通年公開初日、雨の中を訪れた観光客ら(26日午前9時6分、京都市上京区・京都御所)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/27
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。古い記事ですので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。≪2013年7月4日の記事≫ [俳優 佐藤B作さん]胃がん(4)体調安定 精力的に舞台 命には限りがある――がんになって初めて、自覚した。 昨年末の中村勘三郎さんの訃報に接し、さらにその思いが強まった。勘三郎さんの一言で、人間ドックを受診し、がんが見つかった。以来、歌舞伎を見に行くたびに、「俺は命の恩人だからね」とおどけて迎えてくれた。必ず元気に戻ってくると信じていたので大きなショックを受けた。 がんに負けないためにも、仕事も遊びも、何一つおろそかにしない、と改めて誓った。 今は体調が落ち着いており、精力的に舞台に立つ。「香華」(7月5日~22日、新橋演舞場)、「その場しのぎの男たち」(10月18日~31日、下北沢本多劇場)などが続く。 2015年春には、三谷幸喜さん書き下ろしの新作舞台がある。主宰する劇団「東京ヴォードヴィルショー」の40周年記念公演で、故郷・福島市で幕開けだ。 まだまだ、やりたいことがある。「年のせいかな。ドタバタじゃなく、悲喜劇をやりたい。悲しみがあるからこそ、喜びも大きくなる。そう感じてもらえる作品を仕上げたい」 願わくは、劇場全体が笑いに包まれ、幕が下りた瞬間に最期を迎えたい。そんな思いを抱きつつ、走り続ける。>今は体調が落ち着いており、精力的に舞台に立つ。>まだまだ、やりたいことがある。 私は、後腹膜軟部肉腫で半年の抗がん剤治療後、粒子線治療を受け、現在、経過観察が始まって、1年3ヵ月が経過しようとしています。腫瘍の大きさも一旦小さくなった後、今のところおとなしくしてくれています。副作用の腎不全もクレアチニンが徐々に高くなってきましたが、ここにきて安定してきました。粒子線治療を選択したので、1つ残っている腎臓を温存できて、普通の生活を営めています。 この8月には、前から就きたいと思っていた仕事に就いて、週3日は働く予定です。「やりたいこと」たくさんあります。「終活」もせねばなりません。再発や腎不全のリスクと背中合わせの生活ですが、佐藤B作さん同様、一日一日大切に生きていきたいと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/27
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【2016年7月26日(火)】 朝から、結構強い雨。久しぶりのお湿りです。昨日の天気予報でも雨だったし、今日はルーティーンの一日と決めて、そのように過ごしました。午後には雨が止んだので、夕刻散歩に出かけましたが、帰り間際にまた雨が降ってきました。今週後半は暑くなるようですね。 今朝の神奈川県での障害者施設での事件、驚きました。どこにいても安心できないですね。二人で家にいるときは、ドア・チェーンをかけています。逆にどちらか一人だけが家にいるときは、必ず鍵を持って出るようにし、チェーンは掛けないようにしています。家で倒れたとき、外からすぐには入れるようにです。ただし、家族以外の人が訪ねてきたときは、外してあったチェーンをかけて、ドアを少しあけるようにします。 亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。 6月14日撮影の、「ムラサキカタバミ(紫酢漿草、紫片喰、紫傍食)」@ご近所散歩 です。カタバミ科 カタバミ属。南アメリカ原産。花期は5~7月。江戸末期に観賞用に渡来したといわれ、今では雑草化しています。「カタバミ」は黄色の花ですが、花が黄色ではなく赤紫色をしているので、「ムラサキカタバミ」と名付けられました。別名「キキョウカタバミ」。写真では細い葉が、この花の葉のように見えますが、これは他の草花の葉で、この花の葉は、ちょっとピントが合ってませんが、クローバーのような三つ葉の葉です。カタバミの仲間で、投稿済みのものです。*カタバミ http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606060003/ (カタバミの名の由来もここに書きました。)*イモカタバミ http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605150003/*アカカタバミ http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201507020011/これらの見分け方です。・カタバミは花の色が黄色。・イモカタバミは花の色がピンク・紫色で、花の中心が濃い紫。・ムラサキカタバミは花の色はイモカタバミに似ていますが、花の中心が緑色です。・アカカタバミは黄色の花ですが、葉が暗い赤紫色。「ムラサキカタバミ」であることを「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して確認しました。全員一致で「ムラサキカタバミ」でした。たぁくんさんよっちゃん×3さんkurumatabisky(車旅好)さん秀さんだよさん♡トトロ♡さんけいちゃんさんオレちゃんさんピエロさんkayu-さんpuramuroiyaruさんくにゃままさんリンゴちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/26
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「京都市内全寺社巡り」2016年7月21日(木)山科区12日目の第3回です。◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607210007/◆その地図へのプロットは下記です。https://drive.google.com/open?id=12eNlB8ebLm_Mp_OYXlJ93cwAwFI&usp=sharing===============================それでは第3回です。琵琶湖疏水沿いを西進し、天智天皇陵の北辺を過ぎたところにある朱塗りの橋を渡って、本圀寺に入ります。●本圀寺(日蓮宗)妙顕寺と並んで京都に2つある日蓮宗総本山の1つですが、昭和になって色々あった、いわくつきのお寺でもあります。日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮が鎌倉松葉ヶ谷に法華堂を構えたことから始まると伝え、1345年(貞和元年)に日静が光明天皇より寺地を賜り、六条堀川に移転しました。日静は足利尊氏の叔父と伝え、寺は足利氏の庇護を受けました。応永5年(1398年)には後小松天皇より勅願寺の綸旨を得ています。1536年(天文5年)の天文法華の乱では他の法華宗寺院とともに焼失し、堺の成就寺に避難しましたが、1542年(天文11年)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、本国寺は1547年(天文16年)、六条堀川の旧地に再建されました。1568年(永禄11年)、本国寺は織田信長の支持によって再上洛を果たした足利義昭の仮居所(六条御所)となりました。翌1569年(永禄12年)には本国寺を居所としていた足利義昭が三好三人衆により襲撃される事件(本圀寺の変)が発生しています。信長により本国寺は取り壊され、それぞれの建築物は二条城に運ばれて再組み立てされたといいます。1615年(元和5年)、徳川家康は本国寺の寺領を安堵。徳川光圀は当寺にて生母の追善供養を行い、1685年(貞享2年)、光圀から圀の一字を下され、本圀寺と改称しました。1711年(正徳元年)には徳川家宣の襲封祝賀のため来日した朝鮮通信使の宿舎となっています。1863年(文久3年)、水戸藩主徳川慶篤に率いられた尊攘派志士が、本圀寺に駐屯して皇室の守衛や慶喜の補佐にあたり、本圀寺勢と呼ばれました。1921年(大正10年)、本圀寺は明徳女学校を設立。