食いしん坊さちのブログ

食いしん坊さちのブログ

PR

プロフィール

食いしん坊さち

食いしん坊さち

カレンダー

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.12.11
XML
カテゴリ: 歴史




​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​​​​毛利元就の三男として誕生した

​​ ​小早川 隆景 (1533年~1597年)



12歳で竹原小早川家の養子となり18歳には
沼田小早川家も継承し小早川家の当主として
毛利家を支えた。(毛利両川体制)

​​
豊臣政権では5大老まで上り詰めた戦国武将、

隆景は広島県三原市にある三原城にて
最後を迎えた。(65歳)

毛利元就「三本の矢」で有名な「三子教訓状」には
毛利隆元(長男)吉川元春(次男)小早川隆景(三男)
に長文の教訓が書かれています。
①毛利家を守る事
②一族の結束
③厳島信仰
④身をわきまえる(程度を知る)
この教えを守り小早川隆景は生涯を

毛利家存続に尽くしました。

毛利家から養子に出て
三原・竹原の小早川家を継ぐ
その後色々転封するが晩年は
三原城
で最後を迎える

隆景が関係した地域

豊臣秀吉の四国攻めの功績により
松山の湯築城、大洲城など伊予の国
を治めた

その後秀吉の九州征伐にも参加
筑前・築後・肥後37万石を拝領
名島城に入城



今回訪問した位置関係図
①名島城
②福岡城
③大宰府天満宮
④宗像大社



福岡城跡、大堀公園、舞鶴公園に到着
前回名島城跡は訪問したので今回は
移設された名島門を訪問します。



舞鶴公園入口に移設された
​​​​「名島門」
小早川隆景が築いた名島城の脇門後の
名島城城主黒田長政が居城を福岡城に
移す時​配下の武将にさげ渡され邸宅の
門になっていたが​、明治時代売りに出
てた門を当時の代議士が購入​自宅の門と
なる、戦後この地に移設された​。




​​
​​今の名島城跡には石垣が少し残っているだけ
約500年前の貴重な門​
隆景ファンとしては感動物です




城も門としては小さいが重厚感あり



横から見た



福岡城は櫓が再建されている



天主台も残っており上がる事ができる
市民の散歩コース、眺めも良い



続いて訪問したのは太宰府天満宮
車で1時間




​​1591年に小早川隆景によって本殿が再建される
現在は残念ながら本殿は修復工事中で屋根の上が
森の
様になっている​




本殿の裏側



工事中が見れるのも珍しいので
記念になります



丁度菊花展開催中でした



またお相撲九州場所も開催中
伊勢が浜部屋はこの天満宮の敷地内に
宿舎を構えています。
幟も番付順




参道には世界的にも有名なスターバックス
のお店、建築家隈研吾さんのデザイン



次に向かったのは
隆景が関係した建築
宗像大社の辺津宮
車で1時間




宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の3社からなる



天照大神の御子神が祀られている由緒ある大社
天皇皇后陛下や皇族の皆様も参拝されます




​1590年小早川隆景によって拝殿が再建された




拝殿まで雨で揺れないように屋根付きの建物
が出来ている



国の重要文化財




戦国武将として活躍5大老まで務めた隆景

豊臣秀吉は東は徳川家康、西は小早川隆景に
任せれば天下安泰であると評価された。

歴史の中では有名人物ではないが隆景を追って
いくと面白い発見が多々あるがクローズアップ
される事がない、あくまで毛利家の為に動いて
いた隆景らしい。



​​​​​​​​ ​​ ​​​​​​​ ​​ ​​​​​​​​​​ ​​ ​​​ ​​ ​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.12.11 00:10:11
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: