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2023.03.04
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カテゴリ: 歴史
毛利元就の三男として誕生した

​小早川 隆景 (1533年~1597年)
三原市所蔵小早川隆景像


12歳で竹原小早川家の養子となり18歳には
沼田小早川家も継承し小早川家の当主として
毛利家を支えた。(毛利両川体制)

​​​
豊臣政権では5大老まで上り詰めた戦国武将
隆景は広島県三原市にある三原城にて
最後を迎えた。(65歳)

毛利元就「三本の矢」で有名な「三子教訓状」には
毛利隆元(長男)吉川元春(次男)小早川隆景(三男)
に長文の教訓が書かれています。
①毛利家を守る事
②一族の結束
③厳島信仰
④身をわきまえる(程度を知る)
この教えを守り小早川隆景は生涯を
毛利家存続に尽くしました。

米山寺(三原)所蔵小早川隆景像


広島から松山までフェリーで移動
移動時間2時間30分新型フェリーのシーパセオ



カフェのような船内
充電用コンセントもたくさんある



松山観光港から車で20分
街の中心部に着きました



本日のホテルは東急レイさん
地域割とホテル会員入会割で




大街道(中心部)から道後温泉は車で10分
多くの観光客で賑わっています



道後温泉から歩いて5分の立地
伊予の湯築城に到着

本能寺の変以降、毛利家や隆景・元春(両川体制)は
秀吉に積極的に協力し1585年の四国攻めでは隆景は
伊予国の金子元宅を討ち取り功績をあげた。

秀吉は隆景に伊予の国を治めさせ、この湯築城に入城
する。この時も隆景は一旦秀吉から毛利に与えた事とし
毛利家から伊予の国を受領する形をとった。



現在の湯築城の模型

市民の開放されている。
広場では各種イベントがよく開催されている
公園の周りはジョギングコース



続いて大洲まで移動(車で40分)
大洲城に到着




湯築城に入城(本拠)枝城となったこの
大洲城には子(養子)の秀包を配置し
この地も治めた。



現在の天守は平成16年に完成



戦国時代以降5人の城主が守ってきた



肱川を天然の堀として利用している
現在の街並みとあまり変わっていない



肱川と予讃線(松山~宇和島)の列車
夏になると鵜飼いが有名なスポット



復元された天守は鉄筋ではなく木造造り
釘なども使用しない昔ながらの製法で再現?



街側の景色
城の石垣を工事中



お城に宿泊ができるそうです
1泊100万円
専用のシェフがキッチンカーで料理造りお城の中で
食事がでます。風呂、トイレは別棟まで移動
城主としての体験ができます。



「男はつらいよ」映画のロケ地にもなった場所
当時は天守が再建されていなかった
(肱川が見える)



寅さんが落としたお金を大洲のお殿様(末裔)
(お殿様の名前も藤堂さんだった)
が拾うところから物語が始まっていく。




以上松山・大洲編でした。





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最終更新日  2023.03.04 00:10:07
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