同校は京都市西京区に移転し、京都明徳高等学校となっています。これは皆さんあまり知らないことではないでしょうか。その後、本末解体による六百旧末寺の離散や多数の訴訟と借財により、本圀寺は荒廃して六条堀川での創建の地を売却して、1971年(昭和46年)山科に移転しました。金色の鯱や龍、仁王像に大梵鐘、その他金色ずくめの装飾を施した寺院となりましたが、最近、旧に復されています。本山は山科に移ったものの、旧塔頭は現在も六条の旧地に十六院残っています。旧寺地は西本願寺の北側で、西本願寺の本願寺聞法会館や駐車場の敷地となっています。以上が本圀寺の概要です。・総門要付関この本圀寺、2009年に一度参拝しています。今回ご朱印をいただこうと社務所に伺ったら、拝観もできるとのことで、拝観もさせていただきました。拝観料500円はいいとしても、ご朱印500円はいかがなものかと。普通は300円ですが。回廊をぐるっと回って、いくつかのお堂を拝観します。・客殿 「本圀寺」の額。謂れを説明いただきましたが、忘れてしまいました。続いて本師堂、大本堂を拝観させていただきました。本師堂には長さ日本一とういう涅槃図が巻かれて置かれていました。2月に公開するそうです。本師堂前の朝鮮狛犬は加藤清正公寄進によるものだそうです。・大岩さん 大師堂の裏にあります。本圀寺の住所は山科区御陵大岩町。町名の由来にもなっています。・ご朱印堂内拝観後、境内を巡りました。2009年に拝観したときは、もっと金ピカの印象があったのですが、今回はそうでもありませんでした。概要のところにもあったように、最近、金ピカを落ち着いたものに変えたようです。2009年のときの写真とも比較してみましょう。・開運門と鐘楼この門は、加藤清正公が朝鮮出兵の出陣に際して、門を閉じずに出征し、凱旋帰国するまでは開けられる事が無かったため、「開かずの門」と言われます。また、尾張の貧しい家の出身ながら、秀吉のもと戦功を重ね、肥後熊本82万石の大名に登りつめた清正公にあやかり「開運門」ともいわれます。開運勝利の神様―せいしょこさま(清正公)―が寄進されたもので、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながらくぐると、清正公の勝運・開運にあやかれるそうです。上の写真では鐘楼が右に見え、梵鐘は普通の色ですが、2009年に訪れたときには、別の場所にあり、金ピカでした。2009年当時の鐘楼の写真・仁王門古い部分と新しい部分が混在しています。2009年当時。 仁王さんも鯱も金ピカです。・九頭竜弁財天2009年当時。鳥居も金ピカです。・大本堂(手前)、本師堂(背後)、日蓮上人像本師堂には日蓮大聖人が亡くなるまで離さず拝んでおられた持仏の釈迦尊「閻浮第一立像釈迦牟尼世尊」が祀られています。 「閻浮第一(えんぶだいいち)」とは、世界に二つとないという意味です。2009年当時。燈籠、お堂の縁の擬宝珠が金ピカです。・加藤清正公廟『真正廟』清正の娘、瑤林院が建立しましたが、墓は生前に作ったもので、朝鮮出兵の前に、両親の遺骨、自身の肉歯、毛髪を石室に納めた生き墓です。1592年、文禄慶長の役を前に、16世日しん(示偏に眞)上人より首題七字の旗を授かり、妙経一万部読誦会を依頼して戦勝祈願を行ったと云われます。本圀寺は清正の菩提所として、夫人・清浄院と娘・八十姫(瑤林院)の墓も隣に建てられています。金色の鳥居は近年になって建立されたものです。2009年の写真。ここは金ピカ状態はあまり変わってないようですが、鳥居の場所が変わったようです。経蔵は修復中でした。お寺の方の話ですと、以前は国宝だったのが、重要文化財に格下げされたとのことです。2009年当時の経蔵の写真 拝観を終わり本圀寺を出ようとしたところで、見るべき石碑が本圀寺の東側にあることを思い出しました。「たたら遺跡」の石碑です。しかし、境内をぐるっと回ったときには気が付きませんでした。どこからどういっていいかわかりません。さきほどの社務所に行って、案内していただいた方に聞きました。その方いわく、「私も行ったことがないのでよく分かりませんが、客殿の裏にあるようですから、回りこんで行けばあると思います。ただ、道が悪いので、怪我してもしりませんよ。」とのことでした。恐る恐る行ってみたら、それほど悪い道でもなくすぐ見つかりました。●たたら遺跡石碑[南]この付近 たたら遺跡[東]古代製鉄遺跡[北]昭和四十七年六月十一日認証記念 洛東ライオンズクラブ 日本古来の方法による製鉄をたたら製鉄といいます。この遺跡は,比良山系から湖西・湖南地域に分布する製鉄遺跡の一つ,如意ヶ岳南麓遺跡群に含まれる御陵大岩町遺跡です。これらの地域の製鉄は6・7世紀を最盛期とし,鉄鉱石を原料としていたと考えられています。本圀寺をあとにしました。(続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/26
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。古い記事ですので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。≪2013年6月27日の記事≫ [俳優 佐藤B作さん]胃がん(3)何度も再発 怖さに負けず 「食道に影があります」 2009年3月、胃がん手術後の定期検査で思いがけない結果を聞いた。手術から1年たっていなかった。 すぐ入院して内視鏡で組織を切除し、調べるとがんだった。退院後に、再発・転移予防のため、放射線治療と抗がん剤治療を受けた。 ちょうど舞台のけいこ中だった。だんだん、だるくなってきた。せりふは覚えられても、口から出てこない。立つのはもちろん、座っているのもつらく、すぐに横になりたくなる。 主治医と話し合い、予防のための治療を途中でやめてもらった。 翌年の定期検査でも、異常が見つかった。最初の手術でできた傷の真下に肉芽にくげ(肉のかたまり)ができていた。良性か悪性かはわからないという。 舞台があったため、様子をみたが、徐々に大きくなる。急きょ、出演中の舞台を降板し、治療に専念することにした。 手術で肉芽を摘出した。幸い、良性だった。 ただ、さすがに手術も3度目となると、がんの怖さをひしひしと思い知らされた。しかし、負けたくはなかった。 「がんは、油断ならないしつこさがある。隠れ上手で、いつまた出てくるかわからない。よし、こっちも、恐怖につぶされず、毎日楽しく、心の弾むことを考えて生きようと決めました」>「がんは、油断ならないしつこさがある。隠れ上手で、いつまた出てくるかわからない。>よし、こっちも、恐怖につぶされず、毎日楽しく、心の弾むことを考えて生きようと>決めました」 私は、後腹膜軟部肉腫が片方しかない腎臓の後ろにできましたが、幸いセカンドオピニオンで粒子線治療に出会い、腎臓を温存した治療ができ、現在、普通の生活ができています。 「がん」になったのをきっかけに会社を辞めましたが、そのおかげで、もともとやりたいと思っていた仕事に早く就くことができました。会社勤めを続けるより幸せな道に進めたなぁと思っています。人生どこでどうなるか分からないものです。 ただし、再発のリスクは3割強かかえています。毎日楽しく生きるのはもちろんのこと、もしものときに家内や子供たちが困らないように、終活もがんばらないといけないと思っています。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/26
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6月11日撮影の、「ヤマハギ(山萩)」@ご近所散歩マメ科ハギ属。原産地.は日本、朝鮮、中国、モンゴル、ロシア。花期は6~9月。秋の七草のハギは、この「ヤマハギ」を指します。山地に多く自生する「ハギ」なので「ヤマハギ」。ただ、山地だけではなく平地の里山にも自生します。 「ハギ」の由来は諸説あります。・毎年古い株からたくさん芽を出すため、「生え木」と呼ばれていたことから。・茎が這うように伸びることから「ハクエキ(延茎)」と呼ばれたことから。・養蚕のときに用いる雑木小枝を束ねたものを「ハギ」といい、それに似ていることから。・葉が早く黄色になることから、「早く黄ばむ(早黄)」「葉黄」。・「秋」が転じた。「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して、名前を教えてもらいました。ミツ太郎さんよっちゃん×3さんオレちゃんさんkayu-さんありがとうございました。ヤマハギとニシキハギに意見が分かれました。調べると確かによく似ています。葉の先が丸いなどの特徴からヤマハギとしました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/25
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【2016年7月25日(月)】 天気がよければ京都歩きに行く予定でしたが、天気予報では降水確率が高かったため、今日の京都歩きは昨日時点であきらめました。 それで、朝、車を出した後、ゴルフ練習場へ。7月29日の復帰後10回目のゴルフラウンドを控え、直前の練習です。 前回、バックスイングで右足荷重を意識して打ったら、特にアイアンと寄せがよかったので、その確認が主要目的です。 以前ネットで色々調べていたところ、足踏みドリルの紹介があり、それを前回の練習で試してみたところ、感じよく打てました。ドリルのように足を地面から離すことはせず、バックスイングのとき右足荷重を意識して打ったら、トップやダフリも少なく、方向も安定しました。バックスイングで腰がしっかり回って、最後は左足にしっかり体重移動できるのが実感できました。出典:http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/column/serizawa/CK2016010702000128.html 今までは、左右均等荷重でアドレスしていても、ダウンブローを意識することもあって、バックスイング時にはすでに左足荷重になっていて、振り出すときには、逆に右足荷重になっていたのだと思います。いわゆる「明治の大砲」状態のスイングでした。 前回は、アイアンでシャンクが出ることもあったのですが、今日は全くありませんでした。ドライバーやフェアウェイウッドは、前回ちょっと飛距離が落ちたように思ったのですが、今日は普通の距離が出ました。前回は1階打席で、今日は2階打席だったせいかもしれませんが。ただ、ドライバーやフェアウェイウッドはときどきトップや変な当たり方がするので、これから精度をあげていく必要があります。 この発見、次回、ちょっと楽しみな部分です。 パットも練習しました。膝は少し柔らかくして、両肘とも曲げ、ハンドファーストを維持したまま打つのが感じがいいです。両肘とも曲げると、意識しないとハンドファーストがくずれるので、ハンドファーストを常に意識しておく必要があります。アドレスでは、手を真ん中に持ってきて、その後ハンドファーストに移行させるようなルーティーンにすればいいのかもしれません。短い距離はバックスイングを意識して小さくしたほうがいいようです。バックスイングで一度止めたほうがいいのかどうか、そこはよく分かりません。 150球くらい打って午前10時には帰ってきました。 これ以外はルーティーンの一日でした。 それにしても、暑くなく助かります。今年は、エアコンをまだ数回しか使ってないのではないでしょうか。夜なんか涼しいくらいです。このまま、酷暑にならなければいいですね。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/25
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「京都市内全寺社巡り」2016年7月21日(木)山科区第12日の第2回です。◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607210007/◆その地図へのプロットは下記です。https://drive.google.com/open?id=12eNlB8ebLm_Mp_OYXlJ93cwAwFI&usp=sharing===============================それでは第2回です。毘沙門堂をあとにします。前回、見逃した石碑(道標)が一つあったので、探しました。毘沙門堂に上がる石段の下から、川に沿って山科聖天の方向に歩き、山科聖天に上がる石段の前を通り過ぎて少しのところの、ガードレールと川の間にあります。前回訪れた後山階陵・輪王寺宮御墓の道標です。●後山階陵・輪王寺宮御墓【道標】ごさんかいりょう・りんのうじのみやおんはか[北東]→後山階陵 輪王寺宮御墓[南西]大阪皇陵巡拝会毘沙門堂への道を戻ります。前回訪問の瑞光院の前の石碑。●赤穂義士旧跡石碑(瑞光院前)[東]浅野稲荷社 赤穂義士旧跡 瑞光院[西]弘化四年九月幽玄斎石東広林建之播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長矩(1665~1701)の妻が瑞光院二世陽甫宗隣と叔父姪の間柄で,かつこの地が遠祖浅野長政の邸宅地であったことから,廃寺になっていたものが浅野家の武運長久祈願寺として再興されました。元禄14(1701)年の松の廊下事件で長矩が切腹したのち,院主宗湫禅師は赤穂藩家老大石良雄と謀りその衣冠を境内に埋めて供養塔を建てました。浪士切腹ののち,その遺髪は境内に埋められ,上に遺髪塚が建てらました。浅野神社は浅野家第宅の屋敷に祀られた屋敷神でしたが、瑞光院の寺鎮守稲荷、地主神として祀られました。瑞光院はもと上京区堀川頭今宮御旅所下る瑞光院前町に所在し,現在地へは昭和37年に移転しました。途中にこんな掲示物が・・・・安朱橋から、琵琶湖疎水に沿って歩きます。安祥寺川が琵琶湖疏水と直角に交差し、琵琶湖疏水の下を流れています。洛東高校を過ぎると、疏水の北側に安祥寺があります。●安祥寺(高野山真言宗) 嘉祥元年(848年)、仁明天皇女御で文徳天皇の母・藤原順子の発願により、入唐僧・恵運によって創建されました。 安祥寺には醍醐寺同様、裏の山にある「上寺」と麓にある「下寺」が存在しましたが、順子が死去したあとは朝廷の庇護を失い次第に衰微していったようです。そして、他の京都の多くの寺同様応仁の乱により荒廃し、上寺・下寺共に完全に廃寺となりました。 江戸時代に残った寺宝を元に現在地に移転して再建されましたが、上寺の方は再建されず廃絶しました。さらに、寺領のほとんどを寺の維持のために毘沙門堂門跡に売却、寺の規模は大幅に縮小されました。江戸時代においても何回も火災に遭い、明治39年には多宝塔を焼失、以後再建されていません。現在は江戸時代後期に再建された本堂、地蔵堂、大師堂のみが残っています。 貴重な寺宝が多くあるようですが、金属製のフェンスがあり、ちょっと近寄りがたい雰囲気です。門の向こうには雰囲気のある本堂が見えます。拝観できないのが残念です。安祥寺の前の道を山手に歩くと、護国寺があります。●護国寺(日蓮宗)本能寺を本山とする日蓮宗の寺院です。琵琶湖疏水が山裾に沿って蛇行南下し、JR東海道本線や京阪京津線に最も近づくところです。線路を上から見下ろします。いかに琵琶湖疏水が高いところを流れているかを実感できます。さらに琵琶湖疎水に沿って歩きます。再び北上する途中左側の傾斜地に建つ寺院、妙応寺です。●妙応寺(黄檗宗萬福寺派)第38代・天智天皇を祀る、天智天皇ノ社の神宮寺だったといいます。当初は天台宗だったとのこと。琵琶湖疏水にはこんな形の橋がところどころに掛かっています。橋の両側に道路と平行して石段がついており、横から見ると石段の側面が三角形に見えるところから三角橋の名がついています。舟の通行のために1メートルくらい高く架かっています。山科区第9日に訪れた天智天皇陵の北側に沿って琵琶湖疏水が流れます。左側の石柱の柵内が天智天皇陵です。本圀寺に繋がる朱塗りの橋が見えます。深い緑に囲まれたこの季節、ひときわ鮮やかです。橋を渡って、本圀寺に向かいます。橋の下を琵琶湖疏水が滔々と流れます。(続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/25
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2016年7月24日 京都新聞ホームページから 天橋立の伝統行事「出船祭」が24日夜、京都府宮津市文珠の智恩寺などで催された。寺近くの海上に設置した浮き舞台で、激しい龍舞が披露され、観客を魅了した。 出船祭は、寺の伝説「久世戸縁起」に由来する海上祈願祭。知恵の仏の文殊菩薩が地上で暴れる悪龍を千年かけて改心させる物語を、舞で表現する。 本堂で法要が営まれた後の午後8時ごろ、廻旋橋に金銀2頭の龍が現れ、荒々しく練り歩いた。続いて、白い装束をまとった菩薩が船に乗って登場。優美な踊りで龍を鎮めた。 最後に約500発の花火が上がると、観客から拍手と歓声がわいた。終演後も、寺の山門前で歓喜の舞が繰り広げられ、一帯は熱気に包まれていた。海上の舞台で激しく舞う2頭の龍と菩薩たち(24日午後8時32分、宮津市文珠)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/25
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2016年7月24日 京都新聞ホームページから 祇園祭の還幸祭が24日営まれ、3基の神輿(みこし)が四条御旅所(京都市下京区四条通寺町東入ル)を出発し、市中心部を練り歩いた。沿道では住民が八坂神社(東山区)に帰る祭神を見送った。 中御座、東御座、西御座の3基は、午後5時過ぎから四条御旅所を順次出発した。御旅所前では、担ぎ手の男たちが神輿を高く掲げる「差し上げ」を行った。集まった見物客は、男たちの「ホイット、ホイット」という勇壮な掛け声に合わせ手拍子を取り、祭りの熱気を盛り上げた。 3基は同神社の境外末社「又(また)旅社」(中京区三条通黒門西入ル)などを経て深夜までに神社に戻った。還幸祭で威勢よく神輿を差し上げる担ぎ手の男たち(京都市下京区四条通寺町)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/25
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2016年7月24日 京都新聞ホームページから 復活して3年目を迎えた祇園祭・後祭(あとまつり)の山鉾巡行が京都市内で行われた24日、巡行の掉尾(とうび)を飾る大船鉾は新調した木彫の龍頭を取り付けて巡行に臨んだ。150年余りの時を超え、威厳ある龍の勇姿が都大路によみがえった。 龍頭は高さ約2メートル、重さ約220キロ。米原市の彫刻師森哲荘さん(69)らがヒノキを主体に作り上げた。幕末に「禁門の変」の影響で焼失した大船鉾は、それまでの巡行では大金幣(きんぺい)と龍頭を1年交代で船首に設置していた。2年前に大船鉾が復活してからは焼け残った大金幣を使っており、龍頭を付けての巡行は少なくとも152年ぶりとなる。 出発前に大船鉾の龍頭が新町通から御池通へ現れると、観衆から大きなどよめきが起こった。見せ場の「辻(つじ)回し」では、にらみをきかせた龍の船首が少しずつ向きを変え、沿道の歓声を誘った。四条河原町で迫力ある姿を見た兵庫県丹波市の依藤寿音さん(12)は「すごくきれいで、すごい作りです。重い鉾をよく動かせるなと思いました」。 巡行を終えた四条町大船鉾保存会の林邦彦理事長(64)は「昔の方々が出していた龍頭を、復活から3年目にして私たちでまた出せたことはうれしい限り。みなさんの協力あってのこと。感動しました」と話した。真新しい龍頭を取り付けて巡行する大船鉾(24日午前11時27分、京都市下京区四条河原町交差点)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/25
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2016年7月24日 京都新聞ホームページから 祇園祭の後祭(あとまつり)の山鉾巡行が24日、京都市中心部で行われた。豪華な懸装品(けそうひん)に飾られ、個性豊かなご神体人形を載せた10基の山と鉾が晴れの都大路を進んだ。町衆の心意気を継ぐ者たちが継承してきた「動く美術館」に、沿道から拍手が送られた。(19、22面に関連記事) 午前9時半、くじ取らずの先頭、橋弁慶山が中京区御池通烏丸を東へ出発。弁慶と牛若丸の人形に見物客の視線が集まった。真松(しんまつ)を揺らす北観音山に、平家物語の一場面を表す、曲芸的な人形を載せた浄妙山が続いた。御池通では、山鉾で奏でられる祇園囃子(ばやし)と、ケヤキ並木から降り注ぐ蟬(せみ)時雨が響き渡った。 市役所前で行われたくじ改めでは、くじ箱のひもを扇子でほどく独特の所作に歓声が上がり、交差点では、巨大な山や鉾が豪快に進行方向を変える辻(つじ)回しが注目を集めた。しんがりの大船鉾は、約150年ぶりに、船首に木彫りの龍頭(りゅうとう)を載せて進んだ。 山鉾は御池通から河原町通、四条通と市中心部を時計回りに巡行。各通りの沿道では、日曜開催とあって昨年より4万人多い10万人(京都府警調べ)が見入った。 山鉾行事は国の重要無形民俗文化財。山鉾は合計33基あり、そのうち、後祭グループの10基がこの日巡行した。音頭取りの掛け声に合わせて豪快に方向転換をする北観音山の辻回し(24日午前10時48分、京都市下京区四条河原町交差点)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/25
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2016年7月24日 京都新聞ホームページから 能楽・金剛流宗家が所蔵する能面や能装束を一般公開する「能面・能装束展観」が23日、京都市上京区の金剛能楽堂で始まった。 所蔵品の虫干しに合わせて毎夏開いている恒例行事。ロビーや能舞台、見所(客席)には、花鳥が鮮やかに刺しゅうされたり、きらびやかな紋様が織り込まれた装束や能面など約70点が展示された。 今年は、江戸後期に活躍した金剛禎之輔とその長男謹之輔が、それぞれ初めて御所での禁裏能に出演した際に、孝明天皇から贈られた初参(ういざん)人形など、珍しい品も並んだ。宗家の永謹(ひさのり)さんによる解説もあり、能の愛好者や観光客が興味深げに眺めていた。 24日まで。展示品の入れ替えあり。午前10時から午後5時まで。千円。解説は午前11時と午後3時から。 同能楽堂TEL075(441)7222。鮮やかな図柄の能装束が並ぶ会場(京都市上京区・金剛能楽堂)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/25
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。古い記事ですので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。≪2013年6月20日の記事≫ [俳優 佐藤B作さん]胃がん(2)手術後の舞台 妻が猛反対 2008年5月、都内の病院で手術を受け、胃の3分の2を切除した。 3週間の入院中、病室から、人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の収録にも出かけた。 喜劇役者としては、舞台に立つのが、真の復帰。目標は、8月の「戸惑いの日曜日~アパッチ砦の攻防より~」だった。1996年の初演からずっと主役を務めてきた。「(主役を)ほかの人に渡したくない」との一心で、退院後も、自宅近くを歩き回ってリハビリに努めた。 しかし、思うように体力は回復しなかった。体重は10キロ以上も落ちた。 病院からもらった資料を手に毎日、食事を作ってくれた妻で女優のあめくみちこさんは「まだ早い。焦る必要はない」と出演に猛反対した。プロデューサーも自宅まできて説得した。最終的には、同学年の盟友角野卓造さんの「今回は、やめた方がいい」との一言で降板を決意した。 演出にまわり、連日、客席で見守った。 「初めて舞台全体をみて、こんなに良い芝居を続けてきたんだと感動しました。絶対にもう一度、主役をやるぞ、と誓いました」 2011年、角野さんを相手役に、再び、この作品の主役を演じた。「今なら、休む時は休んだ方がいいと言えます。体験しないと、その大切さが理解できないものですね」>確かに2年以上、健診を受けていなかった。 第1回の記事で上記のように書いてありました。胃を3分の2切除。やはり毎年の検診が大切ということでしょうか。>「今なら、休む時は休んだ方がいいと言えます。」 私が「がん」だということが分かって、会社は1ヵ月で後任を置きました。当然の判断だと思います。そのこともあって治療に専念できましたし、働けるようになっても、会社は辞め、もともと目指していた道に早めに進もうと思うようにもなりました。サラリーマンですので、会社を辞めてからも含め、傷病手当金が1年半出たのは、大きな助けになりました。 芸能人はこういう制度ないでしょうから、無理しがちになるのではないでしょうか。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/25
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【2016年7月24日(日)】 昨日、暑い中、京都歩きに出かけ、夜も飲み会でしたので、今日は予定どおり、ルーティーンの日としました。6月11日撮影の、「ムラサキシキブ(紫式部)」@ご近所散歩 です。シソ科 ムラサキシキブ属。原産地は日本。開花期は6月。秋に光沢のある紫色の小さな果実を付けます。紫色の実の清楚な「ムラサキシキブ」という名は、美しさを平安時代の女流作家「紫式部」(西暦1000年頃の人)にたとえたところからきています。また、紫色の実をびっしりつけることから「紫重実、紫敷き実(むらさきしきみ)」と呼ばれていたものが、いつのころからか源氏物語の作者・紫式部を連想させて「紫式部」となっていった、との説もあります。「みんなの花図鑑」サイトに写真を投稿して、名前を教えてもらいました。よっちゃん×3さん秀さんだよさんkayu-さんオレちゃんさんピエールさんリンゴちゃんさんありがとうございました。ムラサキシキブとコムラサキに意見が分かれましたが、葉全体に鋸歯があるように見えるので、「ムラサキシキブ」と判断しました。「コムラサキ」の可能性もあります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/24
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2016年7月25日の週の案内です。1ヵ月に及んだ祇園祭は7月31日の疫神壮夏越祭(八坂神社内)によって、終了します。●7月25日(月)・鹿ケ谷カボチヤ供養/安楽寺・縁日・天神市/北野天満宮 ・宝物虫払会(雨天中止)/真如堂・盆施餓鬼会/百萬遍知恩寺・大般若経転読法要/千生寺*狂言奉納/八坂神社●7月27日(水)・暁天講座(~7/31)/知恩院●7月28日(木)・狸谷火渡り祭/狸谷山不動院*神輿洗式/八坂神社・四条大橋●7月29日(金)・きゅうリ封じ(~7/30[29日は前夜祭])/五智山蓮華寺・醍醐市・五重大塔納経法要/醍醐寺*神事済奉告祭/八坂神社●7月30日(土)・御手洗祭/木島神社(蚕ノ社)・ほうろく灸祈祷会/三宝寺●7月31日(日)・茅の輪神事/御香宮神社・千日詣り(7/31夜~8/1早朝)/愛宕神社*疫神壮夏越祭/八坂神社内の疫神社千日詣り(愛宕神社)●その他・宝物虫干し(下旬)/宝泉寺(7月26日のようです。)・夏の特別拝観(下旬~8月下旬)/圓徳院・御手洗祭(土用の丑の口前後約4日間)/下鴨神社 (7月23日(土曜)~31日(日曜)のようです。)*は祇園祭の行事◆御手洗祭(5:30~22:00) 下鴨神社 境内の御手洗池に足をひたして、疫病や穢れを祓う行事「足つけ神事」とも呼ば れ、安産のご利益もあるとされている。池の中で灯明をお供えし、御神水をいただ いて無病息災を祈る。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/24
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2016年7月23日 京都新聞ホームページから 同志社大(京都市上京区)で行われる「世界考古学会議第8回京都大会」(8月28日~9月2日)の開催を記念した展覧会「アートと考古学展」が23日、京都文化博物館(中京区)で始まる。芸術を通して、考古学の新たな魅力を紹介する。 22日の内覧会では、展示品100点余の説明が行われた。銅鐸(どうたく)の発掘から寺の場所を決めた伝説を描いた「石山寺縁起絵巻」や、遺跡発掘時に調査員が描く「遺構測量図」も陳列する。 また、石こうで補った発掘品の志野碗(わん)に「余白の美」と名付け考古学資料を芸術作品のように見せるほか、京都市内の10以上の工事現場などで取った土で作った陶器も並ぶ。 同館の村野正景学芸員(38)は「一般的には難しいと思われている考古学の面白さを知ってもらいたい」と話す。9月11日まで。月曜休館。一般500円、大学生400円、高校生以下無料。銅鐸発掘時の様子を描いた絵画などが並ぶ「アートと考古学展」の会場(京都市中京区・京都文化博物館)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/24
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2016年7月23日 京都新聞ホームページから 祇園祭の後祭(あとまつり)は23日、宵山を迎えた。京都市中心部に立つ10基の山や鉾の付近では、多くの見物客が訪れ、祭りの夜を楽しんだ。 鈴鹿山(中京区烏丸通姉小路下ル)では、厄よけちまきを売る少女たちが浴衣姿で「常は出ません。今晩限り」と呼び声を上げた。三つの山が南北に並ぶ室町通では、見物客が祭りの雰囲気と別れを惜しむかのように、駒形提灯に照らし出された山を見て歩いた。京都府警によると、午後10時現在の人出は約2万人で、昨年より約3千人多かった。 24日の山鉾巡行は午前9時半に中京区御池通烏丸を出発する。同日夕には還幸祭が営まれ、3基の神輿(みこし)が四条御旅所(下京区四条通寺町東入ル)から八坂神社(東山区)に戻る。高張り提灯、駒形提灯に灯がともる各山を訪ね歩く見物客ら(23日午後7時10分、京都市中京区室町通三条下ル)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/24
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2016年7月23日 京都新聞ホームページから 祇園祭後祭の山鉾巡行(24日)を前に23日、聖護院(京都市左京区)の山伏たちが、市中心部に立つ五つの山を訪ね、巡行の安全を祈願した。 山伏約30人は午後1時、六角堂を出発。ほら貝の音を響かせながら浄妙山、南観音山、北観音山、八幡山を訪れ、各山の前や会所の中で読経した。 午後2時すぎ、修験道の開祖をご神体として祭る役行者山(中京区室町通三条上ル)に到着。「修験道の開祖はいかに」「修験道の本尊は」などと山伏問答を行った。その後、護摩を焚(た)き、市民らが「家内安全」などと書いた護摩木を燃えさかる炎の中にくべた。 室町通では護摩焚きの煙がもくもくと上がり、市民らが珍しそうに眺めていた。巡行の無事を祈り、護摩を焚く山伏たち(23日午後2時50分、京都市中京区室町通三条上ル・役行者山)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/24
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。古い記事ですので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。≪2013年6月13日の記事≫ [俳優 佐藤B作さん]胃がん(1)人間ドック まさかの結果 早稲田大学在学中から舞台に立った。テレビドラマや映画でも活躍、喜劇を追求してきた。 病気知らずだったのに、2007年の年末、人間ドックで胃がんが見つかった。受診のきっかけは、その年の秋、舞台で共演した亡き中村勘三郎さんの一言だった。 「最近、お酒が残るみたいじゃない。ちゃんと定期検査、受けてる?」 舞台袖で声をかけられて、はっとした。確かに2年以上、健診を受けていなかった。すぐに人間ドックを予約した。 がんとわかり、まず驚いた。両親ともに、脳出血で亡くなり、身近にがん患者はいなかった。「血圧には気をつけていたけれど、まさかがんとは。酒もごはんもうまい。信じられなかった」と振り返る。 医師は「がんの広がりは、おなかを開けてみないとわかりません。すぐに手術が必要です」と告げたが、翌春まで、主宰する「劇団東京ヴォードヴィルショー」の地方公演があった。 「座長の僕がいなくなるのはまずいと思いました。僕の頭には降板という文字はなかった。自覚症状もなかったし、当時は、まだがんの怖さを知らなかったから」 08年4月23日、ファクスで胃がんの手術を受けることを公表した。同29日の千秋楽を終えて、すぐに入院、5月1日に手術をした。 私が「がん」から復帰して、新しくゴルフ仲間になっていただいたMSさんという方が、胃がんにかかりました。やはり健康診断での発見がきかっけで、早期の発見でした。開腹することなく、内視鏡により胃の内壁の患部をとったそうです。10日間で退院され、まだ胃に痛みは残っているようですが、退院後1ヵ月くらいでゴルフに復帰されています。やはり早期発見であれば、予後はよいようです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/24
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【2016年7月23日(日)】 今日、三重県の実家にお墓参りに行ったことは投稿しました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607230005/ 強硬日程ですが、帰ってきた後、M社事業部時代の同僚のSTさんとの二人飲み会で、高槻に行ってきました。 STさんは昨年10月ごろM社を定年退職しましたが、この5月からニュースでも話題の会社に再就職しました。ただし勤務先は愛知県で、関西から単身赴任です。昨日、「関西方面への出張が月曜からあるので、この週末自宅に戻ります。一杯行きませんか?」とのメールをいただきました。最初は、お墓参りがあるので、残念ながら無理ですと返事しようと思ったのですが、よく考えると、いつもより少し早く帰って、遅めの開始にすればいけると気が付き、午後7時からの開始でOKすることにしました。 場所は、よく行く阪急沿いの「たご作」。リーズナブルな値段で、美味しい料理を出してくれます。予約なしでしたが、いけました。「たご作」1階のカウンター席http://job.inshokuten.com/kansai/work/detail/18169より STさんは再就職して初めて、私も観光ガイドの研修を開始してから初めての再会でしたので、それらの話題と、我々の年代にありがちな、相続の話やら、終活の話、年金の話などで盛り上がりました。 年金は失業の場合、本人や配偶者も国民年金の免除が受けられますが、私が最初そうだったように、彼もそのことを知らず、以前、飲み会したときに私から聞いて知って、手続きをして、途中から全額免除になったそうです。でもその直後に再就職になったので、結局1ヵ月しか対象にならず、半年くらい普通に払ってしまったということで、ずいぶん悔しがっていました。 気が付いたら9時半になっていました。次回別の集まりで8月に顔を合わせるので、再開を約束して別れました。 こうやって、急に飲み会を設定できる友人がいるとうのはいいものです。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/23
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【2016年7月23日(日)】 今日は月イチのお墓参りで、三重に二人で行ってきました。 今回は、菩提寺さんに11時半ごろ行く必要があったので、いつもより早めの9時半頃出たのですが、京滋バイパスが渋滞で30分余分にかかって、11時半頃ようやく実家に到着。30分遅れくらいで、菩提寺さんに行きました。 8月に三重の実家で法要をしますが、同時に実家の仏壇も魂を抜く供養していただきます。そのうえで、菩提寺に仏像やお軸、位牌などを処分いただき、仏壇屋さんに仏壇を処分していただく予定です。今の仏壇に入っている4つの位牌も処分するのですが、祖父母や父母の分などは、新たに買い求めた小さな「回出し(くりだし)位牌」に書いてもらって、自宅の小さな仏壇に置いておくことにします。過去帳も残しますが、父母や祖母の名前がまだ書かれていませんでした。それで今日、過去帳と新しい位牌を菩提寺に持っていって、記入をお願いしたわけです。 それ以外に菩提寺さんに処分していただくものを事前に特定しておくために、仏壇やその回りを整理していたら、西国三十三所巡礼の朱印を押した布が出てきました。生前父母が回ったものでしょうか。菩提寺さんで処分いただければ、天国の父母に届くのではないかと思います。 あとはいつものように実家の空気の入れ替えとお墓参り。少し曇っていて気温も高くなく、助かりました。あと実家庭の草カットを少し。もう更地で売る決心をしたので、以前のように丁寧にはしません。草もカットはするが持って帰らずです。 それからいつものように地元銀行の通帳記帳。しかし、第三銀行の分が磁気情報が前回同様読めず、以前福支店長さんと相談したように、郵便ポストに入れてきました。 最後に駐車場の除草剤撒き。除草剤は生えている草に効果がありますが、新たな草の生え方も極端に弱くなり、ほとんど生えていません。生えているのは、今までとは違った種類の雑草のようにも思います。除草剤に強い雑草、弱い雑草があるのでしょうね。 前回来たとき、道路側に溝があり、そこに土が溜まって、草が生えていることが分かりました。土が目いっぱい溜まっているので、溝だということに気が付きませんでした。溝掃除さえこまめにすれば、草は生えず、除草剤も必要なくなるのではないかと思い、今日、3つくらいの区画分の土をスコップで取ってみました。様子を見てみます。 午後4時ごろ出て、帰りは渋滞もなく5時半ごろ自宅に戻ることができました。 帰宅した後、汗を流して、後からアップするST氏との飲み会で、高槻に向かいました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/23
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6月14日撮影の、「ナンテン(南天)」@ご近所散歩 です。メギ科 ナンテン属。中国原産。開花時期は6~7月。11月~12月にご存知の赤い実を付けますが、花はこのように小さな白い花です。 中国では古来、「南天燭」「南天竹」などの名前で呼ばれており、日本名の「ナンテン」は中国での名称を簡略化したもの。南天燭の「燭」は、南天の実が「燭〜ともし火」のように赤く、南天竹の「竹」は株立ちが竹に似ているからこう呼ばれるようになったそうです。音が「難転」即ち「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信があります。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれます。葉は、南天葉(なんてんよう)という生薬で、健胃、解熱、鎮咳などの作用がります。食品の防腐に役立つとのことで、彩りも兼ねて弁当などに入れたりします。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/07/23
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2016年7月23日 京都新聞ホームページから 祇園祭の後祭(あとまつり)は22日に宵々山を迎えた。京都市中心部の山鉾町では、「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)や駒形提灯の明かりに誘われた見物客たちが、しっとりとした雰囲気を楽しんだ。 後祭の10の山鉾のうち、中京区蛸薬師通烏丸西入ルの橋弁慶山では、会所の2階によろい姿の弁慶と牛若丸の人形が飾られている。夜にはライトに照らされ、見物客たちが、歴史上の両雄の人形を見上げていった。 後祭は、人出が少なく、露店の出店のない「静かな祭り」と言われ、見物客はゆっくりと山鉾町を巡った。鯉山では、約400年前にベルギーで作られた懸装品(けそうひん)や、木彫りの鯉に見入ったり、役行者(えんのぎょうじゃ)山では、23日午後に焚き上げる護摩木に願い事を書いたりしていた。朱印を授与するコーナーには行列ができた。 同日は1万人(午後10時、京都府警調べ)が楽しんだ。会所と駒形提灯に明かりがともる橋弁慶山周辺をそぞろ歩く人たち(22日午後7時半、京都市中京区蛸薬師通烏丸西入ル)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/23
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2016年7月22日 京都新聞ホームページから 日本三大祭りの一つ、祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行が24日、京都市内で行われ、くじ取らずの橋弁慶山を先頭に、計10基の山鉾が都大路を進む。しんがりの大船鉾は、今年新調した木彫りの龍頭を船首に取り付けて巡行する。 後祭の巡行は、2014年に49年ぶりに行われるようになった。 午前9時半、橋弁慶山が中京区御池通烏丸を出発。河原町通を南進し、四条通を西に進む。御池通寺町では、2日にあったくじ取り式で決まった巡行順を確認する「くじ改め」がある。後祭の巡行がなくなった1966年に始まった花傘巡行は、午前10時に東山区の八坂神社を出発。四条通から寺町通を上がり、神社に戻る。同日夜には還幸祭がある。 山鉾の巡行順は次の通り。【後祭の巡行】(1)橋弁慶山(2)北観音山(3)浄妙山(4)役行者(えんのぎょうじゃ)山(5)黒主山(6)南観音山(7)鈴鹿山(8)八幡山(9)鯉山(10)大船鉾後祭山鉾巡行(先頭の通過予定時刻)■24日の交通規制 祇園祭の後祭の山鉾巡行に伴い、京都府警は24日、四条通や御池通など京都市中心部で交通規制を行う。 主な車両通行止めは、四条通の木屋町-烏丸間が午前9時50分~午後1時、烏丸-堀川間が午前10時50分~午後1時。 河原町通の御池-四条間が午前9時45分~午後1時。御池通の烏丸-釜座間が午前8時半~10時40分、木屋町-烏丸間が午前9時~正午となっている。交通規制の詳細は府警ホームページに掲載している。交通規制(24日)ワルディーのコメント・後祭は10基・鉾1基、山9基 鉾の種類は船鉾。曳山は北観音山、南観音山・「くじ取らず」4基、1,2、6、10(1,2と4つおき) 1(橋弁慶山)、2(北観音山)、6(南観音山)、10(大船鉾)・今年の山一番は「浄妙山」・前祭は23基・鉾9基、山14基 うち傘鉾2基、船鉾1基。曳山は岩戸山のみ。・「くじ取らず」5基。 1(長刀鉾)、5(函谷鉾)、21(放下鉾)、22(岩戸山)、23(船鉾)・くじ取らず以外の鉾は、9、13、17(鉾は先頭から4つおきと、最後)・傘鉾は7、15(鉾の中間)・今年の山一番は山伏山よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/23
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2016年7月22日 京都新聞ホームページ 東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年に、「和装」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録することを目指す方針を、京都府や京都市、和装関連団体などでつくる京都和装産業振興財団(京都市中京区)が21日までに決めた。本年度中に和装文化の定義や保護策などを盛り込んだ提案書を文化庁に提出し、正式に申請する。 和装の遺産登録を巡っては、これまで府や市、団体がそれぞれ登録を求める決議や運動を進めてきた。今回、和装の魅力の世界への発信を目指して一体的に取り組むことにした。 登録の名称は、「着物」よりも庶民的な印象があるとの理由から「和装」という言葉を用いる方向で進める。過去には韓国が提案した「李朝の宮中料理」が登録を見送られた経緯があり、生活に根差した身近な文化としてアピールする。 和装文化の定義や特徴についても今後、有識者と相談して提案書の中身を詰める。13年に「和食」が登録された際には、年中行事とのかかわりや自然の美しさの表現など和装とも共通する特徴が評価されており、これらを参考にする。 ただ、遺産登録に向けて壁は高い。保護・継承に向けた方策を整えておく必要があり、学校教育への活用や職人の後継者問題解決が課題となる。 また、無形文化遺産保護条約では登録件数の少ない国の審査を優先すると定めている。日本が今年申請した「来訪神 仮面・仮装の神々」も先送りされ、18年に審査される見通しとなっている。「和装」が20年に登録されるためには、国の文化審議会の審査を経て18年にはユネスコに申請する必要がある。 京都和装産業振興財団は提案書の内容を充実させるため、11月に開かれる経済産業省の和装振興協議会で提案書の中間案を発表し、有識者の意見を聞く方向でも調整している。財団の永井秀明専務理事は「東京五輪をきっかけに日本の文化が注目される。登録により、日本がこれまで積み重ねてきた和装文化の魅力を多くの人に知らせる機会にしたい」と話す。西陣織会館で今春開かれた着物ショー。「和装」のユネスコ無形文化遺産登録を目指す動きが本格化している(京都市上京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/23
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読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。古い記事ですので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。≪2013年6月6日の記事≫ [タレント 麻木久仁子さん]脳梗塞と乳がん(5)心境変化 娘との時間楽しむ がんはホルモン療法が効くタイプ。手術後約1か月放射線治療を行い、その後、がんを増殖させる女性ホルモンの働きを抑えるホルモン療法を始めた。 のぼせやほてり(更年期障害のような症状)はあるが、副作用は比較的少なく、仕事をしながら治療を続けている。 大病が重なったこの3年、支えは一人娘(18)だった。 脳梗塞と騒動で家に引きこもった時は、「ママ、手をつないで犬の散歩に行こう」と、近くの河原を一緒に歩いてくれた。 乳がんがわかった時は、大学受験の直前で、娘の人生に影響を与えるのが一番の心配だった。だが、娘は涙ぐみながらも、「ママの病気がママとお医者さんで頑張るしかないなら、私は勉強を頑張って心配をかけないようにする」と猛勉強。第1志望の大学に合格し、ほっとさせてくれた。 闘病中に50歳になり、心境も変化した。「あまりしゃかりきになるより、一日一日、いろいろなことを丁寧に拾って楽しむことが大事だなと思うんです」 箸置きを買って食事を楽しむようになり、ティーポットで紅茶を入れ、娘とゆっくりおしゃべりをするのが習慣になった。 「早期発見できたから今こういう時間を楽しめる。ぜひ検診に行って下さい」>「あまりしゃかりきになるより、一日一日、いろいろなことを>丁寧に拾って楽しむことが大事だなと思うんです」 私は、粒子線治療で透析を避けることができたので、元の仕事に戻ることもできました。しかし、せっかくいただいた時間、前からやりたかったことを早めにスタートする方向に舵を切りました。今そのことが実現しつつあります。この点と家族の絆が強くなった点は、「がん」になってよかったと思える部分です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/07/23
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「京都市内全寺社巡り」2016年7月21日(木)山科区第12日の第1回です。◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607210007/◆その地図へのプロットは下記です。https://drive.google.com/open?id=12eNlB8ebLm_Mp_OYXlJ93cwAwFI&usp=sharing===============================それでは第1回です。10:30、JR山科駅からスタートです。 Google Mapには掲載されていなかったのですが、10年くらい前に買った地図を見ると、山科駅を少し東に旧東海道を行ったところに「宣心院」というお寺があることになっています。その場所に行ってみたのですが、新しい住宅分譲地になっていました。廃寺になったか、どこかに引っ越ししてしまったのでしょう。 京阪京津線、JR東海道本線を越え北に向かいます。琵琶湖疏水を少し越えたところを東に入ると、日蓮宗の小さなお寺が2つあります。両方とも境内に入って、参拝することができました。●大立寺(日蓮宗)●秀典寺(日蓮宗) 毘沙門堂に続く道の一本東の道を北に向かいます。●新福寺(真言宗 善通寺派) やはり山科には一般住宅のようなお寺が多いです。 「普通の家みたいなお寺大賞」をあげたいくらいの徹底ぶりです。 北に向かい、毘沙門堂に着きます。比較的有名なお寺で、春の桜、秋の紅葉時には混雑しますが、この時期ほとんど観光客は来ないようです。●毘沙門堂・極楽橋第111代後西天皇がこの地に来られたとき、橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域であると感嘆され、極楽橋の名前を賜ったことに由来しているといわれています。・境内地図・仁王門 最近修復され、朱塗りがきれいです。阿吽の二天像が安置されています。 ・階段の手すりに「願主・松村興三郎」とあります。 徳林庵、諸羽神社でも見ました。 明治・大正時代に「やましな飴」で財を成した人物のようです。 毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹です。ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名があります。 創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれました。当初は出雲寺(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といいました。 その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となりました。 本堂は無料で拝観できますが、霊殿、宸殿、庭園を拝観するには拝観料500円が必要です。 過去、多分二度、霊殿なども拝観していますが、今回も拝観しました。 桜と紅葉で有名ですが、この季節ほとんど観光客の姿はありません。受付の女性が、私が今日最初で最後の拝観者だろうとおしゃってました。・本堂 仁王門同様、最近修復され、朱塗りがきれいです。出雲寺の扁額白象の木鼻と狛犬? 犬のほうは阿吽になっていて、肉球も付いています。 本尊毘沙門天のおみたけは二寸二分、伝教大師作で秘仏とされています。これは御前立です。・霊殿 阿弥陀如来を中央にして歴代の影像や位牌を安置している。永禄六年(1563年)御所の御霊屋として建立されたが、第三世公辨法親王住持の時、後西天皇より拝領移築されました。天井龍 霊殿の守護龍で、狩野永叔主信(ながすえおものぶ)の作。 眼の向きや顔が、見る角度によって変化する。 四角の雲の色彩を違えているのも特徴あるところ。写真出典:毘沙門堂HP・宸殿御所にあった後西天皇の旧殿を貞享三年(1686年)に第六皇子一品公弁親王が拝領し、元禄六年(1693年)に移築を完了し当門跡の新書院としました。右の枝垂桜が春になるときれいです。玄関の書と生け花襖絵 宸殿内部の障壁画百十六面は、すべて狩野探幽の養子で駿河台派の始祖狩野益信の作。「九老之図」写真出典:http://souda-kyoto.jp/card_member/event/297_photo_04.html#写真出典:http://ameblo.jp/rallygrass/entry-10253541701.html どの角度から見ても、鑑賞者が中心になるという逆遠近法の手法。 写真出典:毘沙門堂HP板戸の衝立 圓山応挙筆。平凡な杉板戸ではあるが実に迫力のある大きな鯉が泳いでいる。 これは旧院書の板戸でその豪華さがうかがえる。 鯉の眼を見ながら左右にゆっくり動くと、目が見る者を追っかけてきます。写真出典:毘沙門堂HP 「梅の間」 通称「いけずの間」襖絵は‘梅に鶯’、‘雀に竹’でなく、‘しまひよどりに竹’‘梅に山キジ’が描かれています。「鳥が合わない」ところから「取り合わない」という意味だそうです。「梅の間」に通されたら「とっとと帰れ!」ということなのでしょう。 写真出典: http://cookingyukki.blog27.fc2.com/blog-entry-609.html?sp・晩翆園 宸殿の裏手の庭園です。 江戸時代初期の回遊式庭園。 「心字」の池、亀島・千鳥石・坐禅石など。 山裾にせまる木立の枝間は暗く、さながら夜目に翠(みどり)を 思わせることから「晩翆園」と名付けられました。 拝観中、私とよく似た歳の男性の一人旅の方が、お二方拝観に入って来られました。この暑い季節の平日は、体力がまだあるリタイヤしたばかりの若い老人が多いのでしょう。それ以外にタクシーで二人か三人か来られていました。受付の女性が私が最初で最後とおしゃってましたが、結構、参拝者がありました。帰りがけに「私が最初で最後じゃなかったですね。」と言ったら、「私自身、驚いています。」とおっしゃってました。ご朱印 ・弁財天 お堂は工事中でした。裏にお滝場と思われる滝がありました。・鐘楼・勅使門Google Mapでは塔頭の龍華院が毘沙門堂に向かって右にあることになっていますが、荒廃していて入れなくなっていました。(続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/22
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【2016年7月22日(金)】 7月29日の復帰後10回目のゴルフラウンドを控え、今日は復帰後初めて2時間打ち放題の練習でアルバゴルフへ行ってきました。疲れるので普通打ち放題はしないのですが、今日はピッチングとその寄せ、7番アイアンだけのつもりなので、あまり疲れることはないと思い、2時間打ち放題にしました。 シニア(60歳以上)のビジターは1800円が1600円になるのですが、シニアであることを申請せずに、打席カードから引いてもらいました。「シニアですが、言うの忘れてました。」「あっ、シニア料金にしてありまよ。」 風貌でシニアと分かったようです。嬉しいやら、悲しいやら。 さて、出来栄えのほうですが、やはりアイアンは最初ピッチングも含めて絶不調。何が悪いのかと思って、色々試すうちに、これはというのが掴めたような気がします。 このごろ、膝をできるだけ曲げずに踏ん張って、ダウンブローを意識して打っていますが、これがよくなかったようです。 膝を少し曲げ、バックスイングで後ろ足荷重で、前に踏み込むような打ち方をすることで、すごく安定して、力を抜いてスムーズに打てるようになりました。方向も安定しますし、トップとかダフリもほとんどでません。寄せもこの方法で、すいぶん安定しました。ただ7番アイアンで、シャンクが時々出るのが心配点です。 ドライバーやフェアウェイウッド、ユーティリティは打たないつもりでしたが、それらもこの打ち方で試してみました。距離は少々落ちるかもしれませんが、スライスやチーピンは出ず、安定するようです。 来週、もう一度練習する機会があれば、さらに試してみたいと思います。 次回ラウンド、アイアン、寄せの安定が期待できそうです。 先週、週刊新潮の新聞広告が週刊文春のそれより一日早くなったことを発見し、新潮が文春のスクープ記事で読者を取られ、苦肉の対抗策かと書きました。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607140005/ ところが、今週は、文春も新潮も同じ木曜日でした。(先週は新潮が水曜日、文春が木曜日) 新潮は1回だけのお試しだったようです。 記事の内容は、ご存知のように、文春は鳥越さんのスクープ記事。やはり、エゲツナイ記事では、文春が新潮の一歩も二歩も上です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/07/22
